アントニオ猪木 対 力道山 [転載禁止]©2ch.net
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
もし猪木と力道山のシングルがあればどんな試合になったか?
力道山が63年に死去せずにいて。
それで日本プロレスが一足早く日本人対決を行えば。
68年〜70年頃に実現したと仮定して。 >>495
猪木は第1試合で鈴木みのるとかとやってたよ それはどうでもいい
ミスター第一試合の百田光雄氏との試合を想像したまえ 89年2月に猪木は長州にシングルで二度目のフォール負け。
ケジメと称して一からの出直しで3月シリーズから第一試合に。
そこで第一試合で鈴木みのるとも対戦。
シリーズ全部に第一試合出場かは忘れたけども。 >>495
百田光雄は力道山の息子というだけで全く弱いレスラーなので全く関心ありません。 百田ならサイズ的に星野か小鉄が合うな。
でも強さなら段違いだろうけど。 寛至vs力道山
開始直後、力道山の張り手1発で寛至がもんどりうって倒れスリーカウント >>13
脳内でやけにリアルに想像できるなー
って思ったらラッシャー木村で想像してたwww >>504
カール・クラウザー(ゴッチ)とビル・ミラーも グレアは気の毒だな。
カルゴとビルミに絞められて、後年はアンイにリングでやられて。
実際には彼らよりグレアの方がまともだったかも知れない。 >>489
==豊登(大相撲・二所ノ関部屋)→ 1931年3月21日 - 1998年7月1日没
間違えました。豊登は立浪部屋所属に訂正します。 力道山と馬場や猪木のタッグ対決でも見たかったなあ。
まあ力道山時代はまだ生まれてなかったけど。 ドラマのリハで、狼酋長イノキとリキさんが、ガチ対決したと、確か梶原のエッセイで書かれてたよな。
「おい寛至!手加減するな思い切りこい!」と力道に怒鳴られ!
若きジュリアン・ソレル如き(赤と黒な)猪木のナックルが力道を襲う!
力道劣勢の中、ここ1番にしか出さない頭突きで猪木をマットに沈めた。
と、梶原ワールド全開のストーリーはプロレスファンなら、知ってるはず・・・。 むかしそれ読んだな、懐かしい
新日寄りなのは週プロだったけど、一騎さんが書くのは決まってゴングだったよね
ターザン山本大嫌いだし、俺も新日ファンだけど買うのはゴングだった アノキとリキドのリングでの対決を見たかった。
ジャイバよりアノキの方がリキドとの対決はおもろそうだ。 力道山も豊登にだけはめったに手を挙げなかったらしい。豊登は怪力なうえ切れると手がつけられなくなるから。
相撲の現役時代、自分の部屋の親方に対してナタで斬りかかったこともあるという逸話の持ち主。 猪木が力道山をネタに北朝行きまくって話題になってる。
力道山は地獄でどう思ってるだろうか?
もっとも力道山の頃は南北分断されてなかったが。
たまたま力道山の故郷が北部だったから今の北朝の位置で。
運も良かったな。
これが南部だったらただの韓国だし。 ☆ 日本の核武装は早急に必須です。総務省の、『憲法改正国民投票法』、
でググってみてください。現在、衆参の両議員のそれぞれで、改憲議員が
3分の2を超えています。私たち日本人の、日本国憲法を改正しましょう。
憲法改正国民投票法、でググってみてください。お願い致します。☆☆ 68歳の時のルーテーズのインタビュー。
https://www.youtube.com/watch?v=exwCIA3Kiw0
初めて力道山に会ったのはいつ、どこで?
「力道山に初めて会ったのは1956年、ハワイで。
彼の事を最初知らなかったので気に止めていなかったが
試合をやってみたら本当に強い奴でした。
相撲出身で始めは相撲スタイルでしたが
試合を重ねる度にどんどん強くなって
信じられないくらい勇気のある人でしたので
工夫に工夫に重ねどんどん強くなっていきました。」
力道山が刺されたニュースはどこで聞きましたか?
「カルフォルニアで聞きました。
びっくりしました。
彼の性格がそうしたのでしょう?
刺されてから3時間も飲んでいたそうですね。
そんな無茶な事をしてはいけなかった。
すぐ病院に行けばこんな事にならなかったのに。
彼の性格がそれをさせなかったのでしょう。
スーパーマンではないのに。
彼はナイーブな神経を持っていましたが彼は認めなかった。
彼はいつでも強い男になりたかったんですね。
私には彼の個性がとってもなつかしい。
東京に行く度にと必ず力道山のお墓に行きます。
力道山に出会うという事はいつもドキドキする出来事でうれしかった。
力道山は凄いいい奴でしたよ。」 デストロイヤーがインタビューで力道山がナンバーワン!!
−−日米通算で約8500試合を行ったと聞いたが、印象に残っているレスラーは
「力道山にはいつも感銘を受けたし、ジャイアント馬場、アントニオ猪木、ジャンボ鶴田も、とても強かった」
−−最も印象に残っているレスラーは
「ナンバーワンといえば、力道山だろう。彼の空手チョップは他の誰よりも強烈だったよ」
旭日双光章受章のデストロイヤーさんインタビュー
引退から24年、いまの生活は? 「力道山がナンバーワン」
http://www.sankei.com/world/news/171103/wor1711030002-n1.html 【プロレスラーの格闘技戦績 】
ボブ・サップ21-31
華 DATE7-9
アレクサンダー大塚6-13
長井満也5-8
坂口征夫5-7
柴田勝頼4-12
河野真幸3-5
ショーン・オヘア3-5
ジャイアント・シルバ2-6
安田忠夫2-4
曙1-13
石澤常光1-5-1
橋本友彦1-4
石川雄規1-3
杉浦 貴1-3
カール・マレンコ1-2
北尾光司1-2
堀田祐美子1-2
木村浩一郎1-2
安生洋二0-7-2
トム・ハワード0-7
高田延彦0-6-2
トニー・ホルム0-4
太刀光0-4
佐野巧真0-4
高山善廣0-4
谷津嘉章0-3
中西学0-2
タカ・クノウ0-2
真霜拳號0-2
KAZE0-2
レイディー・タパ0-2
中野龍雄0-2
松永弘光0-2
小原道由0-2
永田裕志0-2
アステカ0-1-1
ニック・ミチェル0-1
キッド・キャッシュ0-1
アーロン・アギレラ0-1
藤田豊成0-1
ネイサン・ジョーンズ0-1
TAKAみちのく0-1
日高郁人0-1
マンモス佐々木0-1
矢野啓太0-1
矢野通0-1
田中翔0-1
カト・クン・リー0-1
ブラソ・デ・プラタ0-1
ゼウス0-1
エル・ソラール0-1
CMパンク0-1
佐山 聡0-1
獣神サンダー・ライガー0-1
バン・バン・ビガロ0-1
スティーブ・ウィリアムス0-1
通算67-214-6 勝率23% 力道山 享年39(実際には44?)
馬場 享年61
猪木 現在74 >>520
プロレスラー出身で総合格闘技チャンピオンになったブロックレスナーやグレイシーキラーと言われた桜庭や藤田和之など総合格闘技で活躍した選手が多く抜けていますね。 >>520
ダン・スバーンもジョシュ・バーネットもシャムロック兄弟も抜けてるし。強い奴、全部抜いてるでしょ。 【プロレスラーの格闘技戦績 】
橋本友彦1-4
直 DATE1-5
石澤常光1-5-1
曙太郎1-13
安生洋二0-7-2
トム・ハワード0-7
高田延彦0-6-2
張替美佳0-5
トニー・ホルム0-4
太刀光0-4
佐野巧真0-4
高山善廣0-4
船木誠勝0-3
佐藤綾子0-3
前川久美子0-3
谷津嘉章0-3
ハンス・ナイマン0-3
冨宅飛駈0-2-1
中山香里0-2
中森華子0-2
石川雄規0-2
ダビド・ハハレイシビリ0-2
中西学0-2
タカ・クノウ0-2
真霜拳號0-2
KAZE0-2
レイディー・タパ0-2
中野龍雄0-2
松永弘光0-2
小原道由0-2
永田裕志0-2
アステカ0-1-1
ブラザーヤッシー0-1
ストーカー市川0-1
水波綾0-1
鳥巣朱美0-1
クリストファー・ヘイズマン0-1
ニック・ミチェル0-1
キッド・キャッシュ0-1
アーロン・アギレラ0-1
藤田豊成0-1
ネイサン・ジョーンズ0-1
TAKAみちのく0-1
日高郁人0-1
マンモス佐々木0-1
矢野啓太0-1
矢野通0-1
田中翔0-1
カト・クン・リー0-1
ブラソ・デ・プラタ0-1
ゼウス0-1
エル・ソラール0-1
CMパンク0-1
佐山 聡0-1
獣神サンダー・ライガー0-1
バン・バン・ビガロ0-1
スティーブ・ウィリアムス0-1
前田日明0-0
【通算4-137-7勝率2%】 >>525 は
>522, >523 に記述されているように
桜庭、ブロックレスナーなどの実績を残した選手を無視したデータなんで意味ありませんね。
また、曙は確かにプロレスラーでもありますが先にK1、総合格闘技をやっているので総合格闘技出身プロレスラーと言う解釈もできます。 【プロレスラーの格闘技戦績 】
橋本友彦1-4
直 DATE1-5
石澤常光1-5-1
曙太郎1-13
安生洋二0-7-2
トム・ハワード0-7
高田延彦0-6-2
張替美佳0-5
トニー・ホルム0-4
太刀光0-4
佐野巧真0-4
高山善廣0-4
船木誠勝0-3
佐藤綾子0-3
前川久美子0-3
谷津嘉章0-3
ハンス・ナイマン0-3
冨宅飛駈0-2-1
中山香里0-2
中森華子0-2
石川雄規0-2
ダビド・ハハレイシビリ0-2
中西学0-2
タカ・クノウ0-2
真霜拳號0-2
KAZE0-2
レイディー・タパ0-2
中野龍雄0-2
松永弘光0-2
小原道由0-2
永田裕志0-2
アステカ0-1-1
ブラザーヤッシー0-1
ストーカー市川0-1
水波綾0-1
鳥巣朱美0-1
クリストファー・ヘイズマン0-1
ニック・ミチェル0-1
キッド・キャッシュ0-1
アーロン・アギレラ0-1
藤田豊成0-1
ネイサン・ジョーンズ0-1
TAKAみちのく0-1
日高郁人0-1
マンモス佐々木0-1
矢野啓太0-1
矢野通0-1
田中翔0-1
カト・クン・リー0-1
ブラソ・デ・プラタ0-1
ゼウス0-1
エル・ソラール0-1
CMパンク0-1
佐山 聡0-1
獣神サンダー・ライガー0-1
バン・バン・ビガロ0-1
スティーブ・ウィリアムス0-1
前田日明0-0
【通算4-137-7勝率2%】 >>527 も
>>522 , >>523 に記述されているように
桜庭、ブロックレスナーなどの実績を残した選手を無視したデータなんで意味ありませんね。
しかもここはアントニオ猪木対力道山という
プロレスラーを話題にするところなので
総合格闘技などの実績を話題にするところではありませんね。 【プロレスラーの格闘技戦績 】
橋本友彦1-4
直 DATE1-5
石澤常光1-5-1
曙太郎1-13
安生洋二0-7-2
トム・ハワード0-7
高田延彦0-6-2
張替美佳0-5
トニー・ホルム0-4
太刀光0-4
佐野巧真0-4
高山善廣0-4
船木誠勝0-3
佐藤綾子0-3
前川久美子0-3
谷津嘉章0-3
ハンス・ナイマン0-3
冨宅飛駈0-2-1
中山香里0-2
中森華子0-2
石川雄規0-2
ダビド・ハハレイシビリ0-2
中西学0-2
タカ・クノウ0-2
真霜拳號0-2
KAZE0-2
レイディー・タパ0-2
中野龍雄0-2
松永弘光0-2
小原道由0-2
永田裕志0-2
アステカ0-1-1
ブラザーヤッシー0-1
ストーカー市川0-1
水波綾0-1
鳥巣朱美0-1
クリストファー・ヘイズマン0-1
ニック・ミチェル0-1
キッド・キャッシュ0-1
アーロン・アギレラ0-1
藤田豊成0-1
ネイサン・ジョーンズ0-1
TAKAみちのく0-1
日高郁人0-1
マンモス佐々木0-1
矢野啓太0-1
矢野通0-1
田中翔0-1
カト・クン・リー0-1
ブラソ・デ・プラタ0-1
ゼウス0-1
エル・ソラール0-1
CMパンク0-1
佐山 聡0-1
獣神サンダー・ライガー0-1
バン・バン・ビガロ0-1
スティーブ・ウィリアムス0-1
前田日明0-0
【通算4-137-7勝率2%】 【プロレスラーの格闘技戦績 】
橋本友彦1-4
直 DATE1-5
石澤常光1-5-1
曙太郎1-13
安生洋二0-7-2
トム・ハワード0-7
高田延彦0-6-2
張替美佳0-5
トニー・ホルム0-4
太刀光0-4
佐野巧真0-4
高山善廣0-4
船木誠勝0-3
佐藤綾子0-3
前川久美子0-3
谷津嘉章0-3
ハンス・ナイマン0-3
冨宅飛駈0-2-1
中山香里0-2
中森華子0-2
石川雄規0-2
ダビド・ハハレイシビリ0-2
中西学0-2
タカ・クノウ0-2
真霜拳號0-2
KAZE0-2
レイディー・タパ0-2
中野龍雄0-2
松永弘光0-2
小原道由0-2
永田裕志0-2
アステカ0-1-1
ブラザーヤッシー0-1
ストーカー市川0-1
水波綾0-1
鳥巣朱美0-1
クリストファー・ヘイズマン0-1
ニック・ミチェル0-1
キッド・キャッシュ0-1
アーロン・アギレラ0-1
藤田豊成0-1
ネイサン・ジョーンズ0-1
TAKAみちのく0-1
日高郁人0-1
マンモス佐々木0-1
矢野啓太0-1
矢野通0-1
田中翔0-1
カト・クン・リー0-1
ブラソ・デ・プラタ0-1
ゼウス0-1
エル・ソラール0-1
CMパンク0-1
佐山 聡0-1
獣神サンダー・ライガー0-1
バン・バン・ビガロ0-1
スティーブ・ウィリアムス0-1
前田日明0-0
【通算4-137-7勝率2%】 すでにデビューして2年くらい経ってる猪木を力道山はビール瓶が入った木箱でなぐったらしいな。
ほんととんでもねえガイチだわ。
ところで、力道山が刺された時の猪木の心中はどうだったんだろう。
本能寺で信長が死んでくれた時の秀吉と同じだろうか?(よっしゃ、天下もらった!) 力道山死後、日本のプロレス史は猪木が起点になって分裂・新団体が誕生していくことに。
力道山が統一したプロレス団体は猪木と豊登が旗揚げした東京プロレスによって
再び複数団体時代に突入。その後に旗揚げされた国際プロレスと合同興行を
行ったが東京プロレスは崩壊して日プロに復帰。
その後、クーデター未遂で猪木が日プロから追放されて新日を旗揚げ。
猪木がいなくなった日本教育テレビ(NET)に日本テレビとの約束を破って
馬場をNETに出して日本テレビの中継が打ち切り。その後、馬場が全日を旗揚げ。
坂口がNETの放映権を持って新日に移籍→日プロ崩壊。
新日クーデターをきっかけにUWFが誕生。新日本プロレス興行がジャパンプロレスに。 【プロレスラーの格闘技戦績 】
橋本友彦1-4
直 DATE1-5
石澤常光1-5-1
曙太郎1-13
安生洋二0-7-2
トム・ハワード0-7
高田延彦0-6-2
張替美佳0-5
トニー・ホルム0-4
太刀光0-4
佐野巧真0-4
高山善廣0-4
船木誠勝0-3
佐藤綾子0-3
前川久美子0-3
谷津嘉章0-3
ハンス・ナイマン0-3
冨宅飛駈0-2-1
中山香里0-2
中森華子0-2
石川雄規0-2
ダビド・ハハレイシビリ0-2
中西学0-2
タカ・クノウ0-2
真霜拳號0-2
KAZE0-2
レイディー・タパ0-2
中野龍雄0-2
松永弘光0-2
小原道由0-2
永田裕志0-2
アステカ0-1-1
ブラザーヤッシー0-1
ストーカー市川0-1
水波綾0-1
鳥巣朱美0-1
クリストファー・ヘイズマン0-1
ニック・ミチェル0-1
キッド・キャッシュ0-1
アーロン・アギレラ0-1
藤田豊成0-1
ネイサン・ジョーンズ0-1
TAKAみちのく0-1
日高郁人0-1
マンモス佐々木0-1
矢野啓太0-1
矢野通0-1
田中翔0-1
カト・クン・リー0-1
ブラソ・デ・プラタ0-1
ゼウス0-1
エル・ソラール0-1
CMパンク0-1
佐山 聡0-1
獣神サンダー・ライガー0-1
バン・バン・ビガロ0-1
スティーブ・ウィリアムス0-1
前田日明0-0
【通算4-137-7勝率2%】 【プロレスラーの格闘技戦績 】
橋本友彦1-4
直 DATE1-5
石澤常光1-5-1
曙太郎1-13
安生洋二0-7-2
トム・ハワード0-7
高田延彦0-6-2
張替美佳0-5
トニー・ホルム0-4
太刀光0-4
佐野巧真0-4
高山善廣0-4
船木誠勝0-3
佐藤綾子0-3
前川久美子0-3
谷津嘉章0-3
ハンス・ナイマン0-3
冨宅飛駈0-2-1
中山香里0-2
中森華子0-2
石川雄規0-2
ダビド・ハハレイシビリ0-2
中西学0-2
タカ・クノウ0-2
真霜拳號0-2
KAZE0-2
レイディー・タパ0-2
中野龍雄0-2
松永弘光0-2
小原道由0-2
永田裕志0-2
アステカ0-1-1
ブラザーヤッシー0-1
ストーカー市川0-1
水波綾0-1
鳥巣朱美0-1
クリストファー・ヘイズマン0-1
ニック・ミチェル0-1
キッド・キャッシュ0-1
アーロン・アギレラ0-1
藤田豊成0-1
ネイサン・ジョーンズ0-1
TAKAみちのく0-1
日高郁人0-1
マンモス佐々木0-1
矢野啓太0-1
矢野通0-1
田中翔0-1
カト・クン・リー0-1
ブラソ・デ・プラタ0-1
ゼウス0-1
エル・ソラール0-1
CMパンク0-1
佐山 聡0-1
獣神サンダー・ライガー0-1
バン・バン・ビガロ0-1
スティーブ・ウィリアムス0-1
前田日明0-0
【通算4-137-7勝率2%】 >>537
何だ?
レスラーの住所書き、まだやってたのかw リキドは5年位年齢鯖読みしていたはず。
でも当時はジャイバもアノキもそれを知らず。 力道山は晩年は体がボロボロだったから死ななくても引退間近だった。
何かの記事にそう書いてあったな。
もって2年くらいのレスラー寿命だったって。 実際に相当強かった。
でも本当に強い相手、自分より強い外人とは敢えて喧嘩せず。
ただ持ち前のヤクザ気質だったから切れたら誰にでも向かっていく。
だからあの時死ななくても同じ様なことはあったはず。
芳乃里や遠藤のそういうコメントを読んだことがある。 力道山はいろいろ言われますが亡くなる直前までトレーニングはしていました。
遠藤幸吉はプロ柔道、プロレスラー初期の頃までは立派な体格で
ドロップキックの名手とも言われましたが
途中からブクブク太りだし準エースの座を譲っています。
猪木含め猪木の後輩達には相撲のかわいがり的な行為をしたのも事実ですが
全員、米国修行に行かせています。
猪木は力道山が亡くなる直前に米国修行の予定でしたが
遠藤幸吉との試合で怪我をして延期になって力道山が亡くなってから米国修行しています。
力道山はなんだかんだ言われていますが自身は亡くなる直前までトレーニング、
弟子たちには米国修行を行かせるなど非道だけではない感じもします。
亡くなる直前は体がぼろぼろだったのも事実。
タッグ戦で外人レスラーの反則で怪我してから空手チョップの威力も落ちていたそうです。
もう引退の時期は考えていたかもしれません。 >>545の訂正
誤:猪木含め猪木の後輩達に
↓
正:猪木含め猪木の先輩達に >>547
日本のプロレス史はこの二人が基軸になってたから。
力道山死後、何か起こる時は猪木が起点になってた。 アントニオ猪木が最近のニュースで力道山について語ってますね。
『1963年12月、力道山と高砂親方(元横綱前田山)の酒席に呼び出され、
親方が「オイ、リキさん、コイツいい顔してるな」と言うと、
力道山はうれしそうに「そうだろう」とうなずいたという有名なエピソードを披露。
力道山はそのすぐ後、暴力団員に刺された傷がもとで急逝してしまう。
猪木議員はれ(力道山が「そうだろう」とうなずいたこと)がなかったら、
私は違う道に行ってただろうな」と、感慨にふけっていた。』
https://www.daily.co.jp/ring/2018/01/09/0010882992.shtml 力道山「なんだその目は?インキと改名せい!」
猪木「・・・・・・・」 番犬に猪木を襲わせたんだっけ?
ほんと、ひでえ野郎だよな。 力道山と猪木はいろいろあったけれど
>>549 の記事で猪木自身が力道山の最後の言葉で救われたと言ってるからいいのではないでしょうか。
猪木自身も力道山と師弟関係を感じているから朝鮮でプロレス興行もしたし、力道山をしのぶ会も開いたりしています。
猪木は以下のようにも語ってます。
『怖い存在は人間には必要。
力道山が亡くなってからも永く怖い力道山の夢を見たが最近は見なくなった。
笑っている力道山の夢を見るようになった。』 猪木が引退した頃の自伝で
なぜ北朝鮮で興行をしたのか?国交に本気になったのか?
「いつだったか夜中にふと起きると、目の前に力道山が度々現れるようになって」
「夢なのか現実かわからないけど、でも力道山は何も言わないんだけど、よく気持ちがわかった、望郷感なんだなと…」
記憶が曖昧で表現は多少違ってるかもしれないが
要は「力道山に代わって故郷に凱旋してる」みたいな内容だった。 エリートのジャイアント馬場と雑草の猪木という対比が
徹底的に描かれた梶原一騎原作の「プロレス・スーパースター列伝」の影響で、
猪木ばかりが集中して力道山に殴られていたという印象が後世に伝わっているが、
これが弟弟子の星野勘太郎の証言によると
「猪木さんは馬場さんと並んで、バリバリのエリート候補生。
オヤジの付け人をやっていたから、より近い関係でもあったし、
殴られることもあったが、決して馬場さんと比べて雑草扱いはされていない。
あれは絶対オヤジの英才教育だった」とのことだったようです。
確かに猪木は10代で世界の強豪が参戦するワールドリーグに
日本代表の一員として参加できています。
力道山も猪木の事を評価はしていたのでしょう。 >>555
ルー・テーズ、ディック・ハットン、フレッド・ブラッシーら豪華メンバーが
揃った昭和37年ワールド大リーグ戦にデビューしてまだ1年半しか経ってなかった
19歳の猪木を参加させて、昭和38年ワールド大リーグ戦にも猪木を参加させてるね。 力道山が亡くなってから力道山の悪口を言っていたというようなイメージがあった
ユセフ・トルコですがGスプリッツのVOL24(平成24年8月5日号)
「力道山対木村政彦」特集のインタビューで
以下のように答えてました。
もし2人(力道山・木村政彦)が最初からシュートでやっていたらどうなっていたでしょうね?
『やっぱりリキさんが勝ってたよ。もっと早い時間でガチンコでやったら絶対に勝てない。
寝技に入ったら別だけどね。』
『でも、柔道家は裸になると寝技に弱いんだよ。はっきり言って俺も経験してんだもん。
柔道家は柔道衣を着てるから強いんだから。それは木村も知ってるよ。
それなりに寝技に入れるかといったら、入れない。
リキさんには相撲の倒されない技術があるから。
相撲取りはみんな寝技は得意じゃない。』
『力道山という人は強かったよ。稽古したもん。あの人の稽古は凄いよ。
俺らが怪我したり、風邪ひいたらボロクソだった。』
『だから、俺らは怪我するわけにも風邪ひくわけにもいかないんだよ。
リキさんは下の人間にもやらせるけど、自分も稽古をちゃんとやるよ。
一番凄いよ。こんなに稽古好きな男はいなかった。』 ユセフ・トルコですがGスプリッツのVOL24(平成24年8月5日号)
「力道山対木村政彦」特集のインタビュー(2)
力道山が1963年12月に亡くなっていなかったら、
日本のプロレスはどうなっていたでしょうね。
『俺は刺される前々日に浜松からリキさん、田中米太郎と一緒に
夜行列車で東京に帰ってきたんだ。
その時、リキさんは
”俺は選挙に出るから、お前ら後は頼むぞ”と言っててね”
政治家になろうとしていたんだよ。
この時に
”俺の後釜は誰がいいと思う?”と訊かれて
俺は馬場の名前を出したんだ。
リキさんは
”俺も馬場だと思う。じゃあ、そうしよう”
と言ってたよ。」』
『今頃、自民党のボスになっていたよ。
その時に
”芸能人のトップクラスしか入れない会員制の高級クラブを作るから
お前が支配人として仕切ってくれ”と言われたんだ。
俺とリキさんは同じガイジン同士だから。いろいろ考えてくれていたんだろうな。』
『リキさんはプロレスを財団法人にしようと思って、政治家になろうとしたんだ。』 猪木が何かの記事でこう語っていた。
敗戦が色濃く残る時代に敵国のアメリカから外人を大量に呼んで興行する。
並大抵の人間にできる事ではない。
私や馬場さんの頃とは時代も何もかもが違う。
その度胸は他の誰も真似できない。
やはりそれ相当に腕に自信がないと無理だろう。
(トラブル等)何も起こらない、保障はないわけで。
それを考えたら余程の腕に自信がないと。
それが(力道山)本人の自信過剰だったかも知れない。
仮に自信過剰であっても実際にそれだけの度胸がないと。
力道山はそれだけ想像を絶する凄い人間だった。
これを読んで自分(や馬場)ですらその時代に興行やるのは無理だと。
自分(や馬場)より力道山は遥かに凄い人間。
遠回しにそう語っていた。 猪木は力道山のガウンを形見として大事にしてるんだな。
https://www.youtube.com/watch?v=WYOoyeLfU7k
しかし猪木も相当身長縮んだね。福澤朗アナウンサーよりちょっと低くて
今田耕司よりちょっと高い程度でほぼ同じぐらいになってしまったね。 >>560
猪木が力道山のガウンを保管しているなんてびっくりですね。
福澤朗の身長は181センチなので猪木は確かに小さくなった。
老人になると小さくなるんですね。
力道山のガウンをわざわざ保管しているなんて
やっぱり猪木は力道山に対する思いが強いのでしょう。
この力道山のガウンは本物と認定され鑑定価格は300万円となりましたが
力道山が着用した事実が証明されれば500万円以上ですか。 力道山は人間の急所を知ってたからね。
いざとなれば試合中でもそこを狙う気構えだったとか。
相手が仕掛けてきた場合には。
そういう腹積もりや覚悟でリングに上がっていた。
後々の猪木や馬場もそこまではなかっただろう。 横道にそれますが旭道山の張り手で相手が一発で倒れるケースが多々あります。
動画の終わり12分30秒過ぎくらいに解説していますが
フック系だと相手は倒れない。
相手を一発で倒す方法を説明しています。
単純に張り手を打つのでがなく人体の急所を知って打っているという感じ。
力道山の張り手を応用した空手チョップもそんな感じだったのでしょうね。
KOの極意? 元小結・旭道山の張手
https://www.youtube.com/watch?v=1Yd2jLdK3HU >>549 その話には前段があってね。その話から語らねばなるまいて
【 力道山 と 前田山英五郎(八代高砂親方) 】
巡業中のある日、横綱前田山は力道山と些細なことから喧嘩になり、前田山が張り手一発で失神させたと伝わる。
粗暴な性格は大相撲時代より知られており、戦前にも岡山と香川を結ぶ連絡船の上で泥酔して暴れていたところを
止めに入った前田山がガチの張り手で失神させたという逸話(これには諸説あり)が相撲界に伝わっている。
一説には、力道山が自身の陰口を叩いたことを前田山が知って騒ぎになったという。
しかしコノ一件以来、前田山は力道山を気に入り、可愛がり、力道山が殺害される当日まで飲み仲間として交流したと伝わる。
珍記録としては、3場所連続で同じ相手(前田山)から不戦勝をあげるなどした。
また、力道山は前田山の最後の優勝旗手になった力士でもある。
事の真偽は不明だが、張り手の威力は、古くは福の花孝一が北の富士勝昭を、20世紀末では旭道山和泰が久島海啓太を、
21世紀では、暴行事件で引退した日馬富士公平が稀勢の里寛をそれぞれ本場所の取組中に張り手で失神させたことがあるので、
あながち不可能な話ではない。 何にせよ「 空手チョップ 」の源流は、紛れも無くこの「張り手」にある。
現在の横綱白鳳が反則や禁じ手でも無いのに【かちあげ】という名前のエルボースマッシュや
【張り刺し、突っ張り、張り手】を横綱の品格の名の下に「封じ手」とされる所以である。 >>564 続き
【 力道山 と 前田山英五郎(八代高砂親方) 】
また、一説に広く流布されている「空手チョップ」は、極真空手総帥の大山倍達が伝授したと、
梶原一騎が「空手バカ一代」で吹いたものだから、世間ではそう信じられているが、全く違う。
なるほど、力道山も大山倍達もグレート東郷も同じ朝鮮人であるが、
ここにもう一人別の朝鮮人が登場する。
中村日出夫 (空手家) である。
※ 中村 日出夫(なかむら ひでお、民族名:姜 昌秀(カン・チャンス、? ??)、1913年6月16日 - 2013年1月8日)は、
朝鮮半島出身の空手家。空手道拳道会初代会長。空手十段。
『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』によれば、同じく朝鮮半島北部出身の力道山と力士時代から親交があり、
力道山から朝鮮語で兄さんを意味する「ヒョンニム」と呼ばれ慕われていたという。
相撲を廃業しプロレスに転向する際には空手を伝授、これが力道山の代名詞となった必殺技・空手チョップ誕生に繋がったとされる。
素手で材木を切断する『垂木切り』の演武で知られている。
これは、中村の正拳突きや手刀で打たれた材木が「折られた」というよりは「切られた」ような滑らかな断面になることから名付けられた。
元極真会館全日本チャンピオンの盧山初雄は、極真会館を禁足処分となっていた時期に中村の内弟子として稽古に励んでいた。
後に全日本大会で旋風を巻き起こした下段蹴り(ローキック)は、この時期に体得したものであるという。
盧山は後年、著書などで折に触れて中村門下だった頃の話をしているが、当時20代で体力もピークだったにも関わらず、
既に50代だった中村に手も足も出なかったと述懐している。 今をときめく話題の大相撲界、貴ノ花一門 貴ノ花親方。
所詮、コイツ貴ノ花も自分が離脱した 「ニ所の関一門」 の系統。
ニ所一門。その陰湿な可愛がり、シゴキ、究極のいぢめの真骨頂を体現したと
言われたのが後のプロレスラーの力道山である。
弟弟子の初代若乃花(貴の伯父/二子山親方)
後に横綱とな土俵の鬼と呼ばれた若乃花が泣いてションベン漏らして脱走したほど。
それでもスーパーカブで追い掛け回し部屋に引き摺っていったという。
貴ノ花一門は、所詮その二子山一門の成れの果て。
力道山はプロレス時代にもそのまんま同じ指導法を持ち込み、
弟子の猪木は、訳も無くゴルフクラブで殴られるのは日常茶飯事。
東京湾のまん中から泳いで帰れだの
竹刀でブチはたきなんか優しい方だった。
https://www.youtube.com/watch?v=HI96z2bVvqQ
その力道山がプロBOXING進出の為ハワイから招聘したのが、
名トレーナー、エディ・タウンゼント。
リキジムに初めて来た時、先輩達が竹刀で選手を叩いて指導している光景を見て
「リングの上で叩かれて、ジムに帰って来てまた叩かれるのですか?ワタシはハートのラブで選手を育てるネ」と
力道山に進言してガンとして譲らず、エディの指導方法を認めさせた。
旧来の日本流の指導を改め、来日の折に当時日本のボクシングジムでは当たり前だった指導用の竹刀をジム内で見つけた時、
「アレ捨ててよ。アレあったら僕教えないよ! 牛や馬みたいに叩かなくてもいいの! 言いたいこと言えば分かるんだよ!?」と発言。
「ハートのラブ」で選手を育成した。
エディさんは、とある会場でほかのジムの指導者が指導不足を棚に上げて
(※ インファイト /そのボクサーは懐に入るという技術を指導されていなかった)、
試合に負けたボクサーを制裁していたことに見かねて、その指導者を叩き出すなど、指導では根性論を否定した。
厳格ながらもわかりやすく合理的なアメリカ流の指導を徹底し、その後6人の世界チャンプを育て上げた 前に前田山って名前あったから洒落かと思った。
酒癖悪いとかいう事で名前があったのかな。
そんで俺はこう返した。
前 田 山
↓ ↓ ↓
前 高 山
田 田 崎
てっきりU三戦士の事を言ってるのかと勘違い。 >>565
グレート東郷の生年・出自については諸説あるようです。
父は日本人、母は中国人のそれぞれアメリカ移民であったという説、
両親とも日本人で熊本県あるいは沖縄県から移民したという説、
朝鮮半島出身説などが語られていて、真相は不明のようです。
中村日出夫は京都帝国大学(今の京都大学)出身。
空手の強さだけではなく頭脳明晰だったようですね。
力道山が中村日出夫を真に尊敬していたというのは文武両道だったからかも。
極真の盧山初雄が中村日出夫の内弟子だった事は初めて知りました。 >>566
力道山の相撲時代に力道山のかわがりを受けて
横綱になった初代若乃花は力道山の事を恩人と語っています。
それは相撲DVDマガジンの初代若乃花特集号でも書かれていますし。
>>470で力道山への感謝について詳細に語っています。
『若い時分に、こういった優秀な先輩と稽古させてもらったというのが、
小さな私が2年半で十両に上がれた理由であることは間違いありません。
中でも、一番稽古が厳しかったのが、力道山関です。
2人で2時間ぶっつづけで稽古をしたことが伝説のようになってますけど、
本当によくそんな稽古をやったもんですよ。
私らの頃は、先輩に稽古をつけてもらって、
こちらのほうから、「もういいです」なんてことは言えない時代ですからね。
もう、稽古をつけてもらうってことは、ありがたくてありがたくてね。
本当に、涙が出るくらいありがたかったんですよ。
だってそうでしょう。天下の関取衆が、
「この若い衆は強くなるから」っていうふうに目をかけてくれなかったら、
稽古なんてつけてくれないんだから。
「こんなヤツ、いくら稽古しても強くならんわ」ってヤツには、
関取衆だって声をかけませんよ。
コイツは将来性がある、と見抜いた者だけ、
関取衆が引っ張り上げてくれるわけです。
だから、若い衆が関取衆に稽古をつけてもらえるってことは、
本当に感謝しなきゃいけないんですよ。
そういうふうな気持ちにならなきゃね。」』
力道山と若乃花の親交は力道山がプロレス転向後も続きました。
ボクシングジム創設においても
力道山のすごさはエディ・タウンゼントを日本に招いた事です。
力道山の眼力は本当にすごいです。
>>567
間違えた。
前高山だったわ。
それでこう返した。
前 高 山
↓ ↓ ↓
前 高 山
田 田 崎
、 >>567
横綱前田山に対してその程度の認識とはびっくり。
稽古の鬼、双葉山との猛稽古も有名。
若いとき酒に酔って騒ぎ三度も破門になった事も有名な破天荒な力士。
1941年1月場所では、横綱羽黒山・双葉山を相次いで張り手戦法で
黒星を付けて存在感を示し、「前田山の張り手旋風」と呼ばれたこともあります。
親方になってからは国際部長として活躍、大相撲初の米国巡業を成功させています。 横綱成績:24勝27敗25休 勝率.471(歴代横綱の中で、唯一勝率が5割未満) 猪木が千代の富士や北の湖に勝てるとはとても思えない。
北の湖って猪木世代のイメージあったが、藤波と年が近いんだね。 力道山→享年39(44?)
G馬場→享年61
A猪木→現在75 >>574
『学歴低いやつに限って知識ひけらかすw』
↑
学歴は都内国立大学出身なので低くはないですが
上記のようなコメントする事自体、学歴コンプレックスがあるのではないでしょうか?
学歴なんてどうでもいいです。
変なひやかし、つっこみではなく、
知らない事であればそれを受け入れる度量がほしいすね。 >>576
昨年末の朝青龍のイベントのように
相撲ルールなら北の湖や千代の富士が強いと思いますが
5秒以内の反則NG、場外乱闘NGの
プロレスルールであれば猪木の全盛期の方が強いのでは??
願望ですが。 力道山から40億円という遺産がありながら崩壊した百田家。
力道山の遺産40億円(現在の価値で約180億円)の遺産の大部分が不動産で
相続税を払う現金がなかったので
二束三文で不動産をすぐ売らなければならなかったようです。
相続税の当時の最高税率(75%)が適用され今より税率が高かったです。
財産はあっても知識がないと回りのいい人の顔した悪い奴らに
騙されたという感じでしょう。
遺族の状況は相手にも伝わり、数億円の不動産を2000万円で買われるなど足元を見られ
散々に買い叩かれることも多かったようです。
力道山の未亡人も当時まだ20代前半、
子供たちも小さい、世間の大人達にいいようにされたのでしょう。
日本プロレスの経営権も奪われています。
この件は後に裁判になり日本プロレスが
百田家に数千万円払って決着したようですが。
百田光雄、父・力道山の秘話を披露、急死した時の相続税は「20何億だった」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180303-00000119-sph-fight >>578
・力道山→享年39
・G馬場→享年61
・A猪木→現在75
うーん、何とも言えんのぉ。
前に猪木が61になった時に雑誌で『馬場さんの亡くなった年になった』と。
天龍も61になった時に同じことを雑誌で語ってた。
馬場の遺志を継いで馬場が亡くなった61まではリングに上がると決めていた。
天龍はそんなことを語っていた。 知り合いから教えてもらった簡単確実稼げる秘密の方法
知りたい方だけみるといいかもしれません
グーグル検索⇒『金持ちになりたい 鎌野介メソッド』
SEDYE 力道山は1963年に当時39歳で死亡、
残された遺産は40億円(現在の価値で約180億円)と巨額でした。
そして、20歳そこそこの若い妻と3人の未成年の子ども、
そして当時まだお腹の中にいた胎児の5人が相続人となりました。
しかし、最終的に遺族が遺産のほぼ全て失ってしまい、
住んでいた家も追われることなります。
力道山の遺産40億円(現在の価値で約180億円)の遺産の大部分が不動産で
相続税を払う現金がなかったので 二束三文で不動産を
すぐ売らなければならなかったようです。
家族はどうすれば良かったのか?
借金に関してはその返済を慌てる必要はありませんでした。
力道山が死んだからといって、
即時で一括返済し無ければいけないわけではありません。
借りた時に取り決めた返済期日までに返せば良いのです。そうして時間を稼いでから、
ゆっくりと良い条件で不動産を売却すれば良かったといえます。
また、相続税も物納を選んでも良かったかもしれませんし、
受け継いだ不動産を担保に融資を受けるなども
交渉すれば良い条件を掴めたかもしれません。
知識がないと莫大な遺産があってもなくなります。
この1件で教科書が書ける!〜力道山の相続はなぜ失敗したのか(前編)〜
https://cl-souzoku-tokyo.com/media/2016/05/07/rikidouzan01/
この1件で教科書が書ける!〜力道山の相続はなぜ失敗したのか(後編)〜
https://cl-souzoku-tokyo.com/media/2016/05/07/rikidouzan02/ 力道山は実際にはもう少し年がいってたとの噂も。
日本密入国の時に敢えて素性が発覚しない為に年齢詐称と。
3〜4年若く偽ったと。
何かの記事に書いてあったな。
もちろん確証はない。
でも当時は朝鮮にも力道山の娘がいた。
計算するとその娘は力道山が15くらいの子になる。
15なら全く有り得なくもないが。
でもそういうのを考えるとやはり3〜4年の年齢詐称も頷けるとも。
もはや確認する術はないが。 力道山は年齢鯖読んでる可能性大だね。
猪木も四十以上だったと思うて言ってる。 >>585
力道山が日本密入国というのは完全なる誤り。
力道山が日本本土にやってきた時代は
朝鮮半島は朝鮮総督府として日本に統治されていた時代。
力道山が生まれた1924年11月14日は日韓併合時代(1910-1945年)。
朝鮮民族も大日本帝国臣民とされていたとき。
力道山が日本本土に来たときは朝鮮半島は日本の一部であり密入国ではありません。
密入国ではなく、大相撲にスカウトされ日本本土に来ています。
大相撲入りの途中から百田家の養子になり日本本土に戸籍も変わり、
国籍も完全に日本本土となっています。
北朝鮮と韓国は日本が敗戦(1945年)してから独立してできた国。 >>585
力道山に朝鮮での娘ができたのは大相撲入門前ではなく
大相撲の巡業のときでした。
力道山は大相撲入りする前に、日本統治時代の朝鮮半島で結婚していました。
大相撲入りを反対した母親が力道山に思いとどまらせるため、無理やり結婚させていました。
しかし、力道山はすぐに東京へ。そして、1940年5月場所に初土俵。
順調に出世した力道山は1942年5月場所を幕下で迎えました。
そして場所後、朝鮮・満州巡業に出る一行に加わり、
力道山はその時に実家に寄りました。
実家には置き去りにした嫁がまだ住んでいました。
その短い実家での滞在、この時にできたのが、朝鮮での娘、英淑さんであると思われます。
「十月十日(とつきとおか)」の原則に当てはめれば、
英淑さんが生まれたのは、1943年、昭和18年の早い時期のはずです。
その後、プロレスラーになった力道山は、在日朝鮮人の帰還船
(往来が盛んになったのは1950年代後半からである)に乗って新潟に来た
兄、そして娘と会っています。娘と会ったのは、1961年だそうです。 >>585
年齢詐称というよりこの時代は今ほどきちんと戸籍が整理されていなかった。
子供が生まれてからだいぶたって届ける事もあったようです。
力道山の実際の年齢は2歳くらい上が有力とされているようです。 そうなんだ?
スラスラ書けるって凄い知識だね。
こっちは色んな本に書かれた内容をつなぎ合わせないとわからん。
記憶違いもあろう。
またその記事自体の誤認識も。
ほんだら『密入国』は誤認識だね。
確かにその時代の朝鮮は日本に統治されてた。
歴史もあまり詳しくないが、そう考えると密入国にはならんわな。
朝鮮が日本から独立したのは戦後だし。
そう考えると当時は日本も朝鮮も壁があまりなかったんだな。
だから力道山からしても『日本という外国に』との認識も薄かったかも。
北海道から九州に行く様な感覚か。
その力道山の娘とやらって猪木とほぼ同時期に生まれてるね。
1943年早い時期
でも力道山現役(健在)によくこういう事が伏せられてたな。
また伏せる事が可能だったと思う。
その頃は朝鮮は日本の統治下ではなかったからかな。 >>576
相撲取りは打撃で相手を失神させたり寝かせてタップさせるような技術がないよ >>591
でもあの破壊力ある打撃で相手を失神させるのは可能では?
ラッキーパンチと同じ要領で。
寝技だと相手を寝かせるのが条件。
そこまでの展開に持ち込めるかは疑問だけど。 >>576
旭道山ような張り手があれば相手を脳震盪させる事も可能かも。
失神とまでいかなくても脳震盪を起こさせればその後、滅多打ちも可能かも。
今は禁じ手のような感じですが力道山の時代はわりと得意技にしていた力士も。
旭道山 KYOKUDOZAN vs. 久島海 KUSHIMAUMI [Knock Out] (Mar. 1993)
https://www.youtube.com/watch?v=g8bsDhpoU8M
以下の動画の12分30秒過ぎに語っていますが旭道山の張手は
やみくもにしているのではなく人間の急所を理解しています。
どうすればショックで膝を落とせるかなど。
KOの極意? 元小結・旭道山の張手
https://www.youtube.com/watch?v=1Yd2jLdK3HU >>590
力道山が日本に統治されていた朝鮮総督府時代の朝鮮半島から日本本土に
やってきて大相撲入りしたときは出生は朝鮮である事を公にしていましたので
古い相撲ファンなら力道山が朝鮮民族である事は知っていました。
また、今でも国技館の力道山デビュー時の資料で確認可能です。
1940年大相撲5月場所初土俵(二所関部屋所属)
初土俵の前相撲にて7勝1敗の成績で
2番出世(序の口に出世を決定)したときの
力道山について報じた新聞記事では
力道山は
「咸南洪原郡□原面生れ金錫泰氏三男金信洛君」と
朝鮮半島出身であることが記されている。
初土俵での力道山自身のコメントも記載されている。
「師匠達が親切にしてくれるので毎日愉快に稽古を積んでいます、
立派な関取となって半島青年の名をあげたいと思ひます、
京城の兄(大正生命京城支店社員の金□洛氏)が
聞いたらキッと喜ぶでせう、
早速知らせてやります」
力道山が朝鮮半島籍から日本本土長崎籍に変えたのは力道山の意志というより
親方、相撲協会が将来、三役、大関、横綱も期待できる力士が日本本土の籍では
まずいと思い、百田家に養子になり長崎籍になりました。
戦後の1951年に戸籍整理されたが
その時にも長崎籍である事が正式に確認されています。
1954年以降のプロレスブーム後は日本の英雄になってしまったので
朝鮮半島出身を隠すようになった。
1963年(昭和38年)1月 に政府自民党の依頼で
国交回復交渉中の韓国に国賓待遇として訪問しましたが
その模様を『東京中日新聞』が
「力道山、二十年ぶりに母国へ」の見出しと写真入りで掲載。
その報道に力道山は激怒したようですが。
20年くらいぶりくらいの朝鮮半島入りでしたが
朝鮮語はすっかり忘れてしまったようでした。
日本に帰国するときにはやや思い出したようです。 力道山の番付は前頭→小結→関脇→前頭→小結→関脇
関脇は2場所だけで、星取表は3勝12敗と8勝7敗(この成績の後26歳でマゲ切って引退)
wikiには「朝鮮人であるため大関になれず廃業を決意」とあるが、この成績なら単純に実力の壁を自覚したからだろうな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています