昭和の暮らしを懐かしむスレ・26丁目
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>>283
確か昭和58年頃までは記憶に有るけれど、ポケットからニッキの切れっぱし見つけた母親に棄てられた。何でもチクロがどうとかで、えらく怒られた覚えがある。何があったんだろうか? >>291
訳判んない着色料や甘味料が入ってるもん買うなというこってしょうね。
駄菓子屋は昭和50年代後半に軒並み閉店したなあ。
末期は闇ゲーセン化して、女子や大人しい子はDQガキに追い払われた。
んでファミコンが台頭して追い払われた子達が戻ってくることもなくDQガキも行かなくなり店主の高齢化も重なって
廃業。 >>291
人工甘味料、チクロが使用禁止になったのが昭和40年代半ば〜後半ぐらいだったかねー?
佐藤さんて子のことをチクロと呼んでおちょくった覚えがある。 子供時代の駄菓子屋だった所をめぐってみると、既に駐車場になってたり新しい家が建ってたり、空き店舗のままで
放置プレイの場所もあったり。 子供の時うちの前の個人商店でアイスとか子供向けの駄菓子とか売ってた。
調味料とか米とか牛乳とかも売ってたけど。
割と最近まで高齢者の顔なじみさん相手にやってたけど、ついに認知症で施設にいってしまった。
食パン買いに行くと、その場で6枚切とか8枚切とかサンドイッチ用とかにカットしてくれるんだよね。
それ以外にパンは置いてなかったと思う。
母親に言われてよくお使いにいった。塩買ってきてだのパン買ってきてだの。
目の前だから小さい時でもお使いに行けるしw 店の表に雑誌のスタンドが立ってたりするパン屋さんや酒屋さんってあったよね。
かつて近所にあったそういうパン屋さんは、雑誌コーナーが三段ほどの木製棚で50冊前後とえらく充実
してた。
立ち読みしてると注意もされるけど基本は鷹揚なので、雑誌やパンやお菓子はそこで買うことにしてた。
そして、その店が建て替えられることになり、外でパン修行をしていた息子が経営することになった。
綺麗でおしゃれな、トングとトレイでパンをレジに持って行く手作りパン屋さんという風になったけど、途端に
雑誌コーナーがしょぼいスタンドに10冊前後に縮小、立ち読みしてると口うるさく注意されるようになったので
自然と足が遠のいていった。
つい最近見てみたら、パン屋はとっくに閉店してて調剤薬局がテナントとして入っていた。
立ち読みの是非はあっちへ置いといて、読ませてもらうからここで買うという選択をするということがどうして
判らなかったんだろう。
今でも読ませてもらうところでは努めて何か購入してます。 昔と今とじゃ情報伝達の速度や手段がケタ違いなので一様に比べることはできないが、
新品の本に透明カバーつけられて立ち読みできなくなったあたりから俺は書店から自然と足が遠のいた
今や個人経営の書店は絶滅危惧種、郊外型の複合大型書店も年々減る一方で、
猫カフェ図書館という新たなスタイルが人気を博している
減ったとはいえ紙媒体需要を喚起する方法は現在でもあるのだなと知らされた 漫画の単行本がシュリンクされるようになってから、三回ばかり外れを引いた(印刷がかすれてる、その逆にインクが濃すぎて
べたっと滲んでるページがある)事がある。
こういう場合はどうすればいいのだろう。
購入店舗に持っていけばいいのかなあ。
シュリンクされてなかったら外れを引くこともなかったのにと思った。 立ち読み客で屁をこぐ人はまれだった
何故か最近の中高年男性は平気でぶっ放す 昔は他人のいるとこで屁をこくようなジジイは弱ってて外に出るやつが少なかったけど、最近はそこら辺まで開き直った年寄りが元気に外出て屁〜こきまくってる予感。 いやいや、
子供の頃は床にヘンな毛が落ちていても気にならなかったろう?
イイ年になって自分が人前で平気で放屁できるようにならないと、他人のフリー放屁も感知できないのよ。 >>301
人前で、電車の中で平気で放尿するババアというのがいてだな 平成だけど立ち読み中に「屁〜こきましたねあなた〜
誰もいないと思って〜 屁こきましたね屁こきましたね屁こきましたね」
って曲が流れて必死で笑いをこらえたわ >>304
職場で仕事中、有線から流れてきたことがあった。
みんな堪えもせず大爆笑。リクエストまでして何度もへらへら笑ってたら、流石に社長に怒られた。 たまたまその社長がすかしっぺした後だったんじゃないのか?w 紙石鹸がやたら流行った時期があった
小さくてきれいでちょっといい匂いがするけど非実用なやつ
男子はスーパーカー消しゴム、女子は紙石鹸て感じだった うちの弟は怪獣消しゴム派だったので、、スーパーカーはほんの数台持っただけで見向きもしなかった。
キン消しは世代がずれてたのでこれも数体持っただけ。 爆風スランプの「無理だ無理だ亀の腹筋♪」
って曲が給食中掛かって爆笑した覚えがある
爆風スランプはランナー以前はコミックソング
のイメージ強かったな 鳥類と爬虫類は、体を前後に曲げることが出来ないそうです。
鳥類は全てが、爬虫類は種類によっては体を左右に曲げることも出来ません。 >>309
セックスセックス無理だ人魚のセックス
を校内放送で流せたというのは羨ましい。 >>307
紙石鹸w 流行は短かった気がする。
そりゃ石鹸がペラペラの紙だと何なんだよって商品だったもんなあ。
兄は電車派で車はイマイチだったなあ、父親も電車派だ。
でも全く違うタイプなので特に情報交換の会話なしw
急激に変化した時代だから、親も色々と大変だったのかなと今になって思う。
自分の親がしてきたことや自分が見てきたことがどんどんなくなっていくんだから。 リリアンは作るやつじゃなくて、できた紐なら釣竿の穂先に使われていて大活躍中。
メーカーによっては、リリヤンと書いてある。 >>314
外出先でちょっと手を洗う時には便利だったろうけど、今はどこにでも液体石鹸があるからねえ。 >>311
多分流してなかったと思う
その代わり吉川晃司「モニカ」の完全版みたいなので
教室がザワついた
吉川が冒頭で「セック(ス)セック(ス)・・・」って呟く奴 >吉川が冒頭で「セック(ス)セック(ス)・・・」って呟く奴
あれは滑舌悪くてそう聞こえるだけで歌詞はサンクスじゃなかったっけ?
なんかの番組で「どう聞いてもセックスセックスもう一回に聞こえる」とネタになっていた記憶がある ohセックス セックス セックス セックス もう二回 >>319
来日直後のケント・ギルバートが日本は凄い国だと驚いたそうだ。 来日直後の進駐軍が近畿グレートリングを知って日本は凄い国だと驚いたそうだ。 ロシアで、日本兵が上官に「海老原少尉どの!」と呼びかけた時、ロシア人が仰天したという。 満州国ではヱビスビールは商品名のせいでぜんぜん売れなかったそうだからな。 昔々、北海道の日本海北部に羽幌炭鉱という大規模な炭鉱街があった
「煙の少ない羽幌炭」なる高品質な石炭として知られ、町は活気で満ち溢れていた
この日本海側で採れた石炭を東の名寄地区、さらにはオホーツク海側に運搬すべく、
国鉄は「名羽線」なる新線の計画に着工したがそこには国鉄が羽幌炭鉱をひいきしていたからという背景がある
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戦後、日本の炭鉱はどこも組合が結成され、それを都道府県や全国の労働組合が統括していた
1951年、日本炭鉱労働組合が賃上げ要求などを求め、全国的にストライキが発生した
およそ8割から9割の炭鉱が休業状態となり、国内の備蓄石炭がほぼ空になってしまった
特に九州では三井・三池系の影響が強く、これらが組合側に回ってしまったことにより、
三菱・住友系の炭鉱が出炭を急ぐ形となり、一時は北海道の石炭が関西で使用される光景も見られた
そんな最中羽幌炭鉱においては早くから現場改善、職員改革などが進んでおり、
大規模鉱では全国で唯一の日炭労非加盟炭鉱として独自の環境や文化が築かれていた
ストが一ヵ月に突入しようという頃、国鉄や電力会社が零細鉱まで石炭を買い集めていた
この危機を救おうと立ち上がったのが羽幌炭鉱だった
同鉱は「国鉄援助」を掲げ、築別坑・羽幌坑・上羽幌坑で全力で採炭を行い国鉄に向け石炭を運び出した
特に上羽幌坑に至っては羽幌森林鉄道の貨車に野積して羽幌駅まで運び出したことも
それらが功を奏し国鉄は必要最小限の減便で済み、道内の支社共に石炭の供給が行われた
ストは60日を超えたあたりで終わったものの、事態が正常になるまではおよそ半年の歳月を要した
その間も羽幌炭鉱は国鉄に対する協力を惜しまず、羽幌炭鉱の一層の繁栄に国鉄も応援する形になった
当時羽幌炭鉱が切望していたのは名羽線の開通だった
そこで国鉄はその恩を返す形で名羽線の早期着工を決めた 吉川晃司も紅白歌合戦以来20年くらいNHK出入り禁止になってたけど
最近は許されたらしいね >>329
最近ドラマにも出てなかった?
ギターにブランデーぶっかけて火を着けたんだよね。 >>328
九州・常磐に比べ北海道の炭鉱が遅くまで残ったのは
そう言う理由もあるらしいね
もっとも
北海道だと代わりの職がない。ってのもあるが。 >>330
おかげで河合奈保子がデビューの出だしが歌えなかった 吉川晃司はTo-yの主人公は自分がモデルと思ってたら
脇の黒髪がモデルと知って軽くがっかりしたと聞いたことある >>335
吉川晃司がモデルと思ってたわ・・・
体型とか踊りとかめっちゃ吉川晃司だったしw
顔は違ったけどさw 80年代前半泥臭い絵が多い中To‐yのファッションや
細い線で書いた絵はおしゃれで新鮮だった
秀郎だったっけ?おしゃれな服着てモペットをシャーと
漕ぐ場面がカッコ良かった たぶん昭和の頃にテレビで見たコンビニの躍進とかいうテーマの番組
こちらのお店ではお弁当の売り上げが好調とのこと
それにはある秘策がありました
朝と昼はおにぎりやサンドイッチといった軽めの品を
夜はからあげ弁当のようにしっかり食べられるものを増やしているんですねー
このように時間帯に応じて仕入れを変えるという工夫
コンビニのお弁当商戦から目が離せません!
現在の基準で見れば何を当たり前のことをと思うだろうが、当時は画期的だったんだよな >>312
この歌好きだったんだけど、よく歌詞を読むと「人妻に惚れてちょっかい出したけど、断わられて残念」って内容だった。
発売当時から40年近くたった最近わかって、ちょっと衝撃。 YouTubeで赤尾敏の選挙演説見ると、至極真っ当なことを言っているように聞こえる >>325
意味が分からん
ロシア語で「エビハラショウイドノ」と聞こえる言葉があるのか
ハラショーが凄いとか感嘆の意味だっけ
エビやドノがロシア語にあるのか つらまらんシモネタを延々やってるから小馬鹿にされてるんだろ
アホの子にはわからんか >>344
ロシアからきたボクサーがジムの大先輩の苗字から「ユーリ海老原」のリングネームを付けてもらったけど、どうしてもエビと呼ばれる事に我慢が出来なくて、改名したね。 ユーリのは、またリングネームが気に入らないからゴネたのかと思っていた。 >351
不満の矛先を外国に向ける昭和になかった。
平成に入ってから外国に五月蝿い日本人が増えてきた。 昭和は、日本が悪い以外は全く認められなかったな。ここが日本のおかしいところ変なところ、日本は大虐殺をした、日本くらい醜い国は無い!の一色だった。 昭和に比べて平成って元号は当初酷評されたけど
ぶっちゃけ元号なんてどうでもいいわな >>357
おまえは「大正→昭和」と「昭和→平成」の改号における民意をそれぞれ公正に比較判断できるのか? >>356
朝日新聞社が大学生の人気企業ナンバーワンだった時代だもんな
今や上位100位にさえ入ってないが 唐突に思い出した。
女の子とばかり遊んでる男の子は
「女の間に男が一人 赤ちゃんできたらどーすんの」って囃し立てたな。
どーすんのって言ったって認知するしかねえだろう。
つか、今の時代にそんなこと言ったらLGBTがどうのジェンダーがどうのと親が総攻撃くらうわな >>358
何トンチンカンなこと言ってんのこいつw
「どうでもいい」って言ってんだろがw >>360
群ようこのエッセイで、女の子と遊ぶと必ずお医者さんごっこをする金持ちの息子という話があったのを思い出した。 ラジオなどのトップ20番組などで、普通に洋楽が日本の歌に混じって入っていたな。 リクエストはがきを出すのを友達に頼まれて手伝った思い出w
はがきは友達もちで70枚書いた。
当時は40円だったと思う。
合計では200枚は出してた。 不二家の千歳飴がみつからなーーーい!
昭和後半〜平成初期には、フツーにスーパーで売ってたよね? え?スーパーに?
あれ不二家の店に行かないと無い物だと思っていた 季節物だからじゃないのか?
ttps://www.fujiya-peko.co.jp/cake//753_sale.html >>369
もちろんシーズン物のスポット品としてだけど、昔は七五三が近付くとしばらく置いてあったんだよ、ピンクのと白のと。
そのうちペコちゃんの金太郎飴タイプのとか、チョコが千歳飴的棒状になったのも出てきたかと。
しばらく存在を忘れてたんだけど、今年、どこの店でも遭遇してないことに気付いた。
秋口からハロウィン物で、ハロウィン終わったらいきなりクリスマス物。 そういや、ペロペロキャンディって見た目は外連味があるけど喰いにくいよね。 なめかけのやつ放置すると唾液で臭くなるんだよね
だから最後までなめきったことがない >>207
小学生の時に栗田ひろみ・三木聖子の大ファンだったな。
城みちる・紀比呂子のファンもいたな。 >>374
ああいう大げさのでなくていわゆるお菓子お菓子してるやつね >>364
コンサートでカバーした歌手
早見優 Frank Stallone Far From Over 千歳飴はピンクの方が美味かった覚えがある
あれって色が違うだけで同じものなのかな じゃあ気のせいだったんだなw
なんかピンクの方が甘くて美味しかったんだよ 普通にフラシーボ効果じゃね?
かき氷のシロップは色と香りは違うけど味は基本的に同じみたいな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています