【連続帳票】ラインプリンターってなに【給与明細】
あの印字してる時のデカい音
カバー(?)を開けると印字が止まってしまう
平成生まれの諸君は知ってるかい
まぁ、SEとか事務センター勤務してる人は
平成生まれでも知ってますよね。 共通用紙セットするのも面倒くさかったな
放熱もすごく騒音もすごく、
一般の事務室に設置するとヤバかった(常時稼働でなかったから) ドラム式、ベルト式があった
ドラム式は高速(600行/分くらいだっけ?)だけどうるさい
プログラム開発に使われていると左端の「0」が極端にすり減ってる
ベルト式は低速(60行/分くらいだっけ?)だけど静かで印字品質も良かったな
その頃にカシオのタイピュータ(であってるかな?)見た
初期のインクジェットで印字初めが左右の間隔が詰まっていた オフコンでラインプリンターを接続していたわ。
全製品型番の在庫表を高速で印字できて便利だったわ
普通のドットプリンターなら1時間くらいかかるんだが
ラインプリンターだと数分で印字できて便利だったわ
しかし、紙喰い虫には違いない(笑)!!。 >>4
オフコン=オフィスコンピュータ
勿論、オンラインで主管支店へ繋がっていた
なんと、電電公社時代に契約(開通)して
オンラインで所謂、業界で言われている
オレンジ帯の入ったモデム(弁当箱)
電電公社の直営モデムね。 リボン交換もエロかったわ
紙製の幾重にも折り合わせた
交換用布リボン
紙ケースからプリンタ本体へ移すのを
失敗すると新品リボンが
ほほお釈迦!!。
でも、根性で修復する
元気やったな〜あの頃は
それも、みんなが帰った深夜にリボン交換をしてたわ。 昔、トラブルでメインフレームのメモリダンプしたら、段ボール箱ひとつぶんの連続用紙を使い切ったことがあった。
そのダンプしたメモリ容量は64MBだったというのも今では笑い話。 1976年からデータ通信業界で働いていたが
当時はメインフレームとか言わなくて
センターマシンと呼称していた
電電公社の申請書にも
センター側接続機器
端末側接続機器
双方を明記していた
たとえば、センター側 ユニバック1110
端末側は メーカーの通称名
よって両端接続機器はインターフェースのみ おれは1982年からメーカーで大型機の出荷試験をやってたんで、テストルームにはいろんな周辺機器があったな。
メインフレームっていうのは普通に呼んでたよ。
客先でなんて呼ばれてたかは知らんけど。 ラインプリンターって宅配便のラベルでまだ使ってないか?IBMのドットプリンターはやたらピンが折れたが、ラインプリンターは丈夫だったな。トラクターやリボンシールドみたいな消耗品以外ほんと壊れなかった。 >>1
アベノミクスで日本全体の給与総額は2割以上増えている。
(2012年)
給与総額185兆8508億円=勤労者数4556万人×平均年収408万円.
↓
(2019年)
給与総額229兆3259億円(43兆4751億円増、23.4%増)=勤労者数5255万人(699万人増、15.4%増)×平均年収436万円(28万円増、7.0%増)
驚異的な伸び率である。戦後史の中でも、記録的な数字といっていいだろう。