越中詩郎と平成維震軍って素人から見ても集客力ないのになぜ会社に押されてたの?
レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。
えっちゅうさんBS12の阪神戦の中継にゲストで出るようだな まだバリバリにWARと抗争している時期に撮ったと思われる越中と天龍の単独インタビュー動画アップされてるが
「天龍」「天龍さん」「長州」「長州さん」
呼び方ぶれぶれで面白い 「コロナ禍ですが、今日はカブキさん、呼んでます!」 越中ってイケメンではなかったが、話し方が格好良かったよな 押されたというよりは
対インディーとして使いたかったんでないの “やっぱり越中は馬場さんの弟子なんだなあ”というエピソードをひとつ。
全日本時代、越中は馬場さんのゴルフバックを持たされたり、
『水戸黄門』を留守録させられたりしてて
“あんなのどこが面白いのかわかんねえよ!”ってよくボヤいてたんだよ。
そんな越中が今では『水戸黄門』を欠かさず見るようになって
そして馬場さん以上にゴルフにハマってるという(笑)。
師匠に反発して出奔した人間が、結局まるっきり同じ趣味に走ってるんだから因果なもんだよねえ オリンピック期間中ですが、今日はカブキさん!呼んでます! >>885
「長州だとか天龍だとか、そんなの関係ないですよ。」 「緊急事態宣言中ですが、今日はカブキさん!呼んでます!」 そもそも、人気が出ることを期待して結成されたユニットじゃなかった気がする
WARとの対抗戦の先行部隊に作られたものでしょう
本来、それをやるべきだったレイジングスタッフじゃインパクト作れなかったし
面目をつぶされた形になったマシンは、ガチで越中と犬猿な関係に見えた WARは人手不足、反対に新日は飽和状態だったからでは? 当時インディとかの方に傾いていたけど誠心会館との抗争は興奮した
失礼ながら程よいヨゴレ感があったからじゃないかな
でも合体したら興味薄れたなぁ だけどあらためてゴールデンカップスとかの試合観るとオモロい 維震軍の本でカブキが
「フロリダで仕事をしていたころ」
「維震軍のメンバーはみな仕事ができる」
「IWAジャパンで仕事をしていた」
といったように、「仕事」という言葉を多用していたのが印象的だった >>903
WWEでは選手なんかにはビジネスと呼ばせていたから それに倣って日本語にしたら仕事になるんじゃね?その辺も含めて俺はアメリカで成功してたと言いたい感じかと 「ガスパーズ退治に、藤波が立ち上がった!」
中継も水曜スペシャル風の頃かな? 初期の少数精鋭感が良かったのに
いつのまにかただの窓際族の寄せ集めになってしまったのが残念 >>183
俺が観に行った時にやったvs馳浩戦の盛り上がりは凄かった。 馳から3つ獲って、橋本とは30分ドローだったかな?初戦は武藤に勝ち? 92年7月札幌。
スキンヘッドで臨んだ蝶野戦。
あのときの越中はカッコよかった
一人で本隊に向かっていって
当時高3だったけど、勇気づけられたな 急に寒くなりましたが、今日はカブキさん!呼んでます! 猪木が第1試合に出た時は、越中、馳、マシンら中堅たちとのシングル戦が
多く組まれた。 >>918
vs越中は猪木が第1試合に出た時はやってない
次のバトルライン闘強導夢開幕戦リージョンプラザ上越ではやったが >>918
第1試合で当たった日本人は、マシン、馳、後藤、高野、鈴木、藤原。
越中はいなかった。
それ以外は、外人(アバランチャ、ロン・スター、オートンJr、ペレス) レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。