ハンセン、ゴディ、ウイリアムス、スパイビーの時代の全日本プロレス6
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
333 理由↓プロレスの蘊蓄が社会的に全く無価値になったから
592 お前名無しだろ (オッペケ Sr5f-A0sD) 2021/04/10 12:40:04
>>591
80〜90年代のプロレス雑誌も絶賛暴落中だな
https://imepic.jp/20230819/045260/jAoE
週プロ、週ゴンが39〜50冊まとめ売りでナンと一円w
一冊当たり2銭=通過単位0.02円也ww
他ジャンルじゃあり得ないたたき売り落札w
今読めば下らん駄文満載の活字ナンタラの経済的暴落はまさに底が丸見えの底無し沼だねぇww
十数年前なら、資料用に未読誌集めてるライターや物好きなんかには需要があってそれなりの値が付いたけど
今や回顧(懐古)本も全〜〜然売れないから二束三文いや、 50冊1円という惨状w
503 お前名無しだろ (ワッチョイW 8324-yKFi) 2020/10/01 20:18:42
>>487
力道山がどうしたってw
どうでも良いけどゴング創刊年(1968年)のバックナンバーがヤフオクで古書転売業者に衝撃を与えた一円落札されて早一年w
流センセ曰く、十数年前には200人位いたカイコプロレスマニアが鬼籍に入って今は50人くらいに減ったからじゃない?
大暴落では〜い、レトロプロレス終了ーーー( ´,_ゝ`)プッ
https://imepic.jp/20230819/045910/YpKf
1968年のゴング誌も哀れ一冊一円也(笑)(笑)(笑)
この後、この年代の出品・落札履歴なんかも殆んどナシw
数年前は一札3000円位で落札されてたのに昭和レトロプロレスアイテムの超大暴落っぷり見てると馬場だの猪木だのってこの辺は「本当に」オワコンだなw
市場は正直だからな 3 レーンブランW (オッペケ Sr87-+1Qp) 2023/05/19(金) 14:10:35.19
蘊蓄ひけらかす40代以上の懐古プロレスオタクの正体はW
https://twitter.com/T1futami/status/1659173135537799170?cxt=HHwWhIDQyaLLyIYuAAAA
確かにツイッターであんまり女子プロレスの話題書き過ぎると女性のフォロワーが減るね
これが原因だったか。。。
☆女子プロレスを支える40〜60代の男性客の容姿の醜さがそのまま、選手や関係者の(他に類のない)精神、心の醜悪さに反映されているとすれば、一つの現象として考えると分かりやすい
当に両者は写し鑑☆
そして選手や関係者のメンタルの醜悪さが元々卑しい男性客の精神面にフィードバックされ、その醜悪さが更に増幅されると…
遂には選手や関係者の容姿までもが醜悪になり。。。
動画配信で会場の客席が映ると、独身男の最悪な人生の墓場っぷりが嫌でも目に入るが…痛ましい限り
あれじゃ女子だけじゃなく、同業の男子プロレスの関係者も憂鬱になるだろうなあ、、、
まあバカバカしい推し活の延長で関係者、オタ同士が誹謗中傷合戦やってんだからメンタル面での醜悪さは、男女変わらんな(笑)
当にプロレス絶望空間。。。
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) これなんかも現に東ス○や週プ○のカメラマンなんかもさ
それとなく編集から性的欲求を喚起する写真、エロいの頼みますって含みを持たされてきたんだし…
これネタにしてパブリシティになるかって言ったら女子プロレスの客層の実態が広く周知されただけだし…
https://twitter.com/nico_nico_news/status/1667122416362090497
これも女子プロレスの性的欲求をを満たさんが為の写真と同根の問題
女子プロレスの客層みたいに「ほぼ全員独身の男性、40〜60代、暇でモテなそう。」なのが大半かどうかだけの差
女子プロレスの場合、小会場の大会やイベントの売店でそんな内情や客層の本音を重々承知した選手が
哀れな独身高齢男達と引き攣った笑顔で白々しい会話してフォローしてるのが端から見てると失笑モノ(笑)
グッズ買わせるのだけが目的のうら若い女子レスラー相手に何の実用性もないレトロプロレスの蘊蓄かます独身爺が一席ぶったりするのはさながら地獄絵図
まぁ独身オワコンプヲタ親父&爺を手懐けて商売敵を叩かせる複垢なんぞも作らせて情けない推し活させるのも目的だが(笑)
https://twitter.com/jcp_sai/status/1665974353874538497
何よりもわざとらしく安っぽいプロレス劇場をあーだこーだと幼稚極まりない理屈付けする中高年・高齢プヲタのマインドが傍目にも恥ずかしいがね。。。
最近はレトロプロレスの記事も、あまりにも反響がないからネットニュースで配信されなくなったね(^o^)
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) プヲタのあまりにもセンスレスで時代遅れの下らん大喜利なんか見るとプロレス関係の゙メディアしか触れない奴らは知能・情動レベルが確実に低下するのがワカル
武藤のコメント、赤井、岡林残り引退(休業)…
コロナ以降、心身共に醜悪な独身中高年男や高齢プヲタの巣窟となったプロレスに絶望したってのが良く分かるな
https://twitter.com/SportsHochi/status/1666241336532688896?cxt=HHwWgIDT4dvq1p8uAAAA
武藤「〜もしかすると距離を置いて楽しみたいかなって」と明かした。
https://twitter.com/ddtpro/status/1661715200733777922
赤井沙希「美しいまま散る花でいたい」
https://twitter.com/BJWOfficial/status/1666354357070340096
岡林「(老害老悪プロタがいなくなって…)いい未来を見つけていけたらなあと思っています」
この三人は人間的にマトモだし、リアルに会場でもネットのSNSでもお互いに誹謗中傷し合って団体や選手の推し活が蔓延る「絶望プロレス空間」に嫌気が差したんだろう
残るのは複垢で単発クソリプやなりすましまでやって競合団体を誹謗中傷して推し活する独身男達の最悪な人生の墓場と化したプロレス業界で禄を食むしかない奴らだな…
選手や関係者でもヲタと一緒になって誰かを誹謗中傷して
営業面でアドバンテージ取ろうと必死になってるメンタルが醜悪なのもいるし、まぁ仕方ないか(笑)
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) 何よりもわざとらしく安っぽいプロレス劇場をあーだこーだと「幼稚極まりない」理屈付けして「得意げに」語る姑息な全日ヲタに代表される中高年・高齢プヲタのマインドが傍目にも恥ずかしいがね。。。
最近はレトロプロレスの記事も、あまりにも反響がないからネットニュースで配信されなくなったね(^o^)
891 お前名無しだろ (ワッチョイ cf24-IDGI) 2023/02/05(日) 13:03:07.24
アイスオタも酷いが、ダムオタとか情ない団体オタのオッサンや爺を、わざわざネタつくって釣ったり、釣られたりしてるくだらんやり取りが面白いなw
一昨年にリンダ・マクマホンがCBSのインタビューで英米欧の女子プロファンのマーケティングについて、
女子プロとファン層が一番被るのはポルノのコンテンツマニアだから、社会通念・構造的に彼女達はメインストリームのセレブリティにはなれないのよ、ってステファニーの分析の受け売りだけど、って断り入れて答えてた
だから前々からWWEを意識してる日本の女子プロの客がこういうネタに食いつくブサい高年齢男だけなのは仕方ない
万国共通で客層考えると若い客は避けるよね
それから偶然だと思うけど去年、藤本やWAVEの桜花が選手に見切り付けたみたいに半引退&女の幸せを掴んだり、アイスでマシロさんがあっさり引退したりw
671 お前名無しだろ (ワッチョイ 9924-5I03) 2023/03/08(水) 00:43:30.35
藤本さん、女として母として幸せ掴むラスチャン生かしたな
旦那ともども潮目を見たのが大正解
猪木お別れの会も巷で何にも話題にならないし
コロナがやっぱり潮目だったな
潮目を悟ったネット世論が動いて
まずは一つ潰したと・・・
https://twitter.com/shupromobile/status/1671172563018612737?cxt=HHwWgoDUkfClmbEuAAAA
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) プロレスブロガー、アメブロガー、Facebooker,ツイッタラーと来たが今や全てアクセス数激減。プヲタユーチューバーも゙美味しくないと皆分かってしまったから、ここ数年でレトロも゙含めてそのネタになってたプロレス関連アイテムが世界的に価格大暴落している
世代を問わずプロレスの世界的なバリューダウンも゙最終局面を迎えたな(笑)
851 お前名無しだろ (オッペケ Srfb-foDO) 2023/04/20(木) 16:47:29.36
>>744
一般マスコミだけじゃなく、SNSの書き込み見りゃ誰でもプロレスの団体オタクってかなり幼稚だと思うよ
レスラーや関係者、プロレスマスコミまで何でも団体オタヲタクレベルでSNSに書き込みするから相乗効果でバカっぷりがますます増幅されてる
レスラーのインタビューも、とにかく仕事としての問題意識のレベルの低さには呆れるな
それからプロレス関係の奴らがやる大喜利や受け狙いの捏造ネタとか偶に見るけど、もう知恵○○としか思えん
この間WWE所属のレスラーが、まあまあ浅ましくもWBCに乗っかって球場来て売名行為してたな
その影響かもだけど大谷や吉田関連のSNSでしつこくランディ・まっちょまん・サベージの動画を何回も貼るバカ(外人)プヲタがいて野球ファンに顰蹙買ってた(笑)
誰にも受けてないの見かねた奴らに「お前は何歳になるんだ?一体、幾つになったらプロレスをleave(卒業)するんだ?」とかコケにされてたよ(笑)
そしたらムキになって連続ポストしてて更にウザがられてたのがプロレスオタクらしいとね
万国共通でプロレス関係ダサいなと(笑)
ヤフーやMSNでプロレスのニュースバリューのレーティングがガタ落ちしました。。。 【なでしこに「出場給」1人1260万円】
https://twitter.com/YahooNewsTopics/status/1690014457454342144
693 お前名無しだろ (オッペケ Srfb-Sytj) 2023/04/15(土) 20:00:53.58
大谷翔平みたいに競技者、アスリートとしての実力、実績もあって尚且つ高額所得者でありながらSNSとかで余計な事も言わない大人格者がメディアを席巻すると
まぁSNSでチマチマ当て擦りしたり、どーでもいいような蘊蓄やくだらん人生論を披瀝して御意見番気取りするようなプロレスラーは、やればやるだけ器の小ささを世間に露呈ずるだけだな、今や(笑)
687 お前名無しだろ (オッペケ Srfb-Sytj) 2023/04/15(土) 18:54:49.69
まあ男女とも対抗戦とか、無原則に他団体交流やるのは何にしろ激烈に集客落ちた時の一山いくらの安売りセールみたいなもんだから
「一枚のチケットで色々な団体望まれるプロレスが観れる」(大笑)
そんな業種全体のお寒い台所事情を見透かしたら、賢いマスコミはもう乗ってこないな
オリンピック、WC,WBCと続いてガチ勝負の醍醐味に酔った大多数は今さら何でプロレス?ってなるわな
加えてSNSで気持ち悪くて姑息な団体アゲするマニアオタクのダサさが白日のを下に晒された日にゃ
もう、プロレスなんてダサいオタクのダメダメ娯楽って世間は認識しちまったからな
どうでも良いけど【絶対不屈彼女】って超絶恥ずかしいね(笑) ネタ元が既にオワコンてのもあるけど
中坊の男女が絶対着たくないTシャツのネーム、フレーズだって 中高年のサブカルオッサン受け狙いのダサ臭さだけど(笑) 最低限の世間体というものは顧慮すべき
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) 全日が世間的に一番支持されてたのは70年代の土曜20時で放送されてた頃だろ。 >>008
1人1260万円ってそんな金どこから捻出するの? 高視聴率の記念テレカを出していたスレタイの時代がハイライトだろうな 馬場がプロレス団体の社長やってて初めて良かったと思ったと言ってたのも永源が初代タイガーの時より盛り上がってると言ったのも超世代時代の話 91年の新日本プロレス
G1スタート
92年の新日本プロレス
正月ドーム興行を開始
全日とはレベルが違うわ 超世代軍単体じゃなくて超世代軍が鶴田やデカくて強い外国人に挑む構図が爆発的な人気の要因だったんだと思う。鶴田の離脱以降その構図が崩れて四天王時代になるにつれて人気そのものはピークを過ぎていった。 >>22
ガイジンもハンセン、ウィリアムスくらいしか四天王とメイン張れるのいなくなったな。
後にオブライト、エース、バートン、パトリもいたけど、二人より1枚落ちるしな
分裂前にベイダーが来たけど、
ちょっと強過ぎたな >>22
超世代軍単体じゃなくて超世代軍てどういう意味だ? ブロディが生きていたら・・
ゴディが元気だったら・・ ブロディ、ハンセン、アンドレ、ゴディ、ウィリアムス、デビアス全員が元気で長生きして欲しかった >>28
ゴディ、ウィリアムスが40代で亡くなり、ハンセン、スパイビーが70代でまだ元気だからな。 全日ジュニアのつまらなさは異常
年に一度のリーグ戦も無いし何のために戦ってんのかわからなかった >>31
馬場というか全日が龍虎人気にあやかってつくったようなもんだからね
馬場にもジュニア選手にもテレビ局ですらどう扱えばいいのかわかってなかった フォーエバー
サヨナラ
すぐ復帰するんだろ知ってるぞ 武道館のクロファットvsバンダムだって盛り上がったのに短命でも良いから一度でもバンダムに世界ジュニアを巻かせるべきだった
本当にジュニアなんてどうでもいいと思われていたことがわかる
ケアがFMWに出場が決まったため唐突に世界ジュニア挑戦が決まり異例の初挑戦初戴冠で無理やり格上げ
菊地なんか8度目の挑戦で獲ったというのに >>35
バンダムとか、ハヤブサなんかもそうだけど、中小型の逸材が全日に来たときに
だいたい上手く扱えないでもったいなく浪費してしまうんだよな。 デルフィンが参戦してもタイトルマッチやらせない、せっかくデルフィンがそれをアピールしてんのに
新日はスーパージュニアでデルフィンをいきなり準優勝させる、大きな違いだw >>37
三沢も折角参戦してくれたのに、こんな扱いじゃ選手のやる気が出ない云々と、週プロか何かのインタビューで言ってた記憶が有る。
まぁ新日じゃライガーとかのトップと対戦なのに、全日じゃ当時まだペーペーの金丸や丸藤だもんなぁ。 >>35
クロファットとバンダムはまさに世界ジュニアって感じだったな
全日本としてはロイヤルとマドリルやチャボとドスと並ぶ外人ジュニア対決か >>40
デルフィンが特に好きではない俺でもあの扱いは酷いと思う
だったら参戦させるなよって
向こうはみちのくのトップなのに失礼だ ハヤブサ人生や邪道外道、バトラーツり池田小野もそんな感じだったでしょ さすがにハヤブサ新崎は格が違う
新崎なんか三沢と60分1本勝負のシングルでやってる(三沢マッチメイクだが) WWFでブレッドハートやアンダーテイカーとシングルやってる人生相手に
三沢とシングルやったから格が違うはちょっと… 格が違うってのはバトラーツとかと比べての話ね
WWFでアンダーテイカーと新崎シングルやったの?
あまり詳しくないから知らなくてヒール同士の対戦はないと思ってた
マニアツアーやみちのく両国でやったのは知ってるけど 馬場の根底にあったのは全日本プロレスに勉強しに来たいならどうぞ的なスタンスだったんじゃないかな。
だからあくまでお客さん的な扱いまでという感じで。
それでも高山の事は気に入ってたし人生やハヤブサの事は評価していたと思うけど。 >>42
デルフィンも三沢がマッチメークした時に参戦してれば、世界ジュニア挑戦出きたかも、現に全日参戦一年ちょいの垣原が馬場が亡くなった直後に、当時のチャンピオン小川に挑戦してるし。 その頃の全日って四天王の試合ばかりでマンネリになってなかった?
勉強とかお客さんとか悠長なコト言っていられないから開国したんじゃなかったっけ? スーファミのファイプロ2でボギー(ゴディ)の必殺技が
ジャンピングパワーボムだったのだが見たことない
もしかしたらどこかで使ったのかもしれないが
それくらい見たことないのに選んだ意図がわからない >>51
初公開からしばらくは片膝ついたり両ひざつきながら落とすフォームだったけど
それじゃない? >>51
ファイプロって全日系のキャラは割といい加減でスタッフは絶対バリバリの新日派だと思ってた ゴディのパワーボムは比較的ゆっくり持ち上げてから両膝をついて落とすタイプと素早く持ち上げて片膝ついて叩きつけるタイプの2パターンあった気がする。
前者が言わばテーズ直伝の元祖型で鶴田やハンセンや馬場からピンを取ったのは大抵はこの型だった。
後者は天龍が使いだした型をアレンジしたような感じで超世代相手にはこっちの型だったような。
ファイプロでも二種類使い分けてた気もするけど、再現度は微妙だった記憶。 グラフィックのモーションは完全にジャンプしながら持ち上げて
片膝ついて垂直気味に叩きつけてた
当時何時間も遊んでたので間違ってないと思う ファイプロ2の頃はそんなもんだったと思う。
対角線降ってからラリアットとか出来ないし。
コーナーから立ってる相手にミサイルキックとか出来ないし。
パワーボムやタイガードライバーからの直接フォールも別技扱いだったし。
川田のタイツも再現出来てなかったし。小橋もいないし。
それでも当時は脳内補完で楽しめたし、その後のシリーズで大体は実装されたけど。 >>56
初期のファイプロってそんなもんでしょ
ライガーボムも垂直にジャンプしてなかったっけ? いや、逆に容量に余裕のない時代に
なんで使ったことない技の専用のモーションをわざわざ作ったのかと思って
ちなみにライガーボムとは違うって片膝ついて落とす 機種が違うが直前のPCエンジン版の動画あったわ
スーファミ版はジャンプして片膝ついてた
https://www.youtube.com/watch?v=3kNNHiWExGE
1:45あたり _T_i_k_T_o_k_ _l_i_t_e_(←迷惑でしたらこちらをNGしてください)
更に友人にも紹介して追加で四千円分×人数をゲット!
https://i.imgur.com/5SwUZDD.jpg ダイナミックボムやる前の田上のパワーボムも片膝つきで好きだった >>50
四天王プロレスって断崖式なんて危険なことやって必殺技が1発で決着しないし三十分以上、戦うことが凄いと本人たちがそう考えてそういう試合をしていたと思うけど俺は面白いと思わなかった、俺個人の話なんで反論は構わない
だいたい勝つ奴が決まっていて外国人サイドが弱体化していくし、四天王と違うことをやる秋山がトップグループに入ってきたからまだ良かったけど秋山がいなかったらどうなっていたことやら ゴディがパワーボムやるが持ち上げられた相手がロープを掴んでブレイク
これって冷静に見ると持ち上げたゴディが自らロープ際に歩いているのを見て醒めたw
あとたまに必殺技をわざわざロープ際で使ってカウント2で足を伸ばしてブレイク
これ見ると白けるw デルフィンは田上に可愛がられて毎日ビフテキを奢ってもらってた >>65
昭和では外人天国とまで言われた全日本が平成では完全に日本人絶対になるとはな
特に最強タッグ ヘイズのショルダースルーからのゴディのパワーボムはカッコよかった。 >>69
師弟と鶴龍のインタータッグに挑戦したのはフリーバーズとハンセンバスだけか そう言えば98年に四天王が三銃士と対抗戦の密会をやったって聞いたけど馬場は何て言ったのかな
馬場が逝去したのは99年初頭だったのかな >>69
僕もそれ好き。
VSカブキナガサキでの「フリーバーーーズ」が至高。マンガの対戦だけど。 >>72
それって三沢小橋と武藤蝶野橋本
の5人が席を設けたってやつじゃなかった?
馳が仲介役でーみたいな感じじゃ
なかったっけ?
川田と田上は参加してないんじゃ… 馳はなんか川田の事ボロクソ言ってたよね
プロレス的な口撃かどうか分からんけど 85年に長州vs天龍や長州vs鶴田が実現していたのを考えれば、
98年というタイミングはギリギリかやや遅い。
01年以降にあれやこれやが実現するが、もはやエキシビション的光景でしかなかった テリー引退からという事はゴディ初来日から四十年でもあるんだよな
前年にアトランタで馬場のPWFに挑戦して注目されて一年半後の来日
馬場と長州のPWFの双方に挑戦したのはハンセンにテリーと合わせて三人だけか いつも「~だけか」で終わる人へ、プロレスの歴史に詳しいのはよくわかりますが断言しているのか自信がないのかハッキリしない物言いはやめて「~だけだな。」と言いきってください。
読んでいてモヤモヤします。 ハンセンとゴディがテリー引退後に絡むのって86年の後楽園だけど、それまで何で両者のタッグや対戦が無かったのかな?
この時期反はPWF持っていたしゴディ挑戦しても良かったのに。 エースは技の開発と使い方に関しては並外れて努力していた
肝心の身体能力がダメだっただけ >>80
ゴディをハンセンとはまた別の外人エースにしようと考えてた感じかな
またゴディもまだまだアメリカが主戦場だったし サニービーチのビーチボール自腹だったらしいな
元子もそれくらい出してやれよ >>75
年末の企画で馳が三沢、川田、小橋にちゃんこ鍋よそってあげてたが
川田だけは頑なに受け取ろうとしなかったからそういうところだと思うよ せっかくギロチン式エースクラッシャーをカンナムとのアジア戦での決め技として初使用してアジアGETした割に、その試合のTV中継自体もなかった上にその後の試合でもたいして使わなくなったのはなんだかなぁ~と思った
しかもそのタイトル戦の前に地方のノンタイトル戦でカンナムと2連戦していて、いずれもエースがクロファットのタイガードライパーとファーナスのフランケンでフォール負けした後という前振りの末に溜めて出した必殺技という待遇だったのに何故かメジャーな技にならなかった
見た目が地味すぎたからだろうか >>88
フットルースのバンダナも自腹だったしな。 >>79
そういうことを言っているのは
キミだけか 三沢との三冠戦で各種エースクラッシャー乱れ打ちしたのはアツかったな 一時期エプロンからの断崖式が流行ったがエースクラッシャーまで断崖やるとは思わなくて驚いた思い出 バートンとのコンビはいわば殺人魚雷のパターンなんだよな
エースが柔らか過ぎるので硬い部分をバートンが補うと 馬場も色紙代がもったいないから、グッズにサインしていたのか? >>95
収支の換算は素人だからわからんけど、色紙を低価格で売って
それに目の前で馬場がサインしてくれた方が、売れ行き数は伸びる気がするけどなあ…
Tシャツとかにサイン貰っても表で着れないし…購買を躊躇する者も多くいた気がする
買う側としては、単価は低いし色紙なら割り切って部屋に飾るとかできるから買いたい者も多そう
1品ごとの粗利はシャツの方が多いかもしれないけど、色紙の方が薄利多売でも相対的に多く売れる気がする
それに色紙の原価なんて1枚あたり10円ぐらいで仕入れて、あとはマジックのインクの消耗ぐらいでしょ?
けっこうボロい儲けになりそうだけどなあ…? >>94
エース&バートンも良いチームだったけれどノーフィアーの踏み台にされちゃった印象が強いね
とはいえ一度は小橋秋山から世界タッグ獲ったか
チーム名ムーブメントだっけ? >>98
正解
現役アジアタッグ王者が上位王座を奪取するのは実に馬場吉村がインタータッグを奪って以来
しかも三冠&世界ジュニア王者のアンタッチャブルと同時防衛戦をやったからとにかく凄い
あれもまた三沢革命の白眉の一つだった エースクラッシャー
ギロチン式
雪崩式
ランニングキャッチ式
カウンター式
ホイップ式
エプロン式
これだけのバリエーションに加えてコブラクラッチスープレックスやジョニースパイクなど何をしてくるかわからない期待がエースには出てきた
それにノーフィアーも台頭してベイダーとウイリアムスが組んだり
あのままのメンツでの2000最強タッグだったらかなり盛り上がったんだろうな もう少し三沢社長での続きを見たかったな。三沢にすればもう限界だったんだろうとは思うけど。 三沢全日本はノアより面白かったな
ファン感謝デーとか五対五とか ゼンニプロレもぉ末期はぁ裏側がぁー大変だったかんな。
ミサミもぉババモとぁ最悪な状態んなってもぉたしぃ。
ジャイバがぁー亡くなってもぉたんがぁゼンニプロレの崩壊だぞぇ。 >>104
見たかった
川田vs秋山の三冠戦とか世代闘争での四天王vs秋山大森高山ケア
特に三沢川田のコンビをもう1度見たかった >>107
秋山は川田にだけはリベンジ出来なかったんだよな
一度だけなら秋山に機会を譲ってやれば良かったのに オレもノアより三沢全日本の方がよかったクチだな。
マジでノアより新しい事やってたもんな。 三沢全日本の6人タッグで橋が志賀からピン取ったのがビビった
志賀の下の金丸からも勝てなかった橋が急に
秋山モスマン橋vs小橋志賀金丸だったと思うけど 小橋はなんか四天王の括り嫌がってたフシあるよね
他3人は一つ上世代で自分は秋山らと同じみたいな、三沢政権が続いてたらそういう路線だったのかな キャリア的にぃコバケンはぁそぉなってもぉたんよぉ。
コバケンとタウアはぁ同時期にぃ入門だかんな。
タウアはぁミサミやカワトよりもぉだいぶ後のぉ入門だしぃ。 三銃士四天王
というくくりにいれてもらえて、むしろ小橋的にはラッキーだったのではないか。
三沢や武藤といったスーパースターたちと同格になれるんだから
一方で秋山と同類扱いされたところで何もメリットが >>109
自分の団体を持ったら途端に保守化した印象
コスチュームや舞台には凝ったがかえって年増の厚化粧に見えた
いわばリーグ戦無き劣化新日本といった印象 ノアは当初シングルとタッグのリーグ戦をやらなかったのが「楽したい」と思えた。
自由をモットーにしたが選手は不摂生でどんどん太っていったのがとても残念だった。
色々と抑制されプロレスに打ち込むしかなかった全日本時代のほうが美しかった。 >>115
まさにリバウンドだったな
やりたい事をやるためでなくやりたくない事をやらないためだけの団体に見えた
あと遊び慣れてなかったからトラブルも頻発していくわけだし三沢の顔付きも段々悪くなった >>115
全日時代末期からいわゆる四天王プロレスじゃ選手の体が保たないてのは自明の理で川田は露骨に嫌がってたし、それを「楽したい」てのはあんまりや
あと三沢が激太りしたのは首が悪すぎてロクに練習できなかったんだと思う、歯磨きですら痛いレベルだったらしいし
首に力入れられんかったらほぼ何もできんやろ、だったらさっさと引退しろというのはそれはそうです >>117
あの頃の四天王人気考えたら引退は難しかったなぁ
鶴田に続いて三沢までもって空気が生まれていたと思う >>116
>>やりたくない事をやらないためだけの団体
キツい言い方だけどその通りだ。
当時はノアの目的が、脱元子でしかないのは薄々感じてたけど、「新しい事」と言うワードに
少しは期待してたが、
それが花道とタイツの色だった時にはガッカリしたものだ。
その後、ゼロワンとの絡みや、川田の帰還とか大ブレイクの芽も何回かあったけど
三沢が相手の言葉尻捉えて揚げ足とってポシャらせてた。
馬場家の抑圧からにげて、ただのグウタラ集団になりさがってたな。 >>117
ファミリー軍団枠を自ら否定していたのでぜんざに引く事も出来なかったんだよな
せめてドリーみたいにエルボーとフェースロックで沸かせる新スタイルを確立出来ていれば >>119
好きに何でもやっていいよという状況になったら、何をやっていいのか分からなくなるのは理解できなくもない。 >>119
全日本➖リーグ戦🟰ノア
それだけで済めば良かったがマッチマークが酷すぎた
何のためにノアを作ったんだ?と言いたくなるくらいマッチメイクが酷かった
あれじゃ興味無くすよ
それに川畑きしんなんてわけのわかんないの入れてさ 最初から人数多すぎなのに青柳、齋藤、佐野、川畑、モハメドとか
地味な中堅以下を増やしていったのは意味分からんな 馬場が生前、キツいけど無理をするからこそお客さんがついてくる。楽をしてたらお客さんはついてこないというような事を言ってたけどその通りだと思う。
ただ、それで体を張ってたのは馬場じゃなくて三沢達だからなあ。
それで自由も無く、収入も新日本に劣るでは反動は来てしまう所はあったかも。 >>123
佐野はGHC防衛のこやしにされてたな。 G馬場亡き後の風景は確かに面白かった
特にノーフィアーの台頭、大森と高山の格上げにもうまくいったと思う
結成時に川田と田上組から武道館の大舞台でピンフォール勝ち
大森がチャンピオンカーニバルの決勝進出
日本人の粒がというか、トップクラスの層の厚みが増した気がした
三沢・川田・小橋・田上・秋山・大森・高山
このヘビーのメンツで、シングルでもそれぞれの組み合わせで十分回していけたはず
ノアは…旗揚げマッチで秋山が三沢・川田・田上の三人を撃破した時は
「ノアは秋山がエースか…大森もツートップか?」と思い確かに新しい雰囲気は感じさせたが
小橋の絶対王者路線にしたのが結果的に詰んだ気がする… 元子はウザいババアだけど、仮に全日本に小田原の胡散臭い奴らみたいな連中が金を出すと言っても寄せ付けないと思うよ。 せっかく全国ネットの放送があるというのに
毎週毎週なんのストーリーもなく6人タッグ放送するだけだからねぇ
無駄遣いにも程があったね >>128
元子あたりになると付き合う筋目も違ってくる。
間違ったもノアがズブった小田原のヤツみたいな、本家直参でもない枝のチンピラとは話もせんだろ。 >>108
川田は99年に2回大怪我したからね
あれなければ秋山との三冠戦実現してたのに スレタイ4人でぇテリファと深く関わりがぁーあったんはぁスタハとテリゴだぞぇ。
テリゴはぁテリファのぉさいしん時のぉ引退試合の相手だったかんな。
ブルブだとぉフォルマでけないからぁテリゴがぉーフォルマ役だぞぇ。
ジャイバがぁー幾らテリファ引退試合でもぉスタハ、ブルブのどちらかでまぁ、負けさせられないっちゅうにぃ。
そんでスタハのパートナーにゃあテリゴを選んだんよぉ。
ブルブはぁ同日にぃジャンツとのインタ組まれたしぃ。 >>123
彼らがどれだけチケットを売ってくれたんだろうな
青柳と彰俊は旗揚げ直後のあの状況で外敵的要素を必要とされたと思う
それなのに翌年5月に木村、百田、永源らの中に入って戦ってんのを見て?と思った
いつのまにかノアに溶け込んでいるじゃねえかとw >>123
まさにアジアタッグがあればだったな
いっそ旗上げ直後に借りていたWEWタッグを冬木メモリアルとして継続していれば ノアも鳴かず飛ばずだったわけじゃなくて2005年頃には新日本の迷走もあってプロレス界の覇権を握った事もあったわけだけど、その事が逆に攻めの姿勢を失わせてしまったのかなとも思う。ノアも三沢もあんな事にならない道はあったはずなのに。 >>137
スレタイの頃(超世代軍全盛時)の全日を10とすれば全盛時のノアは4程度に過ぎない。 94新春シリーズには初参戦外国人が3人も来て期待させたが期待外れだった
ノードはでかいたけにもったいなかった、本人の考え方が全日本に合っていなかった >>137
新日本の足元を見る事が出来たのがかえってまずかったな
まさに悪銭身に付かずだった >>110
それ当時ゴングで試合結果を見たけど、勝利した橋が確か「バーニングさんしっかり練習頑張れよ」って皮肉めいたマイクが印象に残ったな。
あのまま三沢体制で全日がが継続し、後にスポットでも武藤参戦したら完全に新日を食えてたかも、今と成ってはタラレバだけど。 90年代の全日武道館はいつも満員で、なんかオマケとかあったよね。馬場がボボブラジルだかロビンソンだかにココナッツクラッシュしてる絵ハガキもらった覚えがある。
その後友人は缶バッジもらってたと思う。
俺ファンクラブ会員じゃなかったんだけど、ジャイアントサービス?全日本プロレス?から年賀状が届いて嬉しかったよ。 選手の似顔絵がプリントされた
バッグやクリアーファイルをもらったよ >>137
>>140
新日の足元みつつ、新日包囲網のGPWAみたいや事やってた。
あれも統一タイトル制定とかファン向けの夢のある話じゃなくて
ノアが団体の組合長になりたいだけの談合組織だったしな。 >>144
>新日の足元みつつ、新日包囲網のGPWAみたいや事やってた
時期的にリンクしてるか記憶が曖昧だけど
新日ドームに三沢が出たり(藤波とタッグ)
そのバーターで棚橋がノアドームに出たり(王者の力皇のかませ犬)
2002年から2005年頃までは関係が良好だったのに、いったい何があったんだろう? >>141
四天王の下に、秋山高山大森がいて、その下に丸藤小林森嶋金丸あたりが続くわけだから
10年は安泰だったかも。
新日がバラバラにならなかったとしても、天龍冬木は復帰させる事も可能だったろうし、
全日系統吸収して使えそうなU系残党を糾合すれば業界トップには十分届いてたろうね。 >>144
どうせならGPWAにGHCタイトルを移管するとかやれば良かったのにそこまでも行かなかった >>145
確かガチドラが強引な事やって新日本を怒らせたんじゃなかったかな >>145
貧乏所帯でピービーしてた中村が、一時的でも業界トップに立って有頂天だった仲田のケツをかいたんでしょ。
結局あんまり食えてなさそうなのばっかり集まってきて、活動も尻切れだったな。 >>147
それやったところで、三沢や秋山に佐藤耕平や崔が挑戦するんだろ。
ノアの内輪でやった方が、良いカードじゃないか? >>150
形だけでも上位組織の管理の形を取ればスケールも違うだろうし >>148
>>149
ああ、そうかなんか思い出してきた
三沢&仲田は、猪木&新間や高田&宮戸ほど業界に台風を起こす事はできなかったね。
あとGPWA失敗で思い出したけど、インディー統一ってその10年位前にあったよね?
東京プロレスとかが中心になって、石川や冬木のプロモーション等がいくつか統合する機構みたいなやつ。
なんかスポンサーの企業が経営かなんかの苦境で、プロレスどころじゃなくなったみたいな記憶… >>146
>その下に丸藤小林森嶋金丸あたりが続くわけだから
力皇も、 >>152
FFFな、あったわ。
あの頃からテレビがなけりゃ誰かに金出してもらわないと、専業でやってけない歪な業界になってたんだな。 >>123
三沢曰く「館長には中京地区の動員を増やすために営業兼で入ってもらった」と言ってた
あと青柳は三沢のこと社長やさん付けで呼ばず呼び捨てだった >>131
秋山は結局、小橋が対角にドンと存在してないとちょっと頼りない感はあった
旗揚げから3年間くらいは
小橋が戻ってくるまで俺がやらねばー、という気持ちがあったから頑張ってたんだと思うけど >>155
全日分裂前に東海ラジオで全日の5分ぐらいの応援番組放送していたけど、打ち切り後は全日もノアも東海ラジオは関わらなかったから動員は厳しかったみたいだね。 >>155
自社の社長は呼び捨てでいいから、その線じゃないか >>156
根底の秋山の気持はわからんけど
旗揚げの四天王の三強撃破とか、ゼロワン旗揚げの三沢のパートナーとか
新日参戦等のフットワークの軽さは十分エースの雰囲気はあったと思うけどね
ただ、新日での秋山と格的に対等関係にあったのが永田というのが…武藤あたりとガンガンやらねば。
ノアの(実質全日)トップが新日のホープと同格というのが…交渉力の弱さといいえばいいのか… 秋山が素晴らしいレスラーなのは言うまでもないけど、天下を取るには何かが決定的に足りなかった気がする。
それが何かと言われると何とも言えないけど、スケール感とか主人公感とか本人もどこかで最後の一線を引いていた感じがする。自分の役目は最大の大舞台で最後に小橋に負ける事みたいに思ってたんじゃないかな。 >>160
そこを補える可能性があったのが大森と高山だったような気がする
泉田や浅子を入れてチームで小橋に挑むべきだったと思うなぁ >>156
要するにハンセンに対するデビアスなんだよな >>160
本来ならむしろそこでこそ小橋に勝たなきゃならなかったんだよな
それこそ鶴田や三沢に対する天龍や川田みたいに >>160
2006年だっけ?
秋山が田上からGHC獲って、
小橋に勝つまでベルト巻かないでいて、いよいよ小橋が挑戦か!?
ってところで腎臓癌で欠場だったからな
そこから団体の歯車がどんどん狂い始めたよね >>164
>そこから団体の歯車がどんどん狂い始めたよね
2006年の中盤以後、丸藤VSケンタのGHCヘビー戦とか武道館でやったりね
丸藤に秋山から獲らせて、挑戦者にケンタ…その時点でジュニアだろ?と疑問を感じたのはまだ甘かった。
そこまでして丸藤を上げたのに、初防衛戦で三沢が獲って時計の逆戻り… あの時に丸藤から三沢に時計の針を戻したのが破滅への第一歩だったと思う。
タイガーマスクを脱いだ三沢が鶴田に負けたようなものだった。
百歩譲って三沢が勝つにしてもその後だらだらとグダグダの防衛ロードを続けたのが最大の間違いだったと思う。
あの時丸藤に譲っていれば、ノアはどうなったかはわからないけど、三沢はリングで死なずに済んだんじゃないかと思う。 >>166
せめて大阪のリターンマッチで奪回して欲しかった
最終的に明け渡した相手が森嶋なのも最悪 >>166
あれみんな覚えてるか?
三沢が勝った後、ファンがリングサイド押し寄せたんだぜ。
一部の熱狂的なコア層と、「ノアも見る」感じのプロレスファンの間で
感覚が乖離し出してたけど、団体は気づかなかったんだよな。 >>169
三沢が負けると諦めてたからな
三沢最後のタイトルマッチを見るために行ったようなものが三沢が勝ったものだから喜んでしまった
実際はあの試合は丸藤がそういう展開にしたから盛り上がったんで三沢の力が落ちてたのは誰の目にも明らかだった
だからその後の試合は全て厳しかった
仲田が川田に頭下げるなり、秋山なりが頑張れてれば違っただろうけど… 丸藤がKENTAに勝った後に次は誰が良いかなんてマイクアピールしたのがそもそもマズかった
あそこで大ミサワコールが起きて流れが出来てしまったんだよな >>170
2007年辺りだとさすがの川田も
動きが悪くなってた >>172
2005年の三沢戦で既に明白だったからな
ジャンピングハイが出来なくなった時点で既に川田の第一線は終わっていた 当時から言われてたけど全日は新鮮味がなかったからなあ。
91年くらいまでは楽しめたけど。
その分試合内容は良かったけどそれも慣れてくると‥難しいな。 94年のチャンピオンカーニバルでスパイビーvsノードにひそかに注目していた
ビデオ収録が行われた松本(三沢vs小橋が消滅)で組まれていたから映像で観る機会があっただけに残念だ ダニス対ジョンノーはぁハルホー対ブルブをぉ彷彿(ほうふつ)とさせたかんな。
ダニスはぁハルホーに似ちょったしぃ。
ジョンノーはぁブルブのコピーだぞぇ。 >>174
選手も観客もカウント2,9で返して声援送るのがルーティンになってたな。 >>173
ジャンピングハイ以上に
パワーボムがもう上がらなかったね
あとあの試合に限ってコスチュームを変えてたけど、動き辛そうだったなw 2005年のドームのメインが三沢vs川田
1992年の20周年のメインが三沢vs川田
互いのその時点の年齢にもよるし、ファンのノスタルジー感や集大成という意味合い
目先の動員力、色んなものを加味して考慮した結果だろうけど
13年後もメインが同じというのは、団体の将来性という意味では危機感を持つべきだった
現役GHC王者の力皇がカード中盤の第五試合で防衛戦というのも…
ちなみにその時期の新日は客ガラガラでも
中邑棚橋柴田などをドームでもメインクラスで登用し、先行投資してた。 >>180
まあ、嘘でも恥かこうとありゃGHCメインにすべきだったんだよ。 ムーンサルトって決め技にしないなら使わない方が良いよね >>180
それはむしろほぼ中間になる1998年のトラウマだろうな
とにかくドームで川田に負けたままでは終われない
そうでなければ誰が川田なんか上げるかって所か 長身、ハンサム、鍛え上げられた肉体
素材は申し分なかったのにエースの塩っぷりは凄かった
今の時代にエースみたいな素材の外人いたら無理やりにでも日本人エースのライバル格に置くだろうね そういうのも加味しての三沢vs川田なんだろうけどね
話しの筋を戻すと、セミは小橋vs健介…その時点でアラフォーだよね
その前の試合が秋山と鈴木みのるのタッグマッチ
メインから三試合はメンツ的に集客力は見込めるけど、瞬間台風みたいなもんだよね
瞬間台風は派手だけど、結果的に草木や器物は破壊するし…シトシト降りそそぐ雨じゃないと芽は出ない。
2005ドーム以後から武道館クラスで実質的にフルハウスになったのは
三沢追悼大会や小橋引退試合ぐらいじゃないの?
追悼大会や引退試合でないと埋まらないなんて形を変えただけの瞬間台風だもんね、本質は変わってない。
月並みで当たり前の事なんだけど、スカウトと人材の育成、そして道場ありきだよねえ。
「自ら望んで入門するぐらいでないと大成しない」という指針なのか知らんけど、スカウト廃止の団体姿勢は?がつく
契約金やら年数保障やらで色々と団体の事情があるのかもとはいえ…。 >>185
要するに組合会社だからな
だから成員の利益が最優先になる 雅央のGHC挑戦はあれはあれで良かったけど後楽園ホール辺りでやっとくべきだった 以前あったノアがどうしてダメになったのか考察するスレのようだ 全日本が馬場商店であったように、ノアも三沢達選手の為の団体だったと思う。
目的は選手の幸せでノアの発展とかファンの満足とかいうわけではなかったかな。
もちろんイコールになる部分も当然あるけど、そうじゃない部分も多かったというか。 三沢が最前線にい続けたのは小橋秋山の病欠が原因で別に本人もやりたかったわけちゃうやろ
天龍鶴田馬場がリタイアした時と一緒でこれはもうそういう星の下に生まれたとしか >>191
三沢の場合はむしろあれやれこれやれするのが面倒になって俺がやればいいんだろと自棄で開き直った感じ 三沢が丸藤から奪取しちゃった要因として
プロレス通の多い東京での興業と違う、地方興行における問題が大きかった
当時の知名度・実績の丸藤王者路線では地方でのチケットが売れない
せめて小橋秋山クラスに名前が売れてないと 四天王については、かつての馬場鶴田のようにメインから降りた時点で入場やコール順など後輩に譲る潔さがあっても良かったかな >>193
今日は鶴田と三沢の三冠挑戦者決定戦の日
同カードのベストバウトという説も >>194
多少客が減っても地道に丸藤を覚えてもらおうと丸藤中心で巡業すりゃ良かったのに
目の前の負担を嫌がって結局長期的な大ダメージになった ノアになってからだとリック・スタイナーが一時期来てたけど、トップと絡んだ記憶は無いな。
年齢も行ってたけどもう少し扱い良くても良かったような。
バイソンスミスとかダグウィリアムスもいい選手ではあったけど、このスレタイの外人達のようなスケールに欠けた感じ。 ブリスコブラザーズ、デイビーリチャーズ、クリスヒーローとか若手の有名外人呼んだりそれなりに力入れてたとは思うけどね >>196
返しましたよ!
鶴田のバックドロップを三沢がカウント2で返して竹内さんが吠える マンモス「俺たちの声が届いたああああああ!!!!」 挑戦者決定戦がタイトル戦の後という点でもこのカードの別格感が分かる
全日本で三冠戦の後にシングル戦をやったのは当時の二回だけか >>180
新日本も最初の二度のドームでIWGP戦をセミ前でやってたな
全日本では三冠戦をセミより下に絶対していない
その拘りがあるから三冠戦の後の試合のスペシャル感もまた高まるわけで 全日本プロレスで外人同士のメインっていつまであったんだろう。
ファンクス以降だと90年の最強タッグのスレタイ4人の最終戦はメインだったと思うけどそれ以降はあったのかな?
ハンセンゴディの3冠戦は一回は三沢鶴田の最初の激突にセミだったけど、石川でゴディが勝った時はメインだったんだろうか。 >>159
その頃の永田はIWGP連続防衛記録を達成した後の実質エースだったよ。まぁ後に出戻り長州から「トップを取りきれなかった男」なんてリング上で言われてたが。 >>180
その日の力皇vs棚橋は3試合の特別試合前の第7試合で、通常カードのメイン扱いではあったよ。
その年の新日ドームは正月こそ中邑vs棚橋だったけどチケット売れずで、5月ドームは三沢に来てもらっての藤波三沢組と天山vs小島、10月ドームは藤田vs蝶野vsレスナーの3wayと迷走状態。 まあ四天王プロレスがもっとも新鮮に映ったのは91年くらいまでだがそっからノア起ち上げまで同じ事8年も続けたんだから伝説にもなるわなという点 91年でも露橋でスレタイ四人の公式戦がメイン
その間は不明だが98年の仙台でハンセンベイダーとエースガンの公式戦をメインでやっている 開国路線始まった95~96年あたりのワクワク感は異常だったなあ
川田vsオブライトが決定して試合当日までのピリピリした感じはちょっと全日としては異質だった
オブライト、当時すでに糖尿が悪化していてUインター時代の圧倒的な強さ見られなかったのは残念
ハンセン高齢化、ゴディリタイア、ヘビー級ガイジンで気を吐いてたのはウィリアムスとパトリオットくらい? >>210
鶴田とハンセンが強力で、そこに三沢と川田が必死で食いに掛かる構図がよかったな。
小橋もひたすらに一生懸命だったし、田上も開花寸前だったし。
オレが夢中なってたのは、その後2年くらいで、小橋が最強タッグ初優勝&世界タッグ獲得あたりまでかな。 >>212
U時代にも田村やカッキーにすら
負けてるからなオブライト >>212
全日本の選手の受け身が上手いのか、Uインターの選手のやられっぷりがうまかったのか微妙だけど、全日本に行ってからジャーマンの迫力がなくなった。 まあUインターって高田と山崎以外全員ジュニアヘビーだもんな
全日来てからはあのスープレックスの切れ出せなくなったのはしょうがないのか 高田は元々ジュニア級だしUインター時代は体絞ってたからなぁ >>212
パトリオットはもう少し全日本でやってれば小橋と三冠戦をやれたかもと思うと残念 全日でフルネルソン食らったの川田、三沢、ケアしか記憶がない
全員負けたがえげつなかった >>216
糖尿病は足にもくるから、ふんばりがきかなくなったのかもですね。新たな必殺技を作るセンスはないし、打撃もあんまりだし
全日本の上位で使うのは色々厳しかったのかも。 >>197
大仁田引退の時のFMWと同じだな。
ハヤブサにいきなりかえるのではなく、
メイン大仁田、セミをハヤブサで1年回れば違ったと思う。
まあ大仁田が目立たなくなるし、後藤も黙ってないだろうけど。 >>224
>後藤も黙ってないだろうけど
大仁田が引退する直前、後藤と市原が離脱を表明して
「その理由は墓場まで持ってく」みたいな事を言ってたけど、どんな理由だったんだろ?
「引退後のエースは後藤ではなくハヤブサ路線」とか?
それじゃありきたりすぎて違うよな…そんなの後藤自身が「バイプレイヤーか外敵」でこそ光るというのを解ってるだろうし…。 youtubeの雁之介チャンネルで一応真相らしきものは語ってたような。
ターザン後藤もFMWいかずに全日本に戻っていたらどうなってたかな。
何となくSWSに行ってた気もする。 >>220
流石にフルネルソンスープレックスをカウント2で返す何て事はしないだろうけど、何か川田以外のレフラーとの相性が今一つ合わなかった感じで持て余した。 >>220
小橋もウィリアムスも食らってる
大森もかな
田上秋山はジャーマンしか記憶にないな
川田が一番食らってるのは間違いない オブライトが来た時は投げっぱなしスープレックス連発の四天王プロレス時代だから一撃必殺のスープレックスというのは難しかったかも。
体型的に受けられる技も限られてるし。四天王プロレス前の超世代全盛時代に参戦するか、四天王後の三沢革命時代に選手としてのピークが来てればまた違ったかな。 やはり唯一の三冠戦で三沢を遠くへ投げ飛ばした場面が一番印象深い 30分シングルやれるスタミナあって四天王のスープレックスを受けられる体型で四天王から3取れても違和感のない必殺技もある
やっぱりレスラーとしての上手い下手はともかくウイリアムスはあの頃の全日にマッチした人材だったんだわ
馬場もレスラーとしてはウィリアムスを何も評価してなかっただろうけど重宝せざるを得なかったんだろうな オクラホマスタンピートをフィニッシュにしてた頃のウィリアムスが好き
デンジャラスバックドロップがふぃに デンジャラスバックドロップがフィニッシュ固定されてからは雑さに拍車がかかったと思う >>232
やはり鶴田がセミリタイアしてからなんだよな 川田のよろけ芸が卓越しすぎていた事
投げっぱなしジャーマンなども食らったあと一回転してロープに引っかかったりと大げさに受ける事で相手の技の格がどんどん上がっていった ゴディがいなくなってから使い始めたドクターボム
鶴田がいなくなってから使い始めたバックドロップ
引き出しは多いのにあえて使わなかったってコトなのかな >>235
俺は投げた側がまだ寝てるのに千鳥足でヨチヨチ立ってんのあんま好きじゃなかったな
ああいうオーバーなセルはジョークみたいだし受け手のが目立つのはなんだかなって感じ >>236
バックドロップは危なさ過ぎて本来は使ってはいけないのに使わせたのは問題だよ。藤波がドラゴンスープレックスを一時期禁じ手として使わないようにしていたけど。 >>238
それを言うならタイガードライバー91とか危なすぎたじゃん
ウィリアムスだけ封印するのはおかしくない? >>226
そのチャンネル見てないから何ともいえんけど
後藤がIWAジャパンに移籍して、エース格みたいになってたから
後藤も実は大仁田の後継エースの自負もあったんでは?と思ったりもする。 >>239
偉い人が責任を持って判断しないといけないのにって事。ハンセンがサンマルチノを怪我させたのはボディスラムの失敗って写真付きでゴングか何かで出ていた訳で、ハンセンはそれ以降はボディスラムで投げる時は落とし方に気を遣っていたそうだから。 渕がウイリアムスにあのバックドロップは危ないって言ったら「お前には使わないから安心しろ」って言われたとかいう話は何かで聞いた >>235
鶴田が川田をロープに振ってるのに、その前の技が効いて川田が走れないっ!ってやつが好きだった。
だからプロレスごっこで川田役の俺はそれをやったら、友人が技をさせろよって怒ってたw 川田がウィリアムスの
投げ捨てタイガースープレックスとかオブライトのぶっこ抜きジャーマンを食らって、勢い付きすぎて頭部が
三点倒立状態になっちゃったりしてたな
あと、いつだったかの殺人バックドロップで本当に脳天から突っ込んでバウンドした事あったな
96年のCC公式戦だったかな…
よく五体満足でいられたもんだ >>241
責任を持って判断した結果がバックドロップドライバー3連発にバーニングハンマーだったことになるけど?
それに渕が菊地にバックドロップ10発以上連発して馬場が苦言を呈したことがあったけど
じゃあ誰が偉い人ってことになるの?馬場が偉かったらさせてないよね >>246
淵に苦言を言ってもそれを三沢達のトップクラスのレスラーに対しても何も言わなければ馬場が黙認したとしか思えないけど。 >>248
その後も投げっぱなしとかやっていたでしょ。馬場が禁じ手にしようかなとか言っても。結局は何も変わらなかったの。 くらった相手が「あぶねーじゃねーか(怒)」と控え室に抗議しに行ったりしたら封印するんじゃないレスラーって
藤波のドラゴンしかり鶴田のジャーマンしかり
オブライトのも対戦相手がやむなしと判断してんだよ 馬場は「選手らが勝とうとしてやってる事を俺がやめろとは言えない」みたいな発言があったと記憶
まあ勝ち負けというより場内の盛り上がりとか含めての事なんだろうけどさ、無責任と言われれば無責任なんだろうけど本人らがやってる事だから >>249
そうだね
だからウィリアムスだけ特別に封印させるってわけにはいかなかったってことだね
結論出たじゃん 鶴田のバックドロップとかは急角度でも危険という感じはしなかったなあ。
下半身がしっかりしてて完全にコントロール出来てる感じだったからかな。
ウィリアムスのはただ放り投げる感じで危なっかしいというか、四天王プロレス時代全般もそうだけど、技をかける方が制御するんじゃなくて、受ける方がなんとかする見たいな感じだった気がする。それを「受けの美学」とか言ってしまえばそれまでだけど。 >>252
結論って要は自己責任なって馬場が責任放棄したと言われてもしょうがないじゃない。 馬場は昔はあれするなこれするなだったが晩年はファンに受けるなら仕方ないだったんだよな
四天王時代では解説でも自分には分からないだったし >>253
それは結局「受けの美学」じゃなくて単なる我慢大会にすぎなかったわけで
その結果が三沢のリング過だったからなぁ
ただ武藤もウィリアムスのバックドロップ受けてたけど危ない感じはしなかったな >>254
自粛は無理だよ
自粛しなかったからこそ四天王プロレスは支持されていたんだから >>256
それは飛躍してね?
三沢が亡くなったのはバックドロップドライバーじゃなくて高角度バックドロップだし、高角度バックドロップ自体はウィリアムスがバックドロップドライバー使用する前からポピュラーな技だった
掛け手だった齋藤も特にウィリアムスに接点あるわけじゃないしバックドロップ繋がりでウィリアムスに飛び火すんのはとばっちりも良いとこだと思う >>258
話のスタート地点が>>238の「ウィリアムスのバックドロップは封印すべきだった」なんだよね
「目には目を」で際限なしにエスカレートしたのが失敗だったと自分は思う 客入りが落ちてチャンカン2回戦制にしようとした馬場が苦言とか笑うとこだぞ >>259
だからその話の発端から三沢の死まで繋げてんのが無理筋じゃねーかって話
そもそも四天王プロレスの90年代はプロレス全体が過激な方向性に舵切ってたわけでバックドロップドライバーが切っ掛けだったとは思えないし、
三沢が亡くなった当時のノアは四天王全盛期のような激しいスタイルしていたわけじゃないんだからバックドロップドライバーからの激しい技の応酬がエスカレートした結果ってのはハッキリ言って的外れだと思う >>260
それで流石にストライキ寸前になって決勝の三つ巴で手を打ったとか 初期型エメフロはまじで危険すぎた
肩の高さから頭垂直落下だもんな
TVで見ててもこりゃアカンだろって恐怖を感じた >>261
バックドロップドライバー以外にも垂直落下パワーボムやらバーニングハンマーやら出してたでしょ
結局そういう技の蓄積じゃん
「アレくらっても大丈夫だったんだからこの程度」がリング過に繋がったわけよ
その辺の意識が薄かったから緊急状態なのに放置とかした結果なんだからさ 「全日本系レスラーのの受け身の特化力」
実際に馬場も言ってたし
ファン側も(多分レスラーも)「このまま際限なく続けば危険」とどこか思ってても
上記の「受け身が優れてるから大丈夫」に皆が乗っかってしまった
確かに大丈夫だったが、ダメージの蓄積という点までは警告されてなかった。
まあ、その時点で三沢が40代後半まで現役だと予見もしようがないんだけどね。 まあ、この流れは三沢の不幸な事故直後に散々議論されてたけどね
レスラー側もコミッション的な、安全委員会みたいなの作ろうという動きはあった
でもいつのまにか立ち消えになってしまった… >>266
あれは猪木がヘソ曲げてまとまらなかったらしいね
「ケガしたくないならレスラー辞めろよ」みたいな事言ってたとか >>265
三沢が前座に引けなかったんだよな
アジアタッグとかファミリー軍団とかそういうためにあるのが良く分かった >>266
対抗戦とか交流戦とか言う前に
そのへんを話し合ってもらいたいもんだよな やっぱり地方では手を抜くべきだったのだな。
毎回毎回30分以上の激闘では 統一の安全規約作るとかプロレスラーライセンス制とかね
懐かしい
一瞬で立ち消えたなアレ
高山の事故のときも似たような話出たけど一瞬だけ
プロレス村でそんなの作れるわけないんだわ 結局はレスラーにしてみれば試合に出れなくなる事に繋がる話だからなあ。
体に何の問題も無いレスラーなんてそうはいないだろうし。
もし、自分が出れなくなったらと考えたら及び腰にもなるかな。 レフェリーがしっかりしてくれたら問題は減るんだろうけどね
全日で信用築き上げたはずの京平ですら世W虎事件であのていたらく 最低限、コーナーポストへの
ジャーマンとか「受け身が取れない
頭部へ投げ技」は禁止すべきと思うがね
また誰か死ぬか、寝たきりになる。 >>244
そういう細かい所まで忠実に再現するのが本当にプロレス好きな奴がやることだよね
プロレス好きでもないくせにプロレスごっこに加わってくる奴は相手の技を受けないから邪魔だった >>276
初心者はテリー
中級者は鶴田
上級者はフレアー >>277
全日ファンならフロッグスプラッシュは三沢式 >>276
昔ゲーセンに全日のゲームがあったのでやってたら知らない奴が対戦で乱入してきて試合の組み立てもクソもなくただ攻めてきて最後も普通の技で3カウント取られたの思い出した 三沢式フェイスロック→割れんばかりの「落とせ!落とせ!」コール
最高だねこれぞプロレス
ノアでもたまにフェイスロック出してたけどレア感あって好きだったなあ そういやフェイスロックやストレッチプラムで動かなくなったからフォールするシーンも結構あったなぁ
普通レフェリーストップだよね? >>278
翌年から三沢川田に対抗して鶴田がスリーパーを多用するようになった
長期離脱がなければ試合内容が違う流れになっていたかも >>280
誰か忘れたが対戦可能のゲームで一人で楽しんでいるところに挨拶もせずに勝手に座る奴がいたと言って憤慨していた、そういうコミュ障っているんだよなあ
「対戦いいっすか?」たったのその一言で十分だろうに >>283
鶴田のスリーパーはあのでっけえ体でがっちり掴んで左右に振るから迫力があった >>285
菊地毅相手にスタンディングでスリーパー掛けて、その身長差から菊地の脚が浮いて絞首刑状態になって
、その後ブンブン捻りを加えてたのはエグかったな
レフェリーストップしたのかギブアップしたのか忘れたけど >>286
当時の全日にレフェリーストップの試合はなかったはず
だからこそ>>282みたいなシーンが頻発してたし 91年8月の尼崎だったかな。
試合とは関係ないけど、読売テレビの竹山アナ最後の実況で赤と青のツートンカラーのマットの最後の大会でもあった。 でも鶴田が菊地にやってたエグい角度の逆エビとか、拷問コブラとか
原型通りにしっかり決めた方が効くよな。
川田の拷問コブラなんかマッサージみたいになってたもんな。 >>288
ガラガラの大会だったのに1階席、2階席とも超満員ですと適当なこと言ってた竹山 >>290
倉持からの伝統なんだから竹山だけじゃないよ。 >>289
このシリーズの菊地は何故か丸坊主だったので鶴田と田上が中学生をボコボコにしてるように見えた >>282
フェイスロックとか落とす技じゃないって自分たちで言ってたくせに、落ちた(力尽きた?)からフォールって感じのムーブがなんだかなぁって感じだった。 締め落とすという技じゃなくても相手を屈服させたとか、そういう意味で落としたという表現でも別にいいとは思うけどね。
「鶴田からギブアップを奪った」フェイスロックというだけで説得力が生まれるし、「○○直伝」とかそういうのでも箔がつく。頭から落とす説得力だけじゃなくてそういうのも繋いでいって欲しかったな。
鶴田のバックドロップとかフライングボディシザースみたいにかつてテーズから受け継がれた技なんかは四天王の誰かに引き継いで欲しかった。 >>294
元を辿れば、鶴田がフレアーの4の字でピンとられかけた。 >>295
表現じゃなくてフォールせずにレフェリーストップでもいいだろうにってこと
別にギブアップで構わないとは思うんだけどね
全日のレスラーにとってギブアップの意思表示ってそこまで屈辱だったのかね? 3カウントこそ気持ちいい終わり方!!!!という馬場の方針だったのかも 鶴田は2回目の三沢からの負けは、自らギブアップ負けを選択したそうだし、アンドレも猪木からの負けはフォールよりギブアップを希望したと。
ファンからしたら、自らマイッタするギブアップ負けの方が完敗した感じするけど、レスラー側からすると違うのかな。 テリーも長州に負ける時はラリアットでなくサソリだったな 今日は秋山の三冠初挑戦
アジアタッグ王者のままというのも画期的
アジアタッグ王者のトップ王座挑戦はそれこそ日プロでの猪木以来 >>299
取りようによっちゃスリーカウントは屈服させられて、
ギブは敗者が自分で選択したとも取れる。 >>301
>アジアタッグ王者のトップ王座挑戦はそれこそ日プロでの猪木以来
昭和42年10月のインタータッグ挑戦のことかな?
なら、その前年秋、アジアタッグ王者吉村道明がインタータッグに
挑戦しているけれど? 以来だから1番近い新しい年を出したのでは
それならアジアタッグ王者時代の力道山がWWA世界に挑戦
馬場もインター争奪戦やってる >>304
分かった。でもそれで言っても
坂口征二はアジアタッグ王者で
昭和47年、UNやインタータッグに
挑戦している
猪木のインタータッグ挑戦(昭和42年)
より後だよ >>304
分かった。でもそれで言っても
坂口征二はアジアタッグ王者で
昭和47年、UNやインタータッグに
挑戦している
猪木のインタータッグ挑戦(昭和42年)
より後だよ >>301じゃないから分からんがシングルのトップ王座を指してるのでは
日プロならインター、全日本ならPWF・復活インター・三冠
そして両方通してNWA世界 >>299
> 鶴田は2回目の三沢からの負けは、自らギブアップ負けを選択したそうだし
話の出所が気になる。和田かな? >>308
鶴田組が勝つと思い生で見たくなかったのでこの大会パスしたことを後悔したわ >>307
猪木がドリーのNWAに二度目の挑戦以来の意味 >>309
鶴田が三沢に挑戦するのは初という意味で観に行った
二つの世界戦が日本人同士でアジアタッグが外人同士なのも面白かった 俺も猪木が日プロ時代、トップ王座に
アジアタッグ王者で挑戦といったら、
69年と70年のNWA挑戦かと
思った。
でも、その時はインタータッグ王者でも
あったので、秋山の場合とはちょっと違う。
いずれにしても、アジアタッグ王者で
トップとは言わずとも上位のシングル王座に
挑戦したのは、猪木よりも72年の坂口の方が
あとだな。
まぁどうでもいいことだが(苦笑) ギブアップは圧倒的な格の差ない限りその両者間での格付けが明確なっちゃうから難しいでしょ
鶴田のギブアップは当時はとんでもない衝撃だったけど絶対エース鶴田の終焉と三沢新時代の到来のための演出としては最高のインパクトだったな むしろ間接による決着は強弱が不透明に見えるからってんで避けたんじゃなかったっけ 昔のタイトルマッチ3本勝負の時代だとフォールやギブアップの価値も違ったんだろうな。一本目なら戦略的にあまり無理せずギブアップみたいなケースもあったし。
三本勝負っていつまで主流だったんだろう。 >>312
秋山も前年には世界タッグを短期ながら兼ねてたからな
上位タッグとの兼任は坂口以来と言いたいがあるいは浜口以来と言うべきか その結果が「相手が動かなくなったからレフェリーストップせずにフォールでしかも返す」というね まぁそこをやたら気にしてんのお前くらいしかいないし >>317
全日本でのレフェリーストップとなるとロビンソンとブッチャーのPWFを思い出す >>319
'83エキサイトSでの馬場対上田もレフェリーストップだったね。 俺は両リンは必要悪だと思ってたから
無理やり決着はいらない派だな >>318
なんかダレるじゃん?
レフェリーが止めろよっていつも思ってたわ
あれでフォール返すんなら単なる死んだフリw 両リン決着の時だけ急に厳格になる場外カウントw
まぁこの頃の全日はもう両リン決着はほとんどなかったからどちらかというと新日のイメージだけど >>324
ジョーの場外カウントなんて、両手広げて適当にアウアウ言ってるだけだから
本当にちゃんと数えてるか謎だよな。 >>325
一人がリングに戻るとちょうどカウント10 リングアウト勝ち は「辛くも勝利」という意味付けができるうえ
両リンほど不満を客から言われないという、なかなか便利な道具だった 最高のリングアウト勝ちはやはり鶴田がブロディからインターを初奪取した時かな 田上が川田からアームボンバーでリンクアウト勝ちした試合は説得力があって良かった。 >>331
でも川田がリング上で3カウントを取られるのを嫌がってリングアウトにしたような気もするんだよなあ >>331
お前はそうかも知れんが会場は大ブーイングで花道に帰る田上にパンフレット投げつけてるやつがいたぞ ゴディvsスパイビーのシングルってありそうで無かった
他の顔合わせは実現しているのに >>334
三沢が鶴田に勝った世界タッグでの田上に対するブーイングは凄まじかった 田上と川田はバチバチやりあってる時の方が好きだったな。
川田との抗争で田上も徐々にファンに認められていった感じがする。
川田も川田で、三沢の相手が鶴田なら自分の相手は田上と思ってたのかな。 >>337
川田にはそういう組織的な頭もあるからな
そういう所もまた三沢に嫌われたとこなんだろうが ハンスパvs殺人魚雷の29:59
あれはフィニッシュが雑だったのが惜しかった 川田をハブった三沢の事を、長年オレは器量の無い奴と蔑んでたが
麺K行って、三沢を怨んだ事を反省した。 >>341
川田の店は面倒臭い客が多々紛れ込んでいるから、まともな客に対しても接客が雑になるとしたらそれには川田に同情する
ラーメン食べないのに一緒に写真を撮ってくれという馬鹿までいたらしい >>341
三沢さんは小田原の方にゴチになっていたらしいけど 3人で来店して1杯しか頼まず飲み物も頼まず取り皿くれって言ってきた3流インディレスラーとか、
混んでる時に来て握手してくれとかカード10枚くらい持ってきてサインくれとかいたんだよな しかし正直川田クラスのレスラー実績でも引退後(本人曰く引退はしないそうだが引退状態だよな)はラーメン屋店主なのか、と思ってしまうなあ・・・
中西はガソスタで働いてるし飯塚さんは佐川のドライバーだっけか 川田なんてタイトルもそこそこ獲ってたし、エースクラスだったのに侘しいよな。
船木や山崎みたいに、プロレスラーだった経験通して、勉強やってセカンドキャリア進めたらベストなんだろうけど
飲食とかで過去切り売りしながら食いつなぐのは寂しい限りだな。 >>346
川田は最後に世界ジュニアを取ってたらグランドスラムだったのな
体格的に見劣りしない近藤なら不足もなかったし 山ちゃんはUインター道場に全く顔出さずに整体の学校通ってたらしいがそれはそれでどうなんだと思うw 田上も小橋もそれなりに悠々と引退後の人生を歩めてて何よりだと思う。
二人とも癌は患ったけど。
川田は目一杯働かなければいけない感じで少し大変そう。
レスラーの引退後は様々だけど、一番上手く行ってるのは力皇あたりかな。 力皇と川田の差を見てるとやっぱ接客業は愛想が大事なんだなって思うな この川田のラーメン屋が上手くいってないみたいな流れはなんなんだ? 引退後に飲食業と言えばロッキーを思い出す
落ち着いて食べているかつてのファンに現役時代の秘蔵エピソードをロッキー本人が語るという贅沢時間を提供してそこそこ繁盛
こういうのはせわしないラーメン屋では無理そうだな >>354
自伝で店の経営に苦労して愛車を売ったと言っていたような、そういう本人談もあるからだと思う
一言、多いなんて頻繁に言われていたけどレスラーとしては超一流だと思う >>356
それか、そういやなんか経営本みたいなのも出してたっけ
都内のラーメン屋なんて半年で潰れてるなんてのも珍しくないし世田谷のええとこでもう何年も続いてるってだけでそんな失敗してるようには思わんけどな
もっともちゃんと儲かってるならイベントとかにも出てきそうにないから、プロレス村の副業込みでやってってるんだろうけど 名前だけ貸したようなのとか、上っ面だけの○○がプロデュースしたみたいな店は大体失敗してる印象。
そういうので成功した例なんてあるんだろうか。本人が常日頃から店に出ないようなのは結局失敗してる気がする。 モハメドヨネの店がそんな感じで好評って聞いた事あるけど今も健在なんかな ヨネはコミュケーション能力が高くてコロナ禍で苦戦したものの店は続いている 田上のステーキ屋もコロナの影響は大きかったらしいがご近所さんの常連客が多く今も続いている >>361
ヨネは小田原に特に気に入られてたらしいな >>357
>世田谷のええとこで
一応、最寄り駅は「成城」となっているが
バス停で3個くらい離れていて
歩くのはちょっとシンドイ距離、
周りは、なんにもない辺鄙な場所
世田谷=良いところとはいえないよ >>364
たぶん行ったこと無い人だと思う
駅から離れた所というだけで不便
俺は川田が作ったラーメン食べたくて遠くから車で行った 地方民なんで川田の店行った事ないけどご近所さんの評判はどうなんだろう? カブキの店のちゃんこは絶品というがどのくらいのものなんだろう? >>364-365
社交辞令でも都内に店構えてたらええとこ言うたったらええねん
そういうとこやぞ、珍ワッチョイ 今日はカンナムの最後のアジアタッグ返り咲きからちょうど三十年
極道コンビと同じくこの最後が一番の長期に >>354
力皇の店は連日行列ができる程繁盛してるらしいからな
麺ジャラスがどうこうと言うつもりは無いが… リキの店はすでに元プロレスラーをウリにしてなくて
普通にラーメンマニアにも知られてる美味しいラーメン屋さんとして人気を得てるとか 力桜は前頭最高4枚目まで行ったからTVで顔知ってる人も多そうだな
90年代後半の大相撲中継なんて若貴ブーム後とはいえ視聴率20パー超えてた頃だろう 超世代軍の時代の食事事情ってどうだったんだろうな。
酒の話とかは良く出てくるけど。ノア時代だと力皇のちゃんこは美味いみたいな話はあったけど。
レスラーの食事事情の話はよく出てくるエピソードだけど、90年代前半の全日本の事情はあまり記憶に無い。 今日は小川がクロファットから世界ジュニア初奪取の日
まさに苦節十年だったな >>243
殺人バックドロップじゃないけど投げっぱなしタイガースープレックスを一応ジュニア扱いのクロファットにやった事があったなウイリアムスw(その試合はそれが決まり手だった、確か94最強タッグ)
クロファットはこの前の試合でも三沢にタイガースープレックスやられたばかりで何故か連日くらってるというw クロファットは小川や菊池と較べると体デカすぎて正直ヘビー級にしか見えなかった・・・
新日なら普通にヘビー級だったんじゃないのかしら >>381
当時は小川良成も、体重は別にして身長だけだとクロファットと同じく180cmだった。
それがなぜか、現在では171cmまで縮むという‥謎。 ウィリアムスとブロディは公表されてる身長に幅がありすぎててよくわからん
ウィリアムスなんて猪木より大きかったのに(試合中に197とアナウンス)
全日来てから明らかに縮んでる
その後の武藤との三冠は同じくらいに見えた 小川の171ってジュニアの中では背高い方だったのに今では公称171センチなのか 渕が交流戦で新日にあがると新日なら普通にヘビー級の体格なんだよな
小林邦昭が「渕さんはぼくから見るとメインイベンターになれるレベルの選手でした。
本人に欲が無かったんでしょう。」と言うわけだ ジュニアヘビーってのは本来は準ヘビーの意味だからヘビーに混じってもおかしくないはずなんだよな
テーズやBIからベルトを奪ったボッジみたいに
完全な軽量級はむしろライトヘビーから 渕って顔は地味だけど手足長くて太り過ぎてもいなくてレスラーとしては割と良い体型してるんだよな >>383
ウリアムスは新日時代の身長はサバ読みだと思うけど、
体重は逆に123キロはおかしいだろと
思ったね。
身体の分厚さからして
どう見ても130キロはありそうだった。 ラーメンフェスに力皇のラーメン屋出店しないとダメだよな >>387
手足細い、胸板薄い、下腹出てる、全然よくない 当時はガイジン若者?枠のエース・パトリオットですら190超の大型だったからクロファット・ファーナスクラスの上背では全日外人ヘビー級は無理だったか 理想の筋肉、スタイルでいえばパトリオットはレスラーでトップクラスだわ 菊地が世界ジュニアのベルトをなかなか巻かせてもらえなかったのは年は下だが入門では先の小川とのバランスもあったかな
それこそアジアタッグとの二冠王などもっての他で 川田がデンジャラスパワーボムで制裁した覆面コンビ、ブラックハーツだったか?
あいつら来なくなったな。 マジでパトリオットの肉体はかっこよかったよな
まさに正義のヒーローって感じで会場の子供人気も高かったのに勿体なかったよね 小橋のライバル兼パートナーはジョニーエースよりもパトリオットの方がふさわしかったと思う。
WWFに行った時にはもう肘を悪くしてたからあのまま全日本にいても怪我に泣かされたかもしれないけど、本人にとってはどっちが良かったんだろうな。 次のプロレスクラシック
ハンセン、スパイビー、エース対ゴディ、ウィリアムス、ディートンだってよ
今の新日本は外人ばっかだけど、レベルが違いすぎるな >>398
パトリオットからすれば
ハンセンと殺人魚雷でトップが確定してていつまでも中堅扱いの全日にわざわざ飛行機で来日するより
WWFでのネームバリューでドサ周り出来る本国の方が良かったんだろうな
結局マスク取っちゃったけど >>399
比較対象が当時の多団体か今の全日ならわかるけど
なんで今の多団体と比べてしまうのか… 当時でも今でもWWEが最高のアガリじゃね
実際全日トップだったウイリアムスですらホイホイ移籍したし、ハンセンが特殊なだけ そもそも今の新日ってバレクラのトップ層とかアメリカでもそのままメイン級だから別に引けをとってはいないんじゃ >>402
ハンセンの自伝に85年にアトランタ空港で当時WWFで大売れだったポール・オーンドーフ
から大金を稼いでると伝えられ「スタン、君も日本を諦めてWWFに来た方がいいと思うよ」
と言われて、正直気持ちが揺らいだと書いていたな。
が「一時的に大金を提示され、それに釣られて日本を去ってもその後すぐ解雇されるのが
目に見えていた。」と書いていた。いずれにしても84年以降のビンス・ジュニア体制の
WWFはハンセンに絶対合わない。ハンセンの良さが死ぬよ。 WWEのステイタスと得られる金は新日とでは雲泥の差でしょ >>404
日米レスリングサミットでハンセンが入場したとき故意にリングアナウンサーにぶつかり
コールをさせなかった場面で
ビンスは凄く怒ってたからハンセンは評価されなかっただろうな >>406
あの黒人のリングアナにぶつかったやつね。
「29...」のところでハンセンに突き倒された後、立ち上がって「...5パウンド、
スタン "ザ・ラリアット" ハンセン!」とコールを完成させたよな。 >>404
1985年はジャパンが参戦中だからなあ…ウォリアーズも全日に初来日して特別待遇だった頃だし
迷うのも致し方ない所か…ブロディもジャパン参戦してすぐに新日に行っちゃったし。
でも「今はバックバーナーになるけど、必ずフロントバーナーに戻すから」
という馬場の言葉を信頼したのが結果的に良かったんだな。
なんたって1985年から結局は15年に渡って全日に参戦し続けられたんだから…
それも最後は契約を切られたんではなく、自身の決断で引退したわけで。 変なキャラを押し付けられてマイクパフォーマンス
連日時差のある全米各地を転戦しまくり家族と過ごす暇もない
それより、3-4週間日本各地を皆でバスで回り、終わったら自宅で2-3週休む
行き帰りはファーストクラスだしホテルは団体が抑えてくれるし手荷物は若手が運ぶしな
試合内容もそうだが、そういう日本の巡業スタイルの方が性にあってたんだろ 怪奇派ギミック・成金ギミックのハンセン・・・・
正直想像がつかんw
全日いる限りは馬場にトップ外人を保証されるだろうけどWWF行ったらジョバーだろうと甘んじて受け入れなきゃいけないだろうしね WWFでレイスが「キング」を皮肉ったような王様スタイルをやってんのはキツかった
ファンクスかドリーか忘れたけど「ホス(うすのろ)・ファンク」とかも…
リッキーの「ザ・ドラゴン」とかはまだマシな方だったけど
たぶんハンセンも「テキサスの田舎のカントリーキャラ」みたいなのをやらされたと思うよ 新日にハンセンが来たのってWWEルートだよな
対立するNWA派閥の全日に移籍したからビンスと仲悪くなったのかな、とふとおもた >>408
85年にはホーガンからもライバルとしてWWFに上がってくれないかと頼まれている。
でも、夏からテリーが上がったよね。あれは本来ハンセンではなかったかと想像してる。
>>409
だな。あれで皆、肉体と精神がボロボロになる。
でも、デビアスやドリーは「ビンス・ジュニアの待遇はこれ以上ないものだった」
と今でもよく言うよな。まあ、ハンセンは日本が性に合うよ。 >>413
実際、新日本からの引き抜き役をしたテリーがハンセンとの対談で言っていたよ。
「当時、ビンス・シニアに『よくもウチの大事なタレントを引き抜いてくれたな』と
強く抗議された」と。 >>412
ゴディが96年にWWFでやったマスクマンの「ジ・エクスキューショナー」も。
89年のインタビューでは「WWFはオレにもミリオンダラーマンだかホンキートンクマン
だか知らねえけど、変なギミックを用意したらしいが冗談じゃねえ」と言っていたけどね。
時代も考えも変わる。皆、食うために必死なんだよな。 >>411
ハンセンは映画「ゴールデンボンバー」でその通りのキャラクターを演じてたな。
実際にWCWでは、コスチュームは普段と変わらず「ゴールデンボンバー」でやってた噛みタバコを口にしたままヨダレをダラダラ垂らした粗暴なカウボーイをやってた。 >>414
いわばハイリスクハイリターンなんだよな
確かに高待遇だが酷使も半端でない
更にクローズ条項があるため突然切られても文句は言えない ハンセンが大好きでレンタルビデオ屋に行った時ハンセンがでっかく写ってるパッケージが目に入ったので借りてみたら噛みタバコキャラやっててショック受けた思い出が WCWにハンセンが出た時PPVじゃない地方大会でディスコ・インフェルノにピンフォール負けしてる >>410
ハードゲイとか… 想像したらダンプみたいになってしまったw ゲイギミックのレスラーも二昔前くらいは定番だったけどな
全日にもいたろ、リップロジャースだっけ ロックンロールエキスプレス
ザ ファンタスティクス
ブラッドブラザース WWF
スパイビー→ウェイロンマーシー(ガイジキャラ)
テリーゴディ→エクスキューショナー(怪奇派マスクマン)
テリーファンク→チェインソーチャーリー(イロモノ怪奇派)
パトリオット→そのまま
カンナム→そのまま
マイクオーサム→ジョバー
カクタスジャック→マンカインド、デュードラブ
ウイリアムス→そのまま
スコーピオ→フラッシュファンク
クラッシャークルスチェフ→スマッシュデモリッション、リポマン
ジョンテンタ→アースクエイク、ゴルガ
ブライアンアダムス→クラッシュ、コナクラッシュ
WCW
マイクオーサム→田舎者ギミック
ハンセン→田舎者ギミック
パトリオット→そのまま
クラッシャークルスチェフ→バリーダーソウ、ブラックトップブリー
ジョンテンタ→シャーク、アバランシュ
ステイトポリスのバディリーパーカー→軍曹ギミック
キングハク→ミング
こうしてみるとWWFはキャラ色強いな
WCWは適当感がすごい 20年位前にWWFがガチンコのボクシングマッチやったよね
確かトーナメントでウイリアムスが優勝する下馬評だったが、バートガンが優勝だったやつ
ホークウォリアーも出てたけど途中でKOされちゃった…
まあガチンコといってもボクシングだし、本職以外の者同士の戦いだから
その結果をもってガンがセメント最強って事にはなるのか疑問だけど…
例えばそこにトニーホームが出てればガンがKOされるんだろうし…
ちなみにその優勝したガン、K1にも出てた本職のデブのボクサーとボクシングマッチやらされて
ゴング開始直後にリング外にブッ飛ばされてKOされたのは驚いたけど、まあ餅は餅屋なんだろうね。
その後に全日にウイリアムスとガンが同時来日してたけど
序列的にはウイリアムスが大将で、ガンはウイリアムスを立ててたな。
シングルもやったけど、プロレスではウイリアムスのフォール勝ちだった。 どう見ても色物の腰クネクネルードがとんとん拍子で勝ち上がって蝶野と第二回G1の決勝で戦ったのが謎だったけど
WCWとの提携強化でルードにも花もたせる必要あったからなんだと後で分かった
たしかG1の1年くらい前に全日に上がってやはり腰クネクネしてた リックルードとのシングルであそこまで大盛況を作り上げる蝶野は一流 ルードは全日登場時には田上からシングルでピンフォール取ったり結構厚遇されてたな ルードのキャラの元祖はゴージャス・ジョージになるのかな?
逆に現代ではタイチあたり? >>426
バタービーンだな
場外には吹っ飛んでないけど完璧にKOされてたな
あれはウィリアムスを推したい会社の思惑が外れて勝ってしまったから制裁も込めてらしいが理不尽な話よな
バートガンと当たったボブホリーも険悪になってホテルでかなり気まずかったとか
あれはボブホリーが悪いけどな しかしWWFもウィリアムスの何を評価して推したいと思ったんだろう >>427
WWFビデオで見た「音楽を止めな」って字幕
ひとつも間違ってないんだがいま思い返すとなんかおかしいw ルードがガウンを変質者のように前だけゆっくり開いて、バキバキの肉体と派手なロングタイツをみせるスキッド。
一緒に組んでたゴディが終わるまでちゃんと待ってたけど、嫌じゃないのかなぁって全日中継見ながら当時思ってた。 >>428
ルードがうまかったんだろ
G1決勝だし、あんなのは盛り上がる
横浜アリーナで見た蝶野対スティーブ・オースティンは気の毒になるぐらいつまらない試合だったぞ >>433
「カット ザ ミュージック!」だっけ? >>432
ジムロスが友達だからかなり推してたみたい >>436
ストップ ザ ミュージックじゃなかったっけ? >>425
WCWのオーサムは田舎者というより70年代レトロフィーチャーな勘違いキャラ。 >>427
ルードだけ契約上シリーズの途中で離脱
その最後の試合だけ腰クネした
それまでは元子から禁止令が出てたから封印してた ルードはただのイロモノじゃなくて実力者だしな
確か試合中にケガしてリタイアしてしまったんだっけ ロードウォリアーホークとスコットノートンがヘンリー高校出身、ライバル校のロビンズデール高校の同学年にリックルードとカートヘニングがいて殴ったり殴られたりフクロにしたりされたりしていたというがそんな高校イヤなのである
あと何故か全員詰め襟の学ラン着てるように幻視してしまう >>442
それ知れば、ますますパワーウォリアーはノートンでよかったのにと思ってしまう。 >>442
なぜかって むしろ幻視するのが当たり前だろしない奴がいるのか
ノートンは下に赤いTシャツだな ロック様のどう見ても10代に見えないハイスクール時代の写真は不穏
麻薬捜査官の変装潜入と警戒されたエピソード好き >>435
蝶野のNWA防衛戦は全部ひどかったね。
首の状態が良くなかったからってのはわかるけど。 三沢とルードがシングルやったらルード蝶野戦みたいに盛り上がるのかな >>447
相手も悪かった
若手時代のストンコやタッグ屋のスコット・スタイナー相手に名勝負とかハードル高すぎ ノア時代にリックスタイナーが参戦してたけど
リックと三沢小橋田上秋山って絡み合ったのかな 秋山が「流石と思わせる所はある」みたいなコメントを出してた気がするけど、試合してなのか試合を見てのコメントなのかは不明。
リックもノア参戦当時40チョイ過ぎで田上とほぼ同い年だったはずだから、まだまだ年齢的にはまだまだいけたんじゃないかと思ったけど、結局継続はしなかったな。 シングルでバリバリやるのは厳しいにしても田上リックスタイナー組とか
意味分からん組み合わせでタッグベルトに絡ませれば良かったんだわ >>447
全部と言っても蝶野のNWA防衛戦は、
国内では、92年横浜アリーナの対スティーブ・オースティン、
11月23日両国の対スコット・スタイナー、
そして93年1.4でムタがIWGPを賭けてダブルタイトル戦で
破れた3戦だけだが、、11.23のスタイナー戦はメインでもなく
他にホーク&健介のニューウオリアーズ、さらに天龍WAR軍が
新日に乗りこんできたので、そっち話題を奪われた。 NWAのタイトルはその後バリーウインダムがムタから奪取したんだっけ。
その後は小川直也が巻いたりゼロワンで持ってたりしたけど、タイトル自体はまだあるみたいだな。 意外なとこで、蝶野とムタのNWA戦って92年の12月にWCWでもやってるんだよな。
翌年の1.4で同カードやるからか、各媒体ではちっちゃく報道されただけど。 NWAタイトルってなんか分かれちゃったよね。
小川が持ってた流れと、クリス・キャンディートが持ってた流れの2つあったと思う。
キャンディートは90年代に全日に来たよね。
スレタイの外人の脇を、RVD キャンディート ファイアーキャット スコーピオとかいたね。 >>457
1.4のドームでもその事に触れてなかった?
マサ「凄い良い試合だったらしいですよ」 ゴディの体調が悪くなくても既に四天王に負けが込んでたから
馬場的に三冠王座にはもうさせるつもりはなかったと思う クリスキャンディドって名レスラーだったよなあ。
若くして亡くなってしまったんだよね >>460
俺が全日みた時はゴディはハンセン以外にはまともに負けたの見たことなかったな
鶴田でさえ引き分けとかタッグで取られたりしてて
三沢は微妙なフォールの勝ち方ばかりだったし
だから田上が初対決で勝ったのは驚いた >>462
ハンセンに万が一が起こった場合の次期エース候補だったんじゃない?
実際はゴディの方が先に万が一になっちゃったけど ゴディが体調管理ちゃんとしてたらその後の全日も変わっていただろうに ゴディ・ウィリアムス組があまりにも完成されてたからゴディにしろウィリアムスにしろ、シングル王者に回すとマッチメークが難しくなるというのはあったかな。
あのままゴディが健在だったとして、いつかは殺人魚雷は解散してたのかな。
二人はプライベートでも仲が良くて、93年のCC総当たりに最後まで反対してたと馬場が言ってたけど。 全日本はタッグが基本だからパートナーが分かれる二ブロックでも良かったと思うが 見る方も別にタッグチームのパートナー同士の対決そこまで見たくなかったし
どうせ時間切れ引き分けだろうなと思って見てた 外人のパートナー対決で盛り上がった試合ってあんまり思いつかないな そもそもこの頃の外国人同士のシングルってほとんど凡戦だよね >>471
90年前半のハンセンの外人同士のシングルは面白かったよね。団体の垣根は超えるけど
2月 ベイダー(東京ドーム)
4月 ホーガン(東京ドーム)
6月 ウィリアムス(千葉公園) ゴディ(日本武道館) ベイダー(福岡国際)
特に、6月の3戦は1週間以内で全て行われたから、ハンセンのタフさが分かる。
後半もゴディ、ウィリアムスともシングルあったが、6月ほどではなかった。
10月にはWCWではレックス・ルガーからもUSタイトルを獲得している。
90年のハンセンはまさにフル活動という感じだったよな。 ハンセンのラリアットはVSウィリアムスが一番迫力あったな シングルだとハンセンがNo.1でゴディとウィリアムスがNo.2とNo.3。
タッグだと2位3位連合のゴディ・ウィリアムス組がトップ。
シングルのハンセンとタッグの殺人魚雷でバランスが良かった。
その分それ以外の外人が付け入る隙が無かったけど。 試合中にハンセンのラリアット食らっても勝てたのは小橋だけ?
鶴田は自力で跳ね返したのは見たことあるけど勝てた時あったっけ?
新日時代はあまり知らんが >>461
同性愛者だったからって理由でWWFでテイカーに試合中ボコボコにされたらしいな ハンセンゴディウィリアムスに簡単に土はつけられないからスパイビーが登竜門的ポジだったな
小橋がシングルでスパイビーから初勝利した時の会場の歓声凄かった 最近はなかなか越えられない高過ぎる壁みたいなレスラーっていない気がするが時代かなぁ この時期のワースト興行は92年末の武道館最強タッグかな
三沢川田、ゴディウイリアムス、ハンセンエースが同点で並んだ最終日
三沢川田vs田上秋山、ゴディウイリアムスvsハンセンエースというカードが組まれてて
当然勝者同士での優勝決定戦を観客皆が期待する中、ハンセン組vsゴディ組がまさかのドロー
三沢組が順当に勝ってあっさり優勝というクッソ盛り下がる結末
当時は真剣勝負なんだからこういう事もあるだろと無理矢理納得したけど、今思うとただの手抜きじゃねえか そういう時は誰かがのっぴきならない怪我してたりするもんやから許したれや 試合自体は田上秋山の頑張りで面白かったっちゃ面白かったんだけど興行の構成としてはダメだったなあれ
あと馬場ハンセン組が川田田上組から勝って三沢小橋の優勝が決まった年もイマイチだった
試合後に「優勝チームの三沢小橋組です」とか言って奥から2人がノソノソ出てきて優勝インタビュー始まったやつ ランニングネックブリーカーで田上カットからの満を持してのウエスタンラリアット
私は大好きです 師走に師匠が走る!ランニングネックブリーカードロップ!!! >>483
三沢川田対セミの勝者で決定戦が一番盛り上がったと思うけど、当時は1日2試合の例はあまり無かったのかな。
殺人魚雷に三沢川田に2連敗させて準優勝というのはいくら馬場でも言いづらそう。三連覇させるなら有りだったか。
ハンセンなら馬場の頼みにノーとは言わないだろうから、ハンセンエース組にセミを勝たせて三沢川田と決定戦がベターだったかな。 >>475
ウィリアムスのことだよな?一瞬キム・ドクのことかと思ったw 三沢が鶴田にちゃんとしたフォール勝ちで優勝の予定だったのだろうか >>490
いや、あの年は鶴田・田上が優勝だったと京平のインタビューで言ってた
鶴田の欠場で全て予定が変わったんだって 喧嘩最強はスパイビーw
アドラブル・アドリアン・アドニスはコネチカット、ハートフォードの "善玉の控室"の扉を破壊した。
前の部屋は誰もおらず、アドリアンは後方の部屋に入って行った。ダン・スパイビーは自分を守る為に立ちあがった。
アドリアンは言った。「来い!スパイビー!お前がどれだけタフなのか見せてもらおうか!」それは一瞬で起こり、
止めに入るチャンスはなかった。アドリアンはアマレスラーの構えを取るとスパイビーの足に向けて突進した。
スパイビーは6フィート6もあり、罪深いリーチでアドリアンを捕まえ、酷い左パンチでアドリアンの左目と頬骨を殴った。
周囲にはスイカが割れたかのように血が飛び散った。
スパイビーはもう一回、右パンチを顔面に入れた。誰かが止めにはいることが出来る前に喧嘩は終わった。 >>483
敢えて言うなら秋山をメインに出す事に一番の意義があった感じかな
それこそ四年前の川田みたいに ようつ動画でぇブドカ大会のぉダニスとスティンの試合をぉ見たぞぇ。
かなりぃ盛り上がっちょったかんな。
メインはぁジャンツとリュウゲンの対決でリュウゲンがぁー逆転勝利だったしぃ。
このブドカのはぁゼンニプロレん中でもぉ歴史んのからっちゅうにぃ言われちょるかんな。 ダニスはぁ第二のハルホー、ゼンニプロレのハルホーにしたいっちゅうにぃ。
ジャイバはぁそぉ思うちょったらしいかんな。
しかしぃ流石にぃハルホーにすんのぁ無理がぁーあったんよぉ。 >>492
スパイビーはもともとタンパでバンド時代のホーガンのバウンサーをしていたしな。
そのアドニスとの一件以来、向こうでは ”デンジャラス” ダン・スパイビーの呼び名
がつけられた。「あぶねえ奴」みたいな感じだなw >>496
元々は借金の取り立てとかしてたしマジでデンジャラスな奴やなw >>496
気に入らないヤツは何人たりとも
スパイビースパイク >>491
>あの年は鶴田・田上が優勝だったと京平のインタビューで言ってた
京平レフェリーって勝敗の結果に対し、表立って言及する事ってあったんだ?
その辺の部分は業界側として絶対に口を割らない人だと思ってた…。 >>488
86年に鶴龍とハンセン・デビアスでやっているから、前例はある。 >>485
94年の最強タッグは結果を知らない状態で中継を観たから面白かった
当時は電話の通話代のみで済む全日本提供の試合結果速報ダイヤルをすぐに聞くくらいのファンだった
事務所に電話をかけて試合結果を訊く迷惑なファンが多すぎてそのダイヤルが設けられたらしいw >>483
ターザンに酷評されたもんな、その武道館大会
当時は武道館大会が満員になることが当たり前だったから手抜きするのもわかるわ、行かなくて良かった >>462
93チャンピオンカーニバルの田上vsゴディがノーテレビだったのは惜しかった
前年10月の世界タッグ戦で田上がゴディから取った時はタッグとはいえ驚いたな、格上げだねw >>471
外国人同士の凡戦といえば97チャンピオンカーニバルのウイリアムスvsエース
GET時の小橋のバックドロップ&エースクラッシャーの合体技はエースは手を添えるだけw >>462
あれ初対決ではない
90年、91年にもシングルやってる 93年のチャンピオンカーニバルは川田vsゴディがノーテレビだったのがもったいなかった、佐世保だったかな >>504
エースはハンセン、ウィリアムス相手のシングルだと大体凡戦っていうか
不甲斐ないファイトになっちゃう 93年はハンセン、ゴディ、ウィリアムスと後の四天王が総当たりだからなあ。他にパトリオットやエースにカンナムにデイビーボーイスミスだったか。秋山は怪我で離脱してたけど。
見れるものなら全試合見たい。 デイビーボーイスミスがパトリオットにあっさり負けた試合は会場で見ててびっくりしたわ
いやオマエめっちゃ大物扱いで参戦したんちゃうんか、なんでパトリオットごときに負けとんねんと >>509
当時のパトリはアジアタッグ止まりだったもんな
あんなでかい選手がアジアタッグというのは役不足感があった
それはおいといてアジアタッグクラスの選手にスミスがあっさり負けるのも俺は予想外だった
パトリオットミサイル1発で決まったけどリーグ戦やってたから時間の都合であっさり終わらせたのかもね 時間の都合といえば92年のスパイビーの公式戦は相手が弱い奴だと2,3分で終わらせていたな
だったら優勝するとは思えない選手なんか始めからエントリーするなよとw >>511
小橋とパトリでアジアタッグをやってた凄い時代だからな
最後は結局カンナムに回収されたが >>512
個人的にはそういう微妙な外国人レスラー出てるのがチャンカーの魅力だと思ってた >>512
'92 CC 時のスパイビーはハンセンとコンビを解消して、下降が始まった頃だよな。
もう、この時点で91年までの迫力は完全に消えていた。
大阪で小橋に勝つには勝ったが、青息吐息だったよな。 チャンピオンカーニバルや最強タッグで白星配給係かと思いきや意外と活躍したレスラーて誰かいる? 81年のウェイン・ファリスはジャック・ブリスコと時間切れ引き分けの大殊勲。 活躍したかはともかく一番よく挙がるのは
ウェイン・ファリス
ブロディには秒殺でブリスコとは時間切れ引き分け
後にホンキートンク・マンでWWFで売れた ●チャンピオンカーニバル
第4回大会
・バラクーダ(マリオ・ミラノ)が優勝戦線に食込む
・ザ・ビーストが馬場と時間切れ引き分け
第6回大会
・ブラック・テラー(タンク・パットン)がブッチャーと両者リングアウト
第8回大会
・ミステリアス・アサシン(ボビー・ジャガーズ)が馬場にリングアウト勝ち
・スレーターが決勝進出 >>515
下降というかは微妙だけど
88年・89年のスパイビーと90年春にハンセンのパートナーになった時の体格が違う
90年以後は妙に線が細くなって、B・ウィンダムっぽくなっちゃった
最初の二年の体格を維持できてればランクが変わったかは?だけど >>511
WWE離脱してアルバイト的なスポット参戦だから
白星配給係だけどそれでいいなら使ってやると
いう感じだったんだろうな。それかWWEでトップ
でもうちじゃ通じないというのを見せつけたか。
過去にもWCWトップのスティングをスパイビーに
負けさすキラー馬場発動実績あるし 流石にベイダーに関してはめちゃくちゃ丁寧に丁重に扱ったね
どうだ新日Uインターでトップだったか知らんが四天王は甘くないぞ?的な軽んじる感じは全く無かったよね >>517
開幕戦で三沢秋山に時間切れで注目だったな
そして翌年はアジアタッグを皆勤でドームにも登場 >>523
三沢がベイダーの腕折ったのはなんらかの制裁だったと思ってる >>509
開幕戦のファーナス戦での動きの悪さ見て嫌な予感がした
それが的中してしまった 三沢がベイダーの腕折った云々は、ベイダーが元々その日までの滞在だったので、
途中棄権という体裁にする昔ながらのアングルだね。
大体怪我して即帰国って、そんな都合よく航空券が手配できるわけない。 ベイダーが参戦した頃
チャンピオンカーニバルの公式戦で三沢vsベイダーが組まれて、その時は三沢が勝ったんだけど
一月ちょいでドームのメインで同カードが組まれて、なんか新鮮さと勝敗に対する興味が半減しちゃった覚えがある
「少し前に公式戦で組まれたカードじゃん」のような…なんか商売が下手だよね
なんとかドームまで温存する方法はなかったんかね? というよりあのドームで新社長の三沢がベイダーに負けるわけないから勝敗はそもそも興味なかったよ >>516
91年最強タッグで久しぶりに参戦したファンクスはもう全盛期
過ぎてるから白星配給係になるのかな、と思いきや意外にもと
言っちゃ失礼だがそこそこいい成績だった。 >>529
ああ、そうか…ちょうど就任時期とリンクしてたか
あのドームの馬場引退試合、デスト・サンマルチノ・キニスキーは旧好敵手としてベストだとは思うけど
ファンクスが来なかったのは寂しかったな…ある程度は予感してたけど、馬場死去によってノーサイドも期待してただけに。 ゴメン、91年じゃなくて90年の最強タッグだったわ >>529
意外にもベイダーがドームでメインを張った唯一の試合 三沢社長時代の唯一の功績はノーフィアー誕生だよね
あんな放送席まで陣取っての「口撃」は馬場時代ではあり得なかった
大森高山の格上げでカード的にも幅ができた
ヘビーだけでも、三沢・川田・小橋・田上・秋山・大森・高山
七人の軸に増えて、ノアまで続く森嶋や力皇までも引っ張られる事になる。
この2000年代前後ってヘビーでは質量ともに新日を凌駕してたんでは? どっちも大型の日本人タッグチームってのが良かった、ノーフィアーは
高山がデカ過ぎるだけで大森も日本人ヘビー級としては余裕で大型
三沢小橋より上背あるし >>537
志賀もデカかったから、馬場時代もノア時代も何とかモノにしようとしてたみたいだけど
特にノア時代は肉もついてきて、コスチュームもハーフトランクス的なカッコいい感じだったけど
腰?をやってからか、いつのまにかパンチかけて川畑と組んでた… ベイダーは器用なレスラーだったけど負け方は上手くなかったかもしれないな
長州のラリアットで負けたときもまったく説得力なかった >>536
アジアタッグを一時的にせよあそこまで持ち上げたのも驚かせた 三沢社長時代の全日本は好きだったな。あのまま全日本の全てを引き継いでもいればと思う。そもそも馬場の生前から元子と三沢の関係は悪かったから難しかったんだろうけど。 >>541
2002年の創立30年をもって株を三沢に移譲するつもりだったらしいよね
これがマジだったなら、もう少し我慢すれば…そうなったのに。
もしくはせめて三沢に前もって伝えてればと思う。 >>521
>88年・89年のスパイビーと90年春にハンセンのパートナーになった時の体格が違う
完全にステロイドを抜いた影響なんだよね。一気に迫力が消えたのは悲しかったよ。
ハンセンは「ある事情があってスパイビーとのコンビを解消しなくてはならなくなった」
と濁していたけど。
84年に32歳でプロレス入りしたからね。あと5~6年早くプロレス入りしていたらと思う。 「プロレスの興行には売り興行と買い興行があり…」って川田の会見、重度プオタの友人がよくモノマネしてたの思い出すw >>542
>>2002年の創立30年をもって株を三沢に移譲するつもりだったらしいよね
そんな元子の後出しジャンケンを信じてるのなんて、あんた以外におるか? 99年にピエールという外国人来てたよね
武道館で田上とシングルやってた >>545
うーん、オレだけかもなあ…
ただ、元子は良くも悪くも「馬場さんオンリー」だとするなら
馬場が亡くなったら気力も継続力も無くなった可能性も…と。
でも日テレ保有の株比重の問題もあるだろうし、そういう面も考えると
三沢が株壌渡や売買購入を迫り、「すぐ欲しい」「もうちょっと待って」
みたいなやりとりで三沢が待ちきれず、という流れもありそうかなと。 仮に元子の言い分が本当だとしてもそんな重要な事三沢に伝えてないなんてどんだけコミュニケーション不足してたのかって話だよな >>525
あれは折れてないよ、演技だよ
ノアにベイダーが参戦するための伏線を張っただけ >>552
なんかそういうソースあったの?関係者の証言とか
ないならただの妄想乙だぞ ベイダー腕折りが4月7日で復帰戦が10月7日でちょうど半年っていうキリの良さがキナ臭い感じはするな
金と休暇やるから新団体に着いて来てみたいな密約があったのかもしれん ベイダーの腕を逆十字で折ったとされた時、他にも身体中のあちこちの骨が折れていたみたいな報道がされてたような。
あれは何か外部の人間とトラブルになったベイダーに自分達できっちり制裁を加えたと外の誰かに伝える為だったのかなと思った。 >>551
結局はアレの三沢だからやらなくて良かったとも言えそう >>550
選手が買うんじゃないの
昔あったみたいな >>558
「妄想でけっこう」なんじゃなくてただの妄想なんだろ、なんで俺は真実を知っているみたいに無責任に適当な事を言ったの?
第一腕折りとノア移籍に一つも関連ないじゃん、なんで信じる人がいると思うの? >>561
妄想でけっこうって言ってんだろ
しつこいんだよ馬鹿
馬鹿はか絡むな、お前はお前が信じたいものだけ信じていれば良いんだよアホ ノアでのベイダーはスコーピオとのタッグでGHCヘビータッグのベルト一回巻いただけか
精神的に安定せず、遠征先ホテルで間に合わず部屋中にウ◯コしちゃった話も聞くし扱い難しくて三沢も切っちゃったのかな
バイソン・スミスあたりが大化けしてたらもっとシングルのカード編成にも余裕ができたんだろうけど >>562
じゃなくて「ただのバカの妄想でした」ってちゃんと断言してくれよ
お前の妄言のせいで世間に嘘が流布されるだろ、生きてるだけで迷惑なんだよお前 >>546
同じ時期にエリックワットってのもいなかったっけ
エース案件と聞いた事があるが >>557
昔というか、今もあるんじゃない?
「〇〇選手プロデュース」とか「デビュー○○周年」とか「選手の冠名」がついてる試合とか
実際は選手が興行を買ってるんじゃないのかな? >>566
千葉公園でのハンセンベイダー戦は観に行った ファイヤーキャットって特に活躍した記憶はないけどプロレスニュースで試合が流れてたのは強く印象に残ってる ハンセンの圧倒的に力の差を見せつけるのは、喧嘩で勝てる人の特徴。だから圧倒的に強い人は日常生活では喧嘩をしない。犯罪になるだけだから。 >>567
田舎の家に「○○親分13回忌追善興行芳名録」てのが写った写真があった。 スパイビーとスティング。よくスティングが負けを飲んだな >>574
NWA、WCW世界王者になった後でさえ日本では武藤(ムタ)と4、5試合やって全敗
あげく越中に負けるくらいだから >>574
猪木だってメキシコでは負け飲んだんじゃなかったっけ
拳銃でも突きつけられたのかな? >>574
ネットもなかった時代の遠い島国での余興なんか
どうでもよかったんだろ。フレアーも藤波にベルト
とられたし中西にはアルゼンチンでギブアップ つーか当時のスパイビーはスカイスクレイパーズでロードウォリアーズと抗争したりシングルでもスティングとタイトルマッチ組まれてたり米国での評価もまぁまぁ高かったからな アメリカのかほり
銀盤戦士
あの試合はなんかワクワクして入場シーンを時おり見ちゃうね。 >>575
馳には勝ってたり武藤とタッグ組んでたりしてたんだけどね
やっぱ本拠地が揺らぎ過ぎた スティングとNWOスティングって同一人物だと分からずこの新顔はにせウルトラマン的なライバルキャラなのかなってしばらく思ってたわ
ホーガン、フレアーの両巨頭に次ぐアメプロのアイコンだと思ってたのでふつーにあのキャラチェンは悲しかったよ そういやNWOスティングの初来日は素顔で全日だな
テレビに出たかは覚えていない 今週末に大分でレジェンドレスラーの集まるイベントやるみたいですー!
配信、有料ですが、藤波やグレートサスケ、大仁田も出て、電流爆破もあるので面白そうです!
https://twitcasting.tv/c:salpro/shopcart/260744 >>581
最初のNWOスティング(スーパーJ)は「にせウルトラマン」で合ってるでしょ
後から加入したのは本物スティングだけど。 NWOスティングの方がスティングよりも日本向けな気がした スティング唯一の全日参加となったあのシリーズでハンセン&ゴディとも絡んで
欲しかったな。ゴディとは同時期にWCWで
テリー・ファンク&テリー・ゴディ vs スティング&ウィリアムス というカードが
実現した。 スティング、谷津vsスパイビー、俊二で良かったんだよ
谷津vs俊二が酷すぎたわけだし 仲野とか高木とやるぐらいなら小橋と当ててほしかった
まだ小橋がそこまでのレスラーじゃなかったんだけど >>587
後にはスタイナーズvs殺人魚雷とかやってたからな 高野兄弟のシングルは、カードが発表の時点での華と期待感だけはある。
実際やればだいたいスカタンだけど >>588
日本人と外人が組むのあまり好きじゃないなあ
龍艦砲とかゲットとか全然乗れなかったわ
鶴田アンドレゴディVS馬場ハンセンドリーはお祭りで良かったけど >>593
天龍&ウォリアーズはワクワク感があったけどなあ…
前年末に原が解雇された事による副作用だけどね
原が健在ならこのタッグはありえなかったと思うわ。
この6人タッグは確か元年の3月武道館だけど、伝説の6月の武道館の大動員は
実はこの三月の武道館が助走になってたんじゃないかな?
単純なプロレスの楽しさやスケール感が「次もまた来よう」と多くの来場者に思わせる効果があった気がする。 >>595
前年の川田に続く俊二の武道館メイン起用が重要だったんだよな
武道館で六人タッグをメインというのも凄かったし >>596
前年の1988年は負の閉塞感というか、あくまでファン心情なんだけど
ブロディ死去から年末の原・石川・輪島の退団、もっといえばその前年の薗田の事故から続いてるのかもしれない
なんかそれまで支えた選手が次々と消えていって…そういう意味では確かに川田高野の抜擢は大きかったかも。
その高野が天龍ウォリアーズに対して、大立ち回りは特に印象に残ってる。
しかし前述したとおり、上記の五人
特に天龍革命においては、原と石川と輪島の三人は名脇役だっただけに
それでも逆に観客動員を伸ばしたのは単純に凄いと思う
あとは後楽園のコアな満員記録や、キッドスミスvsマレンコ兄弟も話題呼んだし…
ジョナサンやイヤウケアを呼んだのも地味に良かった。 >>598
その辺だったか、オリャとかブーとかシンとかファンが悪ノリしまくってたの。
試合内容そっちのけだったな。
一番イヤな頃だわ。 >>599
新規やニワカ、アンチ全日本が多く訪れてふざけていたのだろうな。 タイガーマスクが長期欠場したけどこの頃は影響無かったね スティングは当時見たけどしょっぱかったな
顔にペイントでロングタイツだからウォリアーズみたいなパワー型かと思ったら貧相だし >>601
この頃からブルーからグリーンのタイツになったんだっけ?
タイガードライバー開発したのもこの頃か >>593
わかる、当時小学生だった俺はちゃんと会話できるのか?そんなんでチームワークいいのか?なんていかにもガキの思考の疑問があった >>600
新規、ニワカを大量動員出来てたあの頃が一番勢いあったのかもしれない
シャーとか落とせコールの頃が最盛期か
そんなコールが無くなったときには良くも悪くも純粋なプヲタが会場を埋めてて
新規ファンを獲得出来ず先細って行った感ある >>603
あのタイツの色変化は当時も?だった
なんかテカリが消え、色あせた感じが安っぽくて… >>596
武道館メインに高野の名前があって、当時は結構批判的だった カートへニングvs2代目タイガー
スティムボードvs2代目タイガー
ゆるーい内容だった。 >>606
緑のタイツは2代目だけだな
3代目はレガース着用
4代目は青や赤のパンタロン
それぞれ特徴あんのな https://www.takeshobo.co.jp/book_d/shohin/5313401
田上自伝ってマジかよ、売れるのかな…
竹書房って麻雀マンガのイメージしかなかったけど色々出してるんだな >>599
その悪ノリコール、オレの記憶だと
元年9月・武道館の鶴田vs谷津の時からだと思う、天龍vsゴディの三冠がメインだったかな?
確か互いがカウントのカバーに入る度、カウントに合わせて「オー!オー!」「オリャ!オリャ!」と場内で合唱し始めたのが起源だと思う
その次は年末の最強タッグの開幕戦、鶴田谷津vsブッチャーシン
試合中はなんて事はなかったが、試合後の乱闘中?に「シン!シン!」と場内コール
これにはシンも気づいたようで、当惑しながらノリノリな雰囲気だったような…?
このシンコールの由来は…
同時期にとんねるずのバラエティ番組で「トーア・カマタ男」というキャラがいて
その影響?で同じヒールのシンにそのバラエティのイジり「カマタ!」をシンに当てはめたんでは?
そういう風にオレは勝手に認識していた、事実はわからんけど。 ブロディの雄叫びを真似たあたりから嫌な兆候があった >>605
フェイスロックは落とす技ではないってプロレスごっこをやらないような奴でもわかりそうなことなのに落とせコールをする奴は何だったんだ?ただ騒ぎたいだけのクチか? >>614
それはお前のイメージであってプロレス一般のイメージは
落とすんだよ
一応プロレスではチョーク扱いで、頸動脈圧迫は禁止して
いる団体がほとんどだが、他競技では禁止していない所も
多いし、軍隊の訓練では格闘技の種別によらずむしろ落と
す事が目的だよ
フェイスロックも腕の位置によって落とせるし激痛にもなる WWEだとベノアのクロスフェイスで気絶させた事あったな >>619
アンドレのベアハッグで失神するホーガン
試合続行可能か確認するためにレフリーが腕を上げそれが下がるを3回繰り返したら負けになるというルールにて
2回落ちて駄目かとなった後3回目に力を振り絞って復活するという一連のムーヴがあった 90年代のアメブロって4の字固めでもカウント3つとってなかったっけ?
レッスルマニア8のフレアー対サベージ戦で見たような覚えが >>606
同意。
マスクも金ラメではなくなって普通の黄色だったし。安っぽいとは言わないけど色彩センスが?だった。全日本らしいと言えばそうなんだけどね。 >>606
同意。
マスクも金ラメではなくなって普通の黄色だったし。安っぽいとは言わないけど色彩センスが?だった。全日本らしいと言えばそうなんだけどね。 >>606
同意。
マスクも金ラメではなくなって普通の黄色だったし。安っぽいとは言わないけど色彩センスが?だった。全日本らしいと言えばそうなんだけどね。 三沢タイガーマスクの1番の名勝負って何だったんだろう
85年8月両国の小林戦かな >>626
天龍戦かな
個人的にはピラタ・モルガン戦と長州戦が好き >>612
悪ノリコールは日米レスリングサミット直後の大阪だよ。アンドレも出た大会だけどメインの鶴田小橋対ハンセンスパイビーで鶴田には「オー」ハンセンは「ウィー」小橋は「コバーシ」スパイビーには「スパイビー」ってコールしだしてどんな技、試合展開関係なくなってコールの後に大爆笑。フォールカウントでは「1、2、3」ではなくって「ジョー、ジョー」
会場で笑いながら見てたけど、今思えばヒドイ。 「オー!」「オリャ!」が悪ノリコールと
言ってもだな!全日はそれを容認するどころか
煽っていたんだぞ!「オー!オリャ!」Tシャツとか
特集パンフレットとか。
9月の鶴田対谷津だって、オー!オリャ!
やってください!と言わんばかりだよ。 >>631
加筆する。
>オー!オリャ!やってください!と言わんばかりだよ。
↓
オー!オリャ!やってください!と言わんばかりの
マッチメークだよ。 鶴田vs谷津での谷津のテーマ曲がいつもと違うスローテンポなアレンジで格好良かったのは覚えてる
ぶっちゃけ試合内容は覚えてない
オー!オリャ!で盛り上がったならそれはそれで成功やろ >>622
WARのフレアーvs天龍それで決着じゃなかった? フレアーvs天龍は、4の字でギブアップ
したくないから、自ら両肩をマットに
付けてフォール負けを選んだ、とか
雑誌にあったのを記憶している。
ギブアップするというのはフォール負けより
屈辱という論理なんだな 90年6月武道館のブッチャー vs シンのシンの入場で、テーマ曲に合わせて客が一斉に
「シン!シン!シン!シン!シン!シン!シン!」
それに合わせてサーベルを掲げリズムを取り、ノリノリで入場するシンが笑える。 オリャは89・2・23後楽園の鶴田、谷津対天龍、川田の世界タッグの時はすでにあった
>>621はちょっとひどすぎる
鶴田対谷津の時はTシャツが発売されたし
よく考えたらあれで下火になった でもG馬場が鶴田のオーに乗っかって数秒遅れで腕上げた時は胸が熱くなったろ >>636
シンはそもそも吹けよ風呼べよ嵐のリズムで踊ったりしてるからな
テンポの速いサーベルタイガーであれは出来ない >>626
名勝負という観点ではないけど
三沢タイガーの試合で1番ドキドキしたのはデビュー戦を除外すると
85年の冬のキッド戦だな、だってあの「ダイナマイト・キッド」だよ
タイガーとはいえ、中身はちょうど1年前に海外武者修行に出発したばっかの三沢だし
それで半年しか経ってないのに帰国したわけで…要はブチ殺されるんじゃないかとマジで心配した。 >>621
あの3回手を上げたらルールで手が上がらず負けたやつってすぐに思い付かないけど実際いるのかな? >>641
WWFでミリオンダラーマンやってたデビアスが
ジョバー相手のコブラクラッチでよくやってた >>643
長州戦の時期はタイガーにそこそこ実績があるし(半年前に小林邦の撃破とか)
そこまでドキドキ感はなかったな、負けるだろうけどどこまで善戦するんだろう的な感じだった。
キッド戦の時はデビューから基本的に強豪と当たってないし、初の強豪がよりによってキッドかよ…という気持ちだった。 三沢タイガーの時代はリアルタイムでは知らないけれど、5年もやってたのかと思ってしまう。過去を振り返るような企画でもせいぜいデビュー戦とマスクを脱いだ試合、鶴田とやった試合くらいしか取り上げられてない感じだし。 いわば素顔の三沢としての準備期間なんだよな
これがあったからこそ素顔に戻った瞬間が爆発的にもなったわけだし >>644
でも初代と違って三沢タイガーの方が
キッドよりもだいぶ身体のサイズが大きかったし
潰されるって事はなかったでしょう 冬木は三沢に抜かれ川田にも抜かれついて行った先のSWSでもパッとせず団体崩壊
天龍には「冬木をブレイクさせられ無かったのは心残り」とまで言われる始末
それが水を得た魚のようにヒールとして大ブレイクしたんだから面白い 冬木は宮沢りえの母親みたいなルックスだし
あのルックスでベビーフェイスのスターは無理だ >>649
冬木かヒールになったのって、新日本との提携もほぼ終わった絶妙のタイミングだったよな。前から嫌われキャラだったからもっと前にこの路線にしても良かったのにとも思ったけど、根が真面目だから若い頃だと悩みすぎて上手くいかなかったかも。 そんな首相なこと言ってたっけか
理不尽大王で金もかけて準備して持ち上げてやったのに、
売れたら出ていったとか夫婦揃って恨み辛みだった気がするが >>626
小林戦は無茶苦茶いい試合で、オレが見た中でベスト10に入る
長州戦も見たが期待外れだった
意外と横浜でやった鶴田戦はいい試合
よく考えれば、あれなら鶴田対三沢もいい試合になるはず >>654 小林戦は初シングル?の3月両国の時も緊張感あって好試合だと思った
ただ、例のブロディvs長州やウォリアーズの影に隠れてほとんど語られてないが…。
あとは負けた6月武道館も含めると、タイガーvs小林って五ヶ月で三回もやってるんだね。
三試合ともハズレはなかった印象。 >>655
あの両国は馬場組vs国際血盟軍の6人タッグもなかなか面白かった
動く剛竜馬を初めて見たが衝撃的だった… >>656
剛竜馬は自分も初めてだったが、ルックスも体格もイケてて
技のバックドロップもまあキレてて、だけど石川のサソリであっさりギブ…
なんかもったいないレスラーだなあ…とガキながら思った。
あと年号が飛ぶけど、平成に入ったばかりの頃
福岡の鶴田谷津vs天龍川田 大阪の天龍冬木vsキッドスミス
この二試合は天龍革命が結実し始めたと感じた印象深い試合
観客は満員にはほど遠くて、大歓声の中というわけではなかったけど
なんかシリアスで殺伐としてて、昔の華やかな全日と真逆なんだけどね。 >>649若手時代の謎の素足で試合前転〜のスピンキックは
面白かった。 谷津のベストバウトは90年3月のウイリアムス戦
奇襲をかけたが上手く決まらずw
バックドロップで負傷、3ヶ月半欠場
大量離脱を挟んで復帰、若手の壁役として期待されたが三沢&川田の踏み台にされることを悟ったか逃げるようにして退団 まあ谷津は全日いたら絶対に鶴田の上には行けないしSだったらワンチャンという判断は正しいと言えなくもないような >>659
あの頃で既にホントにレスリングやってたのか?ってくらい
中年オジサンの体型してたもんな >>660
天龍とはあんまり手が合わないから、ライバルになり得ないし判断が難しいところだね。多分ギリギリまで悩んだと思う。カブキより入団遅かったよね。カブキは「移籍組が仕掛けられないように見張る為に俺が最後に移籍した」と言ってたから谷津の移籍は把握してなかったんだろうね。 >>651
元々は石川孝志が邪道外道を従えて石川軍を作る予定が石川がヒールをやりたくないと拒否したため冬木に話がきた。冬木からするとヒールをやってくれと言われたからやっただけそれ以上でもそれ以下でもないみたい。 >>651
元々は石川孝志が邪道外道を従えて石川軍を作る予定が石川がヒールをやりたくないと拒否したため冬木に話がきた。冬木からするとヒールをやってくれと言われたからやっただけそれ以上でもそれ以下でもないみたい。 >>660
はっきり言ってしまうと俺は正しいと思う
鶴田の上に行けないというのは的を射ていると思う、行けるわけないよねw
残留しても三沢&小橋が凄く推されていたから踏み台にされていただろうね
俺は川田があんな大成するとは思わなかった、川田自身が三沢&小橋が推されていたようなことを認める発言をしていたくらいだし >>659
大量離脱前に天龍離脱後の東京体育館で復帰してる 戸口や谷津のルックスでエースになれるわけがないが
そのへん客観的にわからんものなのかな
「大木、高千穂体制でもNETは見捨てない」と思い込むのがプロレスラーだからわからんのか 戸口は自覚してたからこそ海外行ったり新日行ったりしてたんだと思う >>659
三沢と川田は同じ高校の後輩だから尚更に嫌だったんだろうな
あいつらだけは勘弁してくれって >>667
いうて鶴田も長州もルックスだけならアレだぞアレ 馬場が想定していたという鶴田戸口組と実際に活動した鶴田天龍組では華やかさがかなり変わると思う
鶴田戸口の方が大型だけど力皇森嶋みたいな雰囲気になったんじゃね >>669
谷津は先輩の俺がいては三沢も川田も気を遣ってしまう。俺が抜けてのびのびとプロレスをやれるようになった。あいつらがブレイク出来たのは俺のおかげ
そんな事を言っていたね。 >>672
そうとでも言わないと自分に救いが無いってのを認めてるようにしか聞こえないが 谷津は高校時代の三沢と川田にアマレスの指導をしていた
新日ではそのことはタブーだった 小橋最近のインタビューで未だに健太っキーボムに恨み深々w
正直技自体あまりいいと思わなかったから封印してくれてよかった >>672
地方の試合で手を抜いて
二人にボコボコに
されたんじゃなかったっけ? >>665
>俺は川田があんな大成するとは思わなかった
地味な変化だけど、実は凄く意味があったのかもしれないのが
天龍がSWS移籍後、コスチュームを黄色と黒のリゲインカラーにしたこと。
レガースも含めて、あのコスチェンジはフットルース時代のなんかイモ臭いイメージが払拭された。
結局はリングを下りるまで20年間ずっとあのコスで通したよね、よほどマッチしてたんだろう。
「たられば」になるけど、あのコスチェンジがなければあの四天王ポジションは無理だったんじゃないとも思える。 >>676谷津の全日ラストマッチ留まった横須賀での鶴田&谷津vs三沢&田上がどんな試合だったか気になる。東京体育館や大宮では開幕戦のテレビマッチなのであからさまなに手を抜かないだろうけど、ノーテレビの地方大会だと
それこそ手抜きになりそうなので。 >>677
天龍カラーでフィニッシャーがパワーボムて誰かにやらされたんだろうと思う、なんか川田が自発的にやるかというとそこまで天龍に懐いてなさそう
三沢一派の離脱後奥村が秋山カラーでフィニッシャーがエクスプロイダーにしたのと同じで2つの時期に共通する人物と言えば元子か渕か京平か、誰の差し金だ タイツを黒&黄色にしたのは「天龍の後継者は川田」という意思表示だろうね 実際は天龍と仲良しが三沢
川田はよく鶴田とスパーリングしていた トップロープからの背面式ダイビングエルボーは90年代半ばぐらいにはしなくなってた川田 ようつ動画でぇダニスとスティンのシング対決を見たぞぇ。
こん時のぉダニスはぁいい味出しちょるっちゅうにぃ。
スティンがぁー初来日した時だかんね。
結局はぁスティンはぁこの翌々年のぉ91年からはぁシンニプロレ常連になってもぉたけどぉ。
ゼンニプロレであスティンはぉスタハともぉ組んどるかんな。 >>672
そういえば何ヶ月か前に誰かのレスでそんなことを谷津が言っていたらしい
酷い正当化だな、冴えない試合ばかりしていたくせに
大阪で延髄斬りを仕掛けたが足がロープに引っかかって自爆とかさw そんな戯言を言う位なら
長州の「もう良いじゃん!源ちゃん!おれが新日復帰した理由はお米!あの頃はバブルでしたね」や
ドッケンの「このリユニオンの理由は金だ!金のためならNOとは言えないよな!」の方が
男らしくて清々しい ハンセンも三沢離脱時に「プロなんだからより良い条件で動くのは当たり前」て擁護してたな
言ってる本人が全日一筋だったのがなんか昭和の頑固親父みたいでイイよね… ハンセンは三沢と元子の関係をどう思ってたんだろう
やっぱりどう転んでもハンセンは馬場サイドに付くしかないのかな >>687
いや全日→WWF→新日→全日なんだけど >>687
その結果自分が無理してもタイトルに絡まなきゃ客入れれなくて無理してあーなっちゃったけどな
結果論だが良い条件になったとは思えないな 川田が同盟入りしたのはメインの抗争に絡みたいからだし、誘われてもSWSだっけ?に着いて行かなかったし、天龍スタイルにしたのは川田が良く言う隙間産業(全日に無骨で反骨なスタイルの選手がいなくなったから)だろうし、天龍が全日に戻った時にも組みたくないし戦う相手。レボリューションを返したいと言ったしで、懐いてはないだろうな
誘われると飲みには行ってるし、ノア出来たての頃に天龍の知り合いの社長が川田をエースに団体を立ち上げたいとの話も持ち掛けてるが >>689
そん中でダブルクロスなのは新日から全日移った時だけだろ >>692
全日一筋じゃないよって説明したのにダブルクロス云々とか条件後付けするのやめてもらえます? >>693
そんな誰でも知ってる事でチャチャ入れんなよめんどくせえな
ホーガンとハンセンでどっちも変わらねえやってお前が思うならお前はそれでいいや 日本人はほとんど三沢についていったけど、外人勢はあのお家騒動をどう見てたのかな。
三沢もあの状況で外人の事まで考えてなかったのかもしれないけど。
ベイダーとスコーピオとスリンガーはノアに行ったんだったか。
古い外人はビジネスの相手としてはそれまであまり三沢とは絡んでなかったのかな。 三人しか残らない全日と契約する外国人レスラーなんて居ないでしょ ベイダースコーピオは三沢が軸になってからの外国人だし三沢に付いていったのかも
スコーピオはちょっとだけ元子全日にも出てたけど >>695
そんな誰でも知ってる事を忘れて「全日一筋」とか言ってて恥ずかしくないの? このスレって年齢層が高いはずなのに他人にやたらと変な絡み方する奴が多いなw まあ雇われ社長が「こんなとこでやってやれるか!」で従業員引き連れて出ていくのって新会社立ち上げるの日本の中小企業だとあるあるすぎるよな
大工や建設業そんなのばっかり
プロレスラーの大先輩で世話になった馬場の言う事なら色々飲み込んで従えるけど元子にペコペコしなきゃならんかったのは耐えられなかったんだろうな 眼球骨折欠場前の川田は片目が見えない状態で試合してたらしいね >>699
例えば前後のレスも全然読まずに脊髄反射で渕も百田もフィニッシャーはバックドロップとか言っちゃうよりは全然恥ずかしくないぞ ベイダーはノアでは輝かなかったな
あまり最強外国人の扱いも受けてなかったし ベイダーはノアでは輝かなかったな
あまり最強外国人の扱いも受けてなかったし ベイダーは流石に年齢的にも厳しくなってきてたかな。
あの時代はゼロワンが面白い外人を呼んでたような記憶。 橋本の外人レスラー審美眼はガチ
WWEと提携してたから注目選手の情報入ってきてたんだろうけど 脱線するけどロウ・キー発掘したのすげーな橋本時代のZERO1
団体運営はWJレベルのズンドコだったけどな ZERO1、武藤全日に比べてノアの外人は微妙だった ノア独自の外人と言えばバイソンスミスとかダグウィリアムスとかその辺くらいか。
ゴディの息子がもう一回り大きければな。 マイケル・モデスト、ドノバン・モーガンもおもしろいチームだった
いつの間にか来なくなってしまったね いつも同じことばかりやってるファミリー軍団vs悪役商会
リアクションがわざとらしいラッシャー木村
木村、百田は四天王と秋山が凄い試合をやっている裏でくだらない試合しかできなかった
今と違ってネットで叩かれることも無し、彼らも四天王・5強の恩恵を受けていた 三沢も田上とファミリー軍団やってたらああならなかったのにな >>711
CMパンクが初来日したのもZEROONEだったはず
まだまだ下っ端レベルだったけど 三沢のジャーマンをちゃんと受けたビッグ・ブーバーは良い選手
それ以外の良いところは今さら挙げる必要は無いだろう 飛龍裸締め式アバラ折りを「飛龍式!アバラ折り!」と言い
鶴田が一時期、頻繁に使っていたスリーパーを何度も「フェイスロ〜ック!!」と叫ぶ若林w >>657
石川にギブ負けした剛が後日ラッシャー木村になぜ俺が石川なんかに負けないといけないのか愚痴ってた >>712
三沢が晩年の頃にはノアは結構いい外人呼んでたんだけどな
セザーロとか目付けてたし >>720
それゃあ本当の話かぃなぁ?
イシカとゴーリューなんかぁ同レベルのぉドングリのぉ背比べだぞぇ。
正直言うてぇどぉでもいいっちゅう2人だかんな。
どっちがぁー勝っても負けてもぉどぉでもいいんよぉ。
ゼンニプロレならぁイシカにぃ花を持たせる結果んなってまぁしぃ。 >>720
石川は元アマチュア横綱って前歴からかなり優遇されてたな 90年代後半、インディーの大物フリーになってたターザン後藤が
「石川・剛・鶴見はインディーの3大ガンだ」と言ってたな。 自分の団体でレスラーかどうかも分からんような奴ボコってただけのお前もじゃ!! 相撲も週刊誌で八百長暴露記事をバンバン出されて辞めた力士が暴露本出したりしてたのにだんまりを決め込んで、動かぬ証拠が出た所でも「過去には無かった。新しく出た問題」とか言ってトカゲの尻尾の滅多切りで無理矢理押しきってたな。個人とか複数人での星の売り買いと、全てはショーであるというプロレスとはまた違うだろうけど。 結局ハンセンのベストタッグパートナーって誰だったのけ?
ブロディや天龍とかの同格エース級だと「オレがオレが」で空中分解必至
個人的にはデビアスが良サポート女房約で最適な働きな思い出(補正かかってるかも) >>729
ブロディは別格。2人はビジネスを超えた大親友。
バランス的にはデビアスかゴディが最高。馬場もこの2チームをその理由で評価。
新日時代まで遡ればホーガンも入れたい。もう少し組んでじっくり見たかったけど。
ハンセン自身は意外にも「スパイビーがやりやすかった」と言っている。
ベストパートナー多過ぎだなw >>730
新日時代のロングホーンズも捨てがたい。 スタハひぁシンニプロレでぁハルホーがぁーもっとと良かったかんな。
ゼンニプロレではぁベスタパトナがぁーかなりぃいてもちゃるぞぇ。
テリゴならぁ体型や風貌やサイズがぁーほんとにぃ似ちょったしぃ。 90年代最初のハンセンエース組が結構好きだった・・・ ハンセンが凄すぎる
逆にワーストパートナーは誰なのか… ワーストって程じゃないけどハンセン、ベイダー組は超強力タッグだったわりに何故かあんまりワクワクしなかった
逆にハンセン馬場組は思ってた以上に良かった ビッグジョンノードも最初はハンセンのパートナーにみたいな感じで来日してなかったっけ?
あれは期待外れだったなぁ >>736
ハンセン&ベイダーは5年遅かった。98年ではもうハンセンの最晩年、引退直前くらい
だったからね。まあ、見られただけでも良かったが。
ハンセンのコンディションが保てていた93年までに組んでいれば全然違っていただろう。 >>738
してたね。94年1月シリーズから3シリーズ連続でハンセンのパートナーとして参加した。
94CCの開幕戦でハンセンと公式戦シングルがあって、選手コール時のハンセンのノード
を見つめる悲しげな目が、30年経った今も忘れられない。 >>736
ハンセン、馬場組はまさにケガの功名であの年の世界最強タッグリーグは大成功だったそうだ 個人的な意見 ハンセン、馬場組はあの年限りにすべきだった >>735
ハンセン、レッドが鶴龍コンビのインタータッグに挑戦した試合を観ましたよ。
もちろんノーテレビ
番狂わせもなく順当に鶴龍コンビの勝利。
ハンセンのラリアットが見られずガッカリしたが、試合後の乱闘で天龍に爆発させたので満足した。
隣の客が「やっぱり天龍はヤラレ役だな~」と呟いたのが印象的だった。 >>738
ノードは馬場の使い方が下手くそなだけ
あれだけの大型で強い選手はなかなかいなかったわけだし
ウイリアムスとのシングルもノードが一方的な展開で勝たせないから外人のマンネリが酷いんだよ >>745
>>737を補足すると
96年最強タッグ戦、7チーム参加で
スタン・ハンセン&大森隆男組は6点。
これは、ゲーリー・オブライト&サブゥー組 、
ジャイアント・キマラ&泉田純組と並んで最下位。
同タッグリーグでのハンセン最悪の成績。
97年の同リーグは、10チーム参加で
ハンセン&ダンカンJrは6点。
勝率から言えば96年より下だね。
だが、順位なら下に3チーム最下位4点がいた。 大森ダンカンJrくらいの時期からハンセンは三冠にも世界タッグにも挑戦しなくなったし一線引いてたよね
そのあとベイダー田上と年末に年1回だけ武道館のメインを張るちょっとまた良いポジション貰えてたけど >>729
俺が選ぶならデビアス
93年の世界タッグを獲った直後のハンセン&デビアスと三沢&小橋の対戦を見たかった、勝敗も内容も気になる
当時の小橋は豊橋でウイリアムスと良い試合をして上位陣の中にいたからハンセン&デビアスと対戦してほしかった >>734
ディートンかな
あくまでハンセンのパートナーとしての意味で >>748
この当時ハンセンやウィリアムスと名勝負繰り広げた小橋が
デビアスとシングルで戦ったら
どちらを勝たせてたかマジで気になる >>748
入場時のお揃いのカウボーイコスチュームが良いんだよなぁ
ハンセン&デビアス デビアスのマンハッタンドロップからのハンセンのラリアットというコンボが最高だったな。やられたのは田上だったかな?
そのシリーズ開幕戦のテレビマッチ6人タッグで、小川をハンセンがパワーボムでピンした後、川田に放ったラリアットで川田が綺麗に一回転してたのも強烈だった。 >>750
そうなんだよ、四天王vsデビアス。例えば94年のチャンピオンカーニバルまでデビアスがいたならどんな星取、どんな内容になっていたか
せめて三沢&小橋vsハンセン&デビアスは実現してほしかった
最強タッグでハンセン&デビアスが優勝したこともあるくらいだからデビアスを悪い扱いはしなかっただろう スパイビー来日の後の話だが
96サマーアクションシリーズ開幕戦で予定されていた川田&オブライトvsキマラ&泉田の新タッグ
98サマーアクション2開幕戦のモスマン7番勝負、相手は三冠に挑戦する田上
このようなファンにどちらを見せたいのかはっきりしないカードが組まれると釈然としないw >>754
原爆投下なんて今じゃコンプラに引っかかる名前やな >>749
強豪チームと対戦した場合どっちが勝つのかわくわく感が全くないパートナーがベストであり得るかしら >>756
それはアトミックボムズアウェーでしょ
アトミックドロップはミスターアトミックの落下技 原爆打線、原爆級の◯◯、水爆級の〇〇
昭和ならごくごく普通の表現だったね プロレスがそもそも日本vs外人の元ネタが戦争みたいなエンタメだろ 馬場が日プロ辞めた時や維新軍が新日本辞めた時
芸能人のスキャンダルとかでもあった
マグニチュード○級なんかも駄目だろうな >>758
アトミックドロップは、背後から相手を持ち上げ、
膝に尾骶骨を打ち付ける技
ミスターアトミックは、力道山時代から昭和40年代前半まで
日本で活躍した覆面レスラー、これは日本だけのリングネームらしい。
そして彼は、アトミックドロップは使わなかったと思うがね。 >>754
デビアスのアトミックドロップはキレイだった。 テロリスト…も使われてた。
今は聞かない…多分アウトなんだろうね。 フジワのテロリとムラカのテロリだったけどんな。
パッパパラリラァー
テーロリ テーロリ パッパパラパァー
テーロリ テーロリ パッパパラパァー >>759
昭和50年代にいしいひさいちが「広商の原※打線 ついに爆発!」なんてネタやってたぐらいだから
当時はすでにNGだろな もっと昔なら「水爆打線」はあったらしいけど >>751
>入場時のお揃いのカウボーイコスチュームが良いんだよなぁ
デビアスは顔立ちが優男のイメージで迫力に欠けてたが
ハンセンと組んでからヒゲを伸ばし始めて、ワイルドなイメージに転換した
身長もあるし、ハンセンと並ぶとマジでカッコいい
あと個人的にはパワースラムの使い手はデビアスがナンバー1
他のレスラーみたいに勢いで投げるんじゃなくて、体が大きいから余裕もって大きく安定してる。 >>767玄人すぎる。バズソイヤーしか
思いださん。パワースラム。 >>677直系uがレスリングシューズ+レガースにシフトするなか、川田だけがシューティングシューズ
(カカト、紐で〆タイプ)頑なに着用してた。かなり傷んでも着用、物持ちいいんだなぁと思った
ハッスル参戦時カラーはそのままに地味にレガース新調。微妙にマイナーチェンジしてたね。 >>767
デビアスの独特の河津落としも渋くて好きだった デビアスは子供心にWWF?で成金キャラなったの
雑誌で知って複雑な気持ちになったのは覚えてる。 >>767
栗毛色だった髪も金髪に変えたしね。オールアメリカンボーイのイメージを一新。
ハンセンとコンビを結成してから「あいつは日本でハンセンのパートナーをしてる」
と自分に対する見方が変わったとデビアスは言ってるよ。WWFにも注目されて、
85年最強タッグの時点で「WWFから誘われているがオレは行かない」と言っていた。
パワースラムの意味よく分かる。デビアスのは遠心力を効かせて綺麗だよな。 スレタイの時代(91年頃か)にプロレス見始めた俺にはデビアスって全く思い入れ無いんよね
なんか93年だったかに久々に来日してハンセンと組んでた覚えは微かにあるけど、当時の俺にとっては知らないおじさんって感じ
デイビーボーイスミスなんかもそう
WWFで大物になって久々に来日、93チャンカン優勝候補かも!?、という触れ込みだったけど実際の扱いはパトリオット以下という酷さ 東北大震災の影響でサザンのTSUNAMIが事実上の
お蔵入りとなったのはちょっとなぁと思った。
元サッカー選手の都並もあまり見なくなったし 長州だけでなくマシンもデビアスはとてもやりづらかったと言ってたな >>777
最強タッグでは欠場前に辛うじて公式戦を出来てるんだよな
PWFとアジアのタッグ王者の唯一の最強タッグ公式戦 秋山が一番巧いと思っていた選手で真っ先にデビアスの名前をあげてたな。 フレアーは「なんで自分がデビアスより上に行けたのか今でも不思議に思う
彼は色々な点で私より上であり才能があった」と回想していた 武道館で田上が、ハンセン、スパイビーにやられたツープラトンバックドロップ デビアスは全日に復帰した93年のサマーアクション2とジャイアントシリーズで川田&田上に連勝、良い扱いだった
最強タッグは他のチームに優勝させる予定だったからそういう扱いをしたのかもしれないが デビアスに絶対的なフィニッシュホールドあったっけ? >>785
パワースラムはテッド・デビアス考案なんだぜ パワースラムとかコブラクラッチ型の河津落としとかがフィニッシュ技だったか。
デビアスは頭から落としたり頭から落ちたりするようなプロレスでは無かったからその後の四天王時代と相性は良くなかったかな。
90年くらいからもっと見たかったな。 >>783
今でも鮮明に覚えてる
あれセミでハンセン組が勝ってたらメイン待たずして優勝が決まったはずだから田上はよく返したよな
その後はハンセンのラリアットを田上が避けてそのままスパイビーに誤爆したが
「なぜかすぐ立ち上がって」
鶴田のボディアタックで負けたから呆気に取られた なぜかすぐ立ち上がってじゃねーんだよ
思いもよらぬ想像してなかった攻撃が来た時って痛いより驚きが上回るんだよ
だから痛いのはそうだけどビックリして立ち上がるのが人間の本能なんだよ
さすがジャンボはそれを先読みしてすぐにボディアタックの準備をしていたというわけだ
分かったか!!!! >>785
武道館で秋山に勝った時のミリオンダラーバスターは良かったよ、秋山が「デビアスには敵わないと思った」と後に振り返っていた試合
>>787
四天王とは手が合わなかったかもね、デビアスはカウント2.9プロレスやるようには見えなかった >>788
たまにあるよね、相手がフィニッシュ級の技を出す、パートナーがカットに来て試合続行
その直後、何事も無かったかのようにロープに振られて走ってしまう奴w
セールしないで相手を怒らせるレスラーってたまにいるね デビアスは首悪くして引退だからなぁ
三沢達側からしてもやりづらいだろうしあそこで身を引いて良かったんじゃないか
もし体調に問題なかったらなんだかんだで四天王プロレスに上手く対応出来てたと思うけど >>788
連投すまん
あのハンセンのラリアットって田上に仕掛けたが田上がダッキング
その時点で一度、空振りしているのに何故かハンセンがもう一度、腕を振ってスパイビーに命中という不思議な動きをしていたのがおかしかったw >>786
それは健介も言ってた
だけどデビアスのはただのボディスラム
俺のパワースラムが本当のパワースラムだ!とも言ってた >>795
アルビン・スミスはテッド・デビアスのタッグパートナー
どちらかが元祖と言うより二人共同時期に使い出した
日本初公開はアルビン・スミスだけどすぐ辞めちゃった >>791
たまに金的でも股間押さえて悶絶してたのに他の攻撃がきたら金的の痛み忘れちゃたりとかあるよねw
逆に試合後の乱入とかで攻撃されたらいつまで経ってもダウンしたままとかもあるある まぁそこら辺徹底して演出しようとすると試合成り立たなくなるし多少はな
腕とか足責めの一点集中なんかをガチで表現しようとすると殆どの技出せなかったりロープワークも出来なくなるから >>797
GET分裂の小橋とエースの仲間割れの後楽園
屈強なレスラーがたった一撃でダウンw ボディアタック系の技で切り返されてトップロープに首を強打。
飛び技を交わされてロープに股間を打つ。
バックドロップでコーナーを蹴られてかけた方が後頭部を打つ。
ここら辺はかつて物凄い大ダメージ扱いだった記憶。 俺はアンドレの腕がロープに絡まると
またかよ…とイラッとしていました >>786
>>787
txs
デビアスに終末感のある一撃必殺技があれば超獣レベルにいけたかもね デビアスがレスリングサミットでアルティメット・ウォリアーの相手に選ばれたのはそれだけ信頼されてたんだと思ってる 鶴田が背後からハンセンに股間をかち上げされて、リング上で悶絶していたのは笑った ハンセンは小さかったらしい
確かにもっこり全然してなかったよな
ファーナスはステの影響でミクロサイズのナニだったとか >>723インディー旗揚げエース。襟足伸ばしてたね。大仁田に続け!と思ったんだろう。 >>804
馬場はその試合でウォリアーに一目惚れしてる >>804
馬場はその試合でウォリアーに一目惚れしてる >>809ザキヤマがくる〜ムーブに魅せられた馬場サン >>809ザキヤマがくる〜ムーブに魅せられた馬場サン >>809ザキヤマがくる〜ムーブに魅せられた馬場サン 秋山が異常にプッシュされてたのは今思うと何だったんだろう、謎だわ
デビュー戦が後楽園のセミで小橋とシングル
デビュー3ヶ月で武道館のメイン出場
いくらレスリングで実績あるといってもオリンピックでメダル取ったわけでもないし一般知名度皆無なのに何で破格の扱いだったのか
レスリングでの実績では遥か上の本田多聞でさえ前座スタートなのに あの負けん気の強そうなふてぶてしい顔が良かったんだよ >>813
実績はもちろん大切だけど身体能力(持ち上げる力、スタミナ)、記憶力(展開の記憶)、受け身(下手だと頭が飛んで記憶した内容が駄目になる)機転(手違いが起こった時にスイミングアイせずに修正できる)、強さ(仕掛けられた時に必要) 何故泉田の扱いは最初からああだったのか。
ノアでヨネから「この中途半端レスラーが!!」って言われてキックでノックアウトされるアングルがあったけどあれはなんだったんだろうな。
泉田が奮起するアングルかと思ったけど、何か乗りが悪くふてくされたような感じで大して話も続かなかった記憶。ヨネには一応勝ったんだっけか。 秋山はもうデビュー時から明らかに新人離れしてたじゃん
あそこまでパーフェクトな新人いまだに見たことない
デビュー数ヶ月で菊池からピンフォール取ってたけどその時点で菊池なんて全く比較にならないレスラーだった
あと多聞はアマチュアの実績で言えば鶴田も霞むレベルとはいえあのルックスと風体でどうやって人気取れるっていうんだw >>813
>デビュー3ヶ月で武道館のメイン出場
それは最強タッグ戦で鶴田が欠場
その代役だから仕方がない面もあるよ。 >>819
デビューした頃の秋山が菊池とコンビ組み始めた頃は菊池秋山という表記だったけど
あっという間に秋山菊池に表記変わって入場テーマも秋山の曲が使われ出したんだよね
あの頃の菊池は辛かっただろうな
今までは自分が一番下っ端だったから、先輩の鶴田軍相手にガムシャラファイトしてるだけでよかったけど
後輩の秋山らが台頭してきてファイトスタイル変更を迫られた
さすがに後輩相手にガムシャラファイトは出来ないからね それでも秋山が菊地からフォールを早めに取ってたけど少しして菊地が取り返してたんだよな
よっぽど承諾出来なかったんだろうと子供心に思ったな >>821
覆面コンビのアジアタッグにも挑戦したんだよな 小川菊地組がひたすらアジアの秋山大森組(というか秋山)に挑むみたいなシリーズあったなぁ
2人で秋山に集中砲火して結局負ける展開だった 秋山プッシュは新日の中西プッシュと連動してたのかもね
馬場も将来的に新日との対抗戦を描いててその目玉にとか 秋山にはスター性があったよ。
ルックスもだし錚々たるOB輩出の専修大学出身というのも大きかったと思う。 二大目テリー喧嘩番長スレーターは、
日本に合わなかった。 馬場がスカウトしたのは鶴田、天龍、田上、
秋山だけだからね。そりゃ他の入門志願組とは
扱い違うのも当然 >>830
そんなスレーターの最大の功績は81サマーアクションSを途中帰国して天龍をインタータッグに挑戦させたこと。 >>826
小川は渕と組んで小橋菊地に挑戦したのが初だったな
そして最後は三沢と世界タッグと同時奪取して返上 >>831
阿修羅・原も足を洗って長崎に帰ろうとした時に
門馬に電話して引き留めての全日入りだった >>832
他はチャンカー決勝で鶴田の高角度ジャーマンを綺麗に受けた事 >>835
この試合のジャーマン直前と87年最強タッグ蔵前のフィニッシュ前のレロレロは萎える。 最強タッグで師弟コンビと戦った際に
コーナーで待ち構えるパートナーのレイスの頭に馬場をぶつけようとするが先に押し出されて相討ちになるというありがちなパターン
どう見ても馬場の動きよりスレーターの自爆ダッシュが早いというツッコミが何かのコラムで書いてあって、確認したらその通りで笑った
これの23分50くらい
https://youtu.be/KWrJ65Rce-8?feature=shared 天龍は、No.3の戸口がいなくなる→スレーターが後遺症で帰国という見事なめぐり合わせだったが
スレーターは天龍とは逆で巡りあわせが悪かった。
チャンカン準優勝でこれから売り出そうって時に交通事故の後遺症でコンディションが悪くなり、
1982年にハンセンが移籍してきて、当然超獣コンビ中心になったからますます居場所がなくなって行った >>837
この自爆はやはり後遺症かと思えてしまうな
その前の馬場を四の字で攻める場面が良かっただけに尚更惜しい 天龍がフロリダでテリーからロープワークを教わっていた時に「兄ちゃん、違うよ
こうやるんだよ」と入ってきてスイスイときれいにこなしていたのが若きスレーター
との初対面だったと回顧していたな。 >>806
チンコ縮み上がるトレンボロンと精巣ホルモンのテストステロンを調合したクスリが流行ってたから実際にステでチンコ小さくなったレスラーはいないと聞いたことある >>819
多聞はラシクやミッシング・リンクなんかと同じ系統になるんだな。 多門は内臓疾患みたいに萎んだ体してたね
アマレスは五輪前に過酷なトレーニングするので
有名でそれを何度もこなしてきたんだから
プロレスラーで一番体は鍛えてるはずなんだが・・・ >>819
新弟子時代小川に相当いじめられたがスパーリングで極めまくって黙らせたしな 小川はルックス良くてプロレスも上手くて、もっとプッシュされてもいい存在だったはずだったのに
長身を優遇する馬場の方針のせいでずっと中堅で埋もれてたんだよね
新弟子いじめが酷いから後輩たちに嫌われてたってのも売り出されない要因の一つだったんかな >>844
元々130キロ級出てたしね
プロレスの練習で20キロくらい落ちたんじゃない?
力皇も150キロくらいあったのが130キロまで落ちたようだし >>848
あと細身だから大型クラスのメインでは扱い難い
キャラに味が出て来たのも97年くらいからだし
ノアでもキャリア的に三沢を支えなきゃならなかったんだが
要するに渕の役が出来なかった >>845
多聞は辛口の川田に「アマレスでは敵わない」と言わしめたほどアマレスが強いのにそれがプロレスでは直結しないことの例になってしまった
もったいないよね、全日本でデビュー〜若手の時期も当時の全日本が「日本人の選手層が厚かった」とも思えず出世できそうな状況ではあったんだが 多聞本人の考えなのか、会社の方針だったのかレスリングのバックボーンは一切使わずヘッドバットの原人キャラというのがどうだったのかな。
若いならともかく、30で入ってからというのもな。
30間近で入った杉浦は最初からアマレススタイル全開だったけど。
既に膝がダメだったのかもしれないけど。 杉浦からしたらそれこそ雲の上の存在だったみたいだけどね多聞
オリンピック予選止まりの杉浦に対して重量級で三回も出場、日本選手権では数え切れんほどの優勝 >>837レイスは、プロレス丁寧つーか、うまいね。 >>848
1985最強タッグの時期の週ゴンの記事で
「全日の将来の危惧」みたいな内容で「道場の若手の枯渇」を挙げていた
海外遠征組のタイミングもあるだろうが「道場には小川一人しかいなく、自主トレーニングしてる」という記事があった。 >>854
89年の全日本選手権100キロ級で
多聞を破って優勝したのが中西だったか
中西も相当アマ実績凄かったんだけどなぁ 多聞はもっと早くから回転地獄五輪スタイルを開発していれば良かったんだけどなぁ >>853
多聞のインタビュー覚えてるけど
デビュー当時のヘッドバット中心のスタイルは
「プロとして引き出しを多くするため、今までの延長よりもアマレスとは関係ないスタイルに挑戦しょうと思った」
とか言ってたよ。 多聞はもっと上半身を鍛えて日焼けでもしたら原人キャラでアピールできたのにな。
ザンバラ髪、ガリ色白じゃルン◯ンにしか見えない。 >>851
IWAジャパンのリングでTシャツ着ながら試合していたのを見ていたら、妙にプライド高そうなんで扱いづらい感じ。 >>858
多聞のベストバウトはいつだったかの小橋とのタイトル戦だと思う 一騎打ちでパトリオットが小橋を寝かした時は急にどうしたんだって思った
あの頃の小橋は既にトップの一角だったからな デビュー当時すでに膝壊しててレスリング全面に押し出すスタイルは無理と判断してのあのヘッドバット原人キャラだったんだろうな
ノアで強キャラ格上げされてた時は顔つきも精悍になって不思議とカッコよく見えたな
地味な大型の中堅レスラーの格上げ、他の格闘技の実績者という共通点からか、当時は安田忠夫と重ねて見てた >>863
馬場はパトリオットをトップ外人に引き上げるつもりだったのかな。
当時はゴディもいなくなり、ウィリアムスもその頃離脱してたし、ハンセンも歳だったから。
馬場の解説でも常に辛口酷評だったエースよりもかなり高評価されてた気がする。 でもウィリアムス以上が出てこなかったよな
ウィリアムスの強みは四天王プロレスと馬が合った所だな 四天王以降はヘタクソでも何とかなったからな。ありゃ本番ヘルスみたいなもんだ。
長州が来る前までは、技術に裏打ちされた試合が多かった。 みんな今日までカキコミ出来なかったんだね
俺だけじゃなかったわ >>867
99年頃に2シリーズくらい
グラジエーターが参戦してたけど
グラジなら次期トップ外人になれる
可能性はあったけど、
ベイダーがちょっと強過ぎてな >>877
田上ぐらいなら勝てたと思うけど小橋より上にいくことは三沢がさせなかっただろう >>878
エース、バートン、スティール、ハインズよりは良いだろ
ハンセン、ベイダー、ウィリアムスの存在感があり過ぎたから、それを脅かす所までいけたかわからんが
長く定着していればな…
オブライトはもう衰えが顕著で、
翌年明けに亡くなくってしまったしな ゲリオはぁユーイン時代の勢いはぁゼンニプロレでぁ出せんかったかんな。
まぁゼンニプロレにゃあ駒がぁー沢山おったかりぁ仕方ナッシングどぞぇ。
テリゴやスティウイレベルにもぉなれんかったんはぁ惜しかったけどもぉ。 グラジはハヤブサやら田中将斗に負けてる経歴がある以上は全日のトップは無理だよ
俺も素材は素晴らしいと思うしトップでも良いと思うけどそういう時代だったよ当時は グラジは定着してもパトリオットクラスだろうな
JBLが定着した方が面白かったと思うわ >>881
確かに…。グラジと同じくインディー最強ガイジンの一人だったビッグ・タイトンも一時期nWo Japanとして新日出てたけどG1で一回戦で安田に負けてたもんな。
二人とも既に故人なのが残念 >>883
やっぱり初出がインディだと格下感が定着してた時代だったんだね。
逆にジェシーバーが剛のとこ来た時は、ちょっとした大物感あった気がするわ。 木村に負けたカマタに馬場がPWFを明け渡せたのはやはり反則負けという手が使えたからか >>884
ゼロワンのザ・プレデターとか勿体なかったな
「蘇った超獣」なんてニックネームを授かったのはいいものの、
一番良い時期に総合格闘技に目が向いてしまって
そこそこの戦績は残したけれど
いつの間にかプロレスファンに忘れられていて、レスラーとしての価値が地に落ちていた感あるし >>863
95年7月のことならリーグ戦の星取り調整だと思う >>877
リング屋の某氏がグラジが継続参戦していたら外国人エースになれたと言っていた、それくらいのスキルだったと >>884
バーは初来日の時はレイスの後継者になるくらいかと思ったんだがな
結局はカートがなってしまった >>879
なんでナチュラルなオブライトが、だよな。 ハンセンはなんでいい年になってもユース!と言っていたんだろう >>891
ユース言ってたのなんて最初の1年くらいであとずっとウィーだろ
修正したのもしらんのか? YouTubeでハーフネルソンスープレックス
連発集見てて、三沢や秋山ばっかりで
川田が受けてるの見たことが
ないような気がするけどそんなことないよね?
小川は忖度か受けてないだろうけど。 グラジはアメリカでも可哀想だったな
WCW移籍が叩かれたがECWと心中するワケにもいかんかっただろうし
WWE出てっても年齢的にインディ回ったりすんのもアレだし廃業もやむなしだったんだろうな >>897
ECWからWCWの移籍の件はグラジが悪いわ
そりゃ全方面から叩かれるし業界からの信用も無くなる WCWではアッサムボムでムタからフォール勝ちしてたな >>896
川田はそういや見たことないな
個人的にはずっと「田上はハーフネルソン受けないな」と思ってた
体勢に入っても必ずブロックするかパートナーがカットしてたし
ただノアのタイトルマッチで遂に受けたの見た時はちょっと感動した 「川田はビビって変な受け方するから余計に危ない」みたいな事を三沢がゆってた >>901
仏さんに悪いけど
受け身に失敗して死んだ人に言われたくないわね >>902
蓄積ダメージの結果だから受け身に失敗とかそういう話ではない
それはそれとして他のレスラーが手放しで川田ベタ褒めするのに三沢だけは辛辣なんだよな
付き合いが長い故の軽口の類かもしれんが >>903
外国人レスラーのほとんどが賞賛する藤波について
猪木は「藤波を後継者と思った事は一度も無かった」とけんもほろろなのと
似たものがある
小川直也も「川田さんは凄い」と賞賛していたね 三沢が田上は身体が柔らかくて怪我が少ないから新技の実験台に丁度いいみたいな事を言ってたな。
個人的印象として川田の受け身は受け身芸と言うか、オリジナルな受け方とかリアクションで受けた方が注目を集めるような感じだった気がする。
三沢とかだとそういうのが鼻についたんじゃないかな。お前がこの技の主導権を握るんじゃねえみたいな。
逆に小川直也みたいなレスラーからしたら自分の言わば不器用な技を説得力たっぷりに受けてくれるから凄いとなるのかも。 実際川田の受け身危なっかしいだろ
三沢や小橋はエグい角度から落ちてもうつ伏せに回転して衝撃逃すけど川田は受身取ったらそのままぐにゃりって潰れるし >>906
それが受け身芸なのかと。
立ち上がりかけてロープへヨロヨロと崩れ落ちたりするムーヴは天龍もやっていたから真似していたのかも。 >>908
896だけど今YouTubeで98年6月の
三冠戦見てたら
確かに川田がハーフネルソン受けてた!
ありがとう~ ダニスがぁー第二のハルホーんなれんかったんはぁ惜しかったぞぇ。
当時のゼンニプロレでぁダニスを活かせんかったみたいでぇ。
っちゅうてもぉ当時のシンニプロレでもぉダニスはぁ活かせんかったとぁ思うしぃ。
スタハ、テリゴ、スティウイがぁー目立ち過ぎちゃった状況だしぃ。 オブライトのフルネルソン2発食った川田が受け下手とか危ないとか笑うわ >>863
マッチメーカーが小橋をエースとパトリどちらに負けさせるか考えた時にパトリを取ったのだと思う
エースとパトリの直接対決よりも、2人と小橋の方を優先したのだろうと >>904
藤波の場合は猪木と奥さんの関係性だろう 川田は「引退する時は引退ではなく休業」と言って万が一、復帰した時に嘘つきにならないようにしていた
休業した後、ラーメン屋を始めたこともあるが潔いというか未練がましく現役にしがみつかないのが良かった
真逆は百田。親の七光りで実力(強さではなくレスラーとしてのスキル)も無いくせに未練がましく現役にしがみついて若い奴相手に寝ない、こういうのほんと迷惑 >>911
その前にジャーマンも2発食らってる
しね しかし集客に関係ないのに百田は
親の七光でいい暮らししてんだからな。 >>916
良い歳なのに未だに現役にしがみついてるって事は
むしろ力道山の遺産も底を付いてきたってことじゃないの? >>918
いや。そう言う事じゃないんだろ。
あんたまだ若いんじゃね? 既得損益に塗れた政治家とプロレスラー如きを一緒に語るとか 百田家っていうくらいだから
なんかありそうだけどなあ。 >>916
いや、良い暮らしはしていない。力が何か金で苦労しているみたいなことを公言していた
そんなのは知ったこっちゃないんだけど、親父の方だよ、光雄
世界ジュニア取った時から90年代、冷やかしの声援を人気あると勘違いしてんのか酷い試合ばかりだったよ
動けない奴はさっさと引退するべきだよ。その点、永源はまだ良かった。潔く引退してくれたから 光雄はNOAH辞める時も嫌な辞め方したな
年取ってドサ回りすることになって、話題作りのために
あのバカ息子をデビューさせるという恥の悪手を打つことになったし >>924
力道山、40億の資産が相続失敗で0円に。遺族は6畳一間生活。
ttps://news.livedoor.com/article/detail/10977237/ >>926
それ、2015年放送の「爆報!THEフライデー」だが、
全くのフェイクだよ!
俺も、どうして百田光雄一家(奥さんと息子)が
6畳一間暮らしをしているのか?と見てみたら、
なんのことはない。
息子の力が6畳一間に住んでいて、時々光雄と奥さんが
訪ねて行き、6畳に三人が寝て泊まることもある、というだけ。 >>916
89年に全日は倒産寸前まで行ってしまい起死回生として馬場は百田を売り出す奇策に出た
それにより百田目当てのファンが大勢駆けつけて結果は吉と出た
特にJrチャンピオンになった大阪大会は全日では珍しい超満員で膨れ上がった 89年って天龍離脱前で盛況だった時代だろ。
もっとマシな嘘つけや。 >>928
百田が全日を救ったかのような大嘘をつくな
あんな小せえ奴に鶴龍対決みたいな名勝負ができんのか
ハンセン、ブロディ、ブッチャーらと対等に戦えるのか?
嘘をつくならもっとましな嘘をついてみろ 全日本設立にあたって馬場は「全日が日本プロレスから続く主流である」と
明示する為に力道山家をとりこんだ。
日本プロレスの幹部は「力道山の息子が成人したら社長にする」という約束を
「知らぬ存ぜぬ」で反故にしたんだとか。
プロレスに限った話じゃないが、口約束なんて破られて当り前だから
馬場が契約固めにしていたのは正しい。
門茂男が「力道山の息子を片方は前座レスラーにして、片方はリングアナにした。
我々オールドファンの気持を考えたことがありますか?」とか素っ頓狂な事を書いていたが
客観的に見ても百田は前座レスラーでしか使いようがない >>929
天龍革命の頃の全日は東京でこそ客が入るようになったが、
他は観客動員に苦戦してた。
>>928が書いてる大阪が超満員になったというのも当然嘘
(何せ鶴龍対決でもガラガラだった)。
全日が盛況だったのはSWSが活動してた90年終盤〜92年半ばまで、。 >>928
百田タイトル奪取の府立は生観戦したけどガラガラやったで... >>928
百田タイトル奪取の府立は生観戦したけどガラガラやったで... 週プロのページの端の「プレッシャー」だっけ?
全日の後楽園を観に行ったら「声援とは言えないしつこい百田コール」なんて書かれていたしな
あんな冷やかしの応援なのに本人が人気あると勘違いしてんじゃねえの
鶴田はバケモノだから別格としても百田に天龍、長州のような試合はできないし、ジュニアをやらせるにしても渕のような試合はできないもんな
馬鹿なヲタクの冷やかし声援で勘違いしているだけだよ >>926
こんな穴だらけの記事見破れないのかよww
だから若いってんだよw “6時半の男”とかってバカのター山が仕掛けたんだっけ?
考えてみたらベテランに対して凄くバカにしたフレーズだな。 百田が世界Jr獲った時期は、原が居なくなって
鶴龍対決切り売りしてたから、全日ファンの気持ちの遣り場がなくなってた。
百田推しはそんな気持ちが悪ノリになった結果だろうね。 >>936
馬場がNWA初獲得したときもだが「東京に王者として凱旋」を重視したのかもな。 >>941
そのとき猪木対鈴木実が実現したんだよな。 百田も力道山絡みで儲けたかったが、嫁が吹っかけ過ぎて誰も力道山絡みを使わなかった。唯一儲けたのはCR力道山と映画の権利料。 >>941
そのとき猪木対鈴木実が実現したんだよな。 橋本の息子だろうが力道山の息子(孫)だろうがドラゴン藤波の息子だろうがショボいやつはショボいし七光りなんて通用しない
観客はちゃんと見てるよ
そこら辺はある意味シュートだな 身体小さくても
グラン浜田みたいになれなかったんだろか。 結局後継者として夢を見れるかというのもある。
ゴディの息子も三沢は素質を褒めてたけど、サイズ的にも人間魚雷の後継者では無かった。 デービーボーイ・スミスJr.はルックス
も良くてでかかったから期待したのだけど塩過ぎた >>947
坂口の息子が親子二代のアジアタッグ挑戦 >>951
坂口父子の前に
エリック父子がアジアタッグに挑戦しているな。
70年、猪木&吉村対フリッツ&J・オズボーン
79,81年、小鹿&大熊対ケビン&デビッド
日本で親子で同じタイトルに挑戦したのは、これくらいかな?
エリックの子供はインターやインタータッグに挑戦していないようだし。 >>953
坂口息子が奪取すれば日本では初の同一王座の親子奪取になる >>954
かなりの遅咲きだよな
もう50くらいだし
弟の憲二の方が体もデカいし
俳優だから知名度も違うもんな >>956
それでも親父がアジアタッグを返上してからの生まれなんだよな
流石はアジアタッグ >>947
全員とは言わないが2世レスラーは大成しないな、大成したの誰かいる? >>946
それ観に行ったよ
確かハンセン&スパイビーvsルード&エースでエースが負けた気がする >>944
2000年3月の力道山何とか興行の前後に百田が「俺に一言も挨拶が無い」とコメントしていたのを週プロで見た
百田ごときが何様のつもりだか、レスラーなら試合内容で人望を得ろって >>960
これは全日への参戦要請の絡みもあってコメントしたと思った >>958
ファンクスとかロック様とか外人ならそこそこいるけど日本人では全然だな メモリアル力道山で全日が提供したカードは百田VS井上だったので
長州が「なんで百田VS井上なんだ?」と文句を言っていた
あれどう見ても裏で糸を引いていたのは新日だったからな
長州が興行の後にコメントしたのでもわかる 野球も二世はしょぼいの多いが結婚相手が
モデルとか女子アナとか貧相な体格が
多いからと言われてる。アメリカ人は美人の
条件が高身長だから必然的に子供もでかい 親が1流、子供が2流以下という例は多いが、
1流レスラーの親もレスラーだが1流とは
言い難い、という例もあるな。
ドリー、テリーの親父、ファンク・シニア、
ニック・ボックウインクルの父、ウォーレン、
ディック・マードックのフランキーとか
現役時代は知らんが、世界王者クラスではなかったんだろう。
まず、この好例はルーテーズの父親だな。 >>966
ランディ・サベージも父親を超えた。
辛口のテーズが「サベージはきちんとレスリングができる男だよ」と評していた。 大成の基準が曖昧だけど、棚橋くらいの認知度がないと大成とは言えなくないか? 大成の基準が曖昧だけど、棚橋くらいの認知度がないと大成とは言えなくないか? >>963
そんなことを言っても、同日、全日は
後楽園で試合があった。 >>974
それなんだよね
三沢がやんわりと否定して百田激怒!みたいな感じだった
全日本は後楽園で前から興行予定があったのに良いカード出せみたいな感じだったからなぁ 96年6月30日力道山メモリー→その日、全日後楽園
95年4月2日ベーマガの「夢の懸け橋」→その日、WAR後楽園
95年のターザン山本≒96年の長州力
まぁ、全日は力道山の息子の試合を提供したが。 >>975
百田が馬場に長州を呼んで謝罪させるべきと言ったけど
元子にたしなめられたんだよな >>977
それが事実なら百田は何様のつもりなんだか
百田にプロレスラーとしての価値がどれくらいあるんだか
長州力の1/100のくらいの価値しかねえだろw 百田家のおかげで日テレも付いたとか言ってたんだよな
だから打ち切りと同時に居場所を無くした 解説者としての百田は悪くはなかったが「要するに」を言い過ぎるのが気になって仕方なかった 百田のジュニア王座は挑戦まででチャンピオンにする必要は無かったな
チャンピオンになった途端に醒めた >>979
兄弟で現役時代は片方が力道山ジュニアだった >>988
それそれ。
思い出した。
ジュニアとにせいで書き分けられてた。 >>983
今考えれば解説するほどの実績キャリアも無いのに良く言えたよねw
何なら浅子の解説の方が聞きやすかったくらい >>990
浅子って結構ズバズバ言うねぇ。
木原のyoutubeチャンネルなんか面白い。 >>986
ウルトラクイズと高校生クイズはファーガソンだったな。 前座での若手とのシングルマッチは選手育成の観点から価値があったとは思う。
後は力道山の息子を囲ってるという事で力道山の後を継ぐ団体、プロレス界の本流というアピールにもなる。まあ、それだけでも価値は十分だったとは言える。 要するにも多かったけどノアに行ってから大技出るとアーだのオーだの叫ぶの多くなったよね 百田の解説は馬場さんよりはアナウンサーに寄り添ってたしマサさんよりはレスラーに寄り添ってたよ 新人に百田が試合後長時間説教をしたそうだがちゃんと役に立ったのな? 川田は新人は百田とシングルマッチをして勉強するべきとか言ってたような記憶 このスレッドは1000を超えました。
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