【ドラゴン体操】昭和の新日本プロレス12【らしくもないぜ】
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>>741
健吾がジャパンに行ってたら稲妻、雪崩式、パイルドライバー、バックドロップ、丸め込みと技があり、
カーンに次ぐ長身で受けも上手いから長州&健吾、カーン&健吾でインタータッグだろ。
>>744
練習しないなら藤原だって新弟子相手のイージーなスパーだけで筋トレもやらない。
荒川「ナマクラ長州はスクワットやって多摩川走りに行くと言って生田の専修大に行って
足マッサージさせてタクシーで帰っててくる」
三銃士、SWSでの全日組は道場に来ないなどナマクラはたくさんいた。 >>745
後藤は猪木と水谷が作った寛水流空手からの新日入団じゃなかった? 後藤は何もかもダメだった。全部。
ストロングマシン3号としてやってても、マシン軍団の足を引っ張っていただろう。 魁勝司は新日のレジェンドだが、健吾とゴタツは論外だからね。
90年に全日の大量離脱があった時に全日にタダであげるべきだった。
テレ朝との契約問題があってそれが出来なかったのが残念すぎる。 キムケンに関してはタイガーブーム以前から見てた人間と見てなかった人間で
印象が変わるな
80年の後半は藤波との抗争で実際の格・序列はともかく印象としてはパンチ時代の
かませ長州はおろか坂口すら上回る存在感を示していたが
翌年春、まさにタイガーでデビューしたその日に行われた藤波とのIWGP予選で抗争
に決着がついたと同時にプッシュが終了した
剛ほど出なくても、藤波ありきの存在感だったんだな 新日の放送が始まった73年頃は、まだ若手の木戸がよくテレビマッチに出てた
気がする。期待のレスラーでこれからプッシュされるんだろうと思っていた。
あと柴田の親父も猪木とコンビ組んでたような記憶がある。
健吾はなかなかテレビに出させてもらえなかったなー >>751
キムケンを巻頭にするためにはどんな切り口の特集にすれば良いのか そう言えば初めて生で見た新日の興行、第一試合が高野対斉藤(ヒロ)、
第二試合が藤原対前田だったのは鮮烈に焼い付いてるんだが、
キムケンの試合は全然思い出せない >>754
藤波vs健吾「ウサギとカメ一生戦争」
現役withラー油売りvs議員 お宝映像1978/4/27、海外遠征直前スポーツ刈りの健吾が猪木とタッグ結成。
健吾が負け役にならず、レフェリーを場外に投げ捨ててる。
https://www.youtube.com/watch?v=VTeDvfVcStk >>745
仙台の時かな。
試合中に藤原が竹刀を持ってリングにあがり後藤の背中を叩いていた。 結局ね、新日は83〜84年に掛けてこんだけ大量離脱してる。
佐山タイガーマスク、前田、ラッシャー木村、テロリストでブレイクした藤原、
青春エスペランサで売り出し中だった高田、
長州・浜口・谷津・キラーカーン他のジャパン軍・・・
だからキムケンなんぞがTVマッチの準レギュラーになっただけなのよ。
91年の春に坂口がジョージ高野のパライストラと話を着けて
キムケンと後藤達俊は新日との契約更新なしでSWSに引き取って貰うべきだった。
または馬場に頼んで全日に行って鶴田軍に入れて貰って、三沢や川田の噛ませ犬として
使って貰うべきだった。 木村健悟は絶望的な空気の読めなさと打たれ弱さの印象がなぁ。 いつか健吾がやってくれる日が来ると期待している一方で長州藤波なら楽勝の相手に簡単に負けていたので「やっぱ無理かな」とも思ったりもしていた
今にして思えば長州藤波と肩を並べるとこまで上り詰めた健吾なんて想像しても違和感だらけだからこれで妥当だったのかもな
90年代に入ってからの平成維震軍の副将みたいなポジションこそが健吾がお似合いなんだろうな、ていうかあのポジは昭和はあの立ち位置だった健吾にしか務まらない 新日の中で健吾の位置は、テロリスト以降の藤原やUWF帰りの木戸と比べて
どうなの? >>762
不動の「時代を引き寄せようと気を張るが実力が伴わずやっぱダメでした」ポジだな
それでもそういうところが古き良き時代の記憶として印象に残ったわけだから
悪くはないよ 藤波との前哨戦で見せた鉄棒(スパナ?)入りの稲妻は自分の脛の方がダメージ
ありそうだ >>765
あの反乱は何だったんだろうな…数ヶ月後には普通に藤波のパートナーを献身的に勤めてたし… >>766
健吾は藤波を何かにつけて意識してたな
美声の持ち主でレコードも出してるから『マッチョ・ドラゴン』を聴いて
「あんなの雑音で、歌じゃない」とまで貶してたw 嫉妬だろうなあ
マッチョドラゴンは今でも大人気だからな 昔、安生が「プロレス界の抱かれたくない男ワースト1」に選ばれてたけど、
健吾は《そういうの》さえ名前が全く上がらないウンコみたいなレスラーだよね。後藤達俊も。
後藤はいつ亡くなったの? 84年春の新日正規軍vs維新軍の5対5勝ち抜き戦で健吾を嫌になった新日ファンは多いだろうね。
やたらアピールばっかり多くてダラダラした試合しててさ。
いくら対高田戦直後とはいえ、稲妻うんこラリアートで負けさせられた谷津が気の毒だった。
健吾なんて前田が辞めて坂口が辞退して《繰り上がり》で出させて貰ったくせに
そんなダメダメ健吾に負けさせたんじゃオリンピック・レスリング最重量級代表の
谷津のせっかくの価値が下がるだけなのにね。
あの頃なら谷津vs前田は絶対に見たかったけど、健吾の試合なんか見たい新日ファンなんて
一人でもいたんだろうか? >>749
魁勝司は新日のレジェンドだが、健吾は論外?w
>>759
健吾は79,80年からテレビに出まくってるよ。
今でも駅前で辻立ちしていて握手求められてる。谷津、カーンじゃ無理だな。
>>760
ボコボコにされた後、メシ食って、呑みに行ってカラオケやり、翌日にはまた元気にやられる。
フレアーみたいなタイプだ。 >>772
> 今でも駅前で辻立ちしていて握手求められてる。谷津、カーンじゃ無理だな。
世間的には大した差はないだろうが、レスラーとしての格では
谷津、カーンの方が上だろ。 昔、バラエティ番組でキム健が松本ちえこ(当時のグラドル?)とピンクレディの
ウォンテッドを衣装もまねて唄ってたな・・。 負け役とはいえゴールデンタイムに多く登場したのは健吾兄さんのほうだよな。 ケンゴは自分の役回りをきちんと演じたから偉い。
雑魚のクセに威張り散らした長州にケンゴの爪のアカでも食わせたいよ。 金曜8時。8時半過ぎのCM開け。
「猪木藤波組対外人組」「よし今日は猪木の勝ちだ」
「猪木木村組対外人組」「あーあ負けだ」
これぞプロですよ! 健吾のプロレスを金払って観たいと思ってたファンは一人もいなかったよ キムケン。メインが猪木藤波組と二番手以下の外人組でセミファイナルが坂口木村組対目玉外人なんて時にも良い仕事をしてました。 >>777
若手中堅相手に破竹の勢いで連勝していたマシーンズに健吾まで若手中堅同様に負けないでくれと願っていたのに
若松介入の混戦で孤立してとはいえ一度だけ合体技の餌食で負けたことがあったよな(パートナーは坂口) ヒットマンブレットハートを降し、NWAインタージュニアを一時戴冠したものの
防衛戦(ロンスター、ピートロバーツら)も大して報道されることなく、3か月でチャボの前に陥落。
リターンマッチも無く、そのままチャボ引き抜きで全日流失と言う不可解な顛末へ。 みんな「ジュニア」6人タッグには触れてさし上げないな でも健吾は前田でも倒せなかったアンドレに反則ながら勝利したんだから凄いよ 昭和の反則決着は単なる不透明決着だからな
「反則でも勝ちは勝ち」となったのは90年代に入ってからだな
不透明決着が激減してキチンと決着をつけるのが基本になった影響なんだろうけど そう言えばアンドレとナガサキ、ポーゴって一度も同じシリーズにならなかった気がするな… ブロディはアンドレに反則負けはあるけど反則勝ちはないだろ。
勝ち負けはやっぱり重要だわ。 キムケンはレスラーとしては引退後の成功者だな。区議会議員だもんな。
たいていレスラーは早死にするか破産するかだから。 谷津VS前田
ケンゴVS前田
シングル実現したことある? けんご対前田は84新春の最終戦
両者フェンスアウト てことは、「新日本プロレスの前田」最後の相手がけんごだったということか。
もしU構想がなかったら前田と藤波のポジションが入れ変わっていたかな。
猪木はいい加減藤波対長州に嫌気さしてたからねぇ。 前田の国内最終戦は大阪府立での猪木・前田・藤原×長州・浜口・谷津
新日本所属最終戦はマニラでの猪木・前田×長州・浜口 試合後のリングで、猪木がタッグパートナーだった前田に張り手を食らわして客前で恥をかかせたのが、
前田が新日脱退してUに行ったきっかけとなった
↑
こういう記事を小さい頃に読んだ記憶があるけど、794の試合後、そんなことがあったの? >>794
それは札幌のメインの時
藤原テロ事件の後でいろいろ不穏な空気だった たしか藤波が猪木とのタッグ拒否してた時期で、前田が毎週猪木のパートナーだった。
それだけに急にいなくなったもんだから不思議だったよ。 猪木って、藤波や長州に比べると、前田には愛情があったように思えるんだよね。
弟分の高田、彼らの兄貴分の藤原にも。猪木が本当に信頼してたのはUに行った
弟子達で、猪木個人が本当にやりたかったプロレスはUのスタイルに近いものだった
と思う。
前田の出世試合のニールセンとの試合もレオンスピンクスなんて、難しい相手を
選んだ時点で、敢えて前田の引き立て役をした感じがする。
けど、前田にはその気持ちが伝わらずに、猪木には反抗的だったから、テレビ界
のコンテンツとしては、とっくに猪木を凌駕してたのに頭を下げて戻ってきた長州
を重宝するようになったんだと思う。 >藤波が猪木とのタッグ拒否
これって、藤波に第二維新軍を作らせて、日本人抗争を多角化させる流れだった? >>799
大阪府立の>>794の試合後に正規軍に戻るからそうでもないだろう
大量離脱がなければ
猪木木村組、藤波前田組、長州谷津組というながれになってたかも 猪木と坂口は、馬場に頭を下げて健吾とゴタツを引き取って貰うべきだった。
「馬場さん、1000万払いますから健吾とゴタツを引き取って下さい。
足りませんか? じゃあ2000万払いますから、そちら(全日本)で引き取って下さい。
ストロングマシン2号とブラックキャットも付けますからセットで引き取って下さい。」 >>788
でもケンゴは長州に思っていたより何度も反則勝ちをしてるし
反則決着が日常茶飯事だった当時、反則負けならチームのどちらでも良かったから基本負け役は格下の方って法則は無かったんだよね
もっと昔なら3本勝負もあったからな >>789
選挙は出来レースとコネ。狡いやつだよ。 全日で天龍らの大量離脱があったときには三沢が立ち上げって
逆に以前より人気が上がったが、ジャパン勢の大量離脱時に
健吾に当時の三沢のような働きを期待することは無理だったのか?
>>790
前田VS谷津は84年新春黄金の2つ目の後楽園で実現
(テレビマッチだったが放送はされず)。 >>795
あれは猪木の
「グダグダ言ってねえで、俺の命令通り新間の団体に出向しろ!」
というカツ入れだろう >>803
今年、健吾の長男が、健吾妻が6期24年やった地盤のある目黒区議選に世襲で出て
最下位当選が1520票なのに454票と惨敗だったのはコネか?
健吾長男は以前大田区から都議選、区議選に出ても惨敗だった。
健吾嫁も目黒区議24年もやって副議長までやったのに4年前に惨敗落選した。
出来レースとコネだなw Eddy Grant ♪Boys In The Street (『マッチョ・ドラゴン』の元歌)
なんで藤波はロック調じゃなくて、レゲエ調にしたのか? あれをバックに入場する勇気は大したものだが、85年9月の猪木戦は『ドラゴンスープレックス』で入場して欲しかった
(歌詞入りでの入場はないよな) >>808
健吾一家って、まさに地方議員という地位への寄生虫だね。
夫(健吾)が国民的ヒーロー・アントニオ猪木の部下としてゴールデンタイムのTVマッチに
バンバン登場する。
※ 登場の理由は、選手の大量離脱で“繰り上げ補欠当選”の゛さらに繰り上げ補欠当然”の
“さらにさらに繰り上げ補欠ムリヤリ当選”で、“本来は、その立場ではない、ずっと下にいるはずの者”が
猪木の忠実な部下という形で出る機会を得ていたから。
で、健吾の妻は「そんな夫を献身的に支える、当時の女性有権者にウケまくる“妻として、母として”ってのを
都議選未満の丁度手頃な地方選挙で使いまくって当選、「有名人の妻特権知名度」で何期も遣い続けて居座る。
んで、今度は「その、支えられた夫」の立場から逆七光りで、同じく手頃な区議会当選をする。
でも息子は、その「支え合う夫婦」の当事者ではないから主婦層の支持を得られず落ちた。
健吾一家ずぅるぅ〜い! 汚な〜い!
健吾はバカ息子をちゃんと就職させろ! 個人的に健吾のベストバウト
85年12月12日IWGPタッグリーグ決勝戦
猪木・坂口vs藤波・木村
その前の両国大会もよかった。 >>781
> ヒットマンブレットハートを降し、NWAインタージュニアを一時戴冠したものの
当時はNWA世界ジュニアヘビー級インターナショナル王座という名称で
NWA世界ジュニアがレロイ・マクガークの独占状態だったので
それよりも権威が高いという位置づけで作られたものだから
健吾は凄い期待されてたんだな。
レス・ソントンの個人所有になってたNWA世界ジュニアを取った初代タイガーより
凄いことだったかもしれない。 蝶野「木村さんはタイミングがおかしいのでよく怪我させられた。平成維新軍でちゃんとプロレスできたのはカブキさんだけ」 NWAが認定した世界タイトルはヘビー級、ジュニアヘビー級、ライトヘビー級の3タイトルのみ。
馬場、藤波、蝶野、ムタのヘビー級奪取は日本の団体が金を払って短期間借りたもの。
Jr.もヒロ・マツダ以外は日本の団体が金を払って得たもの。
健吾のライトヘビー級獲得は日本の団体が関わらずに実力で得たものでもっと評価が高くていいはず。 鶴見五郎も戴冠したっけ? NWA世界ライト。佐山はミドル級か。
70年代Hレイス型?NWAベルト姿はりりしいな。。まあもともとメキシコ製だし。
でも皮肉と言うか、最もNWAとつながりのあった全日は馬場こそヘビー戴冠の栄誉を授かったが
ジュニア以下はインターはともかく、その正式王座には縁が無かった。。 >>820
NWAはヘビー級以外はどうでもいいんだよ。
だからジュニアはマクガークの独占状態になったし
マクガーク死後はソントンの個人所有になった。
世界タッグなんか各地にあった。
ライトヘビー級もメキシコで勝手にやっていいよ状態だったんだろ。
ジュニアも初代タイガーの王座と大仁田の王座どっちが本当の世界王座だ?
ってなったときも日本で好きなようにやってくれが本音だっただろう。 >>820
鶴見「試合前に計量しないで、試合後に控室で『ウェイトオーバーだよ』ってそれは無いんじゃないの(笑)」
ライトヘビーは97キロがリミットだって鶴見も知っていたから、本人も確信犯的な所があって
鶴見「どーせ剥奪されるんだから写真だけでも撮ってもらって幻の王者になりましたよ」
本場メキシコでドクトル・ワグナーに反則無しで勝ったんだから大したもんだな >>816
ケンゴの悪口書くつもりはないけれど
テリトリーを離れる時は、タイトル落としてきたの?
長州や鶴田がベルト離したのと一緒ではないの? >>812
それも、途中からのではなくて、最初からので。最初のメロディーがかっこいいんだよな。途中から楽しげなメロディーに変わっちゃうw NWA世界ジュニアはややこしい
当時ネルソンロイヤルの王座は無効だと、会員の全日本と新日本がクレーム
入れてたねえ
スティーブカーンとロンスターの二人の王者が誕生して
結局、世界とインターどっちが正当な認定王者なのか…?
藤波がSカーンと世界ジュニア戦やってた記憶はあるんだけど‥ 日本の団体のサポートなく海外で獲得したメジャータイトルは価値がある。
昔はテリトリー制だからミズーリヘビー、南部ヘビーなどの地区タイトル獲得も価値がある。
マツダのNWA世界Jr.ヘビー、南部ヘビー、マサ斎藤のAWA世界タッグ、WWFタッグ、アメリカスタッグ、
健吾のNWA世界ライトヘビー級、アメリカスタッグ、戸口のUWA世界ヘビー、グラン浜田のUWA4階級制覇・・・
ムタのNWA世界TVタイトルは世界、USの下の3番手だが、メジャーなので価値はある。 グレート小鹿もテネシー地区NWA世界タッグ、ロスのアメリカスヘビー、
カンフーリー時代はテキサス版NWAウエスタン取ってる。 >>819
お前は猿だ。
>健吾のライトヘビー級獲得は日本の団体が関わらずに実力で得たもので
健吾に実力なんかない。
蝶野「木村さんはタイミングがおかしいのでよく怪我させられた。」
これがすべてだ。
メキシコで健吾がタイトルを取れたのは、健吾のゴマスリの賜物と
健吾が新日本から来てたからだ。
今、Youtubeに上がってる船木の動画で、船木が19才の若手時代にイギリスに遠征してたら
外人レスラー達が次から次へと「新日本に呼んでくれ、呼んでくれ、推薦してくれ!」という
アプローチがバンバン来たと言ってる。
19才の小僧だろうが、「新日本から来てる」って事で、「特別な存在」なんだよ!
健吾で客なんか呼べるかっ(怒)(怒)(怒)(怒) 建吾って向こうの人なの?
wiki見ると「パク・チュー」なんて名乗ってたこともあるようだけど
言われてみればそんな顔つきだし、骨格も日本人離れしてる気はするが 朱聖裔⇒木村聖裔⇒木村たかし⇒パク・チュー⇒木村健吾⇒木村健悟
(パク・チューの位置が?) >>833
健吾「パク・チューって変な名前。パクもチューも苗字だから、日本名だとタナカ・イトーみたいなリングネーム」 >>830
おまえなあ、わからねえのかよ、だぼっ。
きむらけんご、ちょうしゅう、こばやし、ほしの、かねもと
みんなそうだろうがよ、このくずっ。 ドクトル・ルチャの話だとパク・チューとマサノブ・クリスは素晴らしいヒールだったらしいが あれは84年ごろだったかな?
健吾が藤波とのコンビでタッグ王者になった頃かな?
所詮はUWF組やジャパン軍の大量離脱でダメダメ健吾に
藤波のパートナーの席が“繰り上げの更に繰り上げ”で廻って来ただけなのに
藤波とお揃いの紫とシルバーのシブがき隊みたいなジャンパーを会社に作ってもらって
藤波の胸にF、健吾の胸にKなんて入っててさ、健吾は自分が藤波と同格くらいに
思っちゃったんじゃないの?
フッくんがモッくんと同格になれる訳ないのにね。。。 めきしこじたいのきむらけんごはだいひーる。
あのしんをうわまわるだいひーるだったらしい。
なんかのきじにそうかいてあった。
それはさすがにおおげさだろうが。 健吾なんて、アイドルで言えばフッくん(布川)やヨッちゃん(野村義男)と同じで
べつにいなくてもいい存在だったよね。 他局(TBS)でやってた人気ドラマ「毎度お騒がせします」でも
小鉄と藤波と武藤がレギュラーで、健吾なんて出て来なかったよね。 キムケンの付き人になった奴は
後にキムケンより出世するという 86年タッグリーグの木村健吾、ジョージ高野組が好きだった…前田、木戸組から金星上げてたな… 健吾なんて全日本に言ってたら海外に島流しにされて
そのまま呼び戻されなかったろうね。。。 1975年前後、1回しか来日しなかった大物レスラーが多かった。
ジョニー・バレンタイン、ザ・シーク、アーニー・ラッド、BキャットライトそしてBロビンソン
猪木ときちんと決着つけて欲しかった。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています