昔のITってどんなだったの?
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技術から言えば1/5位のレベルで今よりも単価が3倍位高かったみたいなんだけど本当? 10年前くらいらしいけど、HTML組めるレヴェルで500kとか貰えたって・・・ 3年前でも、Javaかけるだけで50万くらいもらえたよ? 15年くらい前だと、ただ単にHTMLを使える人がほとんどいなかっただけ。 ていうかHTMLはプログラミング言語じゃないんだから組めるとかふつう言わない。 2001年のJavaOneにも参加して、JAVAの仕事も結構やってるが未だに20万だな >>1 技術は昔の人のほうがはるかに高い。 なにせ資料はまったくなく、自動化も簡略化もサポートも少ない。 となれば、コンピューターのことをちゃんと理解してないと動かすことすらままならん。 オタクな職業だったから、絶対数が少なく単価は高かった。 今のように誰でも1,2週間でプログラマを名乗れる時代ではなかった。 少なくとも新人教育にはマジで半年はかかった。 >>6 技術と技能の違いも解ってなさそうな人に長文書かれても…。 >>6 >>8 30年前、40年前ならともかく、10年前程度じゃ大して変わらんよ。 ドラム缶サイズのハードディスクで コンパイル1回するのに計画書が必要な時代ですね テープやカードに穴開けてた時代だろ? 人が読んで解析したりな。 >>8 このスレの流れからその文章を書いた意図がわかりません。 KYですか? 6じゃありません。 >>10 そだな。でも15年前にしたら急激に状況は異なるぞ。 >>13 だって>>8 は専門卒のバカだもん。 >>15 あぁやっぱ専卒なんだwやっぱバカだなぁと思った通りw いい大人がお子様の煽りに簡単に揺すぶられてどうするよ。 本気でやってきた技術者なら、この20年やら30年やらで、 後輩に覚えていてほしいこととか、自分らの反省とか、色々あるだろ… いわゆるInterne breakの頃(90年代中盤) HTML組むだけで=Web pageのデザインをするだけで月100万の仕事は存在しました。 今はどうなんですか?ツールの充実で納期は5倍ぐらい短くなったかもしれませんが、 会社としては人月あたり数十万以上入らないと経営が成り立たないですよね。 デザイン=狭義の見てくれ(表現)もエンジニアがやることがあって失敗作続出でした。 当時は標準ははっきりしないし、ユーザーが使いやすいデザイン規範も決まらないので、 HTMLソースもハチャメチャなものもありましたね。これを技術的なレベルの低さとも解釈できるでしょう。 でもどの時代でも、はっきりしない分野、新しくて方法論が定まらない分野ではハチャメチャな ものがありますよね。 昔のITは、当たり前だけどユーザーが使うインターフェースと、アプリケーション本来の機能を一緒にして、 時にはハードも組で売ってました。 最初は1980年代にハードが切り離されて「オープンシステム」とか呼ばれるようになって、 インターネットの興隆後にインタフェース(Web)が切り離されるようになりました。 今、データの保存(あるいや永続化)にはデータベースを使うのが当たり前ですよね。 実はこれは、インターネットの興隆前はそんなに当たり前ではありませんでした。 自前の保存システムや永続化システムが、システムに埋め込まれて売られることが 非常に多かったのです。 脆弱だし、性能もよくないはずですが、「アプリケーションに特化してある」と言い訳していました。 こうしたコンポーネントも組になって売られている分、今との比較では、お金も納期もかかってたはずです。 当時Internet breakと平行してホットだったのは「オブジェクト指向」でしょう。 世の中の誤解を良いことに、継承だけで(encapsulationなしで)オブジェクト指向を標榜して、 10倍のお金をもらうこともあり得た時代でした。 今もAjaxとかWeb2.0とかを標榜してるが実は…とかいうのありませんか? オブジェクト指向で開発するから、今回はちょっとお金多く貰うけど、 次回や修正の際は短納期で安くできるよ、とかいう営業トークをしたようです。 実際はそうはなりませんでした。 今そういう営業トークは誰も信じませんが、実はオブジェクト指向が浸透した今は、 多方面でじわじわそういう効果が出てると思います。劇的でないにしろ。 昔=無計画に設計し、人海戦術でこなす。大金が動いていたのでこれでもなんとかなる。 今=計画的に設計し、既存のものを最大限活用し、少人数低コストで実現することを最大目標とする。 まあ今でも人海戦術大好きな連中が化石のようにはびこってるけどねw 将来を棒に振りたくなきゃ、そんなとこに参加しないこった。 >>22 これはおかしい。昔はシステムが高かったからそんな無計画になんてできるわけがない。 そもそも人海戦術というが、昔はそんなにプログラマなんて人いなかったから人海戦術は物理的に無理だし。 そもそも、昔の人はそういう環境しかなかったのだから。gotoでしか分岐できなかったんだから。 そういった時代を生きた人の中で優秀な人が改良改良を加えて今の開発環境ができた。 というプロセスを忘れてはならない。今の人がある日突然gotoをなくしてJavaやOOを開発したわけではないんだから。 おっさんたちの中の優秀な奴らが、修正を加えた構成気を自分たちの功績のように語るのは問題あるぞ。 今は、そういった過去の問題点への改良のおかげで、高度な開発環境を手にできてレベルが低くても開発できるよう なったおかげでプログラマがたくさんできた。同時にコストも下がった。 >>20 RDBの流行は、インターネットの興隆と関係ないという意見も多いかも。 直接的には、性能と安定性の向上のせいかも。 「インター」に限らずネットワークの機能向上は、 システム中のコンポーネントを分離あるいは分散させるという意味で、 RDBの一般化についても重要な要素だったでしょう。 ところが90年代、ネットワークハードウエア、あるいはコンポーネントの分散化、並列化の 技術者は極端に少なく、あるいはこれを専門の職、あるいは独立した仕事と考えてお金を 払う思想は全くありませんでした。できる人が便利屋的にひっぱりだされるか、 組織によっては「誰もそれの知識がない」という状態でした。 今と大きく意識が違う点として、ハードの価格というのもあるでしょう。 ハードディスクなんて、まずは利用が考えられない時代がありました。 1980年代: オフコンで中華なべぐらいの50KBのディスクが数百万 1990年代はじめ:PCにHDDがつくけどPCのシステムの仕事はなく、 ワークステーションでも数十メガあたり百万。 私の場合では、容量を気にせずハードディスクを使えたのは1990年代中盤からです。 ハードディスクに限らず、メモリ、ディスプレイ、なんでも同じです。 当時は、こうした資源をケチケチ使う技術がいろいろありました。資源をケチることは、 ハードを含めたシステムの全体的な価格を抑えることができるので、非常に重要視されました。 設計の非常に早い段階から、ハードの制約(どうケチるか)が関係者の頭に必ずめぐってました。 もちろん、これは出来上がりの美しさを歪めることが多かったです。でもお金には代えられない。 逆に、90年代中盤ハードの価格が下がりだしてから、ケチケチしない「富豪プログラミング」 という思想が出ました。ソフトウエア工学的に正しいし、人に優しいし、今はこちらが当たり前で 死語ですよね。 >>23 設計って書いてあるだろ。 君の言ってるのは、全て実装の話だ。 一時期メモリ全然無かったからCPU依存のコードがもてはやされたっけ。 今じゃDBインストールするのに云ギガメモリーとか普通だもんな。 果ては分散すりゃいいじゃん的風潮。マンプス系の工夫フェチが減った。 コンパイル後のアセンブラを意識して、スーパースカラーを誘うようにC言語書いたり。 クロック数稼ぐためにループ割とかやったら可読性最悪だったり。(IntelC++でメイクすると上手く配置してくれそうだけど) SSEとかハード的に凄い命令がやってきて、俺の最下層ループのフーリエどうよって自慢しても、後でオナニーにされるだけだし。 ノスタルジーに浸るほど、時代に振り回され報われない生涯をおくってきた自身を嘆くばかり。 >>26 設計者と実装者がイコールであった時代になにを言うんだ。 いや正確には設計者は実装のベテランが担当した時代だ。 今のように新卒SEなんて言葉がなかった時代だぞ。 >>25 そんなことは無い。 1970年代後半、PC-8001ですら32kB RAM載ってた。俺のは64kBに拡張して CP/M動かしてた。1980年代初頭にはPC-9800シリーズ用の5inch HDDが 登場して、これですら最初から10MB有った。 1990年なんて既に64bit RISC WSが発表に成って、ウチの自宅でまだ稼働 してるが、最初から540MB HDDが載ってた。それ以前(1980年代)に使ってた R3000マシンには、2GBのHDDを増設してた。その当時既にGB超えてたよ。 そんなけ有っても、速度の面からケチってCのような高級言語使わず、 MIPS RISC命令をマシン語で組んでたけど。CISCと違って、MIPS命令は マシン語で組み易かったし。 >>28 新卒SEが設計してるところってあるの? 新卒SEはSEって言う名前だけど連絡係なところはいくつか知ってるけど。 設計者じゃなくて設計の話なんだが。 設計者の話が出たので、話としては丁度いいが、 実装者に設計やらすとか、無計画な設計の典型だよね。 >>22 昔=計画的に設計し、計画と実際のずれが判明した後でも人海戦術でこなす。 大金が動いていたのでこれでもなんとかなる。 今=無計画に設計し、計画と実際のずれが判明したら再度設計しなおす。 少人数低コストで実現することを最大目標とする。 MVC分離とか疎結合とか、概念すらない時代の設計の どこが計画的だったのかと あ、わかった。 実装者=設計者って話になるぐらい、昔は設計の段階で そのままコードに出来るぐらい詳細に書いちまってた。 それって、単なるコーディング指示書作成プロセスってやつで、 本来設計と呼ぶべきじゃないんだが、昔の言い方では設計と呼ばれてた。 俺の言う無計画計画ってのはそういうこと。 計画的に詳細設計(=事実上のコーディング)を行うことは、 計画的な設計とは違う。 組み込みでポリモーフィズムなんて言ったら親方にぶん殴られるけど >>34 いつの世も・・・。 社長が嫌いな色、好きな色ところから、すでに決定事項が決まっており、その後、新インターフェースデザインの会議に入る。 意思決定権を持つものがJavaの勉強をしたから開発言語はどんな状況でもJavaで対応することが決定事項として決まっており、その後、システムの設計に入る。 こんなもんですが? 後で一意のポインタで実行するって話だから、キャストかな インジェクションによるファサードを実現するためのランタイムインプリメンテイションだろ 32Mのメモリー買う予算が無いからプログラマー3人を一ヶ月投入して最適化したりしてた。 最近の若者に言っても全く信じてくれないが 256KBのメモリーが数万円の時代は、1日掛けてコード量を10バイト減らしてグッジョブな状態だったな。 メガじゃないぞ、キロだからな。 あの時代はあの時代で求められるものがあった。 今の時代は今の時代で求められるものがある。 求められるものが違うけど、その時代を生きる人間には、自分の時代が一番つらいと感じるものさ・・・。 今の時代にとりあえず求められるもの「おまえの仕事量は増やすが、給料を減らすの了承しろ」以上。 まぁ未来が見えないというのはつらいよね。 少なくとも昔は、こんな時代が来るとは思ってなかったもん・・・。(;_;) 仕事は物理的に増やしようがない。 それなのに増やせと言われる。 寝るなと言っているのと同義だ。 給料減らすって言われるのはまだ親切だなw 今フレームワークになっているものを、昔はアドホックな方法で実装していた。 ホリエモンの会社も、初期は今でいうajaxでやっているようなインタラクティブなページを作るという評判で大きくなった。 組込みに移って6年、もう業務系には付いていけないかも 昔からのやり方しか知らない人が多いのか、フレームワーク上に無理矢理 昔ながらの方法で設計を乗せてるプロジェクトは多いよね。 フレームワークとかみ合わなくて、昔ながらの方法からさらに手間が倍掛かるだけだっちゅうの。 短納期だと、フレームワークの勉強してる暇が無いからねぇ。 センスの問題なんだよな。 大局的な設計が出来ないというか、最初から全部詳細に決めてしまわないと 全体を掌握できない人って居るわあ。 フレームワークもそのごく一部に過ぎないけど、現代の設計技法ってのは、 アリモノを最大限に利用して、作り物を最小限に減らそうってことだからな。 アリモノ使って上手く行かない場合には、どちらかになんらかの論理的な矛盾 があるはず!と考えて、論理的に上手い設計にするにはどうしたらいいのか? を常に考える能力が要求されてくる。 フレームワーク使って開発進めてたら、途中でフレームワークから外れた要求が出てきたとかはよくあること。 フレームワークなんてのは、システムの物理設計の塊という側面も持っている。 当然、論理的設計というものから、遠くかけ離れた部分も多い。 だから、正しい論理設計を満たせないようなことがあると、 フレームワーク側が頑張って論理的に対応するというのが本来あるべき姿だ。 フレームワーク様が真ん中にふんぞり返っていて、「さあお前ら使え」 みたいなとこは駄目だ。 「基盤チーム」みたいなのが権力強いようなのは、糞プロジェクト認定。 ただし、正しい論理設計ってのは、どこにも解が存在しない。 説得力のみが命だ。 「コレが正しい論理設計なのだ」と言える程の設計が出来ないから、 というのが、そういうのが蔓延る諸悪の根源なんだけどね。 ずいぶん昔居た会社から、ジャストシステムの創業者・元経営者の浮川夫妻が、 ソフト開発を請け負っていて、当時自社ブランドと、日本NCR向けOEM販売して いた8086とMSDOSを搭載したオフィスPC用に、日本語ワープロを開発していた らしい。 その後、ジャストから発売された一太郎の原型になったとか。 今なら、ソース持ち出しとかNGだし、安い賃金で個人のノウハウを吐き 出させられて使い捨て。 原型つのは、概要設計や技術的必要性と言えるレベルのノウハウだろ。 製造成果物であるソースやら、個別要件を満たすために場当たり的に考えたノウハウなぞ、 他に転用して金になる訳はなし。 >>55 >ずいぶん昔居た会社から 某A社? 西社長から聞いたような。ユニシスとかF2(オアシスじゃなくてFacom) 向けにも「移植」しただけのを売って、かなり儲けたらしい。 i8080向けのCP/Mをi8086向けに西社長の鶴の一声で移植させられたな。 ニモニックが似てるだけで、アーキは全然違うのに。しかもたった百万円で ビルゲイツに売っちゃった、とか。 何百ページもの仕様書を、全部手書きで書いてましたね。 図も、なんとか定規を使って書いたり。 80年代の話。 業務システムを自動化するだけで、莫大な利益が生まれていた時代ですからね。 1システムに掛けられる金額が桁が2つも3つも違うし、 けっこうショボい小規模システムでもライバルも居ないし、 ノンビリ作ってて大丈夫な時代だったからねえ。 平和だったねえ。 俺が最初に付き合ったのは、昭和45年で、HITAC−8300。 IBM−S/360互換機で、メモリー64KB、磁気テープ800BPIが6基、磁気ディスク8.5MBが2基、 80欄紙カードのカードリーダー1基、ラインプリンタ1基。 水冷式クーラー2基。 以上総額買い取りならば2億7千万円を44ヶ月レンタル。 言語は、360互換アセンブラ、COBOL、RPG、FORTRAN。 日立製作所本体からSEが4人派遣され、日立電子サービスから保守員2人常駐。 設置してから2ヶ月間の点検と試験運用を経て、お祭り騒ぎの始動式典をやった。 なんで保守員が2人も必要かというと、 1週間に1度、3〜4時間の点検、頻発する故障、不慣れな操作による不具合対策のため。 特にコンピュータ室は稼働中23℃以下を厳守、もし25〜6℃を1時間くらい見逃してしまうと、 それから十日ほどの間に間違いなく故障が発生する。 発熱はそりゃもうすごいもんで、真冬でもクーラーをかけなければ30分ほどで 室温30℃を越える。 真夏でも寒くてたまらんので一年中厚着をしてコンピューター室で作業をする。 >>1 へ?業務システムの構築なんてダンピングが横行してたから0円に等しいぞ。 保守料で金とってたけどw >>58 >なんとか定規を使って書いたり。 テンプレート、だな。フローチャート用のテンプレ定規なら大学生協でも売ってた。 >>63 国内でも、NECが図書館システム1円入札してたな。 F2が国際市場でやらかしてからは、ダンピング叩き、日本バッシングが 激しく成った。 Javaどころか、C言語も普及してなかったがw アセンブリ言語で開発してたよ まだ、アセンプラーが存在するプロセッサーなら、幸せな方だなw プロセッサが実行するコードを吐き出すツールは良く作ったな。 アセンブラーとか、ニモニック言語とか低級言語を プロセッサーコードに変換するだけなら、ツール的には楽勝だが、 それじゃプログラムを作る方が大変なので、ある程度構造化とか、 プロセッサーの制約に縛られない論理的データ構造が使えたりとか、 特殊な言語にしていた。 また、コードが無駄にデカくなるプロセッサーとかの場合、 コード量を減らすために動作仕様に合わせたコンパクトなコードバイナリー を実行する仮想プロセッサーを設計し、物理的なプロセッサーには VMを実行させるとか、色々好き放題やったわな。 何でも自分でやんなきゃならんのは面倒ではあるが、 好きに考えてオケーってのは、逆に楽なものだ。 JCLが曲者というより、有用だった・・・。 COBOLのプログラムは単調だからそんなに難しくはなかったが、 10年くらい前のCOBOLだと変数のスコープとか関数とか普通に使えたからなぁ。 COBOLは全部広域変数だと思っている人は、COBOLへの理解が足りてない。 既に20年前にオブジェクト指向なFortran90が制定されたわけだが。 だって・・・実際コボったの10年前なんだもんw でもそのころから、広域変数うんたら・・・ってみんな言ってた。 だが日本のIT業界は、どこもCOBOL(20年前)で培った設計ノウハウを踏襲し(他の設計ノウハウは無い)、 いまだに現役である(コストに見合うパフォーマンスを発揮しているとは言っていない) いや、コスパは十分だろ。 なにせ、必要なものを必要な分だけプログラミングして使ってるんだから。無駄はない。 ただし、はるかに安いハードで、同等の安定性をもって、その資産を生かせれば、それ に切り替えることも当然選択の一つ。 無駄はないけど、生産性の低いやり方。 無駄は発生するけど、生産性の高いやり方。 どちらの方が安くできるかというと、大抵後者。 >>76 ところが、 実際メインフレームからオープン系、オープン系からメインフレームに移行したけど 費用の予想計算、実際の経費 を実際に経験してみると、メインフレーム向きの業務はやっぱりメインフレームのほうが 無駄も生産性も高かった・・・。高いリスクと勉強費用だったとうちのシステム課では反省している。 メインフレームって、昔ながらのウォーターフロー開発しかできないんだ。 昔ながらの人間しか居ないので、フォーターフォール方式しか頭にないってのがあるな。 >開発手法は、環境にそこまで依存しない そうだね。てか、ぶっちゃけ無関係だね。 環境で比較してどうだったってのは、フォーターフォールがどれだけ効率悪いかって話には、 あんま参考にならんな。 フォーターフォールの欠点はあっても、効率悪いなんていう話はない。 今まで何度もやったことのある定形作業なら、ウォーターフォール最強。 ただ、なにか新しい要素が入ると顧客に提供するまでのスパンが長くなりがち なんで、スピードが求められる昨今の案件には向かない。 >今まで何度もやったことのある定形作業なら、ウォーターフォール最強。 それなんだよね。 日本のITはコピペ産業だから、ウォーターフォールがベストマッチする。 だが、コピペでモノを作り上げてくるのにも限界な時代になった。 仕事=クリエイション さらにスピードが要求されると、そりゃ破綻するわな。 海外のクリエイター達に仕事持ってかれるってのは、単に労働賃金だけの問題じゃないよ。 多分日本人が時給300円で働いても、海外には適わないだろうな。 コピペ産業というのは、ソースのコピペのことを指している訳ではない >>82 本当に新しい技術開発でも無い限り ウォーターフォールで十分だな 業務分野が生産管理でも金融でも中身なんて大して変わらんしな そうやって過去に作ったモノの仕組みやノウハウをコピペすることでしかシステム構築できねえから、 2社のシステム統合させると、2つのシステムを残したまま、出入り口で無理矢理対応させる とかしか出来なくなっちまうんだよな。名ばかりの統合ってやつ。 君の言ってる事はあまりにもレベルが低すぎるぞ 旧システム残したまま入り口のみ統合ってのは 新システムできるまでの一時凌ぎにしか過ぎん それは開発と呼ぶにもおこがましいレベルだ 実際、銀行のシステム統合がそんな感じだな。 一気に統合させると、新たにデザインしなきゃならない部分が多くて、 日本人のやり方では間に合わない。 実際ミズホがそれで失敗した。 だから入り口だけ統合して、システム統合したと見せかけて、 裏でコソコソとちょっとずつ統合していく方法が王道になってしまった。 なんか「統合」の定義が、モノシステムじゃなきゃダメって奴がいるな 昔のITには英語の「それ」という意味しかなかった 以上 以上 進歩の無いIT技術者達がお送りしました。 日本の次代は暗いな 画像をパクられないように、さりげなくロゴ入れるやつ >>104 それ、言ったら終わる >>105 ...Water ヘレンケラーとな 2000年 HTMLができるだけで単価90万とか余裕 Javaの案件はあまり無かったから単価50万とかだった 業務系案件はだいたい70万がデフォだった 新人でも50万は貰えてた 基本設計などができれば120万もザラじゃなかった なぜかVB技術者がもてはやされてたw 2005年 HTMLが出来ても単価20万とかザラ 要件定義・基本設計が出来ても単価が60〜80万 JavaPGで単価50〜65万 新人の単価は30〜40万くらい VB技術者涙目の時代到来 2010年 基本設計〜テストができ、リーダーとして共通基盤を構築していくPMOですら 単価40万の時代到来 新人は受け入れ拒否の会社だらけ これまでのPGしか経験の無い低スペックの技術者は淘汰されまくり やっとで案件につけても、40万固定で350時間労働がデフォになってきつつある 2015年 路上生活者となっている元IT技術者集団のインタビューが2chで祭りに システム開発=中国人・韓国人・インド人の仕事として世間一般にも定着 中国、韓国は無いな。 基本的にやってることが日本と大差ないから、 多少人件費が安くたって焼け石に水ってやつ。 最終的には必要となる投入人数に見合うだけの収入が得られないという、 日本ITと同じ終焉を迎えるだろう、この2国に関しては。 所詮、(人種的に)東洋人には無理な業種だったんだ。 2020年 メインフレームによる内製に回帰 2025年 2038年問題がマスコミにとりあげられるようになる。 2035年 開発環境の向上に頼りすぎた新人は、過去の過酷な開発環境についていけず、定年退職したCエンジニアが再雇用でボロ稼ぎ。 クラウド化(データをどっかの大企業が保存するという意味で)が進んでさらに仕事がなくなるだろうな 世界中のリソースがクラウド会社に集まってさらにコストカットして 先進国からはIT技術者は消滅するだろうな 洋裁とかみたいに完全に消えるんじゃね? クラウドって、システムのセキュリティ以前に、ネットの向こう側に運用して いる人間がいる限り信頼できんと思うんだけど。裏で運用が何やってるかわか ったもんじゃない。 自分の履歴書とか経歴をアップして案件紹介サービスなんて、まさにクラウド システムの欠陥を示す典型例だと思うけどな。 コンプライアンス(藁 会社のメールやら基幹業務のデータなんてクラウドに置いた日には、金玉を 握られたも同然。 Googleあたり、裏でメールやファイルをスキャンしまくって、株式の動向に 影響を与える新製品情報とか、開発動向、財務状況などを公開される前に 察知して、株を売り抜けたり、買い占めたりとか、やらかしそう。 表向きの奇麗事はともかく、そもそもGoogleが目指す方向ってそっち方面 だろ?違うのか? メールを握られたらヤバくなるような会社って、 電子メールで根幹に関るような重要情報を扱い過ぎなだけだろ。 クラウド使うかどうか以前の、セキュリティー意識の低さの問題だわなw > メールを握られたらヤバくなるような会社って、 日本振興銀:検査妨害 元幹部5人を追送検 メール削除関与の疑い ttp://mainichi.jp/select/biz/news/20100727dde041020050000c.html 別にメールに限らず、クラウドでデータ預けたら最後、基本何でもアリだ。 仮想化技術を使えば、表のサーバーを経由せず、裏から潜ることだって できるって、バトーと石川さんが言ってた。 >>115 まぁそこだよな。 結局、データセンターに人がいるという点で、導入不可な会社はたくさんある。 その辺を理解したうえで、プライベートクラウドなんてもんが出てるんだろうけど。 それ、パッケージやんwwwwと。 インターフェイスに差が無いということを、メリットとするんだろう。 インターネットに対するイントラネットみたいなもんだな。 でもぶっちゃけ仕事やデータを下請けに流してる時点で いつ流出するかなんて時間の問題なんだし そこまで大事なデータでもないんだろう 昔のITスレなのに、現在の話で盛り上がっていた夏休みw 職場でタバコ吸い放題。 灰皿は空き缶。 そんな時代でした。 マシンルームでオープンリールテープのマウントとデマウントするときの 動きがメカニカルで好きだった 昔、HITAC3010でちょこっと仕事をしたことがある。 チーフ・オペレーターはまさにバカテク人。 プログラムのロード・ポイントを8進法のプッシュキーに入力し、 80欄カードのオブジェクトを読み込んで、修正箇所の8進法の機械語を プッシュキーに入力してやっとスタートする。 130氏のテープ装置がどういうものだったかわからないが、 3010のテープデッキはバキューム機構が無い構造で、 テンションアーム10本を使ってすさまじい音で回転。 磁気テープの密度は556CPI。 磁気テープはものすごく高価なので、今では考えられないけど ファイルを80欄カードや6単位紙テープで保存しているところもあった。 当時のコンピュータは標準的な仕様で導入するのが大部分だったけど、 なかにはユーザーの求めにより設計を一部カスタマイズするのもあった。 そういうコンピュータは標準仕様のプログラムが動かないことさえ・・・ 80欄カードなら読めるが紙テープは使う環境になかったので読めない。 &,1 A &,2 B &,3 C : &,8 H &,9 I -,1 J -,2 K : -,8 Q -,9 R 0,2 S 0,3 T : 0,8 Y 0,9 Z 昔は使える端末が限られていたのでコーディング用紙にプログラム書いて、 それを外部委託してキーパンチャーが入力して納品してくるのが普通でした カードをぶちまけてバラバラにしたことがある。 まじ、あせった。 キーパンチャーは時代の先端を行く花形職だったのだが、 いざ職に就いてみるとそれは単純労務職だったのだ。 結構いいとこの高レベルの女子高からかなりの数の超ミニスカートが入ってきた。 男はつらいよで寅さんの妹のさくらはキーパンチャーだったんだよ あー、ホストの停止ボタン押して首になっとけばよかったよ 就職して最初に使った電子式オートマチックコンピュータはな、 コンソールのMASTERボタンとCOINボタンが隣り合わせになっておったのじゃ。 んで、COINボタンを押すつもりがMASTERボタンを押してしまって コンピュータが瞬停してそれからおよそ半日かけてメーカーの保守員が 復元作業をやることがあったのじゃ。 なんどもこんなことをやってたらえらいことになる、ということで MASTERボタンに段ボールでつくった箱形カバーが付けられたのじゃ。 なを、COINボタンとは、console in、つまりこれを押してからでないとキーボード入力できない、 MASTERボタンとはコンピュータの緊急停止ボタンなのじゃ。 マシン室でJCLのパンチカードの束を抱えたまま床に突っ伏して寝てたとかって 聞いたことあるな。 俺はコンソールタイプライタに突っ伏して寝て、 印刷がバタバタバタと始まって起こされたことがある。 >>130 たまに、うまくテープの端を飲み込んでくれなかったりしてね。 そういう時は、リールを外してテープの端を剥がしてやったり。 磁気テープに磁粉液を塗って「こういうふうに記録されてるんですよ」と常駐保守員。 見事に0.6インチの磁粉が着かない場所が決まった間隔で現れる。 プログラマは専用の用紙にコードを手書きしていた。 実際に打ち込むのはそれ専門に訓練を受けたオペレータの仕事。 1人1台どころか1社に1台もマシンがない時代なので、 実機に触ったことのないプログラマも多かった。 どうしても期待通りに動作しない場合は、机上でのデバッグは当然として、 コンパイラの内部解析や、ハードウェアの回路設計まで疑った。 なので当時を知る世代には、電子回路に詳しい人も多い。 >コンパイラの内部解析や、・・・詳しい人も多い。 仮想記憶以前のメインフレームのCOBOLで、 ブロックファイル3つ以上のとき、添え字をゾーン形式で使うと レジスターのやりくりができなくなって2進変換エラーで落ちる、 という現象があった。 COBOLソースをアセンブラに展開したリストを追っていって突き止めた。 もちろんメーカーにこの現象を伝えたが、 「あ、そうですか。パックかバイナリーでやってください」・・・ わかってるよ!(怒) 障害が起きるとCEが現地逝ってメモリダンプを8インチFPDに吸い上げてくる。 それをメインフレーム上にローデイング。 JCLをサブミットしてメモリマップを出力。 該当モジュールのSS/DSのアドレスのダンプを出力してCOBOLソースをアセンブラに展開したリストを見ながら 片手に電卓持ちながら解析。 その障害ってどの程度のもの? えらく面倒そうな・・・ >>147 程度は関係ない。開発環境(コンパイル等)を実機に持てない(HD容量が無かった)専用機の開発の話。 ソース編集もコンパイルもメインフレーム上で行い実行モジュールのみダウンロードして実機に組み込む という開発方式。 DISPLAY命令は使えない。デバッガーはソース対応でなくマシン語に対応したものしか使えないから デバッグ時も展開リストと電卓は必須。 ハードウェア側に問題があると思われる障害が発生した時に、 データ破損のパターンから、磁気コアメモリの物理的な破損箇所を 特定したと言う話を聞いたことがある。 当時はまだ、メモリボードを構成する配線も磁気コアも、1ビット単位で 目視することも手で触ることも可能だったとのこと。 ちなみにその人は現在は定年間近の管理職。 磁気コアメモリは1980年頃まで現役。 当時を知る世代は高齢化しているがまだ現役も多いだろう。 紙テープ端末は2000年代に入って証券取引所から立会場が無くなるまでは証券業界で使われてた。 コアメモリが一般化する前には磁気ドラムや陰極線管がメインメモリーに使われた時代もあった。 磁気ドラムメモリーは数十K語。 水銀遅延線や陰極線管メモリーは500語未満。 フェライトコアメモリー → ワイヤーメモリー → 半導体メモリー 卒業して就職した年に盲腸で入院したが、病室の天井が穿孔紙テープの模様の吸音ボードだったw ソースを40行書いて400万貰ったことがあるよ。 ま、それだけ効果があったわけだけどw 時代が変わっても it 技術者 he でも her でもなく it だぜ。 物扱い。 紙テープというと、宇宙戦艦ヤマトで真田技師長が "地球より入電!"なんつって読んでたな。 当時の最新技術だったんだろう。 しかし、TV電話の概念はあったのか、 長官とは天井のでかいスクリーンで会話してたな。 ガミラス人と通信できるのは 確かに並みの技術ではない。 プロトコル推定でもしてる訳だ。 でも紙テープ。 書いたコードの行数に応じて金が支払われる契約もあったと聞く。 コメント行も、必要な行数としてカウントされることもあったと言う。 コメントで行数を稼ごうとするのはセコい奴であり、 プロなら余計なコメントで行数稼ぎをやるなと教育されたそうだ。 当時は記憶容量が極めて少ないため、あまりコメントを増やしてはいけない という事情もあったようだ。 いまだに、1日単位や1ヶ月単位で何ステップかけるかで、 プログラマの能力を判断しようとする年寄りがいるのは、当時の名残だ。 プログラムが完成したあとにステップ数を5割増しにする作業をしたりした。 開発時はサブルーチンを多用した方が実装からテストまでの効率が良いのでそうするが、 評価は沢山書いた奴の方が偉いということなので、実装時は裏でコッソリテストして、 完成を確認してから、サブルーチンをコピペしてベタに展開したりするよな。 あと、一度動作確認してしまうのでバグが出なくて、正式なテスト結果報告でバグゼロ になってしまうと逆にテストケースとしての評価が落ちてしまうので、わざとバグを埋め込む。 バグ件数が少ないとテストの信頼性を疑われるので、 事前にわざとバグを埋め込むのは今でもやってる。 ソフトウェア工学上、平均すると6ステップ毎に処理分岐があるので、 6ステップあたり1件のテストが必要で、そのうち5%でバグが発生し得る。 その通りの数字ならないのはテストがおかしいと言い張る、 コードを1行も書いた事のない、机上の知識だけの技術者が今もいる。 >>168 本当は必要のない入力チェックを入れたりね。 >>170 日立にそんな人がいた。 保有資格だけは立派だけど本当に何もできないおっさん。 プログラマがしっかりとテストをすれば、 バグの数は少なくなるのは当たり前なんだが、 みんなそれなりに動作したら、それで完成として テスターにまわすの? PCなんてものは存在しないので個人単位ではテストもデバッグも無理。 使えるオフコンは使用時間あたりの料金を取られる上、 電話回線経由での接続なので通信費もかかる。 余計なコストを可能な限り削減するため、時間も人数も投入して 紙に書いたコードを机上デバッグ。 実際にコードを入力するのはそれからだ。 > 使えるオフコンは使用時間あたりの料金を取られる上、 > 電話回線経由での接続なので通信費もかかる。 机上デバッグの人件費と比べてどうだったんだろうね。 学校にあったメインフレームが1秒10円だったと思うけど、オフコンはどうだろ コードを入力するのはそれ専門のオペレータだから、 バグがあって修正すると、その分余計に人件費もかかる。 再コンパイル、再テストもマシンを使用する以上は使用料がかかる。 可能な限り机上でデバッグしておかないと大赤字になる。 入力端末も共用で昼と夜まで8時間ごとに3人交互で入力とかそんな時代ですか? 今の入力端末に相当するのはパンチカード読み取り機、のような気が。 実物見たことないけど。 パンチなら、穴を開けるための機械があるだろ。 それへの入力が本来の入力だど。 カードの塊はメディアに該当する。 1960年代の世界原色百科事典で「電子計算機」を調べて見ると、 キーパンチャーが女性の新しい職業として注目されていると書かれていた。 >>184 実際1980年代後半までキーパンチャーは多くいた。 どんだけ早く叩けるか、、歩合給で並のプログラマーなんかと 比較できないぐらい稼いでた。 2001年頃からHTML+Perl言語のみの知識で、今現在大企業と言われるベンチャーに派遣等で入社。 派遣だとおおよそ未経験者(HTML+Perlのサイト構築経験有り)30万〜 派遣から偽装請負という名のフリーランスに転進すると、35万〜案件を3ヶ月程度で成果だして延長しないを続けると、 次案件より+5万〜の提示が可能になる。(2003年〜2008年頃まで) 25才頃で月60万確保(スキルはHtml javascrpt perl sql系 apache サーバーの設定ファイルいじり知識) これだけで、マージン抜かれた手取り60〜90の案件がボロボロ落ちていた。 2008年の半ば頃から単価下落+雑魚のスキルフォロー+精神崩壊 = やってられるかで独立 大不況の中の独立の為上手くいかず。。。 2010年 とうとう自己破産+生活保護+精神病(うつ病パニック) 一応ITバブルの波にある程度乗れた気がするけれど、今は廃人。 結果的に最悪だったけれど、60〜90取っていた6年間はまさにデスマ案件だらけだけど、定時+30分程度で帰れる位成長できたので 天国のような時期だった。毎日から二日に1度程度で風俗等に寄り道して帰る毎日。 ただ、2008年頃辺りから、外国人PGが増え、セキュリティやMVCの概念も理解せず、システムに最適な簡易フレームワークの作成も出来ないような エンジニアが増えだした。もう俺はエンジニアの仕事からシャットダウンしたんだけれども、 2010年頃になってから、偽装系や派遣系会社から、案件のご紹介電話やメールが増えだした。 単価はもう40万〜50万程度の物ばかりだけれども、求められるスキルは復帰してきた様子が伺える。 汎用フレームワークなんて使ってばっかいる時期があったからバグだらけのシステムで困ってるのかもしれないとか最近想像しちゃう。 まあ国全体が不況下の中、IT関連(WEB関連)の仕事が2000年頃〜2008年頃までプチバブルだった事は間違いない。 追記だけれども >>スキルはHtml javascrpt perl sql系 apache サーバーの設定ファイルいじり知識 これは今は常識的スキルになったけれど、当時は文献など少なかったし、sql周りなんて特にバグだらけ大変だった。 2003年辺りからここら辺の知識を理解しながらコードを組める人間が非常に少なかったのは事実。 >>セキュリティやMVCの概念も理解せず、システムに最適な簡易フレームワークの作成 これもキチンと理解して作れる奴が非常に少なかった。 これぐらいの知識で成功した富豪を上げるとMixiのバタラちゃん、DeNAの川崎ちゃん、Greeのふじもんちゃん辺り? ちょっとレベル落ちるとECCUBEとかOpenPNE手嶋辺り? 結局彼らは会社が成功しただけだからな。俺も同等のスキル持ってるぞ。俺は運がなかっただけだ。。。自分の選択も悪かったけれど。。。 そらC++やjavaが流行るまでのスクリプト言語はカオスよ。 >>188 いや、当時から常識的に使われてたけど。 底辺ITのお仕事でも使ってたぞ。 システムなんて出来て当たり前。 出来なかったらそいつが悪い。 出来ないと判断あるいは出来るやつは必ずいる。 設計図から部品データを画像処理で抽出・・・とか変態的なことやってたな しかも、超少ないメモリで もう誰も触れなくなって画像処理で部品抽出なんて誰もできないけど 昔の人は根性あった ちょっと前まで工場内でPC-8801が稼動し続けてた。 ほとんどBASICで作られたプログラムが延々と、 シリアルポート経由で設備の稼動状態を監視し続けてた。 何を言ってるんだ? 修理が出来ない=動かない(悪だ!) キーパンチャーか・・懐かしいなw コーディング用紙にシャープペンでコーディングしてフロッピーと一緒に提出して パンチしてもらった。よくコンパイルエラーが出たw 中にはお水っぽいコもいたな。今みんなどうしているんだか 今は自分で適当にエディター使ってコーディングできるから楽になった あんなもんいちいち人に頼めんよw パンチカードじゃないけど入力専門のお姉さんの職場なら流通系にあった もちろんお姉さん方帰ったあとの深夜作業だけどな orz 観光地などにあるメダル自販機の中には いまだにMSXで稼動しているものがある MSX懐かしいのー Tのパソピアの8チャンネルデジタル音でよく作曲したもんだw 今は昔、新採で入って配属されたのはコンピュータ設置準備室。 入ったときは導入する機種は決まっていてコンピュータ棟の工事が 2ヶ月後に始まろうという段階だった。 そんなある日、「我が社のコンピュータを是非導入してください」と 2人のセールスマンが来た。 出したカタログは、電子式卓上計算機。ま、確かにコンピュータだが・・・ 室長は笑いをこらえながら、ここで設置しようとしているコンピュータは こういうものです、とプレゼンに使った資料を出して説明した。 そして2人はそそくさと帰っていき、室内は大爆笑だった。 でも今やその卓上電算機メーカーが勝ち組になってる・・という落ちなんだろ?w あの名作ウゴウゴルーガのCGはMSX2で作ってたんだってな。 俺もMSXturboR持ってるよ今でも。 大学の頃、ボート部の船のレンジやバーなどの数値計算するのに重宝したもんだ。 大学の電算室に行けばmathematicaが使えるのはわかってたけど、 逆三角関数はまだ入ってなかったからな。 今はフロッピーのゴムが伸びちゃって、BASICかROMカセットしか動かないけど。 10年前に聞いたときは、パナソニックは在庫を切らさないように 数年に一度ゴムベルトライン稼働し続けていると聞いたが、今はどうなんだろ。 ちなみに20代です。 ウゴウゴルーガのCGはAmiga、らしいぞ(ジャー) ttp://web.mac.com/kudan/kitune/AMIGA.html オランダに、MSXのフロッピーのゴム等の補修部品を扱う店があり、 それだけを目当てに現地へ行く日本人もいたと聞いた。 零細の個人商店なので、海外からの通販など受け付けておらず、 オランダに知人でもいない限りは自分で行くしかなかったそうだ。 電算写植の仕事してたけど、 電話鳴ったら受話器を音響カプラに置くバイトとかしてたわ 非効率極まりないw >>199 以前に秋田空港に行った時に見つけた。 ちょっと古い話なのでまだあるかどうかは知らないが 小田原城の土産物を売ってる所の近くにもあった。 MSXのメダル販売機は、観光地には今も多数残ってると思う。 昔は新機種導入の日にお客さんが御祓い・・wとか呼んで待たされたもんだ。 今でも大概そうかな?? MSXの発表会は、ビル・ゲイツが来日してその地味さ・チャチさに似合わない大々的な催しだったような覚えがある。 MSXーDOSか。 1.0は、フロッピーをコピーするときに何回もコピー元とコピー先を入れ替えたんだよな。 2.0で、入れ替え回数が8回まで減って、画期的な技術だとか騒がれたものだ。 まだ当時のフロッピー残ってて、MSXのエミュレータ上で動くよ。 動作確認しかしてないけど。 MSXで家電もガス器具も水道も何もかも 制御する未来を先取りした住宅のプランはどこへいった? >>211 そんなのは、昭和時代の人達が夢見た未来の姿でしかなかった。 実現することなく、夢のままで終わった未来予想図。 よぼよぼの爺さん(MSX2)がヨチヨチ歩いていたら、 若いマラソンランナー(WIN)が脇を爆走していったでござるの巻 最初はゲーム目当てで買っても、徐々にプログラミングに 手を出すようになっていった人もいた。 MSXに限らず、当時の他機種についても同様。 30代以上だと職業プログラマ、趣味プログラマを問わず、 それがきっかけだった人も多いはずだ。 >>214 人気ファミコン用アプリをMSXにポートしても速度がでなかった。 筑豊電鉄(っつても知らんか)の車内で流れてたビデオの編集はMSX2使ってたみたいだった。 時々MSX2 BASICの画面が出てた。 20年くらい昔の話だけど。 ITって最先端みたいなイメージあるけど 実体は泥臭くて人間関係が汚くて一部の勝ち組以外は奴隷扱い コーディングシートっていうマス目の紙があってそれにアセンブラ書いてた。 各種言語用にプログラムシートというマス目の紙が売られてた 今も情報処理系の大学や専門学校では見かける機会があるかもしれない。 プログラムばかりじゃない、入力データにもそれぞれ専用シートがあった。 それをキーパンチャーが80欄カードやフロッピーに打ち込む。 キーパンチャーってぇと、昭和40年代のミニスカートブームをどうしても思い出す団塊世代の俺。 >>222 会社が「高過ぎる!」と買ってくれないので、手書きで作りそれをコピー、 のちにパソコン時代になったら表計算ソフトで作ったことがある。 あったねーディスプレイが2行分しかなくてDUPキーがついてた。 読む側もオートチェンジャーつきのでかいのがあったし。 フレキシブルディスク読取装置ってナニソレだよな。 ふ〜ん、インテル・ミラノにはマイコンという選手がいるのか そこかw 最近職業病についてのスレをどっかで見たがなんかワロタ 昔のITの特徴は、やっぱ大型機全盛時代だったことだろ? IBMの専用端末なんかカラー表示も可能だったが くそ思い鉄製の重厚長大な装置だったな。 重さが 20〜30キロぐらいあったな。 そんな端末が1台の大型汎用機に数百台とかぶら下がっていて 混んでるとトンデモなく応答が遅かった。 その昔、HITAC5020という当時のスーパー級コンピュータを見学したとき、 エンジニア2人がXYプロッターの前でグラフを描いていた。 20分ほどかけてマトリックスを描き、それが終わってツィーーーィとエキスポーネンシャル カーブを描いて操作が終わった。 A「これだけ?」 B「そう・・・らしいな・・・」 A「20分間の料金いくらすると思ってんだ?」 B「・・・ごめん・・・」 地震で崩れた納戸の中を整理していて出てきた本。 共立出版 bit別冊「国産コンピュータはこうしてつくられた」 1960年〜1985年の開発の流れと新世代への展望 昭和60年9月10日発行 ¥2500 第T編 総論 日本の計算機開発に思う 古い世代から新しい世代へ 第U編 日本の商業計算機の発展の流れと展望 沖電気 東芝 日本電気 日立製作所 富士通 三菱電機 日本電信電話(NTT) 第V編 統計に見る日本の計算機 第五世代コンピュータ 将来の商業計算機(座談会) >>222 コーディングシートは今でも教育目的なら現役。 まず机上でコードを書いてロジックを理解すべきなのか、 そんな暇があるなら最初からコードを入力・実行した方が良いのかは、 俺には判断できないし人それぞれだと思う。 8年くらい前に専門でCOBOLのコーディングシートとかフローチャート書ける定規使ってた COBOLみたいな宣言の記述が無駄にでかくなる言語には こういう勉強法はありだと思うけど、 JavaとかPHPみたいな、ルーチンを書くのがメインの言語には合わないんじゃないかな たかが20〜30年ほど前の本を見てみると面白い。 たまたま見つけたPC-8801入門書は、全くの初心者向けでも、1章からいきなりBASICプログラム。 ミニゲームや簡易家計簿プログラムの解説を経て、最後にちょっとだけマシン語に触れたり、 周辺機器の回路自作についても少しだけ解説している。 明らかに小学生くらいを対象にしたパソコンゲーム本も、市販ゲームの記事は半分程度、 残り半分はゲームプログラムの解説だ。 初期のファミコン攻略本でさえ、後半はファミリーベーシックを使った ゲームプログラムや音楽再生プログラムの解説に使ってる。 当時の入門者や小学生プログラマでも、そういう本を読み通せる人なら、 現代の並の職業プログラマ以上のスキル水準だったのではないかと思った。 >>239 有名アプリのプログラマが実は中学生とか結構あったね。 今は中学生がプログラミングしたから有名なアプリとかしなかないかも。 そんな話聞いたことないぞ。 昔を美化するのは老化現象の始まり。 当時PC雑誌を読んでたような人間は、普通はまだそんな年齢じゃないはずだと思うがな。 中村光一とか、と思ったが、彼はが有名になったのは高一だった。 昔を美化するのは老化の始まりだが、それでも昔には昔の楽しさがあったのも事実だ。 BASICの命令を10個くらい覚えた程度でも、 つまらないアドベンチャーゲームを作ってみたり。 市販のソフトを真似しようとしても難しすぎるので、 妥協に妥協を重ね、部分的な真似をして満足してみたり。 当時の苦労と試行錯誤が、今でも少しは糧になっているのさ。 >>195 うち、故障したときのために8801の新品を未だにストックしとる。。。なかなか壊れず、まだ一台交換しただけだな。 かれこれ18年経つが。 8001を何台か買ったやつが8201を買って 今までのゲームが動かない、なぜだ!? とわめいていたっけなw 違った。上の記事に引き摺られてまちがえた。 9801を何台か買ったやつが9821を買って 今までのゲームが動かない、なぜだ!? とわめいていた FM-7の本に、ワイヤーフレームを使った単純な3Dグラフィックが紹介されていた。 ポリゴンについても紹介されていたが、パソコンの性能では不可能で、 スーパーコンピュータでないと計算が間に合わないと書かれていた。 スターウォーズの第一作(エピソード4)に、宇宙船のワイヤーフレーム 画像が出てくるシーンがある。 高額な制作費かけたSF映画でさえその程度のレベルなのだから、 FM-7でワイヤーフレームを描画できるのは凄い事なのだと書いてあった。 >>249 ドットではなくワイヤーで描画するタイプの表示装置もあって、スターウォーズとかアステロイドとかいうアーケードゲームがあった。 かつて、会社の金でTK-80を買ったと聞いた。 アマチュアの道楽用途ではなく、本来の用途である マイコンの開発トレーニング用に使ったそうだ。 当時の若手社員も今は白髪頭のおっさんだ。 ただのテンプレじゃなの? っていうか、手書きかよw フローチャートなんてユーザー向けの手順説明ぐらいしか使い道ないんだから ワードとかVisioとか使えよそんなの フローチャートは処理概要書くとき使わない? いま手書きはしないけど むしろノートとかホワイトボードに手書きしかしない。 手書きと言えば、もうコーディング用紙なんて使わないんだろうな フロー書くときは字消し板は必須だったよ 検索してみたら、フローチャート定規って今も 複数メーカーの製品が通販されてる。 >>256 手書きってことは自分用ってことだろ。 今時自分用にフローチャート書くなんてありえないw >>259 新人たちにさらっと説明したりする時にさ、きれいに書けるじゃん。 だから無いかな?って思ってたら、まだあるのかよwと嬉しかった次第。 そりゃあ資料のときはvisioさ。 フローチャート定規は、一部の情報系の専門学校では現役。 課題もそれを使い、手書きのものを提出させてる。 コピペを防止できるだけでなく、自力で線を引いた方が、 処理の流れを理解できるって事みたいだ。 一理ある事なのか、単なる時代錯誤なのかは、俺にはわからん。 フローチャート定規は所有しているだけで、長い経験を持つ 中堅・ベテラン技術者のように見えるアイテム。 ただし過去の遺物なので、若手が保有してもただの時代錯誤。 >>262 >>> 学生なら手書きでもいいだろう ↑ハッアアアアァァァァァァァァアァァァアァ??? 能大テンプレートがついに市内すべての事務用品店で取り寄せになってしまった・・・ フローチャートより手書きのHCPチャートのほうがよかったな いちいちシャープペンで消しゴム使いながら書くなんて 今じゃ考えられんけどw ストラクチャード・プログラミング用に各社が独自のプログラム・チャートを考案して 他社にお構いなしにユーザーに半ば強制的に使わせる時代があった。 おかげで、2社以上のメインフレームを入れているユーザーは大迷惑。 今はどうか知らんが、 ユーザシステム運用開始日にはお払いをする人が来て 開始まで待たされたもんだw 今じゃ単にシャットダウンすればいいが 当時のマシンは落とすのが大変だったぞw ディスクを外す前に難しいオペレーションをいくつか実行させなけばならず 一つでも間違ったらアウトw またそれが終わってもトグルをまわして無事ディスクを外す関門があったw 10 CLS 20 PRINT "Hello!" 30 END 全盛時代とは中身がまるで違っていたとは言え、 ベーマガが21世紀まで存続してたってのが驚き。 ベーマガ、というか親にあたるラジオの製作もそうだけど、 あの子供っぽい誌面作りは全然好きになれなかった。 ベーマガに思い入れがある人って、例えばマンガでも藤子不二夫みたいな子供騙しの マンガが好きなタイプなんじゃないのかな。 そういうえば2chってオッサンになってもドラえもんがどうとかいってる気色悪い奴多いもんなw ベーマガってそもそも、小中学生向けの雑誌だったでしょ。 それくらいの世代向けの、パソコン入門、プログラミング入門って感じだった。 中〜後期になると、完全に時代遅れの、 旧機種のBASICプログラムを扱う雑誌として、 当時を懐古するオッサンも喜んで購入してたけど。 いや小中学生でも背伸びしてASCIIとかI/Oとか読んでた奴の方が多かったと思うけどね。 初歩のラジオとラジオの製作を比べれば一目瞭然だけど、同じような内容を扱ってても 電波新聞の雑誌ってガキに媚びてるんだよな。 なんか頭悪い子向けっていうか.... >>276 90年代後半からは完全に迷走状態だった 雑誌名がBASICなのにC言語の記事を始めたり、 ゲーム記事をなくしたり、中高生が対象と思われる情報処理入門を始めたり。 誰を対象に、何を中心に書く雑誌なのか、よくわからない状況だった。 >>280 時代認識がたぶん10年ずれてる。 あの手の雑誌はもう80年代後半にはまったく時代遅れだった。 っていうか90年代後半にBASICなんてあったっけ? VB? あれでゲーム作れるのか VBでDirectXを使って、3Dゲームを作るなんて事をする人もいてな。 そこまで行かなくても、VBの限界に挑戦だとか言って、 ゲーセン並の弾幕シューティングを作っちゃう人もいたり。 そんな事はともかく、俺は8ビット機全盛時代は所謂ナイコン族だったので、 当時パソコンを所有し、最新マシンとして楽しめた人を羨ましく感じる。 90年代後半もBASICはあった 従来の構文とある程度互換性を持つ、BASICコンパイラも現在に至るまで販売されてる 高校の数学やセンター試験でもBASICを扱ったので、それの学習用途のも存在した なんで言葉をそういう風に文字通り受け取るんだよw あんた国語の読解の点数悪かっただろw >>280 プログラミング関係の記事は無視して、ゲーム雑誌として読んでる奴が多かった気がする アーケードもゲーム専用機もPCゲームも網羅していたし、ハイスコア集計もやってたし 今は型の古い中古なら、1万円未満で完動するPCを購入でき、 フリーの開発環境やコンパイラだけでも、学習どころか開発までできる。 個人がコンピュータを保有するなどありえなかった時代は、 技術は職場で習得するか、大学や専門学校で学ぶ以外に方法がなかったの? 専門書を読んでも、実機を自由に触れなければ、机上の空論でしかないだろうし。 どのくらいの時代の話か分からないけど、マイコン登場以前のホビーストは リースバックのミニコンをつかっていたと安田寿明という方が ブルーバックスに書いていたのを見た。「個人で所有」できる時代なので違うか。 ちなみに最初に読んだコンピュータの本には磁気コアメモリで大容量とか 書かれていたけど現物は見たことが無い(w アキバで石を買って自作してた頃の話かな? 1万円未満で部品は揃うけど、ROMライタとか開発環境が高かったんだよね。 ブートストラップをコンソールのスイッチで入力とか 訳分かりません >< 昔は職業プログラマでも、コンピュータに触れた事のない人がいた。 なぜかというと、彼らは紙にコードを書き机上デバッグをするのが仕事で、 実際に入力するのはオペレータの担当だから。 プログラミングの学習も、実機ではなく机上のみ。 そんな単純作業はオペレータの仕事だろ プログラムをパンチカードにするのは面倒だし >>292 昔はWindowsなんてものはなかったからな システムごとに今のPCに代わる端末装置を開発してたりしたから 「私は仕事を離れたら絶対キーボードに触れない主義です」 などと堂々というマもいた。 今じゃ考えられん。 > 「私は仕事を離れたら絶対キーボードに触れない主義です」 これは今でもいるだろ。 COBOL屋さんとか汎用系? Windowsや組み込み系の人はまず自宅にもPC持ってるから考えられないでしょ 自宅にPC持ってるのが当たり前って感覚がおかしい。 ・80年代〜90年代中盤 自宅にPC持ってるなんてマニアだけ または宣伝に見事に騙され、それが何なのかも知らずに買ってしまった人だけ ・90年代後半〜2000年代中盤 興味も必要性もないのにPC買う人が続出 結局使わずに、新品同様のまま手放す人も続出 ・ここ数年 携帯電話やスマートフォンで何でも済むのに、PCなんて買うのはマニアか時代遅れの奴だけ ライトユーザー市場に入り込めなかったMSの行く先はどうなることやら ◆脱税逮捕「政界タニマチ」ソフトウエア興業・前社長のカネと女の武勇伝 (週刊新潮7/28号) ソフト社の元社員が呆れ果てて語る 「”つべこべ言うな、いいからやれ”が口癖で、労組も認めず、気に入らない人間は排除する。 また自社株は実質的に奥さんと2人で握り、自分や奥さんの親族だけでなく元妻やその親族も 役員に就けていたんです」 典型的なワンマン経営者である。 別の社員の話。 「おまけに、銀座の高級クラブのホステスを秘書に迎え、役員にしたんです。彼女たちには家屋敷 を与えて子供までもうけている。なんでも、一人生まれると2000万円のお手当を出したとか。 会社の外にも愛人が複数いたようです」 モラルも何もあったもんじゃないが、 「馴染みの料亭の仲居さんに1000万円のダイヤを贈ってスカウトしたこともあったし、強引にヘッド ハントしたホテルの従業員を手籠めにしようとして失敗したなんてことも。出張に同行させて、泊まる 部屋をひとつしか取らずに関係を迫ったんです」 きわめつけは事業所ビルのワンフロアをぶち抜いた丸山三郎前社長の専用部屋。 「パスワードがないとエレベータも止まらない”開かずの間”です。中には赤い絨毯が敷かれ、 キングサイズのベッドの脇にティッシュが置かれてある。ここに女性役員を昼間から連れ込んでいました」 この数年で売上高は200億円を切り、社員数は1000人ほどに。 「業績が下降中でも、会社と自分のカネの線引きすらせず好き放題やっていた社長に愛想を尽かして、 みんな離れていったんですよ」 一代で業界有数の企業を築いた”元祖IT長者”は色に溺れた裸の王様だった。 先人は、女事に賢人なしと言っている。 >>300 とっくにビジネス用途に注力してますよ。 古くからある大手ITについても同様。 ライトユーザー向けの商売は、どうしても薄利多売にならざるを得ない上に、 短期間でコロコロ流行が変化するので、大企業はあまり得意としていない。 JUSTSYSTEMだって業務パッケージや受注がメインだしな いやいやw まだまだホームベージビルダを舐めたらあかんぜよ 今時どこもWindowsServerになっちゃったな 昔は考えられなかったよ 方眼紙に手書きでテーブル定義書。 Excelが出たときには狂喜乱舞した。 20年ぐらい前は生産性も悪い上に、スパンも長くて残業しまくりだったけど、 短期で確実な仕事を要求される今より幸せだったな。 今は余裕が無さ過ぎだわ >>308 俺はRPGとRPG/ILEのコーディングシートをEXCELで作った。 RPG用はまあまあ使えるんだけど、ILE用はA4シートではマスがきつすぎて使いにくかった。 と言っても現実にはPCから直接コーディング入力するので出番はほとんど無しw SONYがUNIX機を出してると聞いて当時常務は鼻で笑ってたな 松下が世界最高の電器メーカーで、SONYなんて、ふん!という奴だった >>313 多分、1988年だったと思うけど、 Lunaの試作機を使って制御系ソフトの開発やったよ。 昔のでかいコンピュータの頃、TVでドラマでも報道でもコンピュータの映像って意外に少なかったんだよな。 まあ当時はわかる人が制作側にいなかったという事情なんだろうけど。 たまにあると、コンピュータを模したセットでのんびりと磁気テープもどきが無意味にくるくる回転してたw 実際の磁気テープ装置はうなりを上げてテープが切れるんじゃないかという超高速回転なわけで。 15日の刑事コロンボ「愛情の計算」でコンピュータが登場した。 1974年制作であの頃のコンピュータとしてはかなり小型。 国防計画に使えるような規模ではない。 ロボットが出てきたのはご愛敬w コンピュータ室に犬を連れ込むなんてもってのほか(怒) コンピュータ室としては静か過ぎ、各機器は騒々しい音を出しているはず。 「愛情の計算」はコロンボシリーズ屈指の駄作との評価w >>319 昔のロボットってぇとなんとかの一つ覚えで頭でアンテナのようなのがくるくる廻ってるのはなんでだろう? 作者の趣味と映像効果 アシモフだと1950年代に既に完全人間型で描いている >コンピュータ室としては静か過ぎ、各機器は騒々しい音を出しているはず。 日本語吹き替え 懐かしいね プログラム なんって アセンブラ HSM 40KC まるで 玩具 図体は 可也でかい 一人前に 壊れるし 苦労したよ 残業 100時間 なんてざら 初めて習ったとき 加算回路ない 吃驚したね 簡単なようで 結構面倒なのよ もう一度やって見たいね 半世紀前の機械だけど。 >>135 昔の昔話にレスしてナンだが、そういう時のために紙束の側面に マジックで斜めに線を引いておくと復旧が早いんだぜ。 我が社では大人の事情でマジックインキが使えないのでゼブラのマーカーを使ってたな おおお昔の話だね。コアメモリが廃れてRAMメモリが出てきた頃、 大型計算機センターの職員さんは、「これからはいちいちメモリが消えて 不便になるなぁ」っていってた。今やほぼSSDだから歴史は繰り返すよなぁ。 ちなみに親はタイガー計算機つかってたぞ。俺も教えてもらったから使える。 あと紙テープを読んで、そうか!とかいう人は存在するし、紙テープに パッチ当てる人も存在する。 カセットテープ聞いて何のプログラムか当てる人もいたな。 >>329 RAMメモリなんて当時は言わなかったな。ICメモリ。 閑話休題。 むかしCOBOLプログラムを書いてた頃、わりに目立つ勘違いの一つ、 WRITE文のBEFORE/AFTER句の認識。 WRITE LIST-REC AFTER 2. これはLIST-RECを書きだす前にを2行送りするという文だけど、WRITEを先に考えてつぎにAFTERを認識するので 釣られて「書き出したあとに行送りする」と勘違いする人が多かった。 省略せずに書けば、 WRITE LIST-REC AFTER ADVANCING 2 LINES. 2行を進める前にLIST-RECを書く。 で、どういう順序で何をするかが一目瞭然。 カナダでプログラマーだったという人と話した時に、日本ではこの勘違いをしがちだ と話したら、ネイティブでも短縮形で書く限りやはり勘違いする人がいるとか。 まちがえたー WRITE LIST-REC AFTER ADVANCING 2 LINES. 2行を進めたあとにLIST-RECを書く。 モデムの音聞いて動き出すバッチの種類察知してたな 売上データ来たぞーとか帳票要求来たぞーとか 帳票要求が長い時は紙補給スタンバイしてた あと、オープンMTの巻き具合で処理の進行度把握したり 暇だったな モデムってなんであんな音するんだろうね。 グーッグッグルッグーグッグッグーグルッ・・・ ドットプリンタ全盛期の頃、専用部屋に大型プリンタが3台あって、 プリントしたら、わざわざ部屋まで取りに行っていた。 行ったら、専任社員が印刷別に切り取って分けていているので、それを持ち帰る。 >>335 自分の居た所はA4くらいの紙にプリントされたのが背面を糊付けされて製本されてた それを私書箱みたいなものに置かれてたな ドットプリンタ? 大型はハンマープリンターじゃない? COBOL使いは超先端技術者 エリート中のエリート 手書きでプログラムを提出し、 気に入らないと「こんなプログラム使えるか!」と親方に殴られる そんな時代 コーディング用紙にソース書いて 字が汚いからパンチャーからタイプできないと言われたことあった コーディング用紙には1行飛びに書くと追加修正するときに楽 紙テープは1行打ったら空フィードする 間が無いとハサミで切って繋ぐことができないから >>340 昔はマシン室の片隅にパンチャーの女が何人かいたもんだが ルックスは微妙だったがw >>343 >ルックスは微妙だったがw そう言うオブラートに包んだような表現は歳とったからだな 当時はもっと直球な表現してたろwww 一本のソースでコンパイルエラーを三回出すとガッツリ怒られたな。 「CPU1秒回すとお前の給料吹っ飛ぶんだぞ!」ってねw >>344 いやー同じだよ 常駐してた大手の客先の女性社員はすげー美人が多かったけど、 派遣のパンチャーのコ達はいつも固まっててわけのわからない存在だった 昭和43年に発足した電子計算室に採用されたキーパンチャーは、 当時最先端流行のミニスカートが13名。 コンピューターに関わる仕事はみんな知的でエリートコースと思われていた頃で、 13人は偏差値県内トップクラスの女子高卒・短大卒の才色兼備ばかりだった。 それが5年以内に全員入れ替わり、凡人だらけにw 男はつらいよにでてくる寅次郎の妹さくらの仕事はキーパンチャーだった 取引先でいいお見合いの話あったのに、兄につぶされてしまった キーパンチャーは沢山いたが、カードの穴を覚えたのは多分俺だけ。 まぁ仕事の流れからしてキーパンチャーは覚える必要なかったけど。 一方プログラマーはプログラムの修正のためある程度は読めなきゃならない。 なので数字くらいは誰も読めるようにはなってた。 印字式穿孔機は結構高価らしくて、最後まで1台しかなかった。 だがその印字機構、かなり故障するんだよな。 昔は8インチフロッピーだったな、それから3.5インチ、カッセットテープ?USB 今USB持って行けなて書く書類も増えて面倒になった 外出時もユーザーにサイン貰わないといけなくなって昔みたいにサボレなくなった 銀行の第三次オンラインで仕事にいったときにカードとか見せてもらった 調査役の人が若かったころ紙に鉛筆でかいたコード をパンチした行員のおねちゃんが、廊下にぶちまけたと言っていた 8インチフロッピーは定期的wにすぐ壊れるから扱いずらかった あとトグル回して装着するDISK 外す前にちょっとオペレーション間違うだけで中身が氏んだw key to disk 8インチ 1Sだった 片面?両面? 壇蜜w 昔は良かった外出先でサイン貰う必要なかったから。2時間でもサボれた いまも週3日は客先に打ち合わせだって言って 昼には家に帰っているけど? >>354 ,356 5インチのことも思い出してあげてください(><) 5インチは平成でも使われているので、そんなに古くない 8インチの頃は、「ウエストポーチ」って入れ物が流行ってて、 「そのままじゃウエストポーチに入らないから」ってんで 8インチのフロッピーディスクを無理やり畳んだ奴も居たそうな。 落とし物ですって磁石でホワイトボードに貼り付けてあったりな 出かけて1時間で済んでも、3、4時間遊べれた。そして日当も付ける >>359 代理店の人や営業とお茶行くこともあるしね。付き合いだよ。 一人でブラブラも出来るし しかし、今だって2ちゃんやエロサイトを仕事中に覗いてないか? 出張費を浮かせられた、昔は新幹線チケットは今みたいに総務から手渡しじゃないし 知り合いのとこに泊まっても宿泊費でたし 金曜主張だと、後泊までは会社負担で土日遊んで月曜会社負担で帰れたな。 出張から戻ってきた日は何時に帰宅しても定時退社扱いだったし。 >>369 今それやるとアラートログに書き込まれてお叱りメールが来るぞ 日報が無かった、だんだんめんどくさくなってきてるな 予定がなけりゃ朝休むと電話すればOK これは今もあんまり代わらずだけど 昔は美味しい仕事がかなりあったな、でもソフトハウスの見積もり厳しかったけどね(笑) 書く書類が少なかった、気が乗らない日は遊んだりボケっとしてた 今みたいにPCも管理されてなかったからインターネットしたりと遊んでた 外出先でもサイン(訪問開始&終了時間)貰わなくて良かったから外でサボってた ユーザーで食事出して貰える機会多かった パッケージのインストの子は良くお土産貰ってたな インターネットなんて無かった時代 データ伝送できる環境は限られてたし、遅かった 数十Mのファイルを送る位なら、バスに乗って手で運んだ パソコン(PC-9801)はあったが、仕事で使う事は無い (N社のシステム部門も!!) ビジネスには専用PCだから遊べない でも、、その専用PC(N5200)で出来るテトリスがあった。。。。。 プログラム単体の仕事で 昔は大阪から東京本社にフロッピーで宅急便で送ってたな フロッピーだから本数多いと何枚にもなる 締め切り時間は宅急便回収時間となる 東京までフロッピーを持って行ってそのまま5年帰らなかったって話を聞いた。 尾ひれが付いて都市伝説みたいになってるが実際にそれに近い話はあったらしい。 コンパイルしてソースからオブジェクト作ってたな 大きいプログラムだと三時間以上かかったかな コンパイルエラーでも一時間以上かかったかな エラーの場合は早くプリントアウトしろっと今は思える プリンターはドットプリンター でも専用伝票や複写物とかは今でもか 大昔までいかないけど2000年対応と、昭和から平成 ファイルに年が2桁しか無いユーザーや、 日付チェックで年00を再入力にしてるプログラムは変更 それはw でもそういうの多かった 昭和平成元号対応でたくさん見つけました 2k対応でもみつかった 1900年になっちゃうんだからw でもしようがない 容量をケチれ そんな未来まで使われるとは思わなかっただからね この問題はクローズアップ現代で1999年ころにやっていたね ビデオ残してある 掲示板で100年1月とかになってるの多かったな。 当時流行のperlは1900年からの経過年を返してきたから。 市販されている日本が海外につくらせている組み込み製品にはバグなんかザラ 昨年かったドラレコ、1月に西暦が2050年、日が50日になった そのまま放置しておいたら元に戻った こんなのを平気で売る時代 国内のはこんなことはないけどね 俺が入社した会社は、大型とオフコン(オフコン、PC)扱ってたけど その後大型とオフコンは会社別れたけど 大型コンピュータ扱ってる人はどうしたんだろう まぁオフコンの専用機もパソコンに変わっちゃったけど >>392 オムロンの2400bpsとか4800bpsのモデムで本体の上に黒電話が乗せられるひらべったいのあったよな レミントンだったか?紙テープ穿孔装置 タイプしていて楽しかったな スパイ大作戦の映像思い出した 紙テープが途中で切れたときは、すこし大変だった 糊で接続 日報も何も書かなくて良かった、コピー用メディアやPCも会社に持って行けた >>22 昔は、アセンブルするのに一晩かかったじゃん。 会社帰りにアセンブルしかけて、次の日出社したらエラーが出て止まってたとかだと話にならないから、 ソースDRとか机上デバッグをものすごくしっかりやった。 安易に動かせないことで、逆に今よりよかったような気もする。 一太郎以外にロータス123って無かった? そういや人によるけどWORDって使わなくなったな、Excelで書いちゃうな >>405 コンパイラで数時間ってのはあったがアセンブラで一晩って どんなプログラムなのさ? 販売管理等は日次更新後に、間違いに気づいた場合は 赤伝(間違い伝票のマイナス)と黒伝(訂正伝票)を入力する >>411 COBOLだとそうだろ…((´・ω・`)) まあ、昔の設計だとそう。 >>412 COBOL関係なく業務的なルールだろうに… 簿記なんかも似た処理するけどね 今だとどうするの?訂正で上書きして済む…わけないよね? 今はCPUのスピードが速いからリアルで修正するでしょ、日次更新自体も無いのでは? 昔はプログラム作るのに机上でコーディングしてた まぁ当時はPCが一人一台は無かったし >>412 販売管理でも訂正履歴追う為に今でも赤黒残さないか? CPUのスピードとか関係なく売上を確定させた後なら赤黒で対処するものでしょ >>421 最近はちゃんと訂正履歴でレコード取るよ。 >>406 EXCELより123のほうが俺は使いやすかった。 複雑な罫線を書こうとするとEXCELはめんどくさい。 >>409 そんなデカイのは知らないなあ。 まず、ソースを編集するのが バッチ式だったな。 ソースはミニコンのディスクに入っていて それを編集(行番号を指定して挿入とか置き換えとか)するパンチ カードを作成して、バッチでJOBを流すとソースが書き換えられるとかな。 そのソースをアセンブルしてプリンタで打ち出す。 エラーがあれば、そのリストを見てまた編集用の パンチカードを作るとか。 実行ファイルは HEX形式でFDに書き出し、それをROMライターに かけてROM焼きとかやっていたな。 ソフトハウスがうじゃうじゃあった、自社でも会社辞めてソフトハウス使った人も多かった 今は派遣がソフトハウスの変わりになったのかな >>429 もろヤーさんのシノギじゃねいかwww てかそれっぽいヤカラみたいな社長とか少なくないよなwww 何か聞いた事あるような、でもソフトハウスで破門状とかどこにまわすんだろう メーカーなら分かるけど、ライバル企業や何の付き合いもないソフトハウスかな 昔は ソフト屋もメーカ別に分かれてたりしたからなぁ(^_^;) 昼過ぎに行って23時くらいに帰ってた 8時間以上は残業代でもらってた 今は朝は8時に行って23時くらいに帰らされる 残業代は元請けからは出てるみたいだが途中でピンはねされてる 東京まで汽車で出張すると煤で真っ黒けになってたので 銭湯で一風呂浴びて客先へ出向いていたな >>430 This is IT. by Michael Jackson 今みたいに書類無かったし、日報すら無かった だから外出時も客にサイン貰わなくていいから 2時間も余計にサボれれた それにノートPCやUSBとか持って行けれた >それにノートPCやUSBとか持って行けれた 「昔」はそんなもの無いぞ >>439 10年くらい前の話だろ 個人PC持ち込みOK, ソフトはコピーし放題 良い時代であったな その頃は無茶苦茶だったな Nに居た(プロパー)が、8人位で客先行った時NのPCは1台だけ。 俺はLet's Note、上司はVaio、ThinkPadの奴も居て 客に『どちらの会社でしたっけ』なんて嫌味を言われた >>442 その頃は、IはExcel禁止、FはWord禁止だったな 建前上はだが 40年ほど前、茨城県の某役所コンピュータ統括部門にA新聞の記者が取材に来た。 オンライン処理システムを導入するにあたって日立と協力して構築しているという話をした。 ところがその記事をみると、なぜ日立ばかり使うのか、裏取引があるという情報がある、 他社の参入を意図的に拒んでいる、というよなもの。 これを読んだというあるメーカーから「私どもにも取材に来ましたが、記事のような意図で 話してはいません。茨城県内の役所が日立を優先しなければならないのは私どもは承知して おります。A新聞には厳重に抗議します」 技術っていうと オブジェクト指向と GOTO100を比べて どっちが技術たかいんだ? っていう話になるけど 個人PC持ち込みで現場に行けばむしろ喜ばれたよな。 面接のときもノートPC持ってるか聞かれた。 マなのに自分用のノートPC持ってない奴は面接で落としてたわ。 情報システム構築(企画、設計、プログラミング〜〜)のことを、昔の人は「番組」って 言っていたな Iの人から教えられた 今は、そういわないけど 1996年のCマガジンにパンチカードとJCLのことが書いてあった 今ならCマガジンの電子書籍がKindleや達人出版会で買えるね。 http://tatsu-zine.com/magazines/cmagazine 達人出版会の方がちょっと割高だけどDRMかかってないことを 考えるとこっちの方がいいかも。 >>444 某都庁で打ち合わせした時、俺たちを差し置いて職員同士で議論白熱 何が起こっているのか良くわからなかったが、隣に居たうちの営業が解説してくれた 『あれはHと○○データの代理戦争なんだよ』と言っていた 俺の会社は蚊帳の外(笑 >>449 お、やはり読みたいひとがいるんだね 家にはどっさり残してある Java創世記のことも書いてあって、なkなかいいよん 字消し板、今でも持っていますよ 雲形定規も A4横で、真ん中に絵図面、両サイドに文章 >>454 俺も字けし板あるぞ! あで便利なんだよ。たまに使う フローチャートのテンプレートはもうどこかにいってもうたw >>457 いまどき鉛筆で字を書く事がほぼ無いのに字消し版とは? 今時とか書いているが、常用でやっているわけではないw 考えすぎじゃ >>457 各社のテンプレートを保存してあります 当時、珍しくいろいろ集めました 保存袋(紙ケースもあったりして)に字消し板も入っていたw 大変だったが、私はF9450のEPOWORDでPCのワープロは体験済みで、後に汎用機の 仕事で手書きをすることになりました 手書きはのんびりして良いなぁと思ってました そのころは、まだ専用ワープロ(オアシス、書院等)が流行り始めたころでした 字消し板ってのが何か分からん と思ってググってみたら、なるほど フローチャーを書く板?みたいな奴の、消しゴムバージョンか 違います フローチャートを書くのはテンプレート 字消し板は情報システム用の文房具ではありません もっと昔からあったものでうs >>462 は見た目についての感想を述べただけじゃないかな 学生アルバイトでプログラマしてた時に、 ワープロの開発してたのに それの内部仕様書を手書きで書いてたよw 枠も定規で手書きしたのをコピーして、 二穴パンチで穴を開けてバインダーじ綴じてた。 >>463 訂正トンクス 両方とも情報システム用だと思ってた メーカーのテンプレートが段々入手できなくなってそれで使ったのが能大テンプレート。 別に問題はなかった。 メーカーの物より枠が小さくて、結果、フローチャートの分量が減少w しかしその能大テンプレートも店頭からは消える傾向。 ま、俺は既に定年退職してるんでもう使うことはないけど。 点線引くテンプレート未だ持ってるよ。 金属製で字消し板より薄いペラペラのやつ。 >>465 >二穴パンチで穴を開けてバインダーじ綴じてた。 三穴バインダーを俺は常用してるんだけど、田舎暮らしの身には入手が困難なのが困る。 時々東京へ行った時にバインダーと紙をかなりの量購入。 売っている4店をチェックしとくんだが、最近何年かぶりに上京したらそのうち2店が扱いをやめていた。 ちなみにこのサイズ(レターサイズ)は汎用紙と同じ縦幅1インチ。 順序はアメリカではレターサイズが昔から使われていてその延長線上で11インチ汎用紙が決まったのだろうけど。 そういえばIBMのコンピュータマニュアルも縦幅11インチの三穴。 >汎用紙と同じ縦幅1インチ。 ↓ 汎用紙と同じ縦幅11インチ。 >>446 取引先の規模が小さいんでね? 大手だと個人のPCを持ち込むと逆に不審がられるぞ おたくの会社は社員に最低限度のものも支給できないんですか?ってね >>473 うちの会社はWeb系なんで個人PCだよ。 みんなMacとかubuntuとか好きなのでやってる。 家で遊びで書きなぐったコードを、仕事で使うとき仕上げしたりしてる。 業務系ってパソコン用意されてるんでしょ? でも好きなツールをインストールできなかったり、プロジェクト終わるごとにソースを手放していくって聞いて効率悪いなって思った。 手書きで仕様書をかかされて、趣味でいろいろな文房具を集めるようになってしまったw それにしても文房具屋へいくといろいろなものがあるね 消しゴムのカスを乾電池机の上掃除機まであったね 今は消えるボールペンがあるから便利 >>474 業務系でノートPC持ち込まされて相手先のセキュリティーツールを入れさせられて 帰るときはOS毎PCのデータを全消去させられる酷い会社もあるぞ。 >>476 消えるやつは冷凍庫にブチ込むと復活するらしいが。 >>477 酷いっていうかセキュリティが厳しいからそれが普通な気がする。 コンプライアンスが第一なんてかったるい事は 大企業がやっていればよろしい。 変な話の流れになってるけどさ、 >>446 は10年以上も前の昔の話だよな 2000年とかそんな感じじゃね? 今の話と混ぜるのやめようよ >>479 セキュリティが厳しい所は、そもそも持ち込み一切禁止なんだが。 持ち込ませておいて帰る時に全部フォーマットなんて酷かろう。 しかも事前に全フォーマットすることは知らせて無かったようだし。 >>481 その頃は個人のデスクトップPCを現場に持ち込む猛者も居たな。 相手の会社も何の文句も言わなかったし。 登山用の背負子で担いで持ち込んでたので引かれていたがw 2000年頃、26万円もするノートパソコンを自前で買えって言われ 大手企業へ常駐でいかされたぞw 俺が始めてTCP/IPを使ったのは1990年だったな もちろん黄色いケーブルで 10BASE-Tハブなんて贅沢品だったから買ってもらえなかった というか、普及してなかったな >>485 10BASE-Tは、スター結線なのでそんなに線を引っ張れるかよだったな。 当時は10BASE2が主流で何処かおかしくなると原因究明するのが大変だった。 メタル線の中をギガビットが通るなんて想像もつかんかったよ。 LANは全部、光ケーブルになると思ってたし。 >>484 俺の買った最高額のノートPCは、DYNABOOK SSR590 1996年の55万円。 勿論それだけでは収まらず、後にいろいろと20万円くらい分は追加購入している。 高い自慢しているのではありません おわかりになっていない >>488 当時の月給より高いパソコン自前で買わされた自虐ネタなんね 当時はそのようなものを持ち込めって事を言いたいだけ 今は安いから用意してくれるけどね 96年ころだったら、おいらも25万位のカラー液晶ノートを会社の業者経由で買ったな MS-DOSだったけど、無理やりWin3.1をつこんで触っていたな 先日起動してみたら、バックライトが調子わるかっらwwww >>490 今の時代にPC自前で用意しろなんて言ったら社員が寄り付かない 会社のマシンはメモリが2GBしかなくて我慢できなかったので、メモリが安かった ころに8GBx2買ってきて勝手に入れ替えている。 真正面から掛け合うと、上を納得させる説明をひねり出すのが面倒でなあ… >>493 つか、セキュリティー上の重大な問題だよ 客先の機密を扱うのに個人のPCとかさ そんな会社は潰れるべき NECのPC-9800シリーズはその「98」という名前の通り1998年に終わるだろうと 予測されていたけど、まさにその通りになった。 1FDD/HD無しだったが、意外に使えた FDのAP資産がまだ現役だったからな その後HDD内臓版が出ちゃったら、FDDのみには戻れなくなった その頃HDD内臓版の各種PCにOSプリインストールモデルが出始めた 今じゃ当たり前だけど、当時のPCユーザには心理的抵抗あったな 8ビット時代からはまり込んでいた職場の先輩が、3.5インチFDをハードディスクと 言っていたのには「それ違う」とその都度話を遮っていたのだが、 本当のHDDを使い始めるに至ってようやく自分の間違いに気がついたw そりゃ中身がメイドインジャパンだったからな。今と比べて高くて当たり前。 今は安いアジア製だ。 高い分かなり頑丈ではあったと思う。経年劣化しやすい部品はしょうがないけど。 RS-232Cで100m先の機器とデータ通信するシステムを客に納品したwww 98 :名無しさん@お腹いっぱい。:03/01/25 22:57.net セキュリティホールを突いてコンピュータシステムをサービス不能に陥れる、 DoS(Denial of Service)アタックと呼ばれるクラッキングが知られているが、 最近これと似て非なる「ドス・アタック」という危険な技があみ出された。 これは、「鉄砲玉」と呼ばれる命知らずが、対立サイトのサーバマシンの フロッピー・ディスク・ドライブに MS-DOS のシステムディスクを突き刺し、 イジェクトボタンをむしり取ってからリセットボタンを押してくるという荒技で、 ターゲットにされたサーバは、MS-DOS 専用マシンになってしまうという。 最近この攻撃を受けたサーバ管理者のひとりは、 「Xeon 2GHz で動く DOS は悪夢のように速かった……」と、 未だ茫然自失状態を脱していない。 >>504-505 当時のNECの専務が「ユーザーは必ずしも安いPCなど望んでいない」と言って批判の嵐を受けてたなー >>514 知ってて508に反応したのが509だろ? >>514 規格はあるらしいな 一応工場で充分なテストの上問題ない事を確認して現地に設置したよ LSI-11ベースの専用用途コンピュータと某医療機器の間で通信させてた(普通は10m程度) 某医療機器はむちゃくちゃ強力な放射線を出すんで、その病院では別棟に設置される事になったのが事の発端 という事で100m以上になっちゃったんだよね 俺はその頃下っ端だから何かあっても責任負える立場じゃないし、高見の見物wwww とはいえ、現場テストには駆り出された >>516 150mでやったことあるよんw 今もつかっているね しかも大手、行政で 家の書庫に84年〜88年ころの事務管理、コンピュートピア、日経コンピュータの雑誌があったw 表紙などの女性の衣装がダサイ 俺のファッションセンスはイケテルとか思ってるのかね あの頃のファッションが理解できていないくらいなんだから センスがあるとは思えないね あの頃のファッション?? スタジャンにジーンズあたりか?w >>518 共立出版のbit誌を創刊からしばらく購読していた。 初めはコンピュータ全般だったが、次第にUNIX、C関連に収束していき COBOL、アセンブラ、RPGなど事務系だった俺には縁が無くなって 購読をやめた。 ITって言うほどの話じゃないが OSプリインストールのPCってのが出始めた頃 AUTOEXEC.BATやCONFIG.SYSをいじれない奴がPCなんて触れないだろ、と思った OSってなんだよ まさかMS-DOSのこと言ってないよね >>522 それ古杉やろw ビートルズより前のピーターポール&マリーとかの世代やんけw >>501 >3.5インチFDをハードディスクと言っていた 5.25インチが紙ケースなのに対し3.5インチはプラケースで硬いから? 花王の3.5は数十枚入って紙ケース プラケースはめんどうくさかったな ハツコ−とか日商、JUKI、TKUのパンチャーマシンってまだ使われているやね へぇ〜〜〜 >>524 メインフレームで言うJCLに相当するものだからね BATってバッチファイルだし、SYSは起動するアプリの稼働環境設定だもんね Winになってからでも同じだし、他のOSでもやっぱ必要だよね 汎用機ならシステム環境の部署があったね PCは自身でやるか、知っている人にやってもらうかだし 出来上がったアプリをコンパイルして動くかは、CONFIG.SYS次第 増設メモリーが必要だぁああああとか大騒ぎw NECユーザーにとっていかにメインメモリーを広く使うか重要だったんで DOS/Vのドライバー乗せ放題という環境には大いに驚き、次いで嘲笑し、 最後には無視してたら、Windows時代が到来してそれまでの努力に空しさを・・・ プログラムの行数で値段が決められていた。 (何千ステップでいくら万円のように) タバコ吸いながら仕事してた。キーボード、ディスプレイが黄色いこと 年末掃除で白さを確認 そうそう、昭和60年ころ、ステップ数って言っていたな 当時売っていたIT専門書にも、見積もりステップ数と記述してある 旧千歳空港で会社からバグ修正版FDが届くのを待っていた 当時まだパソコン通信もやってなかったから、郵送するしか手段が無い >>539 情弱乙。 ISDN使えばフロッピーなんて一分で送れる高速通信だぞ。 __obake:コンパイラは巻いて直径25cmぐらい。でも目視である程度命令が読めた。 @FeParadise @__obake 紙テープと言う物があったのは知ってますが、さすがに使ったことはありません。カセットテープからなんてのもありまして、それは使ったことありますけど。 #放送大学 https://twitter.com/__obake/status/562535329882583040 紙のテープ25cmぐらいって、何kbぐらいだったんだろうな。 >>541 情弱で申し訳ない 客先にそこまで求める事はできなかった でも、今思えば音響カプラーって手があったと思うが、俺の部署では持ってなかった orz 当時は下っ端だから設備申請なんて夢のまた夢だよ >>539 97年ころまで、同じようにやっていましたよ その後電話回線でやりましたが、コンピュータをご存知ないかた 向けには、コンピュータの電源を入れたら自動的にFD起動により 修正プログラムを書き換えるようにしていましたね データ通信はまだまだ料金が高くつき使えない場合もありました 俺が千歳でボーっと待ってたのは91年だったかな 93年頃、外注さんとお話してたら、その人は灯台?のシステムやった事があって バグ修正版を設定しに漁船みたいな船乗ってったとか・・・・ >>544 昔は「コンピュータをご存知ないかた向け」のサポートは今よりも大変だった気がするね それは新千歳ができてからの話じゃねか? あの頃はまだ旧ターミナルだった 新滑走路はあったような気がするが、良く覚えてない Wikipediaによると ・1988年(昭和63年) - 新千歳空港(A滑走路)が開港する。民間機は新千歳空港に移行。 ・活字化された営業報告・売上計画でコンサルは100万円取れた ・富士通オアシスはカルク・ワープロはわかりやすかった ・98時代らへんは一太郎とロータス ・8000シリーズ?辺りはフレームメーカとかいうのでもやってた ・報告書レポートは手書き ・軽印刷かガリ版わら半紙で社内文書配布 ・コピーのことをゼロックスと言っていた ・コピーのない時代は青焼き ・ファックスのない時代はテレックス 納品するとき、全ソースファイルをリスト出力させられて、 その上リストに全て手書きでページを書くのが面倒だったな 500万円するサーバーの HDD容量が20M、メモリー8Mとかだったな。 VAX-11はブートディスクが8インチFD、 取り外し可能なHDDパックは電子ジャー並みの大きさだった。 >>549 >ファックスのない時代はテレックス 郵便があるじゃないか ゼロックスという言い方、懐かしいですね 私よりかなる年齢の上のかたがおっしゃってました 富士ゼッロクス社の社名ですよね でも昭和の人は、通称をそのまんま言うのでしょうね NHK教育TVで放送された文化講演会で、司馬遼太郎が 「ゼロックスした資料を・・・」を連呼してたw NHKルールが今よりずっと厳しかった頃。 ゲームをやるのにデータを読み込ませるのに30分かかった Nで新入社員時代 PC-9801が使えるという俺はパソコンオタクと言われた Nのシステム部隊ではPC-9801はほとんど使用していなかった為だが・・・・ >>557 散々時間をかけて読んだ末に、エラーメッセージ吐いて終わられると 膝から崩れ落ちた。 受ける会社大丈夫? 下記の条件が全て当てはまる会社にご注意下さい。 ・IT系 ・「社名 労基」でググると過去の2chスレが出てくる ・転職会議で2.5点 転職会議、閲覧したいけど情報はなるたけ晒したくないんだよなー IBM マルチステーション5550が出たとき、こりゃすげえ、欲しい と思ったが、値段180万円を見てあきらめた。 いまのITはツールの専門家だよ。プログラミングさえも。 >>483 持ち込んだなぁ。懐かしい。 廃棄する頃が面倒くさい時代になってて、倉庫の化石の山にぶち込んで来た。 想像できないだろうが、プリンタが画面だった。 時給は6000円程度と聞いている。 ん。 1行だけ訂正してコンパイルし、リストを出し、すぐ1折毎に切ってファイリングするやつがいる。 けど、すぐまた手を入れてコンパイルし、・・・以下同じ。 その結果、裏紙を再利用できない紙くずを量産。 「ファイリングするのは安定してからでいいんだ。無駄をやるな! それに1行だけならリストに書き込むだけでいいだろよ。 毎回リストを出す必要なかろう!」 「けど、訂正したときはこれで完璧と思ってるんですけど」 「訂正だけでテストも本処理もしないうちに完璧などといえるわけないだろ!」 「しかし・・・」 「しかしもかかしもない!」 こういう風景はメインフレーム時代は日常茶飯事。 前に居た会社は人月150万とか請求してたけど、それでも客はついてたんだよね。 その調子でITバブルが崩壊した後も続けてたので、一気に業績悪化したけど。 障害起きたらメモリダンプ解析。 OSのスタックまで追っかけた。 年齢上がってから生の16進数を暗算でビットにバラシたら若い奴に驚かれた。 「よく暗算でできますね」ってw。 この仕事してたらできて当たり前だと思ってたが。 若い世代はこんなこともできないのぉ〜? 職場で凄い嫌われてるオッサンがする発言だな RPGの話、若ぇ衆と全然話が噛み合わない。 1970年頃、ごく簡単な処理はRPGでちょいちょいと書いてた。 メディア変換やフォーマット変更なんてのは30分もありゃすぐ書ける。 こんなんでコンパイルエラー出したら、恥。 順次選択反復という概念はリポートプログラムジェネレーター(RPG)にはあるのか? 70年ごろ書いてたということは、 もう70歳ぐらいですか? 今でも現役ですか? 手が滑った フォーマット変換とかやり方のテンプレを知ってるかどうかじゃないか 君らけっこう若いの? 俺みたいな2000年代前半に新卒だったおっさんは、あの頃本当に苦労したんだよ。 世間はやたらとIT、ITうるさく、システム開発の仕事は山ほどあった。 でも、誰もノウハウ持ってない。 結果、今からするとメチャクチャなシステムが世に溢れていた。 たとえばこんな感じ。 某社の入社説明会の受付フォームなんだけど、サーバはredhatのapache、 言語はperl、DBはwindows上のSQLServer。 linuxとwindowsが混じってる変な構成で、どっちのサーバもPCかってくらい遅かった。 1つじゃ処理が追いつかないのでそれぞれ2つ用意し、ロードバランサーでアクセスを振り分けていた。 当然DBに差異が出てくる。 それを毎日営業が目視で潰していくという間抜けなことをやっていた。 スクリプトでdiff取ると負荷かかりすぎてサーバが死ぬからw カオスな時代だったなあ。 >当然DBに差異が出てくる。 >それを毎日営業が目視で潰していくという間抜けなことをやっていた。 >スクリプトでdiff取ると負荷かかりすぎてサーバが死ぬからw ほかは普通だけど ここだけ致命的におかしいwww そんなばかな… 昔かー 15年前くらい前の話で申し訳ないのだが 正規化なんて誰もやらず なんでもかんでも文字列型にして 制約も外部キーもなく それらについて改善を申し出たら 「余計なことをするな」 「不整合は検証不足だから起こるんだよ」 と怒られたもんだよ 今は・・・ >>582 > 俺みたいな2000年代前半に新卒だったおっさんは、あの頃本当に苦労したんだよ。 > 世間はやたらとIT、ITうるさく、システム開発の仕事は山ほどあった。 確かに2000年ぐらいから、開発がめちゃくちゃになって ドキュメントを書かないとか、コメントを入れない世代が現れてきた。 あれは理系の大学でプログラムを教えるようになったのが原因。 大学の授業では設計の重要性とか、可読性とか、チームで協力する というようなことは教えられないからね。 とりあえず動くの作れれば天才!みたいな風潮があって、 そういう理系の馬鹿どもが社会に出てきて、むちゃくちゃになった時代。 チーム作業ができないんだよね。ああいう連中は。 あー当時はどこもその程度だったね。 協力会社として出稼ぎに行ったとこのチームリーダーから相談された。 「webの画面で項目増やすたびにテーブルのカラムも増やしてるんですよ、どうしたらいいでしょう?」 DB見たら1テーブルに80個くらいカラムあったよw しかもカラム名がcol01とかなのな。 正規化しましょうと提案したら、 「正規化って何ですか?」 そっからかよ!と思ったけど、正規化の意味わかってたらカラム80個も 増やすことないよな。 テーブル定義書き直して正規化してやった。 そしたら他のプログラマから強烈な批判がw 「プログラム書き直さなきゃならないだろうが!」 当時は俺も若くてしかも一応仕事を請ける立場だったから下手に出たけど、 今だったら絶対喧嘩してるね。 自分を省みないバカで横暴な奴にはビシッと言ってやらんといかん。 >>586 正規化を知らない奴等が跳梁跋扈してるのは データベースが本格的に開発で使われ始めてから 全く変わらないと思う >>585 理系大学でプログラム教えなくてどこで教えるの?w なんか自分の劣等感を攻撃に変えてるだけって感じがするなあ。 問題は理系文系関係なく、チームで物を作る経験がない人が いきなり現場に入ってしまう状況が間違いなんだよ。 今は製造サイクルがやたらと速くて、常に人手が足りない。 ド新人がいきなりプログラミングしてる場合も多い。 結果、粗製乱造になってしまっている。 たしかに設計や可読性の高いソースを書くことも大切だけど、 現場では設計書を書く時間さえないこともある。 そのときに重要になってくるのはチームで1つの物を作るという経験なんだよ。 経験だけは学校では教えられない。 >>588 そんなことより大事なのは正規化と制約だ! と声に出して言いたい今日このごろ >>588 大学で教えたことを強制するのに時間がかかるんだよね。 すごく時間がかかる。 それより何も知らない奴に教えたほうがずっといいプログラマになる。 人手が足りないのは、仕事を取りすぎなだけでしょ? 違うの? 仕事を断ればいいだけでしょ? 仕事を断らないお前が悪いんだよ。 >>590 大学で教えたことを矯正するのより 実務で覚えたことを矯正する方が大変 >>590 俺の経験からすると、租税乱造新人はだいたい専門学校出だよ。 別に学歴がないからダメだとは言わないけど、企業が新人にかけるコストは 高学歴ほど高いのは事実。 大学出は大きな会社に入ってきちんと新人教育を受け、半年から1年くらいかけて 優秀な先輩社員の下で徐々に現場に慣れていく。 でも、小さな会社にしか入れない専門学校出はろくな教育を受けられない。 先輩たちも自分の仕事が忙しくてとても新人にまで手が回らない。 結果、ほぼ放置状になり、独りよがりな思考とコードしか書けないダメプログラマになってしまう。 経験といっても何でもいいわけじゃなくて、時間と予算に余裕がある企業で 優秀なリーダーの下で働くことが重要なんだよ。 誰でも簡単にパソコン1台で稼げる方法など 参考までに、 ⇒ 『宮本のゴウリエセレレ』 というブログで見ることができるらしいです。 グーグル検索⇒『宮本のゴウリエセレレ』 3FKQJJWZ1U とても簡単な自宅で稼げる方法 参考までに書いておきます グーグルで検索するといいかも『ネットで稼ぐ方法 モニアレフヌノ』 50O6K ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
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