あさきゆめみし 第百四帖
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いづれの御時にか、駄スレ、良スレあまたさぶらひたまひけるなかに、
いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふスレありけり。
語りませう。
この板は全年齢対板なのでエロ話がしたい人はpink板へ
ここは漫画あさきスレなので専門的な史実ネタや原文ネタはほどほどに
史実ネタは日本史板へ、原文ネタは古文・漢文板へ
あさきゆめみしに描かれていない人物及び竹河の巻ならびに
後世に執筆された雲隠六帖について語りたいお方は下記のスレへ
紫式部、源氏物語スレ 二帖
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/book/1578572479/
まったり雅に平和に語り合いましょう
次スレは>>990なる方が立つる定めなりけり桜人
前スレ
あさきゆめみし 第百三帖
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/rcomic/1632878224/
VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvv:1000:512:: EXT was configured >>849
例えるなら、頭中将はしくじり先生で自分の若かりし頃の失敗談を話せそうだけど、源氏のやらかしちゃったことはシャレにならないもんね
人生の終盤に壮大なブーメランになって返ってきた
雨夜の品定めも、なんか男版恋のから騒ぎみたい 末摘花や源典侍を取り合ったことくらいかしら>笑って話せる >>844
吉高?
変わり者でやる気のないヤリマン式部だね 「平清盛」だと深田恭子演じる平時子の愛読書が源氏物語だったな 品性を疑うような語彙を平気で書き込める神経がわからん >>855
ここは便所の落書き程度だろ
TwitterやインスタFBとは違う
嫌ならNGしなさい
上品ぶるなよカス そういえば一時期来てた下ネタ荒らし来なくなったね
あぼーんにするからどうでもいいけど >>841
あと、やっぱり育った環境の違いもあるんじゃないかな?
娘を皇太子妃にするような大臣の娘として育った六条は、ある意味生まれた時から権謀術策を見ながら育ってきただろうからね。優しい乳母たちと田舎で育った玉鬘とでは、政治的センスとか親戚との付き合い方とかに差が出るのは仕方ないかも。 >>846
昨日ニュー速で来年大河のスレあったんだけど、源氏物語って義母を寝とって託卵し、幼児を誘拐軟禁して飼育、兄の嫁を寝とるような話、小学5年生の娘と見れるかな?て悩んでるお父さんがいたよ。 脚本がねえ。あの脚本家さんってセカンドヴァージンが生々しくてちょっとなあ…見ててキツかった記憶。途中で脱落率。
あの感性でもって今から性がテーマ!とか言われるとウヘアって思うわ…。
徹底的に女目線のしかもおばさんよりの生々しい下品な性の話題をしつこくやるイメージだから誰得な感じなのよね…。 >>859
紫の上は源氏との初見の時でも10-12歳くらいで幼児って年齢では全然ないし
遠縁の身寄りのない子引き取って育てて結婚可能年齢になったら結婚ってのが今の感覚と近いんじゃないかと思うわ
というか若紫ちゃん当時ならそろそろ成人って年齢なのに現代の小学校高学年の子と比べても結構幼いね 祖母にも年齢より幼いって言われてたね
「あなたのお母様はあなたの年齢で、もう色々とわきまえていたのに」
とかなんとか
庭を走り回ったりスズメを捕まえたり、若紫、結構瑠璃姫w >>861
数えの10歳だから満8~9歳じゃない?
源氏は数えの18位で葵と結婚済みで六条、藤壺、夕顔、空蝉、花散里や多くの女官に手付き済み
SEX目的で養女にする話を持ちかけるには当時であってもロリコン過ぎる 当時の数え年で10~12歳なら、満8~10歳
そこから更に幼く見えるなら、描かれ方としてまぁ妥当という気も 大河は源氏物語の内容にどれだけ尺取るかだろうね
紫式部の話だから執筆についてはあっても作品の中身まで長々映像化するかわからない >>865
一年(実質11ヶ月)ネタがもつか気になる >>863
原作では、若紫は満10歳超えてる。
母が亡くなって十余年、と僧都が語っているので。 つまり、源氏に出会った時点で若紫は満で10~11歳、数えだと11~12歳ぐらいなので、
けっこうもう結婚適齢期に差し掛かってるんだよね >>868
そうなの?でも祖母君は、まだ幼いのでもう少し大きくなってから、て言ってたし、惟光も源氏の北山通いを、まさかあの小さなお姫様が目当てでもあるまいし、て言ってたよね。 ちい姫だって満12歳で入内して13で出産だったはず
まあそれは当時としても若かったみたいだけど10歳過ぎてりゃ普通ならもうすぐ裳着だしぼちぼち結婚考えるような歳ではあったんじゃない 入内の目安が14歳からじゃなかったかな
教養その他を実家で教育してから結婚と考えたら14歳くらいが妥当かも
引き取る前の紫は結婚を想定して教育されてなさそうだったから祖母が心配するのもわかる 冷泉天皇の中宮の昌子内親王は13歳(数えで14歳)で
藤原彰子は11歳(数えで12歳)で入内
彰子は道長の都合で早目だけれども、この頃は大体12〜14歳前後に裳着を行い結婚していくんだよね
>>871
紫の上の祖母は出家していて、早世した紫の上の母親のような立場の女性が不在
父宮は別宅で正妻と同居していた影響はありますよね ほうほうと思いながらwiki見てたら若紫10歳程度、祖母の尼君40歳前後とあって面くらった
15で出産する社会なら30で孫がいてもおかしくはないんだろうけど尼君若っ
私とうちの娘と同じ年齢だわ…… >>874
生まれた年に1歳と数え、あとはお正月を迎える毎に年が増えていくだったかしら >>875
人生50年は織田信長だけど、医療体制から見ても当時の出産て命懸けだし、家の期待=はよ皇子産め、のプレッシャーで想像妊娠してしまう女御もいるような時代だからね。 >>877
軽くググったら、ゼロという概念が日本に入ってきたのは明治時代らしいよ
それまでは数え年で年齢を計算していたみたい
ゼロの概念はインドで生まれたけれども古代日本には伝来しなかったみたいね 店の商品が売り切れて在庫が0になったら何て表現していたんだろう?
無しと言う言葉は昔からあるから0に代わる表現はあったとは思うけど 数学的概念で知らないだけなら実際の生活には特に問題なさそうだけど
江戸時代の算術のレベルはすごかったらしいのにゼロ概念が明治からというのは意外だな 明治より前の時代は新生児の年齢を数える際にゼロ歳を導入されていなかったので、生まれた時点で1歳と数える
古代日本でも土地などの測量があり算術は存在するが、世襲制で門外不出の学問であった
庶民にも広がった算術は江戸時代から
(「在庫なし=ゼロ」はあったと思うけれども、西洋数学のゼロの概念と同一なのかは
専門外なので私には分からないです)
西洋数学が本格的に庶民に浸透していったのは明治時代以降 という感じがググった感想です
あさきを思い返してみると、色合いや形などで衣服などを表していくことはあるけれども
数字や算術で何かを表したり比較する場面は殆ど無かったかも
例えば「初音」で衣装を贈る時も、着物の色や織りや柄でその女性を想像させていく感じだったね 吉高はどちらかというと清少納言のイメージだな
紫式部は見た目地味めで、性格は陰キャよりだけど不快感は無く知性を感じさせる人物というのがイメージだったから
大河ドラマ放映されたらあさき爆売れするだろうな、活字より漫画のほうが一般人に受け入れされやすいし 紫式部は20代後半で結婚・娘を出産して自主制作してた源氏物語が評判になって30過ぎから宮仕えだっけ
結構異色な経歴よね 紫式部は明らかに紫の上から来てると思うけど
源氏物語を読んだ宮廷の女官達からそう呼ばれるようになったのか
それとも自分を紫の上に投影して自分から紫を名乗るようになったのか
後者だとちょっと痛い 清少納言なら堂々と名乗りそうだけど紫式部は極力控えめにしてるから道長あたりの命名かも?
表面上静かだけど日記では結構な毒舌吐いたりする腹黒さもあるから紫と呼ばれるよう仕掛けた可能性もあるな
というよりオツムと股の緩いアンニョイな女官で貴公子らからも遊び女扱いされそうな式部だなぁ 確か酔っ払った藤原公任が紫の君と呼んで絡んだのがきっかけなんじゃ無かった? >>886
そうだよね
道長も彰子も応援してる状況で周りが勝ち組の勢いで熱狂的ファン状態になっての事だと思ってた
自分から広めたって説は初めて聞いた 吉高由里子はあの字で紫式部やるのぇ
代筆かしらね? 藤式部が元々の通称で、あてつけのようなあだ名の日本紀局ともごく一部の人から
呼ばれていて、886さんのレスにあるように変化したと思ったよ >>888
当時の人の字を見たら、今の人で対抗できる人がどれほどいるものか… 父藤原為時が式部丞(しきぶのじょう)の役職だったから正式な女房名が「藤式部(とうのしきぶ)」。
ただ藤原氏出身の女房も式部省に親族のいる式部という女房名も多かったから、かなり紛らわしい名前だった。
元々「源氏物語」の世評の高さからスカウトされて女房になり。
彰子出産祝いの席で酔った藤原公任が几帳ごしに「この辺りに若紫や侍らう。」と呼びかけたエピソードが有名。
内々(彰子女房周辺)では早くから紫式部と呼ばれていたとは推測はされている。
世評の高さから一条天皇も側近内侍らに読ませ「この人は日本書紀を良く読んでるね。才がある。」と評され。右衛門の内侍ら宮中女房らから「日本紀の御局」とあだ名された。←これを式部本人は嫌味だと解釈した。
ただしこれらのエピソードが全部本人の手記からなのでそれをどうとるか、だね。 >>891
源氏物語を評価されて出仕したんだからね。源氏物語を表に出すべき、てことじゃない? 実際に起きた出来事を元にして書いた事も多々あったと思うけど
ネタにされた人は怒らなかったのかな
特に醜聞関係は 藤原宗家=左大臣頭中将家?
右大臣家の扱いといい権門サゲ天皇家の血統上げだねえ
リアルの天皇家は権門のバックあってこそなのに
道長は権力絶大だしフィクションだからと余裕だったんだろうな >>893
そうだよねえ
源典侍は義姉がモデル説があるけど、ほんとにお義姉さんをネタにしたならいい性格だわ
大輔命婦とかはこういう女官いるーって女房たちが盛り上がりそう >>895 大輔命婦とかはこういう女官いるーって女房たちが盛り上がりそう
盛り上がりそう、盛り上がりそうw
まあでも女官の出世頭は藤典侍だよね。玉鬘を女官とするなら玉鬘かもしれないけど。 優秀だった幼少期で一月
結婚、出産、夫と死別で二か月
源氏物語が二か月
彰子からみ二か月
定子、清少納言からみ一月
道長からみ二か月
晩年一月
こんな感じかな 年上夫宣孝氏がらみ、未亡人の時に継子に言い寄られる。
娘が夫似の陽キャラで後に大出世の予感。
も入るかな。
娘の大弐三位、母没後14~6で彰子に出仕した時の後見は祖父の為時なのよね。
式部の弟?か兄?(成績を比べられたという)も先に亡くなってて。
式部の人生そのものがそんなに長くないね。
父と娘は80過ぎの長命だったのに。 >>898
娘の大弐三位のほうが、恋愛とかは華やかな人生送ってるよね。 吉高は紫式部というより蜻蛉日記の町の小路の女のイメージ 桐壺帝と光源氏の母桐壺の恋を長恨歌になぞらえてて
光源氏が最後なくなった紫の上を見たん偲ぶ歌にまた長恨歌を引いてるのが
起承転結すごいなと思った
紫式部ってやっぱり天才なんだな 実際に第一帖の桐壺から順番に書いたかどうかわかんないし… はえー
源氏の女遍歴と天下を取るまでの華やかな生涯を書いた後に
エピソード0として桐壺書いた可能性もあるのか あさきは1ページ目に源氏の原点を描いてるね
マザコンが根底ある色好みだから生涯女人に満足できない 猫好き同士で子猫あげたりしてるし他の兄弟たちより親近感がありそうだね >>906
明石の姫の入内時の年齢が11歳くらいで
その後女三宮降嫁の話が出たのが女三宮13~4歳くらいだっけ
この期間がどれくらい空いてるのか分からないけど、5歳も離れてなさそうだよね >>909
そうなんですね!ありがとうございます。
さっき、六条院の女楽の辺りの原作を読んだら、女三の宮は衣に埋もれているかのように小柄で華奢、てあったので、同じく小柄、と言われている明石女御と何歳くらい違うのかな、てふと思って。 >>907
原作では、今上が、女三の宮と源氏との結婚を朱雀に進言してるシーンがあるんだよね。臣下に降嫁させるのはかわいそうだから准太上天皇=皇族の源氏に、てことで。
今上の母は梨壺の女御で、女三の宮の母は源氏女御で、異母兄妹だよね。今上は女三の宮には、嫁入り後もニ品を授けたり、女三の宮って、保護欲をそそるタイプなのかもしれないね! 朱雀に頼まれたのも大きいんじゃね?
今上は律儀な性格だからきっちり実行する
猫好き同士の親しみはあったろうけど保護欲をそそられたというのはどうかなあ
おそらく異母妹の顔は知らないから >>912
二品の叙位は父朱雀に頼まれたからだろうけど、女三の宮の結婚相手として源氏を推したんだよね、今上。まあそれも、父親の気持ちを後押しして、てかんじもあったかもね。
桐壺帝は、仲良しのたぶん同母の姉(大宮)を、左大臣に降嫁させてるよね。桐壺帝は、姉を降嫁させるのに抵抗なかったのかな? >>912
いや、今上にとって四人の異母姉妹のうち女三宮はやっぱし別格でしょう
母親は先々帝の皇女で兄妹の中では血統は高貴な一抜けた存在で、他の妹宮たちが生母の元なんの不安もなく暮らしてたのにたいして
幼くして母を亡くすという不憫さも加わって異母姉妹の中でも特別視してたかと
女三宮が猫好きなのって母がいなくて寂しい思いをしてる妹に今上が猫をプレゼントしたのがきっかけとかなあと思ったりする >>914
朱雀自身も、源氏女御のことは、同じく皇族出、てこともあってかけっこう気に入ってたんだよね。ただ、当時は右大臣の時代だったし、朱雀は母太后にノーと言えない息子だし、朧月夜は魅力的だし、てかんじで、本当なら一番高貴な妃としてもっとときめいて良かったはずなのに、どうしても朧月夜の陰になりがちだったんだろうね、源氏女御って。 >>914
特別視してたとかどこに書いてる?
原典では父の意を汲みのやうな表現でしたよ 今上と女三宮が特別仲良かった風には感じないなぁ
まぁ父朱雀の鍾愛の娘である、って点では今上の配慮は多少あったかもしれないけど
あの時代って育つのも母方の実家がメインだし、仮に桐壺帝のように母親を早くに亡くした女三宮を朱雀が手元で育てたとしても、今上は髭黒実家だし、兄妹といっても顔を見て対面なんてしてない可能性が高い
御簾ごしの会話ですら数える程度にもあったかどうかじゃない? 桐壺と朱雀を見ていると
冷泉の在位中子供ゼロが異様に感じるなあ 源氏女御と落葉の宮って、どちらも更衣腹の皇女だよね。 >>918
後見の源氏が求めるのは秋好が第一皇子を産むことだと仮定するならば
もしも秋好よりも先に他の女御達に皇子を産ませてしまったら源氏は面白くないだろうし
明石姫君が入内した東宮に力を入れるかもしれないといった冷泉帝自身の後見の薄さが浮き彫りになる
更に皇統が朱雀系と冷泉系に分かれたら争いが生じかねないため
紫式部は朱雀系に戻すために、冷泉帝の在位中に皇子が生まれない設定に
したのかなと思った 今上が東宮になってしまえば気軽に朱雀院に行く事も無さそうだけど、朱雀在位中は次期東宮候補として実家から髭黒付き添いで出向いて病弱な父を見舞うこともありそう
その辺りで朱雀の意向で幼い女三の宮と声を交わすこくらいはありえるかな程度だね
同じ内親王で弘徽殿様の姫宮たちと源氏は幼い頃内裏の御簾内で交流あったとあるし 弘徽殿の女御
冷泉に入内して20年近くたって出産
若いのが沢山いる中頑張ったんだね
そんな年まで通いがあったのにも驚き メタ的だけど冷泉に普通に子ができると正当でない皇統が続いちゃうし朱雀帝一宮じゃなくて冷泉息子が東宮になったとしたら源氏は娘を入内させられないし
長く小梨で退位後に子供に恵まれるってのは物語進行上の都合と紫式部の優しさが合わさったみたいで割と好き 冷泉息子と明石の姫なら、彰子の妹達が彰子の息子達に入内してるし当時の感覚的には問題無しじゃないか >>917
仲いいってよりか女三宮が姉妹の中で特別高貴な血筋だから一目置いてるって感じだね
当時の血統重視社会では現在の常識からはうかがえないけどそれくらい価値がある存
在として認識されてたって感じで
たとえば落葉なんかは同じ異母妹でも劣り腹だから今上にとっては無関心に近い存在
だろうし
夕霧なんかも雲居にラブレター書くときに妹から紙を借りるのをいったんは躊躇した
けど明石の生母が身分低いことを思い出し遠慮することなく借りちゃえみたいな気軽
な気持ちになってたし
宇治の中の君や蜻蛉の宮の姫だって後ろ盾がないけど親が親王だから結局は軽んじる
事ができない存在として書かれてた 後ろ盾のない紫は結局軽んじられたし宮の君なんて女房で出仕だが
中の君が後ろ盾なくても高貴で軽く扱えないと言いたいのだろうが
中の君も明石中宮は重んじてなかったし男子が産まれてようやく数に入った
今上が女三宮を重要視している記述があればマンガでも原典でもいいので教えて下さい 女三宮の存在を重んじてなきゃいくら父に頼まれたからって二品与えないでしょ
二品の宮になったことで周囲も破格の待遇て思うわけでなく、むしろしかるべき待遇として認識してた そりゃただの一貴族から見るのと母后様から見るのでは身分の軽重も全然違うでしょうよ
宮仕えするには軽くは置けない身分でも有力な親王の妻としては軽いなんて多々あるだろうし >>926
夕霧が明石姫にラブレターの紙借りる場面記憶にない
どの巻か教えて下さい >>928
ニ品の待遇については女三宮本人が重んじられたと言うよりは准太上天皇の正妻として妥当な品位って見方だと思うよ >>930
野分。
女三の宮が母の血筋ゆえに尊重されてたって気配は全然感じたことなかったな
単に、朱雀院の鍾愛の皇女だから今上も尊重してただけ
中の君も宮の君も、末摘花なんかも、ついでに紫の上も、親が親王だからっていっても
世間からは軽んじられまくってましたが…
親の出自だけで尊んでもらえるなんて、そんな甘っちょろい世界ではない 女三宮、実母は女源氏(更衣腹)なんで飛び抜けて高貴とかは全く無いね。
単に父朱雀院が格別に溺愛して今上に色々とすがるから体裁整えて上げてるだけ。
この時代は権力者(帝)の思し召しが全て。
女三宮のパワーは実父からの格別の寵愛。
それにより他の兄姉らより格段に有力だったというだけ。
源氏本人とも全く同じ。兄弟達に気を遣わせられてる。 女三の宮の血筋が高貴だから重んじられてたことにしたい人って…あっ ていうか柏木だって女三宮が高貴な血筋ゆえにずーっと執着してて更衣腹の落葉の事は軽んじて蔑んでいたわけで逆に高貴な血筋以外に重んじられた理由あんのかって感じだ
非難してる人は意地になって否定してるように見える
今上は自分の実子では女一宮の事を格別に大事にしてるけど母を亡くした女二宮にも愛情注いでなんとか大事にしてくれる人を必死に探すなどしてたね
薰が浮舟を失って憔悴してた時も自分が娘を押しつけて結婚させた事に罪悪感抱いてたし常識的な帝だ 柏木は朱雀の近くで仕えていて朱雀に特別大事にされる内親王だから素晴らしいはずと思いを募らせたわけで
他の求婚者も同じ理由で朱雀の一番可愛がってる姫宮だから求婚してる
その可愛がる理由は幼いうちに皇族だった母親を亡くして後ろ盾もなく本人も愛らしいばかりで頼りなく心配だからというのが主だし
まず始めに女三の宮に必要以上に執着してるのは朱雀だから 柏木が女三宮ともし結婚出来てたら二人は幸せに暮らしてたのかね
愛妻と猫でも愛でながら幸せに暮らしてるような気もするし
帝に寵愛されてたからどんなに素晴らしい姫かと思ったら幼すぎてがっかりって源氏のようになってしまったりしたのかな 源氏は藤壺、紫、六条、朧月夜、明石、玉鬘などの美女たちと付き合ったりしてたから幼い女三宮を見てガッカリて感じだったけど
柏木は自分の姉妹より器量がいい令嬢と付き合ったこともなかったし女三宮で十分満足したんじゃない? >>937
今上の女二の宮は更衣腹だよね。
更衣腹の内親王でも、父帝の寵愛度やタイミングで、運命はいろいろだよね。 >>938
その女三の宮の母親の源氏女御は、先帝(桐壺帝の前の帝)の更衣腹皇女なんだよね。 >>940
柏木の自分の姉妹って、新弘徽殿の女御とか雲居の雁? >>939
>どんなに素晴らしい姫かと思ったら幼すぎてがっかりって
絶対してたと思う
そんで夕霧に普通に嫁いだかもしれない二の宮に今度は執着して引っかき回すんだよあいつはw >>934
朱雀は、右大臣家の朧月夜が皇妃になり損なったために有力な后がいなかったから、中宮も立てられなかったんだよね。皇女は女三の宮、落葉を含めて4人いるけど、女一の宮や四の宮の母親については語られていないし、そんな朱雀の後宮では、源氏女御は高貴なほうだったとか? >>941
今上の女二宮の母は大臣家の令嬢でれっきとした女御様だよ
確か誰よりも早く東宮に入内して立場上は最初の頃は明石と同等といってもいいくらいの名家の出だった
入内前は紅梅も懸想していて求婚していたらしく、その所以で女二宮が母を亡くして結婚相手を探していたとき求婚してきてた連中の一人だった >>946
正確には朧月夜の生家が牽制してたために朱雀は中宮不在だったけどその理由が無かったら女三宮の母が中宮になってもおかしくなかった
朧月夜ほどじゃなくても朱雀からは寵愛されてたしなんといっても身分が皇女だったからね
結局女子しか埋めず浮かばれないまま早死にしちゃったので母をしかるべき立場にできなかった懺悔の気持ちもあってより忘れ形見の娘を寵愛してったんだと思う >>936
なんか、変よね。
女源氏になってるから元皇女でしかない。
女御にはなれるけど。後ろ盾も無しで中宮もあり得ん。
女三宮のパワーは父からの格別の溺愛とハッキリ書かれてるのに。なにを拘ってんの?感じ。
だいたい源氏って皇族じゃないよ。
現実的には中宮は普通に今上となる男児と女一の宮の生母承香殿(後見に弟髭黒)のが断然有利。
もし男児産んでれば朧月夜との争い。
異母姉の藤壺が后腹の女四宮(内親王宣下アリ)後見弱く、桐壺帝の寵愛頼りに頼りなく弘徽殿に圧されてた。彼女ならば飛び抜けて高貴と言える存在だけどね。その彼女でさえ男児産んでやっと立后、なのに。
高貴だから中宮になれるんじゃないよ。後見力と天皇の意思と本人の能力、子の有無とか諸々の要素が必要。 そう考えると大臣家の総領娘として桐壺帝にいち早く入内して早々に男児を産み、その後も娘を複数人産んで息子は春宮にもつけて立后の条件は十分なのに長年の夫君への功も考慮されずに立后してもらえなかった弘徽殿てかなり不憫だよね >>949
一応原作の若菜でも朱雀が東宮の頃から嫁していて后の位にも上がってもよい人だったが後見もなく~て書かれてはいるんだよ
少なくとも朧月夜の次くらいには寵愛を受けてて朱雀が東宮に妹宮の後見を頼みたくても母女御が昔の寵愛争いの恨みを根に持ってるから
女三宮に辛くはあたらなくても心からお世話する気はないだろうなと見定めて、だから結婚させて旦那に後見させたかったという事情がある レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。