50歳以上のおっさんが高校野球を語る Part26
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
三沢、磐城、日大桜ケ丘、防府商、新居浜商、崇徳、中村、横浜商、印旛、新潟南、甲西、福岡第一など何でもどうぞ。 いちもつ
90年春は面白い試合は多かったが全体として地味だった感は否めない
大会を代表するようなスターが出なかったのが大きい気がする
86新湊、89元木、91上田、等々のような
北陽寺前は劇的な試合はあったが抑え込んだかんじでもなかった
No.1スラッガーと言われた犬伏もホームランは出なかった
高木や内之倉は早期敗退してしまったし
新田も新湊や金足農みたいな雰囲気はなかった
イメージ的には14夏の三重ぐらいのイメージ
そこそこの学校がたまたま決勝みたいな 新田はインパクトあったよ
ユニフォーム含めて
少なくとも俺は90春は面白かった 前年の89年が春はあの東邦−上宮の史上最も悲劇的な決勝戦だったし、夏は大越の仙台育英の健闘で東北初の優勝かと盛り上がったのに対して、90年は夏は沖縄水産の活躍はあったけど、前年ほどの盛り上がりは自分の中ではなかったな >>4
松山商×三沢の伝説的な試合を勝ち抜いた
一色監督もインパクトあったね 89年の選抜は在外で見ていなかったのだけど、なにせ愛知県勢として66年以来の優勝
だったのでその一報に接した際に大いに興奮した。しかしその東邦が夏に初戦負けした
折は大いにガッカリした。(今に至るまで愛知県勢は選抜で好成績を挙げても夏で初戦
負けが多い)。
新田の監督は一色さんでしたか。もう亡くなられているみたいで、合掌。 1990年選抜では、ここまであまり話題に出ないけど、帝京も優勝候補の一角だったね。
前年夏の王者ということで。
それが初戦で寺前の北陽とあたり、9回までリードしながら逆転負け。これで北陽が波にのった。
1980年選抜のリベンジを10年ぶりに果たしたんだよね、今思えば。
中川の秋田経大付属−内之倉の鹿児島実、新田−日大藤沢など他にも序盤から好ゲームが大方。 89年の東邦に限らず、センバツ優勝校の夏甲子園での早期敗退はよくあるね
調べたわけじゃないが、だいたい2回戦ぐらいまでに負ける印象が強い >>9
夏も出てくる選抜王者の早期敗退組は、第4試合やその日の最終試合で力尽きることが多い
1999 沖縄尚学
2002 報徳
2006 横浜
2013 浦和学院
2015 敦賀気比
2016 智弁学園
2017 大阪桐蔭
夏の夕方と、王者が夢半ばで甲子園を去るという儚さが相まって凄く画になり、好きな光景でもある
逆に平安みたいに、開幕早々昼間の第一試合で消えていくのはこれじゃない感がある
「あっそ」みたいになる おっさん的に言えば、選抜優勝校の夏甲子園での早期敗退例は、
1965岡山東商、1970箕島、1972日大桜ケ丘、1976崇徳、1980高知商、1986池田あたりかな。
1980年代は選抜優勝校が夏の甲子園で早期敗退するより、そもそも夏は甲子園に帰ってこられないケースが目立ったね。
選抜2連覇した世代がいずれも夏は予選で消えた1981-1982PLがその象徴。 >>11
2017の大阪桐蔭は早期敗退になるの?
三回戦だろ こうして見ると結構多いね、センバツ優勝校の夏早期敗退
なぜだろう?やはりプレッシャーなのか?
あるいは春勝った余韻を引きずって試合に臨むからだろうか?勝てるだろう、みたいな >>13
一応3回戦までを早期敗退と定義した
何か3回戦までで負けたら早い感じしない?
そうでなくても、大会全体として準々決勝からがクライマックス感あるし
大会の感覚としては
49校登場まで=序盤
2回戦(1回戦勝利校同士の対戦)〜3回戦=中盤
準々決勝〜決勝=終盤
のイメージ 1970年の選手権の箕島が初戦勝った後にインタビュアーに次は何処ですかと問われ
尾藤監督が「岐阜•短大•附属」と区切って答えたシーンが子供心に受けて何回も真似を
した。箕島戦で湯口が全国区になった気がする。また子供心に選抜準決勝の広陵の佐伯
の仇を打ってくれた様で嬉しかった。 2006の横浜は試合前は明らかに大阪桐蔭を下に見ていた感があったな それが中田翔のとてつもないショートフライを見てから恐怖心が芽生えたように感じられた
その後、何度もチャンスを潰して焦りが出始めてこんなはずじゃなかったと負けパターンにはまっていった 1992年の帝京は予選全試合2桁得点で勝ち上がり圧倒的な優勝候補だったけど
尽誠学園渡辺に完封されてアッサリ消えたな 1980年の高知商は明徳に勝って自信満々なって
全国には明徳以上の打線はない思って箕島さえ甘くみてたらやられたて中西が言ってたような
あの年の明徳打線て強かったのか >>16 文字化けしているな。あの年の高校三羽烏のその後は、湯口事件もあってもう一つ
だった。佐伯は19勝した年もあって優勝にも貢献したけど、大事に扱われている様に
見えず、実際に日ハムに放出されてしまった。88勝は立派だが負け越しているのがなんとも。
高校時代は3番で強打で鳴らしたと思うが、プロ入り後は打棒はさっぱりだった。
島本は近鉄でも規定打席に達せず、期待程drはなかった。 >>18
92年の大会は2回戦までにV候補が軒並み消えて
番狂わせがこうも続くとつまらなくなるってどっかの媒体が書いてたような
桐蔭学園、帝京、近大付、星稜が早期敗退だもんな 1986年選抜王者の池田も夏の徳島大会は余裕のある戦いぶりで、決勝で鳴門に勝って甲子園を決めた時も選手たちはマウンドに集まって抱き合うような恒例の喜び方はせず、淡々としていたと報じられていた。
甲子園に出てからが勝負、という感じだったんだね。
しかし、甲子園では明野に初戦で負けてしまった。
一方、徳島大会で池田に敗れた鳴門の投手は、大会前にサードからコンバートされたばかりの急造投手だったが、社会人に進んで日本代表に入り、ドラフト1位で西武入り。プロでも末永く活躍し、引退後も球団の要職についた。
また、池田を破り、一躍高校野球界の名物監督の1人に祭り上げられた明野の監督は、その後に非業の死をとげた。
関係者の人生が二転三転したね。 92年夏は星稜−明徳で語られることが多いな
準決勝が拓大紅陵−尽誠学園、西日本短大付−東邦という地味なカードだった
西日本短大付の森尾は凄かったけど、即プロへ行くような投手じゃなかったし、盛り上がりには欠いたな
翌年の育英−春日部共栄の決勝戦も殆ど記憶がない
1992〜1996あたりは人気低迷していたのでは? >>21
近大付属は、エース温存が裏目に出たね。
いまなら、2戦目で相手が格下と思えたら、エース温存をするのは当然の策だけど、
当時はまだそうではなかったんで、采配ミスみたいに叩かれた。
近大付属はこの頃、上宮と共に大阪でも屈指のタレントの集まる学校になっていたけど、
甲子園に出てくるたび優勝候補に挙げられながら、90年の春以外は序盤でこけて、確たる地位を築けなかったのが痛かった。
この時期、近大付属があと1回か2回、甲子園で決勝に進むくらいの活躍をしていれば、
その後の大阪の勢力図は随分変わっていたかもしれない。 >>22
蔦監督はセンバツ優勝後直ぐに夏は梶田一人では苦しいとおっしゃられていたが、結局2番手投手が育成出来なかったのだろう。
明野に力負けしたもんね。
徳島大会決勝も、潮崎相手にそんな楽に勝ったような記憶がないな。 >>22
梶田投手も後に日本生命で主軸を努めた。
野手でプロ入りすると思ってたけど、少し身体が小さかったのかな? >>26
筑波大時代から野手で活躍していたね。
日本生命の後輩には、同じく身体が小さい仁志がいるけど、梶田さんは仁志を見て、
「こういう選手がプロに行くんだな」
と思ったとか。
一流だからこそわかる違いがあるんだろうね。
一般人からしたら、梶田さんもプロに行っておかしくないと思えたけど。
高校時代はダントツだったしね。 >>22
潮崎投手の松下電器時代の監督は鍛冶舎巧さん。 >>25
梶田は選抜の時、球が遅く打ちづらかったのかも。夏は練習して球速が上がり打ち頃になってしまった。と、後に蔦監督は語っていたとか。梶田はそれを聞いてがっくりきたとかw 世間的にも93~97年は福留以外盛り上がらなかった認識ぽいけど原因はJリーグ発足ということになってるんだろう
自分はJリーグに興味は無かったが松井全打席敬遠でガックリきたうえに西短→小粒上宮→育英→智弁和歌山→佐賀商と当時はショボく感じる優勝校が続いて興味が薄れていった
特に智弁和歌山の初優勝は予習無しで見てた自分には衝撃だった 智弁和歌山は1994年選抜の優勝により一気に高校球界を代表する強豪へと昇り詰めていくが、
ターニングポイントは1993年夏だったね。
それ以前、春夏通算4回くらい甲子園に出て、全部初戦敗退だったのに、あの大会では2勝して、負けた3回戦も川上憲伸の徳島商と好勝負を演じた。
あれから何か吹っ切れた気がする。
それ以前は、智弁和歌山に限らず、和歌山全体が10年くらい低迷していたね。 優勝校がしょぼいからつまらないっていうけど
毎年似たような強豪私立が優勝する今より先が読めなくて面白かったけど
個人差で面白い面白くないはあるかもしれないけどレベルの高低なんて誤差だよ 衝撃だったのは観音寺中央。あの打撃力、実際甲子園で見たけど迫力がありましたね。後にも先にもあの1年コッキリなのが…高松商の凋落と尽誠学園の谷間。その合間をぬって出てきた感じだった。特に尽誠学園はベスト4までは行ったが決勝までは遠かった。それが初出場で優勝を持って行かれたから面白くなかっただろうな。高松商も選抜で決勝まで行ったし。もう尽誠学園なんて名前も聞かなくなりましね。もうダメだろうな。関西から散々集めていたけど。 1980年代には伊野商、1990年代には観音寺中央がいたけど、2000年代にも清峰がいたね。
田舎の公立校がすい星のごとく甲子園に現れ、まばゆい光を放ちながら頂点をとり、そしてまたたくまに消えていった。
どの学校も勝ち進んでいる時は「田舎の公立校が健闘している」という感じはなく、普通に力強かった。
2010年代はああいう優勝校はないね。 >>35
しかし、その公立校3校は選抜優勝。やはり夏は本当の地力が無いと勝てないという事かな?夏出てきたのは観音寺中央のみ。清峰は不運だった。途中、中断があり大瀬良の長崎日大に負けたね。伊野商も先行したが高知商に8回裏満塁から、ライト前ヒット、が大きく跳ねてライト後逸走者一掃で負けた。両方とも決勝でしたね。 長崎の公立といえば青いユニの長崎北陽台
好投手松尾の活躍でベスト8
一瞬の輝きだった
最近はラグビーで校名を聞くだけ インターネットの無い時代と現在では高校野球の楽しみ方が違う。 >>34
尽誠学園去年のセンバツ選出されて
夏の交流戦で智辯和歌山に圧勝してまっせ >>39
そうでしたか?すんません。最近高松商とか英明とかその辺しか聞かないもんで。 1993から1996年までの夏の大会は2年生の優勝投手が続きましたね。93年の
育英は3本柱のうちの2本が二年生の酒谷と松本で、94年の佐賀商の峰、95年の
帝京 白木、96年の松山商は2年生の新田が実施的なエースだった。結構、珍しい
時代でしたね。揃って翌年の夏には戻ってこれなかったの共通していて、育英なんか
聞いたこともない高校にコールド負けしていたからなぁ。準優勝の春日部共栄の土肥、
星稜の山本も翌年はだめだった。やっぱり癖等を相当調べられるので地区大会を
勝ち抜くのは難しいのでしょう。最近でも現在、プロで活躍している桐光の松井や前橋
育英の高橋でも翌年は駄目だった。こうなると桑田やダルビッシュ、田中マー君の
偉大さが分かりますね。 高校野球だと2年生の時が一番力を発揮しやすいかも知れないね 技術的には3年生とそれほど変わらないレベルまで向上してくる段階だし、精神的には3年時のようなこれが最後というプレッシャーがない
個人的には9人のうち、3年生5人、2年生3人、1年生1人ぐらいのチーム編成が理想的かなと思う 1年生はどうだろう。バンビ坂本や荒木みたいにエースとして活躍するのもいる。近年は減って
いる様な気もするが本田拓人(京都外大西)も決勝まで行っている。70年代だと堂園(鹿児島商)、
金本と小山(中京)、片田(土佐)、金子(金沢)、愛甲と結構居た。もっと前だと2回目の1年の新浦
や尾崎とかも1年でおっさんの様に活躍していた。 投手に限らなければ、1年生で活躍する選手は毎年のようにいるんじゃないか?今年の横浜の緒方みたいに >>42
育英なんか聞いたこともない高校にコールド負けしていたからなあ
→その高校は東洋大姫路なんだけど
0-12の惨敗だった 一年生てま活躍すると、その後が大変らしいよ。
桑田は2年生以降、開会式のリハーサルや待ち時間中にしょっちゅう他校の選手に絡まれたと言ってたし、京都外大西の本田君も、2年生以降の練習試合では、相手バッタ−がファウルを打つ度にベンチから凄い声援が飛んだとか。
本田君は情状酌量の余地有りだと思った。 いや、どこに余地があんねん
紛れもない犯罪者やん
しかも再犯してるし >>23
星稜は松井一人が有名だが実は投手の山口も力があった。
石川では、92星稜は松井と山口のチームというイメージが強い。
松井山口以外の選手は例年に比べて実力的に小粒だった(こんなこと言ってよいのかと思うが)。
あと一人打力のある選手がいればチーム力も格段にアップしていただろう。 スーパー一年生で先細りになる球児も少なくない中で
松井は順調なくらい成長曲線描いたからなあ
山下監督の目標設定(1年で石川一、2年で北信越一、3年で日本一の打者を目指す)も適切だったように思う
結果論とはいえ、1年秋の北信越準決勝で上田の松商に負けてなければ5期連続出場を果たしていた 荒木大輔や桑田真澄は1年から活躍して当然という実力があったし、実際に5季連続甲子園出場したけど、東邦の坂本は本当にたまたま抑えられたという感じで凄みが全く感じられなかったな 対戦相手もなぜ抑え込まれたのか分からないと言っていたし
案の定、甲子園から帰ってからは苦難の日々が始まった
でもそれでこそ正真正銘のシンデレラボーイだったと思う >>51
荒木大輔は名前だけで大したことないて言う球児もいたらしいけどな
最後の夏は人気の早実荒木小澤コンビ実力の池田畠山水野言われてたんでしょ
伊野商の選手に高知帰れば桑田より速いのは何人かいる言われてなかったか
1985年夏はスピードでは中山(高知商)146桑田145片平(銚子商)140だったらしいけど 荒木の1年夏のピッチングはこれは簡単には打たれないだろうという制球力があった 決勝戦を除いては 松井1年のデビューした相手が日大鶴ヶ丘だったな
決勝意外コールド大差で勝ち上がったのに山陽をあんなに打てないとは
関東一も鹿実と並ぶ優勝候補だったのに松岡の肩にやられたな
松岡カンニング?だかでニュースなってタクシー?だっけかパクられた ヤクルトの村上も1年夏が最後の甲子園伊勢がエースだった
秀岳館全盛期にあたって毎回決勝で大敗してた >>49
山口のことは松井も認めていたね。
星稜の同級生の披露宴であいさつした際、「星稜野球部は、僕と山口と『その他』でした」とやって、大爆笑だったとか。
明徳戦は松井の後ろに山口を置く打順にしなかった山下監督のミスだという見方もあるね。 >>52-52
なんだかんだいって、荒木は昭和57年世代を代表する投手の1人だよね。
春夏の優勝投手で、同じドライチだった榎田、畠山よりプロでは荒木のほうが投手として活躍している。
日野なんてプロにも入れなかったしね。
むしろ、このあたりの投手なら荒木の控えの石井のほうがすごかった。
予選敗退組では西崎、阿波野という凄いコンビがいるけどね。 >>51
中学時代は外野の控え、名電のセレクションに落ちるような少年が
半年後には甲子園準優勝投手だからなあ >>48
お前、人の気持ち分からん、典型的な自己中人間て言われない? >>58
トミージョン手術受けられたのデカかったのかね
アメリカは保険かからないから費用が莫大とか全部ヤクルトが出してくれたみたいだな4年待ってくれたんだろ
荒木はドラフト評価も人気先行で辛口だったようだな
むしろ小澤守備だけはプロも評価してたとか
話飛ぶけど銚子商の土屋投手は今なら即トミージョン手術なるかな 荒木で印象的だったのは2年の夏に集中打を食らって報徳に逆転負けした時。
その時の荒木はワインドアップに入る前に足を後方に蹴り上げてリズムを取るような
独特のフォームだった。ところが走者が出るとそんな大きなフォームを取れないので、
7回まで無失点とほぼ報徳を完璧に抑えていたのに 一挙に連打で9回裏に3点差を
追い付かれ延長で逆転した。勿論、荒木の疲れもあった思うが、ワインドアップと
セットアップの差も大きかったと思う。 >>61
速攻で手術だろうね。夏の甲子園が終わった時点で。 報徳戦は早実らしさがよく出た試合だったな
いつのまにか4点も取って鮮やかな攻撃だった
最終回の金村の二ゴロの誤審がなければなぁ >>58
昭和57年組は高卒ドラ1がプロでは伸びず、プロで通用したのは晩成組というのが面白い
西崎も石井も高校時代は控え投手だったのが大学社会人で覚醒
阿波野は高校時代も神奈川県屈指の好投手だったが、覚醒したのは大学入学後だろう 松井の甲子園初HRを打った竜ヶ崎一戦。
ライトスタンドで観戦してて、
打球が飛んできたすぐ傍の席にいたのが良い思い出。
あの時は次の試合の帝京×池田戦を見に行ったんだけど、
内野席は早い時間で入れなかった。 >>9
89年東邦は典型的なセンバツ型のチームだった
信頼できる投手が山田1人きり、しかもセンバツ以後打線が不振で、打撃も山田頼りのワンマンチーム化していた 初戦を勝てたとしても、夏に優勝戦線に食い込めるチームじゃなかった 荒木大輔のピッチングフォームって、観てると何故か落ち着くんだよな ありそうであまり見ないフォーム 竜ヶ崎一戦でのホームランと言えば報徳の荒武の満塁ホームランが思い浮かぶ。
木製バット時代の満塁ホームランは貴重だった。
でも、報徳対竜ヶ崎一の試合は古すぎるかな? ABCが映らない地域だから分からないけど、植草貞夫アナが「荒木大輔鼻つまむ!」って
いつの試合のどんな状況(シチュエーション)だったんだろ?
ちょっと想像がつかないんだけど。 1年生投手の中で中京の小山哲幸、金本誠吉のコンビが印象的だった。元々予選では
小山は15番、金本は忘れたが10番くらいの背番号でエースは伊藤だった様な気がする。
予選の決勝の相手は3年連続代表だった東邦で、2年ながら山倉が4番に座り、下馬評では
東邦が圧倒的に有利だった。中京は隠し玉という訳でもないけど小山を先発させ、
そこそこ投げて乱戦の末に勝利。スコアは11-5だったので、小山が完璧だった訳ではなく、
東邦の投手が自滅した格好だった。しかし杉浦監督は試合後の甲子園メンバーの登録時に
小山にエース番号を、金本に10を与えた。
甲子園の初戦は東海大相模。下馬評では2年前の優勝チームに劣勢を伝えられたが、
意表を突いた金本の先発が当たり、完封。2回戦もプロに指名された好投手石田を擁する
足利学園戦でも金本が登板し、連続完封。元々、中京は明治で活躍した横井とか4番西村
を揃えて打撃と守備はそこそこの評価で投手力が弱いと見られていたが、金本の連続完封
で評価が鰻登り。準々決勝での高知商戦を事実上決勝と見る向きもあった程であった。
(因みに朝日の記事で準々決勝屈指の好カードという歴史的迷言が書かれていた)。
しかし、そこで何故かエース小山を登板させた。小山は、そこそこ好投したが、結果的に
4点を取られて逆転負け。未だ疲れの見えていなかった金本を登板させる手はなかったのか、
と当時から議論を呼ぶ采配だった。 因みに、その後は金本がエースになったと記憶している。少なくとも3年春(1974年)に
甲子園に戻って来た際は金本がエース、小山は外野手で4番だった様に思う。一回戦で
滝川に一蹴されて人の話題にも登らず。卒業後、金本は本田技研鈴鹿で鳴らし、阪急入り。
中継ぎではあったが1軍登板も少なくはなかった。引退後に韓国に渡り活躍したが、それも
引退した後に三面記事を賑わしてしまったのは残念だった。
小山は中京大の主軸だったが、マスコミの表舞台に出たのはプリンスホテルが社会人野球
チームを発足させた折の選手の一人として脚光を浴びたのが最初で最後だったと思う。 >>66
羨ましいですね
持丸さんは30年経った未だに1大会2勝の壁を越えられず… >>64
8回に1点返したときの内野安打も一塁アウトだったと思う
近畿パイアが炸裂し、荒木は可哀想だった >>57
打順が松井ー山口だったら最終回は計算上では敬遠四球→三塁打で同点だった
あくまで計算上ではね >>70
池田戦で江上にライナーでライトラッキーゾーンに運ばれたとき。まあ知ってると思うけど。 >>74
8回は内野安打でなくてゲッツー崩れ、一塁はセーフと判定された。あれもアウトだっただろう。
9回の金村の件は有名だが、あれは小沢だったから(本当は)アウトになったんだろう。それだけすごいプレーだった。 81の報徳は優勝したけど、あまり強さは感じなかったな
横浜、早実、名電を破っての優勝だから文句なしなんだけど、早実戦は誤審が無ければ負けていたし、名電戦は工藤の疲労に助けられた
前後の優勝校に比べると今一つ納得出来ない >>78
決勝戦の相手が楽なブロックを幸運に助けられて抜けてきた相手だったしね
あの大会は工藤の印象が強い 驚異のガッツマン宇学高嶋死去。インパクトのあるいい選手でしたね。 >>78
はあ、工藤の疲労に助けられた?1回戦から登場の金村の方が疲労度高いだろ くじ運やたられば言い出して納得できないとかきりないわ
スポーツなんてそんなもんだろ
全部フラットな状況で試合できるかよ >>81 連投の効く効かないは個人差がある。高校時代の工藤は明らかに連投の効かないタイプ。
県大会でも準決勝、決勝は3、2失点と球威がなくなっていた。甲子園でも準決勝は別人の様に
精彩がなかった。報徳戦が1、2回戦だったら三振の山を築いていたと思う。 >>80
合掌
あの年の宇学は本気で全国制覇狙えるチームでしたね 88センバツは元木種田2年生時の上宮との激闘が印象深いな ベスト4だったかな
夏は浦和市立にまさかの敗戦だった 9回の金村のはアウトかセーフかわかんないけど、一塁手がベース踏みなおしたのがあの判定につながったと思う。 >>79
あの時、工藤は夏休みが無くなると思い、準々決勝以降に望んだそうな。本気で勝ちに行くのだったら金村と勝負してないとも書いてありましたね。 >>85 この年の宇高は初戦で優勝候補近大付を破ってから勢いに乗った
近大付はせっかく超難関で苦渋を舐め続けた大阪大会を勝ち上がっての初出場だったのに
初日であっさり敗退なんて不運を絵に書いたようなチームだった 88年の北関東は大型チームが多かった印象
宇学に小浜戦19点の常総学院、甲子園未出場組だと大宮東とか
個人的には春関で4強入りした埼玉栄の右腕本田が印象に残ってる(当時は若生さんが監督だったかな?)
そんな顔ぶれの中で小兵の浦和市立が勝ち残るあたりに高校野球の醍醐味を感じる >>90
宇高ではなく宇学だ 栃木で宇高は宇都宮高校 >>90
80〜90年代の近大付は監督が頻繁に代わってるね
長いこと務めた豊田さんの後に
・88年春夏連続出場 野村さん
・90年春優勝 吉田さん
・92,93夏出場 浅黄さん
これだけコロコロ交代するのは何か理由があったのかな? >>91
1988年夏の関東は、宇学、常総以外も拓大紅陵、東海大甲府がいて、すごいメンツだった。
その中で一番上まで勝ち上がるのが浦和市立だとは誰も予想できないよね。
2回戦以降に下した常総や宇学、宇部商に比べると、初戦で破った佐賀商は地味だが、香田監督が2年生で在籍していたはず。 悔しまぎれの書き込み見れば、やっぱり1981夏の報徳は全国制覇に相応しかったと確信できる。 >>95
なんか申し訳なさそうに書き込んじゃって大変だなw 「宇都宮」の表示にクレームが来て
「宇 工」になった事もあったな >>57
「星稜野球部は、僕と山口と『その他』でした」
松井は上手いこと言うなあ。
思わず笑ってしまうよ。 >>98星稜五番打者月岩くんが気の毒すぎる
石川に帰ってからも熱狂的な高校野球ファンから自宅を攻撃されたり女子高生に「何で打たなかったのよ最低ね」
なんて言われたり大学もすぐ中退
馬淵さんも罪作りだよ 馬淵さん、今年も風間にめちゃくちゃ球数を投げさせて、まんまと攻略していたね。
5連続敬遠も風間に球数を投げさせるのも、馬淵さんにとっては同じことなんじゃないかと思う。
周りの見る目が違うだけで。 松井のブラックジョークは本質を突いているから笑うに笑えない人もいるだろうな
月岩はその後、居酒屋経営で成功して実業家として手広くやっているようだね 月岩の居酒屋に加藤が飲みに来ていたら、面白いね。
閉店後、サシ飲みして「ファウルフライ」と「5敬遠」について語り合って欲しい。 >>100
>馬淵さん、今年も風間にめちゃくちゃ球数を投げさせて、まんまと攻略していたね
チームは勝っても、凄い選手は育たないね >>103
昔の話になるが、江川の時にそれをやろうとしても出来なかっただろうね。なんせボールに当たらなかったからw松坂はそれで攻略できたかもしれない。ま、リードして1イニングだけだったからやらなかったのかもだが。 奇跡のバックホームの主人公の1人である熊本工の星子はたっちあっぷという居酒屋を営んでいるんだっけ
色々と葛藤があったようだけど、その後の人生に活かされているのであれば貴重な経験だったと言えるな >>104
広商の打者がベースにかぶさるように構えてデッドボール食らって昏倒したことがある
江川の動揺を誘って結果的に制球乱して球数増えて攻略したやん。 >>93
野村さんは早稲田大学に引き抜かれた
就任後チームを立て直し、春夏連覇のPLと大阪大会決勝で接戦の末にサヨナラ負け、翌年は春夏連続出場と有能だった 豊田さんは数年前まで群馬の利根商の監督やっていたけど、もう退任しているね 1988年選抜は、校名が「宇」で始まる学校が3校も出場し、宇和島東(優勝)、宇都宮学園(ベスト4)、宇部商(ベスト8)と揃って上位に進出した珍しい年だった。
しかも、ベスト8には上宮も進出し、頭文字がUの学校でベスト8の半分を占めた。
このうち、宇和島東と上宮は夏、甲子園に帰ってこられなかったが、代わりに浦和市立が旋風を巻き起こし、頭文字Uブームを引き継いだ。
優勝校の広島商はエースが上野(UENEO)で、初戦で上田東(UEDAHIGASHI)に勝って波に乗った。 1988年は夏の浦和市立の活躍が衝撃的だった
全くの無名公立校が佐賀商、常総学院、宇都宮学園、宇部商を次々に撃破していくんだから
もう負けるだろ、もう負けるだろと思いながら観ていたな
個人的にはジャイキリってある程度はいいんだけど、度が過ぎると腹が立ってくるw あの時も宇学に勝ったあたりでいい加減にしろよと思ったな 近大附属は豊田さんで昔選抜大会でベスト8まで行きましたね
あの時の豊田さんは怖かった
鬼と呼ばれてましたから
歳いってから丸くなったみたいだけど >>112
ジャイキリって……度が過ぎると腹が立って
わかる
佐賀北が帝京に勝ったときはさすがにムカついた
因みに決勝に関しては何も文句はない 斎藤佑樹もついにと言うかやっとと言うか、引退か
松坂大輔と言い、今年は甲子園の大スターがプロの世界を去っていくな
最近は大谷だったり、以前はイチローだったり、周りが礼賛の嵐で本当にうざかったけど、俺の中では甲子園で活躍出来なかったイチローや大谷よりも松坂や清原や桑田や斎藤の方がよっぽどデカい存在でヒーローなんだよな そういやWikipediaの「番狂わせ」って記事に今年の近江-大桐のカード紹介されてて噴飯物だった。
あの内容更新したの高野はまりたてのキッズだろw イチローって、ホント嫌いなんだけど、松坂に対して野球を深いところでナメてるって苦言を呈したことがあったけど、俺から言わせればイチローは甲子園、高校野球をナメてたよな
松坂や清原に遠く及ばないくせに偉そうにすんなって感じだな 2007の佐賀北は自分的には全くのノーマーク。
2回戦の佐賀北―宇治山田商は
中井大介のいる宇治山田商の圧勝だろうなと
自分は予想してたけど、見事に外れた。 ついにハンカチが引退か。
あの成績じゃ仕方ないか。 >>120
唯一の”理解者”だった栗山監督も今年で退任だからな。
後任監督に誰が来ても、来季の契約は無かっただろう。 >>116
今夏の野球関係者の総評は「番狂わせ」じゃなく「近江も強かった」だけどな。
実際の試合内容見ても番狂わせを思わせる内容じゃなかったし、試合後西谷監督の「自分達がやりたかった野球をやられた」って言葉からも、決してまぐれの勝ちじゃないと思う。
だいたい桐蔭の前評判が高過ぎたんだよ。
何度も試合して勝率で争えば桐蔭が勝っただろうけどな。 >>122
そもそも春はミス連発して初戦敗退だしね…
相手が智弁だったのもあったけど、ところどころプレーに粗さが見られた。
少なくとも圧倒的優勝候補ではない。
「番狂わせ」の語を使うのなら下馬評でダビデとゴリアテぐらいの差がないとね。清峰-愛工大名電みたいに。 >>121
栗山退任で清宮も首の周りが寒くなるな
稲葉監督には好成績を上げさせないといけないから、フロントは外国人を複数取るだろうし
一塁しか守れないのは致命的だわ 今年の夏の番狂わせと言えるのが東北学院−愛工大名電じゃないか?下馬評は圧倒的に名電だったし
まぁ、終わってみれば名電はいつもの名電だったということだけど 本当の番狂わせは、なんといっても
83年選手権準決勝
池田 0 − 7 PL学園 だろな。
これに勝るば番狂わせの試合は無いだろ。 おれが40年余り高校野球を見て来て、「衝撃度」という点で甲子園ジャイキリベスト5を挙げるなら、、、
と思って考えたけど、この3つと並べられる他2つの試合が思い浮かばなかった。
新湊7−4拓大紅陵
伊野商3−1PL学園
PL7−0池田
なんだかんだで、PL7−0池田がやはり圧倒的だな。
敗戦を告げる玉音放送の衝撃について、当時を知る爺さんに話を聞いても俺らがピンとこないのと同じで、
この池田の敗戦の衝撃は、いまどきの若者はいくら詳しく説明されても絶対に実感できない。 ここ5年の優勝候補筆頭の結果と結果
17 春 履正社 準優勝 夏 大阪桐蔭 三回戦
18 春 大阪桐蔭 優勝 夏 大阪桐蔭 優勝
19 春 星稜 二回戦 夏 東海大相模 三回戦
20 春 中京大中京 中止
21 春 大阪桐蔭 初戦敗退 夏 大阪桐蔭 二回戦敗退
個人的に21夏は優勝候補筆頭はいなかったと思うけど、強いてあげるなら大阪桐蔭か PL7−0池田 ぶったまげた
ただ最近YouTubeで改めて見返すと水野が前の試合でデッドボールくらった影響か球に全然キレが無いのに気付いた
PL舐めてたのもあるかも知れんが 水野が舐めてたのは桑田をはじめPLの下位打線で、下位打線のホームラン攻勢というのも
異例のことだったと思う
特に1年生桑田の大ホームランには自分も含めて殆どの人が我が目を疑ったはず 単に衝撃受けなかったが、実際には衝撃だった試合なら、いっぱいあるよな。
PL 0 − 1 岩倉
PL 4 − 7 取手二
拓大紅陵 0 − 1 東洋大姫路 宇都宮学園高校、現在の文星芸大付属高校出身でプロ野球のオリックスで活躍した高嶋徹さんが28日、直腸がんのため大阪市内の病院で死去しました。51歳でした。 葬儀・告別式は家族葬で行い、喪主は妻の美紀さんが務めました。 高嶋さんは1988年の春の選抜高校野球にキャッチャー・4番で出場し、ヤクルトの元監督、真中満さんとともにチームをベスト4に導きました。 70年代だと
作新1-2広商 :準々決勝の江川が完璧だっただけに驚き
広商2-3大分商: 西の横綱が盗塁の新記録を作ってなんじゃそれ。
岡山東商4-5日南:西の横綱が開幕戦でノーマークの赤ヘルに力負け
崇徳0-1海星:春夏連続優勝を狙ったスター軍団が酒井に完封される。黒田は不運な失点。
と言ったところが思いつく。これ等より池田がPLに負けた時の方が吃驚かな。 >>131
まさかPLが岩倉・山口に1安打完封されるとは
思わなかった。
準々決勝の拓大紅陵戦は6−0と完勝し、格の違いを
見せつけたが、
準決勝の都城・田口を打ちあぐねた試合から
どうも打線が湿ってたね。 あの当時のPLは初戦にいつも猛打爆発させたけど、その後試合ごとに打線が湿っていった
印象がいつもあるなと思ってた >>126
夏春夏3季連覇狙う池田が1年生ピッチャーに完封されるという >>130
でも桑田は中津工戦でもホームラン打っていたから明らかにマークは必要だった
むしろ小柄な住田のホームラン、控え捕手の小島のホームランには目を疑ったわ >>133
日大一0-1磐城
習志野0-3豊見城
天理1-4中村
なんかも入るんじゃないかな。 >>137
そうですね。なんか桑田ホームラン狙ってる雰囲気あったし打ちそうな予感あった >>134
夏は田口にリベンジしてる。
春はライトのサヨナラ落球で勝った試合だね。
春は田口の出来もよかったよな。 80年代なら
早実2-6東山
宇学1-2浦和市立
なんてのもあった。
けど、やはりまったく予想外、衝撃的だったのは池田一PL、PL一岩倉かな。 PL−池田は歴史を変えた試合という意味でも価値が高いね 岩倉がPLを破った試合も衝撃的ではあるが、おれは岩倉のことを強いチームだと思っていたので、ジャイキリには挙げたくない思いがある。
ただ、当時のPLはすさまじい連勝記録を作っていたから、それを止めたというのが凄いよね。
中村監督が初めて甲子園で指揮した81年選抜から84年選抜準決勝の都城戦まで甲子園20連勝。
これはもう永遠に破られない記録だろう。 PL7ー0池田の凄さは試合をライブで見ていて、5−0くらいになった時点でもまだ池田が負けるとはまったく思えなかったこと。
「PL頑張ってるな」という感じで見ていた。
池田の強さをそれだけ妄信していたんだな。 PLの試合なら浜松商8−1PL学園の方が衝撃的だったわ
この時のチーム力は前年に比べれば大したことなかったけど、こんな大差で負けるとは思わなかった >>146
池田がワンアウト一二塁のチャンスを作って打者水野のときはスタンドも盛り上がっていましたね
「金太郎が打って池田打線が爆発する」と思った人も多かったんでしょう
あえなくピッチャーゴロ併殺でスタンドもシーンとし、ようやく池田負けるんじゃねという雰囲気が出てきましたね >>147
この試合はPLのミスが多く、名手立浪もエラーの連続で、浜松商が予想外でポカンとしていました
浜松商は前年の選抜でKKのPLにボコられ、まさかの清原登板という屈辱を受けていたから、気合いでPLを圧倒していました PL1986世代はKKコンビと春夏連覇に挟まれた世代 >>137
小島はパワーもあるしバッティングは良かったで。
ただPLでレギュラー取るには野球脳が少し足りなかった。
野球脳不足と言っても、PLでは!という話しで、一般的には高い方だが。 >>139 確かに優勝候補筆頭の保坂の日大一が負けたのは衝撃的だったけど、見損ねたから。
天理-中村も吃驚だったけど、これも学校があって見られなかった。結果を聞いて、えっていう
感じ。習志野の評価は3番手以下だったので豊見城に負けてもそんなジャイアントキリング
とは思わなかった。普天間の印象は強かったし、興南がベスト4になった記録は知っていたので
沖縄が弱いとも思わなかったので。寧ろ赤嶺が3年の時に小松の星稜に捻られた時の方が吃驚かな。
>>138
これもわかりますが、準々決勝なのでそういう事もあるかな、と思いました。相模も絶対的では
なかったので。村中が何度も原監督にベンチに走って呼び戻されて疲労で負けたという気もしました。 >>152
天理ー中村は山沖の投球が怪物的すぎて番狂わせ感はない
山沖は好不調の波があったけど、間違いなく天理戦はベストピッチだった
天理打線が子どものように重い速球で封じ込まれた >>141
夏は明かに田口相手に長打捨ててたよな
春は田口の球の威力が凄まじく芯あるいは芯近くに当ててるのに外野の頭越えていかなかった >>147
その試合も投げたけど、
2年生の深瀬猛がスポーツ新聞に
類まれなる天才のように大きく取り扱われてた。
春夏連覇の87年選抜決勝の関東一戦は
立浪、片岡を押しのけ4番を打ってた。
その後、右肩脱臼で実力を出せなかったのが
本当に残念 >>141
その都城のエラーで決勝点の試合、試合後の桑田の談話で
「かわいそうに。あの人一生言われるんでしょうね」というのがあって
当時家でスポーツ紙とってたので読んだ記憶があるけど
桑田本人に悪気はないんだろうけど子供心に嫌な人だなぁと
そこから自分の中ではダーティ桑田 >>147
まだM君ショックが尾を引いていた、、
みたいな書き込みが過去にあったな。 >>146
桑田も九回二死になってはじめてこの試合勝てるのかなって思った言うてたな。 >>156 隅崎くんは夏甲子園一回戦足利工にてホームラン打ってる
あまり知られてないけど昭和59年春夏出場都城三番遊撃手(二年)は
元日本ハムの田中幸雄
高卒入団ハム一筋で2000本達成した好打者
余談だけど高校の後輩に山本由伸がいたのにどうしてハムは指名しなかったのかなあ? >>147 PLの谷間世代は闇が多すぎてあまり語られないね
霜村はスワローズ入ったけどパッとせず S58の池田は完全にPL舐めてた。蔦監督からは清原さえ抑えれば勝てると言われた、とか。水野も水野で高知商は春の四国大会で戦っているから、PLとやりたいと、中京戦後言ってた。まあ高知商戦見てれば10-9だからある程度打てると思ったんだろうけど。 1996年選抜の岡山城東6−5帝京も前評判を覆したという意味では印象深い。
帝京は前年夏優勝のメンバーが多数残っており、優勝候補最右翼。
まあ、岡山城東も初出場とはいえ、秋の中国王者だったから弱いチームではなかったんだけど、まさか勝とは思わなかった。
この大会でベスト4まで進出して以来、2000年代前半まで岡山城東の中国地区ですごく勝負強かったね。 金星献上という観点でいえば、帝京、報徳、愛工大名電が御三家かな。
横浜も90年代、松坂で春夏連覇するまでは金星献上ぶりが凄かったね。
かたや大阪桐蔭は今のところ、金星献上と思える負け試合は記憶にない。 >>162 この試合は調整が難しい初日第三試合だった
前田監督は「開会式後に長い間待たされるから初日第三試合引くくらいなら開幕戦の方がマシ」
と試合後語っていた
拓大紅陵の小枝さんも同じようなこと言ってる
2002年夏初日第三試合引いて智弁学園に0‐6で負けてた >>164
初日第三試合というと、06年の横浜も大阪桐蔭に敗れたね
開会式終わってから一旦近隣の体育館みたいなとこで待機させられるんだけど、そこで横浜の選手は昼寝してたそうだ
小倉氏曰く「ずいぶん肝が座ってるな」と感心してたそうだが、今思えばあれは慢心から来るものだったと
選抜王者が初戦から消えるわけないと選手も思ってたのかな
大阪桐蔭が対戦相手より格下扱いされてたのはこの時が最後だと思う >>165 2019年春履正社も初日第三試合で敗退
この日程は番狂わせになりやすい
前田監督も言うとおりに調整が難しいだろうな
優勝候補筆頭だった福留擁するPLも初日第三試合で銚子商に負けたことあったな
それと記念大会のみだけど8日目第一試合も嫌われる
2018年夏優勝候補広陵が二松に負けたのも調整失敗だったと中井監督が語ってた
開会式後ずっと午前四時起床で調整だし試合勘も鈍る >>162
それは確かに大番狂わせだが例の「やったーーーっ!」で視聴者が覚めてしまい、
こういうところで話題に挙がらないのではないかとふんでいる
MBS系でそれがあってもNHKを見れば良いが、あれはNHKだっただけに逃げ場がない >>166
2018夏の広陵が優勝候補?
初耳だなあ >>166
履正社は順当負けだろ。
選抜の時点でははっきり星稜>履正社だったし。 >>165
この年の横浜の強力打線の唯一の死角は、駒苫
のマ−君。(センバツは不出場)
シビアな戦力分析なら、横浜が横綱なら大阪桐蔭はおそらく小結ぐらいだったろうから、下に見ていたのは理解出来るが、慢心の兆候は6月の駒苫との練習試合で前述のマ−君を攻略して勝った頃から始まっていたような話を聞いた事ある。
甲子園で是非、横浜打線 対 駒苫マ−君 を見てみたかったと今も思う。
: >>166
初戦でフレッシュな奥川相手なら勝ち目はないだろ
番狂わせではなく、予想は互角でやや星稜有利 >>126
今でこそKKだが、この時点では無名の1年生に負ける訳が無い
夏春夏の三連覇は確実と信じて疑わなかったから
試合終了で呆然となった記憶 花咲徳栄が優勝した時は大阪桐蔭とやってほしかった
国体で当たったときはビビッて逃げ出した感じw >>170
横浜が大阪桐蔭に勝ってたら次戦は早稲田実業で早くも選抜の再戦となってたわけだが、多分横浜なら早稲田実業に勝ってただろうな
初戦勝利後の監督インタビューで西谷監督が「厳しい戦いになるけど、学校から皆応援に来てくれてるから何とか頑張って勝とうと声を掛けた」とまるで初出場の学校の監督みたいな謙虚なコメントしてたのが印象的だった
その後も西谷監督は謙虚なコメントばかりだね
その06の横浜戦では、西谷監督はこちらの采配が全て向こうに見透かされてそうで、試合後もとても勝った気になれなかったらしいが、2年後の再戦で相手の裏をかいた攻撃ができて、初めて対等に戦えているという気持ちになったとのこと ここにみなさんが書かれてて、はじめて気付いたけど、確かに初日の第三試合って普通の日の三試合目と違って、調整も難しそうだね。
身体もメンタル面も!
確かに分かるわ。
初日なら開幕カ−ドか開会式に出た余韻がまだ残ってる第二試合の方が試合にも入りやすいよな。
昔から、早朝8時から始まる第一試合と対戦相手が決まらず長期間待たされる七日目は嫌だって声はよく聞こえてきたけど。 青雲と前年優勝の尾張も初日第3試合。
尾張・太刀川投手はドロップで17三振を奪うも
9回裏2死3塁からバント安打でサヨナラ負け。 >>165
>大阪桐蔭が対戦相手より格下扱いされてたのはこの時が最後だと思う
しいてあげれば、2014年夏3回戦の明徳戦が多少不利だとみられてかな。
この大会で大阪桐蔭は優勝したけど、大会前の評判は決して高くなく、初戦で石見智翠館に大苦戦。
前年の対戦では破れていた明徳は、大黒柱の岸が昨年に引き続き健在だったので、負けてもおかしくないように思っていた。
あとは2017年選抜決勝の履正社戦は、秋に大阪、近畿、神宮を制していた履正社のほうが大会前の評判は大阪桐蔭より高かったけど、
この選抜では大阪桐蔭の戦いぶりが良かったので、決勝の時は互角みたいな印象になっていたね。 >>167
初戦の両校ゲスト好きだったんだけど、最後は98年やったかな?
点が入ると、「◯◯高校の◯◯さんは嬉しそうな表情」とか試合後負けた高校のゲストに対しては「敗れた◯◯高校の◯◯さんには、悔しい結果となりました」とかアナウンサーが優しげに語り掛けるのが好きだった
アナウンサーからしたらやりにくかったみたいだな >>155
故障ではないけど、KK時代の田口投手も
入学時は今風で言うならス−パ−一年生。
伸び悩んだ感は否定出来ないが、やっぱり
当時のPLとかは廻りがポテンシャルが凄い
選手揃いなんだろうな。
廻りが凄いから、目立たなくなっていく。
桑田の控えには小林って言う左腕の好投手も
いたしな。 >>177
細かくて恐縮だが、14年の大阪桐蔭の初戦の相手は開星だね
確かにこの時の大阪桐蔭は前評判はいまいちだった
前年秋にコールド負けした履正社を大阪大会で下してきてたから期待はしてたけど
大阪桐蔭は近年は秋も継続して近畿大会に出場して力を見せつけているが、全国制覇したチームの新チーム結成後の秋の大阪大会でコールド負けしてるのが2回ある
前述の2014のチームと浅村がいた2008のチーム
浅村達は前年PLにコールド負け
そこから春季近畿大会で準優勝(2008)、優勝(2014)して弾みをつけて夏も頂点まで駆け抜けた
履正社はとことん大阪桐蔭に甲子園を阻まれているが、結局岡田監督は夏に大阪桐蔭に20年以上勝てないまま東洋大姫路に異動するわけか
昨年の独自大会は一応勝ったが >>176 アニメだと三河高校になっているな。尾張高校は瑞陵高校の隣に実在するから。
甲子園は67年が舞台で、コミックでは初戦はあっさりと描かれていたけど、アニメでは
しっかり1話使っていた。
時系列が流石に曖昧だけど、飛雄馬の後を追って新浦事件が起こったのかね。 >>174
そうですか?桐蔭の監督は毎年優勝旗があるのが当たり前だみたいな事インタビューで言ってたけど。どこが謙虚なの? >>182
その発言は知らないけど、少なくとも試合後はいつも相手を立てるコメントしてるじゃん >>179
その田口とか小林て甲子園で投げたことあんの? >>184
田口は2年選抜の砂川北戦と3年夏の甲西戦で投げてるがパッとしなかった。
小林は3年選抜の浜松商戦と3年夏の東海大山形戦で投げてるが、いずれも炎上してなんと清原がリリーフしてる。
小林は府大会と近畿大会はけっこう好投してたみたいたが、甲子園ではまるでダメだった。 >>159
本塁打は、足利工業の磯投手からだったかな。
うろ覚えだけど。 PLの田口と小林は、早実の石井丈みたいに高校卒業後に花開く可能性もあるのではないかと思ったが、そうならなかったね
田口は社会人の名門ホンダで投手をやったようだが、小林は卒業後の話をまったく聞かない。
東北で佐々木の控えに甘んじていた同学年の葛西は大学で見事に花開いたね。 >>188
数年前のTBSの消えた天才という番組で、85年PLメンバーの今、というコーナーがあって、ほとんどのメンバーは軒並み出演してくれてたのに、田口は出演拒否で字幕だけの紹介だった
入学時はエース候補として嘱望されてたのに、桑田にその全てを持ってかれていつしかその他大勢のモブキャラに成り下がったことに対してプライドをズタボロにされたのでは無いかと推測してる
その謂わば思い返したくない黒歴史を今尚取り上げられることに彼のプライドが許さなかったのかもしれない
世間的には史上最強のPLでも、自身はただベンチに座ってただけで主役はKKだったわけだしな >>174
選抜では大差になったけど、あの時は早実が関西戦が延長15回引き分け再試合となり横浜との準々決勝が3連戦目になったというのもあるかもね
また、再試合は試合終了後の校歌演奏の瞬間に粉雪が舞うような寒さという3月下旬とは思えない異常な寒さの中での試合、夏の暑さとは異なる身体へのダメージもあったと思う
横浜に負けたあと、前年秋の明治神宮大会で負けた駒大苫小牧に勝つという目標に夏には横浜に勝つという目標も加わっていた
選抜の段階と夏とでは斎藤の球威、コントロール、スタミナ、すべてが段違いでしょ >>185
高松とかいう投手もいたよな。
春の都城戦で田口のあとに投げて、結局4回から桑田が登板したと思うが。 >>185
高松とかいう投手もいたよな。
春の都城戦で田口のあとに投げて、結局4回から桑田が登板したと思うが。 >>188
高校の時の石井は変化球を投げられなかったと言っていたね
石井は法政大学でも猪俣の控えでほとんど投げていなかったし、プリンスホテルで伸びたのかな 3回戦の最終試合を勝ち上がった学校が翌日の準々決勝の第一試合に登場することがあった時代
16〜17時頃に試合が終わり、翌朝8時にはプレーボール PLの投手だと田口もそうだけど、87世代の岩崎も今は一切メディアの取材を拒否しているね
高校時代は野村、橋本と三本柱と言っても3番手的な扱いだったけど、中学時代の実績は岩崎が一番だったはず
卒業後、青山学院大や社会人でもそれなりに活躍したけど、プロ入りはならず
87世代は今でもYouTubeやマスコミの露出が多いけど、岩崎は彼らとの交流も絶っているみたいだな >>174
>>190
横浜の小倉部長は夏の斎藤佑樹を最も警戒すべき投手と言っていたよ 春と違ってなかなか打てないだろうと
大阪桐蔭に勝っても次の早実には負けたような気がする <<195
おっしゃる通り、入学時の知名度評価は岩崎が一番だったようですね。
いつの頃の話か定かでないが、イップスに堕ちいった話を聞いた事ある。
雑誌か何かの中村監督の談話で、たしか三番手扱いに甘んじる変わりに「7」のレギュラー番号を与えたみたいな話が載ってたよ。
あの投手陣の面子の中で最後胴上げ投手になれたし、別に背番号1じゃなくても87年PL岩崎投手が色褪せる事はないと思うが。
話変わるけど、最近になって清原が東海大山形戦の登板は入学時の条件だったと語っている。
もちろん清原だけかもしれないが、この頃のPLの一部の超特待生扱いの選手は簡単な契約みたいなものが存在してたのかな?
桑田は多分そこまではなかっただろうけど。 >>194
第4試合は早く終わっても17時30分くらいだから、そこからインタビュー受けて宿舎帰って食事とか何とかしたら就寝は22時くらいか
そして翌日は4時起き
死ねるな >>189
>>195
その「消えた天才」の放送は未見だが、かつて清原が引退直後、生活にはりを失い、うつ病みたいになって困っている…
とPLの同期の選手たちに相談する某番組の企画で、田口は他の同期の選手たち共に登場していたよ。
桑田はいなかったけど(笑
捕手の杉本がガンになって苦しんだという告白をしていて、いろんなことがあるなあ、と思ったな。 高校への入学条件で1年からベンチ入り確約とか、本当にあるんだな そういうの聞くとウンザリしてしまう >>191
PL-都城戦の前日、MBSの高校野球ハイライトの番組で
都城の田口が「明日は高松の先発で来てください。桑田は打てないので」
って言っていて嫌なこと言うヤツやなって思った。相手のこと思いやれよ >>161
ただね、江上はもう一回やりたい、やったら絶対負けないと言ってたんだけどさ
俺はもう一回やってもPLが勝つような気がするな。 野球ではない他競技ではあるが、息子は高校から誘われた時に1年の秋以降のレギュラー確約があった。
入学金&授業料&遠征費免除。それらを他部員や他生徒達が負担していると思うと、複雑ではあった。 >>198
1982年の津久見は前日3回戦最後の試合で佐賀商(新谷がいた大型チーム)と延長14回の激闘、翌日8時から第1試合で中京と対戦、あえなく敗退しました >>194.>>198
そう言えば、早実の荒木が1年のときにその日程に嵌まってしまって
本人いわく、準々決勝の朝一番に投げてて、昨日の夕方からずっと
マウンドで投げてるような変な感覚になったって、後年インタビュー
で語ってた 今、秋季広島県大会の決勝戦、広島商vs尾道商をリアルタイム配信で観ているんだが、
両校ともに昔のままのユニに黒スパイク、我々の年代に見慣れた光景が嬉しいね
公立校同士の決勝戦は自分が現役の昭和62年以来、34年ぶりだそうだ
3位になった広陵はデザイン改悪に昇華プリントの酷いユニだから、まったく応援する気にならんw S49の銚子商は3回戦第3試合で、次の日台風の雨の中第1試合だった。もう少しなんとかならないのか?と思ったよ。で、S51の時はまた3回戦最終試合、ただこの時は第2試合だったけど。 >>203
いいんじゃない?
世の中平等と言うのは大嘘で、実力がある人間が優遇されるのは当たり前だよ
むしろそれが真の平等というもの
実力がある選手が他のその他大勢と同じ環境で活動しないといけないとか、それこそ不平等というものだろう >>207
でもその準々の最終試合、東海大相模との15回の死闘を制した鹿児島実が翌日の準決勝の第1試合に登場したときのほうが気の毒に思ったわ。前の日は19時37分ごろに終了だったから。防府商業戦、定岡は明らかに疲れていた。そして負傷退場してしまうんだが。 特待生とかで優遇されるのは分かるが、レギュラー確約とか、信じられないよな 入学後に実力もないのに契約履行のために無理に使わなくてはいけない?
そんなこと高校生の部活であり得るのかな? 寝ても覚めても高校野球のジイさんが何十年も経って死ぬ間際に知って大ショックってのもおもしろい 広島は広島商、尾道商、広陵、と昭和40年代の甲子園を席巻した3校が中国大会にそろい踏みだな。
岡山も倉敷工と岡山東商がベスト4に残っていて、両校が中国大会に出てくる可能性がある。
宇部商も久々の中国大会出場を決めているし、この秋の中国大会は高校野球マニアのおっさんにはたまらないね。 >>210
今年の大阪桐蔭の関戸とかそうじゃない?
府大会登板ゼロで調子も上がらないのにベンチ入りだもん >>214
野中といえば、尾道商、広島商の両方に因縁があるな。
中国大会で対戦が実現したら面白いな。 新日本紀行「熱球の軌跡」ー三沢高校(青森県)ー(1969年(昭和44年)10月20日)
https://www.youtube.com/watch?v=32LgK7sR6p0 >>215
82年センバツ準々決勝、尾道商は惜しい試合で野中中京に逆転負けしたね
尾道商左腕の川上は粘り強く投げてたし、7回裏に逆転した時はイケるかと思ったが・・ >>216 これは貴重。
松山商-三沢が高校野球にハマった原点だからね。この試合の初回だけ見て友人と遊びに
行って家に戻って来たら9回で未だやっているのと思ったら、18回まで決着が付かず。
友人共々引き込まれた。特に15、16回は声も出なかった。
実はその翌日は家族旅行で東京までドライブだった。父親に予定の変更を懇願したが
却下され、車の中のラジオ観戦となった。しかし早々に点が入って、変な感じがした。 >>57>>75
初回も二死から山口が三塁打、松井敬遠
3番松井、4番山口だったら・・・
ちなみにもうすぐ退任の星稜・林監督が2年生の2番打者
3年前の夏甲子園4強済美・中矢監督が明徳義塾の控え選手 >>210
逆指名制度があった時代のプロの世界では、金銭面はともかくとして流石にレギュラー確約した球団の話題は出てこなかったが、高校野球レベルなら、あっても不思議じゃないな。 >>217
そうそう。尾道商が選抜でやられて、夏に広島商が中京と当たった時、勝てる気がしなかった。
終始押され気味の試合で再三のピンチをしのぎきり、1−0で逃げ切った時は「これぞ広商野球!」と思ったが、
翌日の決勝で池田のパワー野球に大敗し、あの中京戦はかえって「もう広商野球の時代じゃない」と高校球界に知らしめる伏線になってしまった。 >>215
甲子園では中国地区の高校とよく対戦していた
岡山南、益田、関西とも対戦 >>221
中京側から見れば、広島商に負けるとしたらああいう形だろうなと思っていたのが現実になってしまったねえ。あの大会は野中が春より安定していた反面、打線の中心の4番森田が絶不調だったから 池田と広島商との決勝戦もある意味で歴史的な一戦だったと言えるかもね 高校野球のスタイルが変わったことを示したと言える >>224
そうだね。
当時は「決勝で2-12というスコアはひどいな…」と思ったが、大差がついたからこそ高校野球のエポックメイキングになった試合だったと今はわかる。
近年の大阪桐蔭13-2金足農とか、花咲徳栄14−4広陵とか、日大三11−0光星学院などのような単なるワインサイドゲームとは意味が違う。 それ完全に「昔はよかった、それに比べて今は…」入ってますやん >>226
おっさんが集まるスレだから、それでいいんじゃない? 荒木大輔榎田水野桑田清原全員と対戦し横浜商の三浦が言うには
榎田PLは上手くやられただけで印象はない肋骨疲労骨折して痛くて苦しかった記憶の方が強い
水野池田は10回やっても勝てない位力の差を感じた完敗
桑田清原PLはフォークが落ちなくて清原に打たれたのと
桑田の対応力が1年生とは思えなかったのが印象
池田の敗けと太れなくて球速球威不足でプロで通用しないのは完全な力敗け
清原に打たれて敗けたのだけは理解出来なかったらしい
フォークは池田打線対策の為の新しい球種
もう1度清原の打席やり直せるならカーブを投げる勝ちたいから打ち取れる可能性ある球投げる言ってた 大阪桐蔭13-2金足農は他のワンサイドとちょっと違うと思うんだよな
なんかここもひたすら金農旋風苦々しく思ってる人いるけど
良くも悪くも大会の球数制限決断させた試合じゃない? 準決勝久留米商戦前の練習中7ー0PLリードてラジオ流れて間違えてると全員思った
甲子園ついて水野江上の表情みたらモチベーションなくなったらしい
PL打線の印象は特になく清原に打たれたフォークがあの時だけ落ちなかった
三浦の印象では池田が飛び抜けて強かった
桑田には上手く対応されたけど >>229
上原も大谷のニュースの時間あるならポストシーズンに日本人で唯一残った澤村をもっと報道しろ!1面にしろ!言ってるし
野球の人て目立つ人嫌い?なの上原も50近くなるのに痛いわな
ホームラン王争いして130イニング投げて150奪三振MVP最有力選手をニュースにするのは当たり前だろ
怪我したりコロナ離脱する不安定な中継ぎに時間割り当ては無理なのわからないのかね 大阪桐蔭と金足農の決勝戦は高校野球の平成版と昭和版の対決という点で100回大会に相応しい対戦だったと思う
そして大阪桐蔭が圧勝したことで時代の流れを改めて示したというのは都合良く解釈し過ぎかな? 高校野球の歴史を変えた試合
1982 池田 12−2 広島商
1983 PL学園 7−0 池田
2000 智辯和歌山 11−7PL学園 まぁ第100回大会語るのは10代20代の人が語ったらいいジャン?45回優勝の
明星監督はプロ42勝投手の真田氏 この真田氏がバッティング投手もやって
仮想池永で大いに効果があった、 第40回優勝・柳井 これは無欲の優勝だ
出場も記念大会で山口が広島と分離して単独県になったのでラッキーだった
そうだ従来なら広島商を破らねば甲子園に出れない >>229
漫画なら金足農が劇的な優勝で終わるんだろうが、そうはいかなかったね
昔から大阪勢が好きなので、このスレでは不人気の大阪桐蔭ファンなのですが、大阪桐蔭にも前年の悔しいサヨナラ負けの雪辱を晴らすというドラマはあった
昔から縁もゆかりも無い大阪勢(PL、大阪桐蔭)をなぜ応援するのかと周りからよく聞かれるが、高校野球の盟主=大阪であり、その大阪を代表する学校を応援したくなる、という個人的な思いがあるんだよな
PLにしても大阪桐蔭にしても、ユニフォームは至ってシンプルなデザインで威圧感がありカッコいい
智弁とか天理とかの赤とか紫はちょっと違うんだよな 大阪桐蔭なら1991のチームが一番良かったわ
PLとは違う野武士軍団的な荒々しさがあって
次に2005の平田の代かな >>233
智弁和歌山とPLの試合は点差は4点だけど智弁和歌山はホームラン攻勢でPLを圧倒して、智弁和歌山の圧勝という感覚だったなぁ >>236
大阪桐蔭、最初に聞いたときは、最近で言うところの大阪偕星みたいな、ちょっとしたキワモノ感があったけど、いきなりノーノーでビックリした
まさか90年代はその年だけになるとは思いもしなかった >>233
>2000 智辯和歌山 11−7PL学園
この試合まででPLは対和歌山1勝4敗
歴史は変わらなかったという事実 >>239
そうか。79年の51回選抜で前年夏の勢いそのままで阿部のサヨナラホームラン等神がかり
的勝利を続けていたPLが準決勝で9回表終了時まで3-1とリードしながら裏に同点、10回に
サヨナラ負けを喰らった相手が箕島だった。54回選抜準々決勝で箕島に一矢報いたのが唯一
の勝利だったのか。 2000年の智辯和歌山−PLは対和歌山とかじゃなくて、それまで高校野球界の盟主(やや落ち目だったが)だったPLが智辯和歌山に完全に主役の座を奪われたという意味で歴史的な試合だったと思っている
あのPLの選手達が智辯の猛打にビビっていたからな
もう泣きそうな感じさえ伝わってきたわ
勿論、その年のPLは2年生中心で来年のチームだったわけだが、そんな事関係なく、観ている者にとってはあのPLが嬲り倒されてるという衝撃を受けたものだ
点差は4点だったけど、内容的には圧倒されてた 逆に智辯和歌山の時代も終わりかなぁと感じさせられたのが2008夏の常葉菊川戦
あの試合は常葉菊川の得体の知れない爆発力に圧倒されまくっていたな 菊川のビッグイニングは他の試合でも見られたけど、とにかく手が付けられない
前田のレフト中段への特大ホームランの時、一塁手の坂口が泣きそうになっているように見えた
その後の猛反撃は往年の智辯和歌山の意地を見たけど、結局は届かず敗戦
この試合を最後に智辯和歌山は甲子園では早期敗退が目立つようになっていった >>241
PLらしい野球というのは、今思えばあの年で終わったような感じがするな
翌年の不祥事以降は明らか過去の学校という感じしかしなかった
ちょうど大阪桐蔭が再び台頭し始めた頃だったから、特に04年なんか大阪桐蔭出せよと心底思ったもんだった
最後の輝きは大阪府内で無敗だった09年だったわけだが、それでも甲子園では春夏ともに2回戦敗退
やっぱ大阪は大阪桐蔭でないと無理だなと確信した年となった
2013年以降、PLが監督不在などで急速に没落に向かう最中、にわかに新聞でもPLの記事が多くなったが、それも何か哀れに見えた
大阪桐蔭みたいに強すぎて嫌われるうちが華なんだな >>242
智弁和歌山の全盛期は97年〜00年で、その後もしばしば上位進出する等、力を見せ付けてたね
05年に初戦敗退した時はあれ?っと思ったけど
常葉菊川戦はかつてのPL戦で自分達がやったことをやられてるような感じになってた
その後も早期敗退がちらほらあり、極めつけは15年の津商戦
エラー連発で負けたときには完全に終わったと思った
でも今年見事に完全復活して、まだまだこれからも面白い試合見せてくれそうだね 90年代後半から00年代中盤にかけては智辯和歌山と横浜が力を示していたな その後に大阪桐蔭時代が来るわけだけど、その前の過渡期に突如現れたのが済美や駒大苫小牧や常葉菊川らの新勢力
この3校も強烈だったな 最大瞬間風速みたいに短い期間に甲子園を駆け抜けて行った 一過性の台風みたいに 智辯和歌山は今年優勝して復活した感はあるけど、かつてのようか圧倒的な強さを今後維持出来るかどうかは微妙だろうな
やはり一度頂点に君臨した学校は同じようなピークを再度作るのは難しいと思う
頂点君臨できるのは10年前後説というのがあるけど、確かに過去の歴史が証明している
今の王者と言えば大阪桐蔭だけど、91夏優勝は別として本格的に桐蔭時代を迎えたのが2008優勝前後からだろう
二度目の春夏連覇したのが2018年 その後は甲子園に出てきても苦戦している 恐らく、大阪桐蔭時代もそろそろ下り坂に入ってきている 90年代のPL同様にしばらくは甲子園で出てきて上位を賑わすことはあってももう優勝することはないんじゃないかな そして緩やかに衰退に向かっていくはず >>244
俺は03春の徳島商戦で0-13の惨敗した辺りからあれ?と感じ始めた。
この試合まで智弁和歌山は甲子園で完封負け喫したことがなかったんだよね。負けても何かしら爪痕は残してた。
その辺りから序盤でも好投手に力負けする試合が増えたように思う。
05夏は柳田から11安打放ってるからまだ分かるのよ。佐藤由規や成田の中川にはビッグチャンス作れずに負けた。
90年代後半の打線なら、東洋大姫路の佐藤や都城商の新西クラスの好右腕相手でもあそこまでやられることはなかったと思う。
田中マーは別格だけど… 智辯和歌山が和歌山の絶対王者だった頃と違うのは市立和歌山、和歌山東と準決勝以降でも県内に邪魔する存在が出てきたということ >>245
高校野球の歴史上、「一過性の台風」のような学校は色々あったと思うけど、2004~2006年の駒大苫小牧は最大の台風じゃないかな。
1年か2年だけ、一過性の台風のように高校野球界の頂点に君臨するというパータンの学校は色々あったと思うけど、
一過性の台風のような学校が3年に渡って高校野球界の頂点に君臨したという例は他になかったと思う。 >>246
PLって、なんだかんだで1987年の春夏連覇以後、甲子園で一度も優勝していないからな。
1988年夏に優勝している広島商と比べても、甲子園の優勝から遠ざかっていたんだよな。
大阪の中だけで見ても、大阪桐蔭、履正社のみならず、上宮や近大付属と比べても、PLは甲子園の優勝から遠ざかっていた。
1980年代の黄金期の強さが強烈過ぎて、この事実が見過ごされがち。 >>250
98年の松坂横浜との死闘とか94年95年の福留のいた時代があるから強豪のイメージは残っているが、確かに優勝は87年夏で打ち止め、夏の優勝回数は大阪桐蔭に抜かれている しかし、PLのOBはYouTubeで思い出話するのが好きだよなぁ またこれが面白い
過去の自分達を肯定したいだけという批判もあるけど、あれだけ寮生活で辛い経験をしたのに今は仲間と笑って話せるというのはある意味羨ましいな >>251
90年代のPLは攻守にスキが見られるようになった。98年は春夏ともに横浜に負けているが、以前のPLならば少なくとも連敗はしなかっただろう。
優勝のチャンスだったのは94年春と99年春。94年は90年代のPLではもっともまとまったチームと思ったが智弁和歌山の勢いにやられ、99年は戦力的にはPLとしてはたいしたことなかったがベスト4の顔ぶれから間違いなく優勝すると思った。それが19残塁の拙攻で沖尚に競り負けた。 1999年選抜といえば、今治西が例によってベスト4の壁を破れなかったね。
準々決勝で九州王者の日南学園を下した時は今度こそ…と思ったが、水戸商に屈した。
一度でいいから、今治西と東海大甲府が甲子園の準決勝で当たって欲しいね。
どちらのベスト4の壁が高校野球界で最も高いか、マニア注目の一戦となることは間違いない。 >>250
あれが最後の優勝になるなんて、当時は思いもしなかった
大阪では、夏に関しては新しい甲子園優勝校が出るとそれまでの優勝経験校は優勝できないジンクスが続いている
大阪桐蔭はそのジンクスを打破できるかな
大阪の選手権優勝
1946 浪華商
1961 浪商
1963 明星
1968 興国
1978 PL
1983 PL
1985 PL
1987 PL
1991 大阪桐蔭
2008 大阪桐蔭
2012 大阪桐蔭
2014 大阪桐蔭
2018 大阪桐蔭
2019 履正社 大阪は岡田監督が退任する履正社の凋落が予想されるけど、ライバル校がいなくなるのは大阪桐蔭にとっても良いことではないだろうな
相変わらず、全国から逸材を集めているけど、最近は大阪府内でも圧倒的に勝つ感じではなくなってきた
しばらくは甲子園にも来て上位進出もするだろうけど、もう優勝までは届かないような気がする かつての王者達と同じように >>253
98春の8回、2-0とリードの一死二、三塁で松坂サードゴロ
もちろんバックホームするがこれが走者に当たり、セカンドランナーも還ってきて2-2の同点
確かに三塁走者の進路取りは上手かったが、ここを締めるのがPLだったはず
本塁で殺せていればこの試合をモノに出来てたろうな >>248
平成における和智弁以外の選抜出場校(21世紀枠除く)
箕島、日高、南部、伊都、日高中津、市和商、県和商
このうち平成の間に選手権に行けたのは市和商と箕島だけ
箕島に関しては和智弁の全盛期が終わってからの出場の感が強い
田辺や初芝橋本も一発屋で終わってしまった >>254
1977年の東洋大姫路と今治西の準決勝の試合も知らないニワカか? 1977の今治西は強かったなぁ
東洋大姫路との準決勝は事実上の決勝戦と言っても過言ではないぐらいだった
優勝候補の呼び声高い智辯学園や早実に完勝して、東洋にも0−1の惜敗 >>260
1回表、裏で40分以上かかって0-0。まさか延長になるとは思わなかった。 甲子園の後の青森国体の準決勝でも対戦してこの時も東洋大姫路が延長11回2−1で今治西を下している
この時の国体の記録見ると各校エースが先発完投している試合が多いな 東洋と今治も夏同様に松本、三谷の投げ合い 東邦は坂本を使わずに準々決勝で早実に3−4で負けている
決勝戦は早実が5−2で東洋を破り優勝したけど、弓田が優勝の瞬間泣きながら万歳している写真を見た記憶があるわ あの頃は国体もガチ勝負だったのかな? あの時の今治西は確かに強く、三谷投手が素晴らしかった。
早稲田でも1年生の時から投げていたが、4年時には見る影もなかったような。
清宮の早実と今治西の試合は、甲子園で見たが今治西はあまりに弱かった。
あの愛甲が、今治西は神奈川では5回戦レベルと揶揄したほど。 >>263
三谷は早稲田入学して1年秋の早慶対決で完封して優勝投手となり、六大学に三谷時代到来かと騒がれた。
2年春も6勝してリーグ優勝に貢献して大学選手権でも準優勝し、デビュー以来無傷の8連勝したがここまでだった。その後肩を痛めて4年間でリーグ11勝にとどまった。2年秋からはたったの3勝に終わった。三谷が完調ならば東大に勝ち点を落とすような暗黒時代にはならなかっただろう。 昔は早慶戦以外の6大学の試合、日米大学野球などもNHKで放送していて
高校時代から見ていた選手の活躍が見れた。
余談だが、神宮大会決勝での江川と原の対決は見たかったな。 >>263
あの年の早実と今治西の試合は、今治西の選手が初回からファーストベースにヘッドスライディングを何度もやっていたね
そして、5回表に早実がスクイズを失敗(サードランナーが本塁で憤死)して得点できず、その裏に今治西がスクイズを仕掛け、小フライとなったが前進してきたピッチャーの頭上を越えてスクイズ成功。
そこから大量点差の試合になった。
当時は抽選が毎回行われていて、準々決勝の組み合わせ抽選で最も当たりたくない相手が今治西だったよう。 >>252
流石に83世代と84世代では20年経った今でも語りあえないだろうな
片岡も一個上と和気あいあいとしゃべってるけど苦々しく思ってる同級生もいるんじゃない?
まぁ桑田の親父の証言だけだし事故の真相はわからんけど >>252
宮本慎也はPLの寮生活でネチネチになったの? >>259
>1977年の東洋大姫路と今治西の準決勝の試合も知らないニワカか?
おいおい、じいさん。おれは、東洋大姫路と今治西の対戦を見たいなんて言っていないよ。
「一度でいいから、今治西と東海大甲府が甲子園の準決勝で当たって欲しいね。」と言っているんだよ。
老眼なのか、近視なのか、その両方なのかはわからないが、眼鏡をかえたほうがいいぞ。 >>265
早実がハンカチ王子で優勝した2006年、
神宮の秋の早慶戦は、観客がガラガラで、某公共放送の解説者は「・・・早慶戦にしては、寂しいですね。。」とポツリと言っていた。
翌年、ハンカチ王子が早大に入学して神宮で投げたら、観客が戻ってきたとのこと。
斎藤投手は日ハムからヤクルトにトレードされ、神宮で投げればもう少し成績よかったのではないか と思ってしまう。 >>262
弓田は夏の予選から不調に陥ってエースの座も谷田部に奪われ、甲子園でも振るわず、今治西戦では勝負が決まってから谷田部をリリーフしたが渡部にホームランを打たれるなど乱打され完敗が大敗になった戦犯だった
夏に自分の力を発揮できなかった悔しさから3年生は引退という形になっても走り込みとフォームチェックをしてガチで国体に臨んだらしい 優勝投手となりリベンジできたと嬉しかったんだろう >>246
強さを維持できないのは何か無理があるからではないか?
PLの場合は「付き人」など厳しすぎる上下関係が存在していた。
時には人命が失われたこともあった。
大阪桐蔭の場合は過度な選手獲得に無理があるのではないかな。
まあ、分からないけどな。 今治西というと、三谷投手の頃は力感ある強豪校な印象だったけど
今でも時々出場してくるとはいえ、少し非力なイメージに変わったなー。 TL学園野球部三箇条
・うそをつかない
・陰口を言わない
・喧嘩しない
上級生との会話では「はい」「いいえ」以外使用禁止
笑顔禁止(歯を見せない)
一年生同士の私語は禁止
女を見るのも禁止
食事の時以外水を飲むのも禁止
手を挙げる時は親指をしまい、握りこぶしを作る
トイレは左端以外使用禁止
https://www.youtube.com/watch?v=8FvEXOqTw90&ab_channel=%E3%83%9F%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%AA%E3%83%BC%E8%AA%BF%E6%9F%BB%E5%9B%A3 今治西は2007前後の熊代がいた時はそこそこ強かった印象あるな 夏はベスト8で準優勝した広陵に敗退 前に書いたことがあるが、今治西は1971年(昭和46年)夏にも北四国代表で甲子園に出てるが、このときのチームが、
3年生がいない1,2年生だけのチームだったのが意外と知られていない。
1,2年生だけのチームといえば、2002年夏の石川・遊学館があまりに有名で、史上初の偉業みたいに報じられてた。
あのとき1971年の今治西の”偉業”に触れてたマスコミは皆無だった。 >>278 昭和43年夏松山商も三年生はたった三人。もっとも一色監督が超スパルタで選手をしごいたら
部員がどんどんいなくなった結果。
この年の二年生が翌年全国制覇する
同じ愛媛の今治西もスパルタに耐えきれず三年生が全員退部したのではと推測
余談だがあの「さわやかイレブン池田」も当初が部員が多かったけど若かりし蔦監督が
スパルタやりすぎで部員が11人しか残らなかったのが本当の事
当時は練習中に水は飲むなの時代
一杯の水の誘惑に負けて自分より素質ある選手がどんどん去っていったと
松山商井上投手が後に語っていた さっき、笠原チャンネルてので明徳中の寮生活を話してるのみたけど
PLみたいなのはアチコチあるんだろな
バレるか、バレないだけで >>277
1995年藤井のとき強かったがワンマンチームか。それ以上にやはり1981年藤本ー武田の
バッテリーのときが1番強かったのでは。
国体優勝したし。更に翌年藤本も武田も
三年になりもっと強かったはずだが出て
こなかったね。 甲子園球場で外野スタンドの階段が人で埋まると、観衆57,000人と発表していたね 藤井が壊れてなければ銚子商の打線抑えられたのかね? >>252
面白いねえ もちろん墓場まで持っていくような黒歴史もあるんだろうけど
YouTube以外ではイナリの野球流儀も読み応えあった ホームランの前進が月刊野球党でその前はなんでゴングだったんだ
ゴングてプロレス専門誌だろ 清原がみんな先輩に殴られてるのに桑田がやられたの見た事ない言ってたな
桑田は学校とそういう契約してたか条件あったかも…とも言ってた
ドカベン香川も中学の時から手を出すな言われてたらしいし牛島言うには
荒木大輔も実績ある兄貴がべったりだったしスターだから先輩誰も言えなかったようだな
箕島は春夏連覇した捕手の弟には1982年世代や吉井も気を使ったりあったのかね >>279
たしか山崎だったと思うが、1976年崇徳の主力選手の1人も「入学したころは僕らより才能のある選手がいっぱいいたが、辞めていった」と語っていたな。
プロに4人も指名されるチームで、それ以上の才能のある選手がいっぱいいたとは…と驚いた。
たぶん久保監督のような自分のチームの選手たちをほめたたえるタイプではなく、心身共に追い込むタイプの人物が監督をしていたのだろう。
あの選抜、「小山のピッチャーはうちの打撃投手以下」などの発言で物議をかもしたが、久保監督だからこそ崇徳のあの世代が光り輝いたのかもね。
実際、久保監督ではなくなった夏は甲子園に出場したが、サッシーにひねられたしね。 >>281
今治西の藤本らの世代が最上級生になった1982年夏、愛媛代表になったのは川之江。
松山商の酒井らの世代が最上級生になった1985年夏、愛媛代表になったのも川之江。 >>287
荒木大輔と兄の健二は4歳離れていなかった?
大輔が高校一年生の時、兄の健二は大学生
因みに、大輔と違い健二はパッと見が強面だったね 早実は荒木の時代でさえも上下関係は緩かったらしいね
その分、小沢なんかは早大野球部の封建的な世界に苦しんだとか 1980〜1990代の東洋大と青学大は上下関係緩かったと聞いたけどね。
どっちも監督のカラーでそうなったとか。
池袋駅で立教や東洋の野球部集団よく出くわしたけど、
立教と違って東洋は体育会特有の暑苦しさや威圧感を感じなかった。
明治はヤクザ集団化と思った。 >>291
あの当時、早大野球部の監督は宮崎だっけ?
小沢に対して「俺は、甲子園で優勝している」という態度で接したという情報もあったね >>287
桑田が入学の条件として鉄拳制裁はしないなんて契約を入学前に交わすなんて不可能だったと思うけどな
PLの寮生活がどんなものか知らずに入学するのが殆ど
清原の被害妄想だろう だいたいキャラ的にやられやすい奴とそうじゃない奴って、野球部に限らずあるだろうし
桑田は年齢に似合わず近寄り難い雰囲気を当時から醸し出してたんじゃないかな 要領の良さもあっただろう
立浪も殆ど制裁受けなかったらしいけど、何となく分かる >>291
上下関係は厳しかったけど暴力は一切なかったよ 桑田は首脳陣に練習時間の短縮を訴えて認めさせてしまうほど自らの実績と説得力を持ち合わせていたわけで、当時のメンバーの中では段違いに大人びていたんだろう
たとえ上級生でもコイツには太刀打ち出来ないと感じさせる雰囲気を持っていたと思う 清原は桑田の凄さを一番理解していただろうからコンプレックスも強かった KKコンビと呼ばれても結局は桑田が先 屈折した想いを抱えていたところにダメ押しのドラフト 桑田を逆恨みしたくなる気持ちは理解できるわ >>294
立浪は桑田きっての希望で部屋子になった
だから部屋での雑用は同期と比べれば皆無に等しかった
清原の部屋子になった橋本は… 早実の小沢が何かの雑誌で語っていたが、2年生の時、3年生と仲が悪く
全く口も利かなかったとか。サインプレーの確認とか本当に困ったと語っている。 >>297
覇者交代となった83年の池田戦も桑田の一人舞台だったし
KKコンビとはいえ5度の甲子園で清原が桑田より目立ったのは
3年の夏だけだった
やっとのことで桑田を追い越せたと思っていたところに
あのドラフト会議の展開は生涯忘れられないだろうね >>298
立浪は、桑田の部屋子だったのは有名だけど、「永遠のPL学園: 六〇年目のゲームセット」を読むと、
清水孝悦が卒業後にPLを訪ねた際に1年生の立浪からお茶か何かを出してもらい、「さすが、俺の部屋の子だ」と言ったらしいね。
つまり、桑田は清水孝悦の部屋子だったのかな?
だとしたら、桑田は清水孝悦のことは嫌いだろうね。
清水哲のことは好きみたいだけど。 今の清水孝悦をYouTubeで見るとホント気のいいオッチャンって感じだけどな >>287
箕島でも御坊商工でも和歌山のヤンキー学校は後輩いじめの文化はない。
同級生同士の殴り合いは日常茶飯事だったが。 桑田は1年生投手で早い段階でエース的位置にいたから
上級生に大目に見てもらえただけでしょ
一度投手クビになって外野に飛ばされたときは
母ちゃんに泣きついてたくらいだったと本人も言ってたし。。。 >>298
桑田は立浪の事についてまわりに「この子は将来プロ行く子だから、絶対潰したらあかん」って言ってたんだよ。
でも桑田の眼力も凄いよな。 そんなに凄い選手ばかりのPLだけど
NPBの監督になった人は尾花高夫(元横浜)1人だけ。
PLで甲子園に出た選手では未だいない。
西武次期監督が有力だと噂される、松井稼頭央がどうなるか?
横浜も大阪桐蔭も。 宮本はそのうちヤクルトの監督になりそう。
あと、将来的に可能性があるとしたら福留と今江くらいかな。 >>309
立浪を忘れているぞ
中日の老害オーナーが引退して1年、地元では立浪監督待望論がある 中日の監督は
鈴木孝政にやってほしい と思うのはオレだけか?
投手出身の監督が続くから、ないだろうけど・・ 旧い話だが浪商の尾崎も先輩からの理不尽なしごきは皆無で
他の下級生が制裁されている間も先輩に囲まれて仲良く雑談していたとか。
入学前からレギュラーと混ざってエース格として練習していたから
尾崎の突出した実力は先輩も認めていて
「僕が投げないと浪商は甲子園に行けないと先輩も分かっていた」
と尾崎は回想していた。 実力で先輩に大目に見てもらってたパターンじゃないけど、
PLの金石昭人も上級生からの雑用が少なかったと自分で言ってたよ
叔父が400勝投手金田正一の口利きでPLに入ったのがあったと思う、とさえ
ユーチューブで本人が話してた >>293
その監督に「3、4年生に目をつけられてるぞ!みんな小沢をシメテやりたいと言ってる!」と入部早々に言われた
妬まれて同級生すら冷たくて孤立してたようだな
退部は肩の故障強調してるけど孤立と上下関係の厳しさが原因のようだ
退部して早実のコーチしたけど当時は王助監督て言葉が流行って
小沢も早実助監督とか美談したんだろうな 小沢は肩の治療で大阪行って甲子園現れてマスコミ騒ぎなって
早稲田OBとか都合悪かったのか卒業したマスコミ先輩が自宅まで来て「インタビューさせろ!」言って
肩痛くて精神的に無理と答えたら写真とられて
翌日「小沢退部危機」とか記事なって
追い詰められて監督にも退部届け出せ言われた
どちらにしても退部は時間の問題だったようだがな 清原って1年の時から圧倒的実力あったのに上級生もよくいじめたな。
やっぱり投手と野手との違いか? 桑田も清原も2年生からはもう一目置かれてたんじゃないか?
普通の2年生じゃないやん。
実質苦しかったのは、入学してから8月ぐらいまでだろう。 PLの虐待体質を改善しようと立浪片岡たち世代は
「自分たちが三年になったら絶対に下級生虐待は辞めよう」と決心した
実際に虐待は無くなりチームの春夏連覇
しかしほどなく虐待復活、つまり自分たちは虐待されなかったのに
下級生を虐待したゴミみたいな世代があった
コイツらは二度とPLOBを名乗ってほしくない 小沢退部は本当に驚いたし
その後お大越退部にはその数倍驚いた
つい先日まで早慶戦で好投してたから
監督とかコーチは何やってたのかな 甲子園メンバーを選ぶ前に父兄から1年生は早いと反対されて
中村監督が教祖と相談したこともあるとかの話もかなり知られてる
そんなくらいだから、(清原と違って)桑田は投手だったのが大きいでしょうよ
学校のクラスのいじめ問題じゃなく、寮の部屋子(上下)制度の話(PLの伝統)やで >>318
それもユーチューブでOBらがよく言ってるな
宮本慎也が野球人生で一番嬉しかったのは、PLの2年生になった日
とか言ってなかったっけ? >>322 宮本の二学年上はあの霜村世代か
戦力的に谷間だったのは仕方ないけど人間的にもクズの集まりだったな
今江朝井桜井世代も暴力事件で出場辞退したクズ世代
暴力事件の首謀者をドラフト指名して世間を驚かせた球団があったらしい 桑田の投手としての起用は清水コーチの力が大きかったとのことだが、YouTubeで桑田が語っているのを聞くと出会いとか縁というのは凄いなと思う >>324
恋愛・サラリーマン・アスリート
どんな世界でも同じ事が言えるが、
どんな人間と出会うか、、
生きていく上で一番重要な事。 >>320
大越は入学以来、ほとんど練習に出ていないだね。
大越自身は先輩たちからいじめられたわけではないけど、同期の山田が先輩たちから凄まじい虐めをうけているのを見てびびり、練習に行かなくなったとか。
1年生春の「勝ったほうが優勝」という早慶戦での活躍は、ほとんど練習せずになしえたものらしい。
勝ったほうが優勝の3戦目、4年生でエースだった市島は途中で大越にマウンドを譲るのがいやだったが、チームが勝てる可能性は大越のほうが高いと捕手に言われ、マウンドをゆずったとか。
年功序列が支配していたんだね。
山田も結局退部し、準硬式からプロ入り。
1年生からベンチに入っていた3人のうち、残ったのは仁志だけだった。 >>305
その頃、PLでは野村弘樹が松山主将に戦々恐々としてたという噂があるけど本当かな?今でも松山の名前聞くと顔がひきつるとか。 大越は早稲田の非近代的な体質に嫌気がさしていたとか。
高校時代は、自分で考える野球だったのが、大学では上から言われるまま。
高校時代の竹田監督は、真っ先に坊主頭をやめたような人だった。
練習試合の連投は禁止、練習中の水分補給もOK。
大学の監督になってからも、大学への学生服での登校禁止、教室でも絶対に野球部だけで
固まるなとかの指導。 荒木大輔が早大に入学していたらどうなっていたんだろうね >>319
>>329
宮本は、ライターをしていた頃の橋本清との対談で、いじめられていた思い出を話していたよ。
宮本世代をいじめるとしたら、立浪世代なので、やはり立浪世代もいじめはあったんだろう。
立浪世代より上の世代のいじめよりは軽かったのかもしれないが。
まあ、何位せよ最悪は、南を溺死させた霜村世代だよな。
よく親が泣き寝入りしたと思う。今なら考えられないね。 >>319
>>329
宮本は、ライターをしていた頃の橋本清との対談で、いじめられていた思い出を話していたよ。
宮本世代をいじめるとしたら、立浪世代なので、やはり立浪世代もいじめはあったんだろう。
立浪世代より上の世代のいじめよりは軽かったのかもしれないが。
まあ、何位せよ最悪は、南を溺死させた霜村世代だよな。
よく親が泣き寝入りしたと思う。今なら考えられないね。 >>330
江上とか取手二の石田とか、この時代は甲子園のスターが早稲田に行くと上級生の僻みで軒並み苛めを受けていたから、やばかったかもな。
聞くところによると、今は甲子園のスターを苛めたりして万が一退部に追い込む等したら、直ぐに犯人はこいつだ!と加害者側が週刊紙やネットに晒される時代だから、有名になりすぎた奴はかえって苛められないと聞いた事あるけどな。
だから、ハンカチもその類いの話はほとんどなかったと思うよ。 野球で大学に入学する際、
「あの大学は上下関係が凄い」とか、「あの大学は上下関係なく、みんなノビノビと野球やれる」とか、
情報を仕入れなかったのだろうか?
明治とか法政に行く選手は、そんなの覚悟で入学してたと思うのだが、
早稲田も当時は凄かったということか。当時の自分は早稲田にそんなイメージなかった。 >>331
秋季近畿大会準決勝で天理に逆転負けてベスト4の数日後の出来事
選抜確定してたな
わざとやった事件じゃなくて事故ということになったんかな
死ぬとは思わなかった…みたいな?
実際のとこわからんけど、今なら連日報道されて追及されたやろね >>327
松山って中学時代はのんびりした穏やかな性格だったと
後輩の杉浦正則が話してたけどな。
バッティングでもピッチングでも守備でも松山さんにはとてもかなわかったとも。 >>335
セレクションでしか選手を取らない法明と違って
早慶は一般入試生徒でも受け入れたけど、
早稲田の一般入部組に対するイジメは酷かったらしい。
スター選手だけでなく雑草も上級生にしめられた。 法政大も虐待は凄かった
江川世代が一年生の時のスタメン
四年生は新井(南海近鉄など)だけ。二年生ショート高代(ハムなど)がいて
あとの七人は全員一年生
五明監督の方針だったけど試合どころかベンチにも入れない上級生の虐待も酷かったと
高代や江川が語っていた >>338
早稲田の場合ダメだったのは、早稲田実出身者には上級生も甘かったということだよ
ダブスタで、上級生が下級生をシメる中、早実組はシメないという理不尽 >>339
そのときの反省から、江川4年のときに金光キャプテンは最上級生は下級生に対して理不尽な行為をしない、できる限り身の回りのことは自分で行い下級生にやらせないと最上級生に自覚を求め、虐待の連鎖を断とうとした >>330
荒木は早実だから虐待はない
早実出で早稲田大学野球部OBの重鎮が多いからね もちろん早実出身者すべてが安全ではなく、上下関係を乱すと思われた奴はシメられる
いわゆる空気の読めない、自己主張の強い奴マイペースな奴すぐ顔に出る奴は駄目
小沢もそういった点で狙われてたんだろう >>339
江川卓原作 本宮ひろ志作画の漫画"たかされ"でそのあたりは詳細に触れている
というか、江川が自叙伝をコミカライズにあたって
大学一年編を入れる事を条件に入れたんじゃないか! 子供の頃から、勝利校の校歌演奏シーンが大好きなんだが、分かる人いる?
特に関学とか済々黌みたいに、滅多に出ない伝統校がここぞとばかりに大応援団引き連れてきて、勝利後の校歌が流れる時に甲子園全体に響き渡る大合唱となるのが好き >>344
たかされ作中東大戦で円陣の中で江川にパンチ乱打した主将が
元球児の経営者特集だかで数年前に経済誌に出てた
法政で恐れられてたのこの人かぁと思いながら記事読んだ ふと思ったけど、高校スポーツで勝ったら校歌を斉唱するのって、野球ぐらい?サッカーやラグビーもやるんだっけ?
校歌斉唱も様式美そのものって感じがするな 別に批判するわけじゃないけど、他の競技でそういうのをあまり見たことがない サッカーはやってなかったっけ?
様式美、まさにそうだね
好きな校歌演奏シーン
選手を8人くらい映す→歓喜のアルプススタンドの光景→ポールに校旗が翻る→ベンチの監督、部長、記録員→残りの10人の選手を映し、サヨナラ打等、その日の殊勲選手をドアップで締める 日本の高校野球って、良くも悪くも様式美の競技だよね
試合開始時のサイレンとか、坊主頭が主流とか
試合終了後の挨拶の後も握手した、しないで色々言われるのも握手するのが様式美で観ている人達のおさまりも良いからだろうな 試合後の握手は昔は禁止だったような記憶がある。
佐伯天皇の頃だったかな。
感動的な試合は特別に握手を許可とか
何が基準か解らなかった。 個人的には挨拶後の握手は不要だと思っている
昔は握手せずも次も頑張れよって感じで声を掛けて去っていく選手がいたけど、その程度で充分
今は握手しなかった学校を非難するような風潮があって気持ち悪いわ 頭下げて礼を終えた時点で相手に対しての礼儀は尽くしているのにね
観ている側が押し付けているようで嫌だな 地方の初出場の高校だと、数十台から時に百台を超える台数のバスを連ねた応援団がスタンドを埋めていた時代だね
今では、浜甲子園の駐車場の紹介も無くなったね さらに過剰なのが、勝利チームが校歌斉唱後、相手ベンチへ向かって一礼してからアルプスへ向かう学校が増えていること
これって何の意味があるんだろう?
相手に対して何度頭を下げれば気が済むのかと >>351
2006年の決勝戦、15回が終了して整列、挨拶を終えたあと、両校の選手がお互いに一瞬歩み寄ろうとして審判団を方を見て、そのまま離れていっているね でも本音は、地方予選決勝で負けたチームは握手どころか挨拶もしたくないだろうな。甲子園に行けるか、旗一本盾、メダルかの大きな違い。 >>351
まぁしたけりゃすりゃいいし、したくなかったらしなくていいよね
強制は良くない
印象的なのは92年の西短-拓大紅陵の決勝戦の後の整列
握手で歩み寄る両校に対してNHKのアナウンサーが「どちらからともなく、戦った者同士の握手です」とアナウンスしたのが、何か清々しく感じた 昔の映像見てたら負けたチームが応援団に挨拶する時間が今と比べられないくらい長かったんだな
今なら応援団に一礼するだけなのに >>350
箕島一星稜をふりかえって、主審の永野さんが「両校選手が終了後に握手をすることは禁じられています。でもあのときは自然とああいう握手になったので私は黙認しました」とか後日話していたからやはり禁止されていたのかな。佐伯天皇最後の大会だが。 来週ドラフト会議だけど、同じチームからドラフト1位投手が複数出た高校は、
自分が知っている範囲では以下の通り。逆指名枠の投手も一位に数えた。
ドラフト1位の投手が複数出た高校と夏の成績
1977年東洋大姫路 松本、宮本→全国優勝
1984年箕島 杉本、嶋田→初戦敗退
1985年東北 佐々木、葛西→ベスト8
1985年高知商 中山、岡林→ベスト8
1999年桐生第一 正田、一場→全国優勝
2005年大阪桐蔭 辻内、中田→ベスト4
2016年作新学院 今井、入江→全国優勝
中田はどう見ても野手で指名されたけど、正直、中田以外の控え投手は役に立っていな
いので、あえて入れました。春日部共栄戦の好リリーフがなければ桐蔭は初戦敗退
していたかも。岡林なんか2年時は登板していないのでは。箕島の初戦敗退を除くと
ベスト8以上に殆どが進んでいて、やはり強いですね。投手で入部後、野手になるパターン
が名門では多いから、好投手が多いチームは投手失格になったけど、野手としての能
力の高い選手も多かったのかも。 >>360
1982年池田 畠山、水野→全国優勝
が抜けているぞ >>353
最近そういうの増えたね
相手に配慮するというか
智弁和歌山も優勝の時に歓喜の輪を作らなかったが、高校生らしく素直に感情を爆発させればいいのにと思う
もちろん過剰なパフォーマンスみたいな喜びかたはダメだが、まだ18歳の子供
嬉しい時は喜び、悔しい時は泣けばいい
この年になると、そういうのに感動を覚える >>360
中田は2年生の春の時点で既にMAX152キロ。
ただ、同時期に肩を壊して事実上投手生命を断たれている。
本来、西谷さんは中田を投手で育てたかったようだ。
故障がなければ打者よりも投手として凄い選手になっていたとおっしゃられていた。
最上級生になり再び背番号「1」を背負ったのは、本人の投手への意欲が強かったのと他に計算出来る投手がいなかったため。
ただ、センバツでは本来の投手中田の姿はなく、夏に至っては大阪大会も勝ち抜けなかった。
打撃で生きていくきっかけになった事に対しては、それでよかったのかもしれないが。 >>364 石井丈裕は(ドラフト拒否を声明していたためか)ドラフト2位。
よって石井が指名される実力があって、沢村賞を取っても>>360 のリストには入らない。
2位を含めて良いなら
1973年作新学院 江川卓 大橋康延
というのもある。大橋は中学時代はともかく高校では殆ど実績がないのに江川と一緒で
機会を失った悲劇性が強調され過ぎて(水島新司もこのネタを複数漫画にしている)、
過大評価されたきらいがあった。プロ入り後はサッパリだった。 1971年の津久見て前評判高かったみたいだけど強かったのか
橘?て投手は江川みたいな存在だったのか
江川意外に100点評価投手いたんだな
江川だけだと思ってた 津久見てヤクルトの川崎のイメージ強かったけど
他にも投手いたんだな >>367
高橋直、吉良(懸河のドロップで選抜優勝)、封l浦、橘と好投試閧フ宝庫だったbシ
72選手血優勝投手水江b熏qイドラフト >>368
高橋直樹はファンだったわ。カッコよかった。
wikiで調べたら、勉強できたみたいで
中学時代は大分県全県の模試で26番、
津久見高校普通科の入学試験ではトップの成績で合格。
早稲田も一般入試で合格と文武両道だったんだ。 >>366
確かに選抜の下馬評ではジャンボ橘を擁する津久見が本命視されていた。だけど
初戦でコロッと負けて、夏は予選落ちで印象ゼロ。橘はドラフト3位で近鉄入りして
活躍した印象はなかったけど、改めて調べるとそこそこ勝っていた年もある。
ジャンボという異名の高校生投手の走りだと思うけど184しかなく翌年の仲根から見ると
印象が薄いのは致し方ない。
津久見を破った県岐阜商の堀は好投手で、選抜では次戦で新日鐵名古屋でも活躍した
鈴木のいた木更津中央に競り負けたが、夏はベスト8で日本代表で海外遠征しているな。 >>370
堀は明治大学で島岡御大の逆鱗に触れて干された >>360のリストは、大学社会人になってからの一位が含まれているし、同学年でないコンビもいる。
同学年で高3時に二人の投手がドラフト一位というのは84年箕島の二人しか思いつかない。たしか阪神と広島が嶋田を指名し、くじで外れた広島が杉本を指名したんだよな。投手と野手だったら76年崇徳、柳川商業など多数あるが。
一位に限らないで高3時に複数投手が指名されたとなると、73年作新のほか、83年中京の野中(一位)と紀藤(三位)、87年PLの橋本(一位)と野村(三位)あたりが真っ先に思い浮かぶ。 津久見は1968年夏の記念大会でも優勝候補だったが、
盛岡一に悪夢の1イニング7失点が祟って敗北。 島岡御大の逆鱗に触れて干されたと言えば1977年夏全国制覇メンバーの
東洋大姫路の安井も挙げられるが、いったい何をやらかしたんだ?
安井が夜遅く自転車で帰寮するのをタクシーで通りががった島岡御大に見咎められたらしいが、
それ一度だけで干されたとは思い難い。
何度か門限破りが累積していたのかな? >>360
1981年PLは、エース西川が法政経由で1985年南海に1位指名、2年生の控え榎田が阪急に1位指名だね。
榎田は優勝した選抜ではベンチ外だったが、夏の予選では投げていた。甲子園には帰ってこられなかったが。
1962年作新は、この当時にドラフト制度があれば、争奪戦の末に中日入りした加藤が1位指名されていたろうね。
本来のエースだった八木沢は早稲田経由でロッテにドラフト1位指名されたので、ドラフト1位指名されるレベルの投手が2人いた例ではある。 >>373
ライオンズで主力を長年張った太田卓司を主軸とした打力のチームだった >>362
最近の高校野球は良くも悪くも品行方正になったな
3年間の継続率も高くなっているようだし、昔みたいにたくさん入ってたくさん辞めるじゃなく、良い子達が正しく野球をやっているという感じかな NPB最強投手の山本て都城だったんだな
都城といったら田口が有名だったけど
宮崎は寺原の時が優勝の最大のチャンスだったかもな戦力的には
1983年の高鍋は宮崎大会圧倒的強さで勝ち上がり池田にも自信満々で挑んだ… >>363
石田、那賀、福島と投手の頭数は揃ってたんだけどね。
速報甲子園への道でイッツ翔タイムなんかやるから… >>380
中田がその世代の超目玉と思われてたんだろうけど
イッツ ショー タイムはやり過ぎだと思ってた。 都城の田口、元プロ野球選手のセカンドキャリアをサポートするような仕事をしているんだな。
高校時代はワイルドな感じだったが、今の写真を見たら、知的なサラリーマン風で、眼鏡もよく似合っている。
なんか意外な感じがするね。
藤王タイプではなく、牛島タイプだったんだね。 >>379 都城の山本選手と言えば
「桑田くん、ホームラン打たせてねw」
の山本くん! >>379
最近は甲子園出ない選手の方がNPBで活躍してるね
勝手な想像だが、高校段階では、強豪に行って消耗するより、育成力のある学校行って将来のステップアップにしたいと考える選手が増えてるのかもしれん
山本由伸の同級生達は甲子園未出場組が躍動してるね
牧、佐藤輝明等
広島で無双してる栗林も愛知黎明とか聞いたこともない学校だ >>385
栗林は下級生のとき、愛知黎明で夏の甲子園で愛知県決勝までいっているんだがw
投手ではなくショートだったけど サトテルも中学卒業時には野球熱は冷めてて、高校入学後も友人に勧められなければ
サッカー部に入ってた、とか言ってるぐらいだから育成力のある高校も何も無いよね
選んだ高校も家から近いからとか言ってるし 高校時代にこれ以上ないほどの達成感を得た選手よりも、高校時代に悔しい思いをしたほうがプロに入ってから「見返してやる」という思いが強くとよいかもね。
中日の大野も大学時代、「早稲田のユウちゃんに勝って、名をあげたい」と思っていたと言っていた。
彼も高校時代、後輩の本田の影に隠れていたしね。 >>387
佐藤は突然変異だね
今年だけの一発屋で終わらないと良いが
打つにしても打たないにしても何かと派手なことやってのける華のある選手だ
彼も、高校の途中から、甲子園は別に出なくてもいいからプロには絶対行きたいと思うようになったと言ってるように、今の子達からしたら甲子園の価値が下がって来てるのかなとか思うことがある
イチローも佐藤と同じ事言ってたな
高校で野球人生終えるような一般選手からしたらその集大成が甲子園ということになるのだろうが、プロ行くような選手からしたら、甲子園行こうが行こうまいがこれからも長く続く野球人生の一つのプロセスに過ぎない、というような感じなんだろうか
俺たちギャラリーからしたら、怪物を甲子園で見てみたい、となるけど選手からしたら別にそうでもないのかなと >>389
山本由伸が宮崎出身とは誰も言ってないやん
都城高校出身てだけで >>385
愛知黎明は知らなくても弥富は聞いたことない? >>392
愛知黎明って弥富のことだっのか
01年バスの事故で選手がケガしてたね
ただ甲子園出たけど >>387
近大以外の生活のすべてがここまで西宮市内で完結してるの凄すぎ
こんな選手そういないんじゃないの 360
地味に、1976年柳川商ー久保、立花と
崇徳ー黒田、山崎が抜けてる。
地味じゃないけど、1974銚子商の土屋、篠崎も。 >>394
スゴイよね
佐藤輝明は運もあった
仁川学院の監督が近大の田中秀昌監督に紹介して一目ぼれ、近大の推薦枠が埋まってたから
短期大学で入学させてる
仁川の馬場監督が動かなければ無かった話
プロやアマチュアスカウトも気がつかなかった人材、仁川学院で特別な結果も出してないんだから
甲子園に行けないのも当たり前
佐藤輝明と同じ方法でプロ野球に入りたい子が沢山いるなら
ぜひ頑張って欲くれ! そういえば、阪神近本って兵庫の社出身なんだね。何年か前に選抜出てベスト4は憶えているが、夏は出た事あった? 最近の甲子園優勝投手も高橋光成 小笠原 今井は活躍してるけどな山本や森下と比べると物足りないけど
山本の世代は藤平 寺島 高橋昂 のビッグ3で優勝して今井が評価上げた
全日本で唯一大学選抜に通用しなかった早川が 活躍するとは思わなかった
島袋と吉永は活躍出来なかったな先輩の山崎福の方がプロで長生きするんだからわからない 2001年日大三は打線バッカリ注目されたのにプロで通用して長生きしたのが近藤だけだったな
原島て打者は結局プロ行けなかったな
翌年の明徳の田辺もいい投手だったけどプロ行けなかったな大学では活躍した記憶あるけどな
1年から出てた梅田も涌井がライバル視してた程だったけど消えたな
涌井からホームラン打ったブーちゃんは中日辞めて今は車掌さんか 原辰徳が続投決まって巨人ファンでさえ落胆してるけど
優勝無理なのに中4日で若手投手酷使しまくりで独裁者だな
原辰徳て高校野球時代は若代償て呼ばれてハンサムで面倒見がよくて爽やかで性格いい人だったんだろ
それがあんなに別人に変わり果てた独裁者になってしまうんだから巨人て環境に問題あるんだろうな
桑田も不動産で清原もカクセイ でパクられたし 続投きまったのか、よかった!阿部監督なら巨人ファンやめるわ」原は
名将・原貢氏の血を受け継いでいて 監督になるために生まれてきた
ような男だ、 巨人とか阪神の監督とか神経おかしくなりそうなくらいプレッシャー凄そうなのに、3期も巨人の監督務める原さんって凄いな >>404
給料いいし安泰だろリターンでかいし
水野もスカウトだぞ来年から桑田も大人しくなったし
みんな生活の為に原辰徳に泣きついてんじゃないのか
原辰徳に気に入れれば守られて生活は安定する 原監督へのお歳暮や年末年始のご挨拶など粗相のないようにな
特に宮本はへらへらするな。桑田はよそ見すんなよ >>402
原は名将だったけど、チーム編成を含む全面的な権限を与えられればああなるのも仕方ない
巨人というチームの失敗でしょう ヤクルトの青木 宣親も運があった
日南高校時代、教諭からおまえもう少し頑張れば指定校推薦で
早稲田へ行けるからって猛勉強して推薦を勝ちとって
一般組から早稲田の野球部入部してレギュラー獲った >>405
水野はPLに勝って甲子園3連覇→ジャイアンツ入団だったら
引退後は一軍監督手形
成績が悪くても、読売新聞専属アマチュア野球評論家
というセカンドキャリアがあったんじゃないかな?
熟PL戦の敗戦が惜しまれる >>409
青木は日向高校な。日南高校はカープのケムナ。 >>363
1年秋は北大津の真田にひねられた
150キロの中田と120キロの左サイドハンド対決
ただ押しまくってワンチャンでやられた訳ではなく、北大津と大阪桐蔭の安打数は同じだったな
真田はセンバツでも北の三羽烏と言われ、揃って高卒プロ入りした田中将大・黒滝・植村をすべて打ち込んだ旭川実を6安打1失点に抑えた >>398
社は、この秋の兵庫を制したね。センバツベスト4の時は、森脇浩司のお兄さんが監督だったな。
あそこは市立尼崎同様、体育科があるもんね。 >>412
日向高といえば、巨人ドラ2の織田投手がいたね。彼も早稲田だったな。
プロでは活躍できなかったが・・・・。 市和歌山の小園と松川が揃ってドラフト一位か
これは凄い
過去に同年度でドラフト一位指名が複数人あった高校ってどれくらいなんだろ
KKのPLくらい? >>416
つhttps://baseballking.jp/ns/52104
最近だと藤原根尾があったけど意外と多くてびっくりした
公立だと84年の箕島以来だね >>416
高校でバッテリーがそれぞれドラフト1位はレアケースだぞ
記憶にないわ
大学や社会人はいくつかあるが、投手の頭数が多いから高校と同列にはできん >>418
ありがとう
大阪桐蔭は2005年もか
まぁ高校生ドラフトだったから少し価値が下がるが
PLは1987年もだったね
橋本をすっかり失念してた
しかしこうしてみると、ドラ1で二人とも長年に渡って活躍したKKはやはり別格だね >>419
というか松川ってドラ1クラスだったのかと驚愕
今年は身内に不幸があり選抜をまともに見てなかったから、彼はドラフト3位かそこらだと勝手に思ってた 高卒バッテリー1位2位でも牛島香川の浪商バッテリーが1位2位、それぐらいしか記憶にない
バッテリー両方1位が少ないのは、高卒キャッチャーでドラフト1位2位が少ないから当たり前か 甲子園の歴史でバッテリーそろって好選手ってあまり多くない気がする。
大学だと77年江川一袴田がすぐ思い浮かぶ。番外で82年西田、木戸と78年PLバッテリーが一位だったが西田は大学で打者に転向していたからな。 2年前の奥川と山瀬のパターン、投手が1位捕手は3位以下は時々見た気もするがね 中日ドラ1のブライト健太てすごいんだな
大学3年の秋まで控えだったて…
やっぱ、成長のタイミングもあるんだろうな
甲子園出て、大学で活躍しても4年生で絶不調になんてなったらダメだろうし 高校時代150キロ投げてたようなピッチャーが、プロ入ってくすぶってるなと思ってたら今ではストレートでも135キロしか出なくなってる、とか見たらどうしてそんなことになるんだろうって思うことあるな
素人では分からない、ちょっとした事が要因となって今までのリズムとか全部狂ってしまうとかあるんだろな >>424
76年崇徳の黒田(1位)と応武(3位)
柳川商業の久保(1位)と末次(3位)
このときの両チームはさらに野手で1位を輩出している(山崎、立花)から人材の宝庫だった。 >>425
中居の番組だと日大三に1ー14でコールド負けするような学校だったんだな3年の春大会みたいだけど
葛飾野高校とか初めて聞いた学校 小園松川は夏甲子園でてないで1位てのも凄いな
夏の甲子園スターは過大評価されやすいからな
選抜防御率0点の相模石田は夏出てないから4位まで評価下がった
最近だと金足の吉田と広陵の中村 >>427
黒田投手は何で日本ハム拒否したんだ地元出たくないとかか
愛甲もロッテ嫌がってベイスターズ希望だったようだが
川崎と横浜てたいして距離変わらないのになんでだ
そんなに大都市横浜が好きなのか当時の川崎は工場地帯都市だったのが影響したとかか 中村は何でドラ1なのかってレベルに成り下がってるね
大会6本塁打も清宮球で打っただけの確変選手 昔は投手の甲子園での活躍があって捕手まで評価が上がっちゃうことがあった
名電工藤の時の山本幸二(巨人)
興南仲田幸次の仲田秀司(西武)
享栄近藤真一の長谷部裕(中日) 東京農大二の高仁、清水のバッテリーがいたな
秋の関東大会で優勝して選抜では東の横綱として出場
でも初戦で島根の松江商だったかな?
弱そうなとこに初戦で完敗 そして夏は甲子園出れなかった 学年は違うけど藤浪と森の例があるんでつい最近のように感じる >>430
当時のパリーグとセリーグの人気待遇の差は大きかったから
文字通り巨人が盟主だったセリーグの時代よ >>431
清宮も駄目だなあ
清宮のために外国人使わずとか優遇したのに打てず、チームまでが不振になった
栗山は大谷では大成功したが、清宮で監督晩年を汚した >>427
応武と末次は指名拒否して大学進学した
当時は大学進学予定の選手でも強引に指名していた時代 >429
夏の甲子園出ないとドラフト不利なんてあり得ないよ
確かに夏の甲子園で評価を上げる選手もいるけど、多くの場合、それまでにプロの評価は決まっていて甲子園は最終確認するだけの場所 ちなみに大学進学も夏よりセンバツで活躍した方が早めに有力大学に決まるから、必ずしも夏の甲子園に出場することが進路面で有利なわけではない >>430
愛甲は大洋は地元であるだけでなく、両親は離婚したものの父親が大洋漁業関連の仕事をしていたから身近に感じていたというのもあったようだ
当時は根本陸夫との繋がりがあって、ロッテに指名された後に相談に行ったところ、根本にとりあえずロッテへ行け、数年後にトレードで西武が獲ってやると言われて入団を決めたらしい 西武一位指名隅田が2017年夏開幕戦で投げていた
この試合観戦してたけど隅田くん全く印象残っていない
むしろ一番ショートの選手が将来プロ入りするかと思っていたくらい
長崎の公立高校、開幕戦登板敗退、プロ入りで思い出すのが1980年夏瓊浦高本西厚博
ブルーウェーブの超強力外野の一翼を担った名選手
瓊浦はこの年以降甲子園出場ない
開幕戦勝利投手の中条(東北)はプロで大成せず、初日第二試合に登場した愛甲(横浜)はプロでは打者転向
この年の夏甲子園は本当に面白かった
毎日部活や補習をサボってテレビ観戦してたな >>432
大船渡佐々木朗希のキャッチャーも「岩手の公立校のキャッチャーが佐々木の球を捕れるのは凄い」と言われていたな >>416は残念な書き込みだな。
直前まで、そういう話題で盛っていた。まるで予感してたかのように。
自分はイマイチ興味薄で読んでいたけど、タイムリーヒットだわ。 瓊浦って私立なんだけど。
あの試合はビックリした。あの中条があんなすばらしいピッチングするとは。2安打13三振完封だったかな。 瓊浦って野球以外だとハンドボールの女監督が話題になったことなかったっけ
インターハイベスト8まで行ってた記憶ある 中条は宮城県内では2年時から無双していたから甲子園ではなぜ自滅してしまうのか?不思議でならなかった
3年夏は瓊浦と習志野を連続完封したけど、ようやく本来の実力を発揮したという感じだった
負けた浜松商戦も主砲安部のホームランの前の打席でも惜しい当たりがあって、センター大飛球が入っていれば、と悔やまれる ドラフト下位に掛かるかどうかってレベルの選手は、甲子園出ないより出た方が絶対有利だよ。
プレミア付くから。 瓊浦も30年甲子園からご無沙汰とはなあ
この間甲子園に近付いたのは05夏、決勝で清峰から7点先取したのにひっくり返された >>428
逆に、大阪桐蔭の池田や松浦は選抜前は評価高かったのにどんどん評価下がった選手もいる。1位どころか下位指名だもんね。本当に野球はわからない。 ドラフト候補の前評判なんて多くの人がマスコミ向けの情報を鵜呑みにしてるだけだから スカウトが本音言うわけないよ 【速報】
中日が立浪和義さんに監督就任要請 “ミスタードラゴンズ”に再建託す 与田監督は今季限りで退任 0
10/12(火) 13:19 配信 中日スポーツ
中日は12日、今季限りで契約が切れる与田剛監督(55)の退任を決め、来季監督として野球評論家の立浪和義さん(52)に就任要請をする方針を固めた。
立浪さんは1988年にPL学園からドラフト1位で中日に入団。当時の星野仙一監督のもと1年目から遊撃のレギュラーを獲得。新人王、ゴールデングラブ賞に輝くなど華々しいデビューを果たした。その後も中日の顔としてチームをけん引。2003年には球団最年少記録の33歳10カ月の若さで2000安打を達成。西沢道夫、高木守道に続く3代目「ミスタードラゴンズ」としてファンから親しまれてきた。
2009年に現役を引退。通算2480安打は球団史上最多で、通算二塁打487はプロ野球記録となっている。引退後は野球評論家として活動し2013年のWBCでは打撃コーチ。また今春の中日キャンプでは臨時コーチとして打撃を指導した。10年優勝から遠ざかっているチームの再建を託す。
https://news.yahoo.co.jp/articles/c0939af10bac27da24a732d5584deb28d07edbb4 立浪ももう52歳なんだな
高校時代は守備は良かったけど、打撃であそこまでになるとは想像もできなかったわ 立浪は打撃も良かっただろうが。
星野が、高校生の中にプロが一人いると言ったほど。 >>426
済美の安楽がその典型例だったかな。
安楽は2年の夏に全日本に選ばれたときに、ストレート主体で変化球が良くなかったから、西谷監督が変化球を覚えさせたのが大失敗。
上甲監督は冬から春にかけてじっくりと変化球を投げ込ませる予定だったのが、いち早く変化球を覚えてしまい、その結果秋の大会で
ヒジを故障してしまった。
プロでもやっとセットアッパーで投げられるようになって救われたよ。 >>445
あの試合、ビックリしたよね。
無四球試合じゃなかったかなぁ。
関東在住だったけど、子供心に祈るような気持ちで
中条を見てたよ。
四球で自滅して、三浦とか菅原っていう投手が尻ぬぐいしていた記憶。
しかし、巨人にドラフト外で入団した時もまた、ビックリ。 アサヒグラフか何かの雑誌で「ほんとにあの中条君?」みたいな
感じのこと書いてあったな 中条は瓊浦戦で懸念された初回立ち上がり3者連続3球3振だったと思う。 >>450
池田や松浦はハナから一位候補じゃないだろ
まぁ大阪桐蔭は近年下位指名が多いな
年々スケールの小さい選手しかいなくなっている >>458 中条は2年夏一回戦濟々黌
初回7失点四回10失点の超大乱調で敗退
アサヒグラフには呆然としてヤル気なくなった応援団の姿が掲載されていた
宮城県大会では敵なしだったから竹田監督も困ったろうな
余談だけどこの試合の東北高校一番サード小浦くん(一年生)は
兵庫県からの留学生
NHKのアナウンサーも「兵庫県から野球留学で宮城にやってきました」と紹介されていた
野球留学という言葉が使われたのはこの時が最初じゃないかな? 既出かもしれんけど、野球留学で週刊誌がメチャクチャに叩いたのは翌80年夏の江戸川学園取手だったと思う。
オレは関東在住じゃ無いから分からないが、何で江戸川学園取手はああまで執拗にバッシングされたんだろうか? >>462 原辰徳がいた頃の東海大相模にも津末が熊本?から留学していたし
昭和53年PLも何人か九州から留学生はいた
東北高校も留学生を受け入れていた
それでもチームの過半数は地元出身
江戸川学園は全員が留学生。明らかな売名行為。
当時取手二監督の木内さんは「江戸川だけには負けたくないと」宣言してたけど準決勝で敗退
決勝は地元有数の進学校下妻一を圧倒。これで地元民のヘイトが江戸川に集中してしまった。
翌年の倉吉北とか最近の光星など全員留学生は珍しくなくなったけど
先駆けはいつの時代も叩かれる >>441
彦根東の先発が現慶應大の増居で10番の左腕対決
当時は安定感のある技巧派の印象で、1番の村川竜也のほうが荒れ球速球派って感じだったな
波佐見は1番の村川大介(西日本工業大)と2年生で大会1号本塁打の4番内野(JR東日本)が光っていた
シーソーゲームの末、9回に1点リードされていた彦根東が増居の代打松井(背番号1で主将)の安打からチャンスを作り
朝日(慶應大、増居とともに六大学春季ベストナイン)の内野ゴロで同点となり、ここで隅田は降板してレフトへ
しかし村川竜が四球の後サヨナラタイムリーを打たれた >>463
もともと東海大相模は和歌山からの野球留学生を抱えていて1970年の優勝メンバーにも何人かいたし、原辰徳が1年夏に出たときもキャッチャーでキャプテンの岩崎が和歌山出身 何が一番批判買うかって結局予選が出来るだけ楽なとこ行こうとするから
ただそういう留学は江戸川学園の前に江の川がやってるが江の川はあまり言われんかったな 1978PL学園初優勝時のエース西田も和歌山出身だけど、東海大相模から熱心に勧誘されていたみたいだね 東海大相模初優勝時の主将だった人(現・東海大学監督)和歌山からの野球留学生で
西田は中学の後輩に当たる >>462
野球部強化は設立当初だけの期間限定で、甲子園に出て名前を売ったあとは進学校としてやっていく
というポリシーが県民受け入れられなかった。というより総スカン。
倉吉北みたいに野球強化に徹底する覚悟があればここまで叩かれなかったと思う。 >>463
81年の倉吉北は捕手で主将の谷口だけが地元出身だった。
三年連続出場したころの岐阜中京商業にも原田、豊平とか九州からの留学生がいたな。 >>470
大阪桐蔭がそんな感じで91年甲子園初優勝から進学校へ〜みたいな感じだったよ
進学校化もそれほどでも無かったと思う
2000年頃から今の西谷監督になって野球部強化に本格的に力を入れ始めたと同時に
今や大阪府内の私学では代表的な進学校になってる 江戸川学園のころは「文武別道」みたいな考え方はなかった。そのルーツはやはり神奈川の桐蔭学園だろうな。 >>467
西田はPLや相模以外からもたくさん勧誘を受けてて、はやく返事をする意味で
中学最後の大会後の11月に県内の公立中学から大阪府のPL中学に入学してる 箕島の尾藤監督が1970センバツ優勝した後に野球部強化を目指すPL学園から監督の要請があって、引き受ける一歩手前までいったというのは驚いたな
尾藤さんはセンバツ優勝後1度野球部を離れた時期があったからその時なのかな >>476
こういった類いの話はいくらでも書ける。
ソ−スは? >>477
ライターの柳川悠二が書いた『永遠のPL学園』に詳しく書いてあるよ PL教団が熱心に尾藤監督を口説いたと 野球で有名なところが進学校って言われても正直俺はピンとこないな。
野球とは関係ない進学コ−スに在籍する地頭の良い一般生徒も事実いるんだろうが、いまだピンとこないなと言うか違和感感じる。 マンモス私学が勉強に特化したコースやスポーツに特化したコースなどあらゆる階層の生徒を受け入れるのは良いと思うけどな 格好良く言えば、教育機関として理想的な形だろう >>476
違うよ
尾藤が野球部を離れたのは、甲子園で初戦敗退が連続した後だわ
とくに島本弟を擁して丸子実に大敗したときには地元でも叩かれて嫌気がさして辞めた >>478
PLが尾藤を口説いたのは70年の選抜優勝直後、尾藤が箕島の監督をやめた時期とはズレがある 斉藤ハンカチはマスコミ関係とか引く手あまたみたいだな
最近野球選手は引退したら苦労するのにやっぱり例外だなハンカチは
荒木大輔もノビシロない微妙な評価だったけど春の時点で契約金1億以上提示してたみたいだしな
夏も東西横綱扱いだけどスカウトや球児から実力の池田水野畠山!人気の早実荒木小澤て陰口叩かれてたんだろ
愛甲も球児から大したことない言われたけどロッテが単独指名したし
人気と知名度はどこも欲しいんだなやっぱり
ハンカチ荒木は早稲田てのも大きいアドバンテージだろうし >>474
当時和歌山県の高野連から抗議されたみたいだな
相模天理や向陽 県和歌山商 桐蔭てとこからもあったみたいだな
PLをアメリカンスクールと勘違いメジャーに憧れてピートローズのファンだったんだな
今のピートローズはコルクバットにトバクでイチローの記録に噛みついたりだけど 西田PLに敗けた中京にアーロン呼ばれた打者いたけど
アーロンて王にホームラン記録破られた選手の事か >>474
平成になった頃でも、東京方面でもPLはローマ法王と関係のある
由緒あるカトリック系の大阪の進学校とか言ってる人が結構いたから仕方ないな
ソースは私が昔務めていた東京支店の先輩たち あ、>>484にするところを>>474にしてしまった
いずれにしても、PLは全国的に好印象だった
OBの暴露話が次々と無ければ…今でもきっと… >>481
違うよ。
尾藤さんが辞任したのは72年選抜のあと。倉敷工業に初戦敗退して後援会と衝突して辞めた。丸子実に大敗したのは浪人中の73年夏の甲子園、このときの監督は荒川さんという人。
尾藤さんが復帰したのは74年9月。 >>413
北大津の真田懐かしいなぁ
90キロに届くかどうかのカーブで強打の旭川実を翻弄
体格的には小柄だったが得点につながるバント安打を決めるなど持ち味を最大限に発揮してた選手だった >>490
旭川実には完璧にハマったんだけど、次は相手が悪かった
日本文理は初戦で高崎商の石川を攻略した相手
石川はこのセンバツ優勝の横浜を前年秋関東で食った技巧派投手だったが、日本文理は技巧派に強くて石川に続き真田も飲まれた
ライトに入っていて、3番手でマウンドに上がった竹下が早く投げてたらどうなってたろうな
隅田のドラ1指名で話題もなった西日本工大だが、初めて大学選手権に出た時の主将がこの竹下 >>491
文理の栗山はそこそこ捉えてたけど、代わった横山を打てなかったね。
宮崎監督の頃の北大津は打撃がチームカラーだけど、3年連続で春出場した時はまだ投手力が先行してる感があった。
真田猪飼の左腕2枚のイメージ強かったから、竹下もマウンド上がったのすっかり忘れてたわ。
西工大は武田監督が北大津OBで宮崎さんの最初の教え子だね >>481
同じような話で、銚子商の齋藤監督がS43のチームで選抜ベスト8、本気で全国制覇狙っていたが県決勝で敗れて、ショックのあまり辞任はしなかったが、しばらく釣り三昧だったと聞いた。新チーム放っておいて、しばらくしてから復帰。そんな感じでも翌年選抜に出るんだから実力はあったんだね。これは43のレギュラーの人から聞いた話です。 尾藤さん監督時代の思い出をテレビで語ってたけど
夏予選で負けた時、茫然自失となりとにかく一人になりたくて
ふら〜っと車で行く先もなく走らせてるつもりが
いつも着く先が琵琶湖で、しばらく眺めてボーっとしてから
帰って来るとか笑いながら語ってたな >>494 昭和56年夏和歌山大会一回戦で串本高に0‐4で負けた時ですね
二年前は春夏連覇、一年前も夏ベスト8だっだだけにショックは大きかっただろうな >>495
このネタは何回も書かれているが、串本には8回まで4-0とリードしていたが、9回に一挙7点取られて大逆転負けした。 >>480
花巻東にある垂れ幕で「大谷翔平」「菊池雄星」より「祝 東大合格」の文字の方が大きいのは教育機関として正しいと思った >>496
しかも貧打の串本に9回表にホームラン2本で一挙7点
その裏の攻撃も見せ場なく淡泊に終わったのは緊張の糸切れたんだろうな >>499
そのときの先発は翌年選抜で力投した上野山だったな 昭和56年夏予選は選抜優勝のPLも5回戦で大商大堺に負けたのも驚いた
今と違って、地元地区以外は翌日の新聞記事で知るから驚きが増す 横浜の渡辺監督も、優勝候補と言われ大学経由を含めて5人もプロに行った年、初戦で那覇商業に完敗。
夜行バスで逃げるように一人で帰った。 1981、1982センバツ連覇を果たしたPL中村監督も夏は逃し続けて1983に出場出来なかったら立場的に危なかったと聞いたことがある KKコンビはまさに救世主だったな >>501
立浪が大人の事情で大商大堺に進学予定だったけど、
本人はどうしてもPLに進学したくて
親も含めて相当揉めたらしいね。 商大堺って、甲子園出場したことないんだっけ?
ここほど不運な学校もないよ 実力的には出てもおかしくないのに ヤフオクやメルカリで後何時間で締め切りてでて
また同じ人ポイ高校野球雑誌が後6日とかなってるけど
何で入札されたはずの雑誌が復活してるんだ
昭和の高校野球雑誌が売られてる古本屋てどこだ 甲子園でも優勝しても後に解任された監督。
PL学園鶴岡、桐蔭学園奇本、沖縄尚学金城。
他にいあたかな? 大商大堺と生光学園、どちらが先に甲子園に出るかな。 >>507
昭和42年夏に全国優勝した習志野の市原監督。
準決勝の中京(現:中京大中京)戦に勝利した後のインタビューで「中京みたいな田舎野球に負けるわけには
いきませんから」と発言したことが学校長の逆鱗に触れて、大会終了後に速攻で監督を解任された。 >>506
これは自演落札しているんだろうね。
ひとりで複数のIDを持って、たとえばAというIDで出品して、Bという別のIDで入札して価格をつりあげる。操作しすぎて自分で落札してしまう場合もある。この場合は落札取り消ししてまた出品し直す。
価格をあおるというのは詐欺罪という立派な犯罪。
これをお家芸?にして有名なのは岡山の某氏。以前は新聞切り抜きや雑誌に昔の甲子園の試合の映像をおまけにつけるという手段で値段をつり上げていたが、ことし選抜が開かれているときにヤフオクを再開して自演入札を繰り返していた。ひどいときには同時に7商品くらいに別のIDで入札して価格操作していた。
それだけでなく、どうみてもワープロで作成したとしか思えない応援のうちわを当時のもののように見せて出品したり、複製したペナントまで出品していた。笑っちゃったのが鉾田一が戸田で初出場したときのうちわで、「第58回大会出場記念 鉾田市」と印字されていた。初出場当時は鉾田町だったんだけどね。あとで作成したものであることがパレバレ。それでも騙されて落札する人がいるからこういう輩がはびこるんだよ。 >>505
直近でのチャンスは2015年秋に大阪大会優勝した時だった
まだ甲子園が決まったわけでもないのに夏の優勝みたいにマウンドで大喜びして大丈夫かいなと思ってたら案の定近畿大会では初戦敗退した
大阪大会準優勝の大阪桐蔭はキッチリ近畿大会では優勝して悠々選抜出場 地区のレベルは相当落ちるが新潟の北越も未だ出場ないんだよな
新潟の私立で慎ましいながら一番最初に強化始めたくらいだから 夏の選手権って、下馬評で頭一つ抜けた優勝候補筆頭が順当に優勝したって以外に少ない気がするわ。
パッと浮かぶのこれくらいしかない。
85年PL学園
98年横浜 2012と2018の大阪桐蔭は下馬評通りそのまま優勝したね ずば抜けた学校がいた大会ってそもそも少ないと思うんだが。だいたい2〜4強くらい候補がいる大会が多いんじゃ? ↑ 某サイトで調べてみたら、朝日座談会だと
10年の興南と15年の東海大相模も
いの一番に挙げている 2010の大会もやる前から興南春夏連覇だろうっていう感じだったけどな あの年は目ぼしい対抗馬がいなかったし >>518
一応、広陵や中京大中京が追うとされていたが、広陵は初戦で歳内にやられ、中京に至っては2回戦で6ー21のラグビースコア負けで大藤監督が責任取らされて解任w 座談会て、リモートのある今はともかく、昔本当に座談会をやっていたわけないだろ。
纏め役が、何人もの記者に聞き取りを行って、座談会風にアレンジしただけだ。 2010の興南と2012の大阪桐蔭は対抗馬が弱かったこともあるし、春夏連覇は間違いないという感じで大会自体が面白くなかったな
2011も途中からこれは日大三だなというのが分かって後半戦は盛り上がりに欠いた
どこが優勝するか見当つかないという意味では2013は面白かったな 決勝が前橋育英と延岡学園なんて誰も予想出来ない >>514
KK期のPLは84春からずっと頭一つ抜けた優勝候補筆頭だったが
3回続けて優勝逃してたから流石に85夏は、むりやり銚子商との2強みたいになってた
>>519
10中京は前年優勝バイアスだったな
初戦見て優勝する戦力とはまったく思えなかった 2012や18が好きな人は1987が好きそう
2013が好きな人は1988とか好きそう
80年代の広商は下馬評が低い年にかえって強さを発揮したのが面白いね 何だかんだ言っても近年では2006夏は面白かったかな
大会前は駒大苫小牧の夏3連覇か横浜の春夏連覇か、という明確なテーマがあった
それが大会が進むにつれ早稲田実の存在感が増していき、最後はあの結末 大会の盛り上げ役として智辯和歌山や大阪桐蔭、帝京も存在感を示した 1998夏は久しぶりに甲子園が盛り上がったと言われたけど、大会のレベル的には横浜が突出していて対抗馬の強さはそれほどでもなかった印象
PL学園や明徳義塾も他に強い代はいくらでもあったし 伝説のPL学園−横浜戦を見返すとドラマチックではあったけど、両校ミスや目に見えない拙いプレーが多くて、必要以上に長引いた試合と言えなくもない
実力的には明らかに横浜が上で何度やってもPLが勝つチャンスはないと思わせる試合だったな 1987年春は本命が池田で京都西、長崎海星、帝京、関東一の方がPLより前評判はよかった
2012年春は神宮優勝の光星学院が本命で対抗は名電だった次が智弁学園で浦和学院神村学園九州学院とかと辺りだった
大阪桐蔭は週ベでB評価サンデー毎日でもオール90点評価だったPLもだけど
夏は共に大本命になって優勝したのは流れ的に似ているな 1987年の甲子園は春の明野大田の試合で盗塁した時に捕手の送球が明野の背番号2の打者の顔面にもろに当たったのだけは記憶にあるな
当時あの打者の人大丈夫とか会話や話題になったな 済美野球部OBのティモンディ?て芸人が朝4時起きで終わるの夜11時とか毎日で地獄だったと言ってるのが記事なってるな
それでプロどころか甲子園行けなかったんだろ
池田の水野も上下関係緩くて休みあるから回復して好きなもん食い放題で自由にして筋肉ついたらしい
他の徳島の学校は全く逆で済美みたいな感じで疲れて筋肉モヤシなる言ってたような
大谷も練習時間減らしたのが1年間二刀流怪我なく持ったみたいだし
長時間練習厳しい上下関係て逆効果なんじゃないかな >>521
2013年夏は、ベスト8が揃った時点で「常総か、明徳だろうな」という雰囲気になったけど、その2校が準々決勝で揃って消えて史上空前の大混戦になったね。
ベスト4が残った時点で前橋育英、延岡学園、日大山形、花巻東とどこが優勝してもおかしくない感じになったけど、こういうことは大変珍しい。
そんな中、唯一の優勝経験県の群馬の代表校が優勝したのは少し面白みに欠けたね。 2013はセンバツ優勝の浦和学院、前年春夏連覇の森が残った大阪桐蔭、横浜、仙台育英、日大三などネームバリューの高い学校は出ていたんだけどな
まさかあのメンツになるなんて 「下馬評が低い時のほうがむしろ勝ち上がる」の代表的存在は天理かな。
下馬評が高くて勝ち上がったのは1986年夏くらい。
長いこと甲子園からご無沙汰しているけど、拓大紅陵も少しそういうところがあったね。
1984年春のベスト8と1992年夏の準優勝の時は前評判が低く、優勝候補に挙げられた時はことごとく1,2回戦で消えた。
大阪桐蔭も2008年夏や2012年春、2014年夏は優勝したけど、前評判は例年ほど高くなく、2017年春も決して優勝候補筆頭ではなかった。 >>514
74年 銚子商
79年 箕島
80年 横浜
も加えて良い。 >>512
2015秋は阪南大高が履正社に3決で勝ち、近畿大会も初戦で奈良大付に勝利
私学7強の大鉄復活か!ってなったら準々決勝で平安にコールド負け
出場してたら福本豊や岩本勉がアルプスに来て盛り上がったやろな
ほんと残念やった >>524
2006で何気に好きなのは今治西-日大山形だな
延長13回の死闘
個人的には近年では2004も好きだな
前年とは打ってかわって各地区の本命とされた学校が軒並みそのまま出場してきて、オールスター感があった
その中で優勝したのはまさかの駒大苫小牧
また彼らみたいないきなり優勝を成し遂げてそのまま王者に君臨するような学校が出て来てほしいな >>530
準々決勝で戦前有利とされた学校がすべて負けたのも珍しい
常総学院、明徳義塾、富山第一(好投手)、鳴門(強力打線)だったら、カオス感はなくなったかも 2004夏はセンバツ優勝の済美、ダルビッシュの東北、涌井の横浜、強打の日大三、センバツ4強の明徳義塾あたりの前評判が高かったと記憶している 大阪桐蔭がPL学園に再試合で負けて出てこれなかったのは残念だったが
あの年の駒大苫小牧は衝撃的だったな 夏は2004、2006、2008が面白かった
2008はメンツは豪華だったけど、大味な試合が多いという意見もあるが、準々決勝のカードが実力校が揃っていてワクワクしたな
大阪桐蔭−報徳学園
浦添商業−慶應義塾
常葉菊川−智辯和歌山
横浜高校−聖光学院 >>537
駒大苫小牧は衝撃的だった
しかもあわや3連覇なんて
駒大苫小牧はあの3年間しか夏の甲子園では勝ってないんだよね
劇的な試合も多く、瞬間最大風速的な活躍なら歴代の甲子園でも随一の学校だね
00年代はその後強豪として常連の位置になる学校が次々登場し、群雄割拠状態で面白かった
大阪桐蔭、済美、駒大苫小牧、神村学園、清峰
、常葉菊川 04年の駒大苫小牧は
2回戦の日大三戦で7−6勝利も番狂わせで驚いたが
3回戦の横浜に6−1と圧勝したのをニュースで聞いて
かなり驚いたのを覚えてる。 >>540
3回戦が日大三
準々決勝が横浜ですね
駒大苫小牧は2回戦スタートで初戦が佐世保実業だった
なお、2004〜2006の駒大苫小牧は全て2回戦スタートで日程的にも恵まれていた
よく、49番目の登場校は調整が難しいと言われるが、大会5日目の1回戦登場校がその後の日程的には一番シビアだね ↑それいうなら73年の55回記念大会は一回戦からの登場だぞ。 >>544
でも2回戦の鳴門工戦は戦前不利を伝えられた
鳴門工打線が初戦で打ちすぎてブンブン丸になったので助かった 2004夏は駒大苫小牧の試合を全然観てなかったからノーマークだったな
準々決勝の顔触れ見て、横浜が優勝するんじゃないかと思ってた まぁ済美か横浜が優勝すると思ったよね
駒大苫小牧は日大三、横浜、済美と強豪を次々と撃破して文句無しの優勝だった >>538
2008は前評判が高い学校でベスト8が占められたが、これは案外珍しいよな。
たいてい2,3校は、大会前はノーマークだった学校が入るから。 >>536
いや、でも日大山形は明徳より打線が強力に思えたし、庄司と岸はそんなに変わらなかっただろう。それと花巻東と鳴門って鳴門が有利予想通りだったか?逆だったような。 2013年夏の大会前に日大山形と東海大相模が
練習試合をやって、相模の門馬監督が
「日大山形は夏の甲子園に出たら優勝候補」
と言っていた。
門馬監督のリップサービスかと思ってたけど、
実際に試合をやってみて、日大山形の強さを感じたんだろうね。 >>550
当時の日大山形の二遊間、その後プロ行った奥村と中野やで。
強いに決まってる。 >>552
それ以外も遜色ないメンバーが揃ってたね。
1番青木は工藤公康が絶賛してた。
やはり明徳よりタレント力は上だったよな。 甲子園出場歴があると言っても、なんであの時期だけ日大山形のような比較的ロ−カル高校にタレントが集まったのか、よくわからないね。
たまたまか? >>554
社会人野球でも活躍した荒木氏が監督に就任したのが大きいと思う。
奥村が滋賀から日大山形に進学したのも、父親が社会人野球で荒木氏と同じチームだったからだし。 山形からみると、
滋賀県は昭和54年夏に比叡山が活躍するまで、
「近畿の山形」みたいに思ってたな。
一県だけ段違いにレベル低い みたいな。
昭和56年夏の「近江-鶴商学園」で近江が勝ったんだけど、
やっぱり近畿の滋賀は山形より強いわなあ と思った。 山梨とか滋賀は8年ぶりぐらいの出場で次は見られなさそうで丁度いい >>556
その翌年、昭和55年夏、瀬田工は準々決勝の浜松商戦で20点を挙げて浜松商を粉砕。
滋賀が全国一弱いは、たった2年で雲散霧消したね。 比叡山0-10(79年準々決勝)
瀬田工0-8(80年準決勝)
甲西2-15(85年準決勝)
八幡商5-13(93年準々決勝)
連戦でガス欠になると、フルボッコ終戦になるのは
後進県の悲しい性なのか? >>558
最後は荒木大輔(早実)の前に屈したが、
3回戦で速球王高山(秋田商)に、蝿が止まりそうな球速の布施が3−0で投げ勝ったのが一番のサプライズだったと思う。 >>560
>3回戦で速球王高山(秋田商)に、蝿が止まりそうな球速の布施が3−0で投げ勝ったのが一番のサプライズだったと思う。
当時、高山は149km(当時としては、圧倒的な球速)と言われていたが、
実際はどうだったのか?そこまでの球速は感じなかった。
むしろ143kmと言われていた川村の方に「速さ」を感じた
今のように球速表示が、TV画面にも・球場にも無い時代だったので、
球速知るのは、翌日の新聞で、恐らくスカウトの表示を聞いての記事だったと思うので、
信憑性も精度も?だったと思うが・・・ 瀬田工から日ハムにいった西崎は、一年の夏 早実・荒木に負けた試合を、
ベンチでみていたのか、スタンドでみてたのか?
同じ一年生の快投をどう思ってたんだろうな 確か西崎が言ってたと思ったが昭和56年滋賀国体
早実の練習会場が瀬田工業グラウンドに割り当てられ
その時に荒木を近くで見たとか言ってた >>561
松商の川村は137だよ。
昔のスピードガンは今の−5〜( >>561
松商の川村は137だよ。
昔のスピードガンは今の−5〜10キロが定説だから、仮に143としてもめちゃくちゃ速いだろ! >>535
今治西の宇高のお父さんも73年の春夏に背番号11でベンチ入りしてたね
そういや今メンバー表を見て気付いたんだが、今治西は71年夏のベンチ入りメンバー全員1,2年生なんだね
95年の帝京みたいに3年生の早期引退でもあったのだろうか? >>566
>>278でも書いたけど、71年夏の今治西ってあまり知られてないね。
>>279の人も書いてるけど、当時の監督のスパルタに耐えきれずに3年生が次々辞めていったんだと思う。
前年(1970年)夏の予選でも2年生部員は2人だけで、2人とも3年時にはベンチ入りしてないから、
当時の高野監督がメチャ厳しかったんだろうな。 >>567
既出でしたか、ありがとう
当時の四国のレベル考えたら高野監督もかなりの練習課してたんだろうなあ >>555
プリンスホテル
その時の同僚は、他に宮本慎也ら。 >>559
八幡商5-13(93年準々決勝)
ってなんだ?こんな試合ないんだが。
もしかしたらこの年の選抜の準々決勝のことを書いているのか?前の3試合はいずれも選手権、春夏の区別もしていないから分かりにくい。しかもこのときのスコアは4-12(駒大岩見沢)だぞ。 高校野球の世界も表は華やかだけど 裏はドロドロな部分もあるよな
常葉菊川の旋風は強烈な印象が残っているけど、あの不祥事を考えると気持ちが冷めていくな
偶然にも最近、セクハラ被害に遭った新聞記者が自身のブログであの当時のことを書いていたのを見つけた
かなりリアルに書いてあったな 10年以上経った今でも夏の甲子園をテレビで観るとフラッシュバックして辛いそうだ 結局、あのことが引き金で会社を最近辞めたとか
2007〜2008の常葉菊川は魅力的なチームだったんだけどなぁ >>559
滋賀は78年、春は比叡山が前橋に史上初のノーノ―をくらい、夏は膳所が桐生に0-18で負けて「弱小県」のイメージがついたけど、
それ以後の5年くらい夏の甲子園での活躍ぶりは凄かったよね。
79年・比叡山ベスト8、80年・瀬田工ベスト4、82年・比叡山ベスト8、85年甲西ベスト4。
これくらいの頻度で、夏の甲子園でベスト8以上の成績を残していた県は他に大阪、高知、神奈川など数えるくらいしかないはず。
なのに、滋賀県が弱小県のイメージをぬぐえなかったのは選抜のイメージが悪かったように思う。
高島、瀬田工、伊香、長浜北、堅田、野洲など様々な学校がかわるがわる選抜に出て来て、ことごとく初戦で負けていたうえ、その多くは大敗だったからね。
「春は弱く、夏は強い」というのが滋賀県の伝統と言えるかもしれない。
現在の近江もその傾向があるしね。 78年以降の滋賀の選抜は
78年 比叡山0-1前橋
80年 瀬田工1-6丸亀商
81年 比叡山3-4中京商
82年 瀬田工0-11明徳
83年 長浜北2-4東北
84年 高島4-17佐賀商
85年 堅田0-5東北
87年 伊香6-12日向学院
88年 野洲0-9宇和島東
89年 八幡商8-10東海大四
だもんな。63年の大津商から初戦15連敗と報道されていたのを記憶している。 79も初戦が釧路工じゃなくてもう少し名の知れたとことだったらビビッて負けてただろう >>572
選手権大会その他の戦績
81年…1回戦 近江 4−3鶴商学園
83年…1回戦 比叡山1−2仙台商業
※最後の疑惑判定で初戦敗退
84年…1回戦 長浜 4−3大船渡
86年…1回戦 甲西 7−0三沢商業
87年… 滋賀から不出場
88年…1回戦 八幡商 6−0本庄
89年…2回戦 八幡商 6−2川越商業
90年…1回戦 八幡商 6−5高田工業
91年…1回戦 八幡商 3−2富山商業
どこが弱小県やねん?
80年代の飛躍は寧ろ全国トップレベルだろ! >>571
不祥事ではないが、もしかして既出かも知れないが、81年夏に甲子園で活躍した名古屋電気の工藤公康
(現・ソフトバンク監督)の西武ライオンズ入りにはビックリした。
工藤は確か熊谷組入りを宣言してて、プロには指名されても入団しないと公言してたのに、西武は6位で
強行指名してたよね。
球界の仕掛人、根本陸夫氏が影で動いたらしいが、根本氏の敏腕ぶりには驚かされたよな。
それにしても工藤、6位指名とかプライドが許さなかったのじゃないか?よく西武入りを決断したと思う。
西武はこの頃、他にもどの球団も全然マークしていなかった森山良二(福岡大大濠〜北九州大中退)を
単独1位指名とか、いやはや驚かされました。 >>578
どこも撤退してたから、6番目で十分と言う状況。
実際には普通の6位指名の条件、評価、待遇とは全く違ったと聞く。 >>578
地元では色々な根も葉もない話が流されたほど(市バスの運転手だった工藤の親父が金に転んだとか)、爽やかな夏のイメージから一転、なんか割り切れないものを感じさせた工藤君でした
まあ、江川卓が言っているように「野球ばっかりやっていた高校生や大学生が密約を自分で結ぶのは無理で、周りの誰かが主導している」んだろうけどね >>572 ノーノーは一杯ある。史上初の完全試合な。未だに2例しかない。
滋賀が弱小というのは77年以前から言われていた。何せ、唯一の春夏未勝利県だった
から。それで止めを刺す様な78年春夏の惨劇。ところが79年夏の比叡山の勝利の報は
かなりの驚きをもって迎えられた。 >>576
現に5回までは0-3の劣勢だった。
釧路の投手安宅が暑くてスタミナ切れしたのに助けられた面があったのは事実。
それでも6回表に一挙5点取って逆転したのには驚いた。なにしろ過去60回の夏の甲子園の歴史で滋賀勢があげた得点はたったの4点。60年かかって挙げた以上の点をたった1イニングで取ってしまったんだから。 87年滋賀から不出場とか書く無知野郎
どうゆうたぐいの無知なんだ?
ほとんど発達障害みたいな奴だろ 改めて滋賀と、「強豪県」のイメージがある大阪、神奈川の80年代の夏の甲子園の戦績を比べてみた。
1980 滋賀(瀬田工)ベスト4 大阪(北陽)初戦敗退 神奈川(横浜)優勝
1981 滋賀(近江)2回戦 大阪(北陽)3回戦 神奈川(横浜)2回戦
1982 滋賀(比叡山)ベスト8 大阪(春日丘)2回戦 神奈川(法政二) 3回戦
1983 滋賀(比叡山)初戦敗退 大阪(PL)優勝 神奈川(横浜商)準優勝
1984 滋賀(長浜)2回戦 大阪(PL)準優勝 神奈川(桐蔭学園)3回戦
1985 滋賀(甲西)ベスト4 大阪(PL)優勝 神奈川(藤嶺藤沢)初戦敗退
1986 滋賀(甲西)2回戦 大阪(泉州)初戦敗退 神奈川(横浜商)初戦敗退
1987 滋賀(伊香)初戦敗退 大阪(PL)優勝 神奈川(横浜商)3回戦敗退
1988 滋賀(八幡商)2回戦 大阪(近大付)初戦敗退 神奈川(法政二)初戦敗退
1989 滋賀(八幡商)2回戦 大阪(上宮)ベスト8 神奈川(横浜)初戦敗退
こうしてみると、滋賀勢の80年代の夏の甲子園の戦績は神奈川とあんまり変わらない。
大阪は一見凄い戦績のようだが、完全にPL頼みで、PL以外の大阪の代表校の戦績は初戦敗退が多く、むしろ弱小県のような戦績。
そして何より80年代、滋賀は大阪よりも神奈川よりも初戦敗退が少なかったんだね。これは立派。 昭和53年の滋賀勢が春夏の甲子園で群馬勢に一安打しか打てなくて、
弱小県という印象があるが、
自分は当時、「最弱小県」は山形だと思ってたよ。 そして今も 滋賀県の話題が出てるが滋賀最強は
今でも藤高で選抜に出た伊香だと思う 72年選手権予選で膳所が京滋大会を制して甲子園出場を果たしたのには驚いた。
もっとも決勝相手の西舞鶴はこれといった強敵とは戦わずに決勝まで残った伏兵なので
膳所が勝っても不思議ではなかった。
本命の平安は3回戦で朱雀にまさかの敗退を喫してしまった。 ハイ!滋賀の話は面白くないから これにて終了
でかいツラすんのは深紅の大旗を取得してからにしてくれ 逆にこんなジイさんのスレで優勝したらデカいツラするのなんて気持ちワリーだろ はなわ の
SAGA佐賀!に対抗して 「SIGA滋賀!」ってのは どう 自分的には滋賀と同じく
佐賀県もj弱小県で地味だったけど
94年の佐賀商、07年の佐賀北ともに
決勝戦での満塁HRの派手な勝ちっぷりに
何も言えない。 >>590
「佐賀県」のヒットのあと、全都道府県の歌を作ったので、当然「滋賀県」もあるはず >>583
ギャグの通じない野郎だな。
滋賀県内では87年春夏の話題はいまだタブー視されてんだよ。 すまん。選抜は昭和32年と37年に勝っていた。
https://www.fanxfan.jp/bb/result/25_shiga.html
勿論、夏は未勝利。47年の膳所も初日に0-9で広陵に惨敗。広陵が強いかと思いきや、
次で消えた。翌年の伊香も弱かった。平安一強時代の京都では平安がコケると弱い
京滋代表になる事があった。 >>587
平安はこの年出場禁止処分が解けた直後だからそれほど有力視されてなかっただろう。
この年は中井(巨人入団)の西京商業が本命だったんじゃないか。府の決勝でワンチャンスを生かされて西舞鶴に敗れた、スコアは0-3だったかな。 >>595
1972膳所は近畿大会でそこそこ健闘していたが、甲子園に出るとダメだった
広陵相手に、連打にエラー、ツーランスクイズで一挙6失点するなど惨敗
当時は今に比べて接戦が多かったので目立った >>596
膳所はその中井を擁する西京商に春の近畿大会で2ー0で完封勝ち
秋の近畿大会でも翌年選抜8強になる市神港に0ー3と善戦
甲子園でも戦前は広陵やや有利程度の下馬評だったはず 選手権優勝が複数回ある強豪県で公立と私立が優勝してる県は、
茨城県の他にどこですか? >>599
神奈川、愛知、京都、和歌山、兵庫、広島、福岡かな。
広島の私立は広陵は優勝してないが戦前に呉港中が優勝している。 >>598
あの年の膳所は、戦力よりも浅間山荘事件を起こした連合赤軍のメンバーを輩出したことのほうで騒がれた。 >>599
選手権優勝だけに限定しても、神奈川県、愛知県、京都府、兵庫県、和歌山県、広島県、福岡県。 >>600
ありがとうございます
和歌山は今年だった・・(涙目)
昭和53年からの一県一校制になってからだと、
和歌山、茨城の2県なのかな >>591
佐賀は弱小県というか、普通の年は空気県だな
今年の東明館みたいに、高校野球らしい好投手とそれなりに固い守備力のあるチームが毎年出てくるからそれなりの試合を展開するが、打力が無いから点取れなくて、5-1とか、そういう最弱スレ民の記憶にも残りづらい塩試合が多い
ただ突然変異で佐賀商とか佐賀北みたいに、球史に残る劇的な試合で優勝を飾るチームが出てくる
佐賀は不思議な地区だ >>595
春夏通じての甲子園初勝利が最も遅かったのは山形だね
73年春が初勝利
山形勢として選抜出場自体がこの年が初めてで、全国で最も遅かった >>604
佐賀商といえば優勝した94年よりも新谷がいた82年のチームの方が
強かったと思う、あの大会で池田VS佐賀商戦を見てみたかったよ 甲子園出場の滋賀学園ナインにに「負けろ」と暴言吐いた膳所OBの県会議員さんはお元気ですか? >>598
この年の広陵は小粒で下馬評も高くなかった。案の定、次戦で高松一の鎌田に2安打の完封負け。投手の竹枡は被爆二世、社会人に進んで81年の都市対抗で準優勝したんだったかな。 >>604
そう、佐賀商とか今世紀入ってから聖光にノーノー未遂食らったり甲子園で未勝利なんだよね。
結局佐賀北も勝てたのはあの夏だけだし。
ただ、80-90年代初頭は少し風向きが違っていた。
一過性のものだったが新谷、江口、若林とコンスタントに好選手が活躍した時期もあった。 >>608
前述の今治西も北四国の準決勝で鎌田に完封負けしたんだよな。
私感だが、下級生中心で甲子園に出てきたチームは最後の夏順風満帆といかないケースがかなり多いように思う。 >>610
でもこのとき残った矢野投手で翌73年は春夏出場、夏はベスト4。
矢野は71年夏は一年生、須坂商戦はリリーフ、逆転サヨナラで勝利。結局甲子園には4回出場、鎌田に抑えられなかったら5季連続も夢ではなかった。 >>597
広商より先に広陵が甲子園でツーランスクイズを成功させていたのか・・。
厳密に言えば中等学校選手権大会の時代に成功させた学校があったんじゃなかったかな? >>606
新谷投手もプロで最優秀防御率取る等通算50勝くらいされてるし、82年の佐賀商が一番でしょうね
津久見に延長で負けたんだったけな?
94年の佐賀商が優勝した時、準決勝の相手の佐久の選手がユニフォーム忘れて試合に間に合わないという珍事件があったが、高校野球ってユニフォーム着て宿舎出るもんじゃないの?と今でも不思議でしょうがない >>609
3年前の大阪桐蔭春夏連覇のエース柿木くんは佐賀出身だね
佐賀は良い選手いても近年は県外の強豪に流出する傾向が強そうだ
実は佐賀商で優勝したときのエース峯投手と柿木投手は同じ中学出身 1982夏は一回戦で佐賀商新谷が逃した完全試合
八幡大付対日大二降雨コールド再試合
府立春日丘登場超満員
二回戦 益田対帯広農 4アウト
池田フィーバーの大会の割には
いろいろあり過ぎて大会前半は池田が全然目立たなかった
池田が3回戦まで静かな立ち上がりというか地味な戦いぶりをしてたのもある 佐賀商の峯投手の息子はポニーの日本代表に選ばれるぐらいの逸材だが、来春、横浜高校へ進学するらしい
佐賀から横浜と言えば、高濱卓也もそうだったな 2007夏優勝の佐賀北は逆転満塁ホームラン打った副島が有名だが、横浜へ進学した高濱卓也と同じ中学出身
当時、高濱が佐賀商進学予定で県内有力中学生が皆、佐賀商に集まる予定だったが、高濱が急遽横浜へ進路変更したことで副島らも各校へ散らばったらしい
その高濱は2006センバツで全国優勝し、副島は2007夏に全国制覇 あの代の佐賀県球児は優秀だったわけだ >>611
惜しかったね。
当時の四国は選手権に北四国・南四国の2校しか出られなかったから、春出場する方がまだチャンスが広かったのかもしれないね。
当時はまだ選抜の出場枠は明文化されていなかったけど、72年春も四国は3校出場(今治西、高知商、高知)していたし。
新制の高校制度では1県1代表制となるまで誰一人として5季連続出場を達成できなかったのも納得。 >>615
そのときの二塁走者はのちの監督の玉国氏。当時の毎日新聞にホームインの写真が載っている。 >>616
1982年夏は宇部商・秋村が注目されてたな。
予選6試合を完投して10安打しか許さず、ノーヒット・ノーランを2試合達成してた。
高岡商・横森との投げ合いは9回表に高岡商に逆転を喰らって横森に軍配が上がった。
8回裏まで宇部商が1−0でリードしてたが、甲子園はやっぱり怖いところだ。 いよいよ明日、松坂大輔の引退登板か
1998の横浜の試合を最近よく観るけど、改めて凄いチームだったな 対戦相手が松坂が凄いのは当然だけど、それ以外のメンバーのレベルが高くてビビったと口を揃えて言っていたけど、鹿児島実戦の得点シーンとか観るとそれも頷けるわ
あの時の横浜は点差とか関係なく、野球のレベル自体が高かったんだな >>616
大会前半の池田は「恐怖の9番打者山口」が話題になってたな
しかし決勝が終わった頃には既にその印象は薄まっていた
結局全打者凄いじゃねーかということだったんだろう >>623
山口は、唇を怪我し、クチビル君と言われていたような。
翌年も捕手の井上が恐怖の9番打者になったね。
さわやかなイケメンで、女の子たちからの人気が凄かった。 83センバツ初戦の帝京戦でいきなり吉田がホームラン
江上、水野以外にこんな凄えバッターがいたんだと驚いた
吉田って前年夏はベンチにもはいってなかったよね? 校名に寂しさを感じるわ、、、
○○館に続き、今の流行は○○国際
すでに聖+宗教系の横文字が
甲子園まで来とるし
時代やからしゃーないけど、
あんましキラキラ校名とか好かん。 原、酒井のスター選手が勢ぞろい、強豪も珍しいほど順調に勝ち上がって
桜美林は優勝候補どころか、全く注目もされていなかったが。
当時のエース松本が後日語っていた話だと、春の関東大会も優勝したし
練習試合でも負けなしで、40連勝近くしたらしい。 >>634 目立った選手はいなかったけど、激戦の春の関東大会を制したので、それなりに
注目されていたと思う。
ところでその1年前のドラフト2位の岡田忠雄
https://news.yahoo.co.jp/articles/75d980a3f7ac6ed72c0e9e39302df4d2deb136aa
がこんなことに。選抜初戦の中京15-16倉敷工という乱戦の主役の一人だった。 あの年桜美林並みに驚いたのが星稜小松か。
まさかのベスト4。
あの年は本当に多士済々。 池田は、畠山3年時の夏の大会では当初。
初戦の対静岡戦でもそうだが、、畠山VS大久保(後に、この年の南海のドラ1・2)の投手対決が注目されていて、
チーム打撃の良さは、ようやく見られる畠山への注目度でかき消されていた印象 >>629
先に刊行された98横浜、73広商が大したことなかったので期待してない >>636
星稜・小松も長崎海星・酒井も連投の疲れで、準決勝で負けたね。
せめて今のように準決勝前の休養日があったら、二人とも準決勝で消えることは無かったと思う。
と、書いてて思いだしたが、この夏日本高野連はサスペンデッドゲーム導入を検討すると言ってたはず。
1週間500球の球数制限をノーゲームでも適用するのなら当然のことだけど、いつ導入するんかな? あの〜、岡山県の高校野球から初めて来たんですが、
50歳以上ということは102歳でもいいですか? 報知高校野球の隔月刊時は10月号があって
優勝する前年昭和56年10月号にそんなには大きくはないが
カラーページの所に畠山が紹介されてたな
畠山を知ったのはそれが初めてだった >>629
かなり昔、銚子商の平野さんが本出した。文庫にもなりました。宇野さん世代の人です。 1982年夏の池田が当時、史上最強の強打線みたいに言われたのは、つまるところ早実戦と広商戦の2試合の印象が強烈だったからだよね。
それ以外の4試合はすべて接戦で、打線の凄さがそんなに際立っていたわけでもなかった。 >>635
岡田の実家って岐阜市じゃなかったのか・・
冬場になると本荘中に自主トレできてた覚えが・・ >>643
実際、春までは畠山頼りで打線はイマイチと言われていたからね
秋は四国大会で明徳に0-1で完封負け >>641
畠山は1年夏にリリーフで投げていた
県決勝の鳴門戦ではリリーフして秦ら強打者が揃う鳴門打線を抑えている
その頃から、蔦監督もこの子で甲子園で優勝を狙えると言っていた 畠山は剛腕の触れ込みだったけど、前年の槙原程の凄みは感じ無かった。
個人的に甲子園での投球の衝撃度の高い投手。
藤高
高松
小松
槙原 松坂以前の横浜は前評判倒ればかりだったから今回もそうだろうなと思って観たらとんでもなく凄かった
あそこから横浜が高校野球界で別格の存在になっていったな そうだな。松坂登場以前の横浜は、拓大紅陵とか天理みたいに前評判が高くても格下に足元をすくわれることが多いチームという印象だった。
相川、恵津、部坂、矢野…彼らがエースの時もことごとくそうだった。
1998年でそのイメージが一新されたね。
最近また元に戻りつつあるが。 甲子園での衝撃度が高いピッチングというと、おっさんたちには最近過ぎるかもだが、やはり桐光学園の松井だな。
22奪三振の今治西戦を見ていて、バットに当たりそうな雰囲気がまったくなかった。
あの試合は、今治西という学校のイメージを変えたという点でも印象深い。
今治西はそれ以前、甲子園に出るたびに爪痕を残す戦いぶりだったのに、あれ以来、甲子園に出てこられなくなった。
さらに言えば、済美以外は公立優勢だった愛媛があの時以来、他県と同じように私立が圧倒的に優勢の県になった感もある。 松井裕樹と言えば、その前に名古屋電気の工藤公康かな
あのカーブには度肝抜かれたわ >>652
松井、工藤ほどじゃ無かったが、83年Y校の三浦のカーブもなかなかで安定感があったね。 鬼籍の親父がよく言っていたのは、浪商の尾崎だな。
「あれを超える投手は、俺が生きている内には出てこないだろう。」と、高校野球を見る度にいってたわ。 凄みは無かったが、点を取られる気が全くしなかったのは、西短の森尾かな。
予選、甲子園一人で投げぬいた。
後日、松坂に聞かれて、彼は何点取られたんですか?
僕は、甲子園で1点しか取られていませんと答えていた。 >>647
槇原がそんなにすごかったかね?選抜の1球目は球場がドヨドヨと湧いたけど、2球目に
ヒットを打たれて、結局初戦の報徳戦は3失点。打線の援護で勝ち上がったけど、2戦目は
御坊商工戦ではまさかの敗戦(0-4)。球筋が素直過ぎてコントロールも今一で攻略できない
投手ではなかった。スピードはあったけど。夏の愛知大会では良い投球をしていたけど、
準々決勝で中京に2点取られて敗退。将来性はともかく、正直微妙だったよ。県内では
工藤、槇原、浜田(愛知)のビッグ3だったかもしれない。 桐生第一の正田のカーブも凄かったよ。あとは江の川の軟投投手。島根勢をベスト4に進めたのはすごい カーブだけなら、静岡の高木。
当時三重で仕事をしていて、四日市で開かれた秋の東海大会1回戦を生で見ることが
出来た。東邦相手にいきなり、3者連続三振を皮切りに三振ショー。
高校生では、あんなカーブ生で見たことがなかった。 >>656
槇原は報徳の金村にホームランを打たれてたね。
速いけど球質は軽い感じだった。 >>649-650
那覇商とか大阪学院に食われてたからなあ
特に新野戦は衝撃だった
6回まで被安打0の部坂が突如崩れたからね >>654
俺は親父に伊香の藤高でほぼ同じ事言われてたわ。
高校野球史上で藤高に勝る投手はまだ見た事ないと、、、
10年程前の話だから、ちょうど大谷が出てくる少し前だな。 槙原みたいな速球派は、高校時代は変にまとまってない方がいいって言われるね。伊良部とかもだけど。 横浜は1989夏と1994春夏は力のあるチームだと思っていたけど、前者は初戦で星稜に1−5で完敗 後者は春は大府に勝った後、智辯和歌山に惨敗、夏は那覇商に初戦敗退
松坂世代以降は県外から選手が集まったこともあるのか、2008までは安定して好成績を残した
1998〜2008の甲子園32勝8敗(優勝3回、準優勝1回)は同時期では智辯和歌山に匹敵する実績だったと思う
>>658
奇遇ですね。
私もその静岡ー東邦の試合を
霞ヶ浦の3塁側で観戦してました。
東邦の朝倉、岡本も良かったですね。 >>663
松坂以前でも県外の選手は毎年何人かいたよ
鈴木尚典とか
やはり小倉コーチの影響で渡辺監督も勝つ野球ができるようになったんだと思う >>658
甲子園でも甲府工業戦の初回に三者を9球で三振で仕留めたな。 1973年の広島商て史上最弱世代て言われてたんだな
達川や佃て有名投手がいたから史上最強世代の大型チームとばかり思ってた
むしろ翌年1974年世代が強かったみたいだな結果出なかったけど
あの頃から崇徳は強かったんだな当時の選手が1発勝負だから勝てたけどリーグ戦なら無理だったて言ってるな
崇徳は1970年代なのに黒田の他にも身長高い大型選手がいたんだな >>669
迫田がふかしているだけだろう。実際、71、72年は甲子園からご無沙汰で、このチームは
秋季中国大会で優勝。選抜までに練習試合込みで30勝2敗だったと記憶している。選抜の下馬評
でもそこそこ高い評価を受けていた。彼等が入学した折に叱咤激励するために言っていただけだろう。 >>669
迫田がふかしているだけだろう。実際、71、72年は甲子園からご無沙汰で、このチームは
秋季中国大会で優勝。選抜までに練習試合込みで30勝2敗だったと記憶している。選抜の下馬評
でもそこそこ高い評価を受けていた。彼等が入学した折に叱咤激励するために言っていただけだろう。 カーブだけなら大垣商の篠田が凄かった
大きさは勿論スピードがエグい >>672
たまたま速報甲子園の道で見た岐阜決勝の篠田を見た時は、カーブがすげぇって思った。津久見と当たるのが早すぎたね。 カーブが凄かったというと、ベタだが桑田、それから近藤もいるな。
とくに桑田。左投手にはカーブがすごい投手が多いが、右投手でカーブがあれだけ凄いと思った投手は他にいない。
そしてストレートについては、最近Youtubeで観て、凄さに気づかされたのが秋村。
大学やプロでは今一つふるわなかったが、それが不思議に思えるほど高校時代のストレートはすごいね。 カーブが凄かったというと、ベタだが桑田、それから近藤もいるな。
とくに桑田。左投手にはカーブがすごい投手が多いが、右投手でカーブがあれだけ凄いと思った投手は他にいない。
そしてストレートについては、最近Youtubeで観て、凄さに気づかされたのが秋村。
大学やプロでは今一つふるわなかったが、それが不思議に思えるほど高校時代のストレートはすごいね。 >>676
確か88夏は予選の四死球0じゃなかったっけ。速球は報知高校野球でMAX147km/hだったと記憶。今に例えると、奥川みたいな投手だったな。 >>660
那覇商戦もあとから思えばエース矢野、控え横山道哉
3番多村、4番紀田、5番斉藤宜之と揃ってたんだよな
しかも実は那覇商主戦伊佐はイップス(真っ直ぐが入らず、変化球でしかストライク取れない状態)
しかし伊佐の変化球主体の投球に苦しみ、打ちあぐみ敗れた
ちなみに紀田への四球攻めは最初の3打席は勝負したがストライクが入らなかったとか
>>677
実際高卒1年目で23試合13先発4勝、2年目で29試合26先発12勝200イニングだからな
ただ4年目全休、7-8年目合わせて12試合(不調と合わせてこの前後4年間規定未到達)と故障もあったんだよな
そして30歳の若さで致命的な3度目の故障 >>677
甲子園でも札幌開成戦は無四球(そのわりに11安打は打たれすぎだったが)、大垣商戦の4回だったかな、ストレートの四球を出したときに、
アナが「予選でも四球ゼロでしたから珍しいことですが」、これを受けて河合貞雄さんが「まあピッチャーですから投げていれば四球は出しますしいつまてもゼロっていうわけではありませんから」と突っ込んでいた。 一過性の台風のような学校はあるよ
柳井商業
今は県内弱小と化しているが >>680
3回とも出場して地味に全て初戦突破してるんだよな
52年夏は優勝した芦屋に0-2で惜敗してる >>647
>前年の槙原程の凄みは感じ無かった。
https://blog.goo.ne.jp/grussgod/e/8bfec7b2ff8e615b799fb3984a9779e2
「槙原は江川以上の大物だ」という当時の週ベの記事が紹介されているね。
自分の記憶だと、槙原は選抜で147km記録したという事になってるが、
記事では、広島のスカウト測定で145km。この数値は、法政時代の江川と並び最速だとか 1988夏広島商ってどんな下馬評だったんですか?全くノーマークだったみたいな記事とか多いですがYouTubeみる限り投手安定してるし守備力もめっちゃ高くてすごく強く見えるんですが。初戦の上田東戰だけはバタバタですが。 あの松井秀喜が高校時代一番速く感じたのは、豊田大谷の平田だとか。
中日に1位指名されたが、甲子園に出れず、今のように動画もなかったから
どんな投手か全くわからなかった。
プロ入り後中々実績が上がらず何年かした後、中日ドラゴンズの番組で2軍で投げている姿を星野仙一が見て
このこじんまりしたフオームは何だと激怒していた。
素人目にも全く迫力も躍動感もなかった。 >>685
第70回大会(1988年)は、
打力の宇都宮学園、拓大紅陵、東海大甲府の
関東勢の他に、
近大付、天理の近畿勢、
好投手のいた高知商、福岡第一、津久見が
優勝候補だったはず。
広島商は挙がっていなかったと思う。 >>687
広島商はともかくも、あの年最大のサプライズはベスト4に入った浦和市立だろうね。
前評判も最低ランクに近かったと思う。 >>687
候補ではないが、自分の地元の金沢は前年もエースだった岡本が残り、抽選も西日本側に移ったので期待していたんだよなぁ。
が、よりによって初戦が東海大甲府。終始リードして押し気味だったのにサヨナラ負け。この頃の石川勢は毎回惜しい試合を落としていた。 1988センバツ優勝した宇和島東は夏は出て来れなかったんだっけ?
準優勝の東邦は県準決勝で愛工大名電に延長戦で負けたんだよね 津久見の川崎はそんなに速いと思わなかった
カーブは大きく曲がってたような気がするけど >>688
熊谷商、所沢商、上尾の時代が終わり
浦和の時代だった。
鈴木健の浦学のインパクトが強すぎて
浦和市立は小粒なチームだったからね。 >>690
地方大会準決勝で八幡浜工に負けてる。
ちなみに代表は甲子園で選手宣誓をした松山商。
名電には雲宝という4番がいたのを
今でも鮮明に覚えてる。 >>689
金沢にはいつも本格派がいて
3点勝負の試合が多いね。 >>693
松山商の四番、金潤煕(キム・ユニ)は期待されたが、甲子園ではノーヒットだったな。
雑誌で北朝鮮に住む祖母とは会ったことが無い、って語ってたのを覚えてる。 >>693
名電と高知商の好カードで名電が勝ったんだよな
高知商には岡って好投手がいて、ドラフト2位ながら競合してヤクルト入りし1年目から一軍で投げてたな
惜しくも故障に倒れて復活出来ず、最後は外野手で終えた
1位だった川崎も故障に泣いたが、こちらも30歳で潰れたとはいえそれまでに2度復活してたんだな
山部もまた故障に泣いた投手だったな
こちらは社会人経由のプロ入りだった
松山商は拓大紅陵の強打に圧倒された
紅陵は高橋憲幸(日ハム、コーチ・スカウト)と和田孝志(現同校監督)の二本柱に打線も良かったが、初戦で池田を延長14回の末退けた浜松商のしぶとさに屈した 雲宝の逆転タイムリーで、名電の中村監督が帽子を飛ばして喜ぶ場面は記憶に残る名シーンだね。 あの頃の拓大紅陵は、勝ち試合だけを見ていると途轍もなく強く感じたんだが。
新湊に4点差を逆転負けされたり、大型チームにありがちな脆さがあったな。 今では良く高校野球の応援に使われる「さくらさくら」は
自分の知ってる限り
88年の名電で初めて聞いた。 >>679
無四球と言えば思い出すのが、東亜学園の川島。準決勝?で初めて四死球出した時は甲子園がどよめいた。結果そこまでだったが。プロ行って通用しなかったなあ。コントロール良ければそこそこ行けると思ったけど。 >>697
谷脇監督が言ってたのは、岡の速球は中山より一段下、変化球は津野の一段下。総合的には1流だけど。と、言ってたなあ。ヤクルト行って泣かず飛ばすだった。やはり一芸に秀でないとダメなのか?と当時思ったわ。 川島堅がプロで通用しなかったのは何故なんだろう?
広島は投手育成に優れているイメージだったけど まぐれまぐれみたいに言われるけど新湊って守備は出場校中最高レベルだったよな >>703
ググればすぐわかるよ
ネットの無い時代から散々言われてたけど >>687-688
1988年夏、広島商は優勝候補にまったく挙げられていないうえ、初戦で初出場の上田東に大苦戦し、「今年もダメだな」という雰囲気になっていた。
しかし、浦和市立との準決勝の際のアルプスリポートで、浦和市立の関係者たちから「今日の相手は厳しいだろう」という声があがっていると聞き、驚いた。
浦和市立なんて、常総、宇学、宇部商と倒してきたのに、それより広商を上に見てるの!?と。
ただ、上田東戦以後は日大一に大勝、川崎も見事に攻略して5−0で完勝と、ベスト4が揃った時点では「今年は広商なのかな」という空気も確かに流れていたね。
浦和市立のアルプスはその空気を察知したんだろうな。 >>701
川島が初めて四球を出したのは、準々な北嵯峨戦の8回、甲子園で35イニング目だった。 82年の広商の大会前の評判はどうだったっけ? 88年ほど低評価じゃなかったと思うが、池田、早実、中京、が候補だったと記憶している。センバツ出場の強豪が予選でコケまくって驚いた大会だった。 ここの奴らは浦和市立旋風より大宮東が見たかっただろ? >>708
82年の広島は、山川擁する崇徳が久々に甲子園に出て、全国の舞台でも結構戦えるのではないかと期待されていた。
だから県大会決勝で山川が広商の機動力に攻略されて0−5で敗れた時は、非常に残念に思ったものだった。
広商は前年、新発田農に初戦敗退していてイメージが悪かったし、エース池本も横手投げの軟投派で、全国で通用するのか疑問だったしね。
甲子園であれよあれよと勝ち進んだのは完全に想定外。
しかも、初戦の2回戦で鉾田一の関、3回戦で興南の仲田、準決勝で中京の野中とプロ入りする投手を3人も負かしたのだから、決してクジ運に恵まれたわけじゃない。
関と野中に、池田の畠山まで含めると3人のドラ1と対戦したというのもけっこう凄いこと。 >>698
雲宝って、名前からして打ちそう…って思った。次戦ではファーストで試合出てたね >>708
そう、優勝候補には挙がっていなかった。しかし例年よりはバッティングが良く、伝統のきめ細かい野球は健在だった。関の鉾田一を倒したあとに選手が「昨年(新潟の新発田農業に惨めな初戦敗退)の雪辱を果たせて嬉しい。この一年、地獄のような練習をしてきたから。まだ勝ち進みます」と話していた。意気込みも違っていたな。
ワンチャンス生かして2安打で勝った興南戦、ピンチの連続も鉄のような守りで1点を守り抜いた中京戦、広商らしさがよく出ていた。 >>712
1982中京は、初戦で当時全くの無名だった岡山関西と当たり苦戦したのが意外だった。なんだよ岡山なのに関西ってと思いながら見たの覚えてる。その後関西は何年かして甲子園で有名校になっていったが。 >>709
大宮東っていうと平成2年夏、高知商との初戦で、応援団が甲子園に着いたら
9回表だったってのを覚えてるな。
帰省ラッシュの大渋滞に巻き込まれて可哀想だったね。
>>710 >>712
広島商は84年の夏にも甲子園に出てたけど、初戦で金足農に普通に3−6で打ち負けてたな。
先制点を取られて後手に回ると意外に弱かった印象がある。 >>713
自分もそーおもった。てっきり山口だとおもった。
関西の魁、二十一回孟士が頭に浮かんだ >>710
広商は88年夏も川崎、前田とドラ1投手と対戦して勝っているな。
73年春も高橋(大学卒業時に1位)、江川、永川とドラ1投手と3人対戦している。 >>707
この時の北嵯峨主戦の2年生前川の息子が
敦賀気比から今年の広島の育成ドラフト2位指名(遊撃手)を受けたんだな >>716
73年春はそれ以外も中林、小山と好投手が相手だったせいもあって超貧打だったが、佃が
江川より長い無失点記録を残す快投を見せ、決勝進出の原動力だった。事前には津村と
二枚看板という触れ込みだったが、好調の佃の前に津村の出番はなく、夏でも甲子園の
マウンドを踏む事はなかった。更に貧打の影響で4番の大城は夏に8番、クリーンアップの
一翼を担った(5番の)大利は実質補欠になった。しかし、その大利が夏の決勝で途中から出場し、
決勝史上唯一のサヨナラスクイズをカウント2-2から鮮やかに決めた。 >>718
これだけ選手同士の競争が激しいチームは強いわ
キャッチャーの達川も秋の時点ではレギュラーが確定ではなかったらしいし、サード浜中も選抜から抜擢だったような 高知商の岡といえば選抜の福岡第一の前田との延長戦の投げ合いを思い出す 広島商のことを熱く語る人って、50代でも上の方だろ
50代前半の自分からすれば、物心ついた頃には強豪のイメージはなく、池田にボコられた地味な常連校の印象しかないな 88年夏の優勝も地味だったし
広島と言えば、広陵や広島工、如水館というイメージ 広商と習志野の野球って似てない?
習志野が87年に足を絡めて豪腕江口を攻略した時に思った。
昔はPLと箕島野球も似てる思った。 広島商はOBたちの情報網に長けてるんだよ。
73夏決勝相手の静岡もサインは読まれていた。
植松、水野が法政進学後、広商出身の選手らに
ばれてることを教えてもらったとか。
3回表の静岡の1死3塁からのスクイズ失敗も
スクイズサインは監督でなく部長が出すことを試合前から知っていた。
かなり綿密に試合前から分析している結果だよ。 もう広島商みたいな昭和野球は長らく高校野球の主流から外れているけど、2024年から正式導入の飛ばない金属バットが野球スタイルにどう影響してくるか?
また投手力守備力中心のスモールベースボールが戻ってくるのかな? 映像を見なくても、打ったときの金属音で大体年代が想像つくもんな。あの音が懐かしい。 疑問
ここ「50歳以上のおっさんが・・・・」というスレだが、
102歳の私から見れば、50歳以上がおっさんとはとても言えないと思います。
ここの野球の話題もよくわからないほど新しいです。
和歌山中や嘉義農林や大連中の頃の懐かしい話が欲しいです。
よろしくお願いします。 昔の広島商の野球をバージョンアップして演じてるのは明石商じゃないの? 兵庫勢は広島野球と近い気がする。育英とか報徳学園とか >>718
73年春、広商は準決勝までの4試合でわずか7得点、放ったヒットはたしか14本、打率は1割4分だったからな。
金光、川本の1、2番はノーヒット。金光は決勝で2本打ったが川本はついにノーヒットだった。 もういいだろ、広商ネタは
そんなに語りたければ単独スレでも立てて思う存分語ってくれ
江川ネタと広商ネタが来るといつも同じ人達と思うが、空気読まず際限ないからウンザリ >>723
最近の習志野が最強だったのは2011年だと思う。2019選抜準優勝のときより強かったんじゃないかな。 >>728
近畿勢で広島野球に近いのは京都勢のイメージもある
外大西は広陵OBの三原監督だったし、ちょっとベクトルは違うかもしれないが平安は伝統的にキッチリしてる
福知山成美時代の田所監督は、小技や守りを身上とする京都野球を強力打線で上回るチーム作りが自身のテーマと語っていた >>719
後掲の本を見ると、達川は秋の段階で外野をやっていて、びっくりする。
本人も昔は足が速かったと言っていたから、外野もできたのかもね。
広島商業高校野球部―高校野球名門校シリーズ/伝統の精神野球 (B・B MOOK 1055 高校野球名門校シリーズ 4) >>716
広商は1979年夏の甲子園でも初戦の2回戦で秋田商の高山、負けた3回戦で浪商の牛島とやっていて、ドラ1投手と2試合連続の対戦だったけど、
この時は県の決勝でも府中東の片岡と対戦していたから、実際はドラ1投手と3試合連続の対戦だったんだよね。
高山、片岡には買っているから、ドラ1を2人も沈めている。
ドラ1の投手とよく当たるのは伝統だろうね。 まさか嶋清一さんや松井栄造さんの話が聞けるのか!?ワクワク 和中の麒麟児・小川と高商の超弩級・宮武の思い出聞いてみたいですねえ 嶋清一は100歳以上のおじいちゃん達じゃないと語れないな >>710
その時の崇徳は全国で5本の指に入るとまで言われた大型チームで、決勝の下馬評も崇徳有利だったが、まさかの完勝。
久山主将が今年は全国制覇を狙います、とインタビューで自信満々に語ったとき、崇徳だったらなぁと思ったものよ。
甲子園でもいつ負けてもおかしくないくらい苦戦の連続だったが、まさかの準優勝。
野中の中京に勝った時はしびれたよ。 佃、達川らで優勝した後だったと思うが、広島商はこれまで甲子園で相手に一度もスクイズをさせていませんと言っていた。 今日の中国大会初戦で宇部商が逆転勝ちしたらしい。久々に甲子園で見てみたい。 あれ、今更名前を出しては言わないが
中京はチャンスでことごとく凡退した選手が居た
広商はほんと救われた
見てて気の毒なくらいだった お前らは中京っていうと、派手に打ち勝ったり横綱相撲したりするイメージですか?、それとも手堅く基本に忠実に僅差を勝っていくイメージですか? >>743
名前を隠す必要はないですよ
選抜でホームランを2本打つなど大活躍した4番森田ですね
彼は選抜後の夏の愛知県予選でも恐怖の4番と呼ばれたほどでしたけど、甲子園で絶不調に陥りました
ことごとくチャンスが彼に回って不運でした
でも、彼のおかげで愛知県予選を勝った面もあるから、当時でも地元では責める人は少なかったよ >>744
1975年のセンバツ開幕試合の倉敷工16-中京15の印象が強すぎて。 >>744
1987夏2回戦 中京2−1池田
9回裏同点スクイズ
10回裏サヨナラスクイズ
のイメージが強い >>741
その年の直近の出場の70年夏の高松商戦の二回裏にスクイズを決められてから(これが決勝点)、83年春の横浜商戦に決められるまで甲子園で28試合スクイズを許さなかった。 >>748
杉浦藤文監督は意外にも強攻策が多い監督
細かい野球のイメージがあるけどね 中京の投手は皆フォームが同じという印象がある。
78年のチームは硬軟織り交ぜた攻撃の出来る良いチームだった。チーム本塁打は
参加校でトップでPL戦でダメ押しのスクイズを決めた筈が。。暗転。 >>752
深谷弘次監督は細かい攻撃が持ち味の監督で、この世代は強打者も多かったから攻撃力は中京歴代でもトップクラスだったと思われる
PL戦での9回裏の投手交代ミスは、魔が差したとしか思えないな
一打同点のとこで黒木を投入、雰囲気に飲まれた黒木がストレートの四球でエース武藤を戻したが、あそこは武藤で通すべきだっただろうな オレが覚えてる中京の一番の番狂わせの試合といえば、昭和57年の選抜準決勝の二松学舎戦かな。
二松学舎の左腕市原(現監督)によもやの1−3の敗戦。
勝った二松学舎の青木監督が、試合後のインタビューで号泣してた。 絶対PL対中京になると思ってたのにニュースで二松学舎とかいうのが勝ったって流れてきて電気屋の街頭でおっさん達がええっ?てなってたのが面白かった。 >>747
中京は甲子園100勝目を達成したセンバツの大成戦でも
森田のホームランで1-0で逃げ切ったやん >>744
ギリプロ入りできないくらいの恵体の集まり
08春なんかまさにそうだった 鈴木誠也がメジャー希望らしいぞ
東京で産まれてドームから近い九段下の二松学舎で子供の頃から巨人ファンだったのに
江川があれだけ巨人に憧れて拘ったり
阪神が10年30億以上西武も引き留めに契約金だけで10億提示巨人は2年5億提示だったのに
巨人に憧れ拘った時代があったのに
今や巨人も魅力や影響力落ちてるな
野球事態が大阪桐蔭とソフトバンクの1強で飽きられてファンもウンザリだけど
今年はプロ野球はソフトバンクがほぼ絶望的で野球ファンでは盛り上がってるけど >>753
このときは杉浦氏は部長登録でベンチ入りしていたが、ワイシャツにネクタイ姿は似合わなかった。やはりこの人はユニフォーム姿がいちばんだった。 >>755
あんまり言われてないけど横浜商の方が安打多かった(横浜商9PL5) 中京の中の投手では巨人でも活躍した木村龍治が忘れ難い。88年の選抜宇部商戦で
あわや完全試合というピッチングだったのに、初安打後に逆転ツーランを打たれて
敗戦。ホームランボールを目で追いかける木村の表情が印象的。
>>753 深谷さんはこの敗戦で辞任。元々、杉浦藤文が63年以来監督をして66年の春夏
連覇を果たして翌年夏も準決勝前は連覇濃厚と言われながら、習志野石井のうまい牽制
等で敗戦。それから県内でも東邦になかなか勝てない時代もあった。その時代を脱した
ものの千賀を擁した76年の準々決勝でPLに大敗して辞任。54年の優勝監督だった深谷が
復帰した。深谷が育て上げた78年のチームだったが、秋季東海大会を圧勝しながら選抜は
出場辞退、夏は県準決勝の岡崎工戦と甲子園での箕島戦で劇的な逆転勝利を収めて、頂点
に駆け上がると思われたが、まさかの大逆転負けを喰らった。
杉浦の復帰後は野中が居た間に頂点を狙えたかもと期待を持たせたが、結局、頂点には
立てず。杉浦自身も前世紀に他界ぢてしまった。
>>761
76年の準々決勝でPLに大敗して辞任
誤りです。75年秋の中部大会で市岐阜商に敗退して選抜を絶たれて辞任が正しい
杉浦監督は、74年、75年の選抜で初戦負けに加え、75年選手権愛知県大会で国府に負けて批判が出ていた矢先に、市岐阜商に負けての引責辞任です
76年夏の甲子園は深谷監督で、事前のアンケートで優勝候補にPLをただ1人挙げていました 1978年夏大会は中京が大会随一の強さ言う人が多かったようだね
中京 県岐阜商が西か東か微妙な扱いで完全に西高東底の西日本大会と言われた >>762
ただし、杉浦氏は引責辞任といっても野球部から離れるわけではなく部長への配置転換だったから、年が一回り上の深谷さんが退任したら監督復帰するのはほぼ決まっていたと思われる
その杉浦氏も野中世代とともに1983年秋に42歳の若さで退任
退任の理由のひとつには健康問題もあった あの年は中京中学が閉校するタイミングで日本一になった。中高同時に日本一が
期待されたが果たせず。またその中学最後の世代(エース丹羽)も大府(槇原)、名電
(工藤)に勝てず影が薄かった。と言っても81年夏の予選で中京は大府に勝ったけど、
準決勝で愛知に負けたんだけど。因みに工藤は久方中で名古屋市で優勝していた。 1982年の池田は春までは42勝11敗3分打率291平均得点5・55平均失点1・82
箕島47勝3敗1分打率374本塁打35平均得点7・7平均失点1・8
1983年池田21勝3敗打率389本塁打21平均得点8・2平均失点2・4
畠山中心の守りのチームのイメージもたれるわなあの打線が打率2割台だったとか驚いた 原辰徳は巨人の全権まかされてて
原監督を辞めさせられるのは原辰徳だけらしいな
相模の若大将がいまや読売の独裁者かよ >>762
すいません、私の記憶では76年春の県大会で名城大付に4-8と敗れたあとに監督交代だったと思うのですが。
その年のゴング増刊の予選展望号や、週刊ベースボール増刊の選手権決算号にその辺りの経緯が書かれていたと思います。 中京の投手は金太郎飴みたいだと書いたが、その印象は千賀、武藤、黒木、所、
野中、紀藤、森で形成されたと思う。特に野中世代には広島で大活躍した紀藤や
アトランタ五輪で大車輪の活躍を見せた森が同期でいながら揃いも揃って右投げ
本格派で似たような感じだった。(武藤と黒木もそんなに違いがない)。ところが時代を
遡ると下手投げの金本(1年時の72年の甲子園で2試合連続完封で鮮烈デビュー)とか、
サウスポーの樋江井(70年ドラフト1位。濃人監督をして「湯口より樋江井だ」と言わしめた)
等、多彩な投手が居た。どうして金太郎飴化したのか。それとも曖昧な記憶が誤りなのか。
杉浦監督退任後も畔柳に至るまで大体似たような右本格派がエースという印象があるが。 二松学舎とPLの決勝では、PLがまた最後までもつれてサヨナラ勝ちするような試合をしてくれるのではないかと期待したが、
高知商戦、印旛戦と異なり、PLが先攻だった。PLはじゃんけんに勝てば先攻をとるので、じゃんけんに負けたんだろうね。
初回、いきなり先頭打者本塁打が出たりしたのは、そのうっぷん晴らしのように感じた。 中京は大学附属になってからは大型チームになったけどやらかすというか脆いイメージ
2017年のチーム鵜飼ていうスラッガーいて4人位本格派投手持ってたけど序盤最強チームか思ったら中盤から終盤に大量失点して広陵に大敗
2002年も前評判高かったのに西村に完封されたし2010年春も有原に敗け
広陵にやられまくりだな2010年夏も早実に21失点
2009年堂林の時くらいだな印象あるの >>771
同年の箕島とPLの奇跡持ち同士の対決は、どちらが後攻になるかを焦点に当てて楽しみにしていた記憶がある。 1978年夏、しれっと準々決勝まで勝ち上がった報徳に「さすがやなあ」と感心した。
前評判たいしたことないのに、なんかわからんけど試合終わったら
きっちり勝ってるみたいな。 1982年夏中京対広島商
アサヒグラフの写真は9回同点のチャンスで内野ゴロ
1塁にへッスラの森田だった
なぜか今も覚えてる >>761
88年木村世代は西脇監督が打力に凄い自信持ってたよね。春の東海大会決勝はホームラン4発など凄い打力だった。俺は実はこの代は野中世代より強かったと見てるけどどうですか? >>774
もう覚えてる人はいないかも知れないが、あのときの報徳学園には樽という外野手がいて、彼は前年夏に肩に重傷を負い、
医師から「利き腕の右肩を使ったらアカン、野球は止めるように」と強く警告されたにも関わらず野球を続け、一冬の間に
右投げから左投げに転向して、再び強豪報徳学園の外野のレギュラーの座をつかんだ秘話には感動したな。
右利きから左利きに転向とか並大抵の努力では無かっただろう。 >>774 でも8強の中で唯一覚えていない。もっと早く負けたチームの多くは記憶にあるのに。
一生懸命観ていた時代に8強チームが記憶に残っていてないのは只事ではない気配の消し方。
>>776
愛知県を離れていたので、意外ですとしか言えません。選抜3回戦で木村が劇的なピッチングと
敗戦をした印象は強く残った一方で、同時出場の東邦が準優勝したので中京の打力やチームとして
の強さは印象になく、夏に至っては予選の早い段階で負けたので、どういうチームだったかも
分からないまま。 >>776
88年の愛知県はハイレベルの3校がつば競り合いしていた
選抜準優勝でキク山田に機動力の東邦、選抜2回戦敗退ながら木村投手と強力打線の中京、投の板東、打の神野が軸の享栄
ところが、籤のいたずらで早い時期に中京と享栄が対戦してしまい、中京は木村が不調で板東のスリーラン始め6失点で打線も完封負けという意外な結果で完敗、その享栄も敗退してしまう
これで東邦で決まりと思われたが、準決勝で山田が乱調で名電に延長戦に持ち込まれ敗退
代表は2年生が多く例年より小粒と言われた名電になってしまった
その名電は甲子園で初戦で優勝候補の高知商に逆転勝ちしたものの、沖縄水産平良投手の変化球を打てずに3回戦敗退 >>779
享栄は準々決勝の杜若に1-4で敗北
その杜若を破って決勝進出したのが前年初戦敗退の名城大付
後にも先にも一度きりの決勝進出だったが、名電相手に延長に持ち込む大健闘だった 空気読まずにチラ裏w
昨日の中国大会一回戦
宇部商7-5出雲西
そー言えば、野中投手在籍中は宇部商との
対戦は実現しなかったんだな? >>770
自分的には中京が夏の甲子園出場候補筆頭だと思ってた。
享栄に完敗した翌日に
中日スポーツの一面か裏一面に
享栄・坂東の大きな文字が出ていたの覚えてる。 あの〜 自分40代なんですけど、
知ってる試合とか出てくるんで
このスレ参加してもいいですかねー?
ちなみに少年野球やる前の
84年センバツから記憶あります。 >>770
中京(愛知のほう)、好投手がいた世代はいっぱいあったのに、投手力に問題のあった堂林世代が久々の全国優勝になったのは面白いね。
あの代はとにかく打力が凄まじかったから、やはり投手力の不安を全員で補おうとする意識の高さがチーム力向上や勝負強さにつながったのかもね。 >>781
野中は広島商、尾道商、岡山南、関西と中国地区の学校とはよくやっている。
だから今、中国地区の高校で監督をやっているのは面白いめぐりあわせ。
だけど残念ながら宇部商とはやってないんだよね。
中京は宇部商と凄い因縁があるけれど。 >>773
PL-箕島の1982年選抜の対決は、自分もどちらが後攻になるかに注目していた。
9回、箕島が同点のチャンスを迎えた時は「また奇跡くるか?」と胸を弾ませたが、そうならなかったね。
一方、その3年前、1979年選抜準決勝では箕島が後攻になり、最終回に2点差を追いつき、最後はサヨナラ勝ちだったね。
箕島はそれまで「奇跡」のイメージはあまりなかったけど、今思えば、その後の数々の奇跡はこの試合から始まっているように思う。 >>774
単に籤運に恵まれただけという気もするけど
ね
8強に残れなかった高松商、仙台育英、横浜」、箕島の方が実力は上だと思った 相手が盛岡一、郡山北工、延岡学園だからな。
高知商業戦、三塁手の守乱から相手にこれでもかとまで攻め立てられて気の毒だった。 78夏の報徳学園は左腕手嶋の印象が強い
まとまった好チームだったけど、ベスト8で高知商業に虐殺された時にこれは優勝すると思ったな
自分の中では78高知商業が同校歴代最強なんだよな その高知商業に2−4で善戦した仙台育英の強さは本物だったんだな 当時の仙台育英のユニは今の慶應タイプより好きだったな 仙台育英は1981の代も戦力が揃っていて期待してたんだけどな
技巧派左腕・太田に豪腕右腕・甲谷 原野、寺島の強打者を揃えていたけど、初戦で鹿児島実に2−3で負けてしまった >>792
鹿児島実もこの代は大柄な山田投手を中心に強い世代だったから仕方がない
2回戦で九州同士の鎮西に負けたけど、事実上の九州チャンプ決定戦だった >>783
いいよ
俺も17歳だけどおっさんのふりして書き込んでる
>>791
神宮大会優勝してセンバツで優勝候補だった東北もいたし78年宮城はレベル高かったな
翌年変わったけどあの筆記体のユニフォームも好き
ちょうど青葉城恋唄流行ってたな >>791
東北のエースの薄木の評価は高く、江川2世の評もあった。
https://mobile.twitter.com/shinbun_supotu/status/1242034503599546368
実際、2回戦で優勝候補の高松商を封じ込んだピッチングは圧巻だった。まさか
次の準々決勝で消えるとは思わなかった。
一般には奪三振が凄く殆ど失点もなく関東大会を制した菊池(印旛)に注目が
集まっていたが、選抜初戦で優勝候補のPLに当たり、いいところなく破れた。
菊池は大学では活躍出来なかったが、東芝で活躍しソウル五輪に出場した。
選抜の時点での津田の注目度はそれほどではなかった。
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) 78高知商
自分も全国制覇するだろうと報徳戦で思った。
これは大会通じて明神の活躍が自分の心理面に影響したんじゃないかな。
なにしろ泥だらけのユニで真っ黒に日焼けした顔にこけた頬で眼光鋭く
タイムリーかっとばして、塁上で誇らしげに拳を振り上げる姿は中学生の自分には
威圧感に満ちており、テレビ画面越しにも怖かった。
「こりゃ、高知商の勢いは止められんわ」と
でも、明神は野球選手としてはこの夏限定の輝きだったようですね。 >>794
神宮大会では白武のいた佐世保工業に5ー0で完勝、決勝では次の夏に準優勝する高知商に3ー2で勝って優勝したんだよね。 >>796
土佐丸みたいなイメージだったよね。小学生だったけど凄えカッコいいチームだった。
>>791
仙台育英は有力校の一つに上がってたね。
選抜で優勝候補だった高松商に延長17回完封勝ち、高知商を決勝以外で一番苦しめたわけだから、評判通り力があったって事だね。
不思議だったのは大久保は県大会無失点で高松商も完封したけど奪三振が少なかったよね?
あれは何でなのかな。 >>795
いやいや、津田は選抜前の前評判も高かったぞ
初戦見て、大会一の右腕は津田と確信したわ
当時の津田は速球のコントロールが甘く、点は取られていたが、スイッチが入ったときの速球はえらく速かった
細かいコントロールさえつけば、プロでもエースになれる器だと思ったわ >>795
池永の名前さえろくに書けない奴のツイッターは恥ずかしい
津田は大会前から池永二世と言われて、東の菊池、西の津田という前評判だった ところで高校野球ファンにとって池永は犠牲者みたいな見方が大半だけど、
明徳の例の「甲子園が割れた日」でこの件を調べ上げたことがある元記者が
「池永はやっとったわ」と回想していた記事があったと思う。 津田の事で熱くなる奴が居て変だと思ったら薄木のスポニチの記事を紹介した
Twitterが池永が永池になっていた訳ね。リンクする際にヘッダーを見ていなかったわ。
まあ津田も3人の中に入っていた。一般の新聞やメディアでは薄木を外して
田中富生(南宇和)、菊池、津田、それに木暮(桐生)を挙げていたのが多かったかな。
石井や牛島の2年生はそれほどでもなかった。しかし、浪商の登場そのものがひさしぶり
だったので、牛島、香川に別の意味での注目はあった。 津田はたしかツネゴンと言われていたな。
崇徳の黒田もヒバゴンで有名になった比婆郡の出身なんで、何かそういう名前をつけられていたような。
その崇徳が原爆打線と言われたり、有名なサッシーもいたり、この頃のメディアのネーミングセンスは凄かったな。 >>802
大会総評では右の津田、左の木暮が高い評価だった
ただ、この2人は夏も甲子園に戻ってきたけど早い時期に負けた >>804
津田の南陽工も、木暮の桐生も味方打線が天理中西、県岐阜商野村と右の変則投手に完封されて負けた >>804
最注目の菊池は優勝候補筆頭のPL戦の初球にわざとバックネットに直接ぶつける暴投を
して自ら落ち着かせようとしたが、そもそもそう考える事自体が意識過剰で早々に失点し、
いいところなく4点取られて敗退し、評価を落とした。 78年 菊池(印旛)
79年 片岡(府中東)
80年 中島(柳川)、高仁(東京農大二)
81年 近江(星稜)
82年 日野(上尾)
あのころの選抜は期待外れの投手のオンパレードの感があった。 桜美林ってそういえば優勝後にドラマ仕立ての実況入りのレコード出てたな
あれ変な色モノお笑いレコードとか紹介されてもいい内容だった 笑 検索したら分かったわ
「嗚呼!深紅の旗 東京に還る 色鉛筆」でようつべで聞ける
懐かしいな >>807
>あのころの選抜は期待外れの投手のオンパレードの感があった。
ネットの普及と、一般の人の撮った映像も増え、
著名な選手が、甲子園での映像が初見になる事が少なくなったからね。 >>804
前にも書いたけど、1978年の選抜は第50回の記念大会だったのに、出場校は例年通り30校のまま。
記者が「何故、参加校数を増やさなかったのか?」の問いに「ナイトゲームや日程が延びて好ましくないから」と
大会会長が答えてた。
選抜大会はそれでなくても雨天順延が多いし、大会日程が延びるのを極力避けたかった。
それにこの当時は今と違って大会前に参加校が練習試合を行うことが認められておらず、練習試合、公式戦とも
3月27日解禁と決まってたから仕方なかったのかな。 >>807 片岡は打ち込まれて期待外れだったけどドラフト1位。
それより九州の奪三振王の池尻(久留米商)の方が期待外れだった。 76年選抜の崇徳高校の戦いぶりは、特に鉾田一戦を中心に既に語れてきた。しかし
準決勝の日田林工戦は余り語れていなかったと思う。日田は強打で鳴らすだけでなく、
73年夏に広商に決められたツーランスクイズをマスターして、新宮戦で鮮やかに決める
等機動力も抜群の強敵であった。試合は3回までに崇徳が2点をリード。しかし追う日田も
4回表に一死2、3塁の絶好のチャンス。ここで日田はツーランスクイズを仕掛ける。
それに気が付いた一塁の兼光は走者を無視してホームへ矢の様な返球をして2人目の
ホームインを阻止。同点の機を逸した日田は意気消沈し、裏に1点を失い勝負あり。
ツーランスクイズの成否に勝負の行く末が凝縮していた忘れ難いプレーだった。 >>814 2018年夏の近江の一塁手も兼光のようなプレイが出来れば金足農に勝てたのにね。
近江の選手全員、また大観衆誰一人としてツーランスクイズなんて予想していなかったから無理かな >>785
今年秋の中国大会で
宇部商と対戦してる >>806
昭和50、60年代の甲子園では、プレーボール直後の初球をバックネットにぶつける投手がたまにいたけど、
あれは、「男ドアホウ甲子園」の影響だろうな。 >>817
あれがどうメンタル面に好影響与えるのか、今だ謎。
ボールが一つ先行して投球が不利になるだけだと思うがね、、、 90年代以降はめっきり見なくなったが、最後にやったのは誰だろうな。86年防府商のピッチャーが初戦でやっていた気がするが記憶があいまい。 最初にやったのは昭和20年代の土佐の山本?投手と聞いたことがある。
やった投手で知られているのは鉾田一の戸田、練習のときだが中村の山沖かな。 >>817
「男ドアホウ」のアニメ版は、最初標準語だったのに、甲子園が舞台なのに関西弁でないのはおかしいとスポンサーからクレームが入り、関西出身でない声優が下手くそな関西弁使ったことで、視聴者からクレームが入り、また途中で標準語に戻すといった。本当にアニメ版はアホなアニメになったな。 逆だった
イカサマ関西弁→放送局が標準語にしろ!→今度は原作者が怒り関西弁に戻せ! >>819
1986年にやったのは防府商のピッチャーではなく、岡山南の加百ではなかったかな?
岡山南でこれをやったのは翌年の東森だったような気もして、おれも記憶が定かじゃないんだが。 >>823
何か記憶が曖昧だね。年は取りたくないものだ。東森といえば、報知高校野球で鼻の穴に500円玉が入るとか記事になっていたのを思い出すw 履正社を辞める岡田龍生って、あの泥んこ試合(東洋大姫路vs池田)の三塁手か。
初めて知った。最近の高校野球を観ていない事がバレる。 >>807
73年 飯田(銚子商)
75年 小川(習志野)
78年 菊池(印旛)
80年 高仁(農大二)
82年 日野(上尾)
84年 鈴木(明野)
86年 霜田(関東学園)
期待外れの投手、関東で多かった気がする。 吉田のドクターK(と当時は呼ばれなかったが)こと、宮下宗浩も前評判の割に大した
事がなく額面割れだった。 >>831
追加 75年 田村(小山) 東海大相模を抑えた下手投げだが天理にあっさり攻略された
82年 平沼(千葉商大付) も片鱗は見せたが期待外れ 75年選抜で最注目の投手は小川(習志野)と兼光(倉敷工)だった。小川はいいところなく
豊見城に攻略されて、また兼光は開幕試合で15失点の大炎上になり、額面割れ。小川は
夏に3試合連続完封したものの初戦で5失点、決勝で肩を壊し、投手生命はそこで終わり。 75年選抜のサンデー毎日の採点最高校はどこやった? >>834
807、831の文面の流れからして、選抜に限っての期待外れのリストだろうよ。 >>831
85小林(帝京)
86高村(宇都宮南)
87芝草(帝京)
この頃、秋は投手力が課題と言われたチームの投手がひと冬超え、選抜ですごい投手になっているケースも関東勢に多かった。 >>838
このカテゴリで一番はこの投手だろう
88小川(宇和島東)
出場校中最低の防御率の投手があれよあれよと優勝、しかも決勝戦は完封 >>836 サンデー毎日はチェックしていないが、本命が東海大相模、対抗が高知。
それに続いて習志野、倉敷工、報徳、池田あたり。組み合わせ抽選の後の毎日新聞
の4強予想で東海大相模、報徳と池田の勝者、高知の3つを的中。余り強いチームが
いなかった堀越が進出したブロックは掛川西だったような。この時は中京の評価も
それなり(剛腕といえば千賀もその一人と書かれていた)だったので相模のブロックに
強豪が集中した。その中でノーマークの豊見城が活躍した事が驚きだった。 >>841
堀越のブロックは加倉の柳川商を推していたと思う。
中京千賀についてはたしか「東海のキリン児」と書いていた。
第1ブロックは東海、中京、倉敷のゾーンはどこが進出してもおかしくない激戦区、強いていえば東海と予想している。もう1つのゾーンは習志野が総合力で上回り進出しそうだ、とあっさり書かれていたはず。 第66回大会(1984年)の鎮西って、
大会中に本部から厳重注意を受けたらしいけど、
そこまでマナーが露骨に悪かったの?
テレビ中継でも映し出されてた? 75選抜は波乱なしの大会やったんか・・。
開幕試合の中京と倉敷工の壮絶な打撃戦には驚いたけど。
この試合っていわゆる「バカ試合」の範疇に入ると思う?
両チームの四死球が異常な数だったとも思えないし、エラー連発もなかったように思う。
ただ試合の流れが両校で大きく入れ替わったような感じだった記憶がある。 >>844
75年の選抜といえばなんと言っても、開会式の朝に出場辞退を決めた門司工業(現:豊国学園)だろうね。
門司工は決して野球部の関係者が不祥事を起こしたわけでは無く、野球部員とは関係無い一般生徒2人が
住居侵入と婦女暴行未遂で逮捕されたというものだった。
当時は選抜出場校の出場基準に「学校の品位」という項目があって、事件を起こした門司工はこの項目に牴触
してしまい、出場辞退を余儀なくされた。
野球部の不祥事じゃ無かったから門司工は対外試合禁止の処分を喰らうことは無く、夏の県予選に出場したが
準々決勝で敗退してしまい、甲子園はならず。
「学校の品位」という項目はその後消滅したが、門司工業は不憫だったねぇ。 >>845
71年の選抜でも似たような事があった。出場が決まっていた北海が青函連絡船に
乗っている間に一般生徒の暴行事件が問題になって辞退に追い込まれ、青森でUターン。
代わりに芦別工業が出た。 >>845
門司工業の話は何度も出て来るけど、事件を起こした一般生徒の逮捕が開会式当日の未明だったんだっけ?
あれ、もしも逮捕が1日後だったら、いや、あと6時間くらい後だったら、開会式で行進したのに辞退ってなことになったんだろうか? >>845 門司工は本当に気の毒だった。もっと酷かったのは事件の被害者(加害者ではない)宅に抗議の電話が殺到したこと。
「選手の気持ちがわからないのですか」「どうして我慢しなかったのよ」
当時の週刊誌の記事に書いてあった。
加害者は60歳くらいになってるけどどういう人生送ったのかが気になる
高校は卒業出来たのかなあ?
補欠校の佐世保工業が開会式の日に長崎を出発して初戦の静岡高と対戦。善戦してた。
>>847 開会式の朝に旅館に校長がやってきて事件の顛末説明と辞退することを話していた
マスコミのフラッシュに晒されて号泣している選手が本当に気の毒だったよ。
加害者と同じクラスの選手もいたはずだけどその後どんな接し方したのかなあ >>847
私の記憶では当日朝、未明だったと記憶してます。
なぜなら、門司工業は前日の入場行進練習には参加してたから。
開会式の行進後でも、当時の佐伯天皇の時代では多分、出場辞退になってたんじゃないかと思う。
何せ佐伯天皇は不祥事に厳しく、連帯責任を厳しく問うた人だったし。
門司工の事件の後も、マスコミから連帯責任を重視しすぎじゃないかと問われても「私の目の黒いうちは今のやり方を
変えるつもりは全く無い。私がいなくなってから変えればいい。」と言い放ち、その硬骨漢ぶりは際立っていた。
佐伯天皇こと佐伯達夫氏は1980年に死去したが、佐伯氏の死後、連帯責任は時代遅れとばかりに、段々と
連帯責任が緩められていったのは、ここの住人なら皆御存知でしょう。
1986年の夏、全国大会の期間中に愛知県代表の享栄高校のベンチ入りを含むメンバーが、写真週刊誌「エンマ」に喫煙する
場面を掲載されて、世間と大会本部が上を下への大騒ぎになった事件があったが、あのとき享栄高校が出場停止にならず、
関わった部員をベンチ入りから外し、補充をしないという措置を大会本部と高野連が受け入れたのを見て、時代は変わったなと
感慨深く感じた。 >>846
北海高校は確か、その年の夏に南北海道代表で甲子園に出たから救われた方だと思う。
でも門司工は夏の予選、準々決勝で敗退しちゃったから、もうお気の毒としか。 ここまで悪質だと犯人は高校卒業できなかっただろうな
それどころか少年院行きもありえる 野々村直通『やくざ監督と呼ばれて』より
府中東の選抜出場が決定した後に在校生による傷害事件があったのだが、野々村監督はそのヤンキーを見つけるやいなや
「お前みたいな奴のおかげで、一生懸命に野球に賭けてきた奴らが甲子園を取られたら、お前を殺したるからな!このクソ馬鹿!!」とボコボコにしたらしい。
当時の部員達によると、先述の傷害事件よりも監督の暴力事件で甲子園がなくなるのではないかと真剣に思っていたらしい。今では笑い話だそうが。
この手のエピソードは他校でもありそうだ。 >>852
数年後何げなくスポーツ新聞の東都大学野球の試合結果を見たところ、藤原(門司工)が投げていて、あの出場辞退のエースが立ち直って投げているんだと思った
藤原投手は片岡投手(新居浜商出)と2枚看板で、最上級生のときにリーグ優勝したと記憶しています >>855
ちなみにリーグ優勝したときの国士舘大の中軸を打っていたのは国士舘高校監督の永田昌弘氏でした
藤原誠二→門司工で選抜出場停止 ミスターN東と呼ばれたアマチュア球界の名選手
片岡大蔵→新居浜商で控え投手兼一塁手 ヤクルトにドラ1指名
永田昌弘→中京で控え選手 国士舘高校を強豪に育て、母校国士舘大を1部復帰させた名将 >>850
享栄は試合出られたから良かったけど、後日談で次の試合はど真ん中以外ストライク取ってもらえなかったと近藤が話してたぞ。
審判も勝たせたくなかったんだろう。 >>856
藤原投手は89年のFLASHに記事が出ていた。「ああいうことがあったから少々のことにくじけずに社会人でもやってこれた。自分は運の強い人だと思います」とコメントしていた。苦い思い出をバネにがんばったんだな。 チームの辞退は無かったけど、2004センバツ優勝した済美の主将が夏にベンチ入りしなかったな 個人的な不祥事だったらしいけど
ダルビッシュから逆転3ラン打った春のヒーローだったけど、夏に甲子園出てきた時に実況で一切彼に触れなかったのが奇異に感じた
最近では1年生から甲子園で活躍した仙台育英の某選手が退学したのが話題になったな 済美の主将はダルビッシュでなくて真壁から打ったんだった 失礼 >>858
社会人では投手で33歳まで現役、後に監督を7年務めたから、アマチュア野球では一番上のクラスへ上りつめたのはないか( 身長が170センチ少々しかなくプロは難しかった) 「学校の品位」なんぞ形骸無実みたいなもんやろな。
それこそ、昔の浪商・中京らに学校の品位は感じられんわ。 >>840
93年の選抜の上宮の牧野投手も秋の大会の防御率って4点台位だったのでは。
秋の近畿大会ではメジャーでも活躍した岡島がいた東山にコールド負け。
選抜では鹿実戦でノーヒットノーランをしかかったけど9回に本来のエースの
吉川が出てきて打たれておじゃん。この交代に対して鹿実の久保監督が武士の情け
だったとぬかしていなぁ。決勝では大宮東を完封。背が低い左腕で箕島の東投手を
思い出した。 >>863
大会前まではエースは吉川だったと思うが
牧野は本職が外野手で、吉川の調子が上がらないので選抜では主戦になったはず >>836
ヤフオクかメルカリで出品中のかなり前に見た記憶では
東海大相模が投手攻撃守備総合全部95評価
高知が投手90で全部95だったような
オール95評価は1981年早実と1984年1985年PL位だったかな
それ超える史上最強チームが江川作新の投手100攻撃95守備95総合98評価
関東を甘めに採点する傾向がある印象
1982年上尾投手95攻撃95守備90総合95で
箕島を投手に不安ありを強調して上尾を本命に推したりしてたかな
池田の蔦監督も箕島は投手が弱い言ってたけど >>862
寄るな名電、触るな享栄、中京見たら110番だっけ?
寄るな触るなには東邦が入ったりもするけど最後の中京だけはなぜか鉄板 >>866
中京と享栄が逆。寄るな名電、触るな中京、享栄見たら110番が正解。 最初に出てくる名電が一番マシかと思いきや
寄っても触らなきゃOKの中京が一番マシなのね >>868
ヤンキー校の中京がそこそこの進学校になっていて時の流れを感じさせる 松坂引退もあって、最近98年の甲子園を動画とかでよく観てる
この年はよくレベルが高かったと言われるけど、横浜が突出していて、対抗馬はPLと明徳ぐらいしかいなかった
そのPLも歴代の中ではそんなに強くなかった
今振り返ると横浜が大会を盛り上げただけで全体のレベルはそんなに高くなかったように思える
のちにプロで活躍する選手が多かったのは事実だと思うけど 浪商の尾崎が中退した頃にネットがあれば、大騒動だったろうな。 【高校野球】県岐阜商、通達従わず練習し事故…部員頭部にボール直撃
10/26(火) 5:00 配信 スポーツ報知
春夏合わせて4度の日本一を誇る名門・県岐阜商で、県の通達に従わずに練習を行い、その練習中に部員の頭部にボールが当たる事故が起きていたことが25日、分かった。
関係者によると、事故が起きたのは、県から小中高の学校に部活動の原則休止が通達されていた緊急事態宣言下の9月1日。同県美濃市内の室内練習場で選手30人以上が“自主練習”として実質的な全体練習を行った。 その練習中、打撃マシンにボールを投入する部員の前頭部に、防球ネットをすり抜けた打球が直撃。その場で倒れ込んだ。
しかし、練習を指揮していた同校教諭は、119番通報せず、現場にいた保護者の自家用車で県内の病院に搬送するよう指示したという。部員は吐き気を訴え続け、10日間入院。現在も本格的な練習は再開できていない。
鍛治舎巧監督(70)は当日、岐阜市内の同校室内練習場で別の部員の練習を指揮しており、ある関係者は「練習を指示したのは鍛治舎監督」と証言。学校側はスポーツ報知の取材に「事故があったのは事実。県(教育委員会)にも報告している」と説明した。
https://news.yahoo.co.jp/articles/7bc7ffced617ba6ace1cca95113f8c56c471b8b3 鍛治舎さんかいな。さすがに現役高校球児の頃の記憶はないが早稲田以降良い悪いの
限らず話題に事欠かない人だ。うちの職場にもパナソニックと名前のついた冠施設が
あってそのこけら落としには当時専務だった彼が来たそうな。 昔は球審がカメムシみたいなゴリゴリの
プロテクターを身に付けていたけど、
あれって 当時のVHSで観るかぎり、
松坂の横浜が春夏連覇した80回記念大会までだよな? >>873
鍛冶舎さんといえば、前任の熊本・秀岳館高校の監督時代にも事件があったのを覚えてる。
秀岳館が夏の甲子園でベスト4に進んだ年に、同校のブラスバンド部も全国大会出場が決まってた。
しかし校長が野球部の応援を最優先するあまり、日程が被ったブラスバンド部の全国大会出場を認めず、
強引に出場辞退させて、甲子園の応援に動員してたな。
もっとも、この事件は鍛冶舎氏は関係無かったのかも知れないが。 公立・私立共に、強豪と言われる学校は緊急事態宣言下でも練習をしていただろうな。
県岐阜商にどういった処分が下されるのかはわからないが、他校にも影響が及ぶような
処分が下されなければいいがな。 >処分が下されなけれいいがな
典型的な好きが高じて周りが全然見えなくなってる
老害クソジジイで草 鍛治舎って、秀岳館の時も招待試合で清宮と勝負したいために他の打者を敬遠して物議を醸したり、色々とお騒がせな人だな 結局、秀岳館側からも疎まれて退任したんだろ
解説者として爽やかなイメージがあったけど、この人ほど表裏ある人は少ないんじゃないか 表裏あるから一部上場企業で取締役まで出世した。
そして斬られた。因果応報だな。 県岐阜商 緊急事態宣言下の練習で部員が負傷「自主練習の枠組み、拡大解釈していた」
10/26(火) 16:22 Yahoo!ニュース デイリースポーツ
岐阜県立岐阜商業高校の硬式野球部員が、新型コロナウイルス感染拡大による緊急事態宣言発令中の今年9月1日、自主練習をして負傷していたことが26日、学校への取材でわかった。宣言中は県教育委員会が部活動の原則禁止を要請していた。
同校によると、9月1日に部員約20名で自主練習を実施。午後6時ごろ、同県美濃市の室内練習場で、打撃マシンにボールを入れていた1年の男子部員の額に、打ち返したボールがかぶっていたヘルメットのつばをかすめて当たった。男子部員はその場にしゃがみ込んだが、後に立ち上がり「大丈夫」と話していたという。
その後は、現場の指導者が病院に連絡したうえで判断し、男子部員は保護者の車で病院へ搬送。現場の指導者も自家用車で病院へと向かった。 男子部員は10日間入院したが、現在は部活動にも復帰。村山義広校長は「後遺症などもなく学校生活を送れている。しかし、救急車は呼ぶべきだった」と話した。
学校側は、硬式野球部員が約20名で自主練習を行っていたことを認知したのは男子部員のケガの報告を受けてからだという。「自主練習は個人で技やスキルを磨くもの。枠組みを拡大解釈していた」と村山校長。9月2日には県教育委員会に報告し「行っていた練習形式は自主練習ではない」と指導を受けた。
学校側からも硬式野球部に「コンプライアンスを守って、県岐阜商のブランドを作っていってほしい」と促したという。 村山校長は「硬式野球部の方にも話をして指導を行った。決まったルールは守るべきだった」と謝罪した。
ツイッターでは「県岐阜商」がトレンド入り。元阪神・藤川球児氏が「時代よ変わってくれ…。いつまで古い体質なん??こんなの部活じゃないよ」と反応するなど大きな議論を呼んでいる。
https://news.yahoo.co.jp/articles/eda4001b8e40cfe7ea9fc40bc5cdd5015859456f >>881
球児、お前だって古い体質の部活で育ったんだろ?
少なくとも、高校野球の指導をやらないくせにコメント出すのはやめておけばいいのに 鍛治舎の裏の顔はけっこう有名だが、やはり独裁者は滅びる運命だな。
今回の事故もお前もういい加減にしろやっていう天罰にも感じる。
せめて自ら退任して反省しろ。 作新・江川の2試合連続延長での激投
広島商業のサヨナラスクイズ 東海大相模打線に立ち向かった定岡の力投とセカンド中村の超ファインプレー >>889 あの試合には伏線があって東海大相模は初戦で優勝候補でビッグ3(大会後定岡が
加わってビッグ4)と言われた工藤を擁する土浦日大に9回で追いついて延長16回に逆転勝ち
をした試合があった。この準々決勝も似たような展開で相模が9回に追いついて、今度は15回で
負けた。話題の中村孝のファインプレーは、次の動画
https://www.youtube.com/watch?v=R0NRmF8CtMA
の4'55"あたり。でも個人的には前年の決勝の川本(広商)のファインプレー
https://www.youtube.com/watch?v=lJ1qvSshQKM
(の4'30"あたりから)の方が上だと思っています。 スコアボードにカタカナの名前を初めて見たのは
堀越のカイザー投手でした 名前がカオルという選手もいたな。高知商だったっけか。 >>869
西のヤンキー学校筆頭の浪商だって
進学校とは言いがたいがお坊ちゃん学校に華麗に変身
浪商生は地元工業高校の生徒にビビらされているという
昭和時代では考えられない光景が 54歳だけど40年代はわからないな?60歳以上というスレッドをたててみては? >>890
いやいや、中村孝のファインプレーはサヨナラ負けを救ったという極限状況でのことで、全然価値が違うと思っています 川本さんのファインプレーも凄かったけど抜けても同点止まりだし >>893
81年選抜82年春夏と出た高知商の松本カオル >>897
松本カオル捕手は、82年夏の高知県予選では16打数13安打で8割超えの打率だったはず >>892 71年夏の選手権のライト(岡山東商)はベスト4進出の原動力なので
鮮明に覚えている。Wikipediaを見ると阪急に入って2年間に1軍に上がれなかったから
自ら退団を申し入れて母国のオーストラリアに帰ったとの事(知らんかった)。 >>896 そうかな。水野の打球が抜けていたら静岡が勝って優勝だよ。優勝を決める
一打を防いだという意味では全然価値が違うと思うけど。 >>900
水野の打球は抜けていたら痛烈のセンター前ヒットだから同点で無死一塁二塁、そのあとは分からない
タラレバの話にしかなりません
優勝を決めるというのはあなたの脳内です >>901
あの打球であの角度でセンター前はありえない。
打った水野も完全に外野を越した当たりと言っていた。
無死2塁3塁からの長打だから
少なくても続きは同点で無死2塁、 >>892
スコアボードには「フレデリック」と表示されたんじゃなかったっけ?
鹿倉がノックアウトされたあとに登板したんだよな。このとき一年生か。 堀越のフレデリック投手の後に出場したカタカナ名前の選手って昭和の時代では
記憶にないなぁ。結構、飛んで1998年の平塚学園のバービーシーモア? 21世紀にな
ると国際婚も増えてやたらといる印象。 戦前の中等学校選手権時代、慶應にアメリカ領事館の倅だか白人選手がいたらしいな。 >>902
タラレバの邪道オタww
御託はいいから薬を飲んでおけよ >>905
大正5年の第2回大会に優勝した慶応普通部のジョン・ダンかな。
子供のころに近藤唯之著「熱球!甲子園高校野球入門」の甲子園なんでも50に載っていたので知ったわ。 99年春の明徳・森岡エーデル次郎
日系ブラジル人3世で19歳だったが特例で出場が認められた そういえば75年選抜での豊見城は、本来監督の裁弘義が形式的に部長に回って、
現役高校生だけど年齢制限に引っ掛かって選手として出場出来ない亀谷興勝を監督に
据えていた。夏は石川が出てきたから分らなかったけど、選抜だけの措置か、亀谷が
卒業するまでやっていたのか? 日章学園の瀬間仲が出場した頃はまだ朝日でも「大会史上○人目の外国籍の選手」と紹介されていたと思う。
翌年に羽黒のカルデーラが登場したあたりから、いつの間にか紙面では紹介されなくなっていた。 >>911
韓国籍(中国籍も)は無数に居たから意味がないと思ったのでは? 以前はスコアボードが手書きで、雨が降るとペンキが流れて読めなくなった。
それが電光掲示板形式に変わったのが1984年で、それ以降、雰囲気が変わった。 (途中からだけど)1984春は歴代優勝校のパネルが外されたり、夏からはNHKテレビの選手表記がフルネームになったりと、変革の年だったね。 83年までグラウンド内フェンスの広告も隠してたな
確かに84年が景観の転換期かも
アナログで小汚い感じが好きなのでバックネット亀甲の81年までの甲子園が好き NHKの試合中のスコア(左上に出るヤツ)やSBOの表示フォントが変わったのは1982年夏からだった。以前の丸っこい感じのフォントがレトロっぽくて好きだったんだけどなぁ。 荒木大輔コーチクビなったね新庄みたいなノリには合わないのかね
当時の荒木大輔もアイドルで売り出してたのに「好きよ!ダイスキ君!」て
荒木大輔が大谷だとしたら菊池雄星が愛甲でダルビッシュが金村義明だな
畠山水野がマー君マエケン清田育宏桑田のKKコンビみたいなのが野球会から出てきて欲しいな
候補は佐々木朗希奥川山本村上あたりだな
印旛は五輪で金メダルとか結果残し続けたのに新庄に負けて屈辱だろうな小笠原も辞めるまたいだし
けど今は古い体質の指導者は流行らないから仕方ないかもな原辰徳も批判記事多いし
ゴレンジャーの野球仮面の台詞じゃないけど野球会も若返らなければ〜ではあるといえる >>918
稲葉が監督になれなかったのは奥さんのパワハラが原因で、稲葉監督になったら出ていくと宮西ら主力が言ったからだよ 昔の話だが、野村が南海の監督を切られたのもサッチーのパワハラが原因
稲葉本人については球団は評価しているからGMで残した >>918
誤字、話が飛びすぎ
印旛って何だと思ったら稲葉かよ >>912 91年夏の決勝の報徳・京都商には併せて7人の外国籍の選手がいた。 >>912 91年夏の決勝の報徳・京都商には併せて7人の外国籍の選手がいた。 甲子園出場校でベンチ入り選手が野球をやるために県外から入学した部員が
半数以上占めていたのは江の川が最初? >>916
NHKの試合中の表示、「表」と「ウラ」が定番だが、82年夏だけは「裏」だったんだよね。翌83年春は「ウラ」に戻っていたから分かりにくいと苦情があったのかな。 >>924
それは記憶になかったなぁ。
確か、88夏からだったと記憶しているが、スコア表記が右下になって違和感があった。その後は左上に戻ったりと、何かと迷走していた感がある。 >>923 それいつ?谷繁の頃やその一寸前だと倉吉北の方が先(1981年選抜でベスト4に
進出した差異は15人中13人が県外出身)。過半数かどうか分からないけど、戦前も
おおっぴらに県外留学は行われていた。沢村栄治は三重県宇治山田(伊勢市)から京都商
平安が初出場した際は台湾からの留学生が3人、滝川中が出た折には台湾から4人居たらしい。
まあ、野球と関係ない県外留学も多くて、父親も汽車に乗らないと中学に行けない様な
田舎だったので東京の中学に進学したし、叔父は戦後でそういうのが五月蝿くなっていたので、
中学3年に東京に引っ越した事にして(親戚の住所を使ったみたい)東京の高校に進学していた。
昔の方が過熱ぶりが激しかったかもしれない。 谷繁の時代の江の川って、半数どころか殆どが県外だろ?
開会式の行進時に、アナウンサーから「嬉しい里帰りです」なんて言われてたやん! 新庄立浪に隠れて地味な扱いだけどソフトバンクの藤本て1981年幻の天理のメンバーだったんだ
甲子園で活躍した西川吉村金村愛甲とかコーチもなれないのに
対外試合出来なかった藤本がソフトバンクの監督なるとかわからんもんだな
印旛の月山は焼き肉屋だったな 江の川は昭和50年夏初出場時はすでに県外人ばかりや。 地元中心の日大山形
関西からの留学生でチームを立て直した東海大山形・酒田南・鶴岡東
地球の裏側から留学生を連れて来た羽黒 >>926
でも、週刊誌(特に週刊ポストと文春だったと思うが)の徹底的なバッシングに遭ったのは、
ちょっと前にも話題に出てた1980年夏の江戸川学園取手だったと思う。
急がば回れで甲子園のお膝元の中学から沖縄の興南に進学した竹下らは、そんなに悪く
書かれていなかったのに、江戸川学園取手の叩かれ方といったらもう尋常とは思えなかったな。
関東だったから余計に取材しやすかったというか、書きやすかったのだろう。 江戸川取手は茨城大会決勝で伝統校下妻一高念願の甲子園出場を阻んだ。
マスコミはこれが気に食わなかったみたいだ。
予選決勝でも江戸川取手ナインに対して球場を埋め尽くした地元観客から
心無いヤジが試合中も試合後も投げかれた。 江戸川学園は茨城県内限定のバッシングだろ?
甲子園では何も出来ないまま空気のように消えていったからヒールっぽくはないよ。 そんなに「留学生」は責められる話か?昭和20年代30年代、志望校の
校区にいる親族・知人の家に選手を養子縁組することは頻繁におこなわれ
ていた、男が強くなると決心したならそういう生き方も肯定できよう
今の高校野球はもっと規制緩和すべき、年齢制限を撤廃する
転校したらその日から出場できる うおおおおー。
中国大会が広商と広陵の決勝になった。
涙が出てくるぜ。 広島の名門そろいぶみ。戦後では92年春、02年春だった。
ほかには
中京、東邦は88年春
岡山東商、倉敷工は74年春
津久見、大分商も74年春
PL学園、浪商は78、79年春
報徳学園、東洋大姫路は85年春、98年夏
高知、高知商は72年春
徳島商、池田は85年春
だったかな。 >>939
>>940
広商−広陵の決勝戦になったのは、91年秋の中国大会だけ。 小細工なしの大逆転でしたね
倉敷工のユニフォームっていつからKURAKOになったの?
KURASHIKIでしたよね? >>932
その前にあの年の予選は東海大相模のビンタ事件で週刊誌が大きく報道したから
その流れというのもあったと思う
まあ愛甲の土下座とか、何となく校内暴力で荒んだ学校教育という後背景みたいなのも
時代的にあった
うまく説明出来ないが >>940
名門そろいぶみでいうと、
銚子商と習志野というのはなかったな。
両校とも昭和40年代〜50年代前半ぐらいまで、
全国的にも強かったので、
そろいぶみがあっても不思議ではなかったが、
実現しなかったのが不思議。 >>945
いやあの頃の秋の関東は各県1校(開催県のみ2校)だったから無理だった。 >>941
その結果広商はどうなったんだっけ?
92春に広陵が出てたのは覚えてるが広商の記憶は皆無だ >>947
91年秋中国大会
決勝戦 広陵5−3広島商
↓
92年センバツ
1回戦 広島商3−0坂出商
2回戦 広島商2−3天理 thx>948-949
2回戦天理ということは初戦は2日目第1試合かな
Wi-Fi生き返ったら動画も見てみるよ
夏は広島県工だったな。3回戦で明徳に静かに勝ってた
86年に選手で出ててまだ若かった宮川監督が
超メタボになってたの見てビビった >>950
日刊ゲンダイに、若いのに態度が大きく、嫌われている、という記事が出ていたね。
その後、広島工業から他校に異同になって以後はほとんど野球部の監督をしておらず、なんとなく合点がいった。 ↑ そして、同級生の高津投手が今年 プロ野球の
優勝監督になったのも、人生色々ですね 神奈川両雄センバツ揃い踏み
1992 東海大相模、横浜→相模が準優勝
2006 横浜、東海大相模→横浜が優勝
2011 東海大相模、横浜→相模が優勝 >>948
天理戦で広商はエラーを連発して負けたと思う
当時は広商らしくないと思っただけだが、88年を最後に広商の緻密な野球は消えたと思う 小室圭さん司法試験不合格で思い出した事がある
江川の慶應不合格、テレビですごい扱いだった >>956
江川と一緒に慶應に挑んだ丸子実の堀場は一浪して慶應に合格したね。
当時はスポーツ推薦入試が無かった。 >>892>>903
同級生に2年夏と3年春甲子園で完封勝利を記録した小川がいたため甲子園では登板していない近江・サラサル
14秋近畿で小川、京山(現DeNA)がつかまったため救援登板したときの西京極(わかさ)スコアボードはS・A・英二
本名はサラサルアレクサンダー英二だが、この姓を略して名前を表記するスコアボードはきわめて珍しいかと
(例えばダルビッシュならD・S・F・有となる)
ちなみに天理大中退から渡米して現地の大学に入って投手を続けてるとか 広商も和歌山東も結局決勝で大敗か
この傾向どうにかならんかね >>956
俺も思い出したわ。
江川の受験番号がスポーツ新聞にのっていた。
合否発表の日はNHKがニュースで「江川クンは残念な結果に終わりました」と報じたくらい。
プライバシーもなにもなかったな。 >>954
そう、2回表に内野ゴロを一塁悪送球など2つエラーしたかな、1安打で3点取られた。攻めてはバント失敗、牽制死。これが広商か、と目をおおいたくなった。
報知高校野球の熱球譜にも「これだけミスを重ねたら敗戦は自明の理だろう」と書かれていたな。 >>962
当時はたまたまだと思ったが、時が経って振り返ると川本監督退任後に広商野球が変わってしまったような気がする
最後に甲子園で見た、いわゆる広島商野球は1988年夏が最後だな >>923
初出場の昭和50年夏の朝日新聞かな
全校生徒の2/3が県外生で全校生徒の6割が女生徒って書いていたな
監督の前職が滋賀県警の警察官やったかな? >江川と一緒に慶應に挑んだ丸子実の堀場は一浪して慶應に合格したね。
>当時はスポーツ推薦入試が無かった。
デーブ大久保ちゃんねるで中尾(滝川)が当時の内幕を語っていた。
滝川から慶應に進学した先輩部員の口利きで高校二年から慶應の練習会に参加して
高校三年の練習会の時点で当時の慶大野球部監督から合格確約してもらったと。
そして夏休み明けから毎週土曜に新幹線で上京。一泊して日曜に行われていた勉強会に参加していた。
その年は江川含めて多くの有望選手がセレクションを経て合格確約していたが、
年明け受験直前に教授会からそれまで非公式に行われていた野球部セレクションに
クレームがついてその年度から取り止めになった。
中尾も受験直前に監督から「野球部入学優先枠が無くなった」と告げられた。
中尾は現役、一浪と慶應受験失敗して滝川監督に言われて専修大学二部に入学。
江川含めてごっそり有望選手を優遇して入学させることを快く思わなかった慶應関係者が
これを機会に野球実績での慶應入学を廃止したのが真相。
それまで長きにわたって慶應野球部のセレクションでは練習会(実績と技量)と勉強会(英語力)
で合否判断されていたが、学力判断基準は緩かったようで歴代入学者をチェックすれば、
およそ慶應入学とは縁のない高校も散見される。
「昔は慶應は他学生と同じ一般受験を経て合格しなければならなかった」のは事実ではあるが
野球部(監督)が入学させたい高校生には相当な優遇措置(学力補填)がなされていたということ。 >>964
和歌山東はエース1人だが広商は短いイニングの継投だぞ
単純に弱いだけ >>966
静岡の植松も勉強合宿に参加してたと聞いた事ある。江川、植松、中尾。文字通りセンターラインが4年間しっかりしてたらかなり強かったのかな?やはりS48年組はかなり優秀だったんだね。でもあの頃の慶應のメンバーってサウスポーのエースくらいしか思い浮かばない。 ここから数年大阪桐蔭の時代が続きそうやな。
1年生の前田君えぐいし、
来年、智辯和歌山の徳丸の弟が来るんだろ。 >>968 盛岡三高出身の小綿かな。サウスポーだったかどうか怪しいけど。
江川が居た時代のエースは誰だったか。
取り敢えず、江川等の受験前は71年秋から慶應は六大学を三連覇して、次に25期空いて
85年秋まで優勝がない。弱体化は顕著。三連覇の際は松下勝実、萩野友康、山下大輔等
プロ注目の選手が活躍していた。前者2人はプロ入りを拒否でそれぞれ松下電器と新日鉄八幡
に進んでいる。山下は言うまでもなくドラフト1位で大洋入りして新人王、守備の名手として
名を馳せた。弱体化する事が健全な望んだ結果だったのだろう。 日大三島が東海大会で4強進出
静岡東部の学校が実力で甲子園は韮山以来かな? >>966
>江川含めてごっそり有望選手を優遇して入学させることを快く思わなかった慶應関係者が
>これを機会に野球実績での慶應入学を廃止したのが真相。
慶應はこのとき、”良識”が働いたんだろうね。
かたや東京六大学の一方の雄、早稲田大学は、この江川不合格の数年後に、商学部で大規模な不正入試事件が発覚したね。
当然のことながら早大は世間からの厳しい逆風に晒され、商学部で不正入試に関わった教授が懲戒解雇されたのを覚えてる。
さらに事件発覚当時、既に卒業していた四番打者も務めてたことがある元学生が不正入試で入学していたことが調査で判明し、
この学生は卒業が取り消されただけでなく、在籍記録自体が抹消されて野球部での記録も当然全部抹消されたと記憶してる。 >>972 東海の枠は今や2つだけ。4強では選抜出場の何の保証にもならん。 東海地区の枠が2枠だけって、少なく感じさせられるわ。
そろそろ21世紀枠無くして、他にまわしたれや。 東京2枠→毎日の東京本社があったから
近畿7枠→毎日新聞のシェアが高かったから
東海3枠→中日のお膝元なのになぜ??? いっそ選抜も出場校を49校にして、東京と北海道は各2校、他地区は府県の数と同数の出場枠を割り当てれば不公平感はなくなるよね。
北海道2、東北6、関東7、東京2、東海4、北信越5、近畿6、中国5、四国4、九州8
これなら誰も文句はないはず。 >>942
倉敷工業は、前のユニの方が好きだったけどな〜・・・。 今回の秋季で見た中では、徳商と倉工が「立ち襟」ユニに変わってたね。それこそ大昔はこういうスタイルが多かったのかもしれないが、
ワシらが物心ついて以降は、立ち襟といえば愛知・岐阜の中京ぐらいしか見なかったよね〜。それが、いまやわんさかわんさか湧いてくる感じだ、なんだかな〜???
。 大阪桐蔭の影響はない
立ち襟増えたの20年以上前だぞ >>981
自分はあまりユニには詳しくないが、倉敷工業は68年春夏ベスト4のチームから白を基調としたユニに変更した。
74年春、居郷のときから紫?のラインが入るようになった。
その後はそのユニだが、どういうわけか86年夏のときだけは昔の67年以前の基調のユニだったな。 >>987 居郷とは懐かしい名前だと思ったら、彼は出世しているんだね。
プリンスホテルでも執行役員を務めただけでなく、だいぶ前から西武ライオンズの
球団社長になっているんだね。プロにもなっていないのに。(そもそも六大学で
史上初のサイクルヒットを打ったり、プリンスホテルのチームが出来た時の目玉の
一人がプロ入りしなかったのが不思議と言えば不思議)。
そういえばyoutubeに73年選抜の決勝のビデオが上がっていた。詳細に思い出した。
https://www.youtube.com/watch?v=TtLjK407Ibk >>988
川本さんって右投げ左打ちだったんだ
48年ぶりに見て新しい発見w 今シーズンのビジターユニで大谷が着ていた様にユニの色とアンダーの色が同じだと上半身がより大きく見えてカッコ良い。
広島商や早稲田系のユニは個人的に好み。 埋めチラ裏w
>>979
【東海】出場校数が23に増えた1958年前後に
中京商―岐阜商の決勝を繰り返したのが大きいのでは?
【東京】76年の毎日新聞社倒産危機を受けて翌年から2校固定w
【近畿】夏の選手権が二府四県から6校出場に増えたのに
対抗して7枠に増加w
要するにそのときそのとき
行き当たりばったりでなんの根拠もなく出場枠を増やしている
のだから(独善的な)理屈を捏ねて
出場枠の是正を求めても無駄だわw >>974
うろ覚えだけど、早稲田の商学部不正入試発覚前に、
慶應商学部の不正入試が発覚して、江川たちがそのあおりを
食ったんじゃなかったったっけ?
早稲田不正入試の四番の彼は、もともと卒業はしていないんだよ。
当時の監督の「進学校の〇〇高校から商学部に一般受験で
入学したので優秀な学生と思っていた。残念ながら、単位不足で
卒業はできなかったが、・・・云々」のコメントが新聞に掲載されていた。 >>996
いっぱしのネット通になった気分になれるからでは。 このスレッドは1000を超えました。
新しいスレッドを立ててください。
life time: 37日 15時間 13分 34秒 5ちゃんねるの運営はプレミアム会員の皆さまに支えられています。
運営にご協力お願いいたします。
───────────────────
《プレミアム会員の主な特典》
★ 5ちゃんねる専用ブラウザからの広告除去
★ 5ちゃんねるの過去ログを取得
★ 書き込み規制の緩和
───────────────────
会員登録には個人情報は一切必要ありません。
月300円から匿名でご購入いただけます。
▼ プレミアム会員登録はこちら ▼
https://premium.5ch.net/
▼ 浪人ログインはこちら ▼
https://login.5ch.net/login.php レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。