ここだけ1983年のIWGPでラッシャー木村さんを優勝させるスレ
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時は昭和58年。IWGPの前夜祭に乱入して北米代表ながら緊急帰国をすることに
なったディノ・ブラボーの代打として執念でIWGP代表の座を射止めたラッシャーさん。
まさかこの時点で彼がIWGPを制覇することになるとは、誰も知る由もなかったのである。
【ここがポイント】
(1)猪木・アンドレ・ホーガンといったレスラーの格を傷つけることなく、ラッシャーさんを優勝させる。
(2)実際にはIWGPに参加していないレスラーを勝手にメンバーに加えてしまっても良い(例:ローランド・ボック。アブドーラ・ザ・ブッチャーなど)
(3)参加人数を勝手に拡大してしまっても良い。最大で20人くらい。
(4)全日本プロレスの参加外国人及び日本人も勝手に引き抜いてしまっても良い。
本当に引き抜かれたら全日本が困る選手には手を出さない。
(5)優勝するのは、あくまでもラッシャーさんである。
難しいテーマだが、上手くストーリーを作って頂ければ幸いに思う。(謎の組織:翔光会) よっこらしょ。
∧_∧ ドスッ
( )┌─┴┴─┐
/ つ. 終 了 |
:/o /´ . └─┬┬─┘
(_(_) ;;、`;。;`| |
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ありがとうございました
もう書き込まないでください 猪木はケガで途中棄権。開幕戦は日本で、海外巡業中にアクシデント、ということにすれば大丈夫かな。
ボックも開幕戦の入場式には顔を出すがほどなく棄権。
81年の段階でカブキを引き抜いておく。もともと全日とは水と油。 猪木、坂口、藤波、長州、カーン、木村、アンドレ、ブッチャー、ホーガン、マードック、スタッド、オーンドーフ、
ボック、ワンツ、キッド、前田、カネック、ベラ 当時の全日で引き抜かれたら困る選手と言うと
鶴田・天龍・ハンセン・ブロディ・ファンクス・レイス・ニックあたりは浮かぶ。
81年に引き抜かれたタイガー戸口はエントリーさせて良かったのでは。 理想参加メンバー
猪木
藤波
長州
ラッシャー
前田
アンドレ
ホーガン
ブッチャー
マードック
スーパースター
アドニス
カネック
スタッド
当時の状況考えたらこんな感じか 引き抜きをやると馬場さんの100倍返しの報復がある。
79年の最強タッグに出場した後、82年の新日本登場まで間があるワフー・マクダニエルみたいなケースは、
馬場さんとしては全く問題はないみたいです。 当時を思い出すのに必死。でも、いい時代だった。全日・新日ともに団体に体力があった。
ここまで、ざっと全部の投稿を見た。 例えば>>9 氏のメンバー。これだけでも現実のIWGP
よりも格段に豪華なメンバーだ。でもあれだけ大風呂敷を広げたのだから、このくらいの
メンバーは集めて欲しいのだ。少なくともブッチャーは参加させなかったら「なんのために
引き抜いたのだ?」と感じてしまう。
追加するとすれば、ボブ・オートンジュニア、、バッドニュース・アレン、アイアン・シーク
あたりか。ボブ・バックランドはWWFとの絡みで長期滞在は厳しいか。でも海外でもやると
いい。当初の構想ではマディソン・スクェア・ガーデンでもやる筈だったから。 >>9
ボックの体調が良かったらぜひヨーロッパ枠で ボックは体調不良で途中リタイアの形にすれば傷が付かないで、ちょうどいい。 妄想...ボックは藤波を秒殺するも
小鉄「ちょっと待ってくださいボックの様子が変ですよ」
古館「おっとぉ?ローラン・ボックが何やら苦しそうだ」
小鉄「これはですね藤波選手が受け身を取った瞬間ボックにも攻撃を加えたんですね(強引)」
古館「藤波!レスラーの本能か!ボックにもダメージが大きい!(強引)」
こんなんで新日お茶濁し常套手段やからな アンドレVSボックは序盤に対戦して両者リングアウト。
ホーガンVSボックは序盤に対戦してホーガンの反則負け。
ラッシャー木村VSボックはボックのケガによる戦線離脱でラッシャー木村の不戦勝。勝ち点4をゲット。
みんな傷がつかない。 ラッシャー木村vsアンドレは、がんばって、がんばって両者リングアウト(79年の時の再現)
ラッシャー木村vsホーガンはホーガンのアックス・ボンバーが場外で炸裂して鉄柵の外に
吹っ飛ぶラッシャーさん。グロッキーになりながらも勝ち点4をゲット。
ラッシャー木村vs猪木は、猪木の喧嘩殺法が炸裂。ラッシャーさん大流血。とどめとばかりに
卍固めが炸裂。寺西勇が泣きながら乱入するが、猪木はその寺西にナックルパート。
さらには延髄斬り一閃! 慌てて止めに入るレフェリーのミスター高橋にも延髄斬りが炸裂。
たまらず猪木反則負けのゴングを要請するミスター高橋。
リング中央で「1・2・3・ダー!!」と勝ち鬨を挙げて、猪木信者も一緒に酔い痴れる状態なので、
うっかりしがちだが、この試合、買ったのはラッシャーさんのほう。勝ち点4をゲット。 >>20
妄想するのは楽しいけど、どれも灰色裁定でカタルシスがないなあ 第一回G1での予想外の蝶野まさかの優勝サプライズ
これを第一回IWGPで当てはめるとしたら
優勝戦は前田VSカネック
前にこんな書き込みがあったのを覚えてる 優勝は前田(笑) 怪しすぎる。。。
えーと、AブロックとBブロックに分けて10人ずつでリーグ戦を行うという手はありますね。 今の頭で40年前にタイムスリップすれば
猪木コールよりも木村コールの方が多いかもしれないな
まさに「時代が判断する」の典型だ 話変わるが、猪木がIWGPを予定通り取っていたら
6日後のフレアー鶴田のNWA戦はどういう結果になっていただろう?
猪木に当てつけで鶴田が王者になっていただろうか? 猪木戴冠ならば鶴田NWA奪取→数日後フレアー日本で奪還だろうけど、
ここの板ではラッシャー木村IWGP優勝という設定だから、1対0で鶴田勝ち。
ベルト移動なしで、お茶を濁すと思う。 NWA鶴田奪取の後統一戦を目指しラッシャー木村新日本脱退
第三者によるリングでの統一戦として東スポ主催の国立競技場興行
シュートを仕掛けた鶴田がやり返され木村が統一王者
ペイパービューで全世界に中継され木村に目をつけたビンスが全米侵略の目玉に抜擢
ラッシングマニアなる造語もできるほどのブームを巻き起こし全米制圧
WWFからIWFへ名称変更するくらい影響力をもつ漢になる 当時IWGP構想に心酔してた中学生の俺は、南米代表になるぐらいだから
エンリケ・ベラってすごい強豪なんだと思ってた エンリケ・ベラが優勝しても違和感がないような気がする。
忘れていたが、ラッシャーさんはIWAの王者のまま新日本に移籍したことになる。
この封印されていたベルトを全日本のマットで復活させていたら、今頃は「4冠統一ヘビー級」
のベルトの一部だったように思えてならない。 馬場は日本人唯一のNWA王者になりたかったから
鶴田に獲らせることはない
獲らせるならその時の蔵前で獲らなくても、どこがで獲ってる
それこそケリーがフレアーに負けて移動するなら
田コロで勝って、横須賀か船橋でフレアーに返すこともできたし
天龍だってウォリアーズとNWA上がったときにチャンスはあった…らしい フレアーのケリーからのNWA奪回は横須賀だったことがたまらなく渋い。フレアーは数日前にレイスに負けた試合が素晴らしかった。 ラッシャーの公式戦全試合フェンスアウト勝ちでラッシャーの勝利。フォール勝ちはカネックとベラ辺りで。決勝もエキサイトした猪木にフェンス越しに投げられ反則勝ち。ラッシャー優勝 「フェンスアウト」というルールが存在したアバウトな時代。
全日本にあった「レフェリー失神」のような試合も好きだ。 海野レフェリーがダメとか騒いでる新日ニワカは
それならプロレス見るなよって感じだよな
新日はレスラーも外様ばっかだけど、海野も全日
ジョー樋口の伝統芸を継承してる タイガー服部と
海野、
おまいら的にどっちうまい? 決勝戦がラッシャー対ベラなら違う意味で歴史的大会になった
でもプロレス枠内だけで世間には全く届かず 決勝戦。ラッシャー木村VSアントニオ猪木。
終盤いきなり長州力が乱入してラッシャーさんにラリアート一閃! さらに猪木にラリアートを見舞うがその前に猪木の延髄斬りが顔面蹴り風味になって長州に炸裂。
「あんだ、この野郎!おーし、かかって来い、この野郎!オレの首を掻っ切ってみろ、この野郎!」
などと叫びながら長州に馬乗りになってボコボコにする猪木。
その間にセコンドの寺西勇が泣きながら半死半生のラッシャーさんをリングの中に押し上げる。完全な助力行為だが不問に付される。
やがて猪木のリングアウト負けが宣せられる。ラッシャーさん悲願のIWGP優勝!
しかし、この後、どういう暴動が起こるか分からないので決勝戦は蔵前国技館ではなく、マディソン・スクエア・ガーデンで行ったらどうだろう? 当時の新日最高メンバーなら
猪木、ホーガン、アンドレ、バックランド、ローデス、ブッチャー、ボックまでか?
元国際エース肩書きがあるからラッシャーも可かな 当時全日所属ならマイティも可能。一応短期間国際のエースだった時期も有るしIWAのチャンプに成った事有るし >>46
そこにDマードック Mスーパースター Aアドニス Kカーンも追加で。 アジアゾーンの予選だけでも大変だ。1981年の9月23日が予選の初戦。代表枠は5人くらいか。
アントニオ猪木対タイガー戸口。その試合前に・・・・・・・ マイティは新日嫌いだから誘われても拒否しそう。
アレックス・スミルノフやキラー・ブルックスあたりの元国際出身外国人レスラーならば
引き抜いても全日にとってはダメージにならなかったと見る。 決勝は蔵前でブッチャーとのラッシャー最後の金網戦でKO優勝
座布団飛びまくり金網に当たりまくりで ↑猪木信者もラッシャー木村に熱烈な声援。猪木途中棄権の失望感を払拭して余りある出来事だった。
夜10時からの『速報テレビスタジアム』というニュース番組でも速報が流された記憶がある。 でも国際でエース張ってた頃なら普通に日本
最強クラスだよな。80年代半ばに間近で見たら
腕の太さに驚いたわ。 ラッシャーさんは最盛期を過ぎた筈の89年最強タッグでも天龍&ハンセンのエグい攻めに
耐えていたから、タフさは筋金入り。
ところでマッド・ドッグ・バションは83年当時どんな感じだったのだろう?
最盛期はもっとずっと前の人だとは思うが、国際プロレスが倒産しているから新日本マットに
上がってもどこからも文句は出ないと思うのだが。 IWGPアジアゾーン予選初戦。木村健吾が稲妻レッグ・ラリアートの3連発で
グレート・マーシャルボーグからギブアップ勝ち。白星発進。 アメリカでも予選リーグが開始される。
○ディック・マードック(体固め)グレート・マーシャルボーグ●
○ダスティー・ローデス(反則勝ち)キラー・カールクラップ●
○ロイ・ジェームス(リングアウト勝ち)キャロライン洋子●
▲ポール・オーンドーフ(両者リングアウト)ビッグ・ジョン・スタッド▲
○ハルク・ホーガン(リングアウト勝ち)ワフー・マクダニエル● あんたいくつだよww
ロイジェームスってEHエリックみたいな人だっけ? IWGPは本当はこういう夢のある大会になるはずだったのに
結局MSGシリーズとたいして変わらなかった スレ違スマンがwiki見て笑ったwww
第5回大会(1982年)
アントニオ猪木 53点
キラー・カーン 49点 ※準優勝
藤波辰巳 35点
ラッシャー木村 33点
谷津嘉章 13点
長州力 4点 ← 揶揄すんな アフリカ・中近東ブロックでも本戦出場を賭けたブロック予選が始まりました。代表枠は二つです。
▲アブドーラ・ザ・ブッチャー(両者反則)ザ・シーク▲
○ジュマ・イカンガー(反則勝ち)フセイン大統領● ブッチャー&シーク組は77年のオープン・タッグの時「アフリカ・中近東代表」と紹介されていた。
最近youtube で見たが(ファンクスvsブッチャー&シーク)面白くて仕方ない。
と同時に83のIWGPよりも実はスケールの大きい大会ではないかと感じてしまった。 >>61
キラーカーンの売り出しすごいね。第2のハンセンにしたかったみたい カーンは“”アンドレの足を折った男 という称号があったからね。
それは新日のリングではなかったものの。
その称号を活かすべくカーンを大々的に売り出した。
逆にあれがなければカーンの評価も違っていた。
アクデントとはいえカーンに取っては運が良かった。
アメリカでもそれで売り出されたわけで。 オープンタッグの豪華さはガチ
おそらく
日本で行われたシリーズ最高? ロイジェームス知らんから例えでEHエリック出したんだよ
司会する日本語ペラペラな人カテ 何でファンファン登場するんだよw 『ロイ・ジェームス wiki』で検索してみたらアメリカとは縁もゆかりもない人であることが分かった。
しかも日本国籍。
さらにIWGPの前年1982年に亡くなっている。 グラハム・カーの世界の料理ショーは
合間合間に音声効果で笑い声を入れるパイオニアだった ◆激戦区のアジア・ブロック序盤戦◆
◯ラッシャー木村(体固め)サムソン轡田●
◯北の湖(押し出し)千代の富士●
◯吉村道明(ローリング・クラッチ・ホールド)グレート草津●
※吉村道明が突如現役復帰。アキレス腱断裂から立ち直った草津も新日本マットで復帰を遂げる。 >>73
奥様は魔女とかアメリカのテレビじゃ普通にやっるだろ
世界の料理ショーがパイオニアじゃねーよ スーパースター・ビリーグラハムやジョニー・パワーズは当然予選には参加、と。 猪木vsR木村、卍固めで決着かと思われたがセコンドの前田が乱入
ニールキックを放ち猪木の後頭部を直撃
猪木は首を負傷しバリーウィンダム、デビル雅美戦を不戦敗で優勝圏外へ。 ルール確認ですけど「無効試合」の裁定だと、後日、もう一度試合をやり直しするんですかね。
今、ふっと藤波VS長州の試合前に前田が突如長州を襲撃にして病院送りにしてしまうストーリーを考えてしまったんですが。 >>79
本人は面白いと思って書き込んでるんだろうか フランス生まれのアンドレはヨーロッパ代表で出したほうが良い。 ラッシャーさんも強いが、もう一人の木村姓の健吾さんも強い。
アジア地区予選の初戦。相手は韓国から参戦のリングネーム「パク・チュー」
ロープに振って戻ってきたところを天下無敵の稲妻レッグラリアート。「稲妻!」の叫び声がとりわけセクシー。
謎の覆面レスラー、パク・チューは逃げ惑うが再び捕まり、再度「稲妻!」の掛け声と共に稲妻レッグラリアートの餌食に。
泣きながら場外へエスケープするパク・チューを追いかけて「稲妻!」と叫んで、必殺・稲妻レッグラリアートの三発目。
鉄柵の外まで吹っ飛んでしまった謎の覆面レスラー、パク・チュー。正体は不明。 ラッシャーさんも強いが、もう一人の木村姓の健吾さんも強い。
アジア地区予選の初戦。相手は韓国から参戦のリングネーム「パク・チュー」
ロープに振って戻ってきたところを天下無敵の稲妻レッグラリアート。「稲妻!」の叫び声がとりわけセクシー。
謎の覆面レスラー、パク・チューは逃げ惑うが再び捕まり、再度「稲妻!」の掛け声と共に稲妻レッグラリアートの餌食に。
泣きながら場外へエスケープするパク・チューを追いかけて「稲妻!」と叫んで、必殺・稲妻レッグラリアートの三発目。
鉄柵の外まで吹っ飛んでしまった謎の覆面レスラー、パク・チュー。正体は不明。 「東洋の神秘」ザ・グレート・カブキが新日本プロレスに引き抜かれた。
元々は「高千穂明久」のリングネームで活動していた日本プロレスの残党である。
日本プロレス末期にUNのベルトを巻いたものの、ほどなく日本プロレスは消滅。
全日本プロレスに吸収されたのだが、日本プロレス時代からの残党は扱いが悪かった。
「いつかカマシ返してやる」という思いを胸に秘めていたカブキにとって、新日本からの
引き抜きは「渡りに船」であった。
1982年1月1日。日本初上陸のザ・グレート・カブキの新日本初マットはIWGPのアジア・
ゾーン予選の初戦。相手は国際プロレス出身で倒産して行き場をなくしていた鶴見五郎
だった。 鶴見五郎には全日本プロレスも食指を伸ばしていた。
「ありがたい話ですが、既に私には新日本プロレスからオファーが来ておりまして、承諾して
しまいました。期間は2年間。フリー契約でして、今、ここで新日本との約束を反故にすることは
新日本を裏切ることになってしまいます。誠に申し訳ありません」
「そうか。それなら仕方がないな・・・・・・・・新日本との契約が満了したら、その時はウチに
来てくれないかな? 決して無理強いではなくて、そのまま新日本にとどまるのもいいかも
知れないが、ウチは決して悪いようにはしない・・・・・」
全日本の総帥・ジャイアント馬場も事情を察して鶴見五郎の新日本マット参戦を後押ししてくれた。
しかし裏ではザ・グレート・カブキを引き抜かれた報復として秘かに同郷の後輩・キラー・カーン
の獲得に動いていた。 1982年の1月1日に時計の針を進める。
♪よー。かっぽん、かっぽん ♪
会場の灯りが消され、東洋の神秘・ザ・グレート・カブキが遂に新日本マット初見参。
前年、タイガーマスクというスーパースターを生み出した新日本にまた新たなスターが
登場した。相手は国際出身の鶴見五郎。戦前の下馬評ではカブキの圧勝が予想
されていた。
ゴングが鳴った。序盤からカブキ・ペースで試合が進められる。アッパーカット。トラースキック。
正確に鶴見五郎のあごの先端にヒットする。
青息吐息の鶴見五郎。リング中央に大の字。カブキがロープに登った。正拳突きを狙っている。
と、そこで、カブキが足を滑らせトップロープをカニのように横歩きしたかと思うと、バランスを
崩して股間をロープに痛打。リング下に転落。
リング上では依然として大の字のまま起き上がれない鶴見五郎。
しかしリング下に転落したカブキも股間の激痛にのたうち回る。当惑しながらカウントを数えていた
レフェリーのミスター高橋だったが、遂にゴングを要請。
10分54秒。鶴見五郎リングアウト勝ち。
カブキは国内凱旋試合を白星で飾れず、まさかの黒星スタート。IWGPアジア地区代表に暗雲の
垂れ込める一戦となってしまった。
ようやく起き上がった鶴見五郎が周りに聞こえないようにそっとレフェリーのミスター高橋に訊ねた。
「私の勝ちでいいんですか?」 83年の実際には開催されなかったチャンピオン・カーニバル・バージョンも考案したい。 IWGPのメキシコ予選てどんな顔触れだったんだろうね。 決勝はカネックがマスカラスに勝利しエンリケがペロに勝利したんだよな 【全日本プロレス・チャンピオン・カーニバル83】(注)総当たり
参加選手:馬場、鶴田、天龍、原、井上、カブキ、ハンセン、ブロディ、ドリー、テリー、
レイス、ニック、フレアー、ロビンソン、シン、マスカラス、デビアス、スレーター、スティンボード、ゴディ、 史上最高スケールの大会は恐らくシングルの大会だと75年のオープン選手権 >>95
そんなにいらんよ、贅沢もほどほどに。
馬場カブキドリーレイスニックシンでいいよ、シニアチャンピオンカーニバルな。 ↑それよりはやや贅沢をして、ロビンソン、シーク、カマタ、ラシク、上田あたりを加える。 82年春の時点では断然カーンのほうが長州よりも格上だったことに気が付く。 カーンはMSGシリーズ準優勝
カーン、戸口はタッグリーグ2年連続準優勝だからな
そう考えたら長州は第1回IWGPにも選ばれず
第2回もタッグリーグもサッパリだからな 82年はカーン&戸口が準優勝だったが83年は違ったような・・・・・
確かアンドレ&ハンセン組が1位通過だったが、S.ハンセンがケガで離脱。
長州は第2回の時は一応リーグ戦3位だったと思う。 戸口の扱いは新日本では悪いと思っていたがタッグでは、そうでもない。 第三回の決勝、猪木&ホーガン×カーン&戸口は、タッグリーグ史上屈指の名勝負 鶴田&戸口のT・Tコンビで最強タッグに出ていたらどうなっていたか。 人間性は比較対象にならないくらい、ラッシャー木村のほうが力道山よりも上だと思う。 プロレススタイルが似ているのかね
国際のDVDとか見ないと詳しいわからんかも 79年の木村vsガニア(ガニアがIWA王座奪取の試合)はグラウンドでの攻防が
渋くてとても良かった。 ベストは分からないけど89最強タッグの馬場&木村VS天龍&ハンセンは屈指の名勝負。
負けたほうがファンの応援を受けていたような気がする。 俺もどれがベストかはわからないけど、維新軍に寝返った浜口に対して強烈な張り手をかました時にラッシャー木村ってこんなに怖いんだと戦慄を覚えた。 ラッシャーは84年最強タッグでの超獣コンビとの公式戦も良かったぞ。
馬場と仲間割れする直前の試合だな。 ラッシャーさんの流血は見慣れているけれどハンセン&ブロディ組との試合も流血。 ラッシャーさんはNWAのベルトを巻いても良かった。
85年のブロディ離脱直後の4月のシリーズ。
最初にラッシャーさんがリック・フレアーに挑戦。ラッシング・ラリアット→ブルドッキング・ヘッドロック→ダブルアーム・スープレックスと畳み掛け、
最後は温存していたラッシング・ジャーマン一閃!
見事日本人2人目のNWA世界王者になる。
新王者・ラッシャーさんに長州力が挑み、反則勝ちを収めるもベルトの移動なし。
続いて横浜文化体育館でジャンボ鶴田が挑戦。途中幻の3カウントを奪うもジョー樋口が失神中で無効に。
結局、場外でバックドロップを炸裂させるもラッシャーさんがリングに戻れずリングアウト負け。しかし、
タイトル防衛に成功。
何故かリック・フレアーのリターンマッチは日本では組まれず、ラッシャーさんは馬場さんでもなし得なかったNWA王者としての全米サーキットを5月に実現。
ロン・バス、アレックス・スミルノフ、キラー・ブルックス、トミー・リッチ、マイケル・ヘイズに連続防衛を続けるが古傷の足を再び負傷して、リック・フレアー戦を棄権。惜しくもフレアーに王座を明け渡す。 NWAどころかインターもUNも挑戦したことなかったな 馬場との仲間割れからマイクパフォーマンスはずっとやってたけどお笑い路線に変化したのは88年頃だっけ? 88年の「兄貴と呼ばせてくれよ」で決定付けられたが、実際には86年あたりから
隠れた人気者で「俺はラッシャーのカラオケを聞きに来ているんだ」というファン
の声が東スポに掲載されていました。 84年の最強タッグ。仲間割れがあったとは言え、1勝4敗2棄権の勝ち点2止まりというのは納得が行かない。 77年オープンタッグでの木村・草津組はブッチャー・シーク組と確か引き分けるなど
そこそこの戦績は残した。 昔、プロレス昭和異人伝なるブログに
永田さんの後楽園ホールの
IWGPはラッシャーみたくて味がある
みたいなと 87年最強タッグ。ラッシャーさんとフランク・グーディッシュを組ませたらどうだっただろうか。 >>100
革命軍のコールも最初は長州→カーン→マサだった。カーンは途中から加入だったのに
徐々にカーン→長州になった。 オットーワンツが開幕戦でアンドレと両者フェンスアウト、R木村に負け、ホーガンと両者リングアウト、カネックにピンフォール勝ち、猪木とは両者フェンスアウトで、その際に負傷したため残り試合は不戦敗。
この結果が影響して、全戦終了時、トップは勝ち点32のR木村、2位は勝ち点30点で、猪木、ホーガン、アンドレが並ぶ結果となる。
優勝決定戦出場者を決める巴戦が行われ、初戦の猪木対アンドレ戦はアンドレがロープに挟まり、エプロンリングアウト負け。
第2戦の猪木対ホーガン戦は場外でアックスボンバーを放ちリング内に戻ろうとしたところ、ラッシャー木村が乱入、ホーガンを引きずり下ろし、背後からラリアットを放つ。猪木、ホーガンともリング下でダウンする状態となるが、先に蘇生した猪木が立ち上がりリング内に戻り、リングアウト勝ち。
優勝決定戦は木村対猪木の顔合わせとなる。アンドレ、ホーガンとの連戦でスタミナを消耗した猪木は短期決戦を狙い、次々に技を繰り出すもロープに逃げられ、ピンフォール、ギブアップに至らない。
木村の猛攻でリング下に落とされた猪木は、乾坤一擲、ジャーマンスープレックスを仕掛けるも不完全。再度、ジャーマンを狙ったところ、木村にリバーススープレックスで返される。
リングに戻ろうとエプロンに立ち上がった猪木に、先にリング内に戻っていた木村が、ロープの反動を利用して十字チョップを放つと、これが猪木の顔面を直撃。リング下に落下して動かない猪木を尻目に、レフリーのカウントは20に達し、木村のリングアウト勝ち。初代IWGP王者はラッシャー木村となった。 >>129
それならラッシャーさんとジャクジット・シン・ハンスさんと組ませた方が良かった >>106
つい最近何故か菊田のYouTubeで見たが見事な老害になってたぞ
最近の若い選手はバカだから試合がつまらないとか言ってたわ
お前の時代じゃできない高度な技随分増えてると思うが AWA世界ヘビー級王座を経験したオットー・ワンツはもっと有効に使える筈のレスラーだったのだが。 ラッシャーさんに帰れコールを浴びせていた心無い連中は重い十字架を背負って生きて欲しい。 >>139
ラッシャーさんがシマダヤのCMに起用された時、せめてもの罪滅ぼしと思い「鉄板麺」を買いまくった私は許していたたまけますか? 悔い改めた人は許されるでしょうな。
少なくともラッシャーさんは許すことでしょう(^^ >>131
オットー・ワンツのところ、ローランド・ボックという手もありましたな。
現実的には体調不良になってしまいましたが。 全日本プロレス時代も金網デスマッチをやって貰いたかった。
86年あたり。相手はタイガージェットシンとかキラーカーンあたり。 国際血盟軍時代が惜しかった。もっと光らせることが出来た筈。 「ラッシャー木村・鬼の10番勝負」なんてあると良かったなぁ( ´〜`) 最近、神奈川県の高校野球で2校が出場辞退になり不戦敗となりましたが、
これはIWGPルールに則って言いますと「勝ち点4」となります。
反則勝ちやリングアウト勝ちと同じ扱いの得点です。
アンドレはオットー・ワンツに不戦勝で、ここでの失点1が実に大きかった。
チャンピオン・カーニバルや世界最強タッグのように、あらゆる勝ちには、
「勝ち点2」を与えるルールのほうがスッキリしていていいのではないでしょうか。 東海大相模の途中出場辞退は、東海大相模の格を落とすことなく、宿命のライバル・横浜を
プッシュするという結果になって、見事な決着の付け方だと思う。 80年にも同じような出来事(東海大相模の途中出場辞退)があって、横浜が浮上した
神奈川県 オリンピックの正式種目に「プロレス」があってもいいと前々から思っていた。
例えば幻に終わった1980年のモスクワ五輪。
代表を1ヶ国3人くらいにして、金メダルを競う。
日本代表はジャイアント馬場、アントニオ猪木、ラッシャー木村(仮)
各団体のトップをとりあえず代表に据える。
アメリカ代表は強そうだ。
ビル・ロビンソンは英国代表でオリンピックに出る。
タイガー・ジェット・シンは国籍の関係でカナダ代表で出る。
韓国代表も侮れない。
※実際にはモスクワはボイコットしているが「なかったこと」にして妄想している。
ルールをどうするか(60分1本勝負? 30分1本勝負?)悩ましい。 >>49
最初の予選は4月17日鹿児島での藤波対木村健吾
82年MSGシリーズの日本人同士の対戦はIWGP予選も兼ねていた。 >>149
日本代表
馬場 猪木 木村
アメリカ代表
ハンセン レイス ドリー
カナダ代表
シン アンドレ 誰かいたかな?
メキシコ代表
マスカラス カネック ドス
中近東代表
ブッチャー Wシーク
韓国代表
大木 パクソンナン ?
80年当時ならこんな感じでしょうかね。 ザ・シークは実はアメリカ人だし、アブドーラ・ザ・ブッチャーは確かカナダ国籍。
ジン・キニスキー(カナダ)はさすがにモスクワ当時は最盛期は過ぎていましたかな(゜-゜)
長州力こと郭光雄は現在は日本国籍ですが、当時は韓国籍だった筈。
メキシコ代表はスンナリ決定ですな。
西ドイツ代表はローランド・ボックで・・・・・・ 北海道の羅臼での最終興行から40年経ちましたな(゜-゜) >>152
アメリカ代表はレイス、ボックウィンクル、バックランド ラッシャーさんはレイスとのシングルは記憶にないなあε- (´ー`*) 世界のラッシャー木村だから優勝しても違和感はない。 ラッシャー木村氏が殿堂入りに名前が入っていないのは、いかがなものか。
「金網の鬼・ラッシャー木村氏」はプロレス殿堂入りにふさわしい大物なのだ! 走るのがとにかく遅かった
ロープに振られて
相手のとこに戻って技を受ける前に
足は既に止まっていた 第1回IWGPとオープンリーグ。ラッシャーは両方に参加している。 秩父でトレーニングを重ねて猪木戦に臨んだ金網の鬼。 ガニアやバションやニックと戦った兵・ラッシャー木村 ラッシャーさんとジプシー・ジョーさんの76年の金網デスマッチが大好き。
何故かラッシャーさんに女性からの黄色い声援が飛んでいる。 マスカラスのIWA世界選手権。小林邦昭ではなくラッシャー木村が
挑戦すればよかったのにな。 ジョン・レノン「イマジン」を流しながらこのスレ読むとすごくいい。 不透明決着が許された時代はみんな格が維持できて良かった アンドレ、ホーガン、ハンセン、ボック、ブッチャー、シン、
そしてIWGP思想に共鳴しカムバックしたテーズ、ゴッチ、ダニーホッジらを制し、
(いろいろあって)決勝はラッシャーと猪木になる。
猪木がラッシャーを「てめえなんか顔じゃねえんだよ」と殴りまくる。
と、寺西が泣きながらマットを叩く。と、その音に合わせ観客は木村コール。
と、そんな空気を察した猪木が木村のブルドッキングヘッドロックを受け失神演技。
木村が歓喜の優勝。翌年WWF王者に。
猪木は失神演技を誰にも明かさず墓場まで持って行った。 84年の時のでしょう。
ラッシャーさんが既にヒゲの面相ですから。 国際時代の木村さんの試合見ましたけど、やっぱり味わい深い!
(大木金太郎選手とタッグ。ジプシー・ジョーの凶器攻撃で大木選手フォール負け。
1980年6月30日あたりの試合) 国際時代の大木選手は木村選手とは対戦せずに「棲み分け」していた。
木村氏がIWA、大木氏がインターヘビー級王座。 ラッシャーさんとハルク・ホーガンとの一戦は確かフェンスアウトでラッシャーさんの
反則負け。 もし84年の最強タッグで馬場のパートナーがバックランドになってたら、ラッシャー木村はどういう登場の仕方だったんだろうか >>185
ババ・バックランドだと、パパパパパフィーみたいになる 馬場&バックランドだとファンクスと時間切れ引き分けでレイス&ニックとも時間切れ引き分け
だったような気がする(・_・;) ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています