【32文】BI抱を考える2【コブラツイスト】
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>>950
門茂雄あたりが言ってそうな話だけど、
本当にそんなことあるのかね。
あの人、プロレスの秘密を暴露してるようで、
そうでもなくて、「プロレスでは常時セメント試合が行われている」ような前提で書いてるんだよね。 >>952
そうそう、出典はセメント大好きの門なんだけど
馬場が力道山の記録と並ぶ頃から「先生を冒涜するものだ!」とアンチ馬場派が
批判のトーンを高めていき、2局放送になると馬場派・猪木派の対立が激しくなったのは
想像できるけどね‥
あと、キニスキーを境に“ラフ&パワー”の馬場全盛時代から
ドリーやマスカラスの“スピード&テクニック”の猪木時代に移行した印象はあるね。 >>952
・リッキー・ワルド―はセメントマッチでタッグタイトルを奪って力道山に恩返しをした
・「新日復帰直後の藤波VS長州は1983年頃の試合と違ってセメントマッチそのものだった」と語ったのは
木村健吾である
なんて記述があるんだよね
こんな事を書かれているとあの人が書いた事も疑わしくなる 門は、試合の中で、レスラーがムキになる
「硬い」展開があったことを拡大解釈して
その試合が結末も含めて真剣勝負であると
言ってるんじゃないかね。
ワルドーがアジアタッグを取った試合も、記録見ると3本目はワルドーが豊登から取っていて、力道山には傷がついてないし。それに同じ会場の日大講堂で
2週間後に興行が決まっていたから、あきらかに
次回興行への「ヒキ」だった 猪木の口を封じる為にオープン選手権にシューターを揃えたのは
馬場のフィクサーと言われた「プロレス&ボクシング」編集顧問の森岡理右だよね
これは猪木がブック破りをしてセメント仕掛ける事への警戒からの布陣だから
セメント自体の存在は、門以外にも述べてる通りあるんだろう。 いかなる理由を付けようともそれまで条件は任せるとか散々大見得を切っていた猪木として不参加はそれ自体が決定的な失点だったよな
挑戦者の癖に自分から条件を付けるとは何事だって 当時既に漫画のタイガーマスクで覆面ワールドリーグ戦をやってたりしたわけだから参加しなかった猪木の方が分がない印象
もし参加していれば例え途中で脱落しても仕方なしと思われたかもしれないし >>956
オープン選手権みたいな例は別として
プロモーターは全て試合の結末を決めてるわけだから、それにレスラーが逆らうとしたら
「2度と使ってもらわなくていい」覚悟がある時だけだね。
例外として、プロモーター自体が真剣勝負をやれ、と言った場合はセメントもありうる。
力道山時代の前座試合とかね。 セメントとは違うけど、ダニーホッジは些細なことでキレて自分でも何をするか
わからないらしいね。
テーズ曰く、ホッジの目がトローンとしたら危ないと‥
試合後に我に返って謝罪したらしいが
感情をコントロールができなくなるみたいだと回想していた。 そういうアブナイ連中を敢えて囲い込むプロモーターもいたって事なんだよな
マクガークとかハフトとか ホッジが、シュートマッチとMMAについて語っている。
「自分がレスラーであるという背景がある以上、タップアウトさせる、首の骨を折る、
いかなる事をしてもその相手を処理せざる得ない
シュートマッチとはそういう“状況”なんだよ。解りやすく話そう
シュートマッチというのは俺が死ぬのかお前が死ぬのかそれだけだよ。
でも俺は死にたくないよ。そして私は相手が生きたいって言うなら生かしてやるよ。
リングに上がる前に相手がこういうことを仕掛けてくる、それを知っていたら
私だって対処の仕方は全部知っているよ。
そういった競技がMMAなのだろう。 でもシュートマッチは違うんだよ…」
要するにカネを取って見せるプロレスの試合でシュートを仕掛けるというのは
よっぽどの事や覚悟がないと、絶対やっちゃいけないことで
ルールのあるMMAとは違うという事なんだろう。
でも、シュート=セメント=ガチンコで理解していいのか、いまいち分からないw 不穏試合と言われた83年最強タッグの超獣コンビvsマスカラス兄弟
互いに技を受けようとしないで、膠着状態が多いギクシャクした試合だが
別にセメント仕掛ける訳でもなく、不穏という程でもないね
ブロディのメキシカン嫌いがそうさせたのかな‥
https://youtu.be/NxfgtrVUUwA シュートってのはMMAでも使えるサブミッションを含めた
相手を屈服させる行為の総称って事だろ
指を肛門や目に入れるのもそれ
MMAはあくまでもルールに沿う競技
昔はティムウッズが素人相手の余興で指食いちぎられたりしてたし
リアルにカタワになるような試合もプロレスでは時にはあったんだろう 今日はファンクスがBI砲からインタータッグ奪取の日
そして実は最後の最強タッグ参加日でもある 今日も不穏試合と言われた 猪木vsグレート・アントニオ戦の日
CSで流れてたMSGタッグ決勝の戸口&カーン戦でも
猪木がダウンしたカーンの顔面を蹴っ飛ばしていたのには驚いたw
BI砲がファンクスに負けた札幌の試合は観た記憶がないんだが
らしいコンビネーションがなかったんだろうね…
いつもはアイコンタクトだけで阿吽の呼吸ができるのが
この最強コンビの魅力だった筈
試合前から負けが確定していたから、バラバラになっても仕方ないんだけどね。
この年のWリーグ決勝の控室で猪木が馬場に対戦アピールした時から
馬場はインタータッグはあまり乗り気でなかったと語っている。 12月8日を調べてみると
1963年力道山が村田勝志に刺された日で、1980年ジョンレノンが暗殺され
川田利明の誕生日、釈迦が悟りを開いたのもこの日だとさ‥ >>971
海外武者修行時の馬場がリングに登場するなり
「ジャップ!」「リメンバー・パールハーバー(真珠湾を忘れるな!)」
学校で習うより前に『ジャイアント台風』で覚えていたよw >>967
BI砲が、ファンクスに負けたのが1971年の12月7日。
これ同年の7月1日(ゴールデンシリーズ)の対I・コロフ&D・サベージ戦から
5カ月もインタータッグ戦が行われていないんだよね。
BIの仲がギクシャクしていたせいもあるが、この年、ゴールデンシリーズの後の
サマービッグシリーズ、サマーミステリーシリーズにもタッグのタイトル戦が
組まれていない。
アジアタッグは6月17日のB・ゴールドマン&E・ゴリアスから12月1日の
ドリーファンクjr&D・マードックまで5月半。タイトルマッチって6か月、
防衛が行われない時は、没収じゃなかったっけ?
まぁ、これは秋にNWAタッグリーグを開催し、タッグのタイトル戦が
行われなくなったことも一因だが、サマービッグシリーズは、JブリスコとCマルコフを
組ませるわけには行かず、元AWA世界王者の、I・ボディックが全く期待外れだったからな。
少し使えればマルコフとのタッグでインタータッグ挑戦もあり得たかな? ブリスコとリベラが組んでアジアタッグ挑戦とか出来たんだろうが
思えばブリスコは日本ではタッグのイベントに全く出てないんだよな >>974
両シリーズともアジアタッグ挑戦者候補は
マルコフスチール組とか、スポイラーラモス組とか
いたけどね。
結局、アジアタッグの放送枠をUNにまわした感じしゃないのかね。
当時日本プロレスは「大都市大会場」でのみタイトル戦を行う、みたいな不文律があって、両シリーズともそれにふさわしい会場が2会場くらいしかなかった。
その1大会枠をNETが持ち、何を放送するかでUN戦を希望したのではなかろうか。 おっと、カーンのスレが立ってるんだね。
だけど日プロ出身者が“ひき逃げ”でニュースになるなんて悲しいよ、、
>>976
アジアタッグ王者の権威も吉村坂口組までだねw
それまでの挑戦者チームは、国際のIWA世界タッグや新日の北米タッグに挑戦しても
遜色のない実力者揃いだし、王者コンビも歴代日プロのエースを務めた顔触れ。
日プロ最後の王者が小鹿と松岡とは… 小鹿はBI時代でもパートナー次第ではアジアタッグ巻いても問題ないけど松岡は体格ルックス共にないな。 上田をインタータッグに回したので松岡しかいなかった感じかな
思えば上田はアジアタッグ経験の無い日本人では初のインタータッグ王者だったか 日プロ末期は馬場猪木坂口のトップ3が強すぎて他の選手が割り込む隙がないね。上で引退して席空けられるのが吉村しかいない。ミツヒライもかな?
上田や小鹿はせっかく凱旋してもポジションがない。こういう選手余りも派閥争いや分裂の原因だったのだろう。 坂口ですらベルトを巻けたのは猪木の離脱後
大木のアジアヘビーは名誉職的な感じか 日本プロレスのレギュラータイトルのチャンピオンは少ない。
力道山時代は、力道山以外は豊登がアジアタッグ取っただけ。
力道山の死後、吉村、馬場、猪木、坂口が
それぞれアジアタッグを最初のベルトとして獲得、
大木は極東、アジアとシングルを獲得。 >>983
遠藤が東洋太平洋みたいなタイトル力道山と取っていなかったかな?タイトル名忘れてるくらいだから防衛戦はお察しなんだろうけど。 >>984
遠藤幸吉は、力道山と組んで日本プロレスの初期(54年)
太平洋岸タッグ選手権をM・シュナーベル&L・ニューマン組から奪取、
2度防衛しているが、その後、行われていない(自然消滅か?)
また’56年にシャープ兄弟から世界タッグを奪取、リターンマッチで取り返されている。
力道山と東富士で55年にはハワイタッグも取って、やはり4度防衛したが、
定着しなかった。結局タッグ王座はアジアタッグに落ち着いたんだな。 >>984
遠藤は力道山とシャープ兄弟の世界タッグを獲ったことがあるはず
力道山と東富士でハワイタッグもあったと思う >>983
そういうツッコミはあると思ったけど、
「日本プロレスのレギュラータイトル」と書いてあるので。つまり日本プロレスのタイトルとして長年定着したもの。世界タッグ、ハワイタッグ、日本ヘビー、日本ジュニア、日本ライトヘビーなどのタイトルが
あるのは承知している。それを入れたら遠藤、東富士、駿河海、芳の里、吉原が一気にタイトルホルダーに加わる。
だがインター、インタータッグ、アジア、アジアタッグ、それにUNというところでいうと、1955年〜1971年の間には
力道山、豊登、吉村、馬場、大木、猪木、坂口
という7人しかタイトル獲得者はいなかった。 アジアヘビーは力道山の死の二年近く前から既に防衛戦は行われてなかったんたんだよな
亡くなった時も飾られていたのはインターのベルトとワールドリーグとアジアタッグのトロフィーだけだったし >>987
若いときでも時系列記憶があやふやなタイトルの記録を調べてくれて大変ありがたいです。勉強になりました。
こうして並べられると力道山はたとえ受けなくてもジュニアのタイトル戦を継続的に行ったりや自分の絡まない日本人選手同士のタッグタイトルなんかも作る余地は十分あったのではないかな。
あまりにも自分一人に集中しすぎて興行に展開がないというか展望がないというか。 世間的な人気が集中していたというのもあるだろうが結局は異邦人として自己の立場を守らねばならないという意識が強かったのかもな
それでも後半ではワールドリーグを決勝シードにしたりアジアタッグの比重を増やすなど明らかな負担軽減を行っているし >>989
インターに包含してアジアは発展的解消、みたいな広報していればよかった。
マスコミも入れ知恵すればよかったのに放置したもんだから
タイトルを作ったはいいが、取ったはいいが、あとは尻すぼみして消滅みたいな
ことが散々行われて誰もああまたねとしか思わなかったのはファンも含めて悪い。 新日版のアジアも自然消滅…?
IWGP開催にあたって封印だったかな? >>987
力道山が目指していたのはボクシングのような階級制の確立だったのか
或は中堅レスラーの不平不満を抑えるためのガス抜きだったのか
途中、NWAのジュニアヘビー級タイトルマッチはあったが
興行的にもメリットなかったんだろうな…
結局、藤波がブームを起こすまで日本マットには定着しなかった >>987
突っ込んでいい?
昭和41年5月〜6月、アジアタッグ王者ヒロ・マツダは?
(パートナー吉村) >>996
マツダは日本プロレス所属じゃないでしょ。
フリーだよ そもそもが>>981、>>982のフォローとして
書いたことなので、そこはご理解いただけると >>909 >>911
脳にプロレスの記憶しか詰まっていない可哀想な人たちだねwww このスレッドは1000を超えました。
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