【スナイダー&ホッジ】BI砲を考える7【ブルーザー&クラッシャー】
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>>1-2
ご苦労サンなぁ
まぁこれ終わってもぉお主がぁバンバンスレ立ててもぉちゃれやぁ。
お前さんはぁ新規スレ立て係にぃ指名しちゃるかんな。
カーンもぉ75だかんな。
猪木はぁ何とかぁ79迎えられたしぃー。
坂口がぁー80とかぁ。
昭和の名優達ゃあどんどん年取ってもぉちゃる。
お亡くなりもぉ沢山いちゃるしぃー。
カーンも猪木も何とかぁ回復して欲しいかんな。
猪木のバワイはぁもぉ歩けないみたいだがぁー。
ブッチャーもぉ歩行でけないしぃー。
昭和っちゅうたらぁ今時点でもぉ34年も前だかんな。
そりゃあ年をぉ取んのもぉ当たり前だぞぇ。
馬場はぁ23年も前にぃ亡くなってもぉたしぃー。
ステロ使用者、常用者のバワイはぁもっと早くにぃお亡くなりだしなぁ。
まぁお前さん達もぉカーン回復をぉ願ってもぉちゃれやぁ。
動画考察スレでぁ馬場と猪木の比較っちゅうのがぁ数日前にゃああったぞぇ。
考察すれはぁ維新軍のぉワカパヤシとかぁコブラとかぁDEEPとかぁあるかんな。
細かい部分だとぉ間違いもあっちゃるがぁー。
しかしぃあぁゆぅ考察スレっちゅうのぁ本当におもろいかんな。
本からぁ動画の時代にぃなってもぉたしぃー。
そぉゆぅ動画にゃあ必ずぅカキコっちょるぞぇ。
ハンドルネームはぁ…ナイショだかんな。
あんまりぃこぉゆぅ事をカキコるとぉ身元探されてもぉちゃるゎい。
真夜中にぃ居住地からぁ謎の出火とかぁ勘弁だぞぇ。
そぉゆぅバカ連中がぁー沢山いちゃるしぃー。
取り敢えずぅ動画にぃコメント必ずぅカキコるのぁ定番だかんな。
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ハンセン著『日は、また昇る』で、超獣対決について
「ブロディ対ハンセン戦は誰もが見たかったろう。私自身が考えてもかなりの好カードだ
…シングルで雌雄を決するよりも
強烈なタッグのイメージをそのままにしてもらえたことが
結果的には良かったような気がするのだ」とある。
ファンクスの兄弟対決も、長丁場のクリーンファイトで確かに良い試合だったが
見終わってみると何かモヤモヤとした気分になり、複雑な感情だった。
(兄弟だからもあるが)
夢のBI対決も結果、やらなくて正解だったんだろうな。 プロレスなんだからガチは有りえず
結局「馬場が勝ちを譲れるタイミングで
試合する。内容は馬場の顔も立つ形で構成する」
しかなかった。
猪木の糖尿病がなかったら、1982年は有り得るタイミングだったけどね。
おんどれらの言う通り馬場ー猪木はぁやらんで良かったかもなぁ。
後はぁ鶴田ー藤波やハンセンーブロディもだぞぇ。
当時はぁ絶対にぃ見たいっちゅうにぃ思うたわぃ。
しかしぃやらんで正解だったかもなぁ。
ハンセンとブロディはぁタッグ対決はぁ度あったがぁー。
そいからぁブッチャーーシン戦はぁ逆にぃやらん方がぁー良かったっちゅうにぃ。
あれもぉ夢のまんまの方がぁー良かったかんな。
ブッチャーがぁ全日にぃ戻ってもぉたからぁ絡ませないわけにゃあいかんっちゅう流れでぇ。
他にもぉ鶴田ー前田やらぁ天龍ー前田もぉ見たかったがぁ。
結果的にゃあやって幻滅すんならぁやらんかった方がぁー良かったっちゅうにぃなるかんな。 >>11
坂口曰く、第三者(おそらく元子)の介入だね。 元子はなあ
直接被害はなかったが
会場で若手やファンに偉そうに説教してる姿を
何度もみたから悪い印象しかない
馬場本人にとっては元子の存在は何物にも変え難いものだったんだろうけど https://pbs.twimg.com/media/BivsXC2CYAAAiTl.jpg
飛行機トラブルで外人レスラーが来日出来なかったとき、日本人レスラーだけで興行を行った
メインは馬場対吉村のシングル戦。レフェリーは猪木が務めた。キャンセル客が相次いだ
馬場対猪木の試合を組めばキャンセルは防げただろうに、なぜそうしなかったのか
時間切れ引き分けでも両者リングアウトでもいくらでもできただろうに >>15
>飛行機トラブルで外人レスラーが来日出来なかったとき
会場は後楽園ホール。
昭和43年の2月でも、馬場対猪木がやるにしては小さすぎる。
それに、この日は猪木も試合に出なかったんだから
キャンセルが出たのは仕方がないなぁ。
というより、この興行は有料だったのか?
「日本プロレス全史」によると、
「同日のチケットは3月8日の大会分に延期された」、とあるんだが? そもそもキャンセルってできるの?
スポンサー的にチケットを買ってもらっている大口はあるかもしれんけど
一般客がじゃあ払い戻せといって当時の日プロ窓口がカネを返すとは思えない。
当時の日プロでなくてもマスカラスとドスカラスが帰ってしまった興業とか
金返せの声はあるだろうけど取りあわないように思うんだが。 >>15
レイス初来日のシリーズ。2月16日(金曜日)後楽園からの開幕戦生中継
ところが羽田空港が雪で閉鎖され、外人勢を乗せた飛行機は千歳空港へ
で、次の興行が23日前橋大会だから1週間の間、外人選手を遊ばせていたことに。
(ちなみに、23日前橋から金曜8時の中継が毎週になる)
3月8日の後楽園大会でチケットが有効になったとて
テレビが入ったら埋めなきゃカッコがつかないだろうしねぇ >>17
基本的に出来ないよね。
俺の体験から言うと、1989年1月8日だったかな?
昭和天皇崩御で、新日の後楽園ホール大会取りやめ、
また94年2月、新日のNKホールでもやはり大雪で
選手が東京に来れないので取りやめになったが
それぞれ翌月、同所での振替興行になった(払い戻し無し)
ただ、1971年12月9日、大阪でのドリー対猪木のNWAと
UN戦ダブルタイトルが猪木の急病で中止→坂口が代打になった時、
それを伝える貼り紙に
「払い戻しを希望される方は、体育館の正面窓口で行っています」
という文言があったのだが、それが棒線で取り消されている写真を見たことがある。 >>19
>それが棒線で取り消されている写真を見たことがある。
心配する程でもなく、坂口への期待値で埋っていったんだろうね
日プロ時代のぉ猪木はぁ120超の時代があったらしいかんな。
大型外国人相手にぃ体力負けしない様にぃ体重をぉ増やしちょったとかぁ。
猪木自体がぁー太りにくい体質らしいかんな。
後はぁ馬場に見劣らなくする手段もあったんかもなぁ。
新日以降はぁシャープな身体っちゅうのにぃ目覚めたとかぁ。
糖尿病発症した82年以降のぉ猪木はぁ実質100切っちょったっちゅう話だがなぁ。
まぁ猪木がぁ糖尿病発症せんかったらぁ展開は違っちょっただろぉがぁ。
そぉなりゃあIWGPもぉもっと大きなスケールで開催されたかも知れぬ存ぜぬだぞぇー。
でもぉ日プロ時代の動画見るとぉ猪木の体型はぁ後々とぁ違うかんな。
若かったっちゅうのもぉあっちゃるがぁー。 雪で猪木が広島入り出来なかったのも68年だった
その後、インタータッグを奪還して本格的なBI砲時代・日プロ黄金期になるんだね https://pbs.twimg.com/media/FOkQAv5aUAI2tAi.jpg
全日最強タッグにハンセン乱入→馬場と乱闘は忘れられない名場面だが
インテリジェンスっぽい格好で猪木に握手を求めるブロディというのも名場面 >>24
振り返ってみれば、ブロディは、新日のイメージダウンのために全日から送り込まれた刺客、破壊工作者という感じだったな。
馬場は、新日はブロディをコントロールできないとみて、新日によるブロディ引き抜きを見て見ぬ振りをしていたのかもしれないな。 私服で登場したのは、新日では大木、上田、国際の3人、ブッチャー、ブロディ
全日ではハンセンくらいかな?
シンの場合は新日全日ともに乱入が初登場で、ハンセンの再登場も途中から乱入みたいになった。
ブロディのスーツにチェーンはインテリジェンスモンスターをイメージしたんだろうが
一番インパクトがあったのはブッチャーで、歴史が動いた感じがした。
>>25
全日に復帰したブッチャー、ブロディにブーイングはなく、歓迎ムードだったね
そしてブロディは丸くなって帰ってきた。 >>26
寺西は田コロではいなかった
あと出戻りだけど85年のUWF、87年の長州軍とか
全日本だとやはり長州達
後楽園で天龍に挑発されたときや名古屋で馬場に挑発されてリングに上がったとき >>27
あっ、寺西はいなかったねw
75年馬場vs大木戦の前にも国際勢がリングに上がったのを思い出した。
オープン選手権参加表明だったかな 乱入ではなく、参加での挨拶なら古くは
1963年春のデストロイヤーもマスクにスーツ姿だった。
それと67年、日本プロレス復帰の猪木とか。
71年9月に初来日予定のザ・シークは前週のテレビ中継で
「来週は、シークがリング上で挨拶をします!」
と予告をしたが、来日中止。やはりスーツ姿で来る予定だったのかな?
シークの代わりにフリッツ・フォン・エリックが急遽参戦。
リング上で挨拶したが、過去に数度来日しているので、
いまさら感はあった。そしてリング上の馬場を急襲。 イベントだと全日のレトロ企画に猪木デビュー30周年(バレンタインの笑顔が最高)
馬場猪木の引退試合に鶴田引退セレモニー等かな >>27
全日の最強タッグリーグ戦で馬場&木村組が仲間割れした試合で放送席でのやりとり。
倉持アナ「おや?誰かエプロンに立っていますね。」
山田隆「あれは元国際プロレスの剛竜馬ですね。」
ということで、エプロンには私服姿の剛竜馬がいた。 スレタイのブルクラが、72年国際に来日した時の対談(別冊ゴング昭和48年新年号)
ブル「レスラーにもふやけたヤツが多くなった。女みてぇなヤツがいるんだから
頭にきちゃうぜ!クラッシャー、お前さんの髪も少し長目だぜ」
クラ「これはな、俺のガールフレンドが長目の方がいいって言うんでこうしてるんだ」
………
クラ「日本でいいのは、女とビールだけになっちまったな」
ブル「ゼンガクレン、ノーキョウも俺は大嫌いだ。
いつでも大勢固まって行動しやがる。1人1人じゃ何もできねぇ奴らばかりだ!
日本のファンだってそうだぜ。アメリカじゃ1人で控室まで斬りこんでくる
勇ましいファンもいるが日本のファンは大勢で騒ぐだけだ。青白い顔して遠巻きにして
人の尻馬に乗ってワイワイ騒ぐなんてのはキンタマぶら下げた人間のやる事じゃねぇ!」
………
学生運動が終わった頃の日本人を見た感想だろうけど、
そんな日本にしたのはあんたらの国だろうが(笑) 日本プロレススレ
ミツヒライ親子は親子揃って性格悪いんだな
藤波が猪木の付き人だからあんま試合組まなかったらしい。
なんで猪木が嫌いかと言うと出戻りのクセに自分よりだいぶ上の序列だったからという人間の小ささ(笑)
大谷とパンチ佐藤を比べるようなもので猪木とヒライではモノが違うと言うのもアホらしいほど比較にならないのにな。
動画でぁ第二回オールスター戦実現寸前話をぁ拝見したぞぇ。
ありゃあかなりぃ勿体ないかんな。
そんな事でぇ開催でけなかったっちゅうのぁ驚き 桃の木 アゴ猪木
あん時開催でけちょったらぁかなりぃ盛り上がったのにぃ。
馬場がぁー前向きだったっちゅうのぁ意外だったぞぇー。
馬場はぁ反対のイメージしかなかたしぃー。
そんでもぉ馬場もぉかなりぃ前向きで開催寸前っちゅうのもぉ。
まぁあの動画内容がぁ全て正しいとぁ思わぬがぁー。
82年ならぁ色んな面で良かったっちゅうにぃ思うちょるんよぉー。
それとぉ馬場と新間のぉ駆け引きっちゅうのもぉおもろかったかんな。
話合わせたぁ筋書通りのぉ駆け引きっちゅうのもぉかなりぃ盛り上がったらしいぞぇ。 「たいてい新弟子をしごくのは松岡巌鉄で、こっちが弱ってきた頃合いを見計らってしごいてくるのが本間和夫だった。
特に松岡には、えげつないイジメを散々されたものだ。バトルロイヤルで松岡巌鉄にブチ切れたのでパンチを入れていると
止めるどころか「もっとやれ!」と焚きつけてくるのがミツ・ヒライ (日プロに入団するはずの)草津が来ない。合宿所に1本の電話がかかってきた。
『おお、俺、草津だけど、金がないから送ってくれるように事務所に言ってくれ』
非常に偉そうな物言いだった
ミツ・ヒライ「おい、今、草津の野郎から電話がかかってきたんだけど、あの野郎、ナメてやがる。
あいつが来たら、ソウヅケ(ボコること)にするぞ。わかったな」 ヒライの印象はあんまないけど、若手レスラーのブッキングを任されていたらしい。
まぁBIの先輩だし、特別猪木嫌いだから藤波の試合を組まなかったというより
相撲上がりのガタイのイイ若手が揃っていたからじゃないの?
まだ少年の藤波は、なかなか太らない体質だし、潰される危険もあったし
あと、何故かデストロイヤーがヒライを評価してたらしい。
Wリーグに何回も出てるし、NWAタッグリーグには第1回馬場、第2回大木と組んで出場
第3回に永源と、急にランクダウンしたけどw >>35
出戻りの前から入門はヒライの方が2年先輩だったが、
猪木の方が目を掛けられ、ワールドリーグ出場(62年、
海外遠征(64年)も先だった。
猪木もそういうヒライの嫉妬を感じていたのかな?
71年暮れに改革する時は、ヒライを解雇するつもりだったという。
>>38
その話、グレート・カブキの自叙伝にあるね。
電話を受けたのがカブキ(当時・高千穂)でそれを寮長である
ヒライに告げたら「よーし!ソウヅケだ!」と(苦笑)
日本プロレスでは、BI砲はもとより大木よりも先輩なんだが
最後までタイトルを取れなかった。全日時代もなしか? ヤフオクに吉村道明の自伝が出品されてるけど、凄いな。
1000冊限定、昭和48年当時で定価9000円。
純粋なファン向けというより近大関係者やタニマチ向けのものなのかな。 今さら王道プロレス(正統な流れをくむ?)の定義がよく分からないんだけど
馬場プロレスって海外修行時代に身に付けた
60年代アメリカンプロレスを生涯貫いていた感じがする。
猪木も日プロ時代は単なるアメプロのテクニシャンだったと思うけど
新日創ってからは、アメプロ+世間に真剣勝負に見える事にとにかく拘ったというか
それがストロングスタイル、闘魂のイメージをファンに刷り込み
カリスマ性が備わっていったと思う。
馬場の時代は、外国人レスラーよりデカイ日本人が勝ち続けるだけで通用したが
ファン心理の変化を読み取り、日本人が好むような
真剣勝負風にアレンジしていった猪木が支持されていったのは当然だろうなぁ >>43
リングサイド3000円で今で言えば2万5000円くらいでは!? 50年前の4月3日、日本プロレスが馬場のNET登場を解禁
ワールドリーグ新潟大会の馬場&坂口vsマードック&ブルータス戦が中継された。
そもそも69年にNETと契約した事が、BI対立に拍車をかけたんだよね。
エース馬場を放送できないNETは、No.2の猪木を馬場と同格にするよう日プロに求め
ワールドリーグ優勝、UN選手権獲得、NWAタッグリーグ連覇と
急速に猪木の実績作りを行った。
野心家の猪木をその気にさせたのはNETなんだよね。 >>42
やっぱり力道だろうとBIだろうと強い外人を迎えうつという図式が要る
馬場も日プロ時代はピンフォール二つとって防衛なんてほぼなかった
ただ独立して差別化しようとしたのか多くの外人にピンフォール二つで
勝負をつけてしまってもう目標やミッションがなくなったのが間違いだったんだろう
ブラジルキニスキーエリック、もう勝ってしまった相手に防衛戦っても客は
また勝つなら観なくても応援しなくても、と思うよ。 ざっと馬場のインター防衛戦の記録を見ると、
初来日の強豪、(キニスキー、エリック、サンマルチノ、コックス)
当たりは引き分けか、リングアウト、反則勝ち防衛だね。
次回も、インター戦を組むために2フォール勝ちは出来ない。
それで2回目も3回目も、日プロ時代は完全決着がなかった。
逆に、A・ネルソン、I・コロフ、S・アリオンあたりには、ちゃんと
2フォール奪っている。もうこのクラスは、次の挑戦はないと
判断されたんだろ。C・マルコフは、反則勝ちとファールのステレート勝ち。
3本勝負ではなく時間無制限1本で、負けたのが昭和44年のフレッド・ブラッシー、
彼も、もうインター挑戦はなし、ということだろう。
43年に再来日で時間無制限1本で早々とフォール負けしたクラッシャーも、
もう御用済みだったのかな?43年の来日はブルーザーとのコンビとは言え、
インター挑戦はなかった。 >>46 >>47
立ち向かう姿、挑戦する姿勢にファンは共感するからね。
ところが馬場は60歳 猪木は50過ぎてまで現役を続け、プロレス界を支配してきた。
これが良くなかった気がする。
(実際に支配していたのはテレビ局だが)
老体を晒してまで現役を続けなくても、40前後できっぱり引退して
鶴田なり藤波長州等に託していれば……
考えてみると力道山は30代後半、初代タイガーマスクは20代半ばに
強烈なインパクトを残したまま消えているし
馬場と同時代に全盛を誇った大鵬や長嶋も30代で引退しているが廻っているんだよね
まぁプロレスが特種なジャンルだから可能なことなんだけどw https://pbs.twimg.com/media/FPXQGdjaMAEoH6E.jpg
エリックはレスラー業を引退してプロモーターに専念したが馬場はそうしなかった
馬場夫妻に息子がいなかったのが原因とされている。カネだけでなく権力に固執したかった >>48
馬場は昭和50年前後猪木は57年くらいに引退すべきだったね。
昭和50年だど流石に日本プロレス至上有数の逸材鶴田でも荷が重いか…
57年の猪木だと藤波長州がいて前田高野谷津平田が控えてるから何とかなったと思うが。 >>49
馬場に息子がいても、エリックのようにレスラーにしてないだろうな。
百田を見てるしねぇ〜
ヒライの息子も大成しなかったし、柴田ができた方かな? 巨人症は遺伝しないので、馬場の魅力が減じる。
元子もやたら高身長なので実子の背が低くなるとは思えないが
ジャイアント・ババ・ジュニアは190pくらいだろう。 >>50
そのくらいの時期に馬場が引退していたら、ホントにサムソンクツワダに乗っ取られていたかも 馬場の家族の体格は普通だったらしいね。
馬場に息子が産まれても、そうはデカくなかった
かも知れないが、元子譲りのキツイ性格で
プロレスラー向きだったかも。 馬場家が養子をとらなかったのはなぜだろうか?
噂される大仁田とか選手引退してさようならになったのは何故?
フロント入りすればいいだけの話だと思うんだよね。 >>56
大仁田が断ったんじゃないかな。
金持ちだし全日オーナーにもなれる可能性が高い等メリットもそりゃあるだろうがやはり馬場夫妻の息子になりたいかと言われたら誰しも二の足を踏むでしょ。 養子じゃないがサイモンみたいな例もあるし
実子だったらオケとはならないけど養子はどうなんだろうか
レスラーはうまくハンドリングできてもテレビとかは?
馬場厚でも馬場健太でもなんかしっくりこないねえ。 >>56
馬場は大仁田と三沢に声掛けてるけど2人に断られて断念したんだろう。 仮に馬場ジュニアがいてプロデビューしたとしても
オヤジの名前がデカ過ぎるし、キャラが強すぎるから
全く別タイプのレスラーを目指すしかないねw 違うタイプか……
ラッシャーみたいな感じだと面白いが、なんとなく田上っぽいかなあ。 >>49
馬場は猪木と違ってプロレスが好きだからな
猪木は若い時からプロレスなんて一生の仕事じゃないと割り切り
政治家や実業家になる野心家だった
馬場が出ないと不満を感じる客がいたから馬場は試合をしてた部分はある
権力とはまた別だと思うけどね
そもそも長生きできないと思っていたから早々と引退して
ハワイで余生を過ごすつもりだった >>60
>オヤジの名前がデカ過ぎるし、キャラが強すぎるから
>全く別タイプのレスラー
百田光雄だな! >>60
しかしイノキナオトってのに何となくプロレスラーとして
期待しちゃう自分がいるんだけど >>62
猪木長州前田はプロレス好きじゃないね。前田はともかくそれでも仕事となると自分に厳しく真面目。 思ったのは3人とも入門時までプロレスファンじゃ無かったッテのは大きいだろうね。
猪木の場合本人かゴーストか知らんが少年時代からのプロレスラー志望なファンだった様に偽装した時期もあったがね。
ブラジル時代はいきるのに必死でそれどころじゃ無かっただろう。
こう言いつつも私は猪木のブラジル時代は言うほど過酷では無かったのではという気もするがね。 >>54
鶴田祐士氏に期待してたんだけどなぁ
顔なんてそっくりだし、身長もそこそこあるし、、何で映画監督なんだよw
LEONAと絡んで欲しかった。 顔が似てるってのは期待ポイントじゃないと思うけど
レオナにしてもそうだが鼻が… 息子が親父超え
ファンクス、ニック、マードック、ジョナサン、オートン、デビアス……
超えられなかった息子
サンマルチノ、キニスキー、ガニア、百田、坂口、藤波、マシーン…… 息子が親父超え
ランディー・サベージ>アンジェロ・ポッフォも
ケリー・フォン・エリックは親父(フリッツ)も
取れなかったNWA世界王者になったが、越えたかどうかは微妙だね。
カート・へニング(元AWA王者)とラリー・へニングの関係も。 ドス・カラスの息子はどうなんだろう なにしろ久しくプロレス見てないし
エディ・ゲレロもそうかな
ルチャの場合2世など腐るほどいるし外国での成功が判断基準のひとつかも >>65
あの体型で「自分に厳しく真面目」は絶対ない デカくてコワくて貫禄があるプロレスラーは、80年代前半でほぼ絶滅した気がする
(以降もポツポツは出現したが)
線が細くなったというか、カッコよくなったというか、、
あと、世界王者がコロコロ代わるのもどうかと思うなぁ〜
最低3年、ブルーノなんて8年保持して権威を保っていた。
上の人も書いてるけど、ケリーやカート、デル・リオは、実績で親父を超えてるけど
昔の"らしいプロレスラー"のイメージじゃないんだよな 大谷事故の記事を見て、アンドレのツームストーンで頸椎損傷になり
再起不能と言われたターザンタイラーを思い出した。
タイラーはリハビリ後に復帰できたが、無理しないで引退して欲しいよ
三沢や高山柴田と、頭部への事故が続いているから恐ろしい。 ノアや旧全日でこういう事態ぎ頻繁に起こらなかったのは奇跡だな。
それを三沢が一気に貰い受けちゃった感じだけど。 馬場は殺人魚雷戦でコーナーに振られた時
背中を変な打ち方して動けなくなった事があったな >>77
受け身の取りそこない、といっても90年代の馬場は脚がついていってなかったし
SWS騒動で大量離脱の心労も重なった時期かな?
日プロ時代もAトーレスのドロップキックで失神(アングル?)とか、
吉村がKKコックスの垂直落下ブレーンバスターの餌食にあってたな >Aトーレスのドロップキックで失神
フライングヘッドシザースだったわ。 >>77
「明るく楽しく激しいプロレス」とか言って、自分は「明るく楽しく」担当とばかりに、前座で悪役商会相手にコミックプロレスの6人タッグやっていたのに、大量離脱で無理矢理メインに出たら、他のレスラーの動きについていけなくて醜態曝したよな。 鶴田がインタビューで「裏切るより裏切られた方が良いじゃないか」
と、馬場に諭されたと語っていたな。 それは諭すという面もなくはないが
ほぼ愚痴じゃない? >>83
一応、天龍も筋を通してるから愚痴ともいえる(笑)
まぁ、プロとして当然の選択だと思うけど、もし同じ条件で新日に誘われていたら
そこは流石に天龍も断るだろうね。
坂口体制で良好な関係だったから有り得ないことだけど 天龍、おまえまさかメガネには行かないよな?
社長ただの噂です、デマです。行きませんよ----。
これ言ってたら「騙された」だろうけど、天龍は騙してないよね?
あって答えの言葉を濁したぐらいだろ。 >>82
それはサムソンクツワダに唆されて全日離脱し新団体設立しようとしたときじゃないのか? >>85
>>82
これに関して言えば天龍が出るのは承知してたけど、その後にボロボロと抜け出して大量離脱になる想定外の事態になったこと。
それに馬場が参った時に鶴田に言った言葉だと思ったけど。
天龍自身も全日本新日本と節操なくこいつも来るの?となって想定外だったとか…(天龍はコロコロ変わるからあまり信用出来ないんだけどね)
んで裁判沙汰になってメガネが開き直って引き抜きしますと口外してたような… >>86
過去にそれがあったから、鶴田に対する皮肉にも聞こえる(笑)
>>87
あぁ、確かそうだったよね。
なかなか馬場は良いこと言うなと、当時は単純に思ったもんだが…
他にも馬場語録では「怪我するレスラーは二流、怪我させるレスラーは三流」とか
「身体は鍛えてきているが、基礎を教えてもらった事がないんじゃないのか」とか
「シュートを超えたものがプロレス」とか、妙に納得できる事をボソッと言ってた。
中にはライターの存在もあるようだが、猪木語録より少ないと思う。 >>88
馬場語録だと「この世界のトラブルは全てヤキモチから産まれる」ってのがリアル
大抵は「なんであいつより俺が下なんだよ?」から始まるからね 昭和40年代のプロレス雑誌って前は3500円とか5000円したんだがいま寧ろ千数百円で買えるんだな・・
普通は古くなればなるほど値段は上がるんだがね・・ >>89
馬場語録ではプロレス界以外でも結構使われる「男のヤキモチは手に負えない」もある。
けれどコレの出典がよく判らなくて「この世界の〜ヤキモチ〜」を元にライターが作った引用した様な気がする。 >>89
>大抵は「なんであいつより俺が下なんだよ?」から始まるからね
境遇の悪かったレスラーは、何故そうなったのか考えもせず他人のせいにする。
49年前の今日、池上本門寺でギブアップ宣言した残党の中にもいる。 力道山は自らの後継者について、違う待遇をしている馬場と猪木をじっくりと見ていた。
側近の1人だった岩田浩氏は
「力道山は二人をスターにしようとはっきりと考えていましたね。
ちがうタイプのプロが張り合って、お客を巻き込んでいく。
そのために二人がライバル心を燃やし合うことを黙って見ていました」と語っている。
二人の性格の違いや年齢差を考えた時、馬場から猪木への移行は規定路線として
力道山の頭の中には出来上がっていたんだろうな。 >>94
馬場が海外遠征で稼いだ莫大なドルを借金して結局、踏み倒したらしいね。
裁判にもなりかけたが、正式な証文を受け取ってない馬場側が泣き寝入りしたとか
馬場を日本へ引き留めるため、日プロが立て替えたんじゃなかったかな? 力道山が急死してしまったから、百田家は苦労したそうで
不動産の形で残ってた遺産は買いたたかれて、残した借金に長年苦しめられた
日プロ経営陣は美味しいところだけ頂いて援助等せず >>96
百田義浩が成人したら日本プロレスの社長を譲ると言う約束をバックれたんだよね>日プロ経営陣
この世界は口約束なんて通じないけどね 力道山の死後に社長になった敬子さんを、負債逃れ?のために追い出したんだよね
(それにより敬子夫人の次の社長は長男義浩とする約束をダラ幹が反故にした形に)
その時に、敬子夫人が同じ会社名の日本プロレスを登記したからややこしくなってるw
代官山と赤坂にふたつの日本プロレスが存在していた。 >>97
口約束が通じないどころか。
契約書や念書があっても、紙切れ一枚で……なんて居直る奴が出てくる世界なんだよ >>99
しかもそれを言ったのが契約社会のアメリカで飯を食っていたマサ斎藤なんだから
他の連中はいかに酷いかわかる
馬場は「プロレス関係者に口約束は通用しない」と身に染みてわかっていたので
レスラーを契約固めにしていたんだろうね
ジャパン・プロ分裂でもSWS裁判でも契約固めが物を言った ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています