昭和時代のゲーム生活ってどんなのだった? 18
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話題は昭和時代までです平成のゲームはスレチなので注意!
前スレ
昭和時代のゲーム生活ってどんなのだった? 17
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/retro/1635767559/ 幼稚園のころ、友達の家でファミコンのマリオブラザーズかなんかをやったのが初めてかな コインが出てくるけど、刃物だと思って逃げてた 1の文言は糞スレ乱立キチガイ爺の言い分なので改めるべきだと思う キチガイ爺共の馴れ合いスレはこちらでっせ!
(^q^)みんな〜集まれ〜(^q^) >>3
地面を凍らせるやつがウンコに見えていたのとファイヤーボールの音が怖かった ゲーセンに通い詰めてたからファミコン買ってもらっても買うソフトは任天堂じゃなくてゼビウスとかアーケード移植がメインだった。
ドンキーコングとかマリブラは一時代前のゲームって感じだったな。 俺は高校になってゲーセン行きはじめたから
子供の頃は時々雑誌でアーケード版紹介されてるの見て
アーケード版スゲーやってみたいって思ってた
影の伝説で虚無僧が吐く火がでかかったり
スペースハリアーの敵の攻撃も宝石みたいにカラフル 子供の頃は温泉宿のゲームコーナーに行くのが楽しみだったな
そこでアーケードゲームに触れた ゲーセンのマリオブラザーズは
ファイアボールに当たると黒焦げになるし
亀に噛まれた音が骨までやられてそうな音だった >>10
そういうのあったなあ
雑誌にゲーセン版の写真載ってて
グラフィックが全然違ってきれいなんだよね >>11
子供の頃は家族で旅行行っても旅館ですることないから
とりあえずゲーム探しに行くよね
古いゲームしかないけど楽しいんだよなあ ファミコンのギャラガは、青いハエが襲ってこないのが助かるんだよ
アーケードだと容赦なく襲ってきて二機同時にやられるんだよ
襲い掛かる恐怖に連射と回避で立ち向かわなきゃならない時代もあったんだ 80年代のゲームセンターの独特な雰囲気は良かったよね
何かこここもってると言うか
タバコ臭いと言うか アーケードのゼビウスはアンドアジェネシスがちゃんと浮いてるように見えるんだよな
あとYouTubeにゼビウスの魔の2000機攻撃が発見されたって動画あるよね >>19
ファミコン版ゼビウスは見事な出来だったけどそこが惜しかった。
X1版は浮遊をちゃんと実現出来てた。 ファミコン版ゼビウスは特殊なチップを積まないで容量だけ莫大に増やしたらどういう風な作りになるんだろう X1のゼビウスってジョイスティックついてきたのが
おどろ木ももの木さんしょの木だった 要塞の浮遊って処理は何もしてないんだけど
プログラミングわからないヤツはあれが浮遊 に見えるのかw 当時は容量が少なくてナスカの地上絵が無理だったとよく言われてるけどそんなに容量を食う場所なの? 日経トレンディによるとSwitch版桃鉄が300万本(ダウンロード含)売れているそうですね
シリーズ内新記録ですよね、
ジャンプ放送局でスーパー桃鉄Vが初の100万本超えとさくまが言っていた覚えがある ゼビウスのマップは下記リンク先画像のマップチップを組み合わせて作られているそうなのだけど、
その中から地上絵の部分を省略したという話なのではないでしょうか
容量を食うといえば食っていたのでしょうね
https://twitter.com/cyanP/status/621279117275586561
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) >>23
背景とは別に動いてるという意味で言ってるだけでしょ。
「浮遊」は 浮遊要塞アドーア・ギレネス という呼び名から来てる いつも思うけど、ナムコ信者って面倒くさそうな奴多いよね >プログラミングわからないヤツあれが浮遊に見えるのかw
和んでいた雰囲気のやり取りからいきなりコレだもんな
マニアックすぎて面倒くさいだけならまだいいけど
無意味に好戦的なのはホント困りもの
どうせリアでは道の隅っこをコソコソあるいてる
ショボくれた50絡みの毒オヤジのくせにw 取り柄が無くて
普段頭を下げてばかりだったり
他人に敬われない人は
些細なことで他人にマウントを取って優越感に浸って
自分は優れている人だと慰めたいのかなと思う
そんなだから逆に周囲から見下されるんだけどね 温泉旅館の思い出と言えば
ゲームコーナーと宴会場のフィリピン姉ちゃんだなあ >>25
意外とファミコンやPCEではミリオンいってないんだな FC版はブランド力の無かった第一弾で桃伝スピンオフだしPCEは母数が任天堂ハードより大きく落ちるからな >>34
アクションの決定版→The・功夫
新感覚ホラーRPG →ネクロマンサー
フル音声ADV→定吉七番
こんなんで売れるわけが無いでしょwww >>28
レトロ関係のお約束として、ナムコとファルコムの話がでたら逃げろと言うのがある 当時、処分ワゴン売りでクインティ買ってみたけど正直にいえば
昔にナムコが戻ってきたような面白さとかは感じなかった。
ファミ通とヒッポン辺りはかなり推してたんだけど。 >>35
エアプか?
定吉七番にボイスなんてねーよ
功夫はデカキャラ表示プロモーションソフトみたいなもんだしゲームとしては普通に評判悪くて
PCEミニでの発表時にも「こんなの要らんからその分他の入れろ」って声が多かった >>38
あぁ、元はファミ通でゲーセン系ライターやってた田尻智のゲームフリークだね。
ファミ通はそれで推した感じだったかな。
ヒッポンは1画面のゲーム性がイニシエのナムコゲームの流れが戻ってきたと絶賛してた。 >>34
いや桃鉄はさくまあきら作だけあってジャンプで大きく取り上げてた >>39
The功夫はキャラが大きいだけでゲーム性はスパルタンXよりも大きく劣るよなぁ >>41
桃鉄は本誌巻頭の記事ページよりも、ジャンプ放送局を使っての宣伝の方が
デカかったと思う
あそこなら制作者本人が詳細に解説出来るんだし、しかも本業がプロのライター
イラスト担当のどいんもゲームのキャラデザイナーだし
そうは言っても、さくまさんも下品にたっぷりJBSのスペースを使って宣伝したりはしてなかったけどな
最終ページのほんのチョイ係のハガキトーク(という体)でゲームの情報を
多少漏らすくらいだったけど、それでも充分だった >>39
定吉は笑い声の効果音の「ポポポポポ」が好きだったのう
ゲーム仲間の友達と笑い声の代わりにポポポポポと言い合ってた記憶がある
傍から見たら奇妙な小学生一行である 定吉七番は初めてプレイしたのは小6くらいの時だったが、巨乳ハンターとかで有名な
安永航一郎がキャラデザ(小説版挿絵?)だという事を知ったのはもっと後だったな
>>42
キャラをでかくするとその分どうしても可動域の相対的少なさ等の関係で
アクション性が犠牲になるからなぁ
源平討魔伝なんかもそのBIGモードのみで続編作るとかなかなかアレな考えだし
そういう意味で、キャラのデカさとアクション性を両立させたスト2は凄かったんだなと思う dsのスーマリ64の巨大マリオ状態はけっこう楽しかった。あれはオリジナルのスーマリ64にもあったのかな? パソコンの資料あつめてたな
雑誌の広告の角に請求券があって切り取ってはがきに貼り付けて >>45
PCエンジンでストIIのアニメーションを再現するのは
プール一面の広さに描かれた絵を一瞬で描きかえるようなもの
多分月P辺りにそんなことが書かれていた
売り文句のハイスピードROMについての解説だったかな
上の例えに使ったのはSFC版ではなくAC版のグラフィックのつもりだったのかも知れん スーパーマリオブラザーズが出た頃が確か5、6歳くらいで
近所の兄ちゃんが教えてくれるビーダッシュの意味がわからずに
泣きそうになって歩きながらクリボーに突進してた デカいマリオでブロックとか破壊しながら
ずーっとフィールド走り回りたい。ストレス解消にピッタリだ そういやスプラッターハウスは、PCやコンシューマ機にアーケードを忠実に再現した移植版てあるんだっけ?
よく考えたらX68k版がなかった(?)のは不思議だ…
68ならBGMも完璧に再現できる なぜかPS,PS2世代は全くといっていいほど移植されなかったな・・・
一応PCでメディアカイトが出してはいたけど
その後バーチャルコンソールとかで出て、リメイク版スプラッターハウスで旧作収録されて
Switchのナムコミュージアムとかでも収録されたりなど近年は出てるが PCエンジンのネクロマンサーが出た当時は
バッテリーバックアップがまだそれほどなくて
ネクロマンサーもパスワードセーブだった
友達の家に宿帳みたいにパスワード帳を置いてた
字が下手くそで自分で書いたのに間違ってるってなって絶望w たしかネクロマンサーのパスワードはひらがなカタカナ混在だったよね
頭で読み上げながら書くと間違う >>62
別の友だちはパスワード画面をビデオに撮ってるとか言っててへぇ!となったw >>62
俺の友達は何回かに1回はポラロイドカメラでパスワード画面を撮ってた
結構綺麗に文字が撮れるとは思わなかった 自分が高校時代に入ると
当時流行ってたテレビコンポビデオとかをつなげるあれ
ビデオでよく録画してたなー〜 ケガで入院した先輩のお見舞いに行ったら
あまりに暇でフォーメーションサッカーばっかりやってるって
ゴールシーンを撮りためててワロタw いらなくなったAVに色んなゲームのエンディングを上書きしていたな
AVと言っても無修正につられて騙されたやつでせいせいした ゲームウォッチとかファミコンとか出てきた時代って、当時は子供だったから気にならなかったけど、大人なのにそういったもの買いたかったら恥ずかしくてもオモチャ屋とかで買うしか無かったのかな?
それとも秋葉原とかなら、テレビゲーム専門店なんて影も形もない黎明期でも、玩具店流通のテレビゲーム機や電子ゲームを売ってる
お店とかあったんやろか?
同じタイトルのゲームでもゲームセンターで稼働していたら子供には敷居が高いし、
逆にテレビゲームソフトとして売られていたら大人は自分用でオモチャ屋に買いに行くのは行きにくかっただろうし、電器店流通のパソコンなら普通に買えたけど、玩具店流通のゲームパソコンだと買いにくかっただろう混沌の黎明期。 >>67
爆乳娘ってタイトルのavを買わされたろ?知ってるぜ >>70
それは知らんけど乳に興味無いんで…
解説すると恐らくはオリジナルテープに一切手を加えずそのままダビング=無修正ですってパターンと
モザやボカシは無いが肝心な部分がギリギリフレームアウトしてるパターン
後者はスチル写真ではフレームアウトしてなくて黒塗りになってた記憶 ゲーセンも駄菓子屋も古本屋も狭くて薄暗くて汚いほど良いんや >>71
爆乳娘っていう名前のavはね、乳房がパンパンに張った(爆乳)ホルスタイン(メス)を延々と流し続けるアニマルビデオ(av)なんだわ 手を見ると透けて見えるメガネの通販なんてのもあったな。
目の錯覚を利用したもので手以外のものを見ても全然透けないらしい。 今はAIでモザイク除去できるんだから技術の進歩はすごいもんだ
まあ実際には除去じゃなくてモザイクのパターンを認識してその下にに隠されてる絵を想像して描き直すんだけど…同じAIでもクリフトとはえらい違いだぜ リアルタイムにWizardry遊んでみたかった
今さら1〜3(GBC版)、外伝1、2、ディンギルやりました
中古が割と高かった!攻略本もそれぞれ買い集めた!
当時だと例えば兄弟で遊ぶ時に編成で
それぞれのキャラ使っても良いし供用するキャラいても良いだろうし
複数人でも遊ぶ時に楽しみ方があったんでしょうか >>68
地域にもよるだろうけど、当時のCSなんかのゲーム系の売り場はデパートが主な場所なんじゃない
まだゲームは子供がやるものって意識が強い時代だったから、買うときは子供へのプレゼントやら言い訳を作る人もいたかもしれないけど
PCはデパートに売り場スペースを作ってる所もあったけど、やっぱり数が見られる専門の電気店に行ってた。でも当時の近所の電気店でCS系の販売は見なかったね >>74
似たようなのでは、ガチャガチャのアイテムに「赤外線スコープ」という名前で
筒の中に鳥の羽みたいなフィルターが入ってるだけのがあった
やはり手を見るとそういう風になる >>76
兄弟で遊んでる友達居たけど兄なのに弟のが強いのか
二人しかパーティ枠使わせて貰えずそれでもクリアしてたわ
自分は一人っ子だからそういう経験ないな >>78
その通販の商品も鳥の羽使ってたらしい。
価格は4000円とかだった。 雑誌の通販広告で見た、無修正写真5枚組1,000円。買ったら写りの悪いおばさんのエロ写真が送って来てガッカリした >>68
当時はデパートとかのおもちゃ売り場に試遊台みたいな感じで展示してた
地元だと西友ダイエーユニーあたりはテレビゲームだけでなくパソコンコーナーもスペースが取ってあって持ち込んだソフトで遊べるようになっていたよ >>76
友達のキャラを転送して遊んでみたりはしたよ夜中のテンションで >>82
MSXはCASIOが文具店で取り扱わせたりナショナルが電器屋で取り扱わせるケースもあった
CS系は電器屋では確かにあまり見なかったイメージ。シャープのスーファミ内蔵テレビはあちこちでスーマリWの試遊機付で置いてたかな。 ファミコンやMSXの頃だと家電量販店やゲーム専門店の勢力が大きくなかっただろ
ファミコンなんかのゲーム機はおもちゃ屋かデパートのおもちゃ売り場
パソコンは電気屋かコンピューター専門店かデパートの電器コーナーだったような FC時代横浜高島屋のおもちゃ売り場のファミコン試遊台にやたら臭い子供が来てたな
きっとゲームが大好きなんだろうが家が貧乏でファミコン持ってなくて風呂にも入ってなかったんだろうな 昔は臭い子いたよね
なんかばあちゃんちの臭いする子とか スーパーの屋上とかゲームコーナーにも貧乏くさいの居たけど
小遣い無くてゲーム出来ないからか邪魔してくる奴は最悪だった もっと貧乏のやつは俺みたいに後ろで見てるだけだっただろう パソコンコーナーでプログラム打ってるやついたわ
PC-6001だかに卑猥な言葉喋らせてるやつも 金持ちも貧乏も居たけど皆んなそれなりに楽しそうだったよな 小林よしりんが、そういう貧乏だったり、軽めの知的障害を抱えた子供は
(皆が私服だった)小学生の時はクラスで目立ったが、
中学に入って皆が均等に制服を着て、丸坊主(当時の九州)にするようになり、
目立たなくなって、彼らはどこかに消えてしまったって昔のゴー宣で描いていて、
なるほどなって思った
俺は60年代に子供だった小林より30年は下の世代だが、
80年代の子供の俺でも言ってる事は実感としてかなり分かる
中学入ったら確かに小学校の時にいた鼻水垂らしてたり、ハナクソが
鼻に詰まりっぱなしだったり、臭かったり、奇声をあげていたアレな
元同級生たちは、あまり視界に入らなくなった
埋もれてるだけでしっかりクラスの片隅に存在していたんだろうけど
数年後、高校時代にそういう子が病気で亡くなったというニュースが入ってきたりして
暗澹たる気分になったりもした、そういう子は脳の病気で小学校当時から
20歳まで生きられないなんて噂話もあったりした子で、あれはマジだったのかって 田舎には作業着姿で雨の日も自転車漕いで毎日山越えて
片道20km近く離れた隣町まで駄菓子飴を買いに行く40歳位の「ツトムちゃん」がいたが人気者だったよ 昔はパソコン好きのユーザー同士が集まって
情報交換とかしてたみたいよ
行ってみたかったなあ ビックリマンとかカードダスって集める事が楽しかったけど
それを使って何かゲームするわけでは無かったよね
サイコロ振って遊ぶプロ野球カードゲームは楽しかった
ヒットとか長打に蛍光ペンでマークしたり >>97
SDガンダムのマグネット集めてて、学校で弾き出す遊びが流行ってた。
そこから発展させてHPや必殺技(マグネットを弾として打ち出す、とか)を入れてた
ある意味今で言うモンスターストライクみたいな感じかな ウルトラマンシールのスクラップブック持ってた人いるかな。
コンプリートすることは出来なかったのがいまだに心残り。 >>96
駅前のデパートとかだとパソコン売り場にいろんな世代やいろんな学校の同世代が来るからゲームや他のお店の情報なんかを教えてもらったりしてたな
お店によってはノートとか掲示板とかメモを貼るスペースがあって質問を書いとくと誰かが教えてくれたり 昔のパソコン通信、草の根BBSやってたな
電話代が半端なかった、テレホタイムが懐かしい
今のインターネットは世界を相手に超安いw
まあ、当時のパソコン通信なんて、ひっそりとしたオタクの集まりだったけど 高校生の時にパソ通したら周り十以上離れた人ばかりだった
今ゲーム業界で活躍してる人も同じようなとこに集まってたみたいだ 中学の時に地元の草の根でボード持たせてもらってて
オフミあるからおいでって言われて行ったら
メーカー勤務の兄ちゃんや大学生で
山登りドライブからの下りてボーリングからのカラオケ
めっちゃ健全だった いいなあ
そういうときの時代の集まりや雰囲気もいいもんだよね
体験してみたかった >>101
俺もX68000でパソ通やってたよ
大手BBSは電話代の他にも金かかるから
専ら草の根BBSにアクセスするのが中心だったな 東京BBSは繋がらなくて大変だった
モデムもリダイヤル規制に対応した製品も多くなって余計に大変
ゲーム求めてDOMメンバーも多かったな >>103-104
80年代半ばから90年代前半にかけてのコバルト文庫とかって
そういう雰囲気のグループを扱った作品があるね、今読んでみると、
若い男女の集まりでこんな健全な世界があるかよ、所詮、少女向けだななんて思ってしまうんだが、
現実にあったのなら体験してみたかった
俺がいた90年代末から2000年初頭にかけてのサークルとか男どもが姫を取り合って、
そのうちの一人=一番のイケメンが姫とセックス成功!
結果、見事にその姫がサークルクラッシャーにという
現代に繋がる、色欲と対立に満ちた殺伐とした集まりとその結末だった >>103-104
80年代半ばから90年代初頭のコバルト文庫とかに、そういう健全な雰囲気の
若い男女の集まりを扱った小説が何作かあったなあ(同時代の少女漫画よりも健全な作品が多かった)、
今読むと、いくら30年前でもこんな健全な世界があるかい、所詮少女向けだなとか思っちゃうんだが
現実にあったのなら、性欲を封印してでもw現場でその雰囲気を味わいたかった
俺が90年代末から00年代初頭まで所属してたサークルは、
可愛い姫を何人の男が取り合い、その中で一番のイケメン男が姫を落としてセックス成功!
で、結局、その姫が本人にその気は全くなかったのにサークルクラッシャーになっちゃうという、
20年前の時点で、現在に繋がる、色欲と対立だらけの殺伐とした世界だった >>111
チコちゃんに叱られるのオープニングがこの曲だったって最近知ったよ >>112
オールラウンドサークルって言ったかな。
男女でテニス合宿やらスキー合宿やらがメインのサークル。
イケメンの誰々が〜ちゃんと〜ちゃん両方食ったとかそんなのが話題の中心。
食ったって言葉、本当におぞましい。 ツイッターおばさんが書き込むようになったら人居なくなっちゃったね >>110
東京BBSへの転載禁止とか、転載自由(ただし東京BBSを除く)とかドキュメントに書かれたフリーソフトもちらほらあったな 1985年位にガチャガチャで
タバコのおもちゃみたいなのってあった?
そのころ5歳か6歳で記憶が曖昧なんだけど
確かふかすと煙っぽい粉が舞うようなおもちゃで
外でプカプカ友達と吸ってたら勘違いしたおばさんに怒られたような記憶www お化けのおどろおどろしい絵が描かれた紙に薬剤が付いててそれを指につけてこすると煙が出るやつが好きだった。 みんな金持ちの子だったんだなあ
うちは貧乏だったから働き始めるまでパソコンなど買えなかったな
パソ通未経験でインターネットから入って2chの前身的な某BBSでパソ通時代の同窓会的話題になった時とか全くついていけなくて悲しかったわw 俺もパソコン通信には全然縁がなくてガラケーでの2ちゃんが言ってみればパソコン通信の初体験。
mixiだのTwitterだのラインだのもちょっと触ってみたけどなにかと面倒だから結局2ちゃんしか使ってない。 ガチの金持ちの家が凄かった
50年くらい前(昭和40年代) 大卒初任給が3万くらいの頃
木造じゃない豪邸
芝生の庭
コンクリート製のガレージ
ロールスロイス
ペットのクジャク
家に内線電話
こんな家が近所にあった
完全に住む世界が違った 当時は自家用車なんて言葉があるくらい
個人の家に車があること自体すごいことだったのにロールスロイスとか凄すぎた
そうかと思えば市営住宅で電話も引けない家がザラにあったり(当時の価格で10-20万 今の価値で60-120万てところか)
連絡網は電話で回せないから直接言いに行ったり 当時の金持ちのステータスに ビフテキがあったなあ
昭和55年(1980年)くらいのことだったかな?
大卒初任給が11万とかだった時に近所のレストランで
ビフテキ 通常4000円が2000円のサービスをした時に
大行列が出来たのを思い出すわ
隣のうちの家族も来てた
今だと8000円が4000円の感覚かな
家族5人で飲み物サービス料諸々で12000円とか払ってたのかな?
ラーメン屋なら5人で1000円しなかった時代だったからすごい贅沢だった
ゲームウォッチがこの頃出て6000円とかだったな
今考えると子供の誕生日プレゼントとしては高価すぎるな
父親に感謝するわ… >>124
80年代90年代初期だと
けっこう格差がすごかったかもしれないね。
確かに学校時期に
めちゃくちゃ貧乏なやつとすげー金持ちのやつで有名なやつ
結構分かれてたような気がする。
今はあんまないし。 だいたい金持ちの家には
プラレール上位互換のNゲージがあったわ
一周するだけだけどアクセルブレーキが操作できるだけで
なんか楽しかったわ 草の根は高校のときにX68000でつないでたけど、
インターネットにはやや出遅れたわ
カールの袋にホームページアドレスが載ってるのを見て
やべぇ!遅れてるわ俺!!ってなって
急いで富士通のWindows機買ってSo-net契約した そーいや消費税導入される前は、高額な食事で物品税取られたりしてたんだっけ
ちびまる子でのフランス料理食べに行くエピソードで初めて知った
今では食事の時の消費税10%のうちの2%はそれに相当するようなもんだな ガンプラの1/144を買うのは庶民で、1/60を買えるのが金持ち
そう思ってた時期が、僕にもありました 自分はドリキャスで初インターネットだからだいぶ遅れたな
パソ通があっという間に寂れて居場所が無くなるように感じた
今もこういう掲示板から離れられないわけだけど ガンプラブームの頃は1/144か1/60とか選べるほど入荷なくとりあえず目の前にあるものをgetしてたな
武器セットとか マニアが作ったガンプラの写真集みたいな本が好きでうっとりしながら写真眺めてたな。
でも自分で作っても根気がないから足だけ作って放置とかばっかりだったw おもちゃがどうのこうのもあったけど
一番感じたのは
一人っ子で大切にされてるみたいなところと
大量生産されてるようなみたいな
俺みたいな団地住まいみたいなw
住宅街に住んでる友人宅に行くと
こどもの日に鯉のぼりとか五月人形とか
貧乏な家にそんなもんないからな… ジオラマとか完成されてるのすごいんだけど
いざ自分で作ってみたいとなると
木を作るだけで挫折してた 昔は金持ちの家庭は5匹の鯉のぼり
そうでない家庭も3匹の鯉のぼり上げてた >>138
ディオラマは友達と作ったわ
今で言うホームセンターみたいなところでとの粉買ってきて発泡スチロールの土台で砂漠作ってガンダム2体闘わせるの
プラモの方も砂で汚したりペイントの角とか辺は銀とか鉄錆の色で擦ったりして塗装が剥げたように見せたり
楽しかったなあ
この友達も金持ちだったな
設計事務所社長の息子でデブだった
昭和50年代で貯金3億あるとか言ってた
プラス持家、貸し家5軒、事務所ビル
トランシーバーとか買ってもらっててめっちゃ羨ましかった
プラモももちろん全部コイツのでワイは作るのを手伝うだけ >>142
家とは別に駅前にラーメン屋持ってる金持ちの家に鯉のぼりがあったな
上のロールスロイスの家とは別の芝生の庭のある家
離れもあって今の家なら3-4軒分の広い家だった
今思えば周りみんな金持ちばっかりじゃねーか >>127
ファミコンすら買ってくれない家の奴と有名新作が出る度に買ってもらってた家の奴が同じクラスにいて両極端
ただし後者は色々あって自己破産したらしいが >>132
pce cdrom2がたしか物品税の対象だったはず >>132
任天堂のトランプも物品税(骨牌税)の対象だった 家が貧乏だったんで鯉のぼり一度も上げてもらえなかったです。 金持ちは今で言う衣装ケースにファミコンのカセットがギッシリ入ってたりして凄かった
田舎なので鯉のぼりはよく見たなあ
片付けの時に間近で見て大きさに圧倒された。中を潜って遊べた
ウチは紙で出来たやつで我慢 >>148
そういや、黎明期の任天堂の社名は任天堂骨牌だったな
今も初志貫徹?で、花札、トランプ、麻雀牌などの生産をやめていないのは凄い
ファミ通のアレって漫画で、任天堂の花札生産工場の写真が掲載された事があったが、
あれは貴重だったな 先にインターネットを始めて後からパソ通に手をつけたという端境期にいたんだけど
東京BBSは社屋が火事で焼けた直後にIDを取得したので、一部の会議室以外は何の発言もないまっさらな状態にあった
例えていうなら荒野 >>152
ホームページに商品カタログ載せてるんだな。マリオ花札ほしくなったw 昔ってファミコンソフトどこでも売ってたよね
薬局でソロモンの鍵買ってもらったような記憶がある あの雑貨屋ではドラクエ3がまだ売ってるって情報がクラスで回ったり
しかも抱き合わせだったり >>138
赤ズゴックがジムの腹を貫くシーンのジオラマとかめちゃくちゃかっこよかった。 >>155
幼少期覚えてるなあ〜
近くにあるスーパーが
ファミコン取り扱うからと俺たちに
何を仕入れていいかを聞いてたの
ファミコン全盛期だよなぁ〜 LSIゲーム結構持ってたわ
パックマンの丸いのとか
キングマン、ドラキュラハウス、フロッガー
学研ベースボールはスタジアム型のと横型のを持ってた
じいちゃんが買ってくれて母に怒られてた 電子ゲームではザクソンが好きだったかな
平安京エイリアンとかクレイジークライマーとかも持ってた
あとDr.スミスとかいうのもあった LSIだとミサイルベーダーを持ってた。
簡単にカンスト出来るハメ技があった。
液晶だとやっぱりゲームウォッチがクオリティが高かったと思う。
特にドンキーコングは感動ものだった。 ドンキーはみんな持ってたからミッキーとドナルドが消防士の奴買ったなあ
最初に買ったのはヘルメット ソーラーのやつ買ったわ
悪霊の館とかのシリーズと無人島のシリーズ
ピラミッドのやつは意味がわからなかったw ドンキーコング欲しかったがお小遣いがもらえない
祖母が何故か6000円くれてその金で購入できた
家族には欲しいとか一言も言ってなかったんだがな ファミコン全盛期のころ粗大ゴミの日に捨てられてるディフェンダーのLSIゲーム拾ったわ…子供だったし許してくれ
似てるなと思ってたけど本当にグラディウスの先祖だと知ったのは大人になってからだ 1983年頃、横スクロールのシューティングゲーム(当時はそんな言葉さえ
知らなかったが)のLISを持っていた
ゲームウォッチ含め横スクロールのゲームは初めてだったんだ新鮮だったな
当時、自動車事故で入院中で、俺を車で跳ねた相手に買ってもらったwそれを大部屋の病室で
プレイしていてんだが「〇〇くん、ヒマだから俺にもやらせてくれ」と同部屋の大人たちに奪われちゃってw
俺が何度やっても絶対取れないような点数を大人たちは平気で叩き出していた
大人にしてみれば簡単すぎるゲームで飽きちゃったのか、すぐに返してもらったけど
あのゲーム、タイトルを知りたいんだが今となっては調べる術もない
数年後、FC版グラディウスの画面を見た時、あれと同じ横スクのシューティングって事で
なんか懐かしかったのを覚えている 違う人が書いてるけど横スクロールゲームてスクランブルで同じゲームのこと話題にしてるよな >>791
というか、作戦とか方針を軍師が立ててそれを採用するかって事だが
ベルドは、軍事と政略に関してはバグナードら配下の四天王(のちの評議会議員四人)が作戦を立てても、
「面倒だ、それよりこうするべきだ」とか言い出して、自分で行動方針を決めちゃいそう
部下に投げるのは自分が全然興味が無い些末事とか、女絡みの面倒事とか剣と腕力でじゃ解決出来ない事柄とかだと思う
カシューとファーンも案外そういうタイプかもしれんが
>>792
ヤンチャ坊主の主人公とインテリ副主人公のコンビが成り上がりを目指すみたいな
パターンの話ってたくさんあるけど(ヤクザ漫画のJINGIとか)
インテリの方がイケメンで嫌味だが天才軍師ってパターンが多い気がする
でもエトは外見丸ポチャ、生活温厚篤実にしたのが功を奏したのか
あまりありがちなパターンにハマらなかった気がする。
しかもヤンチャ坊主にいいように振り回さわてオロオロする気弱で頼りない口だけ小僧、みたいな
これまたありがちな情けないパターンにも行かず、主人公以上の成功を遂げた立派な奴だと思う
振り回されてオロオロする役割をディードやスレインが担当してくれたからかな? >>171
俺も169の人は同じスクランブルだと思ったw
なんてタイミング >>173
サンクス、本当にそうなら嬉しいが
LIS、スクランブルで画像検索しても、それらしき画面が出てこないので確認の仕様がないw
とはいえ画像が見つかったとしても40年近く前に見たっきりだから、一発で思い出せるか少し怪しいが
>>172は単なる誤爆w 画像はなかったけど、
ゲームウォッチ、スクランブルで検索したら、プレイをスマホで録画した動画を発見!
間違いなくこれだ!完全の記憶の闇の中に消えていたのに
38年ぶりの再会&ゲーム名や発売メーカーの謎が解けた
記憶よりも本体そのものの造りはしっかりしていて色とかデザインはなんというか
ボリュームがあって高級感?があるな、アーケードの筐体を頑張って再現している感じ
画面や電子音は流石に今見る&聞くと味があるとはいえしょぼいけどw
嬉しくてつい連投スマン 昔のLSIゲームが今でも壊れずに中古で売ってたりするのはすごいと思う。 スクランブルと同じ形の機械で
ケイブマンてやつも持ってた
スペースディフェンダーと
スクランブルの違いがわからない
俺どっちも持ってたのかな >>178
でも中で使われてる半導体が酸化する頃には完全に使えなくなるんやろな。
当時のパソコンやゲーム機やアーケード基盤含めて。
後どれくらい持つのかは分からないけど。
でもそういった品が完全に酸化して使えなくなった遥か未来では、設計図とか、現物残ってて復刻とか出来る状態なら、復刻されたデータ元に、個人が気軽に3Dプリンターみたいなんで、現物を作り出す事が出来るようになるのかも。 TOMYのPUCKMANとかのFLゲーム
発光部の寿命って、どれくらいあるんだろう? >>796
パーン自身も俺は無鉄砲バカだからエトやスレインみたいな冷静なインテリゲンチャが
いないとダメだし、あいつらは頼りになるんだって本心から思っているから
俺つえー系主人公とは遠くかけ離れたものになってるし
なによりインテリを体力の無い屁理屈野郎、みたいに馬鹿にしたりしない
そこがヤンチャ系主人公としては、エト、スレインタイプが多いであろう
ヲタ読者に嫌われない大きな理由って気がする
レイルズとかスパークは若さゆえかそこまで割り切れてない感じがするが
パーンはレイルズやスパークくらいの歳の頃から自分の短所と
それを補ってくれる人間の大切さを分かっていたな
ディードもライルに、パーンがあらゆる苦難を乗り越えられたのは
「仲間がいたから」って即答してたし、嫁もそこはよく分かってる >>131
俺はテレビのコマーシャルの「続きはネットで!」の意味がわかんなかったくらいインターネットがらみは出遅れてたな。
あっという間に慣れたけど。
エロが絡むとものすごい勉強家になるw 俺はチャットが面白くてネットにハマったよ。当時無料体験版CDばらまいてたAOLから入った
のちにソーテックやらの台頭でチャット人口が増えていった気がする 市販ゲームに対して「つまんねえ」とか批判したり、「ああしろ」「こうしろ」と一方的に要求を出す人がいる。
昭和後期〜平成初期頃には、PCでプログラムを書いて自分で作ってしまう人が少なくなかった。
個人作成のゼビウスもどきとか、Wizardryもどきとか、ドラクエもどきが量産された。
原作より大幅に劣化していても、自分が望む要素が入っていればそれで良かったのだ。
いまだに30〜40年前の古いスタイルそのままのフリーゲームを
個人作成してるのは、たぶんそういう時代の生き残りの人。 クリスマスってことで、子供のころのプレゼントはファミコンカセットだった
本体はなかなか買ってもらえず、カセットだけの日々が続いたよ
必然的にファミコン本体を持っている友人宅に出入りしまくった
転校してきてすぐの奴や普段は会話しないやつの家まで押しかけてた
結果的に、友人は増えたからそれだけでも幸せだった 新聞購読を止めて、月3400〜4900円、年間40800〜58800円の節約
その上日本を貶め、国民を虐げる売国新聞の世論工作の影響力が減って一石二鳥
これはもう新聞購読を止めるしかない >>190
今考えてもすごいと思うんだわ
ゲーセンで見たゲームを家でやりたいからって
再現してしまった人 >>190
それで一攫千金も狙えた時代だったのかな 芸夢狂人さんも中村さんも森田さんもアーケードレベルのものをスペックの劣るPCでどうやって実現するかで創意工夫してたね。 今のゲーム機・PC今は性能いいから再現高いのが当たり前になってるけど昔はプログラマーの技量が光ってたね
完全移植には遠かったけどゲーセンでしか出来ないゲームが家庭で出来るのは興奮した 日本人は与えられた環境でベスト尽くすのが得意で
外人は作りたいものに環境の方を合わせる
みたいなことたまに聞く >>198
あと外国はリアリティをとことん追求する。
洋ゲーによくあったマッチ棒キャラもその当時の最大限のキャラのリアリティ追求の結果だった。
日本人だとドンキーコングのマリオのキャラみたいに見栄えを追求してデフォルメするんだけど。 俺の高校時代、同級生にウィザードリィのFC版貸してあげたが、
面白さが分かってくれなかった
どうやらドラクエみたいのを想像してたらしい >>198
日本人は限られたパーツの中で
やりくりするのがうまいというのは聞いたことがある
外人は逆パターン
まあプレステあたりから外人に差をつけられてきたのはそのせいだと思う
>>200
白人のやるゲームって特徴があって大昔からやたらリアリティが好きなんだよね
かと思えば時々ディフォルメなものも好きというよくわからん性質もあるしw >>201
自分も半信半疑だったけど数字が増えてく楽しさを知ってどハマリしたわ
MSXとか他機種でもやってみたけどFC版の軽快さを超える物はなかったわ もちろんゲーセンのとは見た目が違うんだけど
そんなこと関係なかったよね
これはスクランブルだ!とか思ったもん プロバイダの無料体験CDか。あれを貰ってニュースグループに接続して、せっせとエロ画像集めやってたわ スーパーコブラだったんだろうね
当時はヘリの難しい方って呼んでたけど ジャンプバグとスクランブルの区別がついてなかった。 ゴメン、>>207はスクランブルフォーメーションだっタw
スクランブルは近所のパン屋さんの店内にあったヨ。 >>190
ファンファン、ザクサス、激戦南太平洋、地底のモンスター、プッシュマンなどなどエニックスのPC8001用ゲームは8001の低スペックさを微塵も感じさせないアイデア勝負の傑作揃いだった。 >>210
チョップリフターってアーケード版もあったんだね。知らなかった。
アップルのイメージしかなかった スクランブルが上手い人のプレイを尊敬の眼差しでギャラリーしていた
対地ミサイルの弾道を予測して地上物を撃つ技術
狭い地形をすり抜ける技術
自分にはまったくダメだった 俺はPC-88のニュートロンが好きだった
まぁ友達からカセット借りてダブルデッキでダビングコピーしたんだけどw 昭和末期の頃、小学3年生だか4年生の子が作った劣化ドラクエを見た事がある。(MSXのBASICプログラム)
1画面だけで、地形や主人公の位置が、〇や□等のテキストで表現されていて、音楽はないし、敵の絵もなくて文字表記だけ。
オリジナルの敵や武器を作るなど、一応の創意工夫はあった。
技術力は低いが、自分のできる範囲内で面白いものを作ろうと試みる。
今はもう、そういう楽しみは困難かな。
現代では、算数ができない馬鹿でも3D描画したり物理演算できるライブラリがあるが
中身を全く理解できない以上は、自力で作ったとは言えないな。
スーパーで総菜を買ってきて皿に盛り付けるだけでは、料理ができるとは言えないのと同じ。 月刊マイコン?に掲載された
PC8001「柿取りゲーム」がよかった。もう一度プレイしたい >>217
普通のカセットデッキでのダビングでも問題なく動くんだよね。
ニュートロン好きだったな。
真っ暗じゃなくて空色の背景も当時としては珍しかった。
移植は今は配信停止のガラケーアプリ版くらいだから今遊ぶのは難しい。
同じ作者のドアドアならファミコン移植があるけど。 ソフトのダビング用に10分の
ファッションテープ(何故そう呼ばれてたかは知らない)
なんかを買ってた >>222
名前は違うが片面5分の10分テープが「カラオケ練習用」として売られていたのは覚えてる >>218
>今はもう、そういう楽しみは困難かな。
それは偏見だよ…。むしろ今の方が楽しめる エンドレステープってのもあった
睡眠学習用に買ったよ >>215
HALがファミコン移植出してたね。
HALはディフェンダーとかスターゲイトとかジャウストとか往年の洋ゲーの名作を色々移植してた。 ファッションテープって名称は当時はほぼ黒を基調としたテープばかりだったから
カラフルなテープをファッショナブルじゃんって意味合いで売り出したのがお初だった記憶
>>202
日本人が奴隷に特化した性格と言われるのもそこだもんなあ
塩一つまみを食事として与えるだけでもそれを基準に変えて全力で働こうとする
外国人というか多民族による争いで揉まれた大陸の人達には絶対に理解できない感覚 >>229
最近の事件でもそうだけど
昔から日本人は模倣犯が多すぎる。
自分では大きいことが起こせないので誰かがやったら次起こすという…
同じ民族として言いたくはないけど人間が小さいと言うか…
なんかこうアメリカ人みたいな広々とした心を持ちたいな。 >>216
大人になってからdsの忠実移植版でなんとかクリアした。
終盤の狭い通路は鬼畜の難易度だった。 どういう理屈でオーディオのカセットテープにゲームのデータを入れられていたのか
俺は未だに理解出来ていない >>236
アナログと言われるカセットテープだがレコードみたいな凹凸ではなく0と1の信号で収録されているから実質デジタルメディアなんだよ
だからデータメディアとして扱える あのピーピーガーガー音で0と1を表現してたんだな。 考えてみれば磁気のオンオフしかないからデジタルメディアなのか 当時は高価で周りにフロッピーディスク持ってる奴はほとんどいなかった。
カセットが主体だった。
ゲームのロードに30分かかるのが当たり前だった時代。 そのカセットテープをカセットプレーヤーで再生したらどんな音が流れるん >>241
30分なんてかかるゲームなんてあったっけ?
よく覚えてないけどPC-88の信長の野望でも15分くらいだった気がするけど >>238
カセットテープだけでなくソノシートも使われてたよ。つまりレコードも可 >>239
その原理から言うと
手書きの文字でも大丈夫ということかな? 大昔は紙のテープにパンチ穴を開けたやつでデータ読み込んでたんだよな。
さすがに実物は見たことないけど。
諸星大二郎の暗黒神話だったか孔子暗黒伝だったかにそういうシーンがあった。 >>242
ノイズ音が再生されるだけでデッキが壊れたりはしない。 >>249
何かで見たことあるけどそういうものだったのか
まるでオルゴールみたいだな 特撮物だと
あの穴の空いた紙から隊員が情報を読み取っていたけど
使い方としては逆だよな >>252
慣れれば穴のパターンからアルファベットや数字は判るんだよ 警告が出てるのに、敢えてプレイヤーで再生して聴くPCエンジンCD-ROMROM >>252
○●がアスキーコードのビットパターンとかだから脳内変換するために専門の通信員がいる
て妄想しながらみるといいよ よくよく考えるとオルゴールも
あの無数に開けられた穴だけみたら
意味が良く分からないけどそれを
機材に組み込むときれいな音色がなる
原理は同じなんだね。 あのパンチカード読み取りは
作り手がモールス信号と混同していからではないだろうか
怪獣の出現場所と船舶感の通信は
まあ似ていないでもないし >>256
穴の順番が音程だからパンチカードより分かりやすいのでは…
>>257
プログラムのパンチカードは決まった命令(GOTOとか)や変数が数文字で予測できたけど
ウルトラマンでは場所や事象だから理解するにはかなり高度な読解力がいりそうだね 昔のプログラマーは
16進数で直接プログラム組めたとか あ、1つ訂正
ウルトラマンのはパンチカードでなく紙テープだったね
http://www.chiba-kc.ac.jp/user/~iseri/siryo/card.html 昔の漫画とかに出てくるコンピュータは
無理な計算させると爆発してたよね 今のコンピュータも冷やさないとどうなるかわからんw 穿孔テープを読み取る描写
初期のルパン三世にもあったような ルパン1期やマジンガーのころのコンピューター出力を人間が読むとき紙テープ使うのは一般的な描写
時代が進んで銀河漂流バイファムでプログラム実行させるときの表現がプログラムをrunするだった 矛盾のある問題解かせたり
データ不足でもコンピュータ爆発してた >>260
過去にアーケードゲームをPCに無断移植していた人が、
アセンブラというものの存在を知らなくて
16進数のベタ打ちでプログラムを書いていたと言っていた。
当時は情報源が少なかったので、もっと便利なものがあるのに存在すら知らない事も多かった。 >>262
そして博士が髪までチリチリになって口から煙を吐くとw >>262
あれってヒューズとか考えてなかったのかな? >>241
経験した範囲で言うとロード時間は12分が最長だった。
30分も掛かるのあった?
少なくとも「当たり前」ではなかったよ
当時のPCはシングルタスクだったから、ロードが終わるまで一切何にも出来ずBGMさえ流せなかったよね。
にもかかわらずTape read errorがしばしば出て、最初からやり直しになるという…。
テープを頭まで巻き戻すのも時間が掛かった >>254
そりゃああなたそのゲームの声優さんが警告メッセージやってるパターンもあるから再生するさあ >>268
自分もそうだったわ
モニタはBASICで作って
CD 93 00 …なんてベタ打ち
聞いた話だとコナミのMSXチームの人もそうだったとか
BGMのデータをMMLすら経ずに16進数で打ちながら作曲とか 昔のゲームのパッケージや広告を見ると「オールマシン語」と書かれてるものがある。
それが技術力の高さのアピールだった。
もちろん、マシン語で書いたからと言って、ゲームが面白いとは限らない。
でもBASICしか知らない人にとっては、オールマシン語で作れる人は尊敬の対象だった。 >>274
プログラム集とかでも、最初はBASIC何だけど途中からマシン語に変わるプログラムとかあって、中学生の俺には敷居が高かったなあ 8001のゲームで商品として売ってたやつはほとんどのものがマシン語主体だったな。
ベーシックオンリーだと動きが遅かった。 当時はmonで入力して作った処理をbsaveしといてBASICでメモリにパラメータセットしてcallするみたいのが高速化しやすくて流行ってたんだと思う
雑誌はその部分がデータ文かな
ラベルとか相対アドレスなどプログラム修正時もメンテしやすいからアセンブラあると便利だったな >>271
ゲームにもよるし時代のマシンスペックにもよるから12分が最長の意味がわからないけど、当時ロードに15分30分かかるなんて話は普通に聞いたけどね まずはベーシックで短時間ロードしてその後にmon※lのコマンドで長時間ロードするソフトが多かったかな。
ベーシックから自動的にマシン語のロードに切り替わるソフトもあった気もするけどもう記憶があやふやだ。 >>262
実写トランスフォーマーのメイキングで
パソコンにデバステーターのCGデータを送ったら爆発すると言うものがあった >>278
”経験した範囲” では12分が最長と言ったんだけどね。
これの意味は「全てのゲームを見たわけではないので、12分超のものはあり得る」だよ。
しかし「30分が当たり前」には誇張があるんじゃないかな?と思う。一つも見たことがなかったので PC-8001のCMTが600ボー
メモリ16KBだから一度にメモリ一杯読んだらmax3分33秒
メモリ最大160KBまで積めるからそれだけフルに読んだらmax35分33秒
そんなソフトがあったとは思えないが
他の例
MSXのCMTが1200ボー
メモリ64KB要求のザ・ホビット、忍者タイガーだと計算上は7分17秒
実際はローダーを読んでから本体プログラムを読んでたからもうちょっと時間が掛かったけどどう考えても30分は掛かってない
もう一例
数値だけ覚えてるけどぴゅう太でプログラム読んだ時RAM16KBなのに23分も掛かってた
何でこんな掛かってたのかは覚えてないけど ぴゅう太のテープロードてそんなに時間かかるのか。かなり転送速度がひくいのか。
究極のテープソフトはザナドゥx1版かな。次点は90分テープで販売した。MSX版レリクスかな。 ロードさせておいて風呂入って出てくるまでにロード完了してるってのは経験あるな
何のゲームだったか覚えてないが30分があることにはあった
長い部類だと思うけど テープ最強ソフトはやはりX1ザナドゥなのかな。
本読みながらゲームしてたよ。 ながらゲームならテープでも昭和でもないけど
MDのアドバンスド大戦略しながら勉強してたわ
相手のターンが平気で数十分掛かったから 上の方でカセットテープどうのこうの言ってるけど
確かに当時から謎だったなぁ〜
なんで音楽テープでセーブとかロードができるのかはよくわからなかった
ましてやそれでゲームさえもできたんだっけ
ファミコンのディスクシステムのフロッピーディスクみたいな原理と同じかな >>286
上でもあったがこういうの聞くと
NEOGEO CDのローディング思い出すw
ロード中は攻略本読んだりw 要は0/1を2つの周波数の音にして録再してるだけぴょん ファミコンは電源入れてすぐにゲームスタート出来るのがよかったな。
タイトルデモとかでほんのちょっとでも操作出来ない時間があるとイライラする。 最近はゲー厶始まる前に飛ばせないロゴいっぱい見せられるもんな ゲームのデモはガンガンとばすけどテレビアニメは毎回オープニングからエンディングまでちゃんと見ないと気がすまなかったりする。 パソコンサンデーで、副音声でプログラムを配信してたと思うけど、それをどんな環境で受信してたのかよく分からない。 >>292
あれはまあ描画エンジンとかサウンドエンジンとかの利用規約上仕方ない
何もかも自社開発してるなら自社ロゴだけ出せば良いんだけどね スーパードンキーコングでデモ画面中にボタン押すと旗を速く上げることができるのには感心した。 >>295
初回だけとか10回に一回とかには出来んのかねえ
Qサウンドのは好きだったが…ウチに対応ラジカセがあったなあ >>294
普通はバイリンガル対応ビデオデッキで録画→RCAピン→モノラルミニジャックに変換→
@副音声をCMT入力へ→
Aまたは副音声をオーディオカセットに録音→
CLOADorBLOAD enter→@ビデオかAオーディオカセットを再生で読み込み
当時一般的にはモノラルテレビ&モノラルビデオが主流だったので利用できる人なんて僅かだったと思う
更にアナログ電波だったのでノイズが乗ったらすぐデータが壊れてLOADに失敗する >>297
そのチェックのためにセーブデータをいちいちロードしなきゃいけないのはネックだな
SSやSFCなら一瞬だけどPSとかPSPは辛い カセットテープ版ソフト用の
コピーツールもあった希ガス ファミコン全盛時代、ファミコンゲームをネタにしたゲームブックが量産されていた。
くだらないものが多くて、ゲームブックというジャンルの衰退の一因にもなった。
しかし当時は個人レベル、自己満足レベルで、ゲームブック自作をやってる人はたくさんいた。
パソコンを持ってなくても、プログラミングができなくても、ゲームブックなら作れない事もないから、ゲームクリエイター気分になれた。
実際には、駄作を作るのも面倒だけど。 ゼルダの伝説のゲームブックがあったけど、昼はリンク、夜はゼルダになって攻略するものだった
当時ファミコンの方はプレイしてなかったからゼルダが主人公と勘違いしてたよ
あの頃は何かと図書券をもらったから推理ブックかゲームブックを買ってたね 当時初代ゼルダやってた時も主人公がゼルダだとは知らずにやってたな。
ガキの頃は説明書読んだりしなかったから。 ”くわしいことは本をみてください”だからな。
あれから30年ほどたってゲーム内マニュアルが当たり前になって
今とは逆になってしまったが >>303
俺は逆だな
店でカセット買うと帰って家で遊ぶまで待ちきれなくて
開封して取説読みまくった 昔は取説の最初にちゃんとストーリー描いてあったよね
しょぼいゲームにも大仰なストーリー >>306
しょぼいゲームではないけどゼビウスに壮大なストーリーがあって小説まで出て
「ゼビウスはSTGじゃない!AVGだ!」
と力説していた若かれし日のワイ
めっちゃイタイ ベーマガのペーパーアドベンチャーだっけ?
ゲームブックの簡易バージョンといった読者投稿コーナー
あれ毎月楽しみだった >>307
RTYPEの鬱ストーリーは有名だけど
最初から考えてたんかね >>307
遠藤さんがそういうのにとことん凝る人だからね。
ゼビウスが小説とかアニメとかに展開してもおかしくはなかった。 もう大晦日ですね。毎年思うが早いな。光陰ギドスパリオの如し。
「ごとし」と書いても「如し」が変換候補に出ない。ウィンドウズへぼすぎ >>311
自分は火の鳥かな
正月に発売されて買いにいったゲームだわ 正月に買ったゲームといえばMSX版ロードランナー
昭和60年の1月だった
ハドソン製ジョイカードのABボタンと穴掘りの左右が逆で最初は苦労した 「年の一番初めに発売されるファミコンゲームの座」をコナミとナムコが争っていた記憶 しかしファミコンゲームも中盤になると有名どころのソフトは発売延期しまくっていたな
毎号読むファミマガで「また延期か…」と肩を落としていた やがて予定通りのリリースなど期待もしなくなった
田中芳樹のアルスラーン戦記の新刊がそうであったように 毎回ダンジョンの形が変わると言う触れ込みのダンジョン放浪記は延期から開発中止になってしまったな
ファミコンキッズだった俺がその手のゲームに初めて触れるのはトルネコまで待つことになる ゼルダと言えばミヤホンの嘆き
誰もハイラルファンタジーと呼んでくれんかった (´Д` ) 輝いてる思い出はともかく昭和も割と暗い時代だった気がするけど
呪われし令和も今年は好転して欲しいねえ。なにはともあれ
あけましておめでとうございます 正月はファミコンより
ゲイラカイト揚げに夢中だったよ 昭和の時代は外で遊ぶのも面白かったよね
幼少期に正月に外で凧揚げしてて先輩たちが
糸をつなげてめちゃくちゃ高く飛ばしてて1 km ぐらい飛ばしてて
糸が切れてみんなでおいかけた面白い思い出がある >>324
ゲイラカイトの方が古くて、ファミコンと同時代に思えない… 四角のタコは揚げることできなかった
ゲイラカイトはヌルゲーだった 黒地にド派手な目玉とかゲイラカイトはデザインがめちゃくちゃかっこよかった。 凧のデザインをかっこよくする(不気味にする)のって、盲点を突いたアイデアだよな 今ゲイラカイトって名前を聞くと「凧あげするのも面倒くせえ〜」といった場面が思い浮かぶ
意味の解らない人は「息をするのも面倒で嫌だ」で検索して下さい 最近、バンダイの電子ゲーム、バクダンマンやクロスハイウェイ買いました。 ゲイラカイト買ってもらえなくて竹ひごとビニールや模造紙で自作してたな
好きな絵がかけるからいいね ゲイラカイトって150円くらいじゃなかった?
当時でもそんな高いものじゃなかったと思うけど 昔は空地でカイト飛ばしてたけど今は隙間なく家でギッシリだわ
引っ張られて自分も飛んでいくんじゃないかって感覚が懐かしい ゲイラは揚力がめちゃめちゃ強くてね
糸を長く出すと子供には抑えきれないくらいだった
風の強い日に飛ばしてたらハンドル離してしまってそのまま飛んで行った悲しい思い出 >>333
クロスハイウェイはつまらなかった
ひろしっていう駄菓子屋の子が買ってもらってた
BIG-1ガムのプラモデルコンプしてたな
自分ちの売り物だったから
>>335
おもちゃ屋のチラシ価格で800円くらいのイメージだった
調べたら発売当初の価格は昭和49年で900円
大卒初任給が72,800円だから今だと2700円くらいの価値 >>327
これ
ゲイラカイトは一人で持って走れば上がるチート凧
和凧は誰かに持ってて貰ってちょっと走ったくらいじゃ地面をコロコロ転がってそのうち脚がちぎれたり壊れたりだった >>330
幸せの青い雲〜♪
歌い手は青春時代の人。
この人の地球最後の日っていう歌はインパクトがあった。
喩えとかじゃなくて本当に地球最後の日の風景を歌ってる。
青雲、ロートのハト、日立の木のコマーシャルは心に残ってるな。 >>300
コピーツールなんてあったんだ。
ラジカセでのダビングでも問題なく動いてた記憶。 オラの通ってた小学校では1〜3年まで凧作成の時間と凧揚げ大会があった
今もやってんのかなあ >>338
今でも800円位するんだな
昔は駄菓子屋なんかでも気安く買えたイメージだったんだが記憶違いだったのかも 今は百均にもそれっぽいのあるからやってみたくなるけどなかなか機会がないね >>339
和凧は普通に揚げれたな…揚げれなかったのが立体凧、あれは難しかった ゲイラカイトのタコ糸1本50メートル巻だっけ?記憶が曖昧。継ぎ足して使ってた記憶がある
当時に遊んでたのは電子ブロックとデルタックス >>348
飛べー 飛べー たーかーくー そーらーを行ーけー
なら知ってる。
この部分だけはいい曲なんだよな 電子ブロックは17年ほど前に復刻版(本と光実験キットがついたやつ)買ったけど積んでるわ・・・ 割り箸を使ってタコを作ったな。普通に家に裁縫道具がある時代だったけど、さすがに裁縫糸は細すぎた ゲイラブームの時は裏山の谷間にナンボでも落ちてたので買ったことがなかったな
破れ目はガムテープ貼っつけたらいいだけだった 正月のお年玉でどれくらいファミコンカセット買っただろうか
今は亡き祖父におねだりして少し多いお年玉貰ってたな
ファミコンやれない時は、友人集めて缶蹴りやってた 割り箸というと動くサソリ(短く切った割り箸の間に輪ゴムを入れて巻き、袋の中に入れてバタバタうごめくのを楽しむ) お年玉でクインティ買ってもらったな
どういう経緯か忘れたけど高校生のいとこの兄ちゃんのバイト代で買ってもらった
今はコンピュータ設備やってる兄ちゃんありがとうございました 階段を規則的に降りて行くマジックワーム。
なかなか面白い動きのおもちゃだった。 昔デパートのエスカレーターで
おもちゃ売り場のフロアに近づいてくと
モンチッチがシンバル叩いてる音がだんだん聞こえてきてワクワクしてた モンチッチまだ作ってるんだな
ファミコン以前の玩具売り場は超合金・LSIゲーム・ボードゲームなんかが主役だったな >>367
ちょっと分かる
後デパートてよくできてて
3階ぐらいがおもちゃ屋さんで
5階ぐらいに家族で食べる飲食店があってそこで旗のついたお子様ランチを食べると。
そして屋上でちょっとした遊園地じゃないけどおもちゃの電車に乗ったり
ゲームコーナーがあったりと…
家族でダラダラ
ああ昭和 >>367
わかる
ブームは短かったけどフラワーロックがウネウネしてるのが見えてくる時もワクワクした 2022年。
今年こそ良い年になってくれ〜
コロナ終われ〜 >>372
フラワーロックぐらいになっちゃうと僕達よりもちょっと上になっちゃうね
今なら四十歳ちょうどぐらいじゃないかな。 ファミコンは中学生の時だけどガンプラブームも沈静化してマクロスの後だった記憶
6001/8001/MZ80B/FM7/8/X1も人気だったな。うちは早いうちに6001を買ってもらった >>376
最初に買ったパソコンがPC-6001(初代)だった。
『オリオン』というFPSがかっこよくて好きでした >>377
8001版で遊んでたな。
オニオンっていう敵が野菜になる裏モードがあった。
後に6001や8001を懐かしむ本がアスキーから出版された時にオリオンのデータがついて来てウィンドウズで遊ぶことが出来て嬉しかった。
>>362
スプリングのやつはスリンキーだったか。
ガチャガチャのパチもんも持ってたな。 >>357
竹林で竹取って来て小刀で削って凧糸つけて弓矢作って遊んでた >>382
あれって未だに面白さがよくわからないけど遊び方何かあったの? ボール
ヘビ
魚
犬
剣
など想像でなんでも作れるんだ ルービックマジックってのもハマったなー
もうどこにも存在しないだろうな なんか樽型みたいなやつに
玉みたいのが入って
色揃えるみたいな
なんかそんなのなかったっけ?
あと野球場みたいな雰囲気の作りで
ボールをなんかいろいろ回転させて落としていくようなやつ
あれ意味が全然わからなかった モーラーと言えばあんな感じのマフラーが女子に流行ってたのう
先っぽがキツネか何の頭になってるやつ 樽型のは「テンビリオン」ね。
作者は任天堂の横井軍平氏。
ルービックキューブから派生したパズルの中で、最もアイデア性が優れてるな >>387
あったねー。キツネの口が洗濯ばさみみたいになっててマフラーを固定するやつ。
耳だけ覆う防寒具も流行った。
アラレちゃんがつけてたやつ。 調べたら今でも売ってるんですなあ…昔のと違って頭とフワフワがでかい
それか昔も売ってたけど小さいのは子供用だったんかな
アラレちゃんの耳の防寒具ってアイキャッチで着けてるやつかね
ドラクエIIの勇者やサマル王子みたいな
わしはヘッドホンみたいな所謂耳当てしか持ってなかったのう 耳当ても
僕たちの頃流行ったけど
形変えて今でもあるからなあ〜
結構あれあったかいんだよね >>385
メガハウスから復刻された奴ならまだ持ってるけど
十数年前のだからそんなに希少って事はないんじゃないかな >>386
それまだ実家で持ってる
樽の左右を引っ張ってカラーボールを並べてくやつ
俺は全然だめだが父親が美味かった 7×7×7のルービックキューブって、組み合わせの総数がものすごいことになりそうだなw 調べたら
19,500,551,183,731,307,835,329,126,754,019,748,794,904,992,692,043,434,567,152,132,912,323,232,706,135,469,180,065,278,712,755,853,360,682,328,551,719,137,311,299,993,600,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000通り
ということだった。読めないやw 耳だけの防寒具はイヤーマフな
雪国の子供は特に流行り廃りもなく今も使ってるよ >>386
後者は沈没作戦ゲームかな
サンタさんに頂いたなあ
相手のボールを脱落させ、自分のボールをゴールに持ってくシンプルなルールだけど楽しかった記憶が >>394
ああ、若い頃のジョセフや男塾の飛行帽も使っていた 30cm四方くらいのアスレチックみたいなフィールドを
鉄球転がしてゴールまで導くやつあったよね
大抵の友達の家にあったんだけど
電池がなくて動かなかった トミーのポケットメイトのアスレチックなら覚えてる。
こっちは揺すったり弾いたりしてステージ上の小さな玉を移動させていく。
池があったり滑り台があったり。
箱庭感が楽しかった。 掌よりちょいと大きい程度のポケットゲーム型ならまだ家にあるよ
レバーで迷路を動かしてやるタイプだよね
後は物理的に傾けて動かすサイコロサイズのもあったりする あったなあ!
小さいやつは今でも雑な作りの似たようなのあるな。
大きいやつもアレンジみたいなマリオので子供が遊んでた記憶。
それすらも懐かしいわ。。。 >>396
「 lingao マジックキューブ」でぐぐればパチモンなら見つかる
数年前にアリエクで買ったわ
>>393の言う、分かれた輪が3つの復刻版も十数年前に買ったけど ポケットメイトでググったらめっちゃんこ懐かしい画像!!
あったなあこれ!
迷路感がめちゃくちゃ面白かった >>390
正月中は耳が寒くてヘッドホンを防寒具の代わりに使ってた。
BT対応だからペアリングすればスマホゲームのBGMに使えたけど充電するのが面倒だから通電せずに使ってた。 >>405
その手のは駄菓子屋で
ちょっとお高く子供より目線、高いところに埃かぶってるという印象。
駄菓子屋のおばあちゃん元気かな〜
もうとっくの昔に30、40年前に死んでると思うけどw >>408
なんかゼンマイ式で
時間内にゴール到達とかそういうのがあったっけ >>411
ゼンマイ式は自分の記憶ではなかったなあ
指でグリグリ動かして迷路の地盤自体を斜めにしたりするやつはあったよ ポケットメイトはiPhoneアプリで何本か出てたなアスレチックのは買った記憶 >>413
アナログゲームにはアナログゲームの良さってものがある この前
地球儀型のマウス買ったから
マーブルマッドネスやったらすごい面白いかもしれない ほんとにガキの頃、大晦日に花札遊んでたわ(ファミコンある時代よ)
二回くらい続いたけど楽しかったわね
サンキューNintendo ポケットメイトの野球が意外とハマった記憶ある
あと遊びにくいけど将棋も良かった >>337
あまりに高く飛びすぎて恐くなった思い出がある。
落下傘花火を追いかけるのは楽しかったな。 野村トーイのチクタクバンバン
黒ひげ危機一髪とか、昭和から続いて寿命が長いな >>420
旅行中の電車の中でミニサイズの将棋やオセロやるのは妙にテンション上がったな。 ミニサイズって言えばゴルフもあったなぁ
グリーンがあってクラブは鉛筆に被せるキャップになってるやつ
その延長で中学になってからは机に直に穴開けてBB弾でゴルフした
先生ごめんなさい( ;∀;) 学校の机にコンパスの針で穴開ける奴がいるらしくて
席替えの時に大穴が開いた机があてがわれるとテンション下がった >>424
なかんコスモスの景品かなんかで
床みたいな芝を敷き詰めて
テコの原理見たいのでパターみたいなするやつ
覚えてる
机に穴と言ったら確かにあったね
一番下まで穴を開けることに挑戦してた奴もあったなw
自分の使ってた椅子や机て結構愛着が湧くもんで
何かのイベントか何かで机とか椅子が変わっちゃうとものすごく違和感を感じるんだよねw 親指の爪がすっぽり入るくらいの大きさの穴開いてるのがあった
鉛筆がズボってなってイライラするんだよな テンビリオン気になるな
幼少のころ店頭や書籍で見かけてずっと気になっていたがとうとう手に触れる事もなかった
そういうものは今手に入るんなら手に入れてみるのも一興よな クラブニンテンドーで申し込んだスターテンビリオンが2つほど実家に眠ってるが一度も動かしてないな・・・ 機種にもよるが、初代の信長の野望はほぼBASICで作られているゲームだった。
初代の大戦略もBASICメインで、高速処理が必要な箇所のみマシン語。
BASICの知識しかなくても傑作が作れるのだと知り、挑戦したもののクソゲーにしかならなかった。
でも、ゲームを作ろうと試みる事自体が、楽しいゲームだったな。 正月にやるカードゲームは楽しかった。ずっとカブやってたわ >>429
別メーカーからスピンジリオンってのが出てるね >>425
席替えは机椅子ごと移動するから無問題だった。進級の時も
問題は卒業した6年のを新一年に流用する時 >>434
そんな事あるの?小1の時の机椅子って凄く小さくて流用できるものじゃなかった気がするんだが
高学年になってから何かの用事で1年の教室入った時の机と椅子を見て「ちっさ!」って驚いたし 机の中に大量のカビパン抱えてる奴もいた。
残したから怒られるって時代ではなかったんだけどそれでも残すことは悪いことっていう雰囲気があったんだろうな。 >>431
市販のゲームソフトはたいていマシン語だったけど光栄の帝国の逆襲はベーシックだった。
これはアクションゲームだったな。 >>434
席替えなら分かるが、クラス替えでも同じ席って珍しい気がする >>436
カビパン作って
あだ名がカビパンになってたやついたな。 工事現場のおもちゃで
モーターで走る車がダンプになったり
ブルドーザーになったりしてボールを運ぶやつ
友達の家にあって羨ましかった >>436
腐って固形になった牛乳パック見つかったときは大騒ぎになった ポケットメイトならぬポケッタブルの麻雀は「密着力がマグネット以上です」とはあるものの牌が合成樹脂製でペラペラしてて洗牌とかがやりづらかった
合成樹脂製のを買った翌年にポケッタブルでマグネットタイプの麻雀が出たけどこれは買わなかった >>437
ドアドアは機械語プログラムローダー部分だけBASICのほぼオールマシン語だっあ BASICだけどPオプションとonstopでとりあえず見えなくしてるゲームも見たな >>443
ペラペラのゴムみたいなので貼り付けるタイプ?
長財布くらいのサイズでオセロとかもあった気がする >>446
それそれ
ゴムみたいな合成樹脂製
ボードゲーム系は長財布くらいのサイズが多かったかな
小さいおもちゃ屋だとオセロや将棋の小さいタイプ、大きなとこだと長財布くらいのサイズや麻雀やゴルフとかも見かけた >>424
あったねー
小学校低学年の頃はまだ机がボコボコ穴だらけの古いやつだったから休み時間みんなで遊んでた 彫刻刀で机に穴を開けてゴルフをやっていたが
新年度になった時に先生が
取り換える必要があった机が複数あったと言っていて
少し悪い事をしたと思った よくよく考えるとあれも税金だから
俺たちが二十歳以上になって払ってる税金も
子供たちがその税金で買った机に
落書きしたり穴を開けたり文字掘ったり
教科書も税金なのに乱雑に扱ったり
自分たちもそうだったけど
若気の至りと言うか…
学校の品物全部が税金だからな…
もっと大切に扱うべきだった その税金にちょっとでも足しになったのがベルマーク
ちょっと高い品物に3点とかのベルマークがついてくると切り取るときにテンションが上がった
ネットの雑学サイトで見たのですがグランドピアノを買うと100点のベルマークがついてくるそうですね 昔の遊びあるある
花札が札が小さいのに厚くて収納する時にケースに入れにくい カードサイズの麻雀🀄で遊んだ思い出
まだ売ってるかな? >>441
それ多分持ってた
でもすぐに飽きた記憶
やっぱり自分がプレイに参加出来るおもちゃで無いと
ただマシンの動きを眺めるだけの玩具は速攻で飽きる 任天堂がトランプ花札だけじゃなくていまだに株札も販売してるのには驚いた。
マリオトランプ、マリオ花札はあるけどさすがにマリオ株札はラインナップにないw >>456
流石にマリオをプレイする層にオイチョカブを教えたらまずいでしょ >>431
BASICであれだけのものが作れるのか。。。
自分もゲームづくりに挑戦したことがあるけど形にすらならなかったよ。 >>435
高さが調節できるタイプだったから
>>439
6年間同じ机と椅子を使う。中学高校も同様
中一の時に昇龍拳とスタープラチナの絵を彫った机を卒業まで使った
進級で階が変わる時は階段を通るので緊張したものだ >>459
俺の通ってた小中高校は、クラス替えも学年が上がったときも机の移動は無かったな
クラス内で席替えするときは自分の机を持って移動したけど 同じく、さすがに進級による机の移動は非効率的過ぎるからからか無かったな
高学年はともかく、低学年のチビに机担がせてフロア間の移動をやらすのは結構酷だと思うし
学年上がって、せっかく3年の時は綺麗な机だったのに4年になったら
汚い机になっちゃった、なんて悲劇はザラ
放課後や休み時間に綺麗なのと汚い机のすり替え事件が起きたのもザラ >>458
ゲーム作りはめっっちゃくちゃ大変だよね。
今はツールや情報その他が充実してるから、昔に比べて楽にはなったけど そういえば今ジョジョ6部のアニメやってるな。
スタープラチナの条太郎も出てくる。 ジョジョは連載初期はあまり人気知名度がなくて、ごく一部の男子の間でオーバードライブー!とかいって波紋ごっこが流行っていた感じだったな ジョジョって昭和か?と思ったら1986年連載開始なんだな、意外と古かった >>466
俺も、またビーティーとかバオー描いてた人が漫画描き始めたのかとこれはスルーしてたんだけどな
ジャンプ自体のアンケートはよくなかったけどコミックが何故か売れてたから打ち切りを免れてたらしいけど
多分当時の読者投稿コーナーがある雑誌でやたらネタにされてたから投稿するネタ探しで買う人や、その読者投稿コーナーで見て興味もった人が買ったりしてたんじゃないかな BASICでショボいゲームを作る程度の知識しかなかったけれど
ゲーム開発がどれだけ大変な事なのか思い知らされた。
なので今でも、クソゲーを見ても安易に制作者を批判できない。
プロであってもゲームを作る事は非常に難しいだろうし、
アマチュアと違い予算や納期を守るという制約もあるのだから。 俺も昔BASICでちょっとしたゲーム作ったりしてたけど
今は便利なツールはあるけど
求めるレベルが上がって
完成させるのが難しくなった >>468
なぜ素直にファンロードと言えんのだローディスト 机って学校によっては
なんか田舎の方で川で洗ったりするところもあるらしいねw
あと本当に小学校低学年の頃のイメージなんだけど
鉄筋が使われてなくて全部木で作られてた机
やたら記憶がある。
大体そういう木の筋がすごくて下敷きがないとものもかけないというw
あとうちの小学校はかなり歴史があったらしくよく旧校舎の一室に
足踏みミシンが大量に置いてあった記憶がある。
関係ないけどジョジョのゲームはキン肉マン同様
妙なアクションゲームにするよりも
割り切った格闘ゲームにすると成功するという典型的アニメかなw >>468
BT読んでたのか、俺のクラスでは魔少年魔少年ってバカにされてたわ
しかしバオーからは徐々に読むヤツが増えて来てジョジョに繋がる、徐々だけに ファンロードはたまに読んでた
「キスシーンにズッキューンという効果音とは流石荒木先生、そこにシビれる憧れるゥー」みたいな投稿載ってたのは記憶にある >>468
ここ的にはBASICマガジンの読者コーナーでも大人気だったな >>470
個人作成ゲームのコンテストみたいなのは
映像や音声は現代水準でも、中身は昔のベーマガの投稿プログラム水準のが多い
それでも何らかのシナリオがあって、美少女やイケメンを登場させれば、評価は上がる
逆に、ストーリーやキャラクター性が全然ないシューティングとかアクションは、
プログラムとしての水準は高くても、ほとんど見向きもされない
個人的には評価の仕方がおかしいとしか思わないけど
プログラムとか言われてもわかる人なんてほとんどいないんだから
どうしても見た目だけで評価されちゃうんだろうな >>471
俺的にはベーマガのつもりだったんだけど、そうか、ファンロードもあったな
たしかバオーもファンロードでは人気あって作者自ら表紙を描いたこともあったとか ベーマガに出てた広告の店でテーブルゲーム筐体を買ったわ >>476
ゲームのコンテストなんだからゲームとして魅力的か・面白いかなどが重要なのは当たり前田のクラッカーw
純粋に技術なら今は競技プログラミングなんてのがある 80年代前半のエニックスやアスキー主催のゲームプログラムコンテストは性能の低い機種でもアイデアがすごかったらちゃんと評価される純粋にゲームの面白さを競うものだったと思う。
参加者もそうそうたるメンバーだった。 >>465
ダイの大冒険とか見てる人多いで。昔のは途中で打ち切られたからのう
今度のジョジョ6部も途中がスッポリ抜けてるから楽しみだ >>484
昭和時代のパソコンユーザーは、ゲーム目的で買った人でも、
プログラミングに手を出してるのが珍しくなかったんですよ。
そもそもプログラミング自体が一種の思考ゲーム。 昔はゲームを自作どころか
マイコン自体ハンダ付けして作らないといけなかったんだよな
知らんけど テクノポリスって雑誌があって、
当時の同人ゲー(当時はまだ無修正!)を本屋で見て
若いながらも興奮しながら勃起してた恥ずかしい自分が居ます!
18禁とか修正とか無い時代は貴重だった
まあ、エロさなら今のほうが数段上かもしれないけど
当時は衝撃でした! ファミリーベーシックのベーシックってBASIC
すなわち「beginners' all-purpose symbolic instruction code」
(「初心者向け汎用記号命令コード」から来ていたのか
小学生の頃は、ベーシック=基本 くらいの意味は知ってたから
基本のファミコンくらいに解釈していた
これのどこが基本だ、キーボードで面倒な記号打たなきゃいけないし
ファミコンの方が全然簡単じゃねーとか、わけのわからん怒り方をしていたなw
今にして思えば98だのMSXだのでプログラム組んで遊んでた高校生や
大学生のお兄さん方にしてみればファミベーなど、目クソみたいなプログラムしかできない、
超お子様向けだったんだろうな、V3でやっとハナクソに進化かw
そもそも小学生にはキーボードの時点でアレルギーが起こるんだよなw >>484
他の、プログラム言語を持つパソコンの話はどこでしたらいいですか? ファミベのよっしんは何者だったんだろ?
あの人のプログラム打って遊んだけど何をやってんのかサッパリわからなかった と、思ったら微妙に更新してた
ttps://yosshin4004.github.io/famibe/develop/index.html >>489
それとパソコンパラダイスが懐かしい
パソコン誰も持ってないのに回し読みしていた >>489
エロといえばコンプティークの袋とじだなぁ。
あれで販売部数が激増したとかいう話を聞いたことがある。 ジョジョとベーマガといえばパソコンレクチャーって漫画でジョジョネタがあったんだけど、雑誌掲載時はその絵が黒く塗りつぶしてあったんだけど
現在発売されてる電子書籍では塗りつぶしがなくなってるから30年越しでやっとどんな絵が描いてあったかわかったよw 昭和ギリギリだけど、上の兄弟が小さな15インチくらいのガチャガチャ回るテレビで近所のお兄さんが家に来て一緒にファミコンやってたの見てたな
その後すぐに29インチの大型テレビに変えたんで体験はない 誰も付いていけない話してる奴は昔のPC板が過疎ったからこっちに来てんだろ 10年くらい前にゲーム機やソフト全部処分したが、今レトロハードやソフトが高騰してるの見ると凹むよ😭 自分も1年か2年前に大きな断捨離してしまい
収納場所がないので結構大昔の貴重なものを捨ててしまった
未だに後悔してると言うか… ここで普段ゲーム話してる人の中でもプログラムやってる人はごまんといるのに
何をアレルギー起こしてるんだろうか? ラジコンといえばニッコーでしたね
6輪のF1カー捨てちゃって後悔しかない 70年代後半とかエンジンのラジコンカーとか平気であったよね ラジコンはタミヤのランボルギーニチータを作ったよ
昭和56年だな。ガンダムの映画が流行ってた時なので年代も覚えてる 自分で作ったのはグラスホッパーが初かな
ギャロップも作ったわ
ブラックモーターに換えたりするんだよね 自分が小学校の高学年に流行ったタミヤの低価格ラジコン
それでもプロポ入れると5万ぐらいしたからな…
まず手が出せなかったな… 近所の兄ちゃんがラジコン使って犬と遊んでいたのを思い出したわ。
あの頃は平気で放し飼いされてたな。
田舎だし。 >>502
だよね、
「俺はファミコンしか持ってなかったからセガの話はスレ違い」
と主張するようなレベルの低さ、的外れさを感じる ラジコンヘリ🚁が凄く欲しかったけど手が出なかった
今は手頃な値段でドローンが買えていいね >>251
昔、大学の統計講義でIBMのパンチカードの使い方やってたな。 >>512
近所の模型屋は色々扱っていたのでディスプレイの中がカオスだった
車や戦車やガンダムのプラモ、Nゲージ、RCカー、エアガン等の横にラムちゃんのガレージキットが並んでたよ 昔の雑誌はとっておけばよかったと思う
何冊かファミ通やらゲーメストあるけど
時々読むと面白い ポプコムの最終号は実家に眠ってるかもしれんな・・・ 月刊だったログインが月二回刊になった頃のことをなぜか覚えてる >>506
いいなあ
コロコロ読んでたからグラスホッパーとか欲しくてサンタさんにお願いしたんだけど枕元には安いトイラジが置いてあってなあ
それでもラジコン自体が嬉しくて遊んでたら近所の兄ちゃんにトイラジwwwwwって嘲笑されて使うのやめてしまった… ちゃんとしたラジコンって
ガワだけで1万7千円くらいで
プロポが3万円くらいだっけ
そもそも組み立てるのが難しそうだった 日曜の朝だか、RCカーグランプリって番組やってたなぁ
ドラえもんでのスネ吉兄さんといい、大人のホビーって感じだったね >>519
静岡県だと今でもやってるはず
数年前だが見た >>522
俺は新卒からずっとソフト開発でやってきてるがゲームのプログラムはしたことがない
だって仕事以外でプログラミングなんかしたくないもん
はい、これで良いですか? >>518
どんなにタミヤが低価格ラジコンって言ったって
外側の値段が結構しちゃうんだよね…
バッテリーとかもかかるし
貧乏な俺みたいな家はファミコンとかならまだしもラジコンは完全に諦めてた
お金持ちの一人っ子の人にやらせてもらえばいいとか思ってたw
タミヤ RC カーグランプリって確か俺が小学校の頃始まって
俺が22歳の頃彼女の家で朝方テレビつけたらこの番組がやってて
「まだやってたのかよ!!」て
思わず突っ込みを入れてしまったw >>524
俺の周りでちゃんとしたラジコン持ってる奴一人もいなかった
グラスホッパーとかホットショットとか実物見たこと一度もない
コロコロでは色々特集されてたり漫画になってたりしたんだけど 4輪バギーのラジコンにあるオン/オフロードの切り替えをしても変化が無くて
親父が模型屋に持ってったら店主が改造してくれた ぐっさんが年齢をごまかして若者のふりをしてホストとしてテレビ番組のオーディションを受けるコントでの「自分左にしか曲がらないラジコン持ってました」っていう言葉には爆笑した。 アレでレースとかやってたケド、
参加者は変な握りのスイッチ押してるダケで
別にテクニックとか使いようが無い風に見えるんダケドw >>528
安っぽいヒモが付いたラジコンはそんなのばかりだったね 船の模型の船底に吸盤でくっつけて水上走らせる魚雷みたいなやつなんたっけ ファミ通連載マンガ「おとなのしくみ」
単行本未収録の話があるから、当時のファミ通を捨ててしまったのが惜しい >>537 マブチの水中モーターだね、赤と白のツートンで数百円だった記憶
近所の浅くて狭い川でプラモに付けたのを追いかけて遊んでたわ 第3回アプリ王選手権
最優秀作品(98点/同率1位)
Undertale+ロックマンエグゼ
オマージュゲーム
『【JunJail/加藤純一脱獄記】を
全クリする放送』
(21:05〜放送開始)
htps://youtube.com/watch?v=UGypW7nkZs4 >>525
ラジコンを持っている家はそれなりの金持ちだろう。
今はドローンが安く買えるから時代は変わったと思うけど。 小学生の頃、友達の何人かはラジコンを持ってた
ビッグウィッグは覚えてるんだが他は忘れた
親父や兄貴がエンジンカーやヘリ持ってるパターンもあった
自分は中学でお年玉はたいてようやくバンキッシュ一個
中学の同級生で小学校の頃にクラッドバスター持ってたってやつがいた ファミコン発売からの世代ならタミヤのオフロードラジコンキットブーム終わりかけの頃にプロポ付きの完成品のタムテックが出てるはず
ちょっと遅かったなって思った ガンプラの後にラジコンが来たんだよな
同時にファミコンもあったけど >>541
ボンボンのプラモ狂四郎、コロコロのラジコボーイって感じだった
コロコロにも「プラコン大作」っていう大してヒットしなかったwプラモ漫画があったけど
ラジコンボーイが子供に与えた影響はゲームセンターあらしに負けないくらいでかいと思う、
非藤子漫画でありながら例外的にコロコロで長期連載したし
40代にとって、ラジコンと言えばあの漫画に出てくるワイルドウィルス、マイティフロッグ、ホットショット、
ドラゴンシリーズ等だった
とても小学生に手の届く値段じゃなかったから、ラジコンと言えば>>530の言ってるような
2、3000円のヒモ付きの安っぽいラジコンで我慢してた
(4、5000円くらいでヒモ無しの無線機もあった、スピードはお子様向けだけど)
白と黒のポルシェとかカウンタックとか現実のオンロードスポーツカーが人気だった
結局、ラジコンボーイに出て来たような機種はレーサーミニ四駆の同機種で代用して自分を納得させていたw
安物のラジコンよりもミニ四駆の方がスピードもあったし
ミニ四駆ブームの真の立役者って、ダッシュ四駆郎よりも”前史”にあたるラジコンボーイだったと思う
実際、ホットショットやドラゴンシリーズが、ミニ四駆の中でも圧倒的に人気あったし
大人になってから、ラジコンボーイに出てきた数万円クラスのラジコンをいじってみて、
あまりの速度と、操作と組み立ての難しさ、20分程度しか持たないバッテリー消費の激しさ等
もし子供の頃に金があって手を出していても、とても手に負えず楽しめなかったと思う
まあミニ四駆でガマンしとくあたりが所詮小学生の器だったなと >>524
RCカーグランプリは84年から99年までやってたから
このスレのメイン住人の小学生時代から20代前半or中盤くらいにあたると思うから、まさに青春そのものw
あの番組、ミニ四駆のジャパンカップ開催時は、ラジコンじゃなく30分全てミニ四駆を扱ったりしてた
その時は前ちゃんやミニ四ファイター(初代)も出て来たから、
そういう回は(普段はあまり観ないのに)ビデオ録画もしつつ、目を皿のようにして観ていたw そろそろゲームの話に戻すかw
ファミコン以前にやってたゲームだとLSIゲームとかゲームウォッチ等あったけど
ボードゲームも面白かったね。人生ゲーム・億万長者・国鉄のいい旅チャレンジ20000kmとか。 LSIベースボールとかやってたな
その前がスーパーカーブームの頃かな?
色々な車がラジコンで出ていて上級生が童夢零をよく道路で走らせてたのが印象残ってる 人生ゲームは最後までちゃんとやらないことが多かった。
ルールが子どもにはけっこう複雑で難しかった。 >>547
44年生まれだけど、近い年代の人かな?
小学校中学年の時にスーパーカーブームでサーキットの狼が大流行
その後でインベーダーかな。 ボードゲームって子供の頃はよく遊んだけど、
ファミコンが出て脇に追いやられた感じだ。
でも、今はSteamでデジタルボードゲームが結構ラインアップされているから、
ひ 玩具屋で売っているボードゲームはやったけど
ホビージャパンに出ていたシミュレーションのボードゲームはやった事ないなー
ガンダムのボードゲームやってみたかったけど難しそうで。 アナログゲームは今復興してるよね
専用の売場もある >>543
まさに俺が十歳ぐらいから22歳ぐらい…
「まだやってたのかよ!!!」w >>487
過去にPC-8001のプログラム入門書を持ってた事がある。
電源の入れ方から書いてある、本当に入門者向けの本。
インベーダーもどき等の、簡単なゲームプログラム解説がメインだったかな。
ごく単純なテキストアドベンチャーもあった。
後半の方に少しだけ、周辺機器自作について記載があって、
電子回路の基礎知識みたいな事も書かれていた。
当時は、ハードウェアもソフトウェアも自作が当たり前だったんだな。 プログラムの入門書といえば高橋はるみの入門書あったね
設定では現役女子高生だけど実在してたのかは不明 PC-6001用のプログラム本持ってた
当時としては珍しくゲームメインではなくて、数学の基本を学びましょうとか、音楽を鳴らしてみましょうとか、
最終的には家計簿を作ってみましょうみたいな入門的な内容だった
こんな内容でもコンピューターを操作しているという高揚感があった PC-6001の愛称パピコンが可愛すぎた
すがやみつるのマイコン漫画も持っていて
当時すごく欲しかったな〜 >>554
ハードウェアを造ったら動かす為のドライバやソフトも自分で用意しないといけないからな ベーマガを読んでたので98でプログラムやってた。
が、BASICでの音楽投稿のプログラムを打ち込んだのがきっかけでMMLにハマり、
今に至るまでFM音源で音楽を作り続けている。同人CDを出したこともある。 >>559
マイコン入門に付いてたキーボードのポスターでタイピングの練習してたw 9801のデモディスクにもぐら叩きゲームが付属しててそれでキーボードの練習したな ある年、自分の中学に「前任の学校でコンピュータクラブを全国グランプリに導いた先生」が異動で赴任してきた
その時は自分はパソコンクラブではなかったので詳細は知らないんだけど、BASICとは違うゲーム専用の言語でプログラムを組ませてたらしくて、
文化祭では中学生とは思えぬレベルの高いゲームを各生徒が作っていてパソコンルームが騒ぎになった
あの時そのクラブに所属していたら今の自分もプログラムをやっていたかも知れない >>565
パソコンルームとかあったなー。
自分の頃はまだまだパソコンは全然一般的じゃなくて高校受験の情報誌に「本校にはパソコンルームがあります」って書いてあったりした。 高校の文化祭でパソコン部が延々とイース2の
オープニング流してた >>531
マブチ水中モーター。
まだタミヤが受け継いで売ってるぞ、アレ。 パソコンルーム独特の匂いってあったなー、あの匂いもう一度嗅ぎたい
と書いてからよくよく考えてみたがアレは当時のエアコンの匂いだったのかも知れない
パソコンルームだけはエアコンがあった 水中モーターは大好きだった
よく風呂に持ち込んで遊んでた
そのあと空中モーターっての発見して買って貰った
こちらは充電池に充電したら数十秒だけ回るって物だった
どう使ったらいいか分からなかった >>514
ゆう帝みや王キム皇がジャンプ以前に別名義でライターやってた攻略雑誌、取っておけばよかった
ちなみにゼビウスの記事を書いてたのが誰なのかわからんかった。もしかして田尻智? 水中モーター内蔵で動く戦艦大和とか武蔵のプラモは少年のロマソだったな
本来グリースを使う所をマーガリンで代用したりとかw
風呂で走らすとすぐに壁にぶつかって狭くてつまらんから
リスクを覚悟で、田んぼの脇の用水路で走らせたりとか…昔の子供やね
でも一番やりたかったのは、花火やカンシャク玉を使って戦艦のプラモを爆撃して、
それを8ミリカメラで撮って、戦争映画を自作する事だったが
さすがに自分で作ったプラモをぶっ壊して沈める覚悟は無かった
このプラモを使ってジオラマ、ひいては映画まで作りたいという思考は
完全にドラえもんからの影響
80年代当時、藤子F先生はドラえもんとスネ夫のイトコのスネ吉兄さんを通じて、
小学生には金銭的にも技術的にも不可能な夢を沢山見せてくれた、
ある種、罪な事をしてくれたもんだとも思うがw ドラえもんは漫画は熱心に読んでたけどアニメは習い事とかぶってて見るチャンスが少なかった。
見たことないけど映画は名作揃いらしいね。
ドラえもんとサザエさんはなぜか一時期週2でやってて主題歌も違ってた。 水中モーター俺も一個買ったなあ〜
忘れた頃に見てみたら錆びててもう壊れてた >>575
おお、サイバリオンとバブルボブルの作者だ >>536
ドローンって面白いのかな?やっぱりちゃんとしたラジコン飛行機の方が面白そう。 >>573
俺の場合は、戦艦とかのプラモを上の兄に強制供出させられて爆竹の餌食にされたわw
特攻とか言ってな。
それにしても随分盛り上がるなぁ、このスレ。やっぱり遊びってのはある程度「不自由」な方が介入する余地あってよいな。今の子どもは不自由ないが、逆にかわいそうだわ。 学校における娯楽
あれも不自由な中でいろいろ楽しみを見つけ出していたけど、思い出せるのは
図書室のはだしのゲンとVOXYによるスーパーカーレースと教室のTVで特別に見せてくれる日本シリーズだった。
日本シリーズ何でデーゲームじゃなくなったんだろうな。2021年は1ヶ月遅れでシーズンが進行したので1年くらい昼やってくれても良かった。 >>579
ラジコン飛行機はホバリングできないので広大な私有地でもないと楽しめないぞ 駄菓子屋さんやプラモデル屋さんやおもちゃ屋さんには上に飾ってあるというよりも
超巨大なプラモデルが
箱ごと飾ってあるという感じだったかな >>581
不自由といっても、俺たちゃ教室にTVがあっただけまだ幸福な年代
先生が別の仕事とかで席を外している間、点けっぱなしにしてくれていたテレビの視聴は
大好きな時間だった
大抵は、たんけんぼくの町とか、さわやか三組とかのNHK教育TVの(理科系の番組が一番多かった)、
所謂、お勉強番組だったけど
それらの視聴タイムは何物にも代えがたい貴重な良い想い出になってる
30年以上経ったおっさんの今でも、細部までよーく覚えてるもんな
ここの住人も世代が被る上にノスタル好きだから購読してる人いそうだけど、
クレタパブリッシングの「昭和50年男」という雑誌を読んで、そこの編集長は
姉妹紙であり前身でもある「昭和40年男」の編集長もやっているんだが、
40年男と50年男の編集をして、双方の一番の文化や感性の違いを感じたのは、
教室にテレビがあって学校の授業にテレビを(ビデオデッキ含む)よく使ったかどうかと、
子供のころにファミコン体験があるかどうか、だそうだ
>>549の書き込みとかちょっと驚いた、てっきり、このスレって昭和50年前後男がメインだと思ってたけど、
こんな上のお兄さんまでいたんだと ここの人で昭和40年代前半は多いと思う
リアルタイムで機動戦士ガンダムを見て映画館にも通った年代 その年代の人から言わすとガンダムはだいたい中学生をあがったくらいだろうね
自分は小学生の中学年ぐらいだったのでガンダムの内容はちょっと中に入り込めなかったかな
ただのロボットアニメみたいな >>582
なるほど。昔は河川敷とかでラジコン飛行機やってる人をよく見かけたもんだけど今はそれも難しいんだね。 >>584
懐かしい。
歌が「口笛ふいて〜」のやつと「あいつを初めて知ったとき〜」ってやつの2つとも授業中に見てた。
まつ毛がすごくぱっちりしてる主人公を覚えてる。 >>588
街中で飛ばすと今では航空法だかに抵触するから迂闊に飛ばせないのはドローンも一緒だけどね 駄菓子屋でおかし食いながらアーケードゲーム
家に帰ったらファミコン
たまにチャリンコで駅前のゲーセン行ったりしてた >>584
社会科系の番組でナレーションの声「ビックリマンのヤマト王子だ」「本当だ」となったのは覚えてる
でこでこでこりーん、ピコピコポン、歌ってゴー、ワンツードン、働くおじさん
何もかもみな懐かしい
ぼくのまちのチョーさんは声優で今でも第一線
あと「いってみようやってみよう」と言うタイトルを今見るとちょっとムラムラします そう言えば何年か前に昔の教育の番組を題材にした特番があった
子役の寺田心が主役だったかな
あの「できるかなじゃねえよやるんだよ」のネタまで出た 小学生の頃、アーケードゲームは一切できなかった。
当時のゲーセンは、ヤンキーがタバコ吸ったり酒飲んだりする所だった。
昼間から酒飲んでるおっさんも出入りしてたかな。
小学生が入れる所ではないし、興味を持ってのぞき込むと店員に追い返された。
その10年後くらいには、対戦格闘ゲームで腕を磨き合う人達とか、
全国一位を目指すスコアラーみたいなゲーマーが集まる所になっていて、
逆にヤンキーが来る場所でなくなっていたのが面白い。 >>591
友人の数、顔の広さ=ゲームが借りれるゲームがやれる
幼少期はそういう基準だったからなあ…
YouTube で懐かしの CM 見てたら
縦笛みたいなキャンディ
流れててすごく懐かしく思えた
ポップキャンディだったっけ ドラえもんにラジコン連合艦隊やカクミサイルみたいな軍事ネタが出てくるの、旧日本軍を描いたマンガが好きな子供が多かったからなんだろうな
学校の図書室にあった旧軍モノの本を読まなかったら、軍艦や零戦に興味を持たなかったと思う 続きスプレーみたいなのの大和の先っちょがアンナニ上手く描けなくて
のび太以下だと絶望した小一 昼休みは鉛筆で紙に線を飛ばして攻撃するゲーム?をやってた
こち亀でも似たようなの見た気がしないでもない
あとチェーリングやってたお手玉の点数方式のやつ >>598
やったなぁ鉛筆をシュッって倒して相手の陣地まで攻撃するやつ
それで思い出したけど硬貨に紙を乗せて上から擦って写しとるのが自分の中で流行ってたなぁw
なんであんな事に夢中になってたのかサッパリだけど >>591
それに追加して屋上のゲームコーナーにも行ってたわ
八百屋や文房具屋にもゲームがあれば足運んでた 藤子先生の最高傑作は少年時代だと思う。
人間の本質は時代を問わずあんなもの。 湊川周辺の学校行ってたから、帰りにゲーセン寄っていたな。何件かあったけど、ほとんど潰れてしまって今残ってるのがとなりの人間国宝さんにも出た(らしい)神戸トロフィーだけになってしまった。そこももうアケゲー扱ってないけど。
ミナイチの地下にあった漬物くさいゲーセン、ダイエーの2階にあったプレイコーナーお世話になったな。ミナイチのゲーセンのおっちゃん元気かな。 >>599
俺もやってた
俺の場合は迷路を壁に接触しないように
シュッてやりながら進む感じの遊び >>601
少年時代やまんが道等、人間ドラマ系の原作はAの方なのも凄い
AとF、どちらも本当にタイプの違う天才同士だったんだな
手塚がコンビ解散時に「お二人が描く漫画の幅広さには僕一人では
絶対に勝てなかった、これでようやく一対一で勝負が出来る」と愚痴混じりに言ったのも分かる
このジェラシーの塊の神様はすぐ勝った負けたで判断したがるからw
>>586-587
大人になってからネットや雑誌のバックナンバーその他で80年代の情報を知るにつれて、
本当に楽しい時代で、自分は生まれてくるのが遅かった(昭和51年生)と思わざるを得ないし
あなた方の年代が実に羨ましい
やっぱり当時小学生では時代を深く満喫出来たとは言い難い、ほとんど学校とご近所しか
世界を知らないわけだし、そこから一歩外に出れば、こんなに楽しい世界があったんだと
80年代カルチャーを知るにつれてそう思った
もっとも子供だったからこそ時代の辛さやダークサイドを知らずに呑気に生きられたのかもしれないが
でもテレビ一つとっても、あれも観ておけばよかった、これもリアタイで観たかった…っていう
ドラマやバラエティ番組が山ほど出てくる、まだ成人じゃなくてもせめて昭和45年生まれくらいの中高生だったなら… >>604
昭和50年生まれだけど結構楽しくなかったかい?
小学校低学年の頃まではみんなゲームウォッチやLSIゲーム夢中でやっててそこからのファミコン
大学の頃にはサターンプレステが出てきて、ゲームの進化の歴史的にはいちばん刺激のあった世代な気がしている >>584
給食の時間、転校生が「笑っていいとも見ないの?」と言ってた
前の学校では給食の時間笑っていいとも見せてくれてたらしい 子供の頃なんてみんな楽しいんじゃないかな大人よりかは
だってよく言うけど子供は遊ぶ天才と言って何もなくたって自分たちで
遊ぶこと探すじゃん
俺もよくよく考えると
幼少期によくわからない遊びとか
なんだったんだろうあれとか思う時があるw 隣の芝は青いでは無いけどよく見えるのかな
1969生まれだけどガキの頃は面白かったよ 母親の三面鏡でバスの運転手ごっこしてたの思い出したわ
次は〜何たら前〜とか良く乗ってた路線バスのバス停覚えてた >>605
頂点に達した日本経済の余慶か、子供文化の豊かさがピークに達した時代だったのは
事実だと思う、バブルに前後したあの時期が戦後最大じゃないかってくらい
ゲームやアニメ、ホビーは言うに及ばず、パオパオチャンネル(Youtuberにあらず)のような
”子供向けバラエティ番組”なんてものさえあったもんな
ただ、子供向けカルチャーの領域から一歩出て、子供だと世間の目及び年齢規制で
いまいち手を出しにくかったメディアをリアタイで味わってみたかったって事
大人の身で堂々と味わうというより、思春期の若者として、こっそり密やかにw >>605
そうだね〜
俺も同世代だけど、ゲームウォッチからLSIゲーム、ファミコン、スーファミ、64、GCと子供時代はゲーム機の発展と共に成長してきた気がするよ
いい時代に生まれたと思ってる どの時期に生まれるかなんて選べるわけじゃないし
どの世代が最高とか最高に不毛な議論だよ
冗談で語り合うくらいなら良いけど
真面目に下の奴らは可哀想とか言っている奴を見ると
頭が弱いのねとしか思わない 転勤によって探検発見ボクの街舞台になった諏訪で仕事することになるとは予想もできなかった
わし大阪出身だから当時はあんな寒いとこ大変そうだなーって見てたわw 時代が進むにつれて技術が進むにつれて
おもちゃが進化していく色々面白いものができていき
人間の面白みの上限を勝手に作ってしまったという感じかな
大昔の遊具が豊富じゃなかった時期なんか
逆に無限の楽しさがあったと言うか
悲しい現実と言うか。 >>612
普通に今の子供はかわいそうだろ
文明が進むにつれて時代の進化がどんどん遅くなるのは当然
時代の流れが早い昭和後期の子供は毎日が新鮮だった >>612
自分たちの年代が楽しかった=上や下の世代が自分たちの世代より
つまらなくて可哀想なんて事じゃないんだけどね
なんでそれをイコールだと思い込んでしまうのか、残念だがそれこそ頭が弱いとしか
他の優れた例を出されると、自分らが比較されて侮辱されていると
思い込んでしまうような被害妄想な性質なのか
それとも他の年代に何かコンプレックスでもあるのかな 僕(ら)が幸せだったと思う事はゲームの進化を共に歩めて来た事だと思う。 自分の知能の成長期が、一番遊んでて楽しかったと感じる時期なんだよね。
もし中高年者にとって今のゲームやおもちゃがつまらないとすれば、それは知的成長がほとんど終わってるからだ どの時代だからイイとか悪いとか無いよ
それぞれに良さはあるし他の世代ではそれはわからない >>618 >>619 それな!
昭和の時代を模したアトラクションとか今の世代には新鮮らしいし
それを身近で感じられただけでも当時の想いが蘇るのよね。 昨日ソープに行ったら学生さんにあたったけど、話が合わん。
ギリギリ30代の娘ならまだ合う部分もあるが、
世代間のギャップは埋められない。 自分より上の世代は
自分では絶対経験できなかったことを実際に体験したわけで
それ自体は聞いていて凄く価値を感じるけど
自分は自分でもっと技術が進んだ時代を生きたわけだから
上の世代ではあり得なかった体験もしているわけ
結局、そういうことの繰り返しなわけで
どっちが上とか本気で言っているなら
馬鹿らしいの一言だろ
時代によって色々違って
あれは良かったこれは遅れていたとか
その程度の議論が妥当でしょ まあ団塊ジュニアはネットでこんなミジメな主張をやらんでよかったコトを考えると
ヤッパリナウなヤングは不幸ダワナw まあその時代ごとの良し悪しがあるよ
今の技術は凄いけど
今の自分にはガキの頃の情熱が無い
今の作品を全力で遊び倒している今の子供たちが羨ましいと思う事もしばしば 好〜き〜よ〜 スプーンおばさん さあっさ一緒に踊りましょう〜♪
唐突に失礼するけど、スプーンおばさんの主題歌と劇場版マクロスの愛・おぼえていますかは同じ人が歌っているのね
最近初めて知ったよ >>627
飯島真理の愛・覚えていますかはベストテンとかに出るくらいヒットした。
映画は観なかったけど歌は今でも覚えてるくらい。
本人的には複雑な思いを持っていた時期もあるそうだけど。 飯島真理だね
ビクター時代は好きだったけど外人と結婚してからは聞かなくなったな でももし5年10年早く生まれてたら、今の年齢5とか10とか上なんだぜ・・・ なんか飯島真理としてでなく、リン・ミンメイとしてコンサート見に来てる客にイラッとしてたらしい >>630
それは真っ先に思った、でも、芸能人でもない限り
若いからって過剰に得をする時代でも無いしなあ…
ところで今日、米ドラマ「フルハウス」のダニー役のボブ・サゲットが亡くなったのを聞いて大ショックやった
自分は日本だけでなくアメリカの80年代カルチャーも愛してたんだなって気が付いた
とはいえ日本での放送は90年代だったから、実の所90年代のドラマというイメージの方が強いんだけどw 昭和末期頃の本で、FM-7(違ったかも)でワイヤーフレーム表示をする3Dプログラムの解説があった。
ワイヤーフレームより高度なポリゴンについても触れていて、
リアルタイムで動かすのはスーパーコンピュータくらいの演算速度が必要なので、
遠い未来のマイコンでなければ不可能だと書いてあった。
俺達は今、昭和の人達が夢見た、遠い未来を生きているのだろうか? ファーストガンダムにはハマったけど
類似ロボットアニメには興味なかったんで、マクロスやイデオンとか全く見てない
そのガンダムもゼータ以降は嫌いになったので、しばらく見てなかったが、なぜかダブルオーにはハマって全話見たよw >>631
だからロサンゼルスに逃げたのか
まあ、逃げたというのは語弊で、向こうの人と結婚しただけだが
切れて逃げたとか言われてたこともあるなw
当時は人気爆発だったから勘違いも多かったのだろう >>633
高橋名人VS毛利名人の映画と同時上映したアニメ映画
「RUNNING BOY スター・ソルジャーの秘密」に出て来たバーチャルシミュレーションマシン?
既に今の技術なら可能だと思わせる
もっとも、もっとはるか以前、セガのR360が1990年に登場した時点で、
未来に辿り着いた、90年代は未来世界だ!と思ったもんだけどw
90年代に入ったら、ゲームセンターあらしに出て来た非常識なマシンも今の技術なら可能だと
ファミ通やファンロードとかで言われていたのも(冷静に考えるとそれも怪しいもんだが)、そういう感覚を後押ししてたというか
でも1990年なんて、例の映画からまだたった4年後だったから、未来早っ!って感覚だったなw
R-360の画面も今観るとリアルっぽさは全然なくて、如何にもドット絵ゲーだなって感じだけど(そこがいいんだが)
今でも1990年という時代とゲームを思い起こすと、ほんの数年前の80年代とはまるで違う
未来先取り感で胸熱にはなる、まさに”古き良き未来” >>627 スプーンおばさんと言えばアーケードのボンジャックのBGMだな、エンディング曲だけど >>627
わくわく動物ランドのエンディングも歌ってたよ NHKのマクロス特番で愛おぼ歌ったけど声がおばちゃんになっていた
あれでも近年歌った中では大分マシだったらしい
ほとんど劣化が見られない森口は凄いんだなと思った >>639
森口は歌で今まで結婚もせず食ってきたからな >>631
歌だけじゃなく声優もやってたからそういうファンがいてもおかしくない。
アイドル声優の草分け的存在。 >>640
松本伊代と早見優とのトリオでのライブ映像面白かった。
松本伊代が往年の持ち歌を歌う時に「歌ってる私が一番はずかしい」って言ったのには爆笑した。 飯島真理は元々洋楽厨みたいな感じでラジオにアニソンばかりリクエストしてくるリスナーに洋楽聞けやって苦言を呈していた気がするよ
海外レコーディングとかしてやっぱり海外がいいって感じだったんだろうな >>514
押し入れにしまってたら一部がネズミにかじられてた…。 うちは飼ってたセキセイインコに派手にやられたなあ
悪気無い顔しやがってしかることもできない >>645
一瞬、恐ろしい光景を想像してしまったが勘違いでよかった… これまで買って来たおもちゃやゲーム、いつの間にかほとんど手元からなくなってる。
捨てた記憶もないんだけど何度も引っ越ししてきたからそういう時に捨てちゃったんだろうな。 >>636
コブラの最初のエピソードに出て来た望み通りの夢を見させる機械も近い将来実現するだろうな。 1995年くらいまでは古本屋で週刊化前の昭和60年代のファミ通とか
100円で売ってたりしていて、金にちょい余裕があればちょくちょく買ってたりしてたけど、
今思うとあれは宝の山だったな
初期のファミ通とか今だと一冊、1000円以上するのもザラだし、そもそも、まんだらけクラスの
大型の古本屋じゃないと置いてない、あとは国会図書館でも行ってバックナンバーを漁るしかない
若かった時分はそんな古雑誌が手元に必要だとは思わなかったから、
安く買うたびに片っ端からちり紙交換に出しちゃったものだが
まさか平成が終わった頃に、懐かしさからまた欲しくなるとは若い頃は想像もせんかった 小学校の頃に廃品回収で回収されたジャンプを
ひも解いてみてたのが一番
ワクワクドキドキして見てた時期かな
確か北斗の拳が初期の初期の
ダイヤスペードハートとかその時期だったと思う。 >>649
あれが出来ると多くの人間があのマシンの仮想現実に逃げ込んで
社会が崩壊しそうで怖くもある
非リアはもちろん、ある程度、現実でも満たされている人間だって
さらなる完璧さと刺激を求めて逃げ込みそう
同時になろう系の創作物が存在意義を無くし絶滅するかもな 当方雪国の住人なので冬休みが1月15日まであった。その代わり夏休みが8月24日前後までだった。
1月15日は当時成人の日だったので、
成人の日がすなわち冬休み最後の日、24時間TVをやる日がすなわち夏休み最後の日という季節の区切りがあった。 ファミコンのディスクシステム買ってもらったのが嬉しくて
毎回使ったあとは箱にしまってた
なので箱の匂いをよく覚えてるんだけど
電器屋でパナソニックの冷蔵庫の野菜室を
開けたときに同じ匂いがした 春の中間休み
秋の中間休み
寒中休み
という半端な休みがある代わり夏休みが短かったよ >>656
はっはっは
長野だから同じなんだと返しておこう >>655
俺なんか小4のころ夏休みが8/28くらいで終わってた(昭和58年頃)から漫画なんかで8/31までとか書いてあったらなんかムカついたw
中学の時もそんな感じ。
高校なんか進学校扱いだからお盆明けから全員強制補習とかで事実上夏休みなんて1か月もなかった。 忍者戦士飛影の夏休み再放送が8/31か9月頭まであって
ラストの辺りだけ見られなかったなあ >>651
ハートとの対決とかほんとに面白かったな。
シン倒してエンドだと思ってた人は当時多かった。
まさか三部までやるとは思わなかった。 >>652
エロ系の夢見マシンが出来たら俺は多分すぐ廃人になっちゃうと思うw >>660
当時まだ自分には早すぎた劇画調タッチのイラストに
すごい胸が高鳴った記憶がある。
まだ小学校低学年ぐらいかな
大人の扉を開いたそんな感じだった >>587
自分は初めて観に行った映画がめぐりあい宇宙だったなあ、確か小一くらい
つってもはまってたのは親父で、ある日ウチ帰ったら壁にラストシューティングのポスターが貼ってあってなんじゃこれと思った記憶が
結局親父が自分をダシに映画観たかったらしいと後で聞いた オイラも50年生まれだ。
昭和50年男、創刊号がめちゃ面白くて、今も全巻買ってる。
パソコン、テレビゲーム、漫画、アニメ、ガンダム、ラジコン、ミニ四駆、ビックリマン、ディズニーランド、ジャンプ黄金期、いい時代だったと思っている。 スターファイターというSF映画(昭和59年)を知ってる?
ゲーマーが宇宙人から砲手としてスカウトされ、ガンシューティングで鍛えた腕で悪役と戦う話。
当時としては驚異的なレベルのCGで、あんな凄いゲームなんてあるわけないと思った。
それから約20年後、そのゲームの模倣作を作り、フリーゲームとして公開する猛者が現れた
確かに僕らは未来を生きてる 大学生だった時(99年頃)に、古本市場の100円コーナーにバックアップ活用テクニックのバックナンバーが
大量にあったからまとめ買いしたなぁ
実家のベッドの下にあるはずだが、全巻デジタル書籍で販売してるらしいし価値があるかどうかはわからん >>665
その映画懐かしいな!
マコトちゃんの中でその映画のパロディがあって、街角に唐突にアーケードゲームの筐体が置いてあるところから始まって終始クソ面白い神回だったわ笑
トロンも凄かったよねー! なんかこの流れで当時評判だったウォーゲーム観に行ったことを思い出した。
子どもが軍の核運用のプログラムにハッキングするパニック映画。
当時の自分には内容が難解過ぎて楽しめなかった。
その頃人気だったジェニファーコネリー主演のフェノミナって映画もよくわからなかった。
ロードショーは大概二本立てでサブの映画の方がメインの映画より面白かったりすることもけっこうあった。 実際はバックアップ「悪用」テクニックだけどな。
まだ手元に20冊くらいあるけど価値あるんかいな。 映画と言えば、人生で初めて観た映画はドラえもんの劇場映画を除くと、
実写映画では、ベタで公開当時の「ET」だったな
でも小1だったので、正直よく内容が分からなかった
大人になってからDVDで観直すと、当時から子供向けSF映画の王道みたいな扱いだけど、
本当に小さい子には面白くないだろうなと思った、せめて年齢が二桁になってからじゃないと
6、7歳でも学校のクラスの中で、もっと賢い子なら面白いのかもしれないけど、
下から数えた方が早かった俺には(苦笑)3年から5年早かった
よくETとセットで語られるグレムリンの方がまだ面白さが理解出来た
同時期、バタリアンは怖いが面白いと思ったし、SFやファンタジーよりも、
ホラー志向だったのかも
バタリアンのあの腐れ外道なラストw、子供の時分には一瞬よく分からなくてポカンとなって、
一緒に観ていた親父に「これ、一体どうなったの?主人公は?」と、聞いたら
「ゾンビだけを倒すミサイルを軍が落として、ゾンビは全滅、主人公たちは大怪我じゃない?」と言っていたが、
子供心にも内心では「そんな都合のいいミサイルなんて絶対ねえよ!たぶん軍が面倒くさいから
主人公たちもろとも爆弾でバタリアンを皆殺しにしたんじゃないか?」って、それなりに主人公グループを
応援して観てたので、認めたくはないが心の奥底では、皆殺しオチを理解は出来ていた
大人になってその解釈がやはり正解だと知って、あの時の親父は、大人だから理解はしてたが、
そんな非人道的なオチを小さい子供に、はっきりと言いたくなかったか、アメリカに幻想のあった世代だから、
映画とはいえ、米軍(米政府)がそんな非道をしたと信じたくなかったのかな? >>658
俺の場合、高3の夏休みは前期課外と後期課外で潰れまくって結局1週間くらいしかなかった。
この頃になると土日は頻繁に模試があったり駿台模試とか代々木模試とか予備校主催の模試に遠征してたりしてたけど ちょい前にピクセルとレディープレイヤー1ってのがあったのう
ピクセルは翻訳家がジェネシス=海外メガドラってのを知らなくてセリフがおかしなことに ETはつまらなかったが、南極物語でボロ泣きしたわ
今までの映画で唯一泣いた映画だな
俺を泣かせる映画に出会うことはないだろう 80年代の角川映画の華やかさは尋常じゃなかった。
スターとして薬師丸ひろ子と原田知世にスポットを当てた角川のセンスはすごかったと思う。 >>598
その遊び懐かしい。
スーパーカー消しゴムをペンの尻で弾いて落としあいっこする遊びも流行った。
ボクシーだったか。
ものを弾いて遊ぶ為に作られたようなボタンがあるペン。 牛乳瓶の蓋の取り合いをしていた
2枚重ねて置いたフタを交互に指先一本で裏返して
先に2枚とも裏返した方が勝ちという
4年生くらいで給食の牛乳が瓶からパックに変わって完全に廃れた 昭和生まれだけど小学生で平成に突入してた
ファミコン→スーファミ→PS1の進化を
小中高で体験できてよかった 牛乳瓶の開け方難しかった
失敗すると上の紙一層だけめくれる
ワイルドなやつは親指でズボンってやってたけど ドン松五郎の犬がパソコンやってて好きだった。
昔は町中にあった映画のポスター掲示板などの食人族のポスターはトラウマになってて、出来るだけ避けて歩いてたな。
ETはセブンで配られてた下敷きみたいなカード集めてた。母は奇妙悪がってたな。 牛乳瓶か…。
うちの地域では日本酒のキャップが何故か流行っていた。
酒屋さんの空き瓶を取りに行ったら、店の人に怒られた。 捨てられたコーラとかの空き瓶拾い集めて酒屋で換金してもらう遊びが一時期流行ってた。
1本10円とか30円とか。 >>677
自分はインベーダーブームの洗礼を受けた後にパソゲーからファミコンの流れ。
友達の家のパソコンの緑色の画面のモニターにゲーセンみたいなゲームが映ってるのを見た時は腰を抜かした。 >>681
それ遊びかw
たしか一升瓶は5円でがっかりした、でかいのに >>683
友達と瓶を探してダラダラ練り歩くのが遊びみたいなもんだったw
一升瓶はでかいのに安くてコーラのリットル瓶が高かった。 自分は昭和49年だけど
まーまー恵まれてると思ってる
ただ上見る限りだとガンダムを楽しむんだったら
昭和45年ぐらいの生まれの人の方が良かったかもしれないね 駄菓子屋にインベーダーの水貼りタトゥシールが売ってたな
あとなんか封筒引き抜いて買うブロマイドみたいなのとか >>666
昔の書籍のデジタル版は結構白塗りとかカットがされていてバッ活とかアスキーもそんな感じだったと思う
広告とか版権とかコンプラ関係とか色々あるみたい タトゥーシールあったね。
ガチャガチャでも入手出来た。
野球帽にインベーダーバッジ付けてたな。
野球帽にバッジを山ほど付けるのが流行ってた。 今考えると君もヤクザみたいになれる!と
水使ったタトゥーみたいなやつ
今だと完全にアウトだねw あれは難しかったね
一番上だけめくれるのはよくやってた タイムスリップグリコの豆本は凄かったな
当時の広告も消さずに収録してた ガチャガチャも20円のやつはカプセルが小さいから
景品が入らず、代わりに野球のボールを半分にしたような形の
プラスチックのが入っててそれを景品と交換してもらう感じだった
なんで縫い目みたいなものまで入ってるのか謎だったな >>692
それは見たことないけど
交換型のは100円のが多かった気がした
20円のは小さいおもちゃが入ってるという印象だけど 映画ではなく原作の方のノーライフキングは口コミで攻略情報交換といった当時のゲームの世相を入れつつも、ネットワーク対応や別バージョンの存在などその後のゲームの流れを予感するような仕組みもあったような気がする >>693
改めてネットで調べたら
俺が言ってたのはコスモスの50円ガチャだったみたい。
そういえば20円ガチャは楕円形カプセルだったね 今考えると20円ガチャガチャなんて本当に信じられないよな…
今なんて最低ラインが100円で
200円300円のガチャガチャなんて
大量にあるからね ガチャ景品でウンコが飛び出す洋式トイレとかあったなww 昔のガチャガチャのオモチャはなかなか凝ってた
カンガルーのデフォルメのヤツとか腕の中に針金仕込んであってクネクネ動かせるのが20円だもの
それを言ったらグリコのオマケも相当凝ってたけど
スポロガムの方が良いのが入ってたかな ゲットしたガチャガチャの景品いつのまにかどこに行ったんだろうな?
コーラの瓶のキーホルダー集めてたけどあれはガチャだったのかコーラのおまけだったのか
最近ファミマで缶のストラップが景品に付いてたけど買う前に無くなってた 20円の怪獣ものなんかは
色も塗っていないし小さいし造形的にもたいしたことないし
あれは20円相当にしか思えんがな
むしろ2005年あたりの
200円なのに着色して出来も良かった時代の方が奇跡だよ
人件費や材料費が上がって
あっという間に不可能になってしまった クッキー缶の上で怪獣消しゴムでトントン相撲してたら
マグネットになってるレッドキング消しゴムとか出てきて笑った ケロッグのオマケも凝ったものが多くて楽しかった。
ケロッグのフレークの中にオマケが入ってるとか今じゃ許されないだろうな。 ガチャガチャでまこと虫消しゴムとかもあったな。
当時アニメ化してた訳でもないのにまことちゃんブームがあった。 ガチャガチャにゲームの海賊版のグッズが入ってたことがある
ゼビウスがヒウスビデオになっていたw
マグネットなんだけどあれは今考えてみるとヤバかったんだな
当時は類似品かと思ってた、あれこそがパクリなんだと改めて思った
ドンキーコングとかパックマンとかも海賊版が流行ったと聞いている よくよく考えると俺たちを楽しませために色々工夫してたんだな…
しかも今みたいな高額な金額取らないで
ゴムでぴょんって飛ばす飛行機
プロペラがあるやつとないやつがあったねw
あれも50円ぐらいだっけ
楽しかったなー〜 海賊版と言えば何を差し置いてもロッチ
芸人のロッチの二人が、このパチモンビックリマン事件を知らずに
あくまで球団のロッテ(マリーンズ)由来で、偶然この名前を付けたというのが正直信じがたい
中岡とコカドは77年と78年生まれだから、ほぼロッチ事件のど真ん中世代のはず
もっとも上の世代の芸人、ダウンタウンくらいの年代になるとガチでまったく知らないだろうし
少し上のサンドウィッチマン、バナナマン、それに少し下のジャルジャルとかコロチキも
知らないだろうな なんか混ぜてスーパーボール作るやつとか
投げたら貼り付くタコとか
色んなもんがあったな
ひっくり返して机の上においたら戻ったときの反発で飛び上がる
半円の樹脂ゴムのやつを額に貼り付けて遊んでたやつが
次の日額にうっ血した無数のアザ作ってたのを思い出す ものすごい幼少期に
ものすごい爆竹とか火薬とか平気で取り扱ってたなw 地元のおもちゃ屋にバケツ一杯のスライムがあって
行くたびに手をつっこんでた、なつかしい >>709
その海賊版を作ってたのが本家のシールプリント業者らしいね
だからヤマザキナビスコ時代のリッツに対するヤマザキルヴァンプライムみたいなものw >>711
間違って持ってる時に破裂させて火傷したりねw
親に怒られると思って火傷は内緒にしてた。 >>706
近所のゲーセンにあったのはパチモンのクレイジーコングだったからマリオがジャンプする時に「ホヨッ!」って叫ぶのが当たり前だと思ってた。 ガキの頃だと本物と偽物の判別付かないよな
出回りの多かったジグザグもオリジナルだと思ってたし >>710
投げたら張り付くタコあった!!
ベタベタのゴムみたいなのでやつよね
おもちゃ箱に入れてて取り出したらゴミがめっちゃついてて
取れなくて捨てた2chMate 0.8.10.138/Sony/SO-04J/9/DR 雪印 宝石箱
クロキュラー
ドンパッチ
ロッテ クイッククエンチガム
肝油ドロップ >>713
やっぱり本家の人間が関わっていたから、あんなにクオリティ高かったのか
一枚20円だか30円だかで駄菓子屋で売っていた
ロッチと違い、最初からパチモン感を一切隠す気なかった、
ドッキリマンシールやオドロキマンシールは印刷クオリティ恐ろしく低かったもんな
これらも今なってはプレミア付いちゃったんだから凄い話だ
ドッキリマンとオドロキマンまでは、こっちもシャレと割り切って、笑って集めてやったんだが、
ある日、駄菓子屋でジャッキリマンシールというものが発売されていて、
さすがに「子供だからって舐めんじゃねえ」って怒りが湧いてきてw
そこからはさすがにパチモンに付き合うのもやめる事にした
パチモンの不可解で不透明な世界も、ドッキリマンやオドロキマンまでは今、ネットでは
ある程度、全貌が解明されてきているが、ジャッキリマンは検索にヒットすらしない
よほど短期間で数も出なかったんだろうな
俺のように世の多くの子供たちが、バカにすんなと、いい加減、切れたのかもしれんw ファミコン買ってもらえなかったから、ファミコンソフトの外箱デザインのマグネットのやつやガチャガチャで外箱の中にカートリッジ風の消しゴムが入ったやつ集めて自分を慰めてたな(´・ω・`) >>716
ガキの頃なんて言う本物も偽物もくそもない
なんか所持できればいいっていうそんな感じだったね そんなわけない。子供を舐めすぎ
ロッチもってるやつなんて笑えるか騙されて情けない認識しかなかった >>694
宝島で絶賛されてたからノーライフキング背伸びして読んだけど正直難解でよくわかんなかった。
いとうせいこうは一時期深夜番組の司会してたね。
深夜のバラエティー番組をきっちり盛り上げる能力は相当なものがあった。 >>726
ノーライフキングは映画版を観たんだが、正直わけが分からなかった
これでこの監督は、わざと難解ぶった事をやる、芸術家気取り野郎だと思うようになったがw、
原作からして難解なものだったのか
平成元年で、ゲーム題材でメタ怪談ものって新しいと思ったが、シナリオが
あまりに前衛的すぎた、最先端だからこそ、もっとベタなホラーにしてほしかったというか
でもこれを撮った市川準は、デビュー作のBU・SUも、難解な感じだったし
藤子A原作のまんが道は前向きな青春ものなのに、同じトキワ荘ものでも
彼が撮った「トキワ荘の青春」は、やけに青春の苦悩ぶりっ子な暗くて陰鬱な映画で、
芸術家気取り監督のイメージは10数年前に若くして亡くなるまでいまいち消えなかったな >>724
ツルハシある方はギャラクシアンの基板の改造なんだっけか。 ガチャガチャは20円という金銭感覚が今もって拭えない
200円も300円も突っ込むなんて信じられない 20円ガチャの折れ曲がったラーメンマンが自力で立てるまで回復した時の喜び。
忘れ得ぬ。 20円ガチャで覚えてるのはこれくらいかなー
・スーパーカー消しゴム
・直径3cm程度の弾むボール
・ファミコンソフトを模した箱に入った柄なし直方体消しゴム わしはロッチで満足してた
元々関心薄くて集めてもいなかったからこれで十分って感じで
しかし芸人のロッチがロッチを知らないってのは信じられんなあ
芸人のザブングルが両方ともロボのザブングル知らんってのも
わし78年生だけどどっちも子供の頃から知ってるし >>726
平成4年ではあるがNHKのクイズ番組マルコポーロ(真裏がSHOWbyショーバイなので当然短命)で加賀美アナのアシスタントをしてたこともある。
NHKの番組なので滅茶苦茶口が悪くてこぶ平の珍回答に知らねーよバカかコイツと罵倒したこともw >>731
その手の歪んだキン消しを直すには、熱湯で何時間もグツグツ煮ればいいとう情報が
クラスで流れていて、確かに家のヤカンでやってみた記憶があるんだが、
結果的に成功したかどうかは覚えてないw
親に見つかって怒られた気もするがいまいち覚えてない
>>733
ロッチに関しては、友達同士でシール交換をする時に
ロッチシールを出して本物と交換しようと企む悪ガキが続出したもんだが、
「チ」の上の横棒と下の横棒の間を削り「テ」に見せかけて、本物にみせかけるという、
日本全国のガキんちょの間で流行っていた?有名なテクがあったが、
所詮は技術も知識も無い昭和の小学生、完璧に「テ」に偽装出来る器用さを持った奴は
殆どいなかったので、シール交換をする時、大抵は子供同士で偽物だと見抜かれていたな
現代なら削る以外の手段も含めて、完璧に偽装出来る「ロッチ職人」がゾロゾロ出てきそうだ >>721
そういやツルハシあったね。言われて思い出した。
あのゲーム、画面の配色が変だったでしょ?
主人公が死ぬときのアニメーションも変に速かったような気がする。
だから見た目がいかにも紛い物って感じがしたw
本物ディグダグは死ぬほど好きだったよ。驚異的なおもしろさだと思った 男色ディーノが
男爵ディーノから取ったのかと聞かれて
偶然だということにさせてくださいと言っていたから
本人から言ってしまうのは色々と面倒なのだろう 2面のコングがまるでハリボテみたいな偽のドンキーコングもあった。
はしっこでジャンプするとワープ出来るのも偽物のやつらしい。 近所のドライブインでディグダグプレイしてたら隣に人の気配がする
気にはなりつつも16面でゲームオーバー
「キミ上手いね」
たぶんJDくらいの女性2人に言われた
ゲーム上手いと言われてもピンとこなかったなあの頃は
ただただ楽しかったんだよ ゲームウォッチとかファミコンとか出てきた時代って、当時は子供だったから気にならなかったけど、大人なのにそういったもの買いたかったら恥ずかしくてもオモチャ屋とかで買うしか無かったのかな?
それとも秋葉原とかなら、テレビゲーム専門店なんて影も形もない黎明期でも、玩具店流通のテレビゲーム機や電子ゲームを売ってる
お店とかあったんやろか?
同じタイトルのゲームでもゲームセンターで稼働していたら子供には敷居が高いし、
逆にテレビゲームソフトとして売られていたら大人は自分用でオモチャ屋に買いに行くのは行きにくかっただろうし、電器店流通のパソコンなら普通に買えたけど、玩具店流通のゲームパソコンだと買いにくかっただろう混沌の黎明期。 ゲームウォッチの元々のコンセプトはサラリーマンのひまつぶしだし
CMはサラリーマンとか大学生とかが遊んでるシーンが多かったから大人の購買層も想定してたんじゃないかな。 よくよく考えると任天堂のゲームウォッチのデザインって電卓にちょっと似てるんだよな テレビゲームはチープな程
面白くネタにもなりやすい 電卓といえば、数年前にカシオのゲーム電卓が復刻してたけど
どうせ何種類も出さないんだし、ゲームを複数入れて欲しかった >>749
横井軍平が新幹線に乗ったとき、電卓で遊んでいるサラリーマンを見てゲームウォッチを発案した
そのため大人でも遊べる、Yシャツのポケットに入るシルバーを基調とするデザインとした
携帯ゲーレトロ板に「電卓で遊んでたやつちょっと来い」というスレがあってそのような話をしている >>743だったごめん
>>747で言っている電卓というのは四則演算用のフツーのやつね ブリキのロボットとかウルトラマンのソフビ人形とかのレトロもののおもちゃの専門店が近所にある。
レア度に応じてきっちり価格の相場が決まってるのが面白い。 デジタル腕時計のストップウォッチ機能使って秒以下の数字をゾロ目に揃える遊びとかもよくやってたな。 >>737
でも気志團の綾小路翔は、バンド名の由来を
本気って漫画に出てくる「気志団」から取りました
あれを旧字にしただけって認めていたな
流石にキャラ的に誤魔化すのはあかんだろって判断かな >>738
ハロボテっていうか
紙みたいな感じのやつよな?
友達がパリパリゴリラって呼んでた なぜか地元では駅前の文房具屋にカセットビジョンや
アタリのインテレビジョンが売られてたよ
他に学研のゲーム機も売ってたかな 電卓で遊ぶってどういうこと?
1+1=3ウヒヒヒみたいな感じ? 85年頃だったと思うけど、朝の登校前に朝刊のテレビ欄に
「対決!ソロバン名人vs電卓名人」という番組名or番組内容を見つけて、
どっちが勝つか小学生にとっては凄く気になったのでw、絶対観ようと思ったのに
理由は忘れたが、つい見損ねちゃった。当時ビデオデッキはうちはまだ購入しておらず録画も出来なかった
40年近く経った今でも気になるのは、どっちが勝ったのか勝敗もさる事ながら、
ソロバン名人は、玉を弾くスピードが半端ないんだろうなとか、
なんとなく分かるんだが、「電卓名人」なるものが存在した事が驚きで、
今で言うブラインドタッチで、両指使って高速で電卓を叩いたのかねえ?
その興味も含めて観ておけばよかった
でもそんな名人相手に、如何にソロバンの名人でも勝ち目なんて1分たりともあるのか気になる
名人同士じゃソロバンに勝ち目があるとはとても…
ただの「電卓素人」の自分じゃ、まずソロバン名人に負けるだろうけどw 事務のお姉さま方は電卓打つの超早えぞw
それで飯食ってる的な連中はプロじゃなくても速い 勝浦港から四国に行く船の中にゲーセンがあって
パックランドばっかやってたわ
親父はASOやってた
家に帰ってファミコン移植版をやったが
どっちもグラと音がショボくてがっかり
でもそれなりに楽しめたかな 電卓と言えば、1++=で=を連打してシュウォッチみたいなことが出来た
ボタンからちゃんと指が離れないとノーカンなので機種によっては不利に >>570
お、、大口通!!?マジか!?サンクス
俺の最寄の駅の隣の駅のすぐ近くだよw
その名の通り、大口通はJR横浜線の大口駅がある住所でもある
家からもごく近いのでむろん何度も通った事もある
でも、あんなボロ家を見た覚えは全然無いw
周囲のわりと高級な感じの住宅街も、あんな場所あったかなっって感じ
町内のほとんどが郊外の駅前の普通の中流住宅街って感じ
あと横浜有数の商店街、大口商店街があって、ドラマのロケでも良く使われる
(ロケ、大口商店街、で検索するとヒットしまくる)
確かに大口は横浜市内では北部なのでわりと東京に近くはある、
でも横浜の人間にとっては横浜や新横浜の間にある(どっちも二駅)って印象の方が強いと思う
芸人だとインパルス堤下の地元でもあるし、実家はあそこのすぐ近くだと思う
堤下なら間違いなくあそこを知ってると思う
ちなみに出川てっちゃんや香取慎吾の地元にもわりと近い >>756
ソロバンも3段くらい持っている人なら6桁の加減乗除算の読み上げを暗算でやるぞ
俺は商業高校だったので目の当たりしたがあれは化け物だ 自分も商業高校行ってたから分かる
因みに珠算検定の時、頭の中で「ああっ、女神様っ」の主題歌が自動再生されてそれが邪魔で検定落ちた(笑)
珠算は手じゃなくて脳内で出来る様になれば、一生モノの価値がある検定と思う 数学どころか算数も計算もダメだわ。
自分で計算すると間違うから必ず電卓使う。 そろばんかぁ
自己啓発でやるのもいいかなと思って、漢検準1級取った後に100均でのそろばんと
入門書を買ってきたけど、1から10までの足し算やったくらいで終わってるな・・・
今月FP2級取った後は英語か無線か危険物かそろばん何をやるべきか悩む >>766
懐かしい。
こんな状態の瓶もかまわず酒屋に持ってってたw スーファミ版旧約女神転生初プレイ中。ファミコン版の移植。世界観が素晴らしい。 80年代の頃はそろばん、はやったね
うちのアネキも自分の友達もみんな通ってたので通おうかと思ったけど
最終的に通わなかった。
小学校の頃は野球やってたからなあ〜 そろばんは小5のころ始めたけど6級くらいでやめちまった。
あと、消防のころ、一部の地区の女子はみんなで書道習っててみんな字がうまかった。
でも、そういう連中の一部は普段は崩し字を使ってたから書道の価値が…。
ちなみに俺は左利きだから書道が最も苦手の部類だった。
そろばんは左手で(そろばん計算結果の数字を)書き右手でそろばん玉をはじく、ってやってたが。 そろばんで級が上がることに
そろばんのふちの方にシール貼ってくんだよな
うちの姉貴もそうだったけど
なんか妙にそれがかっこよかった ひっくり返してミニカーみたいに遊んでたら怒られたな、そろばん🧮 そろばんってけっきょく役にたってるのかようわからんな
まあ大人になっても簡単な暗算もできない他人みてて
少しはよかったのかなと思ったり 公文式とそろばん塾
とっちを習おうか迷って公文式にした 俺はそろばんが出来ないので暗算はずっと脳内で数字をそのまま足し引きしてきたが
歳とともにこれがめっきり出来なくなってしまった
脳内でそろばん珠をパチパチ出来る人は何歳になっても関係なさそうで羨ましい 旧約メガテンはなあ1も2もマップとかファミコン版とちょっと違うところがあんねやわ
でもオリジナルではクリア断念した1が真メガテン風に改良されたおかげでさっくりクリアできた点はよかった >>779
お前はそこから話を広げてあげることができないのか! 公文式はそういえば当時将棋界最高峰の羽生さんがCMしてた気がする
今は藤井4冠がCMしてたりするのだろうか? そろばんというか暗算がめっちゃ人生で役に立ったよな
普通の民家の塾だったんだけど、勉強終わった後に当時出たばかりのスーパーマリオをやらせてもらってた
通いが多くて、そろばん以上に色んな年代性別の子と遊ぶのが楽しかった うちの姉貴も
よく家族で外出した時に計算を姉貴に任されてたな
手でそろばん作って何か弾いてた
ああいうの見るとちょっと羨ましかった >>780
俺ならできる!
しかし俺の場合、余計なウンチクも兼ねて長文になるからみんなドン引きしてレスくれない( ;∀;) >>785
身の程を知ると言うのはとても大事な事であるな >>785
オタクと呼ばれる人種は自分のテリトリーに入ってきたことを確認すると、相手の話も聞かずに延々と講釈垂れるですよねー そういう講釈系オタクにアレルギー起こして異様に叩きまくる人間も
本当は話題によっては自分もそういう事をやりたくなる資質があって
自分の恥ずかしい一面を見せられてる気分になり、近親憎悪起こしてると睨んでいるが
オタクに興味示して分析したがる奴の99%もまたオタクだし >>781
羽生さんは公文式出身じゃなかったかな。 公文の簡単な問題をひたすら反復するって方法論は理に適ってると思った。 >>778
2はダンジョン意外と単純な構造だから攻略本なくてもマッピングでナントカなったけど、1は無駄にだだっ広いダンジョンが多く、しかも何にもないのもあるから攻略本ないと途中で飽きるわな。 ガキの頃に公文の算数の教材を見た記憶があるが
あれをやるならそろばんを習った方が良いと思う まあ話広げるなら
スーパーファミコンの女神転生のリメイクは自分はちょっとあれだったかな…
なぜかというとファミコンの1と2がかなり神がかってたからか
特に2なんて画面の質感や BGM が神がかってたからね >>792
その点ガラケーアプリ版はオートマッピングで快適だった。
ただガラケー版メガテン2はムド系呪文がチート級に強力でバランスが悪かった。 >>795
スレ違いだがガラケーで出た女神転生ifハザマ編は一部のキャリアでハザマが呪文を覚えない仕様になってた
バランス調整の結果にしては大規模な改悪だと思う 女神転生2のストーリー展開は凄かった。
ネタバレになるから書かないけど、今でも興奮するね。 >>796
何故君は人を莫迦にしてるのか?
しかも知ったかぶりでの発言はどうなの?
このスレ民はいい大人層なんだからマッタリいこうぜ 実家にマクドナルドのけん玉があったけど
あれって当時販売してたんだっけ? >>784
それそろばんは見えないから、指の動きを数値の増減と関連付けて記憶してるのかな? 計算の反復練習は、確かに役に立ったよ公文式
自分は応用問題が苦手で詰まってたら、公文式の先生が「応用はいいから先に進みなさい」と言ってスルーさせられた。そのせいか、今でも応用系がダメですw そろばんできる友達いたけど
暗算するときいつもエアそろばんの動きしてた 熟練すればエア電卓出来る人もいるのかな?
それならスゲーな、頭の中にICだかLSIだかのチップが仕込まれてるようなもんじゃん
まあ凡人でも、1+1=と頭に浮かべれば、瞬時に2と変換されるだろうから
人間の頭にはそのくらいの資質は誰でも持ってるのかもしれないけど
それを一桁の計算ならともかく、ガチで何桁、十何桁でやれる人もいるといううなら、
人間の能力って果てしなさ過ぎる ガラケーでリリースされた復刻レトロゲームって一切やらなかったな、今は後悔している
自分はいくつものゲームを何本も同時進行させて遊ぶのが好きで、1つクリアするのに数ヶ月〜1年以上かかるので
ガラケーだとゲーム毎に月額がごっそり取られるのがくだらなくて
ガラケー用神宮寺三郎がDSに移植されたりしたが、そういう形でしかやらなかった ガラケーアプリ全盛期の頃は毎月の新作が楽しみだった。
ドラクエ1、2、ブラックオニキス、天涯魔境ジライヤ、ネクロマンサーとか自分はガラケーが初プレイだった。
ナムコのレトロゲーサイトは最近まで登録してた。
とうとう閉鎖されたけどダウンロードしといたやつは認証不要で今でも遊べる。 >>798
これと真女神転生が俺の中での女神転生シリーズの全て。真女神転生2はやらんかった。退廃的な、つまりデビルマン的世界としては女神転生2、それのアッパーバージョンが真女神転生で、真女神転生2はあまりそれの後日談みたいでインパクトなかった。 当時、処分ワゴン売りでクインティ買ってみたけど正直にいえば
昔にナムコが戻ってきたような面白さとかは感じなかった。
ファミ通とヒッポン辺りはかなり推してたんだけど。 昭和のアニメ雑誌とか文通しませんか?みたいなコーナーがあって普通に文通希望のハガキに住所氏名まで書いてあって中学生の女性だったりもしてたんだが、いま思うとすごい時代だな >>811
ティンクルピットやロンパーズも同じで、もうああいうゲームのスタイル自体が新鮮味をもたなくなってたね 売ります買いますも住所出てたしな
今ではあり得ないが、当時はそれが普通だったな アニメじゃなくアイドル関係の雑誌で何度かやりとりしたわ
顔も知らない相手に何書いたんだろうか・・内容は全く覚えてない >>809
ナムコのはサビ終で認証不要になったのかな
ドラスレIV残しておけばよかった >>813
新鮮味を持たなくなったのに見城はティンクルピットやらディグダグアレンジメントやらを作ったり、タイトーは今更のようにバブルシンフォニーとかバブルメモリーズとかを作ったりしてたな >>812
イラスト交換とかオフ会とかサークル作ってコミケ参加とかしてたけど女子ばっかりだった >>809
いいなあ
天外魔境ZIRIAプレミアムエディションは再び世に出してほしいわ・・・ >>811
クインティってよく知らなかったけど、
平成元年当時にしては女の子のイラストに力入れてるね
ストーリーも重度のブラコン妹が、嫉妬に狂って兄の恋人を誘拐するとか
今の漫画やラノベなら普通にありそうだけど、平成元年だとなかなかファンキーでw攻めてる感じ >>811
そもそもこのゲーム、ポケモン作ったとこのメンツがナムコに持ち込んだわけで、ナムコらしさは皆無よ? てか>>37のコピペだな
よっぽど内容が心に刺さったのかコテハンへの粘着か意図はわからんが あらいやだ、すでに同様のツッコミもされててあたし恥ずかしい >>576
サザエさんは火曜7時のやつは再放送
再放送用の主題歌があった
ドラえもんは初期は日曜朝の30分枠と平日の帯番組で再放送があった
主題歌は覚えてない
金曜夜に移動したあと昭和末期に放送されたパオパオチャンネルって夕方の帯番組内で藤子アニメの再放送枠があってその中にドラえもんもラインナップされてた
こっちは主題歌がぼくドラえもんだったかな >>615
完全に老害の思考だぞ
危険な考え方だわ >>825
いや、でもさ、5chって(もうネット全般か)すぐに「老害」って言葉が使われるけど、
皆あまりにも安易に使いすぎだと思う
若者のおっさんへの反発なのか(5chに若者はいないとか今だと言われるんだろうな)、
おっさんねら―の過度の自虐と近親憎悪なのか知らんが
>>615みたいな考えを、常日頃から周囲の子供や若者に言い続けて
馬鹿にしているようなら確かにかなり面倒な「老害」だけどさ、
普段はただ内心で思っているだけで、たまにこういう懐古系スレに
それを書き込むくらいで「老害」は言い過ぎ。不寛容にも程がある
むしろ他人にすぐ腹を立てて叩く不寛容こそ老害の最たるものだと思うぜ >>826
自分の価値観や環境が絶対だと信じて他のそれを蔑むような行為は愚劣でしかないし言われても仕方ないと思うわ
レトロゲームやった若者に「こんなショボゲーで楽しんでたのw」とか言われてもどっちもどっちになってしまう
ゲームを通して劇的な進化や変化を目の当たりに出来てそれとともに成長して来れて良かった、くらいなら当たり障りもないんだけどね >>800
そんなのあったんだ。コカコーラのヨーヨーは覚えてるけど。
マックだとハンバーグラーとかの人形集めてた。あの辺のキャラ展開大好きだったんだけど今はもうやめちゃってるね。
そもそもドナルドすら影が薄くなった。 >>825
老害なんてどの時代にもいるし
ろくに反論もできないくせに老害ときめつけるおまえも老害の典型やん >>821
田尻智さんの初ゲームかな。
出来は良かった。
ゲーセンに出ていても良いくらい分かりやすい面白さがあった。
でも、まさかその後にポケモンを作って大ヒットさせるとは全く思わなかったけど。 まあまあ
昔MSX版でクリアできなかった軽井沢誘拐案内がガラケー版でクリア出来て良かったわ
あのへんはサブスクのはしりと思いきや月額会費+タイトル毎に金かかったりして高かった印象 買い切りじゃないのでメーカー・運営に完全に手綱を握られてて
「プレイする権利を一時的にやろう」でしかないのと
プレイヤーの所有欲を満たしてくれない点では共通してる
最近のソフトもパッチ当たり前になったせいで、メーカーがサービス終了して
パッチを落とせなくなったら不完全版になってしまうリスクも増えたけどね 文通か〜
平成時代だけどよくやったなあ〜
自分はオタク系に興味があったのでただ周りにそういう人があまりなく
知り合いに聞いてそっち系の人と文通した記憶がある。 >>832
やってみたいんだけどガラケー版は入手不可能だから今だとMSX買うくらいしか方法がない。 ドラえもんは日本というよりも中国で絶大な人気があるよね >>833
酷い物だとソフト起動時に認証通信する奴もある
スクエニとか PCエンジンも当時すごいやりまくった印象があるんだけど
今考えると2年位だったりする
密度の濃さって重要だなぁ 火曜日のサザエさんはなんか邪道な感じがしてどうにも見るのが憚られた
サザエさんの正道は日曜夕方以外に無いと ドラゴンバスターの開発段階の名前がドラゴンクエストとかあったな。 火曜日のお隣さんは浜さん
日曜日のお隣さんは伊佐坂先生
のイメージ マルチユニバースサザエさんでつネ。
タラチャン〜チョ〜ットソレトッテ〜 見始めた頃が浜さんだったから
いつか浜さんに戻るのだろうと思っていたが
そんな時は永遠に訪れなそうだ >>838
コーエーのPC版真三國無双3はオンライン要素無いくせにほぼ常時ネットワーク認証
数年前に認証運用が打ち切られて何らかの方法でハックでもできない限りは一切プレイ不可に >>816
認証自体はあるけど認証は通る状態。いずれ遊べなくなるかもな。
>>819
ゆるゆるシリーズみたいにガラケーアプリの移植がもっと盛んになってほしいね。 >>842
火曜がいつまでも浜さん一家のままで伊佐坂一家に変わらない
そんな不可思議な状況が10年くらい続いてた気がする
たぶん80年代半ばから90年代半ばくらいまで
単に視聴者の予想以上に火曜の再放送が古くて、本放送と大分離れていたって事で、
まあ、そんなの毎回の作品Noさえ確認すれば、いつ追いつくか分かったはずだけど
サザエさんでそんなのをチェックするヲタは少なかったって事か
確か最終的に火曜も伊佐坂一家になったんだが、大袈裟だがw一つの時代が終わったと
感慨深かったな。それからしばらくして火曜の放送終わっちゃったし(97年終了)
あまりにもこの奇妙な齟齬?が長年続いたせいか、
たしか30年くらい前のファミ通のゲーム帝国で、「火曜の浜さん一家はいつ伊佐坂先生一家に代わりますか?」
って投稿があって、悪魔さんが
「日曜と火曜のサザエさんは実は違う時空を歩んでいて、火曜のお隣さんは
永遠に浜さん一家のままかもな」
なんて返答していて、日曜と火曜サザエが違う時空という発想が結構ツボに来た
余談だが、浜さん一家が引っ越してから、伊佐坂一家が来るまで四か月もあったらしい、
なんとなく、それこそ浜さんが引っ越した翌週にでも、すぐ伊佐坂一家が越してきた印象があったな 火曜日のサザエさんと言えば古畑
>再放送用の主題歌があった
本放送当時のをそのまま再放送してるから歌が違うんじゃなかったのね
今の今まで知らんかった
仮装大賞の家と塀(サザエさんEDのイントロを使ったネタ)が学校で流行ったなあ 文通というか分からないけど中学生の時、理科室の机に落書きして、それに返事くれる1学年上の異性の人(顔は知らない)と週1〜2回の頻度でのやり取りは楽しかった
18〜20歳頃、携帯や出会い系サイトの黎明期でもあったけど、電車の窓際に電話番号かメルアドか忘れたけど書いた紙があった
そういうのがチラホラあったな 伝言ダイヤルとかダイヤルQ2とか。
スマホ全盛の今もこの手の出会い系の業態は残ってるのかな? テレクラすら今でも残ってるから
お年寄りとかが利用するのかも ファミコンに、ドラクエみたいに文章を読む必要があるゲームが出始めた頃、
頭の弱い子が文字をスラスラ理解できなくて、ついていけなくなってた
ゲーム雑誌のライターだかが、文字表記では理解できない人が一定数いるのだから
映像だけで理解できるゲームでないと売れないと主張してる事もあった
今思えば、これって機能的非識字問題だ
昭和時代のゲームで既に露呈してたんだな 小学生の頃国語で教科書を音読するとき
なんかしょっちゅう引っかかってうまく読めない奴多かった
なんで書いてあること読むだけなのに詰まるんだろって思ってた >>852-853
俺のツレの勤務先はつい最近までポケベル使ってたらしいぞ。
いや、3年くらい前かな?
とにかく、経営者が頭の古い人間で旧態依然の制度やインフラを好むんだとさ。
ISDN回線に社員旅行にタイムカードに…。
昭和ネタでもないけどね。 >>854
俺の兄貴はその文字が表示されるようになったゲームはめんどくせえとか言って遊ばんかったな。
あと、ゲームによっては文字がすげえ読みづらいものも存在した。
古いゲーム機表示性能も低かったし、フォント?何それ?の時代だったし。
学校の職員室のPCで漢字表示されてるのを見たら腰を抜かしたけど。 筆文字フォントが出た時は筆ペン以来の衝撃だった
「もう筆は絶滅か」とか思ったもんだがw 俺はRPGは出来るんだけどシミュレーションゲームがまともに遊べない。
だいたいチュートリアル段階でルールが把握出来ずに挫折してしまう。 >>856
ポケベルが鳴らなくて〜
数年前にサービス終わったらしいね
1988年が舞台の龍0にも出てきたけど結構昔から存在してたんだな >>856
ポケベルは公衆電話あってこそのアイテムだった。
今だと公衆電話探すのも一苦労だからもしかしてその会社の人はポケベルがなったらわざわざ携帯電話で折り返してるのかw >>854
ファミコン時代は漢字のない平仮名カタカナだらけで、ポートピアは専門用語も固有名詞も平仮名カタカナだから却って理解しづらいと思うんだ >>852
もうネットとかスマホの系統に変わってきちゃってるんじゃないかな?
90年中期の時に俺の知り合いのバカが
Q 2かなんかで人妻と知り合うやつで
馬鹿やってたな… >>856
ポケベルは実を言うと結構電波関係が強いらしくて元々が業務用だし
企業関係や会社関係ではつい最近まで使われてたと聞くね。 >>854
現在子の問題ってのはやっぱり40年前50年前から言われてることで…
僕たちの頃はファミコン世代とかスーパーマリオ世代って言われて
よく団塊世代に心配されてたね
野球をやってた時に団塊世代のおっさんから
「今の子は負けず嫌いな子がいないなあ…」
とか
「今の子は食事前に水をよく飲むな〜」
とかいわれてたな 千葉に行ったら駅前に普通にテレクラがあって驚いたな
条例での対応だから県によって状況が違うのね >>859
自分もそう
基本的にシュミレーションゲームは将棋の延長線上みたいなもんだから
将棋関係の遊技が苦手な人はまずできないと思う。
逆を返せばそちら系が得意な人はシミュレーションゲームもできるみたいな。
自分も伝説のオウガバトルとかタクティクスオウガとかやりたいんだよな… >>862
一時期は漢字が読めなくなるんじゃないかという心配ごともあったけど
今は逆でスマホとかで随時漢字を変換できて調べたりもできるために
知識も増えるんじゃないかな >>867
タクティクスオウガはトレーニングがあるから将棋とかが下手な人でもレベルアップでゴリ押しできるよ >>868
>スマホとかで随時漢字を変換できて
でも書けないんだなぁこれがw >>871
逆にネットの時代でも言われてたけど簡単に変換ができてしまうために漢字を覚えないとかいうのもあったよね シミュレーション苦手な人はシヴィライゼーションがおすすめ
説明書読まなくてもゲーム中にゼロから一手ずつ説明してくれる
昭和じゃないけど 360とかで出してるトロピコっておすすめなのかな?
ちょっと面白そうだけど 信長の野望とか三国志とかゲーム画面見てワクワクするけど
最後までやりきったことないwwww 友達と三国志やってて、使いを送ってきたときに斬ったら
そいつをそこで斬るのはあり得ないといってリセットされた 中学の頃友人3人+自分の4人で市の施設に毎週末信長全国版やりに行ってたな
セーブは出来なかったから毎週最初から
10:00開館で12:00まで
楽しかったなあ
あの頃に戻りたい ディーヴァってゲームがいろんな機種に展開されてて
データが共用で持ち寄れたんで
それぞれに強くした艦隊のデータを交換して遊んだわ
楽しかったな >>874
トロピコ面白いよ。
中南米あたりの独裁国で外貨獲得を目指して島を発展させる。
系譜としてはシムシティだな。
>>879
横スクアクションと艦隊戦のやつだっけ?ファミコンのは好きだったなあ! >>879
他機種版のヒントが無いと真のエンディングへ辿り着くのは困難という鬼畜仕様だけどな
今みたいにネットで情報入手できれば問題ないけど当時はヤバいと思ったのかメーカーが攻略本出してる会社にリークしたらしいし たけしの挑戦状思い出した。
なけなしの金で攻略本買った後に二冊目の攻略本出された時ははらわた煮えくり返って遊ぶのやめた。 >>867
確かに将棋もだめ。ルールは知ってるけどどう動かしたらいいか全然わかんない。
>>883
あのインタビュー、さすがにわざと二冊買わせるつもりではなかったみたいだけど。
インタビュー読んだ時は改めて腹が立った。
少ない小遣いやりくりしてソフトを買った子どもの気持ちを少しも考えてない独りよがりなゲーム。 たけしの挑戦状は、おっさんが町の中をウロウロする事が目的のゲームだと思っていた。
島に行って財宝を探すなんて知らなかった。
金がないので攻略本や雑誌なんてほとんど買えなかったし、
そんなものに金を払うよりは、少しでも貯めて次のゲームを買いたかった。 >>884
太田出版の攻略本で、本の通りにやってもゲームが進まない!って苦情の嵐だったたそうだ。あまりの苦情電話の本数に、思わず「担当者は死にました!」と返してしまったらしい。 「プログラマーが夜逃げしたので誰もバグを直せません」は98で実例があった >>885
宝の地図で、リアルに8時間待たすとかトンでも仕様だったからな
あれを攻略すること自体、無理だと判断して行けるところまで行って
お葬式で終わるというのがプレイスタイルだったな 挑戦状の無茶な仕様は、当時のファミコンソフトで
何かをやって数時間後に反応して動き出す、
そんなプログラムを仕込めたものなんだなって感心してしまうw
アイデアの発想面よりも単純に技術面で とあるサイトで、どうせ昔のゲームなんだからいい加減に作ってあるんだろうと思って
地図を水につけて5分で2コンマイクに叫ぶ裏技を、4分59秒で試したら駄目だったそうだw
ビート君ってば、さらに挑戦状の発売日前日に、あのフライデー襲撃事件を起こしてるんだよな
なんでそれで発売中止にならなかったのw
…昭和って… >>886
しかも、たけしは攻略本の後書きに
フライデー襲撃事件をネタにして、
「これで解けないからといって、間違っても傘と消火器を持って
太田出版に殴りこまないように」
と書いているw
武さん… クリア無理みたいなイメージだけど
えらいっ!こんなゲームにマジになっちゃって
って言葉は有名だよね
どうやってみんなクリアしてたんだろ? >>860
その歌はドラマの主題歌だったんだな。
夜霧のハウスマヌカンなんて歌もあった。 >>893
攻略雑誌と口コミやろ
学校では毎日のようにゲームの攻略情報が飛び交ってたし聞いたら大抵誰かが教えてくれた 当時クリア無理って言われてたのが
たけしとジャーヴァス >>888
1時間でいいよ
8時間待つのはじっと見つめてからハズレメッセージのコンプリートに必要な時間w
>>889
あれは裏技・・てわけでもないし、そっちはそっちで5分経過後から溶ける迄の間にマイクで音入れないと表示されない(しかもフライングしたら溶ける) いまだに楽しめるファミコンソフトはソロモンの鍵です
2は綺麗だけど微妙 ソロモンの鍵2は一応タブーだから語らない方がいいと思うw 激ムズといえばドラゴンズレア。いつかクリアしてみたい。 >>896
ジャーヴァスは酷い
最初の町でクリアに必要な家の隣に
中盤のフラグ立て終わるまでに入って話しかけるとクリア不可能になる家があるとか今でも酷いと思ってる
しかも詰んでるのわからないで進行してるからほんとタチ悪い ヘラクレスの栄光も忘れずにw (クリア不能になるわけじゃないが。パケ絵は渋すぎきわどすぎw)
最初の中ボス倒した後にようやくパスワード聞けるとかマゾゲだった。
その後はそんな印象は薄れたが。 なんかジャーヴァスと近い時期にタイトーから他にRPGなかったっけと思い調べたらミネルバトンサーガだった アニメでは死んだ事にされてたけど、ロボスも生存ENDだよな
シトレの養蜂みたいな、趣味を仕事にする?ような事はしてなさそう ジャーヴァスは早すぎたオープンワールドゲームなんだよ
スーパーマリオみたいに順番に攻略していくことしかできなかった当時の子供には理解ができなかった まあ早すぎたオープンワールドで有名なのはたけしの挑戦状だわな シェンムーの頃は既にウルティマオンラインがあっただろ ローグ バンゲリングベイも広義ではそうなるのではないか 2コンマイクとバンゲリングベイで思い出したが、
FCゲーでマイク使う裏技があるゲームって、一応、公式というか表向きには意味のある言葉を
叫ばなきゃ駄目って事になってたじゃん
バンゲリングベイなら戦闘機を呼ぶ時「ハドソーン」って言えとか
たけしの挑戦状の地図を出す時は「出ろ!」って叫べとか(たけし当人が
わざわざCMでやってたな)
でも実際は「あー」とか、音さえ出せばなんでもいい、マイク上で指をトントンするだけでOKだったりするし
子供の時もさすがにそれは自然に、そういうもんだと途中で気がついたが、でもやっぱり、分かった後も
「ハドソン」って言ってたなw
なんというか、表向きそういう事にしていたメーカーの姿勢も、それに従っていた子供たちも、
ショボくて不便なゲームの時代ゆえの、色んな意味で「夢」があったと思うw
「ゲームって、こんな事まで出来るんだぞ」と、当時のファミコンというかゲームの限界を超えようとする
…というか無視するw姿勢というか
同じハドソンの「ドラえもん」の魔境編で、ジャイアンが仲間にいる時にマイクで叫ぶと
ジャイアンの歌で敵が全滅するって裏技があったんだが、ただ叫ぶだけじゃなく
ちゃんと「おーれはジャイアン、ガキ大将♪」って、ジャイアンの歌を歌ったもんなw
これも子供的には、ゲームでもっと「夢」を見たかったんだろうなと思う
(この裏技自体が、コロコロでの読者公募で実現したものだし) >>918
意味のある言葉といえばたけ挑のカラオケだな
表向きは歌えないといけないわけだし(実際は音の有無を判定している) ボコスカも主題歌歌えば強くなるって話だったな。
歌っても強くなる実感は全然なかったけど。 ジャーヴァスで一番質が悪いと思うのはイベアイテムのヒントが間違ってる事では?
うろ覚えだけど「●●に何秒あるいた場所にある」ってNPCのヒントが真逆だったと思う シェンムーの場合はオープンワールドかもしれないけど一応ジャンル的にはフリーというオリジナルジャンル 三国志とか信長は
どの君主を選んで
どう進んでもいいわけで
オープンワールド的な考え方ってのは
シムではずっと前からあったんだよね オープンワールドの概念自体がたどっていくとキリがないので
やっぱりオブリビオンとかスカイリムとか
そこらのレベルから考えた方がいいかもね
そりゃ辿っていけば信長の野望もオープンワールドかもしれないしw GTA3が現代ゲームの大きな流れを作ったという事と
そういう考え方が昔からあったというのは
また別の話だから >>926
たしかグランドセフトオートに大きな影響を与えたのがシェンムーだったっけ グランセフトはチャイナタウンウォーズしかやったことないんだけど取引の為に街中ドライブしてるだけでも楽しかったな。本筋終わらせるのがもったいなくなる。 GTAで自由にドライブできることに感動して
同じとこぐるぐる回ることしかできないレースゲーは一気に冷めた 64のゼルダの湖の木の上で空の移り変わりを見るだけで
なんとも言えない気分になったわ
車のゲームではFORZAが好きだな
家買ってガレージにS13シルビア入れてる サーキット走るのも楽しいからたまにやりたくなるけど
家買ったり景色見に行ったり自由に楽しめるのは良いよな
forzaもhorizonの人気が本編超えてるよね >>927
GTA3のスタッフがシェンムーみたいなゲームにしたかったと語ってるな
それまでのGTA2はストーリー性無かったし高さの概念が多少あるとはいえトップビューだった >>929
似たようなMafiaだとゲーム中盤にレースイベントがあるな
GTA3のレース要素があるミッションと違ってこちらはほぼ別物のガチガチなレースゲーム やはり GTA 3は驚愕だったね
シェンムーでもそうだったけど
意味もなく海岸沿いとか言って海眺めてたりしてたわ〜
しかも天候が変わったり時間の経過があるとかすごいよね
シェンムーでもコンビニでサンドイッチやジュース買ってアパートの階段を上がって2階でまるでピクニックみたいに景色を眺めたり 外国人の場合はかなり大昔から人間の気質的にリアリズムなものが大好きなので
シェンムーなんてのは衝撃だっただろうね。
よだれものだったと思うよ
あとシナリオ的にも白人がすごい好きそうだし シェンムーはゲームとしては一本道のアドベンチャーだよ
影響を与えたとしても
それは街や人の写実的な描写の方だろう 箱庭的なものでも良くできてるしあと一本道だとしてもそのシナリオに感銘を受けた白人が
やっぱりシェンムーと同じような人生を歩んでゲームクリエイターになってる人もいるからな。
あれは販売本数というよりも発売にこぎ着けたことが一番の功績じゃないかな オープンワールドが、広く人工に膾炙したゲームは
やっぱりロマサガ1じゃね?
当時RPGと言えば既に”天下のスクウェア”だったし
あれはオープンワールドではなく”フリーシナリオ”という
キャッチコピーで売り出したからユーザーもゲーム誌とかも、
そう呼んでたけど まぁ昭和時代にオープンワールドゲームは無かったし、そろそろこの話題もいいんじゃないかな?スレチになるぜ? pspで白き魔女クリアした。
pspの4、5も買ってあるけど、4の初期版やりたい。
9801版は持ってるけど、環境作るのめんどいので、PS版買おうかな。
シナリオも自由度も全然違うんだよな。 船のマストにスピルバーグの1941状態になるのを下から見上げられるヒロインですッケ そのゲームの中で生活を匂わせてるのは
やっぱりすごい衝撃的だよね PSPのガガーブトリロジーがそこそこ売れた事がその後のファルコムの方針を決定づけたんだろうな・・・ スーパーモンキー大冒険がオープンワールドの先駆けだと思ってる >>927
シェンムーの発表会を見たあと帰ってきて作り途中のGTA2のようなトップビューのGTA3見たらこんな古臭いゲーム作ってる場合じゃないと1から作り直したんだそうな >>944
あれが売れなかったら多分今頃はスクエニに併呑されてるよ アクションRPG的にはハイドライド(スペシャル)が初期じゃないかな?
ドルアーガに毒されたのかゲーム内ではアイテム出現条件がノーヒントという意地悪ぶりだが ファミコンのハイドライドは攻略本とか見ないで頑張ってクリアした。
ものすごい達成感だった。
パソゲーとしてはビックネームだったからファミコンで出るって聞いた時は狂喜した。
ハイドライド、カラテカ、スペランカー、バンゲリングベイとか今じゃ下手したらクソゲー扱いだけどパソゲー好きにとっては憧れのタイトルだった。 今考えると空手家のあのヌルヌルってファミコンにしては凄いね ハイドライドはパズルゲームだよな。ザナドゥもだけど。敵の倒す順番や移動の仕方殆ど決まっている。 >>945
マップがムダに広いだけのクソゲーやろw ハイドライドは気持ちわかる
パソコン誌を賑わせてたからなあ
俺もバラリス倒すまでやり込んだ
ザナドゥは移植されなくて本当に残念だった シェンムーは作った人がその凄さを活かしきれていなかった気がする。
一本道のお使いゲームだったのがそう。
同級生をオープンワールドと言うとバカにする人が多いけど、
ああいう同時並行的に複数のシナリオを走らせる方がオープンワールド向き。
光栄が太閤立志伝、大航海時代、プロジェネターをリコエイションゲームと呼んでたけど、
シェンムーもそういう内容だったらもっと評価されたと思うよ。
もしくは、ルナティックドーンみたいに世界だけ用意したから後はご自由に、みたいな。
GTAは3でお化けタイトルになったけど、トップビューだった1の時点で複数のミッションを自由にこなすゲーム性だったから。
だから、オープンワールドとの相性が良かった。 >>947
そのうち、生中を「なまちゅう」じゃなくて「なまなか」と呼ぶようになるよ。
新入社員歓迎会があるならお気をつけて。 言うまでもなくファミコンスペランカーはクソゲーでは無い
あれをクソゲー呼ばわりし始めた奴はどういう了見でクソゲー認定しよったんか
死にやすさとクソゲーor良ゲーは全然関係無いのに スペランカーはスペランカー先生にもなって愛されたが。
ウルトラマグナス お前は許さない >>956
出たーリコエイション
お前それ言いたいだけだよな アーケードのスペランカーは結構打たれ強かったけどね
家庭用は無限にプレイ出来るから難しくする為弱くしたんだろうな >>958
敵にやられるより操作ミスで簡単に事故死することが多かったでしょ。
そのバランスの悪さが類を見ないレベルだった。
でも上達するとおもしろくなるんだよね FC版スペランカーって85年の年末か、初代スーマリの三か月後か
あっちのスピード感やジャンプの快感に慣れちゃうと、細々とした動作のキャラで
プレイするのがじれったかった
主人公の虚弱体質ネタって、発売当初に自力思いついて、学校で披露していれば
結構ウケたと思うがw、そんな気の効いたガキじゃなかったので、
単にすぐ死んじゃう難しいゲームだとしか思わんかった
80年代前半くらいまではそんな理不尽ゲーもACにも家庭用にもまだいっぱいあったから、
殊更スペランカーだけが特殊とも思わなかった
確か90年くらいになって、ファミ通の読者投稿とかでスペランカーの虚弱体質ネタが
頻繁に使われるようになったと記憶している
「スペランカー2の主人公は前作の50倍は頑丈」って投稿が伝言板に書いてあるだけで笑えたもんな
本当に50倍頑丈なのかw2は未プレイなのでいまだ未確認 あと幽霊に対しマシンガンで攻撃したときの当たり判定が雑すぎた。
幽霊が画面の左半分側にいるときは、自キャラが左を向いて撃つだけで全弾命中。
いかにもいい加減にプログラムしてるように見えた SFCの初代熱血硬派くにおくんを見た時たけしの挑戦状を思い出した
シェンムーを見た時は初代熱血硬派くにおくんを思い出した >>956
同級生オープンワールド君こんな所に居たのか
98スレに帰るぞ! >>957
クリームパイと聞くとすぐあっちを連想してしまうw >>965
初代は理不尽で不親切なところも沢山あったけど大阪の街をうろちょろするのが本当に楽しかった。
通行人とのシュールな会話も面白かった。 >>961
お前、オリジナルをやったことや見たこと無いだろ
でなきゃそんな発想にはならんからな >>956
1はステージクリア型じゃなかったっけ?
2で複数勢力から受注できるようになったがこれもステージクリア型 >>966
連れてこなくていい
コイツ同じことしか言わねえんだもん
EGGスレにでも誘導してやったら >>969 近所のゲーセンにあったのはアイレムのやつでちょっとした段差を落ちたくらいじゃ死ななかった
他にオリジナルがあるのならそれは知らん >>973
アイレムは原作準拠のファミコン版も出してるから、アーケード版のああいうアレンジはセールスやインカムとかの理由だろう >>953
ハイドライドはパズルゲームとは呼ばないよ。
ゲーム展開が一本道というだけでパズルにはならない パズルゲームって呼ぶならザナドゥの方かな
限られた資源をやりくりするリソース管理ゲームと言った方が正しいか
今じゃあんなめんどくさいゲームやりたく無いけど
当時はハマったな >>958
自分も好きなゲームだけどたぶん世間的にはすぐ死んでしまう主人公というのが一人歩きしてしまいクソゲーなったんだと思う
神ゲーとは言わないまでも全然普通に良いゲームだと思う。
ただ続編は
あれはクソだ >>961
アーケードの反動があったために家庭用があーいう風になったのかな
確かにアーケードのは何があっても死なない主人公だったからなw
あれじゃ冒険者じゃないわな vitaのスペランカーコレクションはアタリのオリジナル版、ファミコン版、アーケード版2作が入っててお買い得。 スペランカーはアーケードが割と後発なのを知らない人がいがと多いな ということはファミコンの即死
それを改善した結果があのアーケードということかな? >>976
フリーソフトゲームの魔法の塔がザナドゥにやや近いな
戦闘での成長は無いけどリソース管理ゲー
成長や回復のタイミングも重要 家庭用ゲーでアクション一切無しの純粋パズルゲーム(ロードランナーは
アクションありの分類だと思う)初体験はディスクの涙の倉庫番スペシャルだったが、
「次に失敗したらくびだよ」のメッセージで大笑いし、次、嬉々としてわざと失敗してw
「はっきり言ってくびです」のゲームオーバーメッセージで大爆笑w
なんであんなに小学生の自分の笑いのツボに入ったのかよく分からんが
ゲームオーバー=クビになる、という事がファミコンでは新鮮だったからかな
当時はゲームオーバーの95%がプレイヤーの死亡だったろうしw
だから、ゲームオーバー=仕事クビというのは斬新だった
ここ数日話題に出た、たけ挑の葬式エンドとか、すぐ死ぬスペランカーの主人公が
虚弱体質だという解釈とか、ゲームの世界に、そういう現実味を持ち込まれる事が
当時の笑いのツボだったのかもしれない >>967
勉強になりました。
ありがとうございます。 スペランカーは上手い人は神ゲーと言い下手な人はクソゲーと言う
まったく真逆の解釈で愛されてきたゲームだな ファミコン時代だといきなり放り出されて何をしたら良いかわからないまま死んで終わるのがクソゲー
スペランカーは何をしたらいいかどこ目指せばいいかはすぐ解るけど
なんで死んだのかは判りづらい(落下時の高さや爆風との距離)からな >>990
有名なエピソードだが初代DQも、初期設定ではラダトームの城と街の
中間地点のフィールドに放り出されて始まる予定だった
でもモニターの一般小学生が、勝手に歩き回って強いモンスターに遭遇して死ぬのを見て、
堀井や中村が、これじゃ駄目だと主人公を王様の部屋に閉じ込めて始まる仕様に
変更したという話がある
やっぱり一般の子供を使ったモニターチェックは重要だという事と、
多分それをおろそかにしていたメーカーが多いからクソゲーも多かったんだろうって事と、
堀井らが、ちゃんと欠陥に気づいて、見事な修正案を発案したのも大したものだが、
何より、のちに大物となる才気の塊だった彼らでさえ、この時代はまだノーヒントでの
いきなり放置スタートが当たり前って認識だった事が重要というか
だから、たけしの挑戦状も、堀井や中村ほど気の付くスタッフがいなかったと考えると
当時のゲーム開発の基準ではあながち異端だったとも言えないのかもしれないw
(たけ挑とDQ1の発売は同年の半年違いでしかない) >>991
ドラクエのお手本ウルティマが、フィールド放り投げでスタートしてたからなあ
スタートした画面内に街や城など何らかの拠点があればそこに向かうんだが、画面内に何も見えない状態でスタートするやつはほんとに腹立つ >>991
尤も、1では丸腰で町まで行く間に殺されかねなかったけどな
その反省からか2では最初に基本的な装備が与えられ、3では最初の城が武器屋のある城下町の入れ子になった上に装備品の配給まで行われるように 今思うと初代ゼルダもけっこうなほっぽりだしスタートだった。
その点ドラクエは本当に手取り足取りって感じだったな。 FF12もダルマスカの町はかなり広いけどベータ段階ではあれの数倍広かったらしいが
テスターの多くが町から出られないってクレームだらけで削ったんだよな
(案内NPCやマップもあったそうだが殆どの人は見るのを嫌がったって意味不明な話)
プライドからなのか面倒なのか地図を見ない人の話を聞かない人の方が実は多い FF1もフィールドから丸腰スタートだったな
2ではいきなり全滅からスタートだけど最低限の装備所持
3もいきなり戦闘だけど装備あり
まあ大作も色々だな >>994
DQ1は一通りコマンドを使って王の部屋の階層から出る方法を学べるようになってるからなぁ
裏を返せば、コマンドの使い方を理解しないと出られない
それこそスーパーマリオ1-1のクリボーが倒せません、的な ドラクエゼルダより前にハイドライドスペシャル遊んだ時はRPGの概念知らなくて歩き回って強敵にヌッころされてたわ。
PCゲーム遊んでた同級生にいろいろ聞いてやっとこさクリアしたわ。
なお、ゼルダが欲しかったけどディスクシステム売り切れで悔し紛れにハイドライドスペシャルを買った。
その後にゼルダを遊んだが、ツレはディスクシステムが高すぎて買えずにドラクエ買って遊んでた。 >>995
まじかよあれよりもっとデカかったのか
あの街いくたびに街中からフィールドまでの距離がありすぎて
すげー嫌だったのにもっと広かったとは
最初の街にしちゃいけない広さだわ このスレッドは1000を超えました。
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