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鶴田対ハンセンはよく鶴田が悪く言われがちだが
ハンセンも昔を思い出すのかアマリロよりにスタイルになって
普段のハンセンらしさが薄まってしまうのが良くないのかも知れない
ハンセン対バックランドも似たような感がある
>>585
ベルト移動とブロディが泣いたこと以外は
印象が全くないねw >>586
最もいい試合は84年の大阪のインター戦だと思う。 鶴田vsハンセンでハンセンの後方回転エビ固めが変な形で決まって決着したことがあったような。フィニッシュが汚いと嫌だなあ。 >>588
86年7月の両国だね、セミで長州vsカーン
鶴田は10月の両国でリベンジ、長州はフレアー欠場の代役のテリーに勝ち
お互いに快勝?した事で試合後は鶴田vs長州の再対決のムードが高まったが…直後の輪島デビューで話題ゼロに。
その後のシリーズは最強タッグだし、長州離脱がなければ今度は全日主催で3月の武道館か4月の大阪あたりが候補だったのかな? >>587
テリー引退試合のセミのインター戦もまあまあ良かった
ただし、あれは札止めの観客と決着ありきのムードまんまんで、結末もいまいち
当日に観戦したが、何をやっても観客が沸いたのが印象深い
主役のテリーが引退してしまうので「鶴田あとは頼むぞ」的なムードで館内が一体になった試合
全日にしてはストーリー性というか、今後につながる試合だったので緊張感もあった、それでなんとなく記憶が美化されてるのかも。 それまで田舎でタイトルマッチをやってた
鶴田ーブロディを急に蔵前で
となった時点で鶴田にベルトを取らせるんだな
と何となくわかってしまった
鶴田ニックがAWAとインターのダブルタイトルになった時も
そう思ったw フレアー対鶴田は蔵前で三回やったけど獲れなかったが・・・ >>589
花道に立っていたデビアスが試合終盤、リング下に現れた。実況がそれを言ってしまうのだがあれはハンセンにテレビ中継の残り時間を知らせるために来たとしか思えなかったなあ。 >>590
あの日俺も観戦したが、蔵前は異様なほどの熱気だったよな 確かに結果ありきのムード満々だったが まあ楽しめたから良いけど あとカマタ、レイガンズなんかも出ていたと思う 土曜トップスペシャルで放送予定だっただからな。
ニックの時は、反則、リングアウトで王座移動ルールだったから
取るとは思った。
ブロディインター戦はリングアウト勝ちだったのが、惜しかった。 鶴田対カーンもイマイチだったけど、天龍対カーンも最近、見直したらこんなもんだったのか?って感じ 鶴田がニックからAWA奪取した日、22時50分頃の日テレのスポーツ番組で映像が流れてた たまに当時はプロレスを使っていたな 今じゃ信じられんが 四天王時代までは深夜のスポーツ番組でもちょくちょく速報みたいのはあった印象
比較的、最近だと小橋引退興行もスポーツ番組で特集していたな >>595
リングアウトでも勝ち方があるからね
場外でなにか技を出してというなら良かったが
後ろからパンツを引っ張ってリングアウト勝ちではインパクトが弱い あのブロディがリングアウトとは言え負けを飲んだだけでも凄いんだろうな
日本でシングルで負けたのって
1981年チャンカン:馬場のボディシザースでフォール負け
インター:鶴田にリングアウト負け
復帰後のインター:鶴田にバックドロップでフォール負け
の3つだけか ハンセンは全日本に移籍後、84年に馬場、86年に鶴田、88年に天龍にシングルでフォール負けしたけど、いずれもフィニッシュはスモールパッケージだったんだよね。 >>589
>長州離脱がなければ今度は全日主催で3月の武道館か4月の大阪あたりが候補だったのかな?
確か長州の離脱がなければ、4月に長州と輪島のタッグ戦が予定されてなかったっけ?
ジャンボと長州の再戦は当面、話題にならなかったと思う。 全日も完全決着制に移行しつつあったからブロディも生きていたら、負けも飲まざるを得なかったと思うけどね
ひょっとしたらそれを飲めないと突っぱねてFMWとかウィングあたりに移籍していた可能性も0じゃなかったと思う
外人はインディのリングに上がるのは別に格落ちのイメージはないって話だしね
ブロディも小さな団体でも救世主のような扱ってくれるほうがプライドが満たされるだろうし
FMWも今にして思うと随分、メジャーな外人が来ていてからな >>595
あのリングアウトのフィニッシュは
8/4に藤波が長州からWWFインターを奪回した試合と丸被りだった。 FMWに行ったら大仁田の踏み台にされるの依頼されてトラブルになってそう。
WINGもギャラの支払いや扱いを巡って揉めたんじゃないかね。 鶴田のインター奪取は、それまで4回も挑戦して失敗していたから「もうリングアウトでも何でもいいから勝ってくれ!」という願望に満ちていたからあれでOK! ブロディがインディーにでてたのは
全日新日プエルトリコなんかがオフの時の
単なる単発興行だからね
インディーじゃ満足するギャラ払えないからブロディが契約することはない
外人は日本人みたいな人情とかそういうのはないからね
ギャラの高いほうにいくのがすべて 鶴田のタイトル奪取した試合は途中まで良くても、痙攣でピクピクされると一気に安っぽく感じて、
録画してても子供ながらに保存の価値無しとしてた >>611
全盛期のFMWは景気良かったから満足行くギャラは払えたと思う
あとブロディは奥さんが著書で書いてたが、もっと条件の良いところもあったのにそれを蹴ってプライドが満たされる団体に上がっていたとか言ってたから、ブロディはギャラはあまり関係ないんじゃかいかな?
ブロディはビジネスライクな外人だと珍しいタイプのほうだと思う >>612
小鉄が「意外に思うかもしれないがブロディはギャラはいつも一発サインだった
それ以外の事に文句をつけてくる」と言ってたからな
団体のトップとして扱ってもらえると言う事が重要なんだと思う >>606
ブロディが92,3年頃、生きていて
全日には呼ばれず、FMWで大仁田と
電流爆破マッチをやって負けるなら
参加しないほうがいいし、
本人も来ないだろ? FMWの後はIジャ→K1→武藤全日→ハッスル→DDTかな >>616
だからそこは交渉次第
負けブック飲まないのが基本だから
それでも集客に繋がるなら大仁田側も飲むだろうし、大仁田が勝ちにこだわるならブロディは飲まないだろう
デスマッチはアメリカでもあるだろうしストリートファイトマッチとかチェーンデスマッチは別に拒まないと思う >>607
藤波のは場外バックドロップ→リングインだから鶴田の勝ち方よりマシだと思うよ
それで話がそれるが、当時の藤波と長州は対等のライバルと思ってたが
春に長州が藤波をピンしたのに、藤波は場外リングアウト勝ちって、既に格の差は生じてたんだな
翌年か何かで藤波が勝ったときも、長州が乱入者に気を取られてる隙にバックドロップみたいな勝ち方だもんな。
藤波って「かませ犬」以後は長州にまともに(返し技とかでしか)勝たせてもらってないんじゃない?
ちなみに八月四日は後楽園の「テリーさよならシリーズ」の最終戦の方に行ったぜ
メインのテリーの印象が残ってないな、セミの馬場vsスミルノフ
あと天龍石川vs原井上が爆発的に盛り上がったのは覚えてる 天龍石川対原井上は見たいな〜
バランスが良いマッチメーク 思えば石川隆士のプランチャを見たのはあのタッグマッチが初めてかもしれん ただ阿修羅って日本人相手だと良かったのって天龍なんだよな
タッグだと五輪コンビとかの試合は良かったんだけどシングルはイマイチだったな
最近、新日のDVDマガジンで昔の藤波対阿修羅を見たんだけど藤波とも噛み合ってなかったもんな〜
藤波対剛は今見ても面白かったけど、やっぱり相性ってあるんだよな >>621
あの試合の藤波はあれだけプロレスのうまい藤波にしては
なんかいつもとちょっと違うんだよ
いわゆるカタイってやつ
あの時代にあのタイミングで唐突に三角締めでフィニッシュなんてありえないし
この件で後年インタビューされても
「原にはちょっと悪いことしたかな…」的に
いつもとは違ったこと言外に認めつつ
いくらコンニャク社長にしても妙に歯切れ悪くそれ以上は話さないんだよな
でも藤波vs原って原側視点だとイイ試合だと思うけどなあ 剛の試合の時もそうなんだけど、藤波はやたらグラウンドに持って行くんだよね
剛戦もチキンウィングアームロックとか脇固め、アキレス腱固めとか後のU系の技を多用していたし
対抗戦だとやっぱり自分を優位に見せるために普段使わない技を出して、新日強しをアピールしたのかも知れない >>619
アジアタッグを賭けての再戦が見たかった
>>622
全国中継でのあの敗北はテーズ・草津戦に劣らぬ打撃を国際に与えた感じも 藤波が他団体の次期エースを辱めて貶めようとする意図があったのは明らか
それが新間による指令なのかドラゴンの意思なのかハッキリ言わないのは卑怯だよな 新日がブロディ引き抜いたときのギャラが、アメリカマットでもそんなに貰える額じゃないとか
言われてたな
ブロディ一人じゃ集客力もないってのも有名な話で 好試合になるかと期待された原と長州もダメだったね。うまくかみ合えば
いい試合作れたと思うんだけど、長州のほうにその気がなかったようで。 >>628
原はバックボーンが世界的なアスリートで、現在で例えれば五郎丸がプロレス転向したようなもんじゃん。
長州的には敬意があったとは思うけど、鶴田や天龍とかハンセンで疲れちゃったんじゃない?
原は長州に比べてそこまで大きくないけど、ラガーマンのぶちかましはキツいだろうし
ジャパンが全日参戦の当初ならまだしも、原とシングル等で絡んだのは末期だしな
あの時点で原とまで好勝負を続ける体力と気力が長州に残ってるとは思わんなあ。 >>628
長州が新日でブレイクしたときに全日でかつての自分と同じようなポジションにいた阿修羅について
「俺なら原をダイヤモンドにしてみせる」
と言ったのは何だったんだろうな。 >>630
長州「阿修羅、どうだ?ダイヤモンド原に改名してみては」
原「いえ、結構です」 阿修羅原に長州を襲撃させるなんて、テロリスト藤原の焼き直しをさせたのは誰だったんだ
馬場が考えたのなら、その後のシングル戦で長州が原を立てずに
抑え込むような試合をしたのも納得できるが >>629
原とシングルで絡んだのは、全日に参戦した年の9月か10月だったはずだが? >>636
@85年10・4
A87年1・10
あとWARでも1回やってたんじゃないか。 >>621-625
あの試合は原も動きや攻めがカタい
むしろ開始5分足らずの状況で唐突にツームストンを繰り出したり(しかも故意か誤ってか藤波の頭を両腿で固定せず危険な落とし方をしている)
して試合を不穏な展開に向かわせたのは明らかに阿修羅の方
>剛の試合の時もそうなんだけど、藤波はやたらグラウンドに持って行くんだよね
>対抗戦だとやっぱり自分を優位に見せるために普段使わない技を出して、新日強しをアピールしたのかも知れない
あの当時のタイトル戦特にシングルだと試合前半ではそんな攻防が当たり前なんだけどな
アキレス腱固めなんて誰でも使っていたし
全日だと鶴田がUN戦やNWA王座に挑戦した試合やドリーのシングルマッチなんかがそう
鶴田は関節技こそ多用しなかったけど
レイスやフレアーとの試合ではリフトの体勢から前に落としてバックを取ったり両膝を付いた形で相手を投げるファイヤーマンズキャリーを見せたりと
アマレス式の技や攻め方をよく使っていたよ >>632
NWAの解体進行や新日本とWWFの手切れもあって新日本と組んだ方が条件が良いとエリックが判断した模様 >>637
全日で長州と原、2回はシングルで当たってたんだ。
87年の方は全然覚えてなかった。
1回目は、なんか後味悪い試合だったが、2回目はどうだったんだろう。
長州は全日離脱直前だったし、イメージとして微妙な試合だった感じがする。
WARの頃は、原はもう動きがダメだったしなぁ。 二度目の時はかつて藤原ともやった大阪城ホールだったんだよな
ただしメインは馬場・輪島対シン・アシークで輪島の大阪初御披露目といった感じ
またシリーズ名にも見られるようにほとんど全日本に飲み込まれるところだった印象 >>641
そうか。
シリーズ名も「新春 ジャイアントシリーズ」に戻してたんだった。
そして、ベルトも次のシリーズからインタータッグも世界ジュニアも全日側に移ったし、ジャパン勢(マシーン、ヒロ含む)移籍の伏線があった。
今、思うと。 それに新春のバトルロイヤルも復活していたしジャパンの元日興行も無かったし それなら馬場と長州というより、馬場と大塚氏だろうな
まあ、同じ事だけど
ほんと、インタータッグやジュニアのベルトなどちょうど全日に戻った後だからね
そのベルト推移がたまたまの流れなのか、ジャパン軍の最低限の仁義だったのかだな 連レスすまん
ジャパン離脱前の流れと天龍離脱前って予兆の現れ方が似てるよね
馬場は両方とも「突然の離脱」的な感じの対応やコメントだったけど
天龍遺脱前も
馬場にフォール負け
武道館のタッグでギブ負け
全日中堅軍の天龍包囲網
川田冬木の全日軍復帰
鶴田にシングルでピン負け
たった四ヶ月でこれだけの事象
まあ離脱じゃなくて、鶴龍コンビ復活の複線だった説もあるから一概に同じとはいいきれないけど >>646
思い出したが、長州離脱の前年の秋には週プロでも
「長州離脱は秒読み段階」みたいな事書いてるんだよね(確かゴングでも似たような記事が?)。
マスコミも書き立てるのに、馬場が何も察知してない訳がない。 >>640
あれは元々マシンとのシングルの予定だったが、マシンが病気欠場したんでパートナーの原が急遽抜擢された。
必然性がなかったから淡白な一戦だったよ。 >長州離脱の前年の秋には
1986年10月、猪木は
デビュー25周年記念試合を
両国で行ったが、
その時、長州から花束が届き、
新日復帰が噂されたよ。 ところがそんな阿修羅だがプロレス転向で
腕立て伏せ10回出来なくて団体関係者を唖然とさせたのは
一般には知れ渡っていない衝撃の事実 先週G+でやってた87年札幌のインタータッグを録画してる人は
試合終了直後の長州の動きを確認して欲しい
明らかにこの日がジャパンでの最後の試合と決めている仕草だ >>637
原は85年に天龍と長州に噛み付いてヒットマンに。
鶴田 天龍 長州 原の四つ巴になると思った。
でも原は思ったより活かされず。
勿体なかった。
その後は元国際という経緯から国際血盟軍に。
その流れでシンともよく組んで。
シン、原のコンビも嵌まればいいコンビになったと思う。
でもシンと組んだら原も合わせて最低限は極悪ヒールの片鱗を見せなければならない。
それは原の本意ではなかたはず。
ベビーではないにせよ。
ただシンと組まされてるだけに見えたし。
87年に天龍と組むまではまたもや燻っていたと思う。
天龍同盟から漸く(ようやく)開花した感じで。 マシンは全日いったのは間違いだったな
あの時期のメンツでは一番目立たってなかっただろう
本人もあそこまで冷遇されるとは思ってなかっただろ シンってラッシャーが亡くなった時も阿修羅が亡くなった時も一つもコメントしなかったけど、
当時から仲間意識ってのはなかったのかな。 >>618
フォール負けでタイトル渡してるのに返してもらう時はリングアウト勝ち。
藤波は不満だったみたいで試合後、試合結果に納得できないとして
即王座返上→再度王座決定戦をアピールしてたね。
結局、会社サイドも認めず次の福岡での長州とのタイトル戦は好勝負だったが
その後の長州戦は消化不良の連続だった。 >>652
ドラマ仕立てだよw
末期、しかも日本リーグが不調に終わり土壇場の国際プロレスにおいて
本来阿修羅は即戦力でリングに上げたかったんだ
でも、あまりのレスラーとしての基礎体力不足に遠藤が付っきりになって大改造したんだよ
これね、プロレス雑誌等の記事じゃなくご本人に聞いた話だから >>654
確かにね。
新日の時に『これから』って時期に居なくなったのは勿体なかった。
あのまんま新日にいたら時代を築けただろう。
逆にマスクは脱いだかも。
でも脱ぎそうな流れにして最終的に脱がない、と。
あの流れだとそこまでがピークになるが。
でも全日だとあの時代はメンバーが充実していたから埋もれたね。
全日でのマシン絡みも色んなカード見られたのは良かったが。 >>655
単に報道されなかっただけでは?
馬場が亡くなった時もシンのコメントはなかった様な。
馬場とシンは関連深いのに。
東スポ、週プロ、ゴングとどれにも掲載されてなかったはず。
見落としただけかな? みんなこの時代は団体に入門してキツい練習していじめやしごきにも耐えて
やっとデビューして前座の第一試合第二試合とかを務めてる時も
やっぱり自分こそは馬場猪木、とまではいかなくても
将来は鶴田や藤波長州や天龍、タイガーマスやせめて健悟くらいwのスターになって
全日や新日のマットの主役としてハンセンやブロディ、ブッチャーやファンクスマスカラスのような
(その時代の)大物外国人とスポットライトの中メインエベントで
チャンピオンベルト争う自分の姿を夢見てるんだよね?
新倉や笹崎ハリケーンズの面々や渕や薗田や越中或いは菅原冬木なんかは
新人の頃からいつ頃まで純真無垢にそういうことを思っていたんだろうか? 日本のマスコミがコメント聞かなかっただけだろ
多少縁があったレスラーか死ぬ度に、いちいちシン側からマスコミに連絡しろとでも? 阿修羅はR木村との血盟軍コンビがよかったよ。ジャパン軍とのカードは好試合だったし(馬場解説では珍しく誉め言葉)、鶴龍には黒星なしだったからね(天龍腰痛でリングアウト勝ち&両リン)。
阿修羅vs長州は全日では長州が原の攻撃を全く受けなくてつまんなかったけど、WARでのラリアットマッチは両者ともラリアットを受け合って面白かったな。 阿修羅 マシンも良かった。
マシンの怪我での途中欠場は勿体なかった。
せめてインタータッグ一度は巻かせて(任せて)上げたかった。 でも阿修羅とマシンって10歳差なんだよね。
阿修羅:1947年1月?日
マシン:1956年12月20日
当時はそんな感覚はなかった。
阿修羅が見た目もイメージも若く見えたからね。 近鉄ラグビーの名FWだった原の加入の頃から印象。入団まもなく特訓に次ぐ特訓、そのまま海外遠征し英連邦王座に就いて
帰国後、原進から阿修羅のリングネームを受け、ツルノを降してWWU戴冠、ピンクレディみたいなw?キンキラコスチュームに
大仰な入場テーマ。。30で入団してホント急ごしらえで次期スター候補を育ててる感がガキの俺にも伝わったな。
全日スレでスマンがw 選手飽和状態の上にウォリアーズが全盛を誇っていた全日とはいえ
マシンと阿修羅のコンビがアジア戦線でしか活躍できないとは情けなかった
原の序列が天龍と長州に及ばないうえに、
馬場がマシンを評価してなかったから仕方ないが 浜口は原が入門した時にはまだ軽量だった原を
骨太体質で肉が付きやすいからすぐにレスラーの身体になる。
でも137キロになった時には《まさかここまでなるとは!》と思った。
そんな記事があった。
龍原砲の頃は確かに重量級のスーパーヘビーに。
ハンセンやゴディにも当たり負けしてなかったし。
でも勢いがあった88年暮れに解雇は勿体なかった。 阿修羅とマシン
1985年の最強タッグでは阿修羅、1986年はマシンがデビアスにピンフォール負け
鶴田、天龍、長州、谷津はハンセンにもピンフォール負けしなった頃
日本人抗争している時と対外人では序列が異なるんだと思ったなあ
この他、阿修羅は木村と組んで、ウォリアーズに大熊、園田、栗栖並の短時間でやられた試合もあり >>664
マシーンは見た目では年齢が分からんしなww >>650 >>657 >>668
それはラグビー引退後殆ど体を動かしていなかった裏事情もあるだろうけど
ゴッチみたいな事を言ってしまうけど昔流の筋トレやボディビルで体を大きくすると自重トレの方は全く出来なくなってしまった話はよく聞くから
ボディビル以外の競技でも“使える”筋肉を造り上げられる様な応用力や実践性の高い筋トレが日本に普及したのは80年代以降だからね
>でも137キロになった時には《まさかここまでなるとは!》と思った。
むしろそれが膝に過大な負担を掛けて選手寿命を縮めてしまう結果をもたらしてしまったとも言える かなり前に何かの記事で阿修羅、大熊、小鹿、石川が190以上なら凄いレスラーになっていた。
そんな記事があった。
何故か小鹿の名前が。 >>671
身長によって同じ体重でも膝への負担が異なる、と聞いた。
※個人差はあろうが。
190 140
170 140
これだと170の方が膝への負担が大きい。
力士でも同じ様な体重でも身長が違うケースがある。
196 180
174 180
やっぱり身長が低い方が膝への負担が大きいのか。
阿修羅の137はハンセンやゴディと変わらず。
でも身長では阿修羅は彼等より10センチは低い。
だからその分膝への負担も大きいと。
一概には言えないが。 長州と原のシングルは3回か。2回目か3回目の時に、スタートから一切他の技を使わずに
ラリアート合戦やって、最後は長州が勝った試合なかったっけ。長州と他の選手だったかな。 >>673
170cmで 体重140 `
って言ったら、膝に限らず
全身にヤバいだろ!? >>668
>でも勢いがあった88年暮れに解雇は勿体なかった。
あの解雇がなくて、ブロディも生きていたら、87年〜89年までの最強タッグは
鶴田&谷津、天龍&原、ハンセン&ゴディ、ブロディ&スヌーカが3年連続参加だったのかな。 原の体型バランスとしては国際崩壊から全日本入団に掛けてが一番良かった印象
だからハンセンの全日本復帰第一戦も光った 原のでかさで137キロはウェイトオーバーじゃないか
せいぜい120ぐらいが限度な気がする >>676
4強時代が続いただろう。ただ、スヌーカが衰えてブロディ&スパイビーだったのではないか? >>679
そういえばブッチャー&スヌーカーってブッカーは何をしたかったんだろうね。
始めはあまりにも異色で新鮮で良かったのに。
もともと短期間で終わらせる予定だったのか。それとも実際に組ませたが何か理由があって解体したのか。 >>674
WARでやった試合だな。
しあいまう、阿修羅が「今日はラリアット一本で勝負だ!」と言って、長州もそれに付き合った。
途中、ブレーンバスターと頭突きが出たほかはほぼラリアットの打ち合いだった。
試合は長州の勝ちだったが、ラリアットは阿修羅が勝っている印象を受けた。 >>679
スヌーカは厳しかった気はするよね。
確かに、ブロディ&スパイビーはあり得るチーム。
スパイビーも89年の来日時に「ブロディというレスラーをもっと知っておきたかった」と言っていたっけ。 >>681
おぉ、サンキュ。いっその事本当にラリアート一本だけでやってくれたほうが
よかったとも思うけど、流石にそうもいかなかったんかな。
>>683
俺もどう見ても137はないだろうと思うけど、当時そんな公式発表でもあったかな。 >>665
本当かどうかは知らないけど阿修羅は新日と争奪の末国際になったらしいけど
当時すでに国際の給与遅延は始まっていて、剛は離脱してるんだよね。
いくら、草津がラグビーの先輩とは言え不可思議なんだよ。
新日は阿修羅の年齢と訛った身体で積極的でなかったとしか思えない。
>>671
そんなこと言ったら遠藤さん怒るよw
137kgが本当なら、それは過ウェート過ぎでもはや走れないよね。
何のスポーツでも走ることは共通した、トレーニングのスタート。
これをしたかしないかが、概ねの選手の新日と全日の差であり
選手寿命、そして本当の寿命の差に影響してると思うよね。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています