【萩尾望都】大泉スレPart60【竹宮惠子】
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
萩尾望都・竹宮惠子・増山法恵
この三人を中心とした大泉時代のあれこれについて語りましょう
■参考文献
一度きりの大泉の話(萩尾望都)2021年4月発行
少年の名はジルベール(竹宮惠子)2016年1月発行
■テンプレまとめサイト
https://mototemplate.memo.wiki/
■参考ブログ
【村田順子ブログ魚拓】2021年04月26日
https://web.archive....95af772196a69e49a61b
【竹宮恵子マネージャーブログ(魚拓)】2021年05月25日
https://archive.is/VTNN0
■関連スレ>>2
■次スレ>>950踏んだ人(もしくはその前後でも)立ててください
■前スレ
【萩尾望都】大泉スレPart59【竹宮惠子】
https://medaka.2ch.net/test/read.cgi/gcomic/1642886539/
■過去スレ
https://mototemplate.memo.wiki/d/%a1%da%b2%e1%b5%ee%a5%b9%a5%ec%a1%db
■ 5ちゃんねる全文検索
5ch(旧2ch)掲示板のスレッドやレスを無料で全文検索できるサービスです。
DAT落ちや1000レスに到達したスレッド・過去ログ、画像も検索可能です。
https://5ch.search2ch.info >>338
す、すみません、些細なことですが
「爆弾会社」ではなく「爆発会社」です。
あと、1974年の『ユニコーンの夢』も美しいSF >>379
この頃は選外で名前が載ることはなかったのかな >>379
あ、もう一息って言ってるのか
里中さんが掲載された号に投稿したとか善意に取ろうと思ったけれど
この書き方だと応募したのが同じ回に投稿してる書き方よね
また記憶が都合よく捻じ曲げられてる? >>379
貴重な画像をありがとうございます。
里中さんが受賞した時、最終選考に残って名前が載ったのは青池保子さんだったのですね >>372
ここの一部住人は萩尾批判に対して何故か「竹宮信者」「話題そらし」とヒステリーを起こしてまともに相手の言い分を理解しようとしないきらいがあるよね >>379
また萩尾さんの名前出してるね どんだけ意識してんのよ この頃の萩尾さんはー っていちいち挟み込んでさ
最初に短編たくさん描いてた頃、この時すでに風と木の詩を描きたいと思ってた、でも自信なくて出来なかったってのもまた記憶が前倒しされてない? >>379
「マンガを小説ジュニアに載せること自体初めての試みでしたから。」と言ってるけど
創刊号にわたなべまさこさんの「LOVELOVEミリオン!!」 が創刊号に載ってるっぽいけどマンガじゃないのかな?
https://www.kosho.or.jp/products/detail.php?product_id=179928193
あとわたなべまさこさんは1971年週刊ジャンプに「はしれ!太郎」を載せてらっしゃるね
https://order.mandarake.co.jp/order/detailPage/item?itemCode=1086174413&deviceId=1 >>385
>>376が正論すぎて返せなくなったのか
結局ここのスレ民はこういう人たち、だから理解してもらえない、というレッテル貼りしかしないね 竹宮さんは、ヘッセも知らなかったから、ほかの人が初めてなのも無知すぎて知らなかったのかな…
>>379
これめちゃくちゃ気になりますね…
里中さんと同じじゃないのでは?
記憶、、捏造かも…? >>388
その人は別人ね
>>376が正論とも思ってないけどどうでもいいやーって思っただけ 飛鳥幸子さんのデビュー作「彼女は宇宙人」ってSFじゃないのかな? >>379
その、里中さんが「ピアの肖像」で受賞した講談社新人賞、少年誌と少女誌いろんな雑誌の合同企画
の賞だったみたいね
1970年には既に違う漫画賞が出来てるし、今は新人賞は雑誌ごとに募集するのが普通でそういう賞はないけれど
扉本でその時のこと触れてるんだよね、該当箇所を読んでみたいな
どなたか画像をアップできる方いらっしゃらないかしら >>387
「LOVELOVEミリオン!」は漫画作品だと思います
わたなべさんの作品リストによれば、1966年小説ジュニア創刊号に掲載。
ttp://www.toshonoie.net/shojo/05_list/watanabe-works-list02.html(頭にhを付ける)
竹宮さんの「白い水車小屋」「ある愛(ロマンス)は1970年2月号と4月号増刊ですから
あきらかにわたなべさんが先と。 >>389
でもヘッセは高校生で卒業しましたと竹宮恵子は言ってるし
増山さんは竹宮は知り合った頃はヘッセも知らなかった、と言ってたり…
そこもまたどっちが嘘ついてるのか知らないけど矛盾してておかしいんだよね あ、かぶった!>>393 画像ありがとうございます 竹宮さん息を吸うように「私が最初」の嘘ついてるんだね
「私がコマノンブルを消したんですね」
「私が最初だって言われた気がしました」から「私に先にやられちゃった、とのことです」
「私が最初にSF描くまでは少女漫画でSFはあり得ないことだったんです」
「私が最初に少女漫画を少年誌に描いたんです」
「私が最初に少女漫画を小説雑誌に描いたんです」
「私が最初に苦手分野を他の人に外注するっていうのをやり始めたんです」
「私が最初に原作ものプロデュースものをやったんです」 ものすごく好意的に解釈すれば
「私にとって初めての試み」
初めて病は全部これでイケる でもいつも「私にとって」は言わずに「少女漫画で」なーんて分母でかくしてるんだよなぁ フラワーコミックって何のことだろう?フラワーコミックス?
小学館の少女漫画単行本だよね?
その立ち上げに声をかけられた?? 山岸凉子先生の件(竹宮さんが先ね、と言われた)や
石ノ森章太郎さんの件(私は石ノ森先生の優等生だと竹宮さんか自称”してることを人から聞いた)があるから
竹宮さんの言う
「この有名人にこう言ってもらった」話は都合よく話を変えたり盛ったりしてる可能性が高いと思う
「立ち上げの頃、声かけてもらった」信用できないなぁ
「こんにちは」ただの挨拶でも声かけてもらったって言いそう >>395
増山さんはペーパームーンコミックス版「変奏曲」(1988年2月)のあとがきに「我が心のヴィレンツ」という
タイトルで、原作者の名乗りをするとともに
>今まで“変奏曲”の豪華本等の解説などは私が書いていました。
と語っている
共同ペンネームの頃の文章は、増山さんに丸投げするパターンがあったという事
「ヘッセは高校の頃に卒業した(要旨)」というのは「鏡の国の少年たち」というエッセイに書かれてるけど、
この文章も増山さんが自分の話を「竹宮恵子」として述べているものと思われる
そのせいで、増山さんから勧められてからヘッセに触れた竹宮さん本人の読書歴と齟齬が出たのでは
「我が心のヴィレンツ」はまとめサイトで読めます↓
https://mototemplate.memo.wiki/d/%a1%da%b8%b6%ba%ee%bc%d4%cc%be%a4%ce%b8%f8%c9%bd%a1%a7%c3%dd%b5%dc%d8%aa%bb%d2%a1%a6%c1%fd%bb%b3%a4%ce%a4%ea%a4%a8%a1%db
「鏡の国の少年たち」より
ヘッセtとは高校時代にめぐり会い、そして結局すぐに別れた。
それは一陣の風が吹き抜けたようなさわやかな後味を残してくれたが、私自身がとどまるには
あまりにも透明すぎる世界であったのだ。
https://i.imgur.com/ums6lhL.jpg >>379
その里中さんと同じ回で自分はもう一息だったって話、
中学生の時は誰にも漫画を見せなかった、
って話ともまた矛盾してますね
読売新聞の「時代の証言者 マンガで革命を」って
だれもちゃんと読んでなかっただけで
よく読めば嘘ばかり書いてたりするのかな
なかなか調べたら香ばしそうな連載ですね 百歩譲って『竹宮恵子』のエッセイを増山法恵がゴーストすることはあっても
『増山法恵』の話を『竹宮恵子』として出すのは異常だわ
それもちょっとしたエピソード泥棒ではなく読書遍歴や趣味嗜好で
文章を書くのが苦手だったとしても「おしゃべりでストーリーを作る」のはいつもの事なのに 竹宮さんて他人のエピソードを自分のことのように語ってる?と思しきエピソードが多い
ん?なんか山岸凉子先生のエピソードでもこれ聞いたな?っていうのがあったり…
増山さんのエピソードを自分のことのように語るうちに嘘をなんとも思わなくなっちゃったのかな 二人羽織期の「竹宮恵子」は二人でひとりのペンネームでもある、ってどっかで書いてなかったっけ
「でもある」って留保の仕方がケーコタンのズルいとこなんだけど そう、竹宮恵子の増山さん/二人羽織に対する態度は、発言時期によって変遷してるんだよ
408のあとがきマンガは「原作つきに文句を言ってくる読者がいた(だからアタシはのんたんの存在を隠すしかなかった)」という言い訳、アリバイ作りにも見える
このあとがき何年に書かれたんだっけ 描かれている作品自体は84年5月号のぶ〜けですね
ちなみに風と木の詩の連載終るのが84年6月号… >>244
作品評がお腹いっぱいな気持ちは解るけど不要とまでは言えないかな
実力差という形で、当事者の作家同士の位置関係を無情なまでに明らかにする「証拠」だから
検証という作業自体が地味なペースでしか進まないものだから、本題が目立たなくなる弊害はあるけどね それにしても >>357 を見るにつくづく竹宮さんの神経が理解出来ない
可哀想だけど先にあれだけの密度と描写力の「お手本」を見せられて絶望を感じなかったのだろうか?
連載でこれを乗り越えられると考えたとしたら、是非ともそのロジックを知りたいものだ 原作蔑ろにしたら原作者に見捨てられる
終盤まるでやる気感じなかった >>381
竹宮さん本人は「名前だけ載った」と言ってるから佳作かと思っていたら… >>379
これは是非「まとめ」に入れて欲しい!よろしくお願いします。
竹宮さん曰く
・中学二年で講談社新人賞に応募するも「もう一息」で落選、名前だけが載った(「マンガで革命を」第3回)
・中3のときに投稿してるんですよ。実は里中満智子さんがデビューしたときと
まったく同じ階の講談社の新人賞に(「少女マンガパワー!」展 パンフ)
「少年少女漫画 入選作品の発表」(入選作・里中満智子「ピアの肖像」)の佳作、最終審査に残った作品に
竹宮恵子ナシ。最終審査に青池保子「ミミの星」が載っている >>415
気になってたので今朝探したらまとめサイトに一応扉本の該当箇所の画像は上がってました↓
註によると1964年「少年マガジン」「ぼくら」「少女フレンド」「なかよし」四誌共同公募の
第一回講談社少年少女漫画賞とのこと
>中学2年生の時に、講談社の第一回新人漫画賞に応募してみました。
(略)
>結果は「もう一息」で落選。名前だけが誌面に載りました。
>賞を取ったのは、高校2年生だった里中満智子さんです。
>その作品『ピアの肖像』は、吸血鬼が出てくる物語で、洋画みたいで格好良かったです。
>里中さんと自分の力量の差がよくわかりました。
https://mototemplate.memo.wiki/d/%a1%da%c3%dd%b5%dc%a1%a7%c3%e6%b3%d8%bb%fe%c2%e5%a4%cb%c9%c1%a4%a4%a4%bf2400%cb%e7%a4%c8%b6%bd%cc%a3%a4%f2%bb%fd%a4%c3%a4%bf%bb%fe%b4%fc%a1%db
扉本には名前だけ載ったとあるけど実際の誌面を見ると誤りで、ほんとは名前も載らない落選
里中さんと同じ回だったというのだけ本当、という事ね
まとめサイトには、>>379にある実際の誌面と>>415の内容を補足として是非入れて欲しいですね >>416
そうですね。竹宮さんの二つの回想のズレ
そして「名前だけ載った」はずなのに出ていない画像
これをぜひ併せて載せて欲しいです。重要な検証です
それにしても錚々たるメンバー。佳作の二人も漫画家だし
最終審査に残ってる秋山勇二はジョージ秋山、梅本さちおは「アパッチ野球軍」の人 >>379
あいうえお順なので画像で切れているわけでもないですね
青池さんから山内さんまでで >>418
>>379の画像から確認できることは「最終選考に残った応募者の中に、竹宮恵子の名はない」まで
竹宮恵子の名が「乗らなかった」証明の為には、画像以外の誌面のどこ(例えば応募者一覧など)にも、竹宮恵子の名が書かれて「ない」事の確認が必要
記事全体の画像があるといいのにね
応募したかどうかの根拠って、現状本人の申告だけ? >>419
ありがとうございます!これはとても重要
第一回の講談社新人賞の時、竹宮さんは中3ですね
竹宮恵子1950年2月生まれ、里中満智子1948年1月生まれで共に早生まれで二学年差
受賞時、里中さんは高2なので竹宮さんは中3と確定
第一回が中3なので、竹宮さんが中学時代にこれに応募できたのはこの時のみ >>420
竹宮恵子さの名前が載っているのを探して来てください でも最終候補に残ってもいないのに「もう一息」ってのはないね >>422
みんなで探すんだよ
検証本出版するとかケーコタン糾弾記事書くとかガチでやるなら、それこそ国会図書館なんだろうけどね >>424
そうなるといいね。時間かけてでもちゃんと検証しないと 里中さんの「ピアの肖像」が賞を取った時、「何故青池さんのほうがうまいのに自分が取れた?」と
編集に聞いたとどこかで読んだ気がする。天上の虹の文庫だったかな?
当時青池さんは絵のうまさですでに有名だったらしい。読者コーナーで名前が知れてたそうだ。
でもなにか光るものがあったのか里中さんの賞を取らせたようだ。実際それで里中さんは成功したものね。
もちろん青池さんも注目されてた。 >>420
千数百人の応募者一覧に名前が出てるだけで「あと一息」は載ってないより恥ずかしいw >>420
検証が必要なのは、応募したか否かではなく(応募はしたんじゃないの?)
受賞まで「あと一息」として名前が出ていたかどうか、だよ 自分は「竹宮恵子の言ってる事は誇張、詐称だらけ」についてはもうたくさん事例があるし、若き日のケーコタンを下げても”政治力”で生き延びて来た竹宮恵子の現在は揺るがなそうな気がする
精華大もマンガ学会の面々も一蓮托生だろうしね
なので今ある証拠で言えるとこまででええやん、というスタンス
大泉本=萩尾さんが示したヒントからもう少し整理したいところは、二人羽織/増山さんの実際の功績と、00年以降言ってることが変わってきてる(増山さんの存在を過小待遇/隠蔽?)とこかな >>429
竹宮恵子の発言は一切信じない勢が応募もガセじゃねーかって鼻息荒くしてたからw
こそっと応募したならどんな作品か筋だけでも知りたいけど、言及がないのはケーコタン的に黒歴史なんだろうね >>428
正味5年3ヶ月を7年と盛れちゃう人ですから...
常人とは恥の感覚が違う 自分は大それた考えはなく
騙されてたってのが気分悪いから真実を知りたいだけだなあ
何でか理由も知りたいし
何の謂れもなく騙したはずはないでしょうし
ここまででいいと思ったら去れば良いだけだよ >>430
毎日嘘はわかってるからもういいとか書いてる人かな
口だけでなく粛々と気になること検証すればいいのでは? 去れというのは流石に言い過ぎ
「私はとことん追及する」で十分でしょ 青池さんのデビュー当時の話は、プリンセスゴールド1979年5月25号にイラスト入りで載っています
(再録は「青池保子 華麗なる原画の世界」2014年秋田書店 154P)
「中2の時に水野先生にみてもらおうと送った原稿がりぼん編集長の目にとまり
増刊号に15ページで描いてみないかと言われ、中3の秋に「さよならナネット」でデビュー。
(不完全作品で恥ずかしい。デビュー作といってもまた習作時代)
欄外に載った住所宛に第1回講談社新人まんが賞の応募要項が送られてきて、
「ミミの星」24ページを描いて応募。入賞は里中満智子さん。
最終審査に残っただけでしたが、少女フレンドの人から「描いてみませんか」とすすめられ、
高校1年の冬、「ローラのほほえみ」24ページで本格デビュー」(要旨)
青池さんの話は時系列がはっきりして、わかりやすいです。 >>409
ENDの上に書いてある86年3月
ウソでなければw 436続き 画像アップできず、すみません
手持ちの方がいらしたらご確認をお願いいたします >>431
>>379の3枚目画像のインタビューで、投稿した作品について言及してたから切り取ったよ
・「水鳥」というタイトル
・日本が舞台
・ジャクリーヌ・ササールのまっすぐな髪が好きで、そういう少女が出てくる話
だそうです
https://imgur.com/a/apXHcHW >>436
描いてみませんかとか
なんか青池さんのエピソード真似てんのかなー 応募したのは嘘なのか本当なのか確認できないけど
あと一息 ←ここは嘘だってことだよね? >>434
資料は読んだり検索したりしてるよ、まだスレに書くまでの考えがまとまらない、ネタが揃わないだけ
ウソ追求話題が続くと全て信用ならんと検証せず切り捨てる過激派が湧いたり、萩尾アンチが中傷を連投して荒れるからイヤなんだよ
それに00年以降の誇張や改変は大泉(本)関連話題と言えるけど、むかし自分の事を盛りすぎたり見栄はって経歴誤魔化した事案はいくつ集めても「(昔の)竹宮恵子はこういう人」の紹介エピソードにしかならない
岡田史子への手紙問題とか寺のパクリ検証の方がダメージ大きい そういえば青池さんまんべん出るってツイで見た
楽しみだな >>442
手紙や地球への件を進めたらそれはそれで荒らしが連投しにくるよ、やってみたら?w >>437
ありがとう
ミラージュ雑誌掲載が1985、コミックス収録が86年かな
二人羽織を公に肯定した「続マンションネコ」は1984年
で、ググってて気づいたんだけど竹宮恵子のwikiに「マンションネコ、続マンションネコ」載ってないのね
「竹宮恵子のマンガ教室」(2001)はあるのに ソースが見つからないからひとりごととしてつぶやくけど
昔の漫画賞には「もうちょっと」とか「がんばって」みたいな参加賞的なくくりがあったような気がするんだよ
だから竹宮さんが言う「もう一息」ってのが何なのか判断するには時期尚早かなと思う >>444
どのみち蟲が湧くなら獲物はデカい方がいい >>447
岡田さんの件に関しては憤りはあるけどネタに乏しいので書けることが無いな
いくつかの推測はあるけど食い付きが鈍そうなので様子見だね
江口・業田両氏に取材でもしてくれれば一気に畳みかけられるんだけどねえ >>446
更に言うと後年講談社の人に「あの時はもう一息で最終選考まで残るところだったんですよ」なんて言われた(ような気がした)可能性もなくはない 資料探しの一助
https://imgur.com/a/UrMeiDB
竹宮恵子作品リスト(トラプロHPから飛べる)に、エッセイ・コラムの発表年、主な内容、単行本への収録有無が整理されてる
ウィーン合唱団とテルツ合唱団の比較とか変奏曲関連のコラムは単行本収録なしかーふーん()
変奏曲の「初期の未発表イラスト」と、風木構想期(クロッキーや大学ノート)のキャラ造形を比べられたら、興味深い発見があるかもね 竹宮惠子と取り巻きが流布してる、24年組大泉サロンによる少女漫画革命史観の定着を阻止できれば、それが一番の目標かなとは思うけど
案外これは難しいかなー 特に何も考えずに、実はその時、私もいいセンまで行ったのよー
(いいセンまで行ってたような気がした)
って里中さんに対抗して言ってるだけじゃないの? >>412
絶望からのスランプを、魔球(話は増山さん、絵は萩尾さん)と
開かない「扉は無理やりこじあける」精神で乗り越えられたのでは
並みの神経では乗り切れない状況だったと思います 講談社新人まんが賞に関しては、応募原稿はまず下読みをする人がいて
最終選考に残った作品を編集者の検討会議で入賞を決めるシステムと思います。
竹宮さんの作品が「もうひといき」なら、最終選考に残ることが前提。
中学時代はワラ半紙に鉛筆書き、誰にも見せずに描いていた竹宮さんが
そもそも青池さんがいう「応募要項」にのっとった作品を描けたのか?という疑問も残ります >>453
名前が載ったのと、いい線まで行ったのでは意味合いが違う >>439
ありがとう
本人の言に基づけば、2400枚描いた長編とは別のお話のようだね
中3時の初投稿について
「少女マンガ展」(2013)では「ぜんぜんダメでした」、
読売新聞連載「時代の証言者 マンガで革命を」(2020)では「あと一息」と言っていると
ちな竹宮史のターニングポイント、学長就任と紫綬褒章が2014
なんか発言TPOに合わせた見栄張りポイント、次ステップへの企み有無の違いって気もするわ まとめサイトさんから転載
>中学2年生の時に、講談社の第1回新人漫画賞に応募してみました。
>(註:1964年「少年マガジン」「ぼくら」「少女フレンド」「なかよし」四誌共同公募の第一回講談社少年少女漫画賞 )
>結果は「もうひと息」で落選。
>名前だけが誌面に載りました。
>賞を取ったのは、高校2年生だった里中満智子さんです。
>その作品『ピアの肖像』は、吸血鬼が出てくる物語で、洋画みたいで格好良かったです。
>里中さんと自分の力量の差がよくわかりました。
竹宮さん儲の人はソースもなしに他下げに精出すより
この名前だけ載ってる誌面とか出せば嘘じゃないもん出来るのに この件についてはそこまで目くじら立てるようなネタでもないと思うけどね
入選したと言ってたら流石に嘘だけど落選したと言ってるわけだし 「少年マガジン」「ぼくらの」「フレンド」「なかよし」合同企画
現代の誌面で想像してもかなり大規模な祭りだから、選外応募者の名前があってもおかしくないし。こんなに応募がありましたって賑やかしにもなるし。 >>460
限られた誌面で、応募者1328人すべての名前を記載する必要はない
(応募要項を満たしていない作品もある)
最終選考に残った名前に入っていなければ、
「もうひといき」はあり得ないと思いますよ 扉本33pより
「落選とはいえ名前が誌面に載ったわけですが、家族はそのことを知りませんでした。
それまでも雑誌の読者コーナーのようなところに、カットを描いて応募すると、必ず掲載されていました。
その時は、家族に見せていましたが、名前しか載っていないものを見せても仕方がないと思ったからです」
読者コーナーのカットは、基本ハガキ応募でハードルが低い。
成功体験に力を得て漫画賞に応募したものの撃沈。名前も出ず、当然、家族にも言えなかったということでは。 >>441
佳作はおろか最終審査に名前がないから「あと一息」は嘘ですね >>462
懸賞当選者の名前一覧が誌面に無かった世代?
時代背景考えると「無くは無い」と思うんだが・・
ま、現物発掘されるまで待つしかないんじゃないかな >>465
入選者・佳作・最終審査対象は全部名前が出てますよ
そこにないということは竹見恵子が「もう一息」で名前が載ったというのは嘘ということ
投稿者一覧を探したい人は探せばいいと思うけど「もう一息」どころか…という話 青池保子さんは雑誌に掲載されたデビュー作を講談社側が応募に誘った様子
投稿してきたからと誰でも俎上に載せてもらえるような賞ではないって話じゃない? 自分ギシ先生の名前載ってるやつ、デビュー前に漫画賞に投稿してた時代の持ってるよー実家にある
ファンってけっこうそういうの集めてたりしないのかなぁ?
ファンクラブまであったのならファンサイトとかに竹デビュー前に宮さんが今まで応募して名前とか載ってるやつ調べて載せてるファンいそうだけど…(ギシ先生はある) >>450
ええーーー
いやありそうだけど、竹宮さんデビューもしてるしさすがに名前載ったことまで嘘はないと思うんだけど…
箔をつけるために、里中さんの名前出したい(萩尾望都の名前出したい、と同じ)から、同じ回って言ってるだけで、実は2回目とかなんじゃない?
里中さんの作品見て、勝てるわって応募したけどダメだった的な… 箔をつけるって意味わかんないけど、なんか、竹宮さんがやりたそうなことってことね。すごい人の名前出すことで、自分も仲間ぶったり、相手がよく聞いてくれるからって小さな嘘ついちゃう感じ。 扉本では「中学2年生」で講談社新人漫画賞に応募したことになっています。
受賞したのは「高校2年生」の里中さんの『ピアの肖像』で
高校生と中学生のレベルの差を感じ、「その後、中学時代は一切応募しませんでした」(扉本32−33p)
「名前が載った」とすれば、第1回以外、ありえない。
なお、高校時代はCOMに投稿、17歳で『ここのつの友情』が月例新人賞の佳作入選したそうです。こちらは事実と思います >>471
名前については他の人も言ってるように応募者一覧みたいな物には載ったのかもしれない(そんなものを実際に掲載したかは不明だけど)
であれば「名前が載った」も「もう一息」も一応は嘘ではない こうなると、3社の仕事をしていたっていうのもなんか、どんな経緯ってなるかも…
本人、自分を取り合ってた感じで書いてるけど、まぁ、なんかカラクリあったのかなぁ? >>475
>>421
この時って、竹宮さん中2なの?中3なの?
そこら辺曖昧なら、第2回目とかのズレもありえるかな、と。
ただ…
>>436
青池さんのエピソードをもらってきてる可能性もありますね…(さすがにそれは怖いけど…)
(萩尾望都のSFを後追い、光瀬先生とのコラボとか考えたら他人の人生を自分のものとしちゃうところあるのかも…?増山さんの人生とか… ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています