0001名無しさん@お腹いっぱい。2019/11/09(土) 07:07:59.02ID:O9mlSrgA
あの印字してる時のデカい音
カバー(?)を開けると印字が止まってしまう
平成生まれの諸君は知ってるかい
まぁ、SEとか事務センター勤務してる人は
平成生まれでも知ってますよね。
0002名無しさん@お腹いっぱい。2019/11/10(日) 06:54:27.90ID:7t8S2w8e
共通用紙セットするのも面倒くさかったな
放熱もすごく騒音もすごく、
一般の事務室に設置するとヤバかった(常時稼働でなかったから)
ドラム式、ベルト式があった
ドラム式は高速(600行/分くらいだっけ?)だけどうるさい
プログラム開発に使われていると左端の「0」が極端にすり減ってる
ベルト式は低速(60行/分くらいだっけ?)だけど静かで印字品質も良かったな
その頃にカシオのタイピュータ(であってるかな?)見た
初期のインクジェットで印字初めが左右の間隔が詰まっていた
0004名無しさん@お腹いっぱい。2019/11/16(土) 06:50:47.32ID:2JExkEn1
オフコンでラインプリンターを接続していたわ。
全製品型番の在庫表を高速で印字できて便利だったわ
普通のドットプリンターなら1時間くらいかかるんだが
ラインプリンターだと数分で印字できて便利だったわ
しかし、紙喰い虫には違いない(笑)!!。
0005名無しさん@お腹いっぱい。2019/11/16(土) 06:58:18.71ID:2JExkEn1
>>4
オフコン=オフィスコンピュータ
勿論、オンラインで主管支店へ繋がっていた
なんと、電電公社時代に契約(開通)して
オンラインで所謂、業界で言われている
オレンジ帯の入ったモデム(弁当箱)
電電公社の直営モデムね。 0006名無しさん@お腹いっぱい。2019/11/16(土) 09:37:17.92ID:2JExkEn1
リボン交換もエロかったわ
紙製の幾重にも折り合わせた
交換用布リボン
紙ケースからプリンタ本体へ移すのを
失敗すると新品リボンが
ほほお釈迦!!。
でも、根性で修復する
元気やったな〜あの頃は
それも、みんなが帰った深夜にリボン交換をしてたわ。
昔、トラブルでメインフレームのメモリダンプしたら、段ボール箱ひとつぶんの連続用紙を使い切ったことがあった。
そのダンプしたメモリ容量は64MBだったというのも今では笑い話。
0008名無しさん@お腹いっぱい。2019/11/25(月) 18:27:00.92ID:ydk8KIK8
1976年からデータ通信業界で働いていたが
当時はメインフレームとか言わなくて
センターマシンと呼称していた
電電公社の申請書にも
センター側接続機器
端末側接続機器
双方を明記していた
たとえば、センター側 ユニバック1110
端末側は メーカーの通称名
よって両端接続機器はインターフェースのみ
おれは1982年からメーカーで大型機の出荷試験をやってたんで、テストルームにはいろんな周辺機器があったな。
メインフレームっていうのは普通に呼んでたよ。
客先でなんて呼ばれてたかは知らんけど。
0010名無しさん@お腹いっぱい。2020/01/02(木) 19:50:43.17ID:4g+q64sH
ラインプリンターって宅配便のラベルでまだ使ってないか?IBMのドットプリンターはやたらピンが折れたが、ラインプリンターは丈夫だったな。トラクターやリボンシールドみたいな消耗品以外ほんと壊れなかった。