【訃報】デストロイヤー死去
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さっきまでG+で75年のオープン選手権放送していて
デストロイヤー×G草津、デストロイヤー×DLジョナサンの渋いカードだったわ
この時44歳だったことになるがいい動きしてた 昔の人にはやっぱり知名度高いな。プロレスに興味無くても。
親から初めて訃報聞いたもん、朝のニュースで見たって。
しかも存在を知ってるって。
「力道山時代からいる、顔が悪いから覆面被ってた人やろ?」って
聞かれて、まんまやんと。 麻布十番の祭りに毎年来日してサイン会してたな。
その時自伝買ってサインしてもらって記念撮影してもらったが、あのサインは宝物。
陽気な爺さんでサービス精神満点だったな。
「デストロイヤー一番!ジャイアント馬場二番!麻布十番!」
ってギャグを飛ばしてた。 >>160
泉重千代さんは没後に年齢ごまかした明治生まれなのがバレて、ギネス記録を剥奪された。
それでも100歳超えたんだから長寿なんだろうが 田舎に行けば100越えはざらにいる
うちの親戚にもいた >>159
デストロイヤーが木村政彦と闘ってたらどっちが勝ったんだろうね。
弟子の岩釣でも時期的に可能だよね。 ルールにもよるねぇ。
顔の悪さじゃデストの圧勝、チンコのデカさじゃ木村の爆勝 >>162
試合開始前からリング上は殺気立っていたよね。
特にデストロイヤーは「猪木、お前には絶対に優勝させない」と言う雰囲気がプンプンだった。
身体の強さで敵わない猪木は、苦し紛れに何度も場外へデストロイヤーを放り出すが
猛スピードでリングに戻るデストロイヤー......
「ああ、これはガチだな」TVを見ていてそう思った俺。
ワールドリーグ戦のあの組み合わせは猪木にブック破りをさせない為に
馬場VSブッチャー 猪木VSデストロイヤー
にしたって説があるよね 噂のチャンネルで「ブッチャーなんかぶっちゃう」
あれでがっかりしたファンも多かっただろう >>147
WWEのリングに(旧WWWF,WWFも含めて)一度も上がっていないのに速報で伝えたぐらいのに有名でないなんてことはないよ。
覆面レスラーとしての史上初の世界ヘビー級チャンピオンになってるし、昔ロサンゼルスにあったWWAでのフレッドブラッシーとの抗争は当時のドル箱カードだぞ。 プロレス関係者には有名でも、西海岸とハワイが主戦だったので一般には知名度が低いのは事実。
ドクターXとしてAWA世界チャンプにもなったが、当時はデストロイヤーと同一人物な事を知ってるファンはほとんどいない。 Gスピの長期連載『悪魔仮面と呼ばれた時代』でマスカラスが
「俺はニューヨークWWWFでトップを取った、デストロイヤーでさえ¥o来なかった事をやってのけたのだ」
プライドの高いマスカラスにここまで言わせたという事は、デストロイヤーにコンプレックスがあったという事だ
プロレス界で最も有名な覆面レスラーになれたと思いたかったんだろう 猪木よりTAKAみちのくやTAJIRIの方が「世界的」実績は上で知名度もあるっていうのと同じことだろう >>185
世代が全く違う人同士を比べて世界的も糞も無い。 >>186
知名度は比べられるじゃん
アタマ悪いの? >>164
そんな試合前にマスク抽選会を徳光と一緒にやってたのが笑えたw 徳光とデストロイヤーの攻防みて、古舘もこういう路線を目指したと言ってるな >>189
マスク?違うよ。ジャンパーだろ。さては知ったかぶりの若造か。
デストは猪木が離婚した最初の妻との子供の養育費を払っていない事をボロクソに言っていたな。
デストみたいな人にとっては最低の行為なんだよな。
猪木の娘は亡くなったらしいけど、奥さんはまだ生きているのかな。 猪木の娘は文子というらしい。野毛の新日道場がかつての自宅で、そこに住んでいた。雑誌の
インタビューで、この子のことをちびと呼んでいたな。 デストロイヤーの相方の
ビリー・レッド・ライオンは存命? >>192
それは事実誤認で中傷しているんだから
デストがクソ野郎なんだよ。
他人のプライバシーをプロレスのビシネスの場に持ち込むのは最悪だし
事実を誤認しているんだから。
それをわざわざ書くおまえも糞野郎。 俺もデストはクソだと思う。力道山時代の知名度と栄光を盾にしやがって >>192
下手に親らしいことしようとした結果、志桜里に公開処刑されてしまいサイモンなんかとくっつくんだから、猪木は人の親には向かなかったんだろうな。 >>195
事実誤認というのならどこが事実誤認なのか、はっきり言ってみろよ
善行のプライベートならいいが悪行のプライベートは書くなと言っている時点で
すでに認めているようなもの。おそ松君 >>193
倍賞が生んだ子なら寛子だろ
七光りでミュージカルとか出てたけど、いつのまにか消えた >>200
史上最大級にダブルキャストに差があったミュージカルだよな。 >>201
ああ、そうだったかもしれない気がする
文子と言えばグラン浜田の娘はキレイだったよな
デビューの頃 デストロイヤーは悪役だったのは日本だけ?
アメリカでもヒール? デストロイヤーは79年に日本を離れてから年に数回来日していたけど
その時は外国人陣営となってたけどファンクスのように馬場と組ませる
事は出来なかったのかな。
馬場とは80年に一回組んでだけでそれから90年までなかったし。 晩年、ファミリー軍団として試合してたんじゃ?
馬場木村デスト対大熊渕永源とか。 デストロイヤーとスタン・ハンセンのシングル
デストロイヤーの足四の字でギブアップ勝ち。
https://www.youtube.com/watch?v=g9NK6aXeqbU 82年の来日だと普通にハンセン側だったな、本人もヒールやろうみたいなスタンスぽくはなかったけど
84年あたりだったけど、まだ阿修羅原とシングルやって四の字で勝利なんていう格付けで、
試合終わった後に極めた足心配してマッサージしてやるようないい人的なことやってたり
まあ相手からしたら屈辱って見方もされるだろうけど >>120
この2年ぐらいで一気に来たな
それまでは弟子たちがみんな死んでも猪木だけ元気で100歳過ぎてもダーやってそうなイメージだったのに >>213
ロジャー・カービー、3月18日に死去してますな。 『第13回ワールドリーグ戦』は、興行の作り方から見て
ジャイアント馬場対キラー・カール・コックスが優勝決定戦と思われました。
ところが、この頃はアントニオ猪木のジャイアント馬場に対する対抗意識が強く
また周囲にもそれを焚きつける連中がいました。
予選最終戦のアントニオ猪木対キラー・カール・コックス戦で
いったんはコックスが勝ちなのりを受けたのですが
“猪木派”だったユセフ・トルコが判定をヒックリ返して猪木の勝ちにしてしまい
決勝戦はジャイアント馬場とアントニオ猪木
外国陣営はザ・デストロイヤーとアブドーラ・ザ・ブッチャーが同点で浮上という事態になりました。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています