昭和の暮らしを懐かしむスレ・26丁目
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高度成長期の日本の状況
・ハワイが一生に一度いけるかどうかの夢の国
・パイナップルの缶詰がぜいたく品
・うなぎ、マグロ、牛肉は庶民の口にはめったに入らない
・お菓子といえば、焼き米、かきもち
・川は公害で真緑色、海は赤潮で赤色。背骨がグネグネの魚が取れる
・発がん物質DDTを頭からぶっかけ。今は使えない危険な農薬も使いまくり
・公害病が各地で大発生、交通戦争、受験戦争
・バリアフリーなんかなく、障害者になったら一生病院か蔵の中
・中共の気違いがぼかすか原爆の空間実験をしていたから雨に濡れると頭が禿ると親に叱られた
・人さらいが横行してたから5時過ぎまで外で遊んでると「サーカスに売られてしまうから」という理由で親に殴られた
・どぶ川はメッキ工場の青酸廃液できれいなエメラルド色がデフォ
・ソーセージ工場からは肉の生残滓がものすごい蒸気とともに排出されて即腐敗
・とにかく街中工場排煙とドブ泥、腐敗臭が満ちていた
・クラスに2−3人は小児喘息をかかえた同級生がいた
・ジュースの素はなぜか陽の光に当てると色が消えた
・電車に乗ると超汗臭いオヤジが必ずひとりは乗ってた
・はしけから通っている水上生活者の同級生がいた
・上野不忍池の畔にはぼったくり屋台のおでん屋がいた
・大人もヤクザが怖くて馴染の店以外は夜飲みに行けなかった
・川崎球場はガラスでできた1合瓶が後ろから飛んできて普通のサラリーマンが殺し合いのけんかをしていた
・おとなは戦争で人を殺した経験があるやつがうようよいたからけんかはいつも殺し合いのようだった
・集団予防接種の針は使い回し
・ビルの基礎工事で昼間は杭打ち機が一日中コーンコーン
・台風が近付くと大概は停電もセットで発生
・国鉄はほぼ毎年ストライキで運休する日があった
・ほとんどの家は木造平屋、プロパン、トタン屋根も非常に多い
・下水がないので、バキュームカーというウンコ収集車が定期的に来る
・空き地が多く、危険な薬品や資材などが雨ざらしなってて子供がそこで面白がって遊んでた
・野犬がうろうろしていて襲い掛かってくる 平成になる時に候補に挙がった元号
修文 しゅうぶん
正化 せいか
永安 えいあん
乾徳 かんとく
昭徳 しょうとく
天興 てんこう
興化 こうか・きょうか
光文 こうぶん 先日あるスーパーに行ったらたまたま激安セールやってて
大きな袋をいくつも抱えたおばちゃん連中がたくさんいた
一般市民から見れば駆除の対象になるんだろうけど俺はたくましいと思ってしまった
小さいころお一人さま一点限りの商品を2つ買うために無理やり母ちゃんにスーパーに連れて行かれたもんだw
でもそのおかげで今の俺があるのだから感謝しないとなw >>5
おとなになったんだね
お母さんも頑張った甲斐があったね それが教育ってもんだ
必要なときには卑怯な手段も使い
身を守るために総理でも嘘を言う 昔は「米を研ぐ」と言って何度もシャカシャカやってたのに、今は2〜3回洗えばいいんだな 江戸時代とかその前とか昔は大変だったろうなと思う。 クーラーある家はお金持ちだった。1台30万近くしていた。 クーラーが欲しい程に寝苦しい夜は年に数日くらい
網戸で風通しを良くしていれば普通に過ごせた
暑さより虫が家に入るのが嫌でな
今は住宅地になったから虫に悩まされることはないけど
あれだけの虫がどこへ行ってしまったのかと思う
ゴミムシ、ヨコバイ、カメムシ、オケラなどなど >>17
23区内のかなり都心に近い住宅街に住んでるけど
庭があるからかゴミムシもヨコバイもカメムシもオケラもうようよいるぞ
(集合住宅の上のほうだと遭遇率は下がりそうだけど)
寝苦しい夜も庭側の通風窓開けとけばけっこう涼しい >>18
せっかく「あぁ、昔はそうだったなぁ」と一般論で話題をながかけているのに、“ないことを否定するには存在例をひとつでもあげればよい”とばかりに、わざわざ恵まれた例外を挙げて全否定するがごとく揚げ足とって流れ壊すなよ マクロに対してミクロ持ってくる頭の悪いそこら辺のババアのような理論展開するなって話
並の知性があれば誰でも分かる こういうのが普通のマクロベースの理論展開
「男の人って車好きだよねえ」
「まあ一般的には車やメカ好きなのが多いな」
「あと何かに夢中になってコレクションしちゃう人」
「そうそうw 俺もガキの頃はビックリマンシール集めるのに夢中だったよ
クラスの男子もけっこうハマってたな」
こういうのがマクロとミクロの区別がつかない頭の悪い理論展開
「女って人形とかぬいぐるみ好きだよなあ」
「いや、あたしはそうでもなかったけど」
「いい歳して車の中ぬいぐるみだらけとかよくいるじゃん」
「だからあたしは違うって言ってるでしょ」 海沿いなら浜辺のコールタール層にミミズとムカデの間の子ゴカイがウヨウヨ
それと磯にワンサカ走り回る微妙にゴキブリなフナムシを餌に魚釣り
養殖でギトギトな黄緑色の海なんで、ゴムボート出せばポイントでデカい鯛が釣れる
春は長さ数mのコラーゲンでヌルヌルなヒトハメ、夏は小島のコールタール層でシジミとアサリ採りでアイスボックスが15分で満杯 信州の山奥だと5月に真夏日はおろか20度超えるとかなかったような
むしろ盛夏のプール授業とかでも少し雲が出ると寒くて唇紫になった
消毒槽とか冷たかったな 懐かしむのじゃないけど、
昭和30年代に田舎に住んでた私の生活は
ガラス戸無、穴だらけの雨戸の次は障子、その中で生活 冬は枕元に雪が溜まってた。
ガス無、電気は灯りだけ、冷蔵庫なんてもちろん無
冬、いくら寒くても衣服は重過ぎるウールコート、セーターだけ、着てるだけで疲れた。
私は小さかったから生きてるのが大変だっただけだが、共稼ぎの母は本当に大変だったね。
早朝から七輪に火を起こして朝食作って、徒歩1時間かかって勤務先の高校へ。、
夕方はキャベツ大根等を抱えて1時間かかって帰宅夕飯作って子供と夫の世話して
深夜に仕事の続き(テスト採点やクラスの総計をソロバンで)
今の生活は車、電化製品でもう天国だよ。この時代がいつまでも続きますように。
戦争なんておきませんように。 >>23
ゴカイは生意気に噛み付いてくるから嫌いどす。 うちにもあった
ベータのほうが画質いいから!と薦めたヲタのおかげでひどい目にあった
もうヲタの言うことは信用しない テープ入れてから再生開始までの時間も短いしベータの方が絶対良かったよな
ええ負け組ですとも ベータ
レーザーディスク
MDプレーヤー
PCエンジン
セガサターン
俺は何かに呪われてるのか >>33
ベータの方が画質がいいのは揺るぎない事実
ただし技術的に優れてるからといって、それが必ずしも優れた商品とは限らないことをソニーは身をもって教えてくれた >>35
それにLカセットあたりが加わったらこち亀の無加月巡査だなw >>35
レーザーディスクとMDは勝ち組だろ
(対VHD、DCC/DAT)
パナピックやハイパック、3インチフロッピーもあったな。 レーザーディスクと言えば発表時のエレクトロニクスショーの展示ではヌードの姉ちゃんがずーっと出てくるデモソフトを再生していて、当時真面目な中学生の自分には刺激が強くその場から離れなれなかったのを思い出す。 少なくともNHKはずいぶん後までベータだった。
親父がNHKだったんで、アオリを食ってうちもベータ。
友達とビデオの貸し借りができなくて、何度も悔しい思いをした。
たまにベータユーザーがいると、ロリコンアニメのコレクターだったり… >>44
確かにUマチックは、昭和50年代に業務用として使われていたが、カセット(テープ幅)がデカかったので、カメラとデッキの一体化に難があり、昭和57年にベータマックスをベースにしたベータカムが開発され、こちらがデファクトスタンダードになった。 >>21
高校の時に物理の授業中同級生が「先生今の話を
もう一度してください。」と言ったら
先生が呆れながら「聞いてなかったお前が悪い。」
と言ったあと授業をすすめていた。 昔は比較的下品で破天荒なTV番組や漫画が多かったよな
全員集合、ウイークエンダー、がきデカ、まことちゃん・・・
当時でもPTAのようなクレームを付けるうるさい人達はいたけど
それを何とか交しながら作品を長く続けていた
今はクレームが付けば即やめてしまうからな
昭和の時代は大らかだった 独占!大人の時間→ヤンヤン歌うスタジオが週末の楽しみだった >>48
今朝夕二時間ずつやってるニュースワイドって、大概には下品な内容だけどね…
ニュースだということにすれば許されるのかってくらいには下品。
何度か「変えるか切れ!」と叫んだ上で一切見なくなった。
何なんだあの女性週刊誌とウイークエンダーを突き混ぜて水増ししたような番組。 朝やってたワイド番組で「テレビ三面記事」とか土曜昼の「独占!女の60分」でもウイークエンダーもどきの番組をやってたね
もちろん再現フィルムコーナーはなかったわけだが コスプレとか萌イラストのせいでリアルで知らない世代には誤解されてると思うが
あんなパンツみてーなブルマは有り得ないからww つーか>>52は本当に昭和のひと?
とんちんかんレスかま過ぎるぞ コスプレみたいに浅いやつとかカットの深いブルマが有り得なかったって話。 よくは判らんが、ハイレグみたいなブルマといいたかったのですか?
余談だけど、今のハーフパンツの丈って、ブルマー女史が考案した時代のそれと同じなんだよね。
男の下着が猿股からブリーフ、トランクスと来て、ボクサーブリーフという色付き猿股に戻ったように
ブルマーも色々な丈を経て元の丈に戻ったといえる。
なんだかんだ言って、「元のが一番でした」って事でしょうね。
出来た当時は、伸縮性のある素材がなかったからハーフパンツ丈のニッカーボッカーだったんだろうし。
あと、今頃は男女の体操服を統一したように、所持品の男女での色分けの強制はやめてる。
性別血縁関係なくお下がりしやすい方がいいという意見もあるけど、交通網が整備されたせいで流しの
犯罪者が増えたから、一目の遠目で性別が特定できるのは危険だという面もあるんだよね。
同じ理由で、昔の生徒指導でよくあった、一目で中学生と判るように坊主刈りで校区外では制服というのも
流しの犯罪者から「ある程度のまとまった金を持ってて、泣き寝入りを強いられる存在」を一目で吟味する
のに好都合というので強制が無理になってるみたい。
特に修学旅行生だと…ねえ。 >>56
どの程度のものを言ってるか具体的にわからないけど、
「昭和 体操服 ブルマー」で検索すると、いろいろ画像でてくるよ。
ほんとはここに画像貼りたいけど、コスプレでなく実際の女子中高生の写真は、ちょっとマズイ(いくら当該人物が今はオバサンになってるとしても)と思うので…控えるが。
あと学校現場の体操服は、今現在ハーフパンツ(膝丈)が主流だが
アスリートウエアのほうは逆にかなり身体を露出したものになってる
例えば、オリンピックの女子陸上等のように
ああいうのは本人の意志で着用するので問題無いのだろう ランドセルは、昔は男子が黒で女子は赤っていう常識が有ったけれど、それは過去の話で、今はそんな括りは無くなったね。 クラスで一人か二人、ええトコのお嬢さんかつ美少女だけは黒のランドセルが許されてたな。 住んでた地方では私立の金持ち学校は一律黒だったり茶色だったな
小学校でも必ず制服があったから、パット見て私立の子とわかった
今だと危ないよねえ、子供だけで電車通学もしてるのもいたし >>58
アスリートウェアは、未成年に強制的に着用させるものじゃない上に、試合会場以外の場所で着用したままうろついたりは
しないものだからね。
あと、ランドセルの色が男女別になったのも、実は昭和30年代後半からで、それ以前は男女兼用の茶色だったらしい。
お嬢様学校は現在に至るまでずっと茶色か黒。
お金持ちというのは、赤のように目立つ色は危険だから学校などでは身につけさせないという価値観が存在するようです。 倉庫に放り込んであった自転車を捨てようを出したら
後ろに派手に名前と電話番号を書いてた。
そういえば、あの時代はそれが当たり前だったなあ。
今は考えられないけどさ。
それをやすりで削って消すのに時間を要した。 >>66
20年以上前に買った自転車に乗ってるけど、当時貼られた名前シール、剥がそうにも剥がれなくて困ってます。
防犯登録も金属プレートをカシメて取り付けてあるし。
他に名前貼ってる自転車も一台もないし、防犯登録も全てシール状。 >>67
シールの種類にもよるけどきれいにはがそうと思ったらドライヤーで十分に温めてみ
詳しいメカニズムは忘れたが、粘着成分の分子が崩壊してツルリとはがれる(実体験済み)
アルコール等の薬品使うと変質する恐れがあるからNGな >>69
追記
20年前のシールなら劣化が相当進んでいるだろうから、ドライヤー使う前にこうすればベターだと思う
バケツに熱湯入れる
厚手のゴム手はめてバケツに雑巾入れて軽くしぼる
その雑巾をはがしたい部分に巻き付けて縛り、数時間放置する 泥よけに名前が貼ってあるならブチ切れば?
本体ならヤスリかサンダーで削る >>52
俺が小学生だったころ、まだ女子らも羞恥心が芽生えていない時期だったからだろうが、ブルマは女子の間で、体操着だけでなく、動きやすい遊び着、普段着として通用していたよ。
体育の時だけでなく、掃除や花壇などの作業、休み時間の遊びでスカートが邪魔になるときなど、スカートだけさっと脱いで、上衣は普段着のままブルマ姿になっていた。
学校に着くやいなやその恰好になり一日過ごす子もいたし、その恰好で下校後の公園で遊んでいたり、商店街でおかあさんと買い物に同行していた子、家でその姿で過ごす子など普通にいた。
(以下私感)
ダボダボした男子用ショーパンと違って、鉄腕アトム、マジンガー乙、タイガーマスクのようにかっこよく、鉄棒や跳び箱がもう2段高く飛べるような気がした。
男子用競パン(少なくと小学生用)が出回っていないころだったので、なんで女子だけあんなカッコいいものを?と不満に思っていた。
トイレ用の窓口がないから男子は不可なのだと思ていた。作れば単なる黒ブリーフ=下着然=になってしまうから。
世間的にも男子の間にも全く話題になっていなかった(おそらく男子には名称も知らなかったかも)が、俺は姉妹も、女の幼馴染もいなかったので、物珍しい、一人一人違うカーブや谷間も楽しみだった。
皆が目を向ける中学以降になると、母親に近い膨満する感じで興味を失っていた。 >>72
ひょえー そんなの見たこともないし、自分もやったことないわ。
ブルマなんて活用されてなかったなあ。
小学生でもあれはやっぱり体育の時間以外は恥ずかしい。
男子のズボンは体操着でも普段着でも同じような丈だったからいいのかなあ。 スカートのすそをパンツのすそに巻き込んでブルーマーみたいにして
ゴム飛びしてただろ >>59
ちなみに、赤黒になる前の茶色時代には、蓋にエンボス加工してごーぢゃすな絵が描かれたものもありました。
男児は野球選手、女児は花鳥の絵柄でしたが、極彩色の絵柄のものはきっとお高かったので普通の家庭は
茶色一色だったのでしょう。
赤黒ランドセルは、実は一時期だけの流行に過ぎなかったわけです。
地域によってはユニセックスカラーのリュックのところもありますし。 …よく考えてみれば、普通かそれ以下のご家庭は風呂敷やズックの白い肩掛け鞄でしたね。
手縫い鞄で通学してたご家庭も多かった。
やっぱり赤黒ランドセルは庶民にランドセルが買えるようになった昭和30年代後半から平成初頭にかけての流行で
しかないのでしょう。 >>76
あなた80歳近い方ですか。何か全体にずれてる 傘寿でも昭和の人には変わりないでしょう。でもレスを読むと数年ずつ実際よりも前の話をされてるようです。 ♪サンチェサンチェ、ラテンの血♪
「余計なお世話だバカヤロー」byビートたけし 昭和の家電は、まず、お父さん、お母さんが叩いて直す。
興味があるるわけでもなく、電気系の学校を出たわけでもない女工さんたちの手作業のハンダつけでは、そりゃハンダ不良の接触不良は出ただろう。 >>83
その辺の半田付けの技量はどちらかと言うと職人の技量で電気系の学校行ってたかどうかにはあまり関係ない。
むしろ半田とかペースト?ヤニ?の品質によって経年不良が出やすいかどうかの差のほうが大きい 接触不良は、差し込みやねじ止め部分。
今の電気製品はユニットになってるから通電部分にネジを使用していないし、ソケットになってる部品の接触部分は金メッキで腐食しないようになってるから叩いても復活しない。
修理に行った時に一回だけ、原因がLANケーブルの接触不良で抜き差しだけで復旧したことがあった。
安物の不良品だった。
抜き差し一回で出張料七千円+修理手数料は撮りづらかったので、なんだかんだと30分引き伸ばして適当な理由を告げて金もらった。 >>83
昭和を知ってる世代はもうベテラン世代なんだから、
いまだ小学生並みの思い付きやシッタカで昭和の生き字引き気取りはやめたほうがいいよ。
>世間知らずの引きこもりさん ちなみに、洋物のヒーローアニメは嫌いだった。
画面や構図に奥行きがなくて色もべた塗りだったから。 >>90
自分が可愛いと知ってる悪意の塊ラムジーちゃんと、ラムジーちゃんの証言を事実より重視して暴力に訴える犬のおじさん。
子供心に理不尽だなあと思いながら見ていた。同じ意味でロードランナーもすぎです。ミッミッ! >>92
画面と言うか絵が常に動いていて忙しい
って感じだったな 動き方もなんかこう、「手で描いてる」感じじゃなくて「長いセルを上下左右に引っ張ってる」感じだった。
奥から手前、手前から奥という動きがないんだよね。
ストーリーも子供だましっぽくて、とにかくアメリカのヒーローテレビアニメはありとあらゆる面で単調で好きじゃなかった。
劇映画のテレビ再編集版は好きだったけど。
テックス・エイブリーのギャグセンスは今見ても神がかってると思う。 宇宙ライダーエンゼル覚えてますか。
紙芝居に声優の口だけ合成。
ストーリーはまったく記憶にない。 >>96
口だけ実写の紙芝居風海外物なら、40年近く前に潜水艦物を見た。
同じく内容は覚えてない。 アメリカのテレビアニメを見てて、「登場人物が今いかなる心理状態であるか」をキャラクターが口頭でだらだらと
説明するシーンがあったときに、「…アメリカの子供ってすげえバカなのひょっとして!?」と驚愕した。
後に、ディズニーがアメリカのアニメ権益を独占するために汚い手口を使って表現の自由に制限を加えたせいで
ああなったと知って、アメリカの子供に深く同情したけど。
上記したテックス・エイブリーは最初から大人向け映画の前座アニメだったのでキレッキレだったけど。 ノートサイズのカードケースを下敷き代わりにしてた方々に質問。
皆様の手元にまだそれはありますか?
もう捨ててしまいましたか?
手元にある場合は何の切り抜きを挟んでました?(捨てたけど覚えてるでも可)
ちなみに自分は高校の時使ってた奴がまだ手元にある。
挟んでるのはユンピョウのカードケースサイズピンナップ。 ユンピョウといえば映画の日にプロジェクトAを観に行ったな
うちの姉ちゃんは下敷きにモンキーズやツイストとか入れてた 保険会社のCMキャラクターにアッチャフン博士というゼンマイで歩く犬の人形があって、
アッチャフン博士の下敷きの裏には1978年?くらいから2000年までのカレンダーが一面に印刷されていた。
2000年の自分なんか想像できないなそれまで生きているのかなと思いつつ壁に貼って眺めていたのだが、世紀末だからもういいかと剥がして捨ててしまったのが今となっては惜しまれる。 >>102
透明で中に紙を挟める下敷き?
高校の時、成田三樹夫の写真を入れてた >>104
ドルーピーでしたっけ。
消防の頃のクラスメイトもその下敷き使ってたなあ。
明治生命だったと思います。 チャンネル争いに負けて「アァイぃ〜ソレはぁ〜トキィ〜メキぃ〜」を泣きながら正座して観てた頃が懐かしい 今「明治生命 ドルーピー」で調べたらCMのノコノコ人形の画像が一杯出てきました。 >>102
中学の時マルベル堂で買ったスーちゃんのプロマイドを入れてました 学校によっては下敷き内の切り抜きを没収するところもあったと聞いて、「これだから田舎は…」と思った。 >>102
YMOと立花ハジメと中川勝彦とビヨルン・アンドレセンとヴィスコンティ
ちなみにまだ実家の机の中にある 中川勝彦といえば壬生の恋歌の沖田総司役
テスのCMもあった
あと情報番組のMCをやってたな >>111
あえて陛下の肖像画でも入れてたら困るだろうなw 教師はアレがアッチな人が結構いるから、
さっくり没収かも 今日の新聞読んでたら、部活の顧問教師が連帯責任で坊主にしろと言ったという理由で処分されてて
時代は変わったのおと思った。 さっきコンビニで20年ぶりくらいでヤングジャンプを立ち読みしたんだが、エロとグロと暴力と不細工な半チクアイドルの集積所になってた。
みんな似たような汚ならしい内容で吐き気がしてきた。
今時はあんなじゃないと売れないのか? >>120
あー、それ。俺もそう思ってた。
ヤンジャンに限らず。 売れりゃ正義って姿勢だろ?
メジャーなサブカルであるべきマンガを過剰に持ち上げ続けた結果だね
ジャンプのグロならデスマッチベースボールやドーベルマンの辺りからあったが、勧善懲悪だしな 逆にモーニングは、エロや過剰な暴力が排除されて、すっかりファミリー向けにシフトしてる。
隔週刊誌だった頃は発売が待ち遠しい面白さだったなあ。 モーニングは生き延びるために面白い部分をアフタヌーンとツーに切り離したのだ。 >>120
ヤンジャンに限らず、あの手の青年誌なんて昔からそんなんじゃないの? >>124
江川達也とそのファンとフォロワーがアフタヌーンに隔離されたときはほっとした。
つか江川こそ最初から少年誌やヤング何ちゃらで連載すりゃ良かったのに。
アニパロが読みたきゃモーニングのような大人向け漫画誌なんか買わねえっつーの。
さだやす圭が江川がいた間浦野千賀子の義弟という身分を隠してた気持ちが良くわかるわ。
アシストしてた「アタックNo1」のアニメスタッフを見れば、江川が大喜びで絡んできただろうって
見当つくもん。
他にもアニメのコミカライズやってた過去のある人、みーんな江川がいた頃はだんまり決めこんでて、
もちろんアニパロなんてやらなかったし。 青年誌は昭和60年前後のスピリッツ〜末期からバブル崩壊までのモーニングだね
スピリッツは池上遼一と不器用なぼっけもんがメイン
アニパロっぽいめぞん一刻で女が青年誌を買い始めた
モーニーングは青木雄二と初芝と播磨灘とゴッキー形至上に軍拡論と国民クイズ
週刊漫画はヨンパチ(480円)定食屋で読むどくだみ荘が当時の自身まんまだったので思い入れが不快否深いw >>127
所謂ヤング誌青年誌が出るまでは、少年誌に現在のヤング誌に載るような内容の作品が載ってたよね。
ついでに、少女誌でも実力のあった人や、立原あゆみや弓月光もヤング誌や青年誌に移った。
さだやす圭の娘ははなっから青年誌でデビューしたし。
…立原あゆみが「あの絵柄」のまんまで極道ものを描き始めたのは驚いた。 昭和元年と64年とでは明らかに隔世の感を禁じ得ないけど、平成元年〜30年もなかなかどうして
ブラウン管テレビ、テレカ、公衆電話、初代ファミコン、ゲームボーイ、ダブルデッキミニコンポ
VHSビデオ、写ルンですフラッシュ付き、5インチフロッピー、プリントごっこ
車:エアコンやEFIがようやく標準装備化へ、ABS&カセットカーステレオ&ATはオプション
エアバッグ?なにそれ?
↓
大型液晶テレビ、スマホ、PS4、Switch、オーディオ&ヴィジュアルはHDやカードが主流
デジカメ&スマホカメラ、ディスクを交換するという発想無し、3Dプリンター
車:HDMIで何でも聴ける、ABS&エアバッグ&ATが標準装備、MT設定無しが主流
高性能純正ナビ&ドライブアシスト機能がオプション
無人運転?そろそろ実現かもねー >>129
エアバッグは62年改以降のホンダ・レジェンドの大きなウリで、盛んにTVコマーシャルもされていたよ。
本田宗一郎は、松下幸之助と並ぶ昭和のレジェンド経営者と認識されいてたが、車のレジェンドの方は、バイク屋が高級四輪車?って目で見られていた。
レジェンド、カリスマ、って言葉も一般的じゃなったな。
経営の神様って言い方だったかな。 団塊より上の世代は
ホンダ カブ
マツダ オート三輪
三菱 トラック
スバル 何それ? (除く降雪地)
って感じだったからなぁ
それもあってマツダのイメージアップ作戦も兼ねて 恐怖の5チャンネル化が始まった ようつべでよく赤ちゃんの動画見てるんだけど
最近は一升餅や節分も虐待だと騒ぐ輩が多いんだね
子供が走り回ってて転んだりしても批判コメント殺到
一体どうすりゃいいんだと思うわ >>133
家では檻に入れて外に出るときはリードつけてるのかもね 野口五郎…私鉄沿線・青いリンゴ
西城秀樹…傷だらけのローラ・ヤングマン
郷ひろみ…よろしく哀愁・裸のビーナス >>134
リードは付けた方がいいと思うけど、付けたら付けたで虐待扱いされてしまうという 子供用のリードはあるけど賛否両論らしいね
反対意見いってる人はもし子供が事故に遭ったり誘拐されても他人事だから気楽だろうな ごく普通の子はリードなんかいらないけど、
どうしようもなく落ち着きがない子などは付けたらいい。
別に批判など気にせず、なにか直接言われたりした時も堂々とこの子は1秒たりとも
目が離せないんですよ、動いてばっかりで止まらなくてwwwって言えばいいんだけど
変に卑屈になってこんなことあのババア言ったーーーーギャーーってなるのがダメ。 この間、空港で外人が小さな女の子にリードつけてたけど、背中の部分に天使の羽がついててかわいかった。 かつて札幌に存在していた地元資本の大型家電量販店
平日の午後は俺ら中高生が意味もなく屯していたりした
そのほとんどはファミコンフロア、パソコンフロアに集中していた
ガキ以外の一般客はテレビ、ビデオ、生活家電コーナーが主
そんなガキや一般客がほとんどよりつかない、知る人ぞ知る的スポットがあった
内壁で仕切られた一角、ドラクエなら重要アイテムがもらえるような怪しい小部屋
そこに当時の最高級オーディオがずらりと並んでいた
見た瞬間、おれは思わず立ちすくんでしまった
それまで雑誌でしか見たことのない現物が目の前にずらりと並んでる
フランダースの犬の最終回でネロが秘蔵の絵を見たような心境か
ただただ圧倒されて見とれていたら店員さんが入ってきた
思わず「あ、すいません、すぐ出ますから」と謝ってしまった
その後の店員さんの対応
「はははw 謝らなくていいよ
オーディオ好きなのかい?僕もだよ
お客様は滅多に来ないけど、どんな方が来られても応対できるように知識だけは身につけてるんだ
単体の知識は誰にも負けないぐらいあるけど、アンプとスピーカーは実際に組んでみないと分からない
だからこの部屋があるのさ
試しに何か再生してみるかい?」
そこで試聴用のCDを適当に選んでもらい、俺はアキュフェーズのプリメインアンプと、
ダイアトーンのDS-5000という国産最強の4ウェイスピーカーを選択した
そこで再生してもらった珠玉の音色はこの世のものとは思えなかった
一般人が言葉で表せる次元の話ではない
こんなガキ相手に高級オーディオの門戸を開き、親切に対応してくれた店員さんありがとう
「大人になったらお金ためて、この店でこのアンプとスピーカーを買います!」
という約束は果たせませんでした、ごめんなさい
だって家電屋さんの方が倒産しちゃったんだもの>< そういう電器屋あったなあ…
あそこで聞いたジャズの、ボーカルの息遣いやベースの弦の唸る音まで手に取るように聞こえるあのリアリティ、自分も多分口をポカンと開けて聴き入ってたんだろうな >>143
その通り、狸小路のYESだよ
>>144
質量とビジュアルが伝わるとでもいうのかな
ああいうのを一度でも耳にすると音に対する概念が根本的に覆されるよなw その結果、ライブだと満足できなくなるという諸刃の剣w 国産なのが、まだカワイイ
>それまで雑誌でしか見たことのない現物が
どんな雑誌読んでたんだよw >>147
FMステーションとかStereoSoundとか さっき買い物に行ったとき「白いセーラー服に麦わら帽子」の女子高生とすれ違ったよ。
そんな女の子、俺が高校生だった30年前にも既に見かけなくなっていて、
この子にしても、自分なりのおしゃれアイテムとして取り入れてるだけなんだろうけど、
なんつーか、こう、いいもの見せてもらったなあ、とほっこりした。 西城秀樹さんの「骸骨」は不謹慎か フジロック「追悼アート」に賛否
https://www.j-cast.com/2018/08/03335458.html?p=all
https://www.j-cast.com/assets_c/2018/08/news_20180803144230-thumb-autox380-142043.jpg
「亡き方への冒涜、ご遺族の気持ちを踏みにじっているとしか思えません」
「西城秀樹さんであろうがAviciiであろうが、遊びで死者をあのように扱うことが問題」
「Aviciiを讃える為のアートなんだかなんだか知らないけど...個人的には不愉快になった」
「ユーモアもセンスも芸術性も無い。なにより、西城秀樹という偉大なアーティストに対するリスペクトが全く感じられない」 >>142
えぇ店だなぁ
同じような店にラジカセを買いに行って
場違いなオーディオフロアに入ったことがあるよ
「ラジカセ? あっちだよ」 ってな感じで追い払われたぞ 西日本はブレザーなので、女子中高生のセーラー服なんてほとんどみなかった。
一度も袖を通さないまま大人になった人も珍しくない。
うちの街は、むしろ男のセーラー服が多い。
「海上自衛隊教育隊」と書かれた帽子をかぶってるの。 自分はサンスイのショールームでJBLのパラゴンを聴かせてもらったな >>154
俺の通っていた中学は未だに
男子 学生服
女子 セーラー服 泣くな青春ってドラマではゴールデンタイムにオッパイ丸出しが見られた
もう家中空気悪くなったw 今みたいに授乳室とか気の利いた空間があるでもなく、第二次ベビーブームでガキがウジャウジャという時代だった
なので公園、駅、列車の中といった公共の場所で胸出して母乳あげてるママがそこら中にいたし、
エロと関係のないドラマや映画でもアクセントとしてオッパイ露出シーンを挿入するのもわりと普通だった
それこそ男児のチンコみたいなもので、効果的にお笑い要素として使われていた感がある
ただしそれも料理のスパイスのように上手に使うならともかく、
「時間ですよ」みたいに大量に出されると辛いだけで全然美味しくない激辛料理みたいになってしまう どこかのスレで読んだ「ヴァン・ヘイレンは差し入れのm&m'sチョコレートから茶色の粒だけ徹底的に排除させた」という話が好きだな
ライブの演出が年々派手になっていくヴァン・ヘイレン
→耳をつんざく音響システム、ド派手な照明、壮大な舞台セット、時には打ち上げ花火等々
→これらを支えるステージの物理的強度、電力確保、観客の安全性といった確約が不可欠
→その結果、ライブプロモーターと交わされる契約書は50ページ以上にもなる膨大なものになった
→しかし地方ともなるとろくに内容を読まないプロモーターもいる
ライブハウスが老朽化しヴァン・ヘイレンの要求するスペックに満たないところもある
→契約書をきちんと熟読しているか否かをどうやって確かめればいいだろう?
→そこで食事に関する細かい規約を盛り込んだ
→偶数日はローストビーフかフライドチキン、奇数日はステーキか中華料理、それに野菜の盛り合わせ云々
夕食はいかなる状況であってもプラスチック製の食器やナイフ・フォークは厳禁等々
→スナックに関する条項:ポテトチップ、ナッツ、プレッツェル、m&m'sチョコ(茶色の粒が含まれてはならない)
→指示通りの品を運び、部屋でブツブツと文句を言いながら一粒ずつm&m'sチョコを選定するケータリング業者
→その様を笑って見ていたメンバー達
→傍から見ると権力を盾にやりたい放題やってるように映った
→しかしその真意は、ここのプロモーターはm&m'sチョコにいたるまで全ての契約を理解している、
当然ステージに関する契約も遵守されているだろうから万全の体制でライブに臨めるというリトマス試験紙であった >>154
> 西日本はブレザーなので
いや、西日本といってもいろいろだろ
何故決めつけんの? CSで昭和50年ごろの後楽園のプロ野球やってたけど
静かでほんといいわ
応援団もいたけど、メリハリある場面で笛と太鼓くらい
プップカ始めたのは広島ファンだったな
結局あれがないと間がもたなくなってしまった
あれが当たり前、あれがあってこそ楽しいとか思ってる連中には
理解されないだろうけど >>168
場所によるだろ、席というか
内野はずっと静かだよ
外野の応援は昔から割合うるさかったと思う。
応援形式自体は、少しずつ変わってるけどね といっても自分の知ってるのは、神宮、ハマスタ、後楽園及び東京ドームだけだから、他の地域の球場のことは何とも言えないが >>170
昭和50年ころと書いてあるでしょうが。
川崎とか初期のハマスタとか、ある時期までの後楽園とか
応援団は内野にしかいなかったこと知らないでしょ?
(気まぐれで応援ごっこしてたようなグループ除く) >>168
あれ始めたの、うちのマッマのいとこ。
「…あれは子供の時から目立ちたがり屋だったから」と言ってた。
マッマが、「血縁特権で融通しろと言われたって出来ないんだから黙ってろ」と言ってたので、いとこの生前は黙ってた。
もう死んで10年以上になるから言って大丈夫。 神様仏様バース様の頃から見境が無くなった
平成元年秋だが、東京のなんちゃって近鉄ファンが最も厄介だった
選手の名前すらロクに知らんのに応援を強要してきたからな
無視してたらとんねるず風にキレるわで 甲子園での巨人V9は
大阪民国の暴徒だらけで王は殴られるし川上監督の胴上げすらできなかった >>175
暴徒と化した阪神ファンが中継のカメラマンをも襲ったのでその試合を収めたフィルムは存在しない、
と割と最近まで信じられていた気がする 江川がナイトゲームを早く終わらせてくれたので
そのシーンは余った時間の特番で何度も放送されてるはず 野球中継延長、延長、延長で予約録画失敗
今じゃHDレコーダーが勝手に対応してくれて無問題。
便利すぐる >>178
わしは最大延長分だけ長めに録画設定しておった。 ところがその野球中継が無くなったでござる
つーか、野球中継って生放送だから
臨時ニュースや速報に対応できた。と言う面もあったんだよなぁ >>175
あれは阪神の選手をこそ襲うべきだったな。
「残り2試合、1敗1分けでも優勝」という好条件下で連敗したんだから。 そいやジャイアンツのV9は圧倒的な強さを誇っていたと思われがちだが、
選手がほぼ固定メンバーだったから平均年齢がどんどん上がって最後の数年はけっこう僅差だったんだよな
OB曰く出がらしの状態で挑んだ1974年、最後の川上監督時代は2位に終わりV10の夢は潰えた
とはいえ川上さんは有終の美を飾ったといえる
気の毒なのは後を継いだ長嶋監督で彼の抜けたクリーンナップを埋められなかっただけでなく、
川上時代に若手をろくに育てていなかったせいで投打が全く噛み合わず、
開幕数試合目からシーズン終了まで常に最下位という不名誉な記録に輝き、
その負けっぷりはファンのみならずアンチですら心配したという >>182
最下位にこそなってないけど、その状態が続いたままの、今のチームのほうが悲惨ではある。
まさか巨人が「カープの貯金箱」だの、果ては「カープの犬」と呼ばれるようになるなんてね。 長嶋さんの「欲しい欲しい病」の後遺症で
若手が育たないってのがあるからなぁ
清武代表が頑張って3軍の強化をしたが、その代表も…
あぁ昭和と巨人は遠くなりけり ナイター中継なんて、ほぼ巨人戦しかなかったから(関東)
他のチームのファンの人も、途中経過知るために巨人戦観てたんだよな
(俺は映りの悪いTVKを凝視したりもしてたけど)
ちなみに、子供の頃は、日テレのアナウンサーはみな巨人ファンなんだと
勝手に思い込んでた >>186
だから、関西の私鉄系球団といえば阪神の名前ばかりとどろいていた。
たまにパリーグの中継があっても観客の入りが全然違うから、阪神の親会社の阪神電鉄は、阪急、近鉄、南海が束になっても敵わない関西最大手の私鉄で、関西のあちこちに阪神デパートやホテルが建っているものだと思っていた関東の小学生だった俺。 戦前生まれの婆ちゃんが持っていた長谷川町子作の単行本
サザエさん、いじわる婆さんなど10冊ぐらいあったかな
全て表紙カバーがついていてその内の一部はチラシの裏に直接印刷されたものだった
初めて見たときはこんな粗悪なものと思ったが、今なら逆にプレミアついてるかな 世相反映だからガキの頃サザエさんの原作見ても意味わからなかった
昭和史をある程度覚えてから面白く感じた
サマータイムをサンマータイムって言ってたね 月曜日は月光仮面
火曜日は母ちゃん殺し
水曜日はスカートめくり
木曜日は
金曜日はキンタマつぶし
土曜日は毒薬飲んで
日曜日は死んじゃった
木曜なんだっけw すっかり忘れていた微かな記憶が今ここに。w
でも、木曜日は何だったかは思い出せない。 くるぞ くるぞ くるぞ くるぞ てごわいぞ
いけよ いけよ いけよ いけよ まけるなよ サスケのオープニングのカッコいい語りが、当時子供すぎて解らなかった、何かすごいことを言ってるみたい?だった。大人になってCSで見てやっと意味がわかった。 >>191
随分とお上品だなあ
兵庫県南部はこうだった
月曜日にゲッツいウンコ
火曜日はカイカイおケツ
水曜日は水洗便所
木曜日はモクモクおなら
金曜日にキンタマ(以下失念) 会社でアニメ好きな後輩と話をしたが
俺が子供の頃は毎日アニメ放送があったが、ビデオが無いから1回見逃すと再放送を待つしかない
今はアニメ放送は少ないが、見逃してもネットで見られるし、DVDで昔のアニメを見る事ができる
どっちが良いのかな? って話になった >>196
子供のうちはDVDは親が選んだのしか見られないことがあるし、ネットや有料放送は経済的に恵まれてる家庭しか
利用できない。
大都会には昔の番組を再放送してくれるテレビ局はあるけど地方にはない。
現在放送中の作品はともかく、過去の番組に関しては現在の方が特に貧困家庭と地方は圧倒的に不利な状態に
あると言える。
都会の子が無料で当たり前のように享受できる物をお金を払わないといけないのだから。
テレビ局が少ない地域は勿論不利だけど、民放が三局以上ある地域でも朝と夕方の同じ時間に一斉に同じ内容の
クソ益体もないニュースワイドしかやらないから、局数が沢山ある意味そのものがない。
独裁政権国家じゃあるまいに、いっぱいあっても意味がないんなら廃止して統合しろ。 自分がガキの頃は、チャンネル権は親が独占していたから、親のいない時間しか自由にテレビさえ見られなかった。NHK特集などを親が必死で見ている時に、咳払い一つしようものなら、これ以上ないくらい怒鳴られたりもしたな >NHK特集
今や、NHKなんて力を入れて観るもんじゃないよねw
ヤラセもある(あった)し、ネタ元や取り上げる学説も怪しいし、ストーリー?・編集も見え見え。
昔のNHK特集なんか今観ると笑える。
民放より真面目ぶってるだけ(真面目ぶってるから余計にタチが悪いと思うのだが)。
当時のNHKへの信仰?はなんだったのかと
(個人的には、NHKを真剣に観てる人はバカなんじゃないか、と思うw) >>198
平成の話になるけど1998年頃
夕方のアニメ放送が無くなり、子供向け番組が減った頃
CATVでアニメの視聴が出来る子と、CATVを導入していなくて見られない子の
情報格差と言うかアニメ格差が有ったな >>196
いま、幼児向けのアニメは多くはなさげだけど、大きなお友達向けのアニメは溢れかえってるじゃん。
MXなんて毎日アニメだらけかと。 >>202
大都市圏の人しか享受できないから意味なし >>203
時間差あったりしてもローカル局で放送してないもんなの? テレ東のとかも? 民放イコールおふざけ、NHKイコール真面目で正しく正解、という神話が凄かった。NHKで言ってたから間違いない!みたいなのがあった。 大晦日・正月は全ての店が閉まるから
買いだめしなければならない
今はいいよね〜
アニメは鉄腕アトムだった
マジンガ-ゼット
デビルマン
忍者ハットリくん
キャンディキャンディ
リボンの騎士
昔はよかったな〜
夕方〜夜にかけてアニメいっぱいやってた
洗濯機は2そうしき
そうだねうちも玄関の鍵なんてかけたことなかった
いつでも玄関はあいてた
平成になって鍵かけるようになった不思議
戸締り用心火の用心とかCMのせいかな? 昭和の大スターっていったら誰だろう
いっぱいいすぎるけど
西城秀樹さんもそうなのかな
自分の子供時代はピンクレディ・松田聖子・中山美穂・光ゲンジ・おにゃんこがアイドルだった
大人になってカラオケが流行って華原朋美ちゃんすてきだった
安室ちゃん華原朋美ちゃんあたりからアーチスト呼ばわりになったな〜
今その人達の動画見てなつかしくて感動する
AKBあたりでまたアイドルもりかえしてよかったね
平成の大スターアイドルって誰だろうAKBかなぁ?
スターって言葉も、もう使わないのか >>204
ローカル局って、自社制作の情報バラエティ()ばっかりに力を入れてて、テレ東系は遅れ放送の上に中途打ち切り
なんて朝飯前です。
再放送枠に至ってはありません。
そのくせ過疎は嫌一極集中望ましくない豊かな自然がある(何も与えられないことをごまかす奴の常套句)田舎に
住もうと言うお為ごかしばっかり。 フロッピーディスク一枚で充分だったあの頃、1MBのデータを送るのにテレホーダイ使って一晩かけて送った。
そのうちソフトウエアが肥大化してWindowsのインストールにフロッピーディスク12枚とか使うようになって部屋の中がフロッピーディスクだらけになった。
テラバイトなんて遠い未来の空想の世界でしかなかった。
今じゃ動画を溜め込んだりしたら1テラじゃ全然足りない。
どうなっちまったんだ?この世界。
ジョニーニーモニックって映画で運び屋のメモリーが100MB未満で鼻血出したとか、今見ると幼稚な世界。 CD-ROMが初めて出たとき、「日本で発売されているソフトウェア全部が
これ1枚の中に入ってしまう」というような紹介のされ方だったな。 昭和の時代だと
フロッピーに月次データを吸い上げ、郵便で送る。だったな。 カセットテープは昭和だよね
カセットテープ→でっかいフロッピー→小さいフロッピー→硬くてちっちゃいフロッピー→一瞬で消えたMO
MOが可哀想だった
CD-ROMが出てきたからすぐ消えていったな MOにもいくつか違う規格があるが、3.5インチMOならCD-ROMよりずいぶん新しいぞ。
なにより、一度焼いたらそれっきりのCDとリライタブルなMOじゃ使い方が全然違う。 MOとほぼ同時期かちょっと前ぐらいに100MぐらいのZIPとかいう円盤があった気がした MOはあまりにも遅すぎたからなぁ
昭和の時代だと紙テープだろ
さすがに使ったことは無いが MOは、ゲー○やソフ○のコピーとか、ダウンロードして集めたCGデータとかの受け渡しに重宝してたな。
ZIPドライブは短命だったね。 同時期にMac用のJazzドライブとかいうのもあったな。使ったことはない。 バイオハザード2あたりの物語の終盤でセキュリティドアを開くのにMOが必要というシーンがあった
あの頃見たMOは近未来アイテムだったのになあ パトレイバーでもOSはMOでインストールしてたような ミッションインポシブルでトムクルーズ使ってなかったっけMO? 多分MOかな?
PentiumUの300が化け物扱いだったような ベータマックス
ビデオディスク
EPSON 98互換機
ZIPドライブ
HD-DVD
俺が選ぶ商品は必ず市場争いに負ける
こち亀に俺みたいな奴いたよね カセットのテープが絡んでグチャグチャになることを「ワカメちゃん」と呼んでいた >>225
スレチになるが
VHSでの勝利移行、SDカードの勝利まで
規格戦争においてパナソニックは連戦連敗だったんだよな 学生の時に運送屋のアルバイトで、コンピュータ用の金庫みたいな頑丈で100kgもあるパンチカードケースを非常階段を使って二人で運んだっけ。 体育の後ブルマーをはいたまま
ブラウスとジャンスカ着て
わざと男子の前でスカートばっとめくり上げて
ビビらす遊びをしていた
女子たちが男子をむりやり
女子便所に押し込んで閉じ込めたりもしてた
小学校の時の話ね 女物の下着が今より小さくてエロかった
今は専門店以外で普通に売ってるものは
デカくて分厚いゴテゴテした刺繍が入ってる物が殆どで
色気ゼロ 別に鉄道マニアじゃないけど、あのぶ厚い時刻表を見るのが結構好きだった
特急とか寝台列車の行き先を目で追っていると楽しかったものだが
今はこの時刻表も廃刊の危機らしいね
今やスマホでどこでも調べられるからねえ 戦前生まれの爺さんから聞いた話
昭和30年代、千人ほどの山奥の村に一軒のパチンコ店があった
設置台数は百台ほど、木目の床、手打ち式のハンドル、客はみんな顔見知りでほとんど常連が支えていた小さなお店
そこでバイトしていた若い頃の爺さん、ある日常連のAおばさんに「困ったことがあるので便所に来てくれないか」と呼び出された
ホールに併設されていた男女兼用のくみ取り便所へ赴いたら、Aさんの財布がポケットから便槽へ落ちていたのだ
常連客の頼みだから仕方ないと爺さんは細長い角材を数本持ち込み、巨大なピンセットの要領でなんとか財布をつまみ上げた
「外のホースと水場使っていいから、洗うのはAさんやってよ」と言い残して爺さんは店に戻った
しばらくしてからカウンター係りのおばちゃんが首を傾げてる
あの頃は客がカウンターの係りに金額を伝え、その代金分の玉を借りるというシステム
「Aさんが『今日は大勝負だ!』と言って千円札出してきたんだけど、妙に濡れてるし臭いんだよねこれ」
爺さんはすぐにAさんへ苦情を言った
明らかにさっき便所に落した金だろ、こんなもの店で使うな!と
しかしAさんも金には違いない、偽札なんかではない、どこで使おうと自由だ!と逆ギレ
そっちがその気ならと爺さんとパチンコ店も策を練った
そのお札がすぐに特定できるよう赤ペンでマークを入れ、他のお札と明確に区別する形で換金所へ
その日のAさん、ウンがついたとやらで久しぶりに勝ったとホクホク顔で換金したらそのお札が混じっていた
A「明らかにさっき便所に落した金だろ、こんなもの店で使うな!」
店「金には違いない、偽札なんかではない、どこで使おうと自由だとあんたがそう言ってただろ!」
騒ぎを聞きつけて他の常連客も集まってくる
「自分でクソまみれにした金を使うのはOKで受け取るのはダメとは、なんて図々しいババアだ」と非難轟々
ほどなくしてAさんは出入り禁止を食らい村中の噂になってしまった
ところが本当にウンがついてしまったのかその後Aさんの家は立派な豪邸となり、村でも有数の資産家となってしまった
いわゆる金の亡者というやつで付き合いは非常に限られていたが、そのうちの一人の証言によると、
「例の聖徳太子図柄の千円札を額に入れて今(平成初期)でも大切に飾ってある」とのこと >>233
俺も。
体操服に編み笠という、珍妙な格好で踊ってる写真が残っとるわ。 >運動会
変な応援歌も有ったな
歌詞に「月桂冠」とか入ってたり いわゆる「良い話」だとは思わない
何か教訓があるわけでもないしな
しかし純粋に面白い話であると思う
ウ○コは極端としても、昭和ってほんっとあちこちから生活の匂いが漂っていたんだよな
木目の床やこういう有機物の成分を感じ取られる話は好きだ 夕方になれば家々から魚を焼く匂いだったり、カレーの匂いがしたり。
今はそんな事も稀になっちゃったね。 ウエイトレスさんがつけてた白いレースのキャップ、
メイド喫茶以外では完全に見なくなったなぁ 中学校が木造校舎だった
冬は後ろの席が寒かったけど今思えば造りとか味わいがあってよかったな 中一木造
中二プレハブ(新校舎建設中のため)
中三鉄筋
木造の時はトイレもボットンだったなあ... >>247
木造の床に小さな穴が開いてたりしてソコへおむすびコロリン。とか 小中は校舎鉄筋だったけど机と椅子が木製だったな
中3の3学期がちょうどスチール製と切り替わる時で
木製のが捨てられると聞いて誰かがもったいないと言い出して
クラスで会議してうちの組だけ木製を使わせてもらった思い出がある
落書き・彫刻・塗装し放題で楽しかったな
卒業時にもらって帰った人も複数いた これでチョコフレークがバカ売れして日清食品の株がまた上がっちまうな。 >>247
丸くて転がる消しゴムがあったら店ともらいたいもんだが。
色鉛筆とかだったらわかるが。
くそっ!雨がひどくて店に着いたのに車から出られん。 使い古しの消しゴムは、減って丸くなるものだよ。
そしてよく転がる。 うちのたった1本の短い鉛筆を、水原さんが野球ゲームのさいころ代わりにしよったけえ、転がって床の穴に落ちてしもうた… 古い木造の小学校が解体されたら、
窓枠の辺りの外壁と内壁の間に
牛乳瓶の蓋がみっちりと詰まっていた 消しゴムは昔の方が凝ってたな
マスコットケシとか透明ケシを使ったけど綺麗に消えないから結局
ロングセラーの白くて実用的なやつ使うようになる 練り消しが流行った
香りつきのものも出てたな
綺麗に消せないから結局はMONOかKEEPとかの消しゴムに戻るんだけど 10月1日は「uniの日」なんだと。
鉛筆にオマケが付くってのが今では考えられないよな
ttps://gamp.ameblo.jp/unit-ryu/entry-11626276433.html >>260
色とりどりで色んな形の匂いつき消しゴム、今でも100均にはあるけど今の小学校では全面禁止らしい。
これに限らず色付き飾り付きヘアゴムキャラ文具禁止校則があるけど、とんでもねえ手癖悪やジャイアニズムの
クソガキに手を焼いたりしたというのが本当の理由みたい。 >>263
あー校則禁止だから見かけなくなったのね
80年代は学校の売店でもA型専用のメモ帳みたいな
ふざけた文具売ってたな >>264
今の子達は学習塾用の筆箱(キャラ文具シャーペン変わり消しゴム入り)と学校用の筆箱の両方持ってるみたいだね。
家庭学習には校則で学校に持って行けない物や、サイズが短くなった鉛筆を使ったり。 >>265
文房具ぐらい違反しても良いのでは?って思うけど
些細なことで先生に反抗しても悪目立ちするだけだもんね
DQNに盗まれるのも嫌だし ノートもかつてのようなカラフルでファンシーなものは消え去り
キャンパスノートの表紙にデコしまくる文化が生まれた >>266
保育所時代、年長になったら硬筆のお時間があったんだけど(うちの地域は保育所も大半が児童獲得のために
幼稚園レベルの勉強や躾をやってた)小学生の兄姉のいる子は色とりどりで色々な形の香り付き消しゴムを持って
きて、そんな物の存在も知らないままに親が買いそろえた純ゴムの無骨な事務用消しゴムを持って来た子のことを
「うんこの匂いの消しゴムwww」と虐めてた。
人のを盗む子や恐喝する子、買ってもらえなくて店で万引きしたりする子の他にもこういう事をやるバカもいるから
持ち込み禁止になるんだよね。 >>255
消しゴムが机から落ちてバウンド
そう言うことが考えつかんのか? ttps://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-d2-0a/mabou1/folder/946399/30/31028030/img_0?1403573850
昭和の球形消しゴムゆうたらこれやろが!! クレクレタコラが流行ったタコチュー消しゴムは消しゴムとして使われたが
昭和50年前半のスーパーカー&大相撲消しゴムは勿体無いんで使われなかった >>269
2日間も考えて思いついたレスがそれかい w >>271
消字能力を優先すると、可塑剤が多めになり細かい細工を施すことが出来ないし、細かい細工を施すことを
優先すると、消字能力が落ちる。
結果、消しゴムという名の消しゴムではない玩具が出来るのです。
ちなみに、キャラ消しは実は戦前からあった。
ゴム字消しを任意の形に型抜きして、キャラの絵をスタンプしたもので、ベティちゃん、のらくろなどがあったとか。
(この時代の消しゴムは純ゴムだったので、インクは消しゴムにしみこんで消しゴムからは落ちにくかった模様)
学校からも「ご褒美消しゴム」と称して級長や一等賞という判が押された消しゴムが配られることがあったそうです。 タコ型消しゴムは受験前に予備校が配る定番のお守りだった。机の上に置いておくだけで合格するという。
「置くとパス」というしょうもないダジャレなのはいうまでもない。 >>270
ひぁー、懐かしい。ウチにも有ったよ。
画像見るまですっかり忘れてた。 >>276
これ、凄く欲しかったんだけど、当時まだ5歳だったので、「これは、ちうがくせいやこうこうせいのおにいさんおねえさん
しかかえないんだ」と自分に言い聞かせて諦めました。
トンボモノの首チョンパも同様の理由で諦めた。 メロンのにおいがするエンピツとか変なもんが流行ったなあw
消しゴムもフルーツ系の物が結構あって、カジるやつとかいた。
やっぱり子供用に無駄に食べ物のにおいをつけるのは良くないかもw
わら半紙食べるヤツとか大抵いたよね。 >>277
ウチは兄貴が買って貰ったんだと思うけど、物心ついた頃から在ったな。
ただ使い方が良く解らなくて、消しゴム付きの鉛筆みたいに鉛筆のお尻に差して使ってみたり(重くて使いにくい)、3つの穴の意味がよく解らなかった思い出。 >>280
女児向けファンシー文具というのは実は戦前からあったんだけど、女学生のような我欲がコントロールできる
世代が本来のターゲットだったというからねえ。
それを、我欲のコントロールもひったくれもない年頃の子が持ちゃあトラブルしか起こさんわ。 >>280
紙を食うってか噛む商品まであったぞ。
駄菓子屋で、藁半紙というかボール紙というか、なんか赤茶色の紙に味がついてる「ニッキ」ってものが売られていた。
ちぎってクチャクチャ噛む。 自分の文房具の思い出は、レンズになってる下敷きだったな
これは、フレネルレンズといって下敷きのような薄くてもレンズになるというモノ
普通の下敷きと同じような材質で、ただレンズなので透明で色は着いてなかった
随分と大事に使っていたけど、いつのまにか知らないうちに無くなっちゃうんだよね
ちなみに、晴れた日にこのレンズの焦点に紙を置くと、一瞬で燃え上がるという罠
冬でも十秒、夏だとホントに一瞬で火が付く、それで今は売ってないのかも >>284
透明な平らな板にレコードみたいな溝がついてたやつか ソノシートって言う簡易レコードもあったね。ビニール製のペラペラのやつ。
赤や緑の透明なのが多くて、絵本の付録とかについて来た。 >絵本の付録のソノシート
今や、音声ファイルか動画のURLのQRコードだもんな 音楽で思い出したのが喫茶店にあったジュークボックス、100円で1曲か2曲聞けた
そしてテーブルのテレビゲーム、インベーダーが流行るまでは風船割り
ブロック崩しのやつがあった >>283
だから学校で普通のわら半紙食べる生徒がいるのかw?
でも私はその商品知らない。
>>288
そう、今は何でもQRコード。自分のスマホで観てねって。
物は増えないしお手軽だけど、いいんだかどうなんだか。 >>283
確か昭和58年頃までは記憶に有るけれど、ポケットからニッキの切れっぱし見つけた母親に棄てられた。何でもチクロがどうとかで、えらく怒られた覚えがある。何があったんだろうか? >>291
訳判んない着色料や甘味料が入ってるもん買うなというこってしょうね。
駄菓子屋は昭和50年代後半に軒並み閉店したなあ。
末期は闇ゲーセン化して、女子や大人しい子はDQガキに追い払われた。
んでファミコンが台頭して追い払われた子達が戻ってくることもなくDQガキも行かなくなり店主の高齢化も重なって
廃業。 >>291
人工甘味料、チクロが使用禁止になったのが昭和40年代半ば〜後半ぐらいだったかねー?
佐藤さんて子のことをチクロと呼んでおちょくった覚えがある。 子供時代の駄菓子屋だった所をめぐってみると、既に駐車場になってたり新しい家が建ってたり、空き店舗のままで
放置プレイの場所もあったり。 子供の時うちの前の個人商店でアイスとか子供向けの駄菓子とか売ってた。
調味料とか米とか牛乳とかも売ってたけど。
割と最近まで高齢者の顔なじみさん相手にやってたけど、ついに認知症で施設にいってしまった。
食パン買いに行くと、その場で6枚切とか8枚切とかサンドイッチ用とかにカットしてくれるんだよね。
それ以外にパンは置いてなかったと思う。
母親に言われてよくお使いにいった。塩買ってきてだのパン買ってきてだの。
目の前だから小さい時でもお使いに行けるしw 店の表に雑誌のスタンドが立ってたりするパン屋さんや酒屋さんってあったよね。
かつて近所にあったそういうパン屋さんは、雑誌コーナーが三段ほどの木製棚で50冊前後とえらく充実
してた。
立ち読みしてると注意もされるけど基本は鷹揚なので、雑誌やパンやお菓子はそこで買うことにしてた。
そして、その店が建て替えられることになり、外でパン修行をしていた息子が経営することになった。
綺麗でおしゃれな、トングとトレイでパンをレジに持って行く手作りパン屋さんという風になったけど、途端に
雑誌コーナーがしょぼいスタンドに10冊前後に縮小、立ち読みしてると口うるさく注意されるようになったので
自然と足が遠のいていった。
つい最近見てみたら、パン屋はとっくに閉店してて調剤薬局がテナントとして入っていた。
立ち読みの是非はあっちへ置いといて、読ませてもらうからここで買うという選択をするということがどうして
判らなかったんだろう。
今でも読ませてもらうところでは努めて何か購入してます。 昔と今とじゃ情報伝達の速度や手段がケタ違いなので一様に比べることはできないが、
新品の本に透明カバーつけられて立ち読みできなくなったあたりから俺は書店から自然と足が遠のいた
今や個人経営の書店は絶滅危惧種、郊外型の複合大型書店も年々減る一方で、
猫カフェ図書館という新たなスタイルが人気を博している
減ったとはいえ紙媒体需要を喚起する方法は現在でもあるのだなと知らされた 漫画の単行本がシュリンクされるようになってから、三回ばかり外れを引いた(印刷がかすれてる、その逆にインクが濃すぎて
べたっと滲んでるページがある)事がある。
こういう場合はどうすればいいのだろう。
購入店舗に持っていけばいいのかなあ。
シュリンクされてなかったら外れを引くこともなかったのにと思った。 立ち読み客で屁をこぐ人はまれだった
何故か最近の中高年男性は平気でぶっ放す 昔は他人のいるとこで屁をこくようなジジイは弱ってて外に出るやつが少なかったけど、最近はそこら辺まで開き直った年寄りが元気に外出て屁〜こきまくってる予感。 いやいや、
子供の頃は床にヘンな毛が落ちていても気にならなかったろう?
イイ年になって自分が人前で平気で放屁できるようにならないと、他人のフリー放屁も感知できないのよ。 >>301
人前で、電車の中で平気で放尿するババアというのがいてだな 平成だけど立ち読み中に「屁〜こきましたねあなた〜
誰もいないと思って〜 屁こきましたね屁こきましたね屁こきましたね」
って曲が流れて必死で笑いをこらえたわ >>304
職場で仕事中、有線から流れてきたことがあった。
みんな堪えもせず大爆笑。リクエストまでして何度もへらへら笑ってたら、流石に社長に怒られた。 たまたまその社長がすかしっぺした後だったんじゃないのか?w 紙石鹸がやたら流行った時期があった
小さくてきれいでちょっといい匂いがするけど非実用なやつ
男子はスーパーカー消しゴム、女子は紙石鹸て感じだった うちの弟は怪獣消しゴム派だったので、、スーパーカーはほんの数台持っただけで見向きもしなかった。
キン消しは世代がずれてたのでこれも数体持っただけ。 爆風スランプの「無理だ無理だ亀の腹筋♪」
って曲が給食中掛かって爆笑した覚えがある
爆風スランプはランナー以前はコミックソング
のイメージ強かったな 鳥類と爬虫類は、体を前後に曲げることが出来ないそうです。
鳥類は全てが、爬虫類は種類によっては体を左右に曲げることも出来ません。 >>309
セックスセックス無理だ人魚のセックス
を校内放送で流せたというのは羨ましい。 >>307
紙石鹸w 流行は短かった気がする。
そりゃ石鹸がペラペラの紙だと何なんだよって商品だったもんなあ。
兄は電車派で車はイマイチだったなあ、父親も電車派だ。
でも全く違うタイプなので特に情報交換の会話なしw
急激に変化した時代だから、親も色々と大変だったのかなと今になって思う。
自分の親がしてきたことや自分が見てきたことがどんどんなくなっていくんだから。 リリアンは作るやつじゃなくて、できた紐なら釣竿の穂先に使われていて大活躍中。
メーカーによっては、リリヤンと書いてある。 >>314
外出先でちょっと手を洗う時には便利だったろうけど、今はどこにでも液体石鹸があるからねえ。 >>311
多分流してなかったと思う
その代わり吉川晃司「モニカ」の完全版みたいなので
教室がザワついた
吉川が冒頭で「セック(ス)セック(ス)・・・」って呟く奴 >吉川が冒頭で「セック(ス)セック(ス)・・・」って呟く奴
あれは滑舌悪くてそう聞こえるだけで歌詞はサンクスじゃなかったっけ?
なんかの番組で「どう聞いてもセックスセックスもう一回に聞こえる」とネタになっていた記憶がある ohセックス セックス セックス セックス もう二回 >>319
来日直後のケント・ギルバートが日本は凄い国だと驚いたそうだ。 来日直後の進駐軍が近畿グレートリングを知って日本は凄い国だと驚いたそうだ。 ロシアで、日本兵が上官に「海老原少尉どの!」と呼びかけた時、ロシア人が仰天したという。 満州国ではヱビスビールは商品名のせいでぜんぜん売れなかったそうだからな。 昔々、北海道の日本海北部に羽幌炭鉱という大規模な炭鉱街があった
「煙の少ない羽幌炭」なる高品質な石炭として知られ、町は活気で満ち溢れていた
この日本海側で採れた石炭を東の名寄地区、さらにはオホーツク海側に運搬すべく、
国鉄は「名羽線」なる新線の計画に着工したがそこには国鉄が羽幌炭鉱をひいきしていたからという背景がある
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戦後、日本の炭鉱はどこも組合が結成され、それを都道府県や全国の労働組合が統括していた
1951年、日本炭鉱労働組合が賃上げ要求などを求め、全国的にストライキが発生した
およそ8割から9割の炭鉱が休業状態となり、国内の備蓄石炭がほぼ空になってしまった
特に九州では三井・三池系の影響が強く、これらが組合側に回ってしまったことにより、
三菱・住友系の炭鉱が出炭を急ぐ形となり、一時は北海道の石炭が関西で使用される光景も見られた
そんな最中羽幌炭鉱においては早くから現場改善、職員改革などが進んでおり、
大規模鉱では全国で唯一の日炭労非加盟炭鉱として独自の環境や文化が築かれていた
ストが一ヵ月に突入しようという頃、国鉄や電力会社が零細鉱まで石炭を買い集めていた
この危機を救おうと立ち上がったのが羽幌炭鉱だった
同鉱は「国鉄援助」を掲げ、築別坑・羽幌坑・上羽幌坑で全力で採炭を行い国鉄に向け石炭を運び出した
特に上羽幌坑に至っては羽幌森林鉄道の貨車に野積して羽幌駅まで運び出したことも
それらが功を奏し国鉄は必要最小限の減便で済み、道内の支社共に石炭の供給が行われた
ストは60日を超えたあたりで終わったものの、事態が正常になるまではおよそ半年の歳月を要した
その間も羽幌炭鉱は国鉄に対する協力を惜しまず、羽幌炭鉱の一層の繁栄に国鉄も応援する形になった
当時羽幌炭鉱が切望していたのは名羽線の開通だった
そこで国鉄はその恩を返す形で名羽線の早期着工を決めた 吉川晃司も紅白歌合戦以来20年くらいNHK出入り禁止になってたけど
最近は許されたらしいね >>329
最近ドラマにも出てなかった?
ギターにブランデーぶっかけて火を着けたんだよね。 >>328
九州・常磐に比べ北海道の炭鉱が遅くまで残ったのは
そう言う理由もあるらしいね
もっとも
北海道だと代わりの職がない。ってのもあるが。 >>330
おかげで河合奈保子がデビューの出だしが歌えなかった 吉川晃司はTo-yの主人公は自分がモデルと思ってたら
脇の黒髪がモデルと知って軽くがっかりしたと聞いたことある >>335
吉川晃司がモデルと思ってたわ・・・
体型とか踊りとかめっちゃ吉川晃司だったしw
顔は違ったけどさw 80年代前半泥臭い絵が多い中To‐yのファッションや
細い線で書いた絵はおしゃれで新鮮だった
秀郎だったっけ?おしゃれな服着てモペットをシャーと
漕ぐ場面がカッコ良かった たぶん昭和の頃にテレビで見たコンビニの躍進とかいうテーマの番組
こちらのお店ではお弁当の売り上げが好調とのこと
それにはある秘策がありました
朝と昼はおにぎりやサンドイッチといった軽めの品を
夜はからあげ弁当のようにしっかり食べられるものを増やしているんですねー
このように時間帯に応じて仕入れを変えるという工夫
コンビニのお弁当商戦から目が離せません!
現在の基準で見れば何を当たり前のことをと思うだろうが、当時は画期的だったんだよな >>312
この歌好きだったんだけど、よく歌詞を読むと「人妻に惚れてちょっかい出したけど、断わられて残念」って内容だった。
発売当時から40年近くたった最近わかって、ちょっと衝撃。 YouTubeで赤尾敏の選挙演説見ると、至極真っ当なことを言っているように聞こえる >>325
意味が分からん
ロシア語で「エビハラショウイドノ」と聞こえる言葉があるのか
ハラショーが凄いとか感嘆の意味だっけ
エビやドノがロシア語にあるのか つらまらんシモネタを延々やってるから小馬鹿にされてるんだろ
アホの子にはわからんか >>344
ロシアからきたボクサーがジムの大先輩の苗字から「ユーリ海老原」のリングネームを付けてもらったけど、どうしてもエビと呼ばれる事に我慢が出来なくて、改名したね。 ユーリのは、またリングネームが気に入らないからゴネたのかと思っていた。 >351
不満の矛先を外国に向ける昭和になかった。
平成に入ってから外国に五月蝿い日本人が増えてきた。 昭和は、日本が悪い以外は全く認められなかったな。ここが日本のおかしいところ変なところ、日本は大虐殺をした、日本くらい醜い国は無い!の一色だった。 昭和に比べて平成って元号は当初酷評されたけど
ぶっちゃけ元号なんてどうでもいいわな >>357
おまえは「大正→昭和」と「昭和→平成」の改号における民意をそれぞれ公正に比較判断できるのか? >>356
朝日新聞社が大学生の人気企業ナンバーワンだった時代だもんな
今や上位100位にさえ入ってないが 唐突に思い出した。
女の子とばかり遊んでる男の子は
「女の間に男が一人 赤ちゃんできたらどーすんの」って囃し立てたな。
どーすんのって言ったって認知するしかねえだろう。
つか、今の時代にそんなこと言ったらLGBTがどうのジェンダーがどうのと親が総攻撃くらうわな >>358
何トンチンカンなこと言ってんのこいつw
「どうでもいい」って言ってんだろがw >>360
群ようこのエッセイで、女の子と遊ぶと必ずお医者さんごっこをする金持ちの息子という話があったのを思い出した。 ラジオなどのトップ20番組などで、普通に洋楽が日本の歌に混じって入っていたな。 リクエストはがきを出すのを友達に頼まれて手伝った思い出w
はがきは友達もちで70枚書いた。
当時は40円だったと思う。
合計では200枚は出してた。 不二家の千歳飴がみつからなーーーい!
昭和後半〜平成初期には、フツーにスーパーで売ってたよね? え?スーパーに?
あれ不二家の店に行かないと無い物だと思っていた 季節物だからじゃないのか?
ttps://www.fujiya-peko.co.jp/cake//753_sale.html >>369
もちろんシーズン物のスポット品としてだけど、昔は七五三が近付くとしばらく置いてあったんだよ、ピンクのと白のと。
そのうちペコちゃんの金太郎飴タイプのとか、チョコが千歳飴的棒状になったのも出てきたかと。
しばらく存在を忘れてたんだけど、今年、どこの店でも遭遇してないことに気付いた。
秋口からハロウィン物で、ハロウィン終わったらいきなりクリスマス物。 そういや、ペロペロキャンディって見た目は外連味があるけど喰いにくいよね。 なめかけのやつ放置すると唾液で臭くなるんだよね
だから最後までなめきったことがない >>207
小学生の時に栗田ひろみ・三木聖子の大ファンだったな。
城みちる・紀比呂子のファンもいたな。 >>374
ああいう大げさのでなくていわゆるお菓子お菓子してるやつね >>364
コンサートでカバーした歌手
早見優 Frank Stallone Far From Over 千歳飴はピンクの方が美味かった覚えがある
あれって色が違うだけで同じものなのかな じゃあ気のせいだったんだなw
なんかピンクの方が甘くて美味しかったんだよ 普通にフラシーボ効果じゃね?
かき氷のシロップは色と香りは違うけど味は基本的に同じみたいな >みかかから熱烈なラブレターをもらって死亡した
NTTから
>今では見る影もないみいそのPC >みかかから熱烈なラブレターをもらって死亡した
NTTから高額の電話料金を請求されて電話を止められた
>今では見る影もないみいそのPC
今では見る影もないNECのPC スマホでは何故みかかと呼ぶのか。何故みいそなのか分からないよな。
って言うか、コレ昭和じゃ無いだろ。ww 昔からUSキーボード使いのオレにはなんのことやらだ >みかかから熱烈なラブレターをもらって死亡した
マジックホンがばれたってことなんじゃないの? 俺さんはワープロ世代ですか?
(ワープロ専用機を使った世代ですか?)
と聞かれたから
俺はワープロの前のタイプライターとかテレックス世代だよ。
って答えたら、どっちも通じなかった。 通ってた小学校に和文タイプライターあった。文字の配置覚えるの大変そう よく文豪で見積書とか作ったけどまだ昭和だったな
平成になる前後には一太郎になってたかな
それ以来未だにATOKがないとダメなわたし
一太郎も花子も見る影もないけどATOKだけは未だに生き残ってるね ディスプレイが液晶バックライト無しで2行しかない富士通オアシスのワープロで親指シフトで1分200文字打って外国語の本を1冊訳した。 DOSコマンドをポチポチ打ち込んだあの頃。
フロッピーはフォーマットして
表計算はロータスだった >>405
DOS版の1-2-3はギリギリ昭和だぜ 書院、オアシス、ダーウィン、いろいろ触ったけど自分と周囲の評価は東芝のRupoがダントツだった
あれはほんと使いやすかった
商業高校出なんだけど、大昔はローマ字入力は異端扱いで、とにかくスピード重視の教育されてた
大会でローマ字入力使ってくる学校なんて県内に一校しか無かった
自分もいまだにかな入力じゃないと本来の力が発揮できない 数年前に郵便局で設定の仕事があって行ったら、まだ一太郎使ってて驚いたっけ。 ルポJW90Fと文豪ミニ5HLが双方の主力機だったが
俺は文豪派だった >>408
お役所は今でも一太郎が多いよ。
一行の字数がきっちり決められるから、だそうだ。 実は一太郎ってワープロソフトとしてはWordよりずっと優れているんだけどね
やっぱりシェアの大きさには勝てねーか 80年代までは、吉野家は国道沿いにあって(街中には無かった)
タクシーやトラックの運転手や、肉体労働者を主な客層にしてた
女性や子供が入れるような雰囲気は無く、男くさい空間だった 作家や出版業界ではオアシスがデフォだって聞いたけど? まあ、何で入力してくれようが、TXT化してサザンナに流す。 >>414
オアシスは1ファイルに入る文字数が他社製品とは桁違いだったからね
文筆業にとって最大の長所だった CD聞いてるんだけどさ、河合奈保子はやっぱりええわあ。 >>417
松田聖子や中森明菜のアンチはかなりいたけど、河合奈保子のアンチって聞いたためしがないんだよな
特別なファンではなかったが82-83年頃は名曲が多くて好き >>418
聖子の「ぶりっ子」にしても明菜の「ちょい悪」な感じにしても作られたものだけど、
(だからいけない、などというわけではないよ)
彼女の場合、笑顔にせよハキハキしたしゃべりかたにせよ、わざとくささがないし、
音痴ってつっこむこともできないからwアンチのつけいるスキがなかったんだろうね。 >>417
Day Dreams Coast NINE HALF JAPANは名盤
LPはレコード店で買ってきて何度も聞いた。
コンサートは(SUMMER SPECIAL in EAST '84 ・NAOKO EAST '85 ~感電するゾ熱い夏・STARDUST PARADISE in EAST・月夜宮殿〜ムーンライト・パレス〜 NAOKO THANKS GIVING PARTY)見に行った 「おっぱいは正義」という言葉が生まれる前に、すでに正義だった河合奈保子と榊原郁恵 河合奈保子のせいで「けんかをやめて」がとんでもないクズ女を歌ってる
曲だということに気づかなかった すっつぃーなー
ひっつぉーにー
とおんぞーあはせてーー
デビュー当時は読みの近い漢字を当てて歌詞を覚えてたらしいなアグネスチャン。 岡田有希子・立花理佐・西村知美は河合奈保子に憧れて
歌手になった。
薬師丸ひろ子・河合その子は松田聖子の大ファン 【ポケットいっぱいの秘密】
アなた草の上
グっすり眠ってた
ネ顔やさしくて
スきよってささやいたの♪ >>418
え、そうなの。
でもあの人は男受け軽だから男性だとそうなのかもw
聖子ちゃんはせいこーーーって男性の声ばっかりだったけどw
聖子ちゃんカットとか結構女の子もみんな大好きだった。
ただ私は聖子ちゃんより年下で可愛いお姉さんみたいな感じだったけど
同い年の人はどうだったんだろ。聖子ちゃんカットしてたのは同年代の女の子だけどねw 浩宮さまは柏原芳恵、ブルックシールズのファンだったな
小和田雅子さんが出てきたとき系統のブレなさに感心した アホな週刊誌に毒されてるせいもあるけど、雅子殿下のドタキャン癖どうにかならんか
今は天皇陛下と美智子皇后、およびその名代として秋篠宮殿下と紀子殿下が公務に勤しまれている印象で、
それに比べると次の天皇を継承される皇太子殿下や雅子殿下は存在が薄い
その次の後継が悠仁親王殿下だからというわけでもないだろうに、もう少し前面に立たれてもいいと思うんだがな
それにしても不謹慎なことを思ってしまったが
このまま普通に皇位が継承されると悠仁親王殿下の頃は、久々に若いフレッシュな天皇陛下のお目見えとなる
その頃が楽しみだな
不慣れゆえもしも不敬な言葉遣いがあったらすまん >>432
> このまま普通に皇位が継承されると悠仁親王殿下の頃は、久々に若いフレッシュな天皇陛下のお目見えとなる
その一方で、ヘタをしたら「男性皇族が天皇陛下御自身しかいない」という危険性もあったりするんだな。 >>432
気持ちはわかるけど、重度の帯状疱疹てほんとにつらい病気だからな・・・ 雅子妃は自信ないならもう最初から出てこないで引きこもっててほしい。
地方へ来られる時も市や県がどれだけ気を使って「来られるから万全の準備を」「もしこういう場合はこういう風に」と
金と人を注ぎ込んで準備万端してるのに
前日に「やっぱり行かない」との連絡‥。 みんな経験してるのにそれが当たり前と受け止めていたのか、その頻度の割になぜかほとんど話題にならないこと
ファミコンの音源は原則として三重和音(+ノイズ1)しかなかった
ゲーム中に流れるBGMは各メーカー創意工夫がなされ、中には名曲と称えられるのもあるんだけど、
同時に発生する操作音(ミサイル、ジャンプ、ドラクエのテキスト等)に一音が削られ、せっかくのBGMが台無しになってた
カスタムで操作音カットできる機能があればいいのにと当時から思っていた >>436
ドラクエの音楽は、ほかの作曲家が断る中、
すぎやまこういちが「音楽は三つ音があればできますからね」と引き受けたらしいね。 >>437
へえええ、それは知らなかった
俺が聞いたのは以下の通り
初代DQのプロトタイプが完成しつつあった頃、開発のチュンソフト側でメインプログラムと平行してBGMが完成しつつあった
ところがそれと同時進行で元締めのエニックスがすぎやま氏と接触し、DQの作曲を全面的に委託することになったという話
DQ以前にエニックスは色々なソフトを連発し、そこそこのセールスを記録していた
同社のあるソフトに同梱されていたアンケートはがきが届き、あて名はひらがなで「すぎやまこういち」と書かれていた
最初は小学生かと思われたらしいが、作曲家のすぎやま先生と気づくや否やすぐにファーストコンタクト
すぎやま氏は「これからはゲーム音楽もプロが手掛ける時代になるだろう」と自論を展開しつつ、
ゲームに対する理解や知識も並みのものではなかったのでエニックスもこの人なら、と安心して任せることに
こうした経緯を経てエニックスが仲介する形ですぎやま氏とチュンソフトの初の三者会談が取り持たれた
チュンソフト側は明らかに商売敵に対する敵意むき出しの眼差しですぎやま氏を睨んでいたが、ゲーム談議になるとすっかり意気投合
若いチュンソフトのメンバーにも劣らないすぎやま氏の豊富な知識とゲームに対する理解により、
チュンソフト側も自社の作曲を引っ込めるしかなかった
すぎやま氏が最初に手掛けたタイトルは「序曲」
DQといえば真っ先に誰もが思い浮かべるあの永遠の名曲だ
これほどの大作をすぎやま氏は5分で作り上げたとのことだが、それまで生きてきた55年の経験値がものを言っている
「あれは55年と5分でできたといえる」はすぎやま氏の名言 サザンが夜のヒットスタジオでミス・ブランニューディーを歌った時桑田佳祐の着ていた衣装がジュリーの勝手にしやがれに似ていた。 >>433-435あたりを見るにつけ
やはり皇室には側室制度を設けるべきだと思う 大人の帯状疱疹て、ストレスによる免疫力の減退から来るんでしょ?
精神時な要素が強いよね。 >>440
明治天皇の時まではあったんだけどねえ。
明治天皇は孝明天皇の息子で唯一成人したのが明治天皇だし、
明治天皇の息子で成人したのも大正天皇1人だけ。
どちらも側室の子。
つまり、近代の天皇制は側室制度に支えられて綱渡りで続いてきたわけだけど、
貞明皇后が男子ばかり4人産んだり、昭和天皇が女子ばかり4人続いたときに、
側室を持つように勧められたのを断って5人目で今上陛下が生まれたりで、
「なんとかなるだろう」って感じになっちゃったのが大きいかな。
もちろん、一夫一婦制にするのが現代的なやりかたではあるけどね。 > 明治天皇の息子で成人したのも大正天皇1人だけ
そのたった一人の大正天皇って元来から病弱で普通の公務も大変だったんだよな
奇跡的に4人の男子をもうけて概ね健康に育って晩年を迎えられたからよかったけど、
悠仁親王殿下にそのような危機が再来しないことを願うばかり 日本の歴史で女子の誕生を切に願われたのは山口百恵夫妻ぐらいだもんな
結局それも叶えられなかったけど
そういや高校の同級生男子に姉が四人いる奴がいたなw >>444
大正天皇の場合、とにかく健康なお妃をってことで選考が進められた結果、
九条家のお姫様だけど高円寺の農家に里子に出されて育った人が選ばれた。
野山を駆け回って遊んでたからよく日焼けしていて「九条の黒姫様」と呼ばれていたとか。
ほんとうにねえ、悠仁様のところでなんとかなってくれないと、
臣籍降下した旧宮家のうち男系で続いているところを呼び戻すしかなくなるぞな。 >>434
本当につらい病気なら休めばいい。
ごく平凡な庶民でも行くっていったのにやっぱりダメかも、
配慮してくれそうなら行けかも、でもやっぱり行かないなんて嫌われて当然。
症状が落ち着くまでしばらく休むねって言えばいい。 >>435>>447
それな
最初から全て欠席で挨拶は事前に収録したDVDでいい https://youtu.be/Ju_ZKkZlfXs?t=607
この番組みたいに十分な練習もなく大勢が即興で歌おうという場合、
昭和の人はカラオケ慣れしていなかったのが多かったのかリズムに乗れない場面がよく見られた
気分が高揚している場合は主演奏より早いテンポになるんだよね
逆にNHKのど自慢みたいに緊張してガッチガチのお年寄り等は思いっきりテンポ遅れてたりとか
今の人はみんな歌い慣れてるであろうから、ここまでリズム狂うのは全くと言っていいほど見られなくなった >>449
体調がよかろうが悪かろうが、なにをやっても美智子様と比較される、というのはキツいだろうね。 皇室の男子が絶えたら御簾の内側に鏡でも置いて代用すればいいよ。いることにして御膳の上げ下げするの。
そんで女系の斎王が祭祀だけやるの。歴史的にもそんなもんでしょう。 ラスボスが暖簾の向こう側にいて最終対決で声だけが流れてて
信者をだまして存在しているように見せかけていたアニメとかよくあったね ペッパーたくさん余ってきてるんでしょ?
ペッパー君置いとけばいいよ御簾の中に
帝王学を学ばせたAI搭載したやつとか 声は飯塚昭三さんでお願いしたいけどかなりのお年だしね 目玉おやじは中の人も作者もお化けの世界に逝ってしまったね >>440
俺もそう思う
側室制度を復活希望
ついでに公娼制度も復活したほうがいいかも >>453
オズの魔法使いがそのまんまじゃん
引用がリテラシーのない受け手に通じなかった不幸だな ザ・トップテンを見た時吉幾三が河合奈保子の
ファンであることをアピールしていた。
芸能界には松田聖子の大ファンの有名人がいることをしっていたが
河合奈保子の大ファンの有名人がいたとは知らなかった。
彼女が西城秀樹司会のモーニングサラダで
西城の曲について「大人っぽい」と言った。
西城に「ありがとうございます」と言われて照れていた。 リテラシーw
オズの魔法使いって連続ドラマとして日本で制作されたものが放映されてたよね リテラシーとかエビデンスって言葉を平気で使うような言語センスの無い奴は信用おけないね
あとアメニティな >>463
医学・薬学系の「エビデンス」は勘弁して。
「一定以上の規格の元で収集された信頼性の高い臨床データ」とかいちいち言ってらんないから。 >>461
あったあった
あのテーマソングは大好きでよく歌っていた
大人になってからレンタルでシェリーのCD借りたら
全然歌詞間違えて覚えていた メタル、クロム、ハイポジションなど必死に選んで、少ない小遣いで買ったけと、クロムとメタル、はそんなに違わないように聞こえた。
音にこだわるやつにはアホみたいに言われたけど。 >>470
再生機で切り替え付いてるのがあったな。 セラミックのハウジングなんてのもあったな
TEACのリールが中に入ってるやつがカッコよかった https://compactcassettes.jp/tdk/tdk_mar_a_top.jpg
その最高峰がこれ
振動防止のためにカセット本体に金属ボディを採用という売りだったかな
定価は60分で\2,000
46分はもう少し安かったけど、LPレコードレンタルしてこれに録音するぐらいなら、
最初からLPレコード買うのと大差なかった
ちなみに未開封の新品であれば、現在のヤフオク相場は三倍ほどに跳ねあがってるとか 映画プロデューサー 黒沢満さん 肺炎のため死去。85歳
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181130-00000151-dal-ent
代表作
松田優作の『最も危険な遊戯』「遊戯シリーズ」
『野獣死すべし』
テレビドラマ『探偵物語』
舘ひろしの『皮ジャン反抗族』など暴走族映画
『あぶない刑事』シリーズ、『ビー・バップ・ハイスクール』シリーズ
角川映画やテレビドラマ、「東映Vシネマ」
お悔やみ申しあげます >>477
日活に東映日本映画発展の力のひとつだった人だな
ご冥福を祈ります
、 来る12月10日は、3億円事件発生から50年。
昭和どころか戦後の日本の大事件といってもいいと思うが、もう当時衝撃を受けた世代が企画の現場にいないせいか、テレビなんぞでもあまり話題になりませんな。 あの頃は3億ってとんでもない額に思えたなあ
億って金額もめったに目にすることなかったし アルフィーが3億円事件を風刺するレコード作って
発売日前日に「社の良心に反する」と人知れず発売中止にされた >>480
>あの頃は3億ってとんでもない額に思えたなあ
最近は3億4億の詐欺はよく聞くし、ゴーンの隠し給与が90億とか言ってるから大した金額じゃないように感じてるけど3億ったら、サラリーマンの平均生涯所得を超えてるんだけどね。 あれは、金額を別にしても、鮮やかに警察や周囲を煙に巻き、時効成立まで持ち込んだのは、まさに伝説の事件といっていいんじゃ?
昭和50年の時効カウントダウンも日本中が騒いでいた感じ。 事件当時一番怪しいと思われた人は事件後にすぐ自殺しちゃってるから彼が犯人だったら時効になるわな
今でも彼が一番怪しいと思われてるし死んでても証拠が揃えば被疑者死亡として終わりに出来たはずだからそこまでの確証は得られなかったって事だね >>481
アルフィーはデビュー当時4人で活動していた。
メンバーの一人は翌年脱退。 ある日突然バンドをしたくなったからアルフィーになったってのは本当か? >>418
俺は奈保子の大ファン。
Day Dreams Coast は David Walter Fosterが編曲したアルバムだから好きだった。
奈保子は歌番組で他人の歌手をカバーしていたな。
うちの高校では男子は原田知世・薬師丸ひろ子・本田美奈子・斉藤由貴・松田聖子・中森明菜の大ファンがいて、女子は西城秀樹・田原俊彦・近藤真彦・郷ひろみ・吉川晃司の大ファンがいた。
QUEEN やイエスが好きな洋楽ファンもいた。
沢田研二・サザンオールスターズ・アン・ルイスの桜田淳子の熱狂的な大ファンもいた。
五木ひろし・都はるみのファンもいた。 歌番組が山ほどあった頃はいろんなジャンルが聴けたんだよね
演歌も普通にベストテン入りしていたし
若い子もカラオケで歌っていた >>491
そもそもカラオケ自体がスナックとか、平均年齢高めの大人の社交場に設置されていたものだったからな
当時で言うところのアイドルとかニューミュージックも選曲リストにあることはあったけど、
演歌系に比べると圧倒的に少なかったし、場の空気読んでそんなのは歌えないということも珍しくなかった
若い子が演歌を歌わざるを得ない状況だったのではないかな
それとカラオケの媒体がLD等のディスクが主流だったという事情も見逃せない
メーカーにせよ設置店にせよ、すぐに入れ替わる流行曲より長く歌われる演歌が重宝されたのだろう
チャート上位のヒット曲が一気に増えてカラオケの主流になったのは、通信カラオケの時代からだと思う 俺は映画「大日本帝国」の主題歌だった「契り」
篠田三郎と夏目雅子が哀しい >>493
うちにエイトトラックのカラオケ機があったぜw
レーザーカラオケとかまだ新しいぞ 記憶だけで書いてみる1984年12月31日の紅白
背景としてキャンディーズの二番煎じで都はるみが「普通のおばさんに戻りたい」
とマジにしてもジョークしてもどっちの意味でも寒い引退宣言があり、この紅白が現役最後の舞台となった
当時の彼女におかれては、美空ひばりや北島三郎といったいわゆる大御所には一歩及ばないものの、
さりとて決して小物でもなく、だからと言って石川さゆりのようなニューウェーブ系のような若さや美貌もなく、
何ともいえない絶妙なポジションだったが、引退という大義名分があったのでこの年の大トリを飾ることに
予定されていた「夫婦坂」を歌い終わり、会場からは異例のアンコール
当時NHKで人気のあった白組司会者の鈴木健二が仕切る
「わたくに一分間だけ時間をください。今交渉してみます」
「都さん、アンコールの声が聞こえてますでしょう」
「練習もキー合わせもしてないぶっつけ本番になってしまいますが、もう一曲お願いします、お願いします」
異様なムードの中、代表曲「好きになった人」が急遽アンコールで追加
水前寺清子や大勢の仲間が寄り添って大合唱
これ以上はないという感動のムードの中で総合司会者が言う
「美空、、、都さんにもっともっと拍手をお送りしたいところですが、集計に移ります」
最大瞬間視聴率70%とも80%とも言われたこの数分間に、色んな要素がぎっしりと詰まってた 河合奈保子のシングル・アルバムの
LP・写真集は全部買った。
82年から88年・95年のコンサートはいった。 河合奈保子いいよね
聖子や明菜は作られた虚像のイメージが強かった
(それがダメと言うつもりはなく、また楽曲の評価とは全く無関係なので誤解無きよう)
でも河合奈保子は裏表のない実像なんだよな
24時間、いつでもどこでもずーっとあのキャラだったと思う
パワー全開の「ムーンライトキッス」「夏のヒロイン」
しっとり聞かせる「Invitation」「微風のメロディ」あたりが特にお気に入り
ところが「唇のプライバシー」あたりから路線がおかしくなり、迷走を続けてしまう
最後にヒットしたと言えるのは「デビュー」(1985)かな
その後人知れず徐々にフェードアウトしていった感じ OFF時(オフ会じゃないよw)の眼鏡顔を公開してたのは河合奈保子だっけ? >>497
総合司会のアナウンサー、地方に飛ばされたんだっけ? >>499
彼女が出演していたミュージカルは見た。
ドラマに出演したり、ラジオにも出演していたな。
眼鏡をかけていた姿はテレビで見た。 奈保子の大ファンであり西城秀樹の「大ファン」だった
姉の秀樹の大ファンで、コンサートは見に行った。
秀樹のシングル・アルバムのLP は持っていった。
初めて買った秀樹のLP は「ブルー・スカイ・ブルー」 西城秀樹は何となくアイドル扱いされてたけど、最近歌を改めて聴いてみたら結構上手いな。
近藤真彦は酷かったけど。 ラジオ FM76.2MHz 三角山放送局
12月30日朝7:00〜31日朝7:00
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
大和秀嗣さんの 歌謡クロニクル 年末スペシャル
24時間まるごと ありがとうヒデキ。西城秀樹さんを偲んで
https://pbs.twimg.com/media/DuFwg44UwAE7a04.jpg
http://www.sankakuyama.co.jp/ https://www.bilibili.com/video/av27687556/
探したらあった
こういうとき中国のコピーが皮肉にも役に立つ
そこら中から沸き起こるアンコールの嵐、一年の最後を締めくくる&都はるみのラストを飾る大舞台、もらい泣きする共演者
それらを全て破壊する魔法の呪文バルスではなく「ミソラ」
すごいわこれw しっかし水前寺清子の万能性や汎用性って異常だよな
主役(都)の隣でもらい泣きしながら肩をさすってもよし
トリにひょこっと出るだけじゃなく、仮にオープニングが365歩のマーチでもよし(会場が一気に温まるだろう)
枠を超えてデーモン小暮と共演してもよし
すごいわこの人w >>507
今でもあのノリは通じるからねえ〜
イントロちょろっと聞いただけで来た来たあああってなるわ
話変わってスマンけど、ン十年ぶりに鬼太郎見てビビったわ
今はロリロリの魔女っ娘が出てるんだな…目えキラッキラッだし
今の子が妖怪人間ベムとか見たら
あの独特の暗い絵に拒絶反応示すかね >>508
鬼太郎なんて妖怪漫画のはずなのに
今じゃジャニーズ鬼太郎とAKB猫娘だもんな
あれでは恐怖は表現できないような気がする まあアニメの鬼太郎から幾ばくかの人数の子供はいずれ原作マンガ経由で貸本時代のホラーな墓場鬼太郎に辿り着くんだからいいだろ。 >>497
その2年後は
「仮面ライダー」事件だな >>516
3時のあなた vs 3時にあいましょう
の視聴率争いを覚えている 4時5分、4時5分
正しくテレビを観るために
楽しくラジオを聴くために
覚えておけば便利です
テレビもラジオもいつでもオッケー
受信相談〜♪ また懐かしいものをw
おかあさんといっしょの前にやってたから、ついでに見ててテレビの調整を覚えてしまった 私の前の マーイクロフォン
二十七年も前の物
あの時笑ったのは誰
あの時泣いたのは誰 浪人時代午後3時からのワイドショーで高校生売春のことよくやってたので見てたわ
その子らももう還暦なんだなと感慨ひとしお(´・ω・`) >>521
土曜だか日曜だか、週イチだけ5時5分だったような? >>518
昔、ウチの方は民放が2局しかなく
午後3時になると、どっちをつけてもワイドショー
そんな事を思い出した
当時はワイドショーと言っていなかったな 今は朝から晩までどこつけてもニュースワイド。
アニメの再放送枠廃止で、テレビの前から追っ払われて定時にテレビを視聴するという習慣を幼少時に身につけることが
なかった冷や飯世代も最年長がいよいよ30代。
この世代が社会の中心になる頃には、ニュースワイドさえも誰も見なくなるだろう。 3時に会いましょうはよく見ていたな
小学校から帰るとこたつに入って
おばあちゃんと一緒に芸能人の離婚だの浮気だのまじまじと見ていた CMが生放送だったよね。
一度CMの最後に出す企業ロゴの書いてあるパネルを間違って出したのを見た事がある。
(例)桃屋のごはんですよのCMの最後にブラザーミシンのパネル 数年前にブラザーがプリンターを出している、というかそちらがメインになっているのを知って驚いた。 ブラザーは多機能だけど維持費がかかりすぎるからもう買わない。 >>533
エプソンの真似して1年インクが持つプリンター
ブラザーも出したよ トヨタも編み機の会社だったよね
でもオリンパス(カメラ)とオリンパス(刺繍)は別会社だった
ずっとオリンパスも刺繍から始まったと信じてたのにw >>532
ハイアンドローやコメットさんを見ると、結構いろいろな家電を作ってたな。
タイプライターやキーボード(楽器の方)も作っていた。 ディスプレイが二行くらいしかない「ワープロ」使ってたな >>537
ブラザーのタイプライター、コレクションにあった
いかにも昭和の日本って感じでオレンジ色の丸みを帯びたいいデザイン
タイプライターは数少ない庶民のアンティーク
みんなも500円握りしめてHARD OFFへゴー! >>536
豊田自動織機は今はフォークリフトを売ってるよ。 >>527
ウチんとこは民放2局時代にTBS系でアフタヌーンショーが3時からやってた
>>530
火野正平のプレイボーイぶりを知ったのが確かこの番組だった
専ら三雲さん目当てで見てた
>>531
涙声で「桃屋です」って生CMやってた人は今も現役なのかな
裏のTBSの人はビビットで今も見れるけど 年末になると母親に連れられて市場に買出しに行ったな
すれ違うのもやっとの人の多さで買い物籠が頭に当たったり
食パンも見ることのない一斤でさ
そんな年末も年が明けると街は凄く静かで
親父は仕事で普段は朝から居ないのにコタツに入って日本酒飲んでて
いつもと違う生活があったな
今はとても便利だけどあの頃に戻れたらなぁって思う
だって親が若くて元気だもん >>542
一斤は、普段だろうが正月だろうが一斤だろ。
型から出したままの長さの切ってない食パンは、3斤か4斤分ぐらいあるはず。 近所にヤマザキのパン屋があったから日常的に長い食パンは見てたな
注文すればサンドウィッチ用に耳をカットしてくれたが一度も頼まなかった
耳を切らないのがうちのサンドウィッチだったから そもそも、普段から食パン1斤下さいって言って
その場で切ってもらって買ってたからなあ。
うちはいつも8枚切だった。 >>542
一斤じゃなくて一本の間違いだろ。
子供の頃は年末、母親は一日中台所で調理してた。
父親は畳全部上げて床下掃除して
31日夜遅くまで(紅白を付けて通りがてら見ながら)働いてて、
一夜明けた1日はもう別の世界、新たな日と身に染みてたなあ。
今は31日も1日も全然変わらないな。単に休みの日ってだけ。 >>546
ウチも1斤8枚切りにしてもらってた。
たまにトーストの好きな母が4枚切りにしてもらってたな。 >>548
イッキンを8枚切りって、シフォンケーキみたいになるぞ 1斤を6・8・4切りの何れかが一般的
確かに8枚切りは薄いが、当時幼稚園児だった自分には丁度良かった。 >>545
これ、1斤じゃなくて3斤分あるじゃん。 >>552
こういうふわふわしたパンだったら、ちょうどこれぐらいが1ポンド 450グラム つまり1キンじゃないかな
みんな日本のスーパーで売ってるあの 立方体のものを1キンだと思ってるけど、あれは明らかに軽いよ >>543
型一つぶんをイッキンだと数えるルールだとしても、切り口がある時点でイッキンじゃなくなるよ >>553
>>554
何を言わんとしてるのかよくわからないな。
斤てのがもともとは重さの単位だってのは正しいけど。
ここでさっきからいろんな人が書いてる6枚切りだ8枚切りだってのが、とりあえず日本の大手製パン会社や普通の(何か特別のマイルールがあるわけではない)パン屋の1斤て規格でしょ。
実際には各商品により重さやサイズにある程度違いがある。厳密に何グラムだから1斤として売ってるわけじゃない。
しかも写真のは特別なフワフワ感があるわけでもないありきたりな山形食パンを型から出した状態に見える。
通常これを1斤とは数えない。1本と言うんじゃないかな。
おそらく山2つ分で1斤。全量で3斤だと思うよ。 >>555
うちの例でいえば昔は行ってた時もあったけど今は地元で調達してるよ
もう大所帯ではなくなったからちょっと買うくらい 関西では食パンはなんといっても5枚切り
4枚や6枚が残ってるのに5枚が売り切れてるのはしょっちゅうだわ 最近はスーパーの袋に入ったあれを一斤と呼ぶんだな
歳をとった >>559
巨大な型のままの大きさの直方体の(山形なら上がモコモコしてる)を1斤と言ってたことが、いつあったんだ?
大正だか昭和初期あたりからパン屋やってたウチの爺さんはそんなこと言ってなかったと思う。
スーパーで袋に入って売ってるのとほぼ同じような立方体っぽい(もちろん山形なら上がモコモコ)のを1斤と言ってた。
重量の単位としての正確な1斤と、パンの1斤はイコールじゃないはず。パンの1斤はこの範囲の重さっていうような基準があって、商品によりそれを逸脱しない程度の差異があると思う。
よくある食パンの大きさではない独自のサイズの焼き型を使ってたり、原料が極端に違って重さが激しく違わない限り、袋入り食パンの2倍3倍あるような長いのは昔から「1斤」じゃない。 >>560
平成24年以降一斤は正式にスーパーの立方体のものを指すことになっているね
君が正しい
立方体3つ 一山 1英斤を親世代がイッキンと呼んでいたようだ
すまぬ
当方神戸市 40代 >>561
たまたま近所のパン屋が小ぶりの型を使ってたんじゃないの?
あるいは神戸ルールみたいなのがあったのか?
ならばあなたにとっての郷愁の1斤はデカいんでしょう。あなたの脳内を否定する気はない。
しかし東京では昭和からずっと、スーパーの袋入り食パンのサイズのを1斤と言ってた。手作りパンの店でも、表面積があれくらいのだったらあの大きさで1斤。平成になってから……ましてや20何年からではない。
どっかにそう書いてあったなら、その時点で公取か製パン業界かなんかがおふれを出したのか改定したってことかと。
英斤とか言ったって、日本標準な感じの3斤の型だったら2ポンド以上になっちゃうと思う。
スーパーのパンだと、もしかしたら平成になってからの一時期よく売ってた山崎ダブルソフトってスッカスカふにゃふにゃのは、他の食パンより少し長くて1斤だったかも。 ダブルソフトに限らず、山パンってパンを水で薄めたような味がするね 昔は邪魔崎のうんちパンは添加物とかの問題で厚労省の指導を何度も受けてたけど最近は大丈夫なの? >>562
平成24年の件はお触れが出た年、で正しい
きっとその頃には事実上は立方体が一斤だったんだろうけど、政府も俺のような「郷愁の直方体一斤」の生き残りを一掃したかったんだろうな
六甲の祖母も生協の立方体をハンキンと呼んでいたっけ
ここで同じ記憶を持つ味方が現れないのは寂しいが、制度化は良い事だね >>555
検索すればわかると思うけどアメ横の商品はかなり質が悪いよ
スジばっかで売り物にならないようなものがアメ横にくる >>565
あー、食パンはハンギンて言ってたわ
言われて思い出した 上野の住人だった祖母は御徒町の吉池で正月の買い物してた
アメ横のことは闇市とよんで魚は買ってなかったなー 握り寿司の一貫みたいなもんかね。
あれも昔は一皿分の二つのことを言ってたよね。 >>569
お好みで握ってもらうと、同じネタ2個が1セットになって出てきて、これを1貫という……と、子どもの頃教わったような。
それって昭和40年代から50年代初めぐらいじゃなかったかな。自分のカネで寿司を食べるというようなことが全くなかった頃で、通ぶったオトナにそう聞かされて、「で? だからナニ?」な感じだったから。
気が付いたら1個=1貫になってた。
自分でカネ払って食べる寿司は、たいていぐるぐる回ってて1皿2皿と数えるので、1貫何個でも構わないし懐かしくもない。
でも、確かに昔は2個が1貫と言ってたよね。 >>569ですが、一皿なんて書いたんで回る寿司しか言ってないのがバレバレだw 普通の人が寿司を一貫て言うようになったのなんて多分平成からじゃないかな
寿司職人やグルメな人は前から言ってたのかもしれんけど >>572
その辺は方言や地域差もあるんじゃね
北海道では食事後の会計を「おあいそお願いします」と普通に客が店員に言ったりするから
古くから客がすし一貫、二貫と言っていたエリアがあってもおかしくはない うちの向かいが寿司屋で同じ商店街だからしょっちゅう親父に連れられて子供の頃からお好みで食ってたが、2個ずつ出てくるのは当たり前だと最初から刷り込まれてた。
でも、それを一貫と呼ぶとは大人になるまで知らなかった。
そもそも寿司屋で客が一貫くれとか言う必要ないし。
二貫頼むような無粋な客は見たことないね。
回転寿司だとおんなじものを何皿も食う奴がいるみたいだけと。 たった今ピンクレディーがTVで歌ってたけど2人とも60歳か 若いな〜
多分だけど全盛期のときの稼ぎはほとんど事務所が持っていったんだろうな お菓子屋に行くと、ガラスの蓋が付いた木枠の中にアラレやおかきが入っていて、量り売りしてたのを思い出した
スコップみたいなので袋に入れてくれた >>576
この前、厚木でそんな風に売ってるお店を見た。
何か買ってみればよかった。惜しいことをした。 お年玉を親に言われて預金していた
自分の名前の預金通帳があって嬉しかったものだが
大きくなってお金の価値が分かる年齢になった時
そのお金は何故か綺麗さっぱり消えていた >>579
家によって色々な考えがあるでしょう。
あなたの学費や通学費や食費になったかも知れませんし、分割して月々のお小遣いとして渡されていたかも知れません。
あなたのために使われていたのなら良しとしましょう。 駄菓子屋といえばオレの場合なんといってもポンせんだった >>579
うちはハッキリと親も他所にあげているから、アンタがもらえるだけ
付き合いをやってるのは親とシビアに言われてたw
親がくれるお年玉は自分の物だったな。
あと父方は親戚づきあいが祖母ひとりのみだったせいか、父方祖母からのももらえた。
母方はイトコの数もかなりいたので、出費多かっただろうな。
うちは2人兄弟だけど、他は4人、2人、3人、3人でほぼ負けてるしw
最初はえーーーっと思ってたけど、いつの間にか納得してた。
学用品や衣服などは親が買ってくれるわけだし。少ないとはいえ、小遣いも毎月もらってるし。 >>558
昭和の頃に5枚切りあったかなあ。
4枚、6枚、8枚はあったけど。うちは6枚だった。 食パン一斤くわえて「遅刻しちゃう〜」と走る女子高生 >>584
関東で5枚切りはかなり最近だと思うけど。しかもウチの近所ではパスコ(=敷島)のしか見かけない。
関西ではもっと前からあったらしいよ。 四枚切りなんてTVで取り上げられるまで見た事も無かったけど、最近よく見るな 関西は4枚切りが普通みたいだね
あまり食パン買わないからかもしれないけど大手パンメーカーの4枚切りって見たことがない あんまり厚いと縦に投入するタイプのトースターに入らないからじゃね >>594
関西は5枚切りが主流で4枚や6枚が残ってて売り切れてることがよく有る
東日本では8枚切りも多いようだけど関西では明らかに少数派やね 50年代はポップアップ主流だったけど昭和の終わり位からオーブントースター主流になったよね 十年くらい前にポップアップトースター見直されてプチブームになってた気がする
カリッと焼けるとかで
そん時ちらっと欲しくなったけど、やっぱ一台だけ置くってなったら
オーブントースターなんだよね。他にいろいろ焼けるし
一番古い記憶にあるトースターはポップアップだわ。レトロポップな模様が描かれたやつ
電気釜とか、ブシュゴゴゴゴゴって音立てるポットとか
昔の家電はオサレな模様がついてたもんだ 「料理は女がするものと決めつけている」とかいう理由で模様が無くなったんだっけ
今でもポットとかは花柄のがあったりするけど、そろそろまた柄物調理家電が出てきてもいいのに そういや、昔なんかのアイドルグループのプリントされたパソコン出したことがあったっけ。
AKB48だっけ?モー娘。だっけ?
なんかのプレゼントだっけか?
昭和じゃねえか。 横山剣 永ちゃんみたいな髪型
陣内孝則 ロックバンドのボーカル
遠藤ミチロウ ザ・スターリン
藤真里子(藤原審爾の長女) https://i.imgur.com/P9wipGC.jpg
何と無く懐かしくってパケ買いしたんだけど、当時ダブルラジカセ欲しかったっけなぁ…。 >499
奈保子のほうがおニャン子クラブより数百倍上手かったな。 おニャン子クラブを今聴くとびっくりするよね。
ボイストレーニングなんかまったくやったことなさそうな地声の下手くそ集団。
AKB48がうまく聞こえてくる。 >>611
原曲そのものは決して悪くないんだよ
秋元を軸にややエロい歌詞に加えリズミカルで心地よいコード&メロディ進行と、
最初から一般受けするための仕掛けがなされていたから
それが証拠におニャン子関連で短調の曲ってほとんどないだろ?
レコード大賞狙いなら短調もありだけど、確実に週間チャート一位をとるなら長調だ
でも周りがいかに売れるために努力しても所詮歌っているのが素人集団
それゆえにおニャン子の曲=酷い というのが今も当時も定説だった
彼女らの不幸はもう一点あって
昭和60年代はアルバムは12cmCD、シングルはレコードという歪な過渡期
それが僅か二年半の活動期間と完全に一致しており、シングルレコードが最も売れない時期だった
オリコン初登場一位、二周目からは圏外という現象が頻繁に起こり、
それが粗製乱造の印象を一層濃くしてしまった
もしもデビューが5年後、または5年前だったら違う評価になっていたかもね >>611
秋元康といえばおニャン子クラブと息っ子クラブ
AKB 48グループの産みの親だ >>504
夜のヒットスタジオ見ていたけどマッチは下手くそ。 A応Pが歌った戦時歌謡を聴いた人が、「この子達はうまいですね。当時の音盤ではもう少し音程が外れてます」と
言ったとか。 立見里歌はおニャン子クラブより元オールナイターズの
イメージが強いな。 おニャン子のCDV持ってる
今再生できる機械って売ってるのかな >>620
CDVって懐かしい。
昔は曲全てにビデオクリップあった訳でもないし
観る機会も深夜音楽番組かCATVだけだった。
現在のようにほとんどの曲のビデオが存在して
CD購入すれば付いてきて
YouTubeでいつでも観れるのは隔世の感。
個人的に好きなビデオクリップは
ボウイの「季節が君だけを変える」 おニャン子の話をしてるのに、自分語りでボウイの話をしだす>>622は
脳に深刻な障害が出てるから医者に診て貰った方がいい
お前の好みなんてどうでもいいんだよ アイドルの話しかできないおっさんかわいそう
TOTOのアフリカとか
35周年ライブの映像だと当然スゲエおつさん
高校時代はキースリチャーズがおじいちゃんに見えた記憶が蘇る 高校の時日本史の先生は野球嫌いで、「野球は貧乏人の娯楽」と怒鳴っていた。 野球を世界的に普及させようなんてやってるけど
用具に金がかかり専用の球場も必要になるから貧乏な国には迷惑な事だな
一部地域のローカルスポーツでええと思うわ >>628
うちの弟は焼いた酒粕に砂糖まぶしたのが好きだった 酒粕煎餅か、初耳だなぁ。
ちょっと美味しそうだね。 酒粕をストーブで焼いて食べたけど、砂糖かけたりまぶしたりはしなかったなあ。
甘酒はドロドロして気色悪いから、焼いた酒粕のほうがよかった。
あとはカワハギの固いヤツ、焼いて食べてたな。あれなんだろ?
ものすごく乾燥させた干物? >>632
父親がカワハギの干物、ストーブで焼いて食べてたな。 小さめの魚(サンマを1/3くらいにしたサイズ)を
ストーブの上で焼いてオヤツ代わりに食べていたなぁ
子供心に魚よりお菓子やチョコが欲しかったんだが
今その魚が幻魚(げんぎょ)と言う値段で
高級店だと1匹1000円くらいしている。ってこれは衝撃的スレの話だな >>634
幻魚でぐぐってみた
なるほど、富山・石川・新潟あたりのそれは高給ブランドと化しているのもあるようだ
「日本酒にあう」との宣伝文句から脳内で味の成分が想像できた気がする
これはぜひ一度食ってみたいなw
うちの実家は身内に水産加工場の者が多く、物心ついたときから魚介類ばっかり食わされてきた
通っていた幼稚園でのお弁当
普通のお友達はハンバーグ、タコさんウィンナーといかにも食欲そそるカラフルなおかずなのに対し、
俺のはホタテ、エビ、さんまのかば焼き、イカのゲソ焼き等々
しかもフタをあけた瞬間、海産物固有のいやな匂いがモワッと立ち込める
小学校に上がってからもその拷問は続く
昼の給食が唯一俺にとってのご馳走
朝は海藻の味噌汁や焼き魚、夜は刺身や天ぷらやフライ等々
さらにおやつがカニとかアワビとか…
「こんなものたべたくなーい!!」
「ハンバーグやソーセージやチョコレートがたべたーい!!」とついに発狂してしまった
そんなトラウマ級の体験が幼少期にあったせいか、今では俺のエンゲル係数は極めて低い
野菜中心に少々の豚肉があればそれでいい >>635
…で、海鮮地獄はその後も続いたのですかどうですか? >>636
しばらく続いたよ
素材そのものの存在を感じさせる焼き魚や刺身なんかは減って、
フライや天ぷらといった加工品にシフトした感はあったけど魚介が主流なのは不変
おやつは氷下魚や鮭とばといった乾物が多かったが、これは噛む力が思いっきり鍛えられた
ジャイアンレベルのガキ大将と一対一のケンカになったとき大いに役に立った
なので悪い事ばかりでもなかったな
>>637
そういう意味じゃねーよw
単に高級な寿司とか魚介系の珍味などに興味がないだけ このスレで何回も言われているけど、バターなんて本物は使っていないやつだと思う。 >>638
山岸凉子さんの「恐怖甘い物一族」(一家全員甘党で凉子ちゃんだけがそうじゃない)というのがあったけど、
一人だけ海鮮珍味責めが苦痛な人だと大変ですね。 >>639
思い出した。生クリームのケーキなんて高価すぎて食べられなかった。
ベーコンと言えばクジラで豚ベーコンは高価すぎた。
肉と言えば鶏肉で、豚牛は何かイベントの時だけの特別料理だった。
懐かしむなんてできない、今と昭和30年代を比べたら暮らしは天地の差だもの。 そういやクリスマスのアイスクリームケーキって最近聞かないな アイスケーキって単なるケーキ型アイスクリームだからな
ケーキじゃない事に皆気づいたのさ >>642
つか田舎には生クリームケーキを扱う店そのものがなかった。
ケーキ、それは、バラの花が飾られたショートニングクリームケーキのことだった。 >>635
肉嫌いだからそっちのほうがいいなあ。
タコさんウインナーなんて可愛くもないし、美味しくもないし
食欲もそそらないよw
親が作るお弁当は食欲をそそらないチョー適当なのだったな。
給食は給食で嫌なんだけどw
>>642
生クリームのケーキとかそもそも区別がついてなかったw
ケーキなんて滅多に食べるもんじゃないし、ケーキ屋に行くこともまずないし、
今みたいにやたらとチラシやらカタログがあったりしないし。 世の中、海鮮珍味がさほど好きじゃないのに海鮮珍味ばかりの家に生まれたり、肉が好きじゃないのに肉好きの家に生まれたり
甘いものが好きじゃないのに甘いもの好きの家に生まれたりという悲喜劇があるものです。
マルシンハンバーグや赤いウインナー、あんまりおいしいもんじゃなかったね。 もうちょっと知恵がついてたり要領が良かったりすると、そこいらでマッチングして、海鮮好きなのに肉責めのご家庭の子と
肉好きなのに海鮮責めの子がおかずの交換とかやったりするのでしょうが。
狂死が許さなかったら無理だろうし。 昭和35年発行のお菓子作りの本持ってるので引っ張り出してみた
家庭向けの本だけど、材料やら器具やら、当時これを満足に実行出来た家庭がどれだけあったやら
(昭和末期でさえ地方では材料や道具なんか揃えるのに苦労した)
一応バタークリームの材料はバター
というかバターの表記は全て「バタ」
北海道土産のマルセイバターサンドの包み紙の「バ タ」思い出したw
スポンジケーキの呼称は「カステラ台」
牛乳や生クリームを多く使うレシピでの単位は「瓶&本」
瓶だったものほとんど変わったよね
アイスクリームの材料に塩800gなんてあって何事だと思ってたら
氷で冷やし固めるときに混ぜて更に温度を下げるためのものだった 俺のまちでもバヌラエッセンスやら生クリームが買えるようになったのは昭和50年代後半に大手スーパーが進出してから。
粉篩や焼き型なんか近所の金物屋で売っていたかどうか…。
大工道具なんかと兼務に店だったし。
小麦粉も日清の肌色パッケージの一種類しかこの世にないと思っていた。
家で作れるものは、粉末の寒天、食紅、ふくらし粉、ホットケーキミクスなんかを使った昔ながらのやつしかなかったかな。
あとはプリン、ゼりエース、シャービックとか“素”でつくるもの。 個人経営の「食料品店」しかなかったから、扱い商品にも偏りがあった。
ポテトチップスはカルビーが発売してから見かけるようになったし(コイケヤの方が古い)、明治のカルミンは最近まで知らなかったんでなつかしくもない。
水玉にヨーグルトキャラメルは近所で扱っておらず、遊園地の売店でしか。
カップラーメンも、類似品のカップジョリックやカップスターの方が先に来た。
赤いきつね、緑のたぬきで東洋水産(マルちゃん)は即席麺に参入したと思っていたし。
正麺が出る前の同社の代表的袋ラーメン(他社のサッポロ一番、チャルメラに当たるもの)ってなんだっけ?
(「ダブルラーメン」はみたことない[関東]) 40年代は目新しい家電を揃えるのが流行っていた感があって、ジューサミキサーも競うかのように家々で買うのだが、後かた付けが面倒くさいので、もの珍しさで数回使っただけでお蔵入りしていた。
餅つき機は年末に必ず使っていたが。 町に7階建てのダイエーが進出してきて暮らしがガラッと変わったよ。
休みの日に両親に連れられてダイエーまで行っていろんな商品買って茶色の紙袋に入れたのを
誇らしげにかかえて帰ってた。 >>653
ド田舎にやって来た若奥さんが、恐らくは今の県庁所在地の大都市で入手したであろう食材と機材で作って下さった
バタークリームケーキ、当時の市販品とは全然違っておいしゅうございました。
>>654
プリンは大体、全卵一個に牛乳180CC、砂糖お好みという分量だと覚えておけば地獄蒸し(小鍋に湯を沸かして種を
流し込んだ容器を並べ、水が入らないようにして蓋をして弱火にかける)という方法で簡単に作れるよ。
プリンミクスも卵を使用してないので、アレルギーの子でも食べられる嬉しい商品だけどね。 自分が幼児〜低学年時(昭和40年代後期)のブロック玩具といえば、ダイヤブロック一択だった。
デパートには近所のおもちゃ屋にはない巨大パックージがあり、大変あこがれていた。
レゴなんて、自分が玩具を卒業してかなり経ってから耳にするようになった。
しかも、海外には大人の熱心なレゴマニアがいて巨大な作品を作っているのが紹介されたりして、
ダイヤブロックなど子供だましのおもちゃのように見えた。
今、トイザラスなど量販店で売られ、子供の通過儀礼になっているのは、もっぱらレゴ。
子供のころ熱中し、憧れていたものがパチモン??
M&Mに対するマーブルチョコもそうなのか? >>655
https://www.maruchan.co.jp/products/search/211210.html
マルちゃん生麺以前の同社の看板商品といったらこの味噌・塩・醤油シリーズじゃね
ダブルラーメンの話が出てきたので便乗
マルちゃんこと東洋水産はその社名の通り水産加工品を母体としている
水産といえば北海道が本場で戦後間もなくから同社は北海道で事業を拡大し、
他社に先駆けて独自の物流網・販売網・情報網を構築していたため道民気質をよく把握していた
その象徴が焼きそば弁当であり、他社品よりやや濃い目のソースとゆで汁で作るスープが大受け
いずれも寒い冬に温まるようにとの配慮だろうな
北海道でのシェアは70%とも80%とも言われ、東の雄ペヤングですら一時は撤退に追い込まれたという
https://www.maruchan.co.jp/products/search/211349.html
焼きそば弁当のスペクタクル性とは対極だが、ダブルラーメンもまたしかり
およそ半世紀も変わらぬ地味なパッケージと何の特徴もないただの醤油(味噌・塩)味のラーメン
最大の武器はその安さと宣伝広告費をかける必要がないという点
希望小売価格は今や一袋\100が当たり前の時代において、これは2人前で\150弱
安かろう悪かろうのステージでこれに太刀打ちできるのは他にちょっと見当たらないだろう
また新聞テレビといった派手な広告を打つこともなく、北海道の即席麺のスタンダードとして早くから根付いた
特に道東では今でも安売りチラシの定番で、一面トップを飾ることはないが隅の方にしっかりと定位置がある
焼きそば弁当が4番打者なら、こちらは縁の下で細く長く仕事をする下位打線のイメージ
全国シェアでは日清に次ぐポジションだけど、北海道での強さはまさに圧倒的
何が恐ろしいって北海道ではマルちゃん信者を自認している消費者はほとんどいないのに、
気が付いたら普通にみんなマルちゃん製品を手に取っているという現実 >658
ご教示ありがとう!!
大型スーパーができる前に、我が家に電子レンジがやってきて、
卵、砂糖、牛乳でつくった作ったことがあるんだけど、
“素”で作るプリンのおかげで、ひやして固めるものだと思いこんでいたのが、
レンジで加熱して固まったのでびっくりした経験がある。
バニラエッセンス(なくても可)とあったので、入手できなくて使えなかったけど、
もろ卵と牛乳の味しかしなくて、市販やミクスでつくるものは一味違っていて、
やはり素人が作るとこんなもんか、とおもった。
母親が用があって出かけていた時に、冷蔵庫に作っておいてくれたりした思い出のある
ハウスプリンのチープな味は、高級なプリンとは別の俺の原点なのだ。 こだわり極プリンという商品があったので買ってみたらびっくりした。
余計なものが一切入ってない、卵と乳と砂糖だけの味。
しかもうまい!量は少ないが100円前後でこれは凄いという奴。
手作りプリンも、卵黄だけを入れるだの生クリームを入れるだの色んな作り方があるので色々チャレンジしてみるといいと
思うよ。 >>660
印象に残ってないなぁ。
サッポロ一番、チャルメラ、出前一丁みたいな目立つ商品名をつかっていないからかな。
CMもやっていなかった気がする。
(ホットワンタンも聞いたことがあるが、ホットヌードルなんて平成に入ってから)
戻したお湯でスープが作れるカップ焼きそばは、
昭和50年代に関東(おそらく全国)でも、やきそばバゴォーンというのが売られていたよ。
北海道で好評だったからスープ月が全国展開、もしくは北海道でスープ付きが生き残ったかもしれないね。 >>663
今調べていて衝撃的なことが分かった
正麺以前のマルちゃんの袋入り即席麺は、全国展開されていたものがほとんど存在していなかったんだと
だから俺が>>660で貼った「マルちゃん醤油味ラーメン」も知らない人がいて当然だわ パチンコ屋さんの特殊景品が、ボールペンとか釣具の毛針だった。 パチンコ屋と言うと軍艦マーチだが
実際に軍艦マーチを聞いたことなんだよなぁ 今も言われてる?
お金は誰が触ってるか分からないから汚いって >>669
軍艦マーチは昭和40年代が最盛期だったかも
寛平ちゃんの名曲といっしょにな そうなん?近くを通ると良く軍艦マーチ流れてる印象だけど
直近のパチンコ屋が「日の丸パチンコ」だからか? 昭和の頃は都内から富士山が見れるのは正月だけだと言われていた
今じゃ空気の澄んだ晴天時には普通に見られるし、千葉・茨城あたりから拝めることも >>675
たまたま遮るものがない、見えるポイントがあるんだよ。
都内でも場所により、冬場ほどくっきりじゃなくても通年富士山見えるとこある。 >>674
そんな時期があったのか
うちのあたりは東京湾越しなので今でも空気の澄んだ冬限定アイテムなんだけど
さすがに正月のみとは思ってなかった 川が綺麗になって、人間が野鳥を虐めなくなったので、川で鳥たちが育雛を始めた。
昭和の頃は無理だった。 >>678
「正月ぐらいしか見れない」と揶揄されていたのは事実と言える
実際には様々な条件で正月以外でも見られただろうけど、そんだけ空気が汚れていたということね >>679
60-70年代のマンガで、海は公害が怖いから代わりに山で林間学校をという描写があちこちに見られる
川も海も平野部のそれは汚いものというのが当たり前だったよな
高原ブームが起こったのはこれも一因と推測 >>669
昭和の最期くらいに生まれた人なのかな。
あんなのガンガン聞いたわ。
じゃんじゃんじゃがいもさつまいも♪ってヤツでしょ。 せ〜んかんや〜まとがし〜ずむ〜とき〜♪
は〜だかのお〜んながと〜びこ〜んだ〜♪ >>624
高校の時音楽部部の同級生が洋楽ファンで
文化祭の時Deep Purple Def Leppard IRON MAIDEN
Renaissance Quiet Riot Black Sabbathの曲を演奏していた。 >>681
70年代だと臨海学校とか部活の合宿で海辺へ
ってのが出てくるけどね
ちなみに
海と言うか砂浜海岸のすぐ近くの学校だったが
子供達だけで海へ行くな、人さらいが出るぞ。
って言われ海に近づけず
部活のランニングで砂浜を走る。っていうのに憧れたな >>687
日本海側?
俺は「夜に海に行くと北〇鮮にさらわれるぞ」とマジで言われてた。
今から40年以上も前の話だよ。みんな知ってはいたんだ。 つかウィークエンダーでもやってたもん。
東日本の日本海側で、アベックが謎の失踪してるって。
失踪した人の名前が蓮池や地村でry 豆腐屋さんに、鍋とかボウルを持って豆腐を買いに行く。
おまけで油揚げをくれたりする。
エコだし、豆腐屋さんの豆腐はおいしかった。 オレはバイクで回って豆腐を売ってる兄ちゃんに自分ちで将棋を教えて貰った 夜中に熱を出したり腹痛を起こしたりしたら
当然のように家族の一人が徒歩1時間の病院へ走って行って往診を頼んだ。
すると医者は単車でやってきて診てくれて
そのあとに看護婦は徒歩でやってきた。
今思うと医者ってなんて大変だったんだろう。
24時間勤務だったんだな。 >>693
その代わり今よりも尊敬されていた
できる事も少なかった スーパーカーブームの時、ランボルギーニ・三浦だと思っていた そういえば往診て今でも可能なんだろうか
高熱でふらふらでも自分で病院行くのがたたり前になって久しい
自宅兼の個人病院なら電話してもいいのかなぁ 「たたり前」じゃないや「当たり前」です。不吉。誤記ごめん >>696
やってないところも多いだろうが、年寄りが増えたせいで「在宅医療」という往診専門のクリニックも増えている 病院(開業医の医院)へ訪ねていくと『往診致します』って貼り紙があったりする >>649
出来ることが少ないとは言えないと思う。
パソコンの画面みてポチポチしながら、テンプレ通りの処方なんてのがなかったから。
>>696
やってるところはないこともないけどって感じかなあ。
その代りっていってはアレだけど、人生の最期は出来るだけ在宅で出来るだけっていうための
訪問看護ステーションみたいなのはかなり充実してきたね。
高熱が風邪なら医者いらないけどね。なんか持病とか重病から回復して退院したばかりとか
事情がない限りは。 >>694
そうそう 町医者は尊敬されてた。
昭和のドラマだと、子供をおんぶして病院に駆け込む場面があった
先生先生とみんな頼りにしてるし、賢者扱いで家庭相談も受けてた
町医者と同じく道場主も、尊敬されてる描写を見た 気がついたら糖衣ガムに駆逐されてた昭和のお菓子、ボンボンガムが懐かしい。 >>701
テンプレ処方と言うが、何百万件の症例を積み上げて有効性を確立した標準療法が、ようやく普及したんだぜ
町の「名医」のたかだか100人の経験とは天と地ほども価値が違う
それを日本中どこの医者にかかってもたいていは受けられる
これは素晴らしいことだと思うよ 昔は今ほど医者にかからなかったように思う。
オレなんか風邪や熱くらいならアロエ飲まされて終わりだったわ。 「念のため病院へ」「とにかく病院へ」
ずいぶん敷居が低くなったよね
あと、退院したがらない老人やさせたがらない家族の多いこと多いこと
老衰を出来るだけ大病院や大学病院で診るのが正しいと思ってる 家を片付けている時にタンスから500円札や100円札が出てきたんだけど
どうせ価値ないしコンビニで使ったら、「千円お預かりしま・・・???」と、何こいつ?的な顔をされて年配の店員を呼ばれたよw
そりゃ若い人は知らないだろうが、ちゃんとしたお金だからそれw >>704
ガイドライン通りにするってのは、要するに目の前の個体は無視ってことでしょ。
個体差はかなりあるけど、そんなのは知ったこっちゃないわけで。
>>707
それわざとやってるでしょ。
私だって100円札は無理。500円札は普通に使ってた世代だけど。
記念コインなんかも難しい(ショップの店員だったけど)
性善説で日本人ばっかりの頃は記念コインなんかもへーーーなんて言って受け入れられたけど、
今やマジで難しいかもw >>707
銀行でとりかえてもらったらどうかな?
店で使うって店員さんに気の毒だよ。 >>703
そういや昔はガムをよく買ってたなあ今は買わないなあと思った
キシリトール等の健康のためのガムが流行り出してからお菓子的なガムは減ったのかな?
今はそのキシリトールガムも買わなくなったけど世間でも廃れてるのかな >>708-709
まぁオレは500円硬貨や夏目漱石の千円からの世代だが普通に知ってる
そのオバサン店員も、うわー珍しい!って言ってたけど普通に受け取ってもらえたよw
この札を知らない店員しかいない店なら無理だったろうな かなり前だけど銀行で伊藤博文の千円札を夏目漱石のに交換して貰ったよ
用紙に住所と名前書かされた覚え有るけど >>710
人は年を取ると、ガムやキャラメルを口にしなくなる。
…詰め物が取れるからなっ!! ああ、ソフトエクレアやノースキャロライナ、美味かったなー。 >>707
岩倉具視と聖徳太子は1割くらいプレミアムが付いてるらしいぞ
こないだばあちゃんが昔のヘソクリ再発掘して、ちょっと儲けたらしい アブドーラ・ザ・ブッチャー選手が、2月19日両国国技館のイベントで引退セレモニーを行う
10年ほど前から普通に歩ける状態ではなかったので実質セミリタイヤ状態が続いていたが、
大の親日家でもあるブッチャー氏はジャパンのファンにきちんと別れを告げたいとのこと
明治生まれが絶滅危惧種のように、日本プロレス(初代社長=力道山)の経験がある大物かつ現役は、
彼を除くとあと二名になってしまう >>718
今すぐ答えてもいいけど興味があったら調べてみて
こういうクイズも悪くないだろ?
名前言えばプロレスファンなら誰でも知ってる選手だから
まあ深夜0時頃には回答するわ >>721
その人はまた別だなw
あと日プロ経験者はタイガー戸口、佐藤昭雄、百田光雄なんてのもいるけど、
彼らは大物と言うにはほど遠く日プロ時代は前座ばかり
今も現役と言うよりは「引退宣言すらさせてもらえなかった」が近い 10年位前に『愛しのボッチャー』(主人公がブッチャーを元ネタにしたキャラ)の
電子書籍版を買ったが、当時のPCにインストールしたライセンスでしか読めないので
読み返せない... だからいつも言ってるだろ、本は紙版を買えと
電子書籍なんて糞だよ お前ら長生きしろよ
俺が年寄りになって昔を懐かしむ歳になったときにもこのスレがありますように 仕事は怒鳴られて覚える、叩かれて覚える
仕事は教わるのではなく盗むものって考え方も昭和時代なのかね >>727
というより、玉石混合の大量のワナビーを効率よく選抜するための方法 PC-8801mkII-MRとCRTモニターをどう処分しようか悩んでいる
こんな古いPCで家電リサイクルもクソもねぇだろ・・ 工業機械のコントローラーとして現役なので、高く売れるぞ >>737-739
稼働品ならそれもありかもしれないけど、屋外の物置にずっと放置してあった物なので砂埃と汚れでひどくて粗大ゴミなのよ
5インチドライブにXANADUが入ってた その頃のPCはまさに高嶺の花だったなあ
PC8801mk2MR/FRだって20万以上したしPC9801VMとか30〜40万だったはず
今で30万以上金出しゃ高級ゲーミングPCができるな 一周してもう自宅にはパソコンなんていらないっていう人が増えてるみたいだからねえ
大学生がスマホで卒業論文書くという話を見た時には衝撃受けたな
パソコンとかゲームって出てきてから10年くらいは非日常で珍しかったから子供やオタクが遊びとして歓迎したけど
定着したら別にどうでもいいものに感じる人が多くなったってところかな >>743
物価違うから一概には言えない
でも楽しかったよなパソコン オレはスマホを手に入れて以来パソコンの電源を入れる事が少なくなったな。たまに使うけど 保存しなくていいのでは
パソコン出てくる前はそもそもデータ保存という概念もなかったしさ
写真なんてGoogleなりAmazonなりにいくらでも保管できるし
それ以外のほとんどのドキュメントもクラウドに置いとけるし
そもそも何年も前のドキュメントなんて要らないものがほとんどだろ ワードやエクセルやpdfやパワポのファイルをスマホで扱うの? 難しそうだなあ・・・ スマホも速度や解像度が上がってストレス減ってきた
…といいたいところだが俺の目には小さすぎて厳しいw >>751
ブラザー?
うちの母もやってた
しかし最終的に買ったのは電子ミシンではなく当時出始めで高かった
ブラザー電子レンジ「調宝さん」だった 昭和の暮らしって懐かしくない。
子供の頃は冬、暖房なんて無い、コタツだけ。
ガラス戸も無くて、外と中を区切るものは節穴だらけの雨戸と障子だけ。
もちろん、ヒートテックもフリースもダウンも無い。
今の生活は天国だ。 昭和半ばの幼児時代、「レギンス」とかいう超ダサい変なズボンもどき穿かされて本当に嫌だった。
しかし、最近そのレギンスというものが流行っている。解せぬ。 何年か前にロンパースも流行ったね
赤ちゃんのそれとはちょっと違うけど
「寝間着?」と思ってしまった
で、寝間着ってフレーズを「寝間着ってwwパジャマでしょwww」
って友達に笑われた… 浴衣だって寝間着なのにな
浴衣をパジャマって言ったら馬鹿だろ ネグリジェは寝間着だけどパジャマではないし
俺はスゥエットを寝間着にしてるけどパジャマではない
夏はTシャツと短パンが寝間着だけどパジャマではない 阪神大震災以来、いかにもパジャマという感じのものやネグリジェが売れなくなって、近所程度なら外出できるスエットスーツや
Tシャツに短パンで寝る人が増えたと思う。 ドン・キホーテにジャージで出掛ける莫迦は震災前から居たよな 阪神大震災以来、いかにもパジャマという感じのものやネグリジェが売れなくなって、近所程度なら外出できるスエットスーツや
Tシャツに短パンで寝る人が増えたと思う。 あんな大惨事になったらパジャマだろうがTシャツに短パンだろうが変わらん 阪神大震災で「婚礼家具なんて持つものじゃない」が
一気に言えるようになった ほんと母親の婚礼ダンス捨てたいわ・・・邪魔でしょうがねぇ
専門業者だと高くつくし、自力でやるとしたらバラして粗大ゴミかなぁ 重いダサいしなあ
でも昭和のカラーボックスはなんか憎めないのよね不思議 あれは十分広い家に嫁ぐ上流階級の風習を庶民がうっかり真似したのが間違いだった >>769
「困ったらタンスの中身を売るといい」というので、タンスいっぱいに着物やら帯やら入れて。
実際に戦後すぐの時は、本物の着物が空襲とかで焼けちゃったりで食料と物々交換できて助かったけど、
今は和服の時代じゃないから婚礼家具なんていらない。 え?
戦後の筍剥ぎ生活をリアル体験した世代がこのスレに居るの? >>771
親から聞いた話と思ったけど。
うちは、実母が姑に弱みを握られないように(私の為にが半分、自分の意地が半分)
和服満杯の和ダンスや式服礼服揃った洋服ダンス、豪華な婚礼布団を揃えてくれた。
が、今はもう‥
捨てるには高価すぎるし、100万の和服を安値で売るなんて腹が立つし始末に悩んでる。 知人から聞いた話だけど…
とある女の人が結婚が決まり、オシャレな家具を揃えようとウキウキしてたら
父親が勝手に婚礼家具を用意してしまったとか
大迷惑だけど父親は得意げだし高価だしで何も言えず
結局カワイイ新居に置く羽目に…
20年も前の話だけど今も使っているのかなあ 見た目豪華な婚礼家具じゃなくて桐箪笥の婚礼家具なら悪くはないかな 桐ダンスが洋服の保管には一番いいって聞くけど、オレはその手のタンスの臭いが大の苦手だ
無臭の防虫剤もあるにはあるけど、やっぱり木のタンスって独特の臭いがつくものなんだよね
だからオレは服は全てプラスチックの衣装ケース >>772
母がせっかく揃えてくれたから、100万積まれても売らない!
…って話なら美談なのに、安値なら悔しくて売らないって…
高値なら売るのかよ、母ちゃんがお前の為に奮発してくれたのに
クズすぎワロエナイ
ひでぇ娘に育ったな 777ゲッツ(σ・∀・)σ
畜生、スロット打ちてえなあ 親戚の家が火事にあって、後片づけを手伝ったことがある
桐箪笥は表面こそ炭になってたけど中の方は燃えておらず、中身も無事だった
親戚は、「普段着は全部燃えちゃって晴れ着だけ残った」と笑っていたな 水掛けても引き出しが膨らんで隙間が閉じ、中まで滲みないんだそうだよ
親戚の家で焼け残ったのは、桐箪笥の和服と革装の洋書ばかりだった 桐タンスというと浩宮と雅子が結婚するとき家具屋が気を利かせたつもりで
金箔を貼ってTVで「豪華だ、きれいだ」とやってたけど
皇室が「そんなこと頼んでない、元に戻せ」となったら一転シュンとなったのを思い出した うちの桐箪笥(外はクスで内側が桐)は見た目立派だが
雨の日は引出が開かない、膨らむらしい。
だから、日ごろ使うものが入ってる引出は少し開けたままにしてる。何だかなあ‥ >>778-780
そういうのは本物の総桐たんすだね
値段も1棹で軽く100万以上する
今は嫁入り道具とか着物や桐たんすって時代じゃないが、そういう本物だったら貰っても嬉しいんじゃないかね
申し訳ないが>>783みたいな似非の桐たんすじゃそこまで優れていないだろうねw >>784
お前、感じ悪いな
よそんちのタンスを馬鹿にしてんじゃねえよ
下劣な品性だな >>786
買った店に相談したらそう言われたのだが、
削って雨の日もスルスル動くって事は、晴れた日はガタガタになるのか?という疑念で頼めなかった。
プロに任せたら絶妙なバランスにしてくれるのだろうかなあ。 箪笥 湿気 膨張 調整 でぐぐったら
いろんな家具店の解説がずらりと並んだ >>785
悪口を言うと心地良くなる構造の魂を持つ者もいるのだよ
虐待親や快楽殺人犯と同じで、生命のエラー 一部だけ桐を使った偽物は総桐ほど優れていない。悪口じゃなくて厳然たる事実だが?
もっと言うなら、そんな紛い物に一部だけ桐の偽物に何十万も出すならニトリで買った方がいいわw キモノもこういうヒエラルキーとかマウンティングがなければ生活に取り入れたいのになあ >>790
防虫効果のある楠や硬い桑を外側に、内側に桐を貼った箪笥も充分以上の高級品だぞ
特に楠の四隅に金具を打った船箪笥は火災や水害に無茶苦茶強いので、商家農家が公家武家とは違う美意識を示す威信財だ >>784
>値段も1棹で軽く100万以上する
マジすか!
死んだばあちゃんが嫁入りの時に持ってきたっていう古ーい桐箪笥があるからこっそり売っぱらって来っかな。
奥の部屋にあるから母ちゃん気づかねえべ。 昔、通販で買ったという桐たんすが来た時はひどかった。
桐は桐だけど、ものすごく薄っぺらい板を使ってるし、大きさも普通より一回り小さい。
宣伝に写ってたモデルの女の人が身長140cm位の小柄だった疑いが。 調べてみたが結構ぎりぎりで昭和だ
旅行会社の東京見学ツアーにメンバーの実家見学が含まれていたほどの人気だったな
今だったら大問題になるのに凄い時代だ 光ゲンジはザ・ベストテンに出演出来た最後のジャニーズだっけ デビュー曲のCMは衝撃だった>光GENJI
幼くて小学生かと思ったし、正直「ええ…」って感じだったな
でもあっという間にヒットしたね
まわりの友達はほとんどファンだった
僻んだ男子が「光GENJIとかだっせえ!」って言ったら
女子にボコられてたなあ ファンシーショップで生写真とか売ってたけどパウチっ子したカードが一番安かった
諸星和己が諸星和巳になってるクオリティ低い下敷き持ってたわ 嵐が凄いって言うけど光GENJIに比べたら全然たいしたことないらしいね 光GENJIが凄いって言うけどザ・タイガースに比べたら全然たいしたことないらしいね ジュリーがほんのちょっとだけ出てるクレイジーキャッツの映画にお姉さん方が押しかけて超満員。
そして、ジュリーが出てキャーって叫んで、全員いなくなったら見事に人が少なくなったという。 自己紹介でクラス全員たのきんファン?の女子中高生
たのきん以外だと村八分、ヨっちゃんファンだと変人扱い
あれ何だったんだ? >>809
父親が男女関係無く、大のアイドル嫌い。
アイドルが身の回りにない(出たらチャンネル変える)家庭だったので、アイドル無縁の人生だった。
未だにアイドル興味なし。
ジャニーズもさっぱり判んない。 教室のオルガンでよくドンキーコングのテーマを弾いてました >>812
小学校中学年以降になったら、アイドルの顔も名前も歌ってる歌もさっぱり判らず話について行けず、かといって
アイドルヘイト家庭なので、脳内にアイドルアンテナが建ってないから興味も持てずで困り果てましたよ。
結局、アイドルには全く興味も関心もないまま、父の死後香港スターにはまりました。
今は昭和30年代の映画俳優や斉藤暁が好き。 その昭和の俳優やらスターやらの話する場所なのよここ
知らないアピールいらんから 未だに「アニメは見せない、戦隊物やライダーも見せない、シュタイナーの木の玩具、キャラグッズ一切禁止で
せいぜいディズニーのみ、日本のアニメを見せるとオタクになる」みたいな確固たる教育方針()の親って苦手だわ。
中学時代のクラスメイトで、そんな感じの「我が子の全てを監視してないと気が済まない」親に育てられた子がいて、
その子の親の奇行が時々話題に上ってたよ。 子供の時期に子供の世間から孤立させて何の効用があるんだろうね。
うちの知人にも子供に見せる円盤はディズニー(英語版)だけ、ジブリさえ無しという家があるけど、例えばくまのプーさん2なんて粗悪品見せてどうするのって感じ。 >>818
お前は俺様の従属物という歪んだ支配欲でしかないと思う。
そういう確固たる教育方針でも、同じ価値観の友達がいて、話題はニュースや星座や天文学、読んでる雑誌は
子供の科学におおきなポケットか学習と科学というならまだ幸福だけど、大抵の子は孤立してるの。
週刊少年少女誌より秘密シリーズや内山安二の方が好きだという子はそれはそれで幸福だし。
余談だが、ディズニーは、ライバルを潰す時は絶対に自分の手を汚さずファンのケツをかいてファンにやらせる。
ディズニーの死後さえそう。
日本のアニメを見てるとオタクになるほざいてディズニー見せてる奴って、実はディズニーのそういう手口に利用
されてる。
あのおっさん、どういうことやったかということを名前を伏せて赤裸々にぶっちゃけると、「…何そのゴミクズ以下の
銭ゲバ野郎」ってレベルだから。 >>817
>キャラグッズ一切禁止
うちの母ちゃんがコレだったなぁ
キャラクター商品(除く玩具)は高いから
「あんなのは子供が買うものだ」と言って買ってくれなかった
俺、幼稚園児なのに。。。 子供が子供らしいことを望んだりすることを拒絶するんなら、最初から子供なんか持つべきじゃないと思うんだよね。
「エデンの東北」という漫画で、12月号のたんびにクリスマスにまつわる胸糞話が載るので、どっかで「いい加減にしろ、
うんざり!」と書いたら二度と載らなくなった。
子供のうちしかできない、許されないことを、どうやって「大人になって我が稼いでやれ」ってんだよ。 >>820
ごめん、幼児〜低学年の頃のほうが「こんなようちくさいのいや!」って思いが強かった。
オバQの絵がついてる幼稚園カバンがすごく嫌だった。他の幼稚園みたいに園指定の黄色で無地のが欲しかったのにと思ってた。
キャラクターものの文房具とかが欲しいと思えるようになったのは、むしろ高学年になってからだった。
>>821
子どもは誰もが「(大人が考える)子どもらしい」ものが好きなわげじゃない。そういうのを強制されて苦痛だった。 >>822
ここで言うのは、「その子の意見や価値観を可能な限り尊重しろ」というお話であって、欲しがってるわけじゃないものを
買い与えろというお話じゃないんで、念のため。 キャラものといえば、子供の頃は今考えるとヘンテコなの使ってたなあ
今逆にその色彩センスが面白いと話題になってるけど
https://togetter.com/li/1327347 鉄腕アトムの本放送が終了してから生まれた世代だけど、その当時は、まだグッズも出回ってたし、保育所でも
アトムのテレビ紙芝居をやって下さいました。
昔は再放送枠があったので、既に終了した番組の玩具やムックやお菓子が普通に出回ってたよね。
でも、チロリン村とくるみの木ガムが、八犬伝や真田十勇士が放送されてた頃に売られてたのは解せぬ。 >>828
10〜20年前くらいの懐かしキャラは「親が安心して買える」という安心感があるのよね。 >>829
ゴロンタ劇場以前のおかいつキャラは、小学生になっても持てるようなデザインだったので、兄姉のお下がりの
ダットくんの水筒を持ってくる子がいた。
ちなみに6年生の頃。 ゴロンタ劇場以前は、未就学児までが対象だったけど、ゴロンタ劇場からは未就園児に対象を引き下げたみたい。
だからデザインも幼児向けにシフトしたのかなあ。
ゴロンタ劇場を見て「人形がある条件下で動く不思議な設定が良かったのに、子供と遊んだら着ぐるみってバレバレ
でしょうが」とがっかりしたのを覚えてます。 あと、子供の頃、5歳以上年の離れた兄や姉を持つ子が羨ましかった。
ダットくん水筒もそうだけど、自分の記憶にないかあっても断片的なグッズやおもちゃや絵本が自宅にあるから。
家庭内に入ってみたら虐められたり頭を押さえつけられてたりがあったかも知れないけど、自分が知らないものが
身の回りにあるっていいなあと単純にそう思っていた。 >>802
♂なので女性アイドルにしか興味なかったけど
光GENJI の「パラダイス銀河」は
(今から当時を思い返せばand時間軸的にも荻野目洋子の曲より)
バブル景気真っ最中の日本を象徴する曲だと思う。 >>833
うちの兄はいらないから姉がほしかったなー。
絶対に無理なんだけどw
年齢は近い方が色々話したり、一緒にいられていいかな。
5歳以上とか離れてる弟や妹がいる人の話を聞くと
みんな興味なかったって言うし、実際に子供の時は一緒に遊びに行ったり
物の貸し借りとかも出来ないし。 >>835
>>833だけど、二つ上の兄と二つ下(学年だと一つ下)の弟でした。
(弟は早逝)
生まれてすぐに待ってたのが、兄からのウルトラの星の子としての英才教育でした。
ウルトラ兄弟の絵の描き方、怪獣の名前、必殺技といった。
自分はモノクロアニメの再放送の記憶が断片的にありますが、兄貴はウルトラの星の子すぎて、記憶が全く
ありません。
兄貴は、ウルトラの星の子じゃなくなったら、古生物の方に興味が移りましたが、こっちは特撮好きのまま
(さすがにリアルタイムでのウルトラシリーズ視聴はレオでおしまい)特撮物の俳優に興味が移り、今は昭和30
年代の日本映画と俳優のファンです。
岡本喜八や黒澤明のファンは、俳優やスタッフがごっそりスライドしてたり、アニメ制作者が彼らのファンだった
りするので、アニメや特撮のファンとかぶってることが多いそうです。 自分は兄が地域指折りのレベルで喧嘩強かったから、学校や地域で兄の弟としてチヤホヤされた。
生活圏内で絡まれても兄の名前を出せば頭下げて去っていった。
兄はスポーツも勉強も出来て、背も高くて割と強面イケメンだったから、母子家庭だったから高校は働きながら夜学卒業して公立大学出て弁護士資格を取ってヤクザになった。
金回りは良かったが昨年、享年54歳で心筋梗塞で他界。
女は絶えなかったが、生涯独身で認知した子供も居ないから。
タワマン上層階と数億円の遺産が俺に転がり込んだ。
母親も他界してるし、俺は契約社員の継続断って来月から悠々自適の余生になった。 児童向けの雑誌の投稿コーナーに、数年おきに同じような投稿が載ったり「これ、盗作じゃね?」と思えるネタが載ったり
するのは、「みんなが知ってることでも知らない子だっているのです。お兄さんお姉さんがいないから初めて聞く子とか」
という理由で、戦前からだそうな。
大体、読者が入れ替わる頃に載ります。 ムーとか読者が変わらなそうだが
トワイライトゾーンは廃刊になったな ムーなんて今の若い子知ってるのか?って感じだったけど
嬉々としてしまむらコラボ買った話とか良くツイッターに書いてあるし
案外読者層広いのかもな 六田登が漫画家で成功した時、「ああ、小6の読者コーナーののぼーるじゃないですか。立派になって…」と
感慨深かった。 人気声優・白石冬美さん死去 82歳
https://www.fnn.jp/posts/00415241CX
「巨人の星」の「星明子」
「怪物君」の「怪物太郎」
「オバケのQ太郎」の「ドロンパ」
お悔やみ申しあげます パタリロというと作者の魔夜峰央さんがパタリロの映画版で主題歌歌っていたことを思い出す 「クックロビン音頭」で、明子姉ちゃんが合いの手を入れてるところを想像すると笑える。 東京12チャンネルはニュース番組がなかったからテレビ番組を放送中
テロップ音を流した後12ニュースのテロップを表示。
そのあとニュース速報のテロップを表示。
プォーン (12ニュースのテロップが表示。)
例「インド航空機がアイルランド南西の海中に墜落(乗客325名)」
ピコーン! ピコーン!ピコーン!(12ニュースの文字が赤く点滅)
例「ワルシャワ空港でポ―ランド航空機墜落
乗員乗客183人全員死亡」 ヒデキはヤングマンを歌う前からコンサートで洋楽を歌っていた。
男子・女子もヒデキのファンだったね。
昼休みにヒデキのLPをかけたな。
高校の卒業式でクラス全員がラスト・シーンを唄った。 ふっと思い出したんだけど毎週発行していた?アニマルライフ
20ページぐらいだったと思うけどバインダーにとじていくの
全部揃える事はなかったけど親父が買ってくれていました アニマルと言えばアニマル・ワン
読んだこと無いけど
と、ここまで書いてて思い出したんだけど、いなかっぺ大将って、最初はスポ根モノだったんだな。 >>856
原作は川崎のぼるだよな。ちょっとだけ見た事あるけど。
タツノコアニメは出だしだけちょっとスポ根テイストだけど、すぐにギャグ全開になる。
まぁたまに柔道の話が入るけど。 そう、原作の方。
初期は柔道のスポ根物なんだよね。その後の路線変更後と比べるとキャラのタッチも全然違う。
何があったんだろう…。 >>858
秘密戦隊ゴレンジャーは、石森正太郎の原作漫画がギャグ路線に転換して、
しまいにはタイトルまで「秘密戦隊ゴレンジャーごっこ」になった。
もちろん、なにがあったのかまでは知らないけど。 サンバルバンバンバン
サンバルバンバンバン >>499
>>500
自分は奈保子の大ファンでファンクラブのイベントで話したことあるけど美人だったな。
芸能界にも彼女が好きな女性アイドルがいてユッコ・早見優は彼女のファン
ハーフムーン・セレナーデは香港の歌手がカバーしている。 >>838
深夜放送に、読んだことのある双子ネタが放送されて、真夜中に抗議の電話したなあ 新聞の投書欄にも毎度お馴染みの面子が同じようなこと書いたのを載せるのもそうなのか。 >>864
テレビマガジンに、「赤塚不二夫のマンガ家入門」に載ってた例題と全く同じ4コマ
マンガが採用されてるのをみつけたけけど、ただ憤慨するだけに終わったあの頃…
(冬眠から覚めた熊が、春・夏・秋・冬という文字盤の書かれた腕時計を見る
というネタ) 客「糸ください」
店員「あいにく切らしています」
客「じゃ、つないでくたさい」
店員「ぎゃふん」
というネタも、小学館の学年誌等で何回か見た ジャンプ放送局の似顔絵コーナーで、盗作禁止!と釘を刺したにもかかわらず盗作を送った奴がいたので
コーナーそのものが廃止になった。
盗作を送った人は、今後はオリジナルでも面白くても一切採用しない…
すなわち投稿資格を永久に失ったという。 大体の人が貧乏だったから助け合うということをしていたね
いまは自分さえ良ければいいてなもんで 月刊誌の投書欄である投稿へのレスが二ヶ月後に載る
そのレスへのレスがまた二ヶ月後に載るといった感じでなんとも気の長いレスバやってたな ファンロードも、若者向けの店の落書きノートも、インターネットの掲示板やピクシブに役目を譲ってひっそりと消えてゆきました。 人間に聞いてもああでもないこうでもない言われて教えてくれない。
ネット先生なら、質問した聞きたいことを意地悪せずに教えてくれる。
以前、法事などの面倒なことは、クソ意地悪な人間よりスマホに聞いたら親切に聞いたことに答えてくれた。 <博麗霊夢(はくれいれいむ)>
単純で裏表が無い。喜怒哀楽が激しく、人間・妖怪を問わず惹き付ける不思議な雰囲気の持ち主。
仕事が妖怪退治であるため妖怪に対しては厳しい態度を取るが、人間にも妖怪にもさほど興味はない。霧雨魔理沙と二人で行動する場面があったり、
『地霊殿』の古明地さとりによると八雲紫の事は信用しているとされるが、誰に対しても優しくも厳しくもなく、誰かと行動していても仲間として見ない平等な性格。「実は冷たい人間なのかもしれない」とも評される。
特に強い妖怪に好かれるが、ときに問答無用で妖怪を退治するため弱い妖怪からは恐れられている。平等である反面、誰に対しても仲間として見ておらず、人間や妖怪と一緒に行動を行っていても常に自分一人。
『香霖堂』では楽しそうに本を読んでいた妖怪(通称朱鷺子)を何となく不意打ちして本を奪ったり、スカートが破れて森近霖之助の服を勝手に着る等、周りからは勝手な巫女と評される。
その一方、無償で幽霊除けのお札を提供したり、境内に倒れていた妖怪兎(レイセン)を介抱している。
異変が起こった際は周囲の者に言われて行動し始めることが多い反面、いざ異変解決を始めると積極的な姿勢を見せる。
『花映塚』における鈴仙・優曇華院・イナバの性格分析によると、「貴方の波長は非常に長い時と非常に短い時が交互にあるのね。」とのこと(「波長が短い人は気性が荒く、長い人は暢気」とされる)。
元々、霊夢は不思議な力を色々使えるが、それを活用したり自慢したりはしない(『妖々夢』キャラ設定.txtから)。彼女は努力が報われると信じておらず、
「一生懸命頑張る」事や修業をあまり好まない。表向きは自信家にみえる一方、その裏側で努力をする魔理沙とは対照的な性格である。
巫女としては危機感に欠ける性格。修行や勉強も不足しており、そもそも神社に祀っている神様が何か知らない有様。自分が使用する道具である陰陽玉もあまり使いこなせていないとされる。
神社の信仰の減少と神社の周りの妖怪の増加については多少気にしているのだが、『風神録』で営業停止を言い渡されるまでそこまで真剣に考えてはいなかった。
神社の信仰の件について霖之助に相談した際には「 まあ、信仰が減っても妖怪退治をしている事には変わりないから、うちの神社としては良いのかも知れないけど 」と語った。
あいうえおかきくけこさしすせ <博麗霊夢(はくれいれいむ)>
単純で裏表が無い。喜怒哀楽が激しく、人間・妖怪を問わず惹き付ける不思議な雰囲気の持ち主。
仕事が妖怪退治であるため妖怪に対しては厳しい態度を取るが、人間にも妖怪にもさほど興味はない。霧雨魔理沙と二人で行動する場面があったり、
『地霊殿』の古明地さとりによると八雲紫の事は信用しているとされるが、誰に対しても優しくも厳しくもなく、誰かと行動していても仲間として見ない平等な性格。「実は冷たい人間なのかもしれない」とも評される。
特に強い妖怪に好かれるが、ときに問答無用で妖怪を退治するため弱い妖怪からは恐れられている。平等である反面、誰に対しても仲間として見ておらず、人間や妖怪と一緒に行動を行っていても常に自分一人。
『香霖堂』では楽しそうに本を読んでいた妖怪(通称朱鷺子)を何となく不意打ちして本を奪ったり、スカートが破れて森近霖之助の服を勝手に着る等、周りからは勝手な巫女と評される。
その一方、無償で幽霊除けのお札を提供したり、境内に倒れていた妖怪兎(レイセン)を介抱している。
異変が起こった際は周囲の者に言われて行動し始めることが多い反面、いざ異変解決を始めると積極的な姿勢を見せる。
『花映塚』における鈴仙・優曇華院・イナバの性格分析によると、「貴方の波長は非常に長い時と非常に短い時が交互にあるのね。」とのこと(「波長が短い人は気性が荒く、長い人は暢気」とされる)。
元々、霊夢は不思議な力を色々使えるが、それを活用したり自慢したりはしない(『妖々夢』キャラ設定.txtから)。彼女は努力が報われると信じておらず、
「一生懸命頑張る」事や修業をあまり好まない。表向きは自信家にみえる一方、その裏側で努力をする魔理沙とは対照的な性格である。
巫女としては危機感に欠ける性格。修行や勉強も不足しており、そもそも神社に祀っている神様が何か知らない有様。自分が使用する道具である陰陽玉もあまり使いこなせていないとされる。
神社の信仰の減少と神社の周りの妖怪の増加については多少気にしているのだが、『風神録』で営業停止を言い渡されるまでそこまで真剣に考えてはいなかった。
神社の信仰の件について霖之助に相談した際には「 まあ、信仰が減っても妖怪退治をしている事には変わりないから、うちの神社としては良いのかも知れないけど 」と語った。
あいうえおかきくけこさしすせ <博麗霊夢(はくれいれいむ)>
単純で裏表が無い。喜怒哀楽が激しく、人間・妖怪を問わず惹き付ける不思議な雰囲気の持ち主。
仕事が妖怪退治であるため妖怪に対しては厳しい態度を取るが、人間にも妖怪にもさほど興味はない。霧雨魔理沙と二人で行動する場面があったり、
『地霊殿』の古明地さとりによると八雲紫の事は信用しているとされるが、誰に対しても優しくも厳しくもなく、誰かと行動していても仲間として見ない平等な性格。「実は冷たい人間なのかもしれない」とも評される。
特に強い妖怪に好かれるが、ときに問答無用で妖怪を退治するため弱い妖怪からは恐れられている。平等である反面、誰に対しても仲間として見ておらず、人間や妖怪と一緒に行動を行っていても常に自分一人。
『香霖堂』では楽しそうに本を読んでいた妖怪(通称朱鷺子)を何となく不意打ちして本を奪ったり、スカートが破れて森近霖之助の服を勝手に着る等、周りからは勝手な巫女と評される。
その一方、無償で幽霊除けのお札を提供したり、境内に倒れていた妖怪兎(レイセン)を介抱している。
異変が起こった際は周囲の者に言われて行動し始めることが多い反面、いざ異変解決を始めると積極的な姿勢を見せる。
『花映塚』における鈴仙・優曇華院・イナバの性格分析によると、「貴方の波長は非常に長い時と非常に短い時が交互にあるのね。」とのこと(「波長が短い人は気性が荒く、長い人は暢気」とされる)。
元々、霊夢は不思議な力を色々使えるが、それを活用したり自慢したりはしない(『妖々夢』キャラ設定.txtから)。彼女は努力が報われると信じておらず、
「一生懸命頑張る」事や修業をあまり好まない。表向きは自信家にみえる一方、その裏側で努力をする魔理沙とは対照的な性格である。
巫女としては危機感に欠ける性格。修行や勉強も不足しており、そもそも神社に祀っている神様が何か知らない有様。自分が使用する道具である陰陽玉もあまり使いこなせていないとされる。
神社の信仰の減少と神社の周りの妖怪の増加については多少気にしているのだが、『風神録』で営業停止を言い渡されるまでそこまで真剣に考えてはいなかった。
神社の信仰の件について霖之助に相談した際には「 まあ、信仰が減っても妖怪退治をしている事には変わりないから、うちの神社としては良いのかも知れないけど 」と語った。
あいうえおかきくけこさしすせ <博麗霊夢(はくれいれいむ)>
単純で裏表が無い。喜怒哀楽が激しく、人間・妖怪を問わず惹き付ける不思議な雰囲気の持ち主。
仕事が妖怪退治であるため妖怪に対しては厳しい態度を取るが、人間にも妖怪にもさほど興味はない。霧雨魔理沙と二人で行動する場面があったり、
『地霊殿』の古明地さとりによると八雲紫の事は信用しているとされるが、誰に対しても優しくも厳しくもなく、誰かと行動していても仲間として見ない平等な性格。「実は冷たい人間なのかもしれない」とも評される。
特に強い妖怪に好かれるが、ときに問答無用で妖怪を退治するため弱い妖怪からは恐れられている。平等である反面、誰に対しても仲間として見ておらず、人間や妖怪と一緒に行動を行っていても常に自分一人。
『香霖堂』では楽しそうに本を読んでいた妖怪(通称朱鷺子)を何となく不意打ちして本を奪ったり、スカートが破れて森近霖之助の服を勝手に着る等、周りからは勝手な巫女と評される。
その一方、無償で幽霊除けのお札を提供したり、境内に倒れていた妖怪兎(レイセン)を介抱している。
異変が起こった際は周囲の者に言われて行動し始めることが多い反面、いざ異変解決を始めると積極的な姿勢を見せる。
『花映塚』における鈴仙・優曇華院・イナバの性格分析によると、「貴方の波長は非常に長い時と非常に短い時が交互にあるのね。」とのこと(「波長が短い人は気性が荒く、長い人は暢気」とされる)。
元々、霊夢は不思議な力を色々使えるが、それを活用したり自慢したりはしない(『妖々夢』キャラ設定.txtから)。彼女は努力が報われると信じておらず、
「一生懸命頑張る」事や修業をあまり好まない。表向きは自信家にみえる一方、その裏側で努力をする魔理沙とは対照的な性格である。
巫女としては危機感に欠ける性格。修行や勉強も不足しており、そもそも神社に祀っている神様が何か知らない有様。自分が使用する道具である陰陽玉もあまり使いこなせていないとされる。
神社の信仰の減少と神社の周りの妖怪の増加については多少気にしているのだが、『風神録』で営業停止を言い渡されるまでそこまで真剣に考えてはいなかった。
神社の信仰の件について霖之助に相談した際には「 まあ、信仰が減っても妖怪退治をしている事には変わりないから、うちの神社としては良いのかも知れないけど 」と語った。
あいうえおかきくけこさしすせ <博麗霊夢(はくれいれいむ)>
単純で裏表が無い。喜怒哀楽が激しく、人間・妖怪を問わず惹き付ける不思議な雰囲気の持ち主。
仕事が妖怪退治であるため妖怪に対しては厳しい態度を取るが、人間にも妖怪にもさほど興味はない。霧雨魔理沙と二人で行動する場面があったり、
『地霊殿』の古明地さとりによると八雲紫の事は信用しているとされるが、誰に対しても優しくも厳しくもなく、誰かと行動していても仲間として見ない平等な性格。「実は冷たい人間なのかもしれない」とも評される。
特に強い妖怪に好かれるが、ときに問答無用で妖怪を退治するため弱い妖怪からは恐れられている。平等である反面、誰に対しても仲間として見ておらず、人間や妖怪と一緒に行動を行っていても常に自分一人。
『香霖堂』では楽しそうに本を読んでいた妖怪(通称朱鷺子)を何となく不意打ちして本を奪ったり、スカートが破れて森近霖之助の服を勝手に着る等、周りからは勝手な巫女と評される。
その一方、無償で幽霊除けのお札を提供したり、境内に倒れていた妖怪兎(レイセン)を介抱している。
異変が起こった際は周囲の者に言われて行動し始めることが多い反面、いざ異変解決を始めると積極的な姿勢を見せる。
『花映塚』における鈴仙・優曇華院・イナバの性格分析によると、「貴方の波長は非常に長い時と非常に短い時が交互にあるのね。」とのこと(「波長が短い人は気性が荒く、長い人は暢気」とされる)。
元々、霊夢は不思議な力を色々使えるが、それを活用したり自慢したりはしない(『妖々夢』キャラ設定.txtから)。彼女は努力が報われると信じておらず、
「一生懸命頑張る」事や修業をあまり好まない。表向きは自信家にみえる一方、その裏側で努力をする魔理沙とは対照的な性格である。
巫女としては危機感に欠ける性格。修行や勉強も不足しており、そもそも神社に祀っている神様が何か知らない有様。自分が使用する道具である陰陽玉もあまり使いこなせていないとされる。
神社の信仰の減少と神社の周りの妖怪の増加については多少気にしているのだが、『風神録』で営業停止を言い渡されるまでそこまで真剣に考えてはいなかった。
神社の信仰の件について霖之助に相談した際には「 まあ、信仰が減っても妖怪退治をしている事には変わりないから、うちの神社としては良いのかも知れないけど 」と語った。
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単純で裏表が無い。喜怒哀楽が激しく、人間・妖怪を問わず惹き付ける不思議な雰囲気の持ち主。
仕事が妖怪退治であるため妖怪に対しては厳しい態度を取るが、人間にも妖怪にもさほど興味はない。霧雨魔理沙と二人で行動する場面があったり、
『地霊殿』の古明地さとりによると八雲紫の事は信用しているとされるが、誰に対しても優しくも厳しくもなく、誰かと行動していても仲間として見ない平等な性格。「実は冷たい人間なのかもしれない」とも評される。
特に強い妖怪に好かれるが、ときに問答無用で妖怪を退治するため弱い妖怪からは恐れられている。平等である反面、誰に対しても仲間として見ておらず、人間や妖怪と一緒に行動を行っていても常に自分一人。
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その一方、無償で幽霊除けのお札を提供したり、境内に倒れていた妖怪兎(レイセン)を介抱している。
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神社の信仰の減少と神社の周りの妖怪の増加については多少気にしているのだが、『風神録』で営業停止を言い渡されるまでそこまで真剣に考えてはいなかった。
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『地霊殿』の古明地さとりによると八雲紫の事は信用しているとされるが、誰に対しても優しくも厳しくもなく、誰かと行動していても仲間として見ない平等な性格。「実は冷たい人間なのかもしれない」とも評される。
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神社の信仰の減少と神社の周りの妖怪の増加については多少気にしているのだが、『風神録』で営業停止を言い渡されるまでそこまで真剣に考えてはいなかった。
神社の信仰の件について霖之助に相談した際には「 まあ、信仰が減っても妖怪退治をしている事には変わりないから、うちの神社としては良いのかも知れないけど 」と語った。
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『地霊殿』の古明地さとりによると八雲紫の事は信用しているとされるが、誰に対しても優しくも厳しくもなく、誰かと行動していても仲間として見ない平等な性格。「実は冷たい人間なのかもしれない」とも評される。
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異変が起こった際は周囲の者に言われて行動し始めることが多い反面、いざ異変解決を始めると積極的な姿勢を見せる。
『花映塚』における鈴仙・優曇華院・イナバの性格分析によると、「貴方の波長は非常に長い時と非常に短い時が交互にあるのね。」とのこと(「波長が短い人は気性が荒く、長い人は暢気」とされる)。
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巫女としては危機感に欠ける性格。修行や勉強も不足しており、そもそも神社に祀っている神様が何か知らない有様。自分が使用する道具である陰陽玉もあまり使いこなせていないとされる。
神社の信仰の減少と神社の周りの妖怪の増加については多少気にしているのだが、『風神録』で営業停止を言い渡されるまでそこまで真剣に考えてはいなかった。
神社の信仰の件について霖之助に相談した際には「 まあ、信仰が減っても妖怪退治をしている事には変わりないから、うちの神社としては良いのかも知れないけど 」と語った。
あいうえおかきくけこさしすせ <博麗霊夢(はくれいれいむ)>
単純で裏表が無い。喜怒哀楽が激しく、人間・妖怪を問わず惹き付ける不思議な雰囲気の持ち主。
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『地霊殿』の古明地さとりによると八雲紫の事は信用しているとされるが、誰に対しても優しくも厳しくもなく、誰かと行動していても仲間として見ない平等な性格。「実は冷たい人間なのかもしれない」とも評される。
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あいうえおかきくけこさしすせ <博麗霊夢(はくれいれいむ)>
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『地霊殿』の古明地さとりによると八雲紫の事は信用しているとされるが、誰に対しても優しくも厳しくもなく、誰かと行動していても仲間として見ない平等な性格。「実は冷たい人間なのかもしれない」とも評される。
特に強い妖怪に好かれるが、ときに問答無用で妖怪を退治するため弱い妖怪からは恐れられている。平等である反面、誰に対しても仲間として見ておらず、人間や妖怪と一緒に行動を行っていても常に自分一人。
『香霖堂』では楽しそうに本を読んでいた妖怪(通称朱鷺子)を何となく不意打ちして本を奪ったり、スカートが破れて森近霖之助の服を勝手に着る等、周りからは勝手な巫女と評される。
その一方、無償で幽霊除けのお札を提供したり、境内に倒れていた妖怪兎(レイセン)を介抱している。
異変が起こった際は周囲の者に言われて行動し始めることが多い反面、いざ異変解決を始めると積極的な姿勢を見せる。
『花映塚』における鈴仙・優曇華院・イナバの性格分析によると、「貴方の波長は非常に長い時と非常に短い時が交互にあるのね。」とのこと(「波長が短い人は気性が荒く、長い人は暢気」とされる)。
元々、霊夢は不思議な力を色々使えるが、それを活用したり自慢したりはしない(『妖々夢』キャラ設定.txtから)。彼女は努力が報われると信じておらず、
「一生懸命頑張る」事や修業をあまり好まない。表向きは自信家にみえる一方、その裏側で努力をする魔理沙とは対照的な性格である。
巫女としては危機感に欠ける性格。修行や勉強も不足しており、そもそも神社に祀っている神様が何か知らない有様。自分が使用する道具である陰陽玉もあまり使いこなせていないとされる。
神社の信仰の減少と神社の周りの妖怪の増加については多少気にしているのだが、『風神録』で営業停止を言い渡されるまでそこまで真剣に考えてはいなかった。
神社の信仰の件について霖之助に相談した際には「 まあ、信仰が減っても妖怪退治をしている事には変わりないから、うちの神社としては良いのかも知れないけど 」と語った。
あいうえおかきくけこさしすせ <博麗霊夢(はくれいれいむ)>
単純で裏表が無い。喜怒哀楽が激しく、人間・妖怪を問わず惹き付ける不思議な雰囲気の持ち主。
仕事が妖怪退治であるため妖怪に対しては厳しい態度を取るが、人間にも妖怪にもさほど興味はない。霧雨魔理沙と二人で行動する場面があったり、
『地霊殿』の古明地さとりによると八雲紫の事は信用しているとされるが、誰に対しても優しくも厳しくもなく、誰かと行動していても仲間として見ない平等な性格。「実は冷たい人間なのかもしれない」とも評される。
特に強い妖怪に好かれるが、ときに問答無用で妖怪を退治するため弱い妖怪からは恐れられている。平等である反面、誰に対しても仲間として見ておらず、人間や妖怪と一緒に行動を行っていても常に自分一人。
『香霖堂』では楽しそうに本を読んでいた妖怪(通称朱鷺子)を何となく不意打ちして本を奪ったり、スカートが破れて森近霖之助の服を勝手に着る等、周りからは勝手な巫女と評される。
その一方、無償で幽霊除けのお札を提供したり、境内に倒れていた妖怪兎(レイセン)を介抱している。
異変が起こった際は周囲の者に言われて行動し始めることが多い反面、いざ異変解決を始めると積極的な姿勢を見せる。
『花映塚』における鈴仙・優曇華院・イナバの性格分析によると、「貴方の波長は非常に長い時と非常に短い時が交互にあるのね。」とのこと(「波長が短い人は気性が荒く、長い人は暢気」とされる)。
元々、霊夢は不思議な力を色々使えるが、それを活用したり自慢したりはしない(『妖々夢』キャラ設定.txtから)。彼女は努力が報われると信じておらず、
「一生懸命頑張る」事や修業をあまり好まない。表向きは自信家にみえる一方、その裏側で努力をする魔理沙とは対照的な性格である。
巫女としては危機感に欠ける性格。修行や勉強も不足しており、そもそも神社に祀っている神様が何か知らない有様。自分が使用する道具である陰陽玉もあまり使いこなせていないとされる。
神社の信仰の減少と神社の周りの妖怪の増加については多少気にしているのだが、『風神録』で営業停止を言い渡されるまでそこまで真剣に考えてはいなかった。
神社の信仰の件について霖之助に相談した際には「 まあ、信仰が減っても妖怪退治をしている事には変わりないから、うちの神社としては良いのかも知れないけど 」と語った。
あいうえおかきくけこさしすせ <博麗霊夢(はくれいれいむ)>
単純で裏表が無い。喜怒哀楽が激しく、人間・妖怪を問わず惹き付ける不思議な雰囲気の持ち主。
仕事が妖怪退治であるため妖怪に対しては厳しい態度を取るが、人間にも妖怪にもさほど興味はない。霧雨魔理沙と二人で行動する場面があったり、
『地霊殿』の古明地さとりによると八雲紫の事は信用しているとされるが、誰に対しても優しくも厳しくもなく、誰かと行動していても仲間として見ない平等な性格。「実は冷たい人間なのかもしれない」とも評される。
特に強い妖怪に好かれるが、ときに問答無用で妖怪を退治するため弱い妖怪からは恐れられている。平等である反面、誰に対しても仲間として見ておらず、人間や妖怪と一緒に行動を行っていても常に自分一人。
『香霖堂』では楽しそうに本を読んでいた妖怪(通称朱鷺子)を何となく不意打ちして本を奪ったり、スカートが破れて森近霖之助の服を勝手に着る等、周りからは勝手な巫女と評される。
その一方、無償で幽霊除けのお札を提供したり、境内に倒れていた妖怪兎(レイセン)を介抱している。
異変が起こった際は周囲の者に言われて行動し始めることが多い反面、いざ異変解決を始めると積極的な姿勢を見せる。
『花映塚』における鈴仙・優曇華院・イナバの性格分析によると、「貴方の波長は非常に長い時と非常に短い時が交互にあるのね。」とのこと(「波長が短い人は気性が荒く、長い人は暢気」とされる)。
元々、霊夢は不思議な力を色々使えるが、それを活用したり自慢したりはしない(『妖々夢』キャラ設定.txtから)。彼女は努力が報われると信じておらず、
「一生懸命頑張る」事や修業をあまり好まない。表向きは自信家にみえる一方、その裏側で努力をする魔理沙とは対照的な性格である。
巫女としては危機感に欠ける性格。修行や勉強も不足しており、そもそも神社に祀っている神様が何か知らない有様。自分が使用する道具である陰陽玉もあまり使いこなせていないとされる。
神社の信仰の減少と神社の周りの妖怪の増加については多少気にしているのだが、『風神録』で営業停止を言い渡されるまでそこまで真剣に考えてはいなかった。
神社の信仰の件について霖之助に相談した際には「 まあ、信仰が減っても妖怪退治をしている事には変わりないから、うちの神社としては良いのかも知れないけど 」と語った。
あいうえおかきくけこさしすせ <博麗霊夢(はくれいれいむ)>
単純で裏表が無い。喜怒哀楽が激しく、人間・妖怪を問わず惹き付ける不思議な雰囲気の持ち主。
仕事が妖怪退治であるため妖怪に対しては厳しい態度を取るが、人間にも妖怪にもさほど興味はない。霧雨魔理沙と二人で行動する場面があったり、
『地霊殿』の古明地さとりによると八雲紫の事は信用しているとされるが、誰に対しても優しくも厳しくもなく、誰かと行動していても仲間として見ない平等な性格。「実は冷たい人間なのかもしれない」とも評される。
特に強い妖怪に好かれるが、ときに問答無用で妖怪を退治するため弱い妖怪からは恐れられている。平等である反面、誰に対しても仲間として見ておらず、人間や妖怪と一緒に行動を行っていても常に自分一人。
『香霖堂』では楽しそうに本を読んでいた妖怪(通称朱鷺子)を何となく不意打ちして本を奪ったり、スカートが破れて森近霖之助の服を勝手に着る等、周りからは勝手な巫女と評される。
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異変が起こった際は周囲の者に言われて行動し始めることが多い反面、いざ異変解決を始めると積極的な姿勢を見せる。
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元々、霊夢は不思議な力を色々使えるが、それを活用したり自慢したりはしない(『妖々夢』キャラ設定.txtから)。彼女は努力が報われると信じておらず、
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神社の信仰の件について霖之助に相談した際には「 まあ、信仰が減っても妖怪退治をしている事には変わりないから、うちの神社としては良いのかも知れないけど 」と語った。
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神社の信仰の減少と神社の周りの妖怪の増加については多少気にしているのだが、『風神録』で営業停止を言い渡されるまでそこまで真剣に考えてはいなかった。
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単純で裏表が無い。喜怒哀楽が激しく、人間・妖怪を問わず惹き付ける不思議な雰囲気の持ち主。
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『地霊殿』の古明地さとりによると八雲紫の事は信用しているとされるが、誰に対しても優しくも厳しくもなく、誰かと行動していても仲間として見ない平等な性格。「実は冷たい人間なのかもしれない」とも評される。
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巫女としては危機感に欠ける性格。修行や勉強も不足しており、そもそも神社に祀っている神様が何か知らない有様。自分が使用する道具である陰陽玉もあまり使いこなせていないとされる。
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神社の信仰の件について霖之助に相談した際には「 まあ、信仰が減っても妖怪退治をしている事には変わりないから、うちの神社としては良いのかも知れないけど 」と語った。
あいうえおかきくけこさしすせ <博麗霊夢(はくれいれいむ)>
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『地霊殿』の古明地さとりによると八雲紫の事は信用しているとされるが、誰に対しても優しくも厳しくもなく、誰かと行動していても仲間として見ない平等な性格。「実は冷たい人間なのかもしれない」とも評される。
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神社の信仰の件について霖之助に相談した際には「 まあ、信仰が減っても妖怪退治をしている事には変わりないから、うちの神社としては良いのかも知れないけど 」と語った。
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『地霊殿』の古明地さとりによると八雲紫の事は信用しているとされるが、誰に対しても優しくも厳しくもなく、誰かと行動していても仲間として見ない平等な性格。「実は冷たい人間なのかもしれない」とも評される。
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『花映塚』における鈴仙・優曇華院・イナバの性格分析によると、「貴方の波長は非常に長い時と非常に短い時が交互にあるのね。」とのこと(「波長が短い人は気性が荒く、長い人は暢気」とされる)。
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神社の信仰の減少と神社の周りの妖怪の増加については多少気にしているのだが、『風神録』で営業停止を言い渡されるまでそこまで真剣に考えてはいなかった。
神社の信仰の件について霖之助に相談した際には「 まあ、信仰が減っても妖怪退治をしている事には変わりないから、うちの神社としては良いのかも知れないけど 」と語った。
あいうえおかきくけこさしすせ <博麗霊夢(はくれいれいむ)>
単純で裏表が無い。喜怒哀楽が激しく、人間・妖怪を問わず惹き付ける不思議な雰囲気の持ち主。
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『地霊殿』の古明地さとりによると八雲紫の事は信用しているとされるが、誰に対しても優しくも厳しくもなく、誰かと行動していても仲間として見ない平等な性格。「実は冷たい人間なのかもしれない」とも評される。
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『香霖堂』では楽しそうに本を読んでいた妖怪(通称朱鷺子)を何となく不意打ちして本を奪ったり、スカートが破れて森近霖之助の服を勝手に着る等、周りからは勝手な巫女と評される。
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異変が起こった際は周囲の者に言われて行動し始めることが多い反面、いざ異変解決を始めると積極的な姿勢を見せる。
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元々、霊夢は不思議な力を色々使えるが、それを活用したり自慢したりはしない(『妖々夢』キャラ設定.txtから)。彼女は努力が報われると信じておらず、
「一生懸命頑張る」事や修業をあまり好まない。表向きは自信家にみえる一方、その裏側で努力をする魔理沙とは対照的な性格である。
巫女としては危機感に欠ける性格。修行や勉強も不足しており、そもそも神社に祀っている神様が何か知らない有様。自分が使用する道具である陰陽玉もあまり使いこなせていないとされる。
神社の信仰の減少と神社の周りの妖怪の増加については多少気にしているのだが、『風神録』で営業停止を言い渡されるまでそこまで真剣に考えてはいなかった。
神社の信仰の件について霖之助に相談した際には「 まあ、信仰が減っても妖怪退治をしている事には変わりないから、うちの神社としては良いのかも知れないけど 」と語った。
あいうえおかきくけこさしすせ <博麗霊夢(はくれいれいむ)>
単純で裏表が無い。喜怒哀楽が激しく、人間・妖怪を問わず惹き付ける不思議な雰囲気の持ち主。
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『地霊殿』の古明地さとりによると八雲紫の事は信用しているとされるが、誰に対しても優しくも厳しくもなく、誰かと行動していても仲間として見ない平等な性格。「実は冷たい人間なのかもしれない」とも評される。
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『香霖堂』では楽しそうに本を読んでいた妖怪(通称朱鷺子)を何となく不意打ちして本を奪ったり、スカートが破れて森近霖之助の服を勝手に着る等、周りからは勝手な巫女と評される。
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巫女としては危機感に欠ける性格。修行や勉強も不足しており、そもそも神社に祀っている神様が何か知らない有様。自分が使用する道具である陰陽玉もあまり使いこなせていないとされる。
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神社の信仰の件について霖之助に相談した際には「 まあ、信仰が減っても妖怪退治をしている事には変わりないから、うちの神社としては良いのかも知れないけど 」と語った。
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特に強い妖怪に好かれるが、ときに問答無用で妖怪を退治するため弱い妖怪からは恐れられている。平等である反面、誰に対しても仲間として見ておらず、人間や妖怪と一緒に行動を行っていても常に自分一人。
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その一方、無償で幽霊除けのお札を提供したり、境内に倒れていた妖怪兎(レイセン)を介抱している。
異変が起こった際は周囲の者に言われて行動し始めることが多い反面、いざ異変解決を始めると積極的な姿勢を見せる。
『花映塚』における鈴仙・優曇華院・イナバの性格分析によると、「貴方の波長は非常に長い時と非常に短い時が交互にあるのね。」とのこと(「波長が短い人は気性が荒く、長い人は暢気」とされる)。
元々、霊夢は不思議な力を色々使えるが、それを活用したり自慢したりはしない(『妖々夢』キャラ設定.txtから)。彼女は努力が報われると信じておらず、
「一生懸命頑張る」事や修業をあまり好まない。表向きは自信家にみえる一方、その裏側で努力をする魔理沙とは対照的な性格である。
巫女としては危機感に欠ける性格。修行や勉強も不足しており、そもそも神社に祀っている神様が何か知らない有様。自分が使用する道具である陰陽玉もあまり使いこなせていないとされる。
神社の信仰の減少と神社の周りの妖怪の増加については多少気にしているのだが、『風神録』で営業停止を言い渡されるまでそこまで真剣に考えてはいなかった。
神社の信仰の件について霖之助に相談した際には「 まあ、信仰が減っても妖怪退治をしている事には変わりないから、うちの神社としては良いのかも知れないけど 」と語った。
あいうえおかきくけこさしすせ <博麗霊夢(はくれいれいむ)>
単純で裏表が無い。喜怒哀楽が激しく、人間・妖怪を問わず惹き付ける不思議な雰囲気の持ち主。
仕事が妖怪退治であるため妖怪に対しては厳しい態度を取るが、人間にも妖怪にもさほど興味はない。霧雨魔理沙と二人で行動する場面があったり、
『地霊殿』の古明地さとりによると八雲紫の事は信用しているとされるが、誰に対しても優しくも厳しくもなく、誰かと行動していても仲間として見ない平等な性格。「実は冷たい人間なのかもしれない」とも評される。
特に強い妖怪に好かれるが、ときに問答無用で妖怪を退治するため弱い妖怪からは恐れられている。平等である反面、誰に対しても仲間として見ておらず、人間や妖怪と一緒に行動を行っていても常に自分一人。
『香霖堂』では楽しそうに本を読んでいた妖怪(通称朱鷺子)を何となく不意打ちして本を奪ったり、スカートが破れて森近霖之助の服を勝手に着る等、周りからは勝手な巫女と評される。
その一方、無償で幽霊除けのお札を提供したり、境内に倒れていた妖怪兎(レイセン)を介抱している。
異変が起こった際は周囲の者に言われて行動し始めることが多い反面、いざ異変解決を始めると積極的な姿勢を見せる。
『花映塚』における鈴仙・優曇華院・イナバの性格分析によると、「貴方の波長は非常に長い時と非常に短い時が交互にあるのね。」とのこと(「波長が短い人は気性が荒く、長い人は暢気」とされる)。
元々、霊夢は不思議な力を色々使えるが、それを活用したり自慢したりはしない(『妖々夢』キャラ設定.txtから)。彼女は努力が報われると信じておらず、
「一生懸命頑張る」事や修業をあまり好まない。表向きは自信家にみえる一方、その裏側で努力をする魔理沙とは対照的な性格である。
巫女としては危機感に欠ける性格。修行や勉強も不足しており、そもそも神社に祀っている神様が何か知らない有様。自分が使用する道具である陰陽玉もあまり使いこなせていないとされる。
神社の信仰の減少と神社の周りの妖怪の増加については多少気にしているのだが、『風神録』で営業停止を言い渡されるまでそこまで真剣に考えてはいなかった。
神社の信仰の件について霖之助に相談した際には「 まあ、信仰が減っても妖怪退治をしている事には変わりないから、うちの神社としては良いのかも知れないけど 」と語った。
あいうえおかきくけこさしすせ <博麗霊夢(はくれいれいむ)>
単純で裏表が無い。喜怒哀楽が激しく、人間・妖怪を問わず惹き付ける不思議な雰囲気の持ち主。
仕事が妖怪退治であるため妖怪に対しては厳しい態度を取るが、人間にも妖怪にもさほど興味はない。霧雨魔理沙と二人で行動する場面があったり、
『地霊殿』の古明地さとりによると八雲紫の事は信用しているとされるが、誰に対しても優しくも厳しくもなく、誰かと行動していても仲間として見ない平等な性格。「実は冷たい人間なのかもしれない」とも評される。
特に強い妖怪に好かれるが、ときに問答無用で妖怪を退治するため弱い妖怪からは恐れられている。平等である反面、誰に対しても仲間として見ておらず、人間や妖怪と一緒に行動を行っていても常に自分一人。
『香霖堂』では楽しそうに本を読んでいた妖怪(通称朱鷺子)を何となく不意打ちして本を奪ったり、スカートが破れて森近霖之助の服を勝手に着る等、周りからは勝手な巫女と評される。
その一方、無償で幽霊除けのお札を提供したり、境内に倒れていた妖怪兎(レイセン)を介抱している。
異変が起こった際は周囲の者に言われて行動し始めることが多い反面、いざ異変解決を始めると積極的な姿勢を見せる。
『花映塚』における鈴仙・優曇華院・イナバの性格分析によると、「貴方の波長は非常に長い時と非常に短い時が交互にあるのね。」とのこと(「波長が短い人は気性が荒く、長い人は暢気」とされる)。
元々、霊夢は不思議な力を色々使えるが、それを活用したり自慢したりはしない(『妖々夢』キャラ設定.txtから)。彼女は努力が報われると信じておらず、
「一生懸命頑張る」事や修業をあまり好まない。表向きは自信家にみえる一方、その裏側で努力をする魔理沙とは対照的な性格である。
巫女としては危機感に欠ける性格。修行や勉強も不足しており、そもそも神社に祀っている神様が何か知らない有様。自分が使用する道具である陰陽玉もあまり使いこなせていないとされる。
神社の信仰の減少と神社の周りの妖怪の増加については多少気にしているのだが、『風神録』で営業停止を言い渡されるまでそこまで真剣に考えてはいなかった。
神社の信仰の件について霖之助に相談した際には「 まあ、信仰が減っても妖怪退治をしている事には変わりないから、うちの神社としては良いのかも知れないけど 」と語った。
あいうえおかきくけこさしすせ <博麗霊夢(はくれいれいむ)>
単純で裏表が無い。喜怒哀楽が激しく、人間・妖怪を問わず惹き付ける不思議な雰囲気の持ち主。
仕事が妖怪退治であるため妖怪に対しては厳しい態度を取るが、人間にも妖怪にもさほど興味はない。霧雨魔理沙と二人で行動する場面があったり、
『地霊殿』の古明地さとりによると八雲紫の事は信用しているとされるが、誰に対しても優しくも厳しくもなく、誰かと行動していても仲間として見ない平等な性格。「実は冷たい人間なのかもしれない」とも評される。
特に強い妖怪に好かれるが、ときに問答無用で妖怪を退治するため弱い妖怪からは恐れられている。平等である反面、誰に対しても仲間として見ておらず、人間や妖怪と一緒に行動を行っていても常に自分一人。
『香霖堂』では楽しそうに本を読んでいた妖怪(通称朱鷺子)を何となく不意打ちして本を奪ったり、スカートが破れて森近霖之助の服を勝手に着る等、周りからは勝手な巫女と評される。
その一方、無償で幽霊除けのお札を提供したり、境内に倒れていた妖怪兎(レイセン)を介抱している。
異変が起こった際は周囲の者に言われて行動し始めることが多い反面、いざ異変解決を始めると積極的な姿勢を見せる。
『花映塚』における鈴仙・優曇華院・イナバの性格分析によると、「貴方の波長は非常に長い時と非常に短い時が交互にあるのね。」とのこと(「波長が短い人は気性が荒く、長い人は暢気」とされる)。
元々、霊夢は不思議な力を色々使えるが、それを活用したり自慢したりはしない(『妖々夢』キャラ設定.txtから)。彼女は努力が報われると信じておらず、
「一生懸命頑張る」事や修業をあまり好まない。表向きは自信家にみえる一方、その裏側で努力をする魔理沙とは対照的な性格である。
巫女としては危機感に欠ける性格。修行や勉強も不足しており、そもそも神社に祀っている神様が何か知らない有様。自分が使用する道具である陰陽玉もあまり使いこなせていないとされる。
神社の信仰の減少と神社の周りの妖怪の増加については多少気にしているのだが、『風神録』で営業停止を言い渡されるまでそこまで真剣に考えてはいなかった。
神社の信仰の件について霖之助に相談した際には「 まあ、信仰が減っても妖怪退治をしている事には変わりないから、うちの神社としては良いのかも知れないけど 」と語った。
あいうえおかきくけこさしすせ <博麗霊夢(はくれいれいむ)>
単純で裏表が無い。喜怒哀楽が激しく、人間・妖怪を問わず惹き付ける不思議な雰囲気の持ち主。
仕事が妖怪退治であるため妖怪に対しては厳しい態度を取るが、人間にも妖怪にもさほど興味はない。霧雨魔理沙と二人で行動する場面があったり、
『地霊殿』の古明地さとりによると八雲紫の事は信用しているとされるが、誰に対しても優しくも厳しくもなく、誰かと行動していても仲間として見ない平等な性格。「実は冷たい人間なのかもしれない」とも評される。
特に強い妖怪に好かれるが、ときに問答無用で妖怪を退治するため弱い妖怪からは恐れられている。平等である反面、誰に対しても仲間として見ておらず、人間や妖怪と一緒に行動を行っていても常に自分一人。
『香霖堂』では楽しそうに本を読んでいた妖怪(通称朱鷺子)を何となく不意打ちして本を奪ったり、スカートが破れて森近霖之助の服を勝手に着る等、周りからは勝手な巫女と評される。
その一方、無償で幽霊除けのお札を提供したり、境内に倒れていた妖怪兎(レイセン)を介抱している。
異変が起こった際は周囲の者に言われて行動し始めることが多い反面、いざ異変解決を始めると積極的な姿勢を見せる。
『花映塚』における鈴仙・優曇華院・イナバの性格分析によると、「貴方の波長は非常に長い時と非常に短い時が交互にあるのね。」とのこと(「波長が短い人は気性が荒く、長い人は暢気」とされる)。
元々、霊夢は不思議な力を色々使えるが、それを活用したり自慢したりはしない(『妖々夢』キャラ設定.txtから)。彼女は努力が報われると信じておらず、
「一生懸命頑張る」事や修業をあまり好まない。表向きは自信家にみえる一方、その裏側で努力をする魔理沙とは対照的な性格である。
巫女としては危機感に欠ける性格。修行や勉強も不足しており、そもそも神社に祀っている神様が何か知らない有様。自分が使用する道具である陰陽玉もあまり使いこなせていないとされる。
神社の信仰の減少と神社の周りの妖怪の増加については多少気にしているのだが、『風神録』で営業停止を言い渡されるまでそこまで真剣に考えてはいなかった。
神社の信仰の件について霖之助に相談した際には「 まあ、信仰が減っても妖怪退治をしている事には変わりないから、うちの神社としては良いのかも知れないけど 」と語った。
あいうえおかきくけこさしすせ <博麗霊夢(はくれいれいむ)>
単純で裏表が無い。喜怒哀楽が激しく、人間・妖怪を問わず惹き付ける不思議な雰囲気の持ち主。
仕事が妖怪退治であるため妖怪に対しては厳しい態度を取るが、人間にも妖怪にもさほど興味はない。霧雨魔理沙と二人で行動する場面があったり、
『地霊殿』の古明地さとりによると八雲紫の事は信用しているとされるが、誰に対しても優しくも厳しくもなく、誰かと行動していても仲間として見ない平等な性格。「実は冷たい人間なのかもしれない」とも評される。
特に強い妖怪に好かれるが、ときに問答無用で妖怪を退治するため弱い妖怪からは恐れられている。平等である反面、誰に対しても仲間として見ておらず、人間や妖怪と一緒に行動を行っていても常に自分一人。
『香霖堂』では楽しそうに本を読んでいた妖怪(通称朱鷺子)を何となく不意打ちして本を奪ったり、スカートが破れて森近霖之助の服を勝手に着る等、周りからは勝手な巫女と評される。
その一方、無償で幽霊除けのお札を提供したり、境内に倒れていた妖怪兎(レイセン)を介抱している。
異変が起こった際は周囲の者に言われて行動し始めることが多い反面、いざ異変解決を始めると積極的な姿勢を見せる。
『花映塚』における鈴仙・優曇華院・イナバの性格分析によると、「貴方の波長は非常に長い時と非常に短い時が交互にあるのね。」とのこと(「波長が短い人は気性が荒く、長い人は暢気」とされる)。
元々、霊夢は不思議な力を色々使えるが、それを活用したり自慢したりはしない(『妖々夢』キャラ設定.txtから)。彼女は努力が報われると信じておらず、
「一生懸命頑張る」事や修業をあまり好まない。表向きは自信家にみえる一方、その裏側で努力をする魔理沙とは対照的な性格である。
巫女としては危機感に欠ける性格。修行や勉強も不足しており、そもそも神社に祀っている神様が何か知らない有様。自分が使用する道具である陰陽玉もあまり使いこなせていないとされる。
神社の信仰の減少と神社の周りの妖怪の増加については多少気にしているのだが、『風神録』で営業停止を言い渡されるまでそこまで真剣に考えてはいなかった。
神社の信仰の件について霖之助に相談した際には「 まあ、信仰が減っても妖怪退治をしている事には変わりないから、うちの神社としては良いのかも知れないけど 」と語った。
あいうえおかきくけこさしすせ <博麗霊夢(はくれいれいむ)>
単純で裏表が無い。喜怒哀楽が激しく、人間・妖怪を問わず惹き付ける不思議な雰囲気の持ち主。
仕事が妖怪退治であるため妖怪に対しては厳しい態度を取るが、人間にも妖怪にもさほど興味はない。霧雨魔理沙と二人で行動する場面があったり、
『地霊殿』の古明地さとりによると八雲紫の事は信用しているとされるが、誰に対しても優しくも厳しくもなく、誰かと行動していても仲間として見ない平等な性格。「実は冷たい人間なのかもしれない」とも評される。
特に強い妖怪に好かれるが、ときに問答無用で妖怪を退治するため弱い妖怪からは恐れられている。平等である反面、誰に対しても仲間として見ておらず、人間や妖怪と一緒に行動を行っていても常に自分一人。
『香霖堂』では楽しそうに本を読んでいた妖怪(通称朱鷺子)を何となく不意打ちして本を奪ったり、スカートが破れて森近霖之助の服を勝手に着る等、周りからは勝手な巫女と評される。
その一方、無償で幽霊除けのお札を提供したり、境内に倒れていた妖怪兎(レイセン)を介抱している。
異変が起こった際は周囲の者に言われて行動し始めることが多い反面、いざ異変解決を始めると積極的な姿勢を見せる。
『花映塚』における鈴仙・優曇華院・イナバの性格分析によると、「貴方の波長は非常に長い時と非常に短い時が交互にあるのね。」とのこと(「波長が短い人は気性が荒く、長い人は暢気」とされる)。
元々、霊夢は不思議な力を色々使えるが、それを活用したり自慢したりはしない(『妖々夢』キャラ設定.txtから)。彼女は努力が報われると信じておらず、
「一生懸命頑張る」事や修業をあまり好まない。表向きは自信家にみえる一方、その裏側で努力をする魔理沙とは対照的な性格である。
巫女としては危機感に欠ける性格。修行や勉強も不足しており、そもそも神社に祀っている神様が何か知らない有様。自分が使用する道具である陰陽玉もあまり使いこなせていないとされる。
神社の信仰の減少と神社の周りの妖怪の増加については多少気にしているのだが、『風神録』で営業停止を言い渡されるまでそこまで真剣に考えてはいなかった。
神社の信仰の件について霖之助に相談した際には「 まあ、信仰が減っても妖怪退治をしている事には変わりないから、うちの神社としては良いのかも知れないけど 」と語った。
あいうえおかきくけこさしすせ <博麗霊夢(はくれいれいむ)>
単純で裏表が無い。喜怒哀楽が激しく、人間・妖怪を問わず惹き付ける不思議な雰囲気の持ち主。
仕事が妖怪退治であるため妖怪に対しては厳しい態度を取るが、人間にも妖怪にもさほど興味はない。霧雨魔理沙と二人で行動する場面があったり、
『地霊殿』の古明地さとりによると八雲紫の事は信用しているとされるが、誰に対しても優しくも厳しくもなく、誰かと行動していても仲間として見ない平等な性格。「実は冷たい人間なのかもしれない」とも評される。
特に強い妖怪に好かれるが、ときに問答無用で妖怪を退治するため弱い妖怪からは恐れられている。平等である反面、誰に対しても仲間として見ておらず、人間や妖怪と一緒に行動を行っていても常に自分一人。
『香霖堂』では楽しそうに本を読んでいた妖怪(通称朱鷺子)を何となく不意打ちして本を奪ったり、スカートが破れて森近霖之助の服を勝手に着る等、周りからは勝手な巫女と評される。
その一方、無償で幽霊除けのお札を提供したり、境内に倒れていた妖怪兎(レイセン)を介抱している。
異変が起こった際は周囲の者に言われて行動し始めることが多い反面、いざ異変解決を始めると積極的な姿勢を見せる。
『花映塚』における鈴仙・優曇華院・イナバの性格分析によると、「貴方の波長は非常に長い時と非常に短い時が交互にあるのね。」とのこと(「波長が短い人は気性が荒く、長い人は暢気」とされる)。
元々、霊夢は不思議な力を色々使えるが、それを活用したり自慢したりはしない(『妖々夢』キャラ設定.txtから)。彼女は努力が報われると信じておらず、
「一生懸命頑張る」事や修業をあまり好まない。表向きは自信家にみえる一方、その裏側で努力をする魔理沙とは対照的な性格である。
巫女としては危機感に欠ける性格。修行や勉強も不足しており、そもそも神社に祀っている神様が何か知らない有様。自分が使用する道具である陰陽玉もあまり使いこなせていないとされる。
神社の信仰の減少と神社の周りの妖怪の増加については多少気にしているのだが、『風神録』で営業停止を言い渡されるまでそこまで真剣に考えてはいなかった。
神社の信仰の件について霖之助に相談した際には「 まあ、信仰が減っても妖怪退治をしている事には変わりないから、うちの神社としては良いのかも知れないけど 」と語った。
あいうえおかきくけこさしすせ <博麗霊夢(はくれいれいむ)>
単純で裏表が無い。喜怒哀楽が激しく、人間・妖怪を問わず惹き付ける不思議な雰囲気の持ち主。
仕事が妖怪退治であるため妖怪に対しては厳しい態度を取るが、人間にも妖怪にもさほど興味はない。霧雨魔理沙と二人で行動する場面があったり、
『地霊殿』の古明地さとりによると八雲紫の事は信用しているとされるが、誰に対しても優しくも厳しくもなく、誰かと行動していても仲間として見ない平等な性格。「実は冷たい人間なのかもしれない」とも評される。
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『香霖堂』では楽しそうに本を読んでいた妖怪(通称朱鷺子)を何となく不意打ちして本を奪ったり、スカートが破れて森近霖之助の服を勝手に着る等、周りからは勝手な巫女と評される。
その一方、無償で幽霊除けのお札を提供したり、境内に倒れていた妖怪兎(レイセン)を介抱している。
異変が起こった際は周囲の者に言われて行動し始めることが多い反面、いざ異変解決を始めると積極的な姿勢を見せる。
『花映塚』における鈴仙・優曇華院・イナバの性格分析によると、「貴方の波長は非常に長い時と非常に短い時が交互にあるのね。」とのこと(「波長が短い人は気性が荒く、長い人は暢気」とされる)。
元々、霊夢は不思議な力を色々使えるが、それを活用したり自慢したりはしない(『妖々夢』キャラ設定.txtから)。彼女は努力が報われると信じておらず、
「一生懸命頑張る」事や修業をあまり好まない。表向きは自信家にみえる一方、その裏側で努力をする魔理沙とは対照的な性格である。
巫女としては危機感に欠ける性格。修行や勉強も不足しており、そもそも神社に祀っている神様が何か知らない有様。自分が使用する道具である陰陽玉もあまり使いこなせていないとされる。
神社の信仰の減少と神社の周りの妖怪の増加については多少気にしているのだが、『風神録』で営業停止を言い渡されるまでそこまで真剣に考えてはいなかった。
神社の信仰の件について霖之助に相談した際には「 まあ、信仰が減っても妖怪退治をしている事には変わりないから、うちの神社としては良いのかも知れないけど 」と語った。
あいうえおかきくけこさしすせ <博麗霊夢(はくれいれいむ)>
単純で裏表が無い。喜怒哀楽が激しく、人間・妖怪を問わず惹き付ける不思議な雰囲気の持ち主。
仕事が妖怪退治であるため妖怪に対しては厳しい態度を取るが、人間にも妖怪にもさほど興味はない。霧雨魔理沙と二人で行動する場面があったり、
『地霊殿』の古明地さとりによると八雲紫の事は信用しているとされるが、誰に対しても優しくも厳しくもなく、誰かと行動していても仲間として見ない平等な性格。「実は冷たい人間なのかもしれない」とも評される。
特に強い妖怪に好かれるが、ときに問答無用で妖怪を退治するため弱い妖怪からは恐れられている。平等である反面、誰に対しても仲間として見ておらず、人間や妖怪と一緒に行動を行っていても常に自分一人。
『香霖堂』では楽しそうに本を読んでいた妖怪(通称朱鷺子)を何となく不意打ちして本を奪ったり、スカートが破れて森近霖之助の服を勝手に着る等、周りからは勝手な巫女と評される。
その一方、無償で幽霊除けのお札を提供したり、境内に倒れていた妖怪兎(レイセン)を介抱している。
異変が起こった際は周囲の者に言われて行動し始めることが多い反面、いざ異変解決を始めると積極的な姿勢を見せる。
『花映塚』における鈴仙・優曇華院・イナバの性格分析によると、「貴方の波長は非常に長い時と非常に短い時が交互にあるのね。」とのこと(「波長が短い人は気性が荒く、長い人は暢気」とされる)。
元々、霊夢は不思議な力を色々使えるが、それを活用したり自慢したりはしない(『妖々夢』キャラ設定.txtから)。彼女は努力が報われると信じておらず、
「一生懸命頑張る」事や修業をあまり好まない。表向きは自信家にみえる一方、その裏側で努力をする魔理沙とは対照的な性格である。
巫女としては危機感に欠ける性格。修行や勉強も不足しており、そもそも神社に祀っている神様が何か知らない有様。自分が使用する道具である陰陽玉もあまり使いこなせていないとされる。
神社の信仰の減少と神社の周りの妖怪の増加については多少気にしているのだが、『風神録』で営業停止を言い渡されるまでそこまで真剣に考えてはいなかった。
神社の信仰の件について霖之助に相談した際には「 まあ、信仰が減っても妖怪退治をしている事には変わりないから、うちの神社としては良いのかも知れないけど 」と語った。
あいうえおかきくけこさしすせ 建設関係など男臭い職場にはヌードカレンダーが貼ってあった、
ヌードカレンダーを毎年配ってる業者もあったほどだった。 サントリーまでヌードカレンダーが売り物だった
教授室の天井に等身大のが貼ってあったな 保険のおばちゃんがくれる卓上カレンダーでもヌードが選択できたよ。 ヘイグというウイスキーで付いてきて
ソフトフォーカスで有名なデビッドハミルトン撮影の
有名タレントセミヌードのカレンダー景品。
確か川島なお美とか石原真理子、斉藤慶子。
実家が酒屋は皆に頼まれて
「俺だって中身観ていないんだ」と言い訳していた。 昼のドラマで女優さんが胸丸出しで温泉とか入ってるシーンがけっこうあった。
番組の冒頭に、青少年には試聴に適さないシーンがありますという字幕が一瞬出てた。 NHKでやってた中学生日記はどういうわけか毎回のように
JCさんの着替えシーンがあって下着姿を披露してた 戦争中の一時期を除いて昭和初期から40年代半ばまでの女子学生は
短いソックスではなくガーターリングで留める腿丈までの黒ストッキングを履いていた。 黒いストッキングは商売女の履くもので、昭和40年ごろのまともな学校では退学になる案件だぞ >>919
制服(冬服)の一部として黒タイツや黒ストッキング指定の学校もあったよ 日生のおばちゃんがくれるのは、腕時計に着けるちっちゃいカレンダー
黒だとちょっとオシャレ感が >>919
なんか関西の方ではそうだったみたいだね >>923
時計自体に日付が出るようになったから? 腕時計につける小さいカレンダーで思い出した
タバコ屋にソフトケース専用の
ジーパンのお尻ポケットに入れてもたばこがつぶれない
蓋はしっかりしてるけど針金がいい加減、うまく言えない
そんなタバコケース売っていた >>925
時計に日付が出るのはクオーツどころか自動巻もない手巻きしかない時代からあるよ >>930
日付というより、携帯はカレンダーが出せるようになったから時計にわざわざカレンダーつける意味はなくなったんだぎゃあ。 日生のおばちゃん今日もまたーのCMソングで
最後男性コーラスのハモり入ってきて「ふるーさーとーよー」ってなるところがなぜか怖かった CMの影響でニッセイのおばちゃんは民生委員みたいなものだと思ってた 昔は
(エレベーターではなく)
エスカレーターガールというのも存在した。 むかーーし昔。エレベーターって運賃とられなかった?
知らんけど >>939
東京タワーやサンシャイン60の展望台のは違うよね。 修学旅行で県庁へ行き
県の偉い人との対談でエレベーターの乗り最上階へGO
初めてエレベーターに乗った人が何人かいて
最上階へ着いたときには「気持ち悪い…」と言い
偉いさんとの対談をキャンセルする人が少なからずいた。
でもって代わりに俺が質問をする役目を仰せつかった。 >>940
>>941
いやいや、観光地じゃなくて老舗のデパートとか。
あ、昭和じゃ無いかも…。 デパートのエレベーターは、履物を脱いで乗るものだったよね ビルの屋上フェンスの向こうも
>>943
それ、エレベーターがまだ珍しかった頃の話じゃない?
明治〜大正時代とか カンヌ映画祭 アラン・ドロンに名誉パルムドール贈呈
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190520-00000017-mai-soci
https://amd.c.yimg.jp/amd/20190520-00000017-mai-000-2-view.jpg
ドロンさんは涙で声を詰まらせながら「スターを作るのは映画でも監督でもない。
観客の皆さんのおかげで私はスターの一人になれた。心から感謝している」とスピーチした。
ドロンさんの受賞を巡っては、米国の女性人権擁護団体などが
「過去に女性に暴力を振るったことを公言したり、同性愛に差別的な
発言をしたりしている」などとして抗議。
しかし主催者側は「ノーベル平和賞ではなく、俳優としての功績に与えるもの」と反論した #
ハッシュタグ?
シャープだろ普通
いや井桁だろ普通 電機メーカー勤務
昔は同業他社の「シャープ」と言うな。と教わったのだが 電気メーカーのシャープで思い出したが、シャープのMZシリーズのBASICで音楽データを記述するのにフラットを使わずにシャープのみで対応する仕様だった。 >>954
フラットに相当する記号がないし、B(b)だとハ長調でいうシの音と被る。 >>955
他のメーカーはフラットは別の記号に割り当てて処理してた。 シャープス&フラッツってビッグバンドがあったよな。 >>957
Es-Mollみたいな?
それならいっそ日本語で変ホ短調なほうがひと目でわかるんじゃね?
ハニホヘトは偉大!
八街の地名にも、「ほ」とかあるしな。 コンピュータで手っ取り早く楽譜を扱うのなら、シャープとフラットはどっちかあれば間に合うから片っぽにしようと思うだろうな
嬰ハは変ニよりピタゴラスのコンマ分低い、とかいうのは次元の違う話だからね 後から打ち出したら困る。
カラオケとかエレクトーンとかは音源と楽譜でデータ共有する場合があるから。 >>963
MZシリーズのBASICの話だぞ?
BEEPで音程が指定できて、簡単なメロディがプログラムできた時代のPCだ
その後PC80あたりで三和音同時に鳴らせる!が売り文句の時代が来た BASICでの命令は、シャープは+でフラットは-だったな
100 PLAY T=100 O=4 L=8 CDE-FGA-B-~C
だったか 家にある電化製品はメーカーが統一されてた、
うちの場合、昭和50年代半ばまでは爺さんの好みで松下一択、
それ以降は親戚の勤め先の影響で日立一択、
平成以降は近所に家電量販店ができてバラバラ。 >>967
昔の電器屋さんはメーカーとの代理店契約だったのか、特定のメーカーの製品しか売ってなかったよね。
だから、昭和の家電メーカーは全製品を売ってた。(中身は別メーカーのOEMだったりもしたが) 素人(一般人)がものを買うのは、売れてるものが一流品という認識。
松下、トヨタ、セイコー、キリン・サントリー、グンゼを選んどけば間違いない。
ウィスキーはサントリーが一流で、クラウンに乗るか、マークツ一かコロナ、カローラに乗るかのように、ローヤルリザーブ、オールド…の階級があり、俺もこれが飲めるようになったと思った…らしい。
角、ホワイト、レッド、トリスは駆け出し、学生が飲むものというイメージ。
ニッカは労務者階級の安酒。
通ではない昭和の一般人は、地方の日本酒があえて一級酒にしないとか竹鶴なんて知らないよ。 子供の頃親父がサイドボードにしまっていたオールドを持ち出して水割りを作って飲んでみたが
あまりにも不味くて犬にやってしまった。
大人になってから改めて飲んでみたがやっぱり不味かったわ。 学喘いの頃は金がないからレッド一択だった。
ボトル一気飲みして悪酔いしたなあ。
つまみはマルシンハンバーグ。
就職してからダルマを買ってマグロの柵切りや生カキを肴に味わいながら飲んだっけ。 >>971-974
うちもサイドボードの中に古いレミーマルタンとかナポレオンとかがあったが、こないだ中身をトイレに流して捨てちまったw
一応ビンはまだ置いてある。
オレが生まれた時からあるみたいだし、30年以上もずっと放置されている酒なんかもう飲めないだろうしな 密閉しとけば蒸留酒は痛まないんだけど、キャップのコルクがボロボロになってダメなんだよなあ ワインみたいに瓶を寝かすことは考えてない形だよね。 化学実験する人ならお馴染みのパラフィルム
アルコール度数の高いお酒を少しずつ飲む人が使ってるとアマゾンのレビューで見てナルホドと思った パラフィルムについている剥離紙(?)は脂取りに丁度よい >>808
ジョジョの奇妙な冒険に登場する岸辺露伴を服装を見て架空のオペラの頃のジュリーを思い出した。 >>988
何となくだけどGUIのときはフォルダ、CUIではディレクトリって言うのがしっくりする 仕事中にいくつまで階層を掘れるか試してたら上司に見つかって遊んでんじゃねえよと怒られたっけ。 batch fileを実行ファイルに変えるフリーソフトがあった。 ダブルデッキラジカセのCMでダビング作業中の二本のテープが、
同時にA面→B面に切り替わる瞬間になぜか強烈に魅かれた
実際にあのようなことはまず起こり得ないんだろうけどね オートリバース機能か。
今のラジカセには乗ってないんだよな。アレは画期的だったのに…。 あのころ俺は3ヘッドのオーソドックスなデッキTC-K333ESを買い
友達はダブルリバースダブル録音できるKD-WR90を買ったなぁ
90分テープ2本で3時間の連続録音ができるのがウリだったな オーソドックスって…
カセットの3ヘッドデッキは超高級品だぞ。
実際に録音モニターなんてやってたの? このスレッドは1000を超えました。
新しいスレッドを立ててください。
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