昔のITってどんなだったの?
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技術から言えば1/5位のレベルで今よりも単価が3倍位高かったみたいなんだけど本当?
10年前くらいらしいけど、HTML組めるレヴェルで500kとか貰えたって・・・ 電算写植の仕事してたけど、
電話鳴ったら受話器を音響カプラに置くバイトとかしてたわ
非効率極まりないw >>199
以前に秋田空港に行った時に見つけた。
ちょっと古い話なのでまだあるかどうかは知らないが
小田原城の土産物を売ってる所の近くにもあった。
MSXのメダル販売機は、観光地には今も多数残ってると思う。 昔は新機種導入の日にお客さんが御祓い・・wとか呼んで待たされたもんだ。
今でも大概そうかな?? MSXの発表会は、ビル・ゲイツが来日してその地味さ・チャチさに似合わない大々的な催しだったような覚えがある。 MSXーDOSか。
1.0は、フロッピーをコピーするときに何回もコピー元とコピー先を入れ替えたんだよな。
2.0で、入れ替え回数が8回まで減って、画期的な技術だとか騒がれたものだ。
まだ当時のフロッピー残ってて、MSXのエミュレータ上で動くよ。
動作確認しかしてないけど。 MSXで家電もガス器具も水道も何もかも
制御する未来を先取りした住宅のプランはどこへいった? >>211
そんなのは、昭和時代の人達が夢見た未来の姿でしかなかった。
実現することなく、夢のままで終わった未来予想図。 よぼよぼの爺さん(MSX2)がヨチヨチ歩いていたら、
若いマラソンランナー(WIN)が脇を爆走していったでござるの巻 最初はゲーム目当てで買っても、徐々にプログラミングに
手を出すようになっていった人もいた。
MSXに限らず、当時の他機種についても同様。
30代以上だと職業プログラマ、趣味プログラマを問わず、
それがきっかけだった人も多いはずだ。 >>214
人気ファミコン用アプリをMSXにポートしても速度がでなかった。 筑豊電鉄(っつても知らんか)の車内で流れてたビデオの編集はMSX2使ってたみたいだった。
時々MSX2 BASICの画面が出てた。
20年くらい昔の話だけど。 ITって最先端みたいなイメージあるけど
実体は泥臭くて人間関係が汚くて一部の勝ち組以外は奴隷扱い コーディングシートっていうマス目の紙があってそれにアセンブラ書いてた。 各種言語用にプログラムシートというマス目の紙が売られてた
今も情報処理系の大学や専門学校では見かける機会があるかもしれない。
プログラムばかりじゃない、入力データにもそれぞれ専用シートがあった。
それをキーパンチャーが80欄カードやフロッピーに打ち込む。
キーパンチャーってぇと、昭和40年代のミニスカートブームをどうしても思い出す団塊世代の俺。 >>222
会社が「高過ぎる!」と買ってくれないので、手書きで作りそれをコピー、
のちにパソコン時代になったら表計算ソフトで作ったことがある。 あったねーディスプレイが2行分しかなくてDUPキーがついてた。
読む側もオートチェンジャーつきのでかいのがあったし。
フレキシブルディスク読取装置ってナニソレだよな。 ふ〜ん、インテル・ミラノにはマイコンという選手がいるのか そこかw 最近職業病についてのスレをどっかで見たがなんかワロタ 昔のITの特徴は、やっぱ大型機全盛時代だったことだろ?
IBMの専用端末なんかカラー表示も可能だったが
くそ思い鉄製の重厚長大な装置だったな。 重さが
20〜30キロぐらいあったな。
そんな端末が1台の大型汎用機に数百台とかぶら下がっていて
混んでるとトンデモなく応答が遅かった。 その昔、HITAC5020という当時のスーパー級コンピュータを見学したとき、
エンジニア2人がXYプロッターの前でグラフを描いていた。
20分ほどかけてマトリックスを描き、それが終わってツィーーーィとエキスポーネンシャル
カーブを描いて操作が終わった。
A「これだけ?」
B「そう・・・らしいな・・・」
A「20分間の料金いくらすると思ってんだ?」
B「・・・ごめん・・・」 地震で崩れた納戸の中を整理していて出てきた本。
共立出版 bit別冊「国産コンピュータはこうしてつくられた」
1960年〜1985年の開発の流れと新世代への展望
昭和60年9月10日発行 ¥2500
第T編 総論
日本の計算機開発に思う
古い世代から新しい世代へ
第U編 日本の商業計算機の発展の流れと展望
沖電気
東芝
日本電気
日立製作所
富士通
三菱電機
日本電信電話(NTT)
第V編
統計に見る日本の計算機
第五世代コンピュータ
将来の商業計算機(座談会) >>222
コーディングシートは今でも教育目的なら現役。
まず机上でコードを書いてロジックを理解すべきなのか、
そんな暇があるなら最初からコードを入力・実行した方が良いのかは、
俺には判断できないし人それぞれだと思う。 8年くらい前に専門でCOBOLのコーディングシートとかフローチャート書ける定規使ってた
COBOLみたいな宣言の記述が無駄にでかくなる言語には
こういう勉強法はありだと思うけど、
JavaとかPHPみたいな、ルーチンを書くのがメインの言語には合わないんじゃないかな たかが20〜30年ほど前の本を見てみると面白い。
たまたま見つけたPC-8801入門書は、全くの初心者向けでも、1章からいきなりBASICプログラム。
ミニゲームや簡易家計簿プログラムの解説を経て、最後にちょっとだけマシン語に触れたり、
周辺機器の回路自作についても少しだけ解説している。
明らかに小学生くらいを対象にしたパソコンゲーム本も、市販ゲームの記事は半分程度、
残り半分はゲームプログラムの解説だ。
初期のファミコン攻略本でさえ、後半はファミリーベーシックを使った
ゲームプログラムや音楽再生プログラムの解説に使ってる。
当時の入門者や小学生プログラマでも、そういう本を読み通せる人なら、
現代の並の職業プログラマ以上のスキル水準だったのではないかと思った。 >>239
有名アプリのプログラマが実は中学生とか結構あったね。
今は中学生がプログラミングしたから有名なアプリとかしなかないかも。 そんな話聞いたことないぞ。
昔を美化するのは老化現象の始まり。
当時PC雑誌を読んでたような人間は、普通はまだそんな年齢じゃないはずだと思うがな。 中村光一とか、と思ったが、彼はが有名になったのは高一だった。
昔を美化するのは老化の始まりだが、それでも昔には昔の楽しさがあったのも事実だ。
BASICの命令を10個くらい覚えた程度でも、
つまらないアドベンチャーゲームを作ってみたり。
市販のソフトを真似しようとしても難しすぎるので、
妥協に妥協を重ね、部分的な真似をして満足してみたり。
当時の苦労と試行錯誤が、今でも少しは糧になっているのさ。 >>195
うち、故障したときのために8801の新品を未だにストックしとる。。。なかなか壊れず、まだ一台交換しただけだな。
かれこれ18年経つが。 8001を何台か買ったやつが8201を買って
今までのゲームが動かない、なぜだ!?
とわめいていたっけなw 違った。上の記事に引き摺られてまちがえた。
9801を何台か買ったやつが9821を買って
今までのゲームが動かない、なぜだ!?
とわめいていた FM-7の本に、ワイヤーフレームを使った単純な3Dグラフィックが紹介されていた。
ポリゴンについても紹介されていたが、パソコンの性能では不可能で、
スーパーコンピュータでないと計算が間に合わないと書かれていた。
スターウォーズの第一作(エピソード4)に、宇宙船のワイヤーフレーム
画像が出てくるシーンがある。
高額な制作費かけたSF映画でさえその程度のレベルなのだから、
FM-7でワイヤーフレームを描画できるのは凄い事なのだと書いてあった。 >>249
ドットではなくワイヤーで描画するタイプの表示装置もあって、スターウォーズとかアステロイドとかいうアーケードゲームがあった。 かつて、会社の金でTK-80を買ったと聞いた。
アマチュアの道楽用途ではなく、本来の用途である
マイコンの開発トレーニング用に使ったそうだ。
当時の若手社員も今は白髪頭のおっさんだ。 ただのテンプレじゃなの?
っていうか、手書きかよw
フローチャートなんてユーザー向けの手順説明ぐらいしか使い道ないんだから
ワードとかVisioとか使えよそんなの フローチャートは処理概要書くとき使わない?
いま手書きはしないけど むしろノートとかホワイトボードに手書きしかしない。 手書きと言えば、もうコーディング用紙なんて使わないんだろうな
フロー書くときは字消し板は必須だったよ 検索してみたら、フローチャート定規って今も
複数メーカーの製品が通販されてる。 >>256
手書きってことは自分用ってことだろ。
今時自分用にフローチャート書くなんてありえないw >>259
新人たちにさらっと説明したりする時にさ、きれいに書けるじゃん。
だから無いかな?って思ってたら、まだあるのかよwと嬉しかった次第。
そりゃあ資料のときはvisioさ。
フローチャート定規は、一部の情報系の専門学校では現役。
課題もそれを使い、手書きのものを提出させてる。
コピペを防止できるだけでなく、自力で線を引いた方が、
処理の流れを理解できるって事みたいだ。
一理ある事なのか、単なる時代錯誤なのかは、俺にはわからん。 フローチャート定規は所有しているだけで、長い経験を持つ
中堅・ベテラン技術者のように見えるアイテム。
ただし過去の遺物なので、若手が保有してもただの時代錯誤。 >>262
>>> 学生なら手書きでもいいだろう
↑ハッアアアアァァァァァァァァアァァァアァ???
能大テンプレートがついに市内すべての事務用品店で取り寄せになってしまった・・・ フローチャートより手書きのHCPチャートのほうがよかったな
いちいちシャープペンで消しゴム使いながら書くなんて
今じゃ考えられんけどw ストラクチャード・プログラミング用に各社が独自のプログラム・チャートを考案して
他社にお構いなしにユーザーに半ば強制的に使わせる時代があった。
おかげで、2社以上のメインフレームを入れているユーザーは大迷惑。 今はどうか知らんが、
ユーザシステム運用開始日にはお払いをする人が来て
開始まで待たされたもんだw 今じゃ単にシャットダウンすればいいが
当時のマシンは落とすのが大変だったぞw
ディスクを外す前に難しいオペレーションをいくつか実行させなけばならず
一つでも間違ったらアウトw
またそれが終わってもトグルをまわして無事ディスクを外す関門があったw 10 CLS
20 PRINT "Hello!"
30 END
全盛時代とは中身がまるで違っていたとは言え、
ベーマガが21世紀まで存続してたってのが驚き。 ベーマガ、というか親にあたるラジオの製作もそうだけど、
あの子供っぽい誌面作りは全然好きになれなかった。
ベーマガに思い入れがある人って、例えばマンガでも藤子不二夫みたいな子供騙しの
マンガが好きなタイプなんじゃないのかな。
そういうえば2chってオッサンになってもドラえもんがどうとかいってる気色悪い奴多いもんなw ベーマガってそもそも、小中学生向けの雑誌だったでしょ。
それくらいの世代向けの、パソコン入門、プログラミング入門って感じだった。
中〜後期になると、完全に時代遅れの、
旧機種のBASICプログラムを扱う雑誌として、
当時を懐古するオッサンも喜んで購入してたけど。 いや小中学生でも背伸びしてASCIIとかI/Oとか読んでた奴の方が多かったと思うけどね。
初歩のラジオとラジオの製作を比べれば一目瞭然だけど、同じような内容を扱ってても
電波新聞の雑誌ってガキに媚びてるんだよな。
なんか頭悪い子向けっていうか.... >>276
90年代後半からは完全に迷走状態だった
雑誌名がBASICなのにC言語の記事を始めたり、
ゲーム記事をなくしたり、中高生が対象と思われる情報処理入門を始めたり。
誰を対象に、何を中心に書く雑誌なのか、よくわからない状況だった。 >>280
時代認識がたぶん10年ずれてる。
あの手の雑誌はもう80年代後半にはまったく時代遅れだった。
っていうか90年代後半にBASICなんてあったっけ?
VB?
あれでゲーム作れるのか VBでDirectXを使って、3Dゲームを作るなんて事をする人もいてな。
そこまで行かなくても、VBの限界に挑戦だとか言って、
ゲーセン並の弾幕シューティングを作っちゃう人もいたり。
そんな事はともかく、俺は8ビット機全盛時代は所謂ナイコン族だったので、
当時パソコンを所有し、最新マシンとして楽しめた人を羨ましく感じる。 90年代後半もBASICはあった
従来の構文とある程度互換性を持つ、BASICコンパイラも現在に至るまで販売されてる
高校の数学やセンター試験でもBASICを扱ったので、それの学習用途のも存在した なんで言葉をそういう風に文字通り受け取るんだよw
あんた国語の読解の点数悪かっただろw >>280
プログラミング関係の記事は無視して、ゲーム雑誌として読んでる奴が多かった気がする
アーケードもゲーム専用機もPCゲームも網羅していたし、ハイスコア集計もやってたし 今は型の古い中古なら、1万円未満で完動するPCを購入でき、
フリーの開発環境やコンパイラだけでも、学習どころか開発までできる。
個人がコンピュータを保有するなどありえなかった時代は、
技術は職場で習得するか、大学や専門学校で学ぶ以外に方法がなかったの?
専門書を読んでも、実機を自由に触れなければ、机上の空論でしかないだろうし。 どのくらいの時代の話か分からないけど、マイコン登場以前のホビーストは
リースバックのミニコンをつかっていたと安田寿明という方が
ブルーバックスに書いていたのを見た。「個人で所有」できる時代なので違うか。
ちなみに最初に読んだコンピュータの本には磁気コアメモリで大容量とか
書かれていたけど現物は見たことが無い(w アキバで石を買って自作してた頃の話かな?
1万円未満で部品は揃うけど、ROMライタとか開発環境が高かったんだよね。 ブートストラップをコンソールのスイッチで入力とか
訳分かりません >< 昔は職業プログラマでも、コンピュータに触れた事のない人がいた。
なぜかというと、彼らは紙にコードを書き机上デバッグをするのが仕事で、
実際に入力するのはオペレータの担当だから。
プログラミングの学習も、実機ではなく机上のみ。 そんな単純作業はオペレータの仕事だろ
プログラムをパンチカードにするのは面倒だし >>292
昔はWindowsなんてものはなかったからな
システムごとに今のPCに代わる端末装置を開発してたりしたから
「私は仕事を離れたら絶対キーボードに触れない主義です」
などと堂々というマもいた。
今じゃ考えられん。 > 「私は仕事を離れたら絶対キーボードに触れない主義です」
これは今でもいるだろ。 COBOL屋さんとか汎用系?
Windowsや組み込み系の人はまず自宅にもPC持ってるから考えられないでしょ 自宅にPC持ってるのが当たり前って感覚がおかしい。 ・80年代〜90年代中盤
自宅にPC持ってるなんてマニアだけ
または宣伝に見事に騙され、それが何なのかも知らずに買ってしまった人だけ
・90年代後半〜2000年代中盤
興味も必要性もないのにPC買う人が続出
結局使わずに、新品同様のまま手放す人も続出
・ここ数年
携帯電話やスマートフォンで何でも済むのに、PCなんて買うのはマニアか時代遅れの奴だけ ライトユーザー市場に入り込めなかったMSの行く先はどうなることやら ◆脱税逮捕「政界タニマチ」ソフトウエア興業・前社長のカネと女の武勇伝 (週刊新潮7/28号)
ソフト社の元社員が呆れ果てて語る
「”つべこべ言うな、いいからやれ”が口癖で、労組も認めず、気に入らない人間は排除する。
また自社株は実質的に奥さんと2人で握り、自分や奥さんの親族だけでなく元妻やその親族も
役員に就けていたんです」 典型的なワンマン経営者である。
別の社員の話。
「おまけに、銀座の高級クラブのホステスを秘書に迎え、役員にしたんです。彼女たちには家屋敷
を与えて子供までもうけている。なんでも、一人生まれると2000万円のお手当を出したとか。
会社の外にも愛人が複数いたようです」 モラルも何もあったもんじゃないが、
「馴染みの料亭の仲居さんに1000万円のダイヤを贈ってスカウトしたこともあったし、強引にヘッド
ハントしたホテルの従業員を手籠めにしようとして失敗したなんてことも。出張に同行させて、泊まる
部屋をひとつしか取らずに関係を迫ったんです」
きわめつけは事業所ビルのワンフロアをぶち抜いた丸山三郎前社長の専用部屋。
「パスワードがないとエレベータも止まらない”開かずの間”です。中には赤い絨毯が敷かれ、
キングサイズのベッドの脇にティッシュが置かれてある。ここに女性役員を昼間から連れ込んでいました」
この数年で売上高は200億円を切り、社員数は1000人ほどに。
「業績が下降中でも、会社と自分のカネの線引きすらせず好き放題やっていた社長に愛想を尽かして、
みんな離れていったんですよ」
一代で業界有数の企業を築いた”元祖IT長者”は色に溺れた裸の王様だった。
先人は、女事に賢人なしと言っている。
>>300
とっくにビジネス用途に注力してますよ。
古くからある大手ITについても同様。
ライトユーザー向けの商売は、どうしても薄利多売にならざるを得ない上に、
短期間でコロコロ流行が変化するので、大企業はあまり得意としていない。 JUSTSYSTEMだって業務パッケージや受注がメインだしな いやいやw
まだまだホームベージビルダを舐めたらあかんぜよ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています