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>>333 理由↓プヲタ社会的に無価値になったから
592 お前名無しだろ (オッペケ Sr5f-A0sD) 2021/04/10 12:40:04
>>591
80〜90年代のプロレス雑誌も絶賛暴落中だな
http://imepic.jp/20210509/612750/Pqsg
週プロ、週ゴンが39〜50冊まとめ売りでナンと一円w
一冊当たり2銭=通過単位0.02円也ww
他ジャンルじゃあり得ないたたき売り落札w
今読めば下らん駄文満載の活字ナンタラの経済的暴落はまさに底が丸見えの底無し沼だねぇww
十数年前なら、資料用に未読誌集めてるライターや物好きなんかには需要があってそれなりの値が付いたけど
今や回顧(懐古)本も全〜〜然売れないから二束三文いや、 50冊1円という惨状w
609 お前名無しだろ (ワッチョイW df24-A0sD) 2021/04/11 00:54:44
>>592
ついでだけど、かのNさんが言ってたけど
AWAのオフィシャルニューズレターやってたジェームズ・メルビーと生前に「これまでに活字詐欺で何人の『伝説の強豪』をデッチ上げてきたかなw」って談笑したとかw
80〜90年代のサブカル馬鹿ヲタクはそのもの頃一円落札物件なんかでよく使ってた「伝説の強豪」って言い回しにコロッと騙されてたと
あの世代交代のプロレス好きは致命的に基礎学力ないから
形而上・形而下どちらでも実証できないネタでもちょっとした語感やイメージでカッコ良さげなフレーズ見るとすぐ乗っちゃうから簡単に騙されると
今も昔のインチキ情報をろくに検証もしないでまんま自慢気にツイッターやらネットに書き込んでる基礎学力も怪しげなバカが結構いるとw
懐古ネタのウンチクひけらかしが如何に間抜けで愚鈍な所業かを悟ったからね
ネットで浅ましく卑しい承認欲求満たすような愚行は金輪際やらないな、俺はねww 451 お前名無しだろ (ワッチョイW 1724-WfiA) 2021/04/17 23:47:05
>>374
活字ナンタラの元凶、山本のツイッターは最高に笑えるな
http://imepic.jp/20210509/609530/sOkS
昔は「ぷろれすについて哲学することだった」だトカw
http://imepic.jp/20210509/610010/Ezbq
それ受けたバカレスがこりゃまた
「最近のプロレスの進化? アミューズメント 化? は仮面ライダーで言うと、 昭和ライダ ーと平成ライダーの違いとよく似てるんじ 無いですか?
昭和ライダーを見ていた世代からすると、 平成ライダーは受け入れがたい印象で、もはや仮面ライダーじゃなくていいでしょ! って感じ。」
仮面ライダー哲学とかぁw幼稚なサブカルバカ丸出しw
それに輪をかけてバカの上塗りするように…
「ライダーの例えが秀逸です。」だと
さらにさらに
「戦いはデメリットがあるから哲学する必要 があるけど」
とか、もう意味不明の極致w
プロレス雑誌の駄文はいいから、一度ショーペンハウアーでも読めよなw
>>335 にあるように
語感やイメージでカッコ良さげなフレーズ見るとすぐ乗っちゃうから簡単に騙されるとw
なんだけど、昔ながらの活字ナンタラヲタってカッコ良さげの基準が致命的にダサいんだよな
こぉりゃ、残念ですけど今や50冊一円の価値しかないよw
487 お前名無しだろ (オッペケ Sr8b-WfiA) 2021/04/18 23:00:08
>>451
山本も下手に哲学とか迂闊にツイートすると馬鹿な懐古系ヲタが昭和の仮面ライダーだのハンセンだのアンドレだのとアホ丸出しな食い付きするから、とんだ藪蛇だわなww
イマドキのファンに昔の活字プロレスがいかに陳腐なシロモノだったかw
懐古経験に輪をかけて全日本系ヲタになると単に活字コンプレックスの塊だったとか、馬鹿っぷり晒すだけだもんな
682 お前名無しだろ (オッペケ Sr39-4i8b) 2021/04/24 20:32:47
>>451
その哲学っての、とある一般女子が「余所事ながら、こっ恥ずかしい」って思いっきり笑ってたな
昔なら哲学とか書かれて深く考えずに「満更でもないなw」って選手もいたかも知れんが
今なら当事者の選手も腹抱えて笑うだろうねw 374 お前名無しだろ (オッペケ Sr8b-FCJ0) 2021/04/16 07:15:22
>>335
当時の専門誌が50冊束になって最低通貨単位の一円でオークション落札されたのはそりゃ、その時代ひっくるめたジャンルそのものが「無価値になった」証拠だよな
活字プロレスとかさあ、浅薄で幼稚な子供騙しの言葉遊びに嵌まった奴等で未だにそれ引き摺ってる連中のアノ人達は今?w
がSNSとかで確認できるけど、プヲタブログなんか見ると活字プロレスに騙されて以来、他人の不幸探しまくって見つけては嬉々とするとかね
精神的には貧しくなって思いっきり悲惨な30年を送ってきたってのを晒してるだけだからなあ 558 お前名無しだろ (ワッチョイW 1724-ueAK) 2021/04/22 12:40:19
>>549
懐古プロレス好き全日本ヲタは底の浅さがバレてツイッターでも相手にされなくなったなw
懐古プロレスの価値自体が大暴落してるという事実が衆目一致した見解になりつつあるからかも
実際、こういうネタで商売してた奴らも各方向からオファーが激減してるし
↓
この後、この年代の出品・落札履歴なんかも殆んどナシw
数年前は一札3000円位で落札されてたのに昭和レトロプロレスアイテムの超大暴落っぷり見てると馬場だの猪木だのってこの辺は「本当に」オワコンだなw
市場は正直だからな
数年前は一札3000円位で落札されてたのに昭和レトロプロレスアイテムの超大暴落っぷり見てると馬場だの猪木だのってこの辺は「本当に」オワコンだなw
市場は正直だからな お前名無しだろ (ワッチョイW 8324-yKFi) 2020/10/05 12:02:42
>>503 のソース拓取ったから啓蒙ついでに貼っとこう
http://imepic.jp/20210509/613840/SV56 >>8
「一札3,000円」
ゴングみたいな誤植だね、 荒らされちゃったけどこのまま行くしかないかね。。
樋口は外人レスラーに厳しくどなってレスラーも言うことを聞くとはよく言われてるね 昨夜のクラシック再放送
ハンセン初来日やってたけど、対デスト戦の蔵前はメインが馬場vs大木だよね?
それで放送内で倉持さんや山田さんがやたら「超満員」「立錐の余地もない」「券は完売」
そんな事をやたら強調してたんだけど、それほど連呼するという事は本当に入ったんだろうと思う。
それで1975年当時の全日の人気も含めて疑問なのは、
前年に猪木に完敗した大木が馬場とのシングルでメイン、セミがデストvs無名のハンセン
これで本当に蔵前が札止めになるほど興味あるカードというか、ムードだったの?
日プロ時代の兄弟弟子対決とか、ノスタルジックを求めるファンだけで埋まるとは思えないし。
大木を中心軸として猪木と馬場の力量などを知りたい心理とかあったのかな…。 >>13
その日はブッチャーvs鶴田が名目上のメイン
もちろん当日の客の目当ては馬場対大木だった
満員をやたら強調していたのは
それまでが主催者発表位ほどには集客してなかったという事だろう
創立1周年やヘーシンクデビュー戦よりも入ってたんじゃないかな
それくらい馬場の対日本人は関心を集めた
ただしあの試合の内容がその後の集客には繋がらず
猪木との関係を逆転させることもなく
馬場のシングル路線は以降は
ファンの興味を大きく集めて興行につなげられる価値尾失っていったことも事実 >>14
「かちお」と打っちゃったのか、「かちを」と打たないと。それともsiriかな? >>14
>それくらい馬場の対日本人は関心を集めた
>ただしあの試合の内容がその後の集客には繋がらず
「宿命の対決」とか煽ってた割に、馬場VS大木戦は
大して盛り上がりもせずにすぐ終わっちゃったからな。
あれじゃ次への期待感が膨らまないよ。
猪木を意識し過ぎた馬場が短時間決着にこだわったことに加え、
フィニッシュのネックブリーカーが説得力に欠けたのが原因だろう。
体が硬い上に倒れ方の下手な大木相手からは、違う技で3カウント
奪うべきだったな。 >>13
渕が書いてたが、元子が国技館の人から「猪木vs小林戦より入った」って言われるほどの入りだったらしい。
東スポも煽ってたし、馬場の対日本人(大木は日本人じゃないから同門対決)へのファンの興味の大きさなんだろうな。
カーニバルもこの時点ではまだトーナメント制で日本人対決やってないし、
鶴田とのシングル戦もこの年暮のオープン選手権からだし。 当時のプロレスは、長時間が好試合みたいな風潮がまだ残ってたからな。
馬場が大木を6分、ロビンソンを21分で料理した試合は後年の感覚で見ると
「内容が凝縮された好勝負」となるんだがなw https://pbs.twimg.com/media/EzF7XwIVUAECTC7.jpg
馬場、猪木、大木は三銃士と呼ばれてた時代もあったのか
馬場と猪木より大木はかなり早くデビューしてるから
正確には日プロ三羽烏ではないんだよな >>19
日付がわからんけど、猪木の初修行目前の時期ってことは力道山が亡くなって間もない頃か
鈴木はもう影も形もないね。
にしても、大木は馬場より8歳、猪木より13歳も上なんだから三銃士ってのは無理あるね。
実年齢明らかになったのはだいぶ後だと思うけど、いくつサバ読んでたんだろう。 馬場が武者修行から帰って来てだから63年で
6月1日は本文にある 皆さんありがとう、事情がよくわかったよ
馬場大木戦が大入りになった理由を読んで思い出したのが
馬場ハンセンの初戦の大入り、猪木に何度もやられてるハンセンだけど
そういう点とは別に「ハンセンとやったらどうなるか?」という日常風景とは異なる興味は大きい
大木戦も似たような異風景を当時のファンの方々は感じたのかな?
そういえばジャパンや長州が完全に離脱した後の武道館
かなりガラガラになるかと思ったら、予想外で7割ぐらいは入ってたように見えた
ウォリアーズがいたとはいえ、大健闘の入りだと思った
たぶん馬場の異種格闘技が大きかったと思う(天龍と原が革命開始直後もあるか?)
しかし…大木は外敵としてはすごく有能だったんだね
エースとしては団体を持たせられなかったのに、猪木と馬場の相手として連年で蔵前を埋めるとは。
自分がエースだと団体不振だけど外敵としては動員力がある大木は
後のWARの天龍が新日のビッグマッチの主役だったのと似てる気がする。 YouTubeに大量に76,77年のチャンピオンカーニバルが投稿されてるが、なかなか面白いな
小鹿vs高千穂とか大熊vsクツワダとかなんでテレビマッチにしたんだってのも多いけど意外と面白い
つかよみうりの竹山アナ、この頃の方がマシな実況してるw
キャリアを積むごとに下手になっていったからなぁ >>17
>>渕が書いてたが、元子が国技館の人から「猪木vs小林戦より入った」って言われるほどの入りだったらしい。
国技館の人→元子→淵の伝言ゲームとはいえあの(入りが伝説の)猪木小林より入ったとは信じられないなぁ
大木のあっちの関係者を大動員したのかな 消防署が「これ以上入れてはならない」と言うほどの大入りだった。 >>14
ブッチャー対鶴田はUS王座を懸ける事でノンタイトルの馬場対大木よりも後になる体裁を取ったんだよな
ともあれ鶴田にとっては蔵前での初のシングルメインでありブッチャーにとっては唯一となる >>20
大木は4歳サバ読んでいたらしいよ
よって初のアメリカ行きが表向きでも30歳という事になるから
あまり若手というイメージは持たれていなかったのかも >>19
大木、髪長い方がかっこいいじゃないか
やっぱり頭突きを強調するために坊主頭にしたのかな?
それともただ薄くなってきただけか? >>13
そりゃ大木のネームバリューは大きかったろう。
日プロでプロレスが国民的娯楽だった時代に、毎週ゴールデンに出てたんだから、知名度は想像もつかないくらいだと思うぞ。
大体、ビッグマッチのメインなんて、後から見たら「ショボ〜っ」て思うものが少なくない。
新日のドームなんてほとんどがそう。よくこれでドーム埋められたなあって思うカードがほとんど。 >>19
デビューが早いから三羽烏ではない、の意味がわからん。 >>22
大木と天龍を一緒にすんなよ。
エースで団体不振なんて、長州や武藤もそうだろうが。
あまりにも比較が短絡的すぎる。 >>30
同期なのが三羽烏、と思ってるんじゃないかな? >>22
全日創立以来、最高の観客動員だった。
興業不振の打開として^木戦で商品価値の上がり新日のワールドリーグ戦を盛り上げた
大木の引き抜きを画策した馬場は小鹿を密使として接触させて新日とは「シリーズ毎の
契約」と確認して韓国遠征に行った馬場を大木が待ち受けて挑戦を迫りそれをゴングが
撮ると言うストーリーで全日らしからぬ劇的な展開で盛り上がった中で行われた因縁の
対決だった。ただ大木の体調不良と馬場も一週間前にブッチャーに受けた頭部の怪我で
万全で無く長い時間は試合ができなかった。試合時間は短かったが試合前からスリルが
あり好試合だった。引き抜かれた新日は坂口を守るためには大木は自分から離脱して
くれて幸運だったので騒ぎ立てなかった。オープン選手権をぶち上げたりその挨拶で
国プロ勢を登場させたり「守りの馬場」らしからぬ「攻めの馬場」だった・・・ >>18
80年代に出された複数のプロレス名勝負本でも馬場対大木は短時間だが馬場の試合
としては例外的なほど殺気に満ちた忘れられない試合と絶賛されてた
どうも大木戦、勝つには勝ったが16文キャッチされてドロップキックされたり酷い目に合わされた
ロビンソン戦に関しては見てもいないやつの知ったか発言が目立つ まあ内容に比べてフィニッシュがしまらないのは猪木対大木と馬場対大木
の共通点だなw
後ろ向きのうっちゃりみたいなバックドロップに前にもあった置物が倒れる
ようなフライングネックブリーカー
大木の受けの下手さのせい >>30
年が離れてるから三銃士ってのに無理があるってのも.。 全日での大木は、馬場との宿命の対決より
ブッチャーとの石頭世界一決定戦の方が盛り上がった気が。
大木との絡みで、誰とでも因縁を作れるブッチャーの価値が一段と上がったな。
まだメインにいたブラジルにもぜひ絡んでほしかった。 三銃士と三羽烏ではイメージが違ってくるけどな
元ネタの小説三銃士ではダルタニアンとアトスの年齢差は10歳近くあったから馬場・猪木・大木に使われても何ら違和感はない
三羽烏は他スポーツでは同期や年が離れていても2〜3歳以内で使われるケースがほとんど というか元々の三銃士にはダルタニアス入ってなくて最初は見習い
ドリフターズにおけるすわさんじみたいな立場だろw 間違った、ダルタニアスはロボットアニメだw
まあ後には正式メンバーに昇格したからすわじゃなく志村だな >>33
>韓国遠征に行った馬場を大木が待ち受けて挑戦を迫りそれをゴングが撮ると言うストーリー
その記事読んだが、血相変えて「俺の挑戦を受けろ」と迫る大木に、馬場が「受けてもいいが、
新日本との契約は大丈夫か。トラブルは困るぞ」と冷静に切り返しているのが印象的だった。
契約クリアしていることを承知のうえで一芝居売っていたのか、それとも本当に
トラブルになることを心配していたのか。
>>38
プロ野球だと長嶋、杉浦、本屋敷の3人が立教三羽烏って呼ばれてたな
同級生だから全員同じ歳
芸能界だと、仲代、平幹、加藤剛の3人が俳優座三羽烏だったっけ
仲代と加藤は5歳差だったからまあ許容範囲か。
そう考えると、闘魂三銃士も三羽烏のほうがよかったかもね。 その手の数字グループの年齢差で有名なのは徳川四天王
年齢でだけでなく立場も、家康より年上で累代の重臣の酒井と
小身の旗本から家康直々に取り立てた本多、榊原、井伊が色々違いすぎといわれてる >>38
使われるケースがほとんど、って言うても別にそんな決まりはなかろう。
実際に力道山道場の三羽烏として使われてるんだから。 >>37
ブラジルと大木が世界一決定戦と個人的には思っていたが、大木が頭突き食らってフラフラしてたなあ。ブラジルが一番なんだと思った。 ブラジル対大木は末期日プロでやっちゃったのがプレミアム感を損なわせたのかもね
馬場もいったんはそれをなかったことにしてブラジルをエース外人として招聘したけど
もう一方の当事者の大木まで全日に来てしまった >>45
クラシックの馬場・大木vsブラジル・マルコフで頭突き合戦があったね
大木がフラついていた様子を見てブラジルがそれ以上追わなかった
日本での大木の立場を察したブラジルの暗黙の優しさ?というか、
そのぶん頭突きの標的が馬場に向けられたけどw >>44
同年代の有望株3人を表す形容詞に三羽烏を使うケースが多いって事実をただ述べただけで
そんな決まりやルールがあるなんてただの一言も言っていないが? >>46
>ブラジル対大木は末期日プロでやっちゃったのがプレミアム感を損なわせたのかもね
さすがに見たことはないのだが、馬場が抜けて日プロのエースに繰り上がった大木は
エースらしいファイトを意識したのか、頭突きを封印してオールラウンドファイターになった
と誰かの本だ読んだ記憶があるが >>49
大木の定番は「頭突き」「足4の字」「ブレーンバスター」「キーロック」だが
猪木が抜けたら"卍固め"やったりしてたな 大木が頭突きを封印したというとアジアリーグのミスター・?戦を思い出してしまったw >>50
X固めってあったよね
その後高杉に継承された >>51
ミスタークエスチョン。国籍はインド。
大木金太郎がマスクを被ってふざけてるホテルの部屋を強襲。
頭突きで応戦しようとするも自分と対戦する前に使うと正体もバレる上、自分の頭突きの威力までわからせてしまうのはいかんとして、頭突きを封印して応戦した。
こんなところでよろしいか?アジアリーグの結果など詳しくは漫画・アニメでどうぞ。 ので、漫画・アニメで理解していただきたい。まったくもってすみません。 実際その状態で試合をしているところは見たことないのだが、
大木が白タイツ履いて首にチョーカーつけてる写真見たことがある。
あれも日プロ末期の繰り上げエース時代のものだったんだろうか。 蔵前の一騎打ちから1〜2年ぐらいなのに馬場と大木が黒磯で、馬場とロビンソンが
小樽ではねえ。 >>59
いかに蔵前での初戦が肝心だったかってのも分かるな 大木でそんなに集客なかったんじゃないの?一度勝てば良いから呼んだだけで 関東なら横浜文体、北海道なら札幌中島あたりなら良かったけどな 格のあるレスラーが団体をクロスすると最初は集客があるからね、最初は
1年経ったらしいらないよ、試合で魅せたり順々なわけでもないし インタータッグ戦で、大木を応援してた観客がかなりエキサイトしたって記述があるが
たしか大阪だったっけ。 読み返したら誤字だらけ失礼w
鶴橋や新大久保とかから集客あったのかな >>33
長い試合ができなかったんじゃなくて
馬場は猪木より短い時間で大木に勝ちたかったというのを見たことある >>23
それ見たいんだがなかなか見つけられない。 75年の4月まで新日に出ていて10月に馬場VS大木
ロビンソン戦やハンセン戦もそうだが馬場は意外と「鉄は熱いうちに打て」でさっさとやるね
ロビンソン戦も猪木戦から7か月しか空いていない 当時、馬場も猪木も新顔のシリーズエースとはほぼタイトル戦組んでたよね。 75〜76年に日本プロレスが活動してたとし、UN王者猪木vsロビンソン(ドロー)、
インター王者馬場vsロビンソン(馬場の完勝)
同じような結果になっていたと思うな >>10
>樋口がマスカラスにキレたエピソードはよ
プライベートな時間は衆目に晒されないという契約込みで招聘されてるんだよ
フェリーで一般客に混じって雑魚寝させられて違約金も出さない
このエピソードは全日の恥なのに樋口はさすが輩だな >>69
>ロビンソン戦やハンセン戦もそうだが馬場は意外と「鉄は熱いうちに打て」でさっさとやるね
ハンセンはともかく、ロビンソンに関しては明らかに「こいつとはあまり絡みたくない。
さっさと決着つけて、あとはジャンボに相手してもらおう」って感じだったね
>>70
猪木vsブッチャー戦にぶつけたのが馬場vsハンセン戦だったからな
本来ならシン戦をもってくるべきところなのに
まあブッチャーとシンの商品価値が落ちた3年後にはその流れが実現したけど >>73
フェリーの隣客がマスカラスってこともあったのかwまあ離島フェリーだとあり得そうだ 「大木戦やロビンソン戦は勝負論にこだわり、相手はこの2人だが
実は猪木との間接的な対決であり、それが「猪木より速いタイムで始末する」だった。
↑
よくこう論評されてるけど、大木もロビンソンも1975年で対決、つまNWA王者になった翌年…
逆にいえばブリスコからNWAを奪っただけでは世論というか、新日や猪木の猛攻や
プロレス界での評価は覆いつくす事はできなかった、だから間接的に大木やロビンソンを利用した、って感じで合ってる?
リアルタイムでの雰囲気は知らないから。 馬場VSシンって今思い返しても全然ファンから待望されてなかったな
「どうせ不透明決着しかならない」と思われていたのか
ブッチャーもシンも当時すでに出がらしだったという事なのか コブラツイストでフィニッシュってのはやっぱり分かりやすい当て擦り? ジャパン時代の試合だから猪木関係ないんじゃない?ランニングネックブリーカーをシンがキチンと受けるのが出来なかったか拒否したか
単純な技だが身長が低い相手だと相手がジャンプしないと奇麗に決まらない、シンは身長あるけど >>73
アホか。
マスカラスはツアーの移動中に何度も
ファンの写真撮影に応じているが、
あれは自ら契約を破ったのか?
それともそのファンがドスを監禁・人質に取られてやむなく応じたとでも?
そんな非現実的な契約なんてあるはずないだろ。 マスカラスが沖縄だか奄美を回るツアーで漁船に乗せられてジョーさんにグチグチ言ったのは日本プロレス時代の話だな。
ジジイファンなら当たり前に知っている話なのに、なぜ全日の話として捏造するのか不思議。 マスクマンも1人で素顔になりたい時もあるだろうに、マスカラスはスターだしね。
機嫌が良い時にファンサービスするのは良いけどフェリーだか漁船に乗ってる間中
ファンにちょっかいかけられるのも疲れるやんな。
全否定する程の話でもなかろうて、日プロか全日かについては今さら大した違いでは
ないだろ(´^∀^`) 日本プロレスの「ビッグ・ファイト・シリーズ」だね
マスカラスは世界中どこに行っても「私はスターだから最高の待遇を用意しろ」で
はっきり言って嫌われ者だったからマスカラスが控室に入ると
和気藹々としていたのがシーンとしてしまったりした
それでも「私の様なスターがジェラシーを受けるのは当然の事だ」と平然としていた
「ああいう人だからメキシカンが差別されるアメリカでもトップスターになれたんですよ」とも言われる。
----------------------
4日の徳之島町魚津闘牛場特設リング大会は、徳之島初のプロレス大会ということもあり6000人が観戦した
(当時の観衆発表より)。
そして5日に離島するのだが、ひとりマスカラスが「この船にグリーン席はないのか?
俺はグリーンに乗りたい」とゴネた。
同行取材していた記者が述懐する。「あの温厚なジョー(=樋口レフェリー、外国人係も兼ねていた)さんが
日本語で怒ってたもんな。NY(シリーズに参加していたジート&ベポのザ・モンゴルズのこと)だって
文句言わず乗ってるのに、何様のつもりだ!って。マスカラスは格好つけたかったんだよね。追っかけがいたから」
仮面貴族≠ヘわがままだったようだ。 >>85
> 日プロか全日かについては今さら大した違いでは
> ないだろ(´^∀^`)
恥扱いするんだかあ大きいわ。 >>85
漁船で荒波にもまれながら
ゲエゲエ吐きながらも暑いマスクつけてたら機嫌も悪くなるわなw 離島フェリーは長崎港初と石垣島しか経験ないが徳之島って短時間なんでしょ?
関係者もそれくらい我慢しろよって感じだろうな >>87
元の記事はマスカラスの人間性があまり良くないって感じのだろ。
それからジョー樋口はあのマスカラスに対しても強硬で強気って感じで拡散してた。
団体がどこだなんて大した論点ではなかったわな。
事実は事実だからおさえておくべきではあるけどね。 全日の恥と言っといて日プロだと指摘されると大した違いじゃないという。こんな酷い言い訳初めて見たわ。
マスカラスは波しぶきがかからないようにと船の一番奥にスーツケースをしまったが、浸水してマスカラスのスーツケースだけ水に浸ってた。
結構船が揺れて大変だったが海の上なら何でも余裕の吉村に、自分は船酔いしないと余裕の馬場。馬場は船長にラーメン作って貰ってご機嫌。、
ところが自分の乗った船だけがものすごく傾いているのに気が付き、リングと一緒の船に乗っているのを知らされその後は無言になった。 >>86
調べてみたら「サマービッグシリーズ」だね。「ビッグファイトシリーズ」は新日のシリーズ名みたい。
>ひとりマスカラスが「この船にグリーン席はないのか?俺はグリーンに乗りたい」とゴネた。
グリーンって一等船室のこと? 船でグリーン席があったのはかつての青函連絡船ぐらいしか知らんけど。
そういや、Gスピのマスカラス特集で50年前の初来日で特急に乗ってるマスカラスの写真が載っていたが
グリーン車だったな。当然か。
>>89
>徳之島って短時間なんでしょ?
これも調べてみたら、徳之島大会は72年の8月4日。翌日は移動日で、次は6日の
宮崎・延岡大会だから、船の行き先は鹿児島と思われるけど、徳之島ー鹿児島間は
今就航しているフェリーでも15時間ぐらいかかる。当時の船の性能ならもっとかかったはず。
そんな長時間の船旅だったら、マスカラスでなくても文句言いたくなるよ。
今就航しているフェリーでも、18:00に鹿児島出発したら
途中1回よそに寄港して、翌朝の9:00くらいまでと半日以上かかる
https://www.aline-ferry.com/kagoshima/time/ 奄美群島は表航路、裏航路があって表に比べたら裏航路は小さめ
こちらに乗り合わせたらならぶーぶーいいたくなるかも
マルエーフェリーの鹿児島航路が表
奄美海運の奄美航路が裏 ジョーの本か何だったか、台風で飛行機が飛ばない
そのため漁船で移動になったが「俺は飛行機で行かせろ」って駄々こねた
それで、ジョーが「飛べねえだろ!」と怒ったってのを読んだ記憶がある
門馬はマスカラス嫌ってたな
四六時中、待遇に対して文句言ってたと >>72
69年の時点で
馬場(インター王者)猪木(無冠)だったが
NWA世界王者ドリー相手に両方引き分けだったから
それはないだろうな 79年夏のマスカラス来日時の映像で、空港で樋口に巨大な段ボール箱をポーンと渡してるシーンが印象的
マスク越しのマスカラスも樋口も良い顔してた(^^) >>97
オールスター戦を挟んだブラックパワーシリーズか >>73
アホか。当時そんな契約あるかい!
それに交通手段もそんなにたくさんある時代じゃないだろ。もっと想像力働かせろよ。 >>91
全日というのは俺が書いた訳ではないから言い訳じゃないわな。
むしろ、そういう契約だって言うのはあるかもしれんねって思ったね。
マスカラスだってどんな巡業方法なのか全て把握して契約したんじゃないから
クレームくらい付けるだろ。当たり前の事だわな、団体におもねった妙な記事。 昔、俺は離島に住んでいてたまにプロレス興行来てたけど当時は飛行機なかった
から移動はフェリーだもんな。あの頃は3等船室とかあったかな、雑魚寝する
そんなとこに外国人レスラーは居なかったと思うから契約で待遇については
決められてたんじゃないの? >>10
を書いた者です。
もうそろそろマスカラスとジョーの話、やめてもらっていいでrすか? 徳之島って奄美地方か、鹿児島からだとそりゃあ遠いわ。瀬戸内海の小さな離島感覚だった
というかその頃の日プロがわざわざ試合に行ってたんだな 今日は川崎でのレイスとブッチャーの路上乱闘事件の日 マスカラスとブッチャーの試合を見るまでは華やかなマスカラスがブッチャーの悪の手に染まる的なイメージだったが、実際の試合はマスカラスの自分勝手な試合にブッチャーがひたすら付き合ってた 今日初めてプロレス生観戦に行った日だわ
大阪城で長州とハンセンの一騎討ち
生放送で藤波vsスヌーカがあったけど見れなかったんだよなぁ ブッチャーは、ファンクスやレイスとは信頼関係があったから好試合になったんだろうな。
逆なのがマスカラスとかマードックとか。信頼してない相手とは好試合にならないよね。 >>103
72年8月って沖縄が返還されたばかりの頃だから、
数年以内に沖縄に遠征することを見越して、一番近い奄美で
興行打って予行演習しておこうと思ったのでは?
徳之島では、随分後にFMWが興行打ったことあったけど、
他に入ったことある団体あるのかな? 徳之島でもプロレス興行は大体が闘牛場だけど、
90年に新日が行ったときは体育館でやってたな。 沖縄返還か歴史を感じるな
奄美大島はおととし飛行機で行ったがついでに他の離島でもとホテル近くの港で時刻表見て>>92の船の存在を知り驚いた記憶がある、昔はこれしかなかったんだろう
週刊プロレス以降だが興行で離島に行くと「地元民大喜び」みたいな記事が出てて慈善活動的なニュアンスで伝えるが、こういうのは戦略的なのか自治体からの要望なのか、魅力的な売り上げ(客入り又は売り興行の値段が高いとか)なんかわからんな
90年代はインディほど離島に行って他印象 フレアーは北朝鮮での移動がベンツだったな、他のレスラーはバスだった。
親しいレスラーがフレアーのベンツに同乗するのはOKだったみたいだったけど。 SWSで来日したホーガンがホテルの部屋に入ってから「気に入らない、他の一流ホテルのスイートにしろ」と言った話があるが、来日レスラーも上と下ではホテル自体も変わったのかね >>114
でもどんなホテルでも、基本的にレスラーはシングルユースだったんだろう?
平成に入ってからの話だが、WINGに来ていたヘッドハンターズが東京にいる時は、
常に茨城社長のマンションで寝泊まりしていたらしい。あんな2人を何日間も
家に泊められる茨城社長を尊敬してしまうな。 >>114
ドームのスポット参戦ならともかく、バス移動のシリーズ巡業だと選手によって
部屋変えるのは大変そうだね。同じホテルで部屋のランクが違うだけでももめ事の
原因になりそうだし、田舎だと宿泊施設の選択肢自体が乏しいし。
マスカラスなんかは空気読まず、どこいっても一流ホテルのスイート要求しそうだけど。 (当時の)アメリカは試合のギャラだけで現地集合現地解散だよね、宿も交通費も自腹。だから日本の移動は天国だと。とはいえ一流レスラーだけはホテルをとっていそうだが
日本に来日したレスラーからの宿格差の話は聞いたことがないな、ホーガンの話も田中社長からだし
天龍が芽が出てない中堅時期にも入団時の約束で馬場と同じグリーン車に乗ってて周りの目がきつかった話はあったが Uインターの外人選手が、受験シーズンの学生宿泊ラッシュの影響でツインしか泊まれなくなり
皆がトム・バートンとの相部屋を嫌がった話は面白かった 昔は旅館で大部屋で寝たりだったか、トップだけは個室とかの差別化だったのかもNWA王者とか、マスカラスもみたいだが >>101
決められてるわけない。
時代の空気を知らんやつが妄想語るなよ。
そういう契約だったという、誰かの証言なりを探してから言え。 今はもう消えているみたいだが三宅綾のブログで
マスカラスがWINGに来た時はギャラ、ホテル、控室、全てが特別待遇だったと書いていた
だが会場の空気でなぜ特別待遇なのか理解できたそうだ
三宅曰く「世界一客を集められるプロレスラーと世界最強のプロレスラー
この二拓を迫られたら99%の団体が世界一客を集められるプロレスラーを選ぶんです
興行会社だから当然なんです」 >>118
トムバートンをいじめてたオブライトと腰巾着のライディック >>74
馬場からしたら、大型であれだけガンガン動いてくれるハンセンは楽だったろうね。自分の評価も上がるしw
ジャンボとハンセンの抗争が3年寝かされたのはちょっと痛かった・・ ついでにCカーニバルも優勝しちゃう馬場。そしてシングル形式は封印(笑)
つくづく社長っていいな~と思う。 >>112
国賓級の扱いだね。ホテルも最高級のスイートだったんだろうな。
じゃないと、平壌まで来てもらえなかっただろうし。
>>117
幕内まで昇進した天龍は相撲時代もグリーン車乗ってたただろうから
入団時にそういう契約になるのは当然かと。
>>119
ある評論家が「体の大きいレスラーはみんな手足を伸ばして浸かれる大浴場と布団を繋げて
寝っ転がれる温泉旅館が大好きだ。ベッドの小さいシティホテルなんか泊まりたがらない」
と書いてたけど、みんなってことはないよな。和式の浴場や寝室になじめないレスラーとか
スイートじゃなきゃ嫌だってのもいるだろうし。ファンクスとかは旅館好きそうだが。
マスカラスとかは、温泉旅館泊まるときでも最高級の部屋要求しそう。 平成だけど今日5月14日は三沢がマスク脱いだ東京体育館大会から31年だね。 >>100
> 全日というのは俺が書いた訳ではないから言い訳じゃないわな。
じゃ横から口をはさむなよ。
全日スレで全日の恥と書いたら論点が変わるのは当然だろが。 >>128
鶴田が馬場の後にコールされたのも事件だったな >>122
ウイング来日時、マスカラスの身の回りの世話をした三宅によると
マスカラスがスーツケースの移動を「アゴで指示」したらしい
殿様待遇で気位の高いマスカラスらしいエピソード >>127
またジョー樋口の話になるがホテルが少なかった時代は旅館の大風呂に泡付けたまま入ってしまい大目玉、和式トイレが使えないというのが定番の問題だった。
大風呂は必ず注意するのだが興奮して飛び込む奴が続出。和式トイレはあの中腰ができずに転んでしまう。
食事も問題で彼ら向けの洋食を取れる場所も少なく、厨房を借りてサラダ等作ってあげたら大変感謝された。なんて話が自伝には書いてあったな。
日常生活の細かな所まで気を使ってくれるジョー樋口は外人レスラーに感謝され、ジョー樋口を激怒させたレスラーがスナイダーにぶっ飛ばされたという事もあったそうな。 >>127
小鹿大熊とか元相撲取りだと理解してたのかな、天龍のグリーン車。三羽ガラスとかの目線がきついという言い方だった
天龍は北尾もリスペクトしてて、冬木軍が生卵攻撃した次の試合で北尾がリング上で足を滑らせたことで北尾に土下座してた。相撲の番付けは凄いんだろうなガチだし >>94
荒天で小型飛行機が飛ばなくて漁船をチャーターして分乗して出発するも漁師の人が
「こんな日に地元の人も船は出さないよ!」と言うくらいの悪天候だった。
移動的には日プロ時代最悪のシリーズとも呼ばれた。
>>114
新日は宿泊するホテルや旅館を営業部が先乗りして部屋や食事を確認していた。
>>125
ハンセンと違い「自分から動いて試合を作らないといけないブッチャー」を^木は
歓迎しなかった・・・
>>127
インディの試合の来日したマスカラスやマードックが指定されたホテルへ行くと
気に入らなく違うホテルにチェックインたと言う話ある。
マードックは「ケイオウプラザ!」に向かった。一方、テリーはビジネスホテルでも
満喫して出待ちするファンと交流を楽しんでいた。 >>129
お前は全日の関係者なのか?日プロだろうが全日だろうがどうでもいい事だろアホらし
お前こそ全日関係者でもないなら口出しすんなよ。 >>130
全日はテリー引退試合のときでさえテリー→ドリーのコール順を
変えなかったのにね。事前に何も知らされてなかったのか、
アナの驚きと会場のどよめきがすごかった。
>>132
あの時代はコンビニなんてないから、夜中に腹減ったりしたら大騒ぎだろうな
樋口はそういうところもちゃんとケアしてたんだろうね
>>134
テリーはさすがの環境順応力だね。マードックはそこまでえり好みするタイプに
思えないけど、やはり一流としての待遇は要求するんだろうね。適応できたのは、
日本食が口にあっていたからかな。ブルーザーは「日本のビールが一番うまいぜ」
と絶賛していたが、マードックは日本のビールを好んでいたんだろうか? >>126
あの時点ではむしろ最強タッグの方がトップイベントになっていたしな
あと今日は馬場が最後に鶴田に勝った日
決勝での二人のコール順も気になる >>137
テロップはジャンボ鶴田VSジャイアント馬場になってた >>136
バロン・ガトニというレスラーが来日したときは正にそれで、ガトニの食事というよりも餌を探しに真夜中の街を駆ずり回る羽目に。コレでしばらく何があってもガトニよりましと思えるようになったそうな。
ガトニは大食漢で本当に何でも食べるので若手レスラー達がふざけてコレは食べないだろうと思うくさや納豆蛸の干物他様々な珍味を与えたそうですが全部食ったそうな。
結果ガトニはこの容赦のない大食ぶりと歌が非常に上手いことで日本プロレス史に不滅の足跡を残す事に成功する。 マードックはイタズラとか差別とかひどいエピソードばっかりだなw
リング上はともかくそれ以外で良いところはあったのかね、ムードメーカー的な良さはありそうだが >>130
あれは元子が馬場に提案出して決めたこと >>131
平成になってから「マスカラスの映画をDVD化したい」という話があって
マスカラスは「私の映画ならこの位は売れるはずだからこの位は出して欲しい」と
強気の姿勢を崩さず関係者から「あの人は変わっていない」と言われたとかね
プロレス界というエゲツない世界ではその位「俺が俺が」じゃないとトップには立てんのだろうな マードックと日本のビールといえば
デラプロの企画で日本のビール工場の見学してたの覚えてる。 >>141
発表時点でなんでいまさら師弟コンビなんだと思ってたらあのコール順で唸らされたんだよな
とにかくあれがコンビとしての二人の最後のタッグだったか >>134
>「自分から動いて試合を作らないといけないブッチャー」を^木は歓迎しなかった・・・
日本人外人問わず、トップどころなら誰とでも因縁を作れるブッチャーのスキルは、
豪華キャストの全日では重宝されたけど、猪木一強の新日では無用の長物だった。
>>144
天龍一人いなくなっただけで、こんなにカードに困るものなのかと思ったよ。
既に馬場はメインでやるにはコンディション厳しかったから、試合にも悲壮感漂ってた。
結果的にあの日が最後の師弟タッグになったけど、同じ日に三沢がマスクを脱がなかったら
あの後もタッグを組んでいたんだろうか。 マードックはそこいらの赤ちょうちんだかに入って、「ヤキトリ、クダサイ」と注文するという話が宝島の本か何かに書いてあった。 >>135
どうでもいいことじゃない。
関係者以外口出しできないならお前こそ黙ってろ。 週ゴンの「マイ・グルメ固め」のコーナーにゲストで出たマードックは東京の居酒屋でビールと焼き鳥を平らげていたな。
日本ではキリンビールが一番美味いと言っていた。 初使用の東京体育館はだだっ広くて全く盛り上がらないし
セミのスミス対ローデスジュニアは大凡戦
メインで馬場が動けなくなりフォール負け
絶望的な雰囲気だったが、まさか30年後まで語られる興行になるとは
それもこれも三沢の頑張りがあってこそだけど
当日行った立場としては、屈指のつまらない興行だった 三沢のマスクを脱がすのを進言したとするなら谷津は最大の功労者だな
あのシリーズは馬場鶴田タイガーカブキらのベテラン軍に、川田高野田上らの若手軍が挑むのがテーマだったんだから。 東京体育館で開幕戦をやるって冒険過ぎるよな
仮に天龍がいたって満員にはならなかったと思う >>149
これでケチがついたか全日は二度と東体でやることはなかったな。
旧東体は馬場VSハンセンもあっていいイメージがあるが。 >>151
あのころの全日は勢いあって、おかしい気もしなかったから見に行ったけど
前シリーズ最終戦の鶴龍対決が横浜文体で
次の開幕戦が東体はよく考えたらおかしいよな
天龍が抜けてなかったら、どんなカード組むつもりだったんだろう?
天龍が馬場に「ラッシャーとシングルやるか?」って言われて
「話はそれだけですか?」と席を立ったという記事を最近見たけど >>130
基本馬場鶴田組と読んでいるからコール順も
馬場→鶴田で違和感無いというか自然な感じがする。
邪道外道が組んだ初期にコール順が外道→邪道と
言うのがあったけどものすごい違和感あった。 >>153
元々五輪コンビがゴデイウィリアムスの
世界タッグに挑戦予定だったけど
谷津のコンディションがまだイマイチで
天龍の離脱もあったからヤケクソ気味に
谷津から馬場に変更した、という話を聞いたことがある。
高野は天龍より前に辞表出したのに
売り出そうとしていたのかね? >>149
どっちも見に行ったけどあの悲惨な開幕戦やっといて最終戦武道館の巻き返しは奇跡だよね スーパーパワーシリーズは全日にとって転機のシリーズになってるね。
81年はブッチャーの居ない全日の幕開け、87年は天龍革命スタート。
87年のスーパーパワーシリーズは開幕からしばらく刺激の全くない日本人対外人ばっかりだったのが
終盤ではメリハリの効いた面白いカード編成になってる。
90年は天龍の居ない全日の幕開け&三沢ブレイク。 >>157
78年…馬場PWF陥落
79年…さよならデストロイヤー
83年…テリー引退
84年…2代目タイガーマスクデビュー >>154
何言ってんだ?お前。
>>155
高野がどうした? 基本ハンセンデビアス組と読んでいるからコール順も
ハンセン→デビアスで違和感無いというか自然な感じがする >>145
新日本でのブッチャーの最大の功績はホーガンのブレイク
こればかりは猪木には出来なかった >>158
テリー引退と鶴田インター戴冠だから、83年も相当大きな区切りだね。 83年のテリー引退は例年ならサマーアクションシリーズ2だけど、グランドチャンピオンシリーズを3つも開催したからこの時期になったんだよな。 >>160
呼び方とコール順が同じなのはカンナムのファーナス、クロファットかな。 >>156
今度G+でやる後楽園の三沢の鼓膜破りのエルボーで流れが変わった
てか武道館の直前に千葉公園で三冠戦もあったし、勝負かけてるよな
>>158
テリー引退と2代目タイガーはサマーアクションシリーズ2では? >>139
馬場がアマリロに行った時、ドリーにステーキレストランに連れていかれ「ここの一キロちょっとのステーキを食べたら只になるぞ」とそそのかされてチャレンジして一切れ食べた途端「駄目だ」とギブアップした。固くて不味くて食えたもんじゃなかったそうだ。ドリーは馬場に「ガトリはこのステーキを二枚食ったんだぞ」と。
馬場は彼奴の味覚は桁外れだと感心していた。 >>147
俺は団体の責任がどうだとは言ってないからな、マスカラスの人間性が悪い
とされるときに引き合いに出される件だけどそうともいえないって立場から
書いてるんだからな。 >>163
6月30日に引退という宣言は意味なかったな >>167
だったら全日とか日プロとかどうでもいいなんて書くな。 >>169
俺にとっては団体なんてどうでもいいからな、人殺していてもとっくに時効になってる
ような時間たってんだぞ、何ムキになってんだ、アスペかよꉂꉂ(>ᗜ<*) _, ,_ パーン
( ‘д‘)
⊂彡☆))Д´) >>170 上田が81年のジャイアントシリーズから参戦になった時って話題になったのかな
いつの間にか全日に上がってたイメージがあったので >>172
そりゃシンのおまけとはいえ、全日創立10周年記念蔵前大会のメインだぞ?
その1年前には、ブッチャーが新日に上がってシン上田が全日になんて考えもしなかった。 82年新春ジャイアントシリーズの前半戦は上田が外国人エース扱いだったのかポスターにデカデカと顔が写ってたね >>170
お前にとってどうでもいいかどうかなんか
もっとどうでもいいことだからここに書かなくていいよ。
チラシの上にでも書いとけw >>178
俺がどう思うかおれが掲示板に書くの当たり前だろ、お前がどう思うかなんぞ
知った事じゃないしどうでもいい事だからな。 移籍すると当事者や黒幕が叩かれるがファンとしては新鮮だし定期的にそういうのがあったから人気が続いたとも言える
プロ野球のFAみたいに条件を吊り上げたことで全盛期を過ぎても上で使われて停滞した部分もあるが >>166
アマリロにあるビッグテキサンというところかな。
今でも2キロのステーキを1時間以内で食べたら
タダになるチャレンジメニューがあるみたい。 >>158
79年のデストサヨナラシリーズはちょっと寂しさを感じたな。全日入団から見てたわけじゃないが
噂のチャンネルでデストの存在を知り、プヲタになって改めてデストの偉大さも知った。
そんな中で自分にとってはデストは日本陣営の頼もしい助っ人としてのイメージがあったが
この79年スーパーパワーで義兄のBRライオンと組んで馬場&鶴田のインタタッグに攻め込む姿は
もう味方じゃないんだ、惜別の時なんだという空気が子供ながらに感じてたな。 >>174 >>176
さらに83年に10年ぶりにインタータッグのベルトを巻いたのだから
感慨はひとしおかは分らんがw、思うことはあっただろう。同じベルトだし。 >>182
最終戦の後楽園ホール見に行ったな、当時はたしか中学二年生だったかな?
和田アキ子やせんだみつおとかも来ていて、いよいよお別れ感が満載だった。 >>182
かつてはアジアタッグのトロフィーも取ったチームだったんだよな
あと鶴田とデストの間での唯一のタイトルマッチか >>178
だからお前にとってどうでも良くても
他の人にとってはどうでも良くないことがあるんだよ。
知ったことじゃないと思うんだったらもう反論するな。
書きっぱなしにして反論は無視しろ。 >>162
83年は、いうまでもなく猪木がIWGP決勝でホーガンにKO負けしたり
梶原一騎が逮捕されたりと、区切りの年だった。 >>181
>>187
ちょっと調べたらアマリロにある『ビッグテキサン』だね。
向こうでは72oz(72オンス≓2kg)ステーキで72ドル(約7200円)、制限時間1時間。
これまで60000人以上が挑戦して、9000人以上が成功したとのこと。
https://www.youtube.com/watch?v=EkcOLINfM5c
有名なハンセンと鶴田がアマリロで参加した「ステーキ大食い大会」で鶴田が4パウンド(約1.8kg),
ハンセンが8パウンド(約3.6kg)食べてるから、若い頃のハンセンなら余裕で成功するな。
というか、もう成功してるかもw ステーキだけでなく、サイドメニューのサラダ、巨大ポテトと巨大ロールパン、
3匹の小エビフライも平らげないといけないんだな。 >>162
半年後にAWAも奪取したのでこの時のインター奪取が小さくなってしまった印象も 鶴田がインターシングル初戴冠と言ってもリングアウト勝ちだし
AWA戴冠は堂々のピンフォール勝ち。記録にも記憶にも残るのは
AWAの方になってしまうよな >>167
そうとも言えない、
っていうお前の考えが間違ってるから。
契約に入ってるとか、デマも並べて何がしたいんだお前は。 >>193
観ていた世代にもよるが、俺は馬場NWA奪取は歴史上の出来事。
鶴田のAWAはリアルタイムの歴史的奪還劇だったから、
いまだに全日のベストバウトはあの試合だな。
後嬉しかったのは、リターンマッチの反則防衛。
当然行って来いだと思い込んでだけにな。 >>193
動画見ればわかるけど、凄い熱狂だよ>鶴田インター奪取の瞬間
自分もそうだが、リアタイで見てた人間には確実に記憶に残る。
確かに今見返すとなんであの結末であんなに盛り上がったのか不思議だけどw、
まだ不透明決着の時代だったことと当日のメインはテリー引退試合
だった分は割り引いてい考えないとね >>196
オープンタッグでも反則勝ちで大熱狂の伝説入りだし >>136
晩年のブルーザーを取材すると「オレのパワーはワイフのオッパイと日本ビールだ!」
と豪語。「日本ビールが買えるのか?」の問いに「ミネアポリスを田舎だと思って
馬鹿にするな!アサヒ、サッポロ、キリンなんでも買えるぞ!」と元気だったw
>>143
トラックのラジコンを往復させて夫人に冷蔵庫でキンキンに冷えたビールを乗せて
もらい自分で操作しながら到着させて遊び心満載の飲む様子が紹介されていた。
>>156
馬場惨敗で気丈な元子夫人が泣き出し仲田アナまで「京平さんも(SWSへ)行っちゃうん
ですよね・・・」と泣き出し離脱慣れしていた新日に比べて大量の離反者続出して全日
創立以来、最大の危機だった・・・
>>182
全日がゴールデンタイムを降格してデストロイヤーも日テレとの専属契約が打ち切られ
て新日との競争の差が開き始め経営危機も表面されてきた。魔王も子供達の教育問題もあり
ここが潮時と判断した。ただお別れ興行は雰囲気も良く暖かいムードがあって全日らしかった。
この後、馬場はデストロイヤーの全日への多大な貢献に感謝して体育教師が夏休みの期間に
日本へ招聘している。 鶴田インター奪取の試合ってバックドロップが出てたか記憶がないなあ
場外乱闘の時にでもやってればもう少しインパクトも違ったと思う
後ろからパンツを引っ張っただけでは強い新王者というイメージには弱いだろう 鶴田のインター奪取、クイックでも良かったんじゃ
ないかと思うけどねえ。ブロディが嫌がったんかな? ブロディが鶴田にピンフォール献上したのはUNの2本目と仙台だけか 「鶴田はまだブロディにフォール勝ちできないのか」
「馬場なんてチャンカン決勝ボディーシザースドロップでフォール勝ちしてるじゃないか」
新日派が鶴田を貶すときの常套文句 >>200
インタータッグやUN奪取とか
若いころの鶴田はまともなフォールが意外に少ないから
またかってなると思う あの当時のブロディがクリーンフォールを受け入れるとは考え辛いし、大舞台でタイトル移動しただけでも御の字かな
下手したら鶴田戴冠がノーテレビだったかも知れない >>203
二十代の鶴田のフォール勝ちの代表はやはりスレーター相手のチャンカー優勝か >>204
ブロディの負けブック嫌いは筋金入り
リングアウトとは言え負けを飲んだだけ凄いんだよ
馬場がボディシザースで勝った後もインターナショナルのトーナメントでブロディに星を返しているしね >>206
因縁の仙台で負けざるを得なかったのは復帰条件の厳しさだろうな
もはや選択の余地は無かったって >>206
フォール決着ではない分だけ
鶴田時代到来!の印象が弱くなった
あちこちの顔を立てることばかり考えて
メリハリを考慮しなかった馬場の甘さでもある
この辺が新日が混乱してる間に全日が天下を掴めなかった原因だろうな
全日は何とも思わなかっただろうが日テレは歯がゆかっただろう >>208
どのみちメインのテリー引退試合がこの日のハイライトだったからな
その分だけ鶴田が割を食うのは最初から決まっていた >>209
それならそんなタイミングでやること自体ダメじゃないかw
秋にビックマッチを開催してそこでやったほうがよかった >>210
秋の大阪大会こそ鶴田とブロディのインターのリターンマッチに格好だったんだがな 猪木の引退試合の日に藤波が勝って盛り上がったのと似てるかも
ハンセンブロディに勝てるかものレスラーが引退する日だし 猪木は ハンセンに何度も勝ってるだろ
ブロディにもフォール勝ちはないが、逆にフォール負けもない。
ハンセンブロデイからフォール負けしたことのない、という意味ではかなり稀なレスラーだな猪木は。 >>210
ちょうど力道山没後20年で映画とか盛り上がってた時期だから、力道山ゆかりのインター選手権を新エースの鶴田に巻かせるには夏休みラストかつ、特番のあったここに持ってくるのは間違いないだろう
>>211
前年9月には大阪でブロディと鶴田が引き分けてたから、立場を入れ替えての再戦はありだったかもね ハンセンやキッドなんて猪木やタイガーマスクに何度もフォール負けしてるのに
それでも来日のたびに商品価値が上がってきてたからなあ
あれを見て馬場やブロディが何かを学んでればよかったんだが >>214
テリー引退と抱き合わせたら
どんな名目があっても話題的に隅に追いやられるよw 初来日のブロディに、馬場がフォール許したのは大盤振る舞いだよな。 猪木がベイダー売り出しの為にフォール負けしたら大暴動が起きた あれはフォール負けで暴動ではなく、その試合までのドタバタでの暴動だろ。 この日2試合目の猪木 vs ベイダー
ではねえ。せっかくのフォール決着の価値もうすれてしまう。 テリー引退特番の構成が
インター王座の歴史→ブロディ対鶴田→ファンクスの歴史→引退試合だったね
力道山対デスト、馬場対ブラジル、リソワスキーのマイク食い、鶴田凱旋のインタータッグ、オープンタッグ決勝、ファンクス兄弟対決などがダイジェストで見られて楽しかった >>222
わざわざ歌詞書き込むやつって、
間違ってる割合が高いのはなんでだろ。 >>223
徳光、リソワスキーにマイクかじられても平然としてたのに、
アルティメットウォリアーをえらい怖がってたのはなんでだろ。演技だったらすごい。 >>225
逆に大して怖くないからだろうな。
徳光の若いころはプロレスの仕組みを理解してたとしても
危ないレスラーいくらでもいたろうから。
今は逆にリングを降りたら真面目な人しか使ってもらえない時代 >>189
ステーキソースなしでよく食えるな
あと飯がないと俺には無理 怖いといえば、今テレ朝チャンネルで猪木vsクラップやってる
1981最強タッグの時と違って若いw
ファンになったのは1981年だけど、幼少時に新日時代のクラップが怖くて泣いてたのは覚えてる
シンよりも10倍ぐらいクラップの方が怖かった、目をひん剥いてニタニタしながらのクローが恐怖だった… >>229
俺はボリスマレンコが恐かった。
タバコを目に当てられたらどうしょうと、悪夢を見たわ。 >>222
それ、杏里の「CAT'S EYE」とゴッチャになっている。
♪都会(まち)はきらめくpassion fruit♪ >>230
オレはタッグ組んでたM・スーパースターの方が怖かった
なんでか良くわからんけど… >>206
馬場はまだ自分も第一線でやってたからNWAと同じくブロディからピンを取ったのは自分だけということで鶴田との差をつけたかったんだろ
鶴田と直接対決はもうできないし(自分が勝てば不自然だし負けるのは嫌) >>234
プロモーター兼レスラーの宿命みたいなもんだな 久しぶりにキラーカールクラップの名前を聞いてウィキを見たら日本、新日本、国際、全日本の4団体に参加してんだな
3団体は珍しくないが(アンドレ、ゴッチ、ブッチャー、シーク、カルホーン、ワフー、ストンパー、ブルーザーその他)この4団体に参加したレスラーって他にいたかな? >>236
マードック、ヘニング、ブルックス、マグロー、シクルナ、エディ・サリバン、リップ・タイラー 四団体全てでタイトルマッチをやってるのはマードックだけか ありがとうございます、結構いるんですね
中学2年の時に初めてプロレス生観戦したのが81年世界最強タッグ大阪大会でセミで馬場×鶴田とラシク×クラップが対戦
馬場×鶴田が勝って翌日の大スポの鶴田のコメントが「二人ともクローだけなので楽な試合でした」
つい最近この試合がYouTubeに上がってたので久しぶりに見て懐かしかった >>241
> 二人ともクローだけなので楽な試合でした
ペンギン村の住人みたいな呑気さで草 >>238
テーズはエキジビションながら全日でも試合しているよ。相手は菅原、越中といった若手相手だったけど。 >>182
デストロイヤーのさよならシリーズは外国陣営になり
その後の来日も外国陣営で馬場とはタッグでなく対戦相手となっていたね。
日本陣営戻ったのは90年のサマーアクションシリーズになってだね。 >>186
ごちゃごちゃ五月蝿いジジイだな
お前の家族は災難だな、せいぜいここで憂さ晴らししとけ、この恥晒し >>240
4団体すべてでタイトル戦って、やっぱりマードックは一流だな
もっとも本人はタイトルなんか興味なくて、うまいビールが飲めりゃいいって感じだったんだろうが。
キリンが好みだって上に出てたけど、マードックが一番好きなのはクアーズだろうな。
>>243
オープニングの映像でテーズが若手にバックドロップ決める場面が流れてたな
さすがにあの歳だからブリッジは効いていなかったように見えたが
>>244
サヨナラシリーズのシングルでは馬場がデストにピン勝ちを献上
この頃から「外人には気前いいなあ」ってなんとなく感じていた
>>245
ストンパーが参戦したのは順に日プロ、国際、全日で新日には来てないよ
猪木とアメリカで因縁あったから、候補者リストには入ってただろうけど >>241
ちなみにその最強タッグの頃、うちの小学校ではクラップごっこが少しだけ流行った。 >>249
このシリーズの開幕戦でブロディ対レイスを
差し置いて馬場、鶴田対ヘニング、クラップのマニアックなカードがテレビ放送されてた シン上田ごっこはやってたよ
ただ二人で肩を組みながら、ホウキを咥えて教室に入ってくるだけだけど
あまりウケなかった…シンが全日時代の頃だから認知度が薄かったみたいw
小学生なら土曜の夕方は遊びに行ってる or 家庭によっては学習塾だろうしなあ… >>253
ニックは新日で試合したっけ?
セレモニーには上がったけど。 >>255
マサvsニックも蝶野vsテーズも「あくまでもエキシではなく通常試合」として行われてた
本当は猪木vsニックだったけど、猪木議員職多忙(イラク関連)による準備不足を理由に変更になった
>>254
思いっ切りメインのレフェリーもやってるぞw エキシビジョンもありなら、92年5月にUインターでニックvsビル・ロビンソンもやってた
https://encount.press/archives/121799/ 89年の全女で飛鳥VSメデューサのレフェリーもやってた 個人的にはニック現役最後の大一番は倉敷のインター戦だと思う
メインの生中継による時間調整で10分足らずだったけど、両者の持ち味が発揮された好勝負だった >>214
プロレスファン大注目のテリーの引退試合と言うビックイベントに敢えてポスト馬場の
鶴田を新インター王者と印象づけるために戦略だった。そのために超獣コンビを分解
させて佐藤からも評価の高かったゴディを引退試合に抜擢した。
>>218
ブッチャーは真田広之に味方するいい役だった。
>>252
耳元でコソコソ囁くも定番だったw ニックが新日本に上がったときプロレスインハワイで
入ってたのかな?
生中継で見ていたのにそこが全く覚えていない。 >>251
馬場、鶴田対ヘニング、クラップなんてカードがあったんだ。やっぱり負け役はクラップなのかな? >>261
入場シーンは覚えてないが、ニックが他の曲で入ってきたとは考えにくいね
それより、黒のロングタイツが全然似合ってなかったのはよく覚えている
>>257の写真も同じくらいの時期だと思うが、ロビンソンよりずっと体絞れているし
ニックはやはりショートが似合うね >>251
レイス対ブロディはシリーズ後の夢の対決特集で放映されたね。
>>263
ガイジン組の反則負け。 >>252
俺は小学校に入った頃、串をつなげてアルミホイルを巻き「マイサーベル」を作っていたよ。
こんな小学生は今、絶対いないよなw
>>260
その上田が耳元でコソコソ囁く時だけ、シンの顔がやや柔和になり「うんうん」と頷くんだよなw >>251
だったら、この日のラシクは誰と対戦したんだろ?
タッグリーグ戦に出場してない佐藤か井上か石川かトンガあたりとシングル戦か? >>264
新日本はリッキーやフレアーも別テーマで入場させていたが印象は薄い ラシクで思い出したけど
小橋が若手の頃、ウォリアーズの逆三角&マッチョの肉体に憧れて
肉体改造に励んでた頃に馬場から「ウエストは細くするな、体幹が細いとガタがくる」と指南されたらしい
見栄えはともかくウエストの太い(悪くいえばドラム缶体形)レスラーはガッチリして強そうだよね、もちろん脂肪の腹まわりではなくね。
ラシクとかウイリアムスや小橋、新日だと小林邦とか…言った馬場本人もウエストは細くないし。 >>271
新日でのリッキーのテーマ曲は同じくYMOの東風だったかな? 日プロアイアンクローシリーズでフリッツがキラー・カール・クラップと組んでたけどあのプライドの高そうなフリッツがよく同じクローを得意技とするクラップと組んだよな
バロン・フォン・ラシクならレスリングも強いから一目置きそうだけど 赤の他人のワルド―・フォン・エリックに弟ギミック使われても抗議しないフリッツ >>181
>>189
偶然にも昨晩のNHKbs1でルート66沿いを辿っていくアメリカ紀行番組をやってて
アマリロでいの一番にその店の大食いメニューが紹介されてた、有名なんですね
肉は見ただけで硬そう、かつ胸やけしそうな赤身肉のかたまりだった ラシクは体型が細く見えるけど実際には細くないんだよね。
公式188でも逆サバっちゅうか誤表記だろう。
実際には195〜6が妥当か。
新日に登場したらかなり巨大に見えただろうし。
猪木とラシクの対戦なんか興味深い。
坂口と変わらないサイズではないかと。
70年代後半なら猪木とはそれなりの試合が“作れた”とも思う。
クラップとは違ったと思う。
そんなラシクも80にしてまだ御健在らしいね。 >>282
アメリカでの鶴田とのAWA戦で反則勝ちしてるのが目立つ エリックとクラップは78年頃かなダラスで抗争していたらしいから、日本での
タッグに関してはクラップはラッキーなチャンスもらったから良かったな。 世界のプロレス、リソワスキー&ラシク×ウォリアーズでのラシクが
我々の中にインプットされたラシクなのでは? ラシク、晩年でも来日してほしかったな。ジャパン時代も現役?長州やカーンと対決とか観たい。 >>247
> お前の家族は災難だな、せいぜいここで憂さ晴らししとけ、この恥晒し
そっくりそのままブーメランだなw ラシクはデビュー当時はアマレス出身らしい試合をしていたらしいんだが、エリックの所へ行かされ悪党ファイトを身につけてから出世したようなんだな。エリックは元AWAチャンピオンだからガニアとも繋がりがあったようで、ガニアに頼まれてラシクを育てたんじゃないかと思う。 >>282
馬場戦の動画見たけど、デカいね>ラシク
大した身長差、体格差ないし、鶴田と同じくらいに見える
>>286
ラシクはカーンと同じくらいあるから、長州が小さく見えただろうな
パートナー次第とはいえ、長州がラシクからピン奪う流れなんだろうけど、
あの体格差でいつものハイスパやっても説得力なさそう ラシクは77年頃か、確か凱旋したロッキー羽田をブレーンクローで血まみれにしてた記憶が。。w
つるっぱげでクネクネした動きでちょっと年齢不詳なとっちゃん坊やな顔でキモかったナチの妖獣ラシク。 でもアレだな、ラシクをはじめヘス&ショッツとかクラップ、スタイガー兄弟と
ナチギミックレスラーが幾度となく日本に襲来したが、先の大戦では同盟国なのにね。。w 【プロレス蔵出し写真館】猪木秒殺フォール事件も…“殺人医師”スティーブ・ウィリアムスさんの素顔
ttps://news.yahoo.co.jp/articles/92ca5f7aa323342791c417cacff6410cb7fe8cc2 >>289
悪党転向、クロー攻撃を身に付けたのはバションのところだよ。
エリックとの邂逅はその後で、抗争相手に選ばれていたようだ。 ナチスギミックは腐るほどいたがイタリアの方は国際に来た
ダイドーネ・ムッソリーニ位かな >>296
某戦車アニメ見てたらわかるけど、黒シャツ隊とかドゥーチェとか
カルロヴェローチェとか、ネタは豊富なのにね>ファシストギミック
ナチに比べたらインパクトに欠けるのかな 昔のプロレスって見た事ないけど凄いよな
相撲の幕内とかラグビー代表レベル
プロ野球選手が流れてきたんだもん
今のアスリートは
あえてプロレスラー選ぶなんて
アホな選択はしない 今なら試合中にリングサイドの女性を口説いたりパスタをゆで始めるキャラとか
考えられるけど、昔イタリア人悪役といってもキャラがイメージできなかったろ
アメリカみたいにイタリア系移民の希望の星、という形ならともかく
サンマルチノという呼び名がロナウジーニョ、ジョルジーニョ、ペッピーニョ…
などと同じ「ベネチア、サン・マルコの子」サン・マルチーニョだと気付いたのは
ずいぶん後だったな イタリアだとマフィアギミックというのは無かったのかな?
ありそうでなさそうな・・。 >>299
そりゃ昔は稼げたからだよ
馬場がONの年俸を聞いて「なんだ?そんなもんなの?」と言った位だしね 日系ギミックもインチキたくさん。カマタもタナカも、日本人の血なんか引いてないんだろ? 80年代前半まではアスリート憧れの職業だったんだよ
アスリート崩れじゃなくてアスリート上がり
身内に相撲の親方がいるんだが、プロレスラーになりたがってた奴たくさんいたって >>304
谷津がああいう扱いを受けたのが転機だった気もする テレビで全国放送
全国巡業
タニマチにかまってもらったり イタリア系ギミックは90年代にFBIってヒールユニットがECWに出てたな。
あと、悪名高いジ・アンダーテイカーズも元々はシシリアンマフィアギミックがスタートだったと思う。 >>303
それを言ったら、日本から海外に行って他国籍ギミックをやらされる若手も多かった。 >>308
キラーカーんなんか最たるものだなw 木村健はパクチュー、平田はインディアンだし。 >>309
健吾のソレはどうなんだろうね
長州がモデルのキャラで名前がキムリキってゲームがあったけど >>309
馳と新倉のベトコン・エキスプレス
橋本のハシフ・カーン 何で全日スレなのに新日レスラーばっかり?
カブキのシンガポール人 小鹿の中国人 ターザン後藤のベトナム人
戸口の韓国人(本国か?) と色々いるのに。 桜田のチャン・チュンや薗田のマジックドラゴンは中国人ギミックかな 川田はカルガリーでブルースハートに覆面被らされて「若松みたいなキチ〇イになれ」と
無茶ぶりされたので今でも恨んでる模様。素顔になっても韓国人ギミックだし >>214
83年のスーパーパワーシリーズは蔵前のビッグイベントが中盤で、シリーズ自体はあと1週間ぐらい続くんだよね。
「鶴田はインター取って変わった」って思い込んでたから、
最終戦のちょっと物足りないバズ・タイラー戦が、メインの馬場のPWF戦(ハンセンに敗れベルト流失)より印象に残ってる。 81年最強タッグの顔触れはマニアには堪らなかったね
ルーインはシークとのタッグだったので余り目立ってなかったな… >>320
今にして思えば、ファンクス神話終焉の始まりで
翌年からの超獣コンビ台頭の予告編だったね 「ラシクもいるぜ」
♪おおぅお〜ラシク〜ラシクもいるぜ〜
B面:クローで苦労 >>282
往年の名レスラーを訪ねるドキュメンタリー・プロレススーパースター列伝に登場して
夫婦二人で商業施設でチャリティーサインを開いたりしている姿が放送されていた。
結構、盛況だった。 >>316
原爆の放射能でミュータントにされた復讐に来たって設定だから
やっぱり日本人なんだよ
この頃の馬場はふてぶてしくて最高だね 馬場は修行時代ブラックハーツみたいな黒い覆面つけて試合してる
客席に向かってイーーーッって奇声あげながら怪奇派としてやってた >>328
イワン・コロフ、ニコライ・ボルコフ、クリス・マルコフ、アレックス・スミルノフ
ラシアンズ。みんななんちゃってロシア人(ボルコフは母だけロシア系と言われているが)
極めつけは国際に来たザ・USSR
ロシアギミックなら、英語の名前なんか名乗らないで、CCCPってロシア語で名乗れよw コロフは甥っ子と称したブラディミア・コロフというゴツいのをウイングに連れてきたことがあったね。 >>335
ジェフ・ベックだったね
後年ソビエト繋がりか知らんけどイワン・コロフにも使われてた >>333
よく見てみろ
「1970ジョナサン、マルコフ」と掘られている。
実際に東急で展示を確認した。 >>334
パクソンナンが北朝鮮国歌を入場曲にしていたって本当? >>320
というか、シーク&ルーインの公式戦自体、ちゃんと放送されたのはシン&上田戦だけじゃなかったっけ。
シークはシンとの夢の対決でクローズアップされていたけど、ルーインもシン、ブロディ、スヌーカなんかとのシングル組んでほしかった。 ラシクハ世界のプロレスでアニマルウォリアーにやられた印象が強いからね アメリカって入場曲なかったんだよね、WWFでがっちり曲が流れてたのも昭和末期から? >>339
天龍&阿修羅との試合、放送しなかったっけ? >>341
たしかヨーロッパ→国際→全日→新日→アメリカと言われてたけど
アメリカのどっかの団体が日本より先にやってそう 試合終了時に勝ったレスラーの入場曲が流れるのは日米レスリングサミットを真似したんだよね、入場曲自体は日本の真似なのか >>341
シカゴのインターナショナルアンフィシアターではミーコのスターウォーズのテーマを汎用入場曲として使ってた
馬場がブッチャーからPWF奪回した年だから1979年にはやってたな 日本では国際に来た時のS・B・グラハムでテーマ曲を流したのが一番早くて
その次が全日のマスカラスだっけか
当初は「音楽をかけるなんて」と批判されたらしいが今では他のスポーツでも普通にやっている ガキの頃なんて、プロレスに合わせて流す音楽なんて
テレビ局のスポーツテーマくらいしか思いつかなかったわ。
誰が最初か知らないけど、レスラーのキャラクターに合わせて
入場テーマ流すってアイデアは画期的だったな。 俺が国際を知らないだけかも知れないが国際レスラーにテーマ曲の印象がないな
国際の時に誰もが知るような有名曲を使わなかったのかな >>348
木村のリバースオブザビートは既に使ってたんだよな レスラー個別じゃないけど、ビッグマッチの入場時に行進曲とか流すのはグラハム以前からあったよな
昔の映像で結構流れてる >>348
自分が昔国際を見に行ったときは、
メインが木村vsジョーのタイトルマッチなのに、両者とも
テーマ曲なしだった。当時は既にテレビ中継で
入場テーマが流れていた記憶があるから、会場によって
マチマチだったのかも。
>>351
猪木は小林戦やアリ戦で聖者の行進流していたような
馬場の入場曲は日テレのスポーツテーマ以外考えられなかったが、
いつから使ってんだろう。
あの村松でさえ「あの似合い方には猪木もかなわない」って書いてたし。 日テレスポーツテーマは馬場のテーマ曲になる前に汎用曲とていろんなシーンで使われたからな
専用テーマ曲としては鶴田のチャイニーズカンフーの方が先だった?
チャイニーズカンフーで馬場・鶴田組が入場する映像見たからな >>337
ジョナサンと彫られているのが間違ってるということだろ。 フットルース時代の川田が渕とジュニア選手権やった時は渕がトップガンのテーマで入場中に川田がリングに上がってた ロッキー羽田はロッキーのテーマだったっけかな? あまり記憶にない。
あの曲はオープンタッグか第1回最強タッグのどっちかで予告として参加チーム紹介の時に
BGMで流れてたな。 >>357
オープンタッグ。
カッコよかったねぇ。
あれはシリーズ予告を超えてプロモーション映像といってもいいくらいだった。 ああ、オープンタッグだったか。ちょっとジジイになったのでどうも記憶がなw
その後年末の決算的なシリーズとして定着したわけで、年の瀬の押し詰まった雰囲気と(まあ12月上旬だけど)
テーマの奮い立つような曲調がマッチしてたねw。 正直、オリンピアはちょっと軽いかなあと思うんだが
まあ音楽というのは個人の好みもあるからな。 >>355
1970年の参加選手でドン・レオ・ジョナサン、クリス・マルコフ
右にターザン・タイラー、ザ・コンビクト、ダッチ・サベージ、ポール・ジョーンズ
と続いているんだろ
なんで間違い?つーか間違って彫らんだろ >>360
なるほどじゃあ左下にブラジルとマルコフが彫られているという事か。
写真だけじゃ分かりにくいな。 >>353
日テレのスポーツテーマは巨人戦中継の冒頭で流れる部分しか知らなかったので
プロレスを見始めて馬場の入場テーマとして聴いたのがきっかけで
「あー、この曲の中盤以降はこんなメロディーなのか」と知った >>353
チャイニーズカンフーは76年のチャンピオンカーニバルの入場式でかかったよ。 ロッキーのテーマならロッキーのギミックで売り出して見れば良かったのに、体型は全然違うが >>364
結局は同じ遅咲きという意味で百田のテーマに 唱和全日外人のテーマ曲というと、やはろ
「スピニングトーホールド」「吹けよ風呼べよ嵐」「スカイハイ」の
3曲が草分けだな。この3曲の使用順はどうなってるんだろう。
あと、デストのテーマ曲の記憶が全くないんだが、何か使ってたっけ?
引退セレモニーでは「あの鐘を鳴らすのはあなた」が流れてたけど
さすがにあれを入場テーマには使えないだろうし。 プロレス入場曲でググると、マスカラスのスカイハイより先に
鶴田が75年にブツチヤ―と蔵前で試合した際にチャイニーズカンフーを流したのが
全日の入場曲の起源となっている。スカイハイは77年だから一年以上先なんだな
馬場が日テレスポーツテーマで入場するのはさらに後という事になる ギャラクシーエクスプレスなんてずっと後だろ?ブルーアイドソウルとかの方が古い。 個人のテーマは77年初頭のスカイハイブームを受けて、暮れのオープンタッグで一気に開花したって感じだね。
スピニングトウホールド
吹けよ風呼べよ嵐
ブルーアイドソウル
ギャラクシーは78年のフレアー初参加が最初。 オープンタッグ木村・草津vs大木・ドクの入場にブルーアイドソウル使われたな
https://youtu.be/R2CwQmYTGhM >>373
79年の最強タッグ入場式は、大木&カマタ組と白覆面コンビだけが入場曲がなくて、
仕方なく日本テレビスポーツテーマがかかって入場させられていたよな。 >>366
デストは、ローリングストーンズのサティスファクションらしいけど、印象はないな。
日本組のの一員の時は、たぶん使ってないのでは?
知らんけど。 UNのタイトルマッチで
挑戦者天龍のテーマ曲が鳴り響く中
寂しく入場する王者デビアス >>376
>デストは、ローリングストーンズのサティスファクションらしいけど
そうなの?知らなかった。全く記憶にない。
世代的に、本人のリクエストかもね。
曲がかかった状態での入場を見たことないから、似合うか似合わんかもわからない。
>>375
そういえば大木も、常連の大物なのに入場テーマのイメージないね。
一時期国際に上がっていた時は何か使ってたんだろうか?
カマタのテーマはヴァンゲリスのおどろおどろしい曲だったけど、
ブッチャーと組んでた時は当然吹けよ風が優先されるから、
使われる機会は乏しかったな。はっきり覚えているのは、
マーシャルボーグと組んでインタタッグに挑戦した時だけ。 >>379
1985年に木村と組んで鶴龍コンビと対戦
した時にはカマタのテーマで入場してきた。 >>379
国際時代はこの曲
https://youtu.be/t6wkory3omY
Cozy Powell “THEME ONE” >>379
カマタ
https://youtu.be/m1lT3veFUhk
Vangelis “The Dragon”
ハンセンカムバックの木更津大会メイン、ジョーとなタッグでも流れてた。 名レスラーなのにテーマ曲の印象が薄いのってデストロイヤー、ブリスコ、ブラジル、
クラップ、ブラックウェル、スミルノフ、
ジプシージョー、鶴見、大木とかかな。 >>376
デストはストーンズのサティスファクションじゃなくてアンダーカバーオブザナイトだよ。 >>379
78最強タッグの入場式で大木ドク組の入場時に掛かった曲は「山と水」
84年頃のCM前にブリッジで多用された >>385
ブラジルなんか、入場曲以前の名レスラーだろ?
つまり’60年代、せいぜい72,3年まで。
キニスキー、エリック、サンマルチノと同じだよ。 80年代後半まで全日で活躍したけど入場曲のイメージ薄いのはデビアスとスレーターでしょ。
どちらも最後の方でようやく個人曲もついたけど、ほとんど知られてない。
デビアスはむしろWWF行ってからの「ダーッハッハ!!」「♪マネーマネーマネー・・」が強烈w >>386
昔、全日がテーマ曲サービスしてた時に、
デストの欄はサティスファクションだったぞ。 >>389
WWFで印象に残ってる曲はミリオンダラーマンとティト・サンタナのテーマ
東京ドーム流れたときはスヌーカの曲だと思い込んでいて20年以上経ってから知って驚いた >>390
そうなんだ。
デストロイヤーはストーンズファンだったんだね。 >>385
スレーターご長年無かったのが可哀想だった。
全日本のレスラーが掲載された公式のカレンダーでも単独でひと月に登場していた人気レスラーだったのに。 >>393
アジアタッグのテーマであるストリートビートが実質的に石川のイメージ >>394
スピニングトーホールドの使用が許されていたというので大物をアピールしていた印象 スレーターはスピニング・トーホールドで入場してたやん まぁデビアスがスピニング・トー・ホールドで入場してもしっくり来ないな
たしかスレーターに曲が与えられたのはファンクスの来日が途絶えた88〜89年頃かな >>350
木村には不似合いなあのテーマ曲は「スピーディに動いてほしい!」と言う東京12ch
のPの要望を表していた。
>>372
「鶴田の登場から少年、女性ファンも目立ち始めて入場曲の必要性を感じた」と日テレ
・梅垣Dは述べていた。スカイハイの大ヒットはオリコンから表彰されるくらいの成果を
あげた。その後はファンからレスラーをイメージしたした推薦曲がTV局に来るようになった。
チャイニーズカンフーはコンサートまで開き音楽に造詣の深い鶴田の持ち込みだった。
サンライズに関しては新日時代からイメージしていた曲だった。最高の入場曲として挙げた
のは炎のファイターだったw 日本人の新人レスラーはまだわかるが、中堅や外人レスラーに曲がないのは違和感だった
特に同格扱いなのに片方だけ曲がある時は入場曲なしでリングに上がるレスラーは見ないふりしてあげるのが優しさのように感じてた >>401
そうかなあ。
入場曲はスターの証って感じで、誰でもかれでも与えるのはやめてほしいって思ってたわ。
いまだに、新人レスラーにテーマ曲与えるのは反対。 >>373
プロ野球でも専用のチャンステーマがない選手は、全選手用のやつを
つかうことがあるけど、あれと同じようなものかな
>>399
木村はやっぱりサバイバーかな
あの田舎の祭囃子のような曲調が、木村のスローなスタイルによく合っていた >>402
それは思う、今は客層が変わったからわからんが90年代のインディは第一試合から若手レスラーが好きなハードロックが大音響でかかってメインレスラーと同じ尺をとって偉そうに出てきて違和感が凄かった。 若手は若手用の決まった曲で両者入ってくる感じで丁度良いよな 木村のスカイダイバーは確かに合わなさすぎた
リバース・ オブ・ザ・ビートがしっくりくる WWEがやってる乱入時にテーマ曲流す演出は、流石に違うだろと思うw >>393
トニー・マカパイン自らが自分の曲を石川に使って欲しいとリクエストしてた SWSの時は部屋ごとにテーマ曲があってメインの一部以外は所属テーマ曲で入場してたな、若手だけはリングに走って行ったから短かったがあの団体は中堅が多かったから中だるみ感が凄かった フットルースのテーマ曲ノリが良くて好きだった
解散後でも川田には継続してほしかった 血盟軍の「安息の後ろ側」はめちゃめちゃピッタリたなあと思った。 入場前の控室からカメラが入ってる時には入場曲がある程度流れるまで待機してる様子が人によっては違和感があった >>390
会場で流れてたのは間違いなくアンダーカヴァーオブザナイトだよ
収録アルバムはストーンズの最高傑作だと勝手に思ってる
レスラーの音楽趣味は興味ある
ブッチャーとかブロディとか普段何を聴いていたんだろう >>390
武道館のデスト引退試合は間違いなく
「アンダーカバー・オブ・ザ・ナイト」が流れている。 >>410
SWSは会場演出を博報堂の系列会社に外注していて、選手のテーマもそこの
スタッフが決めてたらしい。その選曲リストとコピーが一部雑誌に載ってて、
谷津が「この選手にはヘビーメタルがよく似合う」とか書かれていた。
>>411
フットルースってタッグ名はもちろん同名の映画から来ているんだろうけど
誰のネーミングかな?プロレスにはそういうセンスも必要だよね。
>>416
「プロレスを十倍楽しく見る方法」でブッチャーはピンク・フロイドを絶賛してたな。
「「吹けよ風」は最高だ。聞いているだけで戦いたくなってくるぜ」とか。 >>418
吹けよ風呼べよ嵐はリズムに乗ってシンがリングで上下していた姿も忘れ難い ジャパンプロレスが長州と谷津以外全員同じ曲だったのはさすがにどうかと思ったな。
さすがに当時の格からカーンや小林くらいは個別の曲でもいいのにと思った プロレスとロックは結びつきが強い?という話は度々聞くが、
オレの場合は完全に双方独立して親しんでいったな。小中学時代にプロレスで吹けよ風呼べよ嵐や
レッドブーツを先に聴いたが誰の曲とも知らず。移民の歌もブロディバージョンが先。
高校になってロック聴くようになり、改めてこれらの曲を聴く機会が訪れたが、プロレスを
想起するわけでなくただただロックの曲として親しんでいた。 >>406
『Rebirth of the Beat』は、新日本時代(81年〜84年)に使われていて、
全日本に移籍した84年11月〜90年8月まで使われてなかったよな。
馬場デビュー30周年(9月30日)で、6年ぶりに木村のテーマとして使われた。
91年1月に全日本を見に行った時、馬場が骨折欠場中で木村のテーマが使われたんだけど、
7年ぶりに『Rebirth of the Beat』を聴いた時の懐かしさといったらなかったわw
「あれっ、これって確か新日本の国際軍団時代の・・・」って。 今思えば、鶴見のSWS転出が国際血盟軍の正式な解散だったのかな リバース・オブ・ザ・ビートとスター・ウォーズとアラビアのロレンスはメロディラインがよく似てる。 >>424
ラッシャー木村が馬場をアニキ呼ばわりしたがった時点で
血盟軍は実質解散したような気がしたが、鶴見がそれを認めてないってんなら
全日を退団してメガネに行った時の方が正しいのかもしれない 当時馬場と木村が兄弟コンビを組んだ時、鶴見が頑なに仲間に入れてもらえなかったのが子供心に可哀想に思ってたw そら国際プロレス時代から「俺たちのリーダー」だと信じて支えてきた人間が
馬場に対して「アニキアニキ」と自己卑下した姿を満天下に晒されたら支える気もなくなるよな >>423
12ch時代後期の国プロのイメージが強いかな
新日本でも使っていたけど、なんか新日本での木村はなんでここまで目の敵にされないといけないのか色々不憫な感じがして楽しくは見られなかったのが正直なところ >>422
レッドブーツ、渋いな!モンゴリアンストンパーか
移民の歌は俺も全日版が先行だったわ >>390
デストの引退武道館見に行ったが、確かに「あの鐘を鳴らすのはあなた」と「トクミツ、ヨンノジガターメ!!」っつって徳光が慌てて拒否したのしか覚えてないw
ただ別の時、後楽園で
アメリカ国歌の前奏入りアンダーカバーオブザナイトで入場してきたと記憶してる。 >>429
確かガニアとIWAの争奪をやってた時期から使い出したらしい デビッドは試合する前に急死してしまったけどテーマ曲は作られてたのだろうな デストロイヤーは冒頭にアメリカ国歌
が流れるのしか印象がない。 女子プロだとフュージョンもマッチしたんだが
ふつうにプロレスだと戦闘感がなくて合わなかったな。
エレキギターとかギャンギャンつうほうが入場ボルテージが
上がった。王者の魂とかローリングドリーマーとかそうだな。 シークはFMWでは「はげ山の一夜」を使っていたがあれは良い選曲だった >>433
ケリーと同じアイオブザタイガーの可能性も >>436
その後中川がヒール転向時に和製シークとなってこの曲使ってたね >>418
ニュースステーションの金曜チェックの構成作家が今までやった中で一番、印象
深いかく面白かったった仕事にSWSの会場演出を挙げていた。 赤コーナーも青コーナーも同じゲートから順に入場してくるSWSの演出に週プロが噛み付いてたな
敵同士が同じ所から出てくるのはあり得ない!みたいな >>427
>>428
もともと血盟軍は、ジャパンが参戦した時長州たちと絡むのを嫌がる馬場が
カードに困らないように、相手役としてでっち上げたものだからね
ジャパンが去り元の外人路線に戻ったら用済みかと
鶴見があの後も全日残りたかったら悪役商会入りしたほうがよかったかな
>>436
素晴らしいセンスだ。本人の選曲かな
>>437
ケリー初来日のときのPVでアイオフザガイガー流して、ずいぶん売込みに熱心だったな
兄貴たちもあれくらい売り込んでやれば、新日に移籍されたりしなかっただろうに >>429
世代の違いかな。
国際プロレスは体験していないので、木村が『Rebirth of the Beat』を
新日本以前に使っていたのを知らなかった。 >>440
そのあと新日やWWFが同じことやっても文句言わず。
週プロはダブルスタンダードばっかりだったから信用ならんかった。 >>428
それは演出上の役割
むしろそういうのはミル マスカラ…
いやっ、見る側が感じて思うこと
おんどれはラッシャーの『兵吾、等、仕事だ』の名台詞を忘れたんかい >>433
噂の域は出ないけど、映画「スティン・アライブ」の主題歌だったという話を読んだ記憶がある。
https://youtu.be/HBKgYIh_DzM >>440
ターザンは逆に一本花道を評価していた。
というのも全日本がドーム大会の時ベンチからの入場ゲートだった事に対して安っぽい演出でガッカリだ。ドームだからもっとゴージャスな演出にするべきだと苦言していたくらいだから。 >>434
レオンスピンクスなんかアメリカ国歌そのものだった >>437
ケリーの場合はタイガークローの連想からアイオブザタイガーが使われたと思うんだけど
デビッドのクローは何て呼ばれてたのかな? >>441
キン肉マンでスカル・ボーズ&デビル・マジシャンの入場曲が「はげ山の一夜」だったので
FMWのスタッフにそれを知っていた人がいたのかもしれない >>413
90年代の全女は、若手の入場時には赤コーナー用と青コーナー用で曲が決まってたね。 めっちゃアレンジされてるけどブロンドアウトローズのテーマも禿山の一夜
昔ファンロードという雑誌のプロレス特集で、救急車みたいな入場曲と揶揄されていた フットルースみたいにコスチュームをダサいと言われても入場曲は評価される傾向があるね、歌だとうまい下手があるが曲にはないし
決起軍のランナーみたいに時代を代表する誰もが知ってる歌を選ぶと翌年に時代遅れ感を強烈に感じたり、阿修羅の新テーマみたいに本人のキャラに似合わない場合くらいかな、問題が出るのは 新日ヲタだったけど、全日の選曲センスは羨ましかった 禿山の一夜は東映戦隊もので悪の組織出現BGMの定番だったように、昔から
とりあえず怖いものに流しとけという伝統があったからな
「ファンタジア」(1940年・日本公開は1955年)あたりが起源なのかは分からん 新日に行ってからだけど
マードックの軽快なテーマが「線路は続くよどこまでも」のアレンジだったね
最初は全くわからなかったが、あの掛け声入りのハイテンポの曲はマードックにぴったし >>455
あれテキサス大学のマーチだろ。
ジムロスがよく似た感じのオクラホマ大学のマーチで入場してた。 >>418
谷津はギャングスタラップ、天龍はヘビーメタル、高野兄弟はビッグバンドスィングジャズ
選曲理由は確か谷津→肉体で何かを主張したいアジテーションしたいという雄弁な試合ぶり
天龍→禁欲的な王者の行進、高野→トレンチコートが似合いそうな危険な男の香り、
みたいな理屈だった 一時期の高木は爆風のランナーだったな。
ランナーは田上だっけ?
あれは爆風から許可を得たのだろうが。 >>454
なかでも代表はキョーダインのガブリンかな テレビ局の包括契約に含まれる全日、新日以外は洋楽を会場で流すの結構ハードル高い
クラシックは演奏者の特定が難しいから使いやすいのかな >>461
洋楽も大体はカスラックが管理してるから会場での使用は現状過料はないぞ
配信とかDVD化した時に使用料取られるのは新日全日でも同じ >>460
1970年代半ばには定着していたんだな >>458
田上のランナーは歌入りでなく
スーパーで流れるような安っぽいインストだったね。 >>446
SWSの時は、ボロクソに書いてたわ!
それを忘れて謝罪もせずに、
あとからシレッと意見変えるのがターザン。 >>446
ターザンが馬場批判するかねえ。
ダッグアウトから入場するのは、元巨人の馬場の強いこだわりだ!みたいに絶賛してたやろ。 >>464
SWSのドームでアイアン・マン1分流すのに300万掛かったって話があった >>470
その話は知らんが、FMWの頃から今に至るまでインディーでも洋楽使いまくりだぞ
大仁田のワイルドシングとか知ってるだろ? >>471
ノアの地上波打ち切りで三沢のスパルタンXがカバーに差し替えられた
包括契約に含まれない場合、営利目的であれば当たり前に使用料は発生する >>472
?テレビ局の包括契約はテレビでオンエアする時の話なんだけど
なんで会場で流す話で包括契約云々言ってるのが理解出来ない
例えば渕はトップガンのサントラ曲入場に使ってるが、テレビ局から切られた後の全日やゼロワンとかインディーに出たときも普通に流れてるの知らんの? >>473
店内やイベントで洋楽使い放題だと思ってるのか?
タダで使えるわけないだろ
テレビ局の包括契約に便乗出来るか否か話だ 日テレだから後楽園ホールが安いというのはどうなったんだろ >>474
アジアタッグ挑戦だね
極道コンビ最後の挑戦を経て、若手二人を起用した佐藤は凄いな >>452
>>458
ランナーはよく言えばひたむきな、悪く言えば泥臭い
若者の歌なので、決起軍時代の田上にはピッタリだったけど
おっしゃる通り大ヒットした分だけ、古くなった後の時代遅れ感が凄かった
次のエクリプスは垢ぬけすぎててあまり似合ってなかった
ノア時代の仁義なき戦いはあっていると言えばあっていたが、
あれは本人の希望だったんだろうか >>477
パートナーの越中も合わせて海外遠征前の若手が挑戦したのはこれが最初だったんだよな >>478
決起軍時代の田上はひたむきとは程遠かった >>475
テレビ局の包括契約を少しでも勉強しておいでよ
それじゃないと話にならんわ
それとここ何年かで店のBGMとか音楽教室の使用曲とかカスラックが許可云々言いだしてるけど、プロレス会場で流れる入場曲にはまだなにもカスラックが口を出していない
だから昔から今でも洋楽は普通に使われている
反論あるならプロレス会場での使用に許可必要とするソース持っておいで
こちらは大仁田と渕の実例挙げてる 佐藤体制になるまで若手にチャンスを与えなかった印象だが、大仁田渕薗田のジュニア達との年功序列的な感覚だったのかな >>481
今のインディーや全日が使用料払ってないっていう根拠は? >>478
超世代の頃の田上はその時代遅れのランナーが逆にピッタリだった >>483
悪魔の証明すら知らない?
ないものは証明出来ないんだけど
反論するなら払ってる証拠、もしくは、使用料払わなくてはいけないとするカスラックの声明出してよ
プロレスで何か言ってきたことなんてないから >>446
>>468
ター山は98年ドームの演出は「これこそ馬場の世界」として賛成。
ただそれは馬場だから許されることとし
99年ドームは安っぽい演出とボロクソに批判
一本花道を含め、新日本並みに演出すべきとした。 >>485
口を出してないとか言ってきたことないってわめく意味が分からない >>487
使用料払わなきゃいけないとするソース出せないならもうレスしないよ?もう話逸らすだけやんけw 三沢のスパルタンXはピアノとか効果音入ったりしたけど、地上波打ち切りとは関係ないだろ? >>489
地上波打ち切り後のシリーズから三沢の入場曲がカバーに差し替えられて当時話題になってた >>489
森進一が「おふくろさん」の前奏に勝手にバースをくっつけて
作詞家を激怒させ、結局最期まで許してもらえなかったことがあったけど、
あのピアノイントロも原曲にないものを勝手に付け加えたんだよね?
作曲家が怒って「もうお前にこの曲は使わせない」とかなったりしないんだろうか? >>455
細かく言うと「線路は続くよどこまでも」と「テキサス・ファイト」の間に「ジ・アイズ・オブ・テキサス」という
ほぼ「線路は続くよ・・・」と同じ曲があって、これを編曲したのが「テキサス・ファイト」だね。
テキサス大学の試合では、この2曲が連続して演奏されることが多い。
https://www.youtube.com/watch?v=oa8tBHIcqFg
>>481
そうなん?
営利目的の会場で曲使用したら、普通に使用料かかるんじゃねーの?
払ってないんだとしたら、カスが口出してないんじゃなくて、許可取らずに使用してるだけなんでは? >>493
川内康範が激怒したのは、
前奏の時に勝手に台詞をつけたから、ではなくて、
歌のテーマから逸脱した台詞だったからだ。 いつの間にかここは森進一を応援するスレになってるな >>466
いやいや、あれは原曲のボーカルをカットして前奏から間奏をつなぐ編集をしたもので、
演奏そのものは爆風スランプの本物だぞ!
安っぽいインストなんて爆風に失礼やないかw サンライズも会場で流れるのはボーカルをカットした間奏部分だが、世界一カッコいい間奏だな。 日テレ音効さんのセンスの良さを感じる選曲は昭和で終わったような気がする
谷津のラブ・チェイサー、阿修羅のDreams、スパイビーのブラディ・キラーが好きだった >>486
松山千春のアカペラをそれぞれのベンチの前から聞いている場面がそれだったな >>480
気の抜けた試合したすると俊二に殴られ仲野にはどなられてた
田上のトークショーで暴露してた
俊二とは全くウマが合わなかったって 激怒するのは勝手だが何の法律もないからなあ。
曲作って金とったんだから手放すと同じ。
だから音楽家や芸術家は始末が悪い。だったら売るな。 >>500
ジャパンが来た頃にはもう終わってた印象 同格タッグだとテーマ曲を合体させてたが、許可をとってたんだろうか >>452
あの不評のコスチュームは「目立つため」にと言う天龍のアドバイスだったw
>>472
最近の新日は入場曲を自ら発注して作成して権利問題をクリアーしている。
>>476
全日は日テレの子会社扱いで日テレがボクシング中継で包括契約していた日大講堂を
他団体より遙かに安く使用できた。それゆえ客入りのあまり気にしなかった。
>>486
馬場シンパのマスコミは「"普段着"で初ドームを大成功させた全日!」と提灯記事を
書いた。ただその裏でドーム大会について「オールスター戦のような豪華なモノ等の
いろいろアイディアを出した」のに馬場から一切、拒絶された日テレのPとは距離ができた。
それゆえ日テレからの宣伝等の応援は得られなかった・・・ 80年ゴングの全日選手名鑑
馬場
鶴田
戸口
高千穂
天龍
石川
羽田
小鹿
大熊
この順番だったぞ
80年だから三沢も川田もいない時期だぞ >>507
FMWシゴキみたいなことするくらいならやらない方が良かった
天龍は難しいだろうけど例えば田上対北尾なら6メンにして全日側なら雅夫、武輝側なら望月が獲られる形にすれば良かった >>510
あくまで全日本が主導出来る物でなければ意味が無いからな
初のドームならそれだけで十分話題になるし 全日に一度だけ来日したドン・カヌードルが亡くなったらしいけど、まったく記憶にない >>502
高野と田上の関係初めて聞いた
確かに合わなさそうだわな、ただ当時の田上だと全員に叱咤されてたから高野がどうこうはないが >>512
一応は田コロのセミでデストロイヤーの相手をやってたんだよな
師弟コンビが仮面兄弟とインタータッグをやった時 仲野ってすでに薬をやってた嵐と仲が良かった
馬場には反抗的
小林邦昭、アポロ菅原あたりも馬場のプロレスに批判的だったけど
それで成功したならわかるけど結局ダメだったじゃ無い
まあ長州力にしても今更馬場の十六文を食らって悶絶なんてできないわな
馬場ってある意味リトマス試験紙であり踏み絵であったな >>515
馬場は長州と絡むの嫌がってたし、長州も馬場と絡むの嫌がってた
かといって今更対外人もテーマがないから
馬場の相手役としての血盟軍が必需品だったんだな
鶴見はそのことをよく理解していたけど、菅原や剛は理解していなかったか >>504
なんにも知らんくせに適当なこと言うな。
最初に指摘してから、森が10年間無視して、さすがに堪忍袋の緒が切れた。
そりゃ自分の意図と違う解釈されたらたまらんたろ。歌わせないようにするのも権利なんだから、何の問題もない。
それに普通に謝って改めてくれればすぐに許すと川内が言ってるのに、森はいつも謝罪にマスコミゾロゾロ連れてきたから、余計に激怒した。 森進一は嫁への態度や息子の利用の仕方で元々イメージが悪かったからそれで世論が川内に傾いたね 戦う森進一と呼ばれたのは菊地毅
やられてる姿からそう呼ばれてたが20代レスラーを中年の森進一と同じにされるのはかわいそうだと当時思ってた カヌードルといえば田コロのデストロイヤー戦でフワッとしたパワーボム受けてた >>523
前年に猪木がモンスターマンにやってた奴か >>520
声質が森進一系のしゃがれだったからじゃない?
プロレス大賞のパーティで「おふくろさん」を先陣切って歌ったらえらい受けて
天龍からご祝儀沢山貰ったと言ってた >>522
>>523
そうペッタンコって感じのやつ
フィニッシュは安定の4の字固め
チリチリ頭に無精ひげ、青の吊りパンという冴えない風貌ながらデストロイヤーに食らいつきセミをそこそこ盛り上げてた >>525
そのエピソード知らなかった
表情から。。は雑誌にあったはずだがそっちの理由っぽいな 名鑑でドン・カヌードルを見たけど、鶴田とシングルの映像が残っている
ミッキー・ドイルにそっくりだなw >>523-524
細かい事言うとスタンプホールドってベアハッグと同系統の絞め技だけどな
猪木がモンスターマンにやったときはパワーボムって技名なかったから
スタンプホールドと言ってたけど >>530
パイルドライバーの体勢で絞るやつだっけ
デストロイヤーのその技とパワーボムの関係はオースイスープレックスとタイガースープレックスの関係に類似するね >>515
> アポロ菅原あたりも馬場のプロレスに批判的だったけど
それは誤解。
本心はわからないが菅原自身が馬場に反論したことを否定してる。
そういうことが言える立場ではないしそういう場面も無かったと。 >>516
> 馬場は長州と絡むの嫌がってたし、長州も馬場と絡むの嫌がってた
長州が嫌がってたのは谷津が証言してたが
馬場が嫌がってたというソースってあるのか? >>533
食事に誘ってもらったが、その場で馬場に反論した
鶴見五郎が嘘をつく理由もないけど >>534
馬場は長州力のプロレスを基本的にしゃもの喧嘩と思っていたからな
必殺技を安売りする長州力とはやりたくなさそうだけど >>535
鶴見も「人から聞いた話」と言っている。
菅原が嘘を言ってる可能性もあるが
本人は馬場と一緒に食事をしたことはないと言ってる。 >>536
マスカラスとやりたくなかった理由にも通じそうだな
マスカラスとしてはシングル対決をしたかったようだが >>536
それだけじゃ想像の域を出ないからな。
事実認定してしまうのは良くない。 >>532
小林はツームストンの体勢で絞り上げるエゲツないやつだった >>502
全日入団後の仲野は全日道場にマスコミの取材時以外は行かなかったそうだし、
これは俊二も似たようなもんなんだろうな。
高木と田上はそこまで酷くないだろうけど、
田上は鶴田本だかのインタビューで「道場にはあまり行かなかったw」なんて言ってるから推して知るべし。
対して合宿所住まいとはいえ小橋はオフに朝から晩まで道場に居たらしいもんなw
これ同じ三沢が団長を務めても中途半端に瓦解した決起軍と
大成功した超世代軍の決定的な違いなんだろうな。
「同じ釜の飯を食う同士」って感覚は決起軍には全く無く、上から言われて作ったユニットって程度だったんだろうな。
三沢を欠いてからは求心力が無くなったのが傍から見てもわかったもの。 >>541
高野、仲野、高木の3人が仲良かったらしい。 89年の後楽園に行ったとき仲野、高木、田上対ジンク、ファーナス、クロファットのカードがあったんだけど仲野と外国人には声援が飛んで高木と田上は出てくるだけで大ブーイングあびてたな…あと、この日鶴田オーコールが生まれた気がする 仲野が新日に残留してたら小杉、仲野、後藤の中堅若手三銃士が生まれてたのかな 仲野って何がいいのか分からなかった
「凡庸」という言葉がピッタリ 馬場が長州と当たるの嫌がったとか聞いたことねえよw
足が届かなくてサソリ出来なくて嫌がったの長州だろ >>547
しっかりアリバイ作りながら試合する馬場からしたら、
なんの脈略もない試合運びする長州を嫌うのは理解できるけどな。 そもそも対戦相手としての長州は新日本のレスラーでも嫌だろ
喜んで戦ったのは試合の9割が受けでも気にならない天龍と藤波くらい、他はレスラーとしてのリスペクトはあっても戦うと自分の持ち味が出ないからいやじゃないかな 仲野といえば89年5月のVSダイナマイト・キッド
彼の駄目なところが全て露見したような大凡戦
実況席の倉持と馬場にボロクソ言われてた >>550
おっ見てみよう
仲野北原あたりは記憶にないからな ラジャライオンの出た武道館の龍原と谷津仲野の試合は良かった
ランニングネックブリーカーで天龍をニアフォールの場面もあった >>541
退寮しても練習時間の数時間前から来るので若手には「あ〜練習時間が長くなる・・・」
と小橋は嫌われていたw >>552
1月徳山の鶴龍戦からサマーアクションシリーズ2までが仲野の全盛期かな
最強タッグは三沢タイガーと出場したけどTVには全く映らなかった >>548
85年の最強タッグで馬場ドリー組と名古屋で対戦して時間切れ後のインタビュー
長州「戦えたのは光栄だったな。今まで戦った相手の中で一番足が強い」
馬場「長州とシングルでやってもいいよ。でも鶴田や天龍がそれは俺たちの役目って
言うだろうからなあ。長州と鶴田と天龍と谷津と…
その中から勝ち上がって来た奴と戦ってみたい」とコメントしている。
大塚は「鶴田や天龍はいいが馬場さんとは出来ない、と長州はいつも言っていた。
理由は馬場さんには合わせられずどう戦っていいかわからないと言うのである」
結局、シングルの機運は盛り上がらず二人の試合は凍結された。 もう馬場はPWFからも降りてる時期だし
いきなり長州と試合するとなってもテーマ性がない >>555
ケン・シャムロックも全日初来日を語って
「負けばかりだったが良い思い出だ
一番印象に残っているのはオーナーのババの足の力の強さなんだよ
あの足の力の強さは世界一なんじゃないかと思った」と言っていた >>>555
両氏ともそれらしい言い訳をしているが、要はお互いの商品価値を落としたくないからでしょ。
馬場は勝ち以外の結果だと商品価値落ちる。
長州はジャパンの絶対エースだから負けは有り得ない(鶴田戦のような内容的に負けも同様)。
長州は84年IWGP公式戦でアンドレにフォール負けしたがアンドレをボディスラムで投げることでわずかに面子を保った。
馬場戦でそれに当たるとしたらサソリ固めを成功させることになるが、馬場にとってはできない相談だったのだろうな。 当時も別に見たいと思わなかったしな馬場と長州のシングルなんて ジャパン参戦時、雑誌には「長州の標的はまず天龍。次は鶴田だろう。
馬場戦はよほど全日が追い詰められないと実現しないのではないか」とか書かれてたな。
実際には鶴龍や豪華外人の分厚い壁の前に、対馬場戦のムードなんかまったく
盛り上がらなかったけど。 全日対ジャパン対抗戦に、しれっと馬場がエントリーしたことに違和感。 >>561
馬場対長州が実現するかも
とチケット買わせる下心があったんだろうね >>564
対抗戦のカードは別日の綱引き型くじ引きで決定したからそれはない。 >>565
伏せた全日本選手のサイン色紙をジャパン側がめくる神経衰弱方式だったよ。
裏側にも選手名が書いてある八百長だから色紙は回収した。 秋田のリング上で両軍揃い踏み
唐突にジャンケン始める天龍と谷津がシュールだった 馬場の小兵嫌いはあっても、古くからデストには相手として互角(ライバル)の気持ちでいたな。ブルクラも横幅広いが上背はない。
バションは日プロへ初来日した時はそれなりの実績はあったがインター挑戦は見送り、コックスが挑戦したんだっけ。
対決は見栄えがしないゆえだろうか、それでも馬場はバションへの評価は高かったという。 >>568
マットドック・バションは日プロ1968年秋のシリーズに初来日。
日プロ幹部がその暴れっぷりを見て、「とても馬場のインターに
挑戦させられない」と判断したとか(苦笑)
まぁ、体格差の問題もあるね。
同シリーズ、KKコックスと一緒だったが、アメリカではバションの方が各上
(AWAやモントリオールでは数度、世界王者になっている)
日本では、その逆になったので、気を悪くしたとか。
結果、国際がAWAと70年に提携したこともあるが、
日プロと全日には来日しなかった。 >>569
訂正
×日プロと全日には来日しなかった。
○その後、日プロと全日には来日しなかった >>569
まあ概ね、上に挙げたレスラーは馬場より先輩だしプロスポーツ経験があれば
尚の事、畏敬の気持ちは多少なりともあるだろうしな。
バションの凄さ(気の強さ、喧嘩度胸)にはさすがの馬場もドン引きしたんだろうなw
その辺、ラッシャーのような打たれ強さや流血ファイトが得意なrスラーもしくは国際というリングが
似つかわしかったんだろうね >>563
それ週プロだろ。
センスないネーミングだよなあ。
まあゴングのフライングハーキュリーズも大概だが。 >>566
回収?
みんな場内に投げ入れてたやん。 バディ・オースチン、ディック・マードックは狂犬なのに
マッドドック・バションだけキチ〇イ犬 キカイダー01にキ○ガイ鳩という怪人が出てくるのだが
英語直訳するとマッドビジョンになるので語呂が似てる 馬場は歴代NWA王者では小兵のブリスコから獲って当時は評価されたの? >>577
ブリスコは188だから小兵ではないが、ウエイトが107だからぱっと見線が細い >>569
>>571
>まぁ、体格差の問題もあるね。
180pくらいしかないロジャースを史上最高のレスラーと絶賛したり、
自分よりデカいコンビクトをデカいだけじゃないかと酷評したり、
馬場は必ずしも体格だけでレスラーを評価しているわけじゃないんだろうけど、
上背は似たようなものなのに、バションはデストやブルクラに比べても
小さく見えるんだよな。少し横幅や厚みが足りなかったのかも。
オリンピック出てるくらいだからアスリートとしては明らかに格上だし、
著書で実力は認めていたから、一度くらいインター戦やってもよかったな。 バションは低めの数字では身長170cmだからな、本当にチビだった。
ジャック・ブリスコは184〜5cmくらいだろうな。 >>577
ラリー・マティシックが著書で書いてるそうだけど、ブリスコ、レイスが
ローデス、馬場、リッチに「その地区のサーキット初期に負けて最終日頃に
取り返すNWA王座のキャッチボール」を連発したことについて
「75年に世界王者の管理がバーネットに移管された時点でチャンピオンの
存在意義がガラッと変わった。
自分の管轄であるアトランタ、エディ・グラハムが牛耳っていたフロリダ、
それと馬場の全日本、この3か所がNWAの中で金を生むテリトリー
ベスト3だったので、手っ取り早いボーナスとしてキャッチボールを
実行させたに過ぎない。あれはバーネットにとってもレイスにとっても
ハッピーだった。ももちろんグラハムも馬場もハッピーだったし、
ローデスにもリッチにも箔が付いた。
ただし他のNWAメンバーは白けた思いでキャッチボールを眺めていた。
もはやNWA王座の権威、信頼度が大きくチップ(減少・削除)されたことは
事実だった。すでにNWAがカルテル組織としての機能を喪失していた
ことの証明だった。」 「トミー・リッチのワンウィーク・チャンピオンは単純にアトランタのビジネスを
アップさせるための便法だった。事実、リッチが王者になった後のアトランタ
(オムニ)は翌年春頃まで最後のブームと呼べる超満員の連続記録を
打ち立てている。」
「王座獲得の時点でリッチは24歳、キャリア5年。ジョージア地区を
中心とする南部一帯ではヤング層の圧倒的な人気を得ていたものの、
実力的には中堅の域を出ておらず、NWA内部で大いに不満が出た。
しかも会長のクロケットJrは全日本に来日中で王座交代の件をまったく
知らされておらず、この後のバーネットとの関係に大いにしこりを残した」
そうなんだな、ローデス、リッチ、馬場って「稼げるテリトリーである
フロリダ・アトランタ・日本の三地区それぞれのエース」だったんだな リッチとローデス、馬場との違いはレスラー兼プロモーター様でないというのと
NWA戴冠があろうがなかろうが、馬場とローデスは記憶に残るレスラーだったが
リッチはそうじゃなかったという事かな。
ジョージアではどうか知らんが他地区で客を呼べるようなレスラーだったら
NWA王者になった事をいつまでも悪口の種にされるはずがない 83年エキサイトシリーズの後半戦にリッチが特別参加してんだけど
当時、会場に入って初めてリッチの登場を知って
「えっ?世界王者だった人だよな」てな感じで凄く得した気分になったのを覚えてるw
たった一回、超短期間でもNWA世界王者になってたら、当時はそれなりのインパクト、売り文句になってたな。 >>585
自分みたいな日本のプヲタには、
馬場とローデスはNWA抜きでも十分な実績があるけど
リッチはそうは見えないところなんだが、実際はどうなんだろう。
調べたところ、ジョージアのローカルタイトルは
一杯取っているようだが。 立地はバーネットの色んな意味で♪、秘蔵っ子だたからなあ。。
ところで横浜でヘビがやっと見つかったな。ヘビと言えばマークルーインだが
こいつも好みの男子レスラーにはスリーパーかけて耳元で色々と囁くやっかいものだったと聞くw >>560
>馬場戦はよほど全日が追い詰められないと実現しないのではないか
現実的な意味では「観客動員や視聴率が追い詰められる」なんだろうけど
馬場vs長州のシングルってそこまで動員数や視聴率が取れたんだろうか?
もちろん自分は必ずチケット買っただろうけど、大衆的な効果はどうだろう
これでダメならどうしょうもないし、日テレの評価や信頼を失う
逆にもし最高の動員や視聴率を記録したら、これまた鶴龍時代は時計の逆戻り
ファンクスがフェードアウトしたと思ったら、切り札がまたもや馬場では…
まあ馬場vs長州はどちらにしても両刃の剣だったろうね。 >>577
体格云々より、やはりブリスコは馬場より格下だからねぇ。
その3年前には、猪木にも負けているし。
ブリスコは、歴代NWA王者の中では、体格は普通だろ?
190cm以上あったのは、テーズとキニスキーくらい
(馬場は除外、アメリカで防衛サーキットをした正規の王者ではない)
オコーナー、ロジャーズ、ドリー、レイス、フレアー、皆180cm台
100`台だろ?(ひとり、みっともないデブがいたが)
ジョナサン、エリック、コワルスキーなど
あまり大型な選手は世界王者に選ばれない。 そもそも大男ばかりの国なのだから190cmないと説得力がなさそうではあるが。
じっさいアメリカにおける180cm台って、日本における170cm台ってところじゃないか。 アメリカじゃそれほどでかい小さいにこだわりないんjyないの?
上手いか下手か、強いか弱いか、スター性があるか地味か
実際長距離トラックの運転手いとかが仕事のないときにリングに上がってたりするし。
195ぐらいならまあ背が高いって感じだと思う >>591
自己レス
レイスは身長は185だが、体重は、最も重い時は
120`くらいあったか!?
歴代王者、体重が100`台と言うこともないなぁ。
110台はあっただろう。 レイスって130はあったのでは?
ハンセンやブロディとも遜色なく見えたし。 レイスはBilled weight: 253 lb (115 kg) くらいになってるのが多い。
実身長180mくらいであの体型なら120kgくらいはありそうにはみえるけどな。
身長はともかく体重は公称がそれなりの信ぴょう性ありそうに思える。
http://imgur.com/sUuk2Sq.jpg フレアーは飛行機事故の後遺症で足の指に負担をかけないため
100キロ台を維持しないといけなかったと聞いた >>590
>場vs長州はどちらにしても両刃の剣
記事はもちろんケーフェイを守って「鶴田も天龍も長州の軍門に下ったら…」
みたいな書き方だったけど、実際は興業や視聴率のこと言っていたんだろう
どう考えてもどっちにもメリットのないカードだし
>>591
>ブリスコは馬場より格下
同タイプのドリーと比べても、やや小柄でオリジナル技がない分見劣りしたかも
>>597
フレアーって初来日の頃は短髪で今よりだいぶデブの豆タンク体型だったけど
その後ダイエットして今のような長髪のブロンドに変身したのは
売れっ子になるためのキャラチェンジ以外に足の保護も目的だったんだろうか >>598
フレアー話。
確かそう。体に負担かけないよう、痩せたと
読んだことがある。宝島読本だったかな >>557
デストロイヤーが馬場に蹴飛ばされたリングアウト負けして転落した時は豪快に
飛んで行った。
>>583>>584
サイドビジネスが好調だったブリスコは晩年は地元フロリダと日本他の黄金マーケット
の活動のみに絞った。 >>598
馬場vs長州は新日に置き換えれば、当時でいえば猪木vs天龍にあたるけど
その頃の猪木は政局に移り、セミリタイア状態だからリング上の戦局とは異次元のスペシャルマッチな意味合いだからね
馬場も一歩引いていたとはいえ、全日内のリング上にいたのは変わらないし、猪木とは根本的に違うしね。
猪木が勝とうが負けようが「三銃士がほぼトップを伺い、壁役で長州藤波」は盤石だったし。 >>601
ただ長州は「イデオロギーの戦いがしたい」とか言って全日に乗り込んで来た
馬場×長州こそ、究極のイデオロギー対決と言えそうだけどね >>557
2m越えで巨人軍のピッチャー。
で地獄の多摩川練習で鍛えられて
さらにアトキンスにスクワットで汗だまりのボロ雑巾。
そりゃすげえ脚だわな。 子供の頃は単純に派手な技のほうに目がいって16文を馬鹿にしてたけど、
目が肥えた今見ると、しっかり説得力あるんだよな
https://youtu.be/Ioldrc3Ctq8 >>603
子供の頃から、荷台にいっぱい野菜積んで、山道を越えて一日中売り歩いてたから、足腰が強くなったと言ってるね。
巨人軍の練習で鍛えられたのではない、とも。 >>604
日本プロレス時代の十六文も三十二文もめちゃめちゃ説得力あったよね。 >>601
>>602
頂上対決と言われた鶴田戦、裁定は引き分けだが、
内容的には「俺の負け」と認める結果に終わり、
結局1回こっきりだった。
再戦でここを突破しないと馬場戦やる意味はなかったね。 >>598
> 記事はもちろんケーフェイを守って「鶴田も天龍も長州の軍門に下ったら…」
> みたいな書き方だったけど、実際は興業や視聴率のこと言っていたんだろう
そんな深い意味で言ってないだろ。
単なるリップサービスだよ。 >>606
とにかく脚を上げて相手にヒットさせるスピードが凄いなw ほんとカウンターという感じで。
32文も蹴り切ったときの身体の反り方、落ち方(着地)が軽くて鶴田がやるような身のこなしだな。 >>608
同感。
プロレスらしいロマンのある書き方をしてるだけだと思う。 まあ、当時の書き方の深意はともかく
馬場vs長州の実現性は?という検証ゆえなんで…
あと上で馬場の脚の強さの証言がいくつか上がってたけど
テレビで見ると細く見える馬場の腕も現実では全然違うよね
後楽園ホールで色んな友達と観戦してたけど
試合前のグッズのサイン売り場で生の馬場を初めて見た友達が
異口同音に言ってたのは「馬場ってゴツイじゃん「ありゃまだまだ強いだろ」だった…
大きいのは当たり前なんだけど、厚みはないけど「とにかくゴツイ」「とにかく幅がある」
特に腕のゴツさは本当に驚いた「あんな腕で脳天唐竹割なんて、金属バットで頭に叩きつけるようなもんじゃん!」って言ってた。 浜松の馬場と長州の最強タッグの対決って映像ってもう残ってないのかな? >>612
クラシックのリスト見たけど、馬場タイガーvs長州谷津戦は無いね
Youtubeには上がってる筈だよ 初対決の名古屋、当時はノーTV でも話題にならなかったのかな? >>614
東スポでは30分の攻防を伝える結構詳しい記事が載ってたよ。
長州の「足の力が凄かった。今までやった中で一番の選手かもしれない。
猪木さんとの違いは、一言では説明できない」というコメントが載ってた。
馬場のコメントは記憶にない。
長州が馬場の足をフックした状態の写真が載っていたが、キャプションに
「サソリ固めはとうとう決まらなかった」と書かれていて、
最後までひっくり返せなかったんだと思った。 そういや昔長州が出した本でサソリ固めは元々馬場さんの技って書いてたような 馬場さんがフレアーのNWAに挑戦しないとかあったけど、そら世代が違うから敢えて
挑戦しないと言うのはあるわな。
NWA王者に対しては馬場さんもある程度の敬意はあるだろうけど長州に対してはそんなの
ないだろ。単純に同じ土俵(リング)にあがりたくはなかったんだろな。
格的に年齢的にずっと下な奴でしかも興行的に自分が勝つと都合が悪いのとやるメリット
少ないもんな。 >>616 ゴッチが教えたくらいだから大昔からあった技なんじゃないの?
卍固めだって猪木の発案じゃないし >>615
リックフレアーの試合もサソリをひっくり返さなかったと思う
相手がかかる気にならなかったらひっくり返せないのかも
長州ほ猪木に勝った時、今まで勝てなかったが、
勝つのは紙一重だったな
みたいなことを言っていた
やっと勝てた感動したという感じでもなく、
藤波が猪木に勝った時と対照的だったな
長州の馬場の足の力云々は事実ではあるけど、
褒めるところがそれくらいだからじゃないかな
アナウンサーも馬場の凄さを、インサイドワークが凄い、踏みつけた時に百三十五キロ
だもんなあ
馬場ラッシャー木村とハンセン天龍の試合がゴングで
本当に馬場が強いように見えるのはさすがだと
ギリギリの表現で語られていた
逆に言えば馬場って弱いよってことだろ
まああの試合の馬場のチョップがいつもより早いから驚いてスロー再生しちゃったけどさw
ラジャライオンの手加減ぶりを見る限り
強くはないわな ファンクスが怨敵ハンセン対策に新技テキサスクローバーを引っ提げて来日した時
鶴田にはクローバー仕掛けたが、馬場には技を掛けようとすらしなかった >>605
鶴田もでこぼこ山道を自転車通学とかだもんな 長州は猪木に勝った時
「ここからは下山の準備だ」と思ったそうだ
プロレス人生での折り返しという事だろう
これを境にいろんな相手の格上げのために気前よく負け始める >>623
三銃士とかならわかるけど、結構ゴタツに取られまくってたりしてて、当時はショックだった >>619
馬場の後頭部に蹴り入れてるラジャが手加減してるか? >>625
え?
あんな腰砕けのキックが本気だとでも?
試合前のリハーサルで馬場がぜんぜん避けれなくて頭に怪我させるから
腰砕けの技しか出せなかったんだよ
マスコミも練習ではもっと強かったんだけどw
と報じていた >>618
馬場がたまにつかう逆片エビって見た目、サソリっぽいね。
相手の足はもちろん片足のみだけど、自分の脇にその片足を両手でしっかりホールドして
締め上げる姿はサソリとそん色ない。 馬場は海外修行時や日プロ時代と全日では使う技が違うんだよな
昔はエアプレンスピン、アトミックドロップ、フライングヘッドシザースとか使ってたのが
全日になって河津掛けとネックブリーカードロップになった >>616
>>618
誰かが「サソリはアンクルレースというアマレス技に逆片エビ固めを組み合わせたもの」
と書いてたような。ゴッチもアマレス出身だから、そうだとしても不思議はないが。
馬場も実はオリジナル技の開発に熱心だから、ありえない話じゃないかも
>>628
キニスキーからインター奪還した試合はこの技でギブを奪ったんだよね
馬場がギブ奪うのは珍しかったから印象深い ちなみに日本人レスラーで初めてアトミックドロップをやったのが馬場で
アトミックドロップの開発者は馬場が尊敬するバディ・ロジャースと言われてるな あと馬場がキニスキーにやったフライングヘッドシザースもバディ・ロジャースの得意技 馬場もロジャースへのリスペクトは半端ないんだなw
猪木もコワルスキーにあこがれてトップロープからのニードロップを使うようになったらしい。
ちょっと背をかがめて飛び降りる姿はまさにそれと彷彿させる >>634
楽というか、腰を痛めてから相手を持ち上げる技をやめたんだな
友人のサンマルチノが腰を痛めてカナディアン・バックリーカーから
ベアハッグにフィニッシュを変えた影響もあるんじゃないか >>618
長州以前に、サムスン・クツワダが道場でかけた写真かあったな。 新技って意外と昔からあるんだよね
ラッシャー木村がSTFをやっている画像が残っていたり
天龍のWARスペシャルを見てテーズが「懐かしいなあ。ルー・キムの技だ。」と言ったり サソリで思い出したが、ミミ萩原のビーナス固めを最初に見た時は何が起こっているのかわからなくて唖然としたわ >>637
テーズが79年に国際に来た時に寺西にSTFかけてる動画があったような。
あと猪木、藤波あたりで有名なジャパニーズエッグロールクラッチも69年頃に草津が使ってるな。 すまんw
エッグロールじゃなくレッグロールだ。回転足折り固め。 >>627
プロレスで使う技は全部本気じゃねえよ。くだらねえ。
ラジャは素人だから加減の仕方が下手くそだっただけ。 >>631
そのアトミックドロップって、坂口もやった
相手を肩に担いでのハイアングル式?
それとも、相手を後ろから抱きかかえて、持ち上げ、
(ジャーマンを掛けるように)同時に膝を相手の尾てい骨に当てて
降ろす方式?
馬場が日プロ時代にやったのは後者の方だと思うが?
そして、ロジャーズはハイアングル式ではないかな? 馬場はあの体格もあって日本人初、もしくは日本人唯一の技が多いな
ココナッツクラッシュとか河津落としとか
脳天唐竹割りもそうか >>633
猪木のニードロップってちっとも効いてるように見えないんだよな
あの時代なら、ニードロップよりアトミックボムズアウェイを真似たほうよかったな
>>635
そういえば自分がプロレスみ始めたころの馬場はアトミックドロップとか
シュミット式バックブリーカー使ってたが、いつの間にか使わなくなった
ジャイアントバックブリーカー使ってのはいつまでだろう?
>>636
サソリと言えば、つい最近のインタビューで、天龍が「名前は出さないけど」と
前置きしつつ、「ショーもねえ相撲出身のレスラーが、俺と長州がタッグで対戦
していて、サソリを決められてこれからが見せ場って時にすぐにラリアットで
カットしやがって。おかげで足首痛めてしまったよ」とか「長州の猿真似しやがって」
とか散々悪態ついてたな。何を恨んでいるのか知らないけど、お互い引退して
何年もたってんだから、いい加減水に流せよw 河津がけって相撲技で、
高校の柔道大会じゃあ禁止になったりしてたな。
体育教師が試合前にアナウンスしたら
生徒は爆笑してたが。あれ、危険なんだよな。 >>645
ジャイアント・バックブリーカーは晩年でも本当にたまに使ってた印象
2年に1回位は使ってなかったっけ 子供の頃に学校でクラスメイトに河津落とし掛けたら後頭部打って大変だった。
幸い大事には至らなかったけど。アトミックドロップでも相手が真剣に悶絶
してた、アレも手加減しないと効くんだわ。
子供はテレビでやってるのすぐに真似するからな、だから良い時間帯でプロレス
番組なんてやっちゃいけないってのはあったね。 >>646
足に体重掛けると折れるね
でもレスリングではOK 昭和の柔道部は裏投げとか肩車とかプロレスっぽい技ばかり練習する奴が結構いた >>643
全日で使ってたのはハイアングル式だね。
当時小坊だったが、アトミックドロップはハイアングル式しか見たことなかったから
プロレスごっこで使うのも当然ハイアングル式だけ。
馬場が日プロ時代に違うスタイルのアトミック使ってたのを知ったのは、ずいぶん
後になってからだった。
>>649
今の深夜プロレスでは、すぐ雪崩式とか垂直落下の技使うからとても
ごっこ遊びなんかできないね。
ごっこ遊びができるという意味でも、昭和プロレスは健全だったかも 俺はプロレスごっこで裏DDT喰らって首が詰まって
20年ぐらい痛みと凝りに悩まされた ”Atomic Drop”でググると「どうしてアトミックドロップはローブローにならないのか?」
というのが多くて笑える。アトミックドロップは本当にプロレスらしい技、大袈裟に
尻や股間が痛い振りしてると観客にウケるんだな。 >>645
天龍、誰のこと言ってるのかと思ったら石川かw アドニスもマンハッタンドロップは完全にローブローだよね? 輪島の一緒に全日本プロレス引退したのをSWSに誘ったのは天龍だからなぁ
WARからおん出て東京プロレス旗揚げした石川の裏切りを許せないんだろう >>659
ブランクのあった原のコンディションがイマイチだったこともあって
タッグパートナー+NO.2の座をゲットしたからなあ。ドームでセミとか
藤波を2度もピンとか、全日やS時代にはあり得ない厚遇なのは確か>石川
でも石川は石川で、相撲人脈で連れてきたスポンサーで経営のヤバかった
WARに貢献した自負とか、天龍が連れてきた嫁の実弟の社長への不満とか
いろいろあるんだろうけど、Gスピの取材でも天龍への不満言ってなかったし、
まだ大人の対応している気が。余生がそれなりにうまくいってるから、
金持ち喧嘩せずの心境なのかも知らんけど。 >>654
俺はペンデュラム・バックブリーカーを相手にかけて、
腰にケガさせちゃったよ。
けっこう問題になって、今でも反省やわ 小学校のときロビンソンのショルダーネックブリーカーをかけたら
相手が舌を噛んだ >>648
東京ドームで渕がライガーに使った時が圧巻だったな
まさに仮想BI戦って感じで >>660
天龍に石川最強説についてコメント欲しいわ >>661
高校の柔道部で、上級生がふざけて下級生に
パワーボムを掛けたら、全身不随になったとかいう
ニュースがあったよ。
掛けられた方は無論のこと、掛けた方も地獄だな。 >>655
大袈裟じゃなくて、尾てい骨にくらったら、本当に悶絶するぞ。三日間痛みが引かんかったわ。、 >>657
あれアドニスの前に、大木金太郎がよくやってたんだよな。 そう考えると延髄って必殺技でも無いな
下から空中で蹴っても破壊力は半減してるからな 足四の字固めを決められたら、裏返しても決められてる方が痛いことには変わりがない
これは実体験で学んだ 84年UN選手権天龍vsスレーターが上がってるけど
全日も福岡スポーツセンターでやってたんだな
二階セな
二階席の入りはよく分からないが一階は立ち見も多く居て熱気があっていい感じ
福岡国際センターの閑散とした雰囲気とは大違いだな >>633
^木の舞い降りるニードロップ。馬場の場合はニードロップより晩年に使い始めた
ストッピングの方が効きそう。あれはもうニードロップができなくなったのかな?
寝ている相手にだだ踏んづけるだけの踏みつけ攻撃は絵的には冴えなかった。
>>665
柔道の授業で経験者と乱取りの練習した時に必死で受け身を取った。見ていて友人には
「面白いように投げられていた!」なんて言われたけど。 >>670
裏返して半身起こすようにしながら足をおさえつけるようにしたら、自分も痛いが相手も痛いとかあったような >>602
当時、小学生だった俺は「イデオロギー」の意味を必死で国語辞典で調べたっけ。 馬場は全日本の初期までコーナーから飛んで相手の腹を片足で踏みつけるアトミックボムズアウェイを使ってたな プロレスごっこでアトミックドロップは定番だったな。
さすがにバックドロップは危険だからやらなかったよ。 プロレスごっこの定番と言えば4の字、デスロック、逆エビなどの寝技と
水平チョップやクロスチョップなどの調整可能な打撃技。
バックドロップ、ブレンバスター、スープレックスなんかは
ふかふかマットが必需品だったな ボクシング部が休みの時にこっそり入ってロープワークゴッコはやってたが、ロープのリバウンドは出来ないしトップロープは登れないしあんまり楽しくなかった クラッシュギャルズの大ファンだった姉と偶にベッドの上で大技かけあってて、姉に投げっ放しジャーマン仕掛けたら安っすいパイプベッドだったので、真ん中の木が真っ二つに割れて以降親からプロレスごっこ禁止令が出た >>677
自分は小学生にしては大柄だったから抱え式バックドロップで高く上げてゆ〜っくり背中から寝かせてた
フィニッシュは概ねスモールパッケージホールドだったけど >>682
フィニッシュは4の字かコブラツイストだろう
喧嘩なら、頭突き、噛みつき、玉潰しでよく流血戦にしてやった >>672
国際センターは気軽に行ける場所じゃなかったんだよ。
今は地下鉄が近くまであるけど、博多駅や中心地の天神からは歩くのは遠すぎ交通機関ではちょっと近すぎでもったいない中途半端な場所。
スポーツセンターは天神の西鉄福岡駅降りて徒歩1分未満の場所だからね。
その差はかなり大きかったんじゃないかね。 プロレスごっこで卍固めをすると、かけられた方が頑張らないと必ず倒れてた。 >>683
うちはそういうタイプを排除してた
たまにグループ外の子が楽しそうだからって入ってきてカタイの入れてきて変な空気になったけど
ケツは決めないでチャイム間際にフィニッシュっぽいムーブした奴に取られるみたいな不文律があった >>672
メインは鶴田とマーテルのインター戦
これでインター王座は三大世界王者全ての挑戦を受けた事に 教室でジャイアントスイングやったら足がふらついて机におもいっきり打つけて相手が悶絶して泣かした事がある >>673
馬場は日プロ時代、1971年の第13回ワールド・リーグ戦で、
コーナーポストからの二―ドロップで頑丈なジョー・ルダックに
怪我を負わせ、途中帰国させた。 昨夜にプロレスクラシックで、ブリスコvsドリーのNWA戦をやってたが
ドリーの大柄な体でまあ、よく動く動く…
あの当時の190センチ前後の体格レスラーでは世界最速?の動きなんじゃないの
よくスタミナがもつもんだ…得意のヘッドロックの最中にうまく休んでたのかもしれないけど。
自分がプロレスファンになった1981年はおじいさんに見えて、60歳ぐらいにおもってたけど
ブリスコとやった時から、たった五年ちょいしか経ってなかったんだな
まあ抗争相手のブロディという怪物と対比して見てたから仕方ないけど… プロレスごっこで勝率高い技はリバースインディアンデスロックだろうな。
下級生なら確実にギブとれてた。 島田紳助が馬場の物まねの雛型のようなものを作り上げたな。。
ひょうきんプロレスだったか、もっと前の漫才ブームあたりでのコントだったか。 >>690
74年のドリーは、NWAの重荷がとれて一番コンディションがいい頃だろうね >>691
プロレスごっこで確実に勝てた技はトライアングルスコーピオンだったな
あれガッチリ決まったら逃げ出せない >>685
そういえば猪木の卍固めを長州が倒れない様に頑張ってるのあったな。
5対5勝ち抜き戦の時だったかな。 ああ、ラビット関根のほうが昔からやってたか。
紳助だと顔立ちから猪木でもやってるほうが向いてるかもなw 卍固めは倒れたら終わりっていうのを具現化した88年イリミネーションタッグリーグ決勝ラストでの猪木vs蝶野が良かった
蝶野が嫌がって倒れたけど、猪木がそのまま外さず決めたやつ
https://chie-pctr.c.yimg.jp/dk/iwiz-chie/que-1069753960?w=200&h=200&up=0 >>685>>696
「そーゆーこという奴いるけど
支えないで倒れてしまうと今度は腕が決まってしまうんだよね。
だから掛けられてる方は踏ん張るしかない」
って天龍が解説してたの覚えてる >>699
ワールドリーグのクラップ戦や小林戦を思い出す。
小林戦ではそのままフォールしたのかな 船木誠勝のYouTubeの最新のを観たけど
ヤベエ
冒頭のライガーとのリモート、ふなちゃんが、こんなに目尻下げて話す姿を初めて見たよ!!
笑えるんじゃん・・・
いい笑顔だよ
もっと笑って欲しいよ
と思った >>684
スポーツセンターは座席が急角度で密集感があり
歓声の跳ね返りも大きい。
国際センターは天井がやたらと高いし、アリーナのセットバックの裏も無駄に広くて
歓声が拡散する感があるね。 >>698
あのねのね!
あのねーのね、あのねーのねーのあのねをとぉったぁら…のね♪♪ >>695
あれやられたことあるか?
反転される時の恐怖はサソリの比じゃないぞ。 福岡スポーツセンターと福岡国際センターって別物だったのか
札幌中島スポーツセンター→札幌中島体育センターみたいに名前が変わったものだとなぜか思い込んでた >>706
建物の規模を東京で例えたら
福岡国際センター→東京体育館
福岡スポーツセンター→大田区体育館 そういや超獣テキサスクローバーって天龍→小橋のイメージだな。 ごめんしくじった。
そういや、ファンクスの対超獣対策の秘密兵器と紹介されてたテキサスクローバーって
天龍→小橋のイメージだな。 プロレスごっこの経験でいうと、テキサスクローバーはサソリより痛い
ただあれは技をかける方もキツいから、使える時間は限られる
トライアングルスコーピオンはさらに痛いけど、かけてるときに
両腕空いてて力強さが全然伝わらないから、いくら痛くてもプロレス技としては×さね トライアングルスコーピオンはひっくり返さなくても
体勢に入っただけでギブアップする者も多くいたよ
脚をクロスしたあと、ひっくり返すために腰を沈める時に相手の足首が激痛で ギブする 連レスごめん
トライアングルスコーピオンと並んで、物理的に脱出不可能なのは
監獄固めだと思う…足組んで体重乗せちゃったら外せないでしょ
そういえばジャパン分裂直後、横浜文化で鶴田vs谷津が組まれたけど
あの試合は谷津が優勢だったね、監獄固めを認知させるための試合のように思えたけど? 後はインディアンデスロックか
猪木が使ってたリバース式は大して痛くないただの見せ技だけど、
レイスが一時期使ってたフロント式は痛いなんてもんじゃない
ヘッドバット、ブレンバスターと並ぶ必殺技になったと思うが
短期間で封印したのは、下手したら本当に相手の足を折りかねないからかも そうやねサソリ固めはかけている腕がボディビルダーがポーズを取っているようになるから美しい あと総合で使われるのはオクラホマヘイライド(回転しないローリングクレイドル)
バナナスプリットという名前になってる
https://www.youtube.com/watch?v=E2MZRD_RObs 77年田園コロシアムのUN戦の1本目でマスカラスが鶴田をギブアップさせた
両腕じゃなくて両足でやるフルネルソンみたいな技
小学生の時に友達に掛けたら悲鳴を上げてたな
やはり足の力は強いんだなと認識した 延髄切り 卍固め サソリ固め 監獄固め ドラゴンスープレックス
昭和の全日でしばしば見られた新日発祥の技。 >>711
強さが伝わらないからダメなんじゃなくて、
地味な上に、力の調節が効かなくて、相手にケガしてしまうからだろ。 >>721
監獄はもともと谷津が後輩を懲らしめるためにやってたらしいぞ。 完全にはいちゃったら本当はギブアップしかない技って何だろう。
柔道や柔術で使われる逆十字や三角締め、等は除いて。
キャメルクラッチ、ボストンクラブ、首4の字、ストレッチプラム、チキンウイング
あとマスカラスのサーフボードもちょっと厳しいよな 監獄固めもマサみたいに足を絡めていくのと、谷津の足四やるみたいに入るのとあるよな フロントからかけるインディアン・デスロックはマジで痛いから
あまり使う奴がいないんだと思う 足を負傷してたにせよ、スティーブ・ウィリアムスのインディアン・デスロックで天龍がギブアップってやっぱ不自然だよなあ >>728
技をかける方も痛くねぇか?
かけた事ないからわからんけど痛そうだ。 >>693
それまでひ弱なイメージのあったドリーが翌年にオープン選手権で爆発する。
ブッチャー相手に喧嘩ファイトを仕掛けてブレンバスターでぶん投げる暴れっぷりで
快進撃。ジョナサンが止め無ければ優勝する勢いだった。そんなドリーを自分の
試合をさせなかった本気を出したジョナサンの最後の輝きも凄かった。
>>715
テリーからNWAを奪取したのはこの技だったね。マサ斉藤も監獄固めを使っていたけど
谷津とどっちが元祖だったのかな?アマレスでは定番の裏技だったのかな? 昔は子供向けのプロレス大百科なんてのに、技の
掛け方が丁寧に絵付きで解説してあったよな
いま、そういうのネットで解説してるサイトとかあるのかな
インディアンデスロック、監獄固め、トライアングルスコーピオンは、
誰かに試してみたいわw 誰かが監獄固めを極めながら人間風車みたいにリバースフルネルソンやってたのにそれで試合が終わらなかった ラッシャー木村の「風車吊り」は掛けてる方も掛けられてる方も格好悪い。
ごっこで試してみようとも思わなかった。 よくタッグマッチとかで、逆エビ固めやサソリ固めをカットする時に
掛けてる方を蹴っ飛ばしたりラリアットくらわせたりするけど、
技を掛けられている方は、余計にダメージあるんじゃないかと思う >>731
>テリーからNWAを奪取したのはこの技だったね
最初全日の中継でこのニュース聞いたときはリバース式しか知らなかったので
「あんな技でギブアップなんてテリーもだらしねえな」と思ったけど、
王者として来日したレイスが鶴田戦でフロント式を披露して違う技なのを知って
プロレスごっこで試してみたら、リバース式よりはるかに痛いのでびっくりした
テリーがその年のオープンタッグで大ブレークした後は
「あのテリーをギブアップさせるなんて凄い技だ」と思うようになったよ >>732
うちにあるプロレス入門はイラストが弘兼憲史
会社辞めてカット描いてボロ儲けしてたという話だけど、これらのことか >>735
アルゼンチンやカナディアンバックブリーカーのカットも危ない
蹴られてから優しく戻してあげるシーンをよく見る >>733
三沢のリバースネルソンデスロックで秋山がタップしたことあったのを思い出す >>734
人間風車で投げて逆エビでもした方が見た目の流れはよかったな
なんかメキシコあたりにありそうな技ではあるんだけど >>735
天龍がこの前のインタビューでそのこと言ってたな
長州とタッグで対戦して、サソリを決められたとき
パートナーの石川がラリアットでカットに入ってきたけど
その当たりが原因でかえってサソリが深く決まってしまい
「足首痛めてしまったじぇねえかコノヤロー」って。
まあそういう天龍も、冬木が鶴田に逆片エビ決められるとき
ラリアットでカットしようとして、かえって技が深くきまってしまったことあるんだけどね
ギブした冬木が試合後天龍の介抱を拒絶して文句言ってた あれはそういうブックでしょ、天龍と冬木がギクシャクしてたのは本当みたいだが
川田が超世代を抜ける前もやたら三沢と同士打ちするシーンが多かった ギブ技ではないが
キレイでスピードも高さもあって、何より使い手の意外性もあり
好きだったのはブッチャーの山嵐かな…でもあまり使わないんだよね
後年にマサ斎藤が似たようなの使ってたけど、ブッチャーが使い始めたのは新日時代だっけ? >>744
鶴田のUN獲った時、フィニッシュ山嵐だろ? >>744
ブッチャーの山嵐、全日時代から使ってるよ
チャンカー2度目のVはあの技で鶴田からピン奪って決めた
「新技を開発してファンを飽きさせない努力をしているから
トップでいられる」と雑誌でも褒められてた
新日では藤波に決めたのが印象に残っているが、
本人はやはり馬場と猪木に決めたかったんだろうな >>742
渕がリバースインディアンデスロックを掛け(立っている状態)
相手のパートナーがチョップなどで攻撃。
渕は大袈裟に痛がり、後ろに転倒。さらにデスロックが極まり
相手が痛がると言うムーブもあったなぁ。 >>746
チャンカー決勝は、コーナートップに上がった鶴田に地獄突きしてエルボーフィニッシュだろ? 743>>その通り
ブック以外で仲間割れする程プロレスラーはガキじゃない プロレススターウォーズでテリーがシンにリバースの
スプニングトーホールドやってたけど
何気に危険な技だと思う >>751
あれってSTFの途中だよね
ステップオーバートーホールド >>742
天龍がケガして以来、
サソリをカットされるときは、
長州がそっと技を外すようになったな。 >>744
山嵐は全日時代から。
ほぼ100%に近い確率でフォールしてたね。 >>732
https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/g421774306
↑ 俺が小学生の頃に持ってたのはこれ
ヘッドロックとかフライングメイヤーみたいな基本技も含まれてたけど
>>730
上記の本に載ってたように記憶してるけど
「あまり長時間掛けていると、差し込んだ自分の足も痛める恐れがある」と書かれてた気がする 最初はバックフリップとどこが違うのか分からなかったけど、
山嵐もサモアンスープレックスも、バックフリップなんでしょ?
ブッチャーは足抱え式のバックドロップの体制から落とす場合もあったなぁ
ブロックバスターはボディスラムの要領で持ち上げるから、違う技だとわかるw ジムガービンvs石川の動画が上がってるが
ガービンの超スローパワーボムで石川フォール負けに後楽園ホールの客失笑 マンガで16文チョップってあったよね?(確か同じくプロレス・スターウォーズ)
馬場がライガーの浴びせ蹴りみたいなのをロープ最上段からやるやつ
そもそも馬場が最上段から一回転できるのか…という疑問がw
あの漫画の時期の馬場の仮想年齢は40代半ばだろうし… 裏十六文が出てくるのは夢枕獏の仰天・平成元年の空手チョップ 監獄固め、谷津がYouTubeで話してたけど、元々谷津のアマレスの先輩がコーチしていて生徒たちを黙らせる為にやってたのが監獄固めと同型の技だったらしい
その先輩がこんな技あるけどどうだ?って谷津に教えてくれたらしい
マサ齋藤が出所した際に新しい技を色々考えた時に谷津がこんな技がありますって教えたのが監獄固めだったみたい
マサはそのまま使うのではなく、オリジナルの入り方を考えて監獄固めと名付けた >>760
山嵐はアルゼンチンバックブリーカーの体勢で倒れこむから
バックフリップとは少し違う。
オリンピックスラムに近い。 >>763
対猪木戦の秘密兵器w
シンが覗き見してたんだったか? 馬場が「刑務所を出所した人間が技に監獄固めなんて名前を付けてたら、いつまでも世間はプロレスを信用しない」みたいな事言って無かったっけ? >>767
そのコメントは覚えてないけど
監獄固めを使い始めた時期は長州のジャパン離脱の後だろうから
契約書は「ただの紙切れ」ってマサが言ってた時期と被る
「そんなのが社会で通用するわけないだろう」って馬場が怒ってた流れのついでもあるだろうね。
しかしシリーズ開幕の前日に馬場がジャパン事務所に乗り込んで
翌日の出場の言質をマサや馬場にとったのに、それでもすっぽかすんだから…
大した役者というか、度胸があるというか…いくらそのまま全日から逃げても同じ業界で食ってくわけだからねえ。 プロレス百科「悪役レスラーワースト100」
https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/q378585372
これも小学生の頃に持ってた本だけど
「恐怖の必殺技」という項目があって、ブッチャーは山嵐だったな
「それまでエルボードロップ一本だったが、宿敵テリー・ファンクを倒すために考えた」と書かれてた 長州は「新日本から移籍金1億の約束がある、全日本は残って欲しいならもっと出せ」と言ったのをマスコミが気をつかって「俺を契約書で縛ってくれ」と言い換えたんだよね 「俺はアッポーなんて一度も言ってないんだよ」
「若林がな…俺が小橋と三沢の試合を見て泣いたっていうんだよ」 >>765
おいおい、最近のファンか?
山嵐はバックフリップって実況で言われてたぞ。
ちゅうか、どこがアルゼンチンやねん。
あんな脇腹支点にしてる、どこが痛いかわからんアルゼンチンは平成に入ってからやろ。
アルゼンチン使うなら、ちゃんと背骨を折り曲げてほしい。 >>772
アルゼンチンバックブリーカーに対しては同意。
中西がやり始めてからかね。 猪木が地方で婆さんに
「あっ馬場だよ!」て言われて
「ポゥ」とやったんだろ。 馬場のマネで「アッポー」という形を最初に
やり始めたのは誰なんだろ?
関根勤じゃないよねえ?もっと古いはずだ 84年夏、対ハンセンの新必殺技16文ラリアットは幻となった。 全盛期の馬場が全力ファイトで息が上がってるとき
「アポ!アポ!」と言ってるように見えなくもない。 >>777
関根は馬場の息遣いを真似しているから、アッポーとは言っていないと馬場本人
の目の前で声真似して似ているとは言われていた。 >>773
倉持も古舘もバックフリップのことをブロックバスターと言っていたね むしろバックフリップと正しく言ったアナの方が稀だった ヒギンズの得意技 海外でバックフリップになってるからそれで合ってると思うけど。 ブロックバスターはシュミット式バックブリーカー前みたいに抱えて後ろにブリッジして投げるやつでしょ
バックフリップは白時代の蝶野が得意にしてた ブロックバスターホールドといえば、猪木がテーズに決めたやつと、Jr.王者時代の大仁田だな 大仁田は重そうなロッキー・ジョーンズへの一撃が素晴らしかった。
あと、若手時代の小橋もやってんだね。 阿修羅原が藤波に放ったバックフリップは美しかった
原が後方に一回転した美技 >>775
レックス・ルガーがトーチャーラックなんて技名で始めてからだな >>787
インター3番勝負の初戦でチャボをフォールしたやつは酷かった >>789
いい試合だった。キャリアの浅い阿修羅の良さを、藤波は懸命に引き出そうとしていた。
同時期に行われた阿修羅と剛竜馬との試合が、あまりにも酷かったから余計にそう思った。
藤波と剛の価値の差が如実に現れた。藤波と阿修羅の絡み、その後ももっと見たかったな。 >>789
>>793
剛は後輩とはいえ9歳も年上の原にジェラシーと敵愾心むき出しだったからな
あれじゃ原がどう頑張ってもいい試合にはならないよ
その点藤波は団体も違うし、原にそんな感情いだいていなかっただろうし
にしても、あの頃の原は細かったな
後にあんな太くなるとは思わなかった >>795
でもブッチャーのカーニバル優勝は、山嵐ではなく地獄突き→エルボーだからな。>>746-748 キラー・ブルックスは何気にチャンピオンカーニバルとIWGP両大会に出場しているよね。 >>797
日本プロレスのワールドリーグにも参加している。 MSGシリーズとチャンピオンカーニバル両方なら、タイガー戸口とスタンハンセンがいるな >>799
すごっ!国際のリーグ戦には出てないのかな? >>793
藤波と言えば最近「史上最高の外人レスラーはマードック」と言っていた
リング内のマードックを悪く言う人はいないね
馬場は「マードックがズボラじゃなかったらとっくの昔に世界チャンピオンになっている」で
キニスキーは「最後の実力者はマードックだった」だし >>797
国際とSWSにも来日してるけど、リーグ戦には出てないね。ブルックス。
日プロWリーグに出たのが25才。新日IWGPに出たのが40才。見た目ほぼ一緒。 カート・アングルのオリンピックスラム見たときブッチャーの山嵐思い出した。 >>793>>795
鬱憤ばらしで自分勝手な試合をした剛を試合後の小鉄が叱責した。
キャリアの浅い原に合わせて好試合を作ろうとするが原がラフ攻撃に出て流血させられた
藤波が体調不良もありキレてしまいのちのUWF勢が使うような拷問技で仕留めてしまった。
後年のインタビューで大人げない事をしたと反省しているみたいだったw
>>796
鶴田のフライングエルボーを撃墜して「ここぞ!」ばかりに途端に動きがスピードアップ
して勝負をかけるブッチャーがかわいかったw
の >>772
> 山嵐はバックフリップって実況で言われてたぞ。
お前はアキレス腱固めを膝十字固めと実況してるアナウンサーを信用するのか?アホかいなw
> あんな脇腹支点にしてる、どこが痛いかわからんアルゼンチンは平成に入ってからやろ。
> アルゼンチン使うなら、ちゃんと背骨を折り曲げてほしい。
だからあくまで体勢だよ。
サンダーファイヤーパワーボムも
カナディアンバックブリーカーの体勢からのパワーボムと説明されるだろ。それと同じだ。 セントーンとサンセットフリップを間違える実況アナもいそうだし
フェイスロックとチンロックもややこしい。 ロトンドや浜口は、エアプレンスピンで回してからのバックフリップ >>805
「ひねりを加えたブッチャースラム」
と言われていたね >>787
当時の雑誌や東スポ別冊なんかでは、ダイビングクロスボディを仕掛けたチャボを
大仁田が受け取めて、そこから後方に投げてブリッジした見事な技みたいに
連続写真を使って報じていたんで凄いなと思って録画中継を見たら、大仁田は
チャボの身体を受け取めきれなくて押し潰され、そこからブリッジしてなぜか
3カウントが入ったというオースイスープレックス状態で唖然とした >>808
だから、体勢がアルゼンチンじゃないと言っている。担がれてる選手が仰向けでないと、アルゼンチンとは言えない。
それと、倉持は全ての技の名前を間違えてるとでもいうのか?
ちゅうか、担ぎ上げて後ろに倒れる…山嵐はバックフリップ以外の何物でもないやろ。 >>810
アバランシュとオクラホマは違うのか?
パワースラムとよく間違えてたが…
もうわけわからんようになってきた。 オクラホマは相手を肩の上に担ぎ上げて助走をつけてからジャンプして叩きつける
アバランシュは相手を横抱きにしてその場でジャンプして叩きつける
だったような >>815
> ちゅうか、担ぎ上げて後ろに倒れる…山嵐はバックフリップ以外の何物でもないやろ。
まあバックフリップの一種ととらえてもいいけど
通常は下向きに担ぐからそこが山嵐とは違う。 >>817
> アバランシュは相手を横抱きにしてその場でジャンプして叩きつける
スティーブ・ウィリアムスがその体勢から助走して叩きつけるものを
オクラホマと呼称するようになって曖昧になった。 アバラッシュホールドは日本でだけの言い方じゃないの?ゲームのファイヤー
プロレスリングで使われてるみたいだから全く通じない訳でもないだろうけど。 パワースラムも含めて身体浴びせてダメージを与える技全般を指して
アバランシュホールドという場合もあるけどな。 シュミット式バックブリーカーとベンジュラム式も、抱え方が違うだけだしな オクラホマスタンピート、英語版ではウイリアムスが開発したみたいになっていて
色々混乱あると思う。英語版とは言っても書いたのは日本人かもしれないし。
ランニングパワースラムという言い方もあるけど、パワースラムの方が呼び名と
しては歴史浅いだろうし。
アバラッシュも雪崩式で使うケースが多いだろ、こういうのは荒れるからあんまり
触れない方が良いと思う。 この技、ウィリアムスはビルワットにならったんだっけ? シュミット式も有名な話だけど日本だけの呼び方なんだろ。 ウィリアムスの前にアニマルやスミスがやってたはず、抱えてコーナーまで走るのはオリジナルだろうが
当然そのずっと前からある印象 >>801
ドン・レオ・ジョナサンは
’70年、日本プロレス、第12回ワールドリーグ、
’72年、国際、第4回IWAワールド・シリーズ
‘75年、全日、オープン選手権大会
’78年、全日、第6回チャンピオン・力ーニバル
に参加している。
マードックも日本プロレスのワールドリーグ(72年)
と全日のオープン選手権、新日のMSG,IWGPには参加していたが、
チャンピオン・力ーニバルには出ていないのは有名。
逆に、日プロ、ワールドリーグと全日CC常連のブッチャーは
新日に参加しても、IWGPに出なかった。 アファ&シカのサモアンスープレックスも山嵐、バックフリップと同じか。
複数団体制覇というとバグジーマグローが72年の第14回日プロワールドにマイティブルータスで参加
78年第1回MSGシリーズ、さらにリーグ戦ではないが84年第2回グランチャンカーニバル参戦、
おまけに74年にザ・ブルートの名で国際チャレンジシリーズ参加と昭和4団体制覇だな。 >>831
ビル・ワット(横抱き式)が元祖かわからないけど広めたのは事実。
マードック(肩担ぎ式)も一時期よく使ってた。 >>833
> アファ&シカのサモアンスープレックスも山嵐、バックフリップと同じか。
バックフリップとは同じだが山嵐とは同じではない。 アバランシュホールドという場合は必ずそのままフォールにいくんじゃないか
オクラホマの場合は投げてからもう一度起こして別の技をかけてもいいとか バックブリーカーだとロビンソンのワンハンド式のやつはガチで痛いと思う
痛いというか、息が詰まるというか…
ああいう瞬間的なのは加減が難しいよね、せいぜい調節がきくのは持ち上げる高さぐらいか
ロビンソンの場合は自身のヒザも痛打して苦しむ姿を見せ、ガチで決まっても間をもたせる効果にはなっていたけど。
見た目は豪快でも、その実は大したことはなさそうなのは風車式のやつかな?
基本的に両手で抱えて回転させるから、膝にぶつかる瞬間に手をクッションにしたり、瞬間的に緩めて減速させることもできそう。 >>837
> 膝にぶつかる瞬間に手をクッションにしたり、瞬間的に緩めて減速させることもできそう。
それワンハンドでもできるぞ。 あちらの実況を聞いていた人が
「ペンジュラムとワンハンドは日本で名前を入れ違えて覚えられたんじゃないか」
と言っててあり得ると思ったなあ
昔からロビンソンの「ワンハンド・バックブリーカー」を見て
「どこがどうワンハンドなんだろう?」
と思っていたものだけど、猪木に決めた一発なんてまさに振り子
一方ソントンがやる相手をロープに振ってすくい上げるバックブリーカーなんて
確かに片手で叩きつけているように見えるし
(相手の足も抱えマットを歩き回って落とすサイドバスター式はまた別なんだけど) >>833
その日本、国際、新日、全日の昭和4団体制覇は、
他にディック・マードックだな。
平成になってから、FMWやW☆INGにも参加。
テーズ、ダニーホッジも4団体+TBSプロレス(国際とは別カウント)に
上がったが、最後の全日、新日にはレフェリーとして。
地味なところでは、リップ・タイラーも昭和4団体制覇。
ニック・ボックウインクルも1990年、新日に選手として上がり達成した。 その話題は>>236からやってるから同じスレで2回もしなくていい 全日新日ジャパン女子に上がってたレスラーは大仁田浜田
日プロ国際全日新日もレスラー以外なら竹内さんとかあがってそう 数年単位で捉えればこの種のスレは同じ話しの蒸し返しがほとんどだな。
バックフリップとかオクラホマスタンピートとか以前にもググってた記憶ある。
どのスレかは忘れたけど。 元来はオクラホマ・スタンピードもアバランシュ・ホールドも同じ技であり
肩の上に担ぎ上げるか胸の前に担ぎ上げるか、もしくは助走を付けるか付けないかはバリエーションの1つでしかない
そのため、正確にはオクラホマ・スタンピードとアバランシュ・ホールドの名称によるフォームの区別化は間違いである ビル・ワットのオクラホマスタンピード
https://m.youtube.com/watch?v=RvGU_p8Nevo
ビル・ワットに習ったスティーブ・ウィリアムス >>841
不愉快だ!おまえ何様だよ!?
なにを仕切っているだ!バカ!
途中からこのスレに参加して人もいるだろうし、
リップ・タイラーだって、840で初めて書いた。
236に対する超亀レスと取ってもらっても良い。
キサマこそ、もう書き込むな! ワットやったかな、猪木を豪快にオクラホマスタンピートで放りなげてたのは?? オクラホマミキサーとジェンカとマイムマイムはどれがどの曲かよく知らん・・ >>849
オクラホマは「タラララララン♪タラララララン♪タラララ♪タラララ♪タララララン♪」
ジェンカは「タッ♪タッ♪タラララン♪タッ♪タッ♪タラララン」
マイムマイムは「タンタンタララ♪タンタンタララ♪タンタンタララ♪タッタンタン♪」 >>850
不愉快だ!おまえ何様だよ!?
なにを歌っているだ! おこたぞ! >>850-851
でも分かったわw
メロディはなんとなく頭にあるからどれを当てはめるかだな >>852
そういえば日本人同士のPWFって馬場vs木村
だけかな そういえばシンが上田と肩を組みながら右足で左側を蹴ってる時にマイムマイムを連想したわ >>854
大木を除くならそうだね。
長州もやっていそうでやってない。 浜口は「ブロックバスター!」って叫んでからやってた事がある。
フリップは「放り投げる」「ひっくり返す」等の意味があるから、大仁田がやってたのはバックフリップホールドの方が正しい気がする。 >>837
でも風車式は、タイガーマスクがマスクドハリケーンを仕留めた一発は最高に痛そうだったぞw
まあ、元々悪くてあれを最後に引退したくらいだからそれは効いただろうけど。 >>837
ロビンソンのワンハンドバックブリーカーはバックドロップみたいな態勢から相手を浮かせて水平になった相手の身体を片手で自分の膝の上にたたきつけるから >>860
藤波が一時期使ってたドラゴンバックブリーカーも同じタイプだったね ワイは
シュミット式バックブリーカーではなく
シュミット流バックブリーカーって習った フライング・ボディアタックを「アバランシュ・ホールド」と呼ぶ場合もあるからな。ゴングはよくその用語法がみられたが、規準がまるでわからん。 海外じゃショルダースルーもバックドロップなんだよな
たしかに後ろに投げ落として入る >>832
険悪な関係の二人が対戦する可能性があるのでチャンカーには揃って来日させなかった。
かって二人が勝敗を度外視して殴リ合う姿を見てただならぬモノを感じた馬場の判断だった
がタッグを組むのはOKだったらしくその後、総当たりリーグ戦では無いシリーズで一度
だけ実現している。
ブッチャー流のビジネスと割りきって渋々、組んだんだろうね。
>>860
高く持ち上げてバックドロップと思わせる所は坂口のアトミックドロップと似ている。
そのまま投げた方が相手にダメージを与えそうだけど・・・ >>854
あの時代、日本人対決で挑戦者になっていた可能性あるのは
上田とカーンくらいかな?
上田はUNには挑戦してたっけ? ブッチャー&マードック組はオープン選手権で馬場がドリーに敗れた鈴鹿大会で実現
60分1本勝負タッグマッチ
デストロイヤー&R木村(1-0)ブッチャー&マードック
木村(13分21秒体固め)マードック
ジ・アウトローズで来日した75年ジャイアントシリーズ2では
馬場&高千穂vsブッチャー&ローデスという珍しい組み合わせもあった >>865
どこかで聞いたような文をそのまま
引っ張ってきているけど、
ブッチャーとマードックが対戦したのは
下にもあるように80年ジャイアントシリーズ
の2回だけ。
それ以外は日プロ時代を含めても対戦は無い。
オープン選手権ではタッグは組んだが対戦は
していない。
日プロ〜全日本創成期に「勝敗を度外視して殴り合った」なんてシーンは無いよ。 31.10.1980 All Japan Pro Wrestling Abdullah The Butcher & Killer Tor Kamata vs.
Dick Murdoch & Terry Funk - Double Count Out (15:55)
29.10.1980 All Japan Pro Wrestling Best Two Out Of Three Falls: Dick Murdoch,
Jumbo Tsuruta & Terry Funk defeat Abdullah The Butcher, Killer Tor Kamata &
The Asteroid [2:1] (24:23)
28.10.1980 All Japan Pro Wrestling : Abdullah The Butcher & Killer Tor Kamata
vs. Dick Murdoch & Terry Funk - Double Count Out (18:33) 小学校の時
シュミット式はパワーがないと無理だった。
が、ペンジュラムはラクだった。 走り高跳び用のマットで
ジャーマン決めるのが最高に楽しかった。 >>860
リンクは貼れないけどレス・ソントンがキャリアの晩年にWWFに出た試合など
海外の動画を見た人が、実況アナウンスで「ペンジュラム」と「ワンハンド」が
日本と逆の呼ばれ方をしている例が多いと紹介してくれたのがきっかけだった
https://youtu.be/D765tlYrOeg
まああちらも適当みたいだけど
弧を描いて投げるブレンバスターはみんな「スープレックス!」だし
https://youtu.be/ebkuBgtKlfc >>865
仲が悪いと言ってもマードックが一方的にブッチャーを嫌ってた感じかな?
BSのブッチャー特集では、Wリーグに揃って来日した時に、控室での差別扱いが酷くて
ブッチャー一人が孤立したみたいな事が語られていたと思うんだけど
タッグ・シングル問わず、組まれればお互い一流のプロだから試合を成立させると思う
いくら黒人嫌いのマードックでも、プロモーターが組んだカードを台無しにはしないよ。
新日ではアレンとも組んだしね…
ただ、大阪府立で実現した二人のシングルマッチは、一歩間違えれば危険な雰囲気があった 三沢タイガーが英語でインタビューに答えてたがアメリカ人なら理解出来るレベルの文章になってたんだろうか
ギブミーチョコレート!ハラキリ!みたいな関係ない単語を羅列しただけだったりして 若林アナがベンジュラムバックブリーカーをワンハンドと実況して、すぐに「あ、ベンジュラムでしたか」って訂正したのに、解説の竹内氏と山田氏が同時に「ワンハンドですね」って言っていて若林アナが気の毒だった >>871
レス・ソントンのカウンターペンジュラムバックブリーカー、タイガーとかの
やられる相手がまるで重力がなくなったようにフワリと浮くので昔は不思議で
仕方がなかったんだが、あれはやられる側がソントンの腕にしがみついて
鉄棒の逆上がりの要領で下半身を引き上げていたんだな
マットを蹴ってジャンプする勢いで跳ね上がるのとは違う不思議な浮き方で
疑問だったのだけど、確かにずんぐりむっくりのソントンは「軸」「土台」としては
実に安定していたんだなあ >>866
上田のUN挑戦時にタイトルマッチ宣言を読んだのが、鈴木宗男なんだよな ショルダーバスターは1984年頃だったか?
天龍がフィニッシュホールドとして定着(試行錯誤?)させようとしてたよね
時期の前後は忘れたが、ジャンピングDDTというか、顔面砕きも試してた覚えがある
さすがに延髄や卍ばかりがフィニッシュでは良くないと思ってたのかな…
同時期に鶴田もレッグラリアットなるイマイチなのも試してたね
あれは炸裂感が皆無で、ジャンプしながら膝や足首を押して当ててるだけに見えてイマイチだったね
まだ木村健のレッグラリアットの方が説得力があったように思う。
この頃は新日ファンの友達に
「天龍の延髄卍は猪木のマネ」
「冬木のニールキックは前田のマネ」
「石川のサソリは長州のマネ」とか言われてたなあ… >>879
猪木のは「延髄切り」で
天龍のは「延髄蹴り」と言うのもあった。 延髄斬りじゃなかったっけ?
前田は太腿を当てる形にさせられて可愛そうだったけど
前田は下手で怪我させたからしょうがない
藤波への蹴りでの流血も藤波が下手くそに避けたからって言い分だから
藤波ってエースなのに大人だよな
なのにMr.高橋にはボロカスにいわれる 前田は若手時代にニールキックで平田の歯を折ったり、凱旋後もR木村の顔面にカカト当てたりでむちゃくちゃだったね >>879
木村健悟のは説得力があったわけでなく、あぁレッグでラリアットしてるからレッグアリアットなんだという納得感ですよ。
鶴田のも木村健悟のも首を刈ってないからラリアットと言っていいのか疑問は残るが。 風車式バックブリーカーといえばデビル雅美もなかなかの使い手。
アバランシュホールドって猪木ベイダーの初対戦のときの決まり手のイメージだが違うかな >>879
冬木はニールキックじゃなくて
小林邦の真似のスピンキックだと思う。 古舘伊知郎の実況では、オクラホマスタンピードもアバランシュホールドも一緒で「出た出たアバランシュホールド!雪崩落とし!!」だった >>882
鶴田が仲野に顔面にドロップキックを食らって怒ったけど
前田はシュートで制裁されても突然のやつなんだな
ラッシャー木村が本気出したら一撃だと思う >>887
当時、カナディアンバスターと称して正調ショルダーバスターと区別していたな。 あっパワーボムか!
。。ショルダーバスターでした
の技 >>890
その頃、天龍はパワーボムを使ってないからそれはない。 小橋もムーンサルトプレスやローリングクレイドルなど先輩レスラーの技ばかり使っていたので「オリジナルホールドを開発しろ」と言われていたのに結局ラリアット一本槍に。 >>893
でもあれはオリジナルに近いと思うよ
@ハンセン、ロープに振り本家定番の打ち方
➁長州、自らがロープに走り加速をつけて打つ
B小橋、相手を起こしてブン殴るように打つ >>893
初期はサンダーファイヤーとかカナディアンロッキーバスターとか色々やってたな
ダブルアームDDTは結構使ってたけどやめちゃった 鶴田のレッグラリアットは木村式は危険だから
やむを得なかったんだろな。
普通にジャンピングハイキックをラリアットみたいに入れたら
とんでもないことになる レッグラリアートの理想はキン肉マンで出てきたモンゴルマン式だな
鶴田式レッグラリアートはダメ技だったけどアレンジ技のゼロ戦キックは会場受け良かった
あの型は小型レスラーがスピーディーに決めた方が見栄えが良いのかも オレンジクラッシュとかバーニングハンマーとか、派手な大技に頼るのでなく
シンプルなラリアットを必殺技にした方が小橋らしいと思うがな >>879
天龍の卍固めは、ロビンソンとインタータッグに挑戦することになった時二人で特訓をやり、その時にロビンソンから伝授されたと当時天龍が語っていた。あの技はヨーロッパにあったのをゴッチが猪木に教えたとされていたから、ロビンソン→天龍も当然有りだと思っていた。 天龍のオリジナル技なら天龍チョップ(つっぱり)があるじゃないか
いつからか使わなくなったが >>898
テキサスクローバーなどはもっとやるべきだったやろ 小橋は入場時の鶴田流ジャンピングリングインも様になってた。
ジャンボ→大仁田→小橋って全日ホープの流れか。 >>895
ダブルアームDDTはバックランドが鶴田にやってる >>879
鶴田とのUN戦でドクがショルダーバスターで一本奪ったことがあったけど、
その後あまり使わなかったな
ドクぐらい大型だと見栄えがいいから必殺技として定着させりゃよかったのに
>>892
天龍がパワーボムをフィニッシュにしたのってジャパン抗争時の前半くらいだっけ?
6人タッグで栗栖から奪ったのが最初だったような
>>893
小橋がいつだったかなんかの取材でいってたが、映画やマンガに出てきたプロレス技を
何十種類も片っ端から試してみて、実際に使えたのは5種類くらいだったらしい
ハーフネルソンとかバーニングハンマーがそれなのでは? 連レススマソ
85年の最強タッグで鶴龍と長州谷津が対戦した時、
時間切れ寸前に長州が天龍にパワーボムを仕掛けたら
アナが掟破りみたいなこと言ってたから、この頃にはすでに
天龍=パワーボムがある程度定着してたはず >>904
80年5月にレイスとのNWA戦では、ショルダーバスターで一本取ってる。 あくまで自分の中でだけど
1985年6月の武道館のシングル、長州の首を壊したやつが印象深い
ファン的に認知度がガーっと広がったのは
翌1986年の東京体育館、インタータッグで谷津からピンフォールしてからかな。
あと谷津のジャーマンの認知度アップは東京体育館の翌週、札幌で天龍をフォールした時からの印象。 パワーボムと似た形のショルダーバスターはバックランドも使ってたね。猪木にかけたとき危ない角度で落ちたような記憶がある。
ロビンソンが鶴田にツームストンかけたとき倉持アナがショルダーバスターと誤って実況してたな。 >>879
当時は何とも思ってなかったけど
今見ると天龍の延髄は、的確に当たっててホント痛そう
猪木と川田のはジャンピングハイキックで高く飛ぶけどスカも多かった
ジャンボのレッグラリアートはジャンピングニーと比べると説得力なかったな
健吾は他になかったから稲妻が定着しただけ 鶴田の場合は本当に当てるのならジャンピング二ーの方が威力あるもんな。
わざわざ効かないようにデチューンした技だから浸透しないのも当然だわな。 >>910
今にして思えばカーフキック(足の甲で脹脛を蹴る)を延髄にやってる感じと思えば効くのかなと 平成でスマンがWAR の後楽園で
天龍vs折原のシングルマッチがあり、件のパワーボムと見せかけショルダーバスターやってた。
当時見たことなかったから、天龍は思い付いたイジメ技を折原にやって小バカにしてるんだな〜って今まで思ってた。
昔開発した技だったんだね。
まぁその折原に見舞ったやつは背中に膝立ててバックブリーカーみたいになってた記憶。 >>911
ちゅうか、ジャンピングニーとレッグラリアットの区別がつかんかった。 >>907
長州の首を壊したのは、一番最初の大阪城での一発だろ。 中日・門倉コーチの失踪
金銭トラブル濃厚で過去には球団に何度も電話が入っていたそうだ
なんか阿修羅・原みたいだ アイツはもうヤクザになったよ
探したってムダさあきらめなよ! >>907
そうなんだ。自分的には谷津ののジャーマンは
天龍が、「後ろに回られるとゾーーーっとする」中継で
倉持が言ってたことと、ホークをジャーマンでピンしそうになって
ポール・エラリングが物凄いスピードでサードロープくぐって
血相変えてカットしたシーンだな。あれはガチでピン取れたよ。 >>899
国内では遠慮して使わなかった"延髄蹴り"を「ガンガン使え!ただロープに振れ!攻め
まくれ、後はオレに任せろ!」と言うロビンソンのアドバイスを天龍は後年まで
感謝している。 鶴田がフレアーに打ったバックドロップも樋口が失神してなければピン取れてたな 延髄斬りはハンセンもやった事あるよね。馬場との初戦で。 ロビンソンは馬場との初戦でアリキックをやったな
(猪木アリ戦の1ヵ月後) >>917
あなた、門倉さんでしょ?ねえ、そうなんでしょ!?
みんなあなたをお待ちしてますよ! あのとき樋口が失神しなければ…と思わせる技量って今思えば凄いな 観客がカウント3まで数えて、マスコミも幻のフォール勝ちと書いてたし 新日は高橋が負傷とかすると解説席の小鉄が急遽レフェリーやる流れがあったが
全日は樋口が失神すると基本放ったらかしだったよな >>928
高橋はカメラの邪魔にしばしばなるのがいやだった 行司と審判部長ってイメージだな、コテツのが上
全日本は樋口だけが権威なのによく失神する 天龍の延髄斬りは
相手をロープに飛ばし、帰って来るところを
後ろから蹴るから威力が半減するなぁ。
あれなら、まだ棒立ちの相手の方が効果的だろ?
と思ったものだ。 ついさっきまで失神しえたくせに判定に文句言う大仁田の頭を全力でぶっ叩くジョー樋口が大好き >>934
ジョーさんは失神から回復したあと、
意外と暴行を加えた相手を厳しく叱責しているね。
回復後はダメージも見せず軽快に動き回る事が多い。 >>930
小鉄は場外カウントをマイクを使って数えるけど、大声は出せないのか。そう言えば坂口のレフリーも見たかったな。 あれは木村と組んだ馬場がハンセンと天龍に襲われて
十分は場外で伸びてたのが気に入らない
なんぼなんでもそれなら救急車呼ぶよな >>937
グロッキー状態なりに何度か上がろうとするたびにカットされてリング外に落とされてた気がする >>933
猪木もやってたけど威力はともかくとして、当たるタイミングで蹴られるのは
立派だよな。相手が走るスピードよりも遅い蹴りだと当たるタイミングが非常に
狭くなる。 >>929
小鉄はTシャツ脱いで肉体アピールするのが嫌だった。 樋口は元プロレスラーだから、ちょっとぶつかった程度で失神するわけないんだよな。 ジョー樋口は昔会場で自分と身長を比べてみたことがあるけど
172,3くらいある >>934
樋口が大仁田の頭叩いたの?
んなことせんやろ。 >>914
>ジャンピングニーとレッグラリアットの区別がつかんかった。
自分も実はそう、雑誌の写真で「こういう風に当たってるのか…」と認知した
テレビ中継でも倉持さんが「あ!今のはレッグラリアットですよね!山田さんっ?」
と言ってるのを聞いて「そうだったんか?…よくわからんかったなあ…」だった。
いちいちビデオで巻き戻して見るほどの衝動も起きなかったし… >>941
それも、よく失神した1970年代後半〜80年代前半よりも
年齢を取った90年頃の方がタフになっていた。(苦笑) 鶴田のレッグラリアットがフィニッシュになった数少ない試合を生で見た 鶴田がラリアットを使い出したのも違和感があったな
馬場が復帰後DDTを使ったのも手抜きに見えた >>943
PWFが移動した秋田の馬場VSカマタ戦
裁定に抗議する大仁田にメッチャ切れて2発かましてるw ジャンボラリアットTV初公開は84年10月大阪のマーテル戦かな
エプロンからリング内のマーテルへ平行に走って決めた一発
VS超世代軍ばりにフルスイングで今見ると迫力がある >>949
数週前に維新軍が新日を離脱、新日興行入りを発表
提携した全日マット上陸か?と言われてた時期だけに
鶴田のラリアットは長州を意識した?とか微妙に記事になってた一撃だっけ? ジャンボのラリアットはヘタクソだったなあ
ところで、ラリアットの上手い下手ってどこで
決まると思う?
ハンセンは別格として、長州や小橋も良い。
腕だけで当てにいってる(ジャンボやラッシャー型)のか、
身体ごとぶち当たるようにいく(ハンセン型)のかの
違いだけかね?何か他にも理由がありそうなのだが… ショルダータックル気味に当てていく阿修羅原のヒットマン・ラリアットも悪くない 初めて見たジョー樋口の胸板の厚さにレスラーになることをギブした13歳の夏。サマーアクションシリーズで見た読売ランドのボーリング場 鶴田のは腕で強く叩くだけだけど
ハンセンのはダッシュする体の勢いが乗ってる >>952
長州や小橋は腕をぶん回しながら当てるから迫力がある
そういう点もうまさだとは思うけど。
1番下手くそなラリアットは故・デイビーボーイ・スミスかなあ…
昔よくタッグマッチで、二人がかりでクローズラインって技があったじゃん
あれを一人でやってるみたいというか、無機質で躍動感が全く感じられなかった… >>956
一番下手くそだったのは藤波だよ。
腕をチョンと出して当てただけのラリアットで
フォール負けさせられたポーゴが哀れだった。 晩年のニックが多用した、巻き付くように当てるラリアットも味わい深い >>957
藤波のはラリアットというよりクローズライン(腕を伸ばして走ってくだけ)だね 藤波のラリアットはダッシュ力と腕の筋肉量で説得力あるだろ
ヘビーであのスピードでぶつけられたらと思うと絶対受けたくない 藤波はマードックのカーフブランディングの受けが最高に上手かった
あのカエルがつぶれるような形は他にマネできるレスラーがいない なるほどねー
ラリアット考察ありがとう。楽しかった ハンセンとか原はアメフトやラグビーのタックルを応用
鶴田は腕を振り回して当ててる
藤波は腕を伸ばしてる、そんな感じか
長州も革命初期は藤波みたいに腕伸ばして当ててるだけだったな >>893
天龍は、脊髄蹴り。
TVでは、三段延髄斬りと
呼ばれていたが、なんのこっちゃと思った。 >>947
雑誌にも投書が載ってたな
「ジャンボは打点の高いニーやキック、角度のあるスープレックスや
バックドロップなど立体殺法が持ち味なんだから、ラリアットは似合わない。
ハンセンや長州の人気に押されて焦ってるんじゃないか」とか
>>963
アメフトやラグビー出身者はやはり競技特性が生きるね
アマレスのタックルは下半身を狙うからちと違う感じ
ラリアットに応用できそうなのは、後は相撲のぶちかましか 石川が言ってたけど「相撲をやってたからノドに入れられる一撃自体はそんなに
キツいわけじゃない。ただハンセンのラリアットは下半身を浮かされるんだよ。
首に食らって一瞬頭が真っ白になった状態で後頭部を打つから意識がなくなるんだ」
というのが当時は説得力があった
食う側の受け方もあるだろうけど、ハンセンら上手い使い手は「当てるだけ」じゃなく
相手が綺麗にひっくり返るように倒していた >>916
奥さんが、金銭トラブル一切ないって言うてるやないか。
適当なこと言うな!アホ! 藤波のラリアットは嫌いじゃなかったなー。力強さというよりタイミングの上手さかな。古舘いわく「ひとり時間差光攻撃」 >>966
それは天龍や川田も言ってたな
「ハンセンのラリアットは二段構えで怖い、炸裂した時と後頭部を強打する時」
食らった時に試合後の控室で強烈な目眩と吐き気に襲われて、病院に直行したのは何度かあるらしい。 ハンセンのラリアットだけはガチで効くと思ってた。
受ける方も当時は下手くそでもろにくらってた感がある。 ハンセンは試合後に荒れて止めに入った若手をラリアットでKOするのが大好きだった。食らう方にはもうしないけどw
若手も食らうのが上手いのもいて、大の字にぶっ倒れるヤツは説得力あったなあ >>971
食らう方には、もうしないんじゃなく
毎回ガンガン食らわせてだろう、何を見ていたんだ??? 新スレが立つたびに次スレのスレタイは訃報のレスラーになるかな。。と思っちゃうから、誰も死なずに新スレを迎えるのはめでたい🎌 >>971
やられのは基本後藤か菅原。
三沢も経験しているけど冬木が
食らっているのは記憶にないな。 ラリアット食らって一回転してたのって川田だっけ?
他のレスラーのラリアットで一回転なんてみたことないから
ハンセンのは特別なんだってプレミア感があったな >>972
「もうしない」じゃなくて「申し訳ない」の書き間違いでした。
ゴメンなさい >>980
ジェシーはカートより大成すると思ったが >>980
まだ見ぬ強豪
未完の大器
の典型の印象 >>983
当時はレイス二世は決まりという感じだったな
馬場・ドリーと札幌のメインで引き分けたのがピークだったか 初来日の最強タッグではレイスと揃いのカラーリングのガウンで格好良かった。 後にジミー・ジャック・ファンクになっていた
ファンク兄弟の末弟設定なのにシンとタッグを組む違和感 >>986
キャラ以前に妙に細身になっていたのが気になった 石川敬士がハンセン移籍当初、ラリアットで血反吐を
吐いたあたりで馬場が本気になったという
のを当時読んだがあれは本当に石川はやられたのだろうか? ラリアットで血反吐なんか吐かないだろ。坂口の血袋コンドームが有名だけど。 >>988
確か移籍三戦目の六人タッグマッチで馬場と初対戦した時だったか ジェシー・バーが剛竜馬のベストパートナーになるなんて思わなかったな スレが立って3週間足らずで早くも一スレ消化しちゃうんだな。それだけ昭和全日プロレスは語る話題が豊富なんだな! 継続の力もあるよ、懐かしプロレス話はプロレス板より芸スポのが盛り上がってたからね
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