全日・超世代軍(90〜92)を今さら語ってみるスレ
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超世代軍
ハンセン、カーニバル連覇
殺人魚雷、最強タッグ連覇
ジャンボの勝ち 四天王時代とちがって垂直落下技が少ないね
三沢も川田も小橋も打撃技のが使ってた印象 三沢のタイガードライバー、フェイスロック。
川田のパワーボム、ストレッチプラム。
田上のアームボンバーから高角度喉輪落とし。
小橋のムーンサルトプレス。
ハンセンのラリアット。
ゴディのパワーボム。
ウィリアムスのオクラホマスタンピート。
スパイビーのスパイビースパイク。
これくらいの技がフィニッシュの時が一番よかった。
鶴田のバックドロップは垂直落下に近いけど、しっかりコントロールしてて安心感があった。 たしか、全日の歴史上、一番利益があがったのでは?? あと、エースとパトリ、カンナム、キマラと
面白いガイジンも多いね
ブッチャーもいい味出してた あの時代は上が充実してて鉄板だったから観客も心にゆとりみたいなのがあって
あからさまにダメなハズレ外人選手も楽しめた、いい時代だったよね 鶴田→小橋と受け継がれた未来のエース級の若手が履く星パンツを
井上雅央が着用してるのを初めて見た時の絶望感 前座で鶴見とか大熊に負けてた頃に履いてた記憶があるんだが違ったかな?あやふやですいません >>13
記憶だともう少し髪が伸びてたのでこの後の時期、88末から89の中くらい >>13
このテロップだと、一瞬この試合が世界Jr王座戦のように錯覚してしまう この期間は、まだ鶴田時代だったなぁ
92年の8月、三沢が三冠初戴冠だったのか! 92年は鶴田の王座転落(8月)、
以降、欠場が続き、トップから外れる
対照的に9月に新星・秋山がデビューしたんだな。
暮れの最強タッグは、欠場した鶴田の代役を
務めた。 鶴田の転落は92年1月。挑戦者が一巡してしまったから仕方ない。
ハンセンに再び超世代を挑戦させたかったのだろう。鶴田はタッグの王者ということにした。 92年はなんといっても創立20周年記念の武道館、セミの記念試合は至高 あの流れがあっての最強タッグ。鶴田欠場は本当がっかり、残念だった。
最終戦のメインが鶴田組vs三沢組だったから、順番でいうと鶴田組の優勝だったと思う。
鶴田自身本当残念だったと思う。 あんだけショボかった田上が秋山連れて最強タッグの試合を消化していく姿は一転して非常に頼もしかった
ある時期からは先輩の下じゃなくて後輩を連れた方が成長するんだろうね やっぱおまえら四天王時代より超世代時代のが
好きなんやな >>22
あのシリーズの田上は頼もしかった。田上も優勝したかったろうな。 優勝決定の三沢川田vs田上秋山の試合で解説の馬場が終始田上を褒めてたな
構えが違う、表情が違う、三沢の切り返し技をさらに切り返しての膝攻撃で
「今の攻めなんかは素晴らしいですよね」と >>23好き嫌いは別に鶴田っていうどでかい壁があったしね
地味でJr.ながら実力派の渕
いまいちながら片鱗は見えてきた、未完の大器の田上
の正規軍
最強過ぎる世界トップレスラー、ハンセン
荒々しいがでかくて強いスパイビー
アンコ型なのに動けて上手い万能選手ゴディ
下手くそだけどとにかく強いウィリアムス
達強豪外国人レスラー
そこに挑むは覆面時代の器用貧乏から脱却しデカイ相手にも真っ向勝負できる強さを身につけた新エースの三沢
サイズのハンデを気迫でカバー、激しい打撃の川田
経験の無さを気迫と努力で乗り越える、次のエース候補最右翼団体の小橋
玉砕覚悟の零戦ファイト、Jr.の未来を背負った菊地
の超世代軍
こんなんプロレス知らないボンクラ中高生がみたら夢中になるがな 壁役としては鶴田は最高だね。
大量離脱のとき「鶴田がいるから大丈夫だろ」
って根拠もなく思ってた。 後に渕は言ってたな
「今の連中には鶴田さんもハンセンもいない」「その意味でも三沢たちは幸運だった」
そして鶴田もまた彼らの壁役としてようやく確固たる位置を確立したって感じで 当時3軍対抗戦としてハンセン軍が
登場したけどハンセン、エース、ブラック、ディートンと
明らかに他の軍団とのパワーバランスを考えて
その場しのぎで作ったんだよな >>25
後のハンセンとの時も含めてレギュラーの鶴田や川田との時よりも良かった感じの田上 92年はシングルでやっと三沢がハンセン、川田がスパイビーに勝ったんだよな
93年からは外国人四強がシングルでフォール負けが多くなっていった 地方でも超満員だったらしいね
試合内容も素晴らしかった
札幌、小橋vsゴディ
金沢、三沢川田vs殺人魚雷 大阪名古屋より札幌で結構いいカードが実現してた記憶がある このあたりから仙台(宮城県スポ)も客が入るようになった。
80年代は西日本の大会場同様入ってなかったが。 この時代の中継が面白かったよな
オープニングとメインの合間のプロレスニュース枠でやるアジアタッグのダイジェストとか次期シリーズの参加外国人選手紹介とか >>37
1992年5月仙台大会の盛り上がりは凄い ハンセンvsゴディ ウイリアムス絡みの六人タッグが大好き! 全日は北海道、東北、北陸がドル箱だったな
大阪はやっぱ新日のテリトリーてかんじ >>41
東北だけどうちの県は新日熱が高いらしい。
全日はこの時期だけは超満員だったけど、
97年や98年ぐらいになると92年の半分以下の入りだったなぁ。 >>39
現地観戦したが、あの大会は凄かった
カンナムvs小橋&菊地のアジアタッグ
三沢&川田vsパトリオット&スミス
鶴田&田上&小川vsゴディ&ウィリアムス&すりんがわ 札幌と宮城は首都圏の客からみても羨ましい時があった パトリ、イーグル、カンナムは
もっと評価されていい カンナムは88年ぐらいまでの馬場の価値観だったら
あそこまでブレイクしてなかったと思う >>43
94年最強タッグの盛り上がりぶりも凄い
前年からのハンセン・馬場vs三沢・小橋で自分的にはあれがベストバウト >>004
92スーパーパワーシリーズとサマーアクションシリーズは満員マークが続出したらしいけど他のシリーズも盛況だっただろうね。
93年5月から始まった四天王プロレスは激しくても俺は好きじゃない。危険な技を耐え合うだけで選手寿命を縮めただけ。 横浜文体は80年のブッチャー・テリーのUN戦が記録的な大入りで以後重要な拠点に 92年7月後楽園で三沢が肩を脱迫して片手を吊ったまま試合したことあったな… >>51
チャンカンは意外と取りこぼしたところが多かった。 >>54
マスターブラスターとデビッドアイズリーがいけなかったのかな… 四天王は90年代半ばまでだなあ
それ以降はテンポ悪すぎ ここの住人は三沢小橋はナシだろうな
三沢川田くらいまでならすげえだろうが >>48
四天王スレでもカンナムは評価されている。
あと、ジョニースミスも >>57
三沢vs田上は時代が変わっても楽しめた。 >>58
サブミッションを売りにし始めたり、武道館の秋山&馳vsスミス&人生。それ以前のスミスも今の時代なら評価されたと思う。
ジョバーは絶対に必要。マッチメーカーにとって使い勝手の良いスミスは現代なら高く評価されたんじゃないか。
強さを競うだけがプロレスではない。「ムーブメントの仕事師」なんてあだ名をつけられたが、スミスは別の意味の仕事ができる選手。 >>18
鶴田の三冠王座転落は1月ね。
鶴田vsハンセン最後のシングル対決であり
初めてラリアットで決着がついた試合でもあった。 この頃の全日本人気は、
トップ同士が当たってもしっかり決着を付ける様になったのも大きな要因だと思う。
団体創設〜長州やウォリアーズの頃迄は、
トップ同士の試合だと両リン・反則・ノーコンテストばかりで本当に客を馬鹿にしてたからな。 >>57
一応は鶴田最後の武道館メインでの世界タッグかな
小橋にとっては初の武道館メインでもあるし 第1試合で黒パン黒レガースの北原がキャプチュードで菊池に勝利 鼻骨骨折しながら試合に出た三沢
この試合菊池の方が悲惨なほどボコボコにされてるな
ジャンボキックとジャンボラリアットやばすぎた
そしてナンチャンはスパイビーに無視される >>62
三冠統一戦も統一するまで何ヶ月もかかったよね。あれはファンを舐めてるよ。両リンとかレフェリー暴行の反則裁定とか酷かったね。 どちらにも傷を付けたくない試合も多かったんだろうけどね。
あまりにも多かったのは確かだ。
最後に全日でリングアウト決着だったのは91年4月の●川田vs田上○だったかね。
両者リングアウトだと90年のハンセン&スパイビーvsブッチャー&キマラUだったような。 ハンセン スパイビー ディートン vs ゴディ ウイリアムス スリンガー の六人タッグ大好き! 92年からスパイビーの代わりにエースになるけど殺人魚雷絡みだとちょっと非力だったな >>67
92チャンピオンカーニバルで渕がキマラ2にリングアウト勝ちだったような気がする。 >>60
パトリオットは初参戦のときは、スミスと組んでいたんだよな。
次期シリーズはビーチ
そのあと小橋
暮れの最強タッグでイーグル。
個人的には、スミスとのタッグ好きだったな。
仙台での対三沢&川田とかここの人たち絶賛するような試合だったし。
残念なのは、直前に福沢アナウンサー絶賛のアジアタッグがあり、直後に鶴田がピンをとられた6人タッグがあって、忘れ去られているけど。
アジアタッグは、動画上がっているけど、三沢&川田vsパトリオット&スミスって動画上がって無いよね。 >>57
93のチャンピオンカーニバルの三沢vs小橋なら無問題
93チャンピオンカーニバル大阪
三沢vs小橋
川田vs田上
ゴディvsウィリアムス
すげえな。 >>72
ただこの大阪大会満員とならなかったんだよね。月曜開催にUインター、全女との連戦だったので。 当時の三沢小橋のシングルはまだ黄金カードじゃなかったもんな 92ジャイアントS、最強タッグ、93新春ジャイアントS、1シリーズ空いてチャンピオンカーニバル
半年で大阪府立4回はやりすぎだろ
田上vs小橋なんてガラガラだった 全日・大阪府立
90年11月 6200人(超満員)
91年 4月 6400人(超満員)
91年11月 6400人(超満員)
92年 1月 6250人(超満員)
92年 4月 6400人(超満員)
92年10月 5500人(満員)
92年12月 5150人(満員) >>75
93年1月26日 4100人()
田上vs小橋 三沢・菊地vs渕・小川 川田vs秋山 >>78
91年4月の三沢vsハンセン、鶴田vs川田の時って凄かったんでしょ?警察から入場を早める要請が3度。パンフ売り切れ。 >>77
つゴディ&ウィリアムスvsハンセン&エース >>73
Uインターはこの頃が絶頂で、全女は交流戦バブルだったからな。
それに対して全日は東京以外では退潮傾向が始まってた。 >>79
この時の鶴田対川田はこのカードのベストバウトだなぁ >>83
確か珍しく鶴田がバックドロップを2発出したんじゃなかったか。体格で劣るのに川田が鶴田によく火をつけたね。 >>27
改行と変換ミスで
右翼団体の小橋
となっててワラタ >>67
田上のリングアウト勝ちは結構熱かったけどね
負け続きの田上が場外マットなしアームボンバーという恐ろしい技で決めたのもよかった >>84
鶴田のパワーボムを返してバックドロップ2連発だったかな。
これがセミでまだメインが残ってるのに満足しちゃうは疲れ果てるはで、やけに印象深い。
川田のテーマ曲もバリバリ伝説のサントラなのも良い。 >>87
天龍がいなくなった後の川田は鶴田やハンセンみたいなでかい選手と当たっても正面からぶつかって、四天王プロレスが始まると三沢、小橋とも何度も激闘を繰り広げて本当に凄い選手。
不器用を装っているけど実際は器用だと思う。 ただでかいだけだった田上とけしかけて抗争して田上を引っ張り上げた川田の功績は大きい。
それでタッグを組むと「俺がサポートに徹した方が良い結果が出る」と自覚して。
我が強いと思われるけど自分は取らずに田上に取らせて川田って賢明な選手だな。田上を活かすことで自分の評価も上げたのでは。
四天王プロレス時代の話ですまん。 >>88
なんだかんだで海外でやってきたのと冬木と組んでたのは大きいと思う。
もちろん本人の資質があってこそだけど。
三沢も結果タイガーになったとしてももう少し海外でやれてたらなぁと感じる。 日本人最強鶴田がスゴすぎた
三沢小橋が全盛期でも鶴田は無理だろ
でも俺は四天王プロが好きだったが 鶴田の拷問技・主な被害者
キッチンシンク→三沢 川田 小橋 (特に川田のイメージ)
膝攻め
場外では鉄柵や本部席の机へのニークラッシャー、
リング内では俯せ状態で片足を持たれ、
その片足の膝裏に鶴田が片足を乗せてのマットへの踏み付け→主に小橋
相手を高々と抱え上げ最高点で一旦静止、
アトミックドロップに行くの?と思いきや、そのまま前方に放り投げ→菊地
(実質2.5Mの高さから放り投げられてる) 91年秋頃のI田の菊地への攻撃はえげつなかった…菊地も何故か坊主頭で新人みたいな雰囲気出してたから余計に可愛がりが酷く見えた >>93
ギロチンスロー(トップロープに喉を打ちつけるやつ)は
主として田上が使っていたんだっけ。
>>97
予定通り小橋&エースvsキッド&Jスミスだったら
結果はどうなっていただろうか。 >>98
キッド&スミスが勝ったと思う。小橋&エースは後にディートン&ブラック相手にベルト落としたくらいだからね。
それを考えたらキッド&スミス戴冠だと思う。 >>100
ギロチンホイップは田上が多用していたな。 >>101
一番最初は鶴田だった様な
むしろ鶴田が開発者かも あと、田植えはブレーンバスターホイップて
面白い技も使ってたな >>99
そしてカンナムに陥落
実はアジアタッグで初の外人対決 >>104
91年4月、後楽園のカンナムvsキッド&スミスを皮切りに外国人同士のアジアタッグ戦が多かったね。
7月、横須賀でカンナムvsファンタ。
松戸でディートン&ブラックvsカンナム。
9月、武道館でカンナムvsブラックハーツ。
10月、盛岡でカンナムvsディートン&ブラック。
92年3月、平塚でカンナムvsステイトポリス。
5月、後楽園でカンナムvsフルトン兄弟。
こんなにあったんだね。後にカンナムvsパトリ&イーグルもアジアタッグを巡るライバル同士だったね。 89年にあったカンナム対キッドDBスミスの五番勝負から外人タッグ屋対決も
一つの定番になったね(マレンコ兄弟対ブルドッグスが嚆矢だが)
ファーナスが馬場に企画書を提出したのが実現のきっかけと聞いてファーナスの
見た目に反したインテリぶりに驚いた テレビ局からの放映料も大きかったのか外国人もたくさん来たよね。マレンコとかファンタとかヤングブラッズとか。
ステイトポリス、ブラックハーツみたいなキャラが濃いタッグチームもね。それはそれで面白かった。 SWS騒動でレスラー減った時もマークスカルパとかレンジャーロスとかの
イロモノ系外国人選手がさり気なく穴を埋めてたよな 91年最強タッグ、うちの地元まさかの三沢欠場でどえらくガッカリしたけどまさかの馬場さんフォール負けが見れた。 三沢が川田に殴られて、最強タッグ欠場したのっていつの話だっけ? >>110
91年だよ。
当日は三沢の分も川田が頑張ってくれてる…と感動したもんだが実際は…… >>105
横須賀では外人同士、武道館では日本人同士の世界タッグ戦もやってたんだよな >>95
カンナムの二人も菊地をかなりオモチャにしてたな
クロファットのコブラクラッチ揺さぶりとか、ファーナスのコの字逆エビやリフトアップから場外投げ捨てとか
特に、菊地が前方回転エビに行こうとする所を重力に逆らうかのように自分がエビ反りになりつつ菊地を強引に上へ持ち上げて、
それに連動してトップコーナー登って待ち構えていたクロファットがラリアットするアレはなかなか凄かった
ファーナスみたいに力がある選手でないと多分なかなかやれないだろう
ファーナスが大回転ジャーマンを菊地にやった時におそらくそれを始めて見たと思われる馬場がビックリしてたね
確かあの技でスパイビーエース組に勝って一回だけ世界タッグ挑戦したんだよな
その世界タッグでの川田田上との試合も通常よりかなり粘ってて悪くはなかったのだが最初から思い出試合として作られたのだろうなあ
その直後からタイトル戦線あっさり離脱して秋山ら若手たちを格上げする壁ジョバーに戻っちゃったし
もうその頃はWWFやECW行くの決まってたのかな >>107
ファンタはアジア取れなかったのはともかく、ジュニアは渕がずっと持ってた頃は層薄かったからトミーロジャース辺りに一回とらせても面白かったと思うんだかなあ
クロファットなら渕に勝っても納得だとしても体格はジュニアとしてはギリギリで微妙っていう人もいたしさ
トミーなら体も小さいし動きも悪くないと思ったんだけどね、決定的な必殺技がないとか何かが足りなかったか >>109
米子の馬場アンドレvs殺人魚雷かな?
大阪の次の大会は三沢だけでなく川田も欠場になって、馬場さんが喧嘩両成敗的に三沢と川田の2人を欠場にしたのかと思ったけど、小橋&菊地組は公式戦があったから川田のカードが組めなくなって仕方なく川田まで休ませたことに後から気づいたよw >>114
渕の連続防衛は13だっけ?ベルト落とすならジョー・マレンコが適任だったと思うな。
クロファットだとジュニアって感じがしなくてね。 >>115
そうそれ。地元ながらなんであんな田舎でこのカード組んだんだろ?て思った。
川田もその後休んだっけ? >>117
川田も足の状態が思わしくないという理由で1試合欠場。次の大会では小橋&菊地の公式戦が無かったため川田&小橋&菊地vs鶴田軍のシックスメン。三沢のみ2大会続けて欠場。 きっとその川田の欠場も、足の怪我は関係ないんだろうね。鶴田が92年に足首の怪我で欠場した時も、実は重篤な内臓疾患だったっていう…。 >>119
夜の虹を架ける 四天王プロレス「リングに捧げた過剰な純真」 に書いてる
まあ下らん理由だ
川田は辞めるつもりで東京に帰ったらしい その頃ってフィニッシャーじゃない意外な決まり手結構多くなかった?SDDのダブルタックルとか >>120
そう>>115に書いたけど川田にシングルマッチやらせるわけにもいかない、妥当な相手もいないからたぶん「カード組めないからお前も休めよ」程度で欠場にしたのだと思う。 馬場アンドレ対殺人魚雷と言えば、馬場のランニングネックブリーカーであの時のゴディが寝た事に驚いたわw
解説してた竹内さんも、まさかって驚きながら「入りましたよ!」って感じだったからなあw >>122
すぐに思い出せるのは91年7月の横須賀の世界タッグかな。ゴディがスパイビーに後方回転足折り固めもどきのやつ。
パワーボムでいいのにね。何であんな見栄えの悪いフィニッシュにしたんだろ。 鶴田がランニングネックブリーカーでハンセンから勝った三冠戦もあった >>126
鶴田がハンセンに勝った試合では一番まともな部類のフィニッシュだったような。
フォール勝ちでも丸め込みとかが多かったからね。
結局バックドロップで勝ったことは一度もないまま終わった。 >>127
格を落とさないようにするか、純粋にバックドロップがお互いに無理があったのか、どっちだろね >>128
ハンセンがジャーマンを食らったのは一度も見たことがない。BDも同様では。 菊地はやられっぷりで光ってしまったので浅子が使われ出したら陰が薄くなっていってしまったね… >>128
格落とさないと言えば、最強タッグ優勝戦の殺人魚雷vsハンセンスパイビーで
最後明らかに時間切れ引き分けのゴングが先に鳴ってるのにジョー樋口のあのクッソ遅いカウントで
ハンセンがウイリアムスにフォール負けにされたのはなんか露骨だったなあw
ってか、殺人魚雷を優勝させるなら普通にスパイビーが寝ればいいのにどうしてあんな風にしてまでハンセンが寝たんだろ、意外性を狙ったのか >>134
90年ウイリアムスはハンセンにシングルで2連敗だからな
ハンセンvsゴディは1勝1敗だがゴディが勝ったときはウィリアムスがプチ介入
タッグながら最後に勝たせてハンセン≧ゴディ≧ウィリアムス的なバランスを取ったんだろうな まあ試合後の乱闘は全日ではシン辺りが来日しなくなった後はほとんどやる選手居なかったし(ブッチャーすらベビー気味になってたし)、ほとんどハンセンによる風物詩のようなもんだった感w
この回の三沢小橋vsハンセンエースの試合後とか、この頃の全日にしては珍しく他の外人選手たちも含めてみんな止めに入って珍しい光景だったね
(この前の試合で川田とかなりいい試合してグロッキーになってたクロファット以外はみんな乱入してるね)
ttps://youtu.be/bTYXQGyK1v8
小橋が格落とさないようにハンセンがラリアットしてフォールだけエースがするっていうなんともなブックだったせいもあるかな
新日ではこういうの日常茶飯事なのに、全日ではハンセンくらいしかやらなかったしw
まあ多分馬場がこういうのあんまり許可しなかったんだろうけど >>135
なるほど、そのバランスのためにそうする必要があったんだね 時期はズレるが
武道館の小橋vs医師は凄まじかったな
でも、断崖技もないし
危険技は最後の殺人バックドロップだけかと
大好きな試合だわ >>139
81年MSGタッグでハンセンは藤波のバックドロップを食らった
雑誌に『藤波のバックドロップがハンセンに決まる』
『今の藤波は正に猪木二世』
これを覚えてる
あと猪木もハンセンにバックドロップを何度も決めたはず お前ら記憶力良すぎだろw
その頃ビデオ録画して当時は熱心に繰り返し見てたはずだけど、ほとんど覚えてないわ・・ 鶴田とハンセンのシングルってお互いに気を使ってるような遠慮しあってるようななんともユルい感じの凡戦ばかりな印象
鶴田対ブロディとかハンセン対天龍は面白かったのにね 人生の先輩ばかりだなwこのスレ。記憶を共有できて嬉しいよ。
三冠戦のフィニッシュがDDTなのは斬新。90年6月の鶴田vsゴディ。 憶えている人いるかな?90年サマーアクションシリーズ開幕戦、大宮の鶴田&谷津vs三沢&川田の試合後。
エプロンに手を着く三沢の背中に客席から椅子が投げられて、百田が気づいてそっちの方向に行く。三沢は無反応。
投げられたのはもちろん鶴田でも谷津でもセコンドでもなさそう。あれは何だったのか未だに不明。 >>142
リング外での仲の良さが悪い方に作用してしまった感じがした。
>>143
4日間でシングルマッチ2敗は鶴田にしてみればしんどいな。
三沢戦のフォール負けを渋ったというのも無理からぬことではある。 四天王スレに比べて
色んな団体オタが出入りしてるな
当時の超世代がどれだけ各団体に影響を与えたかよく分かる 今のノア、白色マット、『美学のある闘い』、
鎖国、そしてオサレ書体のNOAHと
なんか全盛期のDDTやタジリのSMASHみたいな
オサレインディーを目指してるぽいな
どうせなら超世代のころのスタイルを
志向すればええのに
スレチすまん いや無理でしょ
壁役できるベテランいないし
15年前なら選択肢としてあったかもしれんが >>143
田上の唯一のアジアタッグ戦の日でもあるんだよな
初挑戦で取ったのは四天王でも唯一
しかしパートナーの仲野はこのまま全日本を離脱し王座返上
そして十年後には田上が自分でそれをやるという皮肉
また小橋vsビガロや三沢・川田vsカブキ・冬木とか他にも興味深いカードが >>131
中盤のエプロンサイドでハンセンを力づくで
滞空式ブレーンバスター決めたのは凄いな
ハンセンが真っ逆さまにされるのは
そうそう見られなかったんじゃ すき間なくびっちり入ってるアリーナに時代を感じるね
一本花道はないけど四方向ひな壇組んでたんだよな ハンセン&スパイビーvsマレンコ兄弟とか、
ハンセン&スパイビーvsファンタとか
マッチマークが雑だった。
殺人魚雷vsマレンコ兄弟もあったな。こんなに体格差が違うのに対戦させて客に何を見せたいのか不明なマッチメークw また地元ネタでごめんけど、
いつだかのチャンカーで出雲で小橋エースがあって当時ふたりは同格でめちゃくちゃ白熱したんだけどまさかのセミ前で、
そのあとクロファットvsウィリアムスっていう完全トーンダウンカードだったなあ。ウィリアムスがゴディならまだ面白くなったかもだが。
とにかく90年代序盤は番狂わせが皆無に等しかった >>153
93年かな?
エースはハンセンのパートナーなのにDBスミスに負けちゃ駄目でしょ。 >>153 93・4・3出雲
三沢、川田、菊地vsハンセン、スミス、ディーd
セミがゴディvsクロファット
小橋vsエース
田上&小川vsウイリアムス&リチャード
ちなみにウイリアムスvsクロファットの公式戦は4・14名古屋だね。 ハンセン対キッドってのをたしかCC後楽園でみた、リーグ戦だから仕方ないけど
あの時の場内のやるせなさすぎる空気は忘れられない >>155
あれ?ゴディだったか。記憶カスカスだなあ
メインもすげー短時間でがっかりしたよーな。 >>156ハンセン対キッドのシングルってキッドが引退したシリーズでもやってたよな >>158
91最強タッグでハンセン&キッドvs殺人魚雷はあったけどシングルは無いのでは。 91最強タッグはシリーズ中に超世代軍四番勝負と銘打ってウィリアムス対菊地とか
無茶すぎるカードが実現してるな >>157
短時間といえば92チャンカーで公式戦及び試合数が多いためかスパイビーの勝つ試合が短時間ばかりw
その反面、四天王時代になるとダラダラ30分ドローが増えるわけだがw 91年最強タッグの結果載ってるサイト見つけて
見たらキッド、菊池組とかエース、小川組とか
おもしろいタッグが実現してるのね
パートナーがアンドレとはいえ馬場も格が高く
川田から3カウントとってるね >>159引退するちょっと前に後楽園でシングルやってたと思ったが記憶違いかスンマセン >>166
ハンセンvsキッドは既出だけど91カーニバル開幕戦の一度だけじゃないかな。 91年頃だともう厳しいかなって思われるくらい
キッドの体調はひどかった
来日する度にやせ細っていってたからな >>79
会場入りするキッドに蹴りを入れられそうになった 91年のチャンカーにゴディ&ウイリアムスがリーグ戦に出なかったのは謎だった。後半には特別参加したのにね。
リーグ戦復活1年目のだからテスト的な意味合いで、ゴディ&ウイリアムス絡みのシングルを取っておく目的かな?それ以外の理由が思いつかない。 中継で「退かぬ!媚びぬ!省みぬ!ダイナマイト・キッド」と
どこかで聞いたような紹介をされていたのもこの時期だったような。 サウザーかwww
若林実況、倉持ファン、昭和全日ファンには
不評だが
あの超世代のスポーツライクな感じには
凄くマッチしてたと思う 田植え社長、ノアの借金ぜんぶ一人で返して
さらにお釣でステーキ屋やってんだな
田植え社長といい、イズさんといい、
新日に比べれば少ないだけで
ふつうのレスラーじゃありえんぐらい
金持ってんだな
そういや二人とも元子さんと仲良かったよね >>168
長年のステロイドによる影響で心臓肥大が見つかったのが、この91年。
医者から「このまま続けたら命の保証がない」と言われ引退を決意。
本人も「あのまま続けていたら、間違いなくデイビーボーイ(39歳で死去)と同じ運命だった」
と言っていた。
晩年は脳卒中による施設暮らしで相当辛かったが、60歳の誕生日まで生きられた。
>>171
「キッドが客に対して暴れるスタイルになったのは完全にジェット・シンの影響」と前田が言っていたな。
自伝の中では、キッドはシンを評価してなかったけど。
>>174
小橋が札幌で試合をした時は、福澤がもろに「北斗のケ〜ン!!!」と叫んでたなw キッドは今の時代ならオスプくらいの体格でもトップいられたよなあ… 91最強タッグ大阪大会後の三沢と川田の喧嘩って何が原因なの?
漫画の暴露本で読んだことあるけど、あの暴露本には信憑性が無いんだけど。 秋山ほんと頭いいよな
四天王スタイルだとノアの二の舞だから、
超世代スタイルを手本にしてるね
ジョーたち、デカくて強いガイジンも
重用してるからね
新日ガイジンがうまくてカッコいいのばかりだから、逆に際立つ! >>105
当時は大量離脱で挑戦者として適当な日本人チームがいなかったという事情もあった
小橋・菊地でさえまだ代打出場がやっとという感じで
この辺りは昭和六十年代が逆に日本人オンリーだったのと比較しても面白い
目立たないが実はアジアタッグこそが団体事情の焦点になっていたりするのも興味深い >>182
アジアタッグは使い勝手がいいベルトでマッチメーカー次第で活きるね。
そういえば武藤全日本でアジアタッグが2年くらい空位になった時期があったがあれは何だったんだろw
ファンの「アジアタッグは持っている王者によって価値が変動するタイトル」は名言。 アジアタッグがどう使われるかでマッチメーカーの腕やその時点での団体の内情が分かる感じなんだよな
中堅が多ければ名誉職で若手が増えれば登竜門にジュニアだったらジュニアタッグ
全日本で完全な生え抜き同士の王者組が誕生するのはようやく平成に入ってからでそれ以前のとっくに国際や元新日本同士の王者組が誕生していたり
それだけ昭和の全日本が他団体からの混成所帯だったかも分かるって >>184
当時、俺はガキだったんで鮮明には憶えていないが親父のベルトって印象だったが、フットルースが取ってカンナムとのライバル関係が始まって、この2チームがアジアタッグを変えた気がするなあ。
若手の登竜門的意味合い。 その前にフットルースと決起軍コンビがやってたが全員二十台という強烈な若さだった 若林はエースが初来日した頃に燃えるお兄さんなのだ
と言っていた。プロレス実況でも同局のアニメの宣伝
しなければならないのかと当時思ったし少しワロタ。 小橋とエースのコンビについては当時の全女の西脇とメドゥーサのコンビとの対比もあったか >>188
西脇メデューサはちょっと前じゃない?
それなら長谷川咲恵とデビーマレンコの方が同時代のイメージがあるなぁ
印象論なんで厳密には時期とか違ったらごめんだけど 西脇メデューサは89年
小橋エースは90〜91年
長谷川デビーマレンコは92年かな
https://blog.goo.ne.jp/rossyogawa/e/24272767da12d43c2e3de5a9c1d23164
私はデビーと同世代の長谷川咲恵を組ませ、“日米新世代コンビ”を名乗らせたが、モチーフは小橋健太&ジョニー・エースだった。 小橋エースは結構組んでたけど、
今思い返すとアジア獲ったのと
ドームでベイダーハンセンと戦ったくらいしか記憶にないな >>190
そっか小橋エースからの着想で長谷川デビーだったのね
勘違いゴメン&説明ありがと! 一応は世界タッグも取ってた
アジアタッグと世界タッグを馬場時代に共に取ったのは三沢・小橋と小橋・エースだけ 小橋エースは何で塩同士で組ませるんだと思ったな
スパイビーエースも >>187
燃えるお兄さんはスパイビーでなかったかな。 小橋・エースとディートン・ブラックのアジアタッグ戦は商品で買った
元王者のキニスキーがタイトルマッチ宣言する豪華版で
スパイビー・エースはそれぞれハンセンのパートナーになる前と後で組んでるのも面白い >>195
関係ないけど、お兄さんが高校の入学式の日に髪を立ててきて「ジョニーエースヘア」と小さく説明が入っていたよw
>>196
案の定、週プロにはハンセンの元パートナー同士のタッグなんて書かれていたね。岡山だったと思うけどハンセン&デビアスvsスパイビー&エースの公式戦なんて現代なら盛り上がっただろうなあ。
エースってハンセンにはガンガンいかないんだよなw小橋あたりだと遠慮しないでいけるのに。 元パートナー同士とは言ってたがその前にも組んでる事には触れてなかったような
エースとハンセンの対戦となればやはり今日がその日の東京ドーム
そういえば夢の懸け橋でもやってたか 93最強タッグシリーズの特別試合ではデビアスが欠場したせいでハンセン&スパイビー&エース組がよく組まれてた
相手は馬場&三沢&小橋、三沢&小橋&秋山、ウィリアムス&ブーバー&パトリなど格のバランス的にも良いカードだった
格下のあすなろ秋山が入った超世代軍組にも負けてたがw 秋山はその年は不参加だったんだよな
あるいは前年の大抜擢とのバランスもあったか >>195
エースはザ・ターミネーターの兄貴だからやっぱりエースに対して「燃えるお兄さん」って言ったんじゃないかな。 >>183
あの辺りは健介組が王者だっただけに扱いをどうするかというのもあったかな
とにかく伝統の後楽園二連戦で三冠&IWGP王者の武藤も含めての豪華メンバーによる復活トーナメントをやったアイディアは良かった 夢の架け橋の全日6人タッグはスゴイ試合だったらしいね
橋本、大仁田、テリー見たやつ絶賛だったそうな >>204 惜しむらくはウィリアムスが来日不可の時に行われた事かな。エースでなくてウィリアムスだったら…。 >>3
鶴田のバックドロップは急角度で落としているというより、三沢たちが自ら急角度で落ちて鶴田の無敵感を演出してた気がする >>206
当初の予定では三沢&小橋&ハンセンvs川田&田上&ウィリアムスと発表されたような。
ウィリアムスが来日出来なくなってエースに代わった。 チャンカーでも後楽園のハンセンvsウィリアムスの公式戦に代わって三沢&小橋&ハンセンvs川田&田上&馬場だったんだよな ハンセン、医師の話題ばかりで
人間魚雷も思い出してあげて! 新日本にきたレスラーらがアメリカに帰ったら大成するみたいなジンクス昔あったろ
昔のアメリカでやっていたポジショニングを奪い合う攻防を覚えて帰ったからだよ
猪木の一番得意技
向こうで覚えたんだべ 全日本は見てりゃすぐ分かるが本来パワーファイターらが技巧派のフリしたんばっかだったからね >>204
会場で見たが試合自体のクオリティはやっぱ他とは段違いだったよ。メインの橋本蝶野が食われまくり >>210
三沢の外人ライバルとして最もふさわしかったのはゴディだったと思う。
年齢的にも三沢と同世代だし。
馬場もゴディを次の外人エースと考えていてハンセンとの世代交代も間近だったから体調管理さえしっかりしててくれてればと今でも思う。
ノア旗揚げの後で三沢に息子を紹介してたけど、あのときですらまだ40歳だったんだよなあ。
つくづくもったいなかった。 やっぱここ見てると小橋はスナイパー時代が
至高やったんやなって思う
小橋のフィニッシャーはやっぱムーンサルト 三沢とゴディはリング上では手の合う関係だったな。
三沢がシングルで勝った試合は静かな立ち上がりから
徐々に試合が動いていく感じがとても良かった。
あのあたりが2人の上手さかね。 SGタッグみたいなお祭りリーグがあったら、三沢ゴディ組を見てみたかったかも 武道館の医師VS小橋は永遠のベストバウトだわ
今思うと、95年くらいまでは超世代っぽい試合も多かったね 91年4月のチャンピオンカーニバル
大阪大会鶴田VS川田が見たくて
初めて全日本を見に行きました。
あまり印象には残ってないんですが
当時の全日本ではやや異質だった
プロレス非行青年の川田が好きだった。
あの時の客入りは凄まじかったのは
印象に残ってます。 川田がデブレスラーといって差し支えないくらいタプタプだった
今思うとあの身長でハンセンゴディウィリアムスとやり合うために試行錯誤して体重増やしてたんだろうな 弟子のタイチもジュニアからヘビーに上がるのに
まず太る所から始めてたな
今はいい感じになってる タイチはいっそ入場曲もペニシリンの
ロマンスにしてホストキャラ川田路線を
貫いてほしいwww
インターコンチなら巻けるでwww 92年と言えば、
三沢三冠発戴冠
ハンセンと川田の三冠戦
仙台の伝説のアジアタッグ
の3試合だな。 >>222
確かにポッチャリしてたけど、身体の張りはあったし動けたからね 若林の実況「怒りの焔(ほむら)を燃やせ、川田」というのを
「いかにもホモ顔のヤセ、川田」と聞き違えた川田ファンが「確かにホモ顔だがヤセではない」
と怒った、というネタが週プロに載ってた プロレスを見始めた頃、超世代軍を超おさらい軍って聞こえてしまって落第的なチームかと思ってしまった。 ゴング命名で唯一定着したのが超世代軍というチーム名だったような。
他は全く定着しなかった。
でも頂闘軍とか殺人狼とかDJブロンドスとか
光明対決とかナンセンスな名前が
逆に楽しかった。 鶴田・田上組を鶴明砲(かくめいほう)とか言ってたな
ゴングだったかな 鶴田輪島で鶴輪コンビとかひねりが全くないのもゴング命名だった SDDもそうだし、やたらと名前を付けたがるんだよね。
殺人魚雷コンビで定着した後も使い続けていたが
もういい加減諦めたらいいのにと思った。 ファンタスティックスってアジアタッグ巻かせるわけでも
ないのになんで来日させてたんだろ
WCWのジョバーをやってた奴を若手にしか勝たせないのに
来日させてたのと同じようなもんだろうけど >>229
反選手会同盟とプロレスバカもゴング命名
で定着してたね。
あと平成維震軍も金沢が考えたものらしい。 ブッチャー→呪術師
ファンクス→荒馬兄弟
マスカラス兄弟→飛行仮面兄弟
シン→狂虎 明艦砲あったね
ノーフィアー、テンコジといった
アメプロ風タッグが主流の中、
最後の昭和全日的タッグだったな
なぜか小橋秋山より声援大きかったし 川田のが、三沢よりベストバウトとカーニバル制覇は先なんだ
ドームの三沢越えも、三冠プラスカーニバル優勝の三沢に完全勝利だし
馬場の川田買いがわかる
今、思えば三沢川田は二回ドームメインだけど
三沢小橋は一度もドームでやってないんだね >>232
読売テレビの山本アナウンサーが一回だけSDDって言ってた。 91年10月の七尾か何処かのテレビマッチのセミでハンセン&スパイビーvsマレンコ兄弟が組まれ週プロに「テーマが無い」と言われた。
他にはハンセン&スパイビーvsファンタスティックスとか、93年1月の高松ではハンセン&ブレイド・ブッチ・マスターズvsファンタスティックが組まれた。
大切なテレビマッチでこんな無意味なカードを組むマッチメッカーって現代なら酷評されるだろうな。
カードの出し惜しみなのか、それとも観客のニーズがわからない単なる馬鹿なのか。 でも当時は週プロもマッチメイク噛んでたんだから、批判もおかしな話だが。
海外陣営の要望とか通好みのカードとかあったのかね。 243
なんでマッチメイクのこと論評してんだ?
自分ならこんなにうまくできるみたいな吹かし自慢でもしてえんか?
バカたあおまえのこっちゃ 243
なんでマッチメイクのこと論評してんだ?
自分ならこんなにうまくできるみたいな吹かし自慢でもしてえんか?
バカたあおまえのこっちゃ ほんとにいい加減なやろおだな(°▽°)
それがおまえが敵を作ることになるんが分からないんか? >>245
じゃあハンセン&スパイビーvsマレンコ兄弟、
ハンセン&スパイビーvsファンタスティックス。
階級も違う、特に遺恨も無いこの組み合わせに何の意味があるのか説明してみろよ。
他人をバカ呼ばわりするくらいなら説明できるんだろうな? >>248
階級が違ったり、遺恨がなければいけないのか?
そこから遺恨に発展する可能性もあるだろ >>243
三沢vsジョニー・ガン
田上vsピエール
秋山vsラクロス
この辺は、テレビ中継あったね。 93年の新春シリーズだったと思うけど小川対ボビーフルトンのシングルをがっつり放送してたな…渋い >>249
実際に遺恨、抗争等に発展していない。カード組んで試合を消化して終わりだから言ってんだよ。
キッド&Dスミスvsマレンコ兄弟みたいに遺恨も無い、タイトルかかっていなくても後に語り継がれるような試合もあった。
テレビ中継あったんだから、もっと活かせたと思うよ。 >>252
雪が降っていた米沢ね。三沢&小橋vs殺人魚雷。田上&秋山vs川田&菊地。観に行ったからよく憶えているよ。 >>248
あえて意味を見出すとするなら
馬場「ハンセン君、いつもお疲れ様、今日はちゃっちゃとあがってゆっくり休んでくれよな」くらい >>254
三沢小橋組が本格的に始動する前にゴディがフェードアウトしていった印象だから
三沢小橋組対殺人魚雷の組み合わせは新鮮だ。
川田田上対殺人魚雷はギリギリ間に合ったけど。 >>256
三沢&小橋vs殺人魚雷は結構な頻度で組まれてた。後楽園、福島、盛岡、水戸、船橋、尼崎、大和いったところでセミからメインで組まれてた。
いずれも20分以上の激闘だったけど、三沢&小橋の本格始動前なので全敗だったね。 俺的には三沢小橋組のベストバウトは本格始動前の92年6月武道館の鶴田田上組戦だな >>258
あの試合は本当にいい試合だった。
あの試合で田上の高角度喉輪落としが決め技になって、以降はアームボンバーを使わなくなっていった感じ。
若林アナは当初ネックハンギングアームボンバーと呼んでたな。 小橋は格が1枚落ちる時代の方が試合が面白かった。
といいつつ絶対王者時代も応援してたけど >>259
初期の高角度喉輪って左手で相手の首根っことか脇の辺りを抑えて一番高いところまで抱え上げてからズドーンと叩き落とす感じで、確かにネックハンギングアームボンバーでも違和感は無いよね
90年代後半からはほとんど片手で上げてた感じで、なんか迫力無くなった チョークスラムの始祖は本当に田上なの?だとしたらスゲェよな 奈落式のチョークスラム初公開の試合は現地で観たが、小橋は受けるのが上手い。
川田と小橋は田上をよく活かしたと思う。もちろん田上自身の努力もあったと思うけど。 市瀬の本とか読むと田上は一見飄々としてたけどほかの3人に置いて行かれてしまうかも
という恐怖と向き合い本人なりに努力してたんだな 田上「他の3人に置いていかれたら嫌だなぁ・・・」
馬場「じゃ道場に来て練習しろ」
田上「いやそれは・・・」 今考えると川田田上は本当にいいタッグだったな
当時は川田は三沢と組んで欲しいと思ってたけど >>266
田上の「我関せず」みたいな気質が、ちょっとめんどくさい川田の性格と合ってた気がする ネックハンギングアームボンバーという呼称の当時で印象的なのは
川田に初めてシングルでフォール勝ちした試合。
92年のカーニバル公式戦かな。 ノア時代、SUWAが田植えを『世界のAT』と呼んでいたが
チョークスラム、断崖技、ヘビー級でライガーボムとある意味本当なのかも
しれないなwww >>267
川田は田上大好きで試合時間をわざわざ田上に直接聞きに来るんだよなw 92年のCCの公式戦の川田対田上で川田がのど輪落としを綺麗に食らってたのが印象的…2、3発やられてた… 鶴田があと2年ぐらい元気なままだったら最強タッグで鶴田田上組が優勝の線もあったのかねぇ。 >>272
92年に鶴田が入院してなかったら優勝してたかな。
それともやっぱり三沢&川田だったかな。 >>272
『鶴田と組んで優勝』って1枚ハクが付くよね >>273
時代の流れ的には三沢川田組の優勝なんだろうけど、
優勝してもおかしくないチームになってきたところで
終わったのが残念でした。
>>274
鶴田的にも「出場した全パートナーと優勝」もいうのも掛かってたんだよね。 >>266>>267
田上は91年1月に川田に抗争をけしかけられたのが良い方向に作用した。それまではただのでかいだけの選手だった。
川田は田上と組んで松本でウイリアムス&エースから世界タッグを取り返した時に「このチームは俺がサポートに徹した方がいい結果が出るから」と田上に取らせた理由をコメント。
我が強い川田なのに田上に関しては信頼しきってんだよな。
三沢&小川、小橋&秋山等のタッグ再編の時も川田&田上組は継続だったし、
96年の川田&オブライト組の時も「田上とのタッグを解消する気はない」とコメントしたしね。
こんな手が合うタッグも珍しいんじゃないかな。 ジャストミート福澤か恩知らず若林か忘れたけど鶴田に対する実況
「四十を過ぎて全盛期!」
が印象に残る 実況はこの時の若林福沢体制の時が一番よかった。
福沢アナは賛否両論あるけど、技術的な所は十分だったし。
実況が金子だとガッカリだった。 >>279
チーフ金子は真鍋と同じような喋り方で、やらされている感が強く感じた >>275
馬場とのインタータッグ挑戦で世に出た鶴田がインタータッグも含めた世界タッグでタイトル戦線の幕引きをしたのも因縁か
出来れば渕とのコンビでアジアタッグにも挑戦くらいしてほしかったが >>279
>>279
この時代の実況陣はうまいだけでなくて、いい意味で灰汁が強いんだよ。
若林&福沢アナ+(特報王国の)後藤アナ。地方アナでは、中京テレビの佐藤アナと読売テレビの山本アナ。
平川アナウンサーは上手に実況するけど灰汁はないからね。
これ以上語るとスレ違いになるから、語らないけれども、アナウンサーもこの時代のプロレスにうまくフィットしていたね。 四天王のシングルだと川田対小橋が一番ハズレなく名勝負が多かった気がするな…93年10月のシングルはめちゃくちゃ良い試合だった…
あとこの日フリッツ来たな〜 この時期のテレビ中継と言えばプロレスニュース(プラス1含む)。
賛否両論とは言われてたけど、実際はどれくらいの割合だったのかな。
コーナーとしては選手の個性とかストーリーラインもわかっていいコーナーだったと思うけどね。
後は福沢アナとあのノリを受けいれられるかどうかなんだろうけど。 >>285
最強タッグやチャンピオンカーニバルのダイジェストなんか、あのコーナーがあって流しやすくなっただろうし、番組の緩急にもなっていたし、悪いコーナーではなかっただろう。 >>285
実は言うほど賛否の否はなかったんじゃないかなぁ
何となく「賛否両論て言われてるんですよ、このコーナーって」っていう面白みというか雰囲気をわざと入れ込んで作られてた感じがする今思い出してみると 結構、新日本やワープロを挑発することあったよなプロレスニュース内で
蝶野がNWA獲った時に馬場がNWA獲った時の映像出してきて
昔のNWAは今とは比べ物にならないほど価値があったと金子に言わせたり
これは批判的な読者投稿週プロに載ったの覚えてる 馳「ぶん殴ってやる。あのアナウンサー、あまりにもふざけ過ぎだよ!」
福澤「他団体のレスラーにも賛否両論、プロレスニュース」
馳は沸点が低い男ではあるが。 一時副音声でレスラーの動きや技が決まるのに合わせて変な効果音が
入るやつはさすがに否 93年くらいだったか、プロレスニュースでフロレスと関係ない映画かなんかの宣伝した時は腹が立った。
冷静に考えるとたった数秒なんだけどなんか水差されるんだよね。 今更ながら鶴田田上渕対三沢川田小橋って絶妙のバランス構成だなって思う。 G+でプロレスニュースとかも当時のまんまで再放送して欲しいとずっと思ってる >>289
でも馳と福澤は馳が全日に入団してから
和解したよね。 >>291
福澤不在の時金子野口が代理でプロレス
ニュースをやっていたけど自然な感じがしないというか
やらされているというのかとにかくつまらないものだった。 今日は天龍離脱後再出発の東京体育館の日
そういえば今日みたいな雨が降っていたとか テレビ中継で放映されたのが
○タイガー&川田vs谷津&●冬木
○D・スミスvsローデスJr●
●馬場&鶴田vs○ゴディ&ウィリアムス
だっけ。 >>293
プロレスシンデレラがあるから無理
当時は無許可だったんじゃないアレ?今なら大問題だろw >>303
30分枠になったから、プロレスニュースやめたんだろうが、あの プロレスニュースの最後は、福沢アナウンサーらしいわ。
オープニングでも少し見せて 話はズレるが
91年ごろかな?全日中継終わった後の5分か10分くらいの番宣番組に出てた
ピンクの衣装をよく着てた沢口みなみアナ美人だったな >>307
ゴールデン特番が一度もなかったどころか30分に短縮だから、
プロレス村内での盛り上がりとは対照的に日テレの評価は低かったんだな。 おお。。。!
じゃあ超世代軍、鶴田軍、殺人魚雷のころは
きっちり60分やってんだね
なんか嬉しい テレビが30分になってから逆に選手が意地になって長い試合が増えた気がする。94年5月の札幌、世界タッグとか。
全部観たいなら会場に来い!みたいな感じ。 複数スター制になり、簡単に負けさせられないので時間切れ引き分けが増えた気がする・・ 市瀬本によると95か96年は一年に6回60分ドローがあったそうだ(シングルタッ、タッグ、6人)
意地もあったろうけどもうどっちが勝ってもマンネリでそこに行くしかないという感じもした 30分になり、
ウィリアムスと川田か小橋の試合だったかな、
佳境になっていきなり来週後半とか!
ナメんな、フザケンナ!
と深夜に怒鳴ったわ。 馬場がいる6人タッグで60分フルタイムがあった。他の5人は相当疲れたろう。しかもチャンピオンカーニバル中だった。
選手の将来のこと考えてやれよ・・自分はもう上がったからいいけど。 最強タッグのシリーズ中に小橋田上のシングル組んだりして三沢がキレてた 三沢もシリーズ中に2回三冠戦組まれた時は「2回やらされて〜」って馬場にブーたれてたな チャンピオンカーニバル開幕2連戦がウィリアムス、ハンセンだった時に川田は
「スーパーマンじゃないんだから、不利だ」みたいに怒ってた >>317
95最強タッグ大分の川田vs小橋のことかな?
田上vs小橋は94チャンピオンカーニバル松本で急遽組まれたね。三沢vs小橋の代替えカードとして。 >>321
ごめんごっちゃになってた
それで合ってるね 四天王プロレスはインフレし過ぎて、
ある時期から自分たちの首絞め始めた
すべて出しきって何十分もやらないといけないから安易にシングルマッチ組めず、
最後のほうはシングルマッチは三冠戦だけみたいになってたし 選手の負担軽減のためにチャンピオンカーニバルは
70年代のようにトーナメントにしても良かった気が。
最強タッグはタイトルにリーグ戦と付いているから無理だろうけど。 97年CC決勝での三沢、川田、小橋の巴戦も見てる方が疲れるくらい無理させてた…
この年の後楽園でのウィリアムス対エースは伝説の大凡戦と言われてるけどそんなに酷かったんだね… 復活当初のようにABにブロック分けしてもよかったかもね >>312
浅子とか井上が絡んできてから30分になったイメージ ずっと2ブロックで良かったんだよ。
鶴田が欠場になった93年から総当たりにして、このままいったらヤバいぞ〜って思った 93年は四天王プロレス前夜だけどハンセン、ゴディ、ウィリアムスに三沢川田田上小橋が総当たりで本当に豪華だった。 スレ立てたもんです
実は、某ゲーム伝説の団体スレも自分が立てたのですが、
やっぱ超世代全日も、某格ゲー会社も、
ファンとともに歩んでた時期だからこそ、いちばん幸せでしたね……!
当時のまだバブルっぽい空気もあったかもしれませんが…… スーファミの全日やってたわ
1作目は菊池いたけど2作目からはリストラされてんだよな >>325
1シリーズに1度は必ず観戦していた者だが伝説のウイリアムスvsエースは観られなかった。週プロにも酷評されていたね。外国人の意識は四天王に比べて低いと。
試合中にポーズ決めたり客席へのアピールばかり頑張る外国人勢w >>332 90年代後半になるからスレチだが、武道館とかで上の方の試合のカードの都合で溢れたエースが入った外国人同士の六人タッグは面白かった印象がある
エースってメインはるにはイマイチだったけど、前座に入ると格上感があったし試合をリードする実力もあったんだよな >>328
最強タッグでのチームをそれぞれに分ける方式で十分だったかも エース対ウィリアムスって
顔面パンチで終わったやつかな。
後楽園ホールで見たわ。
20分くらいダラダラして、パンチ一発。
エースがマジか分からんけどずっと顔抑えてて、
ウィリアムスがスマンスマンみたいに介抱してた。
メインは川田対小橋のフルタイムかな。
記憶があれだが。 >>296
当時は、後藤アナもプロレス実況していたのだから、福沢アナ不在時は、後藤アナにプロレスニュースやってもらえばよかったのに、
特報王国ののりで『後藤です』は、普通に需要あっただろ。 金子、プ板ではすごく評判がわるいが、
若林の熱血実況、福沢のアメリカン実況に対して
まじめな実況なかんじで倉持ぽくて好きだったんだがな
大阪三冠ボムのときの「ニュートンも震えた…!」は名言かと スーファミの全日武道館、プレミアついてアマゾンで値段がえらいことになてる
でも作品としては全日最強タッグのが面白いんだがね >>333
格上感ねえ。98年7月の武道館でスミスがヘッドハンターの片方から3カウント取った試合のエースは酷かったよw >>337
真鍋、野口、中丸『俺たちは問題ないな』 >>335
週プロ熱戦譜の決まり手にパンチって書いてあった…
この日は同時刻に新日のドーム大会があったね >>337
金子は声が高すぎて実況に向いてなかった >>81
3連戦行った友人に聞いたら客が一番入ってたのがUインター
その次が全女だったみたい
全日は2階席に空席が相当あったんだって >>94
90年5月後楽園
川田、仲野vs冬木、菊地
この試合見て川田の恐ろしさを知ったな 川田の高山へのガチ蹴り見たけどやばいね
完全失神してる
ミルコのハイとかでもなかなか見れないかんじ 大阪府立体育会館 客席
新日 雛段 あり
全日 雛段 なし
これが基本線。 >>344
このときはUインター・全女・全日の3団体が雛壇の費用を割り勘で出してたな。
>>347
91年のチャンカンは雛壇あったの? 全日本大阪府立で6000人以上入ったのは90、91年の最強タッグと91、92年のチャンカンと92年の1月だけ
97年の小橋三沢の三冠戦は超満員でも5500人 1993年 大阪府立体育会館
4月10日 Uインター 7500人(札止め)
4月11日 全日本女子 7400人(札止め)
4月12日 全日本 5700人
全日だけ平日だけど完敗だったな ミヤギテレビの水本アナも声が甲高かったが、こちらは許されていたな。 水本アナは変なタイミングで声張り上げたりなかったからな
淡々としながら でも抑揚はあるという具合だった テレビ新潟の女の実況アナはハマらなかったなー、抑揚がないというか「3カウントでーす!」と女性らしい優しさが随所ににじむというか。 >>354
平川アナと似たようなタイプか。
そりゃ、批判されんわ。 プロレスニュースで好きだったのは「こんばんは、福澤ブラックハーツ朗です。イーッ!」って言ってたシュールな奴… >>350
これ元子が関西地区の営業に対して大激怒したときだな
相当プライド傷つけられたらしいよ 馬場じゃなくていっつも元子が切れてるな
少しは黙っとけないのかあのババア プロレスニュースで福沢が金子に刺されたやつ面白かったけどよくあんなの放送したな >>360
詳しく憶えていないけどあったような。どういう過程だっけ? >>358
当時の全日大阪は元子の親戚のIの売り興行。 >>276
馬場はこのタッグをプロレス界のとんねるずって称してたね。
仲が悪くてもしっかり仕事ができていたから。 >>366
馬場ってとんねるず知ってたのか
確かにその時期、石橋や工藤静香を
試合会場で見かけたけど サザンの桑田のことは知らなくて「あいつはゴダイゴか?」と言ってたらしいな >>361
自分もはっきりとは覚えてないんだけど路上でプロレスニュースを普通にやってたら最後に金子が通り魔的に襲い掛かってきて福沢が刺されておしまいついでにプロレスニュースも最終回みたいな感じじゃなかったかな 福沢『これで、プロレスニュース+1を終わり…』
???『あー!プッ、プロレスをバカにするなぁ!』
グサリ!!
福沢『いつか、こんな日がくるとは、思っていた。』
ちなみに、これは全日本プロレス中継が30分枠に縮小するので、プロレスニュースをコーナーから外すからやったんだが、当時まだ30分枠に縮小されることを知らなかったオレは、福沢がプロレス実況を外れるのかと勘違いした。
ちなみに、プロレス実況を外されたのは、実況で枠の縮小を批判した若林だった。 >>367
馬場も生ダラにゲストで出ていて石橋から昔から見てましたって言われてたから。
あの当時の馬場はバラエティ番組に出てたから
バラエティに出るような芸能人は色々知ってたかも。 >>370
若林さんはファンに「自分の立場も考えずに『戻せ1時間枠!』と叫んでくれた」等賞賛されていたね。やっぱり実況アナってプロレス好きな人ほどファンに支持されるんだよな。
このての掲示板で若林さんの悪い噂を見たことがあるんだけど、若林さんでも裏表ある人なのかな? >>372若林ゲイなのは本人の性癖で構わんが、職場での立場利用してセクハラ?はいかんだろ >>372
その実況したとき元子には感謝されたんだよな
それまでは若林のこと認めず会話すらなかった 元子の歓心を買うのと社内での立場、本来なら天秤にかけるまでもなかろうに >>374
その実況の4・16武道館大会の後にラジオ日本に左遷された。若林さんは「2年後に戻ってきます」と語ったが実際は5年もかかってしまった。
プロレスが好きで悪意なく「戻せ1時間枠❗」と叫んでくれたのに不憫な扱いだったな。
本人はこの件をどう思ってんだろ。 90年代は全日のが新日より女性人気あったてまじ??
オレンジ武藤はいたけど、実質エースは破壊王とか健介だったのと、
若いころの三沢川田小橋秋山はたしかに、かっこよかったな オレンジといえば武藤より小橋…そう考えていた時期がアタシにもあったわね オレンジ武藤はたしかにカッコいいのだけど、
ちょっと鼻につくところがあったな
オレンジ小橋はその点、超爽やかで男人気、子ども人気もあったかと 後楽園ホールだと差がなかったけどそれ以外のtv収録会場だと
新日のほうが照明機材とライティングの腕がいいのか武藤のオレンジの方が映えたな
小橋のはちょっとくすんで見える時もあった 懐かしいな
この頃は週プロが早く読みたくて神田は1日前に売り出すからたまに買いに行ってたわ
雑誌一冊たかが1日のために電車乗って買いに行くとか若さって凄いよな >>377
90年代の中頃に女性が選ぶ好きなスポーツ選手のランキングの15位ぐらいに三沢が入ってたな
武藤が30位ぐらい そういや永源が地方興行が最も売れたのが
超世代軍全盛期で、その次が佐山タイガーだったとか
佐山タイガーが子ども人気が中心だったのに対して
超世代は女性ファンや非プオタも多かったとか あの頃だったら
鶴田対三沢
川田対田上
小橋対ハンセン
で単独ドーム行けたかもね。
ゴディウィリアムスはご祝儀でちょっと
WWFの有名どころ当てて。 >>384
全日は営業は弱いからドームは無理だと思ってたけど、
98年でもあれだけ入ってたから、90年代前半なら案外いけたかも。 でも振り返ると3、6、9、12月の年4回武道館が一番理にかなってたという気もする
無理なく全回行くことができた
3,4,6,7,9,10,12月の武道館7回プラス5月ドームはどう考えてもカード編成に無理が出る 98年7月くらいの小橋秋山がオレの中の三冠ベストバウトなんだけど、少数派なんかな?
サソリ(だっけ?)外しとか???なシーンもあったけど、秋山がヒールに徹して最後メタメタにやられる最高の試合だった記憶 >>387
当時は、武道館大会も最終戦ではなくて、シリーズの中盤〜終盤の平日に開催していたような?
現代のプロレス興行に置き換えると、ドラゲーの月一の後楽園大会が、平日開催だけど、ドラゲーはしっかりとストーリー作って、営業して成功させてる。 >>389
武道館の後も関東近県日帰り可能なとこで数日やってたな、日プロ時代からの
「追撃シリーズ」の名残りなんかね、ビッグマッチで大層盛り上がった余熱を
利用してもうちょっと稼ぐか、的な >>390
ビックマッチの後もシリーズが続くと、次期シリーズに向けた流れを作ることができるからね。
特に、全日みたいなマイクで煽るとか、遺恨云々を全面に出さない団体の場合は、シリーズの終盤に何かを起こして、次期シリーズに繋ぐこともできたからね。
超世代軍の世界タッグ奪取の後の、三沢が鶴田にフォール負け→武道館の世界タッグ
三沢の三冠奪取→川田と田上による挑戦者決定戦→記念シリーズの武道館での三冠戦
ハンセンが殺人魚雷にボコられる→ハンセン・エースvs殺人魚雷→デビアス参戦
等。 >>384
91年、92年なんか凄かったよね。新鮮味が無い面子なのに地方は常に満員、興行買ってくれるプロモーターもいるから年間140試合超え。
ドーム行けただろうね。 >>392
とは思うけど、他の人が指摘してるように
ドームは事前にカードを発表しなければ
ならないから難しいかも知れない。
ただし、数ヶ月前にカード発表して
当日までに通常シリーズでもりあげていく
というパターンは新日か1.4モデルとして
ひとつ常識みたいに作り上げたもの。
通常シリーズで最終戦を武道館じゃなくて
ドーム、というのだったら92、93年あたり
だったらいけたかも? >>393
現実的に考えて、ドームでやれたとしたら、92年の20周年記念大会くらいだろうな。
●20周年記念大会
●三沢vs川田の超世代軍頂上決戦
ただ、これだけでは弱い
ちょっとしたスパイスが必要だ。 >>394
・三冠戦 三沢vs川田
・世界タッグ戦 鶴田&田上vsゴディ&ウィリアムス
・20周年記念試合 馬場&ハンセンvsドリー&ブッチャー
実際の92年ジャイアントシリーズの日程とカードをちょっと変える感じ。 >>395
アンドレがいないな。
>>395の三冠戦&世界タッグ戦に
馬場&ハンセン&アンドレvsブッチャー&ドリー&スパイビー
小橋&パトリオットvsカンナム
菊地&秋山vs小川&M井上
R木村&百田&泉田vs泳源&大熊&渕
くらいは、思い付いた。 後の実際のドームがやはり三沢・川田だったのを考えても興味深いですね >>387
そんな編成してたら大阪、愛知なんか客入るわけないよな >>398
このスレタイにある90〜92年にしても愛知は名古屋の小会場以外は全滅だったからな。
三重もこの頃は一度も満員になってなかったんじゃないか? >>399
確かに中部地区は盛り上がりもそれ程ではない印象。
まだ84年の方が観客動員も盛り上がりも上だったかも知れない。 >>389
日本テレビの放送日の から逆算してやるから、平日開催だった >>395
92年でなくてもう少し後なら小橋vsハンセンを組んで、小橋初のハンセン超えなんてどうかな。
セミ前は馬場、ゴディ、田上vsアンドレ、鶴田、ウイリアムス。 >>399
93年のチャンピオンカーニバルも
三沢vsハンセン、田上vsゴディ
川田vs小橋というカード揃えて
愛知県体育館でなく名古屋市体育館だったからね。 >>394
当時の熱を考えるとあのまんまのカードにテリーとブッチャーが絡む試合
一つ足すくらいでドームでやれた気もする
あの頃は武道館で試合見る前にカードすらわかんない次の武道館のチケットを
とりあえず買っておかないと、っていう異常な状況だった >>395
・世界タッグ戦 鶴田&田上vsゴディ&ウィリアムス
そのカードはこの年3~4回行われてるはず。目新しさが無いな。 >>403
三沢vsゴディ
ハンセンvs田上
だぞ。 >>404
テリー・ファンク参戦って、ちょっとしたスパイスどころじゃねーな。 91年のチャンピオンカーニバル決勝の愛知大会も酷い入りだったな
鶴田vsハンセンじゃ正直客呼べないし
アンダーカードが外人同士の6人タッグ、三沢・川田vs田上・小川と酷かった >>407
記憶違いかもしれないけど当日来場してた気がしたので もし、92年の旗揚げ記念大会が、ドームだった場合を妄想してみた。
第1試合
スリンガー&浅子vs井上雅&大森
第2試合
R木村&百田&泉田vs永源&大熊&渕
第3試合
パトリオット&JスミスvsM井上&小川
第4試合
小橋&菊地vsクロファット&ファーナス
第5試合
ドリーファンクJr.&テリーファンクvsブッチャー&キマラ
第6試合
馬場&アンドレ&秋山vsハンセン&エース&ディートン
第7試合
世界タッグ戦
鶴田&田上vsゴディ&ウィリアムス
第8試合
三冠戦
三沢vs川田 >>410
小橋&パトリvsスパイビー&エースなんてどうかな。小橋はもうアジアタッグレベルではないでしょ。
三沢三冠戴冠の武道館観に行ったけどファンタスティックスが相手だと小橋では役不足だね。 >>410
横浜アリーナクラスのカードだな
そういえば全日もノアもアリーナでやらなかったな 本当にあのときドームをやるとしたら新日本とかWWFとかと絡むしかなさそう。
超世代人気が爆発してたとはいえ、選手の大量離脱後の存亡の危機を乗り切った所で選手のコマも決して十分とは言えない状況だったから、単独ドームなんて冒険はさすがに出来なかっただろうと思う。
90年の新日本へのドーム貸し出しで出来たパイプはいつどうやって切れたんだっけ?
猪木が役職に復帰したからとかそんな話だった気もするけど。 馬場は落ち目のフレアーを新日にやって
これからのウイリアムスを獲得できたから上機嫌で鶴田天龍ハンセンを新日に貸した
名目は坂口の社長就任祝いとして
でも猪木が全日本のおかげで客入ったのが気に入らなくて交流なくなった でも、喧嘩してたわけでもないよな
ディーンマレンコが移籍したけど波風立たなかったし >>410
満員にはならないな
追加カードで武藤vs馳、蝶野vs佐々木、橋本vsラリーキャメロン
藤波、越中vs長州、浜口 これで満員になるな >>416
馬場からすればジュニアのタッグ屋専の片割れなんてどうでもよかったんだろうけど
今思えばああいう選手こそジュニアが手薄な全日には必要だった 名古屋はテレビ放送がずいぶん遅れて平日深夜だった記憶がある 91年チャンピオンカーニバルの愛知大会と武道館大会のカードの差は酷かったな
その数ヶ月後の新日G1愛知大会はカードも豪華だったし盛り上がりが半端なかった
会場も文句なく札止めだったし >>422
再開したカーニバルの決勝戦というだけで価値があるという判断だったのかな。
でも武道館の鶴田vs三沢、+世界タッグ、川田vs田上の遺恨マッチ、世界ジュニア戦よりは劣るね。 >>423
訂正。世界ジュニアの渕vs菊地は愛知県だった。 >>422
当時の愛知では新日の方が強い。
共同企画という力のあるプロモーターがあったので。 >>424
翌年の愛知で菊地対ブッチャーの試合組まれてたのが印象に残ってる… 昔から全日本の愛知はマッチメイクからして
酷かったんだけど、一時頻繁に土曜トップ
スペシャルで特番収録組まれてたのか謎。 >>422
1ヶ月前には新日が県体より大きなレインボーホールを
碌なカードも組まずに満員にしてたしな。 それこそ91年カーニバルの武道館なんて、ドーム級のカードだよな
6万人行ったんじゃない? 個人的には全日の試合は、明るいドームよりも薄暗い会場で観たいw >>430
分かるw
全日って薄暗い会場に小さく流れるテーマ曲のイメージだわ
同じ後楽園でも新日と比べると何故か雰囲気が暗いの何でだろう >>430>>431
俺は全日の武道館は2階(ある意味3階)の最前列で観るのが好きだった。FCだと2階の最前列席は取れた。 たしかに武道館一階と二階の最前列は最高にみやすくていい
武道館で行われる次回武道館の前売り券買うと絶対に入手できたし 90〜92年ごろの中継を見ると、入場時にちゃんと照明演出してたのに、いつからやめちゃったんだろう?あれを続けてれば三沢のいう今風の演出を踏襲できてたのに。 >>428
藤波、長州vsベイダー、マシン
越中、飯塚vs馳、佐々木
ホームvsビレイン
武藤vsロトンド
ライガーvs保永
これて10000人以上集めたのは凄いわ >>434
三沢の今風の演出ってめっちゃダサかったよね
似合ってない変なガウンとか >>433
武道館一階の後方は見やすいけど天井が低く開放感が無かったので会場の盛り上がりに入っていけなかった… >>437
一階後方はリングが近くていいんだけど二階席がほとんど見えないんだよな
二階席の鈴なり具合とリングの両方が見えてこそあの凄い臨場感と一体感みたいのが
伝わってくるんだと思う、実際観客の半数は二階席にいるわけだしそこが遮断されちゃう感じだね 円形の武道館の2階席最前列は転落するんじゃないか怖かったw
上から見下ろすから見やすいけど。 武道館の2階(会場内的には3階?)は高さはあるけど
リングまでは思ったほど遠くないというか結構よく見えた。
それでも初めて1階の前の方で見た時は近さに感動した。
アリーナより見やすいかも。 武道館は大会場なのに通路側細くてトイレも小さかった印象…あと売店も小さい… 全日系カードで数字だけで見れば、
いちばん価値があるのは、
三沢小橋でも小橋秋山でも鶴龍でもなく、
三沢川田なんだな
あと、三沢川田は、さすがに勝敗ブックは決めるけど、フィニッシュはあえて
馬場が決めてないというウワサを聞いたことある
京平がジャッジミスったりとかもそれだとか 20周年記念大会も、初めてのドーム大会も、三沢vs川田がメインだったからな。
馬場が最も信頼していたカードなんだろう。 25周年記念大会は、三沢vs小橋
実況はチーフ金子ではなくて平川アナ。
日テレ的には、平川>金子なのか? >>443
初ドームの三沢対川田には小橋が嫉妬で発狂したらしいね、当初の小橋のカードが
たしか小橋モスマン対グラジ保坂だったから気持ちは分からなくないけど >>445
馬場って、モスマン好きだよな。
しかし、保坂って… 保坂は悪いレスラーじゃないけど全日初ドームのそのカードは荷が重過ぎるな 保坂は大仁田の信頼があつい選手の一人だったような。 確か、
田上&井上雅&大森vsグラジエーター&黒田&保坂
だったかな?
黒田の『哲ちゃんカッター!!』で失笑が漏れていたような。 >>445
半年前に25周年大会で、三沢vs小橋やったからな。
馬場の信頼以外にも、順番的に三沢vs川田は妥当だよな。 同じドームで渕多聞スミスvs金村邪道中川ってカードがあったけど
当時はメジャーやインディーというのが根強くあったせいか
渕も多聞も全く技を受けずに一方的な試合してたわ
唯一スミスだけが技を受けて試合を作ってた記憶がある 多聞はその3人と比べるとデカすぎるからな
掛けれる技も少ないだろうしそういう役割は自然とスミスになるんじゃなかろうか
渕のそういう所は客が観たいのもあるし相手も想定内かと >>445
丸藤のインタビューでこの時小橋とすれ違うだけでビンタされたって
言ってたから相当荒れてたんだね 小橋が発狂後ゴネにゴネて小橋エース対ハンセンベイダーになったんだけか
前年ベストバウトの男が最初のカードじゃたしかに「俺は不要なのか?」ってなるよな ベイダー小橋のシングルでベイダー相手に寝れば良かったのに >>455
それは来年の目玉に取っておきたかったんだろうな、うまくやれば小橋対ベイダー
なんてドームのメインにできるしな。でもあっさり文体で1月にやちゃったんだよな
ケチらずにすぐ出した三沢の英断とも言えるし逆にじらしにじらして引っ張るような
老獪さと手腕がなかったとも言えるが 全日ドームの小橋って1回目はこれで2回目は老いたロードウォリアーズと6人タッグで
あんまり美味しいポジションもらえてないな
田上はもっと美味しくないけど 2回目は観戦してないが結局一番盛り上がったのは馬場が出てきたときだった気がする 基本カードが無いんだよ
CCで実現しちゃってるから。言わんこっちゃない。2ブロックで続けてほしかった。 全日のドームって今見ると2回とも外様選手が絡みすぎててあんまりわくわくするカードないよな
全日のドームなんだから全日勢でしっかり勝負すりゃいいのに
前座にはインディー選手がワラワラいるし後ろの方にはロードウォリアーズやらベイダーやらいるし
でもカードは460の言うとおり出尽くしてるから無いししょうがないけど・・・ >>461
99年のドームでは川田対橋本ってのも挙がってたんだよね。共に復帰戦として。
実現したのはその5年後の武道館だけど 99年ドームは
セミがかなーり薄味に終わったのが痛かったなー。
エースアニマルの兄弟トリオは貴重だったが。
ジュニアの6人タッグが面白かったけどなんか不穏だったんだっけ? 保坂はドーム後しばらく
who is this? this is hosaka てのを売り文句にしてたね。 サスケハヤブサと小川が握手するかどうか引き分けで良い試合ではあったよね
みたいな空気の中で全日勢が誤爆を引きずって乱闘とかいう凄い空気のズレたことしてたな
あの試合の注目はサスケハヤブサと小川良成なのに垣原モスマンと揉めても何も盛り上がらないわ
もちろんそれが今後のストーリーに繋がるでもなく サスケがGPのベルト持ってったよね。
カッキーてよく揉めてた印象 最高峰のカードをCCの決勝でやって、そのあとのドームだからカードが無いよな・・
結局、優勝者vs誰かなんだけど、ゲストがいきなり三冠挑戦ってのもね。
同じカードをまたやらなきゃいけない...選手のモチベーションが大変だったと思う。 2ブロックでやれば三冠王とリーグ戦覇者がカーニバル中に対戦しなくて済むし、約半分のカードが温存できる。
1ブロックはいいことないね。 >>468
93年の新春G・エキサイトは興行不振だったから、
危機感があったんだろうな。 >>469
まあエキサイトシリーズの武道館なんか5大シングルマッチと銘打ってはいたが
次期CCを見越してけっこう出し惜しみしたカードだったな
たしか秋山ゴディ、渕菊池タイトルマッチ、小橋スパイビー、ハンセン川田、三沢田上三冠
だったかな、武道館に見合うのはハンセン対川田くらいだと当時感じたがよく入ってた
この日観戦予定の友人が一人来れなくてダフ屋に1500円で5000円の一階席を売った
その友人分の席に座った人にいくらで買ったか聞いたら10000えんと言ってたのを憶えてる チャンピオンカーニバルの前に武道館やるくらいなら、チャンピオンカーニバルの決勝を武道館でやった方がよかったのに。
あとは、6月、9月、12月(最強タッグ最終戦)の計4回を崩さなければよかったのに。
いくら、超世代軍で潤っていても全日本プロレスの体力は、そんなものだった。 リックルード、デイビーボーイスミス、テリーテイラーなど自国ではスターだった選手も来日してが合わなかったのかそれ以降呼ばれなかった…ビッグブーバーは意外と頑張った方だった >>444
副音声で、川合俊一と、金子アナ。伝説の馬場さんが、泣いてぃます。と言った 小橋&菊地がカンナムエキスプレスから、アジアタッグを奪取した仙台大会。
実況していた福沢アナウンサーが、自分が実況したなかで最高の試合だったって言ったことで、伝説の試合という位置付けになっている。
自分も現地で観戦したが、あれを越える会場の雰囲気はなかなか出てこないだろう。
(後でテレビで見た時も、内容はずば抜けて良いとは言い切れないが、試合の内容と会場の雰囲気と実況がマッチしていて興奮するんだな)
この後のアジアタッグ戦線でも超世代軍vs鶴田軍をやろうとして、後楽園で渕&小川相手に防衛戦を組んで、30分以上の試合をやっていたが、あそこまでの盛り上がりには、ならなかった。この頃の小川は、ジュニアに挑戦したこともない。
この頃は、何でも超世代軍vs鶴田軍の形式にしようとする動きが強すぎた気がする。
ジュニアに至っては、渕一強時代で盛り上がる要素もなかったが… >>466
竹内さんが『IWAのベルト』って間違っていた記憶が… うろ覚えだけど
この時期元プロボクサーが
全日に入団しなかったけ
デビューしないで退団したと
週プロにのってたような記憶
写真が掲載されてなかったから
どんな奴かすげー気になってた >>476
馬場亡き後の三沢体制になってからスーパーヘイトこと平井もこの頃全日入門したんだっけか
セコンドでよく見かけたよね
皮肉にも全日で試合するようになるのは分裂した数年後だったけど >>477
三沢社長の時に一回入ったけど新弟子扱いが嫌だかでやめて
大量離脱後の元子体制になってから天龍の手引きかなんかで再入団だな
実績と技量考えりゃ新弟子扱いが当然と思うけど >>476
浅見だか浅利だかそんな名前だったと思う。
>>477>>478
平井はWARで一時期エース候補まで行ったからねえ、冬木軍離脱で仕方なくビガロ&平井組で売り出そうとしていただけだが。
維震軍との札幌の7vs7にも入れられたくらいだから期待だけはされていたんだろう。
それが浅子、雅央どころか志賀、金丸よりも下の扱いだから我慢できなかったんだろうな。 >>479
ボクサーの人は数日でいなくなったと
聞いたが。 >>474
その後楽園のアジアタッグで初めて菊地が渕からフォールを取ったんだったか
そして意外にもあの時が全日デビューだけによる初のアジアタッグ戦でもあったわけで >>477
平井はWARのメインに出たり新日ヤングライオン杯に出たりしたけど90年代末期の全日に練習生扱いで入門したけど渕に使えないとか言われて試合に出る事なかった >>482
意外とタッパあったし、父親の伝手もあったのかもしれんけど
面構えがどうにもやる気なさそうだったね >>481
そのアジアタッグは92年7月だが、菊地は91チャンカーとその年の7月の大阪で渕から勝利を挙げていると思う。 ふと思い出したんだが昔の全日って無意味なカードが多かったよな。後楽園2連戦、テレビ収録があっても無くても無意味なカード。
92新春シリーズの開幕戦。川田&菊地vsハンセン&エース。こんなの菊地が負けるに決まってんのにどういう意図があって組んだんだろ。 プレステの王者の魂て全日ゲームがあるのだが、
裏面にキャラが
馬場
川田 小橋 三沢
と書いてあって、ああもうこのころは小川弱とアンタッチャブル組んで
馬場と三沢が仲たがいしてた時期なんだな、と哀しくなってしまった
川田が馬場の下に書いてあるのも、すげえ意味深ww この頃後楽園最前列に必ずいた60代くらいの母親と20代から30代くらいの娘
たまに父親が座ってることもあった
ちなみにその親子生粋の超世代ファンだった 当時より今の方が金はある
でも今、見に行くかとなると金がもったいないって思うんだよね
結局、見に行くか見に行かないかはどれくらい好きかで決まるんだろうね アルバイトできる年齢になった頃はこれで幾らでもプロレス見に行けるぞーて喜んでたな…
一番最初にチケット買ったのはジプシージョー見たさでWINGだった… >>485
同じシリーズのテレビマッチで、ハンセンと菊地のシングルマッチもあったね。
あと、別のシリーズだと
鶴田&田上vs三沢&菊地
三沢vsジョニー・ガン
川田vsスマザース
あっ、川田vsスマザースは放送されてはいなかった。 >>491
テーマとしては格上がどう格下を料理するか?
その後のタイトル戦線にむけての調整試合的な位置付けだったと思う。
その中で格下の方がどれだけ食い下がれるか?という所も。
タイトルにむけての前哨戦として6人タッグもいいけど、こういう明らかな格下相手の調整試合みたいなのも俺は嫌いじゃなかった。 【速報】金券五百円分とすかいらーく優侍券をすぐもらえる
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川田vsスリンガー
テレビマッチだったけどO.Aされず
生で見たけど川田はスリンガーを潰しにかからず
持ち味を出してあげたので会場かなり盛り上がった
O.Aされなかったのが悔やまれる >>495
I田欠場、三沢が散々だったシリーズだね… >>495
田上の初の三冠戦、小橋&パトリオットの初タッグがあったからね。 >>495
スリンガーは割とバチバチいくから川田の好きなタイプのレスラーだったのかもね
自分は両者とも好きだったからその試合見てみたかったなぁ 当時はまだ二十歳くらいだったんだな。
タイトルには縁がなかったけど、三沢もノアになったからスリンガーを呼んでたし認める所があったんだろうね。 >>498
スリンガー遠慮なくバチバチ行ってたね
それに川田が怒ることなくしっかり受け止めてたので
会場もスリンガーに対して声援が増えてきて
理想的な試合だったよ
フィニッシュが意外にも垂直落下式ブレーンバスターだったんだよな
この試合以外にも小橋パトリオット組の試合や三沢が肩を負傷しながらも
意地のフェースロックで勝った試合もかなり盛り上がったね
メインの三冠戦がイマイチだったので余計他の試合が目立ったな >>500
ハンセン対田上だね
松戸は毎年カードが良かった… >>500
このシリーズは、殺人魚雷やカンナムは参戦せずだし、鶴田の欠場や三沢の負傷等かなり台所事情が苦しいシリーズだったように感じる。
ハンセンとパトリオットが抗争する形になっていたけど、パトリオット自身が、ウィリアムスや小橋にシングルで負けているから、いまいち盛り上がりに欠けたし。
あと、日テレも福沢アナウンサーが高校生クイズで不在だったよね。こちらは、この頃は毎年のことだったが… >>502
三沢かなりの重傷だったように思ったが
次のシリーズ何事もないように試合して三冠も獲ったんだよね
パトリオットはいいもの持ってたけど持て余してる感はあったね >>501
とはいえ武道館の回数が増えると
松戸でやらなくなった。
93年以降だと1回だけ来たのかな? >>504
99年7月のアンタッチャブルvsバーニングの時だけだね、松戸は。
松戸の隣の流山で行われた97チャンピオンカーニバルは観に行ったよ。田上vs秋山で田上が意外とあっさり勝った。 松戸といえば90年にウィリアムスの高角度バックドロップで
川田が落とされたときは会場中ヤバい雰囲気になったが
カウント2で返したときの盛り上がりは凄かった >>506
小橋も94最強タッグのvs川田&田上でバックドロップで真っ逆さまに落ちた気がする。
一回転して後方に着地するか迷ってバンプに失敗したんだろうね。
川田の件はテレビで観たから俺も憶えてる。 >>507
個人的にはあれが川田の分岐点になったかなと思う
相変わらずシャーコールは消えなかったけど
あの試合以来メイン級で使われるようになったかな
まだその頃は三沢の正パートナーではなかったし小橋推しが強かった
まあ最もフットルース時代から野次の対称はほぼ冬木だったし
川田には酷い野次はなかった 真っ逆さまバックドロップといえは
ハンセンスパイビーが田上にやった合体バックドロップ >>506
あれ直前に川田がウィリアムスの耳元でバックドロップと言ってるの入っちゃってるんだよな 川田の垂直落下BBてヤバイ落とし方してるよね
大ジャンプして突き刺してる。。。 >>492
カードやテーマによりけりかな。
ビック・ブーバーがM井上とシングルやったのは、ブーバーってこんなレスラーなんですよって紹介する意味合いがあっただろうし
ハンセン&ノードvsヤングブラッド兄弟も、ノードに取らせていたことから、ノードを売りだそうという意図が見えた
ただ、ハンセン&エースvsヤングブラッド兄弟とか、ハンセン&スパイビーvsブラックハーツなんかは、何の意図も感じない。
ブラックハーツなんて、ハンセンの椅子で流血したシーンがプロレスニュースの枠で流れただけだったし >>511
鶴田と川田はけっこう目立つよなw
>>514
ハンセンは格下相手にも容赦無いから俺はテーマ無くても楽しめたぞ デストロイヤーの息子のベイヤーはすぐいなくなったな
高齢デビューしてすぐになるほどザ・ワールドのレポーター
やって消えた
フレアーの息子二人は酷いけどこの人もアレだと思う 二世レスラーって大成しないよね。デビアスの息子、平井、百田力、ダンカンジュニア。
ウインダムはバリーはともかくケンドールがさっぱり。 カーチス・イヤウケアの息子ロッキー・イヤウケア
投網殺法がプロレスニュースで話題になってたな >>517デビアスの息子と力さんは三代目じゃないか? >>519
すまん、自信が無いが「テッド・デビアスの息子」と「百田光雄の息子」という意味だが俺の誤りか? むかしいた、新日本は腐ったミカンなるひとが
『スパルタンXの勝利後、聴ける大サビの部分がむだに爽やかだから、明るく楽しく激しかった』て言ってたけどまさにそうやな
スパルタンXの大サビは神 大成したらザ・ロックのようにそいつが一世になるだけさ >>518
ゴング前、何故か対戦相手がいつも
網を持ってるイヤウケアに
背を向けるんだよな 投網殺法のくだり、ニコニコで何度もみた。
今なら局地的な人気者になりそうなレスラー結構いたね。
ファイヤーキャットの中の人で亡くなったんだっけ? >>523
それは普段サイドバスターなんかやらない奴が浅子が相手になるとサイドバスターを仕掛けてヘッドシザースで逆襲されたり、
普段腰投げなんかやらない奴がケアに腰投げを仕掛けてDDTで逆襲されたり、ジャーマンなんかやらなくなった奴が百田にジャーマンを仕掛けたが堪えられてサムソンクラッチで丸め込まれるのと同じ理屈だよw
それやられると急激に冷めるw >>524
亡くなってるよ
>>525
1番萎えたのは鶴田が木戸に左でラリアット撃って脇固めされたやつかなw
さあどうぞってのが萎えるよな >>526
ブッチャーの対戦相手は、必ずブッチャーの額に集中攻撃してたからな。(凶器攻撃が大半) 連投ですまんが
ブッチャーが参戦していたときの全日観戦して
『流血戦あったぜ(ドヤァ)』したら、『ブッチャーとか言わないよな』って返されて、凍りついたことがあったわ。 バックランドとの試合ではキーロックを使わないといけない 煽りとかではなく真剣に>>528の意味がどうしても分からないので誰か教えて ブッチャーなんかどの団体のどの試合でも定番ネタのように流血してるんだから
そんな定番ネタで「エキサイティングな試合があった!!」みたいな顔すんなよ
って友達に言われた、見透かされたって話だろ >>525
仲野が鶴田に張り飛ばされたのも、
一回でやめとけばファンの心にもっと
強烈に残ったのに、その後川田あたりにも
何回もやらせたから埋没してしまったね。 >>520
テッド・デビアスの父親を知らないならまだしも、
もしかしたら、百田光雄の親父がレスラーだったのを
知らないのか? >>527も微妙にさあどうぞの意味を履き違えてるしちょっとアレな人かもしれん >>526>>529
鶴田が三沢にジャンピングラリアットくらうと股を開いて座ってフェイスロックを待つのが定番。
健介のコーナーでのフェイスクラッシャー。相手が少し前に出るw >>536
めちゃ股開いてたよなw
>>537
顔蹴りまくるやつかな?冬木が急に太っててそれも衝撃だったわ >>534
百田の場合力の父親ってイメージが強くなったし、力道山ジュニアと言うのを抜きに百田そのものがレジェンドresuraとなっているからね 力とか、大地はがんばってるほうでは??
藤波レオナはまだ、いるのかな? >>533
仲野が鶴田を怒らせた男で名を上げたのは長州の藤波発言が飛び出した徳山大会だったか? >>538
冬木が太ったのは天龍から離れてストレスがなくなったからだと馬場が言ってたね
ただ天龍離脱後のシリーズは三沢に東京体育館、千葉公園と
フォールとられてたから馬場としては上で使う気はなかったと思う >>540
秋山相手に第一試合やってたが見れたものじゃ無かった たった3ヶ月で20〜30s太るってそれまでどんだけ負荷がかかってたんだろうな
絶対3か月で20〜30s痩せるほうが簡単だよきっと 後々冬木は、週プロのインタビューで、天龍について、
『WARの頃は、お互いに信頼しあっていたから、抗争していた』って言ってたけどな。
ただ、この話には続きがあってインタビューを受けた頃には、天龍が何を考えているのかわからないって言ってた。 時期を失念した。すまん 元子全日で、天龍冬木組で最強タッグ出ていたような……! そういえば、天龍カブキ組てないんだっけ?
プロレス名人どうし、いいタッグになってた
と思うんだけどな カブキって、毒霧とアッパーカットとトラースキックで試合を作り
アメリカでも活躍したんだから、
冷静に考えたら、凄いよな。
ムタも、カブキの息子って言って売り出してたわけだし。 カブキのトラースキックはガチ
某選手みたいにペチペチいわさなくても
凄まじい角度スピードで入れてるわ てか、トラースキックにしても
キック系でペチペチならすのやめねえか??
逆にしょぼく見える
カブキも初期馬場もけっこーえぐい角度で
入れてる >>549
色物じゃなく売れたなら凄いけど所詮はキャラ人気 カブキが帰国して脚光を浴びたのはこの当時空手を体得したプロレスラーが猪木、佐山くらいで全日系ではいなかったというのが大きかったかもしれない。 馬場も、三沢川田を士道館ではなくガマ・オテナ先生のところに行かせればよかったのに >>546
十年以上前に原の代役に指名されなかった因縁を今ここでとやってたな
だから川田組との対戦も熱かった >>555
優勝したのは、ウィリアムス&ロトンド
その後、世界タッグ王者決定戦をやったのは、
川田&渕vsケア&スミス 2001年くらいなら、ブリティッシュブルドッグス、カンナムエキスプレス、仮面愛国こん >>557
続き
も、世界タッグ王者になれたかな? う〜ん
やっぱ全日の看板タイトルはやっぱ
最強タッグ優勝でないかな
ウィキペディアの毎年のスポーツの欄の
プロレスの項に記載されるのは
東スポMVP、G1優勝者、
そして最強タッグ優勝者
医師は下手くそ、危険技いわれてるけど
やっぱ素晴らしいレスラーだと思う >>556
この年の優勝は武藤・ケアで川田は長井とコンビ結成
その前年の天龍は荒谷とのWARコンビだった なんか超世代スレでなくなってるなww
テンルー派、川田派のスレになてるw 四天王スレもそう
川田は旧全日ファンの心の拠り所だから川田スレになる >>562
川田をあげるのは構わないが、反動で他の選手を下げるのはいけない。 >>559
これで一年が終わるしめくくり、年の瀬、という時期がすごくいいんだろうな 川田使って他のレスラー叩きたいだけのやつもいるからねえ >>559
ウイリアムスは94年は素晴らしかった。
それ以前はゴディが少し攻められただけですぐカットに入る今で言うKY(笑) >>566ウィリアムスは93年夏で一気に化けて94年夏の三沢戦で本格化したよね
あの頃のウィリアムスの無敵感は凄かった ウィリアムスは95年の来日不可が無けりゃなぁ。
せっかく小橋と凄い三冠戦をしたのに。 あの武道館の三冠戦、凄まじいよね
でも、意外にも本当の危険技は
ラストの殺人バックドロップ3発だけなのも
良い >>569
“バックドロップドライバー”は、93年の三冠挑戦者決定戦な。 >>568
あの三冠戦が自分的な小橋のベストバウト 94年9月3日のウイリアムスvs小橋は40分越えだっけ?
長ければいいとは一概には言えないが、よくそんなに戦ったと感心するわ。
一つ前の武道館の三沢vsウイリアムスが27分くらいだったと思うが、30分弱でも不満は出なかったと思う。何が彼らをそこまでさせたんだろうね。 >>570俺はそっちの試合の方が衝撃的だし熱かったから面白いと思うぞ 正直言ってあの危険過ぎるバックドロップは好きじゃない。
オクラホマスタンピードじゃ駄目だったのかね。
2回コーナーに叩きつけるのは少し間延びしている気はしたけど。 鶴田のバックドロップが丁度良かった
川田とウイリアムスのバックドロップは危険すぎたな バックドロップがフィニッシュになってからオクラホマスタンピードが雅央レベルでもあっさり2カウントで返してしまう技になってしまい悲しかった オクラホマスタンピードもハンセン、鶴田、三沢からピンを取れた技だったんだけどな。
コーナーに2回は間延びするから一回でちょうどよかったと思う。
殺人バックドロップは鶴田のバックドロップとは違って制御が効いていない感じでヒヤっとするからあまり好きじゃなかった。 vsハンセン&エースの世界タッグ挑戦者決定戦のときの、オクラホマスタンピートを繰り出したときの
山本アナの『オクラホマにエースを連れていくか?エースは千葉(世界タッグ挑戦)には、行けないのか?』は、なかなかのフレーズだと思うぞ。 ハンセン&エースとなるとやはり最強タッグで三沢&川田を相手の逆転勝利 若林「ラリアットに気をつけろよ!!!」
若林「ウェスターーーーーン!!!!ラリアット〜〜〜」
ぐったり崩れながら川田に覆い被さるハンセン 確か93年のジャイアントシリーズだと思うけど、
開幕戦の6メンで小川がハンセンにパワーボムでピン取られた後、川田がハンセンを襲撃。
が、返り討ちにされた時のウエスタンラリアットが凄かった。
今でこそ見慣れたムーブだけど川田一回転。
失神した川田を介抱する田上の姿に哀愁が漂ってた。 >>579
その最強タッグの前のシリーズ、20周年ツアー。
大阪でも三沢&川田vsハンセン&エースが行われて川田にタイツ引っ張られて白い尻を出したハンセンが不憫だった。
翌日、友達が「ハンセン(タイツを)直さない」とゲラゲラ笑っていた。 川田の三沢超えてドームと大阪が有名だけど、
武道館でもシングルで勝ったやつあったっけ? >>580
ハンセンをリングの上に残すからこうなるんやでby馬場 >>582
副音声ゲストのハイヒールがハンセンのお尻って連呼してたな。 >>583
厳密に言えばある。
チャンピオンカーニバル決勝の小橋も交えた三つ巴の試合の2戦目
30分戦った後の三沢からパワーボムでスリーカウント。 川田のvs三沢シングル初勝利の札をあんな切り方するんだから勿体無いよなぁ
それとも不利な状況だったがために遂に負けてしまったみたいな形を三沢が希望したのかね >>587
営業的に確実に儲かる三沢vs川田を組む時期が来た。96年は三沢と川田の三冠戦は一度も組まれず、そろそろ組むかという時期。
カーニバルで形は悪いが三沢が寝て川田の優勝→挑戦決定。
三沢が勝つことで星を返す。まあ無難な展開か。正直、川田が負けるとは思わなかったけどw >>587
川田がドームで三沢に勝ったときに、某アナウンサーが『20年来の悲願…!!』って実況していたような気がしたが…、
まさか、97年のチャンピオンカーニバルの決勝を知らなかったのか? 世代を超えるってのとスーパー世代のダブルミーニングじゃね。 >>586
あの巴戦でおなか一杯になって四天王プロレス卒業した人は少なくないはず >>592
いいところを突いている。卒業はしなかったけど、シングルマッチで30分以上戦っても凄いと思わなくなった。
必殺技をキックアウトしちゃうのもそうだし。どうせ決まらないんだろって見るようになった。 やっぱスパルタンXて名曲だよね
なんかアレがラストで流れると
まさしく明るく楽しく激しい気持ちで帰れる
ホーリーウォーはちょいと暗い
グランドスオードは盛り上がるのだけど
むさ苦しすぎるwww Holy Warっていつから入場曲になったんだろ?
鶴田との三冠戦の時はまだ前テーマだった気が。
Grand Swordも三冠奪取の時まだだったはず。
秋山の何とかエクスプロージョンも知りたい。 スパルタンxは一時上田馬之助が使ってた印象があって三沢がタイガーを辞めた
直後の武道館のメインで流れた時「上田のテーマだ!」と思った >>596
ハンセンとの三冠戦辺りからじゃなかったかな?ガウンも着るようになった頃
小橋は98年の川田から三冠奪取した試合から
秋山はわからない >>596
ホーリーウォー:92年1月2日、後楽園から。
秋山:97年1月。田上とのシングルで勝った大阪で流れた。シリーズ頭から用意していたが、三沢と組んでいたため三沢の曲で入場することが多かった。 秋山はシャドウエクスプロージョンもスターネスも
曲調はカッコいいのだが、
コールや手拍子が起きる曲ではないね
やっぱり本人はハナからエースやベビーには行きたくなかったのか 小橋のsniperは自然と手拍子したくなるんだよなあ。 小橋はやっぱスナイパーが自分的にも最高
特に田植えから三冠獲った後のスナイパーは
なかなか感動的ラスト Grand Swordは作曲鈴木修氏だっけ?
三沢のスパルタンを継承したみたいな正統派エース的な感じの曲だよね
コールもし易いし
個人的には初期のバージョンが一番好きだけど
Holy Warは川田が「天龍さんのような(サンダーストーム)重厚感のある曲を作ってほしい」、
と依頼したんじゃなかったかな
曲調が似ていると言えば似ているよね 鈴木修氏の曲って同じ曲調ばかりでつまんないんだよなw わざとそういう手法にしているの!
バカなお前みたいなプロレスファンに複雑なの作っても、無意味でしょ! >>605
同じ曲調のものばかり作り続ける方が無意味だと思うけど。 ハンセン&デビアスとゴディ&ウィリアムスの戦いは実現しなかったんだよな。 う〜ん
爆勝宣言は熱さと爽やかさが見事にマッチしていると思うけど、
小橋好きだけど
グランドスオードは小橋曲の中でもむさ苦しすぎると思ってしまう。。。w
アレを聴いていると
小橋が顔も身体もイケてるのに、
嫁さんもらうのがずいぶん遅れた理由が分かってしまうww 小橋か秋山に、一回しか使われなかった幻の入場曲TTバックドロップを継承してほしかった 小橋って今の奥さんと10年付き合ってんだよな
癌になってタイミング逃したのはわかるけど
よく出来た人だしもっと早く結婚してよかったと思うわ >>610
小橋ホモ説を発てた輩は小橋に謝罪しなさい。 おまいら、伝説のホーリーウォーBBBverて知ってる?w >>612
99年のサマーアクションシリーズの三冠戦の入場で流れていたやつだな。
あのイントロをバックに
アナの『…プロレスの神が川田に与えたのは、三本のベルトと白く冷たいギプスでした。』
っていう実況が凄くマッチしていたな。 ホーリーウォーはやっぱBBBverが最高
三冠パワーボムの試合もアレじゃなかったけか
後年、ゼロワンで世界ヘビー級ベルト獲って外敵ヒールやってた時も
アレで入場してたなあ ヒールがいいと盛り上がるからな。
このスレの主旨に戻すと
超世代軍=ベビー(主人公)
鶴田軍=ヒール(壁、好敵手)
福沢アナウンサーは、鶴田軍は田上を中心にヒールの色合いが強いとか言ってた記憶もある。 三沢はルックスもベビーフェイス。
鶴田は顔も強さもヒールかもね。
全日で華って難しいけど、三沢はストイックな華だった。
エルボーを必殺技に仕上げたのは信じられない。
だって痛め技のエルボーだぜ。フィニッシュホールドまで
よく持っていったよな。 アメプロでチョップはネイチが有名だけど
ピープルズエルボーとか特殊なのじゃなくて、
ふつうのエルボーで有名な選手ているかいな?? >>617
アブドーラ・ザ・ブッチャーの毒張りエルボー >>617
ドリーファンクジュニアのエルボースマッシュだな。
ブッチャーのは、特別なやつだな。
正直すまんかった。 >>618
ブッチャーのはエルボーというよりボディプレスだろ。 >>617トップロープからのダイビングもありならランディ・サベージ マイティ井上を失神させた大森のダイビングエルボー。 >>616
大阪の6人タッグで失神した渕とか、会場は忘れだがエプロンでエルボー食らって長いこと場外で倒れていたジャンボの協力も上手かったね。 >>623
福沢『エルボーのフロンティアスピリッツ!!』
ジョー『ワーン、ツー、スリー(何秒かかったかは不明)』 ファイプロやキンコロは氷川さん信者だから
ランニングエルボー
ふつうのローリングエルボー
エルボー連発→ローリングエルボー
エルボースイシーダ
ファイナル・ローリングエルボーと
凄まじく充実しているww ジョーのカウントは正確な3秒って言われてるけど明らかに3秒以上かかってるよな ジョーのカウントほど気持ちがいいカウントはないな。
落ち着いてるというか安心というか。 >>617
ダスティローデスとかグレッグバレンタインは… >>628
ミスター高橋はカウント2.5での手の止め方があまりにもわざとらしかった。むしろ2.5で止まる前提の動きだった。
黒子に徹するという点ではジョーさんはブレが無かったな。 >>626
92年のことだけど氷川のエルボーで流血w >>626
ファイナルローリングエルボーって
エルボー→ローリングバックエルボー→左右エルボー打ち分け→ローリングエルボーだっけ? ジョーはオープンタッグのフォーク攻撃を止めないのがw
あれはやる方も悪いけどな。レフェリーと激突して見ていない時にやればいいのに。
何でジョーは正面に回ってチェックしないんだ?って思ったぞww >>634
ジョーの失神芸は、この事が教訓になった…とは考えられない? >>632
初期の氷川さんは
エルボー打つと「オッケー!!」って言ってたねww >>633
ファイナルはそれであっているよ
あと、ファイプロリターンズの氷川さんには、
超マニアックなVS小川直也・ビッグ村上にやった
横抱え式ジャーマンまで入っているww >>637
うわぁ、玄人受けするわそりゃw
あとはダイビングネックブリーカードロップとかリバースフルネルソンデスロックとか
あれば文句なしだね >>635
長州がハンセンからPWFを奪取した試合では、
ハンセンのラリアットを長州がかわして、
樋口にラリアット直撃! >>641
小橋&菊地組の専用テーマと浅子覚(ノーフィアー加入前)のテーマって同じ曲なのかな?
なんか聞いてたら同じ曲のような気がするんだよね >>638
今はファイプロワールドってのがあるんですが
ダイビングネックブリーカーは有ります
リバースネルソンデスロックは無いですが他のゲームにあった気がする
ジャイアントグラムだったかなぁ >>642
同じ。浅子のその前の曲が悪すぎたこともあって変えたことは正解だと思う。 >>642
イントロ部分が違うがその後は同じ。
小橋&菊地組仕様の方が好きだった。 浅子は超世代軍で引退試合したよな。
黄緑のショートタイツ履いて、三沢&小橋とチームを作り、超世代軍を一夜限りだが復活させた。
小橋もあの頃のオレンジのショートタイツだった。
対戦相手は、田上&井上&橋
おそらく、聖鬼軍をイメージしたかったんだろうが、川田、渕は全日、大森も退団していたから、ジョバー兼で橋の起用だったのかな。
まあ、橋を本田に代えて、井上から浅子がとるのもありだったかも。 ファイプロの姉妹作品、
キンコロの三沢さんには
リバースネルソンデスロック
ダイビングネックブリーカーもあるよ!
あと連続タイガードライバー
原型タイガードライバー91
原型エメラルドフロウジョン
とまだまだ超マニアックな技もwww >>647
三沢の隠し技といえば
タイガースーパースープレックス
一度だけ魅せたダイビングローリングエルボー
あと三冠戦で田上やオブライトを仕留めた事もある、思いっ切り溜めて振り抜くローリングエルボーとかもあるか まあでもファイプロは
初代からずっと全日系とU系が強いな
こないだファイプロリターンズで永田さんVS渕やったら
フッチーがふつうに勝ってしまた。。。 >>651
良いんじゃない?
ただあの技はだいぶ後だよねw 三沢川田はフィニッシャー決めてない説があるが
もし真実なら
本人同士はかなりいやだったろうね
リアル我々は殺し合いをやっているのではない!ww >>653
三沢川田はフィニッシャー決めてない説
そりゃ京平もミスって川田がピクリとも動いてないのに一人回転してカウント2やっちゃうわ 田上が不甲斐無い試合続いて、鶴田が激怒していたこともあったっけ 小橋のいいところは
セルが天龍式に豪快なところだよな
ジャンボみたいな余裕たっぷりピクピクとか
ブロディや川田みたいな、ふざけたピヨリ芸とかじゃない
そのへんが今でも黒カリや永田さんとも良好な要因かも >>656
七番勝負の試合後に張り手をしたことはあったような。 同田貫とかデンジャラスキックは三沢・川田が年齢的・肉体的にも衰え始めた頃の
フィニッシャーだったね
単純かつ相手へのダメージも多きいし、これが決まればそらぁ勝ちだろうっていう
ちょっとズルい技って気がするけどw
00年代で既に身体ガタガタだった二人にはその当時の自分に合った新しい技がどうこうとか
そんな余裕はなかったのかもしれないけど 最後の三沢川田、おまいら的にどうよ??
ギリギリ二人とも動けてて、
最後はエメフロも91も返されて、ランニングエルボーで決着とか
二人の最後の勝負らしくて好きなんだが >>660
全盛期ではない枯れた二人の剥き出しの感情が切なくそして素晴らしい試合。
三沢の顔面ドロップキックで川田のガチ意識混濁。
それをさり気なく三沢が介護して意識復帰してからの川田の怒りの反撃。
三沢がエルボーで攻撃してるのに対角線に追い詰める川田。
ランニングエルボーを撃つための間合いを作るために必死にエルボーで振り払う三沢。これではまだ負けられないと追いすがる川田。
それを断ち切るランニングエルボー。
実況平川、立会人の天龍の絶妙な掛け合い。
エルボー、キックの時の無言の貯めからの「これが三沢対川田です」
この試合俺は好きだよ。 レフェリーはやっぱ京平のがスピード感と迫力が出るな >>662
当時はそうだった、この前俺たちのプロレスの最新号三沢特集で京平インタビュー
読んだら「俺と三沢、二人だけの密室での約束」とか「俺がついてたら三沢は
あのような事にはならあなかった」「ノアに足りなかったのは和田京平」「ノア時代の
三沢が飲むたびに、京平さんがいてくれたらなあ、と言ってた」とか裏取りようのないこと
連発してたのはちょっとあきれたな >>661
この頃の天龍は普通に話せているような…
あんな滑舌悪くなったのはいつくらいからだ?
平川アナの実況の実力は、全てのプロレス担当アナウンサーでもナンバー1だろう。異論は認めない。 俺もあの頃の京平は嫌いじゃなかったけど今はなぁ
女子プロのガチの殴り合いになった数年前の事件もレフェリーは京平だろ?
なのに「俺がいたらあんなことにはならなかった」は事件の本質は違えどあまりにも説得力がないんじゃないか? 京平が「一度、K-1かPRIDEも裁いてみたい」
とか言ってたけど
どんな試合になったかすげえ気になるwww 西永のタイガー服部以上の無味無臭なレフェリー感は逆にすごい
四天王スタイルをさらに『スポーツライク』にしようと思ったら
京平以上に適任だったかもね
三沢は「キョーヘー!!」コールがあまり好きではなかったとかww 丸KENで一度だけ京平レフェリーしたけど、
違和感ありまくりでしょっぱくなってしまた
やっぱ京平くらいキャラと色の濃いレフェリーは
場所や団体を選ぶな >>664
あの人は若林や矢島のようなハイテンションではなく正統派の完成形だね。
あの三沢と川田の無言の間は誰にも真似出来ないし誰も出来ないと思うな。
>>665
京平もそうだけど川田も後出しジャンケンでしかないからね。
当時副社長の時に三沢をフォローしなかった川田が何を言っても…というね。
京平が居れば確かに違ったかもしれないけど、あまり確定的に言うのは良ろしくない。
そんなこと言うならば馬場夫婦、鶴田がいればこうはならなかったんだよ。 >>670
死人にくちなし。
京平が何を言おうが、それを証明してくれる三沢はもういない。
だから、嘘か本当かもわからない。 >>670
平川アナの無音実況を
NHKのアナウンサーが後々採用しているからな。
ラグビーの豊原アナ
高校野球で冨坂アナ >>672
あ、そうなんだ。
知ったかぶり失礼しましたm(_ _)m
教えてくれてありがとう。
>>668>>669
西永が一番のレフェリーだと思う。
全盛期の黒子に徹した京平は良かったけど地を出したり、年下とはいえレスラーに駄目出しするのを表に出しちゃいけなかったな。 じゃあ福田明彦さんのアジアタッグのミスの話でもする? >>674
福田レフェリーといえば、チャンカーのベイダーvsオブライト戦でも微妙な3カウント入れてしまってベイダーが怒ってたね 衰えたとはいえベイダーオブライトも注目のカードだったのにねぇ
客もレスラー2人も不満顔でブーイング >>425
>>671
> >>670
> 死人にくちなし。
> 京平が何を言おうが、それを証明してくれる三沢はもういない。
> だから、嘘か本当かもわからない。 >>665
小島と天山の三冠IWGPダブルタイトルマッチでも60分間近で天山が脱水症状で動けなくなった時も毅然とダウンカウント数えれば良いのにアタフタしてたからなぁ
サブレフェリーだった田山も介入せざるを得なかった状況からして、後のヨシコの件といい、不測の事態には滅法弱いよね
それで「俺がいたら…」なんて良くそんな事言えるよな、と
西永レフェリーはノア全盛期までは服部、京平、海野よりも評価高かった気がするけどね あと、川田のガチキックで
高山完全失神のときも京平だったよねwww
京平がK-1やPRIDE裁いたら
やべえ事故起きそうなwww ただ、西永もノア後楽園・ビッグ村上の乱も
裁いてるからな
でも、アレが西永以外だったら
もっと大混乱で悲惨なショーになってた
可能性も 京平は周りが言うほど上手くない。地方で何度かミスも見たことあるし目立ちたがり屋。毅然としている時はいいけど。 >>668
あなたの言う通りだと思う。レフェリーにコールがそもそも良くない。
西永さんくらい透明感(女優かw)あるのが良いと思う。レフェリーのくせに出しゃばる奴は駄目。 >>663
そういえばそんなこと言ってたな。
そういうのって普通は他人が言うものだよな。
自画自賛して単なるうぬぼれじゃねえかw >>682
ジョーは、自らコールを望んだわけじゃないだろ。
京平は、自らコールを望んだけどさ。
ジョーさんは、レフェリー引退後も全日、ノアでも大事にされていたよな。
本人も残りの人生も楽しかったんじゃないかい?
ちなみに、ジョーさんのレフェリー引退と、福沢アナウンサーのプロレス実況卒業は同じ日、同じ試合な。
これマメな。 三沢ウィリアムスの三冠戦か
試合後の三沢が「今日のウィリアムスは調子悪かったんでしょう(笑)」とコメントしたように
あの試合前後くらいから三沢のウィリアムス評が一気に下がっていく >>663
三沢が全日社長時代のとき百田やジョー樋口ですら社長と呼んでたのに
和田だけは絶対に呼ばず最後まで呼び捨てだったんだよな
マイティが指摘したんだけど俺の勝手だろってケンカ越しに言われたらしいよ 三沢の呼び捨ては最後まで元子派でなくてはいけない立場でもあったからかな。
ただ京平は武藤全日本でも増長していたからね。
裏方は自分の会社を守る以外は選手を立てなくてはいけない。
仲田が真壁に表で挑発めいた事をしたけど、それはしてはいけなかった。
真壁は「やらないと思ってるだろうが本当にやるぞ」と言ってたけど当然の事。
田中ケロも増長したしね。見える所でやっちゃいけない。 平井事件の時に武藤社長に「まず謝ったほうがいい」って助言したというエピソードが
京平ちゃんの最後の良いエピソードかなぁ
あとは残念なのばっか >>685
パンチとボストンクラブで試合を作ろうとして失敗したからな。
週プロでも酷評されてたし。 >>684
全日ヲタクだったからそれくらい知ってるよw>マメ >>679
咄嗟にリングアウト10カウントで終わらせたのは好判断だろ >>679
あれはそういう試合だったと思うけどな。
前のシングルで川田に勝ったものの内容では強さを疑われる惨敗だった。
そこからの三沢への挑戦だったから高山には横になってもらって川田に箔をつける為のものだと思うんだけど。
あんな事狙ってやったら前田や永田と同じで首物だろう。(永田は長州に嘘ついて難を逃れたが) >>692
『俺が高山を怒鳴ったことも忘れないでくれよ。』京平 下がってろったら下がってろ!!!みたいなこと言ってたな
日テレの当時やってたえらい人グランプリという特番でそのシーンが取り上げられてたわ 高山も、武道館で世界タッグ挑戦が控えていたのに、よく寝たよな。
世界タッグは
小橋&秋山→エース&バートン(ガン)→大森&高山
って移っていたが
小橋組と大森組の間に外人を挟んだことで、小橋組の格を落とさずにノーフィアーを格上げできたよね。
同じ手法は
三冠
鶴田→ハンセン→三沢→ウィリアムス→川田
田上には、クイック的な感じで三沢から取らせたが
三沢→田上(クイックorアクシデント)→小橋
で、三沢の格は落とさないように配慮した雰囲気。 >>693
ごめん意味がわからない。
どういう事? 試合中にブレイクするように指示を出したのに、高山が従わなかったから、京平が怒鳴った。
実況の舟津が『和田』 >>698
実況の舟津が『和田京平レフェリーが強権発動』(棒読み)って実況してた。 >>698>>699
そう言えばあの流れになるのに京平のアシストがあったんだっけか。 >>682
西永さん、秋山のエクスプロイダーをこらえるために、泉田に腕を引っ張ってもらって耐えていた、小川の手を蹴りあげていたよね。 レフェリー話なら、
ちょいとスレチですまんが
昭和のジョーさんとミスター高橋はどうよ?
リアルタイムのひとの意見がほすい 西永レフェリーといえば2000年の3月の後楽園、秋山vs志賀。
秋山のスリーパーで志賀が失神。西永レフェリーがゴングを要請しようとするが秋山がそれを阻止、試合続行を要求。
西永レフェリーが志賀の胸を押し志賀が蘇生。試合続行。
これ現代なら「何で失神したのに続行させるんだ!」と非難されただろうな。
たぶん秋山の提案でこの過程になったんだろうけど演技臭かったなw 川田高山のはガチキックくさいんだよな
蹴りでダウンして場外リング負けて
タフさも売りの高山がそんな台本にしないと思う
あと、川田のキックは重さだけなら
ミルコより↑らしいよ >>705
この試合リングアウトという決着で
元子が激怒したんだよね。
馬場さんがいたらこんな不透明決着を許さなかった。 >>707
実質KO勝ちだったし当時の俺は単純に全日ってすげえ!って思ったけどな(´・ω・`) 川田はプロレスの巧さばかり最近語られるが、
デンジャラスな技も思い出してほすい
三沢を居酒屋で一撃でぶちのめしたガチグーパンチとかww >>712
写真の三沢を見る限りでは一撃どころかかなり何発もやられているような気がする。
今までのたまりにたまったものでしょうな。 >>708
和田が馬場の仏壇に泣きながらこういう結果になってしまい
申し訳ございませんと謝ってたのを
元子が聞いてしまいやっぱり三沢君じゃ任せられないと決心して
試合カードや内容にまで口出すようになった
それまでは試合に関してはほとんど三沢に任せてた う〜ん
しかし、そして三沢完全主体で運営してたノアで
事故、病気、スキャンダルが横行してたわけで
元子さんが善とは言わないが、
不思議なことに、
馬場マッチメーカー、元子マッチメーカーのときには
そんな事故、病気、スキャンダルは表ざたにはならなかったかと それと、元子さんの推しか知らないけど
99年最強タッグの田上、ハンセンの
明艦砲は意外と評判よかったよ >>717
99年は田上に、00年には川田に、
大一番を前にガウンをプレゼントしたんだよね
元子はそこだけは評価できる 三沢のゲスいエピソードなんかを聞くと
案外元子がまともだったということはないのか >>718
三沢、小橋でないことがガチすぎるww
川田のは健介とのドームかね
ファイトフォートゥモローってやつ >>718
元子なりにも三沢一派からの聖鬼軍の不遇っぷりが気になったのかな てか聖鬼軍派閥は全日残るかと思ってた
泉田とか、絶対残ってた方が光ったと思う 泉田・キマラ組って密かに人気あったよな
最強タッグも出てたね >>723
三沢自身も、選手数人で居酒屋やりながら団体やるつもりだったはず。
確か、田上がみんなで三沢についていこう!って煽ったんだよね。 泉田のいん石はダイビングヘッドバッドと違って
あのふざけた落ち方なのが逆に味があってよいww 元子は悪い話しか聞かない。ノアに行ったスタッフほぼ全員に相当煙たがられていたらしいし、分裂後に新しく入ったスタッフに対しても相変わらず酷かったらしいよ。
女が出しゃばると駄目だよ。調子こいて勘違いして武道館のリングで挨拶したりトークショーやったり。
単なる出たがりじゃん。主役は選手。あんなババアに需要はない。 >>728
日テレ引っ張り込んでる時点で三沢の真意は明らか
最初から全日潰すつもり >>729
潰すも何もそもそも元子が悪いんだろうが。
男社会で女が出しゃばると失敗する典型例。 男のプロレス団体なのにトップがオバハン
ってのはどうも。 >>730
オーナーからおまじないのように馬場さんガー、馬場さんだったラー、とか言われるの想像してみ?
誰がやった所で上手くいかないよ
後に武藤社長とも絶縁したしね おまいら、イズさんが
実はWWF誘われてたって知ってる??w みんなに逃げられた元子
数年しか稼げなかった三沢
人間性は知らんけどどっちも経営の才は無かったのは間違いないわ その二人のエゴイストに加えて
マイペースで我関せずなジャンボ
クレイジーな作家くずれのター山
小橋信者の市瀬
ジミー
この辺りを全てコントロールしていた馬場社長はすげえ >>568
あの試合は本当に良かったよ。
あの頃の小橋は本当に凄かった。川田と小橋の60分時間切れ引き分けも良かったね。 >>730
インターネットが生まれる遥か前、少なくとも80年代にはすでに「馬場の奥さんはとんでもない」って評判が口コミで広まっていたんだけど…知らないでしょ? >>738
ジジイは黙ってろよw
それ以上に三沢は酷いって話だアホ 秋山が将来のエースと期待されて入門した時、人気でないだろうと思った。 >>739
プ板に毒されちゃったおこさまちゃんなんだね〜、かわいそうに(笑) プ板でおこさまちゃんw相手にマウントとってよろこぶベテランさんww どっちがマウント取ろうとしったこっちゃないけど、三沢やノア勢になら何言ってもいいと思ってるような奴がプ板に毒されてるってのはそのとおりだと思うわ 本棚を整理していたら、
週プロ『夢の扉』92年の三沢川田表紙の
やつが出てきた
このときの武道館て
20周年記念で、おみくじやってんだな
しかもバブルのときだけあって
三菱のセダンとか
全日レスラーたちとハワイ旅行とか
凄まじく豪華だった
テリーも来場してたみたいだね あと、20周年パーティーのときの
ガイジン並び順が
ドリー、ハンセン、ウィリアムス、ゴディ、
ブッチャーだった
馬場はウィリアムス、ボロクソ言ってたけど
最強タッグ決勝でハンセンから取らせたり
実はそれなりに評価してたんだな >>740
なんで?
小橋とのデビュー戦は凄かったじゃないか。 >>747
入門したときだよ。顔みて人気でないだろうって 実際秋山の人気ってどうなんだろ
ノアスタートから数年がピークだろうけど 秋山全盛期→ノア初期
人気の最盛期→三冠奪取〜武藤撃破くらい 秋山も早く三冠取らせるなどもっと良く売り出せたと思うけど大森の扱いがとにかく酷すぎた。
他にスターになれそうな人材もいない。多聞、泉田、マスオとかパッとしない若手ばかり。
この状況で体格、ルックスも良い、大森を売り出さないのはもったいなかった。
新日の第三世代と同じ世代なのに酷い扱いだった。大森は入る団体を間違えたと思う。 まぁ、でも大森さんは全日のジョージ高野的な存在だったしなぁ。 >>752
俺の知人も「大森はセンスが無い」と言っていたけど、他に人材がいないんだよね。同期の秋山が凄すぎた不運もあるけど。
あの状況なら悪い所は目を瞑ってひたすら大森を推すしかないと思うんだよね。
強いて例えるなら2003年3月くらいの嵐無理やりプッシュみたいな感じになるけどw 分裂前末期は
秋山秒殺、カーニバル準優勝、ノーフィアー、世界タッグ&アジアタッグ
とかでけっこう注目されてたと思うけど
元子さんのお気に入りだったとか
ケアも 大森はしょっぱかったけどルックスゆえか若い頃からCCとかにも出場してたよな
見に行く予定の日に大森対エースとかの公式戦が組まれた時の絶望感 大森は新春バトルロイヤルで優勝したときの大森後に対する期待感からの盛り上がりが凄かった
で大森がコーナーにのってアピールしようとしてロープ踏み外してずっこけたの見て諦めた空気も凄かった
あの優勝決まってからずっこけるまでの数秒間が俺の中での大森の全盛期 どの団体にも属してない頃だったと思うけど某メーカーの大盛りカップラーメンが
「全国の大森さん大募集」キャンペーンやった時に一般人として応募、参加してた
時はフリーダムに輝いてた 分裂前全日末期て
秋山大森高山ケアのほかに、
シガが注目株だったてまじ??ww >>756
あのロープを踏み外したのってわざとじゃないの? >>760
注目株って感じはしなかったが、小橋のパートナーに起用されたのはかなり無理があった。
あんな細くてヘビー級は無理だよ。ハンセン、ベイダークラスとじゃ話にならん。 >>761絶対わざとじゃないだろアレは
今みたいに悪ふざけみたいなパフォーマンスが受ける時代でもなかったし、あの場あの空気でわざとそんなことするセンスも度胸も大森さんにあるとはとても思えない
クレバージョージ高野
プロレスセンスのある中西
くらいあり得ない 大森に秋山と並び立つくらいになってほしかったという願望を持っていたファンは相当数いたと思う。
だからこその五大シングルのメインになったわけで。
ここで大森が何度叩き潰されても立ち向かっていくという姿勢でいけばファンも感情移入していっただろうと思う。
ただ、大森がそのポジションを望んでなかったんだと思う。 その期待の二人が今は第二試合あたりでファミリー軍対悪役商会的な試合を繰り広げてる 大森って全日で不憫な扱いされたり、ノアに行ったもののWJに行ってしまったり、ゼロワンに入団したり、全く似合わないロングタイツ、新日に行って全く似合わない赤のショートタイツ姿、G1で棚橋に勝ったが他には特に大きな戦績も無く、
大森ほどの体格、ルックスがありながら絶対的なスターになれなかった。大森ほど回り道を重ねた不思議なプロレス人生を送っている選手も珍しいのでは。
これが泉田とかまさおみたいなレスラーだったら何とも思わないけど、大森はもったいないんだよなあ。 橋本ー大森のシングルめちゃくちゃ良かったけどなー
俺は四天王プロレスに胸焼けしていたからアックスボンバーとニードロップで試合を決める大森みたいなレスラーの存在がすごく好きだったよ >>768
だったらお前も何か意見出してみろよ。何も意見出さずに批判だけするお前みたいな奴が1番いらねえ。 大森さんも、実は武藤全日末期が
いちばん輝いていたかも
征矢とのゲットワイルドで
初の東スポ、最優秀タッグ なんなら、この頃の外国人の話でもしてみようか?
四天王スレも以前は、カンナムでめっちゃ盛り上がっていたし…
超世代軍の頃は、vs鶴田軍だけじゃなくて、外国人もバラエティーに富んで面白いのよ。
ハンセン、殺人魚雷、スパイビーの外国人4強が超世代(+田上)の壁になったり、みんな大好きカンナムエキスプレスやブルドッグブリティッシュズ、マレンコブラザー、 >>775>>776
興味かあればレスくれればいいし、
なければスルーでいいよ。
最後に、
レスが細切れになってすまんかった。
m(_ _)m 昔の紙のプロレス読んでたら
格闘家の須藤元気が、高校のアマレス部時代、
好きだったプロレスラーが、
なんとサブゥーと殺人魚雷だそうなww >>778
サブゥはECW時代が凄かったわ
メジャーでは魅力が出ないね >>779
ブリティッシュブルドッグス
マレンコブラザーズ
だな。
すまんな。 古い最強タッグのデータ見返してたら
なんと
ドリー菊地組とかいう
かなりマニアックなタッグがある
どんなもんやったん?? スマザーズスリンガー組とかもあからさまな白星配給係だったな、いいチームだったけど >>783
90年代のドリーはアルペレス、菊地、ジョニースミス、
渕と微妙なところばかりだったね。 渕が最後のパートナーだったんだよな
そして渕はそれがようやくの最強タッグ初出場 泉田キマラ組が、
意外と配給係じゃなくて
秋山から、いん石でイズさんが獲ったりと健闘している
さすが、スパスタ候補だっただけはあるなww >>789
泉田はデビュー戦が第四試合で、馬場とのタッグ(テレビマッチ)でデビューしたエリートだぞ。 馬場マッチメーカー時代は
けっこー期待、優遇されてんだよね→イズさん
泉田キマラ組、WWE派遣(予定)とか デビュー前から試合に絡んでたな、しかもテレビマッチとかで 馬場が死んで引き継いだ三沢がWWFの話断ったこと恨んでたよな >>794
馬場の大きい人優遇もわからなくはない。
大きい外国人に日本人が向かって行くシチュエーションは、判官贔屓の日本人にあっているし、ハンセン、ウィリアムス、ゴディ、鶴田に三沢たちが向かって行くシチュエーションで、一度はヒットしたわけだし
日本人と体型の変わらない外国人はジョバーになるしか道がないからね。 >>795もっと単純な話、テレビとかではわかりにくいけど地方巡業とかの平たい会場の後ろの席とか立ち見とかの離れた場所から観てるとデカイ選手が大きな動きでやりあってる方が迫力あって面白いんだよね >>794
ノアが失速したのも外人の使い方だったんだろうか 多少しょっぱくてもバイソンスミスをシングル王者にすれば良かったのに >>798
ブル・シュミットやナイジェル・マッギネスなんかも、育てがいはあったし
ダグ・ウィリアムスもタッグベルトを巻かせたのならば、もう少し上手く使えばよかったのにね。
モデスト&モーガンは、カンナムのポジションで使って欲しかった。 超世代の時代と言えば、プロレスニュース。
プロレスニュースが800をゲット致しました。
ビリピン、ビリピン、ビリピン、プラスワン。 超世代の頃は、丸め込みや、ギブアップ決着も当たり前のようにあったが
川田がオブライトやUWF系のレスラーと対戦した以外は、三沢がジョニー・ガンをフェイスロックで仕留めたしあいが 新日がセイバージュニアを上手く使ってるね
ノアは外国人を使うのは本当に下手だね
ダニエルブライアンもヘビーで活躍させれば良かったのに >>801>>802
95チャンカー。三沢のリバースネルソンデスロック。ファーナス、大森、秋山に勝ちというのがあった。
盛り上がらないためか1シリーズ限り。 >>799
マッギネスが使ってたクローズラインはオカダのレインメーカーの原型と言ってもいい技だったんだよね
ROHではダニエル・ブライアンと並ぶ絶対王者だったのに、ノアではイマイチな扱いで残念だった
ROHでやったKENTAとの王座戦は凄く良い試合だったよ バイソンスミスは旗揚げして間もない頃からずっと参戦してくれてたのに
ちょろっとタッグベルト取っただけでほとんど美味しい思いさせてもらえなかったね >>801
三沢がベイダーの腕破壊した2000チャンピオンカーニバルは? 同じチャンピオンカーニバルで小橋がジョニースミスからアームロックで勝った試合もあったな 三沢って川田相手に逆片エビやったのを見たことあるが逆エビ見たことはないな。 >>775
91年のアジアタッグ戦線はとにかく凄かった >>799
全て小川弱より強いはずなのにみんなかませ犬にさせられたな 田上ハンセン組、明艦砲の決勝進出は
やっぱ元子さんの意向かね 明艦砲よかったよな。
それから、ベイダー&スミスもなかなかよかった。
前の年のハンセン&ベイダーみたいにリーグ戦では、無敵で 決勝も圧倒的に攻めていたのに、一瞬の隙をつかれて負けるブックもプロレスの王道だが。 99年最強タッグて
大型選手ばっかだな
ノーフィアーの二人もガイジンに負けてないし
あと、ウルフ・ホークフィールドが意外と大型なのに
気づいてびびった バイソンスミスと組んでた
キースウォーカー?だっけ
迫力あったからもっとプッシュしてもよかたかも 来日して早々にタッグチャンピオンなったけどお父さん亡くなってお葬式で
防衛戦に出られないってなったらベルト剥奪されて来日もパタッと無くなった
冷たいもんだわ エースクラッシャー(スタナー)と
のど輪落とし(チョークスラム)て
このころの全日が元祖でおk?
すげえな >>821スタナーはエースクラッシャーが元ネタだけど、チョークスラムはどうだろう?
田上ののど輪高くあげるようになったのって92年頃?
新日でもベイダーが92年頃のIWGP タッグで武藤相手にチョークスラム使ってた記憶がある のどわも元々はゴールデンアームボンバーの派生だよな 後アンダーテイカーもデビュー当時からチョークスラム使ってたよ あと、ヘビーのジャンピングボム→ダイナミックボム
も田上元祖
断崖技も田上元祖だねww
おそるべし世界のATww >>826
元々はライガーボム
川田も89年に使ってた >>829
コブラクラッチスープレックスはクロファットからパクったけどそれ以外はオリジナルの宝庫だよな いちおー
三冠戦では三沢にタイガードライバー91出させるまで
追いつめていたね ダイヤモンドカッターやスタナーは、みんな我先に真似してたのに、
それより前から有ったエースクラッシャーは、誰も関心無かった不思議 エースクラッシャーはスタナーやダイヤモンドカッターの正式な形が分からん
顔面砕きの技なのか顎砕きの技なのか アレは体重かけすぎるとヤヴァイ技
オブライトもスタナーで亡くなっているとか >>827
福澤が「川田ドライバー!」と言っていたような気がする。 >>832
それはエースのレスラーとしての評価の低さが理由だと思う。
マスク良くて背が高いのに試合内容が致命的にしょっぱいw >>829>>830
メキシカンエースクラッシャーはエースが元祖だろうけど「宝庫」ってほどの量(数)でもないだろ。 >>837
エースクラッシャー→各種スタナー系
ダブルアーム式クラッシャー→ペディグリー
ギロチン式エースクラッシャー→フェイマサー
だと思ってたけど、ペディグリーとフェイマサーはルチャ系の技が元祖らしいね
エースの技は見映えするのが多くてカッコ良いんだけど、肝心のエースが試合運び、技のタイミング、体型、動作とかが見映えしないと言うね そういやフェイマサーはクリプトキーパーが使ってたけどあいつもメキシカンだもんな >>836
エースのピークはハンセンと組んだ92年の最強タッグの印象 川田ドライバー(kawada driver)といえば、
海外のプオタにとってはいわゆる三冠ボムのことらしい >>838
根拠は無いけどメキシカンエースクラッシャーは三沢が出したアイディアのような気がするなあ。推測でしかないけど。 三冠戦でやったメキシカンとランニングからの飛び付き式は三沢つぽいやね
あの試合ほぼ三沢が一人で作ったと思ってる 三沢とエースのシングルは90年代半ばにチャンピオンカーニバル公式戦で生で見たけど
その試合もそこそこ盛り上がって良い試合だったわ 田上は一時、ヒールぽかったね
ギロチンホイップ、アトミックホイップ、ブレンバスターホイップと
ヒールちっくな技も多用ww エースとかパトリあたりの上のほうとのシングルは
基本地上波にのることなかったよな
三冠に挑戦できないし、チャンカン以外じゃ
ほとんどシングル組まれることなかったし チャンカー公式戦の1分ぐらいの放送で
田上vsハンセン、田上vsオブライトあたりの何とも言えないシングル見るの好きだった >>846
やたら、場外でマットを剥がしてパワーボムやDDTやってたな。 >>847
エースやパトリオットのチャンカン公式戦はプロレスニュース内でダイジェストで流れるくらいだった。 >>848
93年のチャンカンの名古屋大会でハンセンvs田上は放送されてたな。 >>848
全日に参戦したシリーズの武道館のセミで川田とのシングルが組まれたオブライト。
参戦3シリーズ目で世界タッグ獲得、三冠挑戦。
そんなオブライトでもチャンピオンカーニバルでは当たり前のように田上に負けるのが何ともw >>853
(ブックの兼ね合いとはいえ)相性みたいなものはあるんだろうな。
田上はスパイビー相手に戦いにくそうだったし
ゴディ相手には、シングルで負けてないし。
一方の川田はゴディ相手には、勝ててないけど、スパイビー相手には負けてないんじゃないか? >>854
スパイビー相手に川田はハンセン介入からのスモールパッケージホールドで負けてるよ。
あ〜いうのも残してよかったと思うんだけどね。
三沢や小橋が真面目すぎたな。 >>855
スモールパッケージじゃなくて後方回転足折り固めじゃなかったかな。 >>856
あ、ごめん。
そっちだと思う。訂正ありがとう。 田上の試合はハズレが多いから
武道館のメインは2回しかさせてもらえなかったんだよな
小橋の初三冠奪取というドラマありの試合と
CC優勝するから仕方なくメインっていう2試合 >>858
流石にもっとあるだろw
CCは2年連続決勝だし
凡戦だった川田との三冠初防衛戦、98年小橋の三冠に挑戦、99年ベイダーとの三冠決定戦
三沢にも2回くらい挑戦してるんじゃないの? シングルだと
93年2月の三沢との三冠戦
95年4月の三沢とのCC決勝
96年4月のウィリアムスとのCC決勝
96年6月の川田との三冠戦
96年7月の小橋との三冠戦
99年2月のベイダーとの三冠決定戦
全日時代は計6回だね。 あ、あと
97年7月の三沢との三冠戦
計7回だね。失礼 95年9月の三沢との三冠戦で9回
惜しくも10回は到達せず、か >>865
「もう途中から訳がわかんなくなっちゃったけど」の勝利者インタビューかw >>865
YouTub探せばありそうじゃね?
前年の田上対三沢の決勝はあった気が バーニングvs明艦砲は
すぐ見つかるけどね
素晴らしい試合
実況も平川アナで安定している >>867
さすがに90年代の映像が残ってないのは局の管理体制疑うわ >>871
フィニッシュの喉輪の前の
ダイナミックブーツが凄かったな 田上カーニバル制覇、初めて映像で見たわ
医師と最後に握手がいい感じやね 91〜93年くらいがプロレス好きのピークだったなー
あの頃に戻りたいわ ターザンのいわゆる活字プロレスは
この時代だから可能だったんだろうね 活字プロレス時代は鎖国時代でネタもあまりなかった全日本。
テーマの無いところから、テーマを探し出せる一ノ瀬は全日本プロレス担当にぴったりだったと佐藤が書いていたな。 もし、95年にもウイリアムが来日出来てたら夏の三冠戦で小橋戦が実現したのかな。 >>883
多分してない。
95年の三冠チャンピオンは大半が三沢。
小橋と絡ませるには、サマーアクションシリーズ2の武道館で小橋と三冠次期挑戦者決定戦をするくらいだっただろうな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています