あさきゆめみし 第百四帖
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いづれの御時にか、駄スレ、良スレあまたさぶらひたまひけるなかに、
いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふスレありけり。
語りませう。
この板は全年齢対板なのでエロ話がしたい人はpink板へ
ここは漫画あさきスレなので専門的な史実ネタや原文ネタはほどほどに
史実ネタは日本史板へ、原文ネタは古文・漢文板へ
あさきゆめみしに描かれていない人物及び竹河の巻ならびに
後世に執筆された雲隠六帖について語りたいお方は下記のスレへ
紫式部、源氏物語スレ 二帖
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/book/1578572479/
まったり雅に平和に語り合いましょう
次スレは>>990なる方が立つる定めなりけり桜人
前スレ
あさきゆめみし 第百三帖
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/rcomic/1632878224/
VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvv:1000:512:: EXT was configured >>164
息子の恋を叶えようと奮闘する雲居母さんを見てみたかったな
本編では若い世代だった玉鬘や雲居が母親になって子どものためにあれこれしてるの見たかった 頭中将と北の方みたいに息子の縁談にやいやい言い合う夕霧と雲居見てみたかったね
紫とちい姫みたいな二の宮と六の君も見てみたかった >>166
ほんとだねえ
頭中将と北の方が急に猫を溺愛し始めた息子を見て「一体どうしたんでしょうあの子…女三宮さまのことで塞ぎ込んでるようですし」「うーん…ぜひ内親王をというのがあれの希望だったしなあ」って気を揉んでるシーン、何か好きだわ
若い頃はそりが合わなかったけど、何人も子どもが生まれて長女を入内させたり他の子の縁組を考えたりして良い夫婦になっていったんだなと思った 自分が玉鬘に無理やり頼むのも悪いから、と気が引けてやらなかった夕霧が、
後から雲居雁に泣かれて「無理に頼めば良かった」って後悔してたあたりが、なんか
思いの外ラブラブ続いてて良かった それにしても宇治編での夕霧、超多忙だよね
大臣として政界を仕切って、雲居と落葉のところに半分ずつ通い、宮中で藤典侍と逢引?して、長女を入内させて次女も二の宮と結婚させて、他の子供たち(約10人)の身の振り方考えて、持ってる屋敷や荘園の管理して、行事やお祭りとかも参加して、etc
お正月用に新しい衣裳をあつらえて、って夕霧もやってたのかな 月の15日ずつ妻たちのところに行ってるんだから、もう藤典侍のところには通ってないんではw 仕事のついでに挨拶するくらいだろうね
でも六の君はもちろん子供もいっぱいいるし子供の話するだけでも会う機会はそれなりに多そう 葛藤はあるだろうけど、藤典侍のポジションも結構良い気がする
御曹司の側室というかお妾だけど典侍という要職についてて、父の惟光も「わしも運が良ければ明石入道のようになれるかも」って妄想してたし良縁だと思う >>172
藤典侍は大出世の孝行娘でしょ。惟光が朝臣になれたのも、源氏の後押しもあっただろうけど、娘が優秀な典侍で、夕霧の子を何人も生んでる、ていうことは強かったと思うよ。 >>170
きっと織姫と彦星みたいに年一回だけ会ってるんだよロマンチック 頻度はわからないけど宿直とかで宮中泊まりの時に
藤典侍のところに顔をだしてたんじゃいかな >>175
だろうね
お互い利用価値があるし没交渉ではないと思う >>167
頭の中将の北の方って、右大臣の四の君で弘徽殿の女御の妹だよね。たぶん典型的な政略結婚で、若い頃は夕顔とかのライバルを蹴散らしてた人だよね。 源氏と葵も生きてたら夕霧(他子供たち)の縁談でやいのやいの言ってたんだろうか >>177
弘徽殿というか右大臣家の血筋かもね
気に入らない相手に何かせずにいられない
柏木の縁談の頃には何人も子どもがいて自分も中年になって、北の方として堂々としてる感じ
右大臣家の三の君?が蛍兵部卿の北の方だったよね、この方も気の強い系美人だったかなあ >>179
あれ、頭の中将の北の方は右大臣の四の君で、柏木の母なんじゃなかったっけ?後年柏木が女三の宮の時、"叔母が朱雀の尚侍"て言うのが朧月夜のことだよね? >>178
葵が生きてたら、夕霧と雲居の雁の結婚は無かったんじゃないかな。
頭の中将が、葵を亡くして寂しがってる大宮の所へ雲居の雁を預けたから夕霧と筒井筒になった訳だからね。 >>181
原典はどうか知らないけど、あさきで雲居雁を引き取ったのは母親の連れ子になったら可哀想だからだと思ってた
葵の代わりにというなら大宮は夕霧が赤ん坊の頃から手元で育ててたし >>180
紛らわしい書き方してすみません、それで合ってます
右大臣家の
多分長女=弘徽殿女御(大后)
三の君?=蛍兵部卿北の方
四の君=頭中将北の方
六の君=朧月夜尚侍
三の君かどうかははっきり書かれてなかった気がするけど、右大臣家の姫が蛍の最初の正室で、亡き後も蛍から想われてる描写があったと思う >>183
あさきでも同じと思うけど、頭中将が、せっかくの娘を母親の再婚相手に取られるのがもったいないけど
嫉妬深い北の方に育てさせるのも面倒だから、ちょうどいいとばかりに大宮に預けたのたと。
そして預けっぱなし。 >>179
風流人の蛍兵部卿宮が亡き正妻を偲び、次の正妻の真木柱とは年齢差もあってだろうけれども
疎遠になったことを考えると、弘徽殿女御のような猛々しい感じではないかもと思う
召人とかはいても、最初の正妻は別格だったのかなと思う 雲居雁は、原典では雲居の母親の再婚相手の子と育っていて頭中将が女の子を他人の元に置いておくのはまずいというかもったいないのでひきとって大宮にあずけた感じで
あさきの方は雲居の母親が再婚するので引き取り大宮にあずけている
葵がまだ実家で暮らしていたとしても四の君に頼みずらいだろうから、引き取っていたんじゃないかな
葵は身寄りのない子をかわいがったり、恋愛がらみじゃなければかたくなには見えないし >>187
再婚相手の子供というのは雲居雁の母親と再婚相手との子達で雲居雁の異父兄弟です >178
もし葵が生きてて夕霧の他に子供(娘)がいた場合、
立場を考えても身分的にも、
葵や左大臣は冷泉(娘の異母兄)に入内させようとしただろうね
源氏はどうやって娘の入内をかわしたかな?w 夕霧の妹ならば、年齢的には少し年上でも冷泉の次の今上でも大丈夫だったかと
左大臣は弘徽殿女御の後見してたから、むしろ左大臣や葵の手前、冷泉には
入内させたかったとしてもさせづらかったと思う。 >>189
仮に葵との間に娘が生まれてたとして、その娘がよっぽど出来が悪いとかじゃなければ誰にも遠慮することなくそのまますんなり入内コースでしょ
他に娘いないから明石の娘をあれだけ特別扱いしてたんだよ
正妻や他の格上な夫人に娘が生まれてたら、うちの娘なんか捨て置かれると明石が不安がってたけど
さすがに捨て置くまではいかなくても扱いはもっと軽かったろうね
髭黒の息子たちと縁談まとまったら恩の字レベルてとこじゃない >>189
あーごめん読み違えてた
よく考えたら冷泉とは異母兄になるもんね、入内させるわけにはいかないから
しょうがないから新弘徽殿女御の後ろ盾を買って出るとかしたかもね
新弘徽殿女御は久方ぶりに左大臣一族から入内する姫ということで養父になった左大臣は心から嬉しがってお世話してたし
先に入内した新弘徽殿差し置いて秋好が中宮になった時は源氏を好いていた大宮もさすがにこのときばかりは源氏のことを恨めしく思ってたそうだから >>184
蛍が亡き妻を偲ぶ場面があったね。それが、弘徽殿さまの妹なわけねw >>188
雲居の雁の母親って王族出で、頭の中将の正妻(右大臣四の君)に嫌がらせされたのがイヤで離婚して、按察使大納言と再婚して北の方に収まったんだよね。この人もなかなか地に足のついた?人生選んでるよね。同じく頭の中将の愛人だった夕顔が、どこまでも頼りなく流されたのとは対照的。 >>192 大宮もさすがにこのときばかりは源氏のことを恨めしく思ってたそうだから
原作ではそうなんだw
新弘徽殿は大宮の孫だしね。夫の左大臣の養女として入内してるし、そりゃあ恨むわなw >>190
政治的権力を得るために、秋好を養女にして冷泉に入内させた源氏だよ?葵との間に姫がいれば、迷うことなく入内させてたはず。 >>191 髭黒の息子たちと縁談まとまったら恩の字レベルてとこじゃない
わ〜、なんかリアル!でも、ほんこれだろうね。源氏は子供が少なかったから、それが明石には幸いだったよね。これが頭の中将だったら、どうしたかな? そーゆーの言い出すと、大臣と内親王の正妻の一人娘の葵が入内せずに源氏の妻ってやっぱ変。
年齢的にも朱雀とはピッタリなわけだし。
寵愛的に朧月夜に、跡継ぎを産むで承香殿に勝てるかどうかは別として、試合には出たかっただろうね。
ま、フィクションですね、ここらは。 それだけ東宮妃という正規ルートを断念してまでぜひとも婿にしたいという源氏が突出した素晴らしい貴公子だったって事でしょうね
夕霧なんかも匂宮という素晴らしい親王様を婿にしたくて六の君との結婚が正式に決まったときには雲居腹の娘が東宮妃になった時以上に
すごい用意ともてなしぶりだったそうだし 匂宮は血筋も地位もルックスもバッチリだしあちこちの大貴族が婿にしたがってると書かれてたしね…ただしいささか女遊びが… 夕霧の六の君の場合は雲居雁腹の大君を東宮妃に、中君を二宮と結婚させてからのことなので
一人娘の葵とは事情が違うね 六の君は藤典侍の子だけど明石姫ほど落葉の養女なこと隠してないよね
藤典侍はいろんな意味でもラッキーな人だ花散里も義母になってくれてて繋がりあるしその意味でも夕霧との関係が切れない安心材料になってる >>193
そ、そうだね右大臣家の6人姉妹は全員が同じ母親じゃないだろうしね(長女と六の君は親子ほど年離れてるし)
それに弘徽殿さまもお若い頃は美しかったし
蛍と頭中将が相婿というか同じ屋敷に通ってた頃もあったかと思うと何か面白い(一緒に呑んでたりして) 夕霧の所は姫が多くて格上げして入内させる必要が無かったし、六の君が落葉宮の養女になったのはかなり大きくなってからだからね
藤典侍の父親は源氏の乳母子で腹心の部下だから源氏の家とも縁が深いし本人も賢い人だし子供も多いので雲居雁、落葉宮には及ばなくても続いていくんじゃないかな >>203
そりゃ、藤典侍って本人も従四位持ってるし下手すると従六位スタート夕霧より高い時期あったんじゃないかな。
父親も源氏最側近の公卿だし。
史実でも定子の母高内侍は正妻だしね。
明石は本人親が無位無官の受領以下の地方出身であり得ないくらい身分低いからそりゃあ隠すテイでいかないと。
ま、あえて言えば藤典侍は恐らく惟光に頼まれた源氏の推薦で宮中入りだろうから、主従筋でそこが夕霧とは対等では無い、大臣の娘や内親王よりは下の扱いはしゃーなしってこと位かな。
でも無能では高等女官の話は来ないし、推薦者に恥をかかせるから、有能で評判の彼女は実力もあるのは間違い無い。 五節の舞姫はどうやって選ばれるんだろ
家臣に「お前の娘美人らしいな出てこんか」って打診するんだろうか 個人的にあさきの藤典侍の顔が好きだわ
なんかこう目がコチョコチョコチョっと描かれてて繊細な
秋好中宮の顔も好き 明石入道は元々三位中将だったけどリベンジのため名より実を取った人だから
源氏の部下というのを足がかりに才覚で出世していった惟光とは比べられない別のことだと思うよ
ちい姫は用意周到な源氏が、大切な一人娘を万全の体勢で東宮妃にするためというのも要因だと思うし 六の君が優れた姫なのにあまり評判にならないのが惜しいと落葉宮の養女にしたのは惟光が参議になってからなんだよね
もし仮に雲居雁に姫がいなくて藤典侍に姫がいて雲居雁が養女にしてもちい姫の時と同じような感じになるんじゃないかな >>199
夕霧は、六の君と匂宮の結婚の時には長女は既に入内させてたからね。葵と源氏の結婚は>>198さんの言うことも分かるけど、"東宮妃という正規ルートを断念してまでぜひとも婿にしたいという源氏が突出した素晴らしい貴公子だったって事"でしょうね。
あと、桐壺帝は左大臣と仲良かったんじゃないかな?大宮はたぶん桐壺帝の同母だよね?その内親王を降嫁させるくらいだから、たぶん桐壺帝と左大臣は昔から仲が良かったんじゃないかと。だから左大臣を、後見のない源氏の義父にしたかったし、左大臣も断れなかった、とか? >>206
後年、葵祭りの勅使にも選ばれて、"主上や東宮さまにも可愛がられて、宮廷の花"て言われてたよね、藤の典侍。たぶん、
宮中でも目立つ華やかな存在だったんだと思う。雲居の雁に対する接し方を見ても、いい女だな、て思うわ。 >>207
ワロタwまあでも藤典侍はそのクチだよね。源氏が惟光に打診した。 >>212
あれだけバンバン子供を生んでたところをみると女性的な魅力があるという意味での「宮廷の華」扱いはないんじゃないかな
5人も子供生んでるとかなら冷めるもん >>122
奈良朝から平安時代、そして初期〜後期とどんどん変わっていってるのね
あと謎なんだけど奈良朝では中国風のスカートみたいな女服なのに、平安時代になるといきなり十二単
歴史マンガなんかみても、三巻から四巻で平安時代の巻になるといきなり、何事もなかったように服装全変わりしてる
あれもどうやってって変わったのかなぞ
過渡期はどうだったのかとか 宮仕えがあるから明石みたいに我が子と離れる辛さはさほどないのかな
惟光夫妻が育ててたのかしら >>215
基本的に新時代の第一礼装は前時代の第二礼装が繰り上がる
(衣服令における唐風装束→束帯→狩衣→直垂→水干)法則性が
あるということで女房装束もいわゆる天平装束的なもの→室内着としての
袿の前身的なもの(室内着だから『うちき』と呼ぶ)→
袿がスタンダードになりボリューミーな重ね着が重要視され、
裳は巻スカート状にすることもなくなり腰に結えて装飾にする
ようになるという流れではという推定記事があった
装束変化の過渡期イラストも一緒に挙げてあったから納得力の高いコラムだったなー >>215
奈良時代は西暦700-800年ごろで源氏物語は1000年ごろだしそりゃ文化も装束も変わるよ
唐が衰退して大陸が混乱期に入って日本では国風文化が盛んになったとか中学でも習った気がする >>217
なーるほーどー
昔日本史の先生に聞いたら「ここに書いてあるよ」って漢文?みたいな資料をもらったのに、読もうともせず諦めてしまってもったいないことをした
良かったらそのコラムのサイト教えて 小学館日本の歴史漫画とかだと
三巻?のラストが聖武天皇と光明皇后の大仏開眼のシーンで終わってて、服装は天上の虹みたいな唐風装束なのに、次の四巻になるといきなりバリバリ十二単で「!?」となる
学校で遣唐使やめて国風文化が流行って云々…って聞いても、これだけ違う服装になるまでにはどういう経緯なのかずっと気になってた
沖縄市役所みたいにある日突然「はい!今日から制服はスーツからかりゆしになったから!」みたいなのでもあるまいし…とか思ってて >>214
でもあさきでは、ちい姫入内直前の葵祭 りで、源氏が紫の上にそう言ってたよ。
あと、ちょっと時系列が分からないんだけど、この時の夕霧と藤典侍の歌ってどういう意味なんだろ?この頃、夕霧は雲居の雁と結婚したんだよね。藤典侍とは時々の歌のやり取りだけで、まだ通ってはなかったのかな? >>207
藤典侍の場合は源氏の命令だったためしぶしぶ出した
>>216
藤典侍が宮仕えなため子育ては実家がやったんだろうね、使用人だっていっぱいるし
そのうちに次男と三女は花散里が面倒見て六の君が落葉の養女になった Yahooニュースに載ってたので貼っときます
「あさきゆめみし」に隠された…同業者も気づかなかったトリック 紫式部を超えた姫様の逃げ<Vーン
https://news.yahoo.co.jp/articles/42ac5f2f68469a93c39def1dfce9e39c3da70d8b
この間Twitter上で行われたあさきゆめみしのトークイベントの関連記事です
「姫様の逃げ」とは、あさきで描かれた近江の君が町に帰っていくシーンのことで、紫式部には貴族社会から出て行くという選択肢はなかったのではないかという考察でした >>217
その記事とかコラムってネットでも読める?
個人的に興味あるから、もしURLあるなら貼って欲しいな
アナログでも図書館行って探してみたいので是非出典求む >>211
横ですが、桐壺帝と早世した前坊と大宮が同母です
桃園式部卿は同母かも?で、女五宮の母君が不明みたいです
桐壺帝は源氏と葵の上と結婚させて、左大臣を源氏の後見にしたのに
父帝の配慮を踏みにじり、左大臣と葵の上のメンツが丸つぶれになったという
弘徽殿大后よりも源氏に怒って良いのではないかとふと思う
源氏の目を通して物語に登場する人達が語られていくけれども
源氏は左大臣を良い舅だなぁくらいしか思っていなかったのかな?と思うと何だかな >>222 源氏の命令だったためしぶしぶ出した
その年の舞姫は典侍として出仕する約束だったんだよね。惟光の娘なら、大出世だと思うけど。惟光は娘にどんな期待をしてたんだろ? >>225
桃園式部卿の宮と女五の宮(源典侍の晩年の師匠w)は同母なんじゃない?一緒に暮らしてたよね。 >>225
まじ左大臣、大宮て、良い舅姑だよね。源氏の葵に対する対応見たら本当ならブチ切れておかしくないよねw左大臣邸に寄り付かない、たまに来れば弟(頭の中将)かお手つき侍女たちと戯れる… >>227
ここに書き込む前に念の為にネットでググってみたけれども、
桐壺帝と同母説と、異母説があるようなんですよ
同母説は、格式が高い式部卿を務められていたというのが根拠らしく
異母説は227さんが仰る通り、女五宮と同居していたことが根拠みたいです
朝顔斎院の父君でもあるから、桐壺帝ともし母君が違っていても、卑母では無いのでは?と思います >>208
わかるわかるw自分も藤典侍の顔、好きだわ。黒目が強いよね。
あと、蒼祭りの時の髪型も好き。あれって女官の髪型なのかな?秋好が中宮に叙された時に渡ってきた宣旨も、あの髪型だったよね。 >>228
葵の上に沢山の子に恵まれて、当然左大臣と大宮が手塩にかけて育て上げ
左大臣の養子・養女として縁組がなされていき、左大臣家がますます隆盛を極めていく
みたいな未来図を、せめて左大臣が胸にいだいていたなら良いなと思ってしまう
その後に、葵の上の息子・夕霧がそうなったけどねw
あるいは、高貴な方は怒りという感情を抱かない説の通りなのかもしれない?とも思ったりもします >>223
読み応えのある記事教えてくれてありがとう
近江の君以外にも面白い話が沢山あるね >>224
ちょっとうろ覚えだから再検索してみたら個人サイトとかpixivにあがってる
平安時代クラスタの挿絵記事だったのでURLは憚られるやつだった 装束変化とか唐風・国風あたりのワードでたぶんなんとかなると思う >>234
ありがとう。なんとか自力で見つけるわ
そのへんフォローしてるつもりだったけど、見落としてるか読んでても忘れてるだけかも >>231
どうでもいいけど帝か東宮に入内するのでもないかぎり左大臣夫妻の養女にする必要はない
源氏は妻の家のほうに育児丸投げだろうから左大臣と大宮が実質育てることにかわりないだろうけど >>237
葵の上が女の子を産んだなら優先的に帝や東宮の妃候補として育てるであろうと思う
源氏が昇進したのは冷泉帝の御代になったことと、左大臣や右大臣達が亡くなり
次々と空席が生じたこともあるから、左大臣生存中の話ならば思うほど昇進しないかなと思う >>238
大臣の娘じゃないと女御になれないよね。新弘徽殿は入内する時、まだ頭の中将が大臣じゃなかったから、女御として入内するために祖父の左大臣の養女になってる。 >>208
可愛いというか地味なモブ顔で五節では原典では際立った美少女とされてたから少し残念
個人の感想です 平安初期の衣装を見たけどほぼ奈良時代と同じでその次にいきなり十二単になってた
その間の返還が知りたいけどどこ探しても無いわ謎が深まるばかりだよ >>241
それはほかのスレで書き込んだほうが謎とけるんじゃ? >>243
ありがとう
でもそれ見て余計分からなくなったのよ
平安初期の靴を履かなくなり長袴になった時点で
女性は外に出なくなったんだなって分かるね
スレチ失礼これで終了する >>244
バブル時代の肩パットもいきなり無くなったしそんなものかと 時代祭の復元装束で平安初期の百済王明信と小野小町のやつがあるけど
あれは割と天平装束→五衣唐衣裳の過渡期感があって視覚的にわかりやすいかも 奈良装束から帯を取って単の上から表着を重ね着して帯で締めて唐衣を掛ける
袴をはかせて靴を脱ぐ
平安時代は寒冷期だったらしいから厚着になったのでは 靴は建物の様式が
変わったからその影響もある あと平安初期に桓武天皇が後宮に仕える更衣の装束をより性行為がしやすくなる
ように改めたっていう話もあって、帯とかで締めなくなったりダラーっとした
着方になったのもその影響かもねえ
もともと巻きスカート状だった裳の下に袴を穿いていたのが平安中期からは
袿の下が即袴だし、重ね着してる上衣は空蝉スタイルで脱いだまま放っておけるし 週刊少年漫画板の逃げ上手の若君スレだって鎌倉時代中期と南北朝時代の話でよく脱線してるし、
この間なんて若君の敵役の麻呂の話から清少納言にすっ飛んで清原真人にまで遡ってたからへーきへーき 桓武天皇って母高野新笠が半島の血筋。
なんで、やってることが向こうっぽい。
実父親王は天智天皇系統の傍系、聖武天皇の内親王を正妻にしててその息子を時期天皇にする予定で皇位が来たのに、長男だからと横入りして義母の皇后、異母弟皇太子を廃して殺害して天皇になってる人。
皇位を自身の血筋に限定したくて妃多数、後宮の女官は直ぐ「御意に叶う」ため衣服は簡便に下着履かないでね、ってことにって人。
子供多数。
自身の子供たちも異母兄妹で何人も婚姻させてる。 クソエロ親父に見えるけど
自分が傍系の傍系から謀略込みで成り上がった人間だからこそ皇統を自分の血で盤石に固めたいってのは分からなくもない気がする 桓武天皇は高市皇子と立場が似てるよね(重用の度合いは中務卿と太政大臣じゃまるで違うけども)
天皇の庶長子って点とか母親の格が落ちるあたりなんて特に 右大臣家の中の君(弘徽殿妹)ってあさきにも原作にも明言無いけど、勝手に兵部卿宮(紫父)の北の方じゃ無いかなぁなんて思ってる
先帝后腹の兵部卿宮なら春宮位につく可能性だってあったろうし、右大臣がほっとかないよなぁってのと、大納言家の娘をいびれるくらいだからよほど権勢の強い家柄なんだろうし、何より北の方のご気性 だったら原作でも右大臣一族とのからみがもっとあるだろうし、源氏物語ってなにげに細かいところで親戚づきあい重視してる場面がちらほらあるから
紫とまるで接点ないのはおかしいよ 金銭的援助できる余裕があり紫母の実家よりは身分が上の貴族かな? >>255
武市皇子は自ら帝になろうとしなかったからね。 >>256
兵部卿の宮の正妻の姉妹が、髭黒の正妻だったんだよね。 >>260
続き
兵部卿の宮の正妻は皇族系かな、てかんじじゃない?
紫の上の母親だって、けっこう身分ある人だよね。その人を日陰にしないといけないくらいの正妻だからさ。 >>260
ん?違うよ 兵部卿(のちに式部卿宮)の正妻の長女が髭黒の正妻だよ ここってたまにフワフワした源氏物語知識を自信満々に書き込む人来るよね 兵部卿の宮、髭黒妻にはあんなに親らしいところ見せていたのに ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています