【鶴見五郎】国際プロレスpart11【大位山勝三】 [無断転載禁止]©2ch.net
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>>949
単に「行くのか」って聞いた時に「行かない」と嘘を付いたのが気に入らなかったんじゃかな
あと事情については後から聞いたとか >>948
小林の場合はエースが猪木に完全フォール負けをくらったので
国際の大イメージダウンになったから井上は今も許していないが
剛は一時的とは言え藤波のライバルだったので
そういう点はあまりイメージダウンになってないからじゃね
その後の新日での扱いは落ちぶれたと言うより
試合に出なくなったと言う感じだった 国際に在籍中に木村にピン勝ちしてから新日移籍、そして猪木に完全負けでは
国際勢に恨まる事くらい洞察出来なかったのか
そんな事も考慮できないくらい傲慢だったのか
Gスピでも自分が被った被害ばかり並べて
自分が出て行った後の国際の被害をまったく考えてない 木村だって猪木に負けまくりで3vs1までやって、
髪切りマッチで試合中に猪木の髪切って、負けたのに髪切らないで逃走するとか
国際のイメージダウンさせてるけどな。 >>955
その時には団体が存在してないんだから、全然意味が違うだろw しかし木村って82〜83年はほぼ毎シリーズ猪木と大会場でシングルやってるんだな(3対1含)。
そんだけやってタッグも含めて1回も木村がピンフォール取ってないのもある意味凄い。 寺西さんは東京プロレス時代、猪木氏とスパーリングよくやった間柄だとか >>948-953
>あと事情については後から聞いたとか
多分そうだろうね
井上も最初の奥さんとの離婚の原因が給料の遅配未払いにあったという話を聞いた事があるし
>剛は一時的とは言え藤波のライバルだったので
>その後の新日での扱いは落ちぶれたと言うより
>試合に出なくなったと言う感じだった
この間テレ朝チャンネルで剛が藤波に勝った試合を放送していたから久しぶりに観たけど
今更ながら剛ってあの当時から右膝が悪かった事に気付かされたよ
左足に比べて右足が妙に細くなっていたし試合中も90年代の頃と同様度々足を引きずる様な動きを見せていてかなり無理をしているのが窺えたね
剛は82〜83年頃も目の病気で欠場していた期間があったしそういう体調面で忸怩たる想いをする事が多かったのも
異様にプライドが高くて険のある性格に変わっていった理由の一つかもしれないな >>956
井上だってAWA王者ガニアとWタイトル賭けてドローなのに小鉄の4の字でギブアップした。
国際、IWA世界ヘビー、AWA世界ヘビーの価値まで下げた。俺は子供だったが涙目になったわ・・・。
全日相手だと極道、高千穂、クツワダが相手で鶴田には1度はドローも2度フォール負け。
浜口は健吾にKOされる、木村は馬場の4の字でエプロン宙づり負け、
上田に勝ち逃げされて落ち目のパワーズにリングアウトで辛勝、原は剛にやられ放題
IWAタッグは永源に取られる、・・・国際はみんなでイメージダウンした。 新日本対国際の全面対抗戦が実現していたなら、どういう結果になっていたんだろうか 次スレを立ててくれる方へ
国際プロレスpart13 で立てて下されば有難いです >>963
【ガラパン】国際プロレスpart13【ワンショルダー】がいい。 >>963
【稲妻二郎】国際プロレスpart13【黒潮太郎】では如何? 【ガラパン】【ワンショルダー】は後期国際のイメージでgood
【稲妻二郎】【黒潮太郎】は次スレの時にキープして欲しい >>961
なこと言っても、国際自身がピエールマーチンやビッグベンに井上を負けさせたりして、自ら価値を落としてたからね 素朴な疑問だけどワンショルダーって左右非対称だけどファイトしてて違和感ないのかな? 今の視点かもしれないけど全日・新日の「格」を見れば、極道=ヤマハと思っちゃうんだけど。
オールスター戦の扱いでいうと、長州・浜口VS極道,星野・井上VS石川・木戸,小鉄はバトルロイヤルで優勝。
当時としては極道>ヤマハなのかな。 >>970
3団体の選手を混ぜる組み合わせの問題だろ。
浜口と長州が国際だから新日のヤマハだと全日が入らない。 >>971
間違い
3団体の選手を混ぜる組み合わせの問題だろ。
浜口が国際で長州が新日だから、新日のヤマハだと全日が入らないから極道。 >>970
全日中堅の名物コンビとしてアジアタッグも長年持っていた極道に比べて、
ヤマハってのは実は日本ではそこまでタッグ売りされてたわけでも無いんだよ
初期新日では日本人陣営が手薄だったこともあって
星野も小鉄もタッグチームである前に
猪木坂口小林の貴重な日本人タッグパートナー(やられ役)として
地方興行ではセミやメイン要員だったし、
昭和50年代になって新日が安定してくると
星野は木戸あたりと並んでセミ前あたりのポジに落ち着く一方で
小鉄は現場責任者としてマッチメーカーやコーチやってた分
一歩引いて前座で若手の壁役をやることが多かった
まあ新日にはアジアタッグのようなタッグのNo2ベルトが無かったことと
極道と違って二人とも小柄なんでTVマッチでエース外国人の絡むタッグマッチの相手には
コンビで出るには画的にイマイチだったのが大きい
当時から両団体比較した時の位置付け的には極道の位置にヤマハで間違いないけど
ヘビー級の外国人チーム相手に
シリーズ後半にある馬場鶴田とのインター戦前にやられ役をやってた分
極道の方が少しだけ格上というかメジャーってかんじだったかな
オールスター戦の組合せに関してはID:j2zjrCs4aさんの書いてるとおり
ただ即席とはいえ新日国際のNo1タッグタイトル王者コンビに対して
No2タイトルチームながらお得意の反則負けで盛り上げて面目躍如してみせた
極道にとっての方がどちらかといえばおいしいカードではあった アジアタッグとはいえ現役の王者だったのは大きかったろうし
オールスターの二日前にブラジル・コロンを相手に防衛戦させてるのにもそうした強調が感じられる
あと当時は確かキャリアに勝る浜口が長州の後にコールされてたとか >>973
確かに、極道に比べてヤマハは日本でそれほど売りに出されていたわけじゃない、実際に新日時代に星野・山本組で試合をしたことは数えるほどしかない。むしろ国プロとの対抗戦で活躍が目立った感じ。
ほんとうは、対坂口・小林、対シン・上田、対猪木・坂口、対マツダ・斎藤なんかも面白かっただろうな。 だけどよく考えると、極道もヤマハも国内で結成されたというよりも、アメリカ修業に伴ってできたんだな。日プロでの小鹿のパートナーはかの悪名高き松岡巌鉄、大熊はマシオ駒だった。 新日本ではヤマハが組む事自体がプレミアムだったみたいだな
日プロ末期の騒動もあってヤマハの関係自体が微妙になっていたらしいし 国際は複数エース制と草津のエゴイズムで、IWA世界タッグを狙うチームが数限りなく存在した
和製ハイフライヤーズ以外にも草津井上組、草津浜口組、井上原組… >>954
吉原社長とのコミュニケーションが取れなくなっていたのも大きいみたいだな
吉原が草津に遠慮していたのもありそうだが 当時の団体の格付けとしては、やはりテレビ局の規模に左右されたと思われる。
国際はTBS時代はマイナー感は無く、日プロに立ち向かう団体の認識だったが、
12チャンネルに移ったとたんAWAから離れたことも加わり、一気に地下プロレスというか、
マイナーな団体に成り下がったというのが、当時のマスコミもファンも含めての意識だった
のではないかと思う。 当時提携のカルガリーもキッド以前の流血路線だったんだよな 馬場と猪木いないからTBS時代もマイナーに見られてたぞ 元々はレスリングをベースにしたスタイルだったのに、それでは客が
入らないからとデスマッチを乱発。
フラメンコダンサーが、それでは食えないからとストリッパーに
なるようなものか。吉原社長も、理想と現実の狭間で苦しかった
だろうな。 ヤマハに関して未だに不思議なのは
小柄だが丈夫でキビキビと良く動き働くってことで付いた愛称らしいけど
なぜ「ホンダ」じゃなかったんだろう?
アメリカでも(というか世界中で)スーパーカブやCBの方が
当時から圧倒的に知名度高いと思うのだがw >>973
新日本版アジアタッグが一時的に存在していたでしょ。
もともと、全日のアジアタッグは新日が同王座を認定してから、慌てて復活させたものだしね。
新日本版は初代・坂口、小林組、2代・シン、上田組と、北米タッグ変わらぬメンツで、
扱いが中途半端な代物で、結局自然消滅したけどね。 >>985
決定リーグ戦は全日本の決定戦より後だっただけに極道に対抗してヤマハに巻かせれば良かったのに
とにかく新日本版の最大の意義は今に続く全日本の王座を復活させた点か >>983
まだTBSが力を入れている時期に鶴田を入れる事が出来ていたら
後の対抗戦で木村と鶴田の試合をセコンドから見上げる吉原社長の胸中はどうだったか >>984
2サイクルで小さくてもパワーがあったんだよ >>986
馬場の嫌がらせが珍しくいい方向に働いたなwww >>984
山本のYAMAと星野のHでYAMAHA。かなり苦しいこじ付け 国際に夢見過ぎな人はなんで湧いてきちゃうんだろうね?
国際はTBS時代もファンからしたらどうでもいい団体で日プロのパチモノ。力道山直系でもないし馬場猪木もいない。
偽りのNo.2 だったことは日プロが新日全日に分裂した途端に最下位団体になってしまったことでも証明されてる。
12チャンネル時代は全日の下請けで生き延びて新日に食いつぶされた。専門誌でも白黒数ページ扱い。
鶴田が倒産待ったなしの国際に入団するなんてありえないね。
レスリングベースなんて無くて一番強いのがとうの昔に引退した社長で、その人は若手時代の猪木より弱いんじゃ話にならない。 >>986
全日に対抗して北米タッグ、アジアタッグを創設したが、
北米がトップクラスでアジアヘビーとアジアタッグは
全日みいに長州、ヤマハら中堅のベルトにするべきだった。
理想の団体内ベルトはメイン上中下といて上の世界、中下のアジア、若手の日本王者みたいな感じで
それぞれのレベルで争わせるとテーマもできていい。 >>991
実際に入ったかどうかはともかく鶴田みたいなのが恐らく当初の吉原やTBSのイメージだったんだろうな
長州の時には既に体力的にも問題にならなかったようだが
当時のアマレスの八田会長の考えも気になるが
>>992
それもあってか後に国際のIWA世界タッグを奪取した時はノンタイトルだがテレビマッチで長州・木戸や星野・健吾と対戦させたりしたよな
奪還した相手が井上・浜口だった事もあってむしろIWA世界タッグのアジアタッグ並が印象付けられたわけだが 八田一朗影響されて吉原社長は、
選手のコンディションによく気をつけていて、「おはよう」という挨拶の代わりに「クソが出たか」と聞いた。
厳しい減量が必要とされる競技のため、毎日の排便を選手に報告させる。
ついでに射精の報告もさせる。
しかも、それが夢精によるものか、利き腕によるものか、ノートに書き込んで表にする。
食事の量、体重、排便回数、そして、射精回数&射精方法。これだけ把握しておけば、選手の健康管理は絶対と言う。 ダニー・ホッジのウェイトコントロール対策のマスターベーションの受け入りだろ そのせいで小林が勘違いして吉原さんに特別な感情を抱いてしまったのが
後の「社長はもう僕への気持ちが変わってしまった…」の発言につながり
やがて離脱〜国際の凋落へと繋がっていったのであった
という大胆な仮説を提唱w 「冬木さんからは、プロレスの細かいサイコロジーを教わった。
試合の組み立て方とか、レフェリーのブラインドを突くテクニックとか、今もオレのプロレスのほとんどは『冬木流』だからね」
「冬木さんからよく言われていたのは『お前みたいに小さい奴はよ、試合を組み立てられるようにならないと生き残れないよ』ということ。
勝敗に関係なく、自分で相手を手玉に取って試合を組み立てられるテクニックを持っていないとダメだということだ」(外道)
外道のプロレス人生では、節目節目に好影響を与える存在が出現する。アポロ菅原、阿修羅原、冬木弘道。 このスレッドは1000を超えました。
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