私の司法試験合格作戦1981年版(エール出版)
東京大学法学部卒Aさん
「苦節十年、やっとこの受験生活から解放された。
 退職金も預金も全て昭和54年度合格必勝に費やした私は、
 その秋に全くの無一文になってしまった。
 どうしても、あと1年やりたい。
 そこで、今までいたアパートをひきはらい、学生下宿の四畳半に移り、
 金目のものも処分し、本と机と蒲団とラジオだけが残った。
 冬がきて身が凍る寒い夜には毛布を幾重にも体にまきつけて手に手袋をして
 真夜中の一時頃まで寒さにふるえながら勉強した。
 寝る段になっては、ヤカンに湯を沸かし、買ってきた湯たんぽにお湯を入れ
 それで蒲団を暖めた。
 蒲団が暖まるまで、健康をかねて約20分ばかり町内をジョギングした。
 吐く息は白く、手は冷たかったが「合格、合格」とかけ声をかけながら走った。
 朝はパン一個と牛乳、昼は学生食堂でウドン、夕方は450円を最高限度とする
 定食と決めた。夜勉強が遅くなって腹が減ったときには、お湯を何杯も何杯も飲み
 空腹感を満たして寝た。
 ああ、30歳過ぎてこのざまか。薄汚れたタタミ、割れたガラス窓から入ってくる
 風に身をそぼみながら、そう思うと涙が出ることもしばしばであった。
 最低12時間をメドに懸命に勉強した。勉強することによって寒さも、腹の減るのも
 忘れようとした。
 昭和46年から択一に合格しているが、当時中学生であった年齢の合格者に
 教えを請うという態度で接し、色々とアドバイスをしてもらった。
 合格という終着駅に着くのに特急のごとく早くたどり着く人もいれば、
 私のように鈍行列車で各駅停車でたどり着く人もいる。
 しかし鈍行であっても決して卑下する必要はない。鈍行は鈍行なりに人生の
 切なさ悲しさ苦しさをひきずって走ってきたのであり、そうした体験がいつか
 よき法律家として生かされると信じる。」