つげ義春 総合スレ16
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>>315、>>316
わかるんだなあ それも文庫本でないサイズ感ある奴が良い じゅん散歩で高田純次と大竹まことが本屋カフェでつげ義春日記を朗読してて笑ったわ >>322
そうそう 文庫本も無いでは無いが
普通の単行本サイズから大判も並べてね。 大手漫画雑誌の連載終了後に行方不明になった漫画家が多い中、70年代以降は寡作を貫いても
一切生活に窮することがなかったつげ先生って稀有な存在だよね こんな繰り返し単行本が出てた作家はそうは無いからな 定期的なつげブームが起こらなかったら生活に窮して新作発表もあっただろうに 漫画家、原稿料1枚7〜8千円として、週刊連載持てたとして、月40枚で月収30万年収360万
単行本1冊400円として印税40円 1万部売れて40万か まあ、サラリーマン収入だなあ
連載あってもその位か 割のいい商売とは言えんなあ おまえのせいじゃ!(笑)
印税って一割ももらえるのか?
じゃ鬼滅はどうなるんだ? >>328
まず一枚の原稿料から
価格が違うんでは?
多分つげさんはもっと貰ってたかと。 一般的に書籍の印税は1割らしいぞ。
>>331
原稿料が違うったってつげ氏の場合、掲載誌を考えるともっと少ない可能性もなくない?
後期に主戦場にしてた、COMICばくとかはつげ氏には特別に原稿料いくらか上乗せしてたみたいだけど。
あと、つげ氏の単行本って単価高いの多いから普通の作家よりは収入あるかも。
古本屋の人からはケチ(とにかく値切ってくるらしい)な人、と評されてたがw 死ぬ前に一度会いたいなぁ
出来れば一緒に写真撮らせて欲しい 年とったつげさんと >>334 が佇んでる情景が
色褪せた古い記念写真を見るように思い出されてならないわ つげは原稿料が高いと安くするよう頼んだんじゃなかったっけ バカトンって初めて聞いた
変えるにしてもどうなの? つげ先生は昭和53年の時点で貯金が1000万円を超えたからな
当時の1000万円は今の1億5000万円くらいだろう >>339
高度成長時代は昭和40年代で終わり、昭和50年代からは低成長の時代。
昭和53年には大卒初任給は10万を超えていた。当時の1千万円は現在の2千万円弱だろう あの作風、あの寡作で、どやって一千万も貯めたんだ?
まさか中古カメラ売買のサイドビジネスてこともないだろに >>341
昭和53年ごろの、第一次漫画文庫ブームと言うべき時代に上手く乗っかって
つげさんの漫画がバカ売れして儲かった 漫画文庫で儲けた金で団地買って後に転売して儲けが出てる筈
ちなみにつけ先生に団地売った人は買った金額の5倍くらいで売った
当時がいかにインフレだったかわかるエピソードた うーん、漫画本とは言え、大人向けの千数百円の本なら一冊当たり印税百数十円か
税金分引いても数冊合計で十万部も売れれば可能か 一千万円
でも、つげファンなんて何万人もいるのか? つげ義春なんてマニアックなもの読んでるのは俺だけだろうな
という人を何万人も生み出した漫画家さんだから何度も全集本がでる いちいちageるなよ、荒らしの目に留まってしまうだろ >>347
やろうね
マニアックな中では一番
メジャーかと。 昭和58年ごろに小学館の「ねじ式」と「紅い花」の文庫本を買ったが
両方とも20数刷目だった >>350
うちの親父の本棚にもあったし、古本屋でもよく見かけるから相当売れたんだろうな 中2で買ったわ
小学館の「ねじ式」と「紅い花」、青いイラストの表紙の
それはもう強烈なインパクトだったw お年頃にゲンセンカンを読んで、子供が読んでいけないものを読んでしまった気になったね 俺自身、ねじ式の収録されてる単行本だけで何冊買ったかわからんぞ
短編ひとつ読みたいがゆえに重複しても平気で買ったりしてたからな つげ義春全集/全8巻+別巻/筑摩書房/1993〜1994年
つげ義春初期単行本集/サイン色紙/限定復刻 550部/1992年
つげ義春作品集/1969年/青林堂
ガロ1968年6月/1971年4月/つげ義春特集号
COMICばく全15号 1984〜1987年
つげ義春日記 1983年/講談社
つげ義春資料集成 1991年
つげ義春 漫画術〈上〉〈下〉 1993年
発表50周年記念 ねじ式 原寸大複製原画集81部
芸術新潮 2014年 01月号
アックス/つげ義春 生誕80周年記念/2017年
スペクテイター Vol.41「つげ義春」2018年
結構買ってるな なぜ蛭子能収コレクションも買わない?アート性は高くつげさんより現代的なのに。 買ってるけど
そもそも電子書籍出る前は蛭子能収のマンガは部数が少なくて古本も高めて手に入れにくかったの知らないの? >>352
装丁が改訂された版だね、それまでは白だった。 >>357
買ってるんならいいです。つげさんばかりここまで評価されるなら蛭子さんの初期漫画もかなりレベルが高いのにタレントイメージと漫画近作の投げやりさであまりに評価が低いと思ったので。 >>360
うるせぇよハゲ
>>361
アホってすぐヒトの尻馬にのるな >>359
蛭子能収って読んだことないがなんていうのがおすすめですか? 昔、森の本八戸に行った時に”ばんや”って店に行ったんだが、呑み屋なのに、なぜか
店のカウンターの中に本棚があって”つげ義春とぼく”が置いてあった。
俺もその本を持っていたのでその事を店のオヤジに話をしたら、なんと昔貸本屋全盛の時代
に漫画を描いていた漫画家でトキワ荘の手塚治虫の向いの部屋に住んでいたって話を
してくれた。 >>367
コレクションはどれも良くまとまってるけど「豚男ジャパニーズ」「地獄を見た男〜地獄編〜」がおすすめ。 >>372
え?じゃ その親父さんの正体は………。 >>357
そんな手に入りにくかった?
一部の本はそうかもだが
まんだらけでは数百円でいつも並んでたよ 手塚入居後
寺さんが入居前の
昭和28年1月〜11月の住居者 またトキワ荘の部屋の位置は
廊下を挟んで少しずれていたので
向かいは一部屋ではなく、
斜め向かいが二部屋 つげ先生って16か17歳で手塚治虫に漫画家のギャラを聞きにいってそれから一年後にプロデビューしてるんだよな >>379
そんな繋がりが有ったとは知らなかった。 漫画家のギャラいうても、手塚治虫先生と「義男の青春」先生とでは・・ 戦時中「空襲があれば学校が休校になるのに」と思っていたり、
赤面症で運動会出たくないから足の裏をカミソリで切ったり
引きこもり気味体質なのに、
船に忍び込んでアメリカに密航しようとしたり、
ときわ壮にわざわざ行って手塚治虫に漫画家のギャラ聞いたり、
赤塚不二夫と言い合いになったり、
九州の女に会うために蒸発したり、
80代になってフランス、初めて海外に行ったり
時々ポジティブになるつげ先生ほんと好き つげ義春、トキワ荘で相手してくれたのは赤塚氏だけだったそうだな
貸本で稼いでると自慢げに話して、赤塚氏を貸本漫画に誘ってデビューさせたが
トキワ荘では貸本専門作家はかなりバカにされてたようだ
長谷邦夫も貸本だけだったから新漫画党に入れて貰えなかったと書いている
『義男の青春』の田山先生は岡田晟
若きつげ義春に温泉とコーヒーと文学とクラシックを教えて人生狂わせたと言わしめた漫画家 岡田晟はウィキペディアによると少なくとも28年前までは存命していたようだから、「義男の青春」を読んでいた可能性があるね
自分があんな風に描かれてどう思ったのだろう
妻の不貞シーンとかもあったような >>382
ひょっとして双極性障害みたいなもんを患ってたのかも
躁状態の時は滅茶苦茶ポジティプになる >>383
「温泉とコーヒーと文学とクラシックを教えて人生狂わせ」られたって
つまり・・・まさに「先生」だったんだな トキワ荘といえば
芸術新潮 2020年 11 月号で
山内ジョージやよこたとくお含め
他の生存入居者全員2ページインタビュー受けてるのに、
藤子Aだけ、一切コメントもないんだよな。
なんか理由があるんだろうか。
そういえば、
各種トキワ荘本に、つげ義春氏が直接コメントあるいは文章載せたことって
ありましたか? トキワ荘本に呼ばれる理由もないやん
赤塚氏とだべってただけなのに 岡田晟は1913年生まれで80歳の時点で上野で似顔絵描きをして生計を立てていたんだな >>390
その頃よく上野の似顔絵の人の前を通って眺めてたわ。「どうですか?一枚」みたいに話しかけられたりもした。田山先生だったのかもな
徒歩20分だから今も上野のによく行くけど、最近は似顔絵の人を見なくなったな 今は2000円くらいが相場らしいから当時なら1000円とかじゃないの トキワ荘で赤塚氏とだべってたことについて
何か書いても不思議はないやん >>394
赤塚氏以外みんな相手にしてくれませんでした
赤塚氏とも言い争いになって行かなくなりました
なんて話をトキワ荘の特集本に寄稿する意味は?
そんなの依頼されてもつげ先生だって断るだろ
自分の特集本とかだったら思い出として語るだろうけど
ってか実際に語ってるけど 錦糸町時代はつげと赤塚は毎日のように会ってマンガ論を戦わせ、最後は口論になり
もう君とはこれまでだと怒ってつげは帰るがまた翌日にはまたやってきた。
赤塚がトキワ荘に移ってからは一度だけつげが訪ねてきて、また論争にになって
もう君とはこれまでだと出ていき、また来るだろうと思ってたら二度と来なかったと
赤塚不二夫が書いている。 貸本描いてたつげさんが、ど素人の赤塚氏としょっちゅう会ってたのが面白いね >>383
温泉はもちろん、文学もクラシックも、どう考えてもつげさんが嵌まるのがあるから、
萩原の猫町なんかも含まれてるなら、むしろ適切な指導者だったともいえるんじゃない?
鏡花とか牧水とか尾崎喜八とかなら絶対嵌まるし、紀行文はそういう雰囲気がある。
クラシックもバロックとか。 >>386
嵌まりすぎで、狂わせたというより、むしろ軌道に乗せたという感じになるんじゃないかね。 >>397
そこら辺は
つげさんも自分が上とかおごった気持ちは
無かったんやろうな。 赤塚不二夫もつげさんはチェックしてたよね
バカ式とかでオマージュしてるし つげ先生が笑っていいともにゲスト出演したときは笑ったよな
タモリ「髪切った?」
つげ「ええ、そして切った髪を溜めておいてるんですよね」
タモリ「どうして?」
つげ「もったいなくて」
タモリ「じゃあ、お友達紹介してください」
観客「えええええええ」
つげ「ありがとうございます。友達がいないのでつげ忠男を」
観客「キャー」 それは、ネタだろうけどさ、
映画「無能の人」が公開された後、タモリ倶楽部で、
多摩川の河川敷でロケやって、つげ先生に出演オファー出して
当然のように断られて、番組のエンディングでタモリが、
つげ先生の断りの手紙だかハガキを朗読したら、
出演者はその手紙が欲しくなって、取り合いになって終了した。 タモリはつげ好きそうな感じするよね
実際どうかはわからないけど相性良さそう そういやタモリを芸能界に入れたのは赤塚不二夫だったな 「無能の人」が映画化された時期(平成3年頃)に、それを記念してタモリ倶楽部で特集がありました。
「無用の物」をコレクションしてる人達を集めて、多摩川の川べりで撮影されました。
みうらじゅんとかが出てた気がします。泉麻人だったかも。
どれも負けず劣らず、「無用の物」でした。
それらをコレクター達がガチでプレゼンして、bPを決めようと言う企画でした。
タモリ倶楽部は、つげ義春本人にも出演オファーを出したのですが、断られたそうです。
放送の最後の最後に、タモリが、つげ義春から番組に送られたお断りの葉書を紹介しました。
一同は、「それは、本当に、つげ義春が書いた葉書なのか?」と自分達のコレクションを置き去りにして
タモリの周りに集まり、鑑定をし、口々に、「これはホンモノだ!これがbPだ!」と葉書を奪い合い、
その場でオークションのように競りが始まりました。
タモリが真顔で「これは俺のだ」と言い司会者権限で懐にしまおうとすると、
大の大人がマジでつかみ掛かり奪い合い、番組はエンディングとなりました。 1976年か1977年NHKの番組に出たことあるらしいね。
くらしの経済?とかいう番組 >>409
この前タモリ倶楽部にみうらじゅんが出ていて自身のマイブームを紹介。
今回は”今一番不要不急の人”って紹介されていた。w >>409
>>411
テレビ局が著作権にうるさいせいで録画持ってる人でもない限り
観れないのって文化の喪失だよな。
国会図書館のTV番組版みたいなの作ればいいのに。 1976〜77年のVTR収録だとNHKに映像も残っていない可能性が高い
NHKは70年代の大河ドラマや新八犬伝等の人形劇も上書きして消しちゃっているからな タモリと赤塚不二夫の話題が出てたから言うが、昔日テレの深夜でタモリと赤塚不二夫の
SMプレイが放送されたことがあったらしいw当然録画データは残っていないw 赤塚不二夫なにしてんだよ
つげさんと漫画で激論闘わしてた頃の気持ちを思い出せよ… >>417
むしろSMやってる方がイメージ通りで漫画論戦わせてる方が裏の顔って印象 アラフィフだが赤塚不二夫なんてアル中のオヤジのイメージしかないわ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています