ここだけ1983年のIWGPでラッシャー木村さんを優勝させるスレ
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時は昭和58年。IWGPの前夜祭に乱入して北米代表ながら緊急帰国をすることに
なったディノ・ブラボーの代打として執念でIWGP代表の座を射止めたラッシャーさん。
まさかこの時点で彼がIWGPを制覇することになるとは、誰も知る由もなかったのである。
【ここがポイント】
(1)猪木・アンドレ・ホーガンといったレスラーの格を傷つけることなく、ラッシャーさんを優勝させる。
(2)実際にはIWGPに参加していないレスラーを勝手にメンバーに加えてしまっても良い(例:ローランド・ボック。アブドーラ・ザ・ブッチャーなど)
(3)参加人数を勝手に拡大してしまっても良い。最大で20人くらい。
(4)全日本プロレスの参加外国人及び日本人も勝手に引き抜いてしまっても良い。
本当に引き抜かれたら全日本が困る選手には手を出さない。
(5)優勝するのは、あくまでもラッシャーさんである。
難しいテーマだが、上手くストーリーを作って頂ければ幸いに思う。(謎の組織:翔光会) ラッシャーさんに帰れコールを浴びせていた心無い連中は重い十字架を背負って生きて欲しい。 >>139
ラッシャーさんがシマダヤのCMに起用された時、せめてもの罪滅ぼしと思い「鉄板麺」を買いまくった私は許していたたまけますか? 悔い改めた人は許されるでしょうな。
少なくともラッシャーさんは許すことでしょう(^^ >>131
オットー・ワンツのところ、ローランド・ボックという手もありましたな。
現実的には体調不良になってしまいましたが。 全日本プロレス時代も金網デスマッチをやって貰いたかった。
86年あたり。相手はタイガージェットシンとかキラーカーンあたり。 国際血盟軍時代が惜しかった。もっと光らせることが出来た筈。 「ラッシャー木村・鬼の10番勝負」なんてあると良かったなぁ( ´〜`) 最近、神奈川県の高校野球で2校が出場辞退になり不戦敗となりましたが、
これはIWGPルールに則って言いますと「勝ち点4」となります。
反則勝ちやリングアウト勝ちと同じ扱いの得点です。
アンドレはオットー・ワンツに不戦勝で、ここでの失点1が実に大きかった。
チャンピオン・カーニバルや世界最強タッグのように、あらゆる勝ちには、
「勝ち点2」を与えるルールのほうがスッキリしていていいのではないでしょうか。 東海大相模の途中出場辞退は、東海大相模の格を落とすことなく、宿命のライバル・横浜を
プッシュするという結果になって、見事な決着の付け方だと思う。 80年にも同じような出来事(東海大相模の途中出場辞退)があって、横浜が浮上した
神奈川県 オリンピックの正式種目に「プロレス」があってもいいと前々から思っていた。
例えば幻に終わった1980年のモスクワ五輪。
代表を1ヶ国3人くらいにして、金メダルを競う。
日本代表はジャイアント馬場、アントニオ猪木、ラッシャー木村(仮)
各団体のトップをとりあえず代表に据える。
アメリカ代表は強そうだ。
ビル・ロビンソンは英国代表でオリンピックに出る。
タイガー・ジェット・シンは国籍の関係でカナダ代表で出る。
韓国代表も侮れない。
※実際にはモスクワはボイコットしているが「なかったこと」にして妄想している。
ルールをどうするか(60分1本勝負? 30分1本勝負?)悩ましい。 >>49
最初の予選は4月17日鹿児島での藤波対木村健吾
82年MSGシリーズの日本人同士の対戦はIWGP予選も兼ねていた。 >>149
日本代表
馬場 猪木 木村
アメリカ代表
ハンセン レイス ドリー
カナダ代表
シン アンドレ 誰かいたかな?
メキシコ代表
マスカラス カネック ドス
中近東代表
ブッチャー Wシーク
韓国代表
大木 パクソンナン ?
80年当時ならこんな感じでしょうかね。 ザ・シークは実はアメリカ人だし、アブドーラ・ザ・ブッチャーは確かカナダ国籍。
ジン・キニスキー(カナダ)はさすがにモスクワ当時は最盛期は過ぎていましたかな(゜-゜)
長州力こと郭光雄は現在は日本国籍ですが、当時は韓国籍だった筈。
メキシコ代表はスンナリ決定ですな。
西ドイツ代表はローランド・ボックで・・・・・・ 北海道の羅臼での最終興行から40年経ちましたな(゜-゜) >>152
アメリカ代表はレイス、ボックウィンクル、バックランド ラッシャーさんはレイスとのシングルは記憶にないなあε- (´ー`*) 世界のラッシャー木村だから優勝しても違和感はない。 ラッシャー木村氏が殿堂入りに名前が入っていないのは、いかがなものか。
「金網の鬼・ラッシャー木村氏」はプロレス殿堂入りにふさわしい大物なのだ! 走るのがとにかく遅かった
ロープに振られて
相手のとこに戻って技を受ける前に
足は既に止まっていた 第1回IWGPとオープンリーグ。ラッシャーは両方に参加している。 秩父でトレーニングを重ねて猪木戦に臨んだ金網の鬼。 ガニアやバションやニックと戦った兵・ラッシャー木村 ラッシャーさんとジプシー・ジョーさんの76年の金網デスマッチが大好き。
何故かラッシャーさんに女性からの黄色い声援が飛んでいる。 マスカラスのIWA世界選手権。小林邦昭ではなくラッシャー木村が
挑戦すればよかったのにな。 ジョン・レノン「イマジン」を流しながらこのスレ読むとすごくいい。 不透明決着が許された時代はみんな格が維持できて良かった アンドレ、ホーガン、ハンセン、ボック、ブッチャー、シン、
そしてIWGP思想に共鳴しカムバックしたテーズ、ゴッチ、ダニーホッジらを制し、
(いろいろあって)決勝はラッシャーと猪木になる。
猪木がラッシャーを「てめえなんか顔じゃねえんだよ」と殴りまくる。
と、寺西が泣きながらマットを叩く。と、その音に合わせ観客は木村コール。
と、そんな空気を察した猪木が木村のブルドッキングヘッドロックを受け失神演技。
木村が歓喜の優勝。翌年WWF王者に。
猪木は失神演技を誰にも明かさず墓場まで持って行った。 84年の時のでしょう。
ラッシャーさんが既にヒゲの面相ですから。 国際時代の木村さんの試合見ましたけど、やっぱり味わい深い!
(大木金太郎選手とタッグ。ジプシー・ジョーの凶器攻撃で大木選手フォール負け。
1980年6月30日あたりの試合) 国際時代の大木選手は木村選手とは対戦せずに「棲み分け」していた。
木村氏がIWA、大木氏がインターヘビー級王座。 ラッシャーさんとハルク・ホーガンとの一戦は確かフェンスアウトでラッシャーさんの
反則負け。 もし84年の最強タッグで馬場のパートナーがバックランドになってたら、ラッシャー木村はどういう登場の仕方だったんだろうか >>185
ババ・バックランドだと、パパパパパフィーみたいになる 馬場&バックランドだとファンクスと時間切れ引き分けでレイス&ニックとも時間切れ引き分け
だったような気がする(・_・;) ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています