【32文】BI抱を考える2【コブラツイスト】
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ライトはブロディのような小難しい性格だったらしいね。
ブラッシーを破って黒人初の世界王者になり、その後失踪したのは
黒人差別による迫害にあったとされているが
WWAのシナリオが嫌でブック拒否した事が真相らしい。
新日に初来日した時はヒールターンしたばかりで、猪木との試合も無効試合
決着も見たかったけど、ロビンソン戦が控えていたからな〜
予定通り73年に全日本に来日していたら、馬場との巨人対決(198センチ)が見れたね。 あの時期の新日本は結構オールドタイマーを呼んでいたイメージ 馬場も全日旗揚げ後、外人選手が、それまでの日プロ参戦選手に
偏らないように、「まだ見る強豪」を呼んだんだね。
元WWA王者のマーク・ルーイン、不発だったがベア・キャット・ライト、
ミスターレスリング、地味なところでアルゼンチン・アポロ、スコット兄弟
の弟、サンディ・スコット。
しかし、「まだ見る強豪」って、 70〜71年、日プロと国際が競って、
招聘したから、75年の新日、ベア・キャット・ライト以降、いなくなった。
スターになったバックランドもフレアーも無名時代に来日していたし。 だから、75年以降、、79年ブロディ、80年ホーガンあたりが初来日するまでは、
「その団体にとっての、まだ見ぬ強豪」がいつ参加するかが興味の対象だった。
新日、全日にとってのビル・ロビンソン、全日にとってのガニア。
78年、全日に初来日したリック・フレアーは実質「まだ見ぬ強豪」だったけれどね。 いちいち訂正するのも恐縮なのだが
まだ見ぬ強豪、ね。 黎明期の新日は、無名や3流レスラーのオンパレードだったけど
バレンタイン・シーク・パワーズ・アンドレ等の大物もいたんだよね。
あと、超一流じゃないけどPパターソン・Sリーガン・Jトロス・Hブロンドス
ヘス&ショッツ・Aヤコブ…
カネック以前のメキシカンでは、HラミレスやEティニブラスがいたな〜
きわモノでは、マクガイヤー兄弟・Gアントニオ・Tジャコブス・アナコンダ…
テーズ&ゴッチ&ロビンソンは、新日のストロングスタイルをファンに浸透させ
(特にゴッチの神格化)全日との差別化をアピール
狂気に満ちたTJシンを育てながら、過激なプロレスというイメージも植えつけた
格闘技路線・WWWFとの提携時代には、全日の豪華外国人にも見劣りしなくなった。 ま、シンしか目立たないような陣容で、アンドレが異質なんだよね。 ハンス・シュミットも呼んでたな
極め付けはアントニオ・ロッカをレフェリーに呼んでのテーズとのNWF戦だろうが 全日の外人も、知名度が高いだけでショッパいの多かったからな。 >>240
ハンス・シュミットと一緒にブルート・バーナードも来てたな。
あのシャウト(奇声)は彼が最初なのかなぁ?
うるさいけど、バーナード・イアウケア・ブロディの6人タッグが見たいw >>242
いやあそのトリオはいいねえ。
さすがにブロディもイヤウケアにおれのギミックを使うなといえるはずはないし。
ブルーザー、レイス、マードックの金髪トリオも見たくなったよ。 ブルーザー、レイス、マードックの揃い踏みは、
昭和43年のダイナミックシリーズであったようだね。
後2者は初来日。
ブルーザー&レイスでインタータッグに挑戦した。 >>244
レイス初来日の時は、格からいえばブルーザー&オースチン組が挑戦なんだが
BIのインタータッグに挑戦したのはレイスだった。(勿論、レイスが負け)
レイス&オースチン組での負け役はオースチン
レイス&オースチン&マードックの6人タッグの負け役はマードックだった。
69年2度目の来日では世界王者ドリーと組んで猪木&吉村のアジアタッグに挑戦
(負けはレイス)
70年3度目の来日ではノンタイトルで馬場と引き分け
バレンタインと組んでアジアタッグに2度挑戦(1引き分け、1レイスの負け)
キニスキーと組んでシリーズ3度目のアジアタッグ挑戦(負けはレイス) 猪木追放後の次の来日で坂口のUNに挑戦
またアジアタッグでも今度は主役の立場でモンローと組んで挑戦 >>243
Fブラッシー、Tタイラー、Cマルコフの銀髪?トリオも魅力的 Fブラッシー、Tタイラー、Cマルコフ
この3人の揃踏みは、なかったね?
Fブラッシー、Tタイラーが第10回ワールドリーグ参加で
シリーズ中に、インタータッグ挑戦
Cマルコフ、Tタイラーが第12回ワールドリーグ参加。 日本最古のアジアタッグ王座に価値があったのは吉村&坂口組までだな。
吉村道明引退試合の日(73年3月3日)に、小鹿&松岡が王者になってからだよ
アジアタッグの価値が暴落したのは・・
もともとインタータッグが持ち込まれてナンバー2になったベルトだけど
挑戦者はエースと準エースが多かった。
馬場が獲得した初の王座(パートナー豊登)であり、最後に挑戦(パートナー小橋)したのも
アジアタッグだった。 クラシック(ス)でテリーやマードックの日プロ時代の映像あるのに、
レイスは観たことがない…
猪木・吉村vsドリー・レイスのアジアタッグなんか、今考えると夢のカードだね。 >>250
坂口離脱後の繰り上げ当選的なタイトルのバラまき方は最悪だったね。
プロレス誌にも、二流の王者たと二流の挑戦者による二流のタイトルマッチと叩かれたからな。 >>250
アジアタッグの価値が最も高かったのは唯一の王座だった豊登・馬場時代
シングルより復活させやすかったという点でもアジアタッグの利便性の高さが伺える >>252
プロレスファン的には、あれでプロレスの嘘、ブック性に完全に気づかされた出来事てあった。
ところが当時者のレスラーたちは全日本合流後に
「俺らをチャンピオンらしく扱え」と不満を持つ。 >>254
馬場は日本プロレス残党のタイトルホルダー達に対して完全無視を決め込んだけど、王座の価値を保つために、強豪外人を当てて防衛戦やらせて、片っ端から王座を取り上げていくべきだったと思うな。 >>255
残党達にスポットライトを当てさせず、一切防衛戦をやらせなかったのは
正解だったと思うけどな〜
むしろ負けブックを飲ます方が大変じゃないかな?
それに防衛戦なんかやらせたら、勝っても負けても(格を)認めた事になる。
どっちにしても時限爆弾みたいな連中なんだから、やらせなくてよかったよ。 >>255
持っていたのは、大木のインターシングル、上田松岡のアジアタッグ、高千穂のUNの三つ
インターは、ドリーかレイス、デスト
アジアタッグはブッチャー&Rジョーンズ
UNがマードック、ルーイン、イヤウケアとか
これくらいできっちり回収できたね。
>>256
格を認めることになる、けれども「無視」は王座の権威をおとしめることにもなるよ
痛し痒しだろうけど無視はよくなかったよ。
好きの反対は無関心、みたいなもので後で復活させるのはいかにもご都合主義だから。 >>257
アジアタッグは小鹿松岡じゃなかった?
まあでも、そのメンバーならタイトルの価値も復権するし
UN王座も鶴田へのクッションになると
外国人を挟むと残党の面子も保たれて、少しは大人しくなるかな?
…時限爆弾に変わりはないけどねw まあ2度くらい防衛させて面子を立たせてから
から引き剥がすやり方もあったけどね。
それも馬場的にはウザかったんだろう。
実行するならアジアタッグはデストロイヤー杉山組あたりに落ち着かせるのがいいか。
デストロイヤーなら外人だし、直接小鹿松岡から奪わせてもカド立たないかも アジアタッグくらいなら中堅のタイトルとしてやらせても良いが
大木のインターは、それを放棄して力道山ベルト争奪戦(後のPWF世界)
を数戦行って、獲得したのに、なぜいまさら、全日のリングで防衛戦を
やるんだ?ということになるね。
やるならPWFとの統一戦だ。 猪木は村松友視と二人で別府に行った際、
観光客のオバさんが「あ、ジャイアント馬場さんだ」とはしゃいだので、
「アッポー、アッポー」と手刀を振り下ろす真似をして喜ばせたそうな。
逆の状況で馬場が猪木に間違えられても、
馬場は黙りこくだけだろうからな
間違ってもアゴを突き出して「あんだこのヤロー」
とは、やらないだろ? >>260
なぜ防衛戦をやるんだ? っていうけどもNWAのチャンピオンが来て防衛戦をやる
と同じスタンスでかまわないと思うんだが。
統一戦としなくても第一回チャンピオンカーニバルにPWFチャンピオン馬場が
シードながら出たように、インターチャンピオン大木も別のゾーンからシードで
出ればよかったのではないかしらん。 インター王座は、韓国マットがNWAに加盟していたから防衛戦は認められたけど
国際プロでやった防衛戦は非加盟団体だから無効になるんだろうね。
81年に復活させる時もそれを理由に返上させているし…
だから73年に全日本がNWAに正式加盟したから、馬場の許可さえあれば
UN王者=高千穂もアジアタッグ王者=小鹿松岡も防衛戦は可能
それを認めなかったんだから、よっぽど嫌だったしリセットしたかったんだろうね。 インターは大木→レイス→馬場。
UNは高千穂→オコーナー→デストロイヤー
あたりの移動ていけたな。
その気になれば 日プロの残党からタイトルを取り上げる試合は地方でやって、ダイジェスト版をテレビ放映して、タイトル移動を周知せしめるという方法があるね。
負けブック飲まないなら、PWFルールだと言って、反則負け、リングアウト負けでもタイトル移動させればいいんだし。
タイトル移動させたら、馬場、杉山、デストロイヤー、鶴田が大会場でこれらの王座に挑戦すればよい。 日プロのタイトルを完全無視というならわかるが、インタータッグだけは開催してるからねえ。
ただ馬場鶴田の挑戦で引き分けでタイトル取れなかった時は、日プロの安易な移動劇を見せられた後だけに、爽やかな気持ちにはなったね。 三本勝負の利点が一番良く出ていた試合だったな
一本目の鶴田のジャーマン勝利が見事で ジャイアントシリーズで日本プロレスの
タイトル防衛戦をやるなら
●インター
大木2ー1イヤウケア
●UN
マスカラス2ー1高千穂
●アジアタッグ
マードックモロウスキー2ー1小鹿松岡
あたりはイケたな。 >>270
マスカラスがUN王者になると、蔵前の覆面世界一決定戦がUSとのWタイトルになって
デストロイヤーが2冠王になっちゃうね マスカラスの負けブックは大木以上に面倒くさいからパス。
UNは一気に馬場が獲って返上してしまえば猪木への嫌味になるけども
そこは控えると、ハリケーンとかで。 PWFベルトは馬場が海外で防衛戦をしやすいようにと、予備として2本造って
ドリーに預けていたら、勝手にインターナショナル王座を名乗りPWFベルトを使用して
防衛戦をやっていたらしいねw >>271
デストが直接高千穂に挑戦してもいいけどね。
外人だし 馬場が日本プロレスのタイトルとして欲しかったのは
インターとインタータッグだったろう。
しかし、大木はインターを離さない。
(取り上げる目的で強豪外人とタイトル戦を組んでも、それを放棄して
脱退しただろう。結局、そうなったが)
仮に大木&上田がインタータッグ王者のまま、全日に来たらどうしただろう?
まず、ファンクスあたりと防衛戦をやらせて、取り上げる。
あるいは、上田は遅かれ早かれ全日を離脱しただろ。
別に大木と組んでアメリカに行くわけではない。返上ということになる。
ファンクスが王者、あるいは空位になったインタータッグを馬場&鶴田が
挑戦することになっただろうね。 門茂男のプロレス365には、日プロ残党が全日に引き取られるに際し、タイトルホルダーが多すぎると全日が扱いに困るからという理由で、大木と上田が因果を含められ、エリック・クラップ組との防衛戦で負けブックを飲んだとあるな。
無冠になる上田は負けブックを拒否したので、大木が二本取られて王座転落。 >>276
その割には大木、上田はファンクスのインタータッグへの挑戦者に選べと主張しているな。 >>275
インタータッグは日プロ崩壊カウントダウンの中、なぜクローコンビに移動したのか?
閑古鳥の鳴く会場、選手会自主興行でNETのテレビ放送も打ち切りになり、
これ以上の活動が不可能なのは分かっていたはず。
勝手な想像だけど、芳の里が日テレと百田家に選手の今後の身の振り方を
打診していた中、全日との合併案の条件としてベルトの放出があったと。
一度に全部は不自然だから、タッグ王座のなかった全日が一番欲しいであろう
インタータッグの海外流出(と言っても、ベルトは日プロの金庫で保管=門茂男の証言)
韓国マットという保険がある大木は、インターシングルだけは拒否
UNやアジアタッグは合併後まで放置させても日テレとの3年間の個人契約を結べば
新日への流出も防げる。(その後、空位にして復活させる)
大木上田が保持していたら馬場の描く全日の未来像・鶴田が巻き込まれる恐れがある
それを嫌ってインタータッグ王座をクローコンビに移動させ
全日と太いパイプのできたファンク一家に預けるというストーリー
…想像し過ぎかなw >>277
ファンクスへの挑戦チームの片方は、日プロの元王者チームから出すべきと強硬に主張したのは上田じゃなかったかな。
馬場・鶴田組が挑戦する事への不満と、当日の興行権を馬場に横取りされた恨みとが相俟って、松岡と二人掛かりで馬場を殴打したと言われているが。 何をどうしても松岡はもちろん上田や大木はブックを飲めない等の理由で
離脱したはずと見做している人ばかりだけども
ちゃんとタイトルホルダーとして尊重して、出番を与えれば
彼らもなんとか自分を宥めてやっていけたかもしれない。
彼らに我慢が足りなかったのは確かだけどもね。 >>279
蔵前大会の興行権は門茂男が立ち上げたジャパンプロレスユニオン主催だったのが
東スポの横ヤリで全日主催になり、ユニオン顧問・沖識名レフェリーの引退式でも
一悶着あり、この日を境に門の馬場バッシング(殆ど捏造や誇張)猪木贔屓が始まる。
門も日本プロレスでコミッショナー代行として認定宣言してる頃は
馬場派でも猪木派でもなかったんだけどな… アマリロ時代のインタータッグには鶴田・ハンセン組も挑戦してたんだな >>280
馬場が日本プロレス離脱時点で
タイトルホルダーだったのは大木だけ。それもアジアシングルだけだし。
そんな急造タイトルホルダーを馬場は尊重する気はなかったんだろうな。
インター 馬場 →大木
インタータッグ 馬場&坂口 →大木&上田
UN 坂口 →高千穂
アジア 大木 大木
アジアタッグ 坂口&吉村 →小鹿&松岡 インタータッグはその間に坂口&大木も入るな
キニスキー&ブラジルとの決定戦の映像なんか見てみたい >>280
馬場が日プロ残党を冷遇したの見てたら、宥める価値があると到底思ってなかったんじゃない? >>280
残党合流組は、全日に吸収合併されたのを対等合併と思い込んでいたんだよ。
だからポスターの顔写真が小さいとかマッチメークが悪いとか不満ばかり…
馬場と人間関係の構築なんて所詮無理な話
その時は我慢してた小鹿や高千穂なんて、引退後は言いたい放題だからねw >>284
それは単に馬場離脱時との
馬場猪木→ファンクス→馬場坂口→
坂口大木→バレンタインクラップ→
大木上田。
こんなタイトル移動を見せられて、ファンは
プロレス不審に陥ったのに、当のレスラーは
「俺らを王者経験者としてきちんと扱え」とは。 日プロの残党たちは、馬場のところは日本陣営が手薄だから、自分たちがタイトルを手土産に参加すれば盛り上がるだろうという考えでいたみたいだね。
ところが、プロレスファンは、彼らがどんなタイトルを掌中に収めようが、タイトルホルダーとして認めていなかったし、馬場もそのことを察知していたから、残党たちの加入は迷惑で、海外で働き場所を見つけてくれという感じだったみたいだね。
末期の日本プロレスにおけるダラ幹どもの無能さと、残党たちの自惚れぶりには、興味深いものがあるね。 いやぁ、71年クーデターから73年日プロ合流辺りの話はいつ聞いても面白い。
残党の扱いについては、馬場は日プロ崩壊した時点で覚悟はしていた筈だけど
嫌でしょうがない。だけど新日の戦力になられても困るんだよな〜
ホント、ベルトを置いて海外にでも行って欲しかっただろうねw
あの9人は草津のいる国際に行っても揉めただろう… 大木が猪木との合流に同意してたら
インター 猪木
インタータッグ 猪木坂口
UN 坂口
アジア 大木
みたいになったのかな。
まあ結局、大木とは揉めそうだね >>292
と言うか、猪木が社長で坂口が副社長(専務?)で決まってたんだろ >>292
インター、同タッグ、UNが新日に渡ったら、馬場は
「新日はNWA加盟団体ではない!防衛戦を行う資格がない!」
とクレームを付けたと思う。 >>295
確か、芳の里個人(長谷川淳三)としてNWAに加盟していたから
防衛戦は出来たと思うよ。
芳の里を囲い込まないとダメだけどね >>187 スレにもあるように、あの時大木が合併案に賛成していたら
日プロのタイトル全てを『新・日本プロレス』に持っていかれる事になるね。
NWA王者や強豪外国人レスラーも招聘でき、NETも新たに中継する。
上田はクーデターで猪木と確執ができたから、海外か国際に活路を見いだすかな…
やはり不可解な日プロと新日の合併案拒否は、日テレと馬場が韓国帰国中の大木を
説得したのが真相なのかな? >>297
馬場は大木との合流は拒んでた。
ただ日本テレビは推進してたから、あるいは日テレが大木側と接触した可能性はないでもない。 というか大木の方からスポンサー筋を通して日テレにアプローチした、という感じだろうがね。
その際の引き出物としてインタータッグ、という
可能性はありやなしやだが。 >>297
>NWA王者や強豪外国人レスラーも招聘でき、
それは、どうかな?
「新・日本プロレス」の社長(プロモーター)は猪木=NWA非会員。
NWA王者は招聘、少なくとも防衛戦は行えなかったと思うよ。
>>296に「芳の里個人(長谷川淳三)としてNWAに加盟していたから
防衛戦は出来たと思うよ。」ともあるが、1973年2月3日にG・馬場の
NWA加盟が認められた。
「いち地区、いちプロモーター」の原則からすれば、オカシナことで
馬場の代わりに芳の里が外された、とは言わないが、もうこの時点で
芳の里は「死に体=興行能力無し」だと思われたのではないかな?
形だけでも芳の里を社長にして「新・日本プロレス」をやるかな?
それもないだろ?
ともあれ、「新・日本プロレス」にインターやUNの王座が移ったとしても
すんなり防衛戦は出来ないし、それに見合うNWA系強豪外人は招聘できなかった。
却って、馬場の妨害が大きくなっただろう。というのが俺の考え。 >>290
猪木追放→馬場離脱→坂口離脱→日本プロレス消滅、この流れが1年3月の間に起きるなんて、予想だにしなかった。
この時の事を振り返ってみると、TV局は数字(視聴率)を持っているレスラーとそうでないレスラーを冷徹に選別していたのに、日本プロレスのダラ幹や中堅レスラーたちは、タイトルホルダーになって、毎週ゴールデンでTV出演すれば、BI並みの人気者になれると思っていたのだろうな。
それにしても、猪木追放から日本プロレス消滅までの動きには、謎が多くて、おもしろい。 >>296
当初の合併案で芳の里を会長にするアイディアもその絡みかな
後にワールド大リーグ杯を巡り新日本と揉めたのも逸話だが >>298
馬場は独立以降は
最も肝心なテレビ視聴率が低迷してたから
日テレが大木をテコ入れにする案を要求しても
抵抗する力はないだろうな 芳の里は、日本プロレス崩壊→全日合流の流れの中で、NTVとNET(現テレ朝)、全日と新日を両天秤にかけて私腹を肥やしたみたいだな。 最悪のダラ幹と言われた遠藤幸吉も、上手いこと新日本に拾われたし…
潔かったのはプロレス界からキッパリ身を引いた吉村道明だけだな。 吉村は逆に、泥をかぶる前にさっさと足を洗ったという悪評も >>300
NWA王者のドリーは無理だとしても
末期にも来たブラジル、エリック、あたりの大物は継続したと思える。
全日にはサンマルチノ、ブッチャー、デスト
あとファンクファミリーのテリー、レイス、マードックが来るのかな。 NWA加盟で、PWF世界ヘビー級選手権は73年9月13日対レイス戦まで行われ
以降は世界の名称が使えなくなった。(夏のNWA年次総会で通達されたのかな?)
一方のNWF世界ヘビー級選手権は77年6月1日対アンドレ戦までで、
次の9月2日対ハンセン戦から単なるヘビー級選手権
この段階で、日本における世界王座は国際のIWAだけになるという…w 旧日本プロレスと新日が合流してたら
最初のシリーズ外人はエリック、クラップになってたのかな。
猪木対エリック。坂口対クラップ。
こういうスタートができると、シンを強引に売り出すこともなく。小林を引き抜くこともなかったかもね >>309
どうせ第15回ワールド大リーグ戦が開催されて、猪木が2度目の優勝するんだろうねw
国際プロレスでは草津との確執で小林は飛び出すはずだから、
飽和状態の新・日本じゃなく、馬場が選手補強で取り込むかもね。
シンもアトキンス経由で全日本に来ていたかも… >>307
>末期にも来たブラジル、エリック、あたりの大物は継続したと思える
どういう招聘ルートで?
猪木も坂口も、アメリカには顔が利かないし、NWA会員でもない。
ちょっと誤解していると思うのは、73年2月、日プロと新日が「合併」すると
猪木と坂口が発表、それが実現したら、旧・日プロの財産(招聘ルートとかタイトル)
が、みな新日に移行すると思っていないかな?あれは「合併」ではないんだよね。
まず「合併」なら、日プロ代表の芳の里と新日の猪木が会見に臨むべき。
あれは、日プロの坂口以下所属レスラーが日プロを離脱して(その時点でも、
日プロは存在している)、新日も、一旦、会社を畳んで、両者で新しいプロレス団体を
作ろうとしたもの。
一番大きい、芳の里が持っていたNWA会員権は、そのまま新日には行かない。
それで、前レスにもあったが、芳の里を会長に祭り上げるとか、上手く取り込もうと
したが、芳の里は、もうプロレス団体経営に疲れて引退しようとしていた。
なにが哀しくて猪木の団体に力を貸すんだよ?という気だったろう。
それもあって、NWAは、芳の里は、もうプロモーターをやめる気でいる。
日本の加盟者は馬場だけだ、と判断したと思う。
猪木だって、今さら芳の里に頼ろうとは思わなかっただろうね
(いや、思ったかも知れないが)
前にも書いたが、ブラジルあたりを呼ぼうとしても、馬場の妨害が入っただろう。
まだタイトル(インター、同タッグ、UN)の方は「好きにしてくれ」と
言われたかも知れないが。 >>311
結局、新・日本プロレスになっても新日本と同じで
ゴッチ頼りのロートルや2流3流レスラーを別名義で招聘することになるのか
AWAや欧州のビッグネームをNETマネーで吉原から譲り受けるのか
前途は全日より多難だな…
そうなると一気に新・日本内で日本人対決を解禁して総当たりリーグ戦の開催
優勝者の猪木が全日本の馬場に挑戦を迫り、、、一緒じゃんww >>312
まぁ、別にNWA会員でなくても、NWA系大物レスラーを
呼べないこともないけれどね。
新日がNWAに加盟する前(75年夏)に、Gキニスキーを74年か75年の
ワールドリーグに招聘しようとしたが、馬場が妨害したかどうかは
分からんが流れてしまった。
でも、ブラジル、エリック、キニスキーは、もうこの頃は下り坂だよね。
猪木とも手が合わなかったし。
サンマルチノは、逆に新日とWWWFが提携しても来なかった(苦笑)。
新日、猪木が呼びたかったのはファンク兄弟、ブリスコ、レイス、マードック、
マスカラスといったところだろうが、これは馬場ががっちり抑えていたから
無理だったね。 芳の里は、NWA系のプロモーターを猪木に斡旋するくらいのことはするよ。 おカネくれればね。 しかし
「馬場をNETに出しても日テレは怒らないと
思っていた、日テレ中継継続に何の疑問も持たなかった」
「坂口が猪木と合流して抜けても、NETは日本プロレス中継を系ぞしてくれると思っていたれ
芳の里は、経営者としてどうかしてないか?
前者に関しては特に、これさえしなければ
日本プロレスは存続していたはずで、何を考えていたのかと思う >>313
思い出した!キニスキーの招聘話はあったね。
でも今になって考えると、新間は正式決定する前にフライングで発表したり
最初から呼べない大物なのに、馬場に妨害されたと全日のイメージダウンを狙った
戦略を仕掛けたりするから本当かどうかは分からないよ。
>>314
芳の里がメンバーだから、NWAのプロモーターに頼んでブッキングする事は可能
ただ全日がNWAに加盟したから、馬場の顔が利くレスラーにはストップがかかり
反主流派のロスやニューヨークみたいな新日時代と同じようなメンツになるよ。
上の人が書いてるように、WWWFマクマホンSr.と提携しても
「馬場の親友だから、金で猪木の所へは行かない」と言ったサンマルチノや
NWA王者時代のレイスも新日から誘われたが同じような理由、信頼関係で拒否する
レスラーもいたね。 >>313
>ブラジル、エリック、キニスキーは、もうこの頃は下り坂だよね。
猪木とも手が合わなかったし。
手が合わなかったという事はないんじゃないかな
・エリック 海外修業中の猪木のシングル王座初挑戦(エリックの独立第一戦)
・キニスキー 日プロでの猪木の初のシングルマッチのメインの相手(テレビ生中継付き)
・ブラジル 日プロでの猪木の初の東京大会場のシングルメインの相手
これらの試合はそれぞれ評価が高い 今日はブッチャーの日本初タイトル戦の日
いきなり馬場のインターへの挑戦というのも凄い >>318
新日本はストロングスタイルで全日本はショーマンスタイルとか
誹謗中傷して見下していたのに
その全日本からブッチャーを引き抜くんだからねw
まあ猪木じゃなくブレーンの新間がやってる事だろうけど… >>315
なぜ日本プロレスが崩壊したのか? 馬場はかつて示唆深く、こう発言している。
「力道山は太陽、太陽の周囲を周っている惑星仲間が豊登以下の我々だ。
力道山の死後、日本プロレスは仲間意識が旺盛でそれが組織を伸び伸びとした
和やかムードにしていた。しかし、やがてそれが当たり前になり、伸び伸びは
野放図に、和やかさは甘えに変わっていった。」
猪木が除名され看板エースが不在になった事で、NETから中継存続の条件として
馬場の登場を迫られたんだよね。
「どっちを取るか」と言われれば、日本テレビが正解だよね。 今だから、日テレが逃げたから、結局それが引き金になって崩壊したから、などで
それが正解と思うのは無理ないけど
でも当時ならNETをとるのもありだと思うよ。
額は上だったらしいし
自分が幹部でも、もうこうなったら日テレは面倒だ、NET一本でもいい、と考えそうだ。 てか馬場が反対してるのに、NET登場を強行するかね。
そんなことしたら、馬場の反発→日テレとの結託、は
容易に想像できるのに。
それに何といっても当時は、金曜8時の視聴率がダントツだった。
それをわざわざ逃すか。 力道山のワンマン体制から協議制になったはいいけど、揃いも揃ってダラ幹連中は
大スポンサーの付いた日本テレビへの恩義、契約書の重要性を何だと考えていたのかね。
後にマサ斎藤が「契約書なんて紙きれ」発言で物議を醸したけど、
自分は誰のおかげで今日あるのか、わかって反対したのが馬場だけとは… 「日テレが高視聴率の中継を切るわけない」とか
「力道山の貢献を考えたら切るわかない」という
思い込みがあったのだろうね でも馬場の道義や筋みたいなものもどうかと思う。
NETへは出ない約束を破った日プロに憤りを感じる、これはわかるよ。
こんなことしてていいいのかな、となる。
でも会社の方針なら仕方ないし、馬場が役員で反対したかもしれないが役員会で決まったことでしょ。
馬場本人がNTVに恩義を感じていてもだ、だったら退社というのはな……
いくらなんでもテレビ局よりも直接にファイトマネーを出していた会社に恩義を感じてしかるべきだと思う。
ちょっとまずい路線に来てるが、もうすこし我慢を、と思うんだよ。
まぁ欲がらみでたきつけた奴がいたんだろうけどさ。 >>325
そら話の順番が違う。
馬場は反対はしても、会社の指示に従いNETに出た。
この時点で退社の意思はない。
日テレはこれに怒り、日本プロレス中継を打ち切り。
日テレは同時に、馬場個人に「新団体を立ち上げるなら支援する」と打診。
馬場は迷ったが、ならばと日テレは猪木の新日本にもアプローチをかける。
この状況で、ついに馬場は独立を決意、という流れだよ。
ちなみにこのような状況になっても、まだ芳の里は「馬場の引き留めは可能」と
考えていて、坂口は失笑したという。 なるほど、筋がよくわかった。
馬場は日テレになかば追い詰められた形なんだね。
おまえがやらないのならば猪木に、と馬場を脅す(急かすかな)というのも
えげつないし、えぐいね、日テレ。
新日を放映するなんて気はあったのかどうかしらないが。 あわよくばBIの再合体⁉
日テレは心理戦で全方位に駆け引きを掛けたねw
日プロの幹部連中を排除して、猪木には新日を畳んで馬場と合流させ
新団体の旗揚げ、大株主になり経営権に口を出せるようにする。
何しろ新日は1億円規模の経営赤字だったから坂口がテレビ局を持ってこなかったら
潰れていた。
これに成功すれば、下降気味だった視聴率も再び上昇が見込めるからね。
まあ新日にアプローチしたのも馬場の独立を促すためのもので、
乗っ取りのダーティーイメージのついた赤字だらけの猪木を
本気で放送しようとは思ってないよ。 72年7月にNETが、あろうことこか日テレの放送時間だった金曜8時に日本プロレス中継を始めたんだよね。
日テレはこれで完全に頭にきて、馬場に「あんたどうするの?独立しないならウチは猪木にするよ」と
脅し?をかけたんじゃないかね。 新日本プロレスが坂口が来ないで潰れていたらどうなっただろうね
当時30前後の猪木の引退は考えにくい
全日本登場ははないだろう、なぜなら坂口が新日本に来ないという事は
全日本入団という事だからそうなると日本プロレスと同じメンツになるだけ
馬場が社長の日本プロレスで軍門に下るのも考えにくい。。 さっさとプロレスに見切りを付けてたと思う
倍賞の旦那だから食うのにも困らないし
逆に日本プロレス界の未来が暗いものになる 馬場の独立は日本テレビと猪木の結託を防ぐためというのが一番の理由だろうな
規模的には日本テレビの方が大きいわけだし 一連の話を見ていて、ふと思ったのだが、NETは会社としての日本プロレスを芸能プロダクション、プロレスラーを芸人として扱おうとしたのだろうか? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています