AWA世界ヘビー級選手権 [無断転載禁止]©2ch.net
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実は、日本で最初に(新聞報道で)
AWA世界王者になったのは力道山! 2008-09頃のジョン・シナのTシャツはAWAロゴのパクり。 >>14
ドクターX
フィニッシュホールドも
4の字を封印して
アルゼンチンバックブリーカーと
パイルドライバーを用いたらしい。 10代の当時退屈で仕方なかった
国技館でやったNWA王者フレアーvsAWA王者マーテル
の王者対決
去年だかYouTubeで見たけどめちゃくちゃ面白かった
自分が面白いと思う基準も変わってるんだな ハンセンがガニアと喧嘩して、ベルトを車で踏み潰した。 ドクターXがAWAベルトを巻いた写真は実在するのか? NWAの顔ってイメージの強いドリー・ファンクjrだけどデビュー直後の63年5月、8月に
アマリロにバーン・ガニアを招聘してAWAタイトルに挑戦してるんだよな
ファンクシニアとアマリロ地区の共同オーナーだったカール・サーポリスが現職のNWA会長だったにも関わらず
アメリカ北東部以外、ほとんど遠征しなかったバディ・ロジャースがNWA王者になって以降
まる2年以上、アマリロ地区にNWA王者をブッキング出来ない状態が続いて面目潰されたサーポリスは
だったらテリトリーごとNWA脱退してAWAに合流するぞ!って威嚇の意味も込めてガニアを招聘
これに慌てたNWA本部はすぐさま王者だったテーズをブッキングして矛を収めたって流れらしい ビッグ・ビル・ミラーはオハイオ地区やオマハ地区ではドクターX、AWAだとミスターM、日本限定でミスターX
AWAでドクターXというとザ・デストロイヤーことディック・ベイヤーの変名
なんともややこしい >>27
勿論、デストロイヤーの事。2週間だけチャンピオンだったがベルト写真は見た事がない。
ベイヤー爺はあんまりドクターXの事は詳しく語りたがらないんだよなぁ。
そういえば、イゴール・ボディエックなんて、なんちゃってチャンブも居たなあ >>30
イゴール・ボディック(後のマイティ・イゴール)の塩っぷりは凄まじかったなw
“ポーランドの怪力男”のギミックだからテクニックなんぞ関係なかったんだろうけど、
プエルトリコでジェット・シンとやった試合の凄いこと。
でも、息の長いそれなりのキャリアだし、カルロス・コロンもプエルトリコヘビー級を
87年まで持たせて(この時点で55歳)いたんだよな。自分には全く良さが分からなかったが。
87年1月の週プロでも当時のプエルトリコを『姥捨て山』呼ばわりしてたくらいだからなw 1960年から7〜8年は猫の目王座(コロコロ変わる)と言われたな。
ガニア、バション、フリッツ、ブル&クラ、キニスキーら連日AWA圏で王座争奪が
繰り広げられてた。 >>24
アマリロもまだその頃はそこそこのマーケットだったという訳だね。
ブルーノは息子のデビットをアマリロのファンクスに預けてレスラー修行をさせた。
その後、経過を見るためアマリロに出向くことにしたブルーノが電話で「2,3試合ならリングに上がってもいいが」と
申し出た。しかし、その頃のアマリロはもう見る影も無い状況で大スターのブルーノに支払うだけの余裕がない。
テリーがそう伝えると、ブルーノは「なーに、息子に腹一杯食べさせられるステーキ代位でいいさ」と答えた。
ブルーノのアマリロでのファイト写真は意外と多い。興行は大成功だった。 >>30
>>31
イゴール・ボディックは馬場、猪木時代の日プロの歴史で
多分、唯一タイトルに挑戦できなかった元4大世界王者
(NWA,WWWF,AWA,WWA)だと思う。
(ワールドリーグ戦、タッグリーグ戦を除く) 三大タイトル取ったのって、この人だけかな?
初めて聞いた名前だけど、強かったんですかね? >>36だけれど、
誤解のないように書けば
アメリカ4大世界王者 (NWA,WWWF,AWA,WWA)の
一つだけでも奪取した選手で、日本プロレスに参加して
タイトル挑戦資格を得られなかったのは
元AWA王者のイゴール・ボディックだけだではないか?ということ
(ワールドリーグ戦、タッグリーグ戦参加時を除く) イゴールは来日初戦で、当時慣例だった女性の花束贈呈に大感激(確かにあれは日本独自)
抱き着いて、チューっとしょうとしたんだよな。変態レスラーの烙印が押された。あれで、すべてパー。 >>39
マッドドッグバションの初来日は昭和43年の日プロのダイヤモンドSだが
一方のエースだったKKコックスが馬場のインターに、タッグ王座に両者が組んでBIに挑戦。
当時バションといえばもうAWAで何度も王座になってビッグネームではあったが
馬場との体格差を考慮してコックスに決まったとか、バションのガチっぷりに
日プロフロントが難色を示したとかアレコレ憶測が飛んだらしいな・・。 >>40
バションバスチェン組をインタータッグに
挑戦させなかったのも疑問。
そういえば当初バションの頭に毛があったが、
旅館に掛かっていた達磨大師の掛け軸を見て感銘を受けて、
頭を剃り上げた逸話があるね。 >>39
昭和46年の日プロ、サマーシリーズだが、参加外人は、
過去2回のワールドリーグですっかり顔が売れたクリス・マルコフ、
4年ぶりの再来日で「次期NWA世界王者」の呼び声が高いジャック・ブリスコ。
それに「まだ見ぬ強豪」の一人、イゴール・ボディック。
あとニューヨークの新進ビクターリベラやジョージ・スチールも来日し、
どうタイトルマッチに絡ませるか注目した。
馬場のインターには、仮にも元AWA王者、ボディックが挑戦するのでは?
と思われた。ブリスコは今ひとつ実績がないし、馬場とやるのは線が細すぎる。
猪木のUNには因縁のマルコフか、テクニシャン対決でブリスコか?
インタータッグはボディックを中心にパートナーはマルコフか、
スチール?ブリスコ&リベラでアジアタッグというのも面白い
と思っていたら、ボディックが全く期待外れ。
結局、馬場対マルコフのインター、猪木のUNにはブリスコが挑戦。
インタータッグ戦(アジアタッグも)はなかった。
今、思うに、日プロ側もボディックをシリーズのエースにするには
不安があったと思う。その保険にマルコフやブリスコも
招聘したんだろうな。 >>39
イゴールはプエルトリコのジェット・シン戦の試合前も観客の女性に抱きついてキスしていたが、
その15年も前からそんなことしていたのかw
同じレスラーでも“モダンデイ・ウォリアー”と言われたケリー・フォン・エリックが同じことを
日本でしても問題なかったが、イゴールはまずかったかw しかし、>>39は
そのシーンを生会場(後楽園ホール)で
見たのかな?
サマーシリーズ、開幕戦はテレビで放送されたが
ボディックは、放送開始直後、対吉村(?)戦が
映ったが、額を割って半狂乱、そしてすぐに両リンだったと思う。
「まだ見ぬ強豪」にしては呆気ない試合で、
その後もテレビに映らなかった(苦笑)
来日前は一応はエース格だったのに、飛んだ食わせ物だったよ。 AWAのベルトと言うと、ニックのデカベルト
より、ガニアのメインプレートが
変なギザギザしたのが思い浮かぶ。
俺が爺だからか?? あれはレジー・パークスがガニアから依頼を受けて作ったが、エリックにもそっくりな物を作っちゃった
(あるいはエリックが先だったかも)あれはマズかったな。恰好いいベルトなだけに残念。 1970年1月、国際にガニア
2月にエリックが日プロに続けて来日したが
ゴングに載ったガニアのAWAと
エリックのUSベルトが
ソックリだったのを覚えている。 >>47
しかし、あのギザギザ模様は何をモチーフ
にしたんだろう?
あと、エリックのはダラス地区の
アメリカンヘビーの事かな? そーいや、AWA世界タッグのベルトはデストのUSへビーと同じ造り。
ベルトデザインに関しては類似的なものは度々見受けられるね。
NYのWWWFと国際のIWAとか。 >>45
ゴングフォーカスっていう別冊誌に、キスを求め抱きつこうとしているボディック
と、顔を背け、必死でボディックの顔を手で押しのけようとする花束嬢の写真が掲
載されていた。 WWWFにいたイワン・ポトスキーは、はじめイゴールにそっくりだったけど意識してたんかな?
晩年は全く違って、ビックリだったけど ガニアも最後はニックベルトを巻いたんだよな
そしてニックもガニアタイプのベルトが最後で 1984年、ニックがAWA王者として全日マットに上がる際、馬場は、自分が
挑戦してAWA王者になるつもりでいたんだな。
で、鶴田を王者にしたい日テレの意向もあって、当時、マッチメーカーをし
ていた佐藤昭雄が説得して、鶴田を挑戦させ王者にしたんだと。 NWAのみならずAWAをも独り占めを企んでたのか
馬場はどこまで鶴田を貶めたいんだよ >>55
発売中のGスピリッツが鶴田特集で、そこに掲載されていた佐藤昭雄のインタビュー
に出ていた。佐藤昭雄とか原章(元日テレプロデューサー)といった周囲にいた人
たちが語る鶴田像は面白かったよ。 >>54
当時、馬場はもうノロノロだったからな
あれで世界チャンプは、図々しい
ハンセンとのPWF抗争でさえ無理があった ジェリー・ローラーがAWA世界王者だった頃
藤波がテネシーで挑戦した事があったが
もう88年だし、団体の垣根は取れていたのか? FMWでジミー・バックランドが保持していたAWA世界ライトヘビー >>54
俺はその話を信じないけどね。後付けで何とでも言えるよ。
フレアーに挑戦する事さえ嫌がった馬場がマーティルに負けて帰ってくる話を
受けるとは思わんがなぁ。 >>57
むしろWWFならホーガンを東洋の巨人が撃破とかあり得そうだ。 馬場が欲しかったのはキニスキーに次ぐ史上2人目のNWA、AWA両ヘビー級制覇という看板だけであって
鶴田みたいにアメリカにまで乗り込んでいって防衛戦をこなすなんて更々考えてなかっただろ
どうせNWAの時と同じく国内でニックとタイトルキャッチボールして終わりってパターン ガニアが50才を超えて王者でいられたんだから、自分も大丈夫
というくらいに思ってたんだろうね。
確かにマーテルに負ける馬場、はとてつもなく妙だけど
ジムブランゼルやグレッグガニア、BJランザに防衛する馬場を
想像するとシュールな感じがあるな。 AWAもWWF(WWWF)もタッグ王座はそれほど日本では馴染みがないな。
AWAが国際と全日で数度タッグ戦があった程度で、WWFは全然無かったはず。
王者チームの顔ぶれを見てもバリアント兄弟とかNY系のショッパそうなのが殆どだったし、
日本マットで争奪戦なんかやっても興ざめな試合になりそうな印象はあった。 AWA世界タッグ王者チームといったら
バション兄弟とロード・ウオリアーズが
抜群の強さを見せつけたよ。
二ック&スチーブンスやハイフライヤーズは
いまひとつだったが。
昭和46年の秋に国際で
AWA南部USタッグ選手権というのが行われた。
王者チームBロバーツ&Jブラウンの
ブロンド・ボンバーズにS小林とA浜口が
挑戦して敗退。 新日旗揚げの頃、カールゴッチはレネグレイと組んで、WWWFタッグ王者になってたな。
このチームで、NY地区の客が呼べたのだろうか?
試合の動画があったら、見てみたい。 >>67
結局タイトル戦は何試合もしてないんじゃないの?レネ・グレイによるとタイトル取ってすぐに猪木の使者が来てゴッチにブッカーのオファーしてOKしたらしいから2か月くらいしかタイトル保持してないみたいだし。本当は1年ベルト保持する契約だったらしいけど。 ちなみにWWWFタッグ王者の頃のゴッチは59年にモントリオール地区で初めて北米マットに上がった時と同じく
フランス人ギミックのピエール・レリマンのリングネームをつかってレネ・グレイとキザなフランス人ヒールコンビを演じていた アンドレやゴッチのパートナーとしてタイトルを獲得するレネグレー・・。
只者ではないなw レネ・グレイが「信じられないほど強い男だった」と評したのは
アンドレでもゴッチでもなくゴリラ・モンスーン ゴッチがモンスーンのことを「あいつは苦手だ」と言ってスパーリングもしなかったとか。 実はハーリー・レイスが1990年8月にラリー・ズビスコのAWA世界ヘビー級王座に挑戦していたことはあまり知られていない。
これがAWA最後のテレビ撮りだった。 wrestling title.comっていうサイトにAWA世界ヘビーのタイトル戦記録が載ってるけど
見てると意外な名前が出てきたりするから面白いね。このスレの前の方でドリー・ファンクjrが
ガニアのタイトルに挑戦していたっていうのがあったけど
あのジョニー・パワーズも東京プロレスに初来日した翌年の67年7月に4連続を含む5回ガニアに挑戦
しかも反則、リングアウト決着ながらガニアに3連勝してたりする >>72
ヘーシンクと柔道ジャケットマッチしてたな ゴッチがどうしても極められなかったのがモンスーンだな >>61
馬場の最晩年にもWWFのリングに上がるプランがあったんだよね
ブラッドショーが最強タッグに参戦したり関係が良好だった頃
試合じゃないけど、馬場とストーンコールドをスキットで絡ませようとしてたんだとか
TAKAみちのくが馬場に「馬場さん、これ(中指立て)できますか?」と聞いたら
馬場が「こうか?」と中指立てジェスチャーしたと、TAKAのインタビューで言ってた
ストーンコールドに向かって中指立てる馬場、めちゃくちゃ見たかったわ…
その後、スタナーでぶっ飛ばされるって展開までは受けないような気もするから
生きてても結局、話まとまらなかったかも知れないけど >>47
ビルワットの中南部北米ヘビーもギザギザデザインだったな。
マズいつうか、汎用デザインなんだろうな。
デストのUSとAWA世界タッグが全く同一デザインだし。 テレビ生中継で鶴田が初戴冠したあの日は
すごく興奮と感動したけど
あれも馬場の資金力と政治力のなせる技だと
今思うと切なくなるね あれはむしろガニアが株式みたいに持ってくれと持ち掛けてきたのが真相
それだけの利用価値があると評価された事は別に恥じる事ではない >>83
生中継ではないよ。蔵前は木曜日だったからな。 >>83
佐藤昭雄の話だと最初は馬場にオファーがあったけど日テレサイド(原プロヂューサーと
全日に出向して社長に就いていた松根社長)が鶴田に獲らせてあげたいと主張して、佐藤の
説得に応じる形で鶴田に譲ったそうだ。 何で馬場が佐藤如きの説得に応じなければならんのだ?
もう、最近は何でも言ったもん勝ちだね。ミスター高橋にしても誰にしても。
馬場はそんなに単純じゃないだろ。 ガニアだったらまず馬場に持っていくだろうな
佐藤というよりそのバックの日本テレビの威光だろう
あの時点ではまだ借金も返済途上のはずだけに この時期の馬場は、日テレからの借入金の累積が原因で、日テレから松根
社長を送り込まれていて、レスラーとしてのプライドを捨て、日テレの意
向を受け入れざるを得ない立場にあったからな。
松根社長の頃、引退を前提に、あれほど嫌った猪木との対戦受託の意向を
テレ朝と新日に伝えていたこともあったようだし。 クイック的とはいえ鶴田に勝ってAWAを巻いたマーテルが
SWSで佐野とジュニアのタイトル?を争うのは釈然としなかったなあ >>89
どうも良く分らんな。日テレとAWAはどういう関係なんだい?
それならNWAサーキットを回らせた方がよっぽど箔がつくんでねえの?
日本にはNWA至上主義がまだあったんだから。
日テレがそんなアメリカのプロレス事情にまで精通していたとは思えんけどね。 というよりとにかく馬場を引っ込めて鶴田を売り出せってことだろう AWA=アメリカン レスリング アソシェーション
NWA=ナショナル レスリング アライアンス
基本、名称からして世界タイトルじゃないな・・・ 鶴田がAWAチャンピオンになったけど
あれって馬場が取る予定だったんだよね
馬場が予定通りチャンピオンになってたら
あの当時のファンはどう思ったかな 鶴田ファンってすごく少なくなかった?
斉藤がとった時のほうがファンとして心が躍ったわ >>94
アメリカだけでもワールドシリーズの国だし >>94
全日にある世界タッグは、インターナショナルタッグ+PWFタッグ
これも基本、名称からして世界タイトルじゃないな・・・
そんなのいくらでもあるよ スレの流れが、何だか馬場戴冠が当初の予定っぽくなっているが
一連のニックと鶴田の絡みを見たら、ニック以降のAWA戦は鶴田に任せるようにしか見えない
もっとも馬場が第一線を禅譲したのが何時かって微妙だな
NWAに挑戦しなくなってからか、インターを鶴田に獲らせてからか、
インタータッグを返してからか、最後にPWFを獲られてからか
ハンセンから取り返したのは狂い咲きだったにせよ、84年は
直前の最強タッグは鶴龍でもインタータッグは馬場鶴田組だったり
微妙な感じ NWAに比べて、「レスリング技術」で魅せる選手が多かった印象がある。
歴史にifはないのだが、バックランドがAWA王者になっていれば、と思う。 馬場は格的にガニアには挑戦してもニックには挑戦しないだろ
NWAもテリーやフレアーには挑戦しなかったし >>100
バックランドはミネソタ出身だからAWAとは所縁が無くもないな。
後年、ボブを降しWWF王者となったアイアンシークもガニア道場の師範代だった。
国際が提携してた当時のメンツを考えると、群雄割拠つかベテラン、テクニシャン、悪党
若手ら、NWAに引けを取らない顔ぶれだった。ワフー、ローデス、ラシク、マードック、フレアーら
その後はNWAに転戦して名を上げているし。 >>101
ニックには挑戦するだろう。ニックを評価しないレスラーはいないよ。
テリーとはやっているよ。何か気乗りしない感じだったけど。
フレアーの事は尊敬するロジャースを辱めているとボロクソだったな。 >>103
実際にしなかっただろ?
レスラーの格もさることながら
馬場はAWAタイトルには興味を示さなかった。
世界最高峰かどうかは別として
やはり最もアメリカで権威のあるNWA
若い頃、檜舞台MSGでサンマルチノに挑戦したWWWFに
比べれば。
二ックの方が馬場よりレスラーとして先輩だから
そう批判はしなかったが、腹の中では
尊敬するロジャースを辱めていると感じていた
と思うよ。 >>104
君はニックの現役時代を知らない世代だろう?だったら仕方ないけどね。不勉強だよ。
ニックがタイトルを保持していた第一期(75-80年)はまだ3大テリトリー制がはっきりしていたし
WWFの侵攻も始まっていなかったから、NWAと関係の深い馬場が簡単にAWAに挑戦という訳にはいかなかった。
表だって批判するNWA関係者もいなかっただろうが、少しでもマイナスになる可能性がある事はしないというのが馬場だから。
俺がニックなら挑戦するだろうと言ったのは、そういう環境ならという話だ。
確かにニックはAWAでは酷いチャンブをやらされていたが超一流のレスラーだよ。
フレアーあたりと一緒にするなよ。ニックならベビーフェイスのチャンプとしてやってもドリーと同格位のレスラーになっただろう。 >>106
いや、、二ックが王者以前から
知っているんだが、、、
ビートルズなんかも
リアルタイムの団塊世代よりも
後追い世代の方が辺に崇拝しているんだよな
全く滑稽だお。
困ったものだ >>106
二ックはどうしようもないヤブレスラーだ。
こんなのを評価している奴ってww
どっかにも書いたが
ちなみに俺の妹が二ックの試合を見て呆れ返っていた。
通ぶるつもりは全然ないが、
お前は本当にアホすぎる。よくそれでプロレスを楽しめたもんだな(笑)
俺は、↓の住人706だ。
http://tamae.2ch.net/test/read.cgi/wres/1483754268/l50
いつでも相手になってやるよ。 >>106
まあぶっちゃけNWA王座に就くことが馬場自身のステイタスだったから
AWAにまで食指は動かなかった嫌いがあったわな。
そんな独り占めする理由もないし、自分がNWAだったので鶴田がAWAって流れだったと思うよ。。w >>103
テリーとはノンタイトルで
両リンじゃなかったかな 実は79年2月11日、AWAの総本山ミネアポリスでのメインイベントで馬場はニックのAWAタイトルに挑戦して反則勝ちしてるんだけど
その3日後の14日にハワイでニックに挑戦する鶴田の試合の方を日本のメディアには取り上げて貰いたいという
馬場の意向もあって日本ではミネアポリスでの試合はタイトルマッチではなかったという報道のされ方をしていた 全く話にならんな。
107さんよ、単なる見る目のない年寄りだったって訳か。ホントに困ったもんだ。
109
俺の妹が試合を見たって・・・妹にパラサイトしている阿呆か。
お前なんかと勝負するほどボケちゃいないね。カブキと言えばえらく面白い話があるがスレチだからやめとく。
とにかく、ガニアは身内以外は信用しないタイプ。ある意味、馬場より酷い。
そのガニアが唯一、後継者にしたのはニック。ただし、自分以外のベビーフェイスチャンブは認めないから
酷いヒールをやらされたけど。それでも、あれだけの長期チャンプを張れたのはそれだけの力があってこそ。
ルックスもいいし、テクニックも最高。常にベストコンディション。申し分のないレスラーだったな。 >>109
鶴田ニックAWA戦見て猪木でさえニックは本当に上手いレスラーだと感嘆してたんだぞ >>109
こいつ、カブキスレでも皆にボコボコにボコられてた。ワロタ。必見。 一連の鶴田戦を見てもニックはコンディション良いし強かったと思う。何しろ風格があった。またロープ三段目を使ったバックドロップやブレーンバスターも上手い。
そんなニックにTV中継のとき、花道から○○中学○年○組と書いたプラカード的なものを首に掛けたファン。そのニックの姿を見てニヤニヤしてるセコンドレスラーたち。 >>113
読んでいて噴き出してしまった。
そして哀しくなった。情けないな。
結局、おまえは「二ック信者」なのだが、、、
世の中は、あるゆることで「人によって評価が違う」
って分からんのかな?良い年を晒して。
>ガニアが唯一、後継者にしたのはニック
そんなことを力説したって、単にガニアの戦略に
乗せられただけだろ?(嘲笑)
裸の王様を賞賛している愚民だよwww
おまえ、ある教団の信者がその教祖様を「仏陀の生まれ変わり」とか
「イエスの再来」とか信じて、一般人に「教祖様の偉大さが分からんのか!?」
「この愚か者め!」と息巻いているのと同じだよ。
おまえ、社会から孤立しているだろ?
そして唯一の誇りがプロレスの知識だろうが、
それを否定されて完全に頭に来ているようだね。哀れだ。
間違っても反論なんかするなよ。みっともないから、、、
同じプロレスファンとして、おまえのような低レベルな
人間がいることが非常に恥ずかしい。もう書き込むな! >>118
お前さえ、何で109の時と同じようにカブキスレって名乗らないの?
バレバレなんだけど(同情の落涙)
仏陀、イエス・・・プロレスの見過ぎで逝っちゃったか?? >>109
お前か?ニック・ボックウィンクルを
N・B・ウィンクルと書いてドヤ顔決めているのは つまんねえレスラー見て「こいつらの良さがわかる俺ってスゲー」
って言いたい奴が最終的に二ックに辿り着くんだろうな >>118
お前の崇める、偉大なる妹によろしく。マンセー。 しかし78年最強タッグで当時、それほどAWAと強いパイプも無かったのに
現役王者のニックを数週間日本に滞在させた馬場の政治力つか「顔」は凄いな。
これは猪木じゃ絶対できない・・ それを意識してか新日本もプレ日本選手権なのにバックランドを招聘 ♪あ〜わ あわ! (AWA)
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