あさきゆめみし 第九十九帖
レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。
!extend:checked:vvvvv:1000:512
※ワッチョイ有効化に必須の『!extend:checked:vvvvv:1000:512』が
行頭に2行書いてあるか送信前にご確認を
いづれの御時にか、駄スレ、良スレあまたさぶらひたまひけるなかに、
いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふスレありけり。
語りませう。
この板は全年齢対板なのでエロ話がしたい人はpink板へ
ここは漫画あさきスレなので専門的な史実ネタや原文ネタはほどほどに
史実ネタは日本史板へ、原文ネタは古文・漢文板へ
あさきゆめみしに描かれていない人物及び竹河の巻ならびに
後世に執筆された雲隠六帖について語りたいお方は下記のスレへ
紫式部、源氏物語スレ 二帖
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/book/1578572479/
まったり雅に平和に語り合いましょう
次スレは>>980なる方が立てる定めなりにけり桜人
前スレ
あさきゆめみし 第九十八帖
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/rcomic/1595812820/
VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvv:1000:512:: EXT was configured
VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvv:1000:512:: EXT was configured >>890 源氏のとこにはあちこちの女性から届いて紫がチェックしてたかもw
現代のスマホチェックみたいなものだよねwww
紫の上はそんなゲスいこと、してなかったんじゃない?源氏から、こんな手紙が来たよ、て見せられたら別だけど。 >>892
言われてみればそうだね、紫が自分から見るんじゃなくて源氏が(頼みもしないのに)見せてきそう 現代のスマホしかり、人の文を見る見ないって修羅場の元だよねえ
柏木から女三宮への文を見ちゃった時も、「柏木は色々あからさまに書きすぎ。従者が落としたり手違いで人が見ちゃったりする危険性があるんだからもっとぼかした書き方にしないと」って文の書き方にも怒ってたような
源氏は長年の経験(修羅場込み)で文の書き方を心得てたんだろうね >>896
柏木って、小侍従みたいな召人はいても、源氏みたいな百戦錬磨じゃなさそうだから、そりゃあ文の出し方も源氏に比べたら素人っぽいでしょwww 夕霧も真面目だけど柏木も真面目でそんなに遊び歩かなかったよね
源氏は六条御息所とのやりとりで手紙のルールみたいなものも盗むでもなく学ばせてもらってたから女性の扱い上手くなったんじゃないのかな
葵の上みたいな意固地なタイプでも手慣れてきた頃の源氏なら上手く付き合えたんだと思う >>898
その手紙の書き方とか教えてくれた六条に葵を祟り殺されたんだよな、源氏は
それで六条がお見舞いの和歌を寄越したんだけどその返歌に源氏が書き添えたのが
「思い詰めるのも無理もないことですがお忘れになるのがよろしいでしょう」と
はっきりとは書かないけど「葵を祟り殺したろう」とほのめかしてなおかつ表面では相手を労っているような文面
でも六条本人にはわかるという
自分がいろいろ教えた年下の恋人にこんな形で引導を渡されてしまうのも悲しいよね 想いの深すぎる人は重い上にストーカー化して実害が出てるんだから切りたい罠 >>898
そうだね
柏木ははけ口として小侍従やその他の召人はいたっぽいけど本命はずっと女三宮だったから、恋文が上達?する機会がなかったのかも
葵みたいな気難しい美人のことも、遊び人になってから出会ってたら落としにかかったでしょうね
葵とは厨二病というか藤壺への秘めた想いを抱えて悶々としてた頃に夫婦になったからねえ あの頃は生真面目な少年だったな 柏木の手紙を源氏に読まれたシーンでは女三宮と一緒にガクブルした >>902
あのシーンは怖かったよね
女三宮が座布団の下に文を突っ込んだ時に危険な雰囲気だったもん
その後源氏が二条院に帰ろうとした時に女三宮が引き止めなかったらバレずに済んだんだろうか >>903
女三宮って物を片付けた経験なんてなかったと思う
何も考えず女房に物を渡しておけばなんでも女房がやってくれてそれが当たり前で
源氏が来たから文を隠せなんていきなり言われてもパニックになるだけで
もう子供みたいに自分の一番近くの適当な所に隠すしかできなかったんじゃないか
あれは小侍従が悪いよな
女三宮に任せきりにせず自分が持っとくべきだった >>905 女三宮って物を片付けた経験なんてなかったと思う
そうだと思う。小侍従が悪いよ。 女三宮は生まれついての貴人だから、装束とかも全部用意してもらって着せてもらってが当たり前だろうしね
取扱注意な文を瞬時に適切な場所に片付けろと言われても厳しいよね 小侍従って柏木には同情してたけど、女三宮には内心嫉妬や苛立ちがあったんだろうね >>908
私が柏木さまから色々言われてあれこれ悩んでるのに女三宮さまは何とまあのんびりと…(いつものように猫と戯れる女三宮を見て)って呆れてる場面があったね
最上級の高貴な身分に生まれて大勢にかしずかれつつ六条院に降嫁、何不自由なくのんびり暮らして(六条院の女主人としての役割的なことは紫がやってるみたいだし)、尚かつ若い貴公子にも熱烈に愛されてる彼女への嫉妬もあったのかな 女三宮が不思議ちゃんでぼんやりした子と言う設定は今見ると時代を感じる
スポーツ観戦が趣味の元気な子なのに >>910
そうなんだ意外〜原作の女三宮は何のスポーツが好きなの?
あさきのキャラデザは結構尖った解釈なのかもね 女三宮が源氏に降嫁して心ならずも六条院を滅茶苦茶にしてしまったのは、
女三宮の父朱雀院が無意識のうちにそれを望んだ説は定説だけれど、
彼女の母女御の遺志もあったと思う
原作では女三宮の母の源氏女御(藤壺女御)は、
「皇太子だった頃に入内して、中宮におなりになってもよろしい高貴な身分の方だったが、
朱雀帝の後宮には朧月夜がいらして、弘徽殿大后のバックアップもあったので
源氏女御様は気おされてしまい、
父帝は既に亡く、ご自身が更衣腹で後ろ盾となる有力な外戚もなかったこともあって、
後宮での争いに敗れ、源氏が都に戻られて朱雀帝が譲位なさると、
希望をなくし、「この世を恨んだような様子で」亡くなられた」
源氏女御は没落の原因となった源氏の事も恨んでいた筈
女三宮はその母の無念を知ってか知らずか、源氏に嫁ぎ不義の子を産むことで果たしている >>911
蹴鞠
あさきでは「まあ貴公子たちが楽しんでいらっしゃる、三宮様もご覧になってはいかが」という女房に
「別にいいわ、わたくしは……」と関心がなさそうに猫と戯れているけれど
原作では「蹴鞠をご覧に御簾の際まで近づいて」とあるので好きな筈 原典だとおっとりしているけどぼんやりした子ではないからね
源氏と軽い冗談交わすくらいには割と陽気な子 >>913
蹴鞠が好きならなおのこと蹴鞠の上手い柏木と結婚すれば良かったのにね
源氏は若い頃でも蹴鞠が苦手だったと言ってるし >>913
女三宮は猫>>>>蹴鞠
柏木に見られたときも女房たちは蹴鞠に夢中だったのに女三宮だけ猫を気にしてそっちのほうを見てたし >>912
そうなんだ!知らなかったわ〜。女三の宮の母女御って、そういうかんじだったのね。
そりゃあ、女三の宮は知らなくても、周りはなんとなく反源氏だったんじゃないかな?
さらに、無意識の上とは言え、父帝の思惑通り六条院をぶっ壊してるしね。 >>912 ご自身が更衣腹で後ろ盾となる有力な外戚もなかった
で、源氏女御、てことは、内親王宣下はなかった、てこと?
皇女も源氏姓を賜わることあるの? 更衣腹だと親王内親王でも無品だから
むしろ賜姓源氏の方が良いってあったね
源氏が賜姓源氏なのもそういう理由だったような >>916
柏木も猫可愛がれるタイプだから
二人してネコまみれの生活送れば楽しそう >>919 >>920
そうなんだ!ありがとうございます!
じゃあ、娘が二品の宮にまでなって、亡き母女御も満足だったかな? 朱雀帝の後宮の様子はメインじゃないからほとんど出てこなかったね
尚侍の朧月夜が源氏との密通がばれてヒソヒソされてるくらい
三宮が生まれる前くらい藤壺の女御とバチバチしなかったのかしら?
夕霧がもし帝だったら一日おきに各女御のもとに通うのだろうかw >>923
もし夕霧が帝だったら、そうだね1日ずつまんべんなく通って何ならシフト表とか自ら組んだりしてw
お妃達も嬉しいような違うような >>912
>源氏女御は没落の原因となった源氏の事も恨んでいた筈
これはあなたの個人的な解釈だよね?
あさきにも原典にもそういう内容は無かったような
女御の没落の原因は源氏じゃないと思うけどな
恨むなら弘徽殿大后一派じゃないのかね
源氏が須磨にいる間に女御が華やいでたならわかるけど、ずっと朧月夜が一の人だったわけだし 女三宮の母は藤壺中宮の腹違いの妹だし間違いなく弘徽殿大后に目の敵にされてただろうね
今上帝の母親も朧の寵愛に押され続けて皇子が東宮から即位前に亡くなったんだっけ
この妃たち視点で考えると朱雀の退位後にまた源氏と関係結んだ朧はほんとありえない >>925
うん、あさきにも原典にも女三宮母が源氏を恨んでいたような描写なんてなかった
女三宮母が不遇だったのは確かだけどそれは源氏のせいじゃないし
ままならぬ世の中そのものを嘆きながら死んでいっただけで源氏への恨みなんて原典読んでても微塵も感じなかったわ
あと朱雀が六条院の崩壊を無意識に望んで女三宮を降嫁させたのが「定説」になってると>>912さんが言ってるけど
このスレでもしかしたらそうだったのかもねーと雑談としてそういう話題が出たのは私も何度も見たけど
研究者の間で定説になってるかどうかは聞いたことない
本当にそんな定説あるの? >>926 この妃たち視点で考えると朱雀の退位後にまた源氏と関係結んだ朧はほんとありえない
まあね、全くその通りだと思う。朧月夜のせいで朱雀は中宮も立てられなかった(立てなかった?)んだろうし、まあだからこそ源氏の繁栄にも繋がってると思うと、源氏よくぞ朧月夜と関係持った、て言えるよね。 穿った見方に固執する人は何故か定説を主張するのが常態 朱雀帝は朧月夜のせいで中宮たてられなかったんじゃないと思う。
推測ではあるんだけど、藤壺・弘徽殿以外にその当時誰かもう一人、古い后がまだ生きてたんじゃないかな
后というのは同時に3人までという決まりで、冷泉帝の中宮が立てられたのも、藤壺が
亡くなって后の位が一つ空いたからだと思われるんだよね、タイミング的に。 朱雀帝は朧月夜のせいで中宮をたてらなかった〜を繰り返し言ってるのは同じ人なのか違う人なのかわからんけど
文体が独特だな >>932
朱雀帝のウィキにそう書いてあるんだけど。 朱雀のWiki見てきた
朧のせいで中宮をたてられなかったなんてどこにも書いてなかったよ? wikiってたまにトンデモな解釈をそのまま書いて訂正されてないこともあるから、
wikiを根拠にするのもどうかって感じだけどねw
朱雀院に中宮がいなかったのは有力な妃がいなかったから、という説もあるけれど
原典にそう書いてあるわけじゃないから、あくまでそれも説に過ぎないんだよね 朱雀腹黒説、中の君中宮薫後見説、夕霧没落説、雲居半分妻説に加えて、源氏宮の源氏怨恨説、古参皇后説か
なかなか面白くて良いね
定説じゃないけど でも朱雀在位中は右大臣家が強いし怖い弘徽殿大后が睨んでいるから朧以外が中宮になれる雰囲気は無さそう
後ろ楯弱くても藤壺中宮くらいに寵愛受けて妃腹で皇子も産んでたり条件が揃ってるという女御はいないし
桐壺帝に守られた藤壺中宮と違って、弘徽殿大后相手だと夫の朱雀も中立程度で味方になってくれそうにないし >>937 朱雀在位中は右大臣家が強いし怖い弘徽殿大后が睨んでいるから朧以外が中宮になれる雰囲気は無さそう
ほんこれ。妃たちは右大臣家の威光に押され気味で、臣下たちも右大臣家に遠慮して、朱雀帝自身が朧月夜を一番愛してたしね。 実際、尚侍から中宮に立った例はあるようだから、もし朧月夜に子ができていれば立后したかもね
他の女御達は後ろ楯が弱かった 少し調べてみたけど。
后位には、皇太后、太皇太后、皇后と三つあって、その内皇后が=中宮と呼ばれていた。
この三つが埋まっていると、その他に皇后を立てることは元来できなかったけれど
藤原道隆が、強引に定子を四人目の后にし、当時の皇后(円融后)を皇后宮、定子を中宮とした。
その後、道長は道隆の掟破りを利用し、娘彰子を中宮、定子を皇后にして
一人の天皇に二人の后を立てる慣例を作った。
源氏物語の時代はまだ后が3人までの時代がモデルなので、冷泉帝の中宮が
藤壺中宮の死の直後に選ばれていることを考えると、后の誰かが亡くなって
座が開くまで朱雀帝は后を立てられなかったのではないか、という仮説かと思うけど
桐壺帝の后を選ぶタイミングを考えると、誰か后位が空いたからというのでも
なさそうな感じでもある…
藤壺の母后は藤壺入内前に亡くなってるし。
后の人数が3人までで、空きがないと立后できないのも条件の一つかも知れないけれど、
空きがあっても有力な皇妃がいないと立后を行わないのかも知れないし、
よく分からないね。
朱雀帝の中宮は、本来は承香殿女御が立つべきだったんだろうけれど
権力者の右大臣が嫌がったとかあったのかも。 >>940
承香殿女御、直接の登場がないから想像するしかないけど、髭黒の父の大臣からの期待を背負って入内して唯一の皇子を産んだけど、右大臣家と朧月夜に遠慮したりと気苦労が絶えなさそうね
亡くなった時期ってひとり息子が東宮に立つ前だっけ? 息子の晴れ姿を見られなくて気の毒だったね >>940
桐壺帝の先帝のひとつ前の朱雀院(一の院)が桐壺帝の父だと思われてて后の描写は特に無いけど
もし后がもう1人いるとすればこの一の院の妃(桐壺帝の母)が太皇太后かも
朱雀の時代にまだ生きていたら60歳くらいなのでありえなくもない >>940 空きがあっても有力な皇妃がいないと立后を行わないのかも知れない
そりゃあ、有力な後ろ盾がないと立后出来ないでしょ。有力な後ろ盾がいれば立后出来るて訳でもないだろうけど。 藤壺は有力な後ろ盾いないまま立后したわけだけれどね。 現実的な話で恐縮です
入内には莫大な費用がかかると思うんだけど、藤壺の入内の時は兄宮が負担したのだろうか
立后するのも儀式とか装束整えたりで何かと物入りでしょうに 藤壺の宮の時は、桐壺帝の同腹の実妹である大宮の降嫁先である左大臣家が間接的な後ろ楯になったのでは
※個人的な推測です
左大臣は葵の上を右大臣家筋の東宮ではなく桐壺帝の最愛の皇子である源氏を婿にしてるところから見ても、
桐壺帝とのそれまでの信頼関係があったにせよ源氏の将来を見込んでの判断だろうし、
その源氏とも近くて桐壺帝に寵愛されてる藤壺のバックアップをしていた可能性はあるかも
東宮を産んだとはいえ、右大臣家の姫である弘徽殿女御を中宮にするのは阻止したかったんじゃないかな あ、藤壺の母后の実家が有力者(=裕福)だった可能性はあるよね >>947
考えてみれば弘徽殿の大后は、右大臣の娘で東宮の母親なのに中宮になれなかった、てことだよね。 >>946
逆だよ
藤壺腹の皇子を次の東宮にするために、藤壺を立后させたんだから。 >>949
これは弘徽殿から恨まれちゃうよね
桐壺帝は一応フォローしてたような、朱雀が即位すればあなたは皇太后なのだから、的に >>947
左大臣家のバックアップがあったかも、って確かに
色々な想像ができてそれもまた楽しいね
藤壺の母后は「桐壺更衣は宮中でひどくいじめられたらしいのに、そんなところに娘を入内させるなんて」って心配しつつ亡くなったんだっけか さすがに左大臣家は藤壺と関係が無さすぎて援助することは無いと思うよ 藤壺母が前帝の妃の中で一番身分が高そうでかつ中宮では無いので
皇族かもしくは六条御息所のように中宮になる前に後ろ楯の父が亡くなったかで
後ろ楯は無いけれどある程度の遺産は持っていたから藤壺を女御として入内できたとかだと思うな
どこにも書かれてないから想像するしかないけど >>954
藤壺の宮は「后腹の宮」=皇后が産んだ内親王
のはず 桐壷帝に藤壺を勧めた人がいたんだよね?
その人じゃないの後ろ盾 藤壺宮は女御じゃないし…
基本的に、内親王は通称で「女御」と呼ばれることがあっても正式には女御じゃないんだよ >>957
それ教えて
あさきでは藤壺の女御と称せられる…みたいなのあったけど
女御って本来官職でしょ?
それがないってことは、入内してから(身分は后腹内親王だけど)地位(官職)はどうなってたの? 女御は令外のおきさきだから、わりと曖昧なとこあるんだよね…
ただ一つ確実なことは、原典では藤壺は一度も女御と呼ばれていないこと。
弘徽殿や立后前の秋好中宮は、はっきり「女御」って呼称が出てきているんだけれど。
立后前の藤壺は、単に「内親王」として後宮にいたか(おそらく品位も持っていた)、
あるいは「妃」という、内親王しかなれない令制の后妃の地位を持っていたかどっちか。 >>959
呼び名も、藤壺の女御、じゃなくて、藤壺の宮、だよね。女御よりも宮のほうが位が高い、てことだよね。
品位を持ってたんなら、女御としての収入よりも多かったのかな? >>955
そう、藤壺の宮の母は皇后だよ。
女三の宮の母親の源氏女御(藤壺の女御)の母親は更衣。 >>955
>>952さんの言う通り、先帝の四の宮がたいそう美しく、亡き桐壺更衣にそっくりと聞いた桐壺帝が、四の宮の母后に入内をお願いしたら、母后は、四の宮も桐壺の更衣のように弘徽殿の女御にいびり殺されるんじゃないか、て気にしながら亡くなってしまうんだよね。 もし、左大臣が藤壺の宮の立后を陰ながらでも支援したとするならば
左大臣の孫娘(頭中将の長女)を冷泉帝の女御にするための布石という考え方も出来るかも >>961
皇后なのになぜか息子は東宮になれなかったんだよね
桐壺帝の血統に負けちゃったんだろうけど、桐壺帝も後ろ楯無いから右大臣から弘徽殿を左大臣に大宮を嫁がせてるのに
先帝が若いうちに亡くなってしまったからか 桐壺の更衣と藤壺の宮は何でそっくりだったのかな
宮の実母である皇后とどこかで血縁関係があったのかね
結局源氏は母を追い求め続けていたともいえる 左大臣家が藤壺に陰ながらでも支援していたら藤壺がライバルの秋好入内に関わらないと思うよ 東宮や天皇の添臥は正妻候補とされるので冷泉帝に最初に入内したのは秋好が先か
新弘徽殿が先か、読み返してみる >>968
新弘徽殿か先だよ。たぶん冷泉が東宮時代に結婚したんじゃない?
だから源氏は焦って、棚ぼたで手元に来た斎宮を、冷泉の後宮へ送り込んだんでしょ。 >>959
内親王は結婚後も「宮様」って呼ばれてたりするよね、のちの和宮様も降嫁後に御台様と呼ばれるのを嫌い「宮様」と呼ぶように言ったみたいだし 藤壺の後見は兄の兵部卿宮だよ?
里帰りして冷泉を生んだときも兵部卿宮が側にいたし桐壺帝が亡くなったときも藤壺が帰る先は兵部卿宮のところだったし
ただ藤壺が14歳で入内したばかりのときは兄宮もまだまだ若かったはずで
でもその時点で兵部卿宮が結婚していたなら正妻の実家の支援を受けてそれで妹を後見していたのかもしれん
そう考えたら兵部卿宮が正妻に頭上がらないのも理解できるんだよね 藤壺の後見が兄だとも書かれていないんだよな
冷泉の後見もしなかったし >>971
今も昔も、内親王、て女性のほぼ最高位だからね。 いや藤壺の後見は兄だし。
入内する時も、兄がその気になって云々書かれてたし、出産にせよ出家にせよ、いつも
兵部卿宮が側にいて面倒みてたやん
兵部卿宮からのちに式部卿宮になるけれど、兵部や式部の長官だから、品位の収入以外に
その収入とかもあるんだよ
冷泉の後見が源氏なのは、母方である藤壺側が、兵部卿宮をはじめみな親王であって、
政治に関われないから。
「御母方の、みな親王たちにて、源氏の公事しりたまふ筋ならねば」って原典に書いてある。 >>974
源氏が冷泉の後宮に入れた王女御に力添えしてくれないって藤壺の女院に愚痴ってたよね
「源氏の君の奥方は兄上の姫さまではありませんか」と女院から言われて、
「源氏の君は“後宮が賑わうのは結構なことです”と言うばかりで一向に…」ってモゴモゴ >>978
あげく、秋好を養女にして入内させるしねwww >>980
乙です
>>978
あれ不思議だなあって思ってた
王女御は藤壺の姪で兵部卿宮は後押しを頼むなら源氏より藤壺に頼んだ方がずっと効果的だよね?
藤壺は冷泉の母后で母親が後押しする姫なら冷泉も気にかけるだろうし
なんで藤壺でなく源氏?
それとも藤壺にも当然後押しは頼んでてその上で冷泉の後見である源氏にも王女御を支援してもらい、王女御の入内をより有利なものにしようとした?
その頃はまだ源氏も秋好を入内させてはいなかったし >>981
源氏は、自分が須磨流しされてる間紫の上に冷たかった兵部卿の宮を許せなかったんじゃない?
後宮政治にも参入したかっただろうしね。 新スレ乙です
>>982
981が言ってるのは、
『兵部卿の宮は』何故冷泉の実母である女院ではなく源氏に後押しを頼もうとしたのか
ってことだよ
須磨の件で紫の上に何も気配りしなかったせいだというのは兵部卿の宮自身がそう考えてる描写があったし、
源氏も紫の上にはっきり言っている
>>981
斎宮の入内を源氏が女院に相談した時点では、まだ王女御は入内してない
女院は斎宮が入内する予定だと知っていて、兵部卿宮は斎宮のことを知る前に源氏に王女御の件を仄めかしたんだと思う
源氏は須磨の時のことで兵部卿とは壁ができてるから、斎宮入内については話さなかっただろうし
女院が兄宮に“斎宮が入内する”と話した描写はたぶんなかったよね?
それから宮が紫の上に手紙で源氏への取り成しを依頼→源氏拒否→紫の上困惑
で、後々中宮冊立時に「やっぱり源氏の君は王女御の後押しをしてくれなかった…」とガックリ
斎宮の入内と中宮冊立は「あくまでも母后である女院の意向」という建前で源氏が押しきった >>983
なるほど、そういうことなんですね!
兵部卿の宮、源氏が須磨に流された時の紫の上への仕打ちを考えても、復活した源氏が応援してくれると思ってたんだろうか? 紫の実父なのに彼女が心細い時に見捨てた、と源氏は怒って縁を切ってしまったけど、源氏にしても実父に相談もなしに姫を自宅に連れて行って育てて妻にしてしまった
源氏も実父を立ててきちんと婿として振る舞えてなかったよね
それらがかなり後になって女三宮の降嫁話につながってる気がする 時代が違うとはいえ、新潟で養女拉致監禁事件とかあったよね
10年以上行方不明の >>985 源氏にしても実父に相談もなしに姫を自宅に連れて行って育てて妻にしてしまった源氏も実父を立ててきちんと婿として振る舞えてなかったよ
確かにね。全く自分の都合だけだったよね、源氏。 本当なら死期を悟った祖母が父親に紫の上の引き取りを連絡すべきだったんだよね
いじめられるかもしれないからと手元から離さなかったようだけど少なくとも衣食住の面倒くらいは見てくれるだろうし
自分が死んだ後が心配と言いながら何もしてないとこが怖い いや普通に祖母の死後は父親に引き取らせるべく連絡は取っていたけれど、源氏が
うまいこと父親が引き取りに来ることに決まってた日の前日にさらっちゃっただけ。 少納言だけ一緒に来るよう伝えて連れてきたから、残された女房達がおろおろしてたもんね レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。