昭和の暮らしを懐かしむスレ・26丁目
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
世相反映だからガキの頃サザエさんの原作見ても意味わからなかった
昭和史をある程度覚えてから面白く感じた
サマータイムをサンマータイムって言ってたね 月曜日は月光仮面
火曜日は母ちゃん殺し
水曜日はスカートめくり
木曜日は
金曜日はキンタマつぶし
土曜日は毒薬飲んで
日曜日は死んじゃった
木曜なんだっけw すっかり忘れていた微かな記憶が今ここに。w
でも、木曜日は何だったかは思い出せない。 くるぞ くるぞ くるぞ くるぞ てごわいぞ
いけよ いけよ いけよ いけよ まけるなよ サスケのオープニングのカッコいい語りが、当時子供すぎて解らなかった、何かすごいことを言ってるみたい?だった。大人になってCSで見てやっと意味がわかった。 >>191
随分とお上品だなあ
兵庫県南部はこうだった
月曜日にゲッツいウンコ
火曜日はカイカイおケツ
水曜日は水洗便所
木曜日はモクモクおなら
金曜日にキンタマ(以下失念) 会社でアニメ好きな後輩と話をしたが
俺が子供の頃は毎日アニメ放送があったが、ビデオが無いから1回見逃すと再放送を待つしかない
今はアニメ放送は少ないが、見逃してもネットで見られるし、DVDで昔のアニメを見る事ができる
どっちが良いのかな? って話になった >>196
子供のうちはDVDは親が選んだのしか見られないことがあるし、ネットや有料放送は経済的に恵まれてる家庭しか
利用できない。
大都会には昔の番組を再放送してくれるテレビ局はあるけど地方にはない。
現在放送中の作品はともかく、過去の番組に関しては現在の方が特に貧困家庭と地方は圧倒的に不利な状態に
あると言える。
都会の子が無料で当たり前のように享受できる物をお金を払わないといけないのだから。
テレビ局が少ない地域は勿論不利だけど、民放が三局以上ある地域でも朝と夕方の同じ時間に一斉に同じ内容の
クソ益体もないニュースワイドしかやらないから、局数が沢山ある意味そのものがない。
独裁政権国家じゃあるまいに、いっぱいあっても意味がないんなら廃止して統合しろ。 自分がガキの頃は、チャンネル権は親が独占していたから、親のいない時間しか自由にテレビさえ見られなかった。NHK特集などを親が必死で見ている時に、咳払い一つしようものなら、これ以上ないくらい怒鳴られたりもしたな >NHK特集
今や、NHKなんて力を入れて観るもんじゃないよねw
ヤラセもある(あった)し、ネタ元や取り上げる学説も怪しいし、ストーリー?・編集も見え見え。
昔のNHK特集なんか今観ると笑える。
民放より真面目ぶってるだけ(真面目ぶってるから余計にタチが悪いと思うのだが)。
当時のNHKへの信仰?はなんだったのかと
(個人的には、NHKを真剣に観てる人はバカなんじゃないか、と思うw) >>198
平成の話になるけど1998年頃
夕方のアニメ放送が無くなり、子供向け番組が減った頃
CATVでアニメの視聴が出来る子と、CATVを導入していなくて見られない子の
情報格差と言うかアニメ格差が有ったな >>196
いま、幼児向けのアニメは多くはなさげだけど、大きなお友達向けのアニメは溢れかえってるじゃん。
MXなんて毎日アニメだらけかと。 >>202
大都市圏の人しか享受できないから意味なし >>203
時間差あったりしてもローカル局で放送してないもんなの? テレ東のとかも? 民放イコールおふざけ、NHKイコール真面目で正しく正解、という神話が凄かった。NHKで言ってたから間違いない!みたいなのがあった。 大晦日・正月は全ての店が閉まるから
買いだめしなければならない
今はいいよね〜
アニメは鉄腕アトムだった
マジンガ-ゼット
デビルマン
忍者ハットリくん
キャンディキャンディ
リボンの騎士
昔はよかったな〜
夕方〜夜にかけてアニメいっぱいやってた
洗濯機は2そうしき
そうだねうちも玄関の鍵なんてかけたことなかった
いつでも玄関はあいてた
平成になって鍵かけるようになった不思議
戸締り用心火の用心とかCMのせいかな? 昭和の大スターっていったら誰だろう
いっぱいいすぎるけど
西城秀樹さんもそうなのかな
自分の子供時代はピンクレディ・松田聖子・中山美穂・光ゲンジ・おにゃんこがアイドルだった
大人になってカラオケが流行って華原朋美ちゃんすてきだった
安室ちゃん華原朋美ちゃんあたりからアーチスト呼ばわりになったな〜
今その人達の動画見てなつかしくて感動する
AKBあたりでまたアイドルもりかえしてよかったね
平成の大スターアイドルって誰だろうAKBかなぁ?
スターって言葉も、もう使わないのか >>204
ローカル局って、自社制作の情報バラエティ()ばっかりに力を入れてて、テレ東系は遅れ放送の上に中途打ち切り
なんて朝飯前です。
再放送枠に至ってはありません。
そのくせ過疎は嫌一極集中望ましくない豊かな自然がある(何も与えられないことをごまかす奴の常套句)田舎に
住もうと言うお為ごかしばっかり。 フロッピーディスク一枚で充分だったあの頃、1MBのデータを送るのにテレホーダイ使って一晩かけて送った。
そのうちソフトウエアが肥大化してWindowsのインストールにフロッピーディスク12枚とか使うようになって部屋の中がフロッピーディスクだらけになった。
テラバイトなんて遠い未来の空想の世界でしかなかった。
今じゃ動画を溜め込んだりしたら1テラじゃ全然足りない。
どうなっちまったんだ?この世界。
ジョニーニーモニックって映画で運び屋のメモリーが100MB未満で鼻血出したとか、今見ると幼稚な世界。 CD-ROMが初めて出たとき、「日本で発売されているソフトウェア全部が
これ1枚の中に入ってしまう」というような紹介のされ方だったな。 昭和の時代だと
フロッピーに月次データを吸い上げ、郵便で送る。だったな。 カセットテープは昭和だよね
カセットテープ→でっかいフロッピー→小さいフロッピー→硬くてちっちゃいフロッピー→一瞬で消えたMO
MOが可哀想だった
CD-ROMが出てきたからすぐ消えていったな MOにもいくつか違う規格があるが、3.5インチMOならCD-ROMよりずいぶん新しいぞ。
なにより、一度焼いたらそれっきりのCDとリライタブルなMOじゃ使い方が全然違う。 MOとほぼ同時期かちょっと前ぐらいに100MぐらいのZIPとかいう円盤があった気がした MOはあまりにも遅すぎたからなぁ
昭和の時代だと紙テープだろ
さすがに使ったことは無いが MOは、ゲー○やソフ○のコピーとか、ダウンロードして集めたCGデータとかの受け渡しに重宝してたな。
ZIPドライブは短命だったね。 同時期にMac用のJazzドライブとかいうのもあったな。使ったことはない。 バイオハザード2あたりの物語の終盤でセキュリティドアを開くのにMOが必要というシーンがあった
あの頃見たMOは近未来アイテムだったのになあ パトレイバーでもOSはMOでインストールしてたような ミッションインポシブルでトムクルーズ使ってなかったっけMO? 多分MOかな?
PentiumUの300が化け物扱いだったような ベータマックス
ビデオディスク
EPSON 98互換機
ZIPドライブ
HD-DVD
俺が選ぶ商品は必ず市場争いに負ける
こち亀に俺みたいな奴いたよね カセットのテープが絡んでグチャグチャになることを「ワカメちゃん」と呼んでいた >>225
スレチになるが
VHSでの勝利移行、SDカードの勝利まで
規格戦争においてパナソニックは連戦連敗だったんだよな 学生の時に運送屋のアルバイトで、コンピュータ用の金庫みたいな頑丈で100kgもあるパンチカードケースを非常階段を使って二人で運んだっけ。 体育の後ブルマーをはいたまま
ブラウスとジャンスカ着て
わざと男子の前でスカートばっとめくり上げて
ビビらす遊びをしていた
女子たちが男子をむりやり
女子便所に押し込んで閉じ込めたりもしてた
小学校の時の話ね 女物の下着が今より小さくてエロかった
今は専門店以外で普通に売ってるものは
デカくて分厚いゴテゴテした刺繍が入ってる物が殆どで
色気ゼロ 別に鉄道マニアじゃないけど、あのぶ厚い時刻表を見るのが結構好きだった
特急とか寝台列車の行き先を目で追っていると楽しかったものだが
今はこの時刻表も廃刊の危機らしいね
今やスマホでどこでも調べられるからねえ 戦前生まれの爺さんから聞いた話
昭和30年代、千人ほどの山奥の村に一軒のパチンコ店があった
設置台数は百台ほど、木目の床、手打ち式のハンドル、客はみんな顔見知りでほとんど常連が支えていた小さなお店
そこでバイトしていた若い頃の爺さん、ある日常連のAおばさんに「困ったことがあるので便所に来てくれないか」と呼び出された
ホールに併設されていた男女兼用のくみ取り便所へ赴いたら、Aさんの財布がポケットから便槽へ落ちていたのだ
常連客の頼みだから仕方ないと爺さんは細長い角材を数本持ち込み、巨大なピンセットの要領でなんとか財布をつまみ上げた
「外のホースと水場使っていいから、洗うのはAさんやってよ」と言い残して爺さんは店に戻った
しばらくしてからカウンター係りのおばちゃんが首を傾げてる
あの頃は客がカウンターの係りに金額を伝え、その代金分の玉を借りるというシステム
「Aさんが『今日は大勝負だ!』と言って千円札出してきたんだけど、妙に濡れてるし臭いんだよねこれ」
爺さんはすぐにAさんへ苦情を言った
明らかにさっき便所に落した金だろ、こんなもの店で使うな!と
しかしAさんも金には違いない、偽札なんかではない、どこで使おうと自由だ!と逆ギレ
そっちがその気ならと爺さんとパチンコ店も策を練った
そのお札がすぐに特定できるよう赤ペンでマークを入れ、他のお札と明確に区別する形で換金所へ
その日のAさん、ウンがついたとやらで久しぶりに勝ったとホクホク顔で換金したらそのお札が混じっていた
A「明らかにさっき便所に落した金だろ、こんなもの店で使うな!」
店「金には違いない、偽札なんかではない、どこで使おうと自由だとあんたがそう言ってただろ!」
騒ぎを聞きつけて他の常連客も集まってくる
「自分でクソまみれにした金を使うのはOKで受け取るのはダメとは、なんて図々しいババアだ」と非難轟々
ほどなくしてAさんは出入り禁止を食らい村中の噂になってしまった
ところが本当にウンがついてしまったのかその後Aさんの家は立派な豪邸となり、村でも有数の資産家となってしまった
いわゆる金の亡者というやつで付き合いは非常に限られていたが、そのうちの一人の証言によると、
「例の聖徳太子図柄の千円札を額に入れて今(平成初期)でも大切に飾ってある」とのこと >>233
俺も。
体操服に編み笠という、珍妙な格好で踊ってる写真が残っとるわ。 >運動会
変な応援歌も有ったな
歌詞に「月桂冠」とか入ってたり いわゆる「良い話」だとは思わない
何か教訓があるわけでもないしな
しかし純粋に面白い話であると思う
ウ○コは極端としても、昭和ってほんっとあちこちから生活の匂いが漂っていたんだよな
木目の床やこういう有機物の成分を感じ取られる話は好きだ 夕方になれば家々から魚を焼く匂いだったり、カレーの匂いがしたり。
今はそんな事も稀になっちゃったね。 ウエイトレスさんがつけてた白いレースのキャップ、
メイド喫茶以外では完全に見なくなったなぁ 中学校が木造校舎だった
冬は後ろの席が寒かったけど今思えば造りとか味わいがあってよかったな 中一木造
中二プレハブ(新校舎建設中のため)
中三鉄筋
木造の時はトイレもボットンだったなあ... >>247
木造の床に小さな穴が開いてたりしてソコへおむすびコロリン。とか 小中は校舎鉄筋だったけど机と椅子が木製だったな
中3の3学期がちょうどスチール製と切り替わる時で
木製のが捨てられると聞いて誰かがもったいないと言い出して
クラスで会議してうちの組だけ木製を使わせてもらった思い出がある
落書き・彫刻・塗装し放題で楽しかったな
卒業時にもらって帰った人も複数いた これでチョコフレークがバカ売れして日清食品の株がまた上がっちまうな。 >>247
丸くて転がる消しゴムがあったら店ともらいたいもんだが。
色鉛筆とかだったらわかるが。
くそっ!雨がひどくて店に着いたのに車から出られん。 使い古しの消しゴムは、減って丸くなるものだよ。
そしてよく転がる。 うちのたった1本の短い鉛筆を、水原さんが野球ゲームのさいころ代わりにしよったけえ、転がって床の穴に落ちてしもうた… 古い木造の小学校が解体されたら、
窓枠の辺りの外壁と内壁の間に
牛乳瓶の蓋がみっちりと詰まっていた 消しゴムは昔の方が凝ってたな
マスコットケシとか透明ケシを使ったけど綺麗に消えないから結局
ロングセラーの白くて実用的なやつ使うようになる 練り消しが流行った
香りつきのものも出てたな
綺麗に消せないから結局はMONOかKEEPとかの消しゴムに戻るんだけど 10月1日は「uniの日」なんだと。
鉛筆にオマケが付くってのが今では考えられないよな
ttps://gamp.ameblo.jp/unit-ryu/entry-11626276433.html >>260
色とりどりで色んな形の匂いつき消しゴム、今でも100均にはあるけど今の小学校では全面禁止らしい。
これに限らず色付き飾り付きヘアゴムキャラ文具禁止校則があるけど、とんでもねえ手癖悪やジャイアニズムの
クソガキに手を焼いたりしたというのが本当の理由みたい。 >>263
あー校則禁止だから見かけなくなったのね
80年代は学校の売店でもA型専用のメモ帳みたいな
ふざけた文具売ってたな >>264
今の子達は学習塾用の筆箱(キャラ文具シャーペン変わり消しゴム入り)と学校用の筆箱の両方持ってるみたいだね。
家庭学習には校則で学校に持って行けない物や、サイズが短くなった鉛筆を使ったり。 >>265
文房具ぐらい違反しても良いのでは?って思うけど
些細なことで先生に反抗しても悪目立ちするだけだもんね
DQNに盗まれるのも嫌だし ノートもかつてのようなカラフルでファンシーなものは消え去り
キャンパスノートの表紙にデコしまくる文化が生まれた >>266
保育所時代、年長になったら硬筆のお時間があったんだけど(うちの地域は保育所も大半が児童獲得のために
幼稚園レベルの勉強や躾をやってた)小学生の兄姉のいる子は色とりどりで色々な形の香り付き消しゴムを持って
きて、そんな物の存在も知らないままに親が買いそろえた純ゴムの無骨な事務用消しゴムを持って来た子のことを
「うんこの匂いの消しゴムwww」と虐めてた。
人のを盗む子や恐喝する子、買ってもらえなくて店で万引きしたりする子の他にもこういう事をやるバカもいるから
持ち込み禁止になるんだよね。 >>255
消しゴムが机から落ちてバウンド
そう言うことが考えつかんのか? ttps://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-d2-0a/mabou1/folder/946399/30/31028030/img_0?1403573850
昭和の球形消しゴムゆうたらこれやろが!! クレクレタコラが流行ったタコチュー消しゴムは消しゴムとして使われたが
昭和50年前半のスーパーカー&大相撲消しゴムは勿体無いんで使われなかった >>269
2日間も考えて思いついたレスがそれかい w >>271
消字能力を優先すると、可塑剤が多めになり細かい細工を施すことが出来ないし、細かい細工を施すことを
優先すると、消字能力が落ちる。
結果、消しゴムという名の消しゴムではない玩具が出来るのです。
ちなみに、キャラ消しは実は戦前からあった。
ゴム字消しを任意の形に型抜きして、キャラの絵をスタンプしたもので、ベティちゃん、のらくろなどがあったとか。
(この時代の消しゴムは純ゴムだったので、インクは消しゴムにしみこんで消しゴムからは落ちにくかった模様)
学校からも「ご褒美消しゴム」と称して級長や一等賞という判が押された消しゴムが配られることがあったそうです。 タコ型消しゴムは受験前に予備校が配る定番のお守りだった。机の上に置いておくだけで合格するという。
「置くとパス」というしょうもないダジャレなのはいうまでもない。 >>270
ひぁー、懐かしい。ウチにも有ったよ。
画像見るまですっかり忘れてた。 >>276
これ、凄く欲しかったんだけど、当時まだ5歳だったので、「これは、ちうがくせいやこうこうせいのおにいさんおねえさん
しかかえないんだ」と自分に言い聞かせて諦めました。
トンボモノの首チョンパも同様の理由で諦めた。 メロンのにおいがするエンピツとか変なもんが流行ったなあw
消しゴムもフルーツ系の物が結構あって、カジるやつとかいた。
やっぱり子供用に無駄に食べ物のにおいをつけるのは良くないかもw
わら半紙食べるヤツとか大抵いたよね。 >>277
ウチは兄貴が買って貰ったんだと思うけど、物心ついた頃から在ったな。
ただ使い方が良く解らなくて、消しゴム付きの鉛筆みたいに鉛筆のお尻に差して使ってみたり(重くて使いにくい)、3つの穴の意味がよく解らなかった思い出。 >>280
女児向けファンシー文具というのは実は戦前からあったんだけど、女学生のような我欲がコントロールできる
世代が本来のターゲットだったというからねえ。
それを、我欲のコントロールもひったくれもない年頃の子が持ちゃあトラブルしか起こさんわ。 >>280
紙を食うってか噛む商品まであったぞ。
駄菓子屋で、藁半紙というかボール紙というか、なんか赤茶色の紙に味がついてる「ニッキ」ってものが売られていた。
ちぎってクチャクチャ噛む。 自分の文房具の思い出は、レンズになってる下敷きだったな
これは、フレネルレンズといって下敷きのような薄くてもレンズになるというモノ
普通の下敷きと同じような材質で、ただレンズなので透明で色は着いてなかった
随分と大事に使っていたけど、いつのまにか知らないうちに無くなっちゃうんだよね
ちなみに、晴れた日にこのレンズの焦点に紙を置くと、一瞬で燃え上がるという罠
冬でも十秒、夏だとホントに一瞬で火が付く、それで今は売ってないのかも >>284
透明な平らな板にレコードみたいな溝がついてたやつか ソノシートって言う簡易レコードもあったね。ビニール製のペラペラのやつ。
赤や緑の透明なのが多くて、絵本の付録とかについて来た。 >絵本の付録のソノシート
今や、音声ファイルか動画のURLのQRコードだもんな 音楽で思い出したのが喫茶店にあったジュークボックス、100円で1曲か2曲聞けた
そしてテーブルのテレビゲーム、インベーダーが流行るまでは風船割り
ブロック崩しのやつがあった >>283
だから学校で普通のわら半紙食べる生徒がいるのかw?
でも私はその商品知らない。
>>288
そう、今は何でもQRコード。自分のスマホで観てねって。
物は増えないしお手軽だけど、いいんだかどうなんだか。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています