【相談】悟りを開いた人に聞くスレ【仏教】39 [無断転載禁止]©2ch.net
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
*悟りを開いた人には偉大な知恵があるらしいわ。 *生活のことなんでも聞いてみましょう。 *あるゆる悩みを聞いてみましょう。 *罵倒、批判だけのレスはスルーよ。 <前スレ> 【相談】悟りを開いた人に聞くスレ38 http://medaka.2ch.net/test/read.cgi/kankon/1492906316 せっかくの人生、やっぱ自分が本当にやりたいことやって暮らしたいよね。 最初はかなり骨が折れるが、飽くまで最初だけだ。 人はもっとワガママに生きていい。 他人に迷惑かけてもいいし。 ま、そういう場合後で苦労するけど、それもいい。 それもまた人生だ。 君たちに必要なのは「勇気」だ。 えっへん!!笑 >>782 生きてらしたか、心配でたまらんかった。 君も悟れる。 一生懸命(命がけで生きる)に生きればいい。 ただそれだけ。 >>769 > 自らの本心を観察して自我を滅し、 > 認識をも滅した境地が悟りなのじゃ。 因縁仮和合して一時的に現成した五蘊が認識しているだけ。 すなわち、一つの識が見るもの(見分)と見られるもの(相分)に分析されているだけなんです。 故に、本来自我などありませんから、滅するものなどないのです。認識も然り。悟りも然り。 >>793 犬山クンが鬼和尚に説法するのは1000年早いじゃろうww 一瞬に生まれ一瞬に死ぬ それを繰り返している それだけ理解してればよい 継続した人生なんてものは妄想 >>775 悟っていないのじゃ。 サマーディまではいったじゃろう。 修行に最も最適な環境とはどのような環境ですか? 可能なら、自分の生活をそのような環境に近づけてみたいです。 >>785 ひとつ聞いていい?他人に迷惑かけて良いって言ってるけど 貴方が他人から迷惑を掛けられたら、寛容な心で許せます? 他人の迷惑は許さない!とか思ってないよね? 鬼和尚、ほとんど毎日嫌な感じで目覚めます。 夢も時々見るのですが、たいてい嫌な夢です。 これは日ごろの感情が現れているのでしょうか? 私は子供の頃から学校に行くのが嫌でしたし、大人になっても仕事に行くのが 嫌でした。 そういう感情が常日頃からある、ということなのでしょうか? >>797 健真さん、質問なんですがなんで 鬼和尚の名前を騙ったりするのですか? 罪悪感がないように見えるので逆に不思議に見えるのですが。 >> ID:Ob9/zas1 学びなおそう >>771 ,775 調べよう >>798 どうとでも >>796 >一瞬に生まれ一瞬に死ぬ >それを繰り返している >それだけ理解してればよい >継続した人生なんてものは妄想 ↑ このような考え方は 「野狐禅」 と言って 昔から強く戒められています。 2chに時々登場するウンコ菩薩という人も同じ考え方を していますが、彼らのような 「野狐禅」 を悟りだと思う のは大きな誤りです。 なぜなら、一瞬一瞬だけで完結していて継続性を認めない考え方は 「因果応報」 を否定することになるからです。 「善因善果 悪因悪果」 は仏教の根本教理であって、これを否定する なら仏教ではありません。 地獄に落ちる外道の妄想なのです。 >>803 ん? >>796 が因果応報の説明ならあなたの指摘は正しいと思うけど、刹那生滅の説明であれば何もおかしくないけど? あなた、そうした勘違いが多いね。 >>801 龍氣さん、鬼和尚の名を使っても誰も本当の鬼和尚とは思わないでしょう。 ◆GBl7rog7bMがないですから。 >>804 文章読解力がないのか? >>796 は 「それだけ理解してればよい 継続した人生なんてものは妄想 」 と書いておるだろう。それが 「野狐禅」なのだ。 「刹那生滅」は迷いに対する一つの切り口であって、 それが真理の全てだということではないのです。 >>803 失礼ですが、野狐はあなたです。 あなたは因果応報を理解されていません。 原因と結果は同じ、因果一如である事を。 風が吹けば桶屋が儲かる的な連鎖反応的な出来事の理解ではないのです。 >>806 は? やはり文章読解力がない方でしたね。 私は野狐云々は論じておりませんよ? >>796 は刹那生滅の説明であると言ったねです。 >>806 > 「刹那生滅」は迷いに対する一つの切り口 > であって、それが真理の全てだということ > ではないのです。 そんな話はしていませんよ? 語尾がコロコロ変わったり、話が飛躍するの、いわゆる言葉のサラダ状態ですよ? また、感情の起伏も激しそうですし。 まぁ、統失でしょう。 >>807 >原因と結果は同じ、因果一如である事を。 ↑ その考え方が「野狐禅」 なのです。 >>808 >>796 の前半部分は刹那生滅の説71ID:kCEqIrwy明ですね。 後半部分は野狐禅なのです。 つまり、全体としては 「野狐禅」 なのです。 >>809 禅をかじっただけの人は、あなたのような考え方をしがちなのです。 >>810 >>811 ID:kCEqIrwy=ID:S+Swsd7D ID を変えて自演しても無駄です。 あなたのような禅をかじっただけでわかったつもりになる人が 野狐禅になってしまうのは昔から常識なのです。 >>812 >>>807 >>原因と結果は同じ、因果一如である事を。 > > ↑ その考え方が「野狐禅」 なのです。 え? 華厳経(一即一切、一切即一)は野狐のお経だと? 中論(龍樹)は野狐の論だと? 道元(正法眼蔵(諸悪莫作))は野狐だと? あなた、仏教書読んだ事あります? 私と対話するにはレベルが低すぎますね。 勉強してからにしなさい。 いいですか? 時間も観念なんですよ? 時間が観念と分かれば因と果の間に時間は成立しません。つまり、因果一如。 わざわざ説明するまでもない簡単な事ですが。 >>813 >>814 >>815 >>816 また、ID を変えて自演かい? 一即一切と刹那生滅が同じだと思う時点で話になりません。 また、君に正法眼蔵を読める国語力があるのかな? >時間も観念なんですよ? >わざわざ説明するまでもない簡単な事ですが。 そういうことを言うのが青二才の観念馬鹿なのです。 時間が観念に過ぎないものなら、時間を無視して生活できるはずだね。 君は時間を無視して生活しているのかい? そのようなことは仏教を観念だけで分かったつもりになっている初心者が言うことなのです。 臨済宗では、そのような初心者のことを 「平等のみを知りて、差別を知らず」 と 言うのです。「野狐禅」 も初心者の思い上がりを戒めたものです。 観念だけでもっともらしいことを言ってみても、その観念によって君の日常生活は何も 変わっていないでしょう。それが 「野狐禅」 であることの証拠なのです。 >>817 > 一即一切と刹那生滅が同じだと思う時点で > 話になりません。 君ねぇ、私は因果の話をしてるの。 またまた話が飛躍しているね? > 時間が観念に過ぎないものなら、時間を無 > 視して生活できるはずだね。 > 君は時間を無視して生活しているのかい? ほら、また話が飛躍している。 私は因果一如の話をしてるの。 > 観念だけでもっともらしいことを言ってみ > ても、その観念によって君の日常生活は何も > 変わっていないでしょう。それが 「野狐禅」 > であることの証拠なのです。 またまたまた、話が飛躍しているね。 君は馬鹿なの? 私は時間が観念故に因果が一如が成立する事を説明したの。それは観念で言ってるのではなく、観念の説明をしたの。 君はそうした事の区別がつかない様だ。 強いて言えば、識の分析がやめば寂滅爲楽であり、日々の生活にも安楽が現成するんですよ。 こうして論じている人達の中で悟っている人はいるのか…仏教の知識があっても意味無いんだな、とか思えてくる… >>817 > 時間が観念に過ぎないものなら、時間を > 無視して生活できるはずだね。 > 君は時間を無視して生活しているのかい? 何故そうなるのかねぇ。 君は根本的なところで致命的な勘違いしているね。 それは空観や虚無主義だよ。 >>818 >>819 >>821 君は本物のお馬鹿さんだね。 君は何も体得しておらず、理屈で理解したと思い込んでいるだけなのだよ。 龍樹の論理というのはね、(それ自体が真理なのではなくて)そのように考えていく 過程で意識の変容が起こって宗教体験が現れることに価値があるのだよ。だから、そこに 書かれてあることを頭で理解してもな〜んにもならないのだよ。 中村元さんを初めとして「中論」を訳した仏教学者は沢山いるが、彼らの誰も悟りの 体験を持っていないのは結局そういうことなのだよ。龍樹の論理を頭に入れても宗教的 にはゴミと同じだからね。龍樹の論理は禅の公案と重なる部分が沢山あることもよく 指摘されることだが、公案を頭で理解しても何の意味もないように、龍樹の論理も頭で 理解してみても何にもならないんだからね。 >私は時間が観念故に因果が一如が成立する事を説明したの。 それが観念に過ぎないゴミだと言っているんだよ。 頭で何かわかったつもりになっているだけで、宗教的には何の体験にもつながらない ゴミの理屈だということ。 禅が起こった時、中国では三つのタイプがいたという。 猫をかわいがって遊ぶ人たちと、 喋って遊ぶ人たちと、 ひたすらに座禅に生き心を見続けた人たち。 そういう場所を仏国土というそうだ。 >>771 病気になるから体に悪いことなのじゃ。 エイズとか梅毒とかウィルスとか細菌がうつるのじゃ。 衛生的な仕事で稼ぐがよいのじゃ。 病気になったら幸せではないじゃろう。 義務を果たしても病になれば体に悪いのじゃ。 >>775 悟っていないのじゃ。 怒りすぎじゃな。 >>776 わしは何を言っているのじゃろうか? わしはわしじゃろうか? それとも和紙がわしじゃろうか。 あるいは鷲がわしじゃろうか。 自問自答ごくろうさんじゃろうか。 >>798 なるべく刺激の少ない環境じゃな。 テレビとか漫画とかがなくてダンマパダしかない部屋に住むとよいのじゃ。 衣は三枚なのじゃ。 食事も野菜が中心にするとよいのじゃ。 >>822 話を反らすのは、因果一如を認めたからだね。 公案の話が出たついでだ、君の言う体得や経験がどの程度のもんか点検させてもらおうか? 白隠の隻手は知ってるかな? あんたそれを使って見せてくれんか? >>800 体調が悪いようじゃ。 体が悪いと悪夢も見るのじゃ。 ヨーガとか西式健康法とかをすると善いのじゃ。 体がよくなっても悪夢を見るならば夢を変化させるとよいのじゃ。 >>822 > 龍樹の論理というのはね、(それ自体が真理なのではなくて)そのように考えていく > 過程で意識の変容が起こって宗教体験が現れることに価値があるのだよ。だから、そこに > 書かれてあることを頭で理解してもな〜んにもならないのだよ。 いやはや、レベルが低くて何といえばよいのか… そうして顕現した事(知識・宗教体験)をも否定するのが龍樹の論理なんですよ。 照明されただけでは不完全なんですよ無顕現にならなくてはね。 即ち、無顕現というのダルマが顕(あらわ)になる事なんですよ。 >>827 ×即ち、無顕現というのダルマが顕(あらわ)になる事なんですよ。 〇即ち、無顕現というのがダルマ(dhamma)が顕(あらわ)になる事なんですよ。 >>825 >話を反らすのは、因果一如を認めたからだね。 全然話を逸らしていないよ。逸らしているように見えるなら、君の思考力が足りないということ。 >白隠の隻手は知ってるかな? >あんたそれを使って見せてくれんか? 何百もある公案の中で、いつも馬鹿の一つ覚えのように 「隻手」、「隻手」 と言うとは・・・、 君が例の凡庸な師匠にもらった唯一の公案が 「隻手」だったんだね。 あのね、公案の答えというものは一つに決まっているものではないから、こんなところで 解釈などしても何の意味もないんだよ。また、君にとっては 「隻手」 が価値ある公案の ようだが、私にとっては他に価値ある公案が沢山あるんだからね。 とにかく、 >一瞬に生まれ一瞬に死ぬ >それを繰り返している >それだけ理解してればよい >継続した人生なんてものは妄想 などと言っているようでは、まだ禅の教えの半分しか解っていないのです。 「平等のみ知りて、いまだ差別を知らざる」未熟者ということです。 ( → ) ( → ) >>827 >無顕現というのがダルマ(dhamma)が顕(あらわ)になる事なんですよ。 馬鹿馬鹿しい。君が言うことはどこかの本に書いたあることの受け売りばかりで、 自分自身のの言葉が全くないんだね。何も体験していないからそうなってしまうのです。 とにかく、君が鬼和尚の言うことにケチをつけるのは、算数で90点を取って喜んでいる 小学3年生が大学の数学教授の理論にケチをつけようとしているのと同じぐらい馬鹿馬鹿しい ことなので、もうやめなさい。見苦しいし、無駄にレスを消費しているだけだからね。 >>830 ・・・鈴だね(苦笑)。 公案は200? ふふふ、君、経験ないね。 ちなみに私の初関は無字。 隻手の使い方? ふふふ、君はケツを拭いた事もないのか? 君の宗教体験だか体得は妄想だね。 莫妄想! ↓これ、私ではありませんから。 > >一瞬に生まれ一瞬に死ぬ > >それを繰り返している > >それだけ理解してればよい > >継続した人生なんてものは妄想 >>831 鬼和尚? 私は因果の理解について君の過ちを指摘はしたが、鬼和尚の話は一切してないが? 君、実は鬼和尚じゃないのかね? まぁ君が鬼和尚だろうが何だろうが構わんさ。 仏教知識も体験も無いことはレスの応酬ではっきり証明されたのだからね。 調子に乗るなよ。 この先調子に乗ってたら潰すからね。 いい加減にしておきなさい。 >>833 >>834 >>835 とにかく、君が鬼和尚の言うことにケチをつけるのは、算数で50点を取って喜んでいる 小学1年生が大学の数学教授の理論にケチをつけようとしているのと同じぐらい馬鹿馬鹿しい ことなので、もうやめなさい。見苦しいし、無駄にレスを消費しているだけだからね。 >>834 だよね、悟ってるだか何だか知らんが 言ってる事が薄っぺらの、ぺらっぺらなのは 賢いひとにはバレてるんだよな 囚われてる人の心は機械と同じである グルジェフ http://transpersonal.jp/1534/ 神秘思想をかじった人には聞いたことがある名前だと思うが グルジェフワークは、なかなか面白いよ 塵が積もったら山なのであって 山という実態があるのではない 一瞬の積み重ねが後に人生に観えるのであって 人生という実態があるのではない ×塵が積もったら山なのであって ○塵が積もったら山に観えるのであって 人生を創ろうなどと愚かな試みは辞めることだ 一瞬に生きて一瞬に死ね 確かに人生を創ろうとするのは愚かであると思います。 人に与えられているのは今だけであり、過去も未来も幻です。 人生とは今だと思います。未来に目標を設定し達成しても幸せになれません。また次の目的がでてくるだけてす。 今の目の前に全力を尽くす人、目の前の人を大切にする人、つまり一期一会で生きている人が悟りを開いた人だと思います。 人が集まりカリスマを持っている人はみな、今、目の前を大切にしています。過去を後悔せず、未来を恐れず今を生きる。 これを継続できることが悟りである。 これは人生40年生きてきた私の悟りの定義です。もっと簡単な言葉で言うと幸せになる方法です。 今を生きるだけで精一杯ならわかるが 目的もなく今を生きましょうなんて言うのは間違いじゃないかと? 多少の辛いことが有っても何か目的や夢が有るから 耐えられるものでしょう? あなた方は心の拠り所を間違えてる気がする >>836 >この先調子に乗ってたら潰すからね。 蟻が象を潰すことは不可能ですね。 (それが可能なのは君の妄想の中だけです。) 君の文章中の表現は仏教書でよく見かけるものばかりなので、単なる受け売りであることが直ぐに分かるのです。 本物の宗教体験を持っているかどうかは、自分自身の言葉で表現しているかどうかによって簡単に判別がつくのです。(その観点からも君はアウトです。) 自分が取り組んだ公案の特定の解釈に固執しているのも体験が浅い証拠です。 知性のない浅はかな君がこのスレに何を書き込んでも無意味なレス消費になるだけです。 Junkie, go back to your old thread and never come back here again. 目的や夢を持つことは良いが、目的のために今を犠牲にすることは人生を豊かにしないと思います。 40年間私も仕事や野心で夢追いかけてきましたが達成しても満足感は一瞬で終わります。その為に犠牲にしてきたことも多くありました。 夢を持ちそのための今ここですべきことを楽しむ生き方、こそが今を生きるということです。 刹那的に今だけ楽しければ良いと言うことと違うと感じております 夢や目的を強く持って生きろと、自己啓発ではよく言います。しかしそのなかで一番やトップクラスになれるのは一握りです。 あなたのなれなかった人は辛い思いをするだけのですか? そのためにがんばってきた今の連続こそに幸せを見出すべきだと思います。 >>846 はいはい、また瞬殺されましたね。 隻手も使えないで宗教体験とか公案とか、あなた実際に参禅したことありませんね。 〉自分自身の言葉で表現 またまた見苦しい言い訳ですね。 仏教用語の使いまわしは、読まれる方に理解しやすいからですし、また、仏祖の追体験である以上、同じ表現になるのは正しい道を歩んでいることの証ですよ。 不立文字と言いながら膨大な典籍があるのも道を外れないための道しるべなんですよ。 >>846 〉自分が取り組んだ公案の特定の解釈に固執しているのも 〉体験が浅い証拠です。 君ねぇ、参禅したことがないに何それ(苦笑) 許すかどうかは老師が判ずるのに、特定の解釈とか、体験してないのバレバレですよ? 公案は頭で考えるものではありませんから。 だから、「君はトイレでケツを拭いた事もないのか?」と言ったのですよ。 まぁ、君には隻手とトイレでケツを拭く事の意味が同じである事が解らないでしょう。 しかし、実参して隻手が解った人が読めば腹を抱えて笑ってる事でしょう。 >>849 >>850 君は師匠から聞いた表現や本で読んだ表現をオウムのように繰り返しているだけなので、 君の文章を読んでいるといつも笑えてしまうのですよ。 「コイツは何もわかっていない」ということが直ぐにわかるのです。 しかも、君はその凡庸な君の師匠のやり方しか知らず、それが禅の唯一の解釈だと信じ込んで いるので、まともに仏教学などを勉強したことがない素人だということも一目瞭然なのです。 私は仏教の大学に通い、二人の老師(臨済宗と曹洞宗)に就いたので(学僧の先生を含めると 三人だが)、君のように禅の理解の仕方が一通りしかないというようなお馬鹿な妄想は持って いないのです。 (禅について全体的な理解をするには、柳田聖山先生の『初期禅宗史書の研究』ぐらいは 読んでいなければ話にもならないのですよ。) また、君は鎌倉仏教の祖師方がなぜ凄かったかも全く理解出来ていないのですね。 彼らが凄かったのは、彼らが皆それまでの伝統とは全く異なる表現で仏教と悟り(救い)を語る ようになったからなのです。 他の人たちは伝統的な表現でしか仏教を語っていなかったのです。本当にわかっていなかったので 独自の表現が出来なかったのです。(君と同じようにね。) 鎌倉仏教の祖師方ほどではなくても、誰であっても本物の宗教体験が現れれば必ず自分独自の表現 で仏教や悟り(救い)を表現することが出来るようになるのです。 (君の文章にはそのような表現が皆無なのでお笑いなのです。) 君が鬼和尚が悟っていることを理解できないのも、君が本物の宗教体験などはなく、ただ凡庸な 君の師匠の言葉をオウムのように丸暗記して禅がわかったつもりになっているお馬鹿さんだから なのですよ。本質がわかっていないので、(言葉の表現にとらわれてしまう為に)異なる表現で 仏教を語る人を全く理解できないのです。 君がしていることは、円の面積の求め方を学んだ小学生が、微積分学の解説をしている数学者を 「あれは間違っている」と言っているのと同じぐらいに滑稽なことなのです。 >>851 > 私は仏教の大学に通い、二人の老師 > (臨済宗と曹洞宗)に就いたので はい、またまた嘘バレですね。 臨済と曹洞は呼称が違います。 これで完璧にあなたが紛い物であることが証明されました。 君が鬼和尚かどうかは知らないが、その鬼和尚とかやらも、数人から宗教板で論破され、また禅宗の方に問答仕掛けて瞬殺されたそうだね。 紛い者の末路などそんなもんです。 ちなみに、鬼和尚とか名乗る方は統失でしょう。 智慧の声が聞こえたとか、幻聴をもって悟りの最終段階に達したなど・・・異常な妄想ですね。 >>852 >>853 >臨済と曹洞は呼称が違います。 >これで完璧にあなたが紛い物であることが証明されました。 ??? どう意味なのか、詳しく書いてごらん。 私はいつでもきちんと説明してあげますよ。 君のように何も説明できずに、ただ相手を「紛い物」と叫ぶのは、 自分がお馬鹿さんであることを告白しているだけですよ。 >>854 >>855 >その鬼和尚とかやらも、数人から宗教板で論破され、 >また禅宗の方に問答仕掛けて瞬殺されたそうだね。 「・・・そうだね」 ?? 自分では説明できないので、・・・そうだね、と言って逃げているのか? 私は鬼和尚ではないが、そのようなスレを読んだ時は、いつも鬼和尚の方が お馬鹿さんたちを論破していることを確認しているよ。 いや、論破というのは当たらないね。大人と子供の会話と同じようなものだから、 大人である鬼和尚が訳のわからない子供達を相手にしてあげているだけという印象 だったね。 誰であれ、本物の宗教体験がある人なら鬼和尚が非常に深い悟りを得ていることは 直ぐにわかるもので、それがわからない人は仏教的にはまだガキだということです。 禅を少しかじって禅の伝統的な(陳腐な)表現でしか仏教や禅を語ることができない 人達は仏教学園の小学生のような存在なのです。 >>856 いやはや、しつこいですね。 禅師、和尚、老師、禅士も知らないで「就いた」とか。 まぁ普通は「参じた」というもんですがね、嘘バレバレですよ(苦笑) 君、自分独自の表現云々としつこいけど、本当は実参した事がないから、独自の節回しが言えなくて誤魔化してるんだね? だからことさらに自分独自の表現云々言うんでしょ? 要するに君、独学なわけだ。 まぁ既に君が紛い者であるのは確定したけど駄目押しだ。 そうだね、説明してくれますか「どやし」ルールについて。 どやし_禅で検索すれば出ては来るけど、実参しないと解らないルールがあってね。 君が実参者で二人の師匠についたなら簡単に説明出来るよね? >>856 因みに君が就いた(苦笑)という師家の法灯は? >>856 >私はいつでもきちんと説明してあげますよ。 君、麦さんが君の体験の説明を求めた時、しなかったね? 君、虚妄癖があるね? >>856 >誰であれ、本物の宗教体験がある人なら鬼和尚が非常に深い悟りを得ていることは 莫妄想! 下の引用を読みなさい。 >>827 >そうして顕現した事(知識・宗教体験)をも否定するのが龍樹の論理なんですよ。 >>857 >>858 >>859 >>860 >>861 >>862 君は真正のアホですね。 「どやし」 などという悟りには何も関係のない僧堂の慣習を持ち出して、さも自分が 禅を知っているようなつもりになっているのだから、アホもそこまで行くと馬鹿にする よりも可哀想で同情したくなってきますね。 日本中の禅寺の末寺の馬鹿息子達の多くは一時的に僧堂に入って見かけだけの雲水生活を 送るが、君もそのような馬鹿息子の一人なのかい? そういう馬鹿息子は短期間の真似事の修行で見性などできるはずもなく、僧堂を出てからも 何もわかっていないので、師匠がいつも口にしていた言葉やどの禅の本にも書いてあるような 禅語をロボットのように繰り返すことしか出来ないのです。まさに、それが今の君の姿だね。 仏教というものを自分が経験した狭い経験でしか語ることが出来ず、仏教全体の理解などは全く 持っていない「紛い者」とは、まさに君のことなのです。 私は大学で大乗仏教学を学びながら、個人的に親しく禅や浄土真宗の高僧方の指導を受けて きた人間なので、君のような狭い知識と体験しかない人の師匠の口真似だけの表現を読むと 子供のように見えて笑えてきてしまうのです。(ゴメンね。) 君のような幼い仏教理解では、鬼和尚の言うことが理解できないのは当然のことなのです。 >君、麦さんが君の体験の説明を求めた時、しなかったね? ちゃんと説明しましたよ。 あの説明が理解出来ない人は、仏教の 「ぶ」 字もわかっていないということなのです。 鬼和尚。酒を辞めきれる気が全くしなくってしまったんですが、 どうしたらいいでしょうか? 何度も馬鹿なことをやっていて、周りにも自分にも悪いことをしていることも理解しています。 恐れからの逃避なんだろうとうすうす感づいています。 果たして本気でやめれるのでしょうか? >>863 なーんだ、どやしも知らねーのかw 何にも知らないんだw 要するに実参(修行)経験ないんだw それで宗教体験とかw w w >>863 >そういう馬鹿息子は短期間の真似事の修行で見性などできるはずもなく、僧堂を出てからも はい、またまたまた、嘘ばれ w ww 臨済は一応目処つかないと住職なれんから w w w あんた、言うことみんな嘘だね。 >>863 >あの説明が理解出来ない人は、仏教の 「ぶ」 字もわかっていないということなのです。 分からなきゃ説明じゃないよ w w w >>863 >私は大学で大乗仏教学を学びながら、個人的に親しく禅や浄土真宗の高僧方の指導を受けて だから、法灯は? 仏教の大学なんてねーし、ふつうは仏教系の大学とか宗門の大学と呼ぶはがねw w w またまたまたまた、嘘バレ w w w あんた、仏教系大学も嘘だろw >>870 まぁ落ち着いて。法灯はと質問されたから、 教えてもらっていた人のことを話しているし、佛教大学と呼ばれる大学もあったりする。 ソースはグーグル先生で調べてみて。 どうやら俺が見ると、俺と同様名誉にあなたも囚われがあるようだ。 それを捨てたくてあなたもここに来たのかもしれない。 >>866 >臨済は一応目処つかないと住職なれんから w w w 何が「目処」だよ、 馬鹿馬鹿しい。 師家になるのならともかく、住職などバカでもなっているよ。 (織田無道とかいうオカルト坊主も住職をしていたね。) >>867 >分からなきゃ説明じゃないよ w w w 頭は大丈夫かな? 君は数学や物理学の定理を説明した本を読んで理解できるの? 自分が理解出来ないから説明が間違っていると言う人は精神病院に行きましょう。 君の知性で仏教を理解することは、少なくとも今生では無理のような気がする。 >>871 無我なのに何を捨てるの? 自分の師の法灯も知らないとか紛い物ですよ。 佛教大学は仏教系(浄土宗系)の総合大学で、仏教の大学ではありませんからw 鬼和尚。シルディサイババという人は悟っていたのでしょうか? >>872 > 師家になるのならともかく、住職などバカ > でもなっているよ。 はい、またまたまたまた、嘘バレですね。 頭の理解力と「何」がわかるのは別ですから。 まぁ、実参経験がない君には窺い知れない事。 >>872 それでは君の宗教体験を話してもらいませんか? >>873 私たちは無我だと唱えたところで実際に自我は簡単に落ちないと思うんだ。 自分がいない、ということを見抜いた人達が覚者なんだろうと俺は今勝手に想像している。 凡夫がああなんだろうか、こうなんだろうか、という理解と想像を超えているのだろうなと思ってるよ。 それに、法を使って喧嘩しに来たと知ったら師も悲しむと思うよ。 >>877 無我なのに何が落ちるんですか? 落とそうとする自分が落とさる自分でしょ? その様に無い(縁起)ものを有ると実体視するから苦しむのでしょ? >>878 多分、観察するものがされるもの、という他の覚者の言葉から 連想的にそれが出ているなと俺は理解する。 おそらくそれは一種の公案であり、そのまま鵜呑みにするべき言葉ではないはずだ。 oshoという覚者がいて、 弟子たちは心を見続けていたのよ。 苦しみと涙、喜びと悲しみのはざまにいたりするが、それでもやり続けていた人達は たまに発狂したんじゃないかと思われるほど喜んだりする人が出てくる。 oshoとその弟子たちはそれを面白い表現で話した。 落ちた、と。 本当に何かが落ちるからさ。 >>879 > 多分、観察するものがされるもの、という > 他の覚者の言葉から連想的にそれが出てい > るなと俺は理解する。 > おそらくそれは一種の公案であり、そのま > ま鵜呑みにするべき言葉ではないはずだ。 そうした公案(倩女離魂)もありますが、普通に唯識でも見るもの(見分)と見られるもの(相分)に一つの識が分析される云々はありますよ? >>879 >本当に何かが落ちるからさ。 用済みです。 >>872 君が麦さんに話した内容を示して下さいね。 >>881 俺もヨガスートラでそのような表現をみたことがあるんだけど、 実際、なぜそういったんだろう?って確認せずに人に話してみたところで、 実はあんまり双方得はしなくて、単なるおしゃべりにしかならないんだ。 鬼和尚は人を見て法を説いてくださっている。 空の法が会う人には空の法を、縁起によって観察する人には縁起によって観察するよう進めていたりする。 空観がやりたいのか、それとも縁起によって観察していきたいのか、 もしかしたら空観があなたには合っていないのかもしれない。 なんか見てるとそんな感じに見えるよ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.5 2024/06/08 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる