あさきゆめみし 第九十六帖
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いづれの御時にか、駄スレ、良スレあまたさぶらひたまひけるなかに、
いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふスレありけり。
語りませう。
この板は全年齢対板なのでエロ話がしたい人はpink板へ
ここは漫画あさきスレなので専門的な史実ネタや原文ネタはほどほどに
史実ネタは日本史板へ、原文ネタは古文・漢文板へ
あさきゆめみしに描かれていない人物及び竹河の巻ならびに
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紫式部、源氏物語スレ 二帖
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まったり雅に平和に語り合いましょう
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前スレ
【祝40周年】あさきゆめみし 第九十五帖
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/rcomic/1568077691/
VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvv:1000:512:: EXT was configured そうなんだ。自分が昔読んだことある説だと
定子が藤壺で、彰子が紫の上
一条天皇も愛読者だったから定子のかわりに彰子をという意味があるとの理由だった 設定的に紫の上が定子の方が悲劇性があってしっくりくるような
彰子って最初から最後まで栄華を誇った勝ち組妃だしなぁ
紫式部日記に彰子はもう少し自己主張すべきじゃない?みたいなこと書いてあるんだっけ
そうすると女三宮でも…と思うけど
確かに自分の主人を色々と足りてなくて最終的にほかの男にNTRられる愚かな内親王に描くってのは確かにありえないかw >>852
父親を亡くしても寵愛され続けて皇子を産み若くして亡くなった桐壺更衣こそが定子だという説もあるし
そこは意見分かれるところだけど
誰か1人をモデルというよりもいろんな人が登場人物に反映されてるようにも思えるわ 清少納言がツイのトレンドにあったから何事かと思ったらソシャゲのキャラだった
大和先生清少納言主役の短編描いてたよね
あの清少納言可愛かったな 実家が没落して、それを帝が止めなかったことに絶望して出家し、それでも帝の執着がやまず、
子を生んで亡くなった定子は、女三の宮の降嫁に絶望して出家を望んでも許されずに
早死した紫の上のキャラ設定とかぶる感じはある >>853
同意
一人のあるキャラに複数のモデルの人の個性や人生を投影させて融合させた感じがする
例えば、彰子は藤壺で定子の忘れ形見の男の子を育てた賢后という史実は
藤壺が女御であった頃に幼い光源氏と親しかったという設定になったり
藤壺が女院として幼い息子を支えた設定のモデルは、藤原穏子と村上天皇のそれではないか?
という説を読んだことがある
>>852
女三宮のモデルの一人が藤原綏子(三条天皇の尚侍)らしいは読んだことがある >>856 藤原綏子
こういう女性もいたのね…wiki見たらなかなか激しいご夫婦だったみたいね!知らなかったよ、ありがとう!! 藤壺ってのが実際そこに住んでた彰子だろ
桐壺更衣=定子 もね
桐壺更衣の辞世の句の別るる道ってのは
定子の辞世の句の一つの別れ路から来てる
辞世の句にこれが使われるのは平安時代じゃこの二句だけだそうだ 枕草子の春は曙っての源氏物語で三回くらい出てくるらしく紫式部の受けた衝撃の大きさが伺える
あの日記とあわせると清少納言に対する複雑な想いが想像できる >>859
紫式部日記の中で「清少納言は女のくせにかっこつけて漢字使ったりしてるけどよく見たら間違ってるし」「あんな人間の行く末はろくなものではないだろう」的にバッサリ切り捨ててるけど、意識しまくってるよね。
枕草子の中で紫式部の夫のことを「場違いに派手な格好で参詣に行った変な人」的に揶揄してたのでそれも読んでて気に入らなかったのかな。 清少納言へは嫉妬もあるけど才能はちゃんと認めてた感じはする 道長がした定子苛めによって彼女は早世したし
枕草子が少しずつ伝わっていく中で定子への同情論はあったと思う
だからこそ娘の彰子を盛り立てるために当時の才女達を集めて
華やかに盛り立てようとしたけれども、当の彰子が堅実かつ真面目なお人柄で結果地味に
その矛先が紫式部にも向けられたならば立場上清少納言下げも仕事の一環になるのかしらね
源氏物語に清少納言っぽい女性が登場しないのは、日記で書くほど悪く思っていなかったのかも? >>863
清少納言っぽい女性って、歌好きでちょっとお軽めな女房?けっこういた気もするけどな。源典侍とか大輔の命婦 辺りは? >>864
歌を詠むのは得意ではなくて、貴公子との些細な会話にも漢学小ネタを挟む
勝気で陽気な女性
性格や対人への対応は正反対だけども紫式部にも通じる部分があると思う >>865
彰子のサロンは華やかな女房多かったしね。そんな中では、紫式部はお固めだったっぽいよね。 >>852 彰子って最初から最後まで栄華を誇った勝ち組妃だしなぁ
そうだけど、一条天皇が出家した定子を呼び戻したのは彰子の入内後でしょ?
立場的には勝ち組だろうけど、女としての愛情バトル的には、定子に敵わなかったんじゃないのかな? >>866
いや、その逆
道長は彰子の箔付けのために良家の娘たちを大勢女房として付けて入内させたんだけど
その女房たちがお嬢様すぎて人に顔見せするのも嫌がって
大事な取り次ぎの仕事すらろくに出来ないのが多かった
彰子も真面目すぎて入内当初は「失敗するくらいなら始めから何もしない方がいい」と思ってるようなところがあり
紫式部が日記で「このままではダメ」と危機感を募らせてた
その後彰子も女房達も頑張ったんだろうけど
清少納言や定子サロンの華やかさや打てば響くような感性の鋭さは
やっぱり別格だったんじゃないだろうか >>861
自分の女主人を褒め称え1000年後にまで残る文学作品にまで昇華させた女房なんて
清少納言しかいないからなあ…
紫式部は物語で清少納言は随筆だったけど
自分の仕える貴婦人の素晴らしさをアピールするという点では
清少納言の圧勝だったと思う
枕草子の中で中宮定子は永遠に光輝いている >>867
立場的には彰子中宮は勝ち組だろうけど、愛情面では勝ってはないだろうなと。定子皇后は生家や兄弟が没落していく苦境の中、明るさと誇りを失わずに愛され続けて若い盛りに亡くなってる。
彰子は長生きした分、夫にも息子にも孫にも先立たれたのが辛いよね。 >>868
彰子自身が、真面目なお嬢様タイプだったのかもね。
定子は、ウィットに富んだ美女、てイメージ。 定子は言うまでもないけど彰子もライバル定子の遺児を愛情深く養育するなど真面目でちゃんとした女性だったんだなと思う >>867
まーでも11歳で父親の意向で入内してるから、女としての感情とかとはあまりかかわりなかったのではと
だからこそ定子の遺児を育てたり、そっちを皇位につけろとかまでいえたんじゃないかと
また女としての苦しみとは無縁でひたすら勝ち組だったからこそ、あの時代で80過ぎまで長生きしたのかなあと >>874
調べてみたら、彰子が11歳で入内後2年もしないうちに定子は亡くなってるんだね。 >>870
実際の定子は実家没落後は鬱々としていたって話があるけど
そういう湿っぽいことはあえて書かなかったってところが清少納言 紫式部日記に貴族らに今の女房は昔に比べて気のきいた応対とかこ洒落た掛け合いとかできないとか言われたってのがある >>865
雨夜の品定めに「学のある女」は出てきたね >>877
何百年経ってもおなじこと言われてるなあ キャラでも人物でも片一方が圧倒的に優れていると主張しまくったり紫が何がなんでも源氏によって不幸だけしか味わっていないと主張しまくったり極端なんだろうな >>871
道長が和泉式部の扇に
「うかれ女」
って書いて返したんだっけ?
今だとセクハラになりそうだよねw >>877
主人の性格がサロンにも反映されるんだろうな
定子のサロンは「香炉峰の雪は?」と問えばサッと御簾を巻き上げるような
漢籍の素養やそれを土台にした当意即妙の応対や機知がもてはやされたけど
彰子は紫式部に漢籍の講義を受けるのも隠れて受けていたみたいだし 彰子のサロンは紫式部の他に和泉式部や赤染衛門など豪華メンバーだけどね >>884
豪華メンバーだけど、華やかで魅力的なサロンになるかは別
暗くて悪口三昧(大体女流作家は性格悪い)の紫式部、不倫腹上死略奪穴兄弟の和泉式部、レズの赤染衛門と
癖のあるのばっかりな気がする… >>885
ちょ、そういう濃いメンバーの方が俄然面白そうなんですけど! >>885
「不倫腹上死略奪穴兄弟の和泉式部」
こうしてまとめると壮絶だね、和泉式部。
宮様と付き合って相手が亡くなって、ちょっかいかけてきた弟宮ともできて、源氏物語さながらに外に連れ出されてエッチしたり、車宿に駐めた牛車の中でいたしたり(車の外には使用人がいるのに)。
何か週刊文春のネタみたい?
それでもさらに別の男と再婚してるし、とにかくモテたんだね。 >>885 不倫腹上死略奪穴兄弟
が、見事に和泉式部を言い表してくれてワロタwww 清少納言も30過ぎになってから出仕したけど、勤め始めたばかりは顔を見せたくなくてまともに仕事してなかったらしいね
そんな女房が身分も低いのに主人に気に入られて常にお側近くにお仕えするようになるんだから、ある意味シンデレラストーリーみたいなもんかもね >>889
内裏女房は、中流貴族の娘たちにとっては憧れの職業だっただろうかね。 伊勢大輔、小式部内侍、大弐三位、上東門院小馬命婦といった下の世代の女房達も
長命な彰子に仕えていたから、定子のサロンと雰囲気が異なりつつ
彰子の元で独自のサロンが形成されていたことを考えるとこちらも宮廷の華だと思う >>891 追加
ガッツある上流の姫にとっても、内裏女房は憧れの職業だったと思うな。
まあ、ガッツある上流の姫って当時いるのかな?てとこだよね。 彰子のサロンはインテリ文化人揃いだね
父親が権力と財力で集めただけのことはある
源氏=道長、彰子=明石中宮、和泉式部=源典侍のイメージする >>892
定子は出家時代も含めたら10年も宮中にはいないよね。素晴らしい女性だったみたいだけど、死んでしまったらね…あのまま長生きしてても辛かったかな…?
皇后、皇太后として70年近く生きた彰子は、もちろん本人の素質もあるだろうけど、人間、長生きが重要よね、と思わされてしまうよね。 >>894 源氏=道長、彰子=明石中宮、和泉式部=源典侍
あ〜イメージ分かるわ〜www年齢とか微妙にテイストを変えてるけど、当時の人たちは、"◯◯は◯◯のことだよね〜""え〜◯◯は◯◯じゃない?"とか言いながら読んでたんだろね! いくら和泉式部が不倫腹上死略奪穴兄弟だといっても、皇位にも近かった親王二人を
手玉に取ったぐらいだし、源典侍よりはずっと女っぷりは上だったような…
紫式部のことだから、和泉式部を揶揄してアレンジした部分もあるんだろうけれど
それに、和泉式部は、女流歌人としてはその時代随一だしねえ 源典侍のモデルは紫式部の夫の兄嫁である源明子という方で、その人も源典侍と呼ばれていた、って説を読んだことあるよ。
リアル源典侍もいい年して色好みだったらしい。
本当に夫の兄嫁をネタにしたなら紫式部もいい性格だなあ。 >>898
兄嫁の源明子という方も、モデルにされたくらいだから源典侍タイプだったとしたら、今をときめく小説のモデルにされて喜ぶタイプだと思うな。知り合いとかに、"も〜義妹の式部ちゃん(この呼び名はないねwwwでも似た系で)ったら、大好評連載小説に、昔の私のこと書いちゃってるのよね〜"くらい言ってそうwww >>19 源氏に対する最初で最後の反抗だった
それかもね… >>22
女三宮降嫁後は、正妻扱いじゃなくなったらからね。
源氏上がりの太政大臣の側室、よりも、中宮嫡母、のほうが身分高いもんね。
人生末期に、愛より身分を取った源氏に対する意趣返しだよね。
あなたが身分を取るのなら、私も身分を取らせていただきます、てかんじ? >>22
源氏物語って、愛情物語じゃない気もするんだけどね。一代源氏のすごろく出世物語、てかんじ。 >>897
源典侍も若い時は恋愛も仕事も華やかな生活だったようだし音曲の才もあったようだから
嫌味も込めてモデルの一部に取り入れたのかなあと 結構いろんな人をミックスしてキャラを作っていた気がするけどね 明石御方は紫式部の分身という説もあるね
空蝉にも投影されてそう
権門の娘たちの扱いは明石中宮以外は葵を始め右大臣の娘たちなどかなり酷いけど、
藤原宗家に恨みでもあるのかな 自分を投影したってのもあるけど当時の読者層考えての事だったんじゃないかと思う
他の作者が書く中流の娘出世話なんて長編じゃないせいもあるけど、単純に身分高い貴公子に見初められてその娘や妹は宮中に上がって皇后になりました
メデタシメデタシみたいなお花畑路線多いから、ちゃんと布石たてて明石の娘を大出世させた式部たんの構成力はすごいと思う 一条天皇と彰子は7歳離れてて
源氏と紫の年齢差もそのくらい
年上の恋人への愛を忘れられない青年が
7歳年下の今はまだ幼いけどやがて完璧な貴婦人に成長していく少女と相愛の仲になるあたり
一条天皇と定子と彰子を思わせる
そのものズバリでなくいろんな要素を混ぜてフィクションにしたんだろうけど >>908
元ネタは栄花物語だと思うけれどもこの話を思い出した
ある日一条天皇が彰子の前で笛を吹いてみせた
なのに彰子がそっぽを向くので「何故私の方を見ないの?」と尋ねると
「笛の音は聴くものであって見るものではありませんわ」と無邪気に答えたそう
定子と彰子が天皇の寵愛を同時期に競いあわずにすんで良かったねと改めて思う 定子の第一子が「懐妊十二月」て言われてたのって、藤壺の出産が遅れたことのモデルっぽいなと思った
当時の人は「物の怪のしわざで」とかでなんとなく納得してたのかもしれないけど、現代の歴史的な研究だとどういう扱いなのかな?ややスレチか。 まあ定子が不倫して出産もないだろうって感じであまり研究されてないのかね 自分の兄が目の前で逮捕されたり
母が亡くなったり
実家が家事で全焼したり
妊娠中ストレスがひどすぎたために
出産が遅れたらしいけど
そう言われるとそうなのかと受け止めるしかないよね 出産が遅れても42週以降ということあまりないから、実際は最初生理が遅れて
生理が遅れてるかなと思った頃に受精したとかかも? 間男は物理的に不可能じゃない?
源氏の入り込む余裕、ある?? >>914
絶対後宮から出ることはできなかった中国と違って日本の後宮勤めの女性は出産のためとか物忌みのためとか
陰陽の関係で里帰りできたから 定子の場合は宮中退出時に受精済みなら問題ないけど
そうでないなら接触がないからアウトってどこかでみたな
まずストレスでも一月以上も遅れるのは人体構造的に有り得んらしいが >>916
日本の後宮って中華の王朝と比べるとユルいよね。
帝のお妃が間男との間に設けた皇子が皇位を継いだりするようなお話が「名作古典」として長く読まれるくらいだしw
ギチギチに縛らないところが日本的でいいなとも思うが。 >>910
失意の定子に手を出そうとする貴族はいないと思う
一条天皇の女御、藤原元子のお産?の話もあんな風に書かれて気の毒になる >>919
待賢門院璋子は、白河院か鳥羽天皇かどちらの子か分からない子を生んでるよね。 >>919
中国なんてしかも男性のアレをちょん切って後宮に召し抱えさせる宦官という制度もあったしほんと恐ろしい国だわ
江戸時代の大奥は京の後宮と違って基本、女は一度入って殿のお手がついたら絶対出れなかったそうだけど
中には花嫁修業のノリで入って行儀作法などをきっちり仕込んでもらい実家がいい縁談見つけたら実家に帰っていった娘さんもいたそうだけどね
大和先生のにしむく士でも大奥エピソードあったな
殿のお手がついてなくても「あの娘は誰だい?」て興味を持たれただけで一生大奥暮らし確定になってしまった女性もいるとか書いてあった >>921
あれも壮絶な世界。事実はどうであれ、鳥羽天皇は崇徳天皇のことを「叔父子」と忌み嫌っておられた。
あさきでは源氏が藤壺と通じて子どもをもうけたことを桐壺帝は知っていて許していたという解釈だけど、原作ではそこは触れずなのかな。 >>922
大奥はお手がつくつかないにかかわりなく、お目見え以上は一生奉公じゃなかった? >>922
古代の日本は母系社会だし、天皇の元に入内してくるのは有力貴族の娘で天皇といえども気を使わなきゃならない相手だから、そういうのもガチガチに縛らない、緩やかな後宮にした原因なのかね。
身分のある女性は婿取りをしてずっと実家で暮らし、子供は母親の元で養育されたもんね。
後宮は婿取りではないけど、后や女御たちは何かあれば実家に帰ることもできたし。 >>924
格式ある家の娘は大奥入ったらある程度の身分や役職与えられるから一生大奥暮らしだけど下女レベルだったら数年たって結婚のため大奥を出る子もいたはず
ドラマの大奥でも地元に恋人がいる下女がいて奉公終えたら結婚することに決まってて幸せそうだったのに野際陽子演じるナントカ院が息子である将軍の相手として気まぐれでその娘を選び
結果その娘は気が狂って自殺したとかいう悲劇的なエピソードがあった 気になって計算してみたけど…
小右記の記録で、定子が宮中を退出したのが長徳2年3月4日(西暦996年3月25日)。
長徳2年12月16日(997年1月27日)、第一子・脩子内親王誕生。
退出した日から出産日まで、308日経ってる。
人間の在胎期間は平均266日、過期産は3週間ぐらいまでは話を聞かないでもない。
ギリギリ4週間として、294日、精子は長くて1週間生き残るようだからその分を足して301日。
うーん…精子の生存期間が1週間あって、妊娠45週の過期産で生まれたとしたら
どうにかこうにか…という感じ。
小右記の退出日の記録が正しければ、ちょっと苦しいね。 >>927
いや、だからお目見え(中臈格)以上って書いたんだが… >>927
しかもそれ、実成院…ってベルーナ提供のドラマでしょ
「実家が布団屋の箱山です!」ってアレ >>923
白河院の子でも鳥羽天皇の子でも、天皇の血を引いた子には違いないからねwww >>928
詳細な情報ありがとうです
以前、定子は兄と仲が良く、逮捕される時も手を繋いでた、第一子は兄との子だ、って書いてた人がいた気がする
今となっては真相はわからないねー
でも紫式部が藤壺の妊娠・出産を書くときに、このことを意識してたように思えてならないな… 産んだ日から計算すると、定子が妊娠したのって、長徳2年4月2日から長徳2年5月1日頃。
ちょうど兄弟の逮捕騒ぎの真っ最中、という計算になるんだよね。
伊周らの配流の宣命が出たのが長徳2年4月24日。
検非違使らが中宮がいる邸に押し入ったのが長徳2年4月28日。
定子が落飾したのが長徳2年5月1日。
長徳2年〜とあるのはすべて旧暦ですが。
このタイミングからあえて邪推するなら、最初に退出した3月頃には帝の子を妊娠していたけれど、
退出後すぐに心労で流産してしまい、逮捕が差し迫った当時の情勢から、あえて伏せて
子供を作り直した(というか何というか)というのも考えられなくはないかもね。
定子のお腹の子が男の子なら、危機に陥ってる中関白家にとっては起死回生のチャンスに
なるかも知れないわけだし、女の子であってもやはり、所生の皇子・皇女がいるのといないのでは
大きな違いにはなるわけで。
のちに一条帝が定子を宮中に呼び戻すときも、生まれた内親王の顔をみたいからって
理由にしていたし…
ただ、でもそういう策略は枕草子とかの定子のキャラにはやっぱり合わないなあ。
しかし兄弟のことを嘆願しにこっそり参内していた…なんてことも考えにくそうだし
どうなんだろうねえ。 >>933
うわぁ、「ブーリン家の姉妹」みたいだね
計算は合うのか。うむむ。 >>933
例えばの話ですが
長女が生まれた日が長徳2年12月16日ではなく実はもっと早い時期に出産していて
けれども、出家した中宮が出産という前例がない状況自体を忌み憚って
碌な対策ができないまま月日が過ぎて、結果出産日の発表が遅れたとかであれば
枕草子の定子像とさほど乖離しないのでは?という推測が可能かもしれないです
そうでなくても高階家には業平が斎宮に産ませた子が高階の養子になったという
負の言い伝えがありますし、定子が中関白家の柱として没落を食い止めるためも
皇祖神を敵に回すような行動は慎むような?と私個人は思います
もしも実は、定子の兄弟や高階家の身内の男性の子ならば
かつて不義の子を出産した異母妹に無礼を働いた道長が黙認しないのではとも思います
確実な証拠をつかんで定子を後宮から永久追放する理由にするかもしれないなぁ、と
推測で史実の隙間を埋めてみましたが、どの辺りで妥当とするかは個々人に委ねられているかもです 補足
wikiには異母毎の出産は長徳年間(995年−999年)とボカされているので
定子が第一子を出産した方が先かもしれないです >>935
道長は何としても定子一派を排除したかったはずだけど、定子の不義については触れてないよね。てことは当時は、不義の実証が難しい状況で、定子の人格もあり、で、不義説は無理だったんじゃないの? >>937
現存する史料から考えると「事実はボカされている」くらいしか私は言えないです
道長ならば定子を後宮から退けるための理由を欲していただろうから
定子に何か後ろめたい事情があると気づいたならば見逃さないのでは?と思いますが
レスを書いているうちに、もしも実は早産で、かつ亡母の四十九日を経た後の発表ならば
このくらいの日数になるかな?と思いましたが、これも推測です まあ第一子の父親が誰であれ、定子が出産後も一条天皇に愛されていたことだけは
確かだね…
世の中の非難を浴びながら、無理やり定子を参内させて、その後も二人も子供を産ませて
道長をやきもきさせてるわけだし へえ、面白い話だな
当時から噂があったの?
不義の子を出産→藤壺、メリットないのに帝の寵愛、後宮で苦悩早世、子ども出世出来ず→桐壺 >>939
出家した定子を再入内させてるんだからね。すごいよね。
そして一条天皇はネコ好きwww >>928
308日=44週ですね。
通常より6週くらいの遅れ?
さすがに厳しいか。
それと、内裏を退出したときに既に懐妊していた(懐妊がわかっていたなら、2か月目以降にはなってる?)という情報も見受けられて、それも本当なら余計厳しくなりますね。
一次史料を持ってないのでネットで調べた限りですが、まずWikipediaの定子の項に、長徳の変の後、当時懐妊中の定子も内裏を退出し里第二条宮に還御、という記述があります。(ソースなし。ソースくれー!)
あと栄花物語の「みはてぬ夢」という巻の終わり頃に、東三条院が「中宮のただにもおはしまさぬを、さりともと頼もしう思しめすを」と言った、という記述があるようです。これは長徳2年年明け〜定子退出前のようですが、詳しい日付は見つけられませんでした。 >>944
受精日は妊娠2週目なので、在胎期間308日めだと、妊娠46週です。
43週ぐらいまでは過期産でもちょこちょこ話を聞くけれど、6週超過は…
当初妊娠したと思ったときは生理が遅れたなどの勘違いということはあり得ると思うので
退出日までに受精したと数えて計算が合うならまあセーフかと思うけれど。
栄花物語のその記述は、その年の2月頃。
小右記には、確か10月頃に、そろそろ中宮の予定日なんだが的な記載もありました。 藤壺の出産が遅れていたのは帝じゃなく源氏の子供だからと物語で書いてるのが
定子の出産が遅れていたのは帝じゃない誰かの子供だからではと示唆してるのだとしたら
紫式部って怖い女だなぁって思うわ 理想的女性、藤壺や紫に定子要素をちりばめているなら
彰子の女房なのに、紫式部からも定子への憧れがあったんだろうな
本当は定子様に仕えたかったとか 道長は、生まれたのが女の子だったからとりあえず安心し、あまり細かいこと考えなさそうだから、ストレスで遅れた?ふーん、で済ませてたかもしれない。
これが当時の人々の一般的な反応だったのではと思う。
でもこの2年後くらいに自らも出産を経験する、そしてとびきり賢い紫式部なら、定子の出産の遅れを思い起こして何か感じ取っていたかもしれないと思うのです。 確かに生まれた子が男かそうでないかが全てだもんね
皇室の場合 定子はその後も男児を生むけど
でもその子も有力な後見がないことで
結局即位はできなかったよ
紫がちい姫に美しい母性愛をそそぐのも
彰子が定子の遺児(男児だけど)を引き取って育てたことを意識したのかな
女主人が他の女が産んだ子を育ててるのに
やっぱり継母はダメですよーなんて書けないよね 藤壺要素は賢后と言われた彰子の方じゃないかな
紫上には政治的に賢いなんて要素ないし レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。