【スナイダー&ホッジ】BI砲を考える7【ブルーザー&クラッシャー】
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>>848
61年7月22日富士吉田 -45分3本勝負-
吉村道明(2-1)Kクラウザー
吉村(15分43秒体固め)クラウザー
クラウザー(5分21秒原爆固め)吉村
吉村(1分46秒逆さ押さえ込み)クラウザー
ゴッチが日本で唯一の2フォール負けした試合ですね
あと、ゴッチは68年1月3日の隅田川決戦蔵前大会にも参戦し
ジェリー・ロンドンを原爆固めで破っている。
同じ日、日大講堂ではテーズが岩石落としで草津をノックアウト
隅田川を挟んで神様と鉄人と共演していたのは知らなかった。
>>820 で猪木vsゴッチの通算戦績を猪木の2勝3敗と書いたが
69年5月21日 香港で引き分け試合をやっていたので、猪木の2勝3敗1分けです。 >>851
馬場がリソワスキーを時間無制限1本勝負でリマッチして、 32文一撃で粉砕した あの日だね。沖識名さんのビリビリのシャツが懐かしい…w
同日の草津対テーズは悲惨だった。
それにしても「岩石落とし」ってのが懐かしい呼び名だね。 大木金太郎は原爆頭突きでキノコ雲のガウンだったからなあ
ああいうのが問題視されるようになったのはいつ頃だろう
セブンの12話が封印されたのは70年だっけか >>853
よくOKされたものだよ…考えてみれば。
他にも…
・大木金太郎の「原爆頭突き」
・尾てい骨割り=アトミックドロップ(→これもちょっと…)
・アトミック・ボムズアウェー(→訳さない方が好ましい…) いや、そもそも女性水着のビキニが
ビキニ環礁での原爆の破壊力に例えられたのが起源だからね。
いまだに島住民は帰島出来んのだろ?
コンプラとかなんて、双方のパワーゲームで決まるようないいかげんなもん。 国や地域によってタブーだったり、またはそれに対して鈍感だったりってのはあるだろうな。
ンな事言ったら、先のゴッチのジャーマンだってドイツ式に踵を揃えてブリッジしていたり、キラー・カール・クラップなんかのドイツ式敬礼だってひっかかる。
あと、その手のタブーとは違うけど、ボボ・ブラジルが九州ではそのままではコールできなくて、ただ「ブラジル」とコールしたとか…w
本人が後で理由を聞いて「まったく、何処の国の連中も考える事は同じなんだな」と苦笑したとかしなかったとか… >>856
故郷とはいえ汚染された地に帰るなどバカのやること
ビッキーニ バカ帰る♪ は林寛子だっけか 原爆男ウイルバースナイダー
先日亡くなったのは黒い核弾頭だったっけか?
>>856
そうだったんだ?
ビキニ環礁あたりの島で女性の衣装がああなんだと思ってたよ
>>857
ブラジルの件は都市伝説だと思う
ボボブラジルとコールして客席がざわめいただろうことは想像できるが
だからといってコールを変えるかどうかは? 発音が同じといっても、外国人の名前と区別はするだろ
笑ったり眉をひそめるぐらいはするだろうが、放送しない、発音自体しないとかないだろ >>859
>>857の「ボボ・ブラジル」は、「件の2文字部分が地元TVでは放送できなかった」ってハナシだったかもしれない。
いずれにしても、都市伝説の域を出ないのは確かだね。
スレチ気味の話が続いたろうから、BI砲絡みで…
BIそれぞれを頭突きで苦しめたブラジル。
68年、馬場のインターの防衛記録をストップさせたり、翌年のWリーグでは開幕戦で猪木を黒星スタートにさせていたり…(この年は馬場もモンスーンにフォールされて黒星スタートという波乱ぶり)。 >>860
続けて失礼。確かにね。
だったらインカ帝国の初代皇帝の名前も放送できないだろうし…
ただ、指揮者の「マルク・ミンコフスキ」やも本来ならフランス語読みで(…中略…)なんだけど、なぜか「ミ」ンコフスキ表記なんだよね…
スレチ修正しておきながら蒸し返しでゴメン。 NHK教育テレビの「インカ帝国」の特集で
思いっきり、マンコ皇帝と言っていた。
あと、普通、ボボ・ブラジルは、ブラジルと呼ばれが、
馬場は「ボボ」と言うんだよね。
試合後、インタビューで「今日、ボボが、いきなり襲い掛かってきた!」
「ボボの動きは激しかった!」とか「ボボ」「ボボ」連呼していたから
九州では大うけだったろう。 ババがボボを語る
しかし方言とはいえ母国で笑われる馬場は余計気の毒 >>864
いや、「ババ」は関西の一地域でしょ。
それにしても>>864…www スヌーカは全日でエース外人になれたと思ってます。
81年に全日に初参戦。
当初はリッキーの抗争相手でシークのパートナーという立ち位置でした。
アメリカでのリッキーとの抗争を日本でも再現と。
そしてシークのパートナーに抜擢。
しかし結果的にはリッキーやシークを上回る高評価を得ました。
あの人を誉めない事では最強の鶴田でさえもスヌーカを大絶賛。
『スヌーカは凄くいいレスラーですね』
『シークは反則封じたら簡単に仕留められます』
『スヌーカはそうはいかない』
『あの跳躍力は凄くてパワーもラフもある』
『僕のUNに挑戦してきたらウカウカしてられないです』
あの鶴田がスヌーカをここまで誉めまくりで。
そんなスヌーカもブロディとは組まない方が良かったとも思いますね。
結果的にブロディのパートナー ブロディの子分的な存在になってしまいました。
スヌーカという素材を考えたら勿体なく残念ですね。 九州の方言は知らないけど、玉ちゃんはNHKで普通に呼ばれるようになったからねw
単位なんかは普通に女子アナが「1万個、2万個」って読むんだし
「青梅国際マラソン」とか「スイスのレマン湖」とか…
クレーム対策なのはわかるが、差別や虐めに結びつける方が意識しすぎてるんじゃないかな? そういえば、ブラジルは第11回Wリーグ最後の公式戦で吉村に負けてたんだね
モンスーンが小鉄に落としたり、猪木初優勝の調整も大変だw >>868
業界内部暴露のあの本が出て以来…といっても、前々から「見せるスポーツ」には純粋な勝敗だけではないモヤモヤがある事は感じていたけど、今となってはよくわかる事情だね。 マイナーリーガーのオチンコが
来日したら、あるいはメジャー昇格してMLB中継に出てきたらどうなるか
大盛り上がりだったのが早やなつかしいな ユーリ・アルバチャコフが来日したらユーリ海老原と言うリングネームにされたが
ロシアでは「エビ」って猥褻な言葉なんだよね
だからすげえ嫌がってリングネームをアルバチャコフに戻した >エビ」って猥褻な言葉
女性のあそこを示す言葉と聞いた。
そして「ハラッショ」はロシア語で「素晴らしい」
つまり海老原将軍は、、 >>873
高千穂って、ある時期から昇格していたね。
TVマッチで、あの篠原リングアナのコールを聞く事が結構あった。
日プロ末期にはUNベルトを巻いたっけ? >>874
追記。BIが抜けてしまって(確か坂口も)、大木がインター王者だった頃。
今思い出しても、一気に華がなくなってしまって、国際プロにも見劣りするような有り様だったな。 >>874
最後のテレビマッチでバレンタインから奪取 >>874
猪木を追放しても馬場がいるから安心していた日プロ幹部は
馬場の離脱宣言に焦って、大木が馬場のインター王座に挑戦するカードを発表
馬場はインターヘビーとタッグ王座を返上するんだよね。
結局、馬場vs大木を予定していた田園コロシアム大会は坂口vsシークのUN選手権に変更
その坂口も日本プロレスを辞め、残留組は
インター王者が大木、インタータッグが大木&上田
UN王者が高千穂、アジアタッグが小鹿&松岡
まあ、この中で華がある?のは若い高千穂になるのかな…
高千穂は「ヤングプロレス」の頃から露出が多かった気がするし
BIが抜けたあとのNWAタッグリーグでも優勝させているから
一縷の期待はされていたんだろう。 高千穂は芳の里とベッタリだったからね
日プロがあのまま続いていればエリートコースだったはずが
日プロ崩壊で天龍に「源ちゃんには帰る場所があるじゃないか。俺には帰る場所がないんだよ。」と
こぼす立場になってしまった >>875
>国プロにも見劣りするような有様
大木<ストロング小林であるけどインター王座>IWA王座
上田>草津
高千穂<井上
国プロ優位だな、となると外人次第か。 >>879
1972年は秋から4団体時代なんだよね
大木坂口がWエースの日本プロレス
IWA3冠(シングル・タッグ・Wシリーズ)小林がエースの国際プロレス
新間が入社し、豊登が助っ人参戦した新日本プロレス
鶴田が就職し、魔王が加入した全日本プロレス
この年、今まで日本プロレスとの興行戦争に負けていた国際プロレスが
11月の愛知大会で(金網タッグで暴動)日プロに観客数で勝っている。
TBSの放送時間短縮等あったが、この時期が国際プロレスの最盛期かな 年末では馬場を草津の前に歩かせる事も出来たわけだし
魔王加入はその後なのも面白い 口八丁手八丁でS小林を口説き落して引き抜きを成功させて
完敗ブックまで飲ませた新間の辣腕ぶりが凄い 草津のパワハラが要因だからな
むしろ国際側の迂闊といった面の方が強い >>877
72年9月初めのシーク参戦は、馬場が日本プロレス離脱宣言(7月29日)する前から
内定していたんじゃないかな?
前年、同時期の初来日キャンセルの埋め合わせとして、当然、馬場が離脱しなければ、
インター挑戦、そして坂口のUNにも挑戦かな?いずれにしろ9月6日の田コロと7日の
大阪府立は大物を呼んでタイトル戦にしないと格好がつかない。
もし、万が一にも馬場が大木の挑戦を受けたら、9月6日は、馬場対大木のインター戦
&坂口対シークのUNダブルタイトル戦かな?
いや、そうなったら馬場対大木だけで超満員になるから、シークの来日は日プロ側から
キャンセル。7日大阪は坂口対クリス・マルコフのUN戦で乗り切る。 >>883
草津って最後までプロレスを舐めていたと思う。
65年に日プロに入団するも、程なく道場での練習にも参加せず
そのうえ先輩レスラーに生意気な態度だったため袋叩きにあい、怪我を理由に退団
国際に拾ってもらったのに、海外修行中にマツダ吉原の承諾も得ず
カナダのフットボールチームの入団テストを受け、2軍扱いが嫌になり転身を断念(なんじゃそれ)
それでもTBSがエースとして全面バックアップすることを聞き帰国
記者会見では、かつて付き人を務めていた馬場に「今は対等な立場…
…お互いに頑張りましょう」発言
隅田川決戦の試合が近づく中、東郷が草津のトレーナーになるも手抜き練習がバレ
練習相手の小林の方の素質を見抜き小林を指導するありさま
テーズに一発喰らわせてもらって本当によかったよ。 >>885
当時のTBSも「スターの売り出しに鉄人ルー・テーズ氏が一役買ってくれる事になりました」と、運動部長だか誰だかが局長に言う有り様。
テーズとしてはそんな負けブックに簡単に乗るなんて事も納得するはずがなく、草津の驕りにも反感を持っていた上に、社長の吉原からも「TBSはレスラーのプライドなんて考えていない。貴方は全力で草津を叩き潰す事を考えてくれれば良い」とまで言われる始末。
テーズとしては、バックドロップで1本を取り、草津が失神KOという事なら「あれは不可抗力」という事で収まりがつく。
…そんな状況下での決着があれ。
運動部長は試合後「とんでもない事をしてくれた」と青くなったらしいが、当のテーズは「とんでもない事をしていたのはアナタ達の方だ」と憮然といていたらしい。
(流智美氏の記事を うろ覚えの上で書いたので、細かな誤りがあったらスミマセン)
歴史にたらればは禁物だけど、草津にもう少し心・技・体が整っていたら、結果は違ったものになっていたんだろうか? >>886
TBSからすれば「上手くいった草津」が沢村忠でTBSは草津をああしたかった
沢村の試合がほとんどケツ決めだったのは今では常識
ただし沢村は草津とはちがってきちんと練習していたという証言が多い 真面目にプロレスに取り組んでいたら、草津もいいレスラーになっていただろうな
猪木もスタートは敗北だったが、意味がまったく違う。 真面目にプロレスに取り組んだ草津は
ちょっとだけ歴史が変わっただろうがおもに国際プロレスのなかの話
ハイセルに入れ込まなかった猪木は
おおきく日本のプロレス界(おもにリング外だが)が変わったことだろう >>888
なるほどね…極めて納得。
沢村忠も懐かしいな。殆どケツ決めがあったとしても、当時は随分と楽しませてもらったよ。
BI砲にしても然りで、今となっては虚構の部分を知ってしまったけど、もういいでしょう、あの頃は楽しかった。 >>888
沢村の相手は話のわかるタイの二流選手。
草津の相手は業界最強と知れ渡った男。、 >>894
今見直してもデビューから2年位のグリーンボーイの草津を
VSテーズでしかも勝たそうとしていたらプロレスを舐め過ぎだよね
馬場はエリートだけど
日本で前座デビュー→海外遠征
→アメリカでレーティング上位に入るほど売れて最高峰のロジャースに挑戦して大観衆を集める
→アメリカのプロモーターから「日本へ帰らないでくれ」と引き留められる
→帰国後に豊登を追い抜いてエース就任
だからちゃんと段階を踏んでいるし
テーズが馬場の地元の日本で負けブックを飲めるステイタスのレスラーだった >>894
話のわからないタイの強豪サマンは沢村と真剣勝負で対戦し4ラウンドKO勝利
沢村は全身37ヵ所打撲、肘打ちで後頭部が陥没、出血13ヵ所で奥歯が5本抜け
結果、16度のダウンを喫した。
>895
隅田川決戦の日大講堂には、日本プロレスと折り合いが悪くなっていた
百田敬子未亡人に息子の義浩と光雄、力士時代の天竜(17歳)も観戦に訪れていたらしい 当時の四股名は島田か嶋田、関取になって天龍
力士時代天竜だったことは一度もない >>896
>日大講堂には、日本プロレスと折り合いが悪くなっていた百田敬子未亡人に
>息子の義浩と光雄も観戦
長男・義浩の社長就任を反故にされ、日プロを乗っ取られた敬子未亡人は、
ともかく、光雄は、もう日プロに入門していたんじゃなかったっけ?
と思ったら、この68年の2月入門だった。
もしかしたら光雄は国際プロレス入門も視野に入れていたのかな?
でも、草津の負けっぷり、その後の迷走を見て、やはり日プロにしたとか? >>897
それは知りませんでした。
天竜三郎という力士がいたから、その流れかと勝手に思っていたw
力士時代の改名歴を調べてみると、昭和43年1月は島田源一郎でした。 >>898
力道山の死後、力道山の作った"日本プロレスリング興業株式会社"の巨額の負債を回避するため
豊登・芳の里・遠藤・吉村は別法人
"日本プロ・レスリング興業株式会社"を設立しているから
この時期の関係は良くなかっただろうね。
もちろん力道山の実績や名前は日本プロレスに付いて回るから
話し合いは持たれたんだろうけど。 負けブック?何それ??
美味しいの???
どんな味するのか教えてよ >>900
全日の法人名称、プロとレスの間にナカグロがあるのが
長い間変なの、と思ってたが、この流れを汲んでいるんだね。
ナカグロを入れれば別法人だとして受け付ける法務局もあれだが。 >>903
ナカグロというか、渋谷区代官山(日プロ)と港区赤坂(敬子夫人)で自治体が違うから
同じ名前の会社登記ができたみたいよ(詳細は『日本プロレス事件史』)
しかし、国際プロレスも馬場の全盛期からBI黄金期に突入していく時代に
よく勝負したよね。
TBSも本気だったら、一夜にしてスターを…なんて考えずに
長い目で見守って欲しかったな。 同日興行戦争では、68年1月3日の隅田川決戦が一番有名だが
67年8月14日には、日プロが大阪球場で馬場vsキニスキーのインター選手権(20,000)
国際が府立体育館でマツダ&サム・スティムボートvsロジャー・カービー&ビル・ドロモ(4,200)
68年8月3日、日プロが横浜蒔田公園特設リングでBI砲vsサンマルチノ&Sマーフィー(8,000 ノンタイトル)
国際は横浜スカイホールで豊登&杉山&草津vsプリンス・クマリ&ブル・デービス&ホワン・ラマス(2,000)
71年3月2日、日プロが蔵前国技館でBI砲vsマスカラス&アリオンのインタータッグ(9,000)
国際が東京体育館でバション兄弟vs杉山&草津のAWA世界タッグ
木村vsザ・?の金網デスマッチ、一時帰国の井上vsビル・ミラーの3大マッチ(3,000)
日本プロレス崩壊後で一番有名なのは、75年12月11日かな? >>898
日本プロレス残党を預かることになった時の記者会見での百田夫人の怒りと困惑の混じったなんとも言えない顔が忘れられない。
彼女だって当時アラサーくらいだから今考えると無理はないんだが。 >>905
91年9月23日に新日が横浜アリーナ、FMWが川崎球場でやってた。
新日・全日間では一方が蔵前や東体、もう一方が後楽園ということが
ちょくちょくあった。 >>906
自分が日プロから追い出された経緯があるからね
トロイカ体制の中でも特に遠藤が力道山を嫌っていたというし
リキパレス問題で吉原を追放したのも遠藤だったし…
力道山の莫大な借金は、没後からおよそ30年かけて完済したらしい。 >>905
しっかし国プロの華のなさと観客動員数いったら…
まぁ、当時のBI砲の実力と人気が凄すぎたわけだけど、国際にBIと同等のスターレスラーがいたら少しは違っただろうか。 >>910
今となってはだが、67年旗揚げ合同興行をやった猪木を獲得できていたら
その後のBI砲もなかった訳だし、すべてが変わっていたよね。 国際に猪木が入団して猪木ラインで新間が国際に入社
そして吉原を追放
これなら国際は今も生き残っていたかもしれない
小鉄と藤波の運命は変わっていたが あの時点では猪木と新間は喧嘩中だったからな
まあ猪木の事だからTBSを懐柔出来た可能性は高そう >>909
遠藤は元々自分の方がキャリアが上だという自負があったからな
レスラーのこういう性癖は相手が力道山であってもぶつけられるわけで 馬場の名言
「この世界のトラブルは全てヤキモチから産まれる」
力道山VS木村政彦も
「柔道界で鬼の木村と呼ばれた俺が何で関脇で終わった力道山より下なんだ?」ってのが
根本にある >>915
古すぎて田鶴浜ワールドみたいな話だけど
関脇の力道山より、はるかに格上の第40代横綱・東富士が入門したとき
「プロレスではワシの方が上だ」と酒に酔い荒れ狂ったらしい。
危機感を持った力道山は、東富士とジェス・オルテガのシングルマッチで
オルテガにセメントを命じ、防戦一方で動けなくなった東富士を救出することで
プロレスでは自分の方が上ということをファンに印象付けた。
では何故東富士を日プロに入れたのか?
調べてみると、力道山の後継者で日本プロレス協会の理事長だった永田貞雄が
ワンマンになりつつあった力道山体制を牽制する思惑で口説いたみたいだ。
元関脇にいいように踏み台にされた元祖横綱レスラーは、僅か4年で引退した。 >>915
馬場はいつどういう状況で言ったの?
>>916
永田貞雄じゃなく新田新作じゃね?
後継者は後援者の間違い? >>916
何かあるとすぐ酒で荒れ狂う力道山
あの死はやはり必然だったんだよな >>917
エスエル出版会の本に載っていた
1986~1987年頃のインタビューで馬場がそう言ったと書かれていた >>919
ありがとう
プ板以外で見たことないから詳しく知りたいな >>916
永田貞雄は興行界の顔役と言われたニッシンプロモーションの社長で興行師の大物
新田新作は新田建設社長で力士時代から力道山のタニマチ
力士廃業後、力道山は新田建設で働きその頃ハロルド坂田と喧嘩になり、それが縁でプロレスの道へ
プロレス修行の為の渡米資金も新田が支援
力道山が帰国後、日本プロレス起ち上げて時には資金調達は新田と興行のまとめは永田が行った
新田にとって子飼いだった力道山をコントロールしようとしていたが、力道山は自ら社長に
横暴になって新田や永田が尽力して設立日本プロレス協会メンバーを疎かにする様になってきたので元横綱東富士をプロレス転向させた
新田は元々東富士のタニマチでもあった >>921
詳しい説明ありがとう!
やはり力道山の横暴が、東富士のプロレス転向に繋がるんだね。
Wiki なんかは、力道山が東富士をプロレスに誘ったように書いてあるw
>>915
>「この世界のトラブルは全てヤキモチから産まれる」
離脱した選手や引退した選手の言い分を聞いてると、つくづくそう思うね。
坂口は離脱が起きるたびに「黙って行け。悪口言うな。黙って辞めるんだよ。
『お世話になりました』って。唾を吐いたら自分にかかってくるよ」と言っていたという。
実力だけでは上に行けない世界だから、愚痴がでるのも仕方ない部分ではあるが
あまりいい気分しないよね… 広島の原爆が上空500メートルで炸裂したと聞くとふーんけっこう高いなあと思うが
総武線に乗って遠目にスカイツリー見るとその低さに気づいてゾッとする いくら、ブルーザーでも
広島や長崎で「アトミックボム・ザ・ウエー!!」と
叫ばなかっただろうね。 Atomic bomb's away じゃないのかな。
原子爆弾の放り出し 自然な感じで踏みつけるダイビングフットスタンプ、みたいな感じの技でしたっけ トップロープから片足で踏み潰すように落下してくるエグい技
フットスタンプは両足のイメージだが、ブルーザーの場合急降下のストンピングに近い ブルーザーと猪木のシングルマッチを探してみると
馬場がインター王座争奪戦で対戦したおよそ1年前、64年8月20日に対戦しているね
当時、ロスとインディアナポリスのWWA、NWA、AWAで売れっ子だったブルーザーは
カリフォルニア州ベーカーズフィールドで、若干21歳のリトル・トーキョーと引き分けている。 >>930
ダブルフットスタンプならエグいけど片足ならいくらでも加減できるよな ついでに草津の海外修行時代を見てみると
隅田川決戦の1年前、67年2月7日フロリダ州タンパでテーズと対戦している
ルー・テーズ(8分0秒体固め)タキ・ヤマグチ(草津)
同年カナダではビッグ・クーのリングネームで
ATブッチャーやTJシンとも対戦している >>932
そういう単純な技でも迫力のあった当時のプロレス。
ブルーザー来日の少し前くらいまでは、ボディスラムでフォールを取っていたような時代だからね。 モラレスのビッグボムズアウェイもどんな技かと思ったら
ロープ最上段からのヒップドロップで拍子抜けした記憶がある >>935
ふーん ラテン系なんだからセントーンやればよかったのにねえ >>934
昔は必殺技をマネすることを禁じているような、暗黙の了解があったね。
それが前座の若手レスラーが使うようになり、観客の見る目が肥えていくと
受け身が取りづらい危険な技が増えていき、究極の四天王プロレスに行き着く 馬場もBI砲でアトミックボムズアェーやったことあるよな
猪木からタッチ受けてこの技だけでフォール
実況もブルーザーの技とか全然触れないで
ドカーン!と最上段から馬場が降ってきましたみたいな事言ってたが 馬場は仰向けに倒れた相手のお腹に両足で乗ってドーンドーンと足踏みするムーブも良くやってた。笑いも起こってたけど冷静に考えるとなかなかエグい。 >>938
BI対スパイロス・アリオン&ミル・マスカラスの試合だね。確かその1本目。
アリオンは期待はずれだったし、マスカラスにしても「国際に行く」という思い違い?もあったから、ツブしてまえという事か、最後は猪木の卍固めでギブアップだった。 一本目はマスカラスが猪木からピン取ってるし潰すとかは全く無いと思うが 馬場は、1971年第13回ワールド戦のタッグマッチで、確か
コーナーポストからの二―ドロップかストンピングで
ジョー・ルダックを、負傷させ、途中帰国に追い込んだ。 国際の「あなたがプロモーター」の1位2位を日プロが強奪
これはどっちかというと強奪よりも
順位発表⇒その後にレスラーと交渉しよう
という吉原の緊張感の無さが話にならん
馬場が「吉原さんは立派な人でした。だけど「ああいう人だから国際は潰れてしまったんだ」と
言う人もいます。」と評したのもわかる というか他人の企画をただのりで持っていってしまうような
よくいえば豪腕、わるくいえば恥知らずな真似をしてくる人が
日プロにいることを想像できなかったのがピュアなんだな。 >>946
吉原も日プロ出身なのにわからなかったのかな? >>945
前にも書いたけどアリオン1位は仕込みだよ
人気投票締切りが7/27で来日中止になったシリーズ開幕が9/9
集計、パンフ擦りとか考えたら交渉期間はほとんどないから事前に決まってたとしか思えない
で人気投票実施中に「アリオン秋に国際参戦か」という情報がゴングに出てた
つまりアリオンとは既に交渉中でほぼ内定、箔付けのためにヤオで1位にした
しかしお得意のブッキングミスでキャンセルされただけ >>948
マスカラスはAWAのガニアを通じてオファーがあり、ギャラの問題で国際を断っているが
アリオンの場合はダブルクロスだろうね。
日プロもしたたかで、アリオンが参戦する予定だった70ダイナマイトシリーズに凱旋し
金網デスマッチで話題をよんだラッシャー木村の力道山タイツを
普段ショートタイツのアリオンにギャラの上乗せで履かせ、BIにやられる演出
国際のイメージダウンを図ったとする文献もある。 >>950
「たまにはオレもエンターテイナー」に載っていたから1983年 レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。