なぜ諸葛孔明は魏や呉に全く通用しなかったのか
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「伏龍、鳳雛のいずれかを手に入れた者は天下は思いのまま」とか言われたけど
期待外れすぎるだろ >>160
本来アウトな曹操が王になった状況だからね
このへんしっかり段階踏んでやってたから蜀漢正統論なんてものも起こったし曹操を悪役とする民間伝承も流行っていったんだ >>161
>このへんしっかり段階踏んでやってたから蜀漢正統論なんてものも起こったし曹操を悪役とする民間伝承も流行っていったんだ
それって政治的、文化的なもの多少含まれているはずだが?
魏を乗っ取った司馬家が蜀漢を滅ぼした事で正当化し前権力者の魏を悪者にするという常套手段=政治的手法
三国志が流行るのは元や清の漢民族以外に支配されている時で
北方民族=(北にある)魏扱い=文化的ry
それに劉備が皇帝になったのだって献帝が暗殺されたとかデマまで流しているだろう
段階を踏んだといえば聞こえはいいが、その前の同族を攻めて乗っ取るのはいい事なのか?
時代が時代とはいえ劉備自体も褒められた人間じゃないのはたしか あーこれ構っちゃいけないキチガイだったか
これは不毛だわ >>162
いわゆる劉備が負けると子供は泣き曹操が負けると子供は大喜びするの話は北宋だし
演義の原型的なものができたのも関索伝説が流行ったと言われるのも北宋からだし
演義の成立は明だけどね >>157
横スレだけど
関羽に勢いに遷都まで考えた事実と、
関羽が大雨に乗じて大勝した事は別に相反する事ではないし、
群臣達の数々の進言の記録から、関羽の北上を脅威に思って孫権と結んだのは事実。
当時の曹操は、
漢中で夏侯淵が敗北、曹操自身の親征も結果出ず、
夏候惇率いる26軍はは対孫権の戦線に張り付いて動けず、
荊州北部の兵権を与えられた曹仁は包囲され少数で孤立中、
中央からの増援の于禁は7軍ごと虜囚にされ、ホウトクは戦死。
更なる援軍の徐晃にも最初は満足な兵士を与えられないという八方塞の状況。
孫権との密約で成立しなければ、果たして徐晃の兵士を揃えれたかも怪しかったと思うよ。 あと蜀の荊州失陥は陸遜に油断して守備兵を減らした関羽の油断は十分罪だが、
本来の原因は荊州を巡る蜀と呉の領土問題が本質にあり、
関羽の外交手腕とか態度で覆る問題ではなく、関羽一人の責任に帰せる問題ではない。
北上自体も鉞を与えられた後の行動で、関羽の北上を責める話が蜀に残ってない事から
何らかの形で承認を受けての北上である事が伺える。
だが呉の外交問題で諸葛亮を責めるのもまた酷な話
当時の諸葛亮は外交や戦略の全権を担う存在でもないし、
赤壁時の劉備が荊州を単独領有出来るほどの勢力でなかったのも明らかで、
元々のスタートラインが低すぎるから、
天下三分が無茶苦茶ハードルが高い策であったとしか言いようがない
そういう意味では三国の一角を占めるだけでも良くやった方だと思うけどね いきなりじゃなく呉が寝返った(臣従した)のが先だし関羽に酌量の余地無いけどな・・・・ このスレってまるで自分がその時代の土地や人間を自分の目で見てきたかの様な言い方する人いるよねw 関羽は武人の大器だが人を率いるは一部隊長程度の器で方面隊みたいな大きな部隊は無理があった(他に適任者が居なかったのかもしれないが)
結果荊州陥落
結果論?歴史は結果の積み重なりですが 個人的には関羽一人の責任だとは思わないがやらかした部分はデカイよな ホウトウが生きてて関羽のそばに張り付けとけば違った結果がな
蜀に人材がいなさ過ぎたのが問題さ 陸遜舐め過ぎってか凄い傲慢だったとは思うわな
呉が魏に臣従したのに国境沿いの兵割くとか常識じゃ有り得ん まあ関羽に油断がなかったとしても荊州守りきれたかはわからないけどね
蜀として荊州の領有か呉との同盟かどちらを優先させるのか方針は決まってたのかな?
どちらも確保するというなら見通しが甘かった訳だし、関羽より政策を決める立場の人間の責任じゃないのかな 例のごとく窮地に陥って、援軍呼ぶ時の蜀の情報伝達の遅さも起因してるだろ 言っても漢中から単独で北伐とか兵站の点で無理ありすぎるわけで、曹操でも漢中攻めで兵站破綻して大量の脱走者出して撤退なんて事態になってるわけで
呉が魏にボコボコにされつくした結果、平地じゃ勝てねーし領土増やせねーから南に引きこもるわー、関羽怖いから長江だけでも確保するわーって路線に行っちゃったのが全てじゃねーかな
呉っていうか江南の豪族って曹操や劉備の軍勢に比べて優秀な騎兵指揮官少なそうだししょうがないね 少数ながら団結し守り抜いた張遼
普段の振るまいから部下の離心を呼び最重要拠点も命も失う関羽
孫権が言われる場合が多いが老害はヤベェ なんでそこで張遼やねん
上司のトンか曹休ならともかく
無知だから張遼が対呉のトップだと思ってるのかな? 関羽北上に関しては魏もかなりの博打してるよな
徐晃の兵は中々集まらず対呉都督の夏侯惇は都に呼び返してるし対呉の戦力を割いて張遼に荊州救援させてるし
呉が本当に降ってたから良かったけどこのタイミングで呉が北上始めてたら大惨事だ 最悪、劉備も北上して関中を抜いたりしようものなら項羽が負けた時と似たような状態になってしまう
しかも曹操の命も長くない 関羽は軍事も政務も両方こなした実績があったから荊州を任されたんだろうね >>183
だが政務は…
部下のありがたみとか分からなそうだしな 軍師としては徐庶の方が上だし、
政治家としては司馬懿の足下にも及ばんし、 そもそも政治が一番過大。どれだけ美化しても益州一州回すので精一杯だったのが現実 戦って個人の能力以上に国力で決まるものだから
軍人としては凡庸な孔明ではなおのこと無理もない 凡庸だったら司馬懿は防御に徹していないと思うの
孟達や公孫淵の例を見ても >>191
失礼な、宗男クラスの政治力や外交力はあるぞ。
と言っても架空戦記だったな。
劉備が呉へ攻め込むときに、嘆くだけで一緒について行かなかった謎展開とか。 ・荊州事情の見通しの甘さ
・実質劉備見殺しの夷陵スルー
・劉禅傀儡
・自分に支持を集める為の北伐
やっぱ独裁狙い? ・公や九錫などの簒奪につながるものは受けていない
・主君の妻子を殺害して自分の娘を娶らせるなどの行動をしていない
・権力を息子や一族ではなく実力のある人物に継承させている
・権力が自然に次の宰相へ継承されている
・息子や一族が次の権力者に排斥されていない
・死後に名誉を貶められていない
・後継の宰相たちも滅亡まで誰一人として簒奪を行っていない
劉禅は献帝や曹髦曹奐や孫亮とは根本的に違うんだよなあ 漢王朝の復活というのが、大義名分として当時通用したのかな。 逆に通用しないなら諸葛亮はなんで正議を発表したのかって話になる 光栄の公式ガイドに答えが書いてあったなあ。
国力が違いすぎるって。
魏が当時の中国の8割押さえてたとか。 事前にありとあらゆる自体を想定してシミュレートする能力は卓越してるけど、
想定外の状況変化にはかなり脆すぎるわ。臨機応変に対応できないのは、軍人・政治家としてはちょっと。 @政治家で戦略家であって、戦術家ではない。
A演技では不世出の天才レベルに書かれているが、これは作者の贔屓、魏・呉にもあのレベルの天才は居た。
Bそもそも蜀という国は守りに向いているが攻めに出難いので広がる他国に比べ国力不足が拡大する
Cその為に橋頭保を確保する為の荊州や街亭での戦で戦術眼の不足から要所を失った。
DA〜Cの事から蜀という国自体が魏・呉に敵わないのだから、それを覆すのは一人二人の天才ではどうにもならない。 孔明が呉からの撤退の時に仕組んだ難攻不落の究極陣形も、曹仁ですら使ってたような・・ 劉備「何回も訪ねて頭下げてまでゲットしたのにこんな期待はずれだったとはショックや」 >>209
孔明「失敗の始まりは劉備兄弟のやらかしですが何か…?」 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています