SWSを語ろう 5
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どうもこのスレってSWS以外になっちゃう場合が多いから、そういう時は別スレ立てるかしてもらいたいね。
SWSって天龍以外に光ってた選手って誰?
裏で足を引っ張って光ってたのは谷津嘉章とドン荒川なのは分かってるけど。
個人的には90年に首都圏初興行になった横浜アリーナ大会で、トーナメント決勝で天龍とカブキ組戦でジョージ高野が天龍にジャーマンスープレックスで3カウントを奪った試合だった。
相変わらず動けない俊二が兄のジョージをうまくフォローしてカブキを抑えていたのも良いタッグワークだったし、コーナーポストに突進して来る天龍に俊二が凄いキックを浴びせたのも迫力があった。
この2連戦はSWSの中で一番盛り上がってレベルの高い興行だったよね。 ジェフ・ジャレットは期待されていなかったけどまぁまぁいい選手だった。
もっと来日してもらいたかった。 前スレを貼らなかったり、他の話題でスレが進むのはSWSの伝統なので問題なし
各自が各自、別の方向を目指して迷走していたSWSらしくて良いのだ >>5
カッコよかったよね。入場後、コーナーポストに兜を被せるのも好き。
あの衣装、オークション出たら買うわ(現存してないだろうけど) 末期にテレビ東京で放送されてたけど、
力道山時代なのかって思うような時代錯誤のおじいさんが実況していて、とにかくひどかった気がした。
仕事のないじいさんがムリヤリプロレスに駆り出されててかわいそうな気もした。 杉浦滋男 で調べてみましょう
踏みつぶし、
野郎で、
ございます、
モンゴリアン・ストンパー >>8
東京12チャンネル、テレビ東京の名アナウンサーで、プロレスアワー、国際プロレスアワー、世界のプロレスを担当した杉浦滋男 アナの名調子を聴けただけで満足だったよ このスレで言い負かされた人間が自分でスレ立てたはいいけど
その後が続かず放置状態になってる辺りもまたSWSらしいと言いますか >>3
>>SWSって天龍以外に光ってた選手って誰?
ウルティモドラゴンと維新力じゃないかな?
何故か名前があまり上がらないが。 二人とも時期的には末期って言える頃に出てきたし、浅井はすでに素顔である程度人気あったのにウルティモになったのとマスクのデザインで賛否両論だった気がする
新日との対抗戦一戦目でサムライのJr.取って一気に格と人気が上がった感
維新力はSWSでは「お客さん」止まりだった気がする
本格的な活動はNOWからじゃないか? 維新力はSWSでは特に目立った活躍はしていない。頑張っていたのは天龍、復帰した阿修羅原をはじめとしたレボリューションの選手位じゃないかな。
あとは佐野、仲野ら若手とジョージ、鶴見、新倉といった選手か。
谷津嘉章は天龍に反発したりWWFと選手を派遣していた佐藤昭雄を批判して貶したから嫌い。 天龍にしたってSWS時代はとても「光っていた」とは言えないね 鶴見は全日の最後の方では第一試合に出る事もあったから、かなり盛り返したのではないかな? SWS派生団体の特徴
・立ち上げた人間が社長兼エース
・メインのカードはエースvs悪役外人or怪奇派or覆面レスラー
・旗揚げ戦だけ派手にやって一時的に話題を呼んで後は尻すぼみ
・しばらく経つと若手のエース格が造反してさらに独立 >>18
それはただ単に団体のクオリティが鶴見在籍時の全日よりもSWSの方が低かっただけじゃないのか? 天龍やカブキへの恨みつらみで
団体立ち上げたはいいけどあえなく経営難に陥って
アップアップする事になった反天龍派と
言い負かされた腹いせにスレ立てたはいいけど
そこでも言い負かされて涙目になってる
カブキアンチが重なって見えるw はて??誰が言い負かされたんだろう?
どこぞの阿呆が顔を真っ赤にして、きったねえ
文章でがなっていたのは。覚えているか??w >>14
過去スレで話題になってたけど、折原はSWS旗揚げの年にレスリングオブザーバーの『凄ぇ技を見せたやつオブザイヤー』みたいなのに選ばれてるんだよな、コーナーポストからのラ・ケブラーダを世界で初めて使ったってことで
あとは佐野も、藤原組への参戦以外にもSWS認定Jr.ヘビー王座決定リーグ戦での活躍ぶりは見応えがあった…WWF(当時)からはリック・マーテルが代表で出てきてたけど、向こうで代表決定リーグ戦的なものをやってたのかはわからん
維新力は確かにSWSではそれほど目立つ活躍は無かったけど、2回めの東京ドームだったかで藤原とのシングルマッチが組まれて、めちゃくちゃ緊張感のある試合だったのを覚えてるなぁ >>23
ハンセンとAWA戦をやった王者マーテルが佐野に寝るってどうなの?
佐野に関してはPRIDEで負けた後、プロレスに戻ってきた時は良かった
ノアに入って死んだけど >>4
のちにグラマラスなカミさんを連れてギターで相手を殴ったり、
父親と団体を運営するとは、思わなかった >>24当時のマーテルは「ザ・モデル」って安っぽいヒールやらされてて元AWAチャンプの権威もクソもなかったよ
佐野は怪我が無ければDBスミスと組んだタッグリーグで優勝候補だったりSWS内での格上げ確定だったし、
順当な結果だと思うんだけどなぁ 佐野はSWSジュニアの決定戦以前にもマーテルとシングルで対戦し
同じジャーマンで勝っているが
元AWA王者をJr.ヘビーに2連敗させるのは流石に疑問だった。 >>17
でも90年の首都圏旗揚げ興行の横浜アリーナでのジョージ高野とのシングル、阿修羅原とのタッグ復活での試合、東京ドームでのホーガンとの試合は好試合だったしSWSとしても注目されたよね。
天龍は頑張っててもSWS自体がまとまらなくて
批判されていた団体だったから、光ってても霞んじゃった気がした。 >>28
天龍とホーガンの試合は東スポプロレス大賞の年間最高試合に選ばれたことで
名試合であるかの言われているけれど、東スポプロレス大賞は各団体持ち回りで
(団体の規模としてはメジャー団体であった)
「SWSにもなにか賞をやらなくては」
という意味合いで選ばれた側面が強い >>27
マーテルはSWS時代にはシングルでジョージに
勝っているんだよね。
ただあの時期佐野の方がジョージよりも評価が
高かっただけかもしれないが。 >>23
折原はWAR 時代にライガーに遠くからツバはき飛ばしてた。
カッコよかったな。 佐野は田中夫人のお気に入りだった。
WAR、NOW、PWC、SPWFとSWSの派生団体にはどこにも上がってないね。
アンチSWSファンからもまあまあ好意的に見られてたし、ちょっと浮いた存在に見えたな。 >>29
ホーガンと天龍がやったのは凄いかも知れないけど、試合内容で選んだ試合って感じじゃないんだよな
馬場対ガニアみたいな 馬場とガニアは、馬場の1000試合特別試合なのに後楽園だったよね。 >>35
3000試合達成記念試合だよ
(本当の3000試合目の対戦相手はシーク)
デビュー30周年の時も猪木は横アリで馬場は同じ日に後楽園ホールだった >>34
その時ゴングは
「世界の馬場が大記録を達成したのに、全日の
営業は何故このイベントを大会場でやらないのか?」
と珍しく正論で批判してたな。
半分馬場への嫌みなんだろうけど。 世界王者は会社が決めるとさ。バックランドが週プロ増刊で言ってた。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています