全日・超世代軍(90〜92)を今さら語ってみるスレ
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超世代軍
ハンセン、カーニバル連覇
殺人魚雷、最強タッグ連覇
ジャンボの勝ち 札幌と宮城は首都圏の客からみても羨ましい時があった パトリ、イーグル、カンナムは
もっと評価されていい カンナムは88年ぐらいまでの馬場の価値観だったら
あそこまでブレイクしてなかったと思う >>43
94年最強タッグの盛り上がりぶりも凄い
前年からのハンセン・馬場vs三沢・小橋で自分的にはあれがベストバウト >>004
92スーパーパワーシリーズとサマーアクションシリーズは満員マークが続出したらしいけど他のシリーズも盛況だっただろうね。
93年5月から始まった四天王プロレスは激しくても俺は好きじゃない。危険な技を耐え合うだけで選手寿命を縮めただけ。 横浜文体は80年のブッチャー・テリーのUN戦が記録的な大入りで以後重要な拠点に 92年7月後楽園で三沢が肩を脱迫して片手を吊ったまま試合したことあったな… >>51
チャンカンは意外と取りこぼしたところが多かった。 >>54
マスターブラスターとデビッドアイズリーがいけなかったのかな… 四天王は90年代半ばまでだなあ
それ以降はテンポ悪すぎ ここの住人は三沢小橋はナシだろうな
三沢川田くらいまでならすげえだろうが >>48
四天王スレでもカンナムは評価されている。
あと、ジョニースミスも >>57
三沢vs田上は時代が変わっても楽しめた。 >>58
サブミッションを売りにし始めたり、武道館の秋山&馳vsスミス&人生。それ以前のスミスも今の時代なら評価されたと思う。
ジョバーは絶対に必要。マッチメーカーにとって使い勝手の良いスミスは現代なら高く評価されたんじゃないか。
強さを競うだけがプロレスではない。「ムーブメントの仕事師」なんてあだ名をつけられたが、スミスは別の意味の仕事ができる選手。 >>18
鶴田の三冠王座転落は1月ね。
鶴田vsハンセン最後のシングル対決であり
初めてラリアットで決着がついた試合でもあった。 この頃の全日本人気は、
トップ同士が当たってもしっかり決着を付ける様になったのも大きな要因だと思う。
団体創設〜長州やウォリアーズの頃迄は、
トップ同士の試合だと両リン・反則・ノーコンテストばかりで本当に客を馬鹿にしてたからな。 >>57
一応は鶴田最後の武道館メインでの世界タッグかな
小橋にとっては初の武道館メインでもあるし 第1試合で黒パン黒レガースの北原がキャプチュードで菊池に勝利 鼻骨骨折しながら試合に出た三沢
この試合菊池の方が悲惨なほどボコボコにされてるな
ジャンボキックとジャンボラリアットやばすぎた
そしてナンチャンはスパイビーに無視される >>62
三冠統一戦も統一するまで何ヶ月もかかったよね。あれはファンを舐めてるよ。両リンとかレフェリー暴行の反則裁定とか酷かったね。 どちらにも傷を付けたくない試合も多かったんだろうけどね。
あまりにも多かったのは確かだ。
最後に全日でリングアウト決着だったのは91年4月の●川田vs田上○だったかね。
両者リングアウトだと90年のハンセン&スパイビーvsブッチャー&キマラUだったような。 ハンセン スパイビー ディートン vs ゴディ ウイリアムス スリンガー の六人タッグ大好き! 92年からスパイビーの代わりにエースになるけど殺人魚雷絡みだとちょっと非力だったな >>67
92チャンピオンカーニバルで渕がキマラ2にリングアウト勝ちだったような気がする。 >>60
パトリオットは初参戦のときは、スミスと組んでいたんだよな。
次期シリーズはビーチ
そのあと小橋
暮れの最強タッグでイーグル。
個人的には、スミスとのタッグ好きだったな。
仙台での対三沢&川田とかここの人たち絶賛するような試合だったし。
残念なのは、直前に福沢アナウンサー絶賛のアジアタッグがあり、直後に鶴田がピンをとられた6人タッグがあって、忘れ去られているけど。
アジアタッグは、動画上がっているけど、三沢&川田vsパトリオット&スミスって動画上がって無いよね。 >>57
93のチャンピオンカーニバルの三沢vs小橋なら無問題
93チャンピオンカーニバル大阪
三沢vs小橋
川田vs田上
ゴディvsウィリアムス
すげえな。 >>72
ただこの大阪大会満員とならなかったんだよね。月曜開催にUインター、全女との連戦だったので。 当時の三沢小橋のシングルはまだ黄金カードじゃなかったもんな 92ジャイアントS、最強タッグ、93新春ジャイアントS、1シリーズ空いてチャンピオンカーニバル
半年で大阪府立4回はやりすぎだろ
田上vs小橋なんてガラガラだった 全日・大阪府立
90年11月 6200人(超満員)
91年 4月 6400人(超満員)
91年11月 6400人(超満員)
92年 1月 6250人(超満員)
92年 4月 6400人(超満員)
92年10月 5500人(満員)
92年12月 5150人(満員) >>75
93年1月26日 4100人()
田上vs小橋 三沢・菊地vs渕・小川 川田vs秋山 >>78
91年4月の三沢vsハンセン、鶴田vs川田の時って凄かったんでしょ?警察から入場を早める要請が3度。パンフ売り切れ。 >>77
つゴディ&ウィリアムスvsハンセン&エース >>73
Uインターはこの頃が絶頂で、全女は交流戦バブルだったからな。
それに対して全日は東京以外では退潮傾向が始まってた。 >>79
この時の鶴田対川田はこのカードのベストバウトだなぁ >>83
確か珍しく鶴田がバックドロップを2発出したんじゃなかったか。体格で劣るのに川田が鶴田によく火をつけたね。 >>27
改行と変換ミスで
右翼団体の小橋
となっててワラタ >>67
田上のリングアウト勝ちは結構熱かったけどね
負け続きの田上が場外マットなしアームボンバーという恐ろしい技で決めたのもよかった >>84
鶴田のパワーボムを返してバックドロップ2連発だったかな。
これがセミでまだメインが残ってるのに満足しちゃうは疲れ果てるはで、やけに印象深い。
川田のテーマ曲もバリバリ伝説のサントラなのも良い。 >>87
天龍がいなくなった後の川田は鶴田やハンセンみたいなでかい選手と当たっても正面からぶつかって、四天王プロレスが始まると三沢、小橋とも何度も激闘を繰り広げて本当に凄い選手。
不器用を装っているけど実際は器用だと思う。 ただでかいだけだった田上とけしかけて抗争して田上を引っ張り上げた川田の功績は大きい。
それでタッグを組むと「俺がサポートに徹した方が良い結果が出る」と自覚して。
我が強いと思われるけど自分は取らずに田上に取らせて川田って賢明な選手だな。田上を活かすことで自分の評価も上げたのでは。
四天王プロレス時代の話ですまん。 >>88
なんだかんだで海外でやってきたのと冬木と組んでたのは大きいと思う。
もちろん本人の資質があってこそだけど。
三沢も結果タイガーになったとしてももう少し海外でやれてたらなぁと感じる。 日本人最強鶴田がスゴすぎた
三沢小橋が全盛期でも鶴田は無理だろ
でも俺は四天王プロが好きだったが 鶴田の拷問技・主な被害者
キッチンシンク→三沢 川田 小橋 (特に川田のイメージ)
膝攻め
場外では鉄柵や本部席の机へのニークラッシャー、
リング内では俯せ状態で片足を持たれ、
その片足の膝裏に鶴田が片足を乗せてのマットへの踏み付け→主に小橋
相手を高々と抱え上げ最高点で一旦静止、
アトミックドロップに行くの?と思いきや、そのまま前方に放り投げ→菊地
(実質2.5Mの高さから放り投げられてる) 91年秋頃のI田の菊地への攻撃はえげつなかった…菊地も何故か坊主頭で新人みたいな雰囲気出してたから余計に可愛がりが酷く見えた >>93
ギロチンスロー(トップロープに喉を打ちつけるやつ)は
主として田上が使っていたんだっけ。
>>97
予定通り小橋&エースvsキッド&Jスミスだったら
結果はどうなっていただろうか。 >>98
キッド&スミスが勝ったと思う。小橋&エースは後にディートン&ブラック相手にベルト落としたくらいだからね。
それを考えたらキッド&スミス戴冠だと思う。 >>100
ギロチンホイップは田上が多用していたな。 >>101
一番最初は鶴田だった様な
むしろ鶴田が開発者かも あと、田植えはブレーンバスターホイップて
面白い技も使ってたな >>99
そしてカンナムに陥落
実はアジアタッグで初の外人対決 >>104
91年4月、後楽園のカンナムvsキッド&スミスを皮切りに外国人同士のアジアタッグ戦が多かったね。
7月、横須賀でカンナムvsファンタ。
松戸でディートン&ブラックvsカンナム。
9月、武道館でカンナムvsブラックハーツ。
10月、盛岡でカンナムvsディートン&ブラック。
92年3月、平塚でカンナムvsステイトポリス。
5月、後楽園でカンナムvsフルトン兄弟。
こんなにあったんだね。後にカンナムvsパトリ&イーグルもアジアタッグを巡るライバル同士だったね。 89年にあったカンナム対キッドDBスミスの五番勝負から外人タッグ屋対決も
一つの定番になったね(マレンコ兄弟対ブルドッグスが嚆矢だが)
ファーナスが馬場に企画書を提出したのが実現のきっかけと聞いてファーナスの
見た目に反したインテリぶりに驚いた テレビ局からの放映料も大きかったのか外国人もたくさん来たよね。マレンコとかファンタとかヤングブラッズとか。
ステイトポリス、ブラックハーツみたいなキャラが濃いタッグチームもね。それはそれで面白かった。 SWS騒動でレスラー減った時もマークスカルパとかレンジャーロスとかの
イロモノ系外国人選手がさり気なく穴を埋めてたよな 91年最強タッグ、うちの地元まさかの三沢欠場でどえらくガッカリしたけどまさかの馬場さんフォール負けが見れた。 三沢が川田に殴られて、最強タッグ欠場したのっていつの話だっけ? >>110
91年だよ。
当日は三沢の分も川田が頑張ってくれてる…と感動したもんだが実際は…… >>105
横須賀では外人同士、武道館では日本人同士の世界タッグ戦もやってたんだよな >>95
カンナムの二人も菊地をかなりオモチャにしてたな
クロファットのコブラクラッチ揺さぶりとか、ファーナスのコの字逆エビやリフトアップから場外投げ捨てとか
特に、菊地が前方回転エビに行こうとする所を重力に逆らうかのように自分がエビ反りになりつつ菊地を強引に上へ持ち上げて、
それに連動してトップコーナー登って待ち構えていたクロファットがラリアットするアレはなかなか凄かった
ファーナスみたいに力がある選手でないと多分なかなかやれないだろう
ファーナスが大回転ジャーマンを菊地にやった時におそらくそれを始めて見たと思われる馬場がビックリしてたね
確かあの技でスパイビーエース組に勝って一回だけ世界タッグ挑戦したんだよな
その世界タッグでの川田田上との試合も通常よりかなり粘ってて悪くはなかったのだが最初から思い出試合として作られたのだろうなあ
その直後からタイトル戦線あっさり離脱して秋山ら若手たちを格上げする壁ジョバーに戻っちゃったし
もうその頃はWWFやECW行くの決まってたのかな >>107
ファンタはアジア取れなかったのはともかく、ジュニアは渕がずっと持ってた頃は層薄かったからトミーロジャース辺りに一回とらせても面白かったと思うんだかなあ
クロファットなら渕に勝っても納得だとしても体格はジュニアとしてはギリギリで微妙っていう人もいたしさ
トミーなら体も小さいし動きも悪くないと思ったんだけどね、決定的な必殺技がないとか何かが足りなかったか >>109
米子の馬場アンドレvs殺人魚雷かな?
大阪の次の大会は三沢だけでなく川田も欠場になって、馬場さんが喧嘩両成敗的に三沢と川田の2人を欠場にしたのかと思ったけど、小橋&菊地組は公式戦があったから川田のカードが組めなくなって仕方なく川田まで休ませたことに後から気づいたよw >>114
渕の連続防衛は13だっけ?ベルト落とすならジョー・マレンコが適任だったと思うな。
クロファットだとジュニアって感じがしなくてね。 >>115
そうそれ。地元ながらなんであんな田舎でこのカード組んだんだろ?て思った。
川田もその後休んだっけ? >>117
川田も足の状態が思わしくないという理由で1試合欠場。次の大会では小橋&菊地の公式戦が無かったため川田&小橋&菊地vs鶴田軍のシックスメン。三沢のみ2大会続けて欠場。 きっとその川田の欠場も、足の怪我は関係ないんだろうね。鶴田が92年に足首の怪我で欠場した時も、実は重篤な内臓疾患だったっていう…。 >>119
夜の虹を架ける 四天王プロレス「リングに捧げた過剰な純真」 に書いてる
まあ下らん理由だ
川田は辞めるつもりで東京に帰ったらしい その頃ってフィニッシャーじゃない意外な決まり手結構多くなかった?SDDのダブルタックルとか >>120
そう>>115に書いたけど川田にシングルマッチやらせるわけにもいかない、妥当な相手もいないからたぶん「カード組めないからお前も休めよ」程度で欠場にしたのだと思う。 馬場アンドレ対殺人魚雷と言えば、馬場のランニングネックブリーカーであの時のゴディが寝た事に驚いたわw
解説してた竹内さんも、まさかって驚きながら「入りましたよ!」って感じだったからなあw >>122
すぐに思い出せるのは91年7月の横須賀の世界タッグかな。ゴディがスパイビーに後方回転足折り固めもどきのやつ。
パワーボムでいいのにね。何であんな見栄えの悪いフィニッシュにしたんだろ。 鶴田がランニングネックブリーカーでハンセンから勝った三冠戦もあった >>126
鶴田がハンセンに勝った試合では一番まともな部類のフィニッシュだったような。
フォール勝ちでも丸め込みとかが多かったからね。
結局バックドロップで勝ったことは一度もないまま終わった。 >>127
格を落とさないようにするか、純粋にバックドロップがお互いに無理があったのか、どっちだろね >>128
ハンセンがジャーマンを食らったのは一度も見たことがない。BDも同様では。 菊地はやられっぷりで光ってしまったので浅子が使われ出したら陰が薄くなっていってしまったね… >>128
格落とさないと言えば、最強タッグ優勝戦の殺人魚雷vsハンセンスパイビーで
最後明らかに時間切れ引き分けのゴングが先に鳴ってるのにジョー樋口のあのクッソ遅いカウントで
ハンセンがウイリアムスにフォール負けにされたのはなんか露骨だったなあw
ってか、殺人魚雷を優勝させるなら普通にスパイビーが寝ればいいのにどうしてあんな風にしてまでハンセンが寝たんだろ、意外性を狙ったのか >>134
90年ウイリアムスはハンセンにシングルで2連敗だからな
ハンセンvsゴディは1勝1敗だがゴディが勝ったときはウィリアムスがプチ介入
タッグながら最後に勝たせてハンセン≧ゴディ≧ウィリアムス的なバランスを取ったんだろうな まあ試合後の乱闘は全日ではシン辺りが来日しなくなった後はほとんどやる選手居なかったし(ブッチャーすらベビー気味になってたし)、ほとんどハンセンによる風物詩のようなもんだった感w
この回の三沢小橋vsハンセンエースの試合後とか、この頃の全日にしては珍しく他の外人選手たちも含めてみんな止めに入って珍しい光景だったね
(この前の試合で川田とかなりいい試合してグロッキーになってたクロファット以外はみんな乱入してるね)
ttps://youtu.be/bTYXQGyK1v8
小橋が格落とさないようにハンセンがラリアットしてフォールだけエースがするっていうなんともなブックだったせいもあるかな
新日ではこういうの日常茶飯事なのに、全日ではハンセンくらいしかやらなかったしw
まあ多分馬場がこういうのあんまり許可しなかったんだろうけど >>135
なるほど、そのバランスのためにそうする必要があったんだね 時期はズレるが
武道館の小橋vs医師は凄まじかったな
でも、断崖技もないし
危険技は最後の殺人バックドロップだけかと
大好きな試合だわ >>139
81年MSGタッグでハンセンは藤波のバックドロップを食らった
雑誌に『藤波のバックドロップがハンセンに決まる』
『今の藤波は正に猪木二世』
これを覚えてる
あと猪木もハンセンにバックドロップを何度も決めたはず お前ら記憶力良すぎだろw
その頃ビデオ録画して当時は熱心に繰り返し見てたはずだけど、ほとんど覚えてないわ・・ 鶴田とハンセンのシングルってお互いに気を使ってるような遠慮しあってるようななんともユルい感じの凡戦ばかりな印象
鶴田対ブロディとかハンセン対天龍は面白かったのにね 人生の先輩ばかりだなwこのスレ。記憶を共有できて嬉しいよ。
三冠戦のフィニッシュがDDTなのは斬新。90年6月の鶴田vsゴディ。 憶えている人いるかな?90年サマーアクションシリーズ開幕戦、大宮の鶴田&谷津vs三沢&川田の試合後。
エプロンに手を着く三沢の背中に客席から椅子が投げられて、百田が気づいてそっちの方向に行く。三沢は無反応。
投げられたのはもちろん鶴田でも谷津でもセコンドでもなさそう。あれは何だったのか未だに不明。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています