【慎重居士】BI砲を考える5【夢追い人】
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大塚直樹は新間から「とにかく興行打ってこい」と言われて奔走していて、その値段では採算が合わないことを、後で知らされてガックリしたということかな。 https://pbs.twimg.com/media/FG3WtO7aIAAJk2T.jpg
この時の猪木の求心力は凄かった。
試合終わっても執拗に武藤選手を殴り続ける猪木に観客は釘付け。
若手セコンドらは戸惑いながらも理解し「武藤行け!」と。
ケロも我を忘れ「武藤!」とゲキ。
実況席では小鉄が「やらせた方がいい」と涙流してるという。
これぞ新日本プロレスと思った。 >>953
スピンクス戦後の猪木に求心力なんてあったかなぁ
武藤凱旋シリーズの最終戦だったと思うけど
生中継の時間が余り過ぎたから武藤が無駄に標的になったとしか思えないし、
健吾がパイプ椅子持って控え室に乗り込んだのも理解できる。
まぁ自分の限界が見えたから、武藤にハッパかけたと捉えることもできるが… >>953
藤波が欠場していなければ、実現していないカード。
セミファイナルのウイリアムス×バーバリアンはド迫力だった。
当初カードは、武藤×ケビン、猪木×ウイリアムス、藤波×木村。 日本国内でBIとタッグを組んだ外国人レスラー
馬場→デスト・ブルーノ・テリー・ドリー・ブッチャー・アンドレ・ハンセン
猪木→バックランド・ローデス・ホーガン・アンドレ・ケビン・マードック・シン
両者ともに7組しか思い出せない。 馬場はスティムボートやオブライトとあったような
トリオありだとマスカラスとも組んでる >>958
馬場は、アントン・ヘーシンクともタッグを組んだ。
(彼のデビュー戦で) ヘーシンクは全日本の一員だからな
それだとテンタやスリンガーも該当する >>958
6人タッグなら、馬場・ドリー・ケリー組があった。 >>963
75年新春ジャイアントシリーズで1度だけ6人タッグで組んでるね。
馬場・デストロイヤー・ソン(2-1)ハリケーン・バスチェン・デュラン
海外では、74年6月20日アマリロで馬場・ソン組がファンクスのインタータッグに挑戦
この遠征では、6月25日フロリダ州タンパでのテキサストルネードマッチ6人タッグ
ローデス&ブリスコ弟&ムラコvs馬場&コリアン・アサシン&ザ・サモアン戦もあり
馬場と小林のタッグも実現している。
前日24日には、最後のMSG出場でゴリラ・モンスーンに勝利している。
馬場はぁマスカラスやドスとも組んどるぞぇ。
猪木はぁシビリと組んだぞぇ。
後はぁ96年にぃロスで猪木はぁタクタロフっちゅうのと組んだはずだかんな。
相手にゃあ藤原がおって。
個人的にゃ猪木とハンセンや猪木とベイダーのタッグも見たかったんよぉー。
90年代後半にゃあ猪木、ベイダーのタッグが組まれそぉだったかんな。
ベイダーもぉ猪木とのタッグを熱望しちょったしぃー。
後はぁ猪木とハンセンもぉ90年代前半ならぁ実現したかもぉ。
新日と全日の業務提携がぁー継続されちょったらの話だがな。
猪木 ハンセン組や猪木 ベイダー組なんかはぁ本当にワクワクだかんな。
相手はぁ長州や藤波がおった方がいいだろぉしぃー。
猪木とベイダーはぁいいコンビになりそぉだがぁー。
90年代後半にぃドームでそぉゆぅ試合組めば良かったんよぉー。
しかしぃ猪木とハンセンは無理があった。
ハンセンがぁーこの時期にぃー新日に上がるっちゅうのぁ難しかったしぃー。
でもぉ個人的にゃあ猪木 ベイダーと猪木 ハンセンのタッグは見たかったぞぇー。
BIがタッグを組んだ海外修行時代を調べてみると
馬場(62年〜63年)スカル・マーフィー、ハンス・シュミット、ブレッド・アトキンス
キラー・コワルスキー、エンリキ・トーレス、ディック・ハットン、DLジョナサン
Eカーペンティア、アーニー・ラッド…
猪木(65年)リッパー・コリンズ、ボブ・エリス、タイガー・コンウェイ
ビクター・リベラ、ビリー・レッド・ライオン、KKコックス…
馬場はメインテリトリーで活躍しただけあって、夢のコンビ結成が多い。 馬場は1967年11月ロスに遠征し、B・ブラジルと組んで
F・ブラッシー&B・オースチンの保持するWWA世界タッグに挑戦。
これは凄い試合だ。
その後、69年から暮れにロスで試合を行い、71年12月は、
J・トロスと組んでキンジ渋谷&マサ斎藤組と金網タッグマッチを行った。 71年のロスの試合では馬場は派手なマイクアピールを
やってるはず。やればできたのに >>968
71年12月と言えば猪木追放直後だから、馬場もモヤモヤしてただろうな
もしかして、馬場生涯唯一の金網マッチなのかな? しかも馬場と斎藤の日本人対決!
ただこれが翌年の斎藤帰国にはつながったよう そういえば馬場って日本のリングではマイクアピールってやったことないんだっけか?
還暦の時にリング上で徳光のインタビューとかあったけど、対戦相手にマイクアピールとか見た覚えがないな 例のハンセン乱入の時ぐらいかな。
「ただいまハンセンが・・・・もごもご・・・ハンセンと決着をつけることに
します」」
うおおおお! 格闘技の猪木vs馬場戦みたいな那須川天心vs武尊が遂に実現する。
今のプロレスに超ドリームマッチが無いのは残念だ。 >>971
日本プロレス時代は、リング上ではなく
試合後、放送席に行って「来週のブラッシーとのインター戦、
カ○ワにしてやる!」と発言したことはある。
当時(’69年)、その言葉は放送OKだった。
ちなみに、その試合は馬場対Sマフィーだったが、ブラッシーが乱入した。
猪木も「今度、大阪のインタータッグ戦ではブラジルを卍で決めます!」
とかエキサイトした時は、「あいつ、今度、半殺しにします!」
とか言っていたが、リング上だったかな?
放送席だったような気がする。 >>974
試合後のリング上のインタビュー形式があったし
放送席で喋るパターンもあったし
発言自体はよくあったね 猪木が「今度のインタータッグ戦ではブラジルを卍で決めます!」
と予告したのは大阪ではなく70年1月27日、東京体育館だった。
(ブラジルのパートナーはデール・ルイス)
そして、やはりリング上だったようだが、いずれにしても
アナウンサーのインタビューに答えたモノで、今のように
マイクを要求して自分からアピールするものではなかったと思う。
そういうのはいつからかな?日本プロレスではならなかったと思う。
記憶にあるのは新日で、73年秋に、ジョニーバレンタインが来日して
坂口と対戦。坂口がボコボコにやられ、試合後救援に駆けつけた猪木が
坂口とちょっと言葉を交わした後、「坂口はバレンタインを再戦をします!」
と宣言していたよ。あれは本人に言わせるべきだったと思うが、
坂口もアピールが下手だからね。 >>971
1984年の最強タッグ愛知大会。メインのファンクス対ハンセン・ブロディが終了後、
馬場がリングに登場。ファンクスに控室に帰るように促した後、マイクを持って
「長州、上がってこい!」 馬場のマイクアピールというか、猪木のパフォーマンスに対する「よし、やろう!!」
基本、全日のレスラーは派手なアピールを許されなかったし
猪木のような声の通った選手も少なかったからね。
でも、放送席のマイクでドスの効いた声でアピールしたエリックやレイスは迫力あったなw 日プロ時代は客席へのマイクアピールより
テレビ放送席にアピールするのが多かった TV中継席でのマイクアピールではなく、リングアナ用マイクを使ったリング上でのマイクアピールを日本で最初にやったレスラーは誰で、その時期はいつなんだろう?
猪木が日本プロレス時代のどこかでやったのが最初だろうと思うけど。 >>981
「徳光のプロレス自慢できる話」で、古舘が父親と一緒に日本プロレスを観戦した時に
猪木がマイクアピール?していた話があったような、、
もしかしたら好き勝手できる東京プロレス時代にやっていたかもね。 がっつりしたマイクアピールで
一番古い記憶は実は
1975年の国際新春シリーズ後楽園大会での
ラッシャー木村なんだがねw
ダニーリンチへの決着を訴えつつ
「社長、さっきは興奮してすいませんでした」
「全く私は新年からついてないですよ」と
ぼやきも交えて結構長々とアピールした。
もしかして国際がらみでは結構前から
あったか 例えば、今は当たり前になっている「選手権試合の後、王者に対して
挑戦をアピールする」マイク。
これは、日プロも、新日、全日の初期は、挑戦者が外人選手だから難しい。
来シリーズ参加する選手だったら来日さえしていない。
そう考えると、次期挑戦者がリング上で「私が○○に挑戦します!」とアピール
したのは、1973年6月頃、国際プロレスのラッシャー木村だったかも知れない。
(対ストロング小林) 国際だったら、シャチ横内の裏切りで草津と遺恨マッチに発展した時や
木村が凱旋して、ドクター・デスとの因縁から初の金網デスマッチに
足を踏み入れる過程で、いつも解説していた吉原に直訴していたかも ゴッチとロビンソンが対決前に
マイクで試合への意気込みを語るというのは
あったな。
これはインタビュー形式ではなくて一人喋りだった。 1985年新春黄金シリーズの藤波×ホーガン。試合後に英語でWWF王座への
挑戦をアピールした藤波がカッコ良かったな。 >>987
藤波は日本語では何言ってるのかわからないのに
英語ははっきりと聞き取れるんだよなw 猪木の場合、TV放送席でのマイクアピールや、リング上でTV局のアナウンサーにインタビューされる中でのマイクアピールは、日本プロレス時代や新日の初期にあったと思うけど、自らリングアナのマイクを持ち出しリング上から客席に向かってするマイクアピールは、この時期にはなかったかもしれない。
もしかしたら、猪木は、リングアナのマイクでリング上からするマイクアピールを、モハメドアリ戦以後、彼の影響を受けて始めたのではないかと思う。
特に、アリ戦後、上田馬之助が新日マットに登場し出した頃から、猪木が自らマイクを持ち出しリング上でするマイクアピールが増えたように思う。 >>991
スレ立て乙
できれば、Gサービス×闘魂ショップの方がよかったw このスレッドは1000を超えました。
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