50歳以上のおっさんが高校野球を語る Part27
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前スレ
50歳以上のおっさんが高校野球を語る Part26
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/hsb/1632655039/l50
VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvv:1000:512:: EXT was configured 広島県って1982年から1997年までベンチ入りできる県外出身者を5人までと
制限していたそうです。その一因として以下のことがあったそうです。
昭和54(1979)年秋、米子港山球状の中国大会でのことだ。審判の判定を
めぐってスタンドから汚いヤジが浴びせられた。中国大会では、かつてなかった
ことだ。衝撃を受けた大会関係者が調べると、騒いだのは倉吉北のスタンドで、
その中には大阪から「野球留学」させている父母も交じっていたという。ステー
ジ・ママならぬスタンド・ママが大勢いるのも確か(子供をプロ野球選手に仕立
てて金儲けをさせようというさもしい根性の持ち主ではないのだろうが)なのだ
が、どう見ても勝負だけにこだわり過ぎている、と関係者には映った。
倉吉北にも反省を求める一方で、広島県高野連の幹部の中に、スタンド・ママ
やスタンド・パパに高校野球を引っかき回されてはいかん、という思いが、この
時以来、芽生えていった。
制限期間中も広商や広陵が甲子園で優勝しているし、いろんな考え方の県があっても
いいと思うので制限は続けてほしかったなぁ。 >>2
オレもこの”県外中学出身者ベンチ入り5人まで”制限が広島にあったのは覚えてる、が
いつの間にか消滅しちゃってたね。
97年まではあったのか。 関東の親父だけど広島は広島商は好きだが広陵は何故か好きになれんな。 結構有名じゃない?
07年の特待生問題の時広島式とり入れろみたいに言われてた
某強豪校の乱取りの現状見るに全国的にこのルールでいいと思うけどな 1もつカレー
前スレ994
>ユニの色とアンダーの色が同じだと上半身がより大きく見えてカッコ良い
野手はそうだけど投手がカッコ悪く見えるんだよなそれ
投手は薄手ユニに濃色アンダーが良い。腕の振りが際立つ
選手がカッコ良く見えるユニはやはり縦縞かな。相模やら帝京やら
関一や常総はモッサリしててダサい。二松はレトロが逆にいい感じ >>5 マジレスすると県境にある学校でそんなルールは悪弊でしかない。例えば前スレの
江戸川学園取手も千葉県との境界にあるし、埼玉だって遠くはないし、東京から通っても
おかしくない。今は中途半端な学校になった様だけど進学校で売っていた頃は千葉からの
進学者の方が多かったかもしれない。
県外進学者の問題というより根は不正入試とか不正な金銭のやり取りだろう?野球は
旨味が大きいので、それなりに厳しい目が必要というのは良く分かるけど、他のスポーツ
に比べるとスポーツ特進は自制的じゃないかな。バスケのセネガル人とか駅伝のケニア人
みたいな極端な話が野球ではないと思う。 PL学園は復活しないのか?
何か大阪桐蔭とか履正社ではつまらない >>8
PLは野球部どころか学校存続自体がやばいかも。春夏連覇の時は生徒数は700人台
だったけど、現状は去年の5月時点で81名。PL教徒の信者数は公称100万人前後とか
言っているけど、実際は10万人前後らしい。それでもこれは辯天宗の信者数と
同じくらいなので、なんで学校経営につまづいたのか不思議です。PL学園は信者しか
受け入れないことが失敗だったのかなぁ。智弁学園、智弁和歌山は信者以外も受け入れ
ているようだし、辯天宗の方が学校経営はうまそう。信者以外も入れて週一でPL教に
ついての学習時間を設ける程度にしておけばよかったんじゃ。 >>12
間違えた。81名はPL中等部で高等部は
3学年合計で143名とのことです。 越境入学は線引きが難しいよね
首都圏や関西圏なんかは他府県からの方が学校に近いというケースも多々あるし
やはり学校側の判断に委ねるしかないんだろうな
かつての智辯和歌山みたいに県外選手は10名中3名まで、とか、自主的に制限を設けるのが望ましいと思う
現場の指導者も口では地元と他県とのベストミックスが理想と言いながら、結局は地元以外が大半を占めていることが多い 八戸学院光星とか明秀日立とか 青森山田なんかはかつてはPLスカウトだった井元氏を招いて県外留学生中心だったけど、今は学校方針で地元民が多いと聞いたけど、どうなのかな? 灘(兵庫)、東大寺学園(奈良)、智弁和歌山なんか大阪府から大量の生徒が来てるけど、
野球強豪校でも寮のないところは県境越えて野球部員が通学してくる。
全盛期のPLは府内の選手が多かったと言え、全寮制(強制入寮)のところは
地元・越境で区別する意味がないと思う。 >>8
まぁ履正社は岡田辞めて後退するだろうな
今後は喜多監督の興国が上位に来るだろう
15年の初出場で大阪偕星も上位常連かと思ったがこんな惨状になるとはな… PL全盛の頃は私学7強の色が多少残ってたし、選抜が近畿7枠時代だったからまだ他校もチャンスあったんだよね。
夏も春日丘や渋谷みたいな公立が強豪私立を破って代表を勝ち取るロマンもあった。
今やそんなものは期待できそうにない。
この10年間ですらこの有様だったのに、履正社が衰退したらますます大桐一強になるね。
高校生全体のレベルは上がっているはずなのに、逆につまらない時代になってしまった。 青森山田は無敵だった卓球部(東京五輪代表だと水谷、丹羽がOB)の強化を2015年に
止めて、他の部も予算が削られているのではないかな。令和2年度事業報告書に「奨学費の削減に
ついては前年度 107 名であった S 特待を 65 名と大幅削減した。」と書いているくらい
だからスポーツの特待生の削減は更に加速していると思って良いのでは?つまりサッカー部
以外の闇雲な強化はなくなっているかもしれない。 越境入学よりもスポーツコース所属部員の規制が必要ではないだろうか >>2
後で「有り得ない悪い規則」と広島県高野連も気付いたから、撤回した。
常識的に考えれば分かりそうなものだけど(笑) >>12
学校を経営するために作ったんじゃなくて、信者を増やし信者のための学校を作って
教団の経営を盤石にするために学校を作ったからなんだろうな
リーダーシップの強い教祖がいないと厳しいのかもしれない
教祖不在から1年経つのだったかな? 履正社が衰退したら大阪桐蔭1強になると言うけど、ライバル校がいなくなるのは桐蔭自身のレベルアップにもならないんじゃないか? >>19
たかが高校の部活動なのに、なんでそこまでやらないといけないのかね。
プロも顔負け。実業団でもそこまでやらないだろう。
しらけてしまうわ。 高校野球はただの部活じゃない実態があるから
綺麗事言っても始まらない 大阪桐蔭1強なら他の高校へ履正社に行ってた子行くとか、散らばるとか
近畿大会に行くチャンスが確実に増えるのだから、いい部分も出てくるならいいけどね 甲子園に出れれば、公共放送が全試合生放送してくれるような
高校部活は他に無いからね。 ラグビーの東福岡とか女バスの桜花学園みたいに
特定の学校が王朝築くのは高校野球だとなんか違和感あるね。
まあでもいつの時代も「わかりやすい強さ」というのが子供達が野球に興味を持つきっかけではあると思う。 越境入学による野球留学はあっても良いと思う
その代わり、もう甲子園大会は都道府県代表という形はやめるべきだと思う
それぞれの学校力を競う大会にすべきで夏の選手権も今のセンバツみたいに同一都道府県から複数校出場できるようにすれば良い >>31
都道府県代表じゃなくなったら、関係者以外誰も見向きもしなくなるわ。 結局地元枠とか言って甘やかしても清田育宏みたいなのが誕生するんだから
もう地元出身とか拘る必要ないんじゃないのか
考えが古すぎるよ 考えが古すぎるとかいって改革すると人気が急降下はよくある話 特待生どうぞご自由に
俺は応援しないけど
これが答えだ >>24
今まで履正社に流れていた人材が少なからず桐蔭に来るだろうから、それほど影響ないのでは。
それにここは横浜と同じで、絶対プロに行くんだ!とか東6に行くために来た!とか、ほんと目標と覚悟決めてくる子が多いらしいから、履正社云々でやる事は変わらないと思うが。 留学生問題に関しては、一学年5人までとかに規制する事が一番すっきりするのでは。 地域にもよるんだろうけど、中学校の部活が部員不足
で下級生が無理やりメンバー入ったような所が多い
とにかく弱そうな中学校が昔より多いんよね
それが、一番大きいんじゃないか?
シニア、ボーイズ、ヤングだとかの子は地元の高校に
もともと行きたいという考えは特に無い
自分の中学校野球部にさえ入る気ないし、
地元より強い高校に行きたい子たちだからね 県境の話を言い出したら、議論が進まない。
高校側もそれを見越して希望者を振るいに掛ければ良いだけの話。
まあ、住民票を勝手に移したりとかは出てくるだろうけどな。
勉強出来る子が県またぎで通学するのと、野球の特待生制度は客観的に見ても質の違う問題だ。 >>38
大阪桐蔭は部員数を学年20人にしてるのに、履正社の学年部員数25人の子が入りきれるわけがない
だから、流れることになるよ 大阪って北陽とか近大附とか上宮(太子)とかはもう強化してないの? >>42
おっしゃる通りなんだが、俺が言いたいのは桐蔭に限定した話。
これまで西谷さんがどれだけ下馬評の高い年でも履正社を最大限警戒してきたのは、結局自分達が欲しかった桐蔭でも主力張れる良い人材が不履ただ集まってるから。 桐蔭でも主力張れる良い人材が集まってたから。
25人全員が桐蔭なんて有り得ないが、主力クラスやそれに近い人材が少なからず桐蔭に流れてくるだろうと言う事。
もちろん、他の選手も大阪府内の他校に行く流れになれば、レベルは上がるだろうけど。 県境は一般生徒も普通に受験出来るし、
越境でもなんでもない。公立でも学区内だ。 明日からクライマックス巨人阪神なのに全く空気で関心はなくなったな
新庄剛志と清田育宏の方がニュースなって話題なってるしな
まさか日本ハムロッテ>>>>>巨人阪神なるとは地上波全盛期は想像出来なかったな 結局スカウトがナンボなんだよ、今の高校野球って
U15日本代表クラスをどれだけ集めまれるかが勝負になってる 今は違う県にわかれてるけど旧国名では同じ地域では地元民は越境と意識してない
丹波、備後、東紀州とか
武蔵国や摂津国も複数都府県にまたがってるけど都市部は行政区域ではっきり分かれている印象がある 7月に亡くなった大島康徳さんは中津工業の野球部に入るまでは野球の経験がなかった
そうで(中学時代はバレー部、相撲も強かった)、甲子園には出られなかったけど、
中日でホームラン王になり名球会にも入った。こういうのを本当の天才って言うんです
ね。
これに近いのがヤクルト等で活躍した広沢で中学時代は柔道部で個人戦では北関
東大会で準優勝するくらいの実力。ただ大島さんと違って、小山高に入る前は草野球程
度は嗜んでしたそうです。ある意味、リアルドカベンですね。広沢もヤクルトで打点
王のタイトルを取っているんだよなぁ。う〜ん、天才!
甲子園球児だと板東英二さんが甲子園で準優勝したときのサードの玉置選手が
野球経験のないピンポンの選手だったとよく言っていましたが、あれは半分ウソで
徳島大付属中時代に玉置選手は野球部と卓球部の両方に入っていて野球部がコールド
負けばかりなので、卓球部で活動する時間が長かっただけだそうです。
自分が知っているのは1982年の夏に甲子園に出た東京農大二高のトップバッター
だった光延(こうのべ)選手が、中学時代は剣道部だったことくらいです。こいつ
は特にプロとかに行っていませんね。 >>50
光延は身長が165センチぐらいだもん
プロは無理 結局、野球留学の問題は上から規制をするものではなく、学校と野球部の考え方次第だと思うわ
高校野球(甲子園大会)は他のスポーツ以上に地域に密着した郷土の代表という形で発展してきた歴史がある
だから時代は変わったとは言え、そのあたりを意識して活動する私学もある
何度も例を出すけど、智辯和歌山のかつての理事長が和歌山県民から応援してもらうために県外生は3割以内としていたように学校側、野球部側が自ら規制するのが望ましい
横浜高校の渡辺監督も学校名に地名が付いているから県内6割から7割、県外3割から4割というある程度の線引きは持っていた
まぁ、結局、ベンチ入りする選手は県外生が比率として高くなってしまう可能性はあるけど 現在、茨城の明秀日立で指揮を取る金沢成奉監督は光星学院時代に色々な地域から集まるのは地域文化の交流にもかるし、悪いことばかりじゃない、地元民と他地域とのベストミックスが理想と言っていた 花巻東みたいな地元中心というのもちょっと違うと
でも結局は八戸学院光星は地元民が極端に少なく県外生中心なのは変わっていないようだし、今の明秀日立もそんな感じだ >>48
同意。
いまの名監督=名スカウト(卒業後の進路ルートをどれだけ持っているかによる)
選手の育成は二の次。
金力にものをいわせるとは、シラケるよ。どこが学生野球なのか。 中学時代まで野球経験がなかったというと、1988年夏の宮城代表・東陵のサブマリン高橋。
チームには、下級生時代からエースとして君臨した犬飼がいたが、甲子園の初戦・福井商戦では背番号10の高橋が先発した。
好投しながら終盤にけん制悪送球で逆転負け。泣きじゃくる高橋を犬飼がなぐさめる姿が印象深い。
もう一人印象深いのは、1993年夏の広島代表・西条農の此本。
野球を始めたのは高校からなのに、エースで四番としチームを甲子園に導いた。
県の決勝では、プロ注目の選手を揃えた選抜王者の崇徳相手に9回1点リードされ、ツーアウトの場面で起死回生の逆転3ラン。
あれは凄かったな。
甲子園では堀越相手に初戦敗退だったが、野手のような投げ方で1失点に抑えた。
この時の監督は、総合技術も甲子園に導くなど指導力に定評のある小田さんだったので、それも良かったかもしれない。 もう1つ、チームとして野球素人が多かったのが、1979年選抜代表の府中東。
エース片岡は全国屈指の剛腕だったが、15人しかいない部員の半数以上が中学まで野球未経験だったとか。
片岡がいたとはいえ、それで甲子園に出るというのは、漫画の世界だね。
当時はまだ広島大学を出たばかりだった野々村監督の指導にかける情熱も凄かったんだと思う。
くだんの「末代までの恥」騒動があった時、片岡が取材に応じて「監督に指導されたことは末代までの誇り」と言っていたのはそういうことだと思う。 >>52
結局、智弁和歌山も夏の優勝メンバーベンチ入り半分は県外になってるんだもんな 80年代宮城代表の中でも88東陵って結構ポテンシャル高いと思うんだけど初戦敗退で空気扱いだよな
ファミコンン甲子園でもかなり戦力低い設定だし 強豪私学でベンチ入りメンバーの半分が県内選手というのは今の時代では良心的というか、マトモな方かな
智辯和歌山も新体制になってからは獲る人数も増やしたり、県外枠も広げているようだ 何でもそうだけど、極端なのは良くない
バランスが大事
野球で県内有数の学校なら地元の中学生の憧れの存在になるはず それが地元選手が殆どいなくて県外ばかりというのが不自然 >>56
センバツ出場の府中東ってことで大いに注目されたけど、
試合前のキャッチボールを見た観客が「あれれ? なんなのあの投げ方?」と驚いたらしいね
キャッチボールも怪しい部員もいたとか >>48
80年代の蔦監督が「高校野球なんて素質がある子をどれだけ集めるかにつきる」ってローカルテレビで口を滑らせてた。
「公立校で入部テストがあるのはおかしい。希望者は全員受け入れるべきでは?」という質問に対する流れの中で出た発言。 >>62
この時の府中東は試合出場の実績があるのが11〜12人で、素人レベルの選手もベンチに入ってた。
ピッチャーもセンターで左投げの池田が数試合投げてるものの、ほとんど片岡が1人だけという状態で、夏は予選決勝で広島商業に0-9で完敗。
片岡は9四死球11被安打と疲労でボロボロだったが、交代するピッチャーがいなくて、完投せざるを得なかった。 >>62
高松商業戦は二日目の第一試合だったよね。
オレ関東だからNHK中継なくて見られなかったんだ。そんなひどかったのか。
二年後の春の中国大会に優勝したが、報知の予選展望号で「79年はキャッチボールもろくにできない選手の集まりだった」とか書かれていたから。 >>63
本音でしょうよ
今も昔も同じようなもんだと思うんですけどね
日本代表経験やNPBジュニアに選ばれた子なら
今どき毎年100人以上いますからね そういや昔は、選抜1回戦の第1試合は地元以外見れなかったんだっけか。40年くらい前までは。 東海大相模は厳しくなったな。木更津総合ボロ負けだから。日立強いなあ。 気候も環境も設備も選手の集め方も指導者も、条件が違うのは当たり前。
いちいち、そんなことを言い訳にしていたら、全国大会なんぞできなくなるわな。 甲子園大会とは別にトップリーグみたいなの作ればいいのに 高校だけでなく、大学の1、2年チームも含めたリーグ戦 高校野球のトーナメント制に対するアンチテーゼとして、大阪府を中心にLiga Agresivaというリーグ戦をやっているよね これが大きく発展していけば高校野球も変わるかも知れないな >>39
入学するにのは自由だからそれは難しいかも。 >>39
入学するにのは自由だからそれは難しいかも。 >>78
途中で送信してしまった。
入学するのは自由だからそれよりベンチ入りメンバーの人数を決める方が。プロ野球の外人枠みたいに。 >>71
日大三島の選抜出場って、84年の56回大会以来か。
あのときは三国丘に逆転サヨナラ勝ちしたが、飯塚が相手投手の松田に与えたデッドボールが試合の明暗を分けたな。 >>80
38年振りなのね
東海大系列と違って選手獲得の優先順位とかは無さそうだね >>76
佐久長聖や慶応みたいな実力校も積極的に参加してるのには驚いた
特に神奈川なんかはレベル差激しいからテコ入れになるといいんだけど 三国丘がPLに善戦した試合って
球場はどんな雰囲気だったんだろ 国学院久我山が秋の東京大会で37年ぶりに優勝。
三和−秋元のバッテリーで神宮大会を制した時以来だね。
あのチームは神宮大会決勝で大勝した松商学園と選抜初戦で再びあたり、神宮大会では打ち込んだ相手の2年生エース・直江を打てず、1−2で敗戦。
俺的には、国学院久我山には前年の岩倉のような神宮制覇からの大躍進を期待していただけに、この敗戦は驚いた。
相手の直江の息子が今や巨人の投手だから、時の流れは早いね。 >>86
85春はまだ楠井さんが監督の頃だね
まさか久我山の甲子園初勝利にそこから30年以上を費やすとは >>86
秋元もプロ現役引退後もコーチフロントでしっかりとプロ野球界で生き残っているな >>89
久我山初出場の1979年も楠井監督で、当時は早稲田大学卒業後の夏に監督に就任、1年足らずでチームを選抜へ導いた
当時の国学院久我山は国内1、2を争うラグビーの名門校で、野球部も肩身が狭かったらしい >>91
間違えた
楠井氏は早稲田大学就学中の1977年8月から学生の身分で監督、翌春卒業後すぐに国学院久我山教諭に就任だった
2期目で秋の東京都大会を優勝し選抜出場 国学院久我山と言えば79年選抜では黒江の息子が話題になっていたけど、その後どうなった? >>84
PLといえば、今日は池に飛び込んじゃいけない日だろうな >>93 黒江章哲で検索すると東海大に進学した事と川口リトルに関わっている事は
分かるが、基本大学以降の活躍は見えてこない。 >>80
ワイ三国丘の卒業生やさかいアルプスに応援行っとったねん。二年生エースの松田が投打に大活躍やったのにポン大三島にデッドボール食ろてサッパリわやよ。もう三国丘ら甲子園出る事ないわ。 PLのあの件は事故と処理されているけど、池に取りに行ってこいと命じた張本人はどう感じているんだろう? >>93
黒江の息子(お父さんは当時中日のコーチだったか?)ということで話題になったが、たしか新二年生ということもあり野球の実力は騒がれるものではなかったかと。福井商業戦もたしか途中交代していたはず。 >>97
多分他のいじめの犯人と同じ事しか思ってないでしょ
「死ぬなんて思ってなかった」とか「遊びのつもりだった」とか「自分たちもやられていたことを同じようにやってしまっただけ」とか
亡くなってしまったことに対する反省はあるだろうが、反面上記のような自己弁護の気持ちを持ち続けているみたいな
事故として処理されたのは闇深いな
今なら追及されまくるだろ 片岡とか当事者だけど1個上の先輩と仲良くトークしてたな
言いつけたのが2年なのか3年なのか本当に真実はわからないけど >>92
楠井監督は木更津中央(総合)の監督になり、後に選抜準優勝バッテリーとなる銚子商の嶋田-越川を誘ったが振られて、彼らが3年の時に江の川の監督として甲子園で戦い、7-1で完敗したな。因縁だと本人が言ってた。 >>100
あれもこのスレで結構批判多かったけど、ガラの悪いおっさん連中の会話って感じだったな
しかも何言ってるか分からん所多かったし 松山商業が21世紀枠の県推薦だと。
あれだけの伝統校がお情け枠の候補になるとは。
落ちぶれたものだ、涙が出る。 >>103
そういうのが出たら大阪桐蔭が試合終了まで手加減せずにスタンドのジイさんが発狂するくらいにボコボコにしてやってほしい >>103
銚子商、岡山東商もそのうち推薦されるかもね。 >>105
商業高校なら、岡山東商もそうだがY校や久留米商業、鹿児島商、宇都宮商あたりは銚子商よりも長期間出てないような気がする。Y校はここ数年復活の兆しあるから希望枠あるかもしれない。今神奈川で公立で出ようとすると大変だもの。ここに書いた高校はどこが出てきても応援するけどね。 >>103
甲子園に遠ざかった懐かしの高校シリーズが始まったのなら、むしろ歓迎したいとも思うのだが。
たくさんあるだろうし 最後の出場
銚子商業 2005夏
岡山東商業 2006春
久留米商業 1985夏
鹿児島商業 2007春
宇都宮商業 2013春
横浜商業 1997春
松山商業 2001夏
だったかな。
松山商業は今年で20年不出場になったから21世紀枠推薦の対象になったんだな。
21世紀枠スレでは県ベスト4で浦学に惜敗した上尾を候補に挙げているな。
お情け枠の候補になるとは、さびしいわ。 >>104
発狂はしないと思うけどねw
「悪い!今回の応援はパスするわ」とやんわり断るか
アルプススタンドで後輩たちの健闘を生暖かい眼差しで見守るかが
分別ある人間の態度だと思いますわ 1976年の銚子商と高松商の延長14回の試合て当時話題になったのか
原はあの時から巨人志向強かったみたいだな 今はみんなメジャーだなソフトバンクの千賀も行きたいの隠せない
明日からクライマックス最下位なのに野球会の話題は新庄と清田だな
なんだビッグボスて 原は大学進学してまで巨人と相思相愛だったのに
何で大洋広島日本ハムは指名したんだ
巨人しか行きたくない選手指名する意味てあったのかその辺は謎で意味不明だ 原と同格扱いされたサッシーて投手は稲尾や江川並みに期待されたようだが
なんでプロでは大成しなかったんだ
今や原は巨人の独裁者になったのにサッシーて投手は複雑だろうな PLの西川て127キロだろ槙原は145みたいだけど
なんで127キロにみんな完封されてんだ
印旛も139キロの松本から7点取ったのに127キロの投手からは1点とか明らかにおかしいな >>110 76年には劇的な試合が多々あったが、その延長14回は印象に残っていないな。
寧ろ次の試合で戸田の鉾田一が延長11回の末に初戦で消えた事の方が話題を呼んだと
思う。戸田のピッチングも春と違って精彩を欠いた。勿論、前々日の崇徳ー東海大四
とか、翌日の小山ー東海大相模とか序盤ながら延長じゃなくても印象的な試合は多かった。
銚子商のショートの宇野は流石に注目を集めていたけど、野手だけでも原、津末、末松、
立花、山崎、応武等他にも注目の選手が多かったから、そこまで飛び抜けていた訳では
なかった。 愛甲が後輩に土下座してる所カメラにとったり明らかにおかしい事してた時代だな >>113 76年の夏の段階では人気はともかく実力と将来性では酒井圭一の方が上と
見られていた。それを裏付ける様にドラフトではいの一番の指名。高校生では
なかなか無かった。何で大成しなかったかについては(優し過ぎたとか)諸説あるけど、
八重樫が言うには3年目に打球が顔面直撃して目が悪くなって、豪速球が投げられなく
なったと言っているね。
https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/baseball/npb/2021/08/04/post_165/ >>103
今治西の大野さんが監督になったから数年後に自力復活すると思うよ。 >>117 追加コメント。覚えていると思うけど、1967年から77年までのドラフトでは予備抽選
で指名順を決めていた。よって全体の指名順トップの選手が居て、評価•期待度の高さの現れ
になっていた。全体トップの高校生は70年の島本講平と76年の酒井圭一のみ。勿論、江川みたい
に進学するから指名拒否を宣言したりすると全体トップにならなかったり、74年みたいに
何故か全員が注目していた松下電器の山口高志が全体の2番でチームメートの2福井がトップ
という意味不明の指名もあったが、全体トップは概ね評価の高さを表していた。 >>105
松山商は戦前からの強豪レジェンド、格がちがうよ
対抗できるのは、Y校ぐらいだろう >>112
アホ
菅野を指名した日ハムと一緒、入札後の心変わりを期待してのこと
原本人というより父親で監督の原貢のガードを崩せば転ぶと見ていたんだろう >>114
コントロールが良く緩急をつくれる左腕は球速が速くなくても高校生では打ちづらい
直球が速くてもコントロールが甘く単調なら打たれるよ サッシー酒井より、甲子園では、1年下の星稜・小松の速球の方がインパクト(速さ)を感じた
それ以外に、甲子園で速さを感じた投手は、
伊香の藤高
能代の高松
当時、それぞれどのくらいの球速だったのかな? 長崎海星・酒井の初戦徳島商戦は大注目されてたね。
あの当時、テレビカメラはバックネット裏からだったけど
かなり速い記憶があってビックリした。
もちろん星稜・小松の日体荏原戦の投球で驚愕だった。 >>123
動画見ると今のガンなら150出てると思うけど
あのフォームでそう思うだけなのかな? >>123
高松は速さというよりも左腕固有の切れ味だろ
球速は小松や藤高より劣る 小松は二年夏の豊見城戦がいちばん速かったんじゃないか。いま映像でみても捕手のミットに突き刺さるような速球だな。三年春の滝川戦も速かったが、ナイターというのもあったかな。
高松は箕島戦の映像を見るかぎりでは小松よりは遅いな。ただあのフォームだから打者への威圧感は相当なものだっただろうね。 高松はフォームだけじゃない?星飛雄馬2世とか言われていたけど、球速自体は
大した事なかった印象。 能代高松の箕島戦の動画YouTubeに上がってるね。
当時にしては球威ありそうに見える印象 >>129
高卒社会人行って翌年には149計測。当時では破格だったはず。 >>132
高卒2年目で一軍で抑えで常時152、153キロを投げていた小松の方が球速は上だった
高松は左腕としては速かったけど、速さでは小松や藤高よりは下 >>129
高卒社会人行って翌年には149計測。当時では破格だったはず。 別にいちいち小松と比較しなくていいじゃん
当時のガンんで149出てりゃ今なら150超えてるだろ スピードガンの表示が記事に載るようになって、高校生では、
秋田商の高山が149kmでmax(今のように、TV画面や球場に表示が無かった時代)の時代が長く続き、
その後、松坂ガ150kmを計測するまで、速い投手が出る度に、
高山の149kmが紹介されていたが、個人的には、高山は投げ方も有るが、
速さを感じた事が無く、今でも149kmは誤計測だと思っている。
松坂の150kmまでに、球速が記事になった中では、
大府の槙原の147kmが最も速く見えた。 1球目こそ甲子園を沸かせた槙原だけど、棒球で、2球目にヒットを打たれたから、全然大した事はないと思った。 >>137
アホ
あの年の報徳打線は直球に恐ろしく強かったぞ
逆に変化球投手が苦手で、近畿大会でPL西川に完封負けしている
相手関係考えずに棒球と言っちゃう知恵遅れ >>138
そういや報徳、槇原に負けたもののホームラン2本浴びせてたな。 >>138
江川と言わず酒井等多くは一試合で2本もホームランを喰らうボンクラ投手ではなかった。 大体、夏に優勝した報徳への3失点はともかくノーマークの御坊商工戦での4失点は
言い訳出来ない。期待して損した元愛知県人。その点、工藤は凄かった。ボールが
バットに当たらないから槙原の様なポカはなかった。残念なのは連投が効かなかった
事。夏の準決勝は別人の様に精彩を欠いたピッチングだった。 >>139
なんだホームラン2本て。
打ったのは金村の1本だけだろう。 名門商業高校の多くが弱体化している中、高松商と広島商はよく復活できたな。
県岐阜商は安定して甲子園に出てくるの立派だけど、ユニフォームの変更が残念。 広島商はまだわからんよ
強さ維持できればいいけど…
高松商は長尾監督が有能だったな >>128
小松投手の投球フォームみたいな投げ方、
テークバック大きくて、胸バーンと張って投げたら
今の投手も球速が出るのかな? 小松は地肩に加えて、めっちゃ背筋が強かったらしい。並の投手がフォームを真似したらあちこち怪我しそう。 山本奥川佐々木と若手投手が活躍してるな
宮城戸郷及川もまあまあみたいだし村上と紅林てのも若いな
清宮中村柿木根尾吉田藤原と甲子園スターは低迷してるけど 原親子て当時金では動かない巨人意外はプロ入りしないと言ってたけど
今の原みたら結局金だったんじゃないかよ
巨人に拘った原親子は正しかったな >>144
広島商の荒谷監督は一昨夏に出場を果たした際、伝統の堅実な野球に強打を融合させて県大会を制したのだが
それぞれの代で自分たちの強みを考えながら工夫していくのが広商野球の真髄、と語っていた。
現代らしい柔軟な指導者だと思う。昔と比べてライバルが多くて大変だろうけど。 広商はセンバツ確実だけど、投手陣の整備が大きな課題 原は巨人以外で大洋も相思相愛だった。
大洋が抽選くじを引いてたら
間違いなく入団してたね 最近の大阪桐蔭は中学時代にある程度出来上がった選手を獲っているからスケール面で見劣りするな
藤原はもう少し活躍しても良いと思ったけど、まだこれからかな >>151
というか、原はどの球団に指名されても入団していたと思う。広島でも日ハムでも。
それでいちばんの本命の巨人に指名されたんだから、強運だよな。巨人にこだわりすぎて事件を起こした江川とは対照的。 >>151
スレチになるけど、巨人、大洋、ドラフトで”荒川事件”を思い出した。
ttps://www.dailyshincho.jp/article/2021/10051101/?all=1 カープが原を指名したのは、苑田さんが三池工出身で、原貢さんの教え子だったから可能になったそうだね。
その歴史があるんで、菅野が大学4年の時も苑田さんが貢さんに頼み、カープが強行指名するんじゃないという飛ばし記事を書いているメディアがあった。 昭和55年の巨人は優勝した広島に14ゲームと大きく離され3位、
長嶋監督解任、王が現役引退とどん底だったけど、
原辰徳のドラフト獲得で読売グループが喜びまくった。
ドラフト翌日の読売新聞の「原よ、巨人の星になれ」
の大見出しが忘れられない。 昔と今は投手の球速の測り方が変わったていうけどそれは残念に思う。
巨人の桑田コーチは今の現役投手は「僕らが現役の頃より球は速くなってるけど…」みたいに言った後でコントロールは悪いと言ってたはずだけど。
そんな印象はあるが、、、 >>153
澤村、長野、菅野もにたようなもんだ
巨人は監督は生え抜きのOBしかなれないし、長髪、ヒゲはNG、体質を改善しないとだめだわ >>156
ドラフト直後の月刊ジャイアンツで、入団前の原と定岡が対談していた。たしか定岡の誕生日でオフなのに定岡が快諾して行われたもの。
74年夏の甲子園の話で、定岡が「(原が)打席に立ったときに懐が深いというのがいちばん印象に残っている」、原が「(3安打した)甲子園の借りは茨城国体で見事に返されました。今度は3三振」とか話していた。 >>61
遅レスだけど1978年の桐生の関口監督は
野球経験のない英語の先生で春のベスト4。
野球経験なしの監督さんの最高成績かな? >>160
76年センバツ優勝の崇徳・久保監督は、野球経験なし 久保和彦監督はボクシング部の顧問をやっていたね。
ところで、エースだった黒田真二が亡くなっていた事に気が付いた。合掌。 >>162
バレーボール部の部長もやって、全国制覇に貢献 久保さんは監督としては珍しい数学教師。
種目経験なしで各運動部を全国優勝に導いた手腕と因果関係がありそうだ。 野球経験無しで思い出すのが、元プロボクサーだった三重・明野の冨士井監督。
86年の夏、初戦でセンバツ優勝の徳島・池田に7−2で快勝したが、あの池田を
ボクシングのごとく攻めまくってたのを思い出す。 >>165
その明野を8-5で下した松山商も好きだが、
やっぱり明野は印象的だったな〜
吉川、平松、西田、奥野、中村、橋爪、
大野、井上、水谷、ベンチに大道 翌87年の開幕戦も前回王者の天理を食う勢いだったが・・・ 野球素人の監督というと、90年夏ベスト4、ミラクル山陽の大上監督。選手が監督の指示を無視したりしてのミラクル快進撃だったという話も聞く。
広島代表はその前年、1989年夏の近大福山・斎藤監督も野球素人で、2年連続で素人監督のチームが夏の代表になった。
ずっと監督をやっていて、いかにも厳しそうだった大上監督に対し、斎藤監督はその年だけたまたま野球部の監督をした人で、小柄で細身の弱々しい感じのおっさんで、いかにも「他にやる人がいなかったから、この年だけやった」という雰囲気が満載だった。
この夏の大会は、成東の監督も素人で、斎藤監督と共に「素人監督」として取り上げられていた。
成東は予選の決勝で何度も負け、「悲運の成東」と言われていたのに、初めての甲子園が素人監督でなされるというのも縁だね。
近大福山、山陽も似たような感じの初出場校だったし、素人監督だと選手が自主性を発揮し、思わぬ力が引き出されるのかもしれない。 野球素人で、過去最高の成績は1994年夏全国制覇の佐賀商・田中監督だろうね。
https://vk.sportsbull.jp/koshien/saga/news/TKY201201150091.html
あと、遊学館の山本監督。星稜中学の監督時代は何度も全国制覇を成し遂げ、遊学館でも創部2年目、3年生のいないチームを夏の甲子園ベスト8まで導いた。
こうしてみると、素人監督は、野球経験のある監督が成し遂げられなかったことを成し遂げることが案外多いことに気づく。
野球素人が野球の監督をやることがそもそも常識外れなだけに、何か常識はずれなことを成し遂げられることがあるのかもね。 >>168
成東は押尾のワンマンで監督は関係なかったかな。たまたま素人監督の時に押尾がいたということ。
当時はまだまだ公立が強く強豪私立と競った時代だったが、その当時でも成東のその他の野手はひ弱かった印象。 >>170
猛打成東は記憶にない。好投手はよく出たが。阪神行った中村勝広くらいじゃないかな。 >>168 >>169
弱小公立の母校が知らない間に県大会・地区大会勝ち上がってセンバツ確定となってた
すげえ有能監督が来たのかと思ったら、監督は軟式野球経験少しの若手教員で
部長は更に若いスポーツ未経験者で、どっちも無理矢理押しつけられたとか
案の定、あの監督と部長で甲子園でまともに戦えるのか?という声が巻き起こったし、
オレに監督やらせろ、部長はオレだという人も何人も現れたとか >>169
1994佐賀商は実質は香田監督みたいなもんというわけかな >>169
経験が無いからこそ、既定路線の指導ではなく、最新の技術や理論を容易く採り入れられる事があるのかもね。
当然、野球を知らないから勉強熱心になるんだろうし。 >>173
田中監督自身春夏8回甲子園に出てるんだから香田監督(コーチ)関係ないだろ
94年なんて大学出たばかりの新米だし >>169
田中監督、佐賀弁まじりの監督インタビューが印象的だった
優勝インタビューの時も、先制された峯投手に「調子は上向いてるから友達を信じて投げてたら逆転は可能だと声を掛けていた」と言っていたけど、「友達」という言葉が何か微笑ましく感じた
選手目線で見てもナインのことを「仲間」とか「周り」というフレーズは良く聞くが「友達」というのはあまり聞かないと思うので
というかそれ以外で聞いたことない 来年のセンバツ、学園表記の高校ゼロかも知れんな。過去にあったんかな?(明秀日立は正式名は明秀学園日立だが18選抜では学園表記されてなかった。) 豊見城が19歳の監督で出場した時は、
栽「部長」がベンチで部長の服着てサイン出していたのかな? >>173
>>175
田中監督は、香田氏が佐賀商の選手だった頃にはもうベテラン監督だった。
つまり、香田氏は田中監督の教え子。
そもそも、当時、香田氏が佐賀商でコーチをしていたのも田中監督がいたからこそだと思う。 1980年代の高校野球雑誌て質問コーナーとかあって選手の住所とか聞いて
金村や工藤小澤の住所とかのせたりして凄い時代だったな
一茂や桑田の住所とかものってる雑誌もあっな >>174
確かに。桐生の関口監督も78年当時すでに
アイシングに近いものをやっていったと、当時のエース
だった木暮がライバルだった前橋高の松本との対談で
言っていた。練習の合間にゲータレードも飲んでいたとも。
過度の喉の乾きで便器の水や田んぼの水をすすっていた
当時の強豪校とは違いますね。 70年代で練習中に水分補給・栄養補給をやってた強豪と言えば
箕島、桐生が有名だが他にもいくつかあったような気がする
どこだったかな? 東海大相模かな。練習中に塩を舐めさせてたと辰徳が話していた。 小川博と清田育宏て元ロッテだけどどっちがワルなんだ
小川博はなんで足利出身なのに縁のない上尾市で事件起こしたんだ
清田は千葉県育ちでずっと千葉に愛着があるのに
小川博が何で上尾市にいたのかは謎だな
高校野球時代は石井牛島ドカベン愛甲の宿敵だった小川博が清田よりは上だと思うけど 清田は2003年夏ベスト4まで行ったけど惜しかったんだな
木更津総合に勝てれば甲子園行けたかもな
志学館金子や八千代松陰大場とか好投手が多かった
木更津総合が初めて甲子園行った年だったよな 江夏も中学時代は砲丸投げをやっていて、本格的な野球はやっていなかったみたいだね。
それでも、報徳学園のセレクションに受かっていたというから、やはり生まれつき運動神経が凄かったんだろうね。
清原の長男が小学校時代にしか野球経験がないのに、慶応で1年からレギュラー組に入れられたり、新人戦で四番を打っていたするのをみても、やはり才能で決まるんだとよくわかる。 >>189
清田長男は高校野球経験なしじゃないのか?
お父さんがパクられて野球辞めて高校時代はアメフトじゃなかったか
小中は野球経験ありだったはずだけどな >>189
小で野球 中でバレーボール 高でアメフトみたい ボー・ジャクソンを思い出した。とは言え、アメフトとの掛け持ちのせいか怪我で
選手生命は短かった。 フレッシュトーナメントの意味を知らない人が多いんだから… フレッシュトーナメントどころか通常のリーグ戦のルールすらまともに知らないんだけど、このスレの人達は大学野球にも精通されてます?
俺は大学野球全く分からない
たまにある早慶戦見て、おぉ、◯◯高校の誰々やな、体デカくなったなとか思うくらい
早稲田も慶応も、毎回レギュラーに絶対地方の甲子園ほとんど出たことない公立高校出身の選手がいるイメージ 自分、大学は母校OBが監督やってる国際武道大学しか興味ないです。 清原長男が4番だったり、代打で出たり、内野安打打ったとか神宮デビューとか言って騒がれてたのは、1年生大会みたいなものという事 江川が法政入学して「花の48年組」と言われたあたりはよく見たな。金光、植松、楠原、山倉、佐藤、堀場、高橋、鹿取、岡田とスターがいた。
岡田が卒業して80年代になってからは選手のスケールが小さくなり、とくに早稲田の低迷が顕著になり、リーグ全体が地盤沈下した感じで寂しくなった。あの頃の早稲田は東大に勝ち点を落とすのも珍しくなかったから。たしか80春、81春秋、83春秋に東大に勝ち点を落としていると思う。東大にも西山、大山、大越、市川とかいい投手はいたけど、それにしてもね。
最近も年に一回は見に行くが、観衆の平均年齢の高いこと。学生の姿が少ないのがなにより寂しい。 原辰徳監督が巨人と新たに3年契約延長
12人戦力外で育成落ち
原て東海大グループや相模に今でも影響力あるのか
相模時代は1度も優勝してないし春準優勝だけでそんなに実績はないよな
小笠原の方が優勝したから上だろが
あと30年以上夏行けなくて2010年夏準優勝に貢献したいち123の方が功労者だ 原と同じ年に大洋に入団した高木豊選手が言ったセリフ。
「原に負けてるのは、顔だけ」 東海大相模は戦績的には今の方が良いけど、華があって人気があったのは1970年代だよな 当時珍しかったタテジマに豪快に打ち勝つ野球、アイドル原辰徳
その後は長く低迷して横浜に名実ともに取って代わられた
俺の中の神奈川のイメージは70年代の東海大相模、80年代のY校(横浜商)、90年代から00年代の横浜
2010年代以降はまた東海大相模に覇権が戻った感もあるが、今も神奈川の高校野球ファンに一番人気があるのは横浜という印象がある 横浜スタジアムの一般客が横浜を応援する雰囲気は甲子園での阪神戦に似ている 半世紀近くも勢力図変わらない神奈川って全国でも特異だよね
原父、渡辺、小倉(、土屋)の各氏の系譜を引く学校でずーっと覇権を争ってる
Y校も小倉さんが横浜に戻ったら衰退したし、鎌学や東嶺、平学、隼人のように二度目の聖地が遠い学校も少なくない
複数回出場した野呂さんなんかはすごいと思う 勢力図が変わらないと言えば愛知県が筆頭だろうな
中京、東邦、名電、享栄の持ち回り
その中では享栄が脱落したが、最近復活の兆しはある
近年では他府県への流出者が多い上に中京、東邦は基本県内中学生中心だから少ない逸材を4校で取り合っている
愛知県の学校が甲子園で勝てなくなるのも当然 >>205
激戦区は予選勝ち上がるだけで疲弊するから無理もないよね
そんな中豊田大谷や豊川みたいに突然変異的に上位進出した学校の活躍が光る
公立だと豊田西も98春は2勝した。夏決勝は全敗だけどね… >>204
系譜はそうでも学校の勢力図は結構変わってるよね
80〜90年代強豪だった桐蔭学園、横浜商、法政二に代わって
低迷してた(特に夏)東海大相模が挽回して、桐光学園、慶応がとってかわった感じ うちらの世代では、箕島(和歌山)対星稜(石川)がいちばんドラマチックだったかな。星稜が一塁のファールフライを捕れば勝利だったけど、一塁側ブルペンのマウンドに足をとられ捕れなかった。そのあと箕島が逆転。 >>208
奈良くらいになると公立校ですら実は天理OBが監督やってました、ってパターンたまにあるよね
斑鳩や桜井を率いた森島さんや、元大和広陵の若井さんみたいに 東洋大姫路のサウスポー松本と、東邦の1年生右腕バンビ坂本の夏の甲子園決勝での対決も忘れ難い。松本は阪急(ブレーブス)に行ったけど、肩か肘の故障があり
プロ野球では活躍できなかった記憶がある。 地元の神奈川では、センバツで東海相模が豊見城(沖縄)の赤嶺投手(巨人)に9回ツーアウトまで抑えられたが逆転勝ちの試合があった。決勝では高知高校と延長戦のすえ惜敗した。 >>208
天理智弁の二強の下に郡山がいたが今はどうなんだろう
郡高音頭とかあるし文武両道だし地元の人気は凄そうだけど
最近奈良の甲子園動画アップしてるチャンネルあったが通報されたのか消えてしまった むかし、TVK(テレビ神奈川)では東京六大学野球中継をやっていたけど、その時は法政に江川がいて、憎たらしいほど強かった。慶應の堀場や明治の鹿取も見たような気がするけど、早稲田の三谷(今治西)、木暮(桐生)も印象に残っている。 水野投手(巨人)を擁し池田高校(徳島)で全国制覇したときの主砲・江上は早稲田大学に進んだが、木のバットに合わなかったのか東京六大学野球では活躍できなかった。清宮(早実⇒日ハム)も江上の印象と被る。 >>208
70年代半ばまでは天理、郡山の2強
その後智辯が強くなって今の2強 >>213
70年代がピークだったが、森本監督時代は90年代まで間を置きながら出場
次の出場は21世紀枠だろう 郡山みたいに20数年前に甲子園常連だった学校が21枠で選出されるのはなんか変な感じするなあ
近畿は京阪奈が未選出だからそろそろチャンス来そう 大阪は覇権が次々と変わって、夏は新しい甲子園優勝校が出るとそれまでの優勝経験校は二度と優勝できないジンクスが継続されている
浪商→興国→明星→PL→大阪桐蔭→履正社
大阪桐蔭はこのジンクスを打破できるか >>209
ブルペンのマウンドではなく、人工芝の境目だからね。 80年代の神奈川は群雄割拠で面白かったな
1980 横浜
1981 横浜
1982 法政二
1983 横浜商業
1984 桐蔭学園
1985 藤嶺藤沢
1986 横浜商業
1987 横浜商業
1988 法政二
1989 横浜 2010年代
2010 東海大相模
2011 横浜
2012 桐光学園
2013 横浜
2014 東海大相模
2015 東海大相模
2016 横浜
2017 横浜
2018 横浜・慶應義塾
2019 東海大相模 2000年代
2000 横浜
2001 横浜
2002 桐光学園
2003 横浜商大
2004 横浜
2005 桐光学園
2006 横浜
2007 桐光学園
2008 横浜・慶應義塾
2009 横浜隼人
2000年代になると横浜が軸になるも桐光学園が台頭し、横浜隼人なども新興勢力として上がってきた
夏の東海大相模はまだ壁を打ち破れなかった時代 >>221
この頃の神奈川面白かったよね
日大高や向上、鎌学も決勝進出してたし
85年の山北旋風、翌年は新城が秋関進出を果たすなど公立校も夢を抱けた時代だった >>218
20数年前でも天理智辯が強かったから常連ではなかったぞ
郡山は進学校かつ歴史のある地域に根ざした名門校
磐城が選ばれるなら郡山が選ばれても不思議ではないー >>221
一校だけ場違いというか、間違って出てしまったところがあるな。 >>226
藤嶺藤沢のことかな?
ここは桐蔭学園を初出場初優勝に導いた木本さんが監督やって決勝で横浜を破って初出場
この年の横浜はエース相川でセンバツ出場したけど、夏は故障でエース不在なのが響いたな
藤嶺藤沢はなぜか横浜には相性が良くて接戦になることが多かった 1990年の神奈川大会の決勝って横浜商と神奈川工業の公立高校同士の対戦で
決勝の公立校対決はこれが最後かな。神奈川工業の吉田投手は大型左腕で
ナックルだかパームボールを投げていたような記憶がある。吉田は準決勝で
後の巨人のドラフト1位の河原投手を擁する川崎北に勝っているんですね。ベスト4
のうち3校が公立って神奈川では超珍しい。 1990年は横浜商が夏の甲子園に最後に出た年かな
この代で小倉さんが母校横浜へ戻ったんだよな
80年代のY校の躍進はひとえに小倉清一郎氏のおかげと言える
裏を返せば、そのままY校に残っていればその後凋落することもなかっただろうし、最初から横浜を指導していれば横浜の甲子園での実績はもっと凄いものになっていただろう >>227
あえて名を伏せたが、そうだよ。
あの年、横浜の相川は肘痛で決勝は投げられなかったのが響いた。山北が決勝に出ていたらもしかしたら勝てていたかも。準決勝で藤嶺に1点差で負けたんだよね、惜しかった。御殿場線の東山北駅のすぐ近くにある学校だが、ほんと田舎だよ。
神奈川の人にとっては、この年と73年(藤沢商業)が夏の代表にガッカリした年だな。 >>228
河原と厚木川村の投げ合いリアルタイムで見てみたかったな 82年秋の関東大会は神奈川が3校ベスト4に残ったな。横浜は地域性で弾かれ、取手ニと峡南だったか。
Y校も桐蔭学園も取手ニ(翌年だが)もまあまあ結果を残したわりに、当時はレベルが高いとは感じなかったな。1県が独占するとそう感じやすいのかもしれない。 >>230
73年夏はガッカリだったけど、藤沢商にはのちに専修大学でエースとして活躍した堀田がリリーフで甲子園勝利に貢献したから悪くない
むしろ77年夏の相模のほうがガッカリだったわ
あの不甲斐なさだったら、Y校を出してやったほうが数倍まし >>216
天理智弁>(昔の)郡山>>その他公立(チャンスは実質春のみ)
ずっとこの図式だね。
今振り返ると91年の奈良高とかよく選抜出られたよな。
組み合わせ的にも近畿初戦で同県勢の天理と当たるというのも謎だった。 >>234
77年のY校かなり力あったみたいだね
春の県大会制して関東大会で早実に一点差負け >>235
あの年の奈良高はサプライズ選出だった
何で選ばれたのか
公立進学校だからか? Y校は「甲子園出場校の中で1番短い」て当時三浦が言ってたな
夏場4時間冬場3時間でスナックタイムてお菓子飲み物休憩まで間にあった
監督がアンチスパルタて考えで練習は3時間が限界で集中力が続かなくかえって非効率て考え
Y校は練習が楽だし上下関係緩いからと当時の地元有力選手が集まったようだ
池田も練習時間短くて案外上下関係とか緩い似てるて三浦と対談した時に水野が話してたな
チアガールの女の子と楽しそうにしてる写真があったな
取手ニも女子生徒と一緒に雑誌乗りまくりだったな 池田に選抜で負けてからはあまりの力の差に
全員が練習後に自主的に猛練習して打撃力がパワーアップした >>238
スナックタイムかあ
何を摂るかにもよるけど、現代の観点からすれば運動中の栄養補給という点では理に適ってるね
どこの学校も練習の合間に積極的に補食するようになったのはここ20年ほどじゃないかな? こういう掲示板にY高と書くと
高じゃない校だと
すぐに指摘される
こだわりがある人が多いのかな 星稜を星陵って書いたらツッコまれるのと似たようなもん、かな? >>237
当時の近畿大会は初戦で同地区対決が普通にあったね。
平成1年秋季近畿大会
近大付(大阪1位)-関西創価(大阪2位)
平成2年秋季近畿大会
天理(奈良1位)-奈良(奈良2位) 80年代当時のY校は神奈川県民から人気があったな
Y校と横浜が戦えば、横浜の方がヒール役になったぐらい
横浜は松坂以降イメージが一変して人気校になったが、それまでは不良軍団ヨタ校のダーティーな印象 >>243
LINEの「神奈川高校野球トークルーム」でもそう。
すぐに指摘入って略称使うならちゃんと書かなければ失礼やってレスされるね。 >>246
Y校野球部OBの五月女良二事件の真相を知りたい Y校はもはや略称とはいえないほどに定着してるからな
Y高には早稲実くらいの違和感がある そういやAVなんかは女子高生だと年齢が特定できるからアウトで
女子校生と表記すればセーフなんだよって教わったな >>246
デーブ大久保のYouTubeで、愛甲が出演しているんだが
当時の横浜高校のヨタ校ぶりを語っている。
愛甲の回は面白かったわ。 >>238
Y校古屋退任直後結城監督時代の練習ルポ記事あったが練習きつそうだったけどな
夏合宿でさぼってた高井が強制送還されたとか聞くし
部員も180人近くいて生存競争大変そうだし楽って事はないだろう
あと90年のアサグラで特集されていたが応援団が凄く厳しそうだった >>246
昭和師匠の動画見たが相川の顔は顔面凶器過ぎるな iPhone芸人の かじがや卓哉は最終学歴はY校。
吉本養成所に在学中の
25歳で税理士試験に合格してるんだな。
下手な大卒よりY校出身の方が優秀だ。 >>208
一昔前の鹿児島みたいだな。
私学2強と押され気味の公立という構図も似てる。 >>257は郡山が健在だった頃の話ね。
今じゃ郡山も鹿商も…泣 神奈川出身の俺の同僚が、横浜商業がY校なら横浜創学館も横浜高校もY校で良いだろうとか訳の分からない自分ルール作って、全部Y校と引っくるめて呼んでる 商工とヨタでいいだろと思って調べてみたら創学館は
商工の前に東亜学園だった時期があるのな。知らんかった
履正社が福島商業だったのは知ってたが >>253
部員はせいぜい100人くらいだったみたいよ
グラウンドに集まると20週その後攻撃守備練習3時間
「公立ですし、学校のクラブ活動選手の集中力が持続するのは3時間から3時間半が限界それい以上やっても効果がないの信念でやってます」
伊豆キャンプ5日でつりが出来るからつりざお持参した選手もいた模様
「私学に勝つには自分自身で練習しろ!俺の目を誤魔化せても自分の目は誤魔化せないぞ!」と言ってた
当時の高校野球関係者がこんな軽い練習でいいの?と疑問持ったけど
古屋魔術の自主性重視野球が古豪を蘇生させたて記事があるよ
宮城で夏ベスト4荒井で選抜出場した時の記事だけど >>242
パンやおむすび飲み物なんでも各自持参で自由みたいよ Y校を復活させたのは古屋監督というより小倉さんだろ
小倉さんが横浜へ戻った途端に弱くなったし
横浜でも部長としてベンチ入りしていた2008年までは好成績を残していたけど、外れてからはパッとしない成績 >>263
復活させたのは古屋監督だよ
小倉さんは横浜高校にいた時期から横浜商は神奈川県で優勝争いするようになった
小倉さんは復活した横浜商を甲子園で優勝争いできるに >>264
小倉さんが来て、横浜商が甲子園で優勝争いできるように強くなったとは思うけど >>261
ホームラン82年選抜出場ガイド号の記事だな。荒木の顔が表紙になっていた。 小倉さんの甲子園実績
横浜商業(1978−1990)出場 8回23勝 8敗
横浜高校(1990−2014)出場22回38勝19敗
この他、東海大一でも春夏一度ずつ甲子園へ導いている 小倉さんが指導から退いた後の成績
横浜商業(1991−) 出場1回 0勝1敗
横浜高校(2015−) 出場5回 4勝5敗 日本人でメジャーで満票MVPがでるとはな
栗山が監督辞める時大谷より素質ある選手いたけど潰してきた事を過去の指導者は反省すべきて言ってたけど
多分愛甲か金村だよな二刀流でワンマンチームで優勝させたし 50代からみれば大谷の活躍はもう異次元の世界
凄過ぎて感情移入も出来ないな イチローにも似たようなものを感じたけど
大谷は文句なしに素晴らしい選手だけど、大谷よりは筒香の方を応援したい >>269
70年代の甲子園で活躍した高校球児(特に優勝投手)はほぼ潰れていたからね。
二刀流が出来そうな選手だけでも島本とか仲根とか。 ここの人達の子供の頃のスーパースター清原が新庄に対する発言で炎上して叩かれてるな
かなり長い文章の批判が多くて寂しいな
新庄マンセーは違和感があるけど
新庄はまだ期待値があるのに対して清原は完全に社会的信用失ったからな
大谷が今日MVP取って完全に清原の思い出や期待値も消え去った感じする
清原の存在感や記憶知名度は圧倒的だったからな >>269
視力とマインド、大丈夫か?
どの部分をどう見れば、愛甲や金村が大谷より素質があるように見えるんだ。
大谷は名実共に日本人史上最高の野球選手だろ。
ヒット数や勝利数とか関係なしに、イチロ−や金田よりも間違いなく上。
バスケの田臥やテニスの錦織など他競技で50年に一人とか言われた選手もいるのはいたけど、野球の大谷に勝るアスリートは、もう日本人では出てこないだろう、、、 清原って鬱病なんやろ?
だから、その日によって気分が大きく異なるから、気分が高揚(?)した日にたまたま撮影しちゃってあんなこと口にしてしまったとか?
まぁそれにしてもお前が言うなやが
解説の時は選手目線で穏やかに話してて好感持てるのに、かたや今回みたいな炎上必至のことを口にするし、別人みたいだな 昨日は久しぶりに清原が渡辺に3三振した伊野商業戦のビデオをみた。
一年夏の池田戦で水野に4三振しているが、怪物と言われるようになってからはあれだけコテンパンに封じ込められたのってあのときだけだろう。見るからに自信なさげで最後の第四打席なんて三球三振だもの。あの試合はホントにスカッとしたわ。 今年の夏の大会で横浜の緒方選手が1年生で史上初めてのサヨナラ(逆転)
ホームランを打って話題になったけど、甲子園で初めてホームランを打った
1年生って誰かなぁ〜って、ふと思いましたぁ。自分の記憶にある一番古い1年生
のホームランって1983年の中津工戦でのPL桑田のホームランだけど、ネットで
調べていたらマニアのサイトに記録が書いてあって、学制改革以降の甲子園で
初めてホームランを打ったのは1976年夏の高田商業戦での宮崎代表福島高校の
渡辺選手だそうです。2本目が1978年の徳商戦で横浜の安西が打ったホームランです。
桑田は3本目だそうです。この2試合は見ていたのだけど、ホームランの記憶は
全然ない。高田商の試合は高田の小林投手のキャチボール投法みたいなスローボール
連発の投球に驚き、横浜の試合は愛甲の快速球の印象が強すぎてホームランの記憶は
残らなかったのかも。それらに比べて桑田のホームランはインパクトあり過ぎで、
打った直後に上半身ハダカの変なおっさんがグランドに乱入してきて中村監督が
なだめたりとか、おっさんが上半身裸のところが2年前の通り魔殺人鬼の川俣軍司に似ていた
のでドキドキしながら見ていた記憶があり、記憶に残らないわけがないですね。
戦前は今より甲子園が広く、バットもボールも質が悪かったでしょうから流石に
1年生のホームランはないと思いますし、上述の渡辺選手が甲子園で1年生の最初の
ホームランを打った打者なんでしょう。 >>276
最初の打席では通用するのか半信半疑で投げてた渡辺が、最後の打席では完全に見下して投げてるのがよくわかるよね。
全力投球すれば打たれっこないってね。
まああの3三振があったから夏は真の怪物になったわけだが。 昨日大谷MVP無理て言った石毛て市立銚子だろ
決勝で銚子商土屋に敗けた時のメンバーか
僅差だったから甲子園の銚子商のスコアみたら悔やまれるだろうな
清原石毛西武黄金期の選手がやらかしてんな >>277
高田商ー福島戦は低レベルな試合って言われているが福島高校には後にプロ野球で日本一監督になった西村がいたんよね。
苗字が村西やったらおもろかったのにw >>277 戦前の1年生って中1だから12歳とか13歳だよ。 >>281
それは旧制商業学校とか旧制工業学校とか旧制高等女学校なんかはそうかも知れんが
旧制中学校の場合は高等小学校(二年制)経由だから
旧制中学1年生の年齢=新制中学3年生の年齢? 大谷は確かに日本人歴代最高の野球選手だけど、高校野球でのインパクトはそれほどでもなかったから自分の中ではスーパースターではないかな
そういう意味で大谷よりは清原や松坂の方が上
プロ野球とかメジャーはあまり観ないし でも大谷がMVP取れないと予想した石毛や新庄批判した清原がバッシングの嵐なのは違和感あるなぁ
それまで2人のYouTubeチャンネルでのコメント欄は好意的なものが殆どだったのにたった1回の発言で途端にバッシングに変わる
今の風潮は異論を許さないという感じでかなり怖い よく清原を貶すコメントで薬や奇抜な言動していたお前が言うなよ、っていうのがあるけど、俺から言わせれば野球やったこともなく、甲子園やプロで偉大な実績を残したこともないお前が偉そうに上から目線で清原を批判するなよ、と言いたいわ 清原がトラブル起こしても一線を越えずに踏みとどまってるのを見ると育った家庭環境が大事だと思うわ
機能不全家庭で育ったんなら親のサポートなんて望むべくもなく一気に転落する
清原がプロ入りしたときの契約金は親が和博名義で貯金していて利子付きでまるごと残ってたらしい
また、若い頃の給料も親が管理してて数億円の貯金があったというのも凄すぎる >>254
リアルでテレビ中継見たときにおれも相川の風貌見て驚いたよ
それで選手名鑑何冊かで相川の欄を読んで吹き出した
ああいう選手紹介は今ではNGだな
短気、乱暴、勉強嫌い、成績悪い、教室でも荒ぶる 清原と言えば桑田だけど、むしろ家庭環境は桑田の家の方が恵まれていなかったようだな 父親とか特に
そんな桑田は若い頃は色々とダーティーなイメージがあったけど、基本的には品行方正な生き様 高3で160キロ投げ投手で大騒ぎされプロ入りした最初の春季キャンプで、元ヤクルト古田が大谷のフリーバッティング見て、打者でも近いうちに間違いなく三冠王取るって言った時には度肝抜かれたな−
その時初めて大谷翔平って野球選手の潜在能力がどれだけ凄いのか、わかったな。 >>252
愛甲は喋りが上手だったねえ
横浜のヨタ校ぶりのほかに、ロッテの有藤、金田や中日の星野仙一の基地外ぶりも喋っていたけど、あくまで敬意を持った上で喋っているから嫌味がなかった >>288
桑田父はアウトローな感じの印象やもんな >>282
違う。高等小学校に進学した人は師範学校に行っても中学進学は基本ない。
中学は小学校卒12歳進学が基本。それで5年まで。Wikipediaでも良いから旧制の学制を
参照して下さい。旧制中学1年=新制中学1年です。因みに旧制高校1年が高校3年の年齢。
旧制高校、旧制大学はそれぞれ3年だけど、大学予科は2年だったり、中学4修が割と
居たり、中高一貫の7年制私立があったりしてややこしかった。川上が中2でレギュラー
だったりしたから中3で本塁打を打った選手は居るだろう。 愛甲の頃の横浜って一般生徒より野球部とボクシング部が無茶苦茶だったな。
愛甲牧田足立 一個上に曽利田 一個下に吉岡だからな。
番長連合みたいなもんかw
永川の頃は更に上を行ってたなんて言うんだから少年ヤクザか? >>285
たとえ甲子園で13本打ってプロでも活躍しても覚醒剤やって狂った人間より、何もスポーツしたことなくても今まっとうに生きてる人間の方が素晴らしいよ
清原はうつ病だか何だか知らんがそれを告白することで世間から許されたと思ってるのが痛い >>294
今の愛甲は若いときに散々悪いことをし尽くしてから社会に適応したオヤジに見えるな
体つきも若いときと変わっていないし、今でも格好いいわ 1978年(昭和53年)の兵庫大会
【準々決勝】⇒ 淡路島の公立3校がすべて勝利し、ベスト4は淡路3校と報徳
洲本 3−1 明石
洲本実 7−0 育英
報徳学園 4−3 東洋大姫路
津名 7−3 加古川西
【準々決勝】
報徳学園 5−2 津名
洲本 3−0 洲本実
【決勝】⇒ 結局、ベスト4唯一の私立で淡路島外の報徳が甲子園行きを決める
報徳学園 3−2 洲本
こんなことはもうないだろうが、淡路島の野球熱は今も盛んなんだろうか?
もう少し調べてみたら、昭和50年の決勝は洲本−津名の淡路ダービーだった
昭和58年、平成20年(西兵庫大会)にも洲本が準優勝してる
ざっと目を通してみたら、加古川北、明石商、市川、姫路工、市尼崎の複数回の決勝敗退が目立つ 清原を責める気にはなれないなぁ
罪は罪として、高校時代やプロで残した実績は消えないし まぁ皆清原の野球人としての実績にケチをつけてるわけでなく、責められてるのはあの人間性だよね アスリートやアーチストに人間性は求めないけどな
作品が良ければそれでいい
所詮、身近で接する相手じゃないし 甲子園で活躍した奴じゃないとスターじゃないって変な価値観ならそうかもな
まぁ大多数は犯罪者や性悪はノーだから >>300
選手の頃は最悪それで通用するだろうけど、差が出てくるのは引退した後だよ
野球を取ったら何も残らない人間なのかそうでないのか
清原はもちろん前者だ しかし、最近の岩手の怪物輩出は凄すぎるな。
菊池雄星から始まって、大谷、佐々木(大船渡)、佐々木麟太郎と。
50歳以上のおっさんにとっては信じらんな。
まあ、50歳以上のおっさんにとって、岩手代表といえば、
昭和43年夏の盛岡一高の白亜旋風、昭和59年春の大船渡旋風、
黒沢尻工が箕島に大善戦した試合、
印象に残っている選手で、福岡高校の欠端くらいか。 芸能界は、すぐに復帰できるのにな。
スポーツはクリーンなイメージが大事なんかな。
槇原敬之なんて逮捕2回目でも、しれっと復帰しとるで。 元々芸能界って反社との付き合いも深かったダークな世界だからじゃない?
まぁその反社に1億円払った過去暴露されたのにプロ野球の監督してる人もいるが >>303
昭和54年夏の超スローボールの久慈高校の北田
昭和61、62年夏連続出場した一関商工の渡辺も記憶に残っている。
北田の年は盛岡工業の田鎖が騒がれたけど県の準決勝で北田に投げ負けたな。 >>303
一般的にその並びには入れないようだけど下沖も怪物だったな
まあ岩手のイメージも薄いんだけど https://i.imgur.com/bU1l7hx.jpg
ここらへんの埼玉楽しそうだな
上尾が21世紀枠候補に選ばれてるけど自力で埼玉から公立校が出ることはもうないのかな 岩手でビックリなのは、夏の全国大会で神奈川県勢と5回対戦して一度も負けてないこと。
http://koushien.s100.xrea.com/a/39.htm
そういえば漫画「ドカベン」でも、明訓の連勝をストップさせたのは弁慶高校だったね。 熊谷商や所沢商はもうダメそう。
他の地方だと上位進出もあるかも? >>309
盛岡大付の2003から2014までの成長がよく分かるね >>310
瀬田工業は八幡商業も、もう無理だ−
甲西や長浜なんて、もう見る影もない。 >>238
野球経験者なら分かると思うけど、猛練習やらなくても部員全員に打撃練習やらせたりしたらそれなりに時間がかかる。
Y校の練習時間が短いというのもレギュラー中心にやってたのだろう。
元ライブドアの宮内氏も、Y校の白虎隊時代の思い出としてそんなことを語っていた。 岡山が公立復活してきて
いる。
但し私立が不甲斐ないだけ
だが。 今やってる神宮大会、昔は各地区で出場基準がバラバラだったから、
いわゆる甲子園童貞校が出てきて新鮮だったけど、もうそういうこともないんだよね
昭和48年:利根商(群馬)
昭和50年:自動車工(静岡)
昭和51年:松戸東(千葉)
昭和52年:長島(三重)
昭和53年:岐阜西工
昭和54年:焼津水産(静岡)
昭和55年:甲陵(鹿児島)
昭和56年:桜井商(奈良)、嘉穂(福岡)
昭和57年:奈良商
昭和59年:滝(愛知)
昭和62年:伊豆中央(静岡)、高崎工(群馬 あれ?途中で送信しちゃったので続き
平成2年:木本(三重 またまたミスった、申し訳ない
平成4年:久留米工大付(福岡)
平成5年:富士学苑(山梨)
平成6年:北九州(福岡)、波崎柳川(茨城)、岐阜藍川
平成7年:北大和(奈良)
これ以降は多分ないはず >>318
山梨の富士学苑はこの夏、決勝まで来たよね、日本航空に負けたけど。
近いうちに甲子園に登場するんじゃないか?
日本航空、東海大甲府、山梨学院とライバル校は多いが。
それと平成2年の木本って(野球じゃないからスレチなんだが)、その頃にラグビーと陸上の
二足のわらじを履いてた天才高校生がいたような気がするんだが、記憶違いかな?
名前忘れたけど、ラグビー部でありながら100mを10秒1くらいのタイムで走ってたような・・・。
記憶違いだったらスマン。 >>319
木本は中道選手かな?
昭和61年くらいやったん違うかな? >>319
これ調べてて、当時甲子園未出場でも後に出た学校は省いたんだけど、
書いてて真っ先に消えそう(=甲子園に出てきそう)なのは富士学苑だと思った
木本は昭和45年三岐大会決勝まで行って、湯口の岐阜短大付に0−2で負けたのが惜しかった
昭和50年以降平成初期くらいまでは県内ベスト4、ベスト8の常連だったけど、近年は低迷してるね
>>320
中道選手の10秒1(当時の国内タイ記録)は昭和62年の三重県大会だったみたい 木本は85年秋の東海大会でベスト4、近藤の享栄に3-7で敗れて選抜はもれた。
70年夏も5季連続出場をめざした三重を1-0で破るなどすべて完封で勝ち上がったが、三岐大会の決勝で湯口の岐阜短大付に0-2で敗れて惜しくも出場はならなかった。 木本って神宮大会にも出ていなかったっけ? 昔の神宮大会は隠れた実力校がいたりして面白かったよ。嘉穂とか斑鳩とか。 >>320-321
ああ中道だったか、昭和の終わり頃だったんだ、どうも。
大谷翔平みたくラグビーと陸上の”二刀流”で、当時はちょくちょくマスコミに
取り上げられてたのに、結局ラグビーを取ったんだよね。
でも程なくして、マスコミに取り上げられることも無くなってしまったな。 >>321
花園出たんが昭和61年冬ちごたかな?
>>322
準決勝享栄戦初回3ランが飛び出してこれは!と思うたけど逆転負けしたね。
主戦山門投手は初戦の東海大工戦3安打完封、次戦大垣にも完封して三重県3位ながら注目していたけど残念ながら享栄に逆転負けを喫して補欠校になった。
木本はいつも夏の大会三重に負けていた印象やったけど実際どうやったかな?(記憶だけで書いてるから間違いあったらすみません) >>323
嘉穂は79、80年と夏の県準優勝。
神宮大会に出たのは81年秋だと思うが、東北、星稜と地区大会優勝校を破り、九州大会に進出していなかったが翌年選抜の補欠校に選出されたな。
前年秋は九州大会に出たが初戦で沖縄の興南と当たり、3点先制したが投手の竹下に同点3ランを打たれて結局逆転負け。あと一歩で甲子園を逃し続け、いまは全く名を聞かなくなってしまった。 木本は2013年にマスターズ甲子園の勝ち抜きトーナメントで優勝して
日本一になった 明徳も四国大会出てないのに補欠校になった事がなかったかな?
昭和56年選抜大会に センバツ選考で客観的に見ても明らかにおかしかった年はいつだ? >>331
1984近畿での近大付落選と2003近畿での近大付滑り込み選出
誰でも上げるとは思うが 全ては近畿7枠のせい
いつぞやの川西明峰といい初戦敗退校の逆転選出多すぎ
あとは小倉枠 03近付は84年の救済感あるよね。
その時には6枠になってたけど 近畿地区大会初戦敗退校の選出って過去にあった?
結構圧勝した優勝校に初戦 0−1 で敗退した時に選出されるかもと言われてて、補欠校に甘んじた高校あったけど。 >>335
各地区2代表の計12代表で近畿大会開催していた時代はよくあったかな >>335
99年秋の智弁和歌山が近畿大会初戦敗退だったが選出された。しかし皮肉なことに選抜は準優勝、選手権は優勝で
選んで正解のパターンだったw今は逆に杓子定規に選び過ぎてる気がするな。本来の選抜は強いチームを選考委員が
厳選するものだから、こういう選出があっても良いと思う。今はミニ選手権化してしまってるね。 >>328
80年って田川の年だったかな。
今思えば凄い決勝のカードだ。 >>324 逆で陸上を選択した。その後は、アジア大会代表程度で
それほどセンセーショナルな活躍をした訳ではなかった。 昔報知高校野球はセンバツ決算号でセンバツ選出の反論、高野連叩き、改革意見載せてたな
あの当時送ってた人ここにいそうなくらいきつい口調で
名指しされ批判される学校に配慮したのか90年代初期で無くなったけど >>340
秋春九州大会優勝で大本命と言われた柳川がこけてカオスになった >>335
部員10人の大成も初戦敗退で選出
準優勝チームに延長で善戦したというのが理由 >>330
河野、横田がいたときの明徳が、
秋季大会県予選の代表決定戦、
日没で中西のいた高知商に負けたけど、
四国地区の選抜補欠校になったね。
高知商はもちろんのこと、
明徳の評価も高かった。 >>332
1984年の三国丘は近畿大会で1勝はしたけど、PL学園に0−1の接戦だったことが選出理由だったから、
例え三国丘が近畿大会0勝であっても、意地でも近大付属を落としてセンバツに出してただろうな。 1980年の明徳は中西が言うには最強打線だったらしいな
明徳に勝ったから箕島を甘くみてたら完敗したようだね
中西が全国で1、2争う明徳打線に勝ったんだからそれ以上の打線はないと自信満々だった 中西だろ阪神コーチで藤浪をダメにしたの
金本のら161球懲罰ばかり言われてるけど
中西が高卒から無理させてフォームいじりまくっておかしくなったようだな
投手としてなら大谷以上の才能甲子園史上最強投手をあんな状態にするなんてなかなか出来ない >>347
はっw
近畿大会で4強入りした近大付を落としてまでやることじゃないだろ
東北大会ならともかく、近畿大会で落とすことはありえない
むしろ、大阪3校を容認してどう見ても甲子園出場レベルにない高島を落とすべきだった 浪商の牛島の控えの下級生投手山脇て阪神の元コーチだろ
スカート盗撮でクビなった
スカート盗撮だから球場でコッソリやってバレたのかと思ったら
ヨドバシカメラのエスカレーターで堂々とやるとか
阪神のコーチでダメなのバッカリだな >>347
あの選考は出来レースだったよね。
おとなしく大阪3校出してればまだ揉めなかった。
4強進出校よりも地域性が優先されるとかわけわからん。 >>350
当時の滋賀は近畿大会で1勝したら、地域性から99%センバン当確だったから、高島は落とせなかったよ。
センバツは実力だけでは事実選考出来ないから、まあ難しい問題だよな。
実力優先主義なら、近畿ベスト4に残っても滋賀からは絶対に選ばれない。 >>352
ここの人は多分皆知ってることだと思うけど、1970年のセンバツで、前年秋の都大会で準優勝した帝京商工が
その後に起きた校舎の火災で資料が焼失、戦力の検討が出来なくなったとしてセンバツ選考から落とされて、
代わりに都大会ベスト4で芸能人学校として有名な堀越学園がセンバツに選出されたことがあった。
この選考に腹の虫が治まらない帝京商工は、大阪地裁に帝京商工の選抜大会出場の仮処分を行うように
提訴しる裁判沙汰に発展したが、大阪地裁は完全却下の処分を下した。
当然、この訴訟騒ぎに業を煮やした日本高野連の佐伯会長は”報復”として帝京商工に1年間の対外試合
禁止処分を行う見せしめを行ったね。
一説には芸能人学校の堀越を甲子園に出せば、観客動員を見込めるんじゃないかとの思惑があったんじゃないかと
当時は噂されたりもした。
まあセンバツ出場校の選考に関しては昔から闇が深すぎますな。 あの時は水野三浦がいなくなり池田も不祥事PLは規制厳しくて取材しにくいから
進学校の三国丘の松田をアイドルにして目玉にしたかったんだから仕方ないだろが
私神港、京都西、高島と春夏出場経験ない学校出したいし
三国丘は耐久に10ー2で勝ったのが評価された
近代付は2ー11でコールド敗けしたのも悪い
池田はベスト4で出場資格あったのに不祥事でダメなって
変わりが四国大会出てない徳島商の方が何故なんだ?
富岡西は明徳に0ー11で大敗だからダメなのはわかるけど
あの時は四国は同じ県から2校てNGだったのか >>355
普通に伊野商だと思っていたけど、徳島商選出でアゴが外れそうになった ↑ 何度目だ、このループ!は横に置いて
この年の滋賀大会決勝で高島に勝った長浜が
近畿大会初戦で近大付に負けたのが
選考が拗れた要因となった
皆さんご存知の通り長浜はその年の夏の選手権に出場
選抜ベスト4の大船渡 都城と互角に渡り合い
滋賀の優勝校は全国レベルだということをアピールしました! 荒木大輔フィーバーは当時の同級生がハンカチの比じゃない言うけど
今だと大谷みたいな感じか野球だと将棋の藤井とか
同級生の小澤は当時は肩の故障で迷惑かけられないて言ってたけど実際は…
あの時は美談にするしかなかったんだな しかし84年選抜は初出場が多かったな。32校が発表されたとき、「なんだいこりゃ、聞いたこともない高校ばっかり」という感じだった。その時点では15校が初出場。発表直後に函館有斗が辞退して砂川北が繰り上げになったから結局半数の16校が初出場だった。 小澤は千葉英和で監督なったけど他の教師からのイジメで苦しんだようだな
1991年秋は横浜に敗け1993年は山梨学院に敗けたけど関東大会まで行ったんだな
選抜出れるチャンスはあったようだ特に山梨学院は優勝したからな
2000年あたりからパニックなんとかて病気なって2004年から休職してなくなる直前に解雇郵便が届いた >>350
高島を選んでなかったら、あのワンバウンド満塁ホームランも生まれておらず、とばっちりで歴代優勝校のプレートも外されることはなかったのにな。
でもプレートは飾るスペースがほとんどなくなっていたから、あの事件がなかったとしても近いうちに廃止になっていたんだろうな。プレートを小さくして飾ろう、とか話されていたとか聞いたことがあったけど。 >>361
小澤ってのは行く先々で邪険にされてたみたいだが、
小澤本人にも問題があったんじゃないの? >>363
生徒には慕われてたみたいよ
最後病気の時も野球OBが交替で数人が看病さたりしてた
荒木大輔もなくなった日に枕元で1時間半以上沈黙して動けなかった >>343
報知高校野球平成6年からおかしくなったよね。
新聞もね。 >>353
2回戦(両校初戦)の近大付【大阪3位】ー長浜【滋賀1位】が延長12回日没引き分け再試合にならず長浜が勝っていればここまで揉める事なかったね >>316
50歳以上のおっさんにとって松戸東は、
まあ、松戸市内では学力の高い、
特に野球も強くないごく普通の公立高校だったが、
何故か昭和51年の秋の県大会で突然、準優勝。
決勝では銚子商に大敗したが。
その当時は1校なので秋の関東大会には出れなかったが。
あれは今でも不思議。何があったんだろうか。 松戸東もいいとこまでいった年あったんだ
千葉といえば市川が県3位で秋関進んだこともあったね 松戸東は現在は松戸国際に校名変更してるが、平成14年秋にも県大会で準優勝してる。
関東大会でもベスト8まで勝ち進んで選抜出場まであと一歩だった。 >>316-318
平成元年に宮古(沖縄)、平成3年に佐野商(栃木)が出場している
宮古は優勝した東北に延長10回0−1と大健闘、佐野商のエースはプロ入りした戸叶だったな >>362
どのみちラッキーゾーン撤去時点で危険回避のため廃止になったんじゃないかと思うけど その後プロ入りした選手だと>>316の長島のエースも
このチームは部員が12人ぐらいしかいなかった神宮で1勝した >>335
現在の6枠になってからは07年の和歌山商だけだと思う >>367
県決勝は銚子商業に1-19の大敗。
神宮大会では北海道優勝の北海道日大に2-3だったかな。
翌年夏の予選はどうだったか、覚えていない。 >>374
http://bibijr.com/chiba/21087
夏は早い段階で負けてますな・・・
新興校にありがちな秋季大会、春季大会に好成績残して夏は早期敗退ってパターン >>375
サンクス。
77年夏は専大松戸がベスト4だったのは覚えていたんだが。 90年の関東一高も何で落選?と思った
スラッガー山本がいて恐らく比較対象の前橋商、日大藤沢より明らかに戦力上だったし
地域性と言われればそこまでだが関東4校東京2校は普通にあったし >>357
84年は選抜の4強のうち、優勝の岩倉を除く3校、
8強のうち、岩倉、名電を除く6校
が夏にも出場したんだな。
73年に優勝の横浜を除く7校が出場したのに次ぐ数字。
選抜は16校が初出場というフレッシュな年だったが、春夏連続出場したのは14校と多い。実力あるチームが多かったんだな。73年は実に18校が春夏連続だった。
さらに、選抜8強のうち、拓大紅陵を除く7校が前年秋の地区大会の優勝校だった。73年は4校だった。 >>379
日大藤沢はともかく、弱っちい前橋商が選ばれたのが謎 >>379
90春は東京1枠固定だから準優勝の関東一はそりゃ落選するよ 太田一(茨城二位)が食中毒で辞退した時やね。主会場が大宮の年だっけ。 >>382
東京1枠固定ってどういう意味?
選考前の雑誌はどれも今回は東京2枠で帝京、関東一って予想されてたけど >>382
当時、関東・東京枠決まるの当日やったわ 3年前に菅生が落ちて横浜選出されたように関東・東京枠って1つの括りのはずだよな?
始めから「東京は1校だけです」なんて選考あり得ないと思うが
あの年は東北3枠だったけど例年通りなら1枠移って関東一が選出だったんだろう
選考委員も天邪鬼なのか悪い意味で毎年サプライズ選考するよな 連投すまん
選抜選考経過のサイト見たらは90年は当日の振り分けで始めから東京1枠だった…
てっきり関東の学校と比較してると思った、そりゃ前商選ばれてもおかしくないわ
東北3枠のあおりを受けたんだな >>384
そう、選抜出場校を探る号ではどの雑誌も東京は帝京と関東一で当確と予想していた。決勝は帝京10-8関東一だったかな。前年は岩倉の不祥事で東京は1枠だったが、この年は帝京が夏の甲子園で優勝した直後だったし、2枠に戻るとの予想には異論はないように思われた。
しかし、選考会直前のスポーツ新聞各紙の予想では、東京は1枠になりそうとなっていたので、なぜなんだろう、と感じた。東北は秋田経法大の中川を出そうと3枠になりそうだったので、そのあおりを食らうことになるのかなと思った。
選考会では東京、関東は前年と同じ6枠となり、関東との戦力比較だった。しかしあの年の関東はレベルが低かったと思う。食中毒の太田一が不戦敗となり、その相手の春日部共栄が準決勝でコールド負け、出場に疑問符がついていたし、関東は4枠に減るのでは?と思ったのに。
涙を飲んだ関東一は夏は出場した。平安に初戦敗退するとは思わなかった。戦力は平安を上回っていたが、なんか淡白だったなあ。逆転されてからはあっけない試合ぶり。関東の代表らしいといえば言えた。アサヒグラフにも、関東一に反撃しようとする気力が欠けていた、と書かれていた。監督は早実で荒木の一年先輩だった小山だった。 >>381
前橋商の謎といえば何故か00年代後半に連続出場してたな
選手宣誓した07キャプテンが通算30だか40だかのスラッガーだったり謎の強さだった 直前の夏の甲子園で仙台育英と秋田経法大付がベスト4に入ったからな。
当時は東北勢がベスト4に2校は快挙といっても過言ではなかった。今と違って当時はこの2校もほとんど地元人だったし。
さらに1年生エースで大活躍して人気者になった中川が健在なら、東北勢のレベルアップを理由に東京削ってでも秋田を出したくなるのもわかる。 >>390
当時の前橋商業は監督さんが良かった。1984年の選手権に高崎商業の
選手ででた富岡さんって監督で、スケート部は超名門だけど野球部は
ヘロヘロだった嬬恋高校を、監督就任後ベスト4に導くなど県内での
実績がすごい人でした。昔から群馬県は投手を中心とした守りの野球が盛んだった
けど、なぜか高崎地区だけは打撃に力を入れたチームが多く、1984年もほとんど
コールド勝ちで甲子園に出た。その高崎商出身の富岡時代の前橋商業は打撃に力
を入れていたので強打のチームになることが多かったけど、2012年に富岡監督が
母校に異動になってからは昔の守りの野球に戻ってしまいました。今でも前橋商業は
県内で強豪校であるけど、私学3強に勝つのは厳しいかも。あと、2007年まで分校
として前橋東商業って女子校があり、その分、商業高校なのに男子が多かったんだけど、
その後、両校が合併して女子生徒の比率が増えたのも生徒集めの点でマイナス要因かも。 前橋商の監督といえば夏に大復活の甲子園出場果たした時で監督の下の名前が東男(はるお)ってカッコいいなって思うたな。。 後藤駿太は前橋商時代監督めちゃめちゃ怖かった
いるだけで緊張感凄かったって言ってたな 桐生一が緩やかに衰退
→間隙を縫うように前橋商を筆頭とする公立勢復権
→健大前橋育英の二頭体制へ…
00年代以降の群馬はこんなイメージ >>393
東男に京女とよく言うね。
桐生の旧校歌にも、
東男の名に恥ぢぬと歌詞がある。
関東のたくましい男のことだけど、
はるおと読ますところがいいね。 >>391
仙台育英はその後も基本地元、東北の選手が、多いだろ。 選抜の地区の枠数といえば、中国と四国が変動するときがある。
80年代は四国4のときが多く、81年〜85年は5年連続。その間、中国は3。
だから86年も当然そうなると思っていたら、中国4、四国3になった。
あおりで明徳が落選、地区大会初戦敗退ながら岡山南が選ばれた。
明徳は前年のピンクスキャンダルで嫌われたのか。岡山南は選抜ではまさかのベスト4だったから結果的には良い選考だったんだがね。 >>399
それ。だから昭和59年の56回選抜大会で池田が選考に引っかかるなら中国地区に枠を回せと思いましたねぇ。 >>400
その年の中国は全部初戦負け、大敗にコールド負けと散々な結果
レベルが低かったからでしょ 結果的に
広陵2-9法政二
近大福山2-4岩倉
多々良学園0-4大船渡
でしたな。
対する四国は
丸亀商4-8名電
松山商4-8取手二
徳島商9-1愛知
徳島商2-4取手二
明徳1-0福大大濠
明徳2-0佐世保実
明徳0-1大船渡
しゃあないかな 大嶺がとうとう戦力外なったなソフトバンクと相思相愛だったの無理矢理強硬指名したために
足元みられて素行悪い弟取らざる得なくなったり問題起こしまくりで庇い続けざる得なくなったり
清田も4位で指名したら難癖つけられて契約金年俸最大満額払って不祥事起こしまくりで今にいたる
ロッテて愛甲のしかめ顔や小池とかドラフト選手に嫌がられて舐められる球団だな
小川博も所属してたし不祥事選手が多すぎる 愛甲て自分がロッテ指名の時はしかめ顔したのに
小池の入団拒否なはぶん殴ってやろうと思ったとか言うあたり矛盾してるよ
あの時他入団選手も小池は我が儘だとか嫉妬も激しい時代だったんだな
長富もロッテ拒否してたんだな けど、ロッテの応援団の結束力は12球団一だと思う。 あの時代て愛甲が問題起こして後輩選抜だけでなく夏も危ぶまれて人質みたいにされて
愛甲が卒業前に大衆のカメラの前で土下座させたんだろ
あの年天理は春夏共にダメなったんだよな異常な時代だったのが想像できる
その天理のメンバーがソフトバンクの監督なるんだからわからないもんだな
もしかして愛甲と立場逆転したのか
愛甲が今何してんのかはわからないけど >>405
1988年近鉄の前に立ちはだかったロッテのエースだぞ
10月19日ダブルヘッダー第1戦に先発200イニング以上投げて奪三振王のタイトル
1979年高2で選抜出た200イニング投げて防御率0・45 お前は何を訴えたいのか一回文章整理してから書き込め >>404
愛甲は横浜大洋が希望だった
高校生だったし、しかめ面ぐらい許してやれや
ロッテで長年やればチーム愛も出てくるわけで、矛盾とは思わんな >>408
愛甲は少年野球教えながら会社員兼タレントでしょ 愛甲横浜って、孫六に出てきた浜虎のモデル? 時代的には合っている気がするが。 >>414
そんな感じだろうね。
浪城→浪商 早業→早稲田 坂田→池田
北王学園はわからない。 南北海道代表で所在地が札幌って設定でしたね。
初戦の相手埼玉県代表所高校ってどこやろ?
大阪大会決勝の府立生谷の鴛海投手は都立東大和が西東京大会決勝進出した時の鴛海投手がモデルかな?
新光学園はPL学園やろな。報山学園はどこやろ?報徳学園は兵庫県やし >>402
広陵2-10法政ニ
じゃなかったか?
前年秋の中国大会は接戦の連続。開幕戦から準決勝第1試合まで全7試合が一点差。いまでは珍しくないが山陰勢がすべて初戦敗退し、69年の41回選抜から続いていた山陰勢の出場が途絶えるピンチだったため、昔の寒冷地枠のように4枠に増枠して山陰を救済すると思ったけどな。
選考会直前に池田が不祥事で推薦取り消しになったからなおさらその感がした。
まあ、池田の代役として出場した徳島商業が総合力の高さを見せ、見事な活躍ぶりだったけど。 愛甲って、頭の良い(要領が良い)不良って感じがするよな
YouTubeとかでのトーク聞いていると頭の回転が早くて話が面白い こういう人は何やっても生き抜いていける ちょっと話逸れるけど…
横浜高校の選手って、愛甲にしても松坂にしても、なんで横浜ベイスターズを希望するんだろうね。
他球団から引き合いのあるレベルの選手まで横浜行きを希望するのか謎だ。
もちろんドラフト候補全員では無いけど。
ここにいる博士、事情詳しく教えて。 >>418
高校時代も上級生のシゴキを避けるために安西と示し合わせて家出、学校側としても1年生で甲子園に出た2人が不祥事起こしたりしたら大変だし退部させたくないから、渡辺監督が家に引き取る形になって愛甲の思う壺になった。
ロッテ入りしてからも、落合に気に入られたり(才能があることが前提だが)、世渡りは上手いと思った >>404
ドラフト前にいざござがあっても、あまり選手側が叩かれなくなったのは、別府大付属の城島がダイエーに入団した頃から。
桑田が世間やメディアにもの凄く不信感持ったからな。
事情はほぼ同じなのに自分は袋叩きにされ、彼は英断英雄にとらえられたって。
時代の流れとしか判断しようがない。 >>419
単純に地元球団だからとかじゃないのか?
子供の頃からファンだった球団に入りたいみたいな。 横浜高校はベイスターズの施設とかを借りたりしているから身近に感じるんだろう 県大会も横浜スタジアムでやっているし
でも今はベイスターズよりもなぜか北海道日本ハムに集中しているよな 現役選手では近藤、浅間、高濱、万波、樋口、引退選手では土屋、佐藤賢など 逆に東海大相模はベイスターズとは縁がほとんど無い
ここはやはり巨人だもんな >>420
そんな内情わかるくらい愛甲と近い位置にいたの?ただの想像?
いじめ、やっかみで辞めて暴走族に戻って補導され
逗子警察署にナベさんが迎えに行った流れで下宿させたんだろ >>419
愛甲はロッテにドラフト指名されたとき川崎球場を、薄汚い球場ですね、とか批判してたはず。
元大洋ホエールズがフランチャイズにしてた球場なのに。 愛甲のドラフトに関してあの根本陸夫が絡んでいたとは
最終的にロッテ入りを決めたのも根本がとりあえず入団すれば後にトレードで取ってやると言ったからだったそうだな 今は12球団OKが普通だもんな
球団格差が無くなったし、FAとかで移籍も容易になった
また、メジャー移籍が最終目的だとすれば日本の球団はどこでも良いというのもあるのかな 実質逆指名のような経緯でプロ入りした選手
桑田 → 巨人
菅野 → 巨人
長野 → 巨人
大森 → 巨人
元木 → 巨人
松井 → 巨人(但し、本命は阪神だったが)
澤村 → 巨人
潮崎 → 西武
久保田 → 阪神
長谷川 → オリックス
田口 → オリックス
杉内 → ダイエー
柴原 → ダイエー
番外編
野茂 → 近鉄(抽選だが、近鉄以外拒否)
萩原 → 阪神
やっぱり巨人が多いな。 >>430
野茂は違う
ドラフト当日の新聞に希望球団を在京、在阪、セ・パ関係なく6~7球団を挙げて、近鉄に決まった時、その新聞を見返したら近鉄は野茂の希望球団に入ってなかった。
その記憶は32年経っても覚えてる。 1989年の秋、平成で最初のドラフトだった。
8球団の指名1位が新日鉄堺の野茂英雄に競合する。
抽選では近鉄の仰木彬監督が自らの手で交渉権を獲得、近鉄を希望球団としていた野茂は念願をかなえた形になった。
そして野茂は1年目の開幕から旋風を巻き起こす。ここまでは黄金ドラフトどころか、“野茂ドラフト”のような雰囲気だったのは確かだ。 野茂はドラフト前にプロ拒否の会見をしている。たしか1ヶ月くらい前。これは西武の裏工作とウワサがあった。上手くいかなくて潮崎に行ったが。この話しても、そんな事あったかな?て反応が多いけど、みんな忘れたのかな。会見自体はスポーツ紙の1面にもなってるんだが。 >>433
西武はドラフト前、「野茂みたいな投手は、うちには沢山いるから」ということで潮崎単独でいった。
その会見を西武が仕組んだなら、1位潮崎、2位野茂もあったかもだな。 野茂は偉大な選手だが、高校野球では何の痕跡も残せなかったからな 知る人ぞ知る投手だったけど
高校野球スレには縁のない人 野茂世代ってKK世代や立浪世代よりプロ入り後はレジェンド級の選手多いけど
なんとなく谷間感があるのは86年の甲子園=新湊って感じで派手さが無かったからかな?
当時の最大の目玉が享栄の近藤だもんな
87年夏の甲子園は人材では最高の大会だったけどプロ入り後の活躍はちょっと物足りない >>437
当時高校野球の絶対王者で常に話題の中心だったPLが、戦績的にもスター選手的にも谷間だったからじゃない?
84年春準優勝、夏準優勝+大スターKK
85年春ベスト4、夏優勝+大スターKK
86年春初戦敗退、夏予選敗退
87年春優勝、夏優勝=PL史上初の春夏連覇
あまりにも前後と格差が激しいもん。 >>438
大阪、東京、神奈川も谷間だったのか代表校の力がイマイチだったのも一因かも
勝ち進むかは別にして盛り上がる大会ってこの3代表のどこかは優勝候補になるもん 1986と1999は前年までのスター選手がいて華のあった大会の反動か、何とも地味な印象だな 高卒一年目で、当時の読売相手に初登板ノーヒットノーラン。
このゲームをナゴヤ球場で観れた事は、至高の思い出。
バックネットの一塁側寄りで観ていたので、最後の球の判定に篠塚が「エェッ!!」と抗議しかけたが、読売ベンチからの抗議は無し。
さすがに、あの状況でメンツもあるし、監督は抗議し辛かったのだろうな。
YouTubeで見返しても明らかにボールだと思うけどな。
https://youtu.be/p4r4Z59WOe8 >>436
夏の大阪府大会で2年連続完全試合達成してますやん >>443
それや!特に近畿圏のニワカに多く見られるw 野茂世代というと…
野茂
金本
矢野
高津
緒方
山ア武司
飯田
下柳
近藤真一
などなど、ちょっと考えただけでも結構出てくるね
プロの監督も結構いるな 桑田は産まれたのが次の日だったら清原の後輩だった
KKコンビはなかったかもな >>442
2年連続ってなんだ?
2年のときだけだろう。2年連続達成は江川だろう。 >>442
2年連続ってなんだ?
2年のときだけだろう。2年連続達成は江川だろう。 桑田がいなかったら池田は夏春夏連覇出来たかな
水野デッドボール受けてたから微妙だな
横浜商は打線が春からパワーアップしてたし三浦は新球フォーク覚えて球威も増してた >>440
1986年No.1選手近藤?プロでNo.1選手野茂
1999年No.1選手河内プロでNo.1選手岩隈
1999年世代は青木鳥谷糸井川崎とか結構いたんだな 野茂が強豪校に受かってたら大阪の勢力図変わってたかな?
フォーム改造されて埋もれていった可能性も低くないけど 1987年は東亜学園の川島がNo.1投手だったけど
何でプロでは大成しなかったんだ 1989年は元木がダントツの打者だったけど
熊本工前田、帝京吉岡、西短新庄、常総仁志の方が長距離打者なったけど
星林の小久保て当時はどうだったの記憶にないけど
翌年に甲子園でたみたいだが この人はあんまり突っ込んだらダメな人かも
優しい目で見てあげましょう >>448
>>449
スマン2年の時って書くつもりが2年連続になってもた。。 >>454
小久保弟(智辯和歌山)のが有名やったね。
てっきりプロ入りしているのは小久保弟やって思うてた。
10年前くらいに気づいたな。
小久保弟の息子が明秀日立の遊撃手ですな。 >>453
1987年は佐賀工の江口だと思うけどな。
あの宿舎での金属バット殴打事件さえ無かったら、佐賀県初の全国制覇もあり得たと思う。 >>459
無理だな。
江口1人では連投が当たり前だった当時の日程ではどこかで潰れただろ。
打線は並だったしな。 >>459
もっと接戦になっただろうけど、どのみち木内常総には勝てなかったでしょ >>453
プロ入りしてから肩か肘を故障した事が大成しなかった主要因。
だから第二の人生は接骨院か整体師か開業していると思う。
他の要因としては、高校時代に完成し過ぎていた事、あまりに評価が高くて自分自身を見失った事。あとは抽選で広島に決まった時、ものすごく嫌な顔してたでしょ。あの面構えでは、そもそもプロでは通用しないと思った。 >>458
弟は甲子園2回で兄が3年の時に1年で甲子園で登板
兄が卒業した年に星林は83年春以来の甲子園出場
疫病神だな… >>459
全国制覇は無理としても、初戦のピッチングはすごかった。大八木さんがお手上げ、て感じだったからな。絶好調だったんだろうが、その状態でPLと当たらせたかった。尽誠の伊良部、東亜の川島も三回戦くらいでPLと当たってほしかったな。 >>454
小久保はピッチャーとして注目されててバッターとしては印象ない
パワー抜群の7番打者だったらしい。 >>454
甲子園に出てない注目打者として臼杵高校の鳥越が雑誌で取り上げられてたのを覚えている。
>>464
東亜の川島は当時のPLの選手も脅威に感じていたみたいだからな。
決勝も常総なら勝てると思ってたが、東亜ならヤバかったとはっきり語ってるし。
あの夏のPLは春が厳しい組み合わせだったのとは対照的に、優勝候補や好投手の学校とはほとんど当たらなかった。
唯一強敵だった帝京は頼みの芝草が連投でヘロヘロで試合にならなかったし。
まあだからといって当たってたら優勝できなかったとは言わんがね。
やはり総合力からして優勝候補筆頭だったし。 PLとの対戦が見たかった
といわれる相手を全部島田直也が食っちゃったからな
もっとスター扱いされても良いと思うが「謎の新強豪校」「木内マジック」とか他のトピックがあった事で埋もれ気味なのが残念 強豪なぎ倒して決勝で力尽きるって島田直也は漫画の主人公みたいな奴だったな
当時の女子マネと結婚してるし 江森陽弘が言うように
常総は準々決勝で中京にコテンパンにやっつけられると
思ってた。 >>459
>1987年は佐賀工の江口だと思うけどな
1987年の夏の甲子園は、江口 伊良部 川島 橋本 上原が思い出されるけど、
速球の威力では、江口がNO.1だったと思う。
伊良部・川島・橋本は、ドラ1(野手で立浪)で、上原が3位?
江口も、プロ志望なら、1位だっただろうね。 >>470
仁志が何かで言ってたのを見たが、87年のチームは夏前の練習試合でほとんど負けなしだったらしい。仁志が三年の89年は夏前の練習試合での勝率は半分くらいだったとかで、やはり87年は強かったみたいだよ。 昔この手のスレで87年は上田高校の控え金井ってのが一番速かったって書き込みよく見たけど
実際の投球見た奴いる?マニアックな名前出して通ぶってるだけ? >>473
対習志野戦の映像を持ってるが細かい制球力はないけど、スピードと球威は江口と遜色ないように見える。
おそらくMAXは140中盤は楽々出てると思う。
まあ担ぎ上げみたいなフォームだから、明らかに長いイニングは持たないよなって投手。 >>471
よく強豪校の甲子園初戦は難しいって話聞くし、もしPLの初戦がこの辺りの投手だったら
春夏連覇どころか初戦敗退だったかもしれんね。
伊良部(浦学)も江口(東海大甲府)も初戦の出来なら、PL打線を飲み込んでいたかもしれん。 >>471
上原は三年のときは劣化していたな。
一年から投げていて勤続疲労していたのかも。初戦の函館有斗戦は甲子園で観戦したが、奪った三振はほとんどカーブだったと思う。盛田のほうが勢いがあった。
これは勝ち進めないな、と思ったら案の定、次戦で完敗。 >>474
上田の金井は最速148だったそうだ。
エース窪田は予選で54回64奪三振で後に明治のエースになったし日置とかいい選手が多かったね。進学校なのに。 >>477
1歳下の日置は秋の北信越大会で岡本ら主力が多く残った優勝候補の金沢を完封した
なぜ、この時期の上田高校に好投手が揃ったのか不思議 >>477
148か。それくらいでも不思議じゃないな。
上田は49番目の登場で試合勘が完全に鈍ってて、序盤に自滅して初戦で負けたが中盤からの窪田のピッチングは見事なもんだよ。
しなやかなフォームからキレのあるストレートと大きなカーブは後の明治での活躍もうなずける。
上田は初戦で消えるような実力ではなかった。 >>478
金沢が勝っていれば次は尾山の高岡商だった。あの代の金沢は期待してたんだけどね。次の夏は西側に移ったと思って抽選に期待したら、よりによって候補の東海大甲府だったし。80年代の石川県はとにかく暗黒だったよ。 87年の池田って個人的にはやまびこ打線に匹敵する強打のチームだと思うんですけど前年春に優勝したチームと比べても期待してました >>478
>>479
上田は進学校だけど、野球推薦なんてなかったはず。他にもいい選手が揃ってた。日置は2018夏ベスト4の日大三日置の父さんだよね。
長野県では前年86年松商学園が強かったがもしかして87年上田のが強かった?
まあ91年松商学園にはかなわないが。 >>479
習志野戦、いきなりの4失点は重すぎた。ニ盗を阻もうと捕手の送球が打者のヘルメットを直撃したのには笑った。
最終回、大飛球がセンター城のファインプレーに阻まれていなければ同点になったかもしれない。 習志野の投手のあの球速球威戦力でベスト8まで行けたなPL相手によく4失点でおさまったな
国体で帝京はPLに勝ったけどかなりガチの勝負だったと芝草宇宙が言ってた
国体てガチな場合とかあるのか土屋の銚子商も工藤の土浦日大に敗けてるな そういえばアニメのサマーウォーズでヒロインの親戚が上田高校野球部員って設定だったな >>484
同意。あの夏、習志野は県でも候補に挙がっていなかった。大会前まで練習試合を含めた成績は負け越していたはず。
綿貫はとにかく制球が悪かった。見ていて疲れた。PLには間違いなく10点以上取られると思っていたから、4点でおさまったのは上出来だった。 >>471 >>475
オレは仕事で全く見られなかったが、1987年夏って赤堀(近鉄)を擁する静岡が、前評判高くなかった?
チーム紹介でも優勝を狙えるとかいわれたのに、初戦で関西に(試合は見てないが)あっさり負けてた。
赤堀はその後近鉄でストッパーで活躍しただけに、信じられなかったんだが。
静岡って1978〜79年の太田、今年の高須とプロ注目の大型投手を擁すると何故か甲子園で勝ち進めないね。 >>487
赤堀が2年のときだよね。チームも2年が多くて翌年狙いだったはず。赤堀も投手陣の1人で大した事なかった。週刊朝日のチーム紹介だったかで何かの記念年で優勝云々と書いてただけで優勝候補でもなんでもなかった。
ただし次の88年の夏前は主力が3年になり非常に強いチームになってた。30何連勝とかして選抜ベスト4の上宮にも快勝し赤堀も2年の元木や種田を完全に抑えた。チームも赤堀も高評価だったが県大会初戦で負けちゃった。 >>484
土屋正勝さんの2年時はガチで作新も勝ちに来てた。両方ともガチでしたね。作新-広島商は佃が投げずに拍子抜け、でも1-0だった。 >>488
あの年の赤堀って2年だったか。
そういえば73年の夏、広島商に負けたものの準優勝だった静岡のエース秋本も2年で、翌年が期待されてたが
夏は初戦で対戦校は忘れたが、初戦で完封負けしたとか以前このスレで書かれてたような。
書いてて思いだしたが、87年の夏に静岡に勝った関西に「信長」って苗字の選手がいたな。
下の名前が信長なら親があやかってつけたと想像するが、苗字が信長って珍しいと思ったよ。 >>482
日大三日置は長野県出身と聞いていたが、上田高校日置のご子息だったのか >>482
日置電機のお坊ちゃまですね。
上田千曲の監督していた頃の長野県スレでは上田千曲高校は県立だけど野球部は私立なんて書かれていたくらい私財を投入していたんやろね。 >>486
選抜をフイにした東海大浦安に勝たせてあげたかったなぁ。 >>480
80年は1年坊投げさせて初出場の東宇治に負けたりしてたね
まああの年の東宇治は府大会で井口の京商を破る程度に力はあったんだけど >>476
1987年夏の常総は、プロ注目の投手を次々に倒したな。
上原に始まり、伊良部、木村、川島。
決勝だけはPLとの戦力差がどうにもならなかったが。 >>471
1987年夏の甲子園は、速球派の好投手が多く揃ったけど、足利工の2年生投手・石井もスピードは大会屈指だったね。
報知高校野球では、たしか伊良部、江口の次くらいにランクインしていた。 >>495
1年坊は78年の東筑戦で投げた金子で、
80年の東宇治戦は、
金子が3年になったときじゃなかった? >>494
あの夏の東海大浦安は、絶対甲子園に出るという意識が気負いになったと思う。苦戦続きだったが最後は地力を見せて準決勝で石井の市銚子にコールド勝ちして甲子園は間違いないと思われた。
決勝の相手の習志野は前年秋の準決勝で9-0で大勝していた。それが夏は4回に逆転されてからは焦りから綿貫にかわされてしまった。 >>498
混同してました、ご指摘ありがとう。
今見たら東宇治戦は結局金子の登板機会なかったんだね。
高田と高野の継投だった。 >>498
1年坊ではなく、控え投手の高田が先発だったが見事に裏目に出た
大量点取られてからリリーフした金子が悪くなかったから、投手起用のミスだった 1978金沢は1年バッテリーだったかな。東筑戦は倍以上ヒットを放ちながら初戦負け。バッテリーが3年となった1980年は皆さんがおっしゃるとおり。確か前年秋北信越も東海大三に完敗だったし、期待値が高すぎたかもね。 1987年の左の好投手で思い出すのは県岐阜商の可児かな。完封負けの少ない広島商
から10三振をとって3安打完封。江口と同じく次の試合で打ち込まれたけど、
いい投手だったな。名前も珍しかったしぃ。 >>503
試合か練習で痛烈なピッチャー返しを急所で受けてしまい
玉を半分摘出してたってエピソード読んだのもあって
縁もゆかりもない土地のチームなのに子ども心に応援してた >>503
そういえば1987年は左腕投手はあまり思い浮かばないな。
右の好投手が目立ってたかな。
翌年の1988年は良い左腕が多かったが。
福岡第一の前田、宇部商の木村、大垣商の篠田、拓大紅陵の高橋、伊勢工の中世古、沖縄水産の平良とかな。 >>506
PLの野村は三人柱で目立たなかったからな >>502
そう、一年生バッテリーだった。捕手の名前は忘れたが。
甲子園で一年生バッテリーって、ほかにあったかな。前に書き込みがあったが一年生の正捕手って極端に少ないからな。あの頃では76年夏の星稜沖野くらいしか記憶にない。 >>509
78年の金沢の正捕手は「森沢」だよ。
他に「1年生の正捕手」で印象に残っている選手と言えば、72年の明星・長田、79年の都城・与那城ぐらいかなぁ。
ただし、エースは上級生だったな。 >>510
× 79年
〇 77年
失礼しました。 >>510
サンクス。
都城の与那城、いたな。あのときのエースは三年生の米沢だったかな。与那城は二年後に甲子園に戻ってきてホームラン打ったっけ。このときの投手は二年生の井上だった。
72年明星は精密機械のコントロール投手の辻内のときか。小柄な松本のことは覚えているが捕手は記憶に残っていない。 >>506
左右とも88世代は好投手が多い印象ある
甲子園組では川崎、前田が双璧なんだろうけど
非甲子園組では伊藤智、山部、今中あたりは故障なければかなりの成績残してたと思う
西山、岡はよくわからん >>512
長田は1年生で4番を打っていたから覚えている
津久見戦でランナーを置いて痛烈な打球を左中間へ飛ばしてあわや明星先制というところを、津久見村越にジャンピングキャッチで阻止されている 88年は夏開幕前で言えば山之内&谷繁の両スラッガーが中心だった記憶
谷繁は今動画で見ても凄くいいバッティングしてるな
いわゆる手が先に出るというやつだ >>513
高知商業の岡はなあ、ドラフト二巡目で5球団が競合したくらいなんだからいい選手だったんだろうが、プロではまったくダメだったな。
甲子園でも選抜は6日間で強豪ばかり3校と対戦という過密日程で、上宮には20安打を浴びて逆転負け。
夏も名電の雲宝に長打されてまさかの初戦敗退。
いまいち感は甲子園のときからあったな。 世代別のプロ活躍度は必ずしも甲子園大会のそれとは一致しないね よく言われるのが松坂世代だけど、野手は村田修一ぐらいで次に東出ぐらい 投手は170勝の松坂、148勝の和田、142勝の杉内、97勝の久保康友、セーブ王の藤川球児と凄い顔触れ それでも2000本安打や200勝投手は一人もいない
1999世代は甲子園の盛り上がりは今一つだったけど、プロでは青木と鳥谷が2000本安打、他にも田中賢介、糸井、川崎など1000本安打超えの一流選手がゴロゴロ 松坂世代って、打者は元々そんな大した選手いなかったから、まぁそんなもんだろうなという印象
投手は沢山いるけどね
てか今の時代で200勝って相当キツイよね
10勝を20年でしょ
田中マー君が余裕で行けるかな?と思ってたけど、何か怪しくなってきた
あとはダルビッシュが行けるかどうかというくらいで、要は日本の投手でも後世に名を残すようなレジェンドクラスでないと達成できない偉業となってしまってる
野手はレギュラーとしてそれなりに活躍してたら2000本行くし、勝敗関係なく積み重ねられるしね
野手の安打に相当する投手の指標って何だろう?
投球回数かな? 大阪・明星を一度甲子園で見たかったがもう無理かな?21世紀枠の対象にはなるのだろうか?
夏の予選でバーチャル高校野球に放映された時に見るしかないか…。 通算勝利数 ベスト6
松坂大輔 170勝 甲子園春夏連覇
和田 毅 148勝 甲子園夏ベスト8
杉内俊哉 142勝 甲子園でノーヒットノーラン
久保康友 97勝 甲子園で春準優勝、夏ベスト8
館山昌平 85勝 甲子園で春ベスト4
新垣 渚 64勝 甲子園春夏連続出場
この代の投手は甲子園で活躍した選手がプロでも通用したというのが特徴的
藤川球児は3年時には出場できなかったが2年夏に出場
野手では通算安打数トップ2の村田と東出が3年時春夏連続出場、3位の小谷野はセンバツ出場、森本は帝京で夏甲子園出場
98甲子園で活躍したけど、プロではダメだったのは明徳義塾の寺本と高橋
豊田大谷の古木も微妙かな 日南の赤田は数字的には今一つだが、印象に残る選手だった >>516
岡が大成しなかったのは、2年目の右肘の故障が全て。
野手に転向しても、肘が痛くて満足にバットも振れなかった。 88年世代ではY校の古沢も故障が無ければなぁ…
>>520
松坂世代の野手では2トップ吉本、古木がイマイチだったのが痛い
吉本はイマイチどころじゃないけど >>520
杉内はどうしても素手でベンチを殴って両手骨折の件があるので、
短気で切れやすいイメージが離れない。
もっともっと活躍できたと思うけど。 >>506
池田の桜間もいたね
初戦で消えるには惜しい左腕だった >>521
岡はプロ入り1年目から22試合に登板。
逆に、それが肘痛に繋がったかも…… >>524 桜間投手は87年は中京のバント攻めにやられましたね。エースの糸永投手と左腕2枚看板に強力打線で期待した世代でした >>513
ポテンシャルなら前田より大垣商業の篠田でしょ!
プロでは大成しなかったけどね。 篠田や海星の北野、都城の田口など、大型左腕がプロではなかなか大成しなかったね。この中ではサイド転向の北野が一番まともだったか。 >>519
いつか話題にしたいと思ってたネタだからガッツリ食いつかせてもらいますw
21世紀枠が出来て21年経つが、出場した私学は2013年の土佐のみ、と相当公立校に偏った選考になってるけど、
次に選ばれそうな、あるいは選ばれてほしい私学ってどこだと思う?
俺にはそのうち選ばれそうな学校は思いつかないw、選ばれてほしいのは鎌倉学園、阪南大(旧大鉄)、呉港、東奥義塾かな >>515
この88年は大宮東の山口が甲子園に出ていたら、山之内谷繁と並ぶスラッガーと言われていただろうな。
山口個人だけでなく、春の関東大会では選抜4強の宇都宮学園桐蔭学園を破り優勝とチーム力も高かった。
夏の予選では準決勝で市川口に2-7で敗退。
ショートのレギュラーが負傷退場、本来外野の山口がショートを守ることになった。
これが影響してかチームは浮足立ち、エース永島が単調な投球になったところを狙い打ちされ、
打線も相手左腕の緩急つけた投球の術中にはまり凡打の連続。
大宮東の本来の実力を出し切れずに負けたのは残念としか言いようがない。 俺も鎌学見たいけど21世紀枠狙いは現実的に厳しいだろうなあ
他県なら有力候補だろうけど、神奈川高野連は21世紀枠の候補推薦にやる気ないことで有名
私立が選ばれるとしたら土佐みたいに文武両道が一番ありうるケースと思う
もしくは何らかの理由(生徒減or過疎)で廃校寸前みたいなとこ。かつての塚原青雲みたいに >>531
そう、神奈川は公立校でも無理ゲー、鎌学には何とか夏の予選突破してほしいよ
文武両道ってかなり難しいよね、今は別道ばっかり
京都の洛星が条件満たしたら有力候補いなりそうだけど、最近はさっぱり弱くなっちゃった
それで言えばキッカケになってくれた>>519さん推しの明星もそうだが、まだ可能性はあるかも >>530
皮肉にも浦和市立が快進撃でベスト4になったおかげで
埼玉県民の「大宮東が出てればなぁ」って感情が消えてしまった >>531
廃校寸前の私学で野球部が頑張ってるところと言えば
和歌山南陵(元・国際開洋第二)を救ってやってほしいと思ったが
優遇されまくりの和歌山では無理だね。
奈良か大阪にあったら選ばれるかも? 和歌山はあれだけ伝統校が選ばれた以上今後は不利だろうなあ。
過疎って意味なら移転前の近大高専ならワンチャンあったと思う。熊野時代は全然生徒集まらなかった。
優勝経験のある大阪明星か甲陽あたりなら府県8強にでも残れば高野連も喜んで食いつくでしょう。かなり厳しいだろうけど… 宮城県警本部
故意に交通事故を起こして保険金をだまし取ったとして、宮城県警は2日、同県多賀城市の柔道整復師の男(45)(詐欺罪などで起訴)ら10人を詐欺容疑で逮捕した。
発表によると、男らは3台の車に分乗して2019年4月15日午後8時40分頃、仙台市泉区の丁字路を右折しようとした男性会社員の車へ、出合い頭に車を衝突させるなどして、保険会社2社から施術費や慰謝料計1170万円をだまし取った疑い。
県警によると、10人は友達同士で、何度も同じコースを走って犯行の機会をうかがい、柔道整復師の男が車を低速で左折させて男性の視界を遮る「目隠し役」を担っていたという。事故は男性の過失として処理された。
10人のうち、柔道整復師の男ら4人は今年5月に仲間内で事故をわざと起こして保険金をだまし取ったとして、詐欺容疑などで10〜11月に逮捕され、起訴されている。 >>534
もし大宮東が代表になっても全国四強に入れたかどうかわからんね。
試合運びに難があるというか。
前年の秋季関東大会の宇都宮工(栃木県2位)との試合はエグかったみたいやもんね。
報知高校野球にも載っていたけど。 >>530
対照的に拓大紅陵は関東大会では結果を出せなかったけど夏の甲子園では優勝候補本命だったよね。投手2人ともプロ入りしたし投手力で拓大紅陵のが上だったかな。 山口はスラッガータイプだったのが中日入りしてから
セコいつなぎ役にされてて萎えた記憶があったのだが
改めて調べてみると95年あたりはいい線いってたんだな
154打席で285の6本なら130試合換算で285の20本くらいか
他県民から見ると当時の大宮東にはまだ見ぬ強豪感はあった
出てきていきなり準優勝でもすんなり納得できたものだが
まさかそこから30年間沈黙するとは思わなんだ >>539
でも実際に明星が21世紀枠圏内の成績、府ベスト4に達したらかなり有力だと思うけどな >>221
1988 法政二なあ〜。
確か桐蔭学園との準々決勝だったか、確か序盤で既に1-6くらいの劣勢になってたんだけど、降雨ノーゲームで再試合で勝ったんだよな。雨を憎んだ当時の自分を思い出してみた。 大宮東は1988夏はまさかの敗退だったけど、1993センバツで準優勝して存在感を示したね
その年の夏は春日部共栄が準優勝して埼玉県の活躍が目立った年だった 埼玉の私学だと埼玉栄が学校としての規模も大きいし、スポーツに力を入れているけど、野球が今一つなのは意外
大島の時の1998ぐらいしか印象がない
桜美林で甲子園優勝投手の松本監督や九国から若生監督を招聘したけど甲子園常連校にはなれなかった >>543
後輩の平尾もスラッガータイプからプロ入り後はつなぎ役になった感じだが、チャラ男のイメージが定着してしまったな。そしてコーチ解任か。 野球は埼玉栄より花咲徳栄に強化を集中させてる可能性がある。経営母体は佐藤栄学園 >>547
1993選抜準優勝後にまさか大宮東が落ちぶれてゆくとは意外
すでに頭角を表していた浦和学院と春日部共栄が強豪化し、聖望学園や花咲徳栄も加わって私学天国になってしまう未来は当時思いもしなかった 大宮東の1988メンバー達は甲子園で浦和市立があれよあれよと勝ち進んでいく姿をどう思っていたんだろう?
自分なら素直に応援できないだろうな >>540
宇都宮工戦は2回もコールドになる7点差をつけながら大逆転負けだっけ?
夏も市立川口に淡白に負けたけどまさに強さと脆さが同居してたチームだな。
たしかに順当に夏の甲子園に出たとしてもかなり上位に進出か、あっさり初戦敗退のイメージだな。 >>541
1988年の拓大紅陵はレベルの高いチームだったが、変化球のいい左腕にやや弱い傾向にあった。
春関も優勝候補の本命に推されながら、初戦で東海大相模の左腕にあっさり完封負け。
夏の予選も圧倒的強さで勝ち上がったが、習志野の左腕には大苦戦してた。
なので甲子園でも前田、木村、篠田あたりが相手なら苦戦必至だと思っていたが、まさか浜松商の右腕にやられるとは予想外だった。
あのタイプは予選では難なく攻略してたんだがなぁ。 >>554
浜松商視点で言えば、なんで好投手桜間の池田、優勝情報筆頭の拓大に勝ったのに、上原いなくなって残り物集団のショボい沖縄水産に負けたんだよ、と訴えたい 大垣商の篠田に注目してテレビ見てたけど、
坂出商の2年生サイドスローもなかなかいいなと思ってた。
そのピッチャーがプロ入りしてたと知ったのは10年後だった。 ここ一番で力を出しきれない。
まさにあの頃の拓大のチームカラーともいえた。
そんなチームが県内では無双していたのだから、当時の千葉の低迷ぶりを象徴している。 >>556
坂出商も春四国大会優勝した古池のときとか80年代から90年代初めはそこそこ強かったな
今は境でしょうと揶揄されるほど弱くなってしまったな
もともと全国大会準優勝やベスト4もある古豪なんだが >>557
千葉の黄金期など60年代中頃から70年代前半までだけだろw
散発的に印旛や95銚子商の準優勝があるぐらい
古豪県のくせにプライドだけは高いw >>552
こういった現象は他府県でもあるんじゃない?
激戦区は本命が予選で倒れるケ−ス珍しくないしね。
1986選手権準Vの松山商業もこのケ−スに当てはまると思う。当時の川之江ナインはどう感じていたのかな? >>559
今もそこそこ強いでしょ
夏は拓大紅陵、東海大浦安、
春も二年前の習志野の準V知らないの? >>503
>1987年の左の好投手で思い出すのは県岐阜商の可児かな。完封負けの少ない広島商
から10三振をとって3安打完封。
この頃の広島商は、85年春0-2帝京(1回戦)、87年春0-8PL(2回戦)と完封負けばかりしていたよ。
もう甲子園に出るな!と思ったら、次の年にあっと驚く全国制覇だった。
87年春夏の甲子園での戦いぶりは悲しかったけど、今振り返ると川本さんが監督になり、チームを生まれ変わらせている過渡期にあったんだと思う。 >>551
ずっと公立王国だった埼玉で、初めて私立で甲子園に出たのは、1985年選抜の秀明なんだよな。
そして同年夏、私立として初めて選手権に出たのが立教。
こうしてみると、埼玉は文武両道的な気風があったのかもね。
熊谷とかも甲子園に出ているしね。 >>561
拓大や浦安など20年以上前だぞ
とても今とは言えないじゃん
20年間で決勝進出1回きりの千葉ンゴw >>562
広商に完封負けが少ないイメージはないな。85、87年もそうだが、75年夏の準決勝(習志野小川に外野飛球1本に抑えれて0-4)、77年夏の三回戦(豊見城下地に11回0-1)の印象が強いためなのかもしれない。 >>563
伊奈学園総合が初出場したとき新興私学かと思ったら公立だった。
なんでもノーマークで出場した一発屋だったらしいが。 87年迄がPL黄金時代
89年(平成元年)以降が1県1校制度を見越して強化した私立に占有される
その隙間の88年(昭和最後の年)に広島商が優勝したのは
歴史の綾と言うべきか? >>563 埼玉のどこが?文武両道よ?進学校の県立浦和や川越は強くない
そもそも最近まで選手権優勝すらなかった埼玉、 柳井、四日市、静岡、小倉
今治西 等々の文武両道の伝統校は存在しない >>568
PLが急に弱体化した理由って、やはり桑田問題で6大学進学の道が閉ざされたからか?
春夏連覇した時はこの先何回優勝するんだと思ったが、まさかあれが最後の優勝になるとはね。 伊奈学園総合の銭場投手は東洋大⇒東芝で長く活躍した
学校自体は一発屋といえばそのとおりなんだろうな >>568
PLは一時的に福留や98世代で復活したけどね
甲子園優勝はできなかったけど、優勝を争っていたから
どどめを刺されたのは2000年代すぐに起きた暴力事件でしょ >>533
明星も可能性ありますかね?あのデッカイMの字のユニを甲子園で見てみたいです。 >>569
>埼玉のどこが?文武両道よ?進学校の県立浦和や川越は強くない
>そもそも最近まで選手権優勝すらなかった埼玉、 柳井、四日市、静岡、小倉
>今治西 等々の文武両道の伝統校は存在しない
お前は、甲子園で優勝するくらいの進学校でないと文武両道と認めないのか? >>573
あんな凄い不祥事があってもなお、マエケンとか歓野とか吉川とか中川が入学しているだんから、PLブランドは凄かったんだよな。
ロッテの安井や藤原も、2人ともお兄ちゃんがPLなんで、自分も行けるなら行きたかったと言っているくらいだしな。 >>573
だね
西岡なんかPLのセレクション落ちて泣く泣く桐蔭に行ったぐらいまだPLブランドが格上だったし 1990年代のPL学園
1992春 ベスト8(東海大相模に完封負け)
1994春 ベスト4(智辯和歌山を猛追するも届かず)
1995春 初戦敗退(銚子商に打ち負け)
1995夏 ベスト8(智辯学園を猛追も打ち負け)
1996夏 3回戦敗退(高陽東に1点届かず)
1998春 ベスト4(横浜を苦しめるも逆転負け)
1998夏 ベスト8(横浜と17回の死闘も力尽きる)
1999春 ベスト4(沖縄尚学にまさかの敗戦)
1987以降、甲子園から遠ざかったが、84主将清水氏がコーチで戻ってからは復活した 優勝までは届かなかったが、この頃のPLには依然として王者のオーラは残っていたかな でも98春夏は横浜高校の引立て役に回り、そろそろPL時代も終わりかなと予感させた PLが凋落していったのは度重なる不祥事や学園の支援が薄くなったことが大きいけど、中村監督の後任が河野氏になったことも一因かと 当時は清水氏が就任することが学園関係者の一致した意見だったらしいが河野氏が上に直訴してまさかの監督就任だったとのこと
清水氏が監督就任していれば結果も変わっていただろうと言う人も多い 灰野君のオトンが大阪府警勤務でなかったら暴力事件は闇に放り去られていたやろね。
相手を見てやらなアカンよ。 全国優勝までは出来なかったけど、いい選手は
獲れてたもんな
伝説のスカウト井元さんも2000年までいたし 2000年代のPL学園
2000夏 3回戦敗退(智辯和歌山の猛打に屈する)
2003夏 2回戦敗退(福井商業に負け)
2004夏 初戦敗退(日大三の猛打に屈する)
2006春 ベスト4(久々の上位進出も公立清峰に完敗)
2009春 2回戦敗退(南陽工に延長負け)
2009夏 3回戦敗退(県岐阜商に力負け)
2000夏に智辯和歌山に打力で圧倒されて負けた時に高校野球の王者交代を感じた ただ、歴代屈指のチーム力と言われた翌年2001の代で出場辞退せず甲子園で結果を残せていたらその後の結果も変わっていたかも
2003以降は普通の甲子園常連校になっていた 桑田のせいで6大学に…みたいなのは一部に該当者
がいたのか知らんけど関係無いと思うけどな
1勝も出来なかった最後のPL主将・謝名堂の事を
大阪桐蔭の中山は憧れの人と言ってたくらい 募集してたら安田、藤原もPLに行ってたかも
知れんくらいやから
実際のところ有力選手はいてたよ
つまり、PLもKKから春夏連覇がスペシャルモード
で通常モードに戻っただけで弱体化では
無かったかもしれんな 笑 謝名堂主将の代は秋近畿大会に出場したけど、あの時は本当に惜しかった そこそこ力のあるチームだった >>583
清原は桑田のせいで弱体化したような事を言ってたと思うが違うよね。 >>585
あ、ごめん
そうだったか、謝名堂はラスト学年の前かー
もう忘れてるわ
なんせ、いい選手が集まって無い、てのは無い
弱体化はあくまで運営の部分だろ
結果出なかったのと教団、学校から見放された
のは間違い無い、と思うけど >>580
あの事件って灰野君のお父さんが動いたの?
2002春季大会報徳戦見に行ったら彼が投げてたよ
同学年の河村って子は1年のときから投げてて新聞にも載ってたけど
あの雰囲気じゃ当時かなり苦労したんだろうな 清峰ーPLの2006年センバツ準決勝見て気になったのは清峰の選手に比べてPLの選手の体の細さ
98年のチームは夏の横浜戦の映像を見ても全く気にならなかったこと対して なんなら、PLて最後の方まで今の履正社クラスの
選手は集まってたやろ
監督不在みたいな中で岡田履正社に勝ったり
してたし 笑 >>582
2009春夏も優勝候補に上がるなど力はあったが甲子園で早期敗退
2008年夏に西谷監督就任後甲子園初優勝した大阪桐蔭にとって代わられた
履正社も力をつけてきて2010以降は桐蔭、履正社が大阪府を牛耳るようになりPLも没落した >>587
2010年以降のPLはいい選手は何人か集まっていたけど、層が薄かったんだよ
大阪桐蔭、履正社とはベンチメンバーが段違いに弱かった >>583>>586
負のイメージ・インパクトが強かったんだろう。
進路に関しては保護者の意向が付き物だから、こう言う噂が一度流れると有望選手の進路に必ず影響が出る。
後は他の私立勢の躍進と重なり、自然と人が集まらなくなったってのもあるだろうな。 そっかー、PLは大阪桐蔭の中山の時が
強化選手じゃ無くラストの一般入学だったか…
謝名堂の保護者への挨拶映像見て、今でも
カッコイイとかつぶやいてたわ
そっかー 忘れてた
あの大阪桐蔭の代のセンバツ本塁打打った
坂ノ下とかもPL予定やったはず PLは、中村さんが監督に就任した初期の1981年から1987年までの7年の強さが凄すぎたね。
だから、あの当時を知っている世代の高校野球ファンには神格化されている。
高校野球の歴史全体でみれば、中京大中京や広島商、松山商などと成績は同程度だよね。 しかしPLのあの80年代の強さからすれば、甲子園最多勝で中京を抜くのも時間の問題と思ったんだが、100勝にも満たずに休部することになるとはな。
PLにごぼう抜きされた平安がその後盛り返して100勝を達成するとはさらに思わなかった。 >>596
春夏連覇の後も中村さんは10年は監督やってる
からね
その間、大きな不祥事も弱体化も廃部のウワサなんてのも無かった >>595
>“昭和の怪物”江川卓のストレートの球速は?投球映像を最新技術で解析
解析すると、その球速は“158キロ”
>解析すると、その球速は“158キロ”。当時の計測では、球速は140キロ台だったため、
当時より10キロ以上速い数値がたたき出されました。
その理由は、当時はバッターに近いところの終速で測られていたのに対し、
現在の投手は、投げた瞬間の初速を測られているためです
江川賞賛の為作った番組だから、止むを得ないと思うが、
当時の投手の140km台が軒並み150km中盤から150km後半と言ってるようにも聞こえてしまう。
これには無理が有るので、この番組で紹介されていた、
江川・大谷・佐々木・松坂の球速や回転数の信憑性まで大きく損なわれてしまうね。 >>597
大阪桐蔭だって、西谷さんが監督を退いたらどうなるかわからないよね。
あの強さは、西谷さん一代限りになりそうな気もしないではない。
様々な監督が伝統を受け継いできた中京大中京や広島商、松山商などとはちょっと違うよね。 PL衰退だが、なにしろ巨大教団が相手の話しだからOBがおおぜいいるが
収拾に名乗りをあげる人はいなかった、桑田がPL再建に前向きだったが巨人
入閣でそれも難しかった 教団とわたりあえる交渉能力は桑田に期待するほか
なかった ネイサンのいたチームはなかなか好チームだった、
近畿大会であと1勝で選抜までいったが >>602
3番サード姉さんとか聞いて
よろこんでたのが懐かしい 中京大中京、松山商、広島商って、この20年30年で見ればもはや特別な学校ではないよね
結局、何代にもわたって伝統を維持しているものの、本当に強かった時代というのは限られている PLは野球部や学校がというレベルじゃなくて
教団自体が信者激減で存続厳しいからなあ。
弁天宗も小規模宗教だけど、あそこは無駄に金をかけず、
無理に信者を増やそうとせず、強引なお布施集めもせず、
等身大かつ家族的な運営やってるから安定してるのね。
PLもガツガツしていないいい宗派なんだが信者の高齢化が痛い。 てか報知高校野球1年限りかと思ったが来シーズンもアイドル表紙でいくのかよ
ファンが大量買いしてくれる旨味覚えちゃったか…
あいつら必要以上に買うからアマですぐ品切れになって迷惑なんだよな >>604
まあ、3つとも全盛期は戦前だからな
いずれも戦後も優勝しているけど >>598
不祥事は表に出なかっただけだろ。
桑田の親父が書いた本によると、桑田、清原の一つ下の世代はかきゅうせいに池に落ちた〇〇を取らせて..........
あの当時の上下関係では後の桜井事件のようなのが、山のようにあっただろう。 82年選抜の6日目に中京が甲子園100勝を達成したとき、PLは甲子園30勝で70勝差だった。
それから怒涛のごとく追いかけたが、最も差が縮まったのは2003年夏、2006年春終了時で26勝差もあった。
PLが62年春に甲子園初出場するまでに中京は66勝していて、最も差が開いたのは70年春終了時の83勝差だった。それからずいぶん縮めたとはいえ、戦前だけでも40勝している中京の歴史の重みには勝てなかった。 センバツ高校野球といえば、審判が蝶ネクタイだったイメージがあるな。
何で蝶ネクタイだったんだろ? 智辯和歌山は名監督が去たったのに、弱くならないどころか、逆に強くなっている。
こういうチームは珍しいね。
名監督がチームを去って弱くなった例は、駒大苫小牧、横浜、取手二、福井商、池田、高知商、宇部商、、、
と枚挙にいとまがないけどね。 >>608
桑田の父ちゃんが本出さなきゃ
大阪府民以外はまるで知らなかったかもしれん
全国紙の地方欄ページに載ってたはず
ずいぶん経ってから蒸し返したしwww 学会が本気を出せば春夏連覇ぐらい余裕だったろうに流石だわ 桜井が事件を起こしたが、誰も桜井を攻めなかったらしい。
あれくらいの事は、誰もが下級生の時にやられていたのか。
しかし、桜井、浅井らのあの年のチームはかなりの大型チームで練習試合でもボロ勝ちの連続
PL史上でも屈指の好チームだったらしいが。
幻の優勝候補になってしまった。 >>611
東北、金沢あたりも弱くなった
仙台育英、星稜は監督代わってもそこそこ強さを維持しているな 中京は学力に力を注いだから、野球だけでは入学できなくなったのも要因だろう。
昔の中京は名前が書ければ入学できたのに、今は野球部でも内申で36(オール4)以上が必須らしいからな。
今後、甲子園で勝ち星を稼ぐような事は無いだろう。 >>616
その点附属中学持ってる私立は強みだよね
星稜仙台育英は なんてまさに中学が軟式の強豪
弘前聖愛みたいに中学から硬式球握らせるとこもある 智辯和歌山はこの夏優勝したけど、全盛期ほどの力を今後維持出来るかどうかは未知数かな 1年夏から4番徳丸の英才教育が…な
見る目が無いのか、育成がわるいのか? >>618
智弁学園中学は軟式野球部あるけど、この部員は高校へ上がっても野球部へは入れてもらえないんだよね。
中学の野球部は中高一貫進学校のゆるい部活で、高校とは位置づけが違う。
なお、智弁和歌山中学には野球部がない。 今後どうなるかが一番気がかりなのは、履正社だな。
岡田監督が一代であそこまで強くしたチームだし、寮もないなど決して恵まれた環境でもないしね。 >>624
グラウンド見たことあるか?
寮がないだけで、決して恵まれた環境でないとは言い切れない。
寮を嫌う有望選手集まってたしな。 >>600
江川の現役時代はテレビの野球中継で初速と終速を2つとも表示している事も結構あったよね。神宮とかナゴヤとか。するとその論理(当時は終速のみ表示)というのはおかしい。神宮やナゴヤで江川の初速は速いときで150くらいじゃなかったか? >>626
岡田さん一代で強いチームになったチームなので、後任次第でしょう
甲子園へ行けなくなるのが2、3年続いたら、今のスカウテイングは維持できなくなる >>628
あと、近年の高校野球のスカウティングで大事になってくるのは名門大学への進学実績だけど、それが岡田さんがいなくなりどうなるかだね。
履正社は、大阪桐蔭ほど凄い進学実績ではないけど、早慶や明治に選手を送り込めている。
これを今後続けられるかどうかも強豪であり続けられるどうかのポイントになる。 >>617 中京が進学校になったとは言い難い。少なくとも(文武別道とは言え)
智辯和歌山とは雲泥の差。一方で中京は安藤美姫、浅田真央等を入学させる事で
分かる様に普通の進学校を目指している訳ではない。 偽文武両道進学率っての多すぎ。
本物は以下ぐらいしか浮かばない。
・慶應義塾
・彦根東
・米子東
・東筑
・静岡(ここは野球推薦あった?)
球児自身が賢くないと、文武両道進学校とは言えない。 >>631
2003年から推薦制度始めてるのにドヤ顔で慶應選んでるあたりマジもんの馬鹿だろ 昭和61年夏 東東京大会決勝
関東一 対 正則学園
https://youtu.be/N4p21Jvv7gQ
(5日前に公開) 31:01 まぁ、智辯和歌山も慶應も静岡も学校自体は高偏差値の進学校だけど、野球部員は推薦で入るから一般生徒とは同じにはできないよな >>631
邪道とトーチクをあげているだけでこの人が高校野球の実情をなにも知らないことがわかる >>628
>>629
2ちゃんねる黎明期はエテ商ってバカにされていたけど今では殆ど見かけないね >>638
この頃の関東一って今と違って豪快なイメージがあったな。
監督が小倉さんだったからだろうが、都内では圧倒的打力でけちらしてた印象。
それだけに大敗以上に無名校に完封負けしたのが意外だった。 慶應のことは良く知らないけど
2005年選抜に久しぶりに出場した時は
概ね好意的に扱われたけど
ちょうど推薦初年度の選手が最上級生になったからなのか。 2001年選抜 2回戦 関西創価 対 東北
(野間口 対 雄平)
https://youtu.be/0DkA7SiclcU
(35分前に公開) 36:55 今の慶應は集めている選手は中学の実績的では相模や横浜に引けを取らないぐらい
そのわりには甲子園へ行く回数は少ないよな
やはり慶大進学が約束されていることでどこかで甘えが出てくるのかな? >>648 マスコミ関係者が慶應義塾大学出身が多い上に、推薦入学の実態やその弊害は
一般人は知らないし、久しぶりの出場だから義塾の出場を好意的に扱ったのは自然。 静岡の野球部が文武両道とか、本当に馬鹿な書き込みだな。 50以上のおっさんにとって、これまででもっとも文武両道だった甲子園出場校はやはり80年夏の都立国立になるのかな。 82年夏の熊谷もいい線いってるけどね。
なにしろ決勝で後の巨人の大エースになる斎藤雅樹を倒しての甲子園。
しかも甲子園でも1勝した。 北関東(埼玉含めて)って文武両道の公立が多い気がする
今は私学に押されてるけど上位はキープしてるんだろ?
まあ、学校によるとは思うが 熊谷の江頭投手と早実の池田外野手はビートたけしのスポーツ大賞でイジられてましたね
「これで本当に元甲子園球児でしょうか?」って
出演当時はまだ20代半ばだったと思うが、硬式と軟式の違い+ブランクがあれば
簡単にミスするほど野球ってむつかしいと思った >>657
だよなぁ
特に慶應、東筑、静岡って。
東筑、静岡なんか昭和時代から特別枠あるやろ。 >>657>>658
自作自演は恥ずかしい事である。 東京なら日比谷
大阪なら北野が、体育科みたいなの作って甲子園にでも出たら、文武両道と思わずにはいられないのが一定数いるだろな 戦前だと、和歌山中学とか甲陽学院とか愛知一中とか文武両道の凄い学校がいくらでもあったけどね。 >>660
それをやって大失敗したのが日川高校だろ
公立進学校らしく両方できるやつが
競技人口少ないながらもラグビーでしばしば花園行って
地域の子供のあこがれでもあったのに
体育科作って校内で浮きまくりあげくは体育科生で集団万引きで捕まって
林まゆみが激怒してたわ
明治以来の伝統公立進学校に体育科なんて作ってんじゃねえーって 熊本の済々黌はどうなんだろう?
あそこもスポーツ推薦とかあるのかな?
かつてはセンバツ大会優勝したこともあるよね 松山東ってあの代だけ有力選手集めてたんじゃなかった? >>664
熊本では熊本高校がダントツの進学校、済済黌は永遠の2番手 花巻東や盛岡大付属がいるから難しいとは思うが、盛岡第一はもう21世紀枠でしか見られないかな?
盛岡第一は文武両道と聞いてるが。 進学校とまでは言えないかもしれないけど、
1980年代の桜宮(大阪)の体育科は偏差値60前後あって文武両道と言ってもおかしくなかった
人気があって普通科より偏差値高く、1982センバツメンバーにも体育科落ち普通科の生徒がいた
今でも体育科のほうが難関らしい >>667
盛岡一といえば、78年夏に一年生で出場した八重樫だな。
東大に進学し、卒業後は外交官になった。 >>652
元阪神の山崎投手って、東大合格の可能性もあった成績を残してたと、元近鉄の赤堀が言ってたぞ。 藤浪が年俸5000万割るとはなメジャーでMVP取った大谷に投げ勝って春夏連覇甲子園史上最強投手と言われたのに
夏なんて敗けるどころか点取られるイメージすらなかった程で間違いなく大谷より投手としてのポテンシャルは格上だった
清原も新庄発言でOBからすら避けられてるようだし
PLと大阪桐蔭の甲子園史上最強はどっちだと2分したチームのスターがこんな状況まで落ちるとは寂しい 江川はやっぱり158キロ出てたのか唯一の100点評価投手だからな
荒木大輔清原桑田でさえオール95点止まり
愛甲も今産まれなかったのが悔やまれる
天理戦みたら菊池雄星よりやや球速球威コントロールは上
カーブの落差は菊池雄星では無理な程凄いな
あの雨の中全くぶれないで投げる精神力も菊池雄星にはない
愛甲のバッティング技術コントロールは大谷より上
大谷の方が長打力とスイングスピード荒削りなノビシロは上だけど
愛甲が今産まれてたら菊池雄星以上かイチローに近い選手になってたかもな悔やまれる PLて強化初めたのはいつ頃なんだ西田を和歌山から取った辺りか
和歌山高野連から苦情きたらしいな
その前から1970年相模に決勝で敗けたり1974年銚子商をあと1歩まで追い込んだり強かったようだけど 静岡高校の野球部員は一般生徒と同じクラスなんだよな
だから学力高い奴じゃないと入れないと言う 西川遥輝は智弁和歌山時代一般生徒の教室に行こうとしただけで教師に怒鳴られた
野球部は一般生徒と交わらすのを教師が嫌ってた
野球しか出来ないガラが悪いて事だろ >>645
その割には静高の裁量枠知らん知らんようやな >>673
今なら愛甲も二刀流だっただろうな
投手としてはワンポイントだろうけど >>675
裁量枠で何人も採れないからね。
今は学区制は無いのかな?
昭和時代は静清学区で普通科しか無い静高は静岡市や旧清水市からしか受験出来ないはずなのに
藤枝市の中学出た赤堀投手や三島市の中学出た臼井貢選手(転校して日大三島初出場時の2番ライト)だとか推薦枠で入学した人がちょいちょい見られたね。裁量枠って名称はなかったと思う。
藤枝東、清水東のサッカーも推薦枠で入学した生徒がちょくちょくおった。
武田修宏氏も浜松の丸塚中から清水東やもんなw >>672
藤浪が甲子園史上最強投手?
それはないでしょう
甲子園史上最高のインパクトを残したのは江川卓
最高の実績を残したのは桑田真澄
インパクトと実績両方残したのが松坂大輔 >>680
武田修宏ってかなりアレな人だけど、そういうことなら清水東が学力ド底辺校ってわけじゃなくて、単にサッカー推薦なんだね、勉強になったわ 甲子園が輩出した偉大な投手、江川、桑田、松坂
この3人はプロでも大活躍したけど、ピークは早く訪れプロ通算勝利数は135勝、173勝、170勝と3人とも200勝に届かなかった 静岡高校は野球部でもアホは入れないよ。
あと、慶應義塾も同じ。
推薦枠やら裁量枠使えばそこらの私立同様勉強出来ない野球バカでも簡単に入部出来るような間違った書き込みがあるけど、そんな事ないです。 誰もアホでも入れるとは言っていないだろう
それでも静岡高校や慶應義塾を普通に受験して入る学力より劣る場合が多いのは事実 阿久沢、木暮がいた頃の桐生はガチの文武両道の強豪校って感じ
木暮って一浪早稲田だけど一般入試だよね?
同じ進学校の膳所を初戦で虐殺したのも皮肉だった
公立進学校で強豪私立みたいな立ち位置ってあの時の桐生くらいじゃないか?
ナベ久も木暮に憧れて桐生志望したが学力全然足らない事に気付いて前工に行ったとか >>674
西田は、原の親父が熱心に勧誘して殆ど東海大相模に決まりかけていたとか。
何の本だか忘れたが、そんな事を目にしたことがある。 >>682
武田世代までの数年間は清水東黄金期だが、主力で一般入試を通ったのは反町ぐらいで、ほとんど推薦
勝沢要という指導力と政治力を併せ持つ名監督がいて、清水市周辺はもちろん静岡県全域から推薦でトップクラスのサッカーエリートを毎年数人ずつ推薦で入れていた >>683
江川は法政大学と浪人の5年間が痛かったなあ
桑田や松坂は高校時代の酷使がたたった 西田は中学軟式の県大会で石井毅に負けて
甲子園でもまた負けたってぼやいてた >>665
1950年の優勝の事?知っていると思うけど1949年9月1日〜1950年1月25日までは
松山第一と松山商は松山東として合併されて、その後、松山商が分離独立。
だから松山東の優勝は松山商の優勝としてもカウントされています。
戦後すぐにはこういう統合・再分離は他県でもままあった。 >>681
高校時代に残した結果だけで言えば、
箕島の石井さん
戦前の中京商3連覇の立役者・吉田さん
この2人は桑田と同レベルで、かつ江川や松坂を上回っていると思う。 >>687
YouTubeでも語ってる
「天理、東海大相模、向陽....。でも、親元をはなれるのがちょっとねー」
https://youtu.be/G6jUB4nb2nc >>691
665だけど俺は21世紀枠で出場した時のことを言ってるんだが >>235>>237
公立進学校だからだろうな
優勝 天理
準優勝 神戸弘陵
4強 大阪桐蔭(翌春初出場優勝)、箕島
8強 鳥羽、三田学園、浪速、報徳学園
兵庫3つのうち大阪桐蔭にコールド負けの報徳脱落、地域性では初戦惜敗近江が居るが、負けたのは報徳で救われない
スンナリ7校(当時)で行きそうだったんだけどね
フタをあけるとまさかの奈良選出、落選は鳥羽
三田(箕島に0-3)や浪速(天理に0-4)より神戸弘陵に0-2の鳥羽(しかもこれで京都はゼロ)ってのも不可解
兵庫と大阪は弘陵と桐蔭が確定してるのに
そして奈良の選出理由は「天理に県決勝、近畿1回戦で食い下がり(近畿は1-4だからわからんでもないが、県は0-7)
短期間に7点差負けを3点差に縮めたことを評価」
まだ天理4-1奈良、天理4-0浪速を持ち出して浪速落としたってほうがマシな理由だったろw >>312
八幡商は秋の滋賀大会を11年ぶり優勝し、近畿準優勝の和歌山東に1-3と惜敗
夏県でも甲子園4強の近江に善戦と復活の気配
ちなみに11年前は秋近畿初戦コールド負け
そこから春県準決勝コールド負けからの夏県優勝、甲子園でミラクル満塁弾と来た 箕島の石井毅や早実の斎藤佑樹は高校時代の実績は素晴らしいけど、プロでの活躍度がな
彼らは甲子園優勝投手はプロでは大成しないという説を証明した選手 >>674
1979浪商と覇を競った時に、浪商関係者がPLが地元からも選手を取るようになったからだんだん歯がたたなくなるかもしれない。と言ってたから、西田の頃じゃないのか? >>698
そもそも、プロ向きのPじゃないやろw
大学、ノンプロが一杯一杯のスキル 藤浪の高校時代の無双感は松坂以上だったよ
確かに対抗馬がイマイチで大谷も出れず大会自体盛り上がりに欠けたからインパクト弱いけど >>695
地域性有利で話題性もある鳥羽を差し置いて出るあたりが不思議だよね
ちなみに当時高田商にいた三浦大輔は、奈良高の選抜出場が同じ公立勢として励みになったようなことを以前語っていた 凄みはないが、点を取れそうにないと思ったのが西単の森尾。
松坂の活躍の後、松坂君は何点取られたんですか?
僕は大会を通じて1点しか取られていないと語っていた。
予選、甲子園一人で投げ切った鉄腕だった。 松坂は夏のPL学園戦だけ乱れたな
センバツ
横浜 6−2 報徳学園
横浜 3−0 東福岡
横浜 4−0 郡山
横浜 3−2 PL学園
横浜 3−0 関大一
選手権
横浜 6−1 柳ヶ浦 ※自責点0
横浜 6−0 鹿児島実
横浜 5−0 星稜
横浜 9−7 PL学園
横浜 7−6 明徳義塾 ※1イニング無失点
横浜 3−0 京都成章 NHKSPでやっていたが、PLは捕手のサインを3塁コーチの掛け声で伝達していた。
あれを見た故野村監督が、高校生があそこまでやるかと驚いていた。 >>705
対戦相手がほぼ中堅以上で全勝は凄いな。 >>695
でも奈良高が桐生第一から6点も取ったのには驚いた
10点取られたのは想定内というか、よく10点で収めたなという感想
いずれにせよ大健闘だったといえる >>665 >>694
あの後発行されたある本によれば、県でベスト8に入れるくらいになれば、21世紀枠に選ばれる
可能性は高くなるって当時の監督が語っていたから、ある程度は狙っていたみたいだよ。 やはり怪物と呼ばれた投手はプロ入り1年目から活躍するよな。古くは浪商の尾崎で1年目で20勝したし、松坂も何だかんだで1年目で16勝したしな。
江川は入団時ゴタゴタがあったから1年目9勝だったけど、もし高卒でプロ入りしてたら余裕で20勝してただろうな。
もし巨人に入団してたら巨人はV10行けてたんじゃないかと思う。 尾崎行雄は勿論、リアルタイムで見てないけど、プロでは実働10年ぐらいだったのかな
松坂も実質的には最初の10年で終わっていたからな
速球派投手の寿命は短いということだろうね >>711
小松も87年最多勝、88年12勝で優勝に貢献
速球派として鳴らしたのはここまでだったな
5月に30歳になった89年は故障で5試合4敗
90年以降は5年で28勝こそしているが、もう速球派からモデルチェンジしてたな 尾崎が凄いのは高校2年で中退してのプロ入り1年目だったということ。つまり実質高校3年の時にプロで20勝挙げたわけだからこれは凄いw
江川も一説によれば一番球が速かったのが高校2年の秋と言われているから、もし2年で中退してプロ入りしてたら20勝以上してたかもな。 >>684
そりゃ裁量枠で採れる数も決まっているからねぇ。もちろん推薦の際に成績の足切りもある。
福田中学から静高に進んだ磯部修三監督(浜商優勝時の監督)の場合は推薦やなしに一般受験なんだって?
磯部修三氏の受験当時は学区制は無かったんかね?
>>682
藤枝東や清水東は一応地域進学校ですな。 >>710
尾崎は、「怪物」ではなく、「怪童」と呼ばれていたように記憶する。
ちなみに元祖「怪童」は中西太さんのはず。 >>705
高校行かずにプロ行けば投げ過ぎがなくて200勝できたかもな
高校野球は投手を壊すだけだな
松坂はかなり丈夫な体だったと思うよ
これだけ高校時代投げ過ぎてたら普通の投手ならもっと早く引退してるでしょ >>674
PLの伝説のスカウト井元さんは全国から苦情がき
てる、と大阪の高野連に注意されてたと言ってたよ
PLのスカウトの潮目が変わったのは小早川を獲れ
た時からだとも。
大阪の子を穫る様に大阪私学連盟に要請されてからで
大阪が多くなったのはKKの時からとおっしゃってるよ
野々垣のユーチューブとかで井元さんご本人が。
つうか、和歌山は大阪じゃないから… 桑田も高校時代に投球過多の割にはプロでも長く現役続けた。
先天的な資質も必要なんだろうな。 プロ野球OBクラブチャンネル
【星野野球】「 (小松) 辰雄を殴ってこい!」
言い訳はしない、中村武志の中日時代
https://youtu.be/mnju6jT7sHg
(3時間前に公開) 26:53 中根仁てホントに55歳か?
えらい若々しいな
とても中村武志と同い年には見えんわw
良い感じで歳食ってるな >>711 尾崎は実働5年。6年目は負けばかりで働いていたと言えるかもしれないが。
最初の5年にしても2年目は故障でまともに投げられていない。それどころかルーキー
イヤーもオールスターまでに18勝で、後は豆を作ってダメだった。最終的には肩を痛めて
潰れたが、その元凶はボウリングだとの説もある。 中村順司監督でさえ野球のセレクションでPLに入学
して野球部OBなくらいだし、井元さんも60年位前
から動き始めてるんだから、スカウト高校野球の元
祖はPLのはずだよ 昭和63年夏 栃木大会 決勝
宇都宮学園 対 足利学園 (高嶋徹 真中満)
https://youtu.be/-GSdWgn7rGY
(6時間前に公開) 31:17 みんな大好きPL学園、おいらも大好きPL学園
その歴史はどんな名選手より、どんな名監督より
創設から関わるOB1期生の井元さんだわな
PLフアンなら井元さんの言葉に正座すべし >>715
仰る通り「怪童」でしたね。失礼しました。中西もそうでしたね。多分昭和20〜30年代は「怪物」と言う単語があまり使われてなかったんでしょうね。
逆に現在は「怪童」という単語がすっかり死語と化してしまいましたねw 春の四国大会で延長20何回だかを投げ、甲子園で延長18回制が導入されるきっかけをつくり、その適用第1号になった…
という自慢話が得意な板東英二さんもプロでは現役生活が短かったね。
あの人の場合、高校時代に投げ過ぎたことだけではなく、野球以外のビジネスに熱心だったことも原因だと思うけど。 >>728
その通りだ
わずか、1期生13人しかいなかった男子生徒を集めてPL野球部結成
学習院大学に進学して東都リーグ初優勝に貢献したエースの1人でもあった
育ててもらったPL2代目教祖の命を受け、スカウト活動を始める
自ら監督もやった時には、PL学園甲子園春夏初出場!!!
ずっと、PLの人材発掘に力を注いだ「伝説のスカウト」
PL野球部を知りたければ、まずは勇気を出して井元俊秀氏を知ること
から始めなきゃ駄目だわ。。。
そろそろ50歳も過ぎてるんだしさ、西田の頃からとかさ… 昭和61年夏 2回戦
鹿児島商 対 県岐阜商
https://youtu.be/yegrrqmP0Nc
(4時間前に公開) 35:11 >>730
板東英二の高校時代と言えば、徳島商魚津の延長18回ノーゲーム
徳島商の鉄腕板東と魚津の技巧派村椿の投げ合い
残っている試合後の写真を見ると、 >>735
板東村椿が並んで映っている写真もあったが、村椿が控えめに俯き加減だったのに比べ、板東はカメラ目線でドヤ顔だったw 選抜はもう終わった大会だしな
あのゴミクズ21枠が邪魔だし要らなさすぎだな
あんなもん歓迎して喜んでるのは関係者や人生スカスカなアホしかおらんわw 21世紀枠なんて喜ぶのは関係者のみ。
一般の高校野球ファンは普通に当落線上の実力校を1校でも多く出してほしいと思ってる。
毎年1校ならともかく3枠もそんないらない枠に使うとか愚の骨頂。 元々は21枠歓迎派だったのが
21枠アンチにまでなっちまったからなw
それもこれも無様な試合続きで嫌気がさしたせいだが?
ここ1〜2年はちょっとマシになったとはいえ
あの2017あたりぐらいか?多治見近辺から糞ウゼえ枠に考え変わっちまったわw
味をしめての1枠増加の3とか反吐が出まくりなレベル
胡散臭さ極まりない近年の選抜なんぞ
もう今後は一切開催しないで欲しい派だぜw >>728
PL以外にもたくさんの名門校はあるが、
その中でもこれだけPLが突出してる感があるのは、
甲子園を沸かせた名勝負、名選手、伝説が、
圧倒的に多いからな。 21世紀枠は神奈川と大阪から選出してさっさと廃止しろ
もっとも神奈川は地区推薦すらやる気ないみたいだが 野々垣のユーチューブの井元氏登場は神動画だわ
見れば、見るほど「P」にも見えるし「L」にも見えてくる
やっぱ、井元氏は「PL」の人だ 21世紀枠と言えば、その地区の進学校等が出ることでアルプスをOBが賑わして観客増の役割を一部担ってたが、コロナでその応援も無くなって、マジで存在価値無くなってしまったな バスで甲子園に応援に行ったとき駐車場から球場まで歩くのにメチャ時間がかった
21世紀枠の進学校の試合が終わったところで、球場から駐車場へ戻る人の列が歩道にに溢れて大渋滞
お互いに譲り合っても、人多すぎてなかなか対向できないの
21世紀枠の集客力スゲーーーーって感心した
そのチームの応援団、試合に勝った直後にもかかわらずバカ騒ぎせず淡々と移動していたのが妙に印象的でさすが伝統的進学校だったな
「末代までの恥」と相手監督に言わせたチームだが 20年ほど前に地元校の応援バスで息子連れて甲子園行ったことあるが、バス駐車場から球場まで遠いよね
めちゃくちゃ暑かった
そして駐車場整理の兄ちゃんがめちゃくちゃガラ悪かった
こっちや言うとるやろぉ!とかバスの運転手に怒鳴ってた PLの名勝負というと、一般的には、
78年準決勝の中京戦と同決勝の高知商戦、83年夏準決勝の池田戦、98年夏準々決勝の横浜戦
とかになるのだろうけど、
KK時代にジャイアントキリングをやられた
84年春決勝の岩倉戦、84年夏決勝の取手二戦、85年春準決勝の伊野商戦
の3試合も印象深いね。 1983年の高知商戦 桑田が打たれて壮絶な打撃戦
2000年の智弁和歌山戦 ハイレベルな打撃戦、球場で見ていたが両高の打球が凄かった
PLは記憶に残る試合が本当に多い。 98の横浜戦はPL側にとっては名勝負と言えるんだろうか?あの試合は王者横浜に予想以上の善戦をした、という位置付けかと思う
投攻守どれを取っても横浜には劣っていたし、厳しく言えば凡ミスも多い(横浜も)試合内容だったと言えなくもない 三池工高・甲子園初V捕手、穴見寛さん死去 東海大五監督で選抜出場
https://www.nishinippon.co.jp/nsp/item/n/842614.amp
一時期相模の監督もやってたのは知らなかった
ご冥福をお祈りします 名勝負 1992年愛媛大会 2回戦
松山商 対 宇和島東
https://youtu.be/yV00uwR8Urs
(5分前に公開) 45:44 >>747
そこに上がっているのは伝説の名勝負だが、
全盛期の箕島とのガチンコ3番勝負、
千葉県民と秋田県民を奈落の底へ突き落した印旛戦、金足農戦、
都城のライトの落球でまさかのサヨナラ勝ち、
高知商の中山から打った清原の伝説のホームラン、
宇部商戦の清原の2発など。
これだけ印象に残る試合が多いのも凄い。 榎田の時の箕島戦は痺れたよなぁ。どっちの奇跡が強いのか、最後まで針がフラフラしてたように見えたよ。 こう書くと必ず爺さん扱いされるが、履正社には全く記憶に残る試合はない。
大阪桐蔭も少ない。
如何に、PL学園が良き好敵手に恵まれていたか。 >>754
よって、PLと複数回対戦した高校も多いよね。何校くらいあるんだろうか? 強いて言うなら、2017センバツ初戦の
日大三高戦。
石田の逆転スリ−ランは鳥肌立った。 記憶に残る名勝負
■履正社
◇10夏 vs聖光学院
山田哲人の超絶ホームラン
◇19夏 vs星稜
大多数のファンを絶望させた4番の一発
※※※※※番外※※※※※
◇97夏 vs専大北上
強いのか弱いのか分からない大阪の新鋭現る
■大阪桐蔭
◇91春夏
殆どの試合が印象に残った名勝負製造チーム
◇06夏 vs横浜vs早実
まさかの大勝&大敗
◇12夏 vs光星学院
藤浪無双
◇14夏15春 vs敦賀気比
壮絶2連戦
※※※※※番外※※※※※
◇12春 vs花巻東
目立ったのは大谷のホームランと俊足ぶり
◇17夏 vs仙台育英
高校野球の黒歴史
◇21夏 vs東海大菅生
雨中であそこまで強行した試合があっただろうか
大阪桐蔭はそれなりに名勝負あるかな
履正社は確かに名勝負少ない
新湊のほうが多いだろこれ >>759
雨中の試合は、73夏、江川の作新対銚子商だが、自分見た中で一番しんどそうと思った試合は79春東洋大姫路対池田。セカンドゴロがピッチャー手前で止まる。ホームへすべり込むと田んぼに足を突っ込んだ感じだった。夏池田は決勝まで行ったんだから、余計に可哀想だった。夏にノーゲームになった試合見たけど、あれより酷くない。 >>759
大阪桐蔭は2018選抜準決勝の三重戦は土壇場9回で追い付いて12回サヨナラという、かつてのPLみたいなしぶとい野球を見せてくれたね
今年の近江戦は大阪桐蔭らしくない試合だった
大阪桐蔭が負ける時は序盤からリードを許してそのままあっさり負けるパターンが多かったから 2019夏優勝した履正社×関東一の誤審としか思えないシーンが
衝撃的で恐怖でもあった。。。 >>759
大阪桐蔭は17年の件で許された感あるけど
ついこの間まで岸や平沼にボコボコ当てたり県岐戦のタックルといいやりたい放題だったのをみんな忘れてるよね。
あと05年がないのは何故だ!?
5試合ともハイライト目白押しというのに…
この頃の大桐は好きだったわ 辻内のハイライトは19奪三振の藤代戦、HRの駒大苫小牧戦のイメージが強いけど、個人的には清峰戦の9回が印象に残ってる。
1点返されて尚1死満塁のピンチに開き直って力勝負で抑え込んだ場面、あの時辻内は覚醒したと思う。
辻内本人は仲間のゲキが自分を奮い立たせてくれた、と試合後に語っていた。弱気のあまり逆転負けのシナリオすら頭を過っていたらしい。
制球に苦しんだ春日部共栄戦の辻内のままだったら苦しかっただろうね。 PLは応援も独特なものがあったからな。
当時、一文字は画期的だったし、
チャンスでPLの応援が流れると、
もう、完全にやられた感が凄かった。
昭和53年夏の決勝の高知商なんて、
9回の裏は完全に飲み込まれて、訳がわからない感じだった。
後、コスモタイガーを応援にと使うところも凄い。
訳が 今から考えてみると、当時のPLは、
野球部の強さ、実績は勿論のこと、
数々の名勝負、名選手
数々の伝説のシーン
独特な応援
校名のインパクト
校歌の覚えやすさ
名門校は他にもたくさんあるが、
全てがバランスよく揃っていた。
これは奇跡だな。やはり奇跡のPL PL学園の人気は今振り返れば、というところもあるかな
当時は圧倒的に強くてアンチも多かったよ 勝ち過ぎてつまらないと
それにあの強さが異常な寮生活と暴力に支えられていたわけで今になっては興醒めしてしまうところもある 奇跡のPL、永遠の学園がまさか野球部消滅してしまうとはな
今や学園自体消滅の危機だろ
それでも往年のPLファンにとっては歴史の中に閉じ込めることが出来て、むしろ良かったのかな 細々と弱小野球部で継続していたら過去の栄光も汚すことになってしまうわけだし PL、黄金期はたしかに大相撲の北の湖的なところがあったよね。
負けたり、苦戦すると喜ばれるという。
KK在籍時で言えば、都城戦や岩倉戦、金足農戦、取手二戦、伊野商戦がまさにそう。
谷間世代が前年に大勝した浜松商にリベンジされ、大敗した時も痛快だった。
片岡が87年夏初戦で群馬の中央に終盤まで手こずった時、球場全体が「PLが負けたら面白いな」という雰囲気になったと言っていたね。 PLや箕島、池田に比べ、大阪桐蔭は名勝負が少ないとよく言われるけど、現在は大阪桐蔭に限らず、甲子園全体で昭和の頃に比べて名勝負が減っているんだと思う。
俺が高校野球を見始めた昭和50年代は夏の甲子園の決勝というと、好勝負になるのが普通で、大差がつくことなんてほとんど無かった。
だからこそ、広商が池田に2−12で粉砕された時は衝撃的だった。
でも、今は夏の甲子園の決勝で10点差くらいつくことは珍しくもなんともないからね。
昭和50年〜54年の夏の甲子園決勝
習志野 5−4 新居浜商(サヨナラ)
桜美林 4−3 PL学園(延長11回サヨナラ)
東洋大姫路 4−1 東邦(延長10回サヨナラ)
PL 3−2 高知商(サヨナラ)
箕島 4−3 池田
直近5年の夏の甲子園決勝
作新学院 7−1 北海
花咲徳栄 14−4 広陵
大阪桐蔭 13−2 金足農
履正社 5−3 星稜
智弁和歌山 9−2 智弁学園 最近は暑さで、決勝戦で投手がボロボロになっているから、大差が付く。
不思議と大阪桐蔭の相手に多いが、沖縄水産、常葉菊川、金足農業。
そう考えると早実の斉藤は化け物だった、 銚子商7−0防府商でも
決勝戦らしくない大差の試合と思ってた 1998の横浜
2004、2005の駒大苫小牧
2006の早稲田実
平成以降、甲子園で伝説となった優勝校はこの3校だろうね 公立高校でありながら、あのPL学園と決勝を互角に戦った宇部商業は大したもの。
エースが不調だったが、2番手投手が奮闘したし、藤井の打撃も凄かった。
宇部商業は、記憶に残る試合が多い。 公立校でよく全国レベルの投手2人も用意できたと思うわ。
やっぱ夏は複数投手揃えないと勝ち上がってもジリ貧だよね。
今思えば96松山商も07佐賀北も二枚看板だった。 >>772
銚子商と防府商も5回まで0−0だよね。
6回裏に銚子商が一気に6点を入れ、試合が決まったけど、途中まではわからなかった。
近年、夏の甲子園で決勝がワンサイドゲームになる時は序盤から大差がつくケースが多いよね。 近年、全体にいい試合が減ってるというのは確かにそう思った
見たいカードみたいなのが、まーったく思い浮かばない 俺は36で、物心ついて初めて見たPLは94年春の、宇高とかサブローがいたチームだったけど、PLは清原がいた頃に昔優勝したことがある高校、というくらいのイメージだったな
やはりリアルタイムで優勝を見たことない学校は過去感が強い
今の20代なんかもっとだろうね >>767
以前にも書いたことがあるが、80年代半ば頃のPLを作家の藤本義一氏がとにかくこき下ろしてた。
ある週刊誌のインタビューで「PL?ただ無機的に強いだけや。あんなん高校野球とちゃうやろ?
PLが大阪代表とかもう腹立ってしゃあないわ。」と。
さすが藤本さん、PLの実情をよく知ってたみたいだね。 >>780
だいたい小学校高学年くらいからが多いだろうね >>773
早実は定期的に大フィーバーを起こす。
王さんで大フィーバー
荒木大輔で大フィーバー
佑ちゃんで大フィーバー
清宮で大フィーバー
星稜も定期的に物凄い試合をする。
箕島戦、明徳義塾戦、小松大谷との決勝戦
PL、箕島、池田、広島商、星稜、早実、宇部商、松山商
まさに伝説の学校 PLと大阪桐蔭
箕島と智弁和歌山
広島商と広陵
松山商と済美
違うんだな〜 >>782
山城新伍も87年の夏の決勝の日のお昼の番組で「今日は甲子園の決勝?どーせまたPLが優勝でしょ?(ケッ」って言って嫌そうな顔してたわ 今は良い選手をたくさん集めた学校が戦力差で勝ってしまうから名勝負が少ない感じがするね
野球スタイルも変わってパワー全盛時代なので味のある試合が少なくなった
再来年から導入予定の飛ばないバットで野球がどう変わるか注目したい 40年甲子園を見てきて歴代最も劇的な優勝校は1998の横浜高校 延長17回、6点差大逆転、ノーヒットノーランの三部作は永遠に不滅のストーリーだろう
この他には1978のPL学園、1979の箕島高校、1982の池田高校、1983のPL学園、2004の駒大苫小牧、2006の早稲田実 まぁ少なくとも最も華のある春夏連覇校といったら横浜だね
今でも俺は春夏連覇=横浜の図式だ
7〜8年前、高校野球雑誌だかナンバーの企画だかで春夏連覇と言えば?というアンケート結果が
1位 興南
2位 大阪桐蔭
3位 横浜
とかで、単に最近の連覇校で並べただけじゃね?と思った記憶
まぁ10代とか20代前半の人が多く投票したのならそういう結果になるだろうが 桑田、清原という2枚看板のPL学園と、松坂だけの横浜では比較にならんわな。 >>771
暑さは今の方が過酷だが、日程は昔は今の比ではないほど鬼畜だったし、エース=完投の時代だったから、昔のピッチャーの方が疲弊は甚だしかったはず
それでも近年ファイナルでの大差試合が多いのは、打撃力が昔と比べて飛躍的に向上したのが要因だろう
それまで全試合力投してきたエースが最後力尽き、控え投手との交代で外野などに下がる時、お疲れ様的なねぎらいの拍手が沸くシーンは高校野球ならではの光景で好きだったな 今年の智弁対決で大差が付いたのは何気にショックではあったな。 伝説の優勝校ランキング(平成以降)
@98夏 横浜
A06夏 早実
B07夏 佐賀北
C04夏 駒大苫小牧
D95春 観音寺中央
こんなところか
個人的には
@04夏 駒大苫小牧
A07夏 佐賀北
B05夏 駒大苫小牧
だな >>791
おれは力尽きたエースが外野に回るとうのが大嫌い。
そんなことするくらいならベンチにいる外野の控えを試合に出してやれと思う。
高知商戦でノックアウト喰らった箕島の吉井が尾藤監督に
「最後は好きなポジション守らせてやる」と言われて
非常に困惑したというインタビュー記事を読んだことがある
そうすることで誰か一人がベンチに下がることになるので、
迷った上で下級生の勘佐のポジションに入ったと。 >>794
なんか、外野まで走って行く後ろ姿が哀愁漂ってて夏の終わりと相まって心に響くんだよな
近年では敦賀気比の平沼が2年の時そんな感じだった
イニングの頭からベンチに退いて投手交代となるのは何か違う
昔はエースの降板=負けみたいな感じだったね >>795
>昔はエースの降板=負けみたいな感じだったね
それだけに横浜の川戸が出てきたときは、絶対に早実が逆転する思いながら見てた スレチスマンけど、ニューイヤー駅伝で優勝した富士通が優勝旗を紛失・廃棄?って事件が起きてるね。
昭和29年夏に全国優勝した中京商(現:中京大中京)で、その年の11月に優勝旗を紛失。
翌年2月に占い師の予言通り、学校から北の方角に600mほど離れた中学校の床下から見つかった事件で
漫画「ドカベン」でもこれを題材にしたエピソードがあったな。
この事件以後、優勝旗は銀行の金庫なんかに預けられるようになってしまったんだっけか?
中京商の事件のときは日本高野連に紛失の一報を報告に行った学校関係者が、当時の佐伯達夫会長から
「バカ者!あの優勝旗を何だと思っているのか!」とキツい叱責を受けたらしいが。 >>793
00年代は新興校が次々と出て来て面白い大会多かったね >>789
朝日の47都道府県ベストゲームのアンケートも酷かった
埼玉の1位が13夏の浦和学院10x-11仙台育英だったからな
浦和市立の宇部商戦とか上尾の波商戦とかあるでしょうに… 1974夏、銚子商対防府商
銚子商の大量得点で大勢が決して防府商のエース井神が外野に下がって
そこに大きな打球が飛んできて井神が追うも捕球が叶わず。
リプレーでアナウンサーが「逃げていく大優勝旗を追うかのような井神」とコメント。
なぜかよく覚えている。 >>799
2006年のチベン和歌山−帝京戦含めて
単なるバカ試合だろ! >>799
93年夏甲子園決勝の春日部共栄ー育英以下かよ 私は埼玉県民だが、
埼玉のベストゲームと言えば自分的には
やっぱり75夏準々決勝、上尾5−4東海大相模だね。
次点が88夏3回戦、浦和市立2−1宇都宮学園(延長10回)。 そりゃアンケ方式ならどうしても近年の試合になるよ
目くじら立ててても仕方ない
40代以下が見た事もない上尾の試合なんてあげないだろ 自分の少年期から青春期に見た試合が思い入れ強くなるもの
俺はPL春夏連覇以降見始めたから
「その時代は低レベルで〜、やっぱり江川〜KKまでが云々」言われるとイラっとするもん
今は動画で過去の試合見れるからあの空気感わからんでもないけどさ >>771
斉藤は高酸素カプセル使ってたと聞いたが >>805
このスレ的にもさすがに60年代以前の高校野球リアルタイムで見てたり聞いてた人殆どいないからなぁ
PLネタが伸びるのが何よりの証拠
中京明石25回なんてもはや古代神話みたいなものだからね 結局、年代が異なる学校を比較しても結論が出ないわけで最強チームはどこか?なんていうテーマもあまり意味がない >>798
対して10年代は常連校が殻を破ったみたいな優勝が多かった印象
浦学・敦賀気比・智弁・徳栄・履正社など
平安・作新あたりもイメージ的には含まれる
優勝はしてないが殻を破った感は学院大中京・三重・明豊にも感じるな 作新は低迷期長かったからな
夏に復権したという意味では相模も当てはまる
智弁や敦賀気比は4強の壁を乗り越えたから次は東海大甲府くんもなあ… 作新は2016年が53年ぶりの優勝で、かなりブランクあるけれど、優勝の最長ブランクって作新? プロ野球OBクラブチャンネル
【1960年代からヤバかった】
地獄の1年生を2回やった…とにかく
「耐える」ことを覚えたPL学園の3年間
https://youtu.be/2GqhWovivoo
(20分前に公開) 19:10 OBクラブチャンネルってなんで皆変なシャツ着てるの? PLは弱体化したんじゃなくて、耐えることを拒否する時代になったという事 PL学園の全校生徒は中学高校合わせて150人位ですか? 生徒数徐々に減っていってるみたいやけど、仲良くしてたらいいんじゃないかな ちなみに、中高だけじゃなく幼稚園、小学校、専門学校もあるんだが? >>812
たぶん
江川とか八木澤の時代と最近の作新てある意味別物だし >>780
同じだ
ただ宇高の年に甲子園で初めて見てなんちゅうかユニフォームからオーラが出ててこれがPLかってゾクゾクしたのは覚えてる
夏は藤井とかいた近大付属に負けて残念だった 50歳代の人からみたPLはやはり1978西田木戸世代だろう あの2試合連続逆転劇を観て心を鷲掴みされた少年はたくさんいたはずだ
あの桑田真澄もあの代を見てPL進学を決めたらしい >>791>>794
昔は投手で打撃の良い選手が今より多かった気がする。
単に投げない時は野手でチ−ムに貢献しろって感じじゃなかったのかな?
投手で4番が少なくなったし、野手の層も厚くなったのかもな? >>820
780だけど、小学校一年の時にかっとばせキヨハラくんを読み始めて清原選手の大ファンになってさ、その清原選手の母校が今出てるPL学園という学校だよ、と父親か祖父から教えてもらって、じゃあPLを応援する!となったのが最初にPLを認識した時だったと思う
それから高校野球そのものが大好きになって、2001年の事件が起こるまではPL応援してた
そんな今では大阪桐蔭の大ファンでいつも舞洲に試合見に行ってる 昭和53のPL西田、昭和55の横浜愛甲、昭和56の報徳金村、昭和57の池田畠山
俺が高校野球を見始めた昭和の終わり頃はエースで四番の大黒柱が率いるチームが優勝することがむしろ多かった。
この選手たちも今ならみんな二刀流とか言われていそうだね。 それにしてもあの頃はスター性があってキャラの濃い選手が多かったな 高校野球人気が高かったわけだ 二刀流なんてプロで大谷レベルの成績残して与えられる称号でしょ
高校野球のエースで4番くらいで二刀流とかきりがない >>821
桑田はその試合をラジオか何かで応援してた父兄の「PL」という言葉を
初めて聞いた
その父兄に「なんやお前、大阪のPL学園知らんのか〜」と言われて、
桑田「よしっ、俺はPL学園に行くんだ」と決めたと言ってた つまり、桑田は見て鷲掴みされたわけでは無い
小5の時に八尾フレンドの練習中に雨で中断した際、
当時逆転のPLと騒がれてて、父兄がラジオを聴いてた
桑田「そのPLという言葉の響きが良かったんだよねー」 >>826
昔はエ−スで4番のチ−ムは強いっていわれてた由来がこの辺りにありそうだな。
センバツ制した高知商業中西や、伊野商業
渡辺も4番じゃなかったか?
あと、優勝してないけど、1984年選手権でセンバツベスト4の大船渡を初戦で破った長浜高もたしかエ−スで4番だった記憶がある。
他にも投手だからと4番を回避されてた選手もざらにいただろうし、このじだい
記憶違いなら、ごめんなさい。 >>830
関西の人と関東の人では「ピーエル」のアクセントが違うよな。
関西の人は「ピ」にアクセントを置く >>823 >>826
甲子園を沸かした投手や、甲子園では活躍できなかったけどプロで活躍した投手の中で、
打撃が弱かった人と言えば誰を思い浮かべますか?
自分の記憶では興南の仲田がバッティングはすっとこだったような?
桑田も清原いなかったら、4番打っててもおかしくないぐらい打撃よかったしね。
プロ入ってから、遊撃手か中堅あたりで野手に転向してたら333も達成したのでは。
意外と知られてないが、実は松坂も桑田と打撃レベルが同じぐらいだったらしく、新人の年に気分転換にいきなり打撃練習させたら、木のバットでポンポン柵越え連発してたようだ。
まあ、そんな事はなかったと思うが、当日東尾監督が松坂は野手に転向しても肩も強いし間違いなく一流になる、言うてた。
この二人に関しては、天は二物を与えたよな。
不公平だ!www しかしオリックス萩原の投手転向には驚いたけど、
アマで投手経験がなかったと聞いて更に驚いた 松坂の打撃力の良さは誰でも知ってることだろ
江川も良かったし、一流投手は打撃も非凡なのは当たり前のことでは? 牛島の上尾戦での9回同点2ランだね。
やはり一流の投手は打撃も凄い。 エースで4番打者、さらに塁に出れば走りまくる韋駄天っていた。 ごめん、最後はクエスチョン。
投打走の3要素を兼ね備えた投手はあまりいなかったような・・。 岡山南の川相や横谷はエースでクリーンナップで走塁でも光ってた
どっちも野手でプロ入り 北陽の嘉勢だな。すごいのは。
プロでも野手、投手の両方をやったので、紛れもなく二刀流だった。 >>845
そうなんだ!
wikiには
仰木彬がオリックス・ブルーウェーブの監督を務めていた時に野手から投手に転向したのは、萩原以外に嘉㔟敏弘・今村文昭がいる。なお、萩原の場合は、今村や嘉勢のように投手から野手にコンバートした上で、投手に再コンバートした例とは違い、高校時代に投手経験がない。
とあったんですげえなあと思ってた。 >>845
秋季関東大会小瀬球場で見た!
準々決勝成田高校主戦中丸が打ち込まれて救援して10-8で逆転勝ちした試合やね。 打撃の良い投手と言えばやはり早実の王貞治が最強だろw >>848
そっちだ。
小瀬球場は宇学にサヨナラ3ランで負けた時やな その頃の東海大甲府は佐伯って期待のピッチャーがいたはずだが3年時には名前聞かなくなったな
たしか萩原と同期 いやちとまてよ。
初戦中丸が踏ん張ってY校に勝った試合はどっちやったかな・・・ >>837
オリックスのよしのぶが打撃良いなんて
聞いた事ないぞ。
菅野って打撃良いんか?www 歴代PLのエースでマエケン、前川、朝井の打力はどうだったのか? >>849
浪華商の張本は長打力こそ早実の王に劣るが、ヒットを打つ技術なら負けていない。
熊本工業の川上も戦争の中断をはさみ、2000本安打を放ったのだから凄い。
ただ、投手としての能力が最も秀でていた二刀流はやはり享栄商の金田だろうな。 マエケン四番じゃなかったっけ?
それくらいあの代は打力無かった 87PLは野村のバッティングはよかったね
他の2人は印象ない 前田健太は高校通算27本塁打のスラッガー
メジャーでもデビュー戦でホームラン打っている マエケンは甲子園でホームスチールも決めているし、打撃力だけでなく野球センスが抜群だったな 桑田真澄に近い選手 阪神秋山は西条高校時代通算48本打ってるね。帝京の吉岡も51本か。 池田の水野が野手としてプロ入りしてたら、どうだっただろう? 昭和時代のエースで強打者は右投げ右打ちが多かった印象
(左投手はわざわざ右打ちにしないけど) >>860
秋山は高校時代、打席での威圧感、存在感が凄まじかったんで、てっきりプロでは打者として勝負するんだと思っていたな。
体格もまさに野手だったし。
投手としても活躍できているけど、野手ならもっと凄いことになっていたんじゃないかという気がする。
水野は、入団当初はショートに確たるレギュラーがいなかったんで、ショート転向の話がよく出ていたね。
川相がレギュラーに定着する前に転向していれば、巨人のショートとして君臨したんじゃないかという気がする。 >>857
野村はあのPL打線の中でも4番打てる打力があったよね。
個人的にはプロで打者で勝負したら投手以上に成功したんじゃないかなと思う。
正直投手としてはあそこまで成功するとは思ってなかった。 高校野球での右投左打の強打のピッチャーというと、イチローの同級生の上田佳範のイメージだな 川相昌弘の通算安打は1500ぐらいはあるイメージだったが実際は1199しかなくてちょっとビックリしたわw 投手の右投げ左打ちなら、久留米商の山田が思い出される。あのころはホントに珍しいから「星」で取り上げられてた >>866
上田は高校時代4番打ってたのは覚えてるが強打者のイメージはあまり無かった
プロでは打者として結果残したけどね
投手で右投げ左打ちの強打者といえば佐賀学園の若林だな
プロで打者に挑戦という話はなかったのだろうか >>868
同級生の佐世保工の香田も右投げ左打ちだったな
もっと昔の選手だと江津工の三沢淳もそうだった
高校時代は知らないがプロでは左打ち、右のアンダースローなのに珍しいと思った 上田はスラッガーの雰囲気あったな
投手としては変化球のイメージが強くてプロでは無理だろうなと思っていた 尽誠の宮地も強打者だったな。
左投げ左打ちだけど。
プロで野手に転向したぐらいだし。 昭和48年の甲子園に父の母校の金沢市工が甲子園出場したがベンチ入り14人全員右投げ右打ちだった記憶がある。その頃は結構そういう学校があったのではないか。最近甲子園には出れなかったが金沢高校が野手5人が左投左打だったため2塁手が左投だったことがある 確か帝京が95年に優勝した時もベンチ入りメンバー全員右打だったような
すなわち右投げか >>873
江川を倒した銚子商も全員右打者だったよ。ほんとは篠塚さんがいたけど骨折したから全員右になったわ。 〜人類の歴史は2031年で終わり〜
31年 キリスト死亡
↓
↓2000年 ←テスト期間
↓
2031年 人類滅亡(人類はテストに不合格)
木村秋則と松原照子が宇宙人(神)が2031年に人類を滅ぼすと言ってる。
人類は2000年間に及ぶテストで不合格になった。
宇宙人(神)は人類に失望して怒ってます。
宇宙人の科学技術は人類より100万年は進んでるので君たちの性行為も全て知ってる。 >>873
実は二塁手は左投げの方が有利ではと思うことがある
セカンドゴロゲッツーの成功率は右投げより高いだろう
打者走者をアウトにする場合はほとんどのセカンドゴロは余裕でアウトに出来るし 2000年夏の那覇高校は
左投げの捕手、三塁手で話題になったね。 左が有利なんは4−6−3の時だけ。
基本、3−6−3は関係ないし、
一試合での5−4−3や6−4−3のゲッツ−頻度を考えたら、やっぱりセカンドは左より右の方が良いと思はず。
ライト線に飛んだ打球や右中間の中継プレ−も必ずしも左のセカンドが有利とは言い難い。 「めずらしい左投げ右打ちの選手です」
40年以上昔テレビで聞いた記憶があるけど誰だったかは覚えていない。 >>834
1981春の大府の槙原と2003-2004年に
かけての東北のダルビッシュがすぐに思い
浮かびます。ダルは3年の時は4番も打って
いたけど好打者のイメージはなかった。
槙原は巨人の3本柱の中でもバッティングの
センスはなかったですねぇ。 >>881
天理が1986夏に初優勝したときの4番の中村が
そうです。プロだと広島巨人で活躍した川口投手が
左投げ右打ちでしたね。 左投げ右打ちは結構いるもんだね
左投げのスイッチヒッターを探す方が難しいかもしれない 大学のリーグ戦とか見てると大体半分は左打ちだね。9人全員左打ちってのも見た事あるが。イチの影響ももちろんあるが、野球好きの親がやらせてるんだと思う。子ども放っておくとサッカーに行っちゃう流れが世の中的にあるので、野球やってもらうには積極的に親父が関わる必要がある。野球好き親父は左打ちの優位を知ってるから自然に左打ちばかりになる。これからは右打ちが希少価値でて有利かもね。 >>882
槇原は打撃センスないと言われてもプロ で本塁打も1本記録。 利き腕を後ろにして打たないと木製やプロレベルになると本塁打は打ちづらくなるデメリットもある。もちろん打てる人は打てるが。 >>869
天理の連覇を打ち砕いた若林隆信だな
プロでは野手→投手→野手 >>889
>天理の連覇を打ち砕いた若林隆信だな
谷口からのホームランは印象深い。
その谷口は、個人的には、155km超の速球投手に将来なると当時期待していたけど、
故障の連続で大成しなかったね。 >>890
南とか谷口とか、長身投手は大成しないんだなぁと当時は思ったね
今やダルビッシュや大谷と、メジャーで活躍する選手は190オーバーの選手 ダルが出るまで高身長投手甲子園組で大成したの山沖くらいかな
新垣渚は微妙だな >>891
昔は今と違って長身の子は水泳、バレ−やバスケなど他の競技してたから、単に野球での育成方法が確立されてなかったんだろう。
ジャンボ宮城や新潟南の投手とか、 天理の佐藤も大きかったね。
同じチームメイトで新田だったかな?
150センチ代で小さかった。
二人並べば凸凹コンビ。 達もだけど天理ってでかい奴多いよな
78年も控えに190超えの選手いたはず >>809
意味はあるよ指導者も進歩しないとならないから
PLの黄金期のOBがあの時の俺達が史上最強だ!と威張りちらしてたけど
今PLの黄金期OBはどうなった?
稲葉も失敗から学んで日米野球勝ち越しプレミア優勝金メダルと結果を残した
稲葉はノンテンダーFAを発見したり勉強して球界発展に貢献してるよ
パワハラでやらかして監督はなりそこねたけど 神奈川大会を圧倒的強さで勝ち上がった横浜が智弁に完封敗けした時に
近畿の強豪と関東の学校では身体の厚みや腕や足の太さが違いすぎるとOBの本郷猛が言ってたなもう身体が出来上がってるて
けど高校出ると対応力にかけたり伸び悩む傾向あるとも
高校野球では金属打ちや力任せで圧倒できるけどプロではそれに頼って慣れるのが良くないのかもな
佐々木朗希も入団時は身体が弱かったけど段々対応してきたなまだまだ1年やるスタミナはなさそうだが 昔、江本のプロ野球が10倍おもしろくなる本を読んだ時、185センチ以上で200勝(だったかな?)したのは金田さんだけとか言ってたな
江本によると、昔は185以上あると体のバランスが悪くなるから良いピッチャーになりづらいとか
今は高身長の選手が多いからあまり当てはまらない理論かな
松坂が入った頃はそんな小さく思わなかったけど、今見たらピッチャーで180は少し小さいな これから高校野球も変わるだろう
2024年から低反発バットの導入でまた昔のようにスモールベースボールが復活するのかな? とりあえずメットの色規制取っ払って欲しい
女子高校野球は自由じゃん >>898
本郷なんていたか?
それと、句読点くらい打ってらどうだ?
50超えて、その程度の稚拙な書き込みしか出来ないとは、恥ずかしいぞ。 高校野球師匠チャンネル
1992年夏 福岡大会 決勝
西日本短大付 対 福岡工大付
(森尾 対 選抜出場校)
https://youtu.be/FrppaHp9LrU
(5分前に公開) 30:32 >>896
控えじゃないぞw
3番ライト 石川洋一 190p 過去の甲子園、と言ってもまだ2年前までだが、満員の観客席見たら遠い過去の、別世界の野球を見てるような感覚になる
西宮市在住だから、コロナ前までは毎年何日かは現地観戦して、後にそれが白球の記憶とかで流れると、あぁ、この時現地いたな、とか感慨に耽るのが常だったのに
近年は爆発的に高校野球の人気が高まって、徹夜しないと球場入れないほどだったけど、今となってはあの喧騒が非常に懐かしい >>898と>>903
本郷猛じゃなくて愛甲猛でしょ? >>898
本郷猛…迫るショッカー地獄の軍団♪
くそ~さっきから頭に、仮面ライダーのテーマソングが流れてく止まらん これで甲子園の異常な客入りも落ち着いてくれるといいね
昔の映像観ると満員の時のガラガラの時の差が激しいよな
夏でも第1試合なんかは空いてたし
やはり観に行きたい時にフラっと行って入れるというのが理想的だと思う これからは全席指定になるだろうから、行きたい時にふらっと入れるような状況になるかは疑問
あとコロナで高野連も赤字だろうから、チケット代も爆上がり
10年前とか中特でも1600円だった コロナで値上げしたわけではない。
内野自由席など、5年前くらいは1200円だったのが、あまりの盛況に2000円になった。
それと指定席は無理、試合間隔が30分で入れ替えは厳しい。
1日通しだと、かなりの機会損失が生じる。 これまで近くに住んでいた人は早いもの勝ちで有利だったけど、そのアドバンテージもなくなってしまったな
これからもバックネット裏、内野席は前売のみの全席指定で良いよ ラガーみたいなのが居るからネット裏は子供たちの指定席になってしまったな >>911
入れ替えは無理だろ
1日通しでの指定席化になるんじゃない?
コロナの影響で自由席というのは無いだろ
本来は早い者勝ちの自由席が望ましいが 全席指定でも途中退出者の席番チェックして窓口再販とか出来そうなものだけどな 1日通しての指定券だと、機会損失があまりに大きい。
社会人の都市対抗は、1試合ごとの入れ替えをやったみたいだが、試合間隔の短い
高校野球では無理。
自由席と、前売りの併売だろう。
その形で神宮大会では上手く行った。 1999夏第4日
・第1試合 新湊×小松
・第2試合 樟南×秋田
・第3試合 徳島商×北海
・第4試合 滝川二×東邦
注目試合は福沢(元中日)のいる滝川二と朝倉(元中日)、岡本(元阪神)を擁する東邦の試合。
かなりの人が第4試合を目当てにして来た。
しかし雨天にもかかわらず第4試合開始を遅らせ、
グダグダ中止を決めずに結局雨天順延。
直前までチケットを売っていたにもかかわらず、料金払い戻しはできず。
怒った客でパニックになった。 >>917
こうして見ると、99年ごろはまだ公立もがんばっていたね。
新湊、小松、秋田、徳島商。
今はどこも甲子園に出てくることさえ難しい。 >>917
滝川二-東邦は、翌日の4試合目になったよな。
翌日の1試合目でなく、4試合目に設定されたことで、高野連も柔軟になったなと思ったものだ。 >>915
途中退出したかどうかどうやって判別すんの?
第3試合とか第4試合が目当てでその試合から見に来る人もいるかもしれないのに 箕島全盛期1977年は選抜優勝
1978年は選抜出場校でホームラン数がダントツな程打撃のチームだったんだな
箕島全盛期は石井が抑えて勝つワンマンチームのイメージだったけど
1979年は選抜前から清原桑田PLとはいかないけど松坂横浜みたいな存在のチームだったのが想像できる 上の方でも書いていたが、
78年79年と82年選抜での箕島xPL戦は3試合とも最高の状態で全てを出し尽くした大熱戦だった。
夏にもこの両校の対戦を見てみたかった。
実現可能な年は78年83年84年か。どの年度も面白い試合になりそう。 強豪同士による3本勝負で有名なのは
1960夏 二回戦 法政二 4−0 浪商
1961春 準々決勝 法政二 3−1 浪商
1961夏 準決勝 浪商 4−2 法政二
1978春 準々決勝 箕島 2−0 PL学園
1979春 準決勝 箕島 4−3 PL学園
1982春 準々決勝 PL学園 1−0箕島
1998春 準決勝 横浜 3−2 PL学園
1998夏 準々決勝 横浜 9−7 PL学園
1999春 一回戦 PL学園 6−5 横浜
1998夏 準決勝 横浜 7−6 明徳義塾
2003春 二回戦 横浜 8−4 明徳義塾
2004夏 三回戦 横浜 7−5 明徳義塾 2012夏準決勝 大阪桐蔭4-0明徳義塾
2013夏3回戦 大阪桐蔭1-5明徳義塾
2014夏2回戦 大阪桐蔭5-3明徳義塾
これも追加で
史上唯一の3年連続対戦カード >>917
北海がこの後プチ低迷期に入ったよね
鍵谷の時に復活できてなければ今頃南北海道の勢力図だいぶ違ってたと思う >>921
1978選抜のときにホームラン数ダントツとは知らなかった。何試合で何本? >>925
そこは岸の意地のホームランだろ
甲子園の観客が珍しく明徳義塾に対し温かい拍手を送ったシーン 1982センバツの箕島はホームラン数がダントツでチーム打率も上位だった
たしか、4割バッターが6・7人いてピッチャーの上野山だけが極端に打率が低かったように記憶している 82センバツは個人では首位打者が北海の遠田で本塁打王が横浜商の荒井でともにプロ入り
個人的には華があってパワーもある高知商の森田に注目してたんだけど大学ではパッとしなかったね >>923-924
蔦さん曰く「4年に1回の定期戦」
1979年夏3回戦 池田5−2中京
1983年夏準々決勝 池田3−1中京
1987年夏2回戦 中京2−1池田
こうしてみると、当時の高知商の充実ぶりがわかる。
1978年夏決勝 PL3−2高知商
1983年夏準々決勝 PL10−9高知商
1985年夏準々決勝 PL6−3高知商
甲子園以外の対戦を含めると、こういうのもある。広商の3年生がリベンジのため、夏の大会後も練習を続けたエピソードはマニアには有名。
1982年夏決勝 池田12−2広島商
1982年国体決勝 広島商3−1池田
1983年夏3回戦 池田7−3広島商 これも有名な3本勝負だよね。取手二に連敗した桑田さんがわざわざ取手二高まで練習を見に行ったという逸話もこのスレのマニアならたぶんみんな知っているよね。
今思うと、高2で凄い行動力。
1984年招待試合 PL13−0取手二
1984年夏決勝 取手二8−4PL
1984年国体決勝 取手二5−4PL >>927
24試合で29本。
因みに、2位は印旛、浪商の16本。4位は吉備の11本。 俺の目の黒いうちに、大応援団が繰り出し、ブラバンが演奏を奏でる、そんな甲子園は
戻ってきそうにないな。 >>933
吉田にセックスのテクもレクチャーされたらしいな 横浜vs明徳は松坂、成瀬、涌井とプロでエースになる投手が相手だったのは明徳にとって不運だったな 松田監督や竹内監督の頃から対戦相手に恵まれてないね ソフトバンク 古谷優人が窃盗で自由契約に 同僚が被害訴え、球団が警察に相談で判明
12/24(金) 13:06 Yahoo!ニュース デイリースポーツ
ソフトバンクは24日、古谷優人投手の来季選手契約を締結せず保留権を放棄し、自由契約にすると発表した。所属選手からロッカー内での私物盗難被害の申し出があり、警察に相談して調査した結果、古谷が私物を窃取していたことが判明したという。
球団は本人を聴取したところ、事実関係を認めたため、「選手契約を締結し難い重要な事案である」として、来季契約しないことを通達したという。 球団はファンや関係者に謝罪したうえで、見回りなど施設防犯の強化、ロッカー内金庫の活用など再犯防止に努めるとした。
古谷は16年度ドラフト2位で加入した左腕投手。左の速球派として期待され、今季は13試合に登板し、プロ初勝利を挙げたばかりだった。
https://news.yahoo.co.jp/articles/06aad5ebbd636d87c60a89df629d78c53821e6da >>923
1970夏 PL2-0銚子商2回戦(2戦目)
1974夏 銚子商5-1PL2回戦(初戦)
1995春 銚子商10-7PL(11回)(1回戦) >>934
ありがとうございました。子供のときその大会から見始めたんだけど知りませんでした。 84年は箕島 PL戦が見たかったなぁ
箕島は嶋田、杉本の投手陣と打線も強力で箕島が勝ちそうな気がするけど、桑田を攻略するのも難しいかな。 1977年選抜は熊本工が天理と並んで優勝候補だった
林田投手は大会No.1左腕の前評判
1978年選抜は高松商がPLに次ぐ優勝候補だった >>944
投手が元気な初戦か2回戦辺りに当たってたら、箕島が勝ってたかもな。 >>945
うちで取っていた新聞だと秋の関東王者だった作新学院が早実と並んで東の
横綱で、その作新が初戦で天理と激突したので事実上の優勝戦か?と書かれていた。
当時はスラッガーだった鈴木康友のバックスクリーンへの大ホームランが出たことで
有名な試合でしたが。熊工の評判はその新聞では高くなかった。実際、大した
チームには見えなかったけど・・・。左腕で評判が高かったのは米子東の野口
で期待していたけど、初戦の県岐商戦を見るとストレートが棒球で打ち込まれて
いましたね。立大時代には野口はシーズン最多三振記録を更新したらしいけど
ドラフト1位で入った西武では0勝。凄いところを一度も見なかった好投手?として
野口のことを記憶しています。 >>945
>>947
サンデー毎日臨時増刊号「戦力採点表」総合点最高得点
<95点>
77年・・・土浦日大、早稲田実、天理、熊本工
78年・・・桐生、PL学園、高松商 >>934
吉備って岡本哲司のワンマンチームだったけどそんなにホームラン打ってたんだ
しかし、岡本もエースで甲子園に出た選手がキャッチャーでプロ入りとは驚いた
吉備(現有田中央)も部員集めにすら苦労しているようだが >>950
岡本は3番・武山と並んで、チーム最多の3本。
打点も、4番・岡本よりも他のチームメイトの方が挙げてるw 箕島全盛期の和歌山は、県内のあちこちに公立の強い学校があったな。
上で名前が挙がっている吉備のほか、新宮、南部、和歌山工、市和歌山商、大成、そして忘れちゃいけない御坊商工。
甲子園に出れば強い箕島がちょくちょく予選で取りこぼしていたものだ。 >>951
甲子園での吉備の対戦相手は県岐阜商とばかり思ってましたが、調べ直したら岐阜高校だったんですね
思い込みは怖い >>952
実際に全盛期の箕島に、夏の県大会で苦杯をなめさせなのは、星林、桐蔭、海南、田辺、
伊都、串本、吉備ら >>949
ゴング?だと
77年 熊本工が1番手で長崎海星、早実、天理、銚子商、智弁が優勝候補 和歌山といったら智弁和歌山出身の西川遥輝が楽天決まったけど
年俸が2億4000万→8500万にダウン 大田も1億3000万→5000万にダウン
結局ノンテンダーFAて戦力外と変わらないな
古谷も金満ソフトバンクで活躍すれば森になれた可能性もあったのにもったいないな 1983年夏のPLが池田を倒したジャイアントキリングは、弁慶が明訓を倒したような一戦だったね。
打倒明訓に燃える土佐丸、通天閣、甲府学院、赤城山などのライバル校が全国から集っていたのは、
中京、広島商、興南、横浜商、高知商、箕島などが揃って甲子園に出てきたのと似ている。
そしてそういう打倒池田に燃える有力校がことごとく潰し合ったり、池田の軍門に下ったりする中、
まったくノーマークの状態で池田を倒したPLはまさに弁慶。
義経と武蔵坊みたいな1年生もいたしね。 弁慶が土佐丸に勝った時点でノーマークは無かったやろ
犬神のフォークを武蔵坊がホームランしたの見て、一同びっくりしてたやろ 弁慶が土佐丸に勝った時点でノーマークは無かったやろ
犬神のフォークを武蔵坊がホームランしたの見て、一同びっくりしてたやろ そもそもPLはその年はノーマークだったけど、すでに甲子園優勝経験が複数回ある名門だったしな
無名校の弁慶と重ね合わせるのは違和感あるわ 正直ドカベンが面白かったのは2年夏の神奈川大会までであとは蛇足感ハンパない
大甲子園は面白かったけど >>957
ウチの息子にこの話をしても分かって貰えなかったあたりにものすごいジェネレーションギャップを感じた
「PL?前年にセンバツ連覇してたんでしょ?ネームバリュー考えれば別に番狂わせってほどでもないよね?」って >>939
はとこがロッテにいた古谷拓哉
こちらは駒大岩見沢時代に2回出場するも最後の夏は南北海道決勝で北海に暴投でサヨナラ負け(>>926)
数年後駒大岩見沢は北北海道に移ったので南大会を制することはなかった 盗っ人古谷が気になって
2016江陵時代の古谷をYouTubeで見返して見たら何かちょっとイマイチだな
当時は球速くていいなと思ったもんだが
この5年で更にジャンジャン出てくる逸材共を見続けてると
よく2位にハマったなぐらいの印象だわw
まだ北海の木村のがスピードは劣るがまとまって総合的には良く見えるわ
コイツも同じくソフバン入ったが順位は3位だわな >>966
結果的に160キロまで球速上がったから育成的には順調なんでないの?
国産速球派左腕育成できる球団なんて限られてるしSBで正解、のはずだっただけに本当勿体ない >>964
この3年の全国制覇校。当時を知らない世代には、「池田・PLの二強時代」のように見えるよね。
PLが池田に勝った衝撃は、当時ライブで高校野球を見ていないとわからないだろうね。
S56春PL 夏報徳
S57春PL 夏池田
S58春池田 夏PL >>944
その両校は毎年夏前に練習試合してたと山下さんがYouTubeで言ってたけどその年はどうだったんだろう。ちなみに東北高校が創立?周年記念で両校を招いて招待試合をして
東北8ー7箕島
東北4ー5PL
だったはず。東北は大魔神佐々木や葛西が二年生、三年生に中根他がいて力のあるチームだった。 >>971
わからない
PL中学出身谷本献悟監督「球道即人道」を説いていたらしい
中村順司氏に古谷を見てもらった事もあるんだとか 中京テレビスポーツチャンネル
【立浪監督が激白】PL学園同級生に明かした本音!なぜ「2軍監督」に片岡篤史を!?
https://youtu.be/ngClWMOsg7Q
(1時間前に公開) 08:57 77年センバツの優勝候補筆頭は天理だっただろ。鈴木康友、鈴木喜一らを揃えた大型打線と福家、山村、森藤の大型投手3本柱が揃いかつ
前年春夏甲子園に出たメンバーが5人もいて経験値も申し分なく死角が見当たらなかった。
中村の山沖もセンバツで一番印象に残った試合は天理戦だと言ってたしな。中村のメンバーは試合前に帰り支度をしてたらしいw 85年春の伊野商も、PLに勝ってしまったが帰り支度して臨んだみたいだな。 天理の鈴木康友。
あの長嶋さんが惚れ込んで、早稲田進学が決まっていたのを強引にドラフト指名したんだったか。
プロでは、守備の人になった。
あの広岡達朗に、目が死んでいると酷評されたいたのを思いだした。 鈴木康友と言えば作新学院戦でのバックスクリーンへの特大ホームラン。当時は最長不倒距離だった。
この試合は第一試合で当時センバツの中継はラジオだったんだけど、鈴木康友がホームランを打った瞬間
地鳴りのようなうなるような歓声がラジオから聞こえて来たのを今でも覚えている。当時の観客の度肝を抜くような打球だったんだろうな。 76年の熊本工って37年ぶりだったせいか、復活の過程が少年サンデーで漫画になった
記憶がある。床屋の待ち時間で読んだ。地区大会でエースの林田が素手でピッチャーライナーを
取るような場面があったけど本当にあったのか?漫画特有の誇張かも。
王さんの少年時代からを振り返った伝記みたいなビッグ1とか言う漫画も少年ジャンプで、
あの頃連載されていた記憶もある。王さんが早実入学時のエース大井とか主力打者の
醍醐と徳武とか宮井監督とか、見たこともない選手たちの名前が記憶に残ってしまった。
醍醐や宮井さんはここ2,3年で亡くなったようですがぁ。 子供の頃見たホームランで一番凄い辺りは、選抜決勝で原が打った本塁打。
大人になって、球場で見て凄いと思ったのが、中田が横浜戦で打った本塁打。
他には、岡山理大付属の森田が打った本塁打。 >>979
ライト方向へのホームランとなると、瀬間仲ノルベルトが放った特大ホームランが記憶に残ってる
ライト中段まで行ったと思うけど、あんま取り上げられることないな >>981
瀬間仲の一発は高校生の打球じゃなかったよね
打った瞬間本人も歩き出したもん 特大ホームランと言えば、やはり1985の高知商戦での清原の一発でしょ 中山から打ったというのもインパクトあるし >>984
たまに話題になるドカベンネタよりマシ、そんなもん漫画スレでやってくれや >>976
77選抜で大型遊撃手は鈴木康友と銚子商尾上が双璧だったな
まさか、数年後に優勝した箕島の小柄なトップバッター上川が中日で尾上を押しのけてセカンドのレギュラーを取り、移籍してきた鈴木康友にもレギュラー争いで勝つ未来を予測できた人はゼロだろう >>979
ベタだが早実・板倉のサードがジャンプしての弾丸ライナーホームラン >>982
ブラジル育ちらしいパフォーマンスだったね
後にも先にも、両手を広げながら歓喜の確信歩きした球児は瀬間仲くらいじゃないか PL同期4人組こと立浪、片岡、野村、橋本なら
一番バランス取れた人格まともなのは野村ってのはすぐ分かるわなw
橋本なんぞ外見からして既にヤベエしなw
まあそれは片岡にも言えるがよ
立浪も別の意味でヤバいと思うわ
あの妙に落ち着き払った尊大に見えさえする態度は若い頃からだし中身が生まれつき軽くキチガイ入ってないと出来ない業だわ
まあPLで地獄見て感情無くした面もあるかもだがよw
結論から言うとPL野球部OBなんてのは
一般社会視点なら触るな危険の奴ばっかって事だわなw 立浪て思いの外バカだわなアレ
発信発信の頭ばっかで地元メディアに要らん事までバンバン内情話しまくってるからなw
12年遊んでたから喜びまくってほぼ球団の言いなりだしな
しかし岩嵜なんて30超えた落ち目のジジイをよく取ったもんだわな
もうろくしたもんだわコイツもな >>988
上川と鈴木康友は二遊間コンビを組んでた
83年から上川がセカンドのレギュラーで宇野と二遊間を組んでいたが
モッカ退団で86年宇野をサードへコンバート、空いたショートに鈴木康友を取った
ただし宇野のまさかの大不振と落合獲得に伴う上川トレードで上川と鈴木康友の二遊間は一年のみ
87年は仁村と宇野が主に二遊間(一塁ゲーリー三塁落合が多かった) 次スレはワッチョイなしか。ワッチョイなしだと荒らされるな。
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