あさきゆめみし 第九十九帖
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いづれの御時にか、駄スレ、良スレあまたさぶらひたまひけるなかに、
いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふスレありけり。
語りませう。
この板は全年齢対板なのでエロ話がしたい人はpink板へ
ここは漫画あさきスレなので専門的な史実ネタや原文ネタはほどほどに
史実ネタは日本史板へ、原文ネタは古文・漢文板へ
あさきゆめみしに描かれていない人物及び竹河の巻ならびに
後世に執筆された雲隠六帖について語りたいお方は下記のスレへ
紫式部、源氏物語スレ 二帖
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/book/1578572479/
まったり雅に平和に語り合いましょう
次スレは>>980なる方が立てる定めなりにけり桜人
前スレ
あさきゆめみし 第九十八帖
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/rcomic/1595812820/
VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvv:1000:512:: EXT was configured
VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvv:1000:512:: EXT was configured あさきゆめみし 書籍(括弧内の数字は初刷発行年)
KC mimi(1980-1987 1989-1993) 【全13巻】
豪華愛蔵版(1987-1992) 【全7巻】
保存版(1993) 【全7巻】
第1巻 星の章
第2巻 花の章
第3巻 炎の章
第4巻 月の章
第5巻 風の章
第6巻 水の章
第7巻 霧の章
《KC mimi 第1巻から第10巻まで収録》
漫画文庫(2001) 【全7巻】
カラー絵巻を一部併録
完全版(2008) 【全10巻】
連載時カラーで描かれた扉絵見開きを再現
電子書籍版もあり配信中
完全版ハードカバー(2017) 【全10巻】
《宇治十帖(KC mimi 第11巻から第13巻)含む全話収録》 イラスト集
源氏物語 あさきゆめみし画集 (1984)
大和源氏 あさきゆめみし絵巻 上巻・下巻 (1994)
大和源氏 あさきゆめみし絵巻 新装版 上巻・下巻(2016) 表紙の人物
単行本
1巻:空蝉 夕顔 六条の御息所
藤壺の宮 桐壺の更衣(後ろ向きの女性)
紫の君 源氏の君
2巻:源氏の君
3巻:紫の君 源氏の君
4巻:明石の君 源氏の君
5巻:藤壺の宮 源氏の君
6巻:玉鬘
7巻:雲居の雁 夕霧
8巻:柏木
9巻:女三の宮
10巻:紫の上 源氏の君
(新装版)紫の上
11巻:薫の君
12巻:中の君
13巻:浮舟 匂の宮
11巻初刷以降に重版された1巻から10巻は11巻と同一の装幀に変更しました
完全版
1巻:源氏の君
2巻:葵の上 六条の御息所
3巻:朧月夜 源氏の君
4巻:空蝉
5巻:紫の上 源氏の君
6巻:雲居の雁 夕霧
7巻:女三の宮
8巻:源氏の君
9巻:大君
10巻:浮舟 匂の宮 《名台詞集》
わたしはねなにをしても許される身なんです
……より多く愛した者が負けなのです
生涯一度として心から愛されたことのない后だったのだもの
今度生まれてくるならもっときれいに生まれたい……
いったい なぜわたしはこんなむなしい恋のとりことなってしまったのか
わたくしが琵琶の撥で招いたら月が雲から顔をだしましたよ
こんな人の世の苦しい恋の淵に身を沈めようとは
こんなわたくしを愛してくださったあなたに涙しか残してゆけない……
……あなたが天女なら……
わたしは月読だ……
愛が勇気を与えてくれたから……
その愛をあなたにのこしましょう
あなたはこの世の中に生きて
最上の喜びと最上の哀しみを味わうために生まれてこられた
そんな美しいかたが花を散らせてしまうのを見るのは……
悲しゅうこざいます
わたくしは二度と目ざめることのない
あの夢の中にはいっていきます
やっと実るのだわたしたちの幼かった恋は……
春に遅れて咲くこの藤の花のように……
自分は人とはちがうのだと思ってきた……
その思いあがりがいまははずがしい 見つけた
わたしがさがしていたもの……
身をこがすような恋……
愛にことばなどいらないのだ
愛したら……
だたやさしくほほえむだけでいい……
あなたの悲しみを……
あなたの涙を……
けっしてむだにはいたしますまい……!
あなたさまのおっしゃるのはうわべだけのいつくしみ……
世間体をつくろうだけのおやさしさ……
わたくしへの愛などではありません……!
桜よ
いまは喪の色に咲け
あの人はもういないのだ
わたしの永遠の恋人は……
わたしたちは
……またいつか出会うことがあるのだろうか……
いつか……
男と女の垣根をこえた
御仏の御弟子として……
その日こそ
わたくしたちは夢の浮き橋を渡り……
静かに手をとりあうことができるだろう わたくしは母を知りません
はかなげで少女のようで……
すきとおるように美しい人だったといいます
愛だけによって生き
その生命を断ったのもまた愛であった……と
あなたのお気持ちはよくわかる
わたしを責めておいでなのも
だが わたしはだれよりもあなたを失うのがおそろしいのだ
あなたに見放されるのがつらいのだ……
……ああ……
あなた……
ひとりぼっちの……
かわいそうなあなた……
あなたがわたくしを愛したから
わたくしは生きてきたのに……
あなたこそがわたくしの人生
わたくしのすべてだったのに……
つぎの世に生まれたら……
わたしはべつの生き方を望むかしら……
それともやっぱり
もう一度
あなたのような人に出会って……
……いつまでも愛されて……
……そばにいたいと…… 「あさきゆめみし」以外の大和和紀先生の作品
「はいからさんが通る」「ヨコハマ物語」などを
語るスレッドは少女漫画板にあります
大和和紀作品について語りましょう(9)
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/gcomic/1493254873/ 紫上「いわば世間並みの結婚のできるような、しっかりした親がいなかったというだけで、
殿はわたくしという人間を軽んじておられたのか・・・」
この時代は妻の実家が夫を支援することが義務であり、
落窪物語では支援の不備などで離縁を言い渡された妻がいたし、
今昔物語には経済的な理由で支援ができなくて、妻自身から離縁を申し出た例もあるのに、
あさきの紫上はなんも負い目を思わず、自分の立場は絶対的に守られると信じていたの?
あさきの紫上ってのんき者だな。 紫の上には、経済的な基盤がないという、妻としての決定的な不備があったのに、その不備ですら
源氏自身が自分の財産を紫の上名義に書き換えるということで解決したから、何もかも愛ゆえに
守られると紫の上に信じさせたのは源氏じゃないのかな
男が信用ならないものなんていうことも、紫の上は源氏から教わるしかなかったんだから 紫の上は一応宮家の姫だから身分は相当高いけど
源氏が子どもの紫を攫うように連れてきて
そのままなし崩しに結婚という形が問題だったらしいよ
この時代は嫁の実家に三日通って正式結婚とみなされたそうな…
紫が父親のところに引き取られてから結婚という形ならまた何か違ってたんだろうけど
源氏がめんどくさかったんだろうね色々・・・この時代の女性もかわいそうだね
行方不明になった紫なんか父親に探されもしないし、結婚が正式じゃないから重んじられないとか 四十の御賀なんて今でいえば還暦。
娘も嫁ぎ、一緒に出家も考えていたその矢先、
夫が自分よりはるかに身分が高く、娘みたいな年の内親王と結婚。
そんなことされたら、長年一の人の扱いを受け、六条院の女主人だと思いこんでいた
紫の上の足場が、根底から崩れ落ちるのも無理はない・・・ 式部卿宮の正室がうるさくて、表立って紫の上に援助できなかったんじゃなかったっけ
源氏が須磨に流された時も関わり合いを持ちたくないと逃げて、
その後源氏が宮廷の実力者に返り咲いた途端に掌を返したように紫の上の異母兄弟がすり寄って来た
優しい紫の上が援助しようとしたら源氏が「貴女が辛いときに助けなかったくせに図々しい」と怒ってた >>17
苦しい時には見捨てておいて、復活した途端すり寄ってくる。第三者が時勢を読んでそれをするのは仕方ないことだけど、親としてはダメだろうと激怒してたよね。
とはいえ、源氏も紫の実家との付き合い方が良くなかったと思う。勝手に攫って結婚して、正式とは程遠い縁組だったし。 裳着の式をやってなかったっけ
それだけじゃ不十分なのかな 姫が行方不明になって心配してたら源氏に引き取られたと知って喜んでた
宮は裳着式で涙ぐんでたけど、奥方はキーッてなってた
あの宮は流されやすそうな性格っぽいよね
冷泉帝の後宮に紫の上の異母妹が入内したけどあまり目立ってないからとりなしを頼む描写があったような 北の方も馬鹿だねえ
行方知れずだった姫のことなんてほっときゃよかったのに
夫にあれこれ口出ししたもんだから源氏に絶縁されて王女御もしらんぷり
自業自得 >>21
ほんとに。性格がきついのもだけど、脇腹の姫が気に食わないばかりに感情的になっちゃたからこじれてしまった。
源氏との縁が新たにできたとプラスに考えて振る舞える人だったら、紫もあそこまで実家と疎遠にならずに済んだだろうね。
ただ、原作では紫を引き取って育てるつもりでいたし、あさきでは原作以上に悪役になってるよね。 髭黒の妻になった娘の件でまだ紫を恨んでた
あの北の方は幸せな老後を送れたのかな 兵部卿宮って藤壺にも困った時に頼りにならなかったから見切りをつけられてるよね
せっかく姉妹や娘がいい所に嫁いだのに全然生かせてない >>17
まず須磨に行くことになったのは源氏の自業自得でしょ
「私の軽はずみな行動の所為でご迷惑おかけしますが、都に残る妻のことよろしくお願いします」
ってむしろ源氏が兵部卿宮に頭下げてしかるべきじゃないか
それでなくても源氏は東宮だった冷泉の後見なんだから藤壺&兵部卿宮兄妹の面子も潰しているし そもそも、紫の上を妻にしつつ、帝の女に手を出したり斎宮と手紙を取り交わしたりして
失脚だもんなあ… >>23
精神疾患で実家に帰ってきた長女もその後よくなったという話も聞かないし
真木柱もはじめの結婚は失敗したしね
心安らかではいられなかったんじゃないかな >>23
あの頃、六条院は栄華を誇ってて、その一方で兵部卿宮家は…長女はメンタル病んで夫と離婚(原因の一端が六条院に引き取られてる玉鬘だし)、末娘は入内はしたけど影が薄くて、源氏は妻の異母妹なのに王女御のことをほぼ無視。
自分たちが不運の時に調子に乗って!キー!!→自分たちの不幸は六条院とあの脇腹の姫のせいだ!!! って恨みを積み重ねたのかも。そうしないとやってられなかったのかもね。 >>28
薬もない当時、統合失調が寛解することは無いでしょうね >>28
そういう精神疾患の人が多かったと昔何かで読んだ
娯楽も少なく家の奥で暮らして夜は真っ暗で夫も来ないとなると病むの分かる
物の怪付きっていうのもそういう人達のことだったらしい >>32
末摘花って、あさきの中では自分が不細工なことを自覚して「もっと美しく生まれてたらもっと愛されたのかも」って泣いてたよね。
原作ではそんな風に自分を客観視するタイプではなかったみたいだけど(他の姫の顔を見る機会もないしね)。だからこそいつでも超然としてられたのかな。 >>33
超然というか天然というか…
出家した兄もそうだけどとにかく浮世離れした人だよね
でも疑うことを知らない無垢な心の持ち主で
その辺はやっぱり育ちの良さなのかな >>34
零落してたから豊かな育ちじゃなかっただろうけど、自分の生まれ素性に絶対の自信を持ってただろうね、末摘花。 >>35
常陸宮って名目だけとはいえ常陸国のトップだよね、名誉職みたいだからそれなりに収入はあったのかな。実際に認知に赴任して仕事してる受領のようにはいかないだろうけど。
あの兄君を見てると、宮様本人も浮世離れしてたのかもね。 >>36
常陸介に全部持ってかれてそうだなーとか思ったけど、常陸介は物語途中から空蝉の夫なんだね。この人も溜め込んでるのかな。 >>36
父の常陸宮亡き後財産を騙し取られた、て言ってなかったっけ? >>38
そうだったんだね。
空蝉や夕顔の家もそうだけど、父親が早く亡くなって姫が取り残された家は大変だなあ。。女ばかりで舐められたり、強盗に入られたり騙されたり。
子ども達のためにも父親は元気で長生きして欲しいよね(平安時代に限らないか)。源氏のとこは夕霧がちゃんと家を仕切れるように成長してから出家したし、そこは安定感があったね。 源氏が須磨流しなってるとき
よく紫の上は二条院で無事だったなぁ
家来や女房がしっかりしてたんだろうけど・・・
美人な若奥様、留守中に頭中将とかに襲われなかったものだ
でも友達の奥さんって狙ったらだめなものなのかしら当時でも? 紫の上を襲っても別になんもいいことないというか、自分の財産も後見もないし
世の非難浴びそうだし… 頭中将が流刑になって源氏が居残っていたら間違いなく親友の妻を寝とってる >>42
うん、須磨に行ったのが頭中将だったら、源氏は須磨に見舞う代わりに友人の妻を見舞ってそうw 右大臣家の四の君は美人らしい、って話は出てたしね。 朧月夜の君の姉に手を出したら弘徽殿の大后がますますぶちギレそう >>39 父親が早く亡くなって姫が取り残された家は大変だなあ。。
桐壺更衣もそうだよね。空蝉や夕顔のこと考えたら、夫大納言亡き後でも、しっかり娘を入内させた更衣の母親はすごいよね。 >>34
末摘花、父宮が生きてた子供の頃は、宮家らしい豊かな暮らしをしてたんだろうね。父宮が末摘花にと作らせたお道具があったし、狸の毛皮もあったよねW >>46
桐壺更衣には兄がいるけど、出家しているらしい。
老いた母と後宮で虐められてる妹を助けてあげればいいのに。
末摘花の兄もそうだけど、男に生まれたのに、家の再興も一族のことも無関心な嫡男っているんだねえ。 嫡男なのに出家している時点で
過去にその家に没落するような何かがあったのではないかと思ってしまう
桐壺更衣実家なら父親の代で政権争いに破れて嫡男はもうこの世の栄達はあきらめて出家したけど
母親はあきらめきれず娘を入内させたとか 桐壺の更衣って按察使大納言の遺言で入内したんだよね
もう少し長生きしてたら大臣になれて、更衣じゃなく女御として入内できたろうに
娘が生まれた時に美しかったからそこらの公達には絶対にやらん、后がねにしようと決めたけど、
息子は宮仕えさせず出家させたってことはとりわけて学問が得意だったり何かしら秀でたものはなかったのかな >>49
桐壺更衣の兄は何か訳があって出家に追い込まれた…って可能性もあるね。更衣の父は何かで失脚してその後亡くなった、とかも。妹を助けたくてもままならなかったのかな。
末摘花の兄は…兄妹ともに浮世離れして融通が効かないからなあ。暮らしの糧をどうしてるのか等を気にかける様子もなく、自分が寒いからと黒貂の毛皮を借りパクしてっちゃうし。 桐壺更衣のいとこの明石入道も父親が大臣で妻が中務宮の孫娘、
教養も見識もあり普通なら多少性格が変わってても出世コースいけそうな感じがするんだが
なぜか早々に都での出世をあきらめて地方の受領になってしまったしね
桐壺更衣や明石入道の親世代で何かあったのかな >>53
藤原氏同士でも、何なら兄弟間でも争ってたりするから…他の家なら尚更排除しようとするかもね。 明石入道が明石にあそこまで入れ込んで育ててよく成功したよね
うちも近い年頃の子がいて周囲も含めて父親がこどもの勉強や芸術関係に熱くなりすぎる良くない結果を招くことが多いのにとふと思ったわ
現代とは価値観が違うから生育過程もかわってくるのかしら? 元々の素質があった上に親の言いなりになるのに違和感を持たない時代だったからとかかな
三宮ももっと幼いときから教育してればきっと、、 >>55
明石は一人娘で、親の期待の行き先が自分しかいない状態だしかなりのプレッシャーだよね。
父親の後見が何かと必要な時代だし、逆らう選択肢はなかったかも。 没落した家でも器量の良い娘が生まれたらワンチャンある時代だもんね >>55
その点は住吉の神のご加護だね
貴人とのあいだに将来中宮になる娘をもうける運命を背負って生まれたのが明石で
明石入道は夢でそれを知っていたから娘の教育にも熱を入れたし未来の栄光も確信していた 源氏がタイプじゃなくて海に身を投げてたらどうなったんだろうw >>58
桐壺更衣の父君も、「今は我が家はパッとしないけど、うちの娘は器量良しだしワンチャンあるかも」と期待をかけて妻にも常々言ってたんだろうね。 明石が期待に応えてくれる聡明で綺麗な娘さんで運が良かったね明石一族は >>61
藤壺や紫レベルの美貌の姫がいたら
そら親は期待するよね
桐壺更衣実家も今は没落したけどもとは名家だったのならどこかで皇室の血も入ってるかもしれないし(明石の尼君も宮家の血筋だし)
桐壺更衣が藤壺とよく似てたのももしかしたらどこか近いところで血の繋がりがあったのかもしれない >>58
昔、開業医の家で似た話聞いたことあるわ。
バカな息子を医学部に入れて国家試験合格させるよりも、娘を可愛く可愛く育てて出来の良い婿養子をもらったほうが簡単、てね。 >>55
>父親がこどもの勉強や芸術関係に熱くなりすぎる良くない結果を招くことが多いのにとふと思ったわ
そりゃ例外か現代だからだって
昔の偉人とか名を為した人みると、両親、つまり父親もメチャクチャ教育命だよ
例外の例が目立つだけ
悪い環境なのに出世すると目立つだけで >>64
昔風そうだけど、今は女子医学生が4割だし次男自体が少ないからw 昨日あさきの10巻を読み返してて、紫が亡くなる直前に明石中宮に「長年わたくしに仕えてくれている者の中にも身寄りのない者がおります。わたくし亡き後はその者たちをよろしくお願いします」って頼んでるシーンがあって。本筋にはあまり関係のない何気ないシーンだけどなんか泣けた。
大勢の女房が仕える女主人って、女房たちの事もちゃんと考えないといけないんだなと。
葵も女房から慕われてたし、玉鬘も「わたくしも主人として皆の事を考えなければならないわ」って言ってたよね。 そりゃー現代で考えたら社長でしょ女主人て
最後まで従業員の面倒見てから倒産するべきだよね >>70
倒産wwwワロタ
せめて閉店、とかにしようよ >>69
人の上に立つ者の心得だよね
末摘花だって乳母子の女房が自分を置いて九州にいくことになったとき
何もあげられないからせめてと自分の髪でつくったかもじに香を添えて贈り物にしていた
ド貧乏な生活でそれでも親の残してくれた調度品も売らずに頑張ってたのに
自分を捨てて叔母について行ってしまう女房のために高価な香まで(この香を売ったらもっと食べ物や着物も買えただろうに、それをしないで)贈っちゃうんだーと思ったけど
それを当たり前のようにやってしまうのが貴族の貴族たるところなんだろう >>69
玉鬘といえば、尚侍なのに結婚で御所に出なくなった
昔読んだ時はこれでは仕事にならないのに、名誉職?と思ったけど
今テレワークしてみると、行かないでも仕事出来るのかも
今はネットで、昔は女房らが行き来すればいいから >>72
そこは宮家の正室腹の姫の矜恃を感じたよね。旅立っていく乳母子への餞別とか、父君が自分のためにとあつらえてくれたお道具を大事にしてるとことか。
あさきの末摘花は、原作よりいじらしくてけなげな性格してるなあと思う。 >>73
ほんとだ、元祖テレワークだねw
こういうケースだと殆ど宮中に行かなくてもお給料は通常通りなのかな(やらしい疑問だけど) 紫式部とか清少納言とか職場いじめにあってしばらく出仕しなかったはず >>73
実務は下の身分の典侍がやって長官である尚侍は書類の承認や通達だけやってたような感じかな
でもそんなふうに結婚後引きこもって宮中にも出なかったから
世間知らずのまま年をとって髭黒死後苦労することになったんじゃないかと思う
宮中で付き合いを広げてもっと世間を知ってれば
髭黒死後ももっと上手く振る舞えたかもしれないのに >>77
あさきの時代の尚侍は、帝の奥方や候補、て立場じゃない?朧月夜も尚侍だったよね。朧月夜の場合は源氏との醜聞で女御になり損ねた、てのもあるけどね。 >>74
原作の末摘花は、本当に世間知らずのお姫様、てかんじだよね。自分の容姿のことなんか気にしてないかんじ。 >>79
良くも悪くも人と比べることをしなさそうだね、末摘花。だからこそ源氏の誘いを素直に受け入れて端近の明るいところまで出てきたんだろうなあ。
色々あったけど、末摘花のところの女房たちも源氏がパトロンになってくれて安心しただろうね(お米とか。。) でも二条院の東の対に移った後、夕霧の結婚祝いに古めかしい品を贈ってきて困惑させてたよねw >>79
美しく生まれたかったのに!
って号泣してなかったっけ? >>82
そりゃあさきのオリジナル
原典のはもっと天然 あー、そういえば原典の末摘花って自分の容姿を嘆くシーンなかったな
泣くシーンはあるけどそれは源氏はもう自分のことなど忘れてしまったのかもしれないと嘆いていただけで
叔母も「あなたみたいな落ちぶれて、そのくせ気位の高い人」と貶すことはしても
さすがに「あなたみたいなブス!」とは言ってなかったし
あの容姿と経済力で全然自分を卑下してないってすごいな末摘花 親に愛されて育ったんだろうな
親の残した屋敷や調度品を大切にして頑として生活費にはしない一方で
去っていく女房には高価な香を添えた餞別を用意するとこも含めて
末摘花も高貴な血筋の姫なんだね 娘が親に愛されるって大事だね。紫が親と縁が薄いのを見てるとそう思うわ。
あさきの中では末摘花は自分の不器量さを自覚してるけど、原作では天然かつ宮家の姫にふさわしい矜恃を持ってる。
悪気はないとはいえ、源氏と若紫が赤い鼻の女性の絵を描いて笑い合ってるのが何か感じ悪いと思ったよ(若紫はその絵に描かれてる人が実在して源氏の相手なことをよく知らなかったんだろうけど) 末摘花も空気が読めてないけど源氏が紫や玉鬘と影で笑ってるのは感じ悪いよね 原典では、若紫は源氏が描いた赤鼻の女性の絵を見て笑っているのではなくて、
そのあとに源氏が自分の鼻を赤くしたのを見て笑っているんだけどね。 >>90
あさきでもそうだよ
紫は源氏の描いた絵を見て「この方どなた?」と聞いてただけ
笑ったのは源氏が自分の鼻を赤く塗ってああっとれなくなってしまった!と紫を心配させて嘘だよーとやったとき
玉蔓も末摘花のことを笑う描写なんてない
源氏が一人で末摘花を馬鹿にしてる 源氏が朧月夜の所に行くのに、末摘花が具合が悪くてお見舞いに…と
紫の上への嘘に使われてたのもヒドイわw >>91
そっか、そう言えばそうだわ。鼻を赤く塗って「私がこんな風になったらどうする〜?」って源氏がふざけたからよね。感じ悪いのは源氏だけ。
紫が成長後、末摘花の君が実在して二条東院に引き取られたと知った時なんと思ったやら。しかも朧月夜のとこに行く口実にまで使われて。。 >>84
親に愛されて育ったせいか、ちょっと脳足りんだったのかはしらない
あさきの兄を見ると、兄妹ごと軽度の知的があったのかも >>93
本来妻同士は顔を合わせないからね
容姿に自身のない花散里や末摘花は特に紫に誘われても会っていない
紫に誘われて会っているのは割と美形の部類の妻たちだけど(明石と女三宮)
紫は直接会った他の妻たちのことは結構辛辣だよ 原典の紫も明石のことは対面した時にこの方なら源氏の心を惹くのももっともだって認めてなかった? 紫が会った他の妻たちって明石と女三宮しかいない
明石のことは認めてる
残るは女三宮だけど女三宮は…お人形遊びの話をしたくらいだからね、
辛辣というよりお察し案件でしょ >>96
明石の時は「どのようなお方なのか」ってすごく気にしてたね、明石は自分が持てなかった源氏との間の子を産んだ女性だし。この時はお互い相手を認め合って平和だったなあ。
女三宮の時は紫の方が身分が低い分、正妻に納まった女三宮を訪問してご挨拶するって形になってたし、会ってみて「あのような幼い方にわたくしは殿の北の方の座を追われたのか」とやるせない気持ちになってたのが気の毒だったわ。 >>100
白地に紫のエキゾチックな柄の着物を見て明石の方はあんな個性的で品のある着物を着こなせるような女性なのかってすごく気にしてたよね紫 原典だと明石の方にあの高貴な着物は身分不相応で不快ってニュアンスのことを思ってるんだよね
原典の紫の方があさきの紫より厳しい >>102
それは原典は身分の差とかいまより厳しくとらえられてたからじゃないの?
あさきゆめみしは現代風に表現されてる部分はあると思う
原典では明石の君の身分は源氏も最初は女房扱いしようと思ってたくらいなんでしょう? 原典だと、紫の上は明石の君に対して、衣装選びの時も「めざましと見たまふ」ってあるし
明石の女御の入内時に初めて対面した時も、「むべこそは(なるほどこれだから)と、
めざましう見たまふ」ってあるんだよね。
両方とも「めざまし」で、ちょっと不快に思ってる。 >>103
「連れてこい」って源氏が言ってて、その気になってた明石入道に明石母が
「いけません。お側に上がるというのは主従関係です。正式な結婚ではないのですよ」っていさめてたもんね 明石の方に高級かつおしゃれ上級者向けの装束を源氏が選んだということは、
それを十分に着こなせるだけの気品や美しさを持っている証拠で、愛人の中でも別格だとわかるもんね >>105
元は高貴な身分とはいえ、帝への謀反容疑をかけられて左遷された浪人の現地妻扱いって、
母親からしたら諸手を挙げて賛成できないよね >>107
それもあるけど「お側に上がるというのは主従関係です」というのが大きかったんじゃない?
身分だけでいったら源氏の妻どころか源氏の従者の良清の妻になるくらいが妥当なんだよ、明石って そこから源氏の妻の三番手にして中宮の実母になるって本当に凄いよね明石 近江の君が、中宮の祖母になった明石の尼君にあやかりながら賽子振ろうとする場面あったねw >>108
義清は明石に求婚して断られてたよね、確か。それが源氏の耳にも入って源氏が明石と会うきっかけになったかと。
明石と源氏が結ばれた後、義清が「やっぱり自分じゃ釣り合わなかったか」としょげてるシーンがあったような。 >>111
軒端荻と同じ身分
明石と軒端荻じゃ知性も教養も美貌も品性も月とすっぽんだけど
身分社会では「受領階級の娘」として同じくらいの社会的位置にいる
明石は源氏が須磨で落ちぶれていたのとしっかりした親が気を付けていてくれたからなんとか源氏と縁を結べたけど
須磨行きの前の源氏だったら簡単にヤリ捨てされてたんじゃないだろうか むしろ明石と軒端萩だったら
父親が出家し頼りになる男兄弟もいない明石より
父親が現役で男兄弟もいる軒端萩のほうがちょっとだけ上だったのかも >>113
ヤリ捨ては無い
源氏の好みのタイプだもん明石
上品で教養があって穏やかな性格
最低でも空蝉のように東の院に引き取る 苦しみの始まりは執着
欲を捨てれば、どこまでも楽になれる… 女性たちが苦しみの果てに出家して執着を捨てようとしても源氏物語の男たちは必死で足を引っ張ろうとしてくるんだよな >>118
源氏:(紫に)私を置いて出家なんて許さん
朱雀:(落葉に)出家なんて外聞悪い
夕霧:(落葉の女房に)妙な気起こさないように刃物隠しといて
薫:(浮舟に)どうせ他に男ができたんだろう
まとめるとひどい人たちw >>115
空蝉が東の院なら、源氏が京にいても未婚で(結婚できて)、子供がいたら明石は最終的には妻の一人にはなれたかも
ただ京にいれば他にも通いどころが多いから種薄の源氏の子供は出来なかったかもしれないし、通いどころで愛人の一人から後になんとなくの妻の一人になるような形で、最初からちゃんと結婚した妻って形にはならなかったかもね
紫の目が光ってるし最初から結婚はできなかっただろう >>114 父親が現役で男兄弟もいる軒端萩のほうがちょっとだけ上だったのかも
本人の資質の違い、かな?美人、ていわれてたよね、軒端荻。 >>122
明石の父親は元受領で今は出家してるから無位無官
本来なら愛人どころか召人にしかなれない身分だよ
血筋は軒端萩より断然良いけど父親の地位でみると浮舟より下 明石入道が元の三位中将の地位にいたら明石の立場どうなっていたんだろうね
紫をかなり脅かしたろうが 良清の求婚は明石の身分を考えると釣り合わないどころか世間的にはかなりの良縁
良清はもともと受領の息子で身分は少納言だし帝の溺愛する源氏の側近
普通の田舎受領の娘なら喜んで結婚する相手なのに普通でない明石入道にバッサリ追い払われた でも源氏に寝取られる良清は可哀想だからはねつけられて良かったね 惟光が参議にまでなってるんだから、良清も相当な出世をしただろうにね
原作だと、軒端の次兄(河内守の弟)も須磨下りに同行してるんだよね >>128
それでも準太政天皇の源氏にはかなわない
明石は玉の輿に乗った源氏物語一の勝ち組 明石と源氏はハーレクインロマンスにありそうな展開だね
現実ではハーレムの住人になり子供を養女に出すという 紫が死んで源氏が腑抜けになった頃
明石は自分の才覚を生かせる宮中で明石中宮や皇子皇女の世話をして第二の人生充実して生きてた
原典では源氏が出家の意思をもらしても
明石はまだ幼い皇子皇女の成長を見守りその行く末を見届けてから出家してはどうかと
源氏の意向より自分の血を分けた孫たちの後見や一族の繁栄のほうを気にかけてる
あさきでもいつのまにか第三者の位置に立って源氏と紫の関係を評してるし
賢く源氏との関係から一歩下がって自分の人生生きててそんな明石が好き >>131
前々からそれを狙ってた訳ではないだろうけど、明石は姫の入内あたりから源氏の妻を引退して、仕事と娘や孫のために生きてるよね。
生涯現役でいなくてはならなかった紫とは対照的。 >>131
私も明石や朝顔は好きだけど女女した人がもっと人気出て欲しいなとも思う
作中でも愚かみたいにしか語られないのはかわいそう 明石って親の勧めで源氏と結婚しただけで
ぶっちゃけ源氏のこと大して好きではないよね 女ではなく母親になった明石のことつまらないって批判する人も結構いるけどね >>132
明石と源氏の関係は、娘や孫を含めて義務事務的な要素が強くなってくるよね。 >>137
続き
源氏と、子供や孫がらみの義務事務的要素を持てなかった紫の上は、源氏と愛情だけで繋がってた、と言えるけど、 >>138
続き
愛情を繋ぎ止めておくのって大変だよね。特に源氏みたいなタイプにはね… >>123
明石は、源氏が京へ帰る前に懐妊してなかったら京へ呼ばれたかどうか怪しいよね。源氏は子供が少なかったし占いの件もあったから明石を京へ呼び寄せたけど、子供の多い男とかなら帰京を機にそのままうっちゃりそうだよね。 >>140
そうだね。ちい姫は後にも先にもたった一人の姫だから、大事な宝で一族繁栄のための駒。その母の明石も粗末には扱われないよね。
源氏が子沢山だったり生まれた子が男の子だったら、明石は現地妻どまりだったかも。 占いで子供は3人、うち一人は中宮になると言われていたから源氏も気にかけていたので
占いがなかったら帰京後時間とともに忘れられていった可能性大だね
明石は裕福だから男の世話にならなくても普通にやっていけるしそうなると源氏もわざわざ俺が面倒見てやらなきゃなんて思わない
当時は紫もまだ若くて十分源氏の子が産める年齢だったし
源氏も身分社会の常として紫か他の身分の高い女性が子供を生むほうを望んだだろうね 子供が生まれたら源氏は認知するし気に掛けると思うけどな
面倒見の良さが源氏の長所でそこが当時の女性読者に好評だったんでしょ >>134
なんかさ、それ言い出すと、紫の上だってもともとは、さらわれてきただけだし…
あさきではそこらへんフォローされてたけども 私も花散里が好きです
性格もいいし人として賢いし名前が綺麗だよね
「白い花が舞い散る里」って 花散里、あさきでは源氏との微笑ましい馴れ初めエピソードを描いてもらって良かったよね。 花散里のエピソード、彼女の人柄の可愛らしさの描写の一環なんだろうけど、姉上の麗景殿女御の女房達が感じ悪くなかった?
花散里に薬玉が届いた時に「どうせあのご器量じゃ相手は五位か六位でしょw」なんて言ってせせら笑ってたけど、女房が女主人の妹君にあんな事言うもんなのかとびっくりしたよ。 雲居雁も女房に姉の新弘徽殿の所はあんなに栄えてるのにこっちはみたいに悪く言われてたな お相手が浅葱の袍ふぜいとはね…pgr
みたいな感じだったね >>148
花散里って劣り腹なのかな?て思ってたわ
姉は正室腹で大切に育てられて女御にもなったけど花散里は正室腹ではなく女房たちにも軽く見られてたとか >>151
姉の麗景殿の女御もおっとり優しそうなかんじじゃなかった?花散里に、"私が今少し時めいた女御ならそなたにも良い殿ごが通うだろうに、苦労をかけて申し訳ない"みたいなこと言ってなかったっけ?
須磨へ流される前に源氏が久しぶりに花散里を訪ねて行った時も、"いつも暖かいお心使いありがとうございます"みたいなこと言ってたよね。
外見はちらっとしか描かれてなかったけど、花散里と似た下ぶくれ顔だったよね。 >>151
あーその可能性はあるかも。姉の女御は長女の正室腹、花散里は三女の劣り腹で、それもあってか控えめな性格だよね(姉上も優しい人だったけど)。
小馬鹿にしてた女房達が、薬玉の贈り主が源氏だと分かって驚愕してるシーンはなかなか痛快だったね。 >>153
朧月夜も、弘徽殿の姉女御のところに遊びに行ってる時に源氏や朱雀に見染められたよね。 平安時代には主人の前で主人の悪口を言うのは
別にタブーではなかったとかなんかの本で読んだ 枕草子でも「滅多にないもの」として
「主人の悪口を言わない従者」があげられてるから平安時代あるあるだったのかな 主人の前ではないけど、三条大宮のとこの女房も頭中将(内大臣)のことを「知らぬは親ばかりよね〜」「だって雲居雁さまはもうとっくに夕霧さまと…」「もう東宮妃なんて身分じゃないわよね〜」ってpgrしてたよね。 そう考えると末摘花の所の侍従の君は偉いな
もともと乳母子とはいえ 女房じゃないけど頭中将に源氏のことを遊び人だと言われて
「あ…遊び人じゃありませんよ私のご主人は…!」と健気に反論した唯光は可愛かった
すまんな唯光、君のご主人はその頃はまだマシだったが後には人妻を寝取ったり幼女を誘拐したり
他にも色々やらかすようになるんだよ >>160
ネットや週刊誌がない世の中で良かったよね、源氏。
惟光には人に言えない秘密をたくさん知られてるんだから、たんまり口止め料もとい給料払わなくちゃね。 >>161
夕顔が変死したときはその後始末までしてくれた従者だしね
源氏が夕顔の死で寝込んでしまっていた間に事が源氏のスキャンダルにならないよう奔走してくれた忠実かつ有能な男だ
>>162
あの頃若紫は10才じゃなかった?
姫君をお世話させてくれと尼君に申し込んでも孫がもっと大きくなってからと断られていたから
当時の常識でいっても相手にするには幼すぎる年齢だったことは間違いない
まあ幼女誘拐が少女誘拐になったところでヤバいことに変わりはないけどね >>163
十余年前に母が死んでいるから、普通に考えれば12歳にはなってる。
まあ11歳でもギリギリありだけど、10歳ではない。
当時は12歳ぐらいはもう裳着しても良い年齢だけど(明石の姫はそれぐらい)、
若紫は10歳過ぎても年より幼くて尼君も嘆いてる描写があるし、その年なのに
尼君の古代な教育方針で化粧もしてなかった、みたいな描写もあったかと
多分、若紫は初潮が遅めだったんだろうね >>164
紫の年齢は実は研究者の間でもはっきりとはしてない
若菜下では源氏は47歳なのだがそのころ紫は37歳の厄年と明記されており
それに従うと二人の年齢差は10歳差
若紫の巻では源氏は17か18歳だからそれより10歳下だと紫は7歳か8歳になる
一方で>>164さんの言う通り若紫の巻で紫の母は10年余り前に亡くなったとあり
そうすると若菜下とは矛盾が生じる
一般には若紫の登場時に「十ばかりやあらむと見えて」との記述があるから
そのころ紫は10歳だったと考える人が多いね
(この場面、国語の教科書にも載ったような超有名シーンだし)
紫以外にも六条や明石でも年齢に矛盾が生じていて整合が取れない箇所はあり
紫の年齢もその類だろうと思われる 連載長くなるうちに辻褄合わなくなってくるのはあるあるだし
源氏物語って桐壺とか、1章ごとに発表したのかな?
そしたら中宮とか女房たちに早く早く続きを!とか急かされたりしたのだろうか 光源氏が幼女を誘拐したといえるかどうかで大事なのは、若紫の巻で、若紫と源氏の
年齢設定がどうなっているか、じゃない?
あとあとでの矛盾はおいといて。
若紫の巻では、10歳ぐらいに見えて幼げな感じだけど、実は11〜2歳になっていた、という
設定なわけで、源氏との年齢差は7〜8歳なんだよね
「若紫は、実際の年より幼く見える少女だった」という設定って忘られちゃうことも多いけれど >>165
藤壺が厄年に亡くなったというエピソードに合わせて、紫も厄年で発病にしちゃったからそれ以前の設定と合わなくなったんだよね >>167
ここはあさきスレだよ?
あさきでは女三宮の幼稚さに失望した源氏が
「10歳の紫の上でさえこれよりは才気があった」と回想していて
出会った頃の紫の年齢を10歳と言い切っている
大和先生が10歳のつもりで若紫を描いていたのなら読者である私はそれを受け入れるわ
あさきでの源氏の若紫への態度も適齢期間近の若い娘への態度でなく
もっと小さな子供に対するような態度だったしね
「はやく大きくおなり」「小さな私の宝物」なんて言ってたし
そして今気づいたけど心の中でのこととはいえ内親王を「これ」呼ばわりした源氏ってひどい 紫の上と同じく藤壺の血筋と期待した分、落胆も大きかった >>170
三宮もちょっと足りない姫かもしれないけど、源氏もひどいよね。勝手に期待して妄想してハードル上げた挙句、期待外れだと紫と比較してdisる。
朱雀もあれこれ言わずに柏木に降嫁させてたら良かったのに(それだと話が終わっちゃうけどさ) 内親王降嫁は夕霧レベルでも本当は厳しい
朱雀が源氏贔屓だからあり得た選択肢 >>172
身分が一番のこの時代に、今の帝の内親王に対してあれはないよね… >>174
そうだね。ただ、あさきでは女三宮にがっかりして紫への寵愛がさらに増して…って感じの描写だけど、女三宮のことも源氏は結構寵愛してるよね? 幼いけど素直でかわいいって感じで。琴の指導にかこつけて頻繁に通ったり、合奏が良くできたから褒めに行って泊まったり。
何やかんやと若い妻ともよろしくやってた源氏。。 >>175
「先生へのご褒美を下さらなくては」つーて、琴の練習やめさせて
寝床に引っ張りこんでよろしくやってた時ね >>175
セ○クスはしても尊重はしてないんだよ
体の関係はあっても相手との会話や共感には一切期待せず、人格も認めない
琴が上達したと源氏に言われて(ほめていただいたの初めて…)と女三宮が嬉しそうにしてたのは
逆に言うとそれまで全然誉めてもらえず大事にもされてなかったということ
教えてあげれば上達する素質も誉めてあげれば喜ぶ人格も女三宮にはあったのに
大事にしてるのは表面だけで本質的なところで女三宮をずっと馬鹿にし続けていたんだよ、源氏は お人形だった三宮は柏木に襲われるまでそれに気づいてもいなかった
紫は少女の頃から源氏が自分を通して他の誰かを見ていたって感づいてた描写があった
こんなところにも二人の対比が >>177
いや尊重はしてたよ 三宮の身分にね 本人じゃなくて
源氏は三宮に限らずそういう所が全部の女性に対してある
あの褒めていただいたの初めて…のはにかんだ顔可愛かったなあ >>177
ほんとだ、ありていに言えば源氏は内親王の身分と若い体を大事にしてたんだね。
「褒めてもらうのはじめて…」ってはにかむ姿は可愛かったな。
柏木との事があって自分が源氏から愛されてないと気づいて、出家の時に源氏に「あなたのは愛なんかじゃない」って突き付けるくだりは源氏もぐうの音も出ず粉々になったね。 それでも女三宮は最終的に幸せになったから良かった
でも出来のいい息子と金とネコがいれば女は幸せって現代にも通じる皮肉な結論w 朱雀院から「先行き短い自分の代わりに娘の面倒を見てほしい」って頼まれちゃったんだもんね
異母兄+その兄の好きな女を寝取った+それなのに責めてこない
そんな優しい兄が大事に育てたお人形さんを紫の上みたいな貴婦人に仕上げてくれって、
ミッションの難易度が高過ぎ なんかでも、源氏が女三宮をお人形のままにしておいたのって、そういうお人形みたいなのが
好きだからだろう、とか、紫の上のモノローグみたいなのなかった? >>181
ほんとにね。子どもができた経緯はとんでもなかったけど、結果的には息子を産んだことは大正解。源氏の死後は落ち着いて暮らせてるし、息子は性格はともかく優秀で裕福だし、猫は裏切らないし。
まあ薫の性格は生い立ちの影響も大きいよね。。 >>180
実際には女三の宮のこと可愛がってたんじゃないのかな?でもそれじゃ(歳とってから降嫁してきた若くて高貴な姫に夢中になって古女房を放置した)物語にならないからさ。 源氏は身分コンプなので院の身分にふさわしい高貴な正妻は欲しかった
女二宮なら性格や教養で気に入ったろうが母が更衣なのでだめかな
薫の正妻もおっとりタイプだけど女三宮よりは知性がありそうなのでいけたかも 源氏は身分コンプに加えて藤壺コンプもあるから、
たとえ高貴な身分と血筋でも、藤壺の血縁でなければダメだと思う
でももし藤壺と結婚できていたとしても、うまくいかなかったとも思うけどw >>186
源氏の身分コンプは根が深いね、葵に「ただ人の妻となられたのがそんなにご不満か」と突っかかったり、一方で空蝉や朧月夜に「私は何をしても許される身ですよ」とドヤってみたり。
高貴なトロフィーワイフだけどちょっと頭の弱い女三宮を可愛がってやってたのに、息子の友達で亡き妻の甥でもある柏木と一緒になってこの六条院を裏切りやがった!!!と源氏激おこ。見下してる感半端ないね。 >>187
結局誰と結婚しても上手くいかなかったろうね
紫や明石や花散里のような
後見がなかったり身分が低かったりして自分に逆らえないような女たちを集めて
六条院で後宮ごっこして満足していた男 >>190
葵みたいに、身分高く後見もしっかりしてて自我も強い正妻がいたら六条院は作れなかったよね。
話の都合上、葵は早めに死んでしまうキャラ。 >>191
葵が生きてたら、六条院なんて建築自体無理だっただろうからね。 >>191
でもその方がみんなにとって良かったよね 後宮ごっこの六条院の妻妾って女三宮が来るまで案外地味だね
実質稼働してたのは正妻と側室一人ずつ。若い女房を次々とつまみ食いするのは数に入らないし。 >>194
花散里と明石が紫を立てて控えめにしてくれるから成り立ってたね、六条院。
葵や六条や朝顔のようにプライド高い人達が集まってたらなかなかの修羅場w まあこの面子が一箇所に集められること自体無いけどね。 >>194
通い婚が普通な当時、しっかりとした後見のある姫は六条院には入らないでしょ。 >>195 花散里と明石が紫を立てて控えめにしてくれるから成り立ってたね、六条院。
まさにこれだよね。紫の上と比べて、身分的に明石は下だけど、花散里はどうだったんだろ?このスレで前にも話題になってたけど、姉は麗景殿の女御だよね。姉が女御になれる家柄で、麗景殿は格の高い殿舎、て聞いたから、かなり良い家柄なはずだよね。 毎日車争いみたいな諍いが起こる六条院は嫌だな
毎回渡り廊下に汚物が撒かれてたりw >>198
こんな六条院はいやだ
・女房同士の鞘当てのほうがえげつない 花散里姉の麗景殿女御の「私がもう少しときめいた女御であったらそなたにも良い縁談があるものを」みたいな台詞もあるから元は格式が高い家柄だったけど今は斜陽気味なのかな >>199
こんな六条院はいやだ
・生き霊がさ迷っている
と書こうとしてリアル六条院もさりげなく六条の死霊が大活躍してたことを思い出した >>201 リアル六条院もさりげなく六条の死霊が大活躍してたことを思い出した
六条の御息所ってフリーダムだよね。死霊になってからはいつでも何処でも自由自在だったじゃん。 六条も生前は抑えようとしてた分(抑えきれず生霊になってたけど)、死後は無双状態だね。源氏に復讐するまで成仏しないぞ的な。
女三宮の出家の時に一応成仏したんだろうか。 源氏が亡くなった後もまだ死霊としてこの世をさ迷っていたら可哀想だな あれは源氏が都合の悪いことは全部六条御息所のせいにした産物じゃなかったの >>205
もしそうなら六条が浮かばれないね。何かあった時とか良心の呵責やらを全部彼女の生霊や死霊のせいにされたら、六条や彼女の父君が化けて出そう。 紫式部日記で祟りなどは存在せず他人にひどい事をした良心の呵責が原因の思い込みだってあるから
源氏物語でも正しくは六条御息所のせいではないんだろうね
源氏自身も悪霊のせいだとは言っても六条御息所のせいとハッキリは言ってないはずなんだけど
いかにもそうであるかのように描かれてて、ミスリード誘ってるんだろう
あさきだと似たような女性の顔で描かれているから余計にそう思える あれってどこからが六条の霊で
どこからが源氏の思い込みなんだろう?
葵を祟り殺したときは六条自身にはその意識がなかったけど
でもうたた寝から目覚めると自分の髪や着物に魔除けの芥子の匂いが染み付いていて、
何度髪を洗っても衣服を取り替えてもその匂いが消えないって六条がおののくシーンは
もう生き霊確定だったよね
生き霊は本物だけど死霊は源氏の思い込み? ファンタジーを書いている作家が必ずしも魔法の存在を本当に信じているわけじゃないように、
紫式部も「ネタ」として六条御息所の生霊・死霊を書いてるんだと思う
ただ、「霊のせいだけじゃないよね」って思わせる余地もちゃんと残しているあたりが
紫式部のうまいところというか あさきの場合は漫画だから、より読者にわかりやすく六条を思わせるような描写になってるのでは
葵の上の出産時の祈祷では、憑坐に何体かの物の怪が憑いて、中でもしつこくて祓えないのがいた
その様子から源氏は“これはもしかして六条では”と察してた
紫の上の病床に出てきたあの物の怪の伏線にしっかりとなっているよね >>205
それもあるし、源氏自身も六条の御息所に対して申し訳ない気持ちがあったんじゃないかな?だから、あの方(六条の御息所)は私を恨んでいるだろうな、この状況はあの方の怨霊に違いない、て思っちゃうんだと思う。
六条の御息所の生霊怨霊騒動、生霊は本物だったと思うけど、怨霊は源氏の思い込みが強いと思うな。 >>211
源氏は、御息所の忘れ形見の秋好を中宮にして恩義を返したて言われてるけど、その秋好にさえ好色な思いを持ってたからね。自分のそういう気持ちが後ろめたかったから、よけいに母御息所の怨霊が見えてしまうんだと思うわ。 もともと六条母娘が住んでた屋敷に周辺の土地を買いたして他の屋敷も増築してつくったのが六条院なんだけど
それって生き霊になるほど思い詰めて苦しんでた女が何年も我が家として暮らしてた家の上に
その苦しみの原因だった元恋人がハーレムつくってこの世の栄華を楽しんでたようなもので
まだ源氏が力のあるうちはよかったけど
老いて生命力が衰え紫の発病をきっかけに栄華にも陰りが見えてきたとき
ふとこれまでの驕りや傲慢さの総決算のような形で六条の幻影を見てしまうってドラマだな 「こっそりとこちらにとりついていたのですよ」辺りは
困ったら六条の霊っていう三流漫画みたいなものを感じないでもなかったw でもそもそも、六条の霊が紫の上に取り憑いたのって、光源氏が過去の女達のことを
細かく紫の上に語った挙げ句、生前の六条のことを悪く言ったのが悔しかったからでしょ
源氏自身に取り憑こうとしたら、守りが固くて取り憑けなかったから…って
霊だろうが霊じゃなかろうが、悪いのは源氏 紫に他の女のことをペラペラしゃべることを、源氏は恩着せがましく言うよね。「あなたにだからこんな事も話せる。やっぱりあなたが一番」的な。
紫からしたらそんなの聞きたくないよね。話のネタにされた女性陣も恨んで夢や死霊で出てくるし。 >>210
原典では源氏の見た生き霊の姿を「かの御息所なり」て六条だと断言し、源氏を震え上がらせているよ
「もしかして」とか「察する」とかあるいは読者のミスリードを誘うとかのレベルじゃなくて
源氏が葵の看病やってるとその葵が六条の声、姿になるのも
六条がなぜか自分の髪や衣装に魔除けの芥子の香りが染み付いていくら髪を洗ったり衣装を変えたりしてもとれないとビビるのも
六条が夢の中で見知らぬ美しい姫に普段の自分なら決してしないような乱暴狼藉を働くのも
みんな原典にあることであさきのオリジナルじゃない
百歩譲って源氏の見た六条が幻影だったとしても
六条本人に心当たりがありすぎる上にもう自分で認めているから
死霊はともかく生き霊は本物だろうね キモいというか、重いよね。若い日の源氏からしたら特に。
とはいえ源氏が年上の高嶺の花を摘んでは適当に扱ったのが悪いよ。源氏も自分が悪いのは自覚しつつ重くて逃げたよね。 葵の上が源氏に襲われた翌朝のシーンで、一人で寝てる葵の上は肩まで着物かけて貰えてなくて、源氏って酷いと思った >>219
うん、そうなんだ
一言で言うと「重い」
まさにそれ
源氏も悪いんだけど六条も六条で重い女だった >>221
似た者同士、てやつかもね。
だから源氏は、六条の御息所なら恨むだろうな、て思って死霊見ちゃったんだと思う。
生霊は、六条の御息所だと思う。 元東宮妃なんだし尊重してそこそこの距離感で付き合っていけばよかった
蔑ろにした挙句酷い捨て方して死後は屋敷乗っ取るとかあんまりだろ 桐壺パパも六条のことでは珍しく源氏に説教してたもんね、「お前がつまみ食いしていい相手ではないぞ」的に。
源氏が父親に叱られてるのってあの時くらいじゃ? >>220
コトが終わって正気に返ったら気まずくなって、暗いうちにそそくさ帰っちゃったからよく見てなかったんだね。源氏薄情だなあ。
葵が寝相悪かったのかもしれないけどw >>223
乗っ取ってはいないのでは
秋好中宮の住まいは元々実家があった地所で、その周りの土地を買って増築した
http://www.iz2.or.jp/rokujoin/ >>226
えーどうなんだろ
春夏秋冬の町全部ひっくるめて六条院だし
六条院の主は源氏だし
秋好の実家とか言いながら
その秋好が普段宮中にいるのをいいことに
まるで自分の邸宅の一部であるかのように六条院の秋の町として作り替えたのは源氏だよね?
なんかモヤモヤするんだよな しかもその六条院で他の女とイチャイチャしてみたり自分の悪口言って笑ってたりするんだよ
私が六条ならブチ切れて祟り殺すわ 手駒とはいえ親のない娘を中宮まで押し上げてくれたんだから大目に見ることはなかったのな
六条は母親より女、もし源氏が娘に手をつけ正妻にして寵愛していたら娘にも祟ったかも >>229
中宮のことは親として感謝していますが…って言いつつ源氏への恨みは残ってたね。
生前は伊勢まで同行したり娘のことも気にかけてたけど、死後は妄執の方が強く残ったのかな。
秋好は深窓の貴婦人だけど、六条が死後も怨霊になってるのを知ってたら辛かっただろうなあ。 六条御息所、葵と諸説あるけど夕顔を無意識とはいえ命を奪ったのに、
源氏以外には誰にも知られず、誰にも咎められずに、殺り逃げしてずるい。 >>230
秋好も、母親が死霊になって紫の上にとりついてたこと知ってるよ 六条も故意に人を殺した訳ではないけど、夕顔は何も悪いことをしてないのに突然殺されて幼い娘はその後苦労する羽目に。葵は車争いのことはあったにしても、生まれたばかりの長男を抱くことなく死んでしまった。
それらを考えると業深いよね。世間にバレなくても源氏には知られてしまったし、ストレスからか自分も早死にして死後も彷徨うことに。。きっかけを作った源氏も罪深いわ。 六条さんは源氏に取り憑けないとはいえ正妻や正妻格に災いをもたらしたから、やはり正妻になりたかったのだろう 源氏が朝顔に接するように六条と接していればこんなことにはならなかったのでは >>235
朝顔にもあわよくば…って感じだったけど、朝顔の君の身持ちが固かったよね
六条は男性経験があるだけに、若くて何も怖いものが無かった源氏の熱情についフラッときたのかも
てか前の東宮って桐壺帝の弟宮かなんかでしょ?
叔父の妻に手を出したってことか >>232 秋好も、母親が死霊になって紫の上にとりついてたこと知ってるよ
まじ?あさきで?原作で? >>228 私が六条ならブチ切れて祟り殺すわ
ワロタwww >>232
中宮という貴い身分の人にも、世間の噂は届いちゃうんだね。。娘からしたら辛いねえ。 >>229
葵死後おとなしかった(?)六条が死霊になって登場するのは冷泉退位後なんだよね >>238
あさきにはそのシーンあったか覚えてない
原作にはある >>238
源氏は噂にならないよう気を付けたんだけど
人の口に戸は立てられないからね
あさきにはそのシーンはないけど
原典では秋好は噂で六条のことを聞いてて、尼になって母の霊の供養をしたいとまで言ってる
当然源氏が許すはずもなく中宮の地位のままで母の供養に勤めるよう説得されて
そんな源氏を秋好は恨めしく思うんだよ >>245
秋好みたいに、前東宮の娘という高貴に生まれて、斎宮→中宮にまでなったような姫でも、恨む、て気持ちになるのかな? >>246
六条は東宮妃とはいっても、中宮に立てられたわけではないし女御ですらない
他に東宮妃もたくさんいただろう
出自は大臣家の娘
内親王や宮家の娘がガンガン出てくる中、そこまでプライド高くするほどでもないんだけどね >>246
その六条の娘の秋好も斎宮ということで格が上がってるわけで、内親王とかではないわけで、微妙っちゃ微妙
もちろん中宮なんだけど国母にはなれなかったし、恨む程度の満たされなさはあったんじゃないかな >>246
この場合の秋好の気持ちとしては恨むというより
「私の母を想うこの気持ちをわかってくれない」というやるせなさ、かな?
でも秋好だって後年は玉鬘大君に嫉妬したし
あの六条の娘なんだから内に自分でもどうすることもできないものを秘めててもいいと思う >>248 秋好も斎宮ということで格が上がってるわけで
そっか、秋好は天皇の娘じゃなくて前東宮の娘だから、たぶん内親王宣下は受けてないのね。それでも、普通は内親王が就くことが多い斎宮に任命されて、格上げ、だね。
風流人の母御息所が生きていた頃は良かっただろうけど、その母が、源氏のせいで晩節を汚して亡くなってしまったからね。 秋好は、そもそもどちらかというと朱雀院と結婚したかったんだろうという気配もあるしね
それを、光源氏の政略的思惑で年下の夫を持つことになって、そういったことも
本音ではどう思ってたんだか >>251
朱雀はわりとご執心だったんだよね。まあでも、今帝の冷泉帝と結婚したから中宮になれたしね。 もし秋好に子供がいたらどうなっていただろうね
罪の子である冷泉の血を皇統に残さないよう天がはからっていたから男子はうまれなかったかもしれないけど
でも秋好がもし皇女を産んでいたら源氏にとってその子は自分と藤壺の孫娘
后腹内親王であり母后は元斎宮という高貴の身分でありしかも藤壺の直系の姫
赤ん坊の頃からめちゃめちゃ可愛がって
「姫宮様は私が完璧な貴婦人にお育て申し上げる!」となっていたかも 源氏ってあまり孫を可愛がってるイメージはない子供もだけど
生涯現役でいたいタイプって感じ >>250
内親王(皇女)がなることが多いのは斎院
斎宮は一段落ちるというか、斎院よりは身分の低い姫君が任命されることが多い
歴史は斎宮のが古いんだけどね >>258
斎宮は京から遠いんだよね。斎院のほうが京都に近いから、高貴な皇女なんだよね。 うーん…秋好は東宮の娘だから、秋好のほうが朝顔より高貴だよね?
2人とも朱雀帝時代の斎院・斎宮なんだから本当なら
秋好が斎院、朝顔が斎宮のほうがふさわしい? >>260
秋好は前春宮の娘、朝顔は先帝の孫、て立場だよね。
どっちのほうが高貴なんだろ? 秋好も朝顔も女王には代わりがないけれど、斎院になった当時、父親が生きていた
朝顔の方が、父宮への配慮で都から近い斎院になったのかも 東宮妃と東宮の娘ってどのくらいの身分感覚かよくわからない
高貴な身分ではあるだろうけど、当時即位せずに死んだ東宮の、さらに周辺親族の扱いがどうだったか知らないからなあ
それに東宮妃といっても1人ではないだろうし、宮家の正妻腹の娘と比べると微妙
ただ六条の生活を父親や親族の男性が見ていたって記述はないから後ろ楯という意味では弱かったのかも 朱雀帝即位に伴って、桐壺院と弘徽殿との間の女三宮が斎院に、秋好が斎宮に
桐壺院の崩御によって斎院は退下、朝顔が新たに斎院に
という流れだね 斎宮は帝が即位によって選定されて、その帝の退位か父母の喪で退下する
斎院は一度選定されたら、帝が代替わりしても父母の喪があるまで退下することは
なかなか無いから、任期は斎宮より長いことが多い
選定前の秋好と朝顔の格の差はさほど無くても、任期期間が短い秋好は退下後
前斎宮として朱雀院か冷泉帝の妃になる流れにしやすい
ただし、秋好が入内しなければ、任期が長かった朝顔>秋好になっていたと思われる >>264
>桐壺院と弘徽殿の女御の間の女三の宮
その人独身? >>260-261
秋好中宮の父(前春宮)も桃園式部卿宮も桐壺帝の弟だけど、前春宮のほうが年長なのかな
どちらも帝の弟だけど、皇統継承予定者の娘だった秋好中宮のほうが身分的には上だと思う
秋好中宮→本家筋、朝顔→分家筋 まあ現実問題、皇女である桐壺院の女三宮の方が秋好より格上だから、
先に女三宮が斎院、秋好が斎宮になったけれど、女三宮が喪で降りたときには
朝顔しか残ってなかっただけだよね
同時に決めるなら朝顔が斎宮だったかも >>266
桐壺帝と弘徽殿の女御って、朱雀帝以外にも子供いたの? >>269
朱雀帝の他に内親王が2人いるらしい。
妹宮の女三宮が斎院になる時に、源氏に「女三宮は父上にも母上にも愛された私たちの妹宮」って言ってるシーンがあったよ。
源氏の妹宮ってことは、弘徽殿女御が桐壺更衣を散々いじめた後に儲けられたってことで…最愛の人をいじめ倒した相手とでも帝の義務と割り切って対処されたのかな。 こきでんもバカだよね
桐壺をいじめたりしなければ、所詮身分の差で東宮は朱雀だし桐壺では中宮にはなれないから、自分が中宮にはなれなくても他人(藤壺)に中宮に立たれて下に付くことはなかった
冷泉が帝になってなければ源氏があそこまで栄えたかもわからない >>270
桐壺帝はやり手だと思うよ。摂関政治から帝の親政への変換を狙ってたんだと思う。
桐壺の更衣への深い愛情は本物だろうけど、桐壺の更衣へ愛情を注ぐことで摂関家を牽制してた部分もあるんじゃないかな。 桐壺の更衣や藤壺の宮を寵愛していたとはいえ、皇子10人(冷泉は第10皇子)
+皇女3〜4人は生まれてるということはそれなりに公平さを期してはいたのかね
空蝉を父の衛門督が桐壺帝へ入内させようとしていたと紀伊守が話した時に、源氏が
「帝も楽しみにされていたのに」みたいなことを言ってたが、さすが源氏の父だけある >朱雀帝即位に伴って、桐壺院と弘徽殿との間の女三宮が斎院
斎院は朱雀帝即位前年に卜定されている
でなければ車争いの舞台になった紫野斎院入りが、斎宮の伊勢発遣の前年に行われた説明が付かない
源氏22/04に斎院入りした女三宮は源氏23/11の桐壺崩御で退下してるので実質一年半勤務 >>271
桐壺帝、更衣亡き後宮中に戻ってきた源氏を、弘徽殿の女御の所へ連れて行ったりしてたよね。弘徽殿もけっこう源氏を可愛がってたはず。 強力なライバルだった桐壺の更衣がいなくなって、弘徽殿も余裕があったんだろうね
憎い女の息子だとしても、愛らしい子に愛嬌振りまかれたら邪険にもできなかったろうし
その女に瓜二つで若くて美しくてしかも后腹内親王の藤壺の宮が現れなければどうなってたのかな なんていうか源氏を不用意に藤壺に会わせたこともそうなんだけど自分の願望を叶えるために結果的に源氏が苦しむことをしてるんだよね桐壺帝は >>277
ほんとに。
桐壺更衣が亡くなって、幼い源氏も自分になつきかけてたと思ったら、更衣そっくりで色んな意味で上位互換な藤壺宮が入内してきた。おばさんになった自分に比べると輝くように若く美しく、身分も女人として最高の后腹の内親王。弘徽殿からしたら悔しくても手も足も出ないよね。
桐壺帝も、悪気はなくとも第一皇子の母の神経を逆撫でしてしまったね。 桐壺帝→藤壺の宮を通して桐壺の更衣の面影を追ってる
源氏→紫の上を通して藤壺の宮の面影を追ってる
似た者親子 >>279
その源氏も結局藤壺を通して母を恋しがっていたんだから
すべての元凶は桐壺更衣 夕霧も同じ境遇なんだがこっちは源氏みたいにならなかったよ >>281
源氏が用心して紫から遠ざけたことと、雲居の存在が大きかったんだろうね。あと、三条大宮も源氏の祖母より長生きして夕霧に愛情を注いでくれたからね。 >>277
自分の願望を叶えるために、源氏や弘徽殿の女御も苦しめてるよね。ある意味フリーダムな人だよね、桐壺帝って。 実際は紫は客観的に美しいのに自分の心の中では278の真ん中みたいな気分に陥っていたのかな
俯瞰すれば運命の繰り返しにも見える >>283
フリーダムって言えば聞こえはいいけど要するに分別がないんだよな
いくら息子が可愛いからってしょせん源氏は母方の後見のない更衣腹親王、
変に子供を甘やかして本来の立場以上の待遇を与えてもその子が将来苦労するだけ
本気で源氏の将来考えたらもっと朱雀や弘徽殿を立てて
いずれ朱雀の世になったときもっと源氏が過ごしやすくなるよう気をつかっていればよかったのに >>285
息子を臣籍降下して源氏にしたのは英断だと思うし、それを知って弘徽殿も安心したのにね。その後藤壺の入内やら、源氏と葵の結婚やらでまた弘徽殿が不愉快な思いをする事態になっちゃった。帝ももうちょっと東宮とその母を立ててあげてほしいよね。
源氏が舞を披露した時に、あまりに魅力的だったから祟られないか心配で祈祷させたってエピソードなかったっけ?あれ読んで桐壺パパって超親バカだなと思ったよ。 こきでんさまには東宮の息子がいたから悔しさにも耐えられたんじゃね?
紫には実子はいないし母の立場になりきることができなかった
明石を排除して六条院に入れず、ちい姫の唯一の母として宮中で暮らせれば逃げ場があったけど
源氏に囚われた小鳥のような人生なので傷つき滅ぶしかなかった 宮中で暮らすなんて無理でしょ女房じゃないんだから
それにちい姫が里帰りしたらその采配をしないといけないし でもこきでんさまはやっぱり勘違いしてたと思うよ
帝と女御は対等な夫婦でなく主従だし、権門の姫と言っても権力なんてちょっとしたことでうつろい易いものだし
桐壺が対等の女御ならまだしも、更衣相手に悪手だった
対等の女御との戦いでももうちょっとやりようはあったというか、権門の姫にしてはその辺うまく戦うコツとか教わってこなかったのかな? >>289
他を見渡しても自分より秀でてる女はいないと思ってて、またそうやって育てられてきたんじゃないかな
しかも真っ先に皇子を産んだわけで、帝の寵愛を受けて当然だと本人だけじゃなく女房も思ってたろうね
桐壺の更衣への陰湿な嫌がらせは弘徽殿本人の指図というより、側近が率先してやり始めたのでは
うちの姫様を差し置いて図々しい!みたいな
ついでに他の帝に顧みられなくなった妃たちの女房方が便乗していったんじゃないかと >>290
だとしたら親の育て方がまずかったね
誰よりもってほどには秀でてはいないしなにより美貌は時間と共に失われる
親の権力も、権力者の寵愛はもっともろいものだって歴史から学んでも良さそう
いくら帝のお召しがあっても、帝が自分を本当に好きか好みかくらいはわかっても良かったろうに
桐壺が死んだから藤壺が来ちゃったわけで、それはある意味自分が呼び寄せたとも言えるしなあ ま、弘徽殿が悪役じゃないと、物語が盛り上がらないからね。 何にせよ、桐壺帝は摂関政治を退けようとした帝、だよね。藤原氏の摂関政治絶頂期にこんな物語を書いた紫式部って、すごいよね。 実際は男の方がエグいことしてるんだよね
道長とか仲が悪かった三条天皇への当て付けに天皇が寵愛していた女御の立后式に自分の娘を参内させて貴族たちも立后には立ち会うなって根回ししたしそれで貴族たちも道長に従ったから摂関家って凄かったんだって思った >>292
アレはねえ…実行した女房は自分が帝のおわす御殿を汚したとは思わなかったんだろうか。弘徽殿女御本人はそんな指示は出してないんだろうけど。 >>296
帝のおわす御殿というのもあるが
単純に自分の住んでる局の前にう○こ撒き散らして臭くなかったのかとか思う
弘徽殿女御が指示したのではなく別の女御か更衣の仕業だと思うし
あさきでもいかにもモブ顔の女性が「いいきみだこと」て言ってたよね >>295みたいに合理的効率的に闘ったり嫌がらせもちゃんと?やればいいけど
廊下にう○こ撒いてどうするのよ… >>295
その女御の腹には皇子がいっぱいいたからね(小一条院含む)
最終的に小一条院が東宮を降りるまで至る政治的圧力の一貫でもある たしか桐壺から清涼殿に行く途中の渡殿だったっけ
http://wakogenji.o.oo7.jp/sonota/dairizu.html
そういう頭の足りないしもべしかいない、残念な女主人だったんだろうね
しかも嫌がらせした結果、余計に帝が「俺が守る!」モードになっちゃって
清涼殿から一番近い後涼殿に転居させたら更衣がますます恨みを買っちゃうことになったという なんで摂関家否定するかって考えたら1番の読者って一条天皇だからか
帝って后を見る度にバックにいる外戚の顔を思い出して萎えそう >>299
道長は定子とその兄弟にも執拗に攻撃したもんね…当時は寿命も短いし、何としてでも自分が健在なうちに、ってなりふり構わずだったんでしょう。
その因果応報かどうなのか、摂関家の全盛も次の代で終わりだったけど。 弘徽殿女御一派はいやがらせの為にう〇こをばらまいたというけれど、
原典じゃ「あやしきもの」とだけ記述されていて、う〇こで確定かどうか不明なんだよね。
まあ、穢れに部類するものなんだろうけど。 桐壺更衣いじめの時、麗景殿女御はもう入内してたかな? していたらこの騒ぎに心痛めつつ、桐壺更衣が飛び抜けて寵愛されてることを複雑に思ってたかもね。
優しい方ではあるけど、麗景殿女御自身も実家の命運を背負って入内してきた訳だから。 >>304
麗景殿って良い殿舎なんだよね。だから、麗景殿女御も良い家の出なはずだよね。 >>304
麗景殿はいじめには加担しなかったとしても
麗景殿の実家は心穏やかではいられなかったろうね
後宮の女性だけでなく男性貴族や世間も帝の桐壺更衣への寵愛にはいい顔はしてなかったし
国が乱れるもとだと言って顰蹙がっていたけど
そんな彼らも入内してる女性たちの父親や兄弟、親族だったんだろうね あさきの漫画を納戸から発見したので数年ぶりに1巻から読み返してる
弘徽殿はわりと嫉妬を丸出しにしてるんだな
「皇子まで成したわたくしを差し置いてあんな小娘と」みたいなセリフとか、
桐壺に毒を飲ませようとしてたりとか、忘れてたシーンが結構あったわ
あさきの弘徽殿は周囲から「いずれは后にお立ちになる」と思われてたのに、
後ろ楯がなくて身分の低い更衣に帝の寵をかっ浚われてキィーッとなってる
あと例の渡殿の汚物は、腐った食べ物だと思いたいw >>306
そうだね。皇子が10人と皇女が少なくとも3人いる桐壺帝だし、何人もの姫が入内してたよね。
それぞれ身内の男性陣がいて一族の繁栄のためにバックアップしてたんだから、ろくな後見もない桐壺更衣が独り勝ちするなんてかなり顰蹙ものだよね。
他の妃たちからも貴族たちからも総スカンをくらって、帝と更衣は余計に2人の世界に入り込んでしまったかもね。 >>307
あさきの1巻は、かなり少女漫画的に脚色されてるものね。妃たちがお互い顔を合わせてるし、弘徽殿は殺人未遂(殺人教唆?)してるし。
大和和紀さんのインタビューで「あさきゆめみしの冒頭は、連載が成功するかどうかも未知数だったし読者をつかむために原典からかなり変えて少女漫画的にした」って言われていたのを読んだことあるわ。 >>309
それ書き直して欲しいなあ
まだ絵もこなれてないし、もうちょい原作よりに一巻してほしい 権力闘争だから道隆もかなりえげつないことしているし伊周達だって道長とお互い様だからな
どちらが良い悪いじゃないと思う >>310
あさきはもともと古典のお勉強のための学習漫画ではなくただの面白い漫画なので
(そこがいいと私は思ってる)
原作に沿うために一部書き直してほしいというのはちょっと違うんじゃないかと… 描き直しというか、絵が洗練されてからの状態で描かれた初期のエピソードを見てみたいという思いはわかる。初期と中期以降では絵のクオリティが全然違うから。 冷泉が譲位したのも親子だって知らないから外部から見たら早く外戚になりたい源氏が圧力かけたみたいに思われてるんじゃ >>313
それそれ
というか、原作と解離した一巻の始めって話としておもしろくないんだよね
やっぱり大和和気が創作した話より原典(ベース)の方が単純に話が面白い
だって後宮に入内してるのに帝の顔も知らないとか、家族の遺志を受けて天皇の妻になってるのに不倫?とか
無理がありすぎるし >>313
あさきは初期絵の方が好きだわ
後期になると女君達も源氏顔というかなんか顔が長くて受けつけない 老化の表現だろうからしょうがないのでは
初期でも弘徽殿の女御の老化は自然だったわ
あんなに美しかった人が 桐壺更衣は妻の一人というより衣装係の女官みたいだっあな 実際更衣ってそういう役職じゃないの
帝のお手がついて子をなせば御息所 いや更衣として入内したら帝のお手がつくでしょ
女御・更衣は天皇の寝所に侍る役割だったから、手をつけないわけにいかない 実際の更衣の入内ってどんな感じだったんだろう。
女御だと、特に弘徽殿とかちい姫みたいな有力な女御だと鳴り物入りで華々しいだろうけど、更衣は…?
帝付きの女官が入内の日取りを帝に伝えて、儀式とか終わった後顔を見に行ったりな感じ? >>318
あさきで若かりし頃の左大臣が桐壺更衣のことを
「あの女官ですね…?」て言ってたから
当時の大和先生はマジで更衣を衣装係の女官と勘違いしてたのかもしれん
妃の一人でなく女官の一人なら謎の貴公子と恋に落ちても不倫にならんし 妃の更衣の位って歴史的にわりとすぐなくなったんじゃなかった?
その前は律令の嬪とか宮人だし
その後は妃としては女御に一本化されたし そういえば朧月夜も女御として入内するはずが源氏の件で位を下げて尚侍で入内したけど、位をひとつ下げて更衣で入内するとかはなかったのかしらん 更衣でいい事って特にないと思う
桐壺はいじめられたし落葉宮は更衣腹って見下されたし
朧月夜の尚侍だって高い位なのに聞こえよがしに悪口言われてたから 更衣など上達部にも劣ります
なかよくしておくことなどありませんわ
って言われてたね 桐壺の更衣は御息所になったから亡くなった時に三位を贈られたんだっけ
尚侍=従三位(中納言、大将相当)
更衣=四〜五位(蔵人頭〜少将相当)
参議(正四位下)までが上達部 >>325
朧月夜は本当なら将来の中宮候補の女御として華々しく入内できたはずだもんね
他の官僚達の目に触れることはない深窓の奥様じゃなく、バリキャリとしての出仕だし
“妃”というより“使用人”だから、当時の感覚だと一段低く見られていたのかも? >当時の大和先生はマジで更衣を衣装係の女官と勘違いしてたのかもしれん
「紀元2600年のプレイボール」を別誌に掲載し資料などを集める時間足りなかったのかも
ちなみに「あさきゆめみし」は東京で、それ以外の作品は札幌で執筆されていたそうだよ あさきの桐壺更衣の性格としては、寵を競う妻より控えめな新人女官の方があってるな >>323
女御に一本化というより、女官である典侍や掌侍が天皇の側妃を兼ねるようになって、
女御すらほとんど立てられなくなったからね >>331
女御として入内するのってお金がかかるんだよね。武士の台頭で貴族の力が弱り出してからは、貴族は娘を女御として入内させる財力がなかったんだよ。東福門院が、久しぶりの女御入内だったんじゃないの? >>328
史実で、摂関家の姫が女御入内前に箔付けで向侍として出仕してたよね。
向侍から女御へ、はあっても、更衣から女御へ、てアリなのかな? >>328
朧月夜は尚侍(女官)と言っても、右大臣の娘、弘徽殿の女御の妹で、朱雀帝の寵厚く、て皆さん知ってただろうけどね。 >>329
>「紀元2600年のプレイボール」を別誌に掲載し資料などを集める時間足りなかったのかも
それもあるかもしれんが単純に当時は参考になる資料が今と比べて格段に少なかったらしい
作画の資料になりそうなものは国宝の源氏物語絵巻くらいで
京都御所の写真を撮りに行っても御所内はもう書院造りになってて平安時代の参考にならず
調度品と人物との大きさのバランスとか十二単を着た時の動きとか
アシスタントさんたちと一緒に苦労しながら描いてたって
あさき後半で作画が洗練されていったのは
長年の間に資料が集まって知識が蓄積され、それが絵に反映された結果もあると思う >>327
皇子でも皇女でも与えられる地位官位は同じだったのかな?(東宮は除いて)
江戸時代の大奥だと男子を生んだか女子を生んだかで、呼び名も待遇も違ってくるよね >>338
皇族は官位じゃなくて品(ほん)で格差があるはず
女三宮も降嫁当初は三品で、途中から源氏が紫の上のほうにばかり行くようになったんで朱雀院が二品に上げた
親王・内親王宣下の有無もそうだけど、何事も後ろ楯あってこそ
后妃の地位についてはこのあたりのサイト↓に解説があったよ
https://www.shikibunosato.com/f/monogatari42
https://bushoojapan.com/jphistory/kodai/2020/04/30/110208 >>339
ありがとう
突っ込みじゃないけど、官位は官職と位階のこと
位階が皇族の場合、品になります >>338
朱雀帝が退位前に朧月夜に、せめてあなたが御息所ででもあれば、て言ってたよね。どういう意味なんだろ? >>339
古代から、同じ天皇の子女でも、生母によって全然違うでしょ。 >>341
天皇や東宮、上皇などの子を産んだ女御・更衣などのきさきが「御息所」と呼ばれることが
多いんだよね。
原文で「などか、御子をだに持たまへるまじき」と単刀直入に言ってたのに該当する
部分なのではないかな 男女で差はないのかな?
江戸時代の大奥だと生んだ子供が男子か女子かによってお部屋様とお腹様と呼び名も待遇も変わったはず 東宮になれないなら男子でも女子でも扱いの差あまり無さそう
姫宮なら斎宮斎院の可能性もあるし、次の帝が兄弟でなければ藤壺みたいに入内もあり得る 朱雀帝は中宮を立てなかった
朧月夜が御息所だったら中宮になれたのかも
東宮を産んだ藤壺の女御は藤壺の宮の異母妹だから、弘徽殿大后が絶対に中宮にさせなかっただろうし
他の女御達も大后が睨みを利かせてたら無理だもんね >>346
東宮を産んだのは承香殿女御じゃなかった?髭黒の姉妹の。弘徽殿大后に気遣って色々大変だったかなあ、もしや早くに亡くなられたのはそれでとか。
朱雀が朧月夜に「あなたに御子がいたら」と言ったのって、子どもがいたら自分が出家後も心細くないだろうにって意味かなと思ってた。 朱雀帝に中宮がいなかったのって、座がふさがってたからなんじゃないかと思うんだよね
弘徽殿皇太后、藤壺中宮、そのほかに、先々帝とかの后がだれか生きてたのかも。
后は三人までだったから。リアル歴史では定子がそれを破ったけれど
秋好が中宮に冊立されたのは、藤壺の死後だからね。 >>347
自分が退位したらあなたは源氏とよりを戻してしまうだろうけど、あなたを思う気持ちは
源氏より私の方が上ですよ。
あなたにせめて御子がいたら良かったのに。
源氏との間にはきっとお子もすぐ産まれることでしょうね。
でもそうなっても身分に限りはあるから、産まれた子はただ人になりますけどね。
という生々しい話で言ってたんだよ >>346
朱雀帝はあんまり有力な家出身の妃がいなかった、て読んだことがあるな。 >>344
大奥は初期はその辺り緩かったイメージ。八百屋の娘が将軍の子供を産んだりしてるけど、後宮じゃ八百屋の娘が天皇と顔を合わすことはないでしょ。 >>349
わー、そういう意味なの?まじリアルな嫌味だねwww >>349 でもそうなっても身分に限りはあるから、産まれた子はただ人になりますけどね。
これは事実だもんね。 >>347 東宮を産んだのは承香殿女御じゃなかった?髭黒の姉妹の
あ、たしかそうだったよね!玉鬘が髭黒と落ち着いた頃に帝位に就いてたよね。ちい姫の夫だよね? >>347
そうだ、髭黒の妹だった
それで東宮即位後に外戚になったんだよね
当時って「子を授かる=縁が深い」という意味があったようだから、>>349の言うような感じだったのかな
あさきでも紫の上が、明石の君に子がいることを聞いて
「明石の方は殿との縁深き方、それなのにどうして私には殿のお子が生まれないのかしら」と嘆くシーンがあった >>351
出自は八百屋でも一応旗本の養女という形式を取って上がってるよね
後宮でも公家が下女に手を付けて生ませた娘を御所に上げて〜ということがあったかもしれない
娘の器量が良ければ自分より位の高い相手の養女にしてもらって典侍や掌侍あたりにできたら帝の目に留まる
後世に名が残ってる后妃でも「母不詳」となってる人がいたりするし
あくまで可能性として無くは無いっていうだけだけど >>349
そうだったんだねありがとう。うわあ…朱雀こじらせてるなあ。源氏は繁殖力低めだからか、ご心配の通りにはならなかったけど。
強烈な母親とスーパースターの弟を持って色々大変だった朱雀が、ずっと後に源氏にある意味最終兵器の女三宮を送り込んだのかと思うと…紫式部のスト構成力半端ないね。 江戸時代の大奥はその辺割り切ってたみたいね。正室は朝廷と公家対策に京から迎えて、でも政治介入されたくないから子どもはなるべく持たせない。
将軍生母は旗本の娘が望ましいけど、次期将軍候補を産んだからって実家が勢力持ちすぎるのも困るから、庶民の娘でも構わない。 的な。 >>359
家斉の正室(茂姫、島津→近衛家の養女)だけかな
家斉の五男を産んだけど3歳で夭逝、その後も女子を2人くらい産んでる
そういえば吉宗は父親が湯浴み番の下女に手を付けてできた四男だったけど、
兄達が次々に亡くなったんで棚ボタで紀州藩主→八代将軍になった >>359
将軍の息子として生まれて母親が正室なのは第三代家光だけらしい。後は脇腹だったり、出生時は分家の息子だったり。
第六代家宣の正室の天英院には女の子が2人生まれたけどどちらも夭逝。それ以外でも、姫なら正室腹もいたかも(あまり詳しくなくてすみません) >>361
度々すみません。将軍と正室の間の男子で将軍位を継いだのが家光だけ、って意味です。
359さんの書かれているように家斉正室が男の子を産んだものの残念ながら夭逝したようです。 大正天皇の皇后は脇腹で、母は庶民だったよね。
それで野育ちで体が丈夫だったらしいけど >>363
九条家のお姫様(庶出)だよね。道長のかなり後の子孫ですかね、途中には養子もいるだろうから実際の血の繋がりはよく知らないけど。 >>363
だから、宮家出身の香淳皇后には冷たかった、て説もあるよね。 >>365
で、宮さまとしてのプライドがすごく高かった香淳皇后は皇族でも華族でもない美智子妃を快く思わなかった、と
歴史は繰り返すのか…まあ自分とまったく違う価値観の持主が身近にいたら警戒するよね 美智子様がお嫁に来られた時の宮中って、桐壺更衣どころではなく怖かったのかな。大納言の娘の更衣でも肩身狭かったのに、皇族・華族ではない民間からのお輿入れだったものね。 >>355
そりゃ嘆くよ
当時の貴族の女なんて子供を生むことが最重要
紫みたいなのは例外で、ほとんどは跡取り娘なんだから実家の勢力を保つためにも子供を生まなきゃならなかった
自分で世話をするわけでもない、お乳をやるわけでもない、ただ生みさせすればよかったのにそれができない、しかも他に何もない紫の上は相当キツかったんじゃない
当然、今と違って一夫多妻で離婚の制限すらないのに >>359
単に正室腹ってだけでよければ慶喜がそうだね この時代の貴族の妻だと、育児の作業的な部分は乳母や女房にさせられるものね。教養とか躾の部分で母親の出番かな? それも外注はできちゃうか。
だからこそ産むことって代替不可能な重要任務だっただろうなあ。実家と疎遠な紫にとってはなおさら。 >>324
尚侍は女官の最高位、更衣は下位の妃だよね。 >>371
◯◯家秘伝の香の調合とか
その家の主一家にしか伝わらないものは
親が子に教えていたんじゃね?
明石だって琴の名手だけど教えたのは明石入道で
それも何代か前の先祖が時の帝から琴を伝授されて自分で何代目、なかでも娘は不思議と昔の音色を受け継いで、と
明石入道がさりげなく自分達はもともと立派な家柄であることや娘の才能をアピールしてたし
先祖より伝授された秘伝の◯◯とか
その家ならではの知識教養、技能、人間関係の積み重ねとか
現代でも各地の名家や旧家でありそうだけどそういうの全部ひっくるめて家柄だし
宮中での振る舞い方や人間関係やそこでうまくやっていくツボを教えたり
親でなければ教育できないことっていっぱいあったと思う 桐壺の更衣も、弘徽殿主催の香合で判者から「これは見事な薫衣香…!」って絶賛されてたもんね
亡き大納言が后がねとして大事に養育してたことが伺える
源氏が絵を得意としたのは母方からなのか父方からなのかどっちなんだろうか >>374
桐壺の香合わせはあさきのオリジナルだからな… えっ
てか、ここはあくまであさきを語るスレじゃん… あさきが途中から原作よりにシフトしちゃったから、オリジナル設定前提だと
考察のしようがないなぁ、と。 そもそもあの香って、帝が手配したものって話じゃなかったっけか 平安貴族にとって香は教養と財力の証だったわけだし
家に伝わる調合法もそれぞれ違ってた
帝から贈られたのは立派な香壺だったけど、中身ごとかどうかはわからない
末摘花の道具類みたいに、大事に守ってきた物なのかもよ >>371
医療事情も良くなかった当時、子供は多ければ多いほど良かったと思うよ。だから、子供が産まれてもすぐに乳人たちに任せてまたすぐに次の子を産む体勢に入ってたんだと思う。 桐壺更衣への偏った寵愛に後宮の女たちが怒るのはまあ分かるんだけど、その女たちが男子を生んでも東宮候補にはなりそうもないし、実家の命運が懸かってるというのはわかるようでわからない部分もある
寵愛してもらえたら、父や兄弟が出世しやすくなるとか?
あさきだと乳幼児が死なないけど、もし東宮に何かあればあわよくば、とか? >>381
子供以外にも寵愛があつまったら、親や親族が出世とかあったのかしら >>381-382
当時は第一皇子が必ずしも皇嗣になれたわけじゃなかったし(定子の産んだ敦康親王しかり)
逆に言えば、東宮が若くして即位することになったら弟宮が新東宮になる可能性も大いにあった
後宮で帝に寵愛されたら閨でおねだりして身内に有利な任官をしてもらえるかもしれないし
(江戸城の大奥ではおねだり防止のために上様がお泊まりの時には両隣の部屋で不寝番が聞き耳を立てた)
寵愛が深い姫の実家には貢ぎ物も届くしいろいろと潤う
帝や東宮の外戚になれたら家門の繁栄は間違いなし
後宮に上がった姫様には一族総出で期待をかけてるということ
子を産まずに帝と死別しちゃった女御の中には、臣下と再婚した人もいたみたいだよ ↑補足
帝の寵愛が深い方の身内は宮廷での発言力が増すから、人事(除目)に多大なる影響を与えられる
だから権力にあやかりたい人達が群がってくる
源氏も須磨から帰ってきた後に冷泉帝から厚遇されただけでなく、
後見人として入内させた斎宮が中宮になったことで臣下としては最高の地位に上った
仕える殿様が出世すればそれに従って家臣たちも出世できるので、惟光も参議まで行けたんじゃなかったっけ >>383
>子を産まずに帝と死別しちゃった女御の中には、臣下と再婚した人もいたみたいだよ
藤壺も冷泉を生んで立后することなく、子のない女御のままだったら
桐壺院の死後源氏と再婚の可能性があったかな?
葵はもう亡くなっているものとして >>380
当時の人は経験からわかってたんだね、母乳をあげている間は妊娠しにくくなること。だから産後すぐに乳母をつけて、次の妊娠に備えるんだよね。 >>381
帝の寵愛深い妃のところには、出世したい下級貴族がアピールしに来てたらしいよ。
定子のところにも全盛期にはわんさか来て自己アピールしてたのが、斜陽になってくるとさっぱり来なくなったらしい。 >>349
そうなんだ
私も347とおなじ、出家後心強いだろうにと配慮のセリフと思ってた
まあ、究極の上から目線の人だから相手の立場で考えるとか有り得えないよね
お子がいたらの部分は、自分が愛したからその愛の結晶が欲しかったの意味かな >>386
冷泉を産んでも産まなくても立后した可能性が無くは無いような
でも、もし女御のまま桐壺院と死別したとして、源氏がその気満々でも藤壺の宮のほうが断りそうじゃない?
姪である紫の上の立場を慮って >>389
子がいたらってのは、朧月夜の立場が安泰って、朧月夜の行く末を案じるゆえの言葉じゃないのかなあ
男女の別は書いてないけど、東宮の母にできるのにって意味合いとか >>390
この時代、腹違い種違いまで含めればみんなどこかで親戚繋がりがあるからそんな理由では遠慮しないと思う
女三宮と紫の上もいとこ同士なんだし
断るとしたら別の理由では? うーん
・桐壺院が亡くなった時は源氏24、藤壺宮29、紫の上16
・宮の身分のほうが上+院の寵愛が深かったという名誉がある
もし源氏と結婚したら宮が正妻になるよね
若い妻をもらったばかりの源氏から正妻の座を奪い取ったとヒソヒソされそう
この頃のアラサーって孫がいてもおかしくないもんね
明石の中宮も12で入内してすぐ懐妊したはずだし
なんというか、当時の世間体からいっても宮が受け入れるかなあ?
落葉の宮が「内親王なのに二夫にまみえるなんて」と苦悩してたという描写があったような
実際に再婚した女御は元々藤原氏出身だから立場が違うのかも 世俗では未成年売春などの案件では5ちゃんねるでは裏山の声多々
現代でも性風俗で若さが重要視されているのに、栄養状態の悪い平安時代なら尚更だろう
源氏のように若い正妻より中年女を寵愛するのはマニアの域だから、やはり源氏物語は女性が描いた世界だね
アンリ2世やチャールズ皇太子、ウィンザー公爵などと同類 チャールズとかマクロンとか現在でもリアルにいるし100人が100人同じような趣向じゃないだろうよ いやー、源氏も何だかんだ言いながら、密通発覚の直前まではかなり女三宮に
性欲的な執着は移ってたよ。
長年連れ添って、家政とか子供や夫の世話とか、そういう実務的な面だとかは
紫の上だよりだったにせよ。 源氏の息子冷泉だって老いて連れ添った妻たち放置して若い方に入れ込みまくるしな 源氏物語って千年の時を越えて、人間というか男女の真実を描いてるんだけど、理想の主人公がばば専ってとこだけは嘘臭くて興ざめだなあ >>387
特に名家からの嫁の子供はいくらでも欲しかっただろうからね。言い方は悪いけど、気持ち的には、一人産んだらさっさと次の子産め、てかんじだったんじゃないかな? >>391
朱雀は、自分(帝)以外との子供はただ人ですよ、て言ってるよね。 >>393
臣籍降下した源氏に、元内親王藤壺との結婚は難しいと思うよ。
内親王(女三の宮)との結婚が許されたのは源氏が太政大臣になってからじゃん。 >>396 源氏も何だかんだ言いながら、密通発覚の直前まではかなり女三宮に
性欲的な執着は移ってたよ
そんなシーンあったっけ?? >>388 帝の寵愛深い妃のところには、出世したい下級貴族がアピールしに来てたらしいよ
古今東西、権力者の周りはそうでしょ。 >>382
そりぁあ後宮って何が起こるか分からない伏魔殿だからね。子供がいれば、強力な武器になるよね。 >>402
直接的な描写ではないけど、琴の指導にかこつけて頻繁に泊まったり、合奏が上手く行ったから褒めてやるとか言って三宮のとこに行って泊まったり(その晩に紫発病)、そのあたりの話かもね。
院の手前…って言いつつ若い妻となかなかよろしくやってる印象を持ったなあ。 子供はいないし名家の出身でもなく、ダントツの寵愛だけを頼りに戦ってた紫の上って
良血でないし産駒も出せないけど、人気ナンバーワンのオグリキャップみたいな存在なのかもね 源氏の場合女三宮は単なる若い娘じゃなく藤壺の面影があるって話だからね
もちろん結婚した理由はそれだけじゃなく中年の危機とか正妻不在とかあるんだけど
ネットとか見ると男は初恋の人とか元カノとか忘れられない場合が多いしなんなら実際よりも美化してる点は源氏も同じ 結婚してみてからは藤壺の面影なんてこれっぽっちも感じてないんじゃない?
でも若いピチピチの子だ〜可愛い〜
ばっかりだったんじゃないかと >>405
あさきは少女マンガ枠だったから、あんまり生々しい描写はなかったからね… >>407
面影はないんじゃない?
源氏は、紫の上には藤壺の内面的面影を求めて、女三の宮には内親王(宮姫腹の)血筋的憧れを持ってたんじゃないかな? 琴を教えるために毎晩女三宮のところに通うって紫の上にも言い訳して足繁く通ってて、
いざ女楽が終わった後に「琴がうまく弾けたことを褒めにいく」みたいなことを紫の上に言って
女三宮のところに行くんだけど、行ったら女三宮がまだ熱心に琴の練習してたもんだから
「琴を教えた私のことも満足させてくださらないと」みたいなエロいこと言って、女三宮に
練習やめさせて御帳台に引っ張り込んで事に及ぶんだよね
それまで「琴を教えるため」って言い繕ってたけど、ああ言い訳だったのね、と分かるシーン。 >>408
紫の上が梛の精神で、あなたの帰る場所は私の元よ〜、みたいな気持ちになったら良かったかも…でもそれじゃ、物語にならないか… >>409
そうだねえ。あさきでは源氏と女三宮はそもそもそういうシーンの描写すらなかったものね。
その分、柏木との閨のシーンはやけに生々しくて驚いたよ。 >>413
実際は面影無かったけど藤壺の姪って聞いて途端にやる気出したからね
別にただの内親王でも良さそうなのにわざわざ設定するところが紫式部の上手いところだわ >>411
あれはスケベ中年オヤジ丸出しだったよね >>412
そういう風に育ってきてないからなあ
御殿でも同居に近くて源氏が独立の御殿を持ってたわけじゃないし
考え方を変えられれば楽だったろうね >>407
いわゆるド真ん中ってやつね
まぁ気持ちはわからなくもないけど失礼よね >>398
>理想の主人公がばば専ってとこだけは嘘臭くて興ざめだなあ
理想の主人公だからこそ愛する女性が年取ってもずっと魅力を感じて愛してくれることを
人々は求めるんじゃないの?
年取っても愛し合ってる老夫婦なんて普通に現実にもいるし
そういうのもあなたにとっては嘘臭くて興醒めなわけ?
女は年をとったら愛されなくて当たり前、なんて男のどこが理想だよ 歳の話をしたら源氏もジジイになっても光り輝くだの持ち上げられてるよな
あれに比べりゃ藤壺も紫も30代だったしまだ若いわ 源氏が四十の賀を迎えた年に女三宮が降嫁ということは
源氏40、女三宮14〜15、紫の上30〜32(←紫の上は年齢がはっきりとは判明してないらしい)
あさきで源氏が9歳の時に藤壺が14で入内したと書いてあるけど、桐壺帝は何歳だったんだろうか
源氏が産まれた時は弘徽殿が入内して3年くらいは経っていると考えると、
桐壺帝20前後、藤壺入内は帝がアラサーの頃
弘徽殿もそのくらいまでは綺麗なのに、約10年後に藤壺の懐妊後の試楽では口元にシワが入った婆になってる >>270
桐壺帝の桐壺更衣の扱いが当時の帝のあり方として外れてたって意見もある
多分身分に応じた扱いなら桐壺更衣はあんなに総攻撃受ける事はなかったと思う
桐壺更衣と住居交代させられた妃もいたからね 源氏と朧月夜が初めて契った夜、桐壺帝は弘徽殿女御を清涼殿に召してるんだよね
あさき絵だと完全におばちゃん化してて、ちょうど藤壺が中宮になってイライラしてる頃
帝も大変だ…けど、本来はこうやってちゃんと公平に扱わないといけないのだよね
閨でどういう会話するのか気になる
この夜開いてる戸から弘徽殿に入り込む源氏が
「こんなことからまちがいでもあったらどうするのだろう・・・・」
って思ってるのが笑える
間違いを起こすのはあなたですよ >>406
家とか子供とか関係なく、自分の魅力だけで勝負したのが紫の上だよね。 >>422
ほんそれ。弘徽殿からしたら自分が清涼殿に召されてる間に妹に手を付けられて…間違いを起こしてるのは他ならぬ源氏じゃんw
朧月夜もなぜか1人でほろ酔い状態?で人気のない細殿を歩いてたね。 源氏って、マザコンとかババ専とか言われてるけど、
母親の顔は殆ど覚えていないし、、
元服後は母親のことは殆ど言及しないし、母を弔うシーンも無いし、
弘徽殿女御に対しても母の仇というより政敵としか思ってないし、
母と祖母の実家である二条院も捨てて、あっさりと六条院に引っ越すしで、
言われるほどマザコンなのかなあと思う。
マザコンと思われる原因は、「藤壺が桐壺更衣とソックリだから」ぐらいかな。 >>418
現実として複数の妻をもてる権力者が老境になって老妻に性としての寵愛を傾けることってほぼない
老境になった妻は跡取りの母とか后として権力を握ったり、家族?として信頼関係があったりはするけど、性愛として一番になるのは世界中どこでも無理
一夫一妻の現代とごっちゃにされても困る
そもそも女の理想を書いたからというなら、初めから女遍歴の挙げ句に若い正妻を迎えないって 性的な寵愛って意味なら源氏の晩年は出家前の三の宮や中将の君みたいな召人が担当してるからな 紫の上も途中から母親みたいな心境になっていったしね 一夫一婦でない時代に寵愛だけで最後まで世の中渡ってくって現実的に厳しい
洋の東西を問わず寵愛は移ろいやすいもの
他のことは人間心理というか変わらぬ真実を突いてるのに、そこだけリアリティない
まあ現実的に財産分けもらって出家ってなったら話が盛り上がらないから仕方ないんだけど、少なくとも年ごとにますます美しくってのはまあアホだね 男性の中には、何時までも枯れない性欲に支配されてしまう方がいて
意外と大変なのねとこの流れで思う
個人的には明石入道がまさに一夫一妻で妻以外の女性の存在がほぼ無いところに好ましさを感じる
性愛よりも野心を優先にした結果なんだろうけれども
そのストイックさは魅力的に見える 紫はもう自分から源氏との関係を絶ちたがってた
それも一時の感情ではなく心の底から
その紫を必死に押しとどめて自分の妻として縛り続けていたのは源氏
私たちの愛がどーのこーのとかきくどいて最後には泣いてすがりついて必死になって
男女の愛の対象としての紫にこだわり続けたのは源氏のほう
でも読者はその源氏の心理に無理は感じてないんだよね、1000年前から
若い妻を得て紫を苦しめたことは事実でも
源氏が紫を愛していたこと、女として求めていたことを否定できる人はいないと思う
現実の男の性を考えると年配の妻は若い女に負けるのが当然、ババ専興醒めと言う人がいる一方で
紫を必死で求める源氏にあわれを感じる読者もいる
いろんな人がいて面白いね >>432
明石の方の言葉ではないけれども、紫の上は子どもという逃げ場がないまま
源氏の愛を盾に戦って、源氏から出家を阻まれたまま世を去ったから
源氏にとっては亡くなるまでずっと現役の女性だと私も思う
紫の上亡き後、暫く中将の君がそっちの世話をしていたけれども
身分の差だけでなく、一人の女性として最後まで源氏から愛された訳ではないし
紫の上への追慕は日々増していき、源氏ゆかりの全ての女性は
源氏を俗世に留まる原動力にはなり得なかったということそのものがあわれだと思う 出家するする詐欺を思うと薫は間違いなく源氏の子だよやはり氏より育ち ババっつったって源氏より7歳も年下なのにねえ
冷泉ならまだしも >>434
大和和紀が原典の薫が出家を思い止まるシーンをカットしたせいだよ 紫の上が亡くなって源氏が出家したいって言ったら原典の明石は孫達のためにもう少し待ってほしいって言ったし女三宮に素気なくされたけ花散里はどう言ったのか気になる 紫式部のフィクションだからねぇ
でも源氏は極度のマザコンだと思うわ
母を追い求めてるのを意識してない分よけい始末に悪い 源氏が紫の上に泣いてすがり付いたのも所詮はその時だけ本当に悪いと思ってれば女三宮騒動でごちゃごちゃしてるときに朧月夜と寝たりしない
瀬戸内寂聴がいってたけど妻に出家されるって男にとってとてもみっともない恥ずかしいことだったと 紫の上は37〜39歳ぐらいで発病してるけど、それぐらいの年齢ならまだ十分、
女性としては現役だからなあ
平安時代も、貴族女性は45歳ぐらいまで出産してたりしたからね(源倫子とか)
その頃までは、若い女三宮と熟練した紫の上を両手に花で、どっちもそれなりに良いけど
生活面の面倒とか実務とか愚痴聞き役とか日常の話し相手とかは全部紫の上の役だから
女三宮は愛玩対象として可愛がり続け、紫の上は生活上実質的な妻として頼ってたんじゃ
んで、琴にかこつけて、閨の役割はだんだんと女三宮にシフトしてた時に紫の上発病。
その後は、病弱だし紫の上とはレスだったんじゃないかと思ってる。 >>430
フランス王の寵姫とか調べてみるといいよ
案外、若い女ばかりじゃないんだなこれが
ルイ14世の寵姫で、最後は秘密結婚までしたマントノン夫人とか
アンリ2世の愛妾で、20歳ぐらい年上だったディアーヌ・ド・ポワチエとか
愛妾が王妃より年上なんてこともまったく珍しくもない 珍しいものじゃないって?
珍しいから今に伝えられてるんじゃないんすか? 紫の上と女三宮の板挟みで不倫するのが昔の恋人の朧月夜ってところがね
源氏は若い頃の感覚を取り戻したかたったんだろうけど朧月夜は世を捨てる決心をしてるっていう キリスト教国の場合、寵姫が子供を産む必要がないので、年上でも全然OKというか
むしろロイヤルミストレスは人柄や才覚も大事だったため、若い未熟な女性よりも
それなりの教養などあって王を支えられる人が望ましかった面もあるからね
東洋は、寵姫の第一の役割は子供を生むことだから、当然若い方が良かったけれど
(徳川家康みたいに、子供産んだことある人妻ばかり好むようなのはまあ例外的)
源氏もそうだけど、召人ふくめて若い女に不自由しない場合って、かえって若い女だけじゃなく
精神的交流重視の女も大事にするものなんじゃないのかね
精神的だけじゃなくて、肉体的な問題も、若い体がいいのか馴れた相手がいいのか
熟練がいいのかとか、ニーズによって求める相手が違ってたりとか。
むしろ一人の女の中に、閨の相手も生活を支える役割も子を生むことも育てることも
すべて求めるとなると、総合して性欲が買って若い女が勝ったりするものなんだろうけど。
その点、若い女も欲しい、ステイタスも欲しい、古い妻も大事、昔からの愛人も捨てがたい、
みたいな源氏ってリアリティあると思うんだけどなあ ついでに、40歳までは、何だかんだいって女性も「年を取るごとに美しくなっていく」は
リアルで可能だと思う。
40歳すぎると難しい。45歳すぎると無理無理。
紫の上は良いタイミングで死んだ。 >>445
全部のせを希望する源氏、その舞台が六条院なんだね。幼い時から育てて長年連れ添った事実婚の妻、社会的地位が絶頂の時に迎えたあどけないトロフィーワイフ、後年妻を半分引退して仕事に精を出す地方出身の妻、夫とはすっかりレスだけどのんびりと幸せそうな妻。
我こそはという性分の人が少ないから成り立つ世界? 中世ヨーロッパの社交界と日本の閉鎖的な平安時代貴族では環境が全く違うよ
紫の上は、養母として育てた姫が無事に入内して、六条院となった源氏と二人で穏やかに暮らしていけると思ってた
拒もうと思えば拒める立場の源氏が、娘と変わらない年齢の内親王を正妻に迎えると知って 1アウト
その内親王があまりにも子供っぽくお利口さんじゃなさそうだと悟って 2アウト
病の床につき、もう解放してほしいと思って出家を願ったら源氏が今更すがり付いて来て 3アウト >>446
女性的な外見がもたらす美しさなら同意
紫の上とは状況は異なるけれども、例えばシスターのような一生を聖なるものに
捧げる方は歳を重ねていくほど内面的な美しさがにじみ出るから
紫の上もそういう美しさを持っていたのかなと脳内補完している 桐壺の更衣と紫
二人に共通して出てくる死にゆく前の透き通るような美しさ
実体験したことないけどあるのかな
小林麻央さんとか亡くなる直前のブログの写真でも美しかったような >>448
才覚のない女三宮に代わって実質六条院を取り仕切っていたのは紫
発病した紫が二条院に移ると六条院は火が消えたようになり
女三宮の女房たちまでもが「まことに…いまさらながら思い知らされたことよ」「あのかたこそが六条院の花であったと…」と話していた
西洋に比べ平安貴族が閉鎖的に見えても上流貴族が社交が命なのは古今東西変わらないよ
来客のもてなしとか贈り物のセンスとか部屋のインテリアとか小さな催しとか
自分は手を動かさなくても女房たちを指揮して立派にやりとげるのが貴族の妻
源氏みたいな大物になると来客のもてなし一つとっても教養やセンスが問われただろう
妻として夫を支えることも話し相手になることも女三宮はできなかったろうからね 平安時代の貴族女性って顔を合わせないまま色んな交流をするんだよね。贈り物やら文のやり取りとかして
書かれた筆跡とか紙のチョイスとか添えられた花とかそういうので評価されてたんだろうな
紫や花散里は手慣れてるだろうけど女三宮は…有能な女房を置いてやってもらうとか? >>451
中世ヨーロッパとの比較は上のほうの愛妾の話の流れであって、そういう意味で持ち出したわけじゃないんだ
舞踏会やパーティーで男女が顔を合わせる機会が多くて宮廷サロン文化が盛んだったヨーロッパと、
文のやりとりが中心で、相手の顔をちゃんと見る機会が少ない平安貴族とは環境が違うよね、と言いたかった
まあ六条御息所の住まいは源氏が恋人にするまでは教養を嗜む公達が集まるサロン的な場所だったみたいだけど >>452
どうだろうね>女三宮
目端の利く女房が付いていたら柏木を何度も招き入れられなかったかも?
末摘花が源氏にと真っ赤な生地で正月の装束を用意した時、大輔の命婦が
「お衣装は正室様がご用意するものなのに、あの通り世間知らずな方なので」と言ってたね
現代でいうと夫のネクタイやスーツを選ぶセンスになるんだろうかw
紫の上や花散里は染色が得意だったっけ
あと女三宮の降嫁前の六条院で香合わせの会をやってなかった? 紫亡き後に花散里が、私がかわりにお正月の衣装を用意しましょうか?と源氏にきいてたね >>451
女三の宮は、源氏と結婚して六条院に居る、ていうことが最大の才覚?だからね。妻が二品の宮、ていうことは源氏にとって非常に晴れがましいことだろうし、源氏の繁栄=六条院の繁栄、てことだろうし。 六条院の妻たちって女三宮が降嫁してくるまではそれぞれ弱味を持ち行き場のない女性ばかりだったね
トロフィーワイフを望む気持ちが起こっても不思議でない
葵上存命で朧月夜と秋好中宮も妻にしてたら後宮なみに豪華だったけど、一ヶ所に集めて住まわすのは無理か 葵が生きてて朧月夜と秋好まで妻にできるわきゃねえべ >>457 六条院の妻たちって女三宮が降嫁してくるまではそれぞれ弱味を持ち行き場のない女性ばかりだったね
通い婚だった当時、女性を一か所に集めること自体珍しいことだっただろうからね。 >>458
葵が生きてたら義父の左大臣に遠慮して六条院は作れなかったでしょ。 だから葵がいりゃハーレムもダメだし女御になれるクラスの女を次々妻にするのも無理って話だろ 花散里は子供は生んでないけど、夕霧の継母として大事に扱われて、一目置かれる立場だよね
女御の妹ということは実家もそれなりの権勢があったということだろうし >>460
逆に言うと六条院を建てた時点でもう源氏は正妻をもつことをあきらめていたんだろうか?
朝顔に求婚してそれがうまくいかなくてその後だよね、六条院建設は >>462
姉が女御だったてことは父親は王族か大臣だよね。麗景殿は格式高い殿舎らしいから、かなり名門出だったはず。
何らかの理由で没落してしまったんだろうね。 葵が生きてたら、六条院じゃなくて三条邸を源氏が自邸にしてたかも。 葵が生きてて正妻として三条にいて
秋好が妻の一人として源氏の訪れを待つようになるなんて六条が絶対に許さないでしょ
世間体で見ても六条と秋好で親子丼になるし自分だけでなく娘まで葵の下の位置に置かされるなんて六条には耐えがたいと思う
六条が生きてれば何としても阻止するだろうし六条の死後なら怨霊になって祟るレベル >>467
ちい姫がいる明石は別格として、源氏の妻たちの中ではけっこう幸せなほうだよね、花散里。夕霧の義母になったのも、彼女の血筋の良さもあるだろうけど、性質も良かったんだと思うし。
外見のせいか?早くから源氏を取り巻く愛憎ドラマから脱してたおかげでもあるよね。 >>468
花散里の持つ母性を源氏は求めてたんだろうね
素直だから駆け引きする必要もなく、たまに通うくらいでも恨み言ひとつ言わずに歓迎してくれて
花散里の御殿は一番居心地が良さそう
夕霧だけでなく玉鬘の母親代わりも任されたのは納得 花散里の立ち位置は結構いいと思う、女性としての葛藤に区切りがついてるっぽいし。夏の御殿で悠々自適に過ごして、時折来る夕霧と源氏の話し相手して。収入とかの心配はないしね。 六条と対極だね
愛する妻がいても憧れの人の面影を探し彷徨うなんて
でもこの時代にも妻一筋の人はいたのよね
伊予の介や浮舟継父が素晴らしい人に見えるw その辺は再婚だから、始めから浮気しない男だったかはわからないよ
二人とも年だし >>472
年取ってから苦楽を共にした妻をないがしろにして若い妻を娶る男より数倍マシじゃん >>473
紫にはひどい夫でも、明石や花散里、末摘花なんかにはいい夫じゃない?
特に明石なんかには良清にただ一人の正妻にされるより、未来の天皇の祖母にしてくれた源氏の方がずっといいだろうし
源氏の妻の中で不幸なのは紫だけだし、そうなると当時としてはいい夫なんじゃないかな
金もケチらないし、自分だけじゃなく実家の応援もしてくれるし 良清とか惟光の奥さんになった方が人生気楽で楽しそうだけどな 明石や花散里が幸せだとされるのは自分の立場をわきまえて満足してたから
紫は十分幸せだったと思うけど源氏への愛が強すぎたのか
一番じゃないと嫌だと思うと苦しくなるんだろうね >>476 紫は十分幸せだったと思うけど源氏への愛が強すぎたのか 一番じゃないと嫌だと思うと苦しくなるんだろうね
兵部卿の宮の脇腹の姫が太政大臣の妻の一人になって六条院の春の御殿で暮しました、て、文章で書いたら幸せそうだよね。 紫は自分の立場を勘違いしてたのが不幸の始まりかもな
葵がいたらそんな勘違いもなかったろうに 源氏も紫の上も朱雀と女三宮から努力と才能だけじゃどうにもならないことがあるって突きつけられてる 散々あなたが一の人ですよってやってて若い娘を嫁に貰ったらそりゃ病むわな 源氏が須磨に行く前に荘園の権利を書き換えるやら蔵の鍵を渡されるやら、
帰ってきてからも「北の方」と誰もが呼ぶような立場だったのに、勘違いはないわ
全部源氏が悪い >>482
紫が源氏をたしなめる(私は正妻じゃありませんよ)くらいだったら良かったかもしれないよね。 >>475
明石は未来の中宮の母に相応しいレベルの教育受けてて
教養もプライドも高くて惟光の妻の枠には収まらないよ
娘の明石姫の宮中での社交的な部分も受け持ってるし
資質的にはキャリアウーマンが向いてるタイプ 紫の上は、北の方とはあまり呼ばれてないよね
髭黒大将夫妻ぐらいじゃない? >>485
あさきの3巻で、「源氏の君の新しい北の方が兵部卿の宮の姫君だったそうですよ」と噂されてるのと、
源氏自身が須磨に行くと紫の上に告げるシーンで「あなたはこの私の北の方なんだから」と言ってるよ
たいていは「奥さま」「二条院の奥さま」だね
他の妻は奥さまとは呼ばれてないよね >>486
世間では北の方と認められてなかったか、危ういかんじだったんじゃない?
でないと朱雀が女三の宮降嫁させないでしょ。 >>487
実質的に北の方で、かつ一応は宮家の姫君だったから尊重はされてたけど、
いつの間にか現れて正式な披露宴も無く奥方に収まったから、二品の内親王には勝てないよね
そう考えると、夕霧はどうだったんだろうか
雲居の雁が自他共に認める正室だったのに、落葉の宮が正室になったのかな >>484
明石って誰かの妻になるということ自体向いてないんじゃないかと思う
身分でいえば良清レベルの妻が妥当だけど教養の面で釣り合わない
源氏レベルなら教養の面で釣り合うけど身分としては召人にされても文句は言えないくらいで
生まれた娘も養女に出さざるを得ず、日陰の身として忍従の日々
どっちに転んでも100%幸福とはいえない
教養だけでなくプライドも高いから卑下しまくって生きるのは相当辛かったと思うよ
資質としては主婦や妻の一人よりキャリアウーマンのほうがよっぽど向いてるよね どうでもいいんだけど
この作品では匂の宮が明石の入道の面影残してる!って最近思う >>492
いや、顔がちょっと明石の入道み出てない? >>488
雲居の雁は頭の中将の娘で、母親も王族だったよね。更衣腹で後見のない落葉の宮と比べてどうだろ?
落葉の宮との結婚に怒って、子供を連れて頭の中将の邸に帰ったよね。紫の上が、そんな雲居の雁を羨ましく思ってた(しっかりした実家があるから出来る行動だ、て)よね。 >>496
イスラム教徒は妻を四人まで持てるけど
その妻たちを平等に扱わなくてはならない
それでも最初に結婚した妻が優位に立てるの考えると
雲居の雁と落葉の宮だと雲居の雁優位なのかなと 家出までする形で揉めたのに、よりを戻しちゃうっていうのもある意味すごいな
普通新しい女作ったの理由に家出したら、その女と別れてもいないのにより戻さないよね 夕霧んとこも紫が亡くなって源氏が腑抜けのようになってひきこもって
弔問客の応対とか全部夕霧がやってて源氏の心配もして一人で大変だったからねえ
頭中将が雲居の雁に
「あっちも大変だろうからちょっと帰って手伝ってやりなさい」くらい言ったのかもよ
頭中将も紫を亡くした源氏を心配してお見舞いをよこしたくらいだし
雲居もその頭中将の傍らで心配そうに夕霧のこと話してたしね
それでなくても夕霧のとこは子沢山なのに雲居が出ていってにわかシングルファーザーで大変だったろうに
頭中将親子も基本的に悪い人たちじゃないから婿のとこでお葬式がでて父親はがっくりきて大変だとなると
普通に家族として助けてくれそう 腑抜けた義父の代わりに家を取り仕切る夫のサポートを娘に促す義父の親友
そしてその腑抜けの目を盗んで若い妻を寝取る親友息子
うーむ 雲居の雁はやり直すと言っても帰ってはいないだろう
雲居の雁と同居しながら半分を別の誰か(この場合は二の宮)に通うのはめちゃくちゃ失礼だから夕霧は本宅を自分で構えて雲居の雁と二の宮それぞれに通ったのだと何かの文献で読んだことある >>502
夕霧って何処に住んでたの?当時は通い婚だよね。 >>503
六条院の夏の御殿に夕霧用の馬場があったから、そっちじゃないの? >>499
そうだね、頭中将には何か人情味がある。両親の左大臣夫妻も含めてここの家族は超セレブなのに、何か庶民ぽさがあって微笑ましいと思う。
左大臣夫妻が晩酌しながら婿殿の通いが少ないことを愚痴ったり、息子に「源氏の君にあまりはしたないことを教えてくれるなよ」って説教したり、雲居の結婚を男兄弟達がわいわい祝福したりね。 >>503
二の宮のことがあるまでは大宮の遺産の三条宅に雲居の雁と一緒に住んでたはず
まあ二の宮後は六条院(夏)に住んで二人に通い婚が妥当だろうね 調べたら、夕霧が元服した時に源氏が勉強に専念させるため三条から二条東院に移したんだった
その時に花散里に夕霧の世話を任せた(花散里なら夕霧に顔を見られても安心だからw)
その後、六条院が完成した時に花散里と一緒に移ったのかな?
でも落葉の宮と結婚した時に宮を夏の御殿に住まわせたらしいから、また二条東院に戻ったのかも 夕霧は、三条邸の雲居雁と六条院の落葉宮のもとに、15日ずつかっきり通ってたんだよ
他の屋敷なんてないよ
雲居雁と夕霧って、原典とあさきだとよりを戻した時期が違うよね
原典の方がもっと早くて、おそらく紫の上が亡くなる前にもうよりが戻ってる 藤典侍腹の子を一条の宮の養子にして夏の御殿で育ててたんだっけ
ていうか2人でかっきり半分ずつって、典侍忘れられてる…4人も産んだのに >>498
そりゃ今と違って女1人で稼ぐことも、子供を引き立ててやることもできないから
髭黒の最初の妻(兵部卿娘)だって、離婚したから子供たちの行く末みんなショボいじゃん
自分の生活だけならともかく、当時は子供の出世や結婚相手は父親の力にかかってるんだから子供があれだけいたら現実的に戻らざるを得ないんじゃない
もし離婚してたら、典侍腹の六の君が東宮妃になってて息子もあの年で蔵人少将にはなれてなかった >>509
興味本位だけど、その15日って1日交代なのか、一月の前半と後半みたいに2週間おきなのか気になるw >>511
髭黒の男の子たちは、離婚したから行く末ショボいんじゃなくて、髭黒が早死したから
玉鬘の息子たちも含めてちょっと出世が遅かったんだよ。
離婚が原因ではない。母方祖父も帝の伯父でそれなりの権力者だったし。
娘も、入内しなかっただけで別にショボくはない。
兵部卿宮の北の方→右大臣の北の方だし、入内して明石中宮と張り合うより良かったのでは?
それよりも、雲居雁が恐れていたのは子供たちを夕霧が落葉宮に育てさせることなはず
(しかし現実問題、夕霧がそんなことしたら落葉宮が音を上げてただろうけど…
いきなり7人も8人も育てろって言われたらそれだけで出家しそうだわ)
何だかんだいって、大勢いる子供たちの一人が風邪でも引いたって言えば、雲居雁は
お人好しで騙されやすいし、慌てて家に戻っちゃったんじゃないかなとか思うけど 雲居は子供もそうだけど夕霧に対してもあなたが心配って言ってくれるんだよね
子供の行く末を心配する人は多いけど配偶者を同じように大事にしてる人ってあまりいない >>506
腹違い兄弟姉妹も仲良さそうだよね。雲居の雁は夕霧と別居中に姉の弘徽殿女御の所に遊びに行ったりしてるし。まあ雲居の雁の母親が出自が良いのはあると思うけど、祖母の大宮の力もありそうなかんじ。 >>515
あれみると新こきでんもいい感じだよね
劣り腹の妹にも仲良くして、夕霧との仲を心配してあげてたり
玉鬘との兄弟としての絡みはあまり出てきてないけど >>515
あれって雲居本人にその気がなくても
結果的に雲居の人脈の太さを表してるよね
親が大臣というだけでなく女御として寵愛を受けている異母姉とも仲がいい、という
落葉なんて後見は受領で異母兄弟との交流も全然描写されてないし >>482
他の人が書いた源氏物語では、
紫上は「私には後見がいないのに」とか「私には帰る家がないから殿に頼るしかない」とか、
自分の立場を自覚しているように解釈されていたけどなあ。
あさきの紫は完全に勘違いしちゃってるが。 槿の時は不安に思ってたけどその時に正妻を貰わなかったのに四十くらいで貰うとは考えなかったんだろう
実際に正妻の仕事は任せてたし >>515
玉鬘は乳母達の判断で九州行きになった結果
実父よりも源氏の方が父親に近い立場になってしまって孤立した感じになったから
大宮の保護を得て、結婚後も絆が深い肉親に囲まれた雲居の雁は幸せだと思う >>516
無教養な歌にも、"松まつ"て返信したり、近江の君にも優しかったよね、新弘徽殿は。 >>510
典侍の娘が一番美人で出来が良いから、落葉の宮の養女にして匂宮の妻じゃん。夕霧の娘の中では一番の出世頭でしょ。 >>519
槿は女王。女三の宮は皇女腹の内親王だからね。 藤典侍も夕霧が一目惚れするくらい美少女だったよね
惟光の奥さんが美人だったのかな 槿に求婚した時は源氏は内大臣?でその時は身分的に釣り合っていた
その後四十の賀手前で太政大臣になり、紫の上と不釣り合いになったところに
女三宮の降嫁の話が出たから、実父が薨去した槿が仮に正妻になっていても
降嫁話は出ると思う >>522
雲居の長女は東宮妃で次女も宮に嫁いでる
愛人の子でという意味ならごめん >>527
そうなんだ!知らなかった、ありがとう(^^) せっかく美しい娘なのに典侍腹だと身分が低いから一条の宮に預けたんだよね
というか
>典侍忘れられてる
紫式部が藤典侍の存在を忘れて“きっかり半分ずつ”と書いちゃったのかな
合間に顔を出すくらいでお泊まりしなくなったのかな >>530
オフィスラブだねw
藤典侍には4人子どもがいるけど、宮中で逢引して産まれた子どもは彼女の実家で乳母達が育てたのかな。 というか典侍には雲居との結婚前から通ってたはずなのに結婚した途端に典侍側にも子供ができるのに草しか生えない
夕霧の種都合よすぎ 結婚するまでは、あまり表沙汰にならないように時たましか逢っていなかったけれど
結婚した後は、雲居雁が妊娠中でさしつかえがある時期(いっぱいあった筈)に
足繁く通って交互に子供作ってたんじゃないかと推察している >>533
マメだねえ夕霧w
だからこそ源氏パパに「あのまじめ者が一体どういう顔をして妻と藤典侍の間に次々と子を…」ってくすくす笑われちゃうんだね。
花散里に「それはまあお血筋でしょう」ってしれっと返されてて笑えた。 >>525
そっか… 槿はそういう状況(女三の宮の降嫁)には耐えられないだろうからね。そうなるかもしれないことを見越して、源氏を拒み続けたのかもね… 准太上天皇になんかなられたら親を亡くしてる朝顔も後見のない紫も
その正妻としてはふさわしくない
院最愛の女御腹内親王でやっとふさわしいとなる
でもまさかそれが源氏の不幸の始まりだったなんて誰が想像したろうか
冷泉は親孝行にと源氏に最高の身分を与えたのに
皮肉にもそれが源氏に不義密通の因果応報を突きつけるきっかけになってしまった
壮大な運命の歯車だねえ 40歳の爺さんの正妻の親が既に鬼籍とか別に普通だから朝顔(が正妻だった)なら世間も源氏に正妻がいないとは思わんよ 紫の上も子供で出来れば男子がいたらまた状況が違ってた 源氏が桐壺帝の妹の五の宮のお見舞いにかこつけて桃園式部卿宮邸で槿にちょっかいかけてた時に、紫の上が
「誰かの下になるなんて考えたこともなかった」とか「世間から尊重されてる姫を正妻にするかも」と言ってて
五の宮のセリフにも「あちらは兵部卿の宮の姫君といっても脇腹で正式にお披露目したわけじゃない」とある
紫の上は事実上の北の方として世間に認められてはいるし、源氏も口では「あなたの他にはいない」なんて言うけど、
本心は“どこかに最高の女がいるんじゃないか”といつも考えてて、最後に因果応報を食らうという諸行無常 >>539 五の宮のセリフにも「あちらは兵部卿の宮の姫君といっても脇腹で正式にお披露目したわけじゃない」とある
あさきでそういうシーン、あった? >>537
なるほど、そうかもね。そして、槿が正妻なら、朱雀院も女三の宮の降嫁を言い出さなかっただろうしね。 >>540
あるよ
さっき単行本の5巻を読んで確認した >>541
槿は賀茂の斎院も務めて公にも認められた存在だしね、朱雀も軽視できないでしょうね。
戸籍や届がない時代、世間に認められてるか否かが大きいんだろうなあ。
源氏も面倒がらずに?紫のことをきちんと正妻扱いして露顕して実父を立てておけば良かったのに。 紫を自分の邸に連れてきてしまった時点でもう正式な結婚は無理だし 紫は父母の出自も悪くないし、脇腹で順番が違っても父親がお金をかけてちゃんと後見していたら違っていただろうな
でも親王ということもあって財政は妻頼みだから妻の親族以外はお金は掛けられなくて藤壺の後見も出来なかった 女三宮の降嫁が決まる前に、朱雀院に仕える女房が六条院に出入りする爺さんに相談する場面で
“源氏の大臣はこれまで最高のものを手にしてきたが、こと女人に関してはそうではないと漏らしていた”
“今の北の方は宮家の姫といってもいつの間にか現れて奥さまになった”
→じゃあやっぱり内親王が釣り合うよね!大臣本人にもその気あるよね!という受け止め方で進んでた
紫の上の裳着のついでに披露宴をしていれば正妻扱いだったろうに、何でしなかったのかな >>545
紫の上は父親がちゃんと面倒をみていたら
雲居の雁のように女御候補にと父親が考えるくらいの立場になれてたよね
明石中宮だって父親の源氏が色々やったから中宮にまでなれた >>547
葵上が亡くなってからそんなに経ってないのに
お祝い事を派手に出来なかったっていうのは無いのかな
当時の貴族って外聞をもの凄く気にしてたというし >>548
秋好中宮も両親いなかったけど源氏が後ろ楯になったから女御として入内できたもんね
>>549
源氏の若気の至りもあったのかな
葵の上の一周忌くらいまで待てば良かったのに
最初から夫の家に引き取られて結婚するというのは平安時代にもあったみたいだから、
その辺はきちんと形だけでも手順を踏んであげればよかった
でも源氏的には葵の上の代わりの正妻を紫の上に、とまでは後ろ楯の面からも考えられなかったのかも >>545
兵部卿は妻が強いイメージじゃなかった?誰かの姉妹だよね。 >>550
親王、ではなく、父帝の寵愛深い源氏、という、ある意味最高に自由な立場になったもんね。世の中の常識を覆してみよう、みたいな気持ちもあったのかもね。 紫の上と婚姻する時に婿入りをすっ飛ばしたのは
兵部卿宮が舅顔してきそうで嫌だったとか >>551
北の方の出自についてはよく分かってないはず
宮の正室になるくらいだからそれなりの家の出だろうけど
式部卿の宮は先帝の皇子で藤壺中宮の兄として三条の邸を中宮の里内裏にしていたから、
経済的にも悪くは無かっただろうね
でも、もし紫の上をちゃんと養育していたとしても北の方の手前、王女御と張り合う形で入内させてはいなさそう
もしかしたら姫の婿がねを探してると中宮に相談→中宮が源氏を推薦→源氏の正室に収まる結果に、なんてことも >>551
娘の王女御と髭黒の北の方が姉妹だったね。 雲居の雁を春宮妃にとか頭中将が画策してたけど
北の方はなんにも言わなかったのかな?
夕顔はいびって追い出したけど娘の玉鬘は認知してるし
もしかしてすごく人間できた人 >>556
ライバルになる他の妻や愛人は許せないけどその子までは特別嫌わないってことでは
新弘徽殿にまだ同腹の妹がいてその子を東宮妃にしたいということでもなさそうだし >>557
じゃあやっぱり兵部卿北の方の源氏憎しは異常だったんだね
娘の髭黒北の方にまで吹き込んでるし 夕顔の腹に女の子が生まれたから、警戒して圧力かけたんじゃないかな
女の子は重要なコマだから、娘のために母親を重く扱うようになることもあるから
夕顔は行方不明になって、雲居雁の母も離婚して、ライバル蹴落として自分も女の子
生まれて、晴れて押しも押されもせぬ頭中将の正妻の地位を確立したもんだから
他の妻の子にまであまり目くじら立てなかっただけでは?
雲居雁のことは、夕霧と結婚した後に、弘徽殿女御より華やかで幸せそうだったから
北の方が「心よからず」色々言ってた…という描写が原典にはあるよ 家出した雲居の雁が新弘徽殿のところに遊びに行くくらいだから、
色々と言ってはいても雲居の耳に届くようには言わなかったんじゃないかな?と思ったけど…
原典にはあるのかな? でもあの夫婦の息子(柏木)ラブは親子っぽくて微笑ましい
源氏と何かが確実に違う >>556
頭の中将の北の方って右大臣の四の君だから、古弘徽殿の女御の妹だよね。 >>562
更衣が亡くなって源氏が宮中に戻って、藤壺が入内する前までだよね。 雲居の母は皇族で後ろ盾があるから嫌がらせはできないけど夕顔は後ろ盾がいないからね
落葉宮と夕霧が再婚したら喜んだから雲居が気に入らないのは変わらない >>561
わかるー。
女三宮と結婚できず独身続けてる柏木が突如猫を溺愛しはじめたあたりで、夫婦で「近頃うちの息子はどうしたんだろう」って言ってて面白かったもんね。
若い頃はギスギスしてた四の君も、何人も子どもを産んで北の方として自信がついたんだろうな。子ども達ラブな両親で確かに源氏ファミリーとは雰囲気違うね。 源氏の場合は紫の上との間に子供がいたらそういう雰囲気になってたと思うけど
冷泉の母親とは一緒に暮らせないし夕霧の母親は早世で明石中宮は養母で薫は… 頭中将正妻も実家の右大臣家が没落して昔ほど強気でいられなくなったんだろうけど
実家が没落しても正妻でいられたのはやはり子供をたくさん産んで母としての地盤を固めていたからだろうね 右大臣家、没落っていうほどの没落かね
一番の権力者じゃなくなったってだけじゃないのかな >>568
仮に紫が子供産んでても変わらなかったと思うよ >>571
右大臣や弘徽殿女御の血を引く朱雀、今上と2人も帝を出しているだんだから
大したもんだ。没落ってわけじゃないよね。 ところで右大臣家って娘しかいなかったわけじゃないよね?
大后が総領だったぽいけど 源氏に退出を待たせたうえに、嫌味を言ってきた若造がいたような >>576
いたね、いかにもモブキャラの嫌味な感じの奴。
彼は源氏復活後は鳴かず飛ばずだったんだろうか。 系譜が分からない大臣も何人かいるから、その中に右大臣の血筋もいたかもだけど
あさきではモブとしても出てこないよね 若い頃は左大臣家が源氏側で、弘徽殿様の右大臣家がライバルだったから描写も多かったけど
明石以降は元頭中将の左大臣家がライバルに変わったから右大臣家を詳しく描く必要無くなったからだろうね
朱雀がもっと権威にガツガツしてたら対立もあっただろうけどむしろ源氏贔屓だし
今上の中宮争いの時も右大臣家出てこなかったよね手頃な姫がいなかったのか 女二宮の母(麗景殿女御だっけ)も左大臣の姫だったけど、源氏が太政大臣の時の左大臣ってかつての右大臣家とは関係あるのかないのか。 冷泉帝と秋好中宮のシーンが好き
「ああよかった、あなたは小さくて大人じゃないみたいだ」
「まぁ、可愛いお上」
とかの
あと空蝉がなんていうかシンプルで結構好き
宮崎アニメに出てきそうなお顔 秋好中宮って小柄なのな
母親の六条さんの体格については原点の記述はないけど、あさきの彼女は背が高そうなキャラ 十二単に体がすっぽり埋まっているみたいな表現があったような
女三宮も長い髪の毛にすっぽり埋まるような体格なんだっけ? ちょっと話はずれるけど、秋好が立后した時って、冷泉帝が、実父が源氏、て知った直後くらい
だよね。
実父が源氏、て知らなかったら、新弘徽殿を
中宮にしてた可能性はあるかな? >>584
無いと思う
秋好は藤壺が推薦した女御
藤壺が亡くなった後なら親孝行で秋好を選ぶ
それに冷泉が東宮時代の後見をしたのは源氏
新弘徽殿に男子がいたならチャンスありだけど 藤壺が秋好を推薦した理由って何だろう
血縁関係も無いし、何か藤壺側にメリットあったかな >>586
新弘徽殿女御の母は右大臣家出身(藤壺に嫌がらせをした旧弘徽殿の妹)、父の頭中将は左大臣家
左右大臣の血を引く娘を中宮にして、権門に栄誉が移行するくらいなら
血縁関係はないけど、自分と同様に正統な皇族の血を引く秋好の方を押す気持ちも分かる 源氏が外戚代わりになってるからでは
本来なら兵部卿宮のはずなんだけどいざって時に役に立たなかったし 桐壺帝が藤原氏じゃなくて皇族出身の女御を中宮にしたように、藤壺の宮もその意向を酌んだのでは
後ろ楯からいうと梅壺か弘徽殿の二択だけど、源氏がいる方が母の中宮も意見しやすいよね 好き嫌いで立后はできないけどなんだかんだ冷泉は新弘徽殿の方が好きそう
秋好とは良好な関係だった場合の葵と源氏みたいな感じ あさきだと新弘徽殿は性格も良い美人だし冷泉と歳も近いしね
新弘徽殿の方が好きだと思うよ女の子も生まれてるしさ 冷泉と新弘徽殿は同世代で12歳くらいから一緒だから、ある種初恋同士かもね(バリバリの政略結婚ではあるけど)。
釣殿で一緒に魚を見たりしてる微笑ましいシーンがあったよね。 >>582
確かに。六条さんの体格はわからないけど、お顔とキャラ的に背の高いモデル風美女で甘え下手っぽい。
小柄でかわいらしい女子に全部持ってかれちゃうのを悔しく感じてそう(これは弘徽殿もそうかも) >>593
だよね。自分から見ると夕顔より六条さん、桐壺よりこきでんさまの方が美しく魅力的に見える
六条さんのヤンデレストーカー気質は苦手だけど >>586
普通なら藤壺は自分の兄である兵部卿宮の味方をして姪の王女御を世話するところなんだよね
でもその兄が藤壺が弘徽殿一派に追いやられて苦労していたとき全然守ってくれなかったヘタレ
一方で源氏は須磨復帰後着実に地位を固めていっている有力政治家
自分と冷泉の後見としてどっちが頼りになるか冷静に見極めた結果
王女御を無視して秋好の入内を世話することで兄より源氏をとったってことじゃないかと >>596
そうだね。王女御は藤壺の同母の兄の娘なんだから味方しそうなものだけど、兵部卿宮が何かと頼りないのと紫のことで源氏と不仲だからね。
血縁よりも太い後見をしてくれそうな源氏をとったって感じに見える。 >>596
藤壺から見て冷泉の伯父の兵部卿宮より
実父の源氏の方が全力で冷泉を守ってくれそうだからじゃないかな
冷泉の実父が桐壺帝だったなら源氏は異母兄に過ぎない
源氏が異母兄なら自分と血の繋がりのある兵部卿宮を選んだのでは 頼りになるとはいえ不義の子の本当の男親を後ろ楯に選ぶってなかなかの度胸だよね
バレるの怖がってるわりには危ないこと選んでやってる >>600
藤壺はバレるの怖がっていたから出家して源氏から逃げた >>600
冷泉の後見に源氏を指定したのは亡き桐壷院だよ
須磨行きの前は源氏も若さ全開で藤壺に迫ってそのせいで藤壺が出家しちゃったけど
でも須磨から帰った後は落ち着いて藤壺もこれなら後見役として大丈夫と判断したんじゃないかな >>602 冷泉の後見に源氏を指定したのは亡き桐壷院だよ
あ〜、そうだったね。桐壺帝は、葵との結婚とか、後見のない源氏を相当気遣ってやってるよね。
母親が内親王の冷泉帝も後見は弱いよね。源氏を冷泉帝の後見に指名したのは、後見の弱い皇子同士仲良く頑張れ、て気持ちもあったのかな? >>604
あさきの中では桐壺帝は気付いてたよね。亡くなる間際に藤壺に詫びていたし。
息子と5歳しか離れてない美しい人と引き合わせて「この方はそなたの母によく似ているんだよ」なんて言ってたら好きになっちゃうよねえ。 そもそも源氏に藤壺の宮を降嫁できなかったもんかな
後ろ楯として左大臣が必要だったから無理か… なんで独身貫く内親王を源氏(如き)に降嫁させにゃならんねん >>606
しっかりとした母方の実家のない皇子に内親王の降嫁はありえないでしょ。 >>608
続き
後年、準太上天皇になってから初めて、内親王の降嫁を許されたくらいだからね。 >>609
準太上天皇で臣下の身分を離れて皇族に戻ったんだから
女三宮は臣下に嫁ぐ格落ちの降嫁ではなく親戚同士の同格結婚だよ
朱雀が源氏に嫁がせたかったのもそれが理由の一つじゃないのかな >>610
摂関家の嫡男で従兄弟でもある柏木からの求婚を「身分がちょっと」って断っちゃうくらいだからね。
身分および源氏コンプにより源氏以外考えられない!って執着する朱雀。 朱雀の源氏ラブは優等生が同じクラスの不良に憧れるようなもんかな 朱雀帝はやや受け身だよな「自分が女だったらこの弟に抱かれたい!」とか思っとるし
紫父や源氏は「この男が女だったら抱きたい!」と思ってるのに >>614
朱雀って受け身でちょっとMな気がするw
源氏に何回モヤモヤさせられても源氏大好きだし最愛の娘を嫁がせるし
皮肉にもそれが六条院を内部崩壊に導いた気もするわ
女三宮の出家の時に源氏にキレてたのがこの兄弟の今生の別れなら、なんか後味悪いね。 葵の上、朧月夜、秋好中宮
いつもいつも女性に関しては源氏側に出し抜かれて、忸怩たる思いだった朱雀。
女三宮はそんな朱雀が放った最大の刺客だったのかも・・・ 逆にそんなに興味なかったんじゃない?
よくも悪くも皇族として余裕があるんだろう
朧月夜は寵愛してたけど実家がよこした后がねで同時に女三宮の母も寵愛してたし
だけど娘が苦しめられたら怒ったとか >>615
朱雀が、長年のいろいろの集大成として、六条院破壊確信犯で女三の宮を送り込んだ、とも考えられるよね。 >>616 女三宮はそんな朱雀が放った最大の刺客だったのかも・・・
そうそう!!自分もそう思うよ!! >>611 摂関家の嫡男で従兄弟でもある柏木からの求婚を「身分がちょっと」って断っちゃうくらいだからね。
この辺も、朱雀、女三の宮を最終兵器にしよう、て気満々だよね。 そんな悪意はなかったと思うけど。穿ちすぎじゃなきかな うん、悪意は全然なさそう、悪意って感情がなさそう
須磨に流したときも「おのれー」とかなってなくて
初めてオコだったのが三の宮出家だった気がするうろ覚えだけど 三宮は最終兵器化しただけで源氏に抱かれたい願望のある朱雀の形代だろう 朱雀も女三宮も悪気あったわけじゃないのに、最終的には女三宮が六条院の崩壊を呼んでしまったと思う。
さらにその引き金になったのは冷泉が源氏に準太上天皇の位をあげたからだし、それは冷泉が源氏の不義の子だからだし、冷泉が生まれたのは藤壺に不義の恋をしたからだし、その恋は藤壺が桐壺に似てたからだし、藤壺が入内したのは桐壺が早死にしたからで… 因果なもんだね。 結果的には女三宮は最終兵器になっちゃったけど
朱雀も父親として娘の幸せを願う、悪意なんて全くない、
源氏にも良かれと思った降嫁だけに、余計に運命の皮肉を感じるなぁ 朱雀は悪意はなかったとしても、年齢差や源氏の寿命を考えなかったのかな。
そりゃま、皇女と釣り合うぐらい高い官位の男は年寄りばかりだろうけど。 >>627
源氏本人も縁談が来た当初は「私にと言われても私自身が院さまよりどれほど長生きできるというのか」って相手にしてなかったよね。
なのに「女三宮さまの亡きお母上は藤壺女院さまの異母妹です」って聞いてスイッチ入っちゃった。 最初から未婚よりも、位の高い年上夫と結婚すれば、夫の死後は遺産もあり
夫の息子も一応は面倒見てくれるだろうから、悠々自適、適当に恋人作ったとしても
未婚の皇女ほどのスキャンダルでもないし…てなもんでは? >>629
あさきではカットされてたけど、
原典では朱雀が「身分に高い娘が色んな男性と付き合い、親の顔を潰すのは良くないことだ」というような台詞があった。
それなら、未亡人の六条御息所はどうなんだと思うけど。 >>628
源氏は薫が誕生した時も、薫の成長が見届けられないのは残念だと言ってたね。 貴方がお出でにならないから私は春の淡雪のように消えてしまいそうです
13、4歳の女の子としては年相応の可愛い手紙だと思うけど
アラフィフの源氏はこのレベルじゃ不満なのね >>632
その手紙を見て源氏と紫がバカにしてるのが何かひどいなと思ったよ。派手な紅梅色の紙に拙い字だったにしても、本人やお付きの女房が色々考えて選んだでしょうに。
無理矢理現代に例えたら、派手にデコられたカードとかLINEかなあ。 >>633
源氏が女三宮からの手紙を紫の目につくところに置いたから紫がその字を見て
まあ…なにやら子供っぽいお手のような…
内親王様のお手とも思えぬ…
と心のなかで思っただけでバカにしてるってほどでもないと思うよ
源氏は激しく女三宮をバカにしてたけどね >>632
>>13、4歳の女の子としては年相応の可愛い手紙
平安時代の13,4歳を現在のティーンと同じに考えちゃダメだよ
身分高い貴族の娘なら嫁に行って、女房を使いこなし、夫やら親戚やらときちんと
和歌を交えた文のやり取りが出来なくては というか高貴な身分の姫君なら本人に有能な女房がアドバイスしたり代わりに歌作ったりするのよ
そういう女房が手配出来なかったの何でなのかと思うけど
女三宮の母親が亡くなってるからちゃんとお世話する後見人がいなかったのかも知れないね
乳兄弟も碌でもなかったしな >>636
小侍従のキャラデザも個性的だよね。ちょっと斜に構えてて女三宮のことも忠実に仕えるというより客観的に見てる。
柏木のお手つきでもあったし彼の熱意にほだされて手引きをしたものの、不義の子が出来てそれが源氏にもバレて大変な心労やったよね。
胸を病んで早死にしたのは重すぎる秘密とストレスのせいだろうなあ。 >>630
六条は身分の高い「未亡人」ではあっても「娘」ではないからじゃない?
娘というなら大臣家の娘だし >>638
コケティッシュな感じなのね
ちょっと魔性の女的なw >>630
原典でのそこは、「なほなほしくくだれる際の好きものどもに名を立ちあざむかれて」
とあるので、色んな男性と付き合うとかいうよりも、身分の卑しい好色男たちに
騙されて親の顔を潰すのは…みたいな話。
親の死後に、身分が下の男に騙されて浮名を立ててしまうのはよくない、ということなので
六条の御息所が源氏を愛人にしたのは、身分階層が同じなので、朱雀院が言ってた
例にはあてはまらないよ 女三宮は基本的には独身が良しとされていた内親王だから
源氏に若い妻を子供のように可愛がってもらいたかったんだろうが源氏は我が強いからそういう包容力はないからな 自分が教育し切れず未完成の愛娘を源氏に託して紫上のような立派な女性に仕上げてもらい、自分が愛する者たちが似合いの夫婦として幸福になってほしかったと
結局マザコン男の犠牲者の一人にならせてしまった 朱雀は女三宮と柏木のことを何も知らなかったし、出産直後の愛娘が出家したい程苦しんでるのは源氏のせいに違いないと恨むんだよね。
源氏は真相を話すこともできないし針の筵…自業自得だけどね。 >>636
ちゃんとお世話する後見人がいないから、朱雀帝も三の宮を降嫁させようとしたんだろうからね。
内親王が降嫁する=母方実家に力がない、てことで、恥ずかしいことだったらしいからね。 女三宮は母が早くに亡くなったから朱雀が不憫がって甘やかしたんだけど母がいないとやっぱり行き届かないところはあるだろうな
朱雀は自分が出家するにあたって女三宮の行く末が不安になり、優しく面倒を見てその上素晴らしい貴婦人にしてもらいたくて源氏に降嫁させた
女三宮にも源氏にも夢を見すぎだ 女三宮が藤壺と無関係の秋好や玉蔓のような立場で実父や実母から託されて妻の一人にしていたら
紫上に遠慮しつつ若い妻ラッキー♪と可愛がってたかも 源氏も女三宮も似たような立場だったんだね
後見が弱くて父帝から溺愛されてる
源氏は臣籍に下って女三宮は降嫁した
藤壺とは似てなかったけど不義の結果源氏に出家に追い込まれたところは同じ どうだろう
源氏の女で実家が太いのって葵と女三宮と明石だけだよ、そして明石はお金はあるけど身分が低い
秋好は財産はあるけど、六条並にしっかりしてるか男がついてなきゃ管理できない
結局、後ろ楯がない、好きにできる女がいいんだよね
紫は有力親王に認知された娘だったのに無理やり引き取ることで縁を弱らせてしまった >>649
しっかりした実家のある女性なら夫は家に通わせるでしょ。葵みたいにね。
そうなると、当然、妻の実家からの助けもあるだろうけど、いろいろ言われることもあるだろうね。源氏はそういうのが嫌だったから六条院を作って女性たちをそこに住ませた。"自分にはきちんとした正妻がいない"て言ってたけど、しっかりとした後見がいてきちんとした正妻になるような女性を避けてたのは源氏自身だよね。 >>650
その点、明石は親が身分卑しくともその辺の体裁を取り繕ってるんだよね
男を屋敷に通わせ、男の衣食住の面倒を見る
これを徹底したから後々まで侮られずに済んだ 源氏が末摘花や空蝉みたいな女達ですらきちんと面倒を見ていて甲斐性がある、てのもポイントだったのでは
そこに加えて、出入りしてる爺さんからの「身分の高い妻が欲しいようなことを言っていた」証言でGO >>650
左大臣には何かと世話になったし感謝してるだろうけど、自分の地位も十分上がってからはそういうきっちりした義実家は気詰まりというかめんどくさいのかもね。
出自は良いけど実家と疎遠とか義両親がもういないとか、資産家だけど無位無官とかそういう女性陣を相手にして自分が絶対優位に立とうとしてた感がある。 話が逸れるけど、明石中宮の女一の宮ってあさきで出てくる?薫の憧れの。 >>654
紫の上が「中宮にお願いして手元で育ててる」って言ってたと思う
「あなたはおばあちゃまのようにならないでね」とも
宇治十帖編になってからは出てきてないような? >>654
直接の登場はないけど、薫憧れの高貴な女人として間接的にちらちら登場してた感じだったね。
女一宮本人がそれを意図していたかは不明だけど、愚弟に捨てられた女性たちを女房として雇用してフォローしてた感じがするわ。 返信ありがとうございます。あさき内ではコスプレはなかったの? >>658
女一宮がシースルーの単を着て涼んでるところを垣間見した薫が、自宅で女二宮に似たような格好をさせてニヤニヤするシーンのことだよね? そのあたりはあさきでは全面省略だったよw
絵になる美しいシーンだとは思うけど、薫のキモさが目立っちゃうからかなw
宇治編では女一宮の顔が描かれたシーンがなかったのが残念。 >>659
あさきでは宇治編には女一の宮は出てこなかったんですね。
非常な美人だから、大和先生の絵が見たかったな〜。明石中宮は紫の上似じゃなかった?
女一の宮は、少し後になるけど上西門院を彷彿とさせるよね。絶世の美女だった母親にそっくりと言われ、問題児の弟宮(後白河)と仲良く、弟のお手つきは自分の所で女房にしてやって…建春門院は元々、上西門院の女房だったんだよね。 冷泉上皇の女一宮も貴族男子憧れの美女設定だったよね
明石中宮の女一宮とどっちがより美人だったんだろう 頭中将と源氏の血筋だから冷泉の一の姫の方が美人そう >>660
女一宮を大和さんの絵で見たかったですー、冷泉院の女一宮も。綺麗だろうなあ。
上西門院、確かに共通してるかも。彼女のところは貴族達が集うサロンだったみたいだし。
ということは、匂宮が今様ジャイアンリサイタルを度々やってうるさくて閉口されたり?w あさきの女一宮は実弟の匂宮顔だといいな
六条さんになるけどw >>662
冷泉は源氏そっくりの超絶美形だしね
その娘ならさぞ美人だろう
明石中宮の女一宮は父親である今上が上品だけど今一つ平凡なお顔立ちなので… 蛍兵部卿の宮と真木柱の娘である宮の御方も美しいと評判だよね
匂宮は紅梅大納言の娘よりも、そちらの方に惹かれていた
大和さんの絵で見てみたかった >>666
何故か雲居の雁みたいなのが浮かんだ
頭中将の血は引いていないはずなのに何故だ 匂宮も後ろ立てがなさそうな女を好むところとその癖内親王には目がないところは源氏に似たね
薫も妻よりステータスの高い妻の姉妹に懸想するところが柏木にそっくり >>665 父親である今上が上品だけど今一つ平凡なお顔立ちなので…
そう?父親の朱雀帝似の優男系よね、今上。私はけっこう好きだな。 >>663
ジャイアンリサイタルwww後白河は今様(今のロック)歌い過ぎて声潰したんだよねw
ゴッシーはかなりの棚ボタで帝になった人だから今様歌ってても許されただろうけど、東宮と目されていた匂宮はそうはいかなくない?
ていうか、匂宮は今上と明石中宮の三男だよね?普通、長男が東宮になるんじゃないの? 今様は紫式部が想定しているだろう醍醐村上の世では歌われないし
仮にあっても下民の文化で貴族は口にしないだろうよ 原典宇治の冒頭あたりに雲井腹の長男が東宮、次男がその次、と書いてたね。腹違いの四男は常陸宮で見劣りするそうだから、皇位とは無関係
女一宮は右大臣家の血筋も受け継いでいるから、こきでんさま系の誇り高き美女もありだな 明石中宮腹の第一皇子が東宮で、雲居雁腹の夕霧の長女や紅梅右大臣の長女が入内してる。
中宮腹の第二皇子には同じく雲居雁腹の夕霧の次女が嫁いでいて、この人が次の東宮と言われてる
あと、中宮腹の皇子は匂宮の弟の五宮もいる。
疫病だとかで若死にする人も珍しくないから、兄たちに何かあったら匂宮や五宮も東宮候補だけれど
実際問題、匂宮は帝の器じゃないよね 匂宮にも大人の皇族として自覚を持って行動してほしい、ってことで明石中宮も「そなたを次の東宮にと考えています」って説教したんだろうなあ。二の宮もいるし実現はしなさそうだけど、この時代若くても疫病とかであっけなく死んじゃうから。
自由がなく窮屈だとぼやきながらも宮様としての特権は享受してるよね、匂宮。よく言えば素直で無邪気ではあるけど、自分の欲求ばかりで人の気持ちにあまりにも無頓着。付き合ってはポイ捨てしてきた女性達の気持ちも中の君や浮舟の気持ちも思いやることがない。 >>674
医療も発達してないから、明石中宮腹の東宮候補が何人もいるのは心強いよね。
夕霧は東宮種二人共に娘送り込んでるんだね。当然と言えば当然だけど。。。そんな兄たちを見てたから、匂宮は、夕霧の娘との結婚を渋ってたのかもね。 >>676 明石中宮も「そなたを次の東宮にと考えています」って説教した
これは明石中宮が匂宮に、夕霧の六の君との結婚を承諾させる時に言ってたセリフだけどね。
確かに、いつ東宮になってもおかしくない身なのだからもっと慎みなさい、て意味を込めてもいるだろうね。 >>676 自由がなく窮屈だとぼやきながらも宮様としての特権は享受してるよね、匂宮。
中宮腹の第三皇子、て、主人公的には最高に美味しい立場だよね。
産まれは最高の位だけど、帝や東宮と違ってある程度身軽に動けるし。物語の作者からしたら、本当に使いやすいポジションだと思う。 なるほど。ググって納得。
あさきの匂宮は荒淫の果てに病死しそうな雰囲気あるね
浮舟事件までは将来有利になるように夕霧の娘と結婚したりしていたが、浮舟死後はリミッター超えて猟色どっぷりな日々を送りそう 兄弟で和泉式部と付き合ってたし、紫式部が「和泉式部は歌が上手いけど素行が感心しない」って評してたよね。
兄弟とも遊び人だったみたいだけど、弟の方がより凄いなと思った。兄のお手つきの女に兄の死後言い寄ってコトに及ぶし、外に連れ出してアレコレするし、邸に迎えてそれに怒った妻が実家帰っちゃうし。 事実は小説よりだよね
こっちは帝になりそうにないから道長にスルーされたんだろうか 紫式部はとりあえずディスっていくスタイルだから紫式部がディスったからって対象者の評価が下がるとは思わんけど 弾正宮も帥の宮も、もともとは有力な東宮候補だよ
兄の三条天皇に皇子がたくさん生まれて以降は微妙ではあったけど、
二人の生前はまだ彰子に皇子が生まれてなかったから、そんなに決定的状況ではなかったかも >>683
そっか、和泉式部と紫式部は同年代なんだね。じゃあ同時の読者たちは、匂宮と弾正宮を重ねてみるよね。 紫式部は陰キャのガリ勉だから、清少納言や和泉式部みたいなのは嫌いだったろうな >>687
紫式部は、清少納言とは出仕時期も主人も違うから面識もないけど(なのに痛烈にdisってる)、和泉式部とは同時期に彰子中宮に仕えてた同僚だったよね。直接顔を合わせてる分色々思うことはあったでしょうね。
浮舟が仮に匂宮から捨てられて女房にされたとしたら、こういう女社会に放り込まれたんだろうか。 和泉式部なんて、二品や三品の親王から見れば、まさにポイ捨てしても無罪の女房に過ぎないだろうに
そんなに大騒ぎになるってことは、余程の素行だったのか 素行ってか宮二人が身分こえてガチ寄りだったからな
召使い相応の身分なのに心まで持ってったから嫉妬されたというか
六条→夕顔の感情が近いかもしれん >>689 浮舟が仮に匂宮から捨てられて女房にされたとしたら、こういう女社会に放り込まれたんだろうか
既に何人もそういう女性たちを姉宮のところへ
送り込んでいたんだから、浮舟も間違いなくそうなってただろうね。薫も言ってたじゃん。
以外と、一の宮のところで、またいろいろ恋愛してたかもね >>691
確かにね、そっち方向の非難だと思う。
弟の帥宮は、あの程度の女相手に本気になるなんて、って説教されてた場面があったような(和泉式部日記に)
親王本人はあんまり叩けないから、和泉式部の方に世間の非難が集まったのかもね。 >>689
でも和泉式部って紫式部でさえ、舌鋒はたしか緩いし、回りの女房ともうまくやってた気配
あれだけの親王を二人も手玉に取るくらいだから、女社会も紫式部よりはうまく渡ってそう >>695
そうだね。赤染衛門とも仲良しだったみたいだし人間関係を上手くやれるタイプだったのかも。紫式部はコミュ障っぽいから羨ましさもあったかな。
浮舟は、血筋は貴いのにご落胤で認知されてないから軽く見られてるのが残念。当時の価値観では継父の常陸介の身分相応に扱われちゃうんだよね。 皇子二人と恋愛した後出仕するって凄い根性出しそれで周りも受け入れてるんだ >>697
しかも帥宮との間に息子も生まれてるし、かなり波瀾万丈。その息子は仏門に入ったらしい、女房との間の子では仕方ないかな。
出仕してくると聞いて彰子周辺の人間はざわついたかもね。 >>699
源典侍は産まれが良いんじゃなかったっけ? >>697
当時は恋愛は嗜みだし何より和歌の才能が圧倒的すぎるし
和泉式部の場合は親王が夢中になったから有名なだけで親王のお手つきの女とか珍しいもんでもないだろう 娘の小式部内侍にも恋多き血は受け継がれてるという
こちらは早死にしちゃったそうだけど
女房ってそんなに公達とやりまくりだったのか??
小侍従も柏木以外とも関係したのか 道長だったかな女房の殿上人との関係率を調べたら七割越えてたとか書いてたの
宮仕えに上がったら避けられないと思って間違いないんでは だから逆に内裏に上がる前から夕霧と公然の仲だった藤典侍なんかは安全なんだよな
本人がもし源典侍みたいな宮廷ライフ送りたかったのならご愁傷様だけどw惟光的にはホッとしてただろう 結婚も恋愛も、境目がゆるゆるな社会だったしね
離婚とか厳密には存在しないし(特にこれをもって離婚という決まりはなかった)
ゆるゆるだからこそ、特に儀式してお披露目して手順踏んだ結婚が権威あったんだろうけど 源氏も葵の上や紫の上付きの女房に手をつけてたっぽいし
宮仕え女房とのワンナイトとかは普通にあったと思う >>701
そうそう。
そして、典侍は、女御たちの私的な女房と違ってかなり高位の公の女官だよね。 >>706
実は藤典侍も時々は遊んでたかもしれないけどね >>704
それすごいねえ 道長調べw
アンケートとった方もびっくりというか何というか
藤原伊周(定子兄の)が亡くなる時に娘に「宮仕えだけはするな」って言い残したというのはそういう事を心配してたのかな >>710
夕霧との間に生まれた子達の中に父親違いの種もいるかも知れないのか 夕霧は右大臣以上の強権を振るったっぽいので、藤典侍に手出しする度胸のある貴公子はいなかったのではないかな
六条さんのような物怪の助けもないし >>712
藤典侍は身持ち堅かったんじゃない?だからこそ夕霧も藤典侍を蔑ろにしないし、六の君を落葉の宮の養女にもしてる。
雲居の雁も藤典侍のことはしぶしぶ止むを得ず?認めてるし、藤典侍も落葉の宮降嫁の時には歌を送ったはらしてる。
藤典侍、頭の良い、いい女だと思うよ。でないと、夫の身分高い妻たちと上手く付き合ったり、魑魅魍魎が住むという宮中で長くお勤め出来ないと思うもん。 惟光もめちゃくちゃ有能だからな
たぶんその血だろうね あさきの彼女はモブ顔で残念
原典では舞姫の中でも抜けて美しい少女なのに
脇役中の脇役だから仕方ないけど 夕霧、宇治編では冷静冷徹な政治家っぽくなってたよね
最初の登場シーンではかっこいいと思ったけど、後々あまり印象に残らないお顔になってた気が
宇治編の最初しか出てこないけど、中年期の冷泉もイケオジだった >>717
実の兄の愛妾だからそんなことしないだろ
源氏と顔は似てても畜生さまで似てないし >>720
手を出されても、新弘徽殿や秋好の手前、辛い立場になったと思うよ。
皇子を産んでたらまた話は違ったかもしれないけど。 >>721
その大変さを承知で玉蔓を出仕させて
そのうえ親子丼までもくろんでた源氏の鬼畜さ >>722
男たちが玉鬘に目の色を変えてそわそわしてるとこが見たい、なんてほざいてたものね
そのくせ自分も中途半端にいちゃついたりしてたし
髭黒にかっさらわれた時は時既に遅しだったね >>711
まあ、女の宮仕え、本人の資質と心がけ次第、てところじゃない? 資質とか関係なしに押し入ってくる男がいるからな
やってる本人がよく実態知ってるからそら女には宮仕えすんなっていう罠
和歌を読んだら許してやるって言われてことなきを得たのって誰だっけ?
基本軽く扱われるわけでさ女側の意思とか尊重されるわけがない そんなことないでしょ、葵に仕えてた女房で、頭中将に言い寄られても拒んで
源氏とは関係してたのとかもいたし
うまく拒むのも女の甲斐性みたいなとこあったしね 寝所に押し入ってこられたら、女房はもちろん姫でも拒み通すのは厳しくないか? 玉鬘も女三宮もなす術なしだったよね
言い寄られた時に断ったりあしらったりはよくあっただろうけど
女三宮の時は、華奢で可憐な人が怯えてる姿に柏木の理性が飛んじゃったような描写だったね >>726
そら源氏物語はあくまでフィクションだから というか身分格差と男女格差がある中で一番弱いのは誰かと考えたら自ずとわかることだと思うんだが
本当に女性の意思が尊重されて丁重に人格を持った一個人として扱われてたと思ってるのならとんだお花畑としか >>727
深層の姫たちはそうかもしれないけど、女官や女房としてお勤めしてる女性たちはその辺りは上手く交わさなきゃじゃない?自分の評価にもなるわけだし。 その決定権が男にあるって話なんだが
これしてくれたら引いて「あげる」と言われて交わせるスキルは必要だろうが所詮その程度の扱いって話
交わすんじゃなく引いて「もらう」でしかないから いやー、でも受け入れる女房のほうも誰でも良かったわけじゃないでしょ
源氏や頭の中将クラスなら言い寄られただけでも自慢になるけど
相手に厄介な家の妻がいたり、本人に良い評判が無かったら上手くかわすんじゃなかろうか
そういうのも宮仕えのスキルとして必要だったと思う
女房同士、誰がどこの局にいるとか誰が誰と付き合ってるなんてすぐ噂になりそう
あさきでも花散里に繭玉を持ってきた女房のことを麗景殿の女房が「あれは桐壺の女房よ」って言っていた
源典侍に源氏がちょっかいをかけた話もすぐに帝の耳に届いてた 好きでもない男にやられるのが本気で嫌で
一般人女性みたいに全力で抵抗して噛み付いたり引っ掻いたりして逃れたら
髭黒の妻みたいに「もの狂いの女」と蔑まれるのかなあ
あの奥さんだって年相応の更年期による単なるヒステリーだったかも知れないのに
そう言う時に亭主が10代の若い生娘にぞっこんになっていたら余計にムキー!となるわ 玉鬘の場合は弁のおもとだっけ、女房が髭黒に荷担して手引きしてるからなあ
本人がもし助けを呼んでも無駄だったのでは
髭黒はモノにしてしまえば源氏も文句は言えまいって感じで強引に出てるし 雲居雁は夕霧との結婚式でへそ曲げて戸に鍵掛けてなかった?個人の屋敷ならそういう部屋もあったのかな 落葉宮も鍵かけて籠城しようとしたけど、女房に女房用の出入り口みたいなの案内されて終了してたし、あの時代の建物に完全に逃げ切れる場所なんてなかったんじゃないかな
浮舟は年寄りがイビキかいて寝てる気味の悪い部屋に隠れて、物理ではなく精神的な方法で相手の侵入を阻んだわけだし 男女格差って言ってもなあ…
財産がもっぱら女系相続だった社会の話だよ
江戸時代ぐらいの
狭い社会だから、女房を強姦しまくってたりしたらあっちゅーまに悪評が立つし
女性に拒否権あったんだよ 間違えて途中で送っちゃって変なことになった…
財産がもっぱら女系相続だった社会の話だから、江戸時代ぐらいの儒教的価値観が
広まった時代以降の感覚で見ると、それはそれで違うよ
男女よりも身分格差の方が大きかっただろうというのもあるけれど。
女性にも拒否権はあったし、無理強いばかりしてたら悪評は立つ
姫君と結婚するのに強姦して既成事実というのも確かにあるんだけど、あくまで本来は
歌をやり取りして承諾を得て近づくものだからね
女房だと召人扱いでまともな妻としては扱われないことが多かったけれど、女官だと
藤典侍レベルの身分でも、正妻になったりすることもあるし、どんな場合でも
妻の一人になれなかったわけでもない…
頼通の妾妻の藤原祇子みたいなこともあるし 藤典侍は自身に位がある選ばれた頂点付近の女官でかつ公卿の娘なんだが「藤典侍レベルの身分でも」ってなんやねん
そのレベルやその上の皇女だって仲立ちする女房の裏切りで三宮みたいなことになるってのに
いま話をしてる単なる宮仕えの女房に何ができるというのか
あと女に相続権はあるが管理するのも使うのも大抵が男で女が財産持って好き放題に生きられるってわけじゃないからね 宮仕えの女房が男に好き放題犯されまくりだったと思うなら、それは妄想でしかないよ
藤典侍の父は、のちには公卿レベルまで出世したとはいえ、もともとは受領クラスだし
摂関家クラスの貴族とは明確な身分格差がある
女が財産持って好きに生きた場合だってあるよ
藤原詮子や彰子中宮は別格としても、藤原元子とか藤原朝光の後妻になった源延光
未亡人とか、相当好き放題だと思うけど
藤原元子なんか、財産相続を姉妹で争って勝ってたり
零落した事例だけれど、和泉式部に夫を取られた帥宮の元北の方は、相続した荘園の
ことで、道長に直訴して取り戻してもらったりしてた
何にせよ、後世に比べるとまだ男女格差がマシだった時代だよ、平安時代って
ひどくなるのは江戸時代以降現代までだね 定子の母の高階貴子だっけ、高内侍って呼ばれた人は道隆の正妻じゃなかった?
学識の高い家柄の出だったけど、身分はそれほど高くなかった 藤原師輔の正妻の盛子も受領階級だし(ちなみに師輔は内親王を三人も妻にしている)、
兼家の正妻の藤原時姫も受領階級(兼家も内親王の妻がいる)。
摂関家でも受領階級の正妻はそんなに珍しくない。 源氏物語って后腹の皇子皇女レベルじゃないと尊敬されないのな
藤典侍あたりは絶対に権門の正妻の座はありえない >>742
内親王の妻がいても正妻は受領階級ってことなら
夕霧の正妻はやっぱり雲居の雁ってことで良いよね 女三宮だったら雲居雁押しのけて正妻だったと思う
落葉は内親王なのに柏木といい周りの扱い悪いよね >>745
扱い悪いから女二宮って内親王宣下されてないのかなって思った >>743
主人公の源氏が更衣腹親王でその価値観で物語が動いているからねえ
源氏は受領階級出身の明石を妻の一人にはしても正妻にだなんて全然考えていなかった
源氏の大本命は后腹内親王の藤壺で幼い頃からもう藤壺中心に女性観ができてしまっていたから >>740
そうじゃなくて女房として内裏に上がるのは危険がいっぱいで見に覚えがあるor見知ってる父親は嫌がるって話なのになんで明治以降の男尊女卑が建国以降一番きつい時代と比較したがるのかわからんわ
全く危険なく全力で尊重されて花の宮廷ライフを楽しめるなら誰も反対せんやろ そもそもあさきってか源氏物語自体がそういう男女格差で苦しむこともふんだんに織り込んで作られてるのに
平安時代は男女格差がなかった!とか言うならもうそこで話が終わるわw
そうですか、としか
きっと父親に男なら学者になれたのにとか言われた可哀想な女の子なんて存在しなかったんだろうね 紫式部自体が受領の娘で、歳の離れた夫と結婚して別れてから宮仕えしたんだっけ >>751
年の離れた夫に死別してから、娘を育てつつ宮仕えしてたみたい
彼女自身が雨夜の品定めの場面で言われてた「中流階級の女人」だったわけだね 男女格差がないわけないやん
ただ、平安時代の文化からして、女房身分といえど女側の意思が尊重されてないわけではないし
一方的に男の好き放題やられまくりだったわけはない、って言ってるだけ
女房身分ぐらいなら、女にも拒否権はあったし男を選ぶことだってできた
江戸時代ぐらいになると、主従関係となると女に拒否権はほぼなかっただろうけど
宮仕えの危険て、別に男に犯される危険じゃないと思う
そこは女の才覚である程度やりようがあったわけだし…
結婚ですら、深窓の姫君で正式な結婚をするのに比べて不利ではあっても、正妻に
なれるチャンスがなかったわけじゃないし
伊周の遺言は、摂関家の姫として女御中宮をめざす身分でありながら人に仕える身分に
身を落とすのはプライドとして許せなかったんでしょ
自分の母親が元女官なのに、出仕したら男に犯されまくりでヤバいからやめろとか
そういう考えでいたわけはないでしょうに。 紫式部の実家は学者の家柄だったから、男なら跡継ぎとして役に立ったのにと
父親は嘆いたかも知れないけれど。
あの時代、女性が漢学なんて…という価値観もあったかも知れないけど、
その割には高階貴子は漢学の素養を珍重されて女官として重用され、
摂政関白の正妻にもなってるのよね
紫式部は彰子の女房だから、中関白家への対抗心というかそういうものもあって
女が漢学なんてみたいな価値観を前面に出してたのかも
定子やその姉妹は漢学に通じてたそうだからね >>754
そうだね、雨夜の品定めの時も「寝物語に漢詩の話をしてきて辟易した」って話が出てきてたような?(その人が風邪ひいてにんにく食べた人だったっけ)
清少納言は女なのにかっこつけて漢字書いたりして嫌な感じ、ってdisってたしね 紫はもっと「女の自由」があったとしたら何がしたかったんだろう? >>747
更衣腹だしね、女ニの宮。内親王宣下はあったのかな? >>742
そうなんだ!内親王たちは子供がいなかった、とか? 桐壺の更衣は入内した時は藤壺と同じ10代前半だったのかな?
何となく絵柄のせいで20歳前後に見えた
13、4歳でよってたかって皆から毎日壮絶な苛めを受けていたのなら気の毒過ぎる >>756
「自由になりたい」というのは別の言葉で言うと
「自分自身でありたい」とも言えるんじゃない?
物語のなかでの話なら出家と源氏との別離かなあ?
愛に失望したならせめて自分の意思でその男と別れることで自分の尊厳を守りたいよね
そうすれば自分自身を取り戻せたのに
出家して源氏と離れて一人になることで
もう一度自分を建て直すことが出来ればそれが紫にとっての精一杯自分にできる範囲での自由になったんじゃないかな >>758
一人めの内親王には子供がいなかったけれど、二人めの雅子内親王には4人、
3人めには二人の子供がいたよ
一人め、二人めの内親王と結婚した頃にはまだ藤原盛子は生きてたけど
3人目と結婚した時には盛子は死んでた
盛子には、中宮安子、兼家他沢山の子供がいて、雅子内親王と結婚した翌年ぐらいには
安子が東宮に入内してる。
やはり子供たち、特に娘の母であるから盛子を正妻扱いしたんだろうと。 >>745
夕霧に嫁入りした女三宮も見てみたいが
個人的には、冷泉帝に入内した女三宮も見てみたかった。
同じ高貴な生まれ同士の2人なら、お雛様のようで絵になっただろうな・・・ 三宮は柏木を内心どう思っていたんだろう?
疎ましいと思いながら毎回やられていたのなら可哀想過ぎるけど
多少は愛情めいたものは芽生えていたのかな >>762
年齢的には冷泉の方が合ってたんだろうけど
冷泉にしても夕霧にしても元からいる妻の後ろ盾が強いから源氏に白羽の矢が立ったんだろうね >>764 冷泉にしても夕霧にしても元からいる妻の後ろ盾が強いから源氏に白羽の矢が立ったんだろうね
正妻がいない=強い後ろ盾を持つ妻がいない、てことでもあるんだね。 >>732
普通女房たちは一部屋に何人かで住んでたから、交流ある男のことは筒抜けだったでしょ。 女房の寝所に男が忍んできたらそのままおっぱじめるの?
ほかの女房は気をきかせてどっか行くの? >>756
>>760
他の古典では、夕顔のような身寄りも頼る人もいない「自由」な女性が、
末摘花がマシなぐらい貧しくなって、餓死して、遺体も打ち捨てられたり、
花山天皇の皇女のような恐ろしい犯罪に巻き込まれる話もいくつか残っているというのに。
紫の上は本来の身分以上の扱いを受けながら、
自由になりたいだなんて、なんて贅沢だろうと思ってしまう。 >>753
江戸時代よりマシだったかはわからないよ
封建時代って女の自由がないようで、嫁ぐと婚家に入る形になるから、側室や妾がいても正妻の地位は安泰
死別しても婚家の兄弟親戚、実家の親姉弟親戚まで面倒見てくれる
平安時代に源氏が理想の男だったのって、女として飽きても生活の面倒を見てくれるところで、それからいうとやっぱり江戸時代のが女の待遇は進歩してるんじゃないかな
恋愛の自由があっても食うに困ればどうしようもないわけで なんかこの時代の貴族階級の女の自由って、男か女かよりも、資産があるかないか、
何らかの権力と運があるかないか次第だよね
女が資産あっても管理する男がないと…って言うけど、管理してくれる男がいなきゃ
自分でとうにかする女だっている(自力で道長に直訴した姫君もいるし、六条御息所は自分で管理してた筈)。
身分が低めでも、上流の若君を青田買いしてたらしこんで早めに子供をばんばん産めば
(特に女の子を産めば)運が良ければ正妻にだってなれる。
紫の上は、身分はまあまあだけれど資産もない子供もない状況で、普通なら
人より上の待遇なんて得られなくて当然なのに、死ぬまで六条院の一の人として君臨したから
源氏が言うように「幸せな人」なんだよね、本当は >>767
気をきかせて他に行くよ。逆に自分に彼氏できたら出て行って貰える >>763
三の宮は愛情とか分からないタイプの人だと思うな。 >>771
そうなんだね、女房同士持ちつ持たれつなんだ
だからこそ女社会で同僚から嫌われたら大変だね >>770 紫の上は、身分はまあまあだけれど資産もない子供もない状況で、普通なら
人より上の待遇なんて得られなくて当然なのに、死ぬまで六条院の一の人として君臨したから
源氏が言うように「幸せな人」なんだよね、本当は
ほんと、そうなんだよね。あさきでは、紫の上は源氏の愛を独り占めできず不幸だった、て最後だけど、原作ではどう書かれてるんだろ? 確かに源氏が言うように幸運な身ではあったけれど、世の人が耐え難いとするような
物思いからは離れられずに一生が終わるのは何ともつまらないこと…
と原典では述懐してる感じ。
発病直前の場面だから、あさきでもそのままだったかも 海野つなみさんの「後宮」も平安時代の話だったけど、好きでもない相手にやられたことがあったよ。僧侶や大臣とか。相手に権力があるとどうしようもないみたいだった。あれは小説じゃなくて日記が原作だからね、現実はそっちだと思う。 もとは「とはずかたり」でしょ?
あれは舞台が鎌倉時代の中後期で、そもそも時代が違ったりもする。
院政期以後は、色々と乱れてるからね〜
二条は大納言の姫君で身分も低くなく、父親の野心もあって後深草院の愛人にされたんだよね。
後深草院は、紫の上に擬して二条を育てて強姦したという。
その後、産んだ皇子も父親も死んでしまい、後ろ盾もなく不安定な立場に。
深草院の倒錯した趣味で、スワッピングさせられるとかしてた。
但し、「とはずがたり」はそれ自体すべて創作の可能性があり、後深草院二条が実在してたかは
さだかではなかったりもする。 >>768
そんなこと言ってたら源氏物語の登場人物で悩んでいる女性全員
「世の中には飢え死にするほど貧しい人もいるんだから、それにくらべたらあなたの悩みなんて贅沢よ」
てことにならない? >>779
あれは本当に間に合って良かったよね
最後まで残ってた女房たちも年取って他に行き場もないような感じだったし
実際は零落して飢えて死んでしまった姫もいたのかなと思うと切ないわ、うまく立ち回って宮仕えするなり誰かに助けを求めたりができる姫ばかりじゃなかっただろうし 紫は自分ではどうしようもないことで泥をかぶざるおえないということがないから、せっぱつまって追い込まれたときどうなったのか見てみたい >>781
>かぶざるおえない
被らざるを得ない
では? >>744
実際問題、世間には雲居雁が正妻という認識だったけれど、無理やり落葉宮を妻にした手前
申し訳ないから、夕霧が落葉宮も同格に扱ってた…という感じだと思う
紫の上の場合、同じ六条院に女三の宮とも同居だから格差がはっきりつくけれど
そもそも雲居雁は夕霧の本邸で同居、落葉宮は別邸だからね。 >>784
雲居の雁は左大臣家の姫で子供も大勢いたからね。 夕霧に降嫁したら女三宮は花散里の夏の御殿に住むことになったのかな?
どこに住むんだろう? 三条邸は、雲居雁の三条邸じゃなくて、女三宮が後に住んだとこね あさきと直接関係ないけど、この時代のお屋敷って修繕繰り返して大事に使われてるよね。桐壺更衣の実家だった二条院が更衣のひ孫の匂宮に受け継がれてるしそう思った。もちろん、途中何度も修繕してるだろうけど。
六条院は広大だし維持費も凄そうだね。 話が変わるけど、六条院の寝殿て、女三の宮が降嫁してくるまでは誰が住んでたの? >>791
誰も住んで無かったんじゃない?
何かで普通は寝殿に住まないっていうのを読んだことある
だから紫の上が寝殿に居なくても普通で
むしろ女三宮を住まわす場所がなくて寝殿になったのでは >>792
そうなの?女三の宮が降嫁してきた時に紫の上が、"寝殿…正妻の住う場所…殿は私がここに住むことを許さなかった…"みたいなこと言ってなかったっけ? >>793
あさきは話を盛り上げるために時々時代考証忘れてる時あるでしょ
初期の頃は更衣なのに外に出て見知らぬ男と付き合ったり
あとこれは何回か言ってるけど葵上が亡くなったときの「奥さま」呼びとか
「奥さま」って言葉は江戸時代に出来たものだからね 正妻が住まう場所は寝殿ではなく
寝殿の北側にある対の屋ではないの?
「北の方」と呼ぶし…
正妻である女三宮が北の対の屋に住まなかったのは、
北の対の屋のような奥まった建物にいては、
柏木や夕霧が女三宮を見ることができない、という物語上の都合かな? >>797
ttps://okwave.jp/qa/q142162.html
これでもそうだし他ので調べても正妻は対の屋に住むのが習わし
だから対の屋に住んでいた紫の上は源氏に正妻として扱われていたんだよ
紫の上の悲劇性を盛り上げるため寝殿に住むのが正妻ってことになっちゃって
紫の上を見下してた源氏は酷いとあらぬ誤解を受けている 正妻が住むのは北の対。
紫の上が住んでいたのは東の対で、そこは北の対よりは格が落ちる場所だよ。 ちなみに、東西の対は愛人を住まわせたりすることが多い
たいてい「対の御方」と呼ばれ、北の対に住む「北の方」とか「上」よりは格が落ちる身分
紫の上の場合、「対の上」という例外的呼称で、対に住んでいて愛人格なのに、
呼称は「上」で正妻格の呼ばれ方だった
寝殿は邸の主人が住む場所。
主人本人が住む他、家から皇妃を出している場合、その娘を住まわせることが多い あさきではスルーされてるけど、
頭中将の娘の方の弘徽殿女御って入内するときに、箔付けの為に祖父の左大臣の養子になったらしいけど、
平安時代にも形式上の養子縁組があるのなら、
後見が無いとか身分が足らないとか言われてる紫の上も、どこかの偉い人の養女になればいいんじゃねと思いついた。
だけど、実父の兵部卿宮が認めないか。
ヒステリーな妻が怖いのかどうか知らないけど、
源氏との関係を強くしたいと考えながら娘の後見はしないとか、何がしたいのやら。 紫の上は、身分は孫王なので足りてる。父親に認知もされてるし。
後見がないことと、正式な結婚をしていないことは、養女になったって解決しないよ >>800
ちい姫は寝殿に住んでたんじゃなかったっけ?紫の上はちい姫の養育のため、という名目(正妻、ではなく)で一緒に寝殿に住んでた、て何かで読んだ気がする。
でも、女三の宮降嫁後、ちい姫がお産で宿下がりしてきた時に源氏が、今までのちい姫の居間というわけにいかないから寝殿の女三の宮の裏側にちい姫の部屋を用意しよう、みたいなこと言ってたから、子供の頃は寝殿住まいじゃなかったのかな? >>801
源氏は後見嫌いでしょ。上流の姫には実は尻込みだと思う。 >>804
最愛の藤壺は上流じゃなかったのか・・・
>>802
やはり皇族の養子縁組は難しいのか・・・。 >>801
父親の身分で女御になれるか更衣それ以下になるか決まりがあったからだよね
でも紫の上は入内するわけでもないし、源氏さえ正妻と言って女三宮の話を断ればそれで済んでのに >>806
中将の娘じゃ女御なれないよね。父大臣の養女だったら女御になれる。
考えてみれば、冷泉帝の後宮では、王女御が一番高貴だったのかな?寵愛はイマイチだったみたいだけど。 >>807
一番高貴だったのは秋好じゃない?
王女御は親王の娘ってだけだけど
秋好は亡くなった東宮の娘で元斎宮だし 式部卿宮は親王たちの中では一番高い地位なので、王女御と秋好はどっこいかな >>808
亡くなった東宮の娘、ていうほうが微妙じゃない?亡くなった天皇の娘なら内親王にもなれるだろうけど、東宮の娘なら内親王は難しくない?実際、秋好は内親王じゃないよね? 登場人物がほとんどは親戚だから言っても意味ないけど新弘徽殿秋好王女御はみんな源氏の妻や恋人の親族だわ
ついでに玉鬘大君も夕顔の孫だし
源氏に一番愛されなかった葵の姪が結構愛されて一番愛されただろう藤壺の姪で紫の上の姉が寵愛されなかったのが面白い
六条は源氏と結婚できなかったけと娘は中宮になれたし 兵部卿の宮が源氏の君にいい顔してたら損はないとか北の方を言いくるめてれば少しはマシだったかもしれないのにね >登場人物がほとんどは親戚
そうなんだよね、だから秋好が中宮に立ったとき、
兵部卿宮が王女御は冷泉帝の従妹なのにみたいなことを言ってたけど、
秋好も冷泉の従妹(表向きは)だよね?って思ったわ >>808
秋好は前東宮の娘だから、内親王ではないね。 >>814
父方の従妹であることはそんなに意味ないかも
式部卿宮は冷泉帝の母の同母兄だから、ただの従妹よりもつながりは深い 国内の皇族のみで結婚し続けて
よく千数百年も血が途絶えなかったと思うわ 身分が低い女に生ませた子は正妻や身分の高い妻に育てさせてたんだよ
明石の君と同じよ 江戸時代の何代目かの将軍は140人超えだったっけ? 子ども何十人ともなると、可愛がってる子を除いたらもう誰が誰かわからなくなりそうだね
桐壺帝も少なくとも13人は子どもいるけど(書かれてる限りで皇子10人と皇女3人)、源氏みたいに溺愛した子もいれば疎遠な子もいそう
まあ冷泉は源氏の子なんだけどね 朱雀も蛍もおそらく母方実家で大事にされたから桐壺帝に溺愛されてた源氏に対して普通に接することができたと思う 最初から5人目くらいまでの子とかよほど愛している人の子だと思い入れありそうだけど
あとになればなるほどどうでもよくなっていく気がするw 桐壺帝が可愛がっていたのは、源氏と冷泉くらい?
朱雀のことは可愛がるというより東宮として尊重していた印象
宇治の八宮とか、本編には名前くらいしか出てこない子供は
あまり気にかけられてなさそう >>820
特定されるだけで16人の妻妾を持ち、男子26人・女子27人を儲けたが、成年まで生きたのは半分(28名)だったと言われる
成人した子のほとんどは子供がなく、あるいは早世して血筋が途絶えることが多かった
現代まで血筋を残しているのは3人だけで、このうち男系は1つだけである >>824
まあ桐壺帝も、産まれた皇子を親王宣下して宮になれるくらいの実家を持つ妃たちのことも実家も蔑ろにはしないでしょ。ただ、源氏に対する愛情が特別だっただけで、その他の皇子女のことも、普通に可愛がってはいたんじゃない? >>818
腹は借り腹、てかんじだよね。まあ、それで、身分の低い生母も、運によってはのし上がれるんだからね。
ちい姫も、明石の君に育てられてたら入内出来なかったしね。 麗景殿の女御に子が出来ていれば花散里が困窮することもなかったのかな
花散里が源氏に引き取られた後姉はどうしたのかな >>828
たしか源氏は花散里の姉のほうも一緒に援助してたはずだけどどうだったかな
原典の明石帰京後あたり捜せばあるかも
姉の方はほぼ意味のない脇の脇キャラだから描写ほとんどないよね 腹は借り腹という考え方は、むしろ母親の身分がいかに低かろうが関係ないって感じだよ
ちい姫の母の身分が低くても関係ないってことになるよ
江戸時代の将軍の大奥なんかはそんな感じ
この時代はむしろ、母親の身分がすごく大事だった
ただ、明石に関しては、源氏が明石の御方を自邸に迎えとって北の方として待遇していれば
多少の身分の低さはさほど問題にされなかっただろうけどね
実際問題、摂関家の御曹司も国司階級出身で女の子を含む子供たちを産んだ母親を
北の方として遇している例はたくさんあるんだし
光源氏が、子供のいない紫の上よりも明石の御方を上に扱うのは嫌だったんだろうね 源氏が六条御息所の娘に欲情を持つことを六条が心配していたけれど
平仮名の「あだめいた」を子供の頃は「仇めいた」だと思って
何で源氏が彼女の娘を敵だと思うんだろう?と不思議だった
婀娜めいた、だったのね >>828
桐壺帝と麗景殿女御との間に子供がいれば、その子をダシに生活出来てたかもね。
麗景殿女御は亡くなったんじゃないかな?もし生きていたら、源氏は花散里と一緒に六条院に迎えてたと思うから。 女御なら何らかの位階をもらってたはずだから、それで姉妹ほそぼそとでも生活できてたんじゃないかな
姉の女御がなくなって、いよいよ困窮しそうだったから花散里を引き取ったんでしょう 花散里の巻で「 麗景殿と聞こえしは、宮たちもおはせず、院(桐壺帝)隠れさせたまひて後、いよいよ あはれなる御ありさまを、
ただこの大将殿(源氏)の 御心にもて隠されて(お心づかいに庇護されて)、 過ぐしたまふなるべし。」とあったわ
花散里との関係もあった上に麗景殿女御は妹と同じで穏やかな人だし
描写は無いけど、桐壺帝の他の妃たちよりも親しいのは桐壺帝が幼児期の源氏を連れてまわった時に麗景殿女御に優しく慰めてもらったとかありえそうだね
でも花散里が引き取られて以降は麗景殿女御の名前は出てこなくなるので一緒に住んだのか亡くなられたかわからない うろ覚えだけど、源氏は麗景殿の女御のところへ話し相手になりに行っていて
花散里と知り合ったんじゃなかったっけ?
源氏は麗景殿の女御の話し相手になるような関係?近い親戚?と思ったことがある
実際どうなのかわからないけど 母更衣亡き後宮中に戻ってきた光る君を、父帝はいろんな皇妃の所へ連れて行ってるよね。その頃は弘徽殿の女御でさえも光る君を可愛がってたらしいから、麗景殿の女御を含む他の皇妃たちからも可愛がられてたと思う。
あさきでは、麗景殿の女御、妹の花散里と似たかんじで、優しくておっとりしたかんじ(私がもう少しときめいた女御ならそなたにも〜、てセリフ)なんだと思う。 可愛い顔した6歳の男の子が微笑みかけてきたら(当時から対女性の振舞いに長けてた気がする)、お妃たちも女房たちも可愛がりたくなるよね。
6歳から桐壺で寝起きして父帝についてあちこちの殿舎に出入りしてたみたいだし、その時優しかったであろう麗景殿女御のことを後々まで支援したってのは源氏の良い部分だよね。 >>837 (当時から対女性の振舞いに長けてた気がする)
ほんこれwwwたぶん、子供の頃からプレイボーイ気質満載だったと思うわwww
麗景殿女御、子供がいなくてしっかりとした実家がらあれば、光る君を養子に、て手もあったかも。まあ、そんなことしたら右大臣家に怨まれるか。 ふと思い出すのが
花散里「でも何だか可愛そうですわね今までそんな心配なかったのに」
夕霧「可愛そうですって?鬼のようですのにw」
っていうシーン(違うかもしれないけど)
なんか知らんけどたまに思い出す 花散里が、三条の姫君がかわいそうだと言って、夕霧が「姫君なんて柄じゃない、鬼みたいなのに」
とか答えるんだよね
落葉宮の件で >>842
雲居のことだよ。
かわいらしい初恋が結婚10年後には倦怠期+夫婦の危機になってる状況で、花散里が雲居を思い遣って夕霧に言った言葉だね。 雲居雁と夕霧って倦怠期には見えないけどなぁ。
まだ赤ん坊の子供はいるし、痴話喧嘩していちゃいちゃしてるし。 雲居雁が夕霧の人生の伴侶なのは間違いないよ
というかこの話題も何度もループするからまたかって思うわ 夕霧夫婦だけはリアリティあるね
他の登場人物は風流面ばかり強調されて生活感ないのに >>847
父親の源氏がいつまでも現役感出してるもんね。
結婚10年経つ子沢山の家庭の描写がリアルだったわ。奥ゆかしい未亡人宅から自宅に帰ってみると、散らかって所帯じみた中に髪振り乱して育児してる妻が…ってやつ。
子ども何人も抱えてワンオペ育児してる妻(雲居は乳母や女房もいるから厳密にはワンオペではないが)からしたら、風流?!寝言言ってないで自分も育児しろ!だけどね。 >>849
雲居の雁って、父親は頭の中将で。離婚して出て行ってるけど母親は皇族の出で、 >>849
雲居の雁って、父親は頭の中将で、離婚して出て行ってるけど母親は皇族の出、と、血筋は良いよね。 所帯染みたというけど夕霧も子供を放置して新弘徽殿のところに雲居雁が遊びにいったのを文句言ってるんだよね
自分たちの子供を乳母任せにせず育てたいと願ったのは2人とも父母からの愛が足りずに育ったからで
雲居雁はもう十分すぎるほどそれに応えて頑張ってるのにこれ以上求めるのは酷いなって思うし
完璧な人間なんて居ないんだから風流や恋愛関係は他の女君に求めるのでバランスは合ってるんだよね 原作では、風情はないけどいつまでも若々しく美しいって描写だし
あさきはちょっと現代のママ達の事情により過ぎというか、かぶせ過ぎかも
月を見たがらなかったのも、育児でそれどころじゃなかったからではなく、
夕霧の浮気と夜遊びに怒って不貞寝してただけだし 夕霧と雲居の雁は友達夫婦
お互い言いたいこと言い合って気を使わなくて良い関係ってなかなか無い
離婚して完全に別れてしまったらお互いにきっと後悔してたと思う >>852
自分たちの子供を乳母任せにせず育てたいと願ったのは
そんな現代の価値観な描写なんてあったっけ?
雲居雁が子供達の相手をしているシーンは確かにあるが、乳母は当然いると思うが。 雲居が先頭に立って子育てしている場面は赤ん坊が具合が悪くなっている場面とかあるけどね
鬼発言だってまったく奥方はおっかなくなってっと夫婦の愚痴みたいな感じで全然切羽詰まってない 浮気事件の時なんてこの鬼さんは 風流ともののあわれの美学の世界の中で夕霧夫婦の別居騒動は異質で面白い
夕霧は宇治編でも最高権力者らしさを発揮して、道長的 >>856
続きです
おっかないけど姿はかわいいからにくめないなあ
とか
このおにさんはこわくなくなっちゃったもう少し威厳があればなあ
とかからかってるんだよな
すべてか一かじゃなくてどっちもほしいんだよ
落葉とうまくいかなかったときに雲居の時と比べて何でこっちはだめなんだろうとなげいているくらいだし 倦怠期どころか、雲居雁はやきもちやいては拗ねて怒って、そのたびに夕霧は
からかって遊んでいちゃいちゃに持ち込んでるし、夫婦喧嘩は犬も喰わない系だと思うわ >>859
ほんとだねえ。
倦怠期って書いたの私ですが、皆さんの考察読むと倦怠期というより、幸せな10年を過ごしてたら突然飛び込んできた夫婦の危機だよね、失礼しました。
ラブラブで沢山の子どもにも恵まれて日々を過ごしてたら夫は自分とまるでタイプの違う未亡人に惹かれちゃってまさかの展開→青天の霹靂に怒ったりケンカしたりで別居→でもお互いのため子どもたちのためにもやり直そう→子どもの出仕や縁談のために夫婦で協力
キレて実家に帰る、って源氏の女君達にはなかったストレートな行動だよね。 >>860
帰れる実家のある雲居の雁を、紫の上は羨ましいがってたよね。 あさきに書かれてない竹河での夕霧って、愛息子が振られてやつれてるのを
雲居雁が心配して泣くので困って「自分が無理言って頼めば良かった」とか
言ってたけど、どちらかというと夫婦で協力というより、雲居雁が心配してるから
ほっとけなくて…みたいに見える
妻の涙に弱いんだね、みたいな。 >>861
実際は雲居母は頭中将と別れてるし夕霧と結婚するまでははぐれ者みたいな扱いだったね
雲居雁を入内させようとしてやらかしちゃったけど頭中将が父親としてしっかりしてるのが大きい >>863
源氏とつるんで遊んだり、青海波を舞って絶賛されてた若い頃も面白いけど、中年期以降の頭中将の父親っぷりは何かいいよね。
雲居のことも幼少期は放置だったけど、夕霧と喧嘩して実家に戻ってきた雲居への対応は良かったよね。
式部卿宮も長女(髭黒の北の方)を実家に呼び戻したり「わたしが生きている限りはお前たちを笑いものにはさせぬ」って守ろうとしたり、この人もちゃんと父親だなと思った。紫とは疎遠それが残念な感じだけど。 式部卿宮は、どちらかというと頭中将と対比すると一徹で政治下手みたいな描かれ方じゃない?
式部卿宮は自分から娘を迎え取って夫婦を別れさせ、孫娘も父親に会わせず、あまり
幸せでない結婚をさせて娘も孫娘もそんなに幸せにできてないのに対して、
頭中将は実家に戻ってきた娘をたしなめつつも受け入れて、一方で相手の女を脅して
圧力をかけ、結果的には離婚回避させて娘も孫も幸せになってる
そこらへん、二人の器量の差が歴然としてると思うわ >>865
式部卿宮は立ち回り下手だよね、娘や自分のプライドが傷つけられて意固地になってる印象。
髭黒と北の方の一人娘なら大事なお后がねでしょうに、父親と絶縁させて蛍兵部卿宮の後妻にしちゃうし(蛍本人も乗り気ではなかったみたいだし)
式部卿宮は藤壺の同母兄で紫の実父なんだから、源氏相手にうまく立ち回れてたら色々と違ったでしょうね。
夕霧には何も言わずに落葉宮にさらっとクレーム入れた頭中将はやり方が上手いよね。 そこはやっぱり鷹揚な育ちの親王家とバリバリの政治家一族との差なんじゃないの 源氏の子供たちは親を困らせない優等生ばかりでつまらないね >>866
式部卿宮の正妻が強い女なのかな〜、て思った。妹は離婚させられるし、あんまり幸せじゃない姉妹だよね。 >>868
ほんとだね
事実は別にして表向きは源氏の子どもは長らく2人だけだったし、夕霧もちい姫も優等生タイプ。
「お父さまの言う通りになんてならない!」なんて反抗したり、雲居みたいに幼馴染の男の子とこっそり深い仲になって入内不可になる展開はなかったね。
頭中将は長女の入内や後見に気をとられて雲居のことは「そういやもう1人姫がいた」くらいの扱いだったから詰めが甘いよ、入内させたいなら幼少期からそのつもりで養育しなきゃね。 >>870
后がねとして育てた総領の姫が中宮になれないとは思わなかっただろうからね
そこは運が悪かったとしか >>800
「上」の呼称は「明石の上」にも使われるし正室という意味はないよ
よく言われるけど六条院には北の対がなかったんだよね
>>803
明石姫は入内前、紫と一緒に春の御殿東の対に住んでいた
「野分」で夕霧が源氏のところに台風のお見舞いにやってきて
明石姫のところにいると聞いて春の御殿「東の対」に行くと思いがけず紫を見ている
宸殿は主人である源氏の住まいだったが
女三宮が降嫁したとき北の対がないものだから宸殿西側に源氏と同居した
宸殿東側は入内後の明石女御の里御殿になっていたけど
明石女御が宮中にいるときはこれまで通り源氏が使っていた
源氏が夕霧や柏木たち若者を宸殿東側に集めて庭で蹴鞠をやらせて
そのときに柏木は女三宮を垣間見ている >>872
屋敷の中で「上」と呼ばれるのは「主人」である人のこと。
妻の種類を意味する呼称ではないけれど、妻の中で「上」と呼ばれている人がいたら、
その人がそこの女主人であることを示すので、北の方・正妻を示すことが多い。
六条院の主人である光源氏が主に住んでいる春の御殿で紫の上が「上」と呼ばれていた
ということは、彼女がそこのエリアの女主人であることを示すので、つまり紫の上が
正妻「格」として扱われていたからこその「上」という呼称だった、という意味。
ちなみに明石の「上」という呼称は間違いというか、原典では決して「上」とは呼ばれてないよ
なお、「野分」で夕霧が紫の上を覗いたのは、夕霧が明石の姫君のところに来た時じゃなくて
光源氏のところに来た時であって、ちょうど光源氏が明石の姫君のところに行っていて
いなかった時に、夕霧が光源氏と紫の上の居所にやってきて、紫の上を覗き見したんだよ
紫の上の居所と明石の姫君の姫君の居所は一緒ではなくて、夕霧は明石の姫君の居所では
御簾の内にも入ることを許されていたけれど、紫の上の居所では許されてなかった。 明石姫がこきでんさまのような娘なら個性的でよかったね
明石姫は今上と不仲、今上と愛人に圧力かける源氏だったら道長への嫌がらせになったかな >>872
そうなんだー。平安時代のお屋敷って北と西と南と対屋が全部あるとは限らないとは聞いたことあったけど、六条院も北の対がなかったんだね。
そういう事情があって紫は女三宮に挨拶しに行った時に「寝殿…正妻の住まう館」って滅入ってたのかも? >>873
なるほど…
なんかこうなると、源氏恐るべしなのか紫式部恐るべしなのか分からなくなるね… 屋敷の中心である寝殿は大切な来客をもてなしたり宴会開いたり何かの儀式を行う場所でもあった
寝殿東側が饗宴や儀式等に使われることが多く、西側が居住スペースに使われたりしたらしい
そう考えると寝殿に住んでて今一つ嗜みに欠ける女三宮が
寝殿の庭で行われた蹴鞠に出席した柏木に垣間見られたのも不自然ではないことなんだよね
もし六条院に北の対があって女三宮がそこに住んでたら
柏木が女三宮の姿を見ることはなかったかもしれないしあそこまで恋に狂うこともなかったかも >>875
> 平安時代のお屋敷って北と西と南と対屋が全部あるとは限らないとは聞いたことあったけど、
訂正。北と西と東、です。
南側は池や庭なことが多かったみたいね。 >>872 六条院には北の対がなかったんだよね
そうなんだ!北の対がない、なんて、構造上可能なの? >>873
だから「上」に正妻(格)という意味はないから
源氏の正室である葵は原典で一度も「上」と呼ばれていない
二度目の正室である女三宮も勿論一度も呼ばれていない
夕霧の正室である雲居雁も一度も「上」と呼ばれていない
明石姫君は入内まで春の町東の対西面にいた(紫は東面)
「藤裏葉」で冷泉帝と朱雀院が六条院へ行幸して春の町宸殿で宴を催しているが
当然、この時、宸殿に明石姫は住んでいない
「野分」でも源氏と明石姫が宸殿にいるなら夕霧が東の対へ来る理由がない
明石姫は入内後に六条院での居所を代えている
妊娠して里帰りしたときに「姫宮(女三宮)のおはします御殿(宸殿)東面に、
御方(明石姫)はしつらえたり」と新たな居所を用意している >>880
いやだからさ、前も言ったけど、「上」と呼ばれる女性は屋敷の女主人なの。
男の屋敷で男の妻である女性が「上」と呼ばれてたら、普通は正妻でしょ。
紫の上は源氏と同居して「上」つまり女主人扱いされてたから、正妻格だったということなのよ。
葵は親の屋敷に住んでいて母大宮が健在だったから、そもそも、屋敷の女主人ではないので
「上」とは呼ばれなくて当然。
女三宮は、正妻だけど屋敷を仕切る女主人は紫の上だったからか、「上」とは呼ばれないね。
ただそもそも内親王は「北の方」とすらあまり呼ばれず、宮様としての呼称が優先するから。
雲居雁は「北の方」の呼称が多いけど、「上」と呼ばれることもあるよ。
三条邸の女主人だからね。 明石の姫君と紫の上の居所は色々論文もあるけど、一つの有力な説は
明石の姫君の養育中は、紫の上(と源氏)、明石の姫君で寝殿を東西2つに分けて住んでいて、
入内前後以降は東の対に住んでいた説。
他、明石の姫君は寝殿、源氏と紫の上はずっと東の対に住んでいた説などある。
どの説でも、明石の姫君は常に寝殿住まいだよ。
入内する予定の姫君は、寝殿に住まわせて将来はそこを里内裏にするのが普通だからね。
源氏は、明石の姫君を寝殿に住まわせて、自分は紫の上と東の対に住んでたんだよ
(その当時紫の上が寝殿に住んでいた説を取るなら、寝殿を明石の姫君と分けて住んでいた)
とりあえず、紫の上の居所と明石の姫君の居所が別だったのは確かだよ >>880
藤裏葉で冷泉帝と朱雀院が六条院に行幸したときは、明石の姫君は東宮入内後だよ。
入内するような姫君は、当然寝殿の南面に住むわけなんだけど、入内後に女三の宮が
六条院に来たので、女三の宮が西面、明石の姫君は東面と分けて住むようになったんだよ。
明石の姫君の裳着前の香合わせのところで、源氏が「寝殿に離れおはしまして」香を
調合していて、紫の上が「東の中の放出」で香を調合していた、という記述があるので
源氏は普段は紫の上と東の対に住んでいて、明石の姫君が寝殿住まい、源氏は
なにかあるときに寝殿を使っていた…という感じだったんだと思う。 >>879
詳しくはないんだけど、東三条殿(道長父の邸でその後も代々使われた)の復元図を見てても北の対がないっぽい。お屋敷によりあったりなかったりだったのかな。
直リンクはやめとくけどこんな感じ↓
ttps://3dkyoto.blog.fc2.com/blog-entry-135.html 雲居雁は、「横笛」で赤ん坊が夜泣きして起こされた場面で「上」って呼ばれてるね。
「乳母も起き騒ぎ、上も大殿油近く取り寄せたまて、耳挟みして」っていう、
例の髪はさみシーン。 宇治にある源氏物語ミュージアムの
六条院の模型には北の対の屋があるみたいだけど、
実際にはなかったということかな? 手元の「源氏物語要覧」の六条院想定図みたら、普通に北の対の屋あるんだけど。 >>881 ただそもそも内親王は「北の方」とすらあまり呼ばれず、宮様としての呼称が優先するから。
葵や頭の中将の母も、大宮、て呼ばれてたよね。 源氏物語ってフィクションだし六条院も実在した建物じゃないから
六条院に本当に北の対があったかどうかなんて誰にもわからないと思う
わかるのは当時の貴族が住んでた寝殿造には北の対があったものもあるしないものもあったということと
源氏物語中に六条院の北の対の描写がなかったということ(詳しくは知らんけど)くらいじゃないかな あけおめです。
この時代って年賀状あるのかなとふと思って検索してみた。紫式部と大体同じ時代を生きた藤原明衡という貴族がまとめた手紙の文例集の中に、年始の挨拶の文例があったらしい。
ハガキではないけど年始のご挨拶の文をしたためる文化はあったみたいだね。ちい姫も明石宛にお返事書いてるシーンがあったし。
源氏のとこにはあちこちの女性から届いて紫がチェックしてたかもw >>890 源氏のとこにはあちこちの女性から届いて紫がチェックしてたかもw
現代のスマホチェックみたいなものだよねwww
紫の上はそんなゲスいこと、してなかったんじゃない?源氏から、こんな手紙が来たよ、て見せられたら別だけど。 >>892
言われてみればそうだね、紫が自分から見るんじゃなくて源氏が(頼みもしないのに)見せてきそう 現代のスマホしかり、人の文を見る見ないって修羅場の元だよねえ
柏木から女三宮への文を見ちゃった時も、「柏木は色々あからさまに書きすぎ。従者が落としたり手違いで人が見ちゃったりする危険性があるんだからもっとぼかした書き方にしないと」って文の書き方にも怒ってたような
源氏は長年の経験(修羅場込み)で文の書き方を心得てたんだろうね >>896
柏木って、小侍従みたいな召人はいても、源氏みたいな百戦錬磨じゃなさそうだから、そりゃあ文の出し方も源氏に比べたら素人っぽいでしょwww 夕霧も真面目だけど柏木も真面目でそんなに遊び歩かなかったよね
源氏は六条御息所とのやりとりで手紙のルールみたいなものも盗むでもなく学ばせてもらってたから女性の扱い上手くなったんじゃないのかな
葵の上みたいな意固地なタイプでも手慣れてきた頃の源氏なら上手く付き合えたんだと思う >>898
その手紙の書き方とか教えてくれた六条に葵を祟り殺されたんだよな、源氏は
それで六条がお見舞いの和歌を寄越したんだけどその返歌に源氏が書き添えたのが
「思い詰めるのも無理もないことですがお忘れになるのがよろしいでしょう」と
はっきりとは書かないけど「葵を祟り殺したろう」とほのめかしてなおかつ表面では相手を労っているような文面
でも六条本人にはわかるという
自分がいろいろ教えた年下の恋人にこんな形で引導を渡されてしまうのも悲しいよね 想いの深すぎる人は重い上にストーカー化して実害が出てるんだから切りたい罠 >>898
そうだね
柏木ははけ口として小侍従やその他の召人はいたっぽいけど本命はずっと女三宮だったから、恋文が上達?する機会がなかったのかも
葵みたいな気難しい美人のことも、遊び人になってから出会ってたら落としにかかったでしょうね
葵とは厨二病というか藤壺への秘めた想いを抱えて悶々としてた頃に夫婦になったからねえ あの頃は生真面目な少年だったな 柏木の手紙を源氏に読まれたシーンでは女三宮と一緒にガクブルした >>902
あのシーンは怖かったよね
女三宮が座布団の下に文を突っ込んだ時に危険な雰囲気だったもん
その後源氏が二条院に帰ろうとした時に女三宮が引き止めなかったらバレずに済んだんだろうか >>903
女三宮って物を片付けた経験なんてなかったと思う
何も考えず女房に物を渡しておけばなんでも女房がやってくれてそれが当たり前で
源氏が来たから文を隠せなんていきなり言われてもパニックになるだけで
もう子供みたいに自分の一番近くの適当な所に隠すしかできなかったんじゃないか
あれは小侍従が悪いよな
女三宮に任せきりにせず自分が持っとくべきだった >>905 女三宮って物を片付けた経験なんてなかったと思う
そうだと思う。小侍従が悪いよ。 女三宮は生まれついての貴人だから、装束とかも全部用意してもらって着せてもらってが当たり前だろうしね
取扱注意な文を瞬時に適切な場所に片付けろと言われても厳しいよね 小侍従って柏木には同情してたけど、女三宮には内心嫉妬や苛立ちがあったんだろうね >>908
私が柏木さまから色々言われてあれこれ悩んでるのに女三宮さまは何とまあのんびりと…(いつものように猫と戯れる女三宮を見て)って呆れてる場面があったね
最上級の高貴な身分に生まれて大勢にかしずかれつつ六条院に降嫁、何不自由なくのんびり暮らして(六条院の女主人としての役割的なことは紫がやってるみたいだし)、尚かつ若い貴公子にも熱烈に愛されてる彼女への嫉妬もあったのかな 女三宮が不思議ちゃんでぼんやりした子と言う設定は今見ると時代を感じる
スポーツ観戦が趣味の元気な子なのに >>910
そうなんだ意外〜原作の女三宮は何のスポーツが好きなの?
あさきのキャラデザは結構尖った解釈なのかもね 女三宮が源氏に降嫁して心ならずも六条院を滅茶苦茶にしてしまったのは、
女三宮の父朱雀院が無意識のうちにそれを望んだ説は定説だけれど、
彼女の母女御の遺志もあったと思う
原作では女三宮の母の源氏女御(藤壺女御)は、
「皇太子だった頃に入内して、中宮におなりになってもよろしい高貴な身分の方だったが、
朱雀帝の後宮には朧月夜がいらして、弘徽殿大后のバックアップもあったので
源氏女御様は気おされてしまい、
父帝は既に亡く、ご自身が更衣腹で後ろ盾となる有力な外戚もなかったこともあって、
後宮での争いに敗れ、源氏が都に戻られて朱雀帝が譲位なさると、
希望をなくし、「この世を恨んだような様子で」亡くなられた」
源氏女御は没落の原因となった源氏の事も恨んでいた筈
女三宮はその母の無念を知ってか知らずか、源氏に嫁ぎ不義の子を産むことで果たしている >>911
蹴鞠
あさきでは「まあ貴公子たちが楽しんでいらっしゃる、三宮様もご覧になってはいかが」という女房に
「別にいいわ、わたくしは……」と関心がなさそうに猫と戯れているけれど
原作では「蹴鞠をご覧に御簾の際まで近づいて」とあるので好きな筈 原典だとおっとりしているけどぼんやりした子ではないからね
源氏と軽い冗談交わすくらいには割と陽気な子 >>913
蹴鞠が好きならなおのこと蹴鞠の上手い柏木と結婚すれば良かったのにね
源氏は若い頃でも蹴鞠が苦手だったと言ってるし >>913
女三宮は猫>>>>蹴鞠
柏木に見られたときも女房たちは蹴鞠に夢中だったのに女三宮だけ猫を気にしてそっちのほうを見てたし >>912
そうなんだ!知らなかったわ〜。女三の宮の母女御って、そういうかんじだったのね。
そりゃあ、女三の宮は知らなくても、周りはなんとなく反源氏だったんじゃないかな?
さらに、無意識の上とは言え、父帝の思惑通り六条院をぶっ壊してるしね。 >>912 ご自身が更衣腹で後ろ盾となる有力な外戚もなかった
で、源氏女御、てことは、内親王宣下はなかった、てこと?
皇女も源氏姓を賜わることあるの? 更衣腹だと親王内親王でも無品だから
むしろ賜姓源氏の方が良いってあったね
源氏が賜姓源氏なのもそういう理由だったような >>916
柏木も猫可愛がれるタイプだから
二人してネコまみれの生活送れば楽しそう >>919 >>920
そうなんだ!ありがとうございます!
じゃあ、娘が二品の宮にまでなって、亡き母女御も満足だったかな? 朱雀帝の後宮の様子はメインじゃないからほとんど出てこなかったね
尚侍の朧月夜が源氏との密通がばれてヒソヒソされてるくらい
三宮が生まれる前くらい藤壺の女御とバチバチしなかったのかしら?
夕霧がもし帝だったら一日おきに各女御のもとに通うのだろうかw >>923
もし夕霧が帝だったら、そうだね1日ずつまんべんなく通って何ならシフト表とか自ら組んだりしてw
お妃達も嬉しいような違うような >>912
>源氏女御は没落の原因となった源氏の事も恨んでいた筈
これはあなたの個人的な解釈だよね?
あさきにも原典にもそういう内容は無かったような
女御の没落の原因は源氏じゃないと思うけどな
恨むなら弘徽殿大后一派じゃないのかね
源氏が須磨にいる間に女御が華やいでたならわかるけど、ずっと朧月夜が一の人だったわけだし 女三宮の母は藤壺中宮の腹違いの妹だし間違いなく弘徽殿大后に目の敵にされてただろうね
今上帝の母親も朧の寵愛に押され続けて皇子が東宮から即位前に亡くなったんだっけ
この妃たち視点で考えると朱雀の退位後にまた源氏と関係結んだ朧はほんとありえない >>925
うん、あさきにも原典にも女三宮母が源氏を恨んでいたような描写なんてなかった
女三宮母が不遇だったのは確かだけどそれは源氏のせいじゃないし
ままならぬ世の中そのものを嘆きながら死んでいっただけで源氏への恨みなんて原典読んでても微塵も感じなかったわ
あと朱雀が六条院の崩壊を無意識に望んで女三宮を降嫁させたのが「定説」になってると>>912さんが言ってるけど
このスレでもしかしたらそうだったのかもねーと雑談としてそういう話題が出たのは私も何度も見たけど
研究者の間で定説になってるかどうかは聞いたことない
本当にそんな定説あるの? >>926 この妃たち視点で考えると朱雀の退位後にまた源氏と関係結んだ朧はほんとありえない
まあね、全くその通りだと思う。朧月夜のせいで朱雀は中宮も立てられなかった(立てなかった?)んだろうし、まあだからこそ源氏の繁栄にも繋がってると思うと、源氏よくぞ朧月夜と関係持った、て言えるよね。 穿った見方に固執する人は何故か定説を主張するのが常態 朱雀帝は朧月夜のせいで中宮たてられなかったんじゃないと思う。
推測ではあるんだけど、藤壺・弘徽殿以外にその当時誰かもう一人、古い后がまだ生きてたんじゃないかな
后というのは同時に3人までという決まりで、冷泉帝の中宮が立てられたのも、藤壺が
亡くなって后の位が一つ空いたからだと思われるんだよね、タイミング的に。 朱雀帝は朧月夜のせいで中宮をたてらなかった〜を繰り返し言ってるのは同じ人なのか違う人なのかわからんけど
文体が独特だな >>932
朱雀帝のウィキにそう書いてあるんだけど。 朱雀のWiki見てきた
朧のせいで中宮をたてられなかったなんてどこにも書いてなかったよ? wikiってたまにトンデモな解釈をそのまま書いて訂正されてないこともあるから、
wikiを根拠にするのもどうかって感じだけどねw
朱雀院に中宮がいなかったのは有力な妃がいなかったから、という説もあるけれど
原典にそう書いてあるわけじゃないから、あくまでそれも説に過ぎないんだよね 朱雀腹黒説、中の君中宮薫後見説、夕霧没落説、雲居半分妻説に加えて、源氏宮の源氏怨恨説、古参皇后説か
なかなか面白くて良いね
定説じゃないけど でも朱雀在位中は右大臣家が強いし怖い弘徽殿大后が睨んでいるから朧以外が中宮になれる雰囲気は無さそう
後ろ楯弱くても藤壺中宮くらいに寵愛受けて妃腹で皇子も産んでたり条件が揃ってるという女御はいないし
桐壺帝に守られた藤壺中宮と違って、弘徽殿大后相手だと夫の朱雀も中立程度で味方になってくれそうにないし >>937 朱雀在位中は右大臣家が強いし怖い弘徽殿大后が睨んでいるから朧以外が中宮になれる雰囲気は無さそう
ほんこれ。妃たちは右大臣家の威光に押され気味で、臣下たちも右大臣家に遠慮して、朱雀帝自身が朧月夜を一番愛してたしね。 実際、尚侍から中宮に立った例はあるようだから、もし朧月夜に子ができていれば立后したかもね
他の女御達は後ろ楯が弱かった 少し調べてみたけど。
后位には、皇太后、太皇太后、皇后と三つあって、その内皇后が=中宮と呼ばれていた。
この三つが埋まっていると、その他に皇后を立てることは元来できなかったけれど
藤原道隆が、強引に定子を四人目の后にし、当時の皇后(円融后)を皇后宮、定子を中宮とした。
その後、道長は道隆の掟破りを利用し、娘彰子を中宮、定子を皇后にして
一人の天皇に二人の后を立てる慣例を作った。
源氏物語の時代はまだ后が3人までの時代がモデルなので、冷泉帝の中宮が
藤壺中宮の死の直後に選ばれていることを考えると、后の誰かが亡くなって
座が開くまで朱雀帝は后を立てられなかったのではないか、という仮説かと思うけど
桐壺帝の后を選ぶタイミングを考えると、誰か后位が空いたからというのでも
なさそうな感じでもある…
藤壺の母后は藤壺入内前に亡くなってるし。
后の人数が3人までで、空きがないと立后できないのも条件の一つかも知れないけれど、
空きがあっても有力な皇妃がいないと立后を行わないのかも知れないし、
よく分からないね。
朱雀帝の中宮は、本来は承香殿女御が立つべきだったんだろうけれど
権力者の右大臣が嫌がったとかあったのかも。 >>940
承香殿女御、直接の登場がないから想像するしかないけど、髭黒の父の大臣からの期待を背負って入内して唯一の皇子を産んだけど、右大臣家と朧月夜に遠慮したりと気苦労が絶えなさそうね
亡くなった時期ってひとり息子が東宮に立つ前だっけ? 息子の晴れ姿を見られなくて気の毒だったね >>940
桐壺帝の先帝のひとつ前の朱雀院(一の院)が桐壺帝の父だと思われてて后の描写は特に無いけど
もし后がもう1人いるとすればこの一の院の妃(桐壺帝の母)が太皇太后かも
朱雀の時代にまだ生きていたら60歳くらいなのでありえなくもない >>940 空きがあっても有力な皇妃がいないと立后を行わないのかも知れない
そりゃあ、有力な後ろ盾がないと立后出来ないでしょ。有力な後ろ盾がいれば立后出来るて訳でもないだろうけど。 藤壺は有力な後ろ盾いないまま立后したわけだけれどね。 現実的な話で恐縮です
入内には莫大な費用がかかると思うんだけど、藤壺の入内の時は兄宮が負担したのだろうか
立后するのも儀式とか装束整えたりで何かと物入りでしょうに 藤壺の宮の時は、桐壺帝の同腹の実妹である大宮の降嫁先である左大臣家が間接的な後ろ楯になったのでは
※個人的な推測です
左大臣は葵の上を右大臣家筋の東宮ではなく桐壺帝の最愛の皇子である源氏を婿にしてるところから見ても、
桐壺帝とのそれまでの信頼関係があったにせよ源氏の将来を見込んでの判断だろうし、
その源氏とも近くて桐壺帝に寵愛されてる藤壺のバックアップをしていた可能性はあるかも
東宮を産んだとはいえ、右大臣家の姫である弘徽殿女御を中宮にするのは阻止したかったんじゃないかな あ、藤壺の母后の実家が有力者(=裕福)だった可能性はあるよね >>947
考えてみれば弘徽殿の大后は、右大臣の娘で東宮の母親なのに中宮になれなかった、てことだよね。 >>946
逆だよ
藤壺腹の皇子を次の東宮にするために、藤壺を立后させたんだから。 >>949
これは弘徽殿から恨まれちゃうよね
桐壺帝は一応フォローしてたような、朱雀が即位すればあなたは皇太后なのだから、的に >>947
左大臣家のバックアップがあったかも、って確かに
色々な想像ができてそれもまた楽しいね
藤壺の母后は「桐壺更衣は宮中でひどくいじめられたらしいのに、そんなところに娘を入内させるなんて」って心配しつつ亡くなったんだっけか さすがに左大臣家は藤壺と関係が無さすぎて援助することは無いと思うよ 藤壺母が前帝の妃の中で一番身分が高そうでかつ中宮では無いので
皇族かもしくは六条御息所のように中宮になる前に後ろ楯の父が亡くなったかで
後ろ楯は無いけれどある程度の遺産は持っていたから藤壺を女御として入内できたとかだと思うな
どこにも書かれてないから想像するしかないけど >>954
藤壺の宮は「后腹の宮」=皇后が産んだ内親王
のはず 桐壷帝に藤壺を勧めた人がいたんだよね?
その人じゃないの後ろ盾 藤壺宮は女御じゃないし…
基本的に、内親王は通称で「女御」と呼ばれることがあっても正式には女御じゃないんだよ >>957
それ教えて
あさきでは藤壺の女御と称せられる…みたいなのあったけど
女御って本来官職でしょ?
それがないってことは、入内してから(身分は后腹内親王だけど)地位(官職)はどうなってたの? 女御は令外のおきさきだから、わりと曖昧なとこあるんだよね…
ただ一つ確実なことは、原典では藤壺は一度も女御と呼ばれていないこと。
弘徽殿や立后前の秋好中宮は、はっきり「女御」って呼称が出てきているんだけれど。
立后前の藤壺は、単に「内親王」として後宮にいたか(おそらく品位も持っていた)、
あるいは「妃」という、内親王しかなれない令制の后妃の地位を持っていたかどっちか。 >>959
呼び名も、藤壺の女御、じゃなくて、藤壺の宮、だよね。女御よりも宮のほうが位が高い、てことだよね。
品位を持ってたんなら、女御としての収入よりも多かったのかな? >>955
そう、藤壺の宮の母は皇后だよ。
女三の宮の母親の源氏女御(藤壺の女御)の母親は更衣。 >>955
>>952さんの言う通り、先帝の四の宮がたいそう美しく、亡き桐壺更衣にそっくりと聞いた桐壺帝が、四の宮の母后に入内をお願いしたら、母后は、四の宮も桐壺の更衣のように弘徽殿の女御にいびり殺されるんじゃないか、て気にしながら亡くなってしまうんだよね。 もし、左大臣が藤壺の宮の立后を陰ながらでも支援したとするならば
左大臣の孫娘(頭中将の長女)を冷泉帝の女御にするための布石という考え方も出来るかも >>961
皇后なのになぜか息子は東宮になれなかったんだよね
桐壺帝の血統に負けちゃったんだろうけど、桐壺帝も後ろ楯無いから右大臣から弘徽殿を左大臣に大宮を嫁がせてるのに
先帝が若いうちに亡くなってしまったからか 桐壺の更衣と藤壺の宮は何でそっくりだったのかな
宮の実母である皇后とどこかで血縁関係があったのかね
結局源氏は母を追い求め続けていたともいえる 左大臣家が藤壺に陰ながらでも支援していたら藤壺がライバルの秋好入内に関わらないと思うよ 東宮や天皇の添臥は正妻候補とされるので冷泉帝に最初に入内したのは秋好が先か
新弘徽殿が先か、読み返してみる >>968
新弘徽殿か先だよ。たぶん冷泉が東宮時代に結婚したんじゃない?
だから源氏は焦って、棚ぼたで手元に来た斎宮を、冷泉の後宮へ送り込んだんでしょ。 >>959
内親王は結婚後も「宮様」って呼ばれてたりするよね、のちの和宮様も降嫁後に御台様と呼ばれるのを嫌い「宮様」と呼ぶように言ったみたいだし 藤壺の後見は兄の兵部卿宮だよ?
里帰りして冷泉を生んだときも兵部卿宮が側にいたし桐壺帝が亡くなったときも藤壺が帰る先は兵部卿宮のところだったし
ただ藤壺が14歳で入内したばかりのときは兄宮もまだまだ若かったはずで
でもその時点で兵部卿宮が結婚していたなら正妻の実家の支援を受けてそれで妹を後見していたのかもしれん
そう考えたら兵部卿宮が正妻に頭上がらないのも理解できるんだよね 藤壺の後見が兄だとも書かれていないんだよな
冷泉の後見もしなかったし >>971
今も昔も、内親王、て女性のほぼ最高位だからね。 いや藤壺の後見は兄だし。
入内する時も、兄がその気になって云々書かれてたし、出産にせよ出家にせよ、いつも
兵部卿宮が側にいて面倒みてたやん
兵部卿宮からのちに式部卿宮になるけれど、兵部や式部の長官だから、品位の収入以外に
その収入とかもあるんだよ
冷泉の後見が源氏なのは、母方である藤壺側が、兵部卿宮をはじめみな親王であって、
政治に関われないから。
「御母方の、みな親王たちにて、源氏の公事しりたまふ筋ならねば」って原典に書いてある。 >>974
源氏が冷泉の後宮に入れた王女御に力添えしてくれないって藤壺の女院に愚痴ってたよね
「源氏の君の奥方は兄上の姫さまではありませんか」と女院から言われて、
「源氏の君は“後宮が賑わうのは結構なことです”と言うばかりで一向に…」ってモゴモゴ >>978
あげく、秋好を養女にして入内させるしねwww >>980
乙です
>>978
あれ不思議だなあって思ってた
王女御は藤壺の姪で兵部卿宮は後押しを頼むなら源氏より藤壺に頼んだ方がずっと効果的だよね?
藤壺は冷泉の母后で母親が後押しする姫なら冷泉も気にかけるだろうし
なんで藤壺でなく源氏?
それとも藤壺にも当然後押しは頼んでてその上で冷泉の後見である源氏にも王女御を支援してもらい、王女御の入内をより有利なものにしようとした?
その頃はまだ源氏も秋好を入内させてはいなかったし >>981
源氏は、自分が須磨流しされてる間紫の上に冷たかった兵部卿の宮を許せなかったんじゃない?
後宮政治にも参入したかっただろうしね。 新スレ乙です
>>982
981が言ってるのは、
『兵部卿の宮は』何故冷泉の実母である女院ではなく源氏に後押しを頼もうとしたのか
ってことだよ
須磨の件で紫の上に何も気配りしなかったせいだというのは兵部卿の宮自身がそう考えてる描写があったし、
源氏も紫の上にはっきり言っている
>>981
斎宮の入内を源氏が女院に相談した時点では、まだ王女御は入内してない
女院は斎宮が入内する予定だと知っていて、兵部卿宮は斎宮のことを知る前に源氏に王女御の件を仄めかしたんだと思う
源氏は須磨の時のことで兵部卿とは壁ができてるから、斎宮入内については話さなかっただろうし
女院が兄宮に“斎宮が入内する”と話した描写はたぶんなかったよね?
それから宮が紫の上に手紙で源氏への取り成しを依頼→源氏拒否→紫の上困惑
で、後々中宮冊立時に「やっぱり源氏の君は王女御の後押しをしてくれなかった…」とガックリ
斎宮の入内と中宮冊立は「あくまでも母后である女院の意向」という建前で源氏が押しきった >>983
なるほど、そういうことなんですね!
兵部卿の宮、源氏が須磨に流された時の紫の上への仕打ちを考えても、復活した源氏が応援してくれると思ってたんだろうか? 紫の実父なのに彼女が心細い時に見捨てた、と源氏は怒って縁を切ってしまったけど、源氏にしても実父に相談もなしに姫を自宅に連れて行って育てて妻にしてしまった
源氏も実父を立ててきちんと婿として振る舞えてなかったよね
それらがかなり後になって女三宮の降嫁話につながってる気がする 時代が違うとはいえ、新潟で養女拉致監禁事件とかあったよね
10年以上行方不明の >>985 源氏にしても実父に相談もなしに姫を自宅に連れて行って育てて妻にしてしまった源氏も実父を立ててきちんと婿として振る舞えてなかったよ
確かにね。全く自分の都合だけだったよね、源氏。 本当なら死期を悟った祖母が父親に紫の上の引き取りを連絡すべきだったんだよね
いじめられるかもしれないからと手元から離さなかったようだけど少なくとも衣食住の面倒くらいは見てくれるだろうし
自分が死んだ後が心配と言いながら何もしてないとこが怖い いや普通に祖母の死後は父親に引き取らせるべく連絡は取っていたけれど、源氏が
うまいこと父親が引き取りに来ることに決まってた日の前日にさらっちゃっただけ。 少納言だけ一緒に来るよう伝えて連れてきたから、残された女房達がおろおろしてたもんね >>989
まあそうなんだけど、兵部卿の宮の元で育ったら、紫はあそこまでの貴婦人になれたかな?
藤壺の姪という基本はあったにしても、ある意味紫の上は源氏の作り上げた"作品"だと思うんだよね。 >>980
新スレ乙です
原作読むと藤壺は母皇が亡くなって実家に1人で住んでいたけど(もちろん本当の一人じゃないけど)、桐壺帝が自分の内親王と同じようにお世話するから参内してくれと誘われて、後見の人達や兄宮たちに勧められて参内している
勝手にさらった源氏も悪いけど兵部卿宮もあとで事実を知って喜んでいたしな
姑らしいことはあんまりせず、窮地で冷たい態度を取られたのに頼み事は聞いてくれっていわれてもなぁ 兵部卿宮は親王の中ではかなり有力な人だと思うが政治に携われる人達に比べていろんなところから入る副収入がどうしても少ないんだと思う 980さん新スレ乙です
兵部卿宮→式部卿宮になるくらいだから格の高い親王だよね、式部卿は親王のがつく役職の中でかなり格上だと読んだことがあるわ
とはいえ親王は政治関与できないし、高貴で格式高いけど実権はない感じなんだね
紫が行方不明になった時に必死に探そうとはしなかった、って小納言が後で言ってたけど、奥さんがやかましいし何となくうやむやにして日が過ぎちゃったんだろうね
悪い人ではないけどおっとりして頼りないイメージ >>993
藤壺の宮と同母だから、母は皇后という最高位の宮さまだよね、兵部卿の宮。 >>991
源氏が願ったことだもんね、幼い頃から育て上げて素晴らしい女人に仕上げてみたい、って
仕上がりは十分どころか想定以上だったと思う、源氏に絶望しつつも最期は源氏を人間愛で包んで逝ったんだから(あさきでは)
原作だとそこまでの境地にはたどり着いてないのかな? 悟りを開いた感はあったけど、明石中宮が臨終で手を握っていたと書いていたけど、夫の源氏については記述がない
陰陽師や医者でも呼びに行ってたのかな
臨終に源氏がいないのは紫の源氏への心理的距離と言う人もいるけど、はてさて。 このスレッドは1000を超えました。
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