なぜ諸葛孔明は魏や呉に全く通用しなかったのか
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「伏龍、鳳雛のいずれかを手に入れた者は天下は思いのまま」とか言われたけど
期待外れすぎるだろ ホウトウはジュンイクみたいな名士ポジションだし戦も孔明の方が上手だろ
郭淮破ってるし スペシウム光線はアントラーやゼットンに全く通用しなかった
エメリウム光線はアイロス星人やクレージーゴンに全く通用しなかった
ストリウム光線はロードラやシェルターに全く通用しなかった
ゼペリオン光線はシルバゴンやビザーモに全く通用しなかった
ソルジェント光線はサタンラブモスやユメノカタマリに全く通用しなかった
クァンタムストリームはアパテーや壬龍に全く通用しなかった
フォトンクラッシャーはブリッツブロッツに全く通用しなかった
マクシウムカノンはモエタランガや魔デウスに全く通用しなかった
うちのぶんきっきの翡翠光は地方平定ラストの十常侍に全く通用しなかった
そういうのと同じだと思うよ 所詮内政のプロだったってこと
軍事を統括できる人材が蜀にはなく
魏呉に掃いて捨てるほどいただけ
県知事はできるだろうと思ってた諸葛亮の友人が魏で
市長レベルだということに驚いたエピソードがそれを如実に表している >>8
徐庶はショボいが孟建は征東将軍になったぞ
そもそも徐庶を過大評価しすぎ 国力バランスを考えたら十二分に対抗出来てんだよなぁ…
>>9
徐庶も御史中丞なんだからそれなりに出世はしてるだろ
ただ孔明的には三公、最低でも九卿ぐらいは務められると思ってたんじゃねーの?
口では太守ぐらいはいけるんじゃない?とかっこつけながら内心評価してたなんてかわいいもんじゃないですか 蜀が他二国と同等ではなかったら三国時代あそこまで続かんだろうしな >>10-11
蜀を持ち上げすぎ。単に魏から見たら別に無理してまで欲しい土地じゃないから
長続きしただけだよ。魅力ある土地ならそれこそ旧蜀時代から戦に巻き込まれてる >>12
国力に圧倒的余裕があるならそんな僻地の地方政権すらも地の利(笑)状態で潰しにいくのが中国の統一王朝だけどね
魏はそれだけの余裕はなかなか出来なかった 孔明とホウトウが劉備軍に加わってからは
ホウトウが軍の作戦指導をしていた
ホウトウが戦死してからは法正があとを襲った
要するに百戦錬磨の劉備は、軍事にかけては孔明に期待してはいなかった 北伐はいくら演義で善戦したように書いてても要は蜀呉共にフルボッコなんだよな・・・ 演義補正抜いてもフルボッコにされたなんて言える戦いなんてそう多くないだろ >>1
それ言ったの水鏡先生だけだし
水鏡先生はただの人物鑑定家で政治や戦争にはド素人だし そもそも魏って曹操〜曹丕の時代はまさかの物々交換市場だからな
魏は三国の中で唯一貨幣が機能していなくて曹叡の代でようやく回復の兆しが見えたかなって程度の経済後進国
曹操が粗悪な董卓小銭放置した挙げ句現金で納税させる税制度撤廃しちまったせいで魏国内の経済力はガタ落ち状態だった
曹操にとって金鉱や鉄鉱が豊富な蜀の地はのどから手が出るほど欲しいものだったが、漢中戦であの通り劉備に手も足も出ず大敗してしまったんだよね
国内経済の立て直しや周辺異民族の反乱を抑えるのに必死で常に余裕のなかった魏には人材もなければ資源もなかったというのが真実
本当に余力があって人材豊富だというなら劉禅の治世にいくらでも攻め込んできてるはずだからなぁ 侵略してまずすることは人を移住させて畑耕させることだし
戦争のせいで人口が後漢で調べたときの1/100になってたらしいし
結局人口密集地帯の中原を取った曹操の魏に
後ろと中に不安要素を抱える新興開拓地帯の呉や
山奥の寂れたド田舎の蜀が勝てるわけもなかったのだ
韓信いても厳しい 魏もボロボロ、呉も不安持ち
あれれ?ひょっとして荊州取られた関羽と夷陵で負けた劉備が最大の戦犯? 1無知乙
孔明は三国志演義成立以前から
名将中の名将として評価されますけど 関羽に州を任せられるほどの器量がなかったともいえるし、関羽に参謀がいたらってなるとホウ統の死が痛すぎたね >>21
巴蜀は秦の時代から製鉄製塩事業で大儲けしてたし成都は前漢の頃には長安をしのぐ中国最大の富裕都市になってたよ
益州は天府の地で土地の痩せた中原に穀物を供給する食糧庫であると史記にも書いてある
寒冷地にある魏が疫病や飢饉に悩まされてる間も温暖な西南に位置する蜀と呉は飢え知らずだったしね
ちなみに曹操は自国の絹製品の質が悪過ぎてわざわざ劉備の蜀から絹を輸入してるw 板違いだろ
しかも前提から間違ってるし
孔明は一貫して呉とは同盟してやっていくというよりも立場を崩してないから
呉と直接対峙したことは一度もない
夷陵の時も留守番だし 董卓や魏晋の悪評が昔から定着してたのって演義でも漢朝絡みでも異民族絡みでもなくそういう経済的な失敗が長い事尾を引かせたのが原因かもな 魏晋は最終的に余所者、もとい異民族にやられたからだろう
項羽は簒奪して主殺してるのに人気があるし >>32
そりゃ理由はどうあれ一時期は天下の主宰者だったわけだし
史記にも正式な帝王として列記されてるし(呂雉もいる)
なにより自身は負けてないわけだからな こういう板違いな糞スレいくつも立てて蜀呉disろうとしては論破されてっての繰り返して本当に魏厨はクズだな
こんな事すればするほど普通の魏好きや魏そのものの印象が悪くなるってわかんねえのかな
バカだからわかんねーか 10万本の矢とか風を起こしたとか捏造が酷すぎる
孔明は政治家としてはとても優秀な人材だと思うけど、スーパーチート軍師って扱いはどうかと思うわ 演義の創作にブチ切れてる奴らが蒼天マンセーしたり無双のキャラにブヒブヒ言ってたりするんだから笑える 孔明が呉(兄貴)と通じてた説とか無いの?
荊州争奪戦〜夷陵の戦いのスルーっぷりや皇帝自称させたのに
領土取られた格下(位)相手に土下座外交とか不自然すぐる・・・ >>40
正史にそんな事は書いてないから考察という名の妄想でしかないんだよそういうの
それをさも正史に書いてるかのように語り出す奴らがもう…
せめて最初に俺の考察(妄想)だけど〜と断り入れてから語ってほしい 説としては面白いかもしれないけど
何のために? これに尽きる
それなりの利害があればまだ納得もできるかもしれない 蜀よりも人材たっぷりの呉ですらチビるほど人材豊富な魏から禅譲を受け
南に遁走した晋を簒奪した宋すら簒奪した梁を潰した陳を楽々併呑した隋を
軽く一蹴した唐を鼻くそ扱いしたアッバース朝を追いはらったセルジューク朝を
赤子扱いしたモンゴル帝国を北の塵にした明を手玉にとった清をズタボロにした
大英帝国ですら青ざめるアメリカ合衆国の子分の日本 >>41
諸葛瑾は弟と通じていると思われたくないから
孔明が同盟締結のため呉を訪れたとき会わなかったっていう
エピソードがあるくらいなのにな…
逆説的に言えば「呉の朝廷内でそういう風に見られていた」と見ることもできるが
まぁどんなに出処進退をうまくやったって息子に一族皆殺しにされてはねぇ
龍は過労死して狗は反乱起こして敗死して虎は天寿をまっとうしたけど息子におじゃんにされたし まさか神(しかも最上級クラス)にまで格上げされるとは本人も思うまい 今や、宇宙の創造神である玉皇上帝の側近筆頭だからね。 だから商売の神なんでしょ。
現世において商売ほど強い力はない。
先進国の衣食住は全て商売の力で成立ち
戦争ですら今やビジネスとなっている。 え、違うよ。中華街などの中華系の関帝廟では商売の神だけど
最終的に皇帝(王朝)を守護する別の神に昇華したんだよw
なんかあるとすぐ皇帝が関羽の地位を上げる慣習のせいだよ
正式な名称ってどこまでいったんだろう
明だか清で特にそれが顕著だったかな もう少し王朝時代が続いてたら、天界で易姓革命が起きて、関帝が天帝になる勢い まあ、今ではあらゆる神格を備えたオールマイティな全能神だからね。>関羽 三国志読んだことない人でも5人に3人ぐらいは知ってる名前じゃないかな? 俺の周りでは愛紗って言わないと通じない
関羽?誰だっけ?ってなる 一般知名度
劉備=孔明(諸葛亮だとちょっと下がる)≧関羽>趙雲>曹操…あとは有象無象
諸葛亮孔明、劉備玄徳と語呂がいいせいか日本式の名前っぽく勘違いしてるのが多い
北方謙三もこれやってて一気に冷めた >>58
そんな細かい事にはこだわっても田中某みたいなつまらない歴史物しか書けない奴よりはよほどよい イラストレーターで収入が少ないからと30代後半で漫画家になろうとする、ひきこもりのバカ発見。
足立区に住んでいるそうだ
http://inumenken.blog.jp/archives/7002197.html >>59
別に細かくはないだろ
名前はその人をそのままあらわすし
日本人の名前をそのまま中国音で読んだらもはや別人だろ
諸葛亮と諸葛孔明は同一人物だけど、諸葛亮孔明はこの世に存在しない ドラマではほとんどリューベイ(劉備)とかコーミン(孔明)とかグワンジャンジェン(関将軍)とか
呼ばれてるから諸葛孔明でも諸葛亮孔明でもいいよ。 名前+字読みはないってことだよ
字読みが通な感じだったりする
日本の戦国武将なら、名前+官職or役職名で
信長ではなく、上総介、弾正忠
秀吉なら筑前守
家康なら内府殿 でも、そういうのは中国版のドラマではやってないよ。
和製のパチモン三国志なんて見ないで本物に触れましょうや。 >>64
「呼び習わし方がない」と「この世に存在しない」は違うでしょ
これでわからないなら小学校から国語の勉強やり直してきてよ こういう奴は真田幸村という表記には信繁ガーとか喚き立てるんだろうなぁ… 劉備(りゅうび)とリューベイ、孔明(こうめい)とコンミン、司馬懿(しばい)とスーマーイーで別人とは思わないけど…
この手の姓名字呼びガー云々の話題って物語の面白さに直結しないからこだわる奴見てるとホント面倒くさい奴だなという感想しか出ない 俺がいってるのは
豊臣秀吉をフーチェンショウジーってよんで通じるかって話
その国の名前にはその国のルールがあるんだから、破ってしまったらもはや別人っていいたいだけ >>69
61の3行目はね
でも4行目は違うでしょ
見苦しいよ 名前+字で呼ばれてるのが嫌なんだなあっていうのはわかるけどなんでそこに中国音で読むときの話が出てくるのかわからん 諱文化もそれに変わる通称を呼ぶ文化も廃れた現代、当事者でもねーのに何故そこまで必死になれるのか
向こうさんからしてもそれこそ中国読みをしない、酷くなると性転換までやりやがる連中が字云々に何故そこまでこだわるのかって感じだろ どっちも必死にしかみえんよ。てか、むしろ一番必死にみえるのは、
>何故そこまで必死になれるのか
↑みたいな発言で最底辺なのに見下ろした気になってるどっかの誰かみたいな方々
まさか自分は必死じゃないなんて思ってないよなw あの戦力差であれだけ戦えたんだから寧ろスゲエよ
孔明没後はやられっぱなしなんだぜ 所詮孔明は政治家
これだけの広大な国土を要して全く勝てないんじゃ軍師としてはたいしたことないよ 国土って大きさが同じくらいなだけだろ
魏と蜀には北海道と関東地方くらい差があるぞ そもそも蜀取れたのホウ統のおかげやん
しかも楽に被害なく取れたにも関わらず劉備が「同族を討つのはしのびない」とか
内通者からも早くしてと催促されてるのに、この期に及んで綺麗事いって
ヘタレてモタモタしてる内に機を逸して、しまいに下策の力攻めするしかなくなり
ホウ統が焦って前線に出てたら射殺される始末だし
ホウ統が死んでから急にやる気出したって遅ぇんだよ劉備この野郎 なんか黒田官兵衛がホウトウっぽくて竹中半兵衛が孔明っぽいな
思いっきり影響受けてるんだろうけど >>83
戦死したのは事実で膠着状態になってあわてて援軍要請するくらい
しかもまだ十分に戦える状態だったのを劉璋が
「これ以上の抵抗は民の被害を増やすだけだ」と劉備より仁徳に溢れる判断を
してくれたおかげで蜀が取れる始末
劉備もその辺が分かってたのか殺さずに扶持を与えて生かしてやった
特に張任は頑強に抵抗したのでゲームで劉備を激しく嫌悪している設定にされている >>83
正史は手段に難色示しただけで益州入り以降同族云々でナヨったりしてないよ 三国志演義は、蜀に入る所で、
いかに劉備を正当化するかが一番苦労した所だと、
光栄かなんかの本に書いてあったなあ。 すごいか?
局地戦で出たり引っ込んだりしてただけだろ
司馬懿どころか郝(カク)昭に止められたり
進軍路をあっさり読まれたりしてるし
守るに易く攻めるに難い場所だから続いただけで
懲りもせずちょこちょこ出て来てウザいから何度か総攻撃しようってなったけど
まだその時じゃないからダメーって却下されてたおかげで存続できた 只の政治家っぽいよね。曹真にボコられ魏延と楊儀抑えられない無能っぷり 無能ではなかったのは分かる。政治家、内政官としてはすごく優秀
楽毅にはなれなかったが管仲にはなれたと思う
ただ自ら軍を率いる戦争は上手くなかった
有能な将軍や全体を見る軍師がいなかっただけ。人間を見る目もない
こういうと孔明信者が決まって「戦争は上手い」「弱いなんてとんでもない」
「魏延の作戦はただの無謀」と発狂するのがすごく嫌。現実を見ろよと
何故か信者は政治家として極めて優秀という大多数が認める賛辞をスルーして
なんでも出来るスーパー武将として軍事能力だけ過大に評価してほしいらしい
あと劉備はヤクザというと発狂する劉備信者も辟易する >>96
信者ガーとか言われても…
ネットの俺考察とか変な解説本の妄想無視して蜀書を読んだら一定の評価をせざるおえないからね(陳寿や裴松之の主観ガーとか言われたらいわゆる正史なんて語ってもしゃーない)
孔明の軍事能力を評価する=孔明は正史でも演義みたいな天才軍師とか言ってる訳でもあるまいに
劉備のヤクザ云々もいかにもネット的なレッテル張りでいまいち本質を捉えてると言い難い
俺はむしろ君みたいな劉備・孔明否定論こそいい加減聞き飽きたよ 孔明
統率80 武力45 知力92 政治100 魅力96 軍事に特化した軍師の方が少ないのかな、なんだかんだ言っても文官?
呉だと軍人あがりの総司令官ってイメージだけど >>96
要約すると2chの三国志スレに有りがちな空気に逆らうなって事ですかね? そもそも司馬懿は軍師じゃないw
孔明のライバル的な扱いで軍師にされてるが 司馬懿は晩年のクーデターなければ演技で徐晃みたいに大斧振り回してたかもなw そうだったら、無双で首を回しながら斧を振り回すのか 横光三国志よんでると何もかも全て孔明に任せっきりなイメージ有るんだけどそうでもないの? 実際は劉禅時代ぐらいじゃないか>任せっきり
劉備即位後じゃないとそこまで権限なかった筈 劉備時代 軍師(オブザーバー)、のち丞相(首相)として劉備にお伺いを立ててから実行、
全幅の信頼がおかれるが皇帝即位後はもう止められない
(とくに夷陵、止められてれば敗戦自体がなかった)法正が生きていれば諸葛亮より
権限は上で止められた。それは自身もいっている
ただし演義は諸葛亮の万能性を描くために劉備を前面に押し出さないように
書かれているため、ただの置物になり下がっているので存在感が薄く、
そのかわり仁徳のあふれる儒教的君主として描かれることになる
実際は劉備も自身で指示だしたり色々とやっているのだが
横山三国志(に限らず演義を原作とする全ての作品)は演義ベースなので
上記の通り諸葛亮一人でなんでもやっているように見える
劉禅時代 丞相として辣腕を振るう。ここでも諸葛亮マンセー+劉禅自身も
「細かいことは全部丞相に任せる」と全部丸投…委任してるので
全部諸葛亮一人でやっているように見える、というかやってる
どうも几帳面なほど完璧主義者だったらしく全部一人でやりたい人だったのは間違いない
劉備の遺言「劉禅が君主にふさわしくないならお前が皇帝になればいい」は
臣下としての分をこえないで劉禅に尽くせよという訓戒の意味もあるという
まぁもしかしたらそのままの意味かもしれんがw 人口、経済力の8割を魏が支配してると聞いた事がある。
これじゃあいくら何でも無理だわ。
魏にしても、異民族の内戦がなければ危うかったとも聞いた。 >>110
人口はまだしも経済は董卓のおかげでガタガタだぞ あれだろそもそも全国区の強豪校に入って万年補欠で
ディーフェンスディーフェンス言ってるモブになり下がるより
弱めの新設校に入ってスタメンのエースになりたかったんだろ
人材豊富すぎる曹操陣営じゃ頭打ちになるのはわかりきってるし
徐州で虐殺したから荊州に逃げてくる羽目になってるから嫌だし
孫権のところには兄貴がいるしで結局なぜか名望だけはあった劉備を担ぐことにした
多くの場合三顧の礼で劉備が訪ねてきたってことにされてるけど
異文で孔明の方から劉備の幕舎に自分を売り込みに来たってのもあるし 外交交渉と内政は頭の回転の速さと几帳面さで頼りになる人物
アンチが言うほど誇大広告でもなければ演義が言うほど誇大広告でもない。
魏でも呉でも一角の人物になれたであろうが、その場合は今の様なチート軍師とは語られなかっただろう。
良くも悪くも建国が遅く最後まで苦戦していた蜀にいたからこそ輝いた人物 >>113
三顧の礼があったかどうかっていうのは
孔明自身が書いてる文と、別の国の文章に書いてあった事のどっちを信じるかって事だけど
普通に本人が書いてる方が信憑性は高いだろう
それをわざわざ否定する意味もないと思うけど
三顧の礼がドラマ的に描かれる今だからこそ否定したい気になる人も居るんじゃなかろうか 報酬の0が3個少ないぞと思ってた時期もあったorz 孔明の出蘆の時の劉備は、あと10年ほどで定年退職の支店長という
どう見ても終わったオッサンなんだし、わざわざ売り込みには行かんわな まあでも三国ぜんぜん知らんし興味ありませんてな人達が、
孔明だけはなんか知ってる。ってくらい後世で有名になってるのはすごいわw まぁニコニコの孔明の罠とか
散発的に三国志漫画も連載されるし
知名度でいえば真田「幸村」とかと同じくらいだろ いや全然レベルが違うだろう
漫画知らない、ネットなんぞないって時代でも、どこかで必ず知るって感じ。孔明の名は
何かのたとえとか、教訓とかで教わったりな 街亭で馬謖が先走るまでは押してたが
基本的に戦略家で政治家だろ >>107
個人的には横山三国志はかなり諸葛亮贔屓の演義よりに描かれてると思う 孔明「魏の無限沸きも降しアプリケーションエラーさえ無ければ長安を取れたと云うものを…天命に勝てず」 三顧の礼はともかくあそこで天下三分の計を授けたってのは後世の創作だと思う
あの時点での劉備で荊州と益州を取れってのも無茶な話だし
益州取れたのだって法正らの手引きがあったからだし 天下二分の計自体はすでに考えてた人はいるんだがなぁ >>113
・魏晋で従弟の諸葛誕が尚書令や征東大将軍になり、諸葛セイが司馬炎に大司馬にしてやると言われ、東晋で諸葛恢が尚書令になっている
・蔡瑁が曹操と旧知ってだけで高官になってる中で蔡瑁の妹の娘(劉表の妻の妹の娘でもある)を娶ってるコネがある
・呉で諸葛瑾が大将軍になっていて諸葛恪が一時期皇帝をないがしろにするほどの権力を握り、諸葛セイが大司馬になっている
諸葛家自体が蜀に限らず相当な影響力を持っていたのは明らかで、かつ曹家につながるコネもしっかり持ってる諸葛亮は魏でも余裕で出世できたろう >>127
曹操の頃の魏は人材も豊富で諸葛亮が出世できたかは別だよ
同門の徐庶についての諸葛亮の言葉でもわかるだろう
それに諸葛亮は徐州での曹操の蛮行を嫌っていたという話もある(間接的に父親の仇)から曹操には仕官しないだろう
孫呉は酒乱が君主で人材不足、能力のある人間は逃げた >>123
おかげで無双の諸葛亮より横山の諸葛亮の方が凄い賢そうに見える 逆に考えて魏で孔明の代わりが出来た人物と考えるといないな
KOEIの高知力陣で考えると
司馬懿は危険視されそうだし、カク、郭嘉は兵を率いるタイプではないし、荀攸に大局的な戦略のイメージないし
程cは・・・どうなんだろうな、荀ケさんもちがうよなー >>130
>荀ケさんもちがうよなー
荀ケに近いんだが? 荀ケに近いね。
史実に近ければ名家の清流派の学者さん。
技術による土地改良だの土木技術推進だので内政値はMAXでいいけど
戦争は戦略レベルでは関羽と荊州を失う規模の敗戦を起こし
戦術レベルでは?昭が篭もる城一つに手を焼く。
荀ケと違って、「政治力」は高いが、この政治力というのは
派閥戦争ではバカ殿担いで学閥でガチガチに固めて、
旧劉璋閥(法正-劉封ライン)をドサクサに紛れて一層する容赦なさという点 >>131
劉備死んでからの孔明と荀ケとは立場が全く違うだろ
戦略語る分には似てるのかもしれんが >戦争は戦略レベルでは関羽と荊州を失う規模の敗戦を起こし
これは全責任関羽にあるだろ、つかこの頃既に益州に居なかったか??
>戦術レベルでは?昭が篭もる城一つに手を焼く
ガチガチに固められたらそら厳しい、他の軍師だったらどんな策でこじ開けるんだろうな 演技ですら、呉と魏が組みそうなので
あべこべに魏に攻撃せよと関羽に明確に攻撃指示を出している >>132
陳倉って二十数日しか攻撃してないのに過剰に捉えすぎじゃね
演義孔明相手だったらどんな城でも1ヶ月あれば余裕な化け物だからすげえ健闘ってなるけど
そんな基準で見てたら羅憲を半年攻めて駄目だった陸抗とか悲惨だぞ >>135
孫権が魏に転んだのは関羽の傲慢じゃないか
最古参で主の義兄弟に口出しは出来ないだろ >あべこべに魏に攻撃せよと関羽に明確に攻撃指示を出している
そもそも孔明の戦略は三顧の礼からずっと一貫してる、孫権と組んで曹操倒す
呉に備えたらそら孫権に警戒されるし、漢中での大勝を利用しない手はないだろう
間違ってないよ、ここは >>128
>曹操の頃の魏は人材も豊富で
それは演義のイメージに染まりすぎ >>133
劉備と曹操の立場が違うからだ
建前上は劉備は漢の再興
曹操は漢から魏へ禅譲を目論んだ
だから荀ケは曹操が魏王になるのを反対した
後漢が滅んだから漢の再興として蜀漢を建設した
本音はどうであれ荀ケも諸葛亮も漢の再興 >>139
>それは演義のイメージに染まりすぎ
演義を見る限りでは蜀の方が人材は豊富なはずだが?
関羽(蜀で最強)>>>>>>>張遼(魏で最強)>>>>>>>>>>>>>曹仁
諸葛亮>>>>>>>>司馬懿
魏志では張遼はもちろん、曹仁はもっとも魏に貢献した人物扱い 関羽が油断から荊州の防御を疎かにして
で更に被害が上がったが、
「魏呉で挟撃されそうだから、
主敵の魏を先じて攻撃し魏を不利にすれば
呉は日和見して動かないんじゃね?」
って孔明大先生の読みが
完全に外れてるのがそもそも致命傷なんです >>141
いや曹操時代の魏がそれ以降の魏より充実してるって主張に対してなんだが・・・
演義ありきで考えてるからそういう思考になるんだよ >>134
そもそも荊州は魏呉蜀が争う地帯
諸葛亮の三国分立自体が戦略として失敗
人材&兵力が少ない蜀では取られて当たり前
戦争は下手だったんじゃね?って陳寿も正史に書き残しているよ >>143
>いや曹操時代の魏がそれ以降の魏より充実してるって主張に対してなんだが・・・
少なくとも曹丕の時代までは魏はのちの時代に比べると遥かに人材は豊富だが?
司馬懿が権力を握ってからは佞臣ぽいのしか残っていない
満寵や張郃クラスってケ艾ぐらいしかいない >>142
出典どこだよww聞いたことないわ
そもそも関羽の印象が呉に対して悪すぎたからそれ在りきで考えるとそれも仕方ない気もするがな
>>144
結果論ありきで語るからそうなる
>三國分立以外で他にどうやって劉備が王になる道が残されてたよ?
>人材&兵力が少ない蜀では取られて当たり前
当たり前では無いし結果論に過ぎない
荊州奪った後も孫権は劉備の報復にビビってたし、曹操すらビビらせるほどの勢力になったんだぞ?? >>145
満寵はまだしも、よりによって孔明に討ち取られた張郃出しますか >>146
>当たり前では無いし結果論に過ぎない
結果論じゃ無いよ
普通に三つの勢力が取り合いをしていたのを見ればわかるだろう?
>荊州奪った後も孫権は劉備の報復にビビってたし、曹操すらビビらせるほどの勢力になったんだぞ??
最高だった時点でだが、魏の戦力は40万、呉の戦力は15〜20万、蜀の戦力は13万程度
孫権にすれば、劉備とやりあった後に曹操が攻めてくればどうなる?
曹操は赤壁で懲りてそれ以降2対1ではやり合わないよ
基本的に離間策を取っていた むしろ曹操時代末期から曹丕の時代って劉備孫権にあんまり優勢じゃなかったよな
蜀も呉もまとめてかかってこいよ状態になるのは曹叡のあたりから >>147
>孔明に討ち取られた張郃出しますか
演技に毒されているのはどっち?
討ち取られれば無能なのか?
張遼、張郃、徐晃彼らは有能な武官だろうが
于禁も曹仁も演義では無能扱いだが優秀 >>149
>蜀も呉もまとめてかかってこいよ状態になるのは曹叡のあたりから
黄巾の乱や董卓の乱以降に疲弊した地域が復興して国力が回復したからだ >>148
赤壁で2対1とかwww劉備なんざ勢力にカウントされるレベルに無いよ、もうちょい見直せ
>普通に三つの勢力が取り合いをしていたのを見ればわかるだろう?
結果しか見てねえじゃねえかwww
>孫権にすれば、劉備とやりあった後に曹操が攻めてくればどうなる?
孫権にしても蜀と共闘して北伐行うのが正解だった、曹操に臣従の意を示したり、また蜀と仲直りしたり、らりったり
ブレまくりで話にならない
だいたい呉を使ったのは関羽にビビったからで赤壁の教訓ではない、いったい何言ってんだ >>146
>三國分立以外で他にどうやって劉備が王になる道が残されてたよ?
そもそも劉備は漢の再興だから自ら王にはなってはいけないはずだが?
三國分立の失敗は荊州を軽視し、長安を重要視しすぎた事
荊州は三勢力がもっとも争うべき地域で最重要、長安は魏の本拠からは離れすぎていて圧力を掛ける地域としては弱い
2方向からの両面作戦は無理 >>153
江表伝の記述を真に受けちゃってるか、wikiソースにしてるかどっち? >>154
>そもそも劉備は漢の再興だから自ら王にはなってはいけないはずだが?
詭弁だな、劉氏だから問題ない
>2方向からの両面作戦は無理
遷都考えさせるほどに曹操を狼狽させたんだから大成功だろ、失敗は関羽の呉の軽視
てか調べたら孔明はとっくに成都に居たわ、吹いてんじゃねえよ >>153
どっちがだ?
赤壁時点ではなく赤壁後だ
諸葛亮が赤壁後に劉備に進言した政策の一つが戸籍を取る事
魏の地域が戦乱で疲弊して荊州に移ってきた戸籍が無い人々がたくさんいた
それを戸籍を取る事で遊民を固定させて国力UPした
その結果が益州への侵攻だぞ
>関羽にビビったから
関羽が圧勝したのは天候のせいだが?
それこそ関羽にビビるくらいならば赤壁以降2対1を避けていたのは正しい事になるな?
それとも2対1どころか関羽だけで魏を滅ぼせたよなw >>156
>詭弁だな、劉氏だから問題ない
だったら何故益州を取ってすぐに皇帝にならなかった
建前上曹操と同じで漢の再興を謳ってたからだ
>遷都考えさせるほどに曹操を狼狽させたんだから大成功だろ
実際は遷都しなかったし、対抗策としてすぐそばにいる孫権をそそのかして蜀と呉を戦わせた
どこが間違っている?
離間策とって2対1を避けているだろうが?
これは魏だけじゃ無い、魏よりも弱い蜀や呉も当然とるべき政策 >>158
「王」は本来劉氏以外アウトだけど劉備は劉氏だからOK
「皇帝」はアウトだから献帝が簒奪されるまで名乗れなかった
ってだけの話でしょ >>159
王でも勝手に名乗っちゃいけないだろうw
あくまでも皇帝に形だけで任命されなきゃ >>160
本来アウトな曹操が王になった状況だからね
このへんしっかり段階踏んでやってたから蜀漢正統論なんてものも起こったし曹操を悪役とする民間伝承も流行っていったんだ >>161
>このへんしっかり段階踏んでやってたから蜀漢正統論なんてものも起こったし曹操を悪役とする民間伝承も流行っていったんだ
それって政治的、文化的なもの多少含まれているはずだが?
魏を乗っ取った司馬家が蜀漢を滅ぼした事で正当化し前権力者の魏を悪者にするという常套手段=政治的手法
三国志が流行るのは元や清の漢民族以外に支配されている時で
北方民族=(北にある)魏扱い=文化的ry
それに劉備が皇帝になったのだって献帝が暗殺されたとかデマまで流しているだろう
段階を踏んだといえば聞こえはいいが、その前の同族を攻めて乗っ取るのはいい事なのか?
時代が時代とはいえ劉備自体も褒められた人間じゃないのはたしか あーこれ構っちゃいけないキチガイだったか
これは不毛だわ >>162
いわゆる劉備が負けると子供は泣き曹操が負けると子供は大喜びするの話は北宋だし
演義の原型的なものができたのも関索伝説が流行ったと言われるのも北宋からだし
演義の成立は明だけどね >>157
横スレだけど
関羽に勢いに遷都まで考えた事実と、
関羽が大雨に乗じて大勝した事は別に相反する事ではないし、
群臣達の数々の進言の記録から、関羽の北上を脅威に思って孫権と結んだのは事実。
当時の曹操は、
漢中で夏侯淵が敗北、曹操自身の親征も結果出ず、
夏候惇率いる26軍はは対孫権の戦線に張り付いて動けず、
荊州北部の兵権を与えられた曹仁は包囲され少数で孤立中、
中央からの増援の于禁は7軍ごと虜囚にされ、ホウトクは戦死。
更なる援軍の徐晃にも最初は満足な兵士を与えられないという八方塞の状況。
孫権との密約で成立しなければ、果たして徐晃の兵士を揃えれたかも怪しかったと思うよ。 あと蜀の荊州失陥は陸遜に油断して守備兵を減らした関羽の油断は十分罪だが、
本来の原因は荊州を巡る蜀と呉の領土問題が本質にあり、
関羽の外交手腕とか態度で覆る問題ではなく、関羽一人の責任に帰せる問題ではない。
北上自体も鉞を与えられた後の行動で、関羽の北上を責める話が蜀に残ってない事から
何らかの形で承認を受けての北上である事が伺える。
だが呉の外交問題で諸葛亮を責めるのもまた酷な話
当時の諸葛亮は外交や戦略の全権を担う存在でもないし、
赤壁時の劉備が荊州を単独領有出来るほどの勢力でなかったのも明らかで、
元々のスタートラインが低すぎるから、
天下三分が無茶苦茶ハードルが高い策であったとしか言いようがない
そういう意味では三国の一角を占めるだけでも良くやった方だと思うけどね いきなりじゃなく呉が寝返った(臣従した)のが先だし関羽に酌量の余地無いけどな・・・・ このスレってまるで自分がその時代の土地や人間を自分の目で見てきたかの様な言い方する人いるよねw 関羽は武人の大器だが人を率いるは一部隊長程度の器で方面隊みたいな大きな部隊は無理があった(他に適任者が居なかったのかもしれないが)
結果荊州陥落
結果論?歴史は結果の積み重なりですが 個人的には関羽一人の責任だとは思わないがやらかした部分はデカイよな ホウトウが生きてて関羽のそばに張り付けとけば違った結果がな
蜀に人材がいなさ過ぎたのが問題さ 陸遜舐め過ぎってか凄い傲慢だったとは思うわな
呉が魏に臣従したのに国境沿いの兵割くとか常識じゃ有り得ん まあ関羽に油断がなかったとしても荊州守りきれたかはわからないけどね
蜀として荊州の領有か呉との同盟かどちらを優先させるのか方針は決まってたのかな?
どちらも確保するというなら見通しが甘かった訳だし、関羽より政策を決める立場の人間の責任じゃないのかな 例のごとく窮地に陥って、援軍呼ぶ時の蜀の情報伝達の遅さも起因してるだろ 言っても漢中から単独で北伐とか兵站の点で無理ありすぎるわけで、曹操でも漢中攻めで兵站破綻して大量の脱走者出して撤退なんて事態になってるわけで
呉が魏にボコボコにされつくした結果、平地じゃ勝てねーし領土増やせねーから南に引きこもるわー、関羽怖いから長江だけでも確保するわーって路線に行っちゃったのが全てじゃねーかな
呉っていうか江南の豪族って曹操や劉備の軍勢に比べて優秀な騎兵指揮官少なそうだししょうがないね 少数ながら団結し守り抜いた張遼
普段の振るまいから部下の離心を呼び最重要拠点も命も失う関羽
孫権が言われる場合が多いが老害はヤベェ なんでそこで張遼やねん
上司のトンか曹休ならともかく
無知だから張遼が対呉のトップだと思ってるのかな? 関羽北上に関しては魏もかなりの博打してるよな
徐晃の兵は中々集まらず対呉都督の夏侯惇は都に呼び返してるし対呉の戦力を割いて張遼に荊州救援させてるし
呉が本当に降ってたから良かったけどこのタイミングで呉が北上始めてたら大惨事だ 最悪、劉備も北上して関中を抜いたりしようものなら項羽が負けた時と似たような状態になってしまう
しかも曹操の命も長くない 関羽は軍事も政務も両方こなした実績があったから荊州を任されたんだろうね >>183
だが政務は…
部下のありがたみとか分からなそうだしな 軍師としては徐庶の方が上だし、
政治家としては司馬懿の足下にも及ばんし、 そもそも政治が一番過大。どれだけ美化しても益州一州回すので精一杯だったのが現実 戦って個人の能力以上に国力で決まるものだから
軍人としては凡庸な孔明ではなおのこと無理もない 凡庸だったら司馬懿は防御に徹していないと思うの
孟達や公孫淵の例を見ても >>191
失礼な、宗男クラスの政治力や外交力はあるぞ。
と言っても架空戦記だったな。
劉備が呉へ攻め込むときに、嘆くだけで一緒について行かなかった謎展開とか。 ・荊州事情の見通しの甘さ
・実質劉備見殺しの夷陵スルー
・劉禅傀儡
・自分に支持を集める為の北伐
やっぱ独裁狙い? ・公や九錫などの簒奪につながるものは受けていない
・主君の妻子を殺害して自分の娘を娶らせるなどの行動をしていない
・権力を息子や一族ではなく実力のある人物に継承させている
・権力が自然に次の宰相へ継承されている
・息子や一族が次の権力者に排斥されていない
・死後に名誉を貶められていない
・後継の宰相たちも滅亡まで誰一人として簒奪を行っていない
劉禅は献帝や曹髦曹奐や孫亮とは根本的に違うんだよなあ 漢王朝の復活というのが、大義名分として当時通用したのかな。 逆に通用しないなら諸葛亮はなんで正議を発表したのかって話になる 光栄の公式ガイドに答えが書いてあったなあ。
国力が違いすぎるって。
魏が当時の中国の8割押さえてたとか。 事前にありとあらゆる自体を想定してシミュレートする能力は卓越してるけど、
想定外の状況変化にはかなり脆すぎるわ。臨機応変に対応できないのは、軍人・政治家としてはちょっと。 @政治家で戦略家であって、戦術家ではない。
A演技では不世出の天才レベルに書かれているが、これは作者の贔屓、魏・呉にもあのレベルの天才は居た。
Bそもそも蜀という国は守りに向いているが攻めに出難いので広がる他国に比べ国力不足が拡大する
Cその為に橋頭保を確保する為の荊州や街亭での戦で戦術眼の不足から要所を失った。
DA〜Cの事から蜀という国自体が魏・呉に敵わないのだから、それを覆すのは一人二人の天才ではどうにもならない。 孔明が呉からの撤退の時に仕組んだ難攻不落の究極陣形も、曹仁ですら使ってたような・・ 劉備「何回も訪ねて頭下げてまでゲットしたのにこんな期待はずれだったとはショックや」 >>209
孔明「失敗の始まりは劉備兄弟のやらかしですが何か…?」 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています