英メディアが46年前のアリvs猪木に再脚光!
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https://news.yahoo.co.jp/articles/a2585073c58af050133c0546b47bf7d07012a2c1
「楽に金儲けができると考えていた」アリの負った代償
クローズアップした『talkSPORT』は、「アリは来日後もイノキが本気で闘いの準備をしていると知らずにいたため、リハーサルでの日本人の動きを見た時にルールをぐちゃぐちゃにしなければいけないと感じた」と、その異例ぶりを伝えた。
また、世界的なボクサーに対する特異な戦法であった猪木の“アリキック”については、「アリはあまりの退屈さにブーイングに包まれた会場と同様にイノキに腹を立て、『起き上がれ!』と叫んだ。だが、5回が終わるころには彼の足は血まみれになっていた」と強調する。ちなみに猪木戦から5年後にアリは現役引退を決意するのだが、その理由のひとつが猪木の蹴りによる影響だとも言われている。 もしアリと闘っていたのが猪木ではなく馬場だったら
アリババ戦と呼ばれていたのか? アリはプロボクサー 猪木はプロレスラー
かたや世界的アスリート、こなた極東ローカル劇団員
アスリートと劇団員が「アスリート同士の真剣勝負」という表向きで興行を打つとしたら、
当然アリが猪木のレベルまで降りてもらわないことにはどうにもならない
「私は東京でコール・ガールと戦ってきた。猪木は試合中ずっと仰向けになって、私に『カモン、カモン』と叫び続けたぜ」
モハメド・アリ(帰国直後のインタビューにて) [アリ対猪木 アメリカから見た世界格闘史の特異点]
ジョシュ・グロス 著 1980円(税込)
内容紹介
世界最高峰の舞台、UFCを産み落とした「禁断の果実」。
歴史的一戦の裏側に迫る米国発のノンフィクション!!
なぜ、アリはレスラーと戦ったのか?
なぜ、米国マット界は団結したのか?
なぜ、シュートマッチになったのか? プロレスがショーでありフェイク(インチキ)であることはアメリカでは常識である。
インテリはプロレスなど見ない。プロレスとは知性も教養もない連中の欲求不満解消の手段に過ぎないのだ。
https://i.imgur.com/5F5ZITS.jpg プロレスがショーでありフェイク(インチキ)であることはアメリカでは常識であるから
アリも最初は猪木戦はヤオだと信じて話に乗ったんだね アリのすごいところは 猪木との闘いを歴史に誤魔化さず
アリVS猪木 引き分け と記載しているところだ! 猪木「モンスターマンさん、僕は日本で強い男だと思われています。そんなファンの夢を壊す訳にはいきません。謝礼は十分にお支払しますので、どうか八百長試合で僕に勝ち役を演じさせて下さい。僕のこの土下座に免じて願いを聞き入れて下さい、お願い致します」 >>11
映画の中のロッキー・バルボア対サンダー・リップスのようなエンタ試合だったら組み込んだかもね 日本のプロレス関係者って「ぐちゃぐちゃ」って言い方好きだよな 巨人の中田翔にMMAの練習を2週間積ませて、タイムマシンで連れて来た全盛期の猪木と戦わせたら、2分ぐらいで猪木はしぬと思う。 アリの饒舌がラウンドが進むにつれて無口になっていったのが印象的だったな。 >>14
1塁までの全力疾走で腰痛ぶり返す中田翔がMMAの練習を2週間?w なぜか誰も猪木のシューズがやぶれたことに触れないが
あれ鉄板しこんでたからやぶれたんだろ あれ猪木だから引き分けで済んだけど、
相手が馬場だったらアリは15Rも持たなかったな。
馬場に蹴り続けられたらたまったもんではないわな。 当時の朝日新聞では猪木サイドがブックを持ち掛けてもアリサイドが拒否してあんな展開になったんじゃないの。 >>22
アリがプロレスやりに来てなかったってこと?アリえない
プロレス大好きなのに日本まで態々来てみたらシリアスなことやらされて可哀想すぎる
騙し討ちに準備期間もなくリングに上がったアリはとても誇り高い男、猪木は好きだがこの試合はちょっとどうかと思う
もちろん猪木も非常に辛い試合だった
雁字搦めとは言わずとも転ばして肘打ちしたらブレイクになったのは事実だし この試合、内容的には実に退屈な展開だが、
アリ陣営のセコンドの落ち着きの無さに注目すると面白い。
アリの脚を心配してなのか、セコンドが猪木のシューズにクレームをつける時間稼ぎにも笑える。
猪木アリ戦てのはあの出来事自体が(今風にいうならば)放送事故だよねw 2016年に放送された字幕付きの猪木アリ戦は見ごたえがあった 試合終了直後のリング上で猪木が坂口に「怖かった」と言ってるシーンがあるよね。
猪木はそんな声カメラに拾われてるとは思ってなかっただろうな。 丹 道夫(たん みちお、1935年(昭和10年)12月15日)は、日本の実業家。名代富士そばを運営するダイタングループの創業者である。
生い立ち編集
1935年(昭和10年)に名古屋市で生まれ、生後すぐに父親が死去したため、母親の実家のある愛媛県西条市に転居。父親の大野釜次郎は陸軍省から払い下げを受けた革製の馬具をカバンなどに仕立て直して売る商売で成功していた[1]。母親は愛媛で芸者となり、道夫が4歳のとき、17歳年上の丹高助と再婚。丹は新居郡大保木村(現・西条市)で山林の立木を測定する仕事のほかに借家業を営み裕福だったが[1]、弟が生まれて以降道夫に辛く当たり重労働を課すようになった[2]。大保木国民学校(のちの村立大保木小学校)を経て村立大保木中学校入学直前に肺門リンパ腺炎を患い、3か月間療養する[2]。愛媛県立西条南高校農業科(現・愛媛県立西条高等学校(定時制))を経て、東京栄養食糧専門学校を卒業[3][4]。 >>4
アリ対猪木
検証を行うと猪木は寝ていた時間より立っていた時間の方がずっと長い
「猪木はずっと寝ていた」
バカが簡単に印象操作されてしまういい例 >>10
モンスターマンは元からプロレスをやりに来日しているのがわからんのか
頭悪すぎだろ
お前みたいなのが実は一番猪木やプロレスを過大評価してた馬鹿 >>20
馬場が下から蹴られたらファンタジーだな
やってみるとわかるが腹筋と首がキツい 映画化してほしいわ
アリ陣営猪木陣営にビンス親子まで絡んでくるんだから絶対面白くなるはず ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています