越中詩郎と平成維震軍って素人から見ても集客力ないのになぜ会社に押されてたの?
レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。
維震軍興行は余計だった。勢いもすっかり落ちた頃(結成4年目)だし。
越中vsサブゥーでチケット買う奴なんかいないだろw >>4
蝶野も維震軍の地方巡業で
本隊の大会と違ってこんなにも
客が入らないものかと愕然としたみたい。 あれは長州のくだらない面子で「ウチの二軍でもインディを丸ごと吹っ飛ばせる!」て始まったものだから維震にしてみりゃ良い迷惑だった 前名は「反選手会同盟」
つまり「反選手会=体制側」 侍ファクトリーはいいネーミングだったのに何故ボツになったのか レスラーとして実力があってプヲタに人気もそこそこあって、それでも客がさっぱり呼べない選手っているよね。
マニアだけに支持される選手。
実力があるのと売れるかどうかは全然別の話。 成功してたらWWEみたいな2リーグ制を今もやってたのかな 団体名も平成維震プロレスということでHIPでもよかったかも。 越中って終盤長州に言われてブック書くの手伝ってたからな
扱いやすい負け役でもあったし 反選手会同盟の時は熱かった
コバクニと彰俊の試合なんて、最後の昭和新日って感じで今見ても面白い
ただ、維震軍になってからはなぁ
二軍丸出しだったもんな
シンと越中の遺恨とか、わけわからんかったし 長州からすれば客は入らなくても大赤出さないでトントンなら余剰人員の有効活用
になるしもし入れば2チームで巡業の布石になるしどっちでもよかったのかもね 誠心会館vs新日とか会場のヒートがヤバいもんな
プロレスの理想形だよな 看板持って泣く館長とアキトシ、俺も感動して泣いてたぞw
アキトシの切れ長な目が結構ハンサムだからあの熱い若いファイトは絵になったんだよなあ 越中さんはいいレスラーだが
配下を食わせるカリスマ性はなかった
とは言え団体内団体のトップだから存在感を発揮できたのも事実
一匹狼はあの時代の新日では埋没した
やはり、もう少し越中に次ぐ二番手三番手にそれなりに鼻のあるレスラー、技のあるレスラーが欲しかったところだ
青柳、カブキはもちろんパットしなかったが
小原後藤斎藤、このあたりの力不足 解散したあとに越中木村小原後藤でIWGPタッグタイトルが組まれたのは
ご苦労さん会みたいな会社の報奨みたいなもんだったのかね 反選手会同盟がWARと戦った一発目のWAR横アリ
青柳館長vs折原は館長の鮮やか過ぎる蹴りが冴えわたった
館長の一方的な試合だったが今にして思えば
折原の受けっぷりの良さも重要な要素だった 平成維震軍旗揚げ戦前にファイトだかに出ていた。
越中「何枚チケット売れてる?」
営業「・・・」
越中「言ってみろ」
営業「6枚です」
越中「6枚!?たった6枚かよ!?」 でもまぁ詩郎も大したもんだったよ、うん
アレだったけどうんアレだったけど 旗揚げ戦をNKホールでやったんだよな…
今思えば強気だった 94年夏の平成維震軍サバイバル85が面白かった
越中、カブキ、コバクニが連日6人タッグ
健悟、ゴタツ、小原、彰俊がシングルで結局トータルで41勝44敗だったかな
対戦相手もヤングライオン以外の本隊、レイジング残党、ゲスト参戦してた藤原組長、谷津、仲野がいた いつの間にか消滅している軍団とか
多い中ちゃんとした形での解散会見を開いた
ことでここまでキレイな形で終わった軍団はない
ってことで高い評価されてたね。 >>11
蝶野も狼軍団として維震軍興行に参加してたのに客が入らないって事は
蝶野自身の集客能力も大したこと無いって事
その現実から目をそらして
越中だけを責め立てる卑しい根性は感心できないな
橋本のゼロワンも失敗したし、武藤の新生全日本もいろんな人間を不幸にした
三銃士の中で一番集客能力の無い蝶野は身の程をわきまえてはいるが NWO〜T2000の蝶野全盛期、
越中とシングルやるとだいたい越中が勝つってイメージがあった。 ところで、ケンコバがブレイクしても
越中さんはメディアに全然出てこないよな
よっぽど、控え目でいい人なんだうな。 >>21
>コバクニと彰俊の試合、
92年1月、大田区体育館だね。
生観戦したが、観客総立ちだったよ。
ただあの時は、まだ反選手会同盟じゃないんだよね。
ただ、小林と誠心館が抗争していた。それに越中が加わり
5月に越中が青柳を倒し、決着が付いた。
その後、6月に誠心館の自主興行に、新日の制止を振り切り
越中と小林が参加。新日、この二人を無期限出場停止処分に、
越中&小林、新日選手会離脱=反選手会同盟と名乗る。 >>36
成功したのはみんなを幸せにしたWJだけか
失敗してるとみんなが言うけどアレだぞ
今でもど真ん中という言葉を真治たちが実況で使ってるだろ?新日本プロレスはWJなんだよ。真治がG1はストロングスタイルのど真ん中と言ってたんだから成功なんだようん。 >>33
自分も好きだった…シングルも主力メンバーとの総当たりって感じでおもしろかった テコ入れのためか、山ちゃんの新日参戦はじめての試合が、なぜか維震軍興行での後藤戦。
なんか、もったいなかったな。 毎回会場は沸かせるけどその人目当てでチケット買ってるわけではないって点でも今だと石井か
当時ネバーみたいなベルトがあればな >>43
この試合すごい良かったよ、薄暗い会場の感じと合ってた
試合後長州が後藤のグラウンドでテークダウンとられるとかやっぱ山崎は軽いなウンとか当時ピンとこなかったけど安生戦関連のコメントで意味がわかった 95年の5月、大田区体育館で
長州率いる維新軍と5対5対抗戦をやった。
●M斉藤ー○越中
●浜口ー○小原
○寺西―●小林
○谷津-●健吾
で、最後、
長州が後藤にフォール負け! >>39
藤原 谷津 健介 馳 長州に勝ったんだよな。
まさに1人G1 維震軍になる前が面白かった。
面白かったから中心に置いてやってみようという深夜番組をゴールデンにもってくるようなあれ。 冬木軍と本格的に絡み始めた頃がメチャメチャ面白かったな。
維震軍とWARの後楽園ホール興行を結構な頻度で見に行ってた時期があったけど、どっちの興行に行っても大体メインは維震軍VS冬木軍の6人タッグだった。
けど、毎回ホントにオモシロかったし、実際すごい盛り上がってたなぁ。
客は入ってなかったけど、会場はアツかった。 なんというか会場人気は有るけど客を呼べない典型よね >>43
長州声明と称して越中が相手だ、などとおとぼけを演じているらしいが笑ってやろうかこの野郎!
越中なんて野郎まだやってんのか、呆れるよ、ツラも忘れた。自分は弱いものいじめはしない >>33
越中はシングルで後藤をタッグに入れれば良いのに
後藤って技なさすぎてシングル無理だろ
引き出し少ないけど試合作れるみたいなタイプでもないし ガキのころ木村健吾を「こいつ本隊のスパイだろ」と、ずっと思ってた ドームの興行でも半分以上が出場出来ないくらいの選手層の厚さというか人余りじょうたいだったもんなあ ゴタツって更改で年棒下げられた時に俺やヒロさんみたいなポジの重要性が分かってねえとか息巻いてたな
現状見れば当時のサイモンらの判断が正しかったとしか・・・ 野球で例えると1軍の選手でも中継ぎの勝利の方程式に入ってない
投手みたいなもんだから
あのへんの中堅ジョバーはリキプロからきた石井や宇和野でも
十分だからね >>53
後藤はスキンヘッドに眉毛剃ったときにリングネーム変えてほしかった
後藤達俊のまま行っちゃったのが…小原もだけど 新日と誠心会館が抗争になった理由が
「ちゃんとドア閉めなかったから」
これ好き 逆にコイツラを売り出したら評価あがるわけで
最初から評価高いレスラープッシュするより
やりがいあるだろう 剛竜馬や高野俊二と戦って欲しかったな。どちらも負け飲まなそうだから流れたのかもしれないが。 もし蝶野が本隊に造反してなければ、天山は凱旋後、高確率で維震軍入りさせられてた気がする。
流石の天山も、維震入りしたら早晩埋もれてただろうなあ。
いろんな面で蝶野様々だな天山は。 同じことを蝶野自身も行ってたな
越中木村の下に行っては・・・って WAR離脱後の天龍が助っ人で維晨軍に加入したとき他のメンバーと比べてオーラが半端なかったな… >>33
懐かし!
この書きこみ見るまで忘れてたw
札幌2連戦で正規軍WARと5対5もあったような
ゴタツが天龍に血だるまにされたやつ 野上が加入したときはちょっと可哀想な感じがした。
道着もイマイチ合ってなかったし顔も良いんだからここに入らなくてもと思ったけど、
数年後に蝶野の助っ人としてイメチェンしたからホッとした。
特別にファンってわけでもないんだけど、ようやく自分の道を見つけたのかなと。 龍天がな別格すぎて
維震軍のショボさが明らかになった 袴にスキンヘッド、なんかカッコいい〜!
カブキスゲー!
って熱中してしまった、俺みたいな単純な中坊ばかりじゃないからなぁ。世のプロレスファンは。 アキトシをエースとして推し続ければまた違った未来があったのではないか
まあ当時は推す理由は全くなかったけども JJジャックスと平成維震軍どっちが嫌だったろうな野上 >>68
分かる
なんで天龍がこんな奴らと組んでるんだと思ったもんだ アキトシは小原や後藤あたりより全然顔もいいし空手とミックスさせた魅せるファイトも出来るしもっと華出せたよなあと思う
越中、キムケン、カブキあたりも良いけどもっと若手を押さんと 越中は維震軍の後期になるとアキトシをジュニアで活躍させようとしたが、本人が嫌がった。
今では石井とか低身長でもヘビーで活躍できるけど、当時は強かろうが上手かろうが、180(公称)以下でヘビーは難しかった。 平成の乱で逆ギレした長州が
「カブキ、てめーもだ!」って叫んでたけどカブキはいなかったよね?
でもそんな長州が好き。あれは完全に越中たちの迫力負けだったなあ。
文句の言い方が小学生みたいだったし。「常識だろコノヤロー!」 ドームの一日目のニュージャパンランボーにライガー出場して
平成維震軍出てこないかな
ライガーが維新軍を蹴散らしドームに入場曲SAMURAIが 96〜97年頃の地方のメインは
橋本、平田、安田対後藤、野上、小原とか
ショボい6人タッグが多かった… 道場の看板賭けての闘い
号泣するアキトシ
「返してやれ」という長州
看板抱えて男泣き館長
あれが新日本のプロレスだった 90年代新日の、様々な局面の最前線にいたグループなのに、
結局、おいしいところは長州と蝶野に全部持ってかれた >>77
あれはずっと謎だった。昼の維震軍興行にはカブキはいたみたいだから、ただの勘違いなんだろうか? 平成維震軍が会社にプッシュされた時期なんて無いだろ。中堅選手が集まって上に噛み付いたり自主興行やっただけ。 キムケンが馳に勝ったりゴタツが長州に勝っても
IWGPに挑戦すらさせてもらえない
地方の6人タッグとかでたまに蝶野とかに勝っても
ベルト戦線からは越中以外無縁だからプッシュはさせて
もらってないよね 末期維震軍の名勝負は
神戸での齋藤彰俊とドンフライのシングル戦 >>1
逆に言えば平成維新軍が失敗したからって2リーグ制が駄目という事はないな プロレスファンになったばかりの頃だから結構好きだった。
剛竜馬が参戦したり。
「お前らは所詮は新日本に保護されてるんだよ!」みたいなことも言ってて子供ながらに確かに!と思った。
正直いつのまにか無くなったときは寂しかった。 ゴタツと剛のチンカス問答のズンドコさとか最高に維新軍なんだよな 越中と蝶野がシングルやると、反乱軍による内ゲバとかってワープロで煽るんだけど
越中が何度蝶野に勝っても、なにひとつ変わらなかった 押されたことあんの?G1の決勝にもでたことないのに 札幌のWARとの5対5の対抗戦とか
面白かったな〜 カブキが異常に維新軍時代の充実を大事に懐かしがっているな ケンコバで人気が出た時にベルトを獲れなかったのが全てだよな >>36
じゃあ維震軍興行なんかしなくても良かったんじゃ? 越中は後楽園で永田とIWGPヘビーやったときの方が維新軍のときよりも遥かにプロレスラーとしての春だったろう
ケンコバ様々やな 紙プロでのせきしろのコラムで、リング上で何故か越中が維震メンバーから突然袋叩きに遭い、傷心の思いで誰もいない控え室の電気を点けると「誕生日おめでとう!」と維震メンバー総出でサプライズパーティーをしてくれるという妄想小説の回があったが、あれは面白かった。 なんかのムックで平成維震軍が全日に乗り込んで
越中が秋山から勝ってそして三沢と対戦だという
ところで終わってる妄想小説みたいなのがあった こしなかはなぜかにんかはたかかったからなあ。
でもこしなかってつよさはかんじないれすらーだった。
むしろよわよわしいいめーじ。
どうたいぷのきむらけんごとくんだのがよかったのかも。
まあちょうのもつよさはかんじなかったからかあ。
つよさをかんじないのにれすらーやってるのもすごい。
いいづか、のがみ、にしむら、つよさをかんじさせないのはたくさんいたが。 >>85
健吾は藤波か長州の時1回くらい挑戦してるんだと思った。 カブキはムタがチャンプのときに挑戦してるけど
色物的な試合だからなあ >>51
たしかにあの頃の越中には会場人気があった
ケロだかのコメントで別にもう1団体作ってエースで行けると話してた気がする
週プロで同列に扱われて川崎球場でも興行してるFMWあたりを見てあのメンバーであれだけできるなら新日の二軍でも制圧出来ると見誤ったんだろう
会場選びもそうだけど運営が本隊と同じ経費かけてしまったのが敗因
旗揚げ戦でレフリーなのにシンに手を出した猪木に頭を下げた越中が一気に株を落とした
絶対ありえないが俺の戦いの邪魔するな!と猪木に突っかかっていけば歴史は変わったかも >>103
この際、もっと絶対ない「たられば」言わせてもらえば、旗揚げは猪木もシンもいらないし、そもそもNKホールじゃなければ良かったのになと思うよ。
越中達のせいじゃなくて、当時の新日の営業(?)の感覚がなんかズレてたな。
その後、後楽園ホールとか小会場に定着して繰り返してたVS冬木軍やVS狼軍団なんか凄い盛り上がってたよ。 >>97
あれで取ってたら新日どうなってたかな。
結局、敗けで越中ブームは弾けとんで新日は何も変わらなかった印象だったから。 たとえ勝ったとしても越中ブームがあれ以上盛り上がるとは到底思えんのだが… むしろ負けて永田の強さが際立ったからその後に繋がったんじゃないの? >>106
当時越中も50歳前後だったからなぁ…
王者になってたらは防衛戦の相手は飯塚かライガーあたりしか勝たしてもらえなそう… 誰のなんだっけ?
越中が試合後アピールしたけどまったく相手にされなかったのって IWGP戦で武藤が負けた後、橋本と越中が行ったけど
おれも「越中はコレ違うな…」とおもった >>112
会社の方針だったんだから仕方ないじゃん。
越中本人も「俺じゃないよな・・・。」と思ってたかもしれんw >>15
会場だと大声援を受けるのに客は呼べないと言ったらSWS→WARの頃の折原を思い出す ベビーなのかヒールなのかよく分からない存在で
しかもイケメン皆無でプロレスも地味でこれといった集客力もない
彼らを見ると
ステーキセット(サラダとスープ付き)頼んだのに
肝心のステーキが出てこなくて、サラダとスープだけ
食わされてるような気分になる ジャパンプロレスも自主興行では入らなかった。
長州は忘れてしまってたのだろうか。 >>112
12月に武藤の王座に初挑戦した直後だもんね
3ヶ月も経たないうちに2度目の挑戦かよって 高田対越中の王座戦行ったけど10分台の薄い試合だった… 週プロがUインターに取材拒否されて
客席からレボートした試合だっけ
後で「客席からでも駄目」と怒られる 最近の越中興行でカイエンタイの真霜が維震軍入したのって全く話題になってないし忘れられたな。
おまけに真霜は復帰未定な大怪我負っていつ帰ってくるかわからないし。 フェイスブックで「小原道由」と検索すると色んなイベントとかに出てる最近の小原が結構出る
後藤のたっつぁんは何も出てこないですねぇ・・・ 健吾のウィキペディア見てたら普通に演技とかブックとかいうフレーズが使われてるんだな 維震時代のキムケンと言えば対金原戦
子供ながらに、主催者の悪意みたいなのを感じた 木村健吾を誉めてるレスラーって前田ぐらいしかいないのかね
俺の激闘じゃピー入ってるのキムケンだろうし >>127
どっかで、天龍が「木村健吾がこれほど強いと思わなかった。こんな良い選手が燻ってるほど新日は選手層が厚いんだと実感した」と言ってたと読んだことあるけど 越中より木村を見ると新日本コノヤローってなるとか稲妻もガチで入れてくるとか持ち上げてたけど
本音はチョップ一発でこんなヘナヘナされてもなぁって感じだったと思う 長州は青柳が好きだったのか新日入団当初から扱いよかったよね… 青柳は剛のオマケみたいなもんだったのに、肝心の剛が張り切り過ぎてケガの連続
剛を呼んだ藤波の面目丸つぶれ >>121
全日時代、FMWに上がって浅子と組んで、邪道外道に試合を作ってもらってるの見てからなんか評価低い
ノアの会場には行ったことないんだけど、その後まともになってたのかね >>72
JJは受け入れていた、「陽気な奴ら」になりきれなかったほうが、
将来、スキンヘッドにして「ウガー」ってやるんだから、わからんもんだ 飯塚はオレの言うこと聞かなかったとかボヤいてたな野上
さすがピーターにもケンカ売っただけはあるなw >>136
飯塚はヒール前のイメージで実はおとなしいと思われがちだけど、中邑が言うにはヒールの飯塚のほうが素に近いらしいぞ。
道場のコーチ時代、新弟子たちに「お前らに自由なんかないんだからな!」と言い放って、中邑が怯えるくらいの理不尽な恐怖政治をしいてたらしい。 その頃なんか魔性のスリーパーキャラも無くなって一番ピリピリしてた頃だろう飯塚も 白飯みたいなもんなんだろうな
焼き肉でもラーメンでもよりおいしくいただけるし、ガッツリ満腹感を与えてくれるけど、じゃあ白飯だけ頼む奴がいるかというといないわけで、決してメインディッシュにはなれない >>138
根っからの体育会系なだけだろう
船木は、「礼儀正しくて、年齢では下の自分をちゃんと先輩扱いしてくれた」と飯塚を評してた
温泉破壊事件のあと、高田にスナックのカラオケに誘われた時、船木が武藤の代わりに連れて行ったのも飯塚 >>131
トニー・ホーム戦を組んでもらったりしてたよね 青柳は、大仁田が言うには初めからあんなにプロレスできる器用なヤツいないよって。
空手家かつプロレスも小器用なとこが使いやすくて、新日に重宝されたのかな。 飯塚といえば蛍光ピンクパンツやなあ
JJジャックスといい顔がいいから定期的に売出しはされるんだけどその売り出し方がズレてるっていうか 飯塚は凱旋帰国後の大事な時期に変なパーマにしたのが失敗の始まり… 今でも維震軍のイベントや座談会があったりすると
越中、カブキ、小林辺りは出てきて試合で館長、彰俊、野上がでたりして
中々でないのが健悟、後藤、小原。
健悟なんて「維震軍のメンバーは集まろうって言えばいつでも集まるような仲。
木村健悟除いて(笑)」なんて言われてたし。
ただそんな健悟も先日トークイベントに出てたりしてたわけで、後藤と小原は
来てほしくないってなっているのかな? 平成維震軍もT2000も後藤小原が入る頃はなんか違うなって思ってた 地方に巡業中だった平成維震軍を、とあるホテルで見かけたことがあったんだけど、メンバーの何人かは同じテーブルで談笑してたのだが、なぜか小原だけ別のテーブルにいて一人で血走った目で酒を飲んでた。
一人になりたかったのか仲間はずれなのか、同じフロアなのに別れてて、なんか不思議な光景だった。 小原ってリングでも試合終わったらさっさと1人で花道下がって控え室に戻ってたイメージある
あんまり普段は人とつるまない人なのかなぁと子供心に思ってた >>149
解散請負人だな、ドラゲーなんかのユニット解散マッチには属してほしくない選手
>>154
たしかにそんな感じ。
そう考えると、いつぞやの東京ドームで、顔面半分白黒ペイントで試合してたんだが、
事前に周囲に相談できなかったんだろうかw 3戦目の橋本vs小川の混乱の時、村上に無茶する小原をカシンが必死で止めた。
で、後藤(達)、小原、カシンは外人バスで一緒に移動する仲なんだけど、上の事があったあと移動中のバスで後藤が「ここに裏切り者がいるよなぁ!」ってカシンの事を指して声を荒げたんだって。
そしたらカシンが「僕は小原さんに人殺しになって欲しくなかったんです!」って叫んだと。
そしたら、さすがの小原もカシンに対して込み上げるものを感じたらしい。
さすがの小原も…。 石澤ありがとう!!って小原も叫んだというオチというか続きがあったはず・・・
後藤だけ酷い奴だな・・・ 越中詩郎
木村健悟
後藤達俊
ザ・グレート・カブキ
小林邦昭
野上彰
青柳政司
小原道由
斎藤彰俊
真霜拳號
天龍源一郎
藤波辰爾
テリー・ファンク >>148
それは越中流の先輩弄りでしょ。
越中からしたら健吾は大先輩。
小林はいまでもカラオケに行く仲だからな。 >>156
カシン は猪木派閥だからちょっと妬まれてたのか。
どう考えてもビール腹の後藤なんか秒殺できそうだけど。 反選手会同盟結成前のケロの旅日記に越中と木村は誕生日も一緒でウマが合うらしく仲が良いみたいなこと書いてあったな… >>123
何も情報が出てこないって、体調良くないとかそういうのもあるのかな。北尾がそうであったように。ゴタツももう還暦くらいだろうし心配だね。 >>156>>161
あれは実際殺しかねなかったからカシンは偉いね。さすがだ
あれで村上死んだらあの後数年で新日潰れてたかもしれん
カシン、藤田、安田らガチ系猛者は仲良かったしちょっとやっかまれたりした部分はありそうだ 折原をただボコボコにするのは芸が無かったな。仮にも旗揚げで天竜とシングルが組まれたエース候補だぞww >>95
中西だって、さんまのカラクリTVでコーナー持つくらい人気や知名度あったのにベルトは獲れなかった。
暗黒時代の新日は客のニーズを答えてなかったな。 >>164
安田はともかく石澤 藤田にスパーリングで勝てるレスラーなんていないからやっかみはあったのかも。
武藤とかライガーあたりはネチネチ言いそうだもんな。 アキトシの袴だけ素材がレーヨンだったから
ビローンて伸びるんだよなww
辻「あんなに伸びるもんなんですねぇ!!」は笑ったなぁ 狼群団と結託→NWOにクラスチェンジで本隊と抗争してたらワンチャンあった カブキは美味しいポジションだったと思う。
何となく軍団内の重鎮みたいな扱いだったし。 蝶野や武藤が「越中はやりにくい」「プロレス下手だ」とか言ってるが
見てる側としてはそんなの全く感じないが、
やっている側としては何かあるのか? そりゃあるだろう
俺もリングに立ったことは無いから具体的な事は何も言えんけど レスラーが飽和状態だったから、出来たのは会社側、レスラー側にメリットがあったはず。
本体の力も借りながら、維震軍のシリーズも良かった。
地方ではメイン、ドームでは前座と、若干気の毒だった。 テレビで、何だ越中か…と期待もせず観ているうちに、段々と知らず知らずに引き込まれて、ああ良かった結局面白かった、みたいなのがよくあった >>174
蝶野がプロレス上手いとも思わない。
2005年の藤田戦 カシン戦は酷かった。 >>173
越中や健吾の下のポジションってよく受け入れたと思う。 初期の木村越中青柳vs天龍石川北原とかウルティモ&折原vsライガー&金本は面白かった 東京プロレスにカブキと青柳がいたあたりで
カブキのパートナーの弁慶をメンバーにいれる計画が
あったらしかったけどなんでボツになったんだろ 94年G1での会場全員の越中推しは凄かった…
あの入場曲で完全にデキあがってたなぁ 天龍のパワーボムを食らった健吾がリング上で失禁した。
リング上に水溜まりが出来てた。
その上で天龍長州猪木が..。 つべにあった三銃士vs越中健吾カブキ戦が中々面白かった
あのメンツだと白蝶野が負け役ってのも当時の平成維震軍の勢いを感じ取れた 何気に健吾は蝶野からよくパワーボムでフォール勝ちしてた。 越中&木村ってテレビだと越中のテーマ曲なんだけど、地方のノーテレビだと木村のテーマ曲で入場してたんだよね。 越中&木村ってテレビだと越中のテーマ曲なんだけど、地方のノーテレビだと木村のテーマ曲で入場してたんだよね。 >>179
でもカブキってもうあの時点で歳で動くのがきつかったと思う。越中、木村はまだ動けていたから他の人いわく重鎮的なポジションでいいかと。 チャイナが新日にあがった時に偽ムタとタッグを組んでIWGPタッグ挑戦の予定だったけど
偽ムタが直前に怪我して代わりに出てきたのがカブキだったな
まったく動けてなかったし断れば良かったのに 越中本人も全日時代の怖いカブキを知ってたからひたすら恐縮しまくってたらしいな スーファミ初期の大傑作「アクトレイザー」の
一面の曲は、越中詩郎のテーマ曲を参考に作られた
ウソだ >>194
ちゃーらららら〜ちゃ〜らら〜♪
自演すまん。 >>190
実は健吾軍団にする予定だったが、やはりこの流れを作った越中をプッシュしようという事で健吾が一歩引いたのでは。 >>171
96年1月頃の後楽園の本隊との3本勝負の時に当時履いてた水色のパンタロンが安田だか野上に引っ張られてビローンってなったの覚えてる 越中はいい試合してたからね。
蝶野は越中のカモにされてたな。
何度もパワーボムで負けていいところが全くなかった。 越中はどうしてもいい人オーラが出てヒールになりきれなかったのが色んな意味で残念 越中はこの流れがなかったらヘビー級じゃ厳しかったと思う。 >>202
越中は全日に残ってたらジュニアのままだったかもね。
全日でヘビーでやるには細すぎる。 90年代初期、猪木が参議院議員になって坂口社長&長州体制になった時、その体制での初代選手会長と副会長を務めたのが越中と小林だった
その仕事ぶりを評価されたのか?抗争ストーリーの主演ポジションや軍団結成の話が上がって、誠心会館との抗争や反選手会同盟が生まれることになった
先にあったブロンド軍や藤波の内部組織プランがいまひとつだったこともあって、長州は越中たちを一気に天龍との対抗戦実現のための先兵役にも抜擢
これが大当たりだったことで、その年の最終戦のメインを天龍−越中のシングルマッチで飾るほどだった
大スターへのブレイクを果たした、というほどでもなかったけど、反選手会から平成維震軍に変化しながら越中たちは地方巡業のメインの青コーナー側という安定したポジションを掴んでいった
正規軍の選手の結婚式でバット折りのコントを展開したり、イベントの賞金や自主興行の売り上げを災害募金にしたり、とヒールをつらぬくことは到底できない軍団ではあった
だからこそ応援したくなるようなチームだった気がする >>200-201
確かに維新軍のコンセプトって、ヒールじゃないからね
長州の昭和はそれでスターダムにのし上がったわけで
ただ平成の方は、面構えが凶悪な人が多かったし
館長とか、袴に道着とか武道家っぽいハードコアな印象が目立ったし
正規軍に武藤とかイケメンがいたせいでどうしてもヒールっぽい扱いになった
ヒールでもそこに振り切れたら良かったんだけど。中途半端な怖さとヒール感。ムチャクチャ悪い感じでもなかったのが残念 >>174
邪外のどちらかが「越中さんは上手い」みたいな事を言ったら、
それを耳にした冬木が「越中が……上手い?」とか言ってたな
ゴングか週プロのインタビューに載ってたような 不器用な感じは受けたけど、下手さは感じなかったなあ。
それともあれかな?「固い」とか「重い」とか、
レスラー間で分かるそういう意味での「上手い下手」なのかな 平成維震軍を越中が解散宣言したのに。後藤と小原が拒絶したんだっけ >>204
飯塚だったかサムライだったかの披露宴で小原が満面の笑みでピースサインしてたしな 健吾の一度離脱してから復帰の流れがイマイチ。
越中なんか「あんな裏切り物が一緒だったなんてゾッとするな」とかコメントしてたよな。
それなのに半年後には「木村さん維震軍を助けてください」ってしらけるわ。 1980年代の健吾の体つき、結構分厚いな。反選手会のころはもう筋肉が落ちていて、か細くなっていた。
黒稲妻赤スパッツ坊主頭が印象的。 まさかNWOが出てきて日本でも爆発的人気になるとは思いもしなかったろうな
NWO=カッコいいヒール
維震=カッコ悪いヒール
の図式が完全に浸透したし武藤がNWO加入した時にはもうどうしようもない格差が生まれたからなぁ
サターンプレステ戦争を見てるようで切なかった >>213
犬軍団が中堅なりに頑張っていたのは、好意的に見てた >>208
解散会見があった時はみんなにこやかな顔してたけど
次のシリーズになって後藤と小原はヒール化して
越中に勝手に解散しやがってってなってた。 >>215
そういうとこだよな、彼奴等の間が悪いのは
会社にいいわれるままのやつは結局上にはいけない むしろそこからコンビでベルトも取れたし良い流れだっただろ 小原フィギュア。
マシンマスク付のやつ。
近所で300円で売ってた、、、 後藤小原ってアジアタッグ王者感あるな。
健吾越中もだけど。 >>220
後藤、小原の唯一の防衛戦が旬を過ぎまくった越中、木村組なのは気の毒だったな… ビールがない!と怒られ、ひっぱたかれた男は誰なんだろうか。
新日本のスタッフ?可愛そうだな。打ち合わせ通り? 天龍関係ない時は下の方で10人タッグや8人タッグが多かった。相手も中堅で >>217
いや。。。だから言ってるわけで
お前バカなの? レスラーなんてみんな会社の言われるがままじゃないのか?? 維震軍は現役時代プライベートな付き合いは全くなさそう。仲良かったのは健吾と小林くらいか。 最初の4人のままだったら人気出たと思うけどなあ
キムケンを筆頭にゴミが集まるゴミ箱状態に 小林青柳アキトシ越中健吾歌舞伎
ここまでで増員終了
後藤小原野上絶対に不要!
藤波天龍もいらない、 俺越中ファンだったから見てたけど押されてたか?w
3銃士が10としたら越中は8くらいで他の奴等は5とか6そんなイメージ
タッグで激突してもこりゃ後藤で捕まって負けだなみたいな感じにみてたわ >>230
十分推されてたよ。
外様なのに重鎮の健吾を差し置いて軍団のリーダーだったから。 あの当時の新日本メンバーなら、本体にいたら埋もれていたはずだし。
越中にポジションがあって、前面に出てきたのはファンとしては嬉しかった。 木村健悟やカブキがリーダーだったら、平成維震軍は盛り上がらなかったと思う
あの面子で越中はよくやったよ 小原後藤は必要だったと思う
最初の4人の方がキツイわ 同じ三羽烏の三沢も新日参戦後のライバルだった高田も団体のエースになっていたし
越中にもスポットをという想いが会社内にあったのかね >>237
三羽烏?三沢と越中と誰だよ?適当なこと言ってんなw 俺が見始めたの95年くらいからだからかもしれんが
平成維新軍は出がらしのお茶みたいで全く勢い感じなかったけどな 邦昭さんがこれからって時に病気になっちゃって、軍団としてトーンダウンしたのは否めないと思う。
越中小林という、埋もれつつあったド中堅たちが誠心会館と絡むことで輝いて、果ては共闘というドラマがあったからこそ初期反選手会は面白かったわけで。
キムケン加入で単なる没個性ヒール軍団に成り下がった印象。 小林邦明のリタイアが無ければ全然違う扱いになってたと思う 越中と小林が全員に喧嘩売ってる感じが好きだったんだけどね。
小林の離脱がなければ、長州と浜口、天龍と原みたいな感じの売り出し方
になったのでは。
青柳、斎藤との共闘はいいとして、体制派の健吾との共闘は?だった。
あと、後藤とか野上とか、末期はカラーに合わないメンバーが加入したのも
マイナス。この二人を入れるなら、保永、ヒロ斎藤を入れた方が良かった。 越中と共闘するのは、健吾じゃなくて元々のアングルでは藤波だったって話
を聞いたような。
当時は藤波と越中って師弟関係って雰囲気もあったからありえなくはない。
けど、反体制になったり、坊主になったり、センスのない道着を着るのを嫌って
断って、健吾が代役になったのかな。
藤波、カブキ組とか見たかったなぁ。 小林邦明俺が見始めた時もう地味なおっさんだったけど
youtubeで若いころの試合見たらギラギラしてて驚いたね 小林は反選手会同盟結成時にすでに病欠していたはず。
木村、越中、青柳、斎藤が結成当初のメンバーじゃなかったっけ。 長州、藤波、闘魂三銃士、第三世代誰一人引っ張ってこれなかったのは痛かったな
天山をスカウトして即断られたのは笑えたけど 平成維晨軍だけで地方巡業してた時代って同じ新日でもエラいローカル感があって好きだったなぁ…今の新日だと鈴木軍で興行打つような感じかな 今の新日なら、真壁本間が独立興行か。
令和の誠心会館が必要だな >>245
藤波なんか加入したら藤波ばっかり目立って越中以下が霞んじゃうから
健吾でちょうどよかった。 >>249
> 長州、藤波、闘魂三銃士、第三世代誰一人引っ張ってこれなかったのは痛かったな
既存のメンバーが霞んじゃって本末転倒になるから必要なかった。 藤波だとドラゴンボンバーズの焼き直しみたいなイメージになりそう。 両国での小林vs彰俊
おいらのベストバウト。
彰俊選手に直接会えた時に伝えたら、凄く喜んでた。 翌日に越中対青柳が行われた千葉ポートアリーナのメインアリーナが懐かしい… IWAジャパンとの交流戦が中止?になったのは残念だったなー
テリーファンクが福岡ドームに参戦しただけで、代わりに越中が川崎球場に上がるプランがなくなってしまった
あれはなんでだったんだろう?
キョネスからしたら、ターザン後藤やダンスバーンが次々に招聘できちゃったから?
新日はUインターとの対抗戦も決まって、一気にそっちの流れにいってしまったのもあったかな >>250
本隊の興行では小さくて使わないような会場でもやってたな。 小林邦昭はジャパン末期あたりで渕と抗争して謎の胴締めスリーパー合戦とかやってた辺りから急速に光を失い始めた印象。
新日出戻り後は、馳の噛ませ、ライガーの噛ませをさせられて、一気にロートル化。いい意味で言えば、小林越えこそがスターの条件みたいな風潮ではあったけど。
当初の通り、ドームで天龍川田とやれてたら、ちょっとは小林の歴史が変わってたりして…?。 >>259
マシンがブロンド入りする前のシングルでは2分ちょっとで魔神風車固めでやられてたな Uインタ安生山健vs小林野上。
何故か小林が野上より先にコールされて微笑してたな 小林は最後ヘビー級だったの?
ジュニアのイメージだけど。 nWoと維震軍=サターンプレステ戦争ww
的を得ているねww
PS2とドリキャスじゃないだけましじゃないか
PS2とドリキャス=T2000と無我かな 小林は所詮初代タイガーとの名勝負の貯金で食ってたレスラーだろ。 上手くレイジングスタッフからヒールユニットの座を奪った感じだったけど、WARとの抗争の時がピークだったね
越中の度重なる怪我が原因なんだろうけど、藤波の助っ人はいらなかった
昭和維新軍との抗争なんて誰得だったんだ? >>263
PS2とドリキャスだと思うw
本体と比べてすら人気無かったもの
nWoは他のスポーツ選手も巻き込んで盛り上がったもんなー そもそも全盛期の長州のジャパンプロレスですら集客サッパリだったのに
新日本とか当時の全日本のブランドは絶大 nWoは勝ちすぎて嫌いだったからもう少し本体勝たせろよとは思ったがなw
マーカスバグウェルですらテレビで見てる限り中々負けなかった >>266
ネオジオくらいヤリスギれば、逆に海外のガチ勢ヲタとか
ナゾの需要が出てくるんだけど・・・
ネオジオは超世代軍→四天王全日かね >>264
そんな名勝負あったレスラーなんて一握りじゃないの? >>264 >>271
小林って佐山タイガー以外でも節目節目で好勝負を遺しているイメージがあるけどね
三沢タイガー相手でも上手い事三沢をリードしていたし
ハル薗田とのマスカラ・コントラ・カベジェラとか>>255が触れている彰俊戦なんかもそう 健吾がもっと先頭に立って、長州ぐらい派手にやってたら盛り上がったと思うんだよな
実際、藤波との抗争はワンマッチで後楽園ホールを埋めるぐらい人気あったんだから
でも、気が付いたら元鞘に納まってて拍子抜けしたわ
越中は人気選手だったけど、ジュニアヘビーのイメージが強いからな
ジュニアの選手を先頭に立たせてもなあって感じだった >>272
小林は名勝負製造機だよ
高田、越中はもちろん、ダイナマイト・キッドやオーエン・ハートとも上手く咬み合って相手の良さを引き出してた
当時の若手だと、船木や山田の良さも引き出していた SAMURAI FACTORY に名称変更するのを日刊スポーツにすっぱ抜かれて止めたんだっけ? >>276
あと当時同じ長州軍だったヒロや馳ともジュニア戦線で名勝負を作ってた
会社に重宝されるわけだ 89年くらいだったと思うが、とある地方大会で健悟がロングタイツ履いて試合をしたことがあった。理由は「寒いから」。
週プロに小さいトピック扱いながらもカラーで記事にされてたが、個人的にはこの時、健悟は選手として終わったと感じたな。 平成維新軍まったく興味なかったわ
ケンコバが大ファンだと知って驚いた >>279
平成維震軍の健aしか知らないと逆にショートタイツだと違和感あるな ゴングで河口仁の一コマ漫画があったが、平成維震軍が独立興行した時
『七人の侍、出陣!』
小原「七人のさすらい…なんてことにはならねーでしょーな」
後藤「エンギでもねーことゆーな」 越中がジャパニーズレッグロールクラッチとか、オールドスタイルの技を使ってたのが何気に渋くてよかった
健悟もトライアングルスコーピオンの封印を解いて、93年のG1では両国国技館を大いに盛り上げるシーンもあった
二人乗り式ボストンクラブとか、馬飛びで相手の背中にダメージ与える連係とか、ほのぼのした技が出るのも楽しかった 健悟のレガース着用での試合数って前田より多いんじゃねーの? >>238
世代的にターザン後藤とかかな?wあるいは冬木とか
単に渕大仁田園田の三羽烏と勘違いしたんだろうけど レガースは道着の時限定だったな。
ショートタイツでレガースは似合わないと自覚してたのかな? やれば似合ってたと思うけど、正規軍としてUWFと抗争してた藤波、木村、武藤あたりは立場的にUWFスタイルはご法度だろ >>287
ご法度もなにも、武藤はUWF否定派だろ 小林邦明はヘビー級の実績何にもないもんな
シングルの最大の戦果も彰俊戦じゃないの 俺は邦昭ファンなんだけど晩年の落ちぶれ感が悲しかった。
全盛期からの落差が1番大きいレスラーだとも思ってる。 >>289
ヘビー転向〜彰俊戦まで特に目立たなかった…
両国のメインでブロンドとの10人タッグのメンバーに小林が入ってた時は何か新鮮で嬉しかった… 長州とプライベートでも仲が良いのに何故あれほど冷遇されたのか… 小林はタッグマッチで木戸に39秒で負けたこともあった… 小林、WARとの対抗戦で北原と因縁作ったけどたいして話題にならなかった。 小林は自分勝手なプロレスしかしないからヘビーでは使えなかった。
ジュニアでは初代タイガーのライバルだったレジェンドだから使い出があった。
それだけだろ。
馬場は小林に「レイスの試合を見て勉強しろ。」と言ったそうだ。 https://njpwdvd.com/oursnjpw3/
俺たちの新日本プロレス 下克上・裏切り・抗争 全面対抗戦
※この三枚組DVDは買いです!そのうちの一枚が個人的に念願だった平成維震軍特集が収録されています。
感動!!これが素晴らしい!!
ナレーターが平成維震軍大将・越中詩郎選手ですよ。
新日本VS誠心会館の抗争から平成維震軍自主興業、座談会、越中選手によるカブキさんの店への表敬訪問まで、維震軍マニアは必見です!
元誠心会館の田尻茂一が証言している素敵なDVDです。
維震の侍の生きざまを感じてください! 越中の試合には、しっかりと闘いがあるから熱くなれた。 平成維震軍がよかったのは95年ぐらいまでだよね。あとは尻すぼみ。
カブキはもうほぼ終わってたし、木村も衰え始めてて、小林は病気、青柳はレスラーではないし、彰俊は当時はレスラーとしてはあれ以上伸ばしてもらえなかっただろうし、後藤・小原はブレイク前、、、
逆に言えば、あのメンツであれだけ頑張れた、奇跡のグループ。
あのへんでザ・コブラを忍者キャラで復活させて加入させてくれたらよかったのにと思う。ちょうどジョージが体絞ってた時期だし。
越中はファン一人一人の中で、目当てNo.1の人気はまぁそれなりだけど、No.2、No.3の人気はすごかったんだろうと思う。
高田戦、ジュニア、誠心会館戦や蝶野戦、反選手会でも大成功をおさめたから、ある程度推さざるをえない。
越中−永田では越中に勝たせてやりたかった。
越中みたいな人がもう少し評価される世の中であってほしいな笑 >>299
実際会場人気凄いもんな。
客を煽るしヒップアタック1発で盛り上がる。
でも越中を観たくてチケット買う層は多くない。これが全てなのかな。
唐突なコブラ加入に驚愕したわw しかし、07年ケンコバIWGP戦
あれが超満員札止めになってから
少しずつ新日自体が回復していったのはすげえ
試合後、飯塚さんが久々に魔性スリーパーで列車を落としたり
めちゃ盛り上がってたな IWGPは、安田に巻かせた時点で終わりだよね。
安田に巻かせるなら、
越中、馳、マシン、コブラ、飯塚、
このへん全員アリだわ その辺りがバンナ倒す話題を提供できたならな
たとえ八百でも >>299
コブラ?忍者キャラ?
唐突すぎてわけわからん。
想像は楽しいが、
妄想は気持ち悪い。 >>304
そこまで言われるほどのことか?
平成維震軍は侍とか袈裟とか、和風の感じだったし、反選手会のときに比べて勢いも戦力も落ちてきて、新たな戦力の加入を考える中で、
SWS崩壊後にFSR設立して体を絞ってたジョージがいて、コブラは忍の文字がトレードマークだし、飛べるヘビーだし、和風の維震軍に忍者キャラでカシンやハヤブサみたいな衣装で加入というのも無理がない。
コブラぐらいの補強が維震軍には強すぎず弱すぎず、ちょうどいいと思うし。
新日やカブキとの確執もあるだろうけど、新日が懐の深さを見せれば実現も可能だろうし、
カブキがコブラに毒霧伝授したら毒蛇として筋の通ったキャラも立つ。
唐突というか、元々新日にいた選手だし、
小鉄や武藤やほかの選手も、気にしてたみたいだから、新日に戻ったコブラは普通に見たかったね。
当時、谷津とか剛とかよりは、コブラでいいじゃんとか思ったね。
そんなにおかしい妄想でもないと思うけどな いや当時、新日本に上がってすらない選手の名前を出して
しかも勝手に忍者キャラを宛がうとか普通にキモいから >>305
なんでも書けば良いってもんじゃないと気づいてほしい。 まず当時の軍団入りするならスキンヘッド。
マスクマンを推す発想がスゲェわ。 まあまあ、維震入ってりゃインタでの防衛戦が高田vsコブラだったかもしれん。 リアルタイムで見ててコブラだの高野だのの発想が浮かぶのが理解できない この時代はテレ朝も夜中ながら毎週1時間放送されていたので平成維晨軍興行の大分大会もがっつり放送されてたな…
メインが越中、後藤対蝶野、サブゥーだった ジョージがSWSに行かなければ、誠心会館との抗争は、ジョージと小林が中心だった
かもね。 札幌中島での維震軍興行のメインは、橋本、平田vs蝶野、天山のIWGPタッグ選手権だった。
平田が蝶野から3つ取って、大盛り上がり。 ジョージだと誠心会館の相手したら大きすぎるだろう。
越中は細身だったから釣り合ったけど。 執拗に天龍に食い付き、一度も天龍からピンフォールを取れずに終わったことで
天龍の強さが際立ってた 橋本V9時代に挑戦させてやればよかったんだよ。8分で健悟のフォール負けでよい。
メインはグレートムタ。 >>313
タッグリーグで蝶野とマシンの不可解な仲間割れ→マシンがピン負けを強いられたので
それの落とし前で蝶野がピン負けを飲んだのか?新日本流でない維震軍の興行でひっそりと >>318
蝶野の親御さんに不幸があって休んでた直後の試合じゃなかったかな… >>302
ジュニアながらカシンに挑戦させても良かった。ノアは小川がヘビー級とってたし。 Gスピから平成維震の著書が出るみたいで、著者が越中、小林、健吾、カブキ、青柳、彰俊、AKIRAであり後藤、小原がいない。この二人にとって維震軍は黒歴史のなのかな。 >>321
後藤と小原はレスラー人生自体がほとんど黒歴史 当時は青柳と越中の関係が最悪で、途中での青柳の離脱は越中が追い出したようなモノだった。
ずっと青柳は恨んでいたが近年和解したようだ。 青柳は新格闘プロレスという団体を立ち上げるために独立したんじゃなかったっけ
あんなのにカネを出すスポンサーがいた事にも驚きだが、
越中と揉めたにしてもタイミングが良過ぎないか 越中はいつのまにか長州派になってたり大谷に長州の運転手が!とか公にガチンコ批判喰らってたりイヤらしい人なんだなってのは当時でも伝わってきた
試合とは正反対の人なんだなと >>321
維震軍にとって、後藤と小原が黒歴史
特に後藤はプロレス界全体の黒歴史 後見人として木村健吾がいるのがポイント。
会社で言えば執行役員クラスだったから 「藤波!俺はこの試合に負けたら、日本を離れるから覚えてろ!その代わり、お前もそれくらいの覚悟でかかって来い!」
勝ちではなく、負け前提でアピールするキムケン。 93年の藤波vs木村が見たい。木村のミドルが直撃して藤波が悶絶したやつ。 >>332
この試合は藤波のスリーパーで健悟がそっと落ちてピンフォール負けする不思議な終わり方だった この年の健悟vsライガーが名勝負と言われてこの試合のみの単独でビデオ販売もされてたよね。 >>334
闘魂Vスペシャル。
パワーボムで3カウント。 集客力とか押される押されない(推される推されない)とかは関係なく、
強ければ、上へ行けて中心になれる。
それがプロレスリング。 >>339
「今の俺、ヘビー級に仕上げてきたんだ」
「俺の体重は」
「135キロ」 反骨とか侍魂とか言ってたが、一から十まで長州の命令で動いていたかと思うと萎えるな。 対抗戦勃発自体が6年8ヶ月振りだったからねえ。当時は熱くなってたよ。
しかも旧Uと違って実際に活動中の団体だったし。 越中、木村、カブキのチームで闘魂三銃士に勝ったりしてたからな…しかも両国で…
当時は勢いあったよね >>346
どうせ勝つなら武藤か橋本に勝って欲しかった。やっぱり負け役は蝶野だった。
あの頃はハッキリと蝶野が一番格下だった。 越中のG1やIWGP奪取は、やはり見たかったな、、、 >>344
いま蝶野が平成維震軍や越中の悪口をグチグチいうの結局
当時ピン負けを長州に強要されてムカついてたんだろうな
三銃士とか言われてチヤホヤされていい気になってたところに
外様のジュニア上がりの越中が売り出されりゃそりゃ嫌だろう どうせ獲られるならまだ大先輩のカブキに、とか言ってたんだろうな >>346
あの試合は様々な要素が見れて、すごく面白い。永久保存版! >>334
youtubeに客が撮影したのがあるけど凄すぎる
ラストの完璧なパワーボム打つまで何回も打ちなおす健悟は異常。 >>305
FSR設立当時ジョージは絶対一度出て行った新日本には上がらないと言っていた
だから2004年?に新日復帰した時はびっくりしたな >>353
ジョージのそんなコメントを覚えているキミにびっくりですわ 木村、後藤、野上組がカード変更で木村、後藤、小原組になっても誰も何とも思わなそう… 木村、後藤、野上組がカード変更で木村、後藤、小原組になっても誰も何とも思わなそう… 越中「野上が本隊を追い出された理由が分かりました」 この頃のゴタツは地獄坊主?とかいう893キャラで
強くなかたか?
バックドロップで蝶野からピン獲ってたかと
ファイプロの地獄バックドロップもそこから来ているとか エッチューの侍パワーボム
カブキの竹とんぼラリアット
ゴタツの地獄バックドロップ
→大抵、犠牲者は白蝶野ww 解散後の捨て犬コンビでタッグリーグに出た時の公式戦
小原後藤vs蝶野フライでも後藤が蝶野からピンを取ってた
蝶野が小原にイスで頭をぶん殴られてフラついたところを後藤のラリアットでピンだったはず 白蝶野の負けっぷりばかり話題だが
黒蝶野も隠れ負けブックおじさんかww
小橋→剛腕ラリアット葬
棚橋→たしかニュージャパンカップでスリングブレイドw葬
AKIRA→なんか腐女子向けの戦国ゲームイベントで
黒蝶野(信長コス)vs AKIRA(光秀コス)
ムササムプレス葬w
「天山が自分と同じヨーロッパに出されてて、自分もドイツは毎年帰ってて、天山とは会ってたんですよね。
すごい成長してて。天山は橋本選手の付き人してて、長州さんが物凄い可愛がってたんですね。
だから、本隊の方にそのまま行くのが普通の流れだったんですけど、そこに越中さんと木村さんの平成維震軍っていうのが手を出してきたので
『この有望株の選手があんな三流のチームに入ってしまったら大変なことになる』と(苦笑)。
平成維震軍が手を伸ばしてなかったら、俺は行動してなかったかもしれない」
「長州さんと橋本選手に揉まれていくんであればいいなあと思ったけど、やっぱり越中詩郎と木村健悟ではいけないだろうと。
それでしょうがなく、俺は動いたわけです」
蝶野は越中と健吾兄さんがかなり嫌いみたいだな 蝶野は単に口が悪いだけ
維震軍以外のことを語るときも大抵はボロカスに言う ファイプロの
新誠倒幕軍とグローバルジャパンの謎プッシュは最高
あんな強化してくれてありがとう
CPU対戦で
氷川さん・小川弱vsサムライジロー・トシ護東
やったら地獄バックドロップで弱に勝ったww そういえば天山が帰国者したとき成田空港
に越中が待ち構えてそのままタクシーに連行
してた事があった。 >>363
でも結果として天山は蝶野軍で大正解だったね… 前も出ていたが、
むしろ安田を維震軍の用心棒ポジで持ってこれなかったのかな >>362
そんなのよりもポイズン澤田とか言う素人相手にダブルKOした試合のほうが大問題だろ
小橋や棚橋は蝶野より格上のレスラーだし 平成維震軍 1995年10月10日 後楽園ホール 1280人
@ 1/30 ○斎藤彰 (8分48秒 ニールキック→片エビ固め) ●安田
A 1/30 ○小林 (9分35秒 逆さ押さえ込み) ●寺西
B 1/30 ○後藤 (9分53秒 バックドロップ→片エビ固め) ●永田
C 1/30 ○天山 (11分42秒 ムーンサルトプレス→片エビ固め) ●木村健
D 1/45 ○長州・谷津 (7分55秒 ラリアット→片エビ固め) 蝶野・●H斎藤
E 1/60 ○山崎・木戸 (12分57秒 ヒールホールド) 越中・●小原
平成維震軍最後の自主興行
前日のドームから連チャンは長州と永田
寺西は首の負傷で全日引退したのにムリヤリ復帰
試合中に事故が起こったらどうするつもりだったんだか
昭和のプロレスラーって後先考え得ない奴多いよな 今思えば天山が赤や紫の道着を着て彰俊らと一緒にいても違和感ない >>372
ああ見えて新日道場の先輩だからポイズン 90年代全盛期のレスラーほとんど
引退、セミリタイア、タレント、飲食、自然消滅してるのに
エッチューのコンディションはありえんな >>376
ゴリラ、バッファロー、ヒップでGBHだっけ。 小川より菊地のが先にファイプロ入りしてたな
真誠倒幕軍はスーファミで全員入ってたかと 蝶野は空気読みすぎだな
ポイズンだけじゃなくニタとも電流爆破で両者KOだったような
実は、元ゾクだけあって
喧嘩は三銃士最強だった?うわさもあるとか 誠心会館との抗争、蝶野戦、G1、WARとの抗争等、まとめてDVD出さないかな? ピーターの本に、アキトシはコバクニ戦寸前までガチだと思ってたって載ってたのは本当かね? >>386
斎藤は新日上がる前にプロレス経験あるんだから
そんな訳がない 門下生達はどうなんだろ?
ドアを閉めずに出て行った門下生は知っていたのか?
その後の襲撃はガチだったのか? >>388
抗争のきっかけになったドア閉め忘れた門下生は
当時誠心会館所属だった松永に小林に殴られる当日に
「小林に殴られに行く」ってに言ってたらしいから知ってたはず
ちなみに松永は高橋本の誠心会館に関する記述は全部デタラメと言ってる >>389
襲撃後に長州と門下生達が言い合いしてる場面もカメラで撮ってるから全て台本か。
高橋本では長州にもダマリで始めたアングルと書いてたけど怪しくなってきたわ。 たかが元インディー格闘三兄弟の斎藤があんな活躍するとは思わなかったな >>391
実力は分からないけど 木村浩一郎や徳田光輝より齋藤彰俊には光るモノがあったように思う それこそ松永よりね 大阪で会場入りする小林が誠心会館の門下生に襲撃された
シーンってカメラの収められていないのかな。
名古屋での控室のやり取りは闘魂Vに入ってたけど。 >>392
確かに初期WINGの格闘3兄弟の中ではTNT倒したり
雑誌でも評価が一番高かったよな 彰俊と武輝道場の望月は、プロレス界でも相当努力したはず。 今となっては木村&徳田と組まされるなんてとんでもない苦行に思えるな。
あの頃は木村もまだ学生だったし大人しかったかもしれんが。 >>396
徳田もFMWの時は結構頑張ってるように見えて
そこそこ人気あったんだが、対戦相手が上手かったのかな。 あの頃の斎藤彰敏て、例の小川直也乱闘に対応出来そう >>394
当時のWINGの社長がかなり斎藤を買ってたし
誠心会館との抗争アングルもWINGの時の斎藤を見て使えると思ったから
始めただろうから、WING時代の斎藤は確かに相当評価が高かったはず
>>397
徳田は人間性が・・・・・・・ 格上げ中の後藤が
Uインターでは格下に負けまくってた山崎に
あっさり負けたぐらいから冷めたな… 黒カリがエッチュー嫌いなのて
ドラゴンスープレックスで首壊されたかららしい
ストンコの時より直接原因はそれだとか >>405
アキトシがカシンみたいなキャラになっとるやないかw >>403
テレ朝チャンネルの蝶野が司会の番組に、越中ゲストで出てたけど、普通に仲よさそう
だったけどね。
ただ、カブキがゲストの時は、「平成維新軍は、カブキさん以外はプロレス下手」
みたいな事言ってたから好きではないんだろけど 見てる側からしたらカブキやらヒロやら選手間で上手いとか言われてるのとかどうでもいい 小原道由の悪さをするだけして情けなく負ける感じとか好きだったよ >>339
その後ゼロワンでは日高と組んで頑張ってた気がするけどね。そこで前村と結ばれた訳だし クニアキが最後、ヘビー級転向→失敗で終わったレスラーだと知らない
ライトな新日ファンも多そうやなww 最初ジュニアのトップだったって知らない新日ファンの方が多いんじゃ すまん俺が言いたかったのはコバクニをヘビー転向に失敗したレスラーって見方してる人なんているのかなってこと >>416
スマン俺が受け取り方を間違えたみたいだ。
でもヘビー転向は中途半端だったし失敗だと認識してる。
ジュニアの保永にシングルで負けてたし扱い酷かったわ。 体格的に中途半端なレスラーでヘビー転向失敗したレスラー多いよな ジュニアのプロレスと
ヘビーのプロレスてやっぱちがうのね 懐かしい。
俺が行った金沢大会はセミで蝶野vs木村だった。メインは越中組vs長州組の6人タッグだった。 越中、馳、ヒロ斎藤はヘビー級転向後、IWGPタッグチャンピオンになってるから
ヘビー級転向成功組と言ってもいいかもしれない、邦明はヘビー級ベルト戴冠が無いから
失敗扱いか、不憫だ…AKIRAにいたってはジュニア王者にすらなれなかった >>422
> 失敗扱いか、不憫だ…AKIRAにいたってはジュニア王者にすらなれなかった
凱旋帰国後すぐ取ってすぐ返上したじゃんw 邦明は初代タイガーのライバルだったってことで持ち上げられ過ぎてたな。
ジュニアではそれだけで通用してたがヘビーでは通用しなかった。
馬場に「レイスの試合を見て勉強しろ。」と言われたそうだが
素直に従っていればヘビーでももうちょっと上に行けたかもしれない。 >>423
返上はしてないよ
両国でライガーから獲った2日後保永にノンタイトル戦で負けた
徳島で保永に初防衛
武道館で保永に獲られた >>425
あ、そうだったかw
獲られてすぐヘビー転向したのを記憶違いしてたみたいだ。 >>426 お爺ちゃんもいろんなところに出没するね
さあ昔話を熱く語りなさいw >>427
国際のスレで唯一かまってくれた人だからなついたのか。
おっと、俺にはなつくなよw AKIRAは凱旋してすぐにライガーからIWGPJr.のベルト取ったらブーイングされまくり、その後JJジャックスになったらブーイングすらも起こらなくなったので、本当にダメなんだなと当時思ってた >>421
1回だけ興行あったよ。
記念に平成維新軍の旗を小さくしたレプリカ買った。
前座で永田vsベノワ(ペガサス)とか組まれたよ。 札幌中島はいつも木戸が異常人気。
越中・木村等の維震軍も札幌らしいというか、いつも人気があった。 このメンバーの中でG1ベスト4にすら残ったメンバーいないんじゃないの 札幌のいぶし銀好きは異常
たしかノアでやった三沢さんVSエッチューの再会マッチも札幌だったかと
金沢はヒール人気がなぜか高い
TARUとかブードゥとか
新日もみのるやジェイに声援 個人的に平成の乱が熱過ぎた。
正規軍・平成維新軍・狼群団の三つ巴が面白かったわ。 小原が正規軍抜けて越中の方に行った時
橋本が彰敏を逆に正規軍に勧誘したいって言ってたよなあ 新日で最初の対決があった時に無名の選手が出たが目が泳いでいて
相手の越中が上手く試合を誘導していたのが分かって面白かった。 アキトシ、破壊王に色々教わったらシングル戴冠あったかも 彰敏フライ戦は神戸だったな。
あの頃はなぜ彰敏が押されてたのだろうか?
あの頃なら、キモ相手に永田がリベンジすればいいのにと思ってたが。 なんだか長州が負けて髪切って
全然関係ない健介も髪切った時なかったけ? 90年代のレスラーで未だに
シリーズ参戦できてるのてエッチューだけ? 旗揚げ戦てベイNKホールだっけ
なぜにそこでやるよ ツアーに入ると当時の新日が使わなくなったような
小さなところでやることが多かったんだけどな。 >>449
しかも、当初のメインエベントの予定は、越中詩郎×ブランコ・シカティックの
異種格闘技戦だぞ。 越中対シンとか後藤対ルスカとかなんの脈略もなく意味不明だった シローVSシカティクww
今風なら天山VSミルコメインみたいなもんか?w >>442
長州が髪を切ったのは娘の学校だったか幼稚園だったかの面接の為で、それをプロレスのアングルに持ち込んだ
って話を見たことがある。
本当かどうかは分からないけど。 健介が止めに入った永田を蹴散らして自分で切ってたけどたいした長さじゃなく微妙な空気になってたなw スーファミの新日のゲームで越中のパートナーは
キムケンでもカブキでもなく彰俊だったね
勝ったら空手最強とか意味不明なコメントを言い出すという
糞コメント 橋本がKー1との異種格闘技路線に入ってたりしたから橋本vsシカティックを盛り上げるための噛ませ犬だな >>420
金沢大会のセミで蝶野がリングアナからコール拒否されてたね。
確か前日に暴行を受けて報復として「昨日の大会で蝶野選手から
暴行を受けたためコール拒否します!」という流れで。
この時のリングアナはケロでなく若手の営業だったかな。 いい時期にコブラが忍者キャラで加入してればあと五年はもっただろうに
勿体無かったなあ 越中・木村・カブキ組がベストだったけど、
越中・後藤・小原組に移っていった。 越中「今日はカブキさんを呼んでます!」
カブキ「越中の試合を見て、熱くなって、、、」 >>466
カブキ反選手会に合流、の会見の時ね
「越中さん、木村さん」って、二人を敬称で呼んでたのが印象的だった
WARではフリー存在だったカブキを使って抗争を盛り上げよう、というアングルは、当時企画部長だった永島さんのアイディアかな? >>467
何かで読んだ。確か永島だったような
カブキとマシンをトレードした話を得意気にしてた こんな地味なトレードを自慢するような感性だから長州天龍の10番勝負だかで客呼べると思っちゃうんだろな >>467
やっぱりそうでしたかwww
記憶では「越中さん、木村さんの試合を見てたら、胸がこう熱くなって、、、」みたいな。
お寺みたいなところで。 維震軍の本買って読んだけどみんな同じような話で飽きるわ。他の選手が書いて文章読んでから書いてないか?ゴタツは消息不明。。 越中健吾カブキ
この三人の組み合わせは最高だった。健吾は赤スパッツで。 越中は都合の良いB級だろ。
大物というほど大物でもなく、適度に負けブックを飲んでくれる。
しかも、相手の格を著しく下げるような真似もしない。
明らかに90年代新日にとっては不可欠なバイプレイヤーだった。 集客力は無いけど会場人気は凄い高かったしね。やっぱケツっていう一芸持ってるのは強い。
暗黒期真っ只中、2006年のG1横浜文体を観に行ったけど、今でも試合の記憶があるのは越中と曙だけだな。両方ともリーグ戦出てないけどw まだデジカメが普及していない時代、ヒップアタックの瞬間、カメラのフラッシュが凄すぎた!
稲妻レッグラリアートもしかり。 ファイプロでも、稲妻とヒップアタックは何度も出したな〜 健吾て以外にジャンプ力あるか。
レッグラリアートの時、結構飛んでるよな。空中姿勢も良い。 天龍も「あいつ(健悟)って結構したたかにキツイ稲妻ラリアットを当ててくるんだよ!」って半分キレて語ってた さすが維震軍結束の証として「みんなで丸坊主にしよう!」って言っておいて一人だけスポーツ刈りで来た男 健吾はイナヅマもトライアングルスコーピオンも見栄え悪いのに怪我する危険大きい技で最悪だよな ソバットは踵のシューズの固い部分がガチで当たってそうに見えた >>481
オスプレイの必殺技とはえらい違いだな。Wアームで肩に担いでクルっと回して落とすやつ。あれは派手で安全だ。 反選手会同盟から平成維震軍にリニューアルした頃から、越中がジャパニーズレッグロールのような古典的な技を使うようになったのは好きだったな
後藤もレイジングから合流してきて、リバースチキンウイングをテレビマッチでまた使うようになりだした
投げっぱなしジャーマン連発とか全盛の時期に、マットに体がついてる相手を固めてからのブリッジワークは、ダメージ性や派手さはないけど見栄えがよくて味わいがあった >>485
> 反選手会同盟から平成維震軍にリニューアルした頃から、越中がジャパニーズレッグロールのような古典的な技を使うようになったのは好きだったな
高田から初めて勝ってIWGPジュニア王座を獲ったときに使った技だったな。 いい感じで「地方巡業のメインエベントの青コーナー側のチーム」というポジションに収まったし、外国人と対戦する必要性もなかった、ということかな
ただ、オフの場では外国人とは仲がいい集団だったみたい
斉藤などは特に「飯に行こう飲みに行こう」とよく誘われていた、と
「グレート・コキーナ(ヨコヅナ)とビールを飲み比べたけど、向こうがすごくて負けた」
「ノートンは必ず『ホッケ』と『大ジョッキに水』って頼んでた」
とか、斉藤彰俊は付き合いよくて外国人に人気もあったそうです >>487
平成維震軍としてはそうだったかも知れないがそれ以前はWCWから誰か来た時 とりあえず越中だった印象を俺は持ってる スティングやブッカーTとか 彰俊はだんだんと序列が下に追いやられて、離脱末期は第一試合とかあったけど
ノアに移籍してからは外人と組んだり良い扱いになってた >>492
ワープロでやった。
つべに北原戦の隠し撮りあがってたわ。 >>490
金本に怪我をさせて、長期離脱に追い込んでしまった
それで長州の怒りを買ってからは浮上できなかったね パパっていつも負けてるね
って子供に言われたんだろ彰俊って 期間は短かったけど平成維震軍とレイジングスタッフとの抗争が好きだった。
越中とマシンのトップ同士が特に。 なんだかんだで自分の名前をしょっちゅう出してくれる天龍に、健吾はもっと感謝を表すべき >>497
越中と平田はガチで仲悪かったのだろうか?
武藤ー高田の2戦目の試合後も、二人だけ本気で蹴飛ばしあってたし
宝島社の橋本と小川の抗争のムックに
当時越中がマッチメイク担当でその分が上乗せされていたから
武藤や蝶野よりも年俸が上だったと書いてあって驚いた >>489
フライ、小川、藤田、村上、高山あたりの格闘系ともやらなかった。 シカティックが新日参戦の話があったときも越中が名乗りあげてたしな 小原は武藤からオファーあっても断ってるしプロレス関係の仕事であんまり公には出てこないだろ
ごとちゃんは週プロですら消息不明とか言ってるしどうなんだろうね 三沢が年収2000万〜3000万(だっけ)で
三銃士に嫉妬したらしいが
格闘系でそれだけ稼げてるのは実は勝ち組だったな
ボクシング、キック、空手とか見てると分かる 三銃士は4〜5,000万って話だから会社の売り上げに比べるとそんなに離れてるとは思えないな 三銃士の年収に三沢が嫉妬とか書いているけど、
かつて三沢と一緒にやっていた越中は三銃士以上の年収だったんだよなw ビックリしたって話ならよくあるが嫉妬なんて聞いたこともない 全日は年金を払ってたからトータルではそんなに変わらなかったらしいけどな。 維新軍の本だとケーフェイに踏み込んでいなくてガッカリだったな
ドアの件も偶然起こったように書いてるし あと、全日は現金手渡しで
新日は年俸制できっちり税金引かれるから
トータルするとまじで大差なさそう >>514
現金手渡しと税金は別の話だろ。
どうやっても税金は納めないといけないし? 社保はあるけど確定申告は自分でする全日
社保はないけど年末調整はしてくれる新日
ってこと? 現金手渡しだって普通は税金引いた額を払ってるんじゃないの? >>515
児童ポルノ観る目でスターダムを観に行くホラッチョ爺はキモいので自演ノアダメスレにお帰り下さい 俺、アキトシの
ターコイズブルーのパンタロンが好きだった。 >>518
ロリコンホラッチヨが来る所ではありません。失せくれ。みなさんが迷惑です。 >>521
また認知症発症ですかw
児童ポルノ観る目で女子高生レスラーを視姦する為スターダム観戦に来る
嘘つき変態小児性愛者ホラッチョ爺はノアダメスレにお帰り下さい 裏では越中は長州現場監督の右腕
健吾は新日本の執行役員 >>523
大仁田が来たときに長州に命令されて追っ払ってたのはそういうことか
その時でもリング上では敵対してたから不自然に思えた
演技はあくまで試合中だけてことか >>525
その時点で維震軍解散して本隊に合流してなかったか? >>520
相手組長?誰だっけな?
ビローンて試合中に伸びきったやつ。 >>520
あのコスチューム、光の加減なのか
実物と映像で違う色(青と緑)に見えるよね 「侍ファクトリー」という名称で別団体化プランがあがった時、
「小原と斉藤にスタイナー兄弟のようなコスチュームでタッグチームをやらせてもいい」
みたいな構想を越中が雑誌のインタビューで話してたから、どうなるだろう?と期待してたら・・・
別に団体というか「平成維震軍」という軍団のままの自主興行の延長だったし、小原はスパッツだったり虚無僧の衣装だったりで、斉藤は青の袴というかパンタロンになっただけだった
「後藤にゲーリーハートのようなマネージャーをつけて、大ヒールキャラにコーディネートをさせるのも面白いと思うんだよ」
というのも、ふたを開ければなんでもなかったし
その前の、年明けの札幌2連戦大会の時の団体戦でも「連勝して新日本を出て行く」といいながら、終わってみれば「逆に団体に残って、乗り込んで来る敵を受けてたってもいい」と言い出したり
あの辺のアングルというか企画や政治的な事情はどういうことだったんだろう? 単なる越中のリップサービスだったんじゃね?
取り敢えず言ってみて会社が好反応示したらラッキーぐらいかな。 >>521
自演で皆さんを長年ダマしてきたペテン師ホラッチョ爺がなんだって?
児童ポルノ愛好家が来るサイトじゃねえよバカチン >>521
お前は「ホラッチヨ」じゃなく「ホラッチョ」だから
ID変え別キャラ演じた時も間違えてたから指摘しておくわペテン師ボケ老人w >>533
巣にお帰り
※顔文字ガラケー爺(ホラッチョガラケー爺、管理費botじゃいもんおじいちん、デルタバンド)とは...
オッペケとの痴話喧嘩を他人が立てたスレが全員オッペケだと思い込み、毎回1に安価し構ってアピールする基地外ドルオタw
元ラブダイバーだったらしく、三森すずこと結婚したオカダ憎しで基地外スレを立てまくって、倉庫入りしない様にコピペを貼って管理するのが日課w
平成を3月末で終わると本気で勘違いしていた、閉鎖世界で生きている初老w
典代という架空彼女がいるという設定らしいw
最初、プリキュアに興味が無かったが、いじられすぎて愛着が湧くようになったw
老眼なので入力ミスが多発し、現在「横なってベビー級管理費botじゃいもんおじいちん」の二つ名があるw
最近は、拾った画像を使ってプロレスそのものを批判し始めている
※NEW ⇒ 拾った画像の多くはアイドル関連のものが多数、日向坂46の割合が多い事から、日向坂46推しであることが判明
もちろん、アイドルグループが出るレギュラー番組は毎週欠かさず見ているw
※NEW ⇒ ミルコとヒョードルの区別がつかないのに今まで総合格闘技を語っていた事が発覚したw >>534
わざわざ別キャラ演じるも自分の名称「ホラッチョ」を「ホラッチヨ」と間違え墓穴掘った絶対マヌケ王者ペテン師ロリコンホラッチョ爺のカキコミをどうぞw
↓
(ワッチョイW a124-YIPa) 2020/03/15(日) 11:55:52.19 ID:QzDrlXZX0
ロリコン、ホラッチヨ、無職?
全部自分ことか?(笑)
(オッペケ Sr4f-bv9W) 2020/03/08(日) 20:58:13.60 ID:sc8b8Xnhr
ロリコンホラッチヨが来る所ではありません。失せくれ。みなさんが迷惑です。 誰でも同一かよ
5chも全国で5人だけしか見てないと思ってそうだなw 越中は会場人気はあったけど、集客力はなかった
FMWやみちのくのインディの成功を見て新日フロントが新日の中堅以下のメンツであんなに成功してるんだから、新日様がやればもっと大成功すると勘違い >>539
長州の人気を見込んでジャパンプロレスを旗揚げするも
全日での興行はそこそこ入ったが
自主興行は全く入らず。 >>528
確か野上が引っ張った時じゃなかったかな?
96年1月の後楽園の5vs5の3本勝負の試合じゃなかったかな?
その日のメインがサムライvs大谷でサムライが123ダーで締めるという 越中は間違いなく輝いたが
土方歳三みたいな魅力的な副長が欲しかった
木村健吾とかショボ過ぎた そもそもエッチューが副将ポジで輝くタイプだからなぁ
タッグベルト取った天龍越中組なんか典型でしょう あれが後楽園初のIWGP戦だっけ
エッチューはユークス新日の名脇役だったな >>546
88年藤波vsケリー・フォン・エリック(WCCWとのダブルタイトル
>>547
それは広島サンプラザ 亡くなったブランコ・シカティックって確か維震軍の旗揚げ戦で
越中と異種格闘技戦やるプランあったんでしょ?
立ち消えになって越中vsシンになったけど このスレ、しぶといなww
エッチュー人気がわかる
昔、越中専用スレってあったな 空港まで先輩達が迎えに来るなんて、やっぱり素直に嬉しかろうに。 >>542
実は木村健吾は当時取締役。
だからこそ平成維新軍は興行打てた。 高田のIWGP防衛戦が越中だったけど、あの試合の客入りが越中の会場人気はあるけど集客力はないってのを証明した感じだよな >>558
>>560
武道館行ったよ。(おっしゃあ8年振りの越中vs高田だあ!…と意気込んでw)
そんなにガラガラだった記憶はないけどなぁ。
当時のUインターだと普通に入ってた方なんじゃないかと。 平成維震軍の本が出版されてるので読んでみたけど
斎藤彰俊は、実は新日本在籍中はいろんな話をもらってたんだね
K‐1に参戦プラン
「空手ギミック」を気に入られてアメリカ(wcw系列?)の団体からオファー
橋本真也からは「正規軍に来い!」と何度も本気で誘われた
飯塚、サムライと同世代ユニットの企画も上がったりした
など
礼儀があるし、よく練習するから本隊のメンバーにも人気があったみたい
金本や永田、石沢には打撃技のパートナー役を買って出てた
ライガーは「ちゃんと家族のことも考えろよ」とか意外と堅実なアドバイスをくれた、とも >>562
彰俊はルックスも良いからな。
売り出し方によってはもっと売れたと思う。 アキトシて、
例の橋本小川のセメントマッチの時にいたらどうだろうか。ガチガチに前に出ないのかな。 >>564
99 1・4の時?
乱闘の途中から斎藤はいた
カシンや藤田辺りと、どちらかというと中立派っぽい立ち位置だった気がする
その後の契約更改で退団の意思表示 >>558 >>561
新日主催だともう少し入っていたのかな。 >>563
金本を怪我させて、長州の怒りを買っちゃったのが・・・
あとは本人も「維震軍にいたい」と義理堅すぎた 彰俊が辞める時にある理由で選手会からの積み立て金が渡されなかった。
破壊王の使い込みだよね。 AKIRAて一瞬だけデビルマンのうた、入場曲にしなかったけww >>569
彰俊って反選手会の立場なのに
積立金なんて払ってたのかな? ケンドーコバヤシがもっと早く越中ネタでブレイクしていたら… >>575
> 彰俊って反選手会の立場なのに
そんなもんギミックに決まってるだろw 後楽園ホールが火気厳禁になった時に悪役レスラーが火が使えなくて困ったと言ってたが、悪役なのにそこは守るようなもんだろ 週プロだがゴングで平成維震軍が「三沢川田小橋とやりたい!」でブチ上げた時、
三沢は「ふーんww難しいんじゃないw」、川田は「やらねーよww」みたいな反応だったな。 >>579
三沢とシングルやった時の越中のギャラが
300万だったね。
最初「ギャラは3本です」といわれて越中は
30万かと思っていたら桁が一つ違っていて
ビックリしていたみたい。 >>558
確かに越中の集客力は
武道館を満員にするほどでゃないが
あの時は(1996年3月)は、そこそこ
入っていた。(俺は生観戦した)
セミに武藤対佐野も組まれたし、
山崎、飯塚、大谷も出場した。
まぁそれくらい投入しなければ
武道館は埋まらないが。 >>581
逆に言えば高田も大して集客力無かったということだな。 それ思うと、
めちゃくちゃ叩かれてたけど、
わけわからん中堅とGHC戦で
武道館満員にしてた小橋て実は凄いのかな >>583
それ、もしかしたら
井上雅央の挑戦を受けた秋山と
勘違いしていない?
小橋が、わけわからん中堅とGHC戦で
武道館満員って、小川良成くらいしか
思い浮かばんが? >>584
武道館か忘れたけど、本田多聞ともやらなかったかな 本田斎藤バイソンスミス佐野あたりは武道館じゃない
あの防衛ロードでしいて言うなら力皇あたりが該当するかも
三沢高山田上はまあ武道館的なカードだし 田村潔司のユーチューブで
「新日本(90年代)は好きだったけど誰も彼も"オラァ!"とかマイクアピールして
試合が伴ってない人がちょっと苦手だった」って言ってたけどこのチームの人たちのことかね 蝶野さんとかがやるのは良いけど
みたいな前置きしてるし蝶野ではないはず >>558
1.4前の年内最終の大阪府立の越中vs天龍はチケット完売だったはず。
>>579
三銃士は無理でも、平成維震軍だけだったら負けブック飲みそうだから
実現は出来たと思う。勝ち負けは別にして面白いカード組めたかも。
彰俊vs三沢
越中vs川田
カブキvs小橋
健吾vs田上
後藤vs鶴田
小原vs秋山
野上vs菊池
小林vs小川
青柳vs渕
結構興味深いカードも多い。 沢山ホラを吹いたり、自分のやったえげつない事を人になしつけたり、いい加減で
適当な書き込みをしてる奴がおる。 しかもウンチとセックスが大好きな変態野郎。
その人のブログはこちらで、 あだ名はサボ辻、ホラ辻
https://www.facebook.com/tomokazu.tsujimoto.3 >>577
使い込みに一番怒ってたのが越中だしなw >>588
越中は試合内容が良かったから越中ではないな
田村のクルクル回転体と越中のG1の活躍が
90年代プロレスの華だった 平成維新軍といえば自主興行で噂になってた
越中対ブランコシカティック
こんなカードを組もうとした鬼才は誰だよ? >>582
実は集客力のあるレスラーなんて日本人は一人もいないんだよ
馬場猪木でさえ現役バリバリの頃でも閑古鳥が鳴く会場はあった。
唯一集客力があるといえるのはミルマスカラスくらいだろうね。 >>596
純プロレスラーの異種格闘技戦は気になるので見たかったが、ろくでもない試合になっただろうな
橋本vsシカティックを盛り上げるための試合だし エッチューVS永田さんは
超満員札止めだったらしいが 越中vs永田
スキンヘッド越中vs蝶野
越中らしい良い試合 >>599
日本人で一番集客力があるのは大仁田と思う。 プ板全盛期は、
天龍スレと、川田スレと、エッチュースレの息がめちゃ長くて
はぐれ全日系選手のオタの濃さが目立っていたな 新日&WCWのトーナメントの決勝が健介vs越中だった気がする
武藤vsオタービオの日だ >>610
91年の夢勝ちますVが初対決
当時長州と仲最悪の越中が負けさせられて不満隠せず試合後の握手拒否 あったな〜。
藤波&越中、天龍&越中も良かった。
さらに遡れば、高田&越中は名タッグチームになった。 越中「高田!俺がぶっ潰してやるからな!」
高田「・・・」
高田「おい、次は誰だ!橋本ーっ!健介ーっ!」
越中「・・・」
橋本「よーく武藤に勝った。防衛戦は1回でいい。俺1人でお前は終わりだ!」
越中「橋本、テメエは引っ込んでろ!」
橋本「・・・」
健介「高田さんおめでとう。だが今のアンタにはそのベルトは荷が重すぎるぜ!」
高田「言うだけ言ってろ!」 ケンスキーエースの時って、
破壊王がどんなポジションだったか思い出せん
小川と戦うとき以外何やってたっけ まだ反選手会でWARに参戦してたとき、地方大会では越中たちが声援多くて
天龍以外のWARのレスラーはみんなブーイング浴びてたw >>621
後楽園ホールの伝説の試合は違ったな。
ゴング直後に「健吾チャチャチャ」がわずかに聞きとれるくらいしか
新日ファンはいなかった。 武藤と蝶野にまったく評価されていない軍団だな
なぜそこまで嫌われてるんだろw >>617
越中の名前も出してたろ、エッチュー!って
ウソ書いちゃダメだよ 「越中さん、木村さんの試合を見てたらね、何か胸がこう熱くなってね、、、」 nWoて実は平成維震軍見てWCWの首脳が考案したてまじ? https://www.youtube.com/watch?v=6X49mRyL_Pk
今穿った見方すると、垣原の倒し方はリアリティに欠ける
せめてパワーボム決めたまま押さえ込めよ 受け身が下手すぎて怖い。垣原って柔道家だったんじゃねーの?
最初のロー連打も型が独特過ぎて効いてねーし。 ケンゴってIWGP一回も挑戦できなかったのか
ひどい ケンゴと谷津て、プロレスラーとしてはどっちが格上? 谷津は天龍にフォール勝ちしてるからな。
谷津を健吾に、相手をUに置き換えると健吾が稲妻で藤原にフォール勝ちレベル。
ちなみに谷津は三沢タイガーにも勝ってるから健吾は高田に勝ってなきゃ並んでない。 高田は若い時はそんなにカッコよくないな
おっさんになってからカッコよくなった >>623
嫌ってる、というよりもプロレス観が一致しないんじゃないかな
特に武藤と越中は、プロレスに対するインタビューの内容や表現も違いすぎる
ただ、長州や藤波、天龍たちは「よくやっている」と越中や維震軍を評価していた
上からは認められ、下からは認められない
実社会にもよくあるね >>623
嫌ってる、というよりもプロレス観が一致しないんじゃないかな
特に武藤と越中は、プロレスに対するインタビューの内容や表現も違いすぎる
ただ、長州や藤波、天龍たちは「よくやっている」と越中や維震軍を評価していた
上からは認められ、下からは認められない
実社会にもよくあるね 反選手会同盟とレイジングスタッフは、心折れずにようやってたわ。 越中なんてしょせんはヒップアタックだしなあ
まあフィニッシュはパワーボムだったけど
そんなお笑い技で戦うレスラーがリーダーのチームなんて限界が知れてるわ >>649
パワーボムも汗で滑って首から危険な角度で落ちる、とかよく見たし実際に蝶野も何度か被害にあってる
元々、首に爆弾抱えてる蝶野は、だから越中に微妙な態度なのかな?
受け身取り切れなくて苦しんでる相手にに知らんぷりで、ガッツポーズ決めながら3カウントを聞いてたりだったし 蝶野に対し、越中はソローとかなりゆっくりと落とすパワーボムを使ってる。
逆に受け身を取りにくいとか言われてたが、あれは首に対する配慮だったのかな。 滞空時間長くやさしく落とすの蝶野にしかやってなかった記憶だが越中のスタイルだと爆弾持ち相手はやりにくかっただろね
蝶野天山対橋本平田だと平田が蝶野にはエグいライガーボムやってたけどあの二人も仲悪かったんかな 長州に気に入られて勝ちブックだらけだったから気を使ってたんじゃね
ドラゴンで首おかしくしたこともあったし そもそも他のレスラーは越中のパワーボムで
自分からあそこまで高く上がって行かない
蝶野だけが豪快に上がって行く
で初期のころは越中も思い切り叩きつけていたが
チーム2000以降は蝶野の首がいよいよダメになったのでソフトな落とし方に変わった パワーボムはノートンみたいなパワーが凄い選手にピッタリの技。
だから越中と川田のパワーボムはどうなのよ?って思ってた
まあ川田は天龍の影響だろうけど >>655
天龍の影響というなら、越中が使い始めたのもWARとの対抗戦の時に天龍を挑発するような感じで使い始めたんじゃなかったっけ?
という流れだから、
キムケンはそれに便乗した感じ。 ↑スマン、スマホの調子が悪くて変なの連投してしまった プロレスを見始めた90年代後半に俺は全日と新日なら全日の方が好きだったんだが、まあ新日も嫌いじゃないけど、新日では越中が好きだった
越中のプロフィールを見たら元全日だったと知ってなるほどなと思った
全日本っぽいから好きだったのかもな 渕と越中、どちらが早く結婚するか?なんてよく投稿のネタになっていたな
当時(90年代初期)は30過ぎて結婚するのは当たり前、してないとちょっとヘンという世間常識が前提にあったネタだ 滞空式侍パワーボムは
プゲーでは越中最大の必殺技になっていたな パワーボムは橋本相手でもふらつかなかったし、ジャーマンドラゴンもジュニア時代と変わらず綺麗でトレーニングキッチリやってんだろなってのは伝わってたから、身内はそりゃ心情的にも推したくなるってのは分かる 新日の選手がタプついて、二部編成だか二軍編成だかになるという噂話が雑誌に掲載されていたが、それが転じて
越中クラスがメインの興業でも(地方は無理として)後楽園ホールぐらいなら埋まるだろう(交通費や宿泊費も節約出来る)という発想でこういう風になったのかと思っていた。
フルメンバーでの全国巡業はわりに合わないという時代になっていた。 >>652
アングルとはいえあのSGタッグでの仲間割れはちょっとやり過ぎた感もあるから根に持ってたかもしれんね 誰と戦っても誰と組んでも良い試合になるのは貴重だと思う >>643
健吾が藤原に勝つのは普通によくあっただろ。
シングルだとだいたい両者リングアウトか反則決着。
タッグで健吾が勝つ場合は首固め、藤原が勝つ場合は脇固めか膝十字。 >>62
天山が帰国するとき空港に平成維新軍が総出で迎えに来てたらしい。蝶野と一緒になる流れが決まってたかは知らないが、少なくとも本人は真っ白の状態だったみたい。しかし、天山が思った事は・・・『うわ、小原おるやん』 小島といい天山といいあんだけ虐められた小原に
みんなが見てるリングの上で勝つというのはやっぱ気持ち良かったのかな 野上が加入したのが今でも謎。
維震軍のカラーに全く合ってない 小林に勝って、小林が坊主。
その男気に感動したブック。 なぜか再ブーム後のエッチューは
列車と手があったかと
VSガイジンは微妙な試合が多かったかな >>675
ただ天山がびびってるのはわかりやすかった。
小原は藤田とかカシンのアマレス軍団には優しかったらしい。 スティングてめっちゃしょっぱかったイメージあるんだけど
なんであんなんでトップ獲れたの? 越中小林青柳彰俊で反選手会同盟やれてたらおもしろかったのにキムケン加入でレイジングスタッフレベルまで魅力が下がってしまった >>685
日本のスティングと海外のスティングは違うらしい
アメリカだとリアルアメリカンヒーロー的な感じだそうだ
ルガーやアルティメット・ウォリアー見てもあの世代は何かしょっぱい 92〜94年(反選手会同盟、レイジングスタッフ時代)頃、
微妙にどちらが強いのかわからない”中堅”対決
@健悟 vs 越中
Aマシン vs 健悟
Bマシン vs 越中
越中=マシン>健悟 かなあ? 95年は越中はG1出て、G1後のIWGP戦はG1出なかった平田だったな
この二人のパワーバランスは微妙な感じだった >>694
健吾はマシンにシングル3戦2勝1分
越中には当時だと完全に格上。 話は脱線しますが、
新日本所属レスラー(元所属レスラー)で、
IWGP(Heavy,Tag,JuniorHeavyのいずれか)のベルトを1回も巻いたことがない選手って
結構いるよね? 全日系でアレだが
浅子も10年ちょいやって一回もベルト巻けてないレスラー
接骨院開けてよかったね うん。
アジアもない
彼にとっていちばんのタイトルは、自身の接骨院を持てたことやろ 浅子ほどブサイクで鈍臭いのはなかなかいないしさっさとレスラー廃業できて良かったよな 浅子は本当にしょっぱかったな
大量離脱があったから入門出来たらしいがそれでもいらんレベル
ラマヒストラルがもっさりだった
喋る時にハキハキしてたから解説は良かったけどね 当時は坂口征二が社長。一番弟子の健吾にポジションを与えたのでは?
ただ健吾より越中がブレイクしてしまった。 越中は95年から急に格上げされたような感じだったな
G1でムトちゃんに勝ってしまったり
96年にはスティングに回転エビ固め、橋本にケツアタックでフォール勝ちしてた
でもサブゥーにコロっと負けたりよく分からん 石井がまんま越中ポジション
格上に勝つし格下に簡単に負けるけど格は変わらない
会場人気あって両国大阪府立あたりのメインは任せられるけどドームは無理 >>709
当時の健悟は前座で木戸をパートナーに、ドク&栗栖のピラニア軍団と抗争してた
でも、怪我人などで上の試合が手薄になると、助っ人的に主に武藤のパートナーに抜擢されて結構いい活躍をしてた
「チャンスを与えられたら健悟はまだまだやれるんじゃ?」」という雰囲気になってきたと同時に、選手会とぶつかりだした越中に対して
「俺にはあいつらの気持ちもわかる」
などの主張もし始めた
で、謹慎から復帰した越中に加勢する形で反体制側に合流
反選手会同盟は選手会長、副会長をしっかり勤め上げた越中と小林に長州が与えたご褒美だったのかもしれないけど、健悟の合流は確かに坂口のさしがねだったのかもしれないね >>712
越中はNEVERのベルト似合いそう。
時代違うがケンドーカシン はインターコンチ似合いそう。 サマーナイトフィーバーでの保永戦が、一番輝いていた。 >>715
レイジングを離脱して維震軍に加わり地獄坊主になった直後
保永ヒロを連破して両国でマシンにも勝利した時は最高に輝いてた
負けたマシンが後達の成長を喜ぶコメントをしてたのも印象的だった あの時代なら
N EVER 越中
インターコンチ 蝶野
IWGP 武藤 アウトローズ結成直後のゴタツの格って凄い微妙だったな
ブロンドの元ネタはヒロ斎藤だし、リーダーは間違いなくヒロなんだが
年齢はゴタツの方が上、なにより体格で勝っているし、
決め技のバックドロップも脚光を浴び始めたし
凶器の鉄パイプは 越中はドラゴンボンバーズの件も含めて絶対に藤波派だと思っていたのにな
いつの間にか長州の運転手やったり長州の懐刀みたいな感じでマッチメイク担当していたりで何かなぁ 当時の新日本なら、長州に気に入られるのも食べて行く為には必要。 いわゆる地獄バックドロップで
白蝶野にシングルで勝っているね、ゴタツ 橋本vsライガーメインの武道館でも蝶野に勝ってたよね ボンバーズやら西村やら誰も藤波慕ってないからホント人望ないこんにゃくなんだろな
後藤は白蝶野に勝った頃は一瞬だけベルト巻くような勢いだった ファイプロの地獄バックドロップは、
殺人バックドロップと同じく
角度もヤヴァイが
喰らったリアクションもヤヴァくて素晴らしい マシン&後藤は何故IWGPタッグが取れなかったのかが不思議。
ノンタイトルだと武藤&蝶野とか馳&佐々木とかバンバン倒していたのに、
タイトルマッチだと弱い。
マシン&ヒロは、ここぞという勝負に強く、
タッグチャンピオンにもなっているし、
馳&佐々木には多分勝ち越しているんじゃないかな。 >>77
>>82
画面の外、映らないところにいたの(本人談) 御託並べてコノヤロウ後藤とか完全にラップだし御託とゴタツを瞬時に掛けたのなら天才としか言いようがない 会場人気が高くて集客できないレスラーって今だと石井とかかな?
後楽園ホールではメインで使われるけど ネバー自体が
昔のケンゴ、エッチュー、マシン、ゴタツとかあの辺のポジションの人への
功労賞的なベルトぽいね 越中は袴の色をたまに替えるのがちょっとお洒落だなと思ってたw
基本は白だけど黒も引き締まってて良かったし、あとは青と赤もあったっけ? 維震軍はコスチュームを揃えていたよね
紫っぽいのもあった気がする >>735
WARに参戦の時は健悟のテーマで入場してたね
「乗り込んでいく」感じの高揚感があってよかった 越中ってドームのセミで蝶野とシングルをやったし、番付的には関脇くらいか アキレス腱を切った後に邦昭のアドバイスでレスリングシューズに変えた >>740
WJに行かず、『ラフ&パワーで異彩を放つジュニア戦士』を全うしていた石井も見てみたかった 昭和維新軍との抗争もあったからでしょ
そこに狼群団やWARも絡めたり
髪切りマッチで負けた長州が後ろ髪切るだけだったんで越中が怒ってたなw いわゆる平成の乱のときの長州とのやり取りが面白かったなあ。
越中たちが長州に圧倒されて子供の喧嘩みたいになってたw 反選手会同盟の頃は越中が武藤の次くらい人気あったよな >>744
後達 G.カブキ 彰俊 AKIRA
小原 キムケン 越中 小林 青柳 >>735
ベストマッチは
天龍石川北原対越中健吾青柳だ >>754
両国で客が行儀いいし、猪木や長州など添加物も多すぎたし、
健吾は途中で戦闘不能だし、後楽園よりはちょい落ちる >>754
石川の膝が健吾のアゴに当たって何ヶ月間か三半規管がイカれてたんだよな もしもの話をします。
反選手会同盟(92年8月頃)に越中、木村、青柳、斎藤が結成したとき、
下記レスラーが1枚加わっていたとしたら誰がよかったですか?
A.佐々木健介
B.獣神サンダーライガー
C.橋本真也
D.その他(おしえて) >>760
野上は93年頃加入しますね。
>>759
飯塚孝之で加入、確かに面白そうですね。 >>754
試合後、健吾リングマット上で失禁して染みに、、 >>762
1992.11.23
両国バトルゾーンスペース2でしたっけ?
ヘルレイザース結成した日か。 >>761
野上は96年か97年にコバクニと髪切りマッチやった後に加入した。
平成維震軍ではなく反選手会同盟時代に入っていたら少しは化けたかも知れんな。 フィッシャーマンズスープレックスて簡単なのかな?白間もドラマで披露してたし。 俺はブレーンバスター+�ソ程度だと思ってる。
正直フィッシャーマンで負けるのは相手は嫌やなんじゃないかな?
天龍も中西に負けた時に怒ってたし。 ただコバクニがやるのはフィニッシュホールド属性に入ってるのでOKでは 闘うクロコダイルダンディ
ロープへ振る⇒前蹴り⇒網打ち式原爆固め⇒フィニッシュ
これが最高にカッコイイ! >>58
2006年とかなりのちだが、ビッグマウスラウドでは、上井文彦が決めたのか、「マッドドッグス」なるタッグチーム名、「マッド後藤」「ドッグ小原」なるリングネームを付けられた。
https://youtu.be/CdW4Bi4b4Xc
https://youtu.be/q-c-RdpVq34
https://youtu.be/_cU6_D5GHPE >>749
AKIRAなのかこれヒロ斎藤にしか見えないぞ >>775
辻アナ
「新日本プロレスとWARの抗争が続くそんな最中、
越中選手から”WARの中にも我々の共鳴者がいるんだ”
という爆弾発言がありました。
これは一体どういうことなのでしょうか。
我々は急遽、福井へやって来ています。
越中選手に話を聞いてみたいと思います。」 775の続き
今回、越中さん、木村さん...二人(青柳、彰俊)がね、
物凄い試合をしてくれたんです。
お...(求めてたのは)これだ、この人だな・・・って思ったんです。
(中略)
(事を起こすのは)今しかないんですよ。
長州だろうが天龍だろうが、ぶっ潰してやりますよ。 自分より後輩の木村、越中にさん付け。
さすがカブキはプロレスの職人! つべで「若松」「谷津嘉章」と呼び捨てしてる高木功とはえらい違いだな! この頃の時期には、反選手会同盟も移動用のワンボックスを配備されて、チームとして認知され出してた
車の窓から身を乗り出した4人が、外にいるカブキと笑顔で握手して写真に納まってたのを覚えてる
カブキが本格的に合流するまでは、WARに乗り込んだ時に同時にジュニア部門で対抗戦に参加してた金本やエルサムライがセコンドについてた
金本と斎藤はプライベートで仲良くなってたらしいけど、金本がタイガーマスクになるための海外修行が決まってしまい、斎藤は寂しくなったとも言ってた 今更本を読んだけど意外と小原の評判が良くてみんな口を揃えて「後藤さんとは連絡が取れなくて・・・」って言ってて笑う
ごとちゃんはマジで何してんだよ 今さらだが後藤って新日本の道場に寄生し
若手をこき使いながら生きてきたから
それが無くなったら野垂れ死ぬのも無理ないわ 蝶野によると平成維震軍は全員プロレスが下手らしい
その事をカブキに言ったらカブキは否定してたけど ドイツでハナクソみたいな存在だった蝶野が言っても説得力ないわ >>799
越中は下手糞、馳は嫌な奴って口開けば言ってるね
越中のパワーボムがムカつくとも 小林はなんかのコラム見たけど新日愛が凄いな
だから嫌い >>18
その略称で、出てくる面子が越中や後藤や小原だと思うと、一見さんのお客は「だまされた」と感じてもう二度とプロレスを見なくなるかも知れんね。 >>52
何わけのわからんことブツブツ言ってんだ、この馬鹿(笑) 会場人気があるけど集客力無くきちんと仕事できるレスラーって団体には絶対必要だと思うけど最近減ってるよな 身体能力が高い若手に、ヒップアタックを引き継いで欲しい。
完成度が高いヒップアタックが見たい。 1・4ドーム大会が終わると、しばらくして後楽園ホールで週プロ主催のヤングライオンにスポットを当てた興行があるのが恒例だった
その年は、本体の若手だけでなく反選手会から斎藤彰俊も参加した
全試合終了後にセレモニーがあって、彰俊も姿を見せてはいたが「正規軍じゃないから」なのか?リング下にいたままだった
一人の観客が「斎藤ー!お前もリングに入れー!!」と声が飛んで、後押しを受けてリングインすると温かい拍手が沸き起こった
彰俊は反体制のグループにいながら、そういうハートフルな雰囲気を持ってる存在だったな 華は無いけど試合は上手いし平成維震軍の頭目ポジションを与えられたことで目立ってきた
リーダーポジが向いてたんだろうなあ不人気寄せ集めとはいえ。
カブキさんとか青柳館長とか目立つ人が徐々にフェードしていったのも大きい マサ齋藤8人連続ボディースラムとか面白かったけどな >>812
確か、
小原、アキトシ、小林、健悟、越中、後藤、カブキ
の7人だった気が。
柴田「7人投げだ」(棒)
返り討ちを喰らうと、
辻「そうなると、こうなります」 >>816
彰俊のターコイズブルーのパンタロン結構好きだった。 彰俊は昔からたいして見た目が変わってないな
ノア時代は健介と同じくらいマッチョだったよな 「藤波さん!何考えてるんですか?藤波さん!やる気あるんですか?」 「ひらたーてめーこのやろー!なんで長州来ねえんだ、このやろー!!」 越中のいない木村、後藤、斎藤というクソ寒い底辺トリオ相手であっても
両国を沸かせた冬木、邪道、外道は素晴らしいということ 蝶野は越中のことボロクソ言うけど単純に給料が常に自分より多かったむかつきなだけと思う 越中ってプライベートでのファン対応が糞らしいから性格に問題あるんじゃね? >>823
「ミュージシャンで言えば、絶叫したり泣いたりで盛り上げてるだけで、歌のいいとこをしっかり歌え切れていないタイプ」
武藤も含めて越中を評価してないけど、遠回しに長州もディスってるね、これじゃ 子供の時分には気が付かなかったけど90年代末期の健介・越中組って思いっきり長州肝いりだね
正規軍ジリ貧過ぎでしょ そのコンビのベルトが小原後藤に取られたのはどういうことだ >>830
長州のアベノマスク愛用はこれが理由だと俺は勝手に決めつけてる >>825
それは後付けじゃないの越中はヘビー後もスープレックス系とかきっちしりてたし少なくとも試合に関しては蝶野がいちゃもん言えるレベルではなかったかと 越中はヘタクソなイメージはあまり無い
でもやたらドタバタはしていた
越中のフットスタンプを酷評する武藤
でも同じフットスタンプがフィニッシャーのケビンサリバンを絶賛する武藤 90年代の新日本は、スター揃い。この中で埋もれないように、必死な姿はいつも感動した。 >>834
スター揃いの新日の中にいたから泥臭さが際立った気もする 顔がイケメンだと老けて見えるな
越中、永田、安田とかグリーンボーイ時代から40代に見えた 橋本平田対越中小原みたいなので橋本平田がいわゆるプロレス流のじゃなくトップロープからガチの体重かけるフットスタンプやってるのみていろいろあるんだろなとは思った 越中の楽屋コメントで「佐々木は怪我してるし橋本は何やってんだか分からないし藤波はまとめられる能力ないんだから、てか終わってるし」みたいなのあったが藤波のくだりはボンバーズ経験したうえでのシュートなんだろなと当時思った 越中の藤波派から長州派への乗り換えの経緯は気になるな。 長州が突然ブチギレて、テーピングで越中を後ろ手に縛って越中がドタバタのたうち回ってる試合があったのを覚えてる
小学生のいたずらごっこみたいでめちゃくちゃ笑った 「自粛期間中ではありますが、今日もカブキさん!呼んでます!」 維震軍の本で
キムケンがルチャリブレを「あんなクソ」とこき下ろしてんのが意外だった
Jrのチャンピオンにもなったのにね
あと野上が語るJJジャックス
相当仲悪いなあれはw 動画サイトに蝶野越中の対談あがってたから今更見たけど
「この前小原から連絡もあって違う業界だけど頑張ってるみたいですね」って言ってて
意外とまだつながりあるんだなってビビったわ 動画あげてる人がいて助かるわ。
コバクニ編もあげて欲しい。 木村健悟はメキシコでもイギリスでも評判悪かったんだよな
相手の技を受けずにやりたいことばっかやるからって嫌われてた
海外じゃウケないのに新日のスタイルしか出来ないから幅がなく使い道がない男 そんなヤツでも世界王者にしてくれたメキシコ。
有り難いなあ。
新日はカネックに散々なことしたっつーのに パク・チュー
完全にチョンなのに、都会議員にはなれるんだな 越中はいいキャラしてたもんな
ケンコバが真似するくらい 自宅は東京で
長野に別荘があってちょいちょい行っているのかと思ったら
完全移住してたのか 三沢、川田、小橋、越中の四天王か?
サイズ的に厳しくないか? えっちゅうさんBS12の阪神戦の中継にゲストで出るようだな まだバリバリにWARと抗争している時期に撮ったと思われる越中と天龍の単独インタビュー動画アップされてるが
「天龍」「天龍さん」「長州」「長州さん」
呼び方ぶれぶれで面白い 「コロナ禍ですが、今日はカブキさん、呼んでます!」 越中ってイケメンではなかったが、話し方が格好良かったよな 押されたというよりは
対インディーとして使いたかったんでないの “やっぱり越中は馬場さんの弟子なんだなあ”というエピソードをひとつ。
全日本時代、越中は馬場さんのゴルフバックを持たされたり、
『水戸黄門』を留守録させられたりしてて
“あんなのどこが面白いのかわかんねえよ!”ってよくボヤいてたんだよ。
そんな越中が今では『水戸黄門』を欠かさず見るようになって
そして馬場さん以上にゴルフにハマってるという(笑)。
師匠に反発して出奔した人間が、結局まるっきり同じ趣味に走ってるんだから因果なもんだよねえ オリンピック期間中ですが、今日はカブキさん!呼んでます! >>885
「長州だとか天龍だとか、そんなの関係ないですよ。」 「緊急事態宣言中ですが、今日はカブキさん!呼んでます!」 そもそも、人気が出ることを期待して結成されたユニットじゃなかった気がする
WARとの対抗戦の先行部隊に作られたものでしょう
本来、それをやるべきだったレイジングスタッフじゃインパクト作れなかったし
面目をつぶされた形になったマシンは、ガチで越中と犬猿な関係に見えた WARは人手不足、反対に新日は飽和状態だったからでは? 当時インディとかの方に傾いていたけど誠心会館との抗争は興奮した
失礼ながら程よいヨゴレ感があったからじゃないかな
でも合体したら興味薄れたなぁ だけどあらためてゴールデンカップスとかの試合観るとオモロい 維震軍の本でカブキが
「フロリダで仕事をしていたころ」
「維震軍のメンバーはみな仕事ができる」
「IWAジャパンで仕事をしていた」
といったように、「仕事」という言葉を多用していたのが印象的だった >>903
WWEでは選手なんかにはビジネスと呼ばせていたから それに倣って日本語にしたら仕事になるんじゃね?その辺も含めて俺はアメリカで成功してたと言いたい感じかと 「ガスパーズ退治に、藤波が立ち上がった!」
中継も水曜スペシャル風の頃かな? 初期の少数精鋭感が良かったのに
いつのまにかただの窓際族の寄せ集めになってしまったのが残念 >>183
俺が観に行った時にやったvs馳浩戦の盛り上がりは凄かった。 馳から3つ獲って、橋本とは30分ドローだったかな?初戦は武藤に勝ち? 92年7月札幌。
スキンヘッドで臨んだ蝶野戦。
あのときの越中はカッコよかった
一人で本隊に向かっていって
当時高3だったけど、勇気づけられたな 急に寒くなりましたが、今日はカブキさん!呼んでます! 猪木が第1試合に出た時は、越中、馳、マシンら中堅たちとのシングル戦が
多く組まれた。 >>918
vs越中は猪木が第1試合に出た時はやってない
次のバトルライン闘強導夢開幕戦リージョンプラザ上越ではやったが >>918
第1試合で当たった日本人は、マシン、馳、後藤、高野、鈴木、藤原。
越中はいなかった。
それ以外は、外人(アバランチャ、ロン・スター、オートンJr、ペレス) レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。