【萩尾望都】大泉スレPart62【竹宮惠子】
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萩尾望都・竹宮惠子・増山法恵
この三人を中心とした大泉時代のあれこれについて語りましょう
■参考文献
一度きりの大泉の話(萩尾望都)2021年4月発行
少年の名はジルベール(竹宮惠子)2016年1月発行
■テンプレまとめサイト
https://mototemplate.memo.wiki/
■参考ブログ
【村田順子ブログ魚拓】2021年04月26日
https://web.archive....95af772196a69e49a61b
【竹宮恵子マネージャーブログ(魚拓)】2021年05月25日
https://archive.is/VTNN0
■関連スレ>>2
■次スレ>>950踏んだ人(もしくはその前後でも)立ててください
■前スレ
【萩尾望都】大泉スレPart61【竹宮惠子】
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/gcomic/1643964923/
■過去スレ
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https://5ch.search2ch.info >>602
あっ!それだ!!
お願いできたらいいね >>604
ごめん。途中であげちゃった。
3巻(1)つまり、1972年1月号あたりが欠1になっている。
前から言われている欠本の可能性が高い。
3(2)-3(4) 19720100-19720300(増刊共/欠1)
東京本館:雑誌カウンター(新館) 書庫
1200404633591 1972年1月あそび玉のカットが表紙にあるものは
高橋亮子さんのところではお持ちみたいですね
https://www.shiryoukan.org/libinfo/liblist/bsc/ 週刊少女フレンドは1963年創刊だけど、国会図書館データベースで
1964年の週刊少女フレンドを検索したら、2号分の合本らしいもの
1冊しかヒットしなかったので、こちらも国会図書館で見つからないかもしれません。
https://iss.ndl.go.jp/sp/show/R100000039-I000089214-00?lat=&lng= 「あそび玉」初出の1972年別冊少女コミック1月号は
去年から何度も話題になってるけど
米沢嘉博記念図書館には置いてある
ただ、書庫に置いてあるからここは最低でも2200円払う必要があるけどね
国会図書館には>>605で書かれているように「欠1」という表示になっていて
実際に私が国会図書館で調べたときも、やはり1月号だけなかった
ただ、「テラ」のルビがふってないかもしれないって主張したのはプリンパイさんただ一人で
他の人は誰もそんなこと思ってなかったよ
もしそんな事実があったら、ド・マニアたちが黙ってないだろうと思っていたので
私もそれはないだろうと思ってた >>608
いや、あるでしょ
1964年分は全部揃ってる >>609
調べ方が悪いかもだが、米澤嘉博図書館の蔵書データベースでは
別冊少女コミック、1972で検索すると、1972年10月の別冊少女コミック増刊ちゃお
しか出てこない。 >>610
まあ実際に行ってみないとわからなかったりするけどね。 >>611
調べ方が悪いと思う
年度で絞り込んでみて >>610
フレンド、1964をスマホで検索すると一つだけヒットして、後の号は関連情報
になるのね。
わかりにくかった。
ちょっと目次を見てみる。 ピアの肖像が載っていた号は64年36号みたい。
https://iss.ndl.go.jp/sp/show/R100000039-I000696060-00?lat=&lng=
タイトル: 週刊少女フレンド
出版地: 東京
出版社: 講談社
出版年月日等: 1964-08
大きさ、容量等: 冊 ; 26cm
注記: 本タイトル等は最新号による
注記: 刊行頻度, 大きさの変更あり
JP番号: 00010842
DOI: 10.11501/1830138
巻次: 2(36)(87)
別タイトル: 少女フレンド
製作者: 国立国会図書館
出版年(W3CDTF): 1964-08
製作日: 2011-03-31
NDLC: ZY4 >>615
すっごい!
これでアップ人さんにお願い出きるかな
ワクワク 新人賞の案内は目次として拾われてないかも。
まつざきあけみさんのブログによると、1964年35号にも
里中さんの紹介記事「16歳のまんが家誕生
まんがもいちばん、勉強もいちばん」が掲載されていたようです。
https://matsuzakiakemi.seesaa.net/article/a11961883.html https://iss.ndl.go.jp/sp/show/R100000039-I000181204-00?lat=&lng=
35号の書誌情報
タイトル: 週刊少女フレンド
出版地: 東京
出版社: 講談社
出版年月日等: 1964-08
大きさ、容量等: 冊 ; 26cm
注記: 本タイトル等は最新号による
注記: 刊行頻度, 大きさの変更あり
JP番号: 00010842
DOI: 10.11501/1830137
巻次: 2(35)(86)
別タイトル: 少女フレンド
製作者: 国立国会図書館
出版年(W3CDTF): 1964-08
製作日: 2011-03-31
NDLC: ZY4 まつざきあけみさんのブログを見たら、漫画賞の結果発表は33号だったようです。
https://matsuzakiakemi.seesaa.net/article/a11922676.html
このスレで何度か貼られていた記事はマガジンだったらしく、
少しレイアウトが違います。情報は同じ。
https://i.imgur.com/JD7toUd.jpg 33号の書誌情報。
国会図書館に請求する際に便利。
やはり件名に賞の記事は拾われていなかったので、まつざきさんに感謝。
https://iss.ndl.go.jp/sp/show/R100000039-I000156476-00?lat=&lng=
タイトル: 週刊少女フレンド
出版地: 東京
出版社: 講談社
出版年月日等: 1964-08
大きさ、容量等: 冊 ; 26cm
注記: 本タイトル等は最新号による
注記: 刊行頻度, 大きさの変更あり
JP番号: 00010842
DOI: 10.11501/1830135
巻次: 2(33)(84)
別タイトル: 少女フレンド
製作者: 国立国会図書館
出版年(W3CDTF): 1964-08
製作日: 2011-03-31
NDLC: ZY4
資料の種別: 雑誌 ご本人が確認するのは言い方が悪いけど簡単だと思う
でも「なかった」といっても納得しなそうな方がいるのはなんとも…
「ある」のは「ある」ページ1枚UPすればすむけれど「ない」のは全ページもれなくUPして「ない」ことを確認しないとならない
作品の柱部分に載ってたはずだと主張してくるかもしれない
アップ人さんにあまりご負担をおかけしたくないのも本音 米澤嘉博記念図書館も絞ったら出てきた。あるね。
別冊少女コミック , 1972/01/01 12009040312
書庫4C04
1年/1ヶ月会員のみ請求可 利用可 最終審査に残った記事以外の名前が載っているかは33号だけ確認で
良いと思う。
小さい記事だけど、賞金の送付時期まで書いてあるから、
載せるべき情報は足りていそう。
他に名前を載せるなら、○○ページに掲載とかガイドすると思う。
35号の記事は入選作掲載前に、丁寧にプロモーションしていたことが
わかり、講談社の力の入れようが感じられる。
他の媒体でも取り上げられたという話も読んだことがあるし。
漫画家志望者は意識しただろうと思う。 >>118でも里中さんを『少女フレンド』の新人賞と言っているんだから
同じ賞で名前だけ載ったと言うなら少女フレンドに載ったという話でなければ変ですもんね >>622
でも人の発言を「嘘だ」と主張する以上は面倒でも「ない」ことを完全に証明する必要がありますよね
その覚悟がないなら無闇に疑義を唱えるべきではないと思います 竹宮さんは入選まであと一息で、名前だけ載ったといってるんだから
そう認められるような載りかたしてないとね >>620
よく分からないのですが、33号というのはなぜ分かったのでしょう >>620
教えて頂いて有難うございます
いま、楽しく読んでいます
教えて頂いたブログの日付は2014年09月02日ですが、
2014年08月19日にも漫画賞の告知が載っていて参考になります
『少年少女漫画作品 懸賞募集のおしらせ』
https://matsuzakiakemi.seesaa.net/article/a11861387.html
以下引用
「これまでは漫画家としてデビューするには
@漫画家の弟子になって修業を積む
A直接出版社に持ち込む
が、一般的でしたが、この漫画賞をきっかけに各雑誌も“懸賞募集” で新人漫画家を募ることになります。
この漫画賞で里中満智子さんがデビューするのですが、あらためて読み返して気が付きました。
“第一回”とは銘打っていなかったんですね。
今までずーっと、里中さんは“第一回漫画賞でデビュー”と思っていたのですが、正しくは“第一回目の漫画賞でデビュー”だったんです\(◎o◎)/!
まぁ、便宜上“第一回”で良いんでしょうけど(^_^;)
発表は29号とありますが、選考が長引いて33号になります。」 講談社漫画賞を検索していて出てきたおまけ。
朝日新聞連載インタビューシリーズ人生の贈りものの里中さんの回(2019年2月)。
有料記事なのでURLは貼りませんが、四誌合同漫画賞の前、
中2の時からあちこちの編集部に原稿を送っていたこと、
「連載をしている漫画家の先生にファンレターも送りました。中でも、
水野英子先生からは、ていねいなお返事をいただいて……。
うれしかったのを覚えています。」
というくだりがありました。 >>630
自己レスですが、懸賞募集のおしらせを読むと
https://matsuzakiakemi.up.seesaa.net/image/_res_blog-32-ae_tamatyannanatyan_folder_477614_87_11861387_img_11.jpg
「応募原稿は原則として返却しません。へ客を希望されるかたは、その旨を明記して、返送料を同封のこと」
と書かれています
竹宮さんは返却をご希望されたのでしょうか
で、「入賞作品の著作権は、講談社に帰属するものとします」とありますが、「水鳥」は入選したわけじゃなかったから、返却後、同人誌には送ったということでOKでしょうかね? 再掲します。(画像なしですみません)
436花と名無しさん2022/02/02(水) 09:39:07.38ID:OuVLsokX0
青池さんのデビュー当時の話は、プリンセスゴールド1979年5月25号にイラスト入りで載っています
(再録は「青池保子 華麗なる原画の世界」2014年秋田書店 154P)
「中2の時に水野先生にみてもらおうと送った原稿がりぼん編集長の目にとまり
増刊号に15ページで描いてみないかと言われ、中3の秋に「さよならナネット」でデビュー。
(不完全作品で恥ずかしい。デビュー作といってもまた習作時代)
欄外に載った住所宛に第1回講談社新人まんが賞の応募要項が送られてきて、
「ミミの星」24ページを描いて応募。入賞は里中満智子さん。
最終審査に残っただけでしたが、少女フレンドの人から「描いてみませんか」とすすめられ、
高校1年の冬、「ローラのほほえみ」24ページで本格デビュー」(要旨)
(再掲終了) >>631
分かります
あの頃、少女漫画を目指す少女たちはみんな水野英子先生を師と崇めていたと思います
墨汁一滴が石ノ森章太郎先生、墨汁二滴は水野英子先生
なのに竹宮さんは当初、水野先生を尊敬していたということをあまり言いませんでしたよね
石ノ森先生一筋という感じで
今になって何?って感じなんですが 里中さんは「ピアの肖像」だけでなく、「ナイルの夕陽」という作品も
応募していたそう。
そちらの方が自信があったのに、ピアが選ばれた理由を編集部に聞いたら、
絵が雑と指摘されたとか。
ナイルの夕陽は締切ぎりぎりに仕上げ、追加応募したので。
ただ短期間に2作仕上げ、水準以上のストーリーだったことは
入選の決め手になったかもしれないと思います。
それとタイトルからして、古代エジプト絡みっぽいです。
里中さんの古代史好きはデビュー以前からなんですね。 >>633
やはり青池さんも水野先生をお慕いしていらしたんですよね
当然だと思います >>636
青池さんと水野さんは同郷でもあり、水野さんが帰郷された際に
訪問していますから、つながりは更に強いと思います。 >>637
そうなんですか
素敵ですね!
>>635
エジプトものだと、「海のオーロラ」を思い出します
ほんと、面白かった 里中さんも青池さんも、中学生の時から投稿していたことと、
水野先生から声をかけていただいたことがあるのが共通項のようですね。
私の手元にあるのは再録された「華麗なる原画の世界」なのですが、
いつか初出のプリンセスゴールドを確認しようと思います 石ノ森先生一筋でプロを目指したきっかけに毎度のようにマンガ家入門をあげてきて
それなのにこの賞に応募した話のときはこの本を読んだのが応募の前か後か曖昧に話してるからなあ
年齢の差ではなく「まだ私のバイブルと言えるマンガ家入門に出会う前だったので
(意識の差で)合格できなかったんです」みたいに話せば疑いはなかった >>634
墨汁二滴は西谷さん、志賀さんが描いていたことが有名ですが、
水野さんがかかわっていたの?
なお西谷さんのデビュー作は墨汁三滴出身のすがやみつるさんによると、
https://note.com/msugaya/n/nf59c28175c4b
>>高校在学中に「墨汁二滴」に掲載した作品が「少女クラブ」(講談社)
に掲載されてデビューを果たします」
ついでに西谷さんはデビュー前に石ノ森さんの原稿丸ごとペン入れしてる。
>>石ノ森先生は、トキワ荘在住時代に3ヶ月の世界一周旅行に出かけ
ましたが、出発前に完成させることになっていた「少女」連載の
SFマンガ『ミュータント・サブ』最終回の原稿が、締切に間に
合わなくなりました。
困った石ノ森先生は、下絵だけ入った原稿を高知に住んでいた
西谷さんに送って、ペン入れから仕上げまでをまかせ、
羽田空港から飛び立ちました。当然、原稿はおまかせになります。
西谷さんは、それほど信頼された存在だったのです。
トキワ荘時代の石ノ森さんが光文社発行の少女にSF描いてるし。 大昔叔母が中学生の頃漫画賞に応募したら見事落選したんだけれど記念の景品が送られて来て簡単な講評と「あともう一歩でした。これからも頑張って下さいね」という審査員の先生からの直筆メッセージも付いていたらしい(今思うとバイトの手書きかもしれないけどw)
竹宮さんも雑誌に名前が載ったって言わなければよかったのに… >>636
青池さんは「地方の田舎の中学生が早いデビューの機会に恵まれたのは、
同郷出身に水野英子先生という偉大な少女漫画家がいてくださった、幸運によるものだった」
(「「エロイカより愛をこめて」の創りかた」102p)と感謝しています。
中1の夏休み、初めて会った時の先生は、質問に答えたうえで、
「目の前で仕事机に向かい、模造紙に墨汁とペンでサラサラと、
ヒロインのアップとロングの絵を描いてくださった」
「中学生には身に余る光栄。今から考えても夢のような出来事」
「惜しげもなくプロの実技を披露された先生は、その当時20代前半。
「偉大な作家は懐の深さが違うのだと思」ったそうです。(要旨)
水野先生は、作品のみならず少女漫画界に偉大な貢献をなさったお一人と尊敬します >>642
厳密に言えば、デビュー作「ふたごの天使」の少女クラブ掲載が1961、
少女のミュータントサブ最終回が1962だからデビュー後。
でも高卒後、漫画で食べられなかったことも考え、美容師資格も取って
上京して本格デビューだそうなので。
この経緯を見ると、石ノ森さんの女性の弟子1号ってどう見ても西谷さん
だよね。(水野さんは合作もした同僚)
竹宮さんは勝手に女性弟子1号を名のって、都合が良い時だけ
西谷さんの引きがあったという。
西谷さんにも「墨汁二滴の思い出」「石ノ森さんとの関わり」
「岡田史子さんとの関わり」をお聞きしたい。
河出で西谷本を出さないかなあ。 >>615
それって漫画賞の結果発表の号なんでしょうか? 青池さんは「少年少女漫画賞」
里中さんと竹宮さんは「講談社漫画新人賞」又は「講談社新人賞」
と表記してるのが興味深い >>646
615さんではありませんが
・受賞者発表…1964年33号 書肆情報は >>621
・里中さんの紹介記事…35号 書肆情報は >>619
・入選作「ピアの肖像」掲載…36号 書肆情報は >>615
のようです >>642
すごいエピソードだなぁ…紹介ありがとうございました
西谷さんのウィキによれば、学園マンガの開拓者と見られて本人も自認してるとのこと
またファンタジー、大河ロマン、SFから心理ものまで野心的なテーマも多かった
萩尾さんも、ご自分のデビュー前に少女誌で自己実現を行っていたのは西谷さんぐらいと語っている
米沢嘉博さん「戦後少女マンガ史」によれば、ジャンルを広げるエポックメーキングな作品を多数発表した方だそう
石ノ森さんにペン入れから仕上げまで一任されるというのは凄い
水野さんのアシスタントをしていらした事もある
また、岡田史子さんは西谷さんのファンで、デビュー前に西谷さんのアシスタントをしていたとか
>週刊誌で2本の作品を連載してそれをヒットさせ、月刊誌で自分の好きな作品を描くという状態が続いた。
>月300枚以上の執筆をこなし、多忙を極めると1か月は風呂にも入れなかった
ともある
西谷さんって世代じゃなくて詳しく知らなかったけど、水野さんに引き続き少女マンガを開拓した
それこそレジェンドと言えるような存在のマンガ家なんだね >>646
下のレスを読めばわかりますが、発表は33号、里中さんの紹介記事が35号、
ピアの肖像の掲載が36号です。 >>650
648さんがまとめてくださっていましたね。
ありがとうございます。 かなり前の紀伊國屋の座談会にいったことあるけど
竹宮先生も水野先生も懐かしく語り
水野先生を尊敬してる感じだったけど
不確かでソースがなくてごめん >>652
リンク張れ画像載せろって言われちゃうね
自分もそれで書き込めないネタ結構あるよ >>653
証拠画像や音源があればいいけど
わたなべまさこ先生との座談会なんかも
ちょっとプライベート挟むから
ここの検証には向かず
なにか残ってればいいと思うけど難しいね 岡田さんは北海道からCOM掲載後に上京している。
でもCOMは原稿料が安く、それだけで生活できないから、紙問屋の事務職を虫プロから紹介された。
その意味ではプロなのか、どこがデビューなのか難しい。
太陽と骸骨のような少年をデビューと見るなら、デビュー後に西谷さんのアシをしている。
岡田さんが90年代に出した作品集あたりに書いていたと思うけど、岡田さんと西谷さんは里中さんの作品が嫌いという点では一致していたそう。 そういえば萩尾さんは個別に水野さんと対談はしているけど、
1 河出の最近の水野ムック
2 ちょっと前の水野画集
3 2002年の講談社漫画文庫水野本7冊
http://www.toshonoie.net/shojo/05_list/mizuno-bunko.html
のいずれにも寄稿してないんだよね。
文庫には74人↑も寄稿しているし、萩尾さんは気さくに描く人なのに。
2と3には竹宮さんが寄稿しているから排他的独占領域に配慮したのかも。
河出は大泉本の版元だから3で竹宮さん
に依頼がなかったのはわかる。 >>655
西谷さんと里中さんの作品一覧があるサイトを貼ろうとしたら、エラーになる。
西谷さんは西谷祥子、作品一覧で検索したら出てくる。
里中さんは里中さんのブログのプロフィールというカテゴリにある。
里中さんは初期はドタバタラブコメや、学年誌女性週刊誌にはそこで受けそうな話を描いていた。
独自色が出てくるのは1970年の「わが愛の記録」などの戦争もの、
「恋はバキュームカーにのって」あたりからかな。
一方で西谷さんは里中さんよりも年上で、本格デビューは美容師資格という
保険も確保してから。
1967には多重人格ものの「ジェシカの世界」、男子校ものの「学生たちの道」
というエポックメーキングな作品を描いているから、
岡田さんがアシスタントをしていた60年代末ころはマスコミ注目度が高い
里中さんにライバル意識があったかも。 >>656
ごめん。
河出は大泉本の版元だから1で竹宮さんに依頼がなかったのはわかるだった。 「24年組前史」を探る時に資料を集める壁が高くなるのは何なのだろう
電子の速さで動いてるはずの世界で血管を詰まらせたように思考が麻痺するのはどうしたわけだ
次に漫画の歴史に興味を持った世代が現れた時には資料が消えてなくなっているのではと危機感が湧いてくるな 思うに古い資料を国会図書館に献本するシステムなんてないのだろうか
この国で知識のアーカイブを作る実力を備えているのはまず公の機関だと思い付くのだけど
物理的な文献が溢れてるはずの20世紀の記録すら捕まえきれないことにいまさらながら愕然とする 西谷祥子さんというと、セブンティーンという雑誌(マンガ以外の記事も掲載していた)で
奈々子という主人公が出てくるマンガ「花びら日記」「奈々子の青春」の青春 と
亜子と竹也くんのカップルを中心にしたマンガ「お元気ですか」を連載していましたね
リアタイ読者でした
絵では、普通なら、目の中に丸いキラキラを描くのがメジャーでしたが
西谷さんは四角いキラキラだったのが印象的でした
少女コミックの上原きみ子さんがその四角いキラキラの継承者でしょうか 西谷さんの文庫ででた「ジェシカの世界」にたしか墨汁2滴の時代の話が載ってたと思う。
ごめんなさい現物は持ってないんだけど、当時の会誌のマンガが載ってたと思う
石ノ森先生を中心に和気あいあいとした会だったようだ。
読んだ当時一番だのなんだの考えたことは無かったけど、今にして思うと竹宮さんよりずっと弟子っぽい。 ケーコタンの自称友人、仲間、子弟関係は相手側との認識に大きな乖離があるのが特長
人間関係全般に勘助っぽい
増山さん以外は 石ノ森「女の一番弟子、それも優等生と自称していると人伝手に聞いた」 >>644
青池さんと水野先生の画風、そういえば似てる気がする
おふたりとも骨格筋肉がしっかりしてる男性像を描かれますね 人の作品読まない石森氏にわざわざ自分の作品ファイルして見せに来たらしいから
「先生の初期の作品のムードを持ってると( 人に)言われるんです」って
「私は石森学校の優等生」とも自称してたらしい
自己肯定感高いんだな >>666
自己レス
上記【西谷祥子ファン私設サイト】第40回SF大会「西谷祥子先生に聞く」から抜粋、の続きです
ただし、少女漫画にもアンケートはあり「一定の人気を保ってトップを取らなくてはダメ」「トップを取ればセブンティーンや読みきりで好きにさせてあげる」と言われていた。
そこで週刊誌は学園物、ロマコメに当てた。
自分の中では女の子の視野の狭さが嫌でもっと違うジャンルを、と読みきりやセブンティーンで実験していた。 >>652
でも最初にそれを言い始めたのは竹宮サイドだからね
萩尾さんがこう言ってたああ言ってたに対し、クレクレが凄かった この大泉スレで、萩尾さんの評価云々よりも(彼女は元々評価されてる)
それ以前の先輩少女漫画家の方々が、少女マンガで描写できる世界を
多様性のある世界にするよう努力を重ねていた事が資料で明らかになるのが
とても嬉しいですね
少女時代は志賀公江さんのファンでした 萩尾・青池・里中さんたちがデビューした頃の講談社の少女漫画編集部は
他社より保守的で、縛りが強かったように思う。
「おもしろくてためになる」が社の創業方針。
若い女性漫画家に対する口出しは他社より多かったのではないか。
高階良子さんが今描いている漫画には、(フィクションも含まれていると思うが)
当時の雰囲気の一部がうかがわれる。
講談社でデビューしたものの、専属で10年間苦労した青池さんは、
フリーになってから「イブの息子たち」や「エロイカ」など、魅力全開の作品を描いたし
萩尾さんも小学館に移ってから本領発揮。
里中さんは、講談社で描き続ける中でまた別の葛藤もあったのでは、と、ふと思った >>665
青池さんのご実家は建築業で、幼い頃から筋肉りゅうりゅうの男性が身近だったそうです。
ずっと男を描きたかったと。木原さんいわく「萩尾さんは少年好き、青池さんは青年好き」 自分が「なかよし」から漫画に入ったせいか、里中満智子は小学生の頃好きな漫画家の一人だった
途中で萩尾さんファンにもなったけど、早々に離脱
でも、里中さんの漫画はなんだかんだと読み続けてた、「天上の虹」も最後まで読んだ
泥臭く理屈っぽいところが好みが分かれるのかな、ギャグは好みが分かれそう、私もあまり好きじゃない
「あすなろ坂」なんて老成した話なのに、1977年連載なんだね
こんなこと言ったら失礼だけど、きちんと年相応(以上かな)に精神的に成長してきた人だと思う
講談社でやりにくかったのかな?でも他の出版社に向いてた人だとも思えない >>672
青池さんと仲良しの大和さんも講談社看板作家という感じだけど、青池さんや山岸さんとの鼎談目当てに買ったムック本でも講談社の雰囲気が伝わってきた
里中さんは、個人的で申し訳ないがまず絵が好みでない
ご本人がシュッとした美人で驚いた >>669
いつもありがとうございます
西谷祥子さんのお話は貴重ですね >>669
ありがとうございます
ためになります
70年代当時を知っている世代だけど
好きな漫画は繰り返し何度も読んでしまうので
あれもこれもと読む範囲を広げられなくて
西谷さんや里中さんはあまり読んでいませんでした
そして中高生くらいには読まない理由に
ほんの少し酸っぱい葡萄的な感情もありました
今、冷静に思えばなのですが…
男も少女漫画も読むべき、みたいな流行のときに24年組が取り上げられがちで
それ以外に対して酸っぱい葡萄してた男性もいたのかもなあと思いました >>677
うーん 酸っぱい葡萄云々のせいかどうかはわかりませんが、それより後の
「ソニーの研究所に山積みされてるのは、白泉社の少女漫画誌誌ばかり」の
時代も知っているので、「少年/青年漫画で育って来た男性にとって入りやすいのは…」
という基準からでしょうね >>675
ムック本、河出の総特集大和和紀、面白いですよね。
大和さんの最初の連載スタートが前倒しになってピンチの時に、
漫画家として先輩の青池さんが手伝いにきてくれた、とか。
特別寄稿の萩尾さんは大和さんのデビュー作
「どろぼう天使」を「めちゃかわいかった」
「はいからさんが通る」を「少女漫画の王道一直線」とほめています
大和さん自身は、当時、萩尾さん達が芸術性が高く、抒情性豊かな作品を描いていることが
うらやましく、悶々とした末に、自分がめざすのは
「良質なエンターテイメントを一般の読者に贈ること」と気付いたとか。
その先に「はいからさん」や「あさきゆめみし」があるのですよね 里中さんは、河出の総特集萩尾本の特別寄稿「ある日のできごと」で、萩尾さんに
「シャープな画面、クールな構成にあこがれる、マネすらできない」と言った時に
「私はあなたのデビュー作を見た時、ネームだけにたよらず、表情で心情を表現できるんだ
ならばマンガを真剣に描くのはおもしろいと気付いたのよ」と返されて驚き
「きっと私がいじけているからはげまそうと思ってくれて…
そうにちがいないけど でも何だかやけにうれしい」
と思ったそうです。
里中さんの複雑な心中の一端が窺えるようにも思います >>680
里中さんの自画像のボロボロ感も印象深い
美人美人言われて逆にコンプレックスなのかなと思った >>681
そうですね。最盛期は月産400ページ、机に突っ伏して寝ていた里中さん、
実際にボロボロの時もあったと思います。今なら過労死案件…
その中での「美人」呼びに反発もおありだったかもしれませんね >>669
ありがとうございます
西谷先生は少女漫画の可能性を拓いた先達のお一人
再評価されることを期待しています >>682
ボロボロもだけど本人を知ってたらびっくりするくらい美化なさらないどころかブサイクに描いてたのが印象深くてですね…笑 >>678
白泉社といえば和田慎二さんも柴田昌弘さんも美内すずえさんもマーガレットから来たんですよね
長期連載ではなかったけれど山田ミネコさんも
その時代の白泉社が男性にも読みやすいのはわかる
個人的には貸してくれる人がいるかいないかもあって少女フレンド系はあまり読んでなかった
大和和紀さんはそれでも自分でコミックス買ったりはあったなあ 里中満智子さんは本当に美しいよね
作品は何でかむしろ嫌いでひとつも合わなかったけど >>684
なんせ「狩人の星座」では
里中満痴子のサイン会まで垂れ幕で出してましたから
マンガは真面目な内容やのに。 西谷祥子さんのマンガは電書で2作品しか出ていない
今後に期待
水野英子さんのマンガは電書で12作品出ている
各作家さんのマンガをとりあえず2作品購入してみました
竹宮惠子さんよりもよっぽどデッサン力に優れ、動きも伸びやかで、わざとらしい驚きのパフォーマンスもなく、素直に読める
とても面白かった
もっともっと読みたくなりました >>685
白泉社は、別マを150万部まで伸ばしたといわれる名編集者、
目利きの小長井さんが創立から関わっていますから、
個性ある漫画家さんがのびのび描ける素地があったように思います。
木原さんも、小長井さんの声かけでララで「摩利と新吾」を始めていますよね
>>689
おお!それは嬉しいです! 小長井さんの書いた「わたしの少女まんが史」は面白かった
図書館で借りて読んだのでよく覚えてないんだけど
尼のレビューだと小学館より講談社をライバル視してたみたいね
あの頃のLaLaは本当に面白かったな >>691
その本、今度、読んでみます。
ところで、こちらのスレで教えていただいた「少女漫画家の「家」の履歴書」
(文春新書) の予約本が届きました。
前書きの中で大泉本、ジル本に触れられているように
いろいろな形で1970年代の少女漫画を見直し、再評価して
「歴史の解像度を高めていく」作業が進むのは、往時のファンの一人として嬉しい
より慎重に、とは自戒をこめて >>691
そりゃ集英社は小学館の子会社だもん、ライバルは講談社だけでしょう >>693
そういうわかりやすい話じゃなかったと思う
私ももう一度読み返してみようかな >>686
ミスターレディーだけ好きだった
後で読んだ他の作品が全然コメディじゃなくてガッカリした思い出 >>691
その本は読んでいないけれど、山田ミネコさんが何かにつけて「小長井さん」と書いてたのは
きっと小長井さんのお陰でのびのびと描きたいものが描けるようになったからなんでしょうね
彼女の可愛らしい絵が大好きで、彼女の描くSFも好きでした ここでは、というか全般話題になったことがないけど私は丘けい子さんが大好きだったな >>697
知ってますよ 丘けい子さんの作品群
わりと、アクションっぽいというか冒険活劇っぽい作品を描いてらっしゃいましたよね
コミックスは持っていませんが、学校で掲載誌を回し読みしていて、カッコいい作品を
描く人だな と感じたのを覚えています >>697
掲載されていたのを読んだのは「カリブの女海賊」と「挑戦」ですね
内容はもう覚えていません >>698
色々なジャンルを描いた人でしたね
覚えているのは冤罪で母親を殺人犯にされたヒロインのサスペンスものとか赤ちゃんを産院で取り違えられた2組の家族の葛藤とか、教え子を臨海学校で死なせてしまい逮捕された教師の苦しみとか、フランス宮廷を舞台にした両親を有力貴族に殺された兄妹の復讐譚とか、スパイとして訓練を受けて殺人を経験する情報部員の話とか >>700
そうですね
うろ覚えだった既読作品の正確なタイトルを調べるために検索したのですが、
あータイトルだけなら他にも聞いたことあったなあ と >>696
山田ミネコさんのアシで、デビューをめざしていた頃の話を
酒井美羽さんがいま、描いていますね(少女まんが戦記 師匠は山田ミネコ)
「マンガは印象に残る1コマが描ければ成功」とか
「感覚を技術に置き換えること」など、深いなあ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています