昔のITってどんなだったの?
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技術から言えば1/5位のレベルで今よりも単価が3倍位高かったみたいなんだけど本当? 10年前くらいらしいけど、HTML組めるレヴェルで500kとか貰えたって・・・ >>104 それ、言ったら終わる >>105 ...Water ヘレンケラーとな 2000年 HTMLができるだけで単価90万とか余裕 Javaの案件はあまり無かったから単価50万とかだった 業務系案件はだいたい70万がデフォだった 新人でも50万は貰えてた 基本設計などができれば120万もザラじゃなかった なぜかVB技術者がもてはやされてたw 2005年 HTMLが出来ても単価20万とかザラ 要件定義・基本設計が出来ても単価が60〜80万 JavaPGで単価50〜65万 新人の単価は30〜40万くらい VB技術者涙目の時代到来 2010年 基本設計〜テストができ、リーダーとして共通基盤を構築していくPMOですら 単価40万の時代到来 新人は受け入れ拒否の会社だらけ これまでのPGしか経験の無い低スペックの技術者は淘汰されまくり やっとで案件につけても、40万固定で350時間労働がデフォになってきつつある 2015年 路上生活者となっている元IT技術者集団のインタビューが2chで祭りに システム開発=中国人・韓国人・インド人の仕事として世間一般にも定着 中国、韓国は無いな。 基本的にやってることが日本と大差ないから、 多少人件費が安くたって焼け石に水ってやつ。 最終的には必要となる投入人数に見合うだけの収入が得られないという、 日本ITと同じ終焉を迎えるだろう、この2国に関しては。 所詮、(人種的に)東洋人には無理な業種だったんだ。 2020年 メインフレームによる内製に回帰 2025年 2038年問題がマスコミにとりあげられるようになる。 2035年 開発環境の向上に頼りすぎた新人は、過去の過酷な開発環境についていけず、定年退職したCエンジニアが再雇用でボロ稼ぎ。 クラウド化(データをどっかの大企業が保存するという意味で)が進んでさらに仕事がなくなるだろうな 世界中のリソースがクラウド会社に集まってさらにコストカットして 先進国からはIT技術者は消滅するだろうな 洋裁とかみたいに完全に消えるんじゃね? クラウドって、システムのセキュリティ以前に、ネットの向こう側に運用して いる人間がいる限り信頼できんと思うんだけど。裏で運用が何やってるかわか ったもんじゃない。 自分の履歴書とか経歴をアップして案件紹介サービスなんて、まさにクラウド システムの欠陥を示す典型例だと思うけどな。 コンプライアンス(藁 会社のメールやら基幹業務のデータなんてクラウドに置いた日には、金玉を 握られたも同然。 Googleあたり、裏でメールやファイルをスキャンしまくって、株式の動向に 影響を与える新製品情報とか、開発動向、財務状況などを公開される前に 察知して、株を売り抜けたり、買い占めたりとか、やらかしそう。 表向きの奇麗事はともかく、そもそもGoogleが目指す方向ってそっち方面 だろ?違うのか? メールを握られたらヤバくなるような会社って、 電子メールで根幹に関るような重要情報を扱い過ぎなだけだろ。 クラウド使うかどうか以前の、セキュリティー意識の低さの問題だわなw > メールを握られたらヤバくなるような会社って、 日本振興銀:検査妨害 元幹部5人を追送検 メール削除関与の疑い ttp://mainichi.jp/select/biz/news/20100727dde041020050000c.html 別にメールに限らず、クラウドでデータ預けたら最後、基本何でもアリだ。 仮想化技術を使えば、表のサーバーを経由せず、裏から潜ることだって できるって、バトーと石川さんが言ってた。 >>115 まぁそこだよな。 結局、データセンターに人がいるという点で、導入不可な会社はたくさんある。 その辺を理解したうえで、プライベートクラウドなんてもんが出てるんだろうけど。 それ、パッケージやんwwwwと。 インターフェイスに差が無いということを、メリットとするんだろう。 インターネットに対するイントラネットみたいなもんだな。 でもぶっちゃけ仕事やデータを下請けに流してる時点で いつ流出するかなんて時間の問題なんだし そこまで大事なデータでもないんだろう 昔のITスレなのに、現在の話で盛り上がっていた夏休みw 職場でタバコ吸い放題。 灰皿は空き缶。 そんな時代でした。 マシンルームでオープンリールテープのマウントとデマウントするときの 動きがメカニカルで好きだった 昔、HITAC3010でちょこっと仕事をしたことがある。 チーフ・オペレーターはまさにバカテク人。 プログラムのロード・ポイントを8進法のプッシュキーに入力し、 80欄カードのオブジェクトを読み込んで、修正箇所の8進法の機械語を プッシュキーに入力してやっとスタートする。 130氏のテープ装置がどういうものだったかわからないが、 3010のテープデッキはバキューム機構が無い構造で、 テンションアーム10本を使ってすさまじい音で回転。 磁気テープの密度は556CPI。 磁気テープはものすごく高価なので、今では考えられないけど ファイルを80欄カードや6単位紙テープで保存しているところもあった。 当時のコンピュータは標準的な仕様で導入するのが大部分だったけど、 なかにはユーザーの求めにより設計を一部カスタマイズするのもあった。 そういうコンピュータは標準仕様のプログラムが動かないことさえ・・・ 80欄カードなら読めるが紙テープは使う環境になかったので読めない。 &,1 A &,2 B &,3 C : &,8 H &,9 I -,1 J -,2 K : -,8 Q -,9 R 0,2 S 0,3 T : 0,8 Y 0,9 Z 昔は使える端末が限られていたのでコーディング用紙にプログラム書いて、 それを外部委託してキーパンチャーが入力して納品してくるのが普通でした カードをぶちまけてバラバラにしたことがある。 まじ、あせった。 キーパンチャーは時代の先端を行く花形職だったのだが、 いざ職に就いてみるとそれは単純労務職だったのだ。 結構いいとこの高レベルの女子高からかなりの数の超ミニスカートが入ってきた。 男はつらいよで寅さんの妹のさくらはキーパンチャーだったんだよ あー、ホストの停止ボタン押して首になっとけばよかったよ 就職して最初に使った電子式オートマチックコンピュータはな、 コンソールのMASTERボタンとCOINボタンが隣り合わせになっておったのじゃ。 んで、COINボタンを押すつもりがMASTERボタンを押してしまって コンピュータが瞬停してそれからおよそ半日かけてメーカーの保守員が 復元作業をやることがあったのじゃ。 なんどもこんなことをやってたらえらいことになる、ということで MASTERボタンに段ボールでつくった箱形カバーが付けられたのじゃ。 なを、COINボタンとは、console in、つまりこれを押してからでないとキーボード入力できない、 MASTERボタンとはコンピュータの緊急停止ボタンなのじゃ。 マシン室でJCLのパンチカードの束を抱えたまま床に突っ伏して寝てたとかって 聞いたことあるな。 俺はコンソールタイプライタに突っ伏して寝て、 印刷がバタバタバタと始まって起こされたことがある。 >>130 たまに、うまくテープの端を飲み込んでくれなかったりしてね。 そういう時は、リールを外してテープの端を剥がしてやったり。 磁気テープに磁粉液を塗って「こういうふうに記録されてるんですよ」と常駐保守員。 見事に0.6インチの磁粉が着かない場所が決まった間隔で現れる。 プログラマは専用の用紙にコードを手書きしていた。 実際に打ち込むのはそれ専門に訓練を受けたオペレータの仕事。 1人1台どころか1社に1台もマシンがない時代なので、 実機に触ったことのないプログラマも多かった。 どうしても期待通りに動作しない場合は、机上でのデバッグは当然として、 コンパイラの内部解析や、ハードウェアの回路設計まで疑った。 なので当時を知る世代には、電子回路に詳しい人も多い。 >コンパイラの内部解析や、・・・詳しい人も多い。 仮想記憶以前のメインフレームのCOBOLで、 ブロックファイル3つ以上のとき、添え字をゾーン形式で使うと レジスターのやりくりができなくなって2進変換エラーで落ちる、 という現象があった。 COBOLソースをアセンブラに展開したリストを追っていって突き止めた。 もちろんメーカーにこの現象を伝えたが、 「あ、そうですか。パックかバイナリーでやってください」・・・ わかってるよ!(怒) 障害が起きるとCEが現地逝ってメモリダンプを8インチFPDに吸い上げてくる。 それをメインフレーム上にローデイング。 JCLをサブミットしてメモリマップを出力。 該当モジュールのSS/DSのアドレスのダンプを出力してCOBOLソースをアセンブラに展開したリストを見ながら 片手に電卓持ちながら解析。 その障害ってどの程度のもの? えらく面倒そうな・・・ >>147 程度は関係ない。開発環境(コンパイル等)を実機に持てない(HD容量が無かった)専用機の開発の話。 ソース編集もコンパイルもメインフレーム上で行い実行モジュールのみダウンロードして実機に組み込む という開発方式。 DISPLAY命令は使えない。デバッガーはソース対応でなくマシン語に対応したものしか使えないから デバッグ時も展開リストと電卓は必須。 ハードウェア側に問題があると思われる障害が発生した時に、 データ破損のパターンから、磁気コアメモリの物理的な破損箇所を 特定したと言う話を聞いたことがある。 当時はまだ、メモリボードを構成する配線も磁気コアも、1ビット単位で 目視することも手で触ることも可能だったとのこと。 ちなみにその人は現在は定年間近の管理職。 磁気コアメモリは1980年頃まで現役。 当時を知る世代は高齢化しているがまだ現役も多いだろう。 紙テープ端末は2000年代に入って証券取引所から立会場が無くなるまでは証券業界で使われてた。 コアメモリが一般化する前には磁気ドラムや陰極線管がメインメモリーに使われた時代もあった。 磁気ドラムメモリーは数十K語。 水銀遅延線や陰極線管メモリーは500語未満。 フェライトコアメモリー → ワイヤーメモリー → 半導体メモリー 卒業して就職した年に盲腸で入院したが、病室の天井が穿孔紙テープの模様の吸音ボードだったw ソースを40行書いて400万貰ったことがあるよ。 ま、それだけ効果があったわけだけどw 時代が変わっても it 技術者 he でも her でもなく it だぜ。 物扱い。 紙テープというと、宇宙戦艦ヤマトで真田技師長が "地球より入電!"なんつって読んでたな。 当時の最新技術だったんだろう。 しかし、TV電話の概念はあったのか、 長官とは天井のでかいスクリーンで会話してたな。 ガミラス人と通信できるのは 確かに並みの技術ではない。 プロトコル推定でもしてる訳だ。 でも紙テープ。 書いたコードの行数に応じて金が支払われる契約もあったと聞く。 コメント行も、必要な行数としてカウントされることもあったと言う。 コメントで行数を稼ごうとするのはセコい奴であり、 プロなら余計なコメントで行数稼ぎをやるなと教育されたそうだ。 当時は記憶容量が極めて少ないため、あまりコメントを増やしてはいけない という事情もあったようだ。 いまだに、1日単位や1ヶ月単位で何ステップかけるかで、 プログラマの能力を判断しようとする年寄りがいるのは、当時の名残だ。 プログラムが完成したあとにステップ数を5割増しにする作業をしたりした。 開発時はサブルーチンを多用した方が実装からテストまでの効率が良いのでそうするが、 評価は沢山書いた奴の方が偉いということなので、実装時は裏でコッソリテストして、 完成を確認してから、サブルーチンをコピペしてベタに展開したりするよな。 あと、一度動作確認してしまうのでバグが出なくて、正式なテスト結果報告でバグゼロ になってしまうと逆にテストケースとしての評価が落ちてしまうので、わざとバグを埋め込む。 バグ件数が少ないとテストの信頼性を疑われるので、 事前にわざとバグを埋め込むのは今でもやってる。 ソフトウェア工学上、平均すると6ステップ毎に処理分岐があるので、 6ステップあたり1件のテストが必要で、そのうち5%でバグが発生し得る。 その通りの数字ならないのはテストがおかしいと言い張る、 コードを1行も書いた事のない、机上の知識だけの技術者が今もいる。 >>168 本当は必要のない入力チェックを入れたりね。 >>170 日立にそんな人がいた。 保有資格だけは立派だけど本当に何もできないおっさん。 プログラマがしっかりとテストをすれば、 バグの数は少なくなるのは当たり前なんだが、 みんなそれなりに動作したら、それで完成として テスターにまわすの? PCなんてものは存在しないので個人単位ではテストもデバッグも無理。 使えるオフコンは使用時間あたりの料金を取られる上、 電話回線経由での接続なので通信費もかかる。 余計なコストを可能な限り削減するため、時間も人数も投入して 紙に書いたコードを机上デバッグ。 実際にコードを入力するのはそれからだ。 > 使えるオフコンは使用時間あたりの料金を取られる上、 > 電話回線経由での接続なので通信費もかかる。 机上デバッグの人件費と比べてどうだったんだろうね。 学校にあったメインフレームが1秒10円だったと思うけど、オフコンはどうだろ コードを入力するのはそれ専門のオペレータだから、 バグがあって修正すると、その分余計に人件費もかかる。 再コンパイル、再テストもマシンを使用する以上は使用料がかかる。 可能な限り机上でデバッグしておかないと大赤字になる。 入力端末も共用で昼と夜まで8時間ごとに3人交互で入力とかそんな時代ですか? 今の入力端末に相当するのはパンチカード読み取り機、のような気が。 実物見たことないけど。 パンチなら、穴を開けるための機械があるだろ。 それへの入力が本来の入力だど。 カードの塊はメディアに該当する。 1960年代の世界原色百科事典で「電子計算機」を調べて見ると、 キーパンチャーが女性の新しい職業として注目されていると書かれていた。 >>184 実際1980年代後半までキーパンチャーは多くいた。 どんだけ早く叩けるか、、歩合給で並のプログラマーなんかと 比較できないぐらい稼いでた。 2001年頃からHTML+Perl言語のみの知識で、今現在大企業と言われるベンチャーに派遣等で入社。 派遣だとおおよそ未経験者(HTML+Perlのサイト構築経験有り)30万〜 派遣から偽装請負という名のフリーランスに転進すると、35万〜案件を3ヶ月程度で成果だして延長しないを続けると、 次案件より+5万〜の提示が可能になる。(2003年〜2008年頃まで) 25才頃で月60万確保(スキルはHtml javascrpt perl sql系 apache サーバーの設定ファイルいじり知識) これだけで、マージン抜かれた手取り60〜90の案件がボロボロ落ちていた。 2008年の半ば頃から単価下落+雑魚のスキルフォロー+精神崩壊 = やってられるかで独立 大不況の中の独立の為上手くいかず。。。 2010年 とうとう自己破産+生活保護+精神病(うつ病パニック) 一応ITバブルの波にある程度乗れた気がするけれど、今は廃人。 結果的に最悪だったけれど、60〜90取っていた6年間はまさにデスマ案件だらけだけど、定時+30分程度で帰れる位成長できたので 天国のような時期だった。毎日から二日に1度程度で風俗等に寄り道して帰る毎日。 ただ、2008年頃辺りから、外国人PGが増え、セキュリティやMVCの概念も理解せず、システムに最適な簡易フレームワークの作成も出来ないような エンジニアが増えだした。もう俺はエンジニアの仕事からシャットダウンしたんだけれども、 2010年頃になってから、偽装系や派遣系会社から、案件のご紹介電話やメールが増えだした。 単価はもう40万〜50万程度の物ばかりだけれども、求められるスキルは復帰してきた様子が伺える。 汎用フレームワークなんて使ってばっかいる時期があったからバグだらけのシステムで困ってるのかもしれないとか最近想像しちゃう。 まあ国全体が不況下の中、IT関連(WEB関連)の仕事が2000年頃〜2008年頃までプチバブルだった事は間違いない。 追記だけれども >>スキルはHtml javascrpt perl sql系 apache サーバーの設定ファイルいじり知識 これは今は常識的スキルになったけれど、当時は文献など少なかったし、sql周りなんて特にバグだらけ大変だった。 2003年辺りからここら辺の知識を理解しながらコードを組める人間が非常に少なかったのは事実。 >>セキュリティやMVCの概念も理解せず、システムに最適な簡易フレームワークの作成 これもキチンと理解して作れる奴が非常に少なかった。 これぐらいの知識で成功した富豪を上げるとMixiのバタラちゃん、DeNAの川崎ちゃん、Greeのふじもんちゃん辺り? ちょっとレベル落ちるとECCUBEとかOpenPNE手嶋辺り? 結局彼らは会社が成功しただけだからな。俺も同等のスキル持ってるぞ。俺は運がなかっただけだ。。。自分の選択も悪かったけれど。。。 そらC++やjavaが流行るまでのスクリプト言語はカオスよ。 >>188 いや、当時から常識的に使われてたけど。 底辺ITのお仕事でも使ってたぞ。 システムなんて出来て当たり前。 出来なかったらそいつが悪い。 出来ないと判断あるいは出来るやつは必ずいる。 設計図から部品データを画像処理で抽出・・・とか変態的なことやってたな しかも、超少ないメモリで もう誰も触れなくなって画像処理で部品抽出なんて誰もできないけど 昔の人は根性あった ちょっと前まで工場内でPC-8801が稼動し続けてた。 ほとんどBASICで作られたプログラムが延々と、 シリアルポート経由で設備の稼動状態を監視し続けてた。 何を言ってるんだ? 修理が出来ない=動かない(悪だ!) キーパンチャーか・・懐かしいなw コーディング用紙にシャープペンでコーディングしてフロッピーと一緒に提出して パンチしてもらった。よくコンパイルエラーが出たw 中にはお水っぽいコもいたな。今みんなどうしているんだか 今は自分で適当にエディター使ってコーディングできるから楽になった あんなもんいちいち人に頼めんよw パンチカードじゃないけど入力専門のお姉さんの職場なら流通系にあった もちろんお姉さん方帰ったあとの深夜作業だけどな orz 観光地などにあるメダル自販機の中には いまだにMSXで稼動しているものがある MSX懐かしいのー Tのパソピアの8チャンネルデジタル音でよく作曲したもんだw 今は昔、新採で入って配属されたのはコンピュータ設置準備室。 入ったときは導入する機種は決まっていてコンピュータ棟の工事が 2ヶ月後に始まろうという段階だった。 そんなある日、「我が社のコンピュータを是非導入してください」と 2人のセールスマンが来た。 出したカタログは、電子式卓上計算機。ま、確かにコンピュータだが・・・ 室長は笑いをこらえながら、ここで設置しようとしているコンピュータは こういうものです、とプレゼンに使った資料を出して説明した。 そして2人はそそくさと帰っていき、室内は大爆笑だった。 でも今やその卓上電算機メーカーが勝ち組になってる・・という落ちなんだろ?w あの名作ウゴウゴルーガのCGはMSX2で作ってたんだってな。 俺もMSXturboR持ってるよ今でも。 大学の頃、ボート部の船のレンジやバーなどの数値計算するのに重宝したもんだ。 大学の電算室に行けばmathematicaが使えるのはわかってたけど、 逆三角関数はまだ入ってなかったからな。 今はフロッピーのゴムが伸びちゃって、BASICかROMカセットしか動かないけど。 10年前に聞いたときは、パナソニックは在庫を切らさないように 数年に一度ゴムベルトライン稼働し続けていると聞いたが、今はどうなんだろ。 ちなみに20代です。 ウゴウゴルーガのCGはAmiga、らしいぞ(ジャー) ttp://web.mac.com/kudan/kitune/AMIGA.html オランダに、MSXのフロッピーのゴム等の補修部品を扱う店があり、 それだけを目当てに現地へ行く日本人もいたと聞いた。 零細の個人商店なので、海外からの通販など受け付けておらず、 オランダに知人でもいない限りは自分で行くしかなかったそうだ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.5 2024/06/08 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる