【32文】BI抱を考える2【コブラツイスト】
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坂口ですらベルトを巻けたのは猪木の離脱後
大木のアジアヘビーは名誉職的な感じか 日本プロレスのレギュラータイトルのチャンピオンは少ない。
力道山時代は、力道山以外は豊登がアジアタッグ取っただけ。
力道山の死後、吉村、馬場、猪木、坂口が
それぞれアジアタッグを最初のベルトとして獲得、
大木は極東、アジアとシングルを獲得。 >>983
遠藤が東洋太平洋みたいなタイトル力道山と取っていなかったかな?タイトル名忘れてるくらいだから防衛戦はお察しなんだろうけど。 >>984
遠藤幸吉は、力道山と組んで日本プロレスの初期(54年)
太平洋岸タッグ選手権をM・シュナーベル&L・ニューマン組から奪取、
2度防衛しているが、その後、行われていない(自然消滅か?)
また’56年にシャープ兄弟から世界タッグを奪取、リターンマッチで取り返されている。
力道山と東富士で55年にはハワイタッグも取って、やはり4度防衛したが、
定着しなかった。結局タッグ王座はアジアタッグに落ち着いたんだな。 >>984
遠藤は力道山とシャープ兄弟の世界タッグを獲ったことがあるはず
力道山と東富士でハワイタッグもあったと思う >>983
そういうツッコミはあると思ったけど、
「日本プロレスのレギュラータイトル」と書いてあるので。つまり日本プロレスのタイトルとして長年定着したもの。世界タッグ、ハワイタッグ、日本ヘビー、日本ジュニア、日本ライトヘビーなどのタイトルが
あるのは承知している。それを入れたら遠藤、東富士、駿河海、芳の里、吉原が一気にタイトルホルダーに加わる。
だがインター、インタータッグ、アジア、アジアタッグ、それにUNというところでいうと、1955年〜1971年の間には
力道山、豊登、吉村、馬場、大木、猪木、坂口
という7人しかタイトル獲得者はいなかった。 アジアヘビーは力道山の死の二年近く前から既に防衛戦は行われてなかったんたんだよな
亡くなった時も飾られていたのはインターのベルトとワールドリーグとアジアタッグのトロフィーだけだったし >>987
若いときでも時系列記憶があやふやなタイトルの記録を調べてくれて大変ありがたいです。勉強になりました。
こうして並べられると力道山はたとえ受けなくてもジュニアのタイトル戦を継続的に行ったりや自分の絡まない日本人選手同士のタッグタイトルなんかも作る余地は十分あったのではないかな。
あまりにも自分一人に集中しすぎて興行に展開がないというか展望がないというか。 世間的な人気が集中していたというのもあるだろうが結局は異邦人として自己の立場を守らねばならないという意識が強かったのかもな
それでも後半ではワールドリーグを決勝シードにしたりアジアタッグの比重を増やすなど明らかな負担軽減を行っているし >>989
インターに包含してアジアは発展的解消、みたいな広報していればよかった。
マスコミも入れ知恵すればよかったのに放置したもんだから
タイトルを作ったはいいが、取ったはいいが、あとは尻すぼみして消滅みたいな
ことが散々行われて誰もああまたねとしか思わなかったのはファンも含めて悪い。 新日版のアジアも自然消滅…?
IWGP開催にあたって封印だったかな? >>987
力道山が目指していたのはボクシングのような階級制の確立だったのか
或は中堅レスラーの不平不満を抑えるためのガス抜きだったのか
途中、NWAのジュニアヘビー級タイトルマッチはあったが
興行的にもメリットなかったんだろうな…
結局、藤波がブームを起こすまで日本マットには定着しなかった >>987
突っ込んでいい?
昭和41年5月〜6月、アジアタッグ王者ヒロ・マツダは?
(パートナー吉村) >>996
マツダは日本プロレス所属じゃないでしょ。
フリーだよ そもそもが>>981、>>982のフォローとして
書いたことなので、そこはご理解いただけると >>909 >>911
脳にプロレスの記憶しか詰まっていない可哀想な人たちだねwww このスレッドは1000を超えました。
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