信長の野望で過大、過小評価されている武将スレ13
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
>>446
その数字どっから来たの?「織田の援兵は1万いた」っていう磯田道史の説でも「各地に分散されて家康本隊には数千」って言ってるが 全盛期の数値なのは家康だけじゃなくて全員でしょ
シナリオ毎に変動させる気は肥には無いみたいだからしゃーないのでは >>450
マジかい!光秀かよー!
金吾主役の夢はまた絶たれたか・・orz >>454
それは磯田が家康ageしているだけだよ
磯田は増援がしっかりあったとした場合の中でも少なめの説を採用して
それがどのように分けられたか詳細が残っていないのをいい事に三方ヶ原はかなり抑えた数にしている
もちろん各城へ備えとして織田の援兵が分けられたのは否定する気はないけど >>457
実際武田は家康が駿河に釘付けにされてるうちに三河に浸透するつもりが
そっちは織田の援兵がガチガチに固めていて当てが外れたっぽい動きしてる >>457
つまり詳細が残ってないことを良いことに兵力を対等と言い出してるのかw >>459
何を言っているのか分からない
磯田氏が徳川織田連合軍の兵数を過小評価しているようにしかとらえられないのだが 武田の3万だって怪しいもんだがな・・・
当時の武田の勢力圏で3万は出せない事もないだろうが、背後はほぼ無視レベルの話だろう
>>456
そんな夢は捨てなされw >>428
折檻状を見ればわかるが、佐久間信盛は内政においても信長の意向を無視していると
記述している箇所が何個かある。水野信元の遺領での行いや
山城山崎の扱いも信長と信盛で食い違っている差配がある。
織田信長が息子である織田信忠の基盤固めに利用した可能性が全くないわけではないが
少なくとも佐久間信盛とその与力の間に対立があったのは確か。
あと書状にしばしば「父子」「甚九郎(佐久間信栄)」のことが書いてあるので
息子の方が据えかねていたんだろ。
大きな領地を持つ武将の息子が無能だったり、無能ではないけど幼少の時に領地減らすのは
のちの豊臣秀吉も丹羽長重に対してやってるな。明智光秀も息子がまだ若かったから、そこで危機感抱いたかもしれん。
信長の実の息子を養子にしていた羽柴秀吉は流石の根回し 三方ヶ原の戦いにおける織田の援軍についてだが、率いた武将はそれぞれ
信長公記では佐久間信盛、水野信元、平手汎秀、
松平記にはこれに林秀貞が加わり、明智軍記では水野平手が抜けて代わりに滝川一益が入る。
総見記は美濃三人衆から毛利長秀まで山のように武将が入っているが「総勢3000」としているから無視でいいだろう。
これらの史料を統合すると佐久間信盛と実際に戦争で死んだ平手汎秀はほぼ確定。
水野もほぼ確定でいいだろう。林は少し怪しく、滝川はかなり怪しい。美濃三人衆に至っては論外でいい。
兵数についてだが、佐久間が入ってるので3000はありえない。佐久間軍記では1.5万、甲陽軍鑑で1.9万、
前橋酒井家文書では2万、まあ1.5〜2万というのは妥当な数字であろう。
当時の織田家の総兵力は万石250人計算(防衛側なので無理すればもっと多く可能)で
約7万の兵力が動員可能。実際には各地の防衛も必要だからもちろんフルで一箇所に集めるのは不可。
1574年の伊勢長島でも織田軍は5万動員してるから、攻撃5万+各地の防衛2万で大体そんなもん。
問題は織田軍の戦い方。佐久間信盛折檻状にもわざわざ信長が三方ヶ原のことを出している。それがこれ
「一世の内、勝利を失はざるの処、先年、遠江へ人数遣し候刻、互に勝負ありつる習、紛れなく候。
然りといふとも、家康使をもこれある条、をくれの上にも、兄弟を討死させ、又は、然るべき内の者打死させ候へば、
その身、時の仕合に依て遁れ候かと、人も不審を立つべきに、一人も殺さず、剰へ、平手を捨て殺し、
世にありげなる面をむけ候儀、爰を以て、条々無分別の通り、紛れあるべからずの事。」
織田信長は佐久間信盛の三方ヶ原での振る舞いを激怒している。
もし佐久間が3000しか率いていなければこんなことは言わないだろう。
これは佐久間率いる織田の援軍が相当数あったと考えるのが正しい。
織田徳川が2万数千で武田が2.8万ならば戦況はわからなかったはず。
結論を述べると、三方ヶ原の戦いは
・織田軍は1.5万〜2万の兵を率いていた。
・徳川軍は数千から一万で、武田軍は2.5万から3万の兵を率いていた。
・しかし佐久間信盛は消極的な采配で武田と戦おうとせず、統一行動が取れなかった
・実際に戦った徳川勢(+一部の織田勢、これが3000か?)が武田勢に惨敗。
・織田信長は「佐久間信盛が真剣に戦っていれば武田を撃退できたのではないか」という密かな怒りがあり、それが折檻状で出た ちなみに、三方ヶ原の戦いで大勝を収めた武田信玄だが、
なぜかその後三河への侵略を本格化させることなく、
吉田、岡崎といった重要拠点をスルーして、東三河の山岳地帯へと軍を進めている。
これは恐らく、三方ヶ原で戦わなかった佐久間信盛がそのまま三河主要拠点の近くにいたからであろう。
佐久間信盛が怠慢だか消極だかなぜか戦わなかたので、織田の援軍はほぼそのまま残っていた。
それが岡崎吉田両拠点が陥落しなかった理由であり、信玄が東三河から美濃方面へと繰り出そうと企図していた恐らくの理由である。
なお佐久間信盛はこの後信長公記には同年の7月まで登場しない。
織田信長の反攻作戦は2月末から六角足利への攻撃を開始しているが、このとき佐久間信盛の名前はない。
そのまま武田信玄への備えとして三河方面に残存していたと思われる この長文は菅沼だな
織田か武田が絡むとゴキブリのように沸いてきやがる >>465
あんな奴と一緒にするな
菅沼なら織田軍がたくさんいた
そして武田信玄がそんな雑魚織田を破った!ってホルホルする >>463
折檻状の三方ヶ原のとこの要約よろしく
飛び飛びでしか翻訳できない ちなみに名前が出てきたから菅沼遼太の説も出しておくが奴の主張では
「織田軍はほぼ佐久間信盛が全軍率いて、三方ヶ原で壊滅的大敗を喫し、
織田信長はまともな兵力を率いることもできず岐阜城でガクブルしていた」とかいう
小学生や中学生レベルの発想しかしていない。この後「武田信玄が長生きしていたら信長は〜」に続く。
俺の主張はむしろ真逆。
「織田信長は圧倒的兵力を有しており、消極的侵攻にしたかったのは武田信玄の方。
しかし佐久間信盛ら織田の援軍との意思齟齬、消極采配により織田が武田のペースにハマって
見かけ上戦力が拮抗しているように見えた」というのがおおまかな主張だ。
学者の磯田氏は「織田軍は広範囲に分布しており三方ヶ原に間に合わなかった」としているが、恐らくこれは誤り。
当時の指揮官クラスの武将だった佐久間信盛、林秀貞、水野信元は全員が織田信長から追放、誅殺処分を受けてる。
明らかに佐久間が二の足を踏んだせいで先行の徳川家康が壊滅寸前だったのは三方ヶ原の戦死者リストや戦死者数からみても証明済み。
軍が合流できずに先鋒が壊滅するのは大坂の陣の道明寺でも同じことが起きてる。 >>467
Wikipedia丸々でいいなら
「信長の生涯の内、勝利を失ったのは先年三方ヶ原へ援軍を使わした時で、勝ち負けの習いはあるのは仕方ない。
しかし、家康のこともあり、おくれをとったとしても兄弟・身内やしかるべき譜代衆が討死でもしていれば、
信盛が運良く戦死を免れても、人々も不審には思わなかっただろうに、一人も死者をだしていない。
あまつさえ、もう一人の援軍の将・平手汎秀を見殺しにして平然とした顔をしていることを以てしても、その思慮無きこと紛れもない。」
原文で見るべきところで言えば、「一人も殺さず、剰へ、平手を捨て殺し、 世にありげなる面」
の部分だろう。援軍として派遣した武将のうち織田家での序列において
平手は一番格下、なので率いた軍は平手が最も少なかったはず。
さらに「一人も殺さず」というのは尋常ではない。
恐らく武田と戦うどころか一瞥もしていない。気づいたら先行部隊が武田と戦って大敗してたとかそんなレベル >>469
佐久間信盛ら、三方ヶ原で大ポカして家康死なせかける
織田信長、積もり積もって折檻状で怒り大爆発
折檻状、佐久間信盛も悪い >>470
なるほど、石山合戦の時といい酷いな
これに加えて旧水野領で私腹を肥やす始末か >>467
遠江に援軍に行ったとき、武田と一戦やったよな
家康を助けに行って、必死で戦ってたんなら佐久間家の家臣団に少なからず被害が出ていて当然なはずなのに
誰も死んでないってどういうことだよ?徳川や一緒に戦いに行った平手見殺しにしたんだろ?それで平然とした顔してるとか信じられねーわ
佐久間的には徳川なんかのために貴重な戦力消耗させたくないって感じだったんだろうか >>472
石山のときも佐久間は積極策に転じず結果的に時間がかかったからな
恐らく佐久間信盛はその異名である「退き佐久間」のように、
相手を凌ぐことに長けていた武将なんだろう。
佐久間信盛は相手が何かしかけてきたら凌げるが、固く守る敵には全くと言っていいほど消極的
信盛と信長が衝突した刀根坂でも、速攻追撃かける織田信長の叱責に反論している。
三方ヶ原でも石山でも分かる通り、典型的な「守り上手の攻め苦手」将軍だったんだろう。
佐久間信盛は別に軍を壊滅させてたわけではないが、固く守って軍隊を宙ぶらりんな状態に置いてたことが
速攻信条のような織田信長と絶望的に合わず最後はああいう形になったと思われる。 >>470
佐久間率いる主力部隊は三河から動いていなかったっていうのが自然だよね
徳川を破った後その勢いで三河攻め落とすつもりだったのが、そこに織田の大軍が居座ってたから朝倉に文句つけたんだろう
織田は引き付けてるんじゃなかったのかよ話が違うぞって
三河に突入できてないから兵糧の現地調達も限界で撤収 >>476
東三河に武田信玄が繰り出すのは超合理的だもんな。
いざとなったら信濃に撤収できる上、万が一織田領内ががら空きなら
美濃方面にも繰り出せる。まあ、佐久間を三河に送った段階でも戦力的にはそれでも織田優勢なんだが、
少なくとも包囲網の他の敵次第では希望が見えるラインにはなってる。
結局希望は見えずじまいだったけど、武田信玄の狙い自体は優秀。
織田信長からすれば、最善手打てば勝てるところで何回もポカやって、結果は出ない、だから流石に信盛追放したんだろう。跡継ぎ息子もアレだし >>476
とすると、武田信玄の死亡は撤兵中のこと? 秀吉も無断離脱の神子田とか消極策の尾藤は処分してるし、その一方で大ポカした仙石はひっそり復帰させてたりで
臆病者は不要、積極的に戦う奴は失敗しても許すって思考してそう
というかそうしないと誰も必死で戦わなくなるんだろうな 段々わからなくなってきたけど
誰の能力値がどうなるのさ? >>480
武勇=攻撃力だった創造以前なら佐久間の武勇低くすればよかったんだがなあ
攻撃微妙で防御優秀だと知略型査定になっちゃう大志ってやっぱクソだわ 佐久間の場合、殿軍が上手いというのは、戦上手ではあるんだよな
殿軍は全軍の撤退が終わるまで戦場にとどまって敵を食い止めておいて、
さらに撤退しながら戦うわけだから、攻撃と防御にたけてないとあかんしな
本願寺に関しては寝返り工作は無理だし、何より信長でさえもおとせずに
朝廷引っ張りだして退去させたわけだしな、
もう少し戦闘関係の能力は高くしてもいいと思うわ >>482
殿は攻撃長けてる必要はないぞ
あくまで時間を稼いで、普通にやれば壊滅するところを
整然と撤退できる能力が求められる仕事
別に敵を潰す必要はなく、粘って粘って根負けしてくれればいい
撤退中に敵を倒して指揮官戦死なんて芸当できるの諸葛亮くらいだし
その諸葛亮も攻めの方は守りに比べると物足りんよ 信盛のせいで信康は織田家に不信感を抱いて家康と対立し粛清されたと言うことかね 信盛云々じゃなくて、あれは今川系浜松派と松平系岡崎派の対立じゃないの 素人の独自解釈はもうおしまいでいいよ
能力値の話をしてくれ >>487
俺の好きな山形武将はオール90以上が妥当!なお理由はない!
でゴリ押しされるだけだから無駄かと 言うてもノッブだろうが東北の山まみれ雪まみれじゃ無理ゲやろうしなあ
まあこのスレが経歴ばっか見てしまうのも肥が災害軽視するから仕方がないんやが 信盛は退くのが上手いんだから戦法を気勢崩しじゃなく用心にしてやればいい
知略は70も不要 再来年大河が光秀に決まったみたいやな。
これで次回作の光秀は能力アップ間違いなしやな!
顔グラも長谷川博己に似せてくるやろw どっちかというと家臣団が盛られる黒田パターンになりそう とりあえず足りない明智五宿老の実装と既存五宿老のアッパーは期待できそう 斎藤利三や秀満も上がりそうだね。
光秀プレイ面白いから楽しみだ。 秀満にしても利三にしても大志で十分上がってないか? 利三や左馬之助はもちろん
溝尾庄兵衛や安田作兵衛なんかもドンと強化来るかも
息子の光慶も初登場なるかも
四王天但馬なんかの登場来れば丹波国人衆の強化もあるかもしらん
(赤井直正もさらに能力上がりそう) 明智光秀の子孫って今までテレビで沢山でてるよね。クリスペプラー、ミュージシャン、会社員のおっさん等 信長は織田信成(今居る方の信成)、会社員のおっさん、名古屋のなんかの飲食店の店長等
仲直り会と称して織田子孫と明智子孫が対面する番組がこれまでにあったけど、どれが本当の子孫なんだろうか 波多野秀治(秀尚も)はおそらく出番があるから知勇兼備の名将になるかな。国人が裏切らない人望と大勢力に最後まで抗う男気はある君主だし評価を上げるチャンス 明智なんて、変のあとは残党狩りにあって、
そもそも生きてないと思うんだけどなあ。
仮に居たとしても、謀反人の名前を嫌って素性を隠してた筈で、自称しかないはず。 ちなみに、織田家の子孫は
(信雄系ほか)小大名になれたから、
系図を確認できる血筋がある。
建勲神社のお祭りにも子孫が出席している。 一応坂本や丹波では慕われていた(らしい)から
町おこしの神輿に担ぎ上げられているだけとも言えるが 赤井直正あたりは活躍してくれたら嬉しいな
溝尾さんはかなり低能力だから上がる余地あるな 織田信長−織田信雄(次男)−織田高長(五男)−織田長政(三男)−織田信清(次男)−織田信栄(長男)
−織田信浮(五男)−織田信美(九男)ー織田信学(長男)−織田信敏(四男)ー織田栄子(次女、夫も織田家血縁)−織田信正(長男、弟あり)−織田信弘(直近の直系子孫)
ちなみに今残っている織田信長の直系子孫は全員織田信雄の家系 >ちなみに今残っている織田信長の直系子孫は全員織田信雄の家系
テレビでチェッカーズの歌これから生歌唱!といって出てくるのが高杢と鶴久みたいな残念さ 大河では若き日の光秀像も描くそうだから
光秀の才能を見抜けなかった土岐・斎藤家や
光秀が寄寓してた朝倉家は暗愚な描き方されそう >>512
斎藤道三、足利義昭、他にも若く野心にあふれる細川藤孝、松永久秀、今川義元などの群像劇も描くそうだけど
ほぼ東海・近畿の武将のようだから無いんじゃないかな
ストーリー上で、伝聞的に中国まで足を延ばして就活したけどダメだった
って語られるぐらいのような気がする 一色さんは能力よりまず配下武将増やしてくだせぇ(切実) >>515
大志で、超久々に期待の新人2名が加入されたばかりですやん… 織田家の子孫はフィギュアスケート選手として再び天下に躍り出た NHKだから赤井直正役で赤井英和とかいう迷采配かましそうやなー
子孫じゃないけど直正の従兄弟の子孫だからサプライズやろくらいのかるーい考えでさw >>509
なんか子孫残した信雄が有能に思えてきたw
というわけで信雄にもっと光を!! >>522
ああ英和は血繋がってないんですよ
弟の幸家の家系なんで 光秀主役の大河により、弱いと嘆かれた近畿武将が強化されるな
明智三羽烏の登場も待たれる 信長上洛世代の畿内勢の評価がどう変わるか楽しみだな
三好勢とか池田勝正とか
あと赤井直正は有名所やライバルの明智がどんどん強化されて置いてけぼりにされてる感があるから能力上げてほしい
顔グラもずっと使い回しされてるし どうせ最終回は天海になって家康と談笑するシーンで幕引きなんだろうな >>526
赤井はこれ以上上げたらただのバグキャラになるよ
明智が不当に高数値だから下げりゃいいだけ
あと顔グラは今の引き出しの少ない絵師デザに変えるぐらいなら変えないままの方が個性あっていい >>528
内藤宗勝みたいな大物クラスの武将を決戦で討ち取って、織田軍も撃退してる
これで統率知略共に80貰えないなら明智以外にも下げるべき武将が相当出てくると思う
あと顔は天下創世から15年同じままだからさすがにね 三国志も一新したし、そろそろ天下創世や革新と同じ顔はなんとかしてほしい 浅井や六角、足利将軍家との関わりによってはこの辺の能力値見直しもありそうだね 光秀さん、結構あちこち放浪してるのねw
こりゃ大河初登場の武将も多くなりそうやな。 織田家のほとんどの業績を光秀の成果にされそう
各種裏切りや焼き討ちはたまたま知らぬ存ぜぬ悪いやつらが勝手にやったこと
光秀のイメージを良くするんだ〜が大前提になってそうだしな
そして結果、よけいに叩かれる羽目になると
光秀はある程度ダーク優秀あるいはヘタレだからこそ輝くんだと思う 光秀が主役となると細川絡みの出番も増えるのかね
個人的に松井康之なんてここでの評価が気になる
大志の数値がわからなくてすまんけど 大河でキレイな光秀になるのは構わんが信長をテンプレ悪役みたいにはしないで欲しい 比叡山焼き討ちは光秀主導の作戦だし、
ぜひノリノリで山を焼く光秀が見たいなあ 子供向け歴史漫画でもそうだけど、主役武将悪くない!他に悪い奴がいた的なのはちょっと…
明智光秀主役の本能寺の真実漫画、お前のことやぞ >>529
直正は79 85 78ですでに一流
このクラスは畿内だと後は長政ぐらいですでに長頼とは格差がある
長頼も久秀との絡みで弱い言われるが丹波をぎりぎり取れなかった男で
能力の上昇はそこまで大きいとは思わない
あと明智織田撃退は波多野秀治の策謀を軽視し過ぎと思う 明智撃退つっても直正の功績じゃなく波多野が裏切っただけだからな 前の三好でもあったけど一流の定義が70、80、90と個人差あるからな
悪右衛門は内政、外政以外80以上で問題ないし実際上げてる 松永長頼は上げるにしても何故知略だけ上がったんだろ
79で赤井直正より高くて違和感 赤井なんどうでもいいわ
それよりアカイナンの能力を上げろ >>541
その数値で一流って言うなら、他の地域の一流武将もそれくらいに下げないとな 多分80代が一流で90代は超一流とかチートって考えなんだろ 実際直正はこれ以上上げる必要はないだろ
浅井長政より高いのは流石にね 浅井長政も更に上げれば良いだけだろ
元々長政(畿内周辺)も過小だって事だし >>550
浅井長政が優秀だと言えるエピソードを知らない ここで過大例にあがる浅井長政って
実績だけなら宮部の方があるんじゃないか 長政がイケメンという間違った風潮。
じつは肥満体型だったらしいし・・・顔面過大評価やな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています