【相談】悟りを開いた人に聞くスレ【仏教】39 [無断転載禁止]©2ch.net
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*悟りを開いた人には偉大な知恵があるらしいわ。
*生活のことなんでも聞いてみましょう。
*あるゆる悩みを聞いてみましょう。
*罵倒、批判だけのレスはスルーよ。
<前スレ>
【相談】悟りを開いた人に聞くスレ38
http://medaka.2ch.net/test/read.cgi/kankon/1492906316 >>830
・・・鈴だね(苦笑)。
公案は200?
ふふふ、君、経験ないね。
ちなみに私の初関は無字。
隻手の使い方?
ふふふ、君はケツを拭いた事もないのか?
君の宗教体験だか体得は妄想だね。
莫妄想!
↓これ、私ではありませんから。
> >一瞬に生まれ一瞬に死ぬ
> >それを繰り返している
> >それだけ理解してればよい
> >継続した人生なんてものは妄想 >>831
鬼和尚?
私は因果の理解について君の過ちを指摘はしたが、鬼和尚の話は一切してないが?
君、実は鬼和尚じゃないのかね? まぁ君が鬼和尚だろうが何だろうが構わんさ。
仏教知識も体験も無いことはレスの応酬ではっきり証明されたのだからね。
調子に乗るなよ。 この先調子に乗ってたら潰すからね。
いい加減にしておきなさい。 >>833 >>834 >>835
とにかく、君が鬼和尚の言うことにケチをつけるのは、算数で50点を取って喜んでいる
小学1年生が大学の数学教授の理論にケチをつけようとしているのと同じぐらい馬鹿馬鹿しい
ことなので、もうやめなさい。見苦しいし、無駄にレスを消費しているだけだからね。 >>834
だよね、悟ってるだか何だか知らんが
言ってる事が薄っぺらの、ぺらっぺらなのは
賢いひとにはバレてるんだよな
囚われてる人の心は機械と同じである グルジェフ
http://transpersonal.jp/1534/
神秘思想をかじった人には聞いたことがある名前だと思うが
グルジェフワークは、なかなか面白いよ 塵が積もったら山なのであって
山という実態があるのではない
一瞬の積み重ねが後に人生に観えるのであって
人生という実態があるのではない ×塵が積もったら山なのであって
○塵が積もったら山に観えるのであって 人生を創ろうなどと愚かな試みは辞めることだ
一瞬に生きて一瞬に死ね 確かに人生を創ろうとするのは愚かであると思います。
人に与えられているのは今だけであり、過去も未来も幻です。
人生とは今だと思います。未来に目標を設定し達成しても幸せになれません。また次の目的がでてくるだけてす。
今の目の前に全力を尽くす人、目の前の人を大切にする人、つまり一期一会で生きている人が悟りを開いた人だと思います。 人が集まりカリスマを持っている人はみな、今、目の前を大切にしています。過去を後悔せず、未来を恐れず今を生きる。
これを継続できることが悟りである。
これは人生40年生きてきた私の悟りの定義です。もっと簡単な言葉で言うと幸せになる方法です。 今を生きるだけで精一杯ならわかるが
目的もなく今を生きましょうなんて言うのは間違いじゃないかと?
多少の辛いことが有っても何か目的や夢が有るから
耐えられるものでしょう?
あなた方は心の拠り所を間違えてる気がする >>836
>この先調子に乗ってたら潰すからね。
蟻が象を潰すことは不可能ですね。
(それが可能なのは君の妄想の中だけです。)
君の文章中の表現は仏教書でよく見かけるものばかりなので、単なる受け売りであることが直ぐに分かるのです。
本物の宗教体験を持っているかどうかは、自分自身の言葉で表現しているかどうかによって簡単に判別がつくのです。(その観点からも君はアウトです。)
自分が取り組んだ公案の特定の解釈に固執しているのも体験が浅い証拠です。
知性のない浅はかな君がこのスレに何を書き込んでも無意味なレス消費になるだけです。
Junkie, go back to your old thread and never come back here again. 目的や夢を持つことは良いが、目的のために今を犠牲にすることは人生を豊かにしないと思います。
40年間私も仕事や野心で夢追いかけてきましたが達成しても満足感は一瞬で終わります。その為に犠牲にしてきたことも多くありました。
夢を持ちそのための今ここですべきことを楽しむ生き方、こそが今を生きるということです。
刹那的に今だけ楽しければ良いと言うことと違うと感じております 夢や目的を強く持って生きろと、自己啓発ではよく言います。しかしそのなかで一番やトップクラスになれるのは一握りです。
あなたのなれなかった人は辛い思いをするだけのですか?
そのためにがんばってきた今の連続こそに幸せを見出すべきだと思います。 >>846
はいはい、また瞬殺されましたね。
隻手も使えないで宗教体験とか公案とか、あなた実際に参禅したことありませんね。
〉自分自身の言葉で表現
またまた見苦しい言い訳ですね。
仏教用語の使いまわしは、読まれる方に理解しやすいからですし、また、仏祖の追体験である以上、同じ表現になるのは正しい道を歩んでいることの証ですよ。
不立文字と言いながら膨大な典籍があるのも道を外れないための道しるべなんですよ。 >>846
〉自分が取り組んだ公案の特定の解釈に固執しているのも
〉体験が浅い証拠です。
君ねぇ、参禅したことがないに何それ(苦笑)
許すかどうかは老師が判ずるのに、特定の解釈とか、体験してないのバレバレですよ?
公案は頭で考えるものではありませんから。
だから、「君はトイレでケツを拭いた事もないのか?」と言ったのですよ。
まぁ、君には隻手とトイレでケツを拭く事の意味が同じである事が解らないでしょう。
しかし、実参して隻手が解った人が読めば腹を抱えて笑ってる事でしょう。 >>849 >>850
君は師匠から聞いた表現や本で読んだ表現をオウムのように繰り返しているだけなので、
君の文章を読んでいるといつも笑えてしまうのですよ。
「コイツは何もわかっていない」ということが直ぐにわかるのです。
しかも、君はその凡庸な君の師匠のやり方しか知らず、それが禅の唯一の解釈だと信じ込んで
いるので、まともに仏教学などを勉強したことがない素人だということも一目瞭然なのです。
私は仏教の大学に通い、二人の老師(臨済宗と曹洞宗)に就いたので(学僧の先生を含めると
三人だが)、君のように禅の理解の仕方が一通りしかないというようなお馬鹿な妄想は持って
いないのです。
(禅について全体的な理解をするには、柳田聖山先生の『初期禅宗史書の研究』ぐらいは
読んでいなければ話にもならないのですよ。)
また、君は鎌倉仏教の祖師方がなぜ凄かったかも全く理解出来ていないのですね。
彼らが凄かったのは、彼らが皆それまでの伝統とは全く異なる表現で仏教と悟り(救い)を語る
ようになったからなのです。
他の人たちは伝統的な表現でしか仏教を語っていなかったのです。本当にわかっていなかったので
独自の表現が出来なかったのです。(君と同じようにね。)
鎌倉仏教の祖師方ほどではなくても、誰であっても本物の宗教体験が現れれば必ず自分独自の表現
で仏教や悟り(救い)を表現することが出来るようになるのです。
(君の文章にはそのような表現が皆無なのでお笑いなのです。)
君が鬼和尚が悟っていることを理解できないのも、君が本物の宗教体験などはなく、ただ凡庸な
君の師匠の言葉をオウムのように丸暗記して禅がわかったつもりになっているお馬鹿さんだから
なのですよ。本質がわかっていないので、(言葉の表現にとらわれてしまう為に)異なる表現で
仏教を語る人を全く理解できないのです。
君がしていることは、円の面積の求め方を学んだ小学生が、微積分学の解説をしている数学者を
「あれは間違っている」と言っているのと同じぐらいに滑稽なことなのです。 >>851
> 私は仏教の大学に通い、二人の老師
> (臨済宗と曹洞宗)に就いたので
はい、またまた嘘バレですね。
臨済と曹洞は呼称が違います。
これで完璧にあなたが紛い物であることが証明されました。 君が鬼和尚かどうかは知らないが、その鬼和尚とかやらも、数人から宗教板で論破され、また禅宗の方に問答仕掛けて瞬殺されたそうだね。
紛い者の末路などそんなもんです。 ちなみに、鬼和尚とか名乗る方は統失でしょう。
智慧の声が聞こえたとか、幻聴をもって悟りの最終段階に達したなど・・・異常な妄想ですね。 >>852 >>853
>臨済と曹洞は呼称が違います。
>これで完璧にあなたが紛い物であることが証明されました。
??? どう意味なのか、詳しく書いてごらん。
私はいつでもきちんと説明してあげますよ。
君のように何も説明できずに、ただ相手を「紛い物」と叫ぶのは、
自分がお馬鹿さんであることを告白しているだけですよ。
>>854 >>855
>その鬼和尚とかやらも、数人から宗教板で論破され、
>また禅宗の方に問答仕掛けて瞬殺されたそうだね。
「・・・そうだね」 ??
自分では説明できないので、・・・そうだね、と言って逃げているのか?
私は鬼和尚ではないが、そのようなスレを読んだ時は、いつも鬼和尚の方が
お馬鹿さんたちを論破していることを確認しているよ。
いや、論破というのは当たらないね。大人と子供の会話と同じようなものだから、
大人である鬼和尚が訳のわからない子供達を相手にしてあげているだけという印象
だったね。
誰であれ、本物の宗教体験がある人なら鬼和尚が非常に深い悟りを得ていることは
直ぐにわかるもので、それがわからない人は仏教的にはまだガキだということです。
禅を少しかじって禅の伝統的な(陳腐な)表現でしか仏教や禅を語ることができない
人達は仏教学園の小学生のような存在なのです。 >>856
いやはや、しつこいですね。
禅師、和尚、老師、禅士も知らないで「就いた」とか。
まぁ普通は「参じた」というもんですがね、嘘バレバレですよ(苦笑)
君、自分独自の表現云々としつこいけど、本当は実参した事がないから、独自の節回しが言えなくて誤魔化してるんだね?
だからことさらに自分独自の表現云々言うんでしょ?
要するに君、独学なわけだ。 まぁ既に君が紛い者であるのは確定したけど駄目押しだ。
そうだね、説明してくれますか「どやし」ルールについて。
どやし_禅で検索すれば出ては来るけど、実参しないと解らないルールがあってね。
君が実参者で二人の師匠についたなら簡単に説明出来るよね? >>856
因みに君が就いた(苦笑)という師家の法灯は? >>856
>私はいつでもきちんと説明してあげますよ。
君、麦さんが君の体験の説明を求めた時、しなかったね?
君、虚妄癖があるね? >>856
>誰であれ、本物の宗教体験がある人なら鬼和尚が非常に深い悟りを得ていることは
莫妄想!
下の引用を読みなさい。
>>827
>そうして顕現した事(知識・宗教体験)をも否定するのが龍樹の論理なんですよ。 >>857 >>858 >>859 >>860 >>861 >>862
君は真正のアホですね。
「どやし」 などという悟りには何も関係のない僧堂の慣習を持ち出して、さも自分が
禅を知っているようなつもりになっているのだから、アホもそこまで行くと馬鹿にする
よりも可哀想で同情したくなってきますね。
日本中の禅寺の末寺の馬鹿息子達の多くは一時的に僧堂に入って見かけだけの雲水生活を
送るが、君もそのような馬鹿息子の一人なのかい?
そういう馬鹿息子は短期間の真似事の修行で見性などできるはずもなく、僧堂を出てからも
何もわかっていないので、師匠がいつも口にしていた言葉やどの禅の本にも書いてあるような
禅語をロボットのように繰り返すことしか出来ないのです。まさに、それが今の君の姿だね。
仏教というものを自分が経験した狭い経験でしか語ることが出来ず、仏教全体の理解などは全く
持っていない「紛い者」とは、まさに君のことなのです。
私は大学で大乗仏教学を学びながら、個人的に親しく禅や浄土真宗の高僧方の指導を受けて
きた人間なので、君のような狭い知識と体験しかない人の師匠の口真似だけの表現を読むと
子供のように見えて笑えてきてしまうのです。(ゴメンね。)
君のような幼い仏教理解では、鬼和尚の言うことが理解できないのは当然のことなのです。
>君、麦さんが君の体験の説明を求めた時、しなかったね?
ちゃんと説明しましたよ。
あの説明が理解出来ない人は、仏教の 「ぶ」 字もわかっていないということなのです。 鬼和尚。酒を辞めきれる気が全くしなくってしまったんですが、
どうしたらいいでしょうか?
何度も馬鹿なことをやっていて、周りにも自分にも悪いことをしていることも理解しています。
恐れからの逃避なんだろうとうすうす感づいています。
果たして本気でやめれるのでしょうか? >>863
なーんだ、どやしも知らねーのかw
何にも知らないんだw
要するに実参(修行)経験ないんだw
それで宗教体験とかw w w >>863
>そういう馬鹿息子は短期間の真似事の修行で見性などできるはずもなく、僧堂を出てからも
はい、またまたまた、嘘ばれ w ww
臨済は一応目処つかないと住職なれんから w w w
あんた、言うことみんな嘘だね。 >>863
>あの説明が理解出来ない人は、仏教の 「ぶ」 字もわかっていないということなのです。
分からなきゃ説明じゃないよ w w w >>863
>私は大学で大乗仏教学を学びながら、個人的に親しく禅や浄土真宗の高僧方の指導を受けて
だから、法灯は? 仏教の大学なんてねーし、ふつうは仏教系の大学とか宗門の大学と呼ぶはがねw w w
またまたまたまた、嘘バレ w w w
あんた、仏教系大学も嘘だろw >>870
まぁ落ち着いて。法灯はと質問されたから、
教えてもらっていた人のことを話しているし、佛教大学と呼ばれる大学もあったりする。
ソースはグーグル先生で調べてみて。
どうやら俺が見ると、俺と同様名誉にあなたも囚われがあるようだ。
それを捨てたくてあなたもここに来たのかもしれない。 >>866
>臨済は一応目処つかないと住職なれんから w w w
何が「目処」だよ、 馬鹿馬鹿しい。
師家になるのならともかく、住職などバカでもなっているよ。
(織田無道とかいうオカルト坊主も住職をしていたね。)
>>867
>分からなきゃ説明じゃないよ w w w
頭は大丈夫かな?
君は数学や物理学の定理を説明した本を読んで理解できるの?
自分が理解出来ないから説明が間違っていると言う人は精神病院に行きましょう。
君の知性で仏教を理解することは、少なくとも今生では無理のような気がする。 >>871
無我なのに何を捨てるの?
自分の師の法灯も知らないとか紛い物ですよ。
佛教大学は仏教系(浄土宗系)の総合大学で、仏教の大学ではありませんからw 鬼和尚。シルディサイババという人は悟っていたのでしょうか? >>872
> 師家になるのならともかく、住職などバカ
> でもなっているよ。
はい、またまたまたまた、嘘バレですね。
頭の理解力と「何」がわかるのは別ですから。
まぁ、実参経験がない君には窺い知れない事。 >>872
それでは君の宗教体験を話してもらいませんか? >>873
私たちは無我だと唱えたところで実際に自我は簡単に落ちないと思うんだ。
自分がいない、ということを見抜いた人達が覚者なんだろうと俺は今勝手に想像している。
凡夫がああなんだろうか、こうなんだろうか、という理解と想像を超えているのだろうなと思ってるよ。
それに、法を使って喧嘩しに来たと知ったら師も悲しむと思うよ。 >>877
無我なのに何が落ちるんですか?
落とそうとする自分が落とさる自分でしょ?
その様に無い(縁起)ものを有ると実体視するから苦しむのでしょ? >>878
多分、観察するものがされるもの、という他の覚者の言葉から
連想的にそれが出ているなと俺は理解する。
おそらくそれは一種の公案であり、そのまま鵜呑みにするべき言葉ではないはずだ。
oshoという覚者がいて、
弟子たちは心を見続けていたのよ。
苦しみと涙、喜びと悲しみのはざまにいたりするが、それでもやり続けていた人達は
たまに発狂したんじゃないかと思われるほど喜んだりする人が出てくる。
oshoとその弟子たちはそれを面白い表現で話した。
落ちた、と。
本当に何かが落ちるからさ。 >>879
> 多分、観察するものがされるもの、という
> 他の覚者の言葉から連想的にそれが出てい
> るなと俺は理解する。
> おそらくそれは一種の公案であり、そのま
> ま鵜呑みにするべき言葉ではないはずだ。
そうした公案(倩女離魂)もありますが、普通に唯識でも見るもの(見分)と見られるもの(相分)に一つの識が分析される云々はありますよ? >>879
>本当に何かが落ちるからさ。
用済みです。 >>872
君が麦さんに話した内容を示して下さいね。 >>881
俺もヨガスートラでそのような表現をみたことがあるんだけど、
実際、なぜそういったんだろう?って確認せずに人に話してみたところで、
実はあんまり双方得はしなくて、単なるおしゃべりにしかならないんだ。
鬼和尚は人を見て法を説いてくださっている。
空の法が会う人には空の法を、縁起によって観察する人には縁起によって観察するよう進めていたりする。
空観がやりたいのか、それとも縁起によって観察していきたいのか、
もしかしたら空観があなたには合っていないのかもしれない。
なんか見てるとそんな感じに見えるよ。 >>886
自演とは何のこと?
俺が鬼和尚とは別人であることは理解しているはずだ。 ん?どこが地雷だったのかはわからないが、
嫌われたなら仕方ないな。
もう俺もかまうことはないだろう。双方忘れよう。 >>883
だって無我なんやろ?
苦もなんもないって事やろ?
じゃあなんで座んのよ >>891
無我と言っても経験我は現成しているし、五蘊も活動してますが・・・
本証妙修でも暴れる牛がいるからでもいいけど。 >>874
>>864
埋もれてしまいました。お願いします。 >>892
じゃあ落とされる何か があってもおかしくないやん >>894
よく読んで理解して↓
>>878
>その様に無い(縁起)ものを有ると実体視するから苦しむのでしょ? >>824
>わしは何を言っているのじゃろうか?
>わしはわしじゃろうか?
>それとも和紙がわしじゃろうか。
>あるいは鷲がわしじゃろうか。
>自問自答ごくろうさんじゃろうか。
それを知りたければ、自分の胸に聞いてみるといい。
答えはそこにあるだろう。 >>799
他人の過ちや、迷惑をかける者が中々許せなかったし、社会や世界の理不尽や不合理に随分と頭を悩ませてた。
前まではね。 >>884
∞ノノハ∞
∪川^〇^ハレ聴きたいですよね♪
自転車の乗り方の本を読んでも自転車は乗れないと他スレの方も言っていましたね
体験されているのなら是非とも体験談をお聴きしたいですね >>837
∞ノノハ∞
∪川^〇^ハレ「絶学」を教えて頂いたのでご参考まで
永嘉玄覚禅師(675〜713)の『証道歌』の劈頭に出てきます。
君見ずや
絶学無為の閑道人
妄想を除かず真を求めず
無明の実性即仏性
幻化の空身即法身
「絶学」とは、学を絶つこと、怠け者の学生が学業を放棄することではありません。
「無為むい」とは、なすことなくグダグダ日を過ごすことではありません。
それは志を立てて以来、血の涙、玉の汗で、二十年、三十年と艱難辛苦、竟ついに学するに学するの法なく、修するに修するの道なきところに至って、
しかも、今まで学んで来た法も、修して来た道も、すっかり忘れ果ててしまった。至極のんびりした境界きょうがいをいいます。
そのような境界の人を「大閑おおひまのあいた人」という意味で「閑道人」というわけです。
禅では良寛さんのような人を指して「閑古錐かんこすい」という言葉があります。
それは使い古した錐きりは尖が摺りへって丸くなり、角もなく、無用なものとして捨てられ、忘れ去られた存在で、
長屋に住む八ッつぁん、熊さんの手合いと同じく、人知れず、平々凡々、好々爺こうこうやの如く生きる人のことを意味します。
「味噌の味噌臭きは上味噌にあらず、悟りの悟り臭きは上悟りにあらず」、
続きます >>863
>ちゃんと説明しましたよ。
>あの説明が理解出来ない人は、仏教の 「ぶ」 字もわかっていないということなのです。
おいおい、麦さん本人が説明を求めてると言う事は、お前やっぱりして説明して無いじゃん。
ひでぇ嘘つきだなぁ。 >>837
∞ノノハ∞
∪川^〇^ハレ
この絶学無為の閑道人も、閑古錐も、学んだ法も、修した道も少しもちらつかせません。悟りだの迷いだの、禅だの仏だの、その影だに窺うことができません。
それは馬鹿なのか、利巧なのか、偉いのか、仏なのか、凡夫なのか、さっぱり見当がつかない消息です。
妄想を除かず真を求めず、無明の実性即仏性……。
そこまでくれば、事更ことさらに妄想を嫌うことなく、また、真だからといって求める必要はありません。
迷いも当体がそのまま仏になる可能性をもっており、この生身の身体がそのまま、悟りの本体であるというわけです。
禅宗の第四祖、道信どうしん禅師の法を嗣いだ牛頭ごず法融ほうゆう禅師に、こんな話があります。
禅師が山中で独り、黙々と修行に励んでおられると、村人はいうに及ばず、通りすがりの人々までがその徳の高いことを知り、帰依します。
山の小鳥や動物までが、花や果物をくわえて、禅師の前にお供えします。それほど徳があったのです。
しかし、四祖道信禅師について修行をし、法を嗣ぎ、いよいよ修行が進むと、今度は人も寄りつきません。
黙ってさっさと行ってしまいます。
鳥も動物たちも知らん顔して通り過ぎます。どうしてでしょうか?
あの方は偉い人だ! 高徳の方だ! と、他人からも鳥からも見透かされるようでは、まだまだ十分ではないというわけです。
「釈迦も達磨も伺い知れず」と言われるような境界が、八ッつぁん、熊さんにわかるわけがないのです。
京都妙心寺を開いた関山慧玄禅師は、大灯国師の法を嗣いで後、美濃の山奥、伊深の里で村はずれの荒れ屋に住んで、
里人たちの農作業を手伝ったり、子どものお守りをして八年間、下男として過ごされます。
京より勅使が来るまで、誰も気づくものがいなかったといわれています。 >>901ー902
∞ノノハ∞
∪川^〇^ハレこれを読んで“悟っている”など公言する鬼和尚さんを大悟りしているなど断言された方の目はフシアナではないか?と疑問に思いました >>901
>麦さん本人が説明を求めてると言う事は、お前やっぱりして説明して無いじゃん。
きちんと説明してあるのじゃ。
おぬしも麦くんも「目と脳が両方ともフシアナ」じゃから理解できんだけなのじゃ。 >>904
∞ノノハ∞
∪川^〇^ハレレス番の提示してください♪ >>864 それは親とか兄弟とかの周りの者との関係によって自己イメージが作られているからかもしれん。
子供の頃には自分が何か失敗して親に怒られたりすると親子共に庇護されている安心感とか、自己重要感などが味わえて共に依存するのじゃ。
それが大きくなっても続くと共依存と呼ばれるのじゃ。
おぬしも失敗し続けることで親の庇護を感じ、親も失敗するおぬしを助けることで自己満足しているのかもしれん。
そのような関係から自己イメージができているのではないかと観察してみるのじゃ。
それはおぬしだけでなく親の満足感を与えるための失敗であるのかもしれん。
>>874 悟っていないのじゃ。
慈善家じゃな。
>>897 自分の胸が知りたければ聞いてみればよいのじゃろうか。
あるのはそこの答えじゃろうか。
あるいはあれの答えじゃろうか。
>>902>>903 するとわしは本物じゃな。
麦にもわからんのであるからのう。
さすがわじゃな。 >>906
は?
だからさぁ、その「普遍的宗教体験」がどう現成したか聞いてるんだけど? >>906
∞ノノハ∞
∪川^〇^ハレ
〉「私の体験」ではないのです。「普遍的な宗教体験」なのです。 ですから、あなた自身がその体験をした時に 「わかる」 のです。
仏典や論書(臨済録や正法眼蔵)にもたくさん書かれてある普遍的な体験で、個人的なもの ではないのです。
【大前提】「私の体験」ではないのです。
【前提】、あなた自身がその体験をした時に 「わかる」 のです。
【結論】普遍的な体験で、個人的なものではないのです。
【結論】は【大前提】と【前提】を否定していますので論理破綻しています ∞ノノハ∞
∪川^〇^ハレ訂正ですw
〉「私の体験」ではないのです。「普遍的な宗教体験」なのです。 ですから、あなた自身がその体験をした時に 「わかる」 のです。
仏典や論書(臨済録や正法眼蔵)にもたくさん書かれてある普遍的な体験で、個人的なもの ではないのです。
【大前提】「私の体験」ではないのです。
【前提】、あなた自身がその体験をした時に 「わかる」 のです。
【結論】普遍的な体験で、個人的なものではないのです。
【結論】は【前提】を否定していますので論理破綻しています >>908
だから、そのような質問をするということが
何もわかっていないということなのです。
宗教体験のない者だけがそのような質問を
するのです。
法華経で言えば 「唯仏与仏乃能究尽」。
>>909 >>910
君が書いた【結論】【大前提】【前提】は全然矛盾していないのですよ。
本当の宗教体験というものには個人性はないということです。
これがわからなければ仏教は本当にはわからないでしょう。
「自分は〜〜の体験をした」などととらえているレベルのものは
本当の宗教体験ではないのです。
体験する自分がいるようでは、まだ本当にはわかっていないのです。
法華経的には「唯仏与仏乃能究尽」
道元禅師的には「万法すすみて自己を修証するはさとりなり」
臨済宗的には「無位の真人」
浄土真宗的には「倶会一処」
本当の宗教体験というものは個々人の体験ではないのです。 まぁ、確かに私の体験ではない普遍的宗教体験といいながら、あなたが体験しないと分からないとか幼稚な詭弁だなぁw >>911
してないじゃんw
↓
>>856
>私はいつでもきちんと説明してあげますよ。 >>911
>本当の宗教体験というものは個々人の体験ではないのです。
だから、その普遍的宗教体験を話しなさいよw >>911
∞ノノハ∞
∪川^〇^ハレ論理的には破綻していますからねw
本の知識だけで経験が無いのを普遍的という言葉で誤魔化しているだけですねw >>911
>だから、そのような質問をするということが
>何もわかっていないということなのです。
分かってないから説明するんじゃねーのか?
あ?
>私はいつでもきちんと説明してあげますよ。
と書いてるだろw >>907
自分の胸が知りたければ聞いてみればよいのじゃろうか。
あるのはそこの答えじゃろうか。
あるいはあれの答えじゃろうか。
するとわしは本物じゃな。
麦にもわからんのであるからのう。
さすがわじゃな。 >>916
君は数学や物理学の参考書を読んで直ぐに理解できるかな?
その参考書の著者がきちんと説明してくれていても、君自身が
基礎がわかっていなければ理解できないでしょう。
理解できないのは著者のせいではなく、君自身に基礎力がない
のが原因であることに気付くことが大切ですね。それと同じです。
>>912 >>913 >>914 >>915 >>916 >>917
君たちは国語の力も弱いようですね。
しかし、そのような君たちでも一所懸命に仏教の勉強を続ければ、
いつか私が言っていることが正しかったとわかる日が来るでしょう。
では、君たち精進を祈っている。 >>911
>法華経的には「唯仏与仏乃能究尽」
>道元禅師的には「万法すすみて自己を修証するはさとりなり」
>臨済宗的には「無位の真人」
>浄土真宗的には「倶会一処」
いや、意味バラバラだしw >>919
はいはい、
君が紛い物なのは既に証明済だし、もう言い訳は話さなくてもいいよ。
宗教性妄想患者さん、まず医者に行きなさい。
合掌 >>920
>いや、意味バラバラだしw
その四つが全く同じであることがわかるようでなければ、
仏教がわかっているとは言えません。修行が足りないのです。
>>921
君は高卒なの?
将来、住職になりたいのなら、どこかの大学に行く方がいいですよ。
今の君ではインテリの檀家から馬鹿にされるだろうからね。 >>922
はいはいw
私の話す意味が理解出来ないのは、あなたに宗教体験がないからですよw
医師に行きなさいw >>907
∞ノノハ∞
∪川^〇^ハレ
〉自分の胸が知りたければ聞いてみればよいのじゃろうか。
あるのはそこの答えじゃろうか。
あるいはあれの答えじゃろうか。
皆な悩んで大きくなった♪ガンガレ〜♪ >>924
俺も、悩める鬼和尚を応援したい。
皆でこれからも鬼を応援していこう❗
おー!(^o^)/ ∞ノノハ∞
∪川^〇^ハレ
【大前提】「私の体験」ではないのです。
【前提】、あなた自身がその体験をした時に 「わかる」 のです。
【結論】普遍的な体験で、個人的なものではないのです。
答えが【大前提】にあったのは皆な内緒だお♪w 「一人は好きだけど孤独は嫌だ」
という事を言う人がいますが、これはどういう意味なんでしょう?
何を言わんとしているのか。矛盾していますか?
自分のしたいことは自由にやりたいけど寂しいから誰か相手してくれ、という意味ですか?
自由にしたいのに寂しいとは、一体どう言う事なんでしょう。 >>928
安心しな、悟ったとか騙る奴は潰すから。 レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。