あさきゆめみし 第九十九帖
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いづれの御時にか、駄スレ、良スレあまたさぶらひたまひけるなかに、
いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふスレありけり。
語りませう。
この板は全年齢対板なのでエロ話がしたい人はpink板へ
ここは漫画あさきスレなので専門的な史実ネタや原文ネタはほどほどに
史実ネタは日本史板へ、原文ネタは古文・漢文板へ
あさきゆめみしに描かれていない人物及び竹河の巻ならびに
後世に執筆された雲隠六帖について語りたいお方は下記のスレへ
紫式部、源氏物語スレ 二帖
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/book/1578572479/
まったり雅に平和に語り合いましょう
次スレは>>980なる方が立てる定めなりにけり桜人
前スレ
あさきゆめみし 第九十八帖
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/rcomic/1595812820/
VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvv:1000:512:: EXT was configured
VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvv:1000:512:: EXT was configured 花散里が、三条の姫君がかわいそうだと言って、夕霧が「姫君なんて柄じゃない、鬼みたいなのに」
とか答えるんだよね
落葉宮の件で >>842
雲居のことだよ。
かわいらしい初恋が結婚10年後には倦怠期+夫婦の危機になってる状況で、花散里が雲居を思い遣って夕霧に言った言葉だね。 雲居雁と夕霧って倦怠期には見えないけどなぁ。
まだ赤ん坊の子供はいるし、痴話喧嘩していちゃいちゃしてるし。 雲居雁が夕霧の人生の伴侶なのは間違いないよ
というかこの話題も何度もループするからまたかって思うわ 夕霧夫婦だけはリアリティあるね
他の登場人物は風流面ばかり強調されて生活感ないのに >>847
父親の源氏がいつまでも現役感出してるもんね。
結婚10年経つ子沢山の家庭の描写がリアルだったわ。奥ゆかしい未亡人宅から自宅に帰ってみると、散らかって所帯じみた中に髪振り乱して育児してる妻が…ってやつ。
子ども何人も抱えてワンオペ育児してる妻(雲居は乳母や女房もいるから厳密にはワンオペではないが)からしたら、風流?!寝言言ってないで自分も育児しろ!だけどね。 >>849
雲居の雁って、父親は頭の中将で。離婚して出て行ってるけど母親は皇族の出で、 >>849
雲居の雁って、父親は頭の中将で、離婚して出て行ってるけど母親は皇族の出、と、血筋は良いよね。 所帯染みたというけど夕霧も子供を放置して新弘徽殿のところに雲居雁が遊びにいったのを文句言ってるんだよね
自分たちの子供を乳母任せにせず育てたいと願ったのは2人とも父母からの愛が足りずに育ったからで
雲居雁はもう十分すぎるほどそれに応えて頑張ってるのにこれ以上求めるのは酷いなって思うし
完璧な人間なんて居ないんだから風流や恋愛関係は他の女君に求めるのでバランスは合ってるんだよね 原作では、風情はないけどいつまでも若々しく美しいって描写だし
あさきはちょっと現代のママ達の事情により過ぎというか、かぶせ過ぎかも
月を見たがらなかったのも、育児でそれどころじゃなかったからではなく、
夕霧の浮気と夜遊びに怒って不貞寝してただけだし 夕霧と雲居の雁は友達夫婦
お互い言いたいこと言い合って気を使わなくて良い関係ってなかなか無い
離婚して完全に別れてしまったらお互いにきっと後悔してたと思う >>852
自分たちの子供を乳母任せにせず育てたいと願ったのは
そんな現代の価値観な描写なんてあったっけ?
雲居雁が子供達の相手をしているシーンは確かにあるが、乳母は当然いると思うが。 雲居が先頭に立って子育てしている場面は赤ん坊が具合が悪くなっている場面とかあるけどね
鬼発言だってまったく奥方はおっかなくなってっと夫婦の愚痴みたいな感じで全然切羽詰まってない 浮気事件の時なんてこの鬼さんは 風流ともののあわれの美学の世界の中で夕霧夫婦の別居騒動は異質で面白い
夕霧は宇治編でも最高権力者らしさを発揮して、道長的 >>856
続きです
おっかないけど姿はかわいいからにくめないなあ
とか
このおにさんはこわくなくなっちゃったもう少し威厳があればなあ
とかからかってるんだよな
すべてか一かじゃなくてどっちもほしいんだよ
落葉とうまくいかなかったときに雲居の時と比べて何でこっちはだめなんだろうとなげいているくらいだし 倦怠期どころか、雲居雁はやきもちやいては拗ねて怒って、そのたびに夕霧は
からかって遊んでいちゃいちゃに持ち込んでるし、夫婦喧嘩は犬も喰わない系だと思うわ >>859
ほんとだねえ。
倦怠期って書いたの私ですが、皆さんの考察読むと倦怠期というより、幸せな10年を過ごしてたら突然飛び込んできた夫婦の危機だよね、失礼しました。
ラブラブで沢山の子どもにも恵まれて日々を過ごしてたら夫は自分とまるでタイプの違う未亡人に惹かれちゃってまさかの展開→青天の霹靂に怒ったりケンカしたりで別居→でもお互いのため子どもたちのためにもやり直そう→子どもの出仕や縁談のために夫婦で協力
キレて実家に帰る、って源氏の女君達にはなかったストレートな行動だよね。 >>860
帰れる実家のある雲居の雁を、紫の上は羨ましいがってたよね。 あさきに書かれてない竹河での夕霧って、愛息子が振られてやつれてるのを
雲居雁が心配して泣くので困って「自分が無理言って頼めば良かった」とか
言ってたけど、どちらかというと夫婦で協力というより、雲居雁が心配してるから
ほっとけなくて…みたいに見える
妻の涙に弱いんだね、みたいな。 >>861
実際は雲居母は頭中将と別れてるし夕霧と結婚するまでははぐれ者みたいな扱いだったね
雲居雁を入内させようとしてやらかしちゃったけど頭中将が父親としてしっかりしてるのが大きい >>863
源氏とつるんで遊んだり、青海波を舞って絶賛されてた若い頃も面白いけど、中年期以降の頭中将の父親っぷりは何かいいよね。
雲居のことも幼少期は放置だったけど、夕霧と喧嘩して実家に戻ってきた雲居への対応は良かったよね。
式部卿宮も長女(髭黒の北の方)を実家に呼び戻したり「わたしが生きている限りはお前たちを笑いものにはさせぬ」って守ろうとしたり、この人もちゃんと父親だなと思った。紫とは疎遠それが残念な感じだけど。 式部卿宮は、どちらかというと頭中将と対比すると一徹で政治下手みたいな描かれ方じゃない?
式部卿宮は自分から娘を迎え取って夫婦を別れさせ、孫娘も父親に会わせず、あまり
幸せでない結婚をさせて娘も孫娘もそんなに幸せにできてないのに対して、
頭中将は実家に戻ってきた娘をたしなめつつも受け入れて、一方で相手の女を脅して
圧力をかけ、結果的には離婚回避させて娘も孫も幸せになってる
そこらへん、二人の器量の差が歴然としてると思うわ >>865
式部卿宮は立ち回り下手だよね、娘や自分のプライドが傷つけられて意固地になってる印象。
髭黒と北の方の一人娘なら大事なお后がねでしょうに、父親と絶縁させて蛍兵部卿宮の後妻にしちゃうし(蛍本人も乗り気ではなかったみたいだし)
式部卿宮は藤壺の同母兄で紫の実父なんだから、源氏相手にうまく立ち回れてたら色々と違ったでしょうね。
夕霧には何も言わずに落葉宮にさらっとクレーム入れた頭中将はやり方が上手いよね。 そこはやっぱり鷹揚な育ちの親王家とバリバリの政治家一族との差なんじゃないの 源氏の子供たちは親を困らせない優等生ばかりでつまらないね >>866
式部卿宮の正妻が強い女なのかな〜、て思った。妹は離婚させられるし、あんまり幸せじゃない姉妹だよね。 >>868
ほんとだね
事実は別にして表向きは源氏の子どもは長らく2人だけだったし、夕霧もちい姫も優等生タイプ。
「お父さまの言う通りになんてならない!」なんて反抗したり、雲居みたいに幼馴染の男の子とこっそり深い仲になって入内不可になる展開はなかったね。
頭中将は長女の入内や後見に気をとられて雲居のことは「そういやもう1人姫がいた」くらいの扱いだったから詰めが甘いよ、入内させたいなら幼少期からそのつもりで養育しなきゃね。 >>870
后がねとして育てた総領の姫が中宮になれないとは思わなかっただろうからね
そこは運が悪かったとしか >>800
「上」の呼称は「明石の上」にも使われるし正室という意味はないよ
よく言われるけど六条院には北の対がなかったんだよね
>>803
明石姫は入内前、紫と一緒に春の御殿東の対に住んでいた
「野分」で夕霧が源氏のところに台風のお見舞いにやってきて
明石姫のところにいると聞いて春の御殿「東の対」に行くと思いがけず紫を見ている
宸殿は主人である源氏の住まいだったが
女三宮が降嫁したとき北の対がないものだから宸殿西側に源氏と同居した
宸殿東側は入内後の明石女御の里御殿になっていたけど
明石女御が宮中にいるときはこれまで通り源氏が使っていた
源氏が夕霧や柏木たち若者を宸殿東側に集めて庭で蹴鞠をやらせて
そのときに柏木は女三宮を垣間見ている >>872
屋敷の中で「上」と呼ばれるのは「主人」である人のこと。
妻の種類を意味する呼称ではないけれど、妻の中で「上」と呼ばれている人がいたら、
その人がそこの女主人であることを示すので、北の方・正妻を示すことが多い。
六条院の主人である光源氏が主に住んでいる春の御殿で紫の上が「上」と呼ばれていた
ということは、彼女がそこのエリアの女主人であることを示すので、つまり紫の上が
正妻「格」として扱われていたからこその「上」という呼称だった、という意味。
ちなみに明石の「上」という呼称は間違いというか、原典では決して「上」とは呼ばれてないよ
なお、「野分」で夕霧が紫の上を覗いたのは、夕霧が明石の姫君のところに来た時じゃなくて
光源氏のところに来た時であって、ちょうど光源氏が明石の姫君のところに行っていて
いなかった時に、夕霧が光源氏と紫の上の居所にやってきて、紫の上を覗き見したんだよ
紫の上の居所と明石の姫君の姫君の居所は一緒ではなくて、夕霧は明石の姫君の居所では
御簾の内にも入ることを許されていたけれど、紫の上の居所では許されてなかった。 明石姫がこきでんさまのような娘なら個性的でよかったね
明石姫は今上と不仲、今上と愛人に圧力かける源氏だったら道長への嫌がらせになったかな >>872
そうなんだー。平安時代のお屋敷って北と西と南と対屋が全部あるとは限らないとは聞いたことあったけど、六条院も北の対がなかったんだね。
そういう事情があって紫は女三宮に挨拶しに行った時に「寝殿…正妻の住まう館」って滅入ってたのかも? >>873
なるほど…
なんかこうなると、源氏恐るべしなのか紫式部恐るべしなのか分からなくなるね… 屋敷の中心である寝殿は大切な来客をもてなしたり宴会開いたり何かの儀式を行う場所でもあった
寝殿東側が饗宴や儀式等に使われることが多く、西側が居住スペースに使われたりしたらしい
そう考えると寝殿に住んでて今一つ嗜みに欠ける女三宮が
寝殿の庭で行われた蹴鞠に出席した柏木に垣間見られたのも不自然ではないことなんだよね
もし六条院に北の対があって女三宮がそこに住んでたら
柏木が女三宮の姿を見ることはなかったかもしれないしあそこまで恋に狂うこともなかったかも >>875
> 平安時代のお屋敷って北と西と南と対屋が全部あるとは限らないとは聞いたことあったけど、
訂正。北と西と東、です。
南側は池や庭なことが多かったみたいね。 >>872 六条院には北の対がなかったんだよね
そうなんだ!北の対がない、なんて、構造上可能なの? >>873
だから「上」に正妻(格)という意味はないから
源氏の正室である葵は原典で一度も「上」と呼ばれていない
二度目の正室である女三宮も勿論一度も呼ばれていない
夕霧の正室である雲居雁も一度も「上」と呼ばれていない
明石姫君は入内まで春の町東の対西面にいた(紫は東面)
「藤裏葉」で冷泉帝と朱雀院が六条院へ行幸して春の町宸殿で宴を催しているが
当然、この時、宸殿に明石姫は住んでいない
「野分」でも源氏と明石姫が宸殿にいるなら夕霧が東の対へ来る理由がない
明石姫は入内後に六条院での居所を代えている
妊娠して里帰りしたときに「姫宮(女三宮)のおはします御殿(宸殿)東面に、
御方(明石姫)はしつらえたり」と新たな居所を用意している >>880
いやだからさ、前も言ったけど、「上」と呼ばれる女性は屋敷の女主人なの。
男の屋敷で男の妻である女性が「上」と呼ばれてたら、普通は正妻でしょ。
紫の上は源氏と同居して「上」つまり女主人扱いされてたから、正妻格だったということなのよ。
葵は親の屋敷に住んでいて母大宮が健在だったから、そもそも、屋敷の女主人ではないので
「上」とは呼ばれなくて当然。
女三宮は、正妻だけど屋敷を仕切る女主人は紫の上だったからか、「上」とは呼ばれないね。
ただそもそも内親王は「北の方」とすらあまり呼ばれず、宮様としての呼称が優先するから。
雲居雁は「北の方」の呼称が多いけど、「上」と呼ばれることもあるよ。
三条邸の女主人だからね。 明石の姫君と紫の上の居所は色々論文もあるけど、一つの有力な説は
明石の姫君の養育中は、紫の上(と源氏)、明石の姫君で寝殿を東西2つに分けて住んでいて、
入内前後以降は東の対に住んでいた説。
他、明石の姫君は寝殿、源氏と紫の上はずっと東の対に住んでいた説などある。
どの説でも、明石の姫君は常に寝殿住まいだよ。
入内する予定の姫君は、寝殿に住まわせて将来はそこを里内裏にするのが普通だからね。
源氏は、明石の姫君を寝殿に住まわせて、自分は紫の上と東の対に住んでたんだよ
(その当時紫の上が寝殿に住んでいた説を取るなら、寝殿を明石の姫君と分けて住んでいた)
とりあえず、紫の上の居所と明石の姫君の居所が別だったのは確かだよ >>880
藤裏葉で冷泉帝と朱雀院が六条院に行幸したときは、明石の姫君は東宮入内後だよ。
入内するような姫君は、当然寝殿の南面に住むわけなんだけど、入内後に女三の宮が
六条院に来たので、女三の宮が西面、明石の姫君は東面と分けて住むようになったんだよ。
明石の姫君の裳着前の香合わせのところで、源氏が「寝殿に離れおはしまして」香を
調合していて、紫の上が「東の中の放出」で香を調合していた、という記述があるので
源氏は普段は紫の上と東の対に住んでいて、明石の姫君が寝殿住まい、源氏は
なにかあるときに寝殿を使っていた…という感じだったんだと思う。 >>879
詳しくはないんだけど、東三条殿(道長父の邸でその後も代々使われた)の復元図を見てても北の対がないっぽい。お屋敷によりあったりなかったりだったのかな。
直リンクはやめとくけどこんな感じ↓
ttps://3dkyoto.blog.fc2.com/blog-entry-135.html 雲居雁は、「横笛」で赤ん坊が夜泣きして起こされた場面で「上」って呼ばれてるね。
「乳母も起き騒ぎ、上も大殿油近く取り寄せたまて、耳挟みして」っていう、
例の髪はさみシーン。 宇治にある源氏物語ミュージアムの
六条院の模型には北の対の屋があるみたいだけど、
実際にはなかったということかな? 手元の「源氏物語要覧」の六条院想定図みたら、普通に北の対の屋あるんだけど。 >>881 ただそもそも内親王は「北の方」とすらあまり呼ばれず、宮様としての呼称が優先するから。
葵や頭の中将の母も、大宮、て呼ばれてたよね。 源氏物語ってフィクションだし六条院も実在した建物じゃないから
六条院に本当に北の対があったかどうかなんて誰にもわからないと思う
わかるのは当時の貴族が住んでた寝殿造には北の対があったものもあるしないものもあったということと
源氏物語中に六条院の北の対の描写がなかったということ(詳しくは知らんけど)くらいじゃないかな あけおめです。
この時代って年賀状あるのかなとふと思って検索してみた。紫式部と大体同じ時代を生きた藤原明衡という貴族がまとめた手紙の文例集の中に、年始の挨拶の文例があったらしい。
ハガキではないけど年始のご挨拶の文をしたためる文化はあったみたいだね。ちい姫も明石宛にお返事書いてるシーンがあったし。
源氏のとこにはあちこちの女性から届いて紫がチェックしてたかもw >>890 源氏のとこにはあちこちの女性から届いて紫がチェックしてたかもw
現代のスマホチェックみたいなものだよねwww
紫の上はそんなゲスいこと、してなかったんじゃない?源氏から、こんな手紙が来たよ、て見せられたら別だけど。 >>892
言われてみればそうだね、紫が自分から見るんじゃなくて源氏が(頼みもしないのに)見せてきそう 現代のスマホしかり、人の文を見る見ないって修羅場の元だよねえ
柏木から女三宮への文を見ちゃった時も、「柏木は色々あからさまに書きすぎ。従者が落としたり手違いで人が見ちゃったりする危険性があるんだからもっとぼかした書き方にしないと」って文の書き方にも怒ってたような
源氏は長年の経験(修羅場込み)で文の書き方を心得てたんだろうね >>896
柏木って、小侍従みたいな召人はいても、源氏みたいな百戦錬磨じゃなさそうだから、そりゃあ文の出し方も源氏に比べたら素人っぽいでしょwww 夕霧も真面目だけど柏木も真面目でそんなに遊び歩かなかったよね
源氏は六条御息所とのやりとりで手紙のルールみたいなものも盗むでもなく学ばせてもらってたから女性の扱い上手くなったんじゃないのかな
葵の上みたいな意固地なタイプでも手慣れてきた頃の源氏なら上手く付き合えたんだと思う >>898
その手紙の書き方とか教えてくれた六条に葵を祟り殺されたんだよな、源氏は
それで六条がお見舞いの和歌を寄越したんだけどその返歌に源氏が書き添えたのが
「思い詰めるのも無理もないことですがお忘れになるのがよろしいでしょう」と
はっきりとは書かないけど「葵を祟り殺したろう」とほのめかしてなおかつ表面では相手を労っているような文面
でも六条本人にはわかるという
自分がいろいろ教えた年下の恋人にこんな形で引導を渡されてしまうのも悲しいよね 想いの深すぎる人は重い上にストーカー化して実害が出てるんだから切りたい罠 >>898
そうだね
柏木ははけ口として小侍従やその他の召人はいたっぽいけど本命はずっと女三宮だったから、恋文が上達?する機会がなかったのかも
葵みたいな気難しい美人のことも、遊び人になってから出会ってたら落としにかかったでしょうね
葵とは厨二病というか藤壺への秘めた想いを抱えて悶々としてた頃に夫婦になったからねえ あの頃は生真面目な少年だったな 柏木の手紙を源氏に読まれたシーンでは女三宮と一緒にガクブルした >>902
あのシーンは怖かったよね
女三宮が座布団の下に文を突っ込んだ時に危険な雰囲気だったもん
その後源氏が二条院に帰ろうとした時に女三宮が引き止めなかったらバレずに済んだんだろうか >>903
女三宮って物を片付けた経験なんてなかったと思う
何も考えず女房に物を渡しておけばなんでも女房がやってくれてそれが当たり前で
源氏が来たから文を隠せなんていきなり言われてもパニックになるだけで
もう子供みたいに自分の一番近くの適当な所に隠すしかできなかったんじゃないか
あれは小侍従が悪いよな
女三宮に任せきりにせず自分が持っとくべきだった >>905 女三宮って物を片付けた経験なんてなかったと思う
そうだと思う。小侍従が悪いよ。 女三宮は生まれついての貴人だから、装束とかも全部用意してもらって着せてもらってが当たり前だろうしね
取扱注意な文を瞬時に適切な場所に片付けろと言われても厳しいよね 小侍従って柏木には同情してたけど、女三宮には内心嫉妬や苛立ちがあったんだろうね >>908
私が柏木さまから色々言われてあれこれ悩んでるのに女三宮さまは何とまあのんびりと…(いつものように猫と戯れる女三宮を見て)って呆れてる場面があったね
最上級の高貴な身分に生まれて大勢にかしずかれつつ六条院に降嫁、何不自由なくのんびり暮らして(六条院の女主人としての役割的なことは紫がやってるみたいだし)、尚かつ若い貴公子にも熱烈に愛されてる彼女への嫉妬もあったのかな 女三宮が不思議ちゃんでぼんやりした子と言う設定は今見ると時代を感じる
スポーツ観戦が趣味の元気な子なのに >>910
そうなんだ意外〜原作の女三宮は何のスポーツが好きなの?
あさきのキャラデザは結構尖った解釈なのかもね 女三宮が源氏に降嫁して心ならずも六条院を滅茶苦茶にしてしまったのは、
女三宮の父朱雀院が無意識のうちにそれを望んだ説は定説だけれど、
彼女の母女御の遺志もあったと思う
原作では女三宮の母の源氏女御(藤壺女御)は、
「皇太子だった頃に入内して、中宮におなりになってもよろしい高貴な身分の方だったが、
朱雀帝の後宮には朧月夜がいらして、弘徽殿大后のバックアップもあったので
源氏女御様は気おされてしまい、
父帝は既に亡く、ご自身が更衣腹で後ろ盾となる有力な外戚もなかったこともあって、
後宮での争いに敗れ、源氏が都に戻られて朱雀帝が譲位なさると、
希望をなくし、「この世を恨んだような様子で」亡くなられた」
源氏女御は没落の原因となった源氏の事も恨んでいた筈
女三宮はその母の無念を知ってか知らずか、源氏に嫁ぎ不義の子を産むことで果たしている >>911
蹴鞠
あさきでは「まあ貴公子たちが楽しんでいらっしゃる、三宮様もご覧になってはいかが」という女房に
「別にいいわ、わたくしは……」と関心がなさそうに猫と戯れているけれど
原作では「蹴鞠をご覧に御簾の際まで近づいて」とあるので好きな筈 原典だとおっとりしているけどぼんやりした子ではないからね
源氏と軽い冗談交わすくらいには割と陽気な子 >>913
蹴鞠が好きならなおのこと蹴鞠の上手い柏木と結婚すれば良かったのにね
源氏は若い頃でも蹴鞠が苦手だったと言ってるし >>913
女三宮は猫>>>>蹴鞠
柏木に見られたときも女房たちは蹴鞠に夢中だったのに女三宮だけ猫を気にしてそっちのほうを見てたし >>912
そうなんだ!知らなかったわ〜。女三の宮の母女御って、そういうかんじだったのね。
そりゃあ、女三の宮は知らなくても、周りはなんとなく反源氏だったんじゃないかな?
さらに、無意識の上とは言え、父帝の思惑通り六条院をぶっ壊してるしね。 >>912 ご自身が更衣腹で後ろ盾となる有力な外戚もなかった
で、源氏女御、てことは、内親王宣下はなかった、てこと?
皇女も源氏姓を賜わることあるの? 更衣腹だと親王内親王でも無品だから
むしろ賜姓源氏の方が良いってあったね
源氏が賜姓源氏なのもそういう理由だったような >>916
柏木も猫可愛がれるタイプだから
二人してネコまみれの生活送れば楽しそう >>919 >>920
そうなんだ!ありがとうございます!
じゃあ、娘が二品の宮にまでなって、亡き母女御も満足だったかな? 朱雀帝の後宮の様子はメインじゃないからほとんど出てこなかったね
尚侍の朧月夜が源氏との密通がばれてヒソヒソされてるくらい
三宮が生まれる前くらい藤壺の女御とバチバチしなかったのかしら?
夕霧がもし帝だったら一日おきに各女御のもとに通うのだろうかw >>923
もし夕霧が帝だったら、そうだね1日ずつまんべんなく通って何ならシフト表とか自ら組んだりしてw
お妃達も嬉しいような違うような >>912
>源氏女御は没落の原因となった源氏の事も恨んでいた筈
これはあなたの個人的な解釈だよね?
あさきにも原典にもそういう内容は無かったような
女御の没落の原因は源氏じゃないと思うけどな
恨むなら弘徽殿大后一派じゃないのかね
源氏が須磨にいる間に女御が華やいでたならわかるけど、ずっと朧月夜が一の人だったわけだし 女三宮の母は藤壺中宮の腹違いの妹だし間違いなく弘徽殿大后に目の敵にされてただろうね
今上帝の母親も朧の寵愛に押され続けて皇子が東宮から即位前に亡くなったんだっけ
この妃たち視点で考えると朱雀の退位後にまた源氏と関係結んだ朧はほんとありえない >>925
うん、あさきにも原典にも女三宮母が源氏を恨んでいたような描写なんてなかった
女三宮母が不遇だったのは確かだけどそれは源氏のせいじゃないし
ままならぬ世の中そのものを嘆きながら死んでいっただけで源氏への恨みなんて原典読んでても微塵も感じなかったわ
あと朱雀が六条院の崩壊を無意識に望んで女三宮を降嫁させたのが「定説」になってると>>912さんが言ってるけど
このスレでもしかしたらそうだったのかもねーと雑談としてそういう話題が出たのは私も何度も見たけど
研究者の間で定説になってるかどうかは聞いたことない
本当にそんな定説あるの? >>926 この妃たち視点で考えると朱雀の退位後にまた源氏と関係結んだ朧はほんとありえない
まあね、全くその通りだと思う。朧月夜のせいで朱雀は中宮も立てられなかった(立てなかった?)んだろうし、まあだからこそ源氏の繁栄にも繋がってると思うと、源氏よくぞ朧月夜と関係持った、て言えるよね。 穿った見方に固執する人は何故か定説を主張するのが常態 朱雀帝は朧月夜のせいで中宮たてられなかったんじゃないと思う。
推測ではあるんだけど、藤壺・弘徽殿以外にその当時誰かもう一人、古い后がまだ生きてたんじゃないかな
后というのは同時に3人までという決まりで、冷泉帝の中宮が立てられたのも、藤壺が
亡くなって后の位が一つ空いたからだと思われるんだよね、タイミング的に。 朱雀帝は朧月夜のせいで中宮をたてらなかった〜を繰り返し言ってるのは同じ人なのか違う人なのかわからんけど
文体が独特だな >>932
朱雀帝のウィキにそう書いてあるんだけど。 朱雀のWiki見てきた
朧のせいで中宮をたてられなかったなんてどこにも書いてなかったよ? wikiってたまにトンデモな解釈をそのまま書いて訂正されてないこともあるから、
wikiを根拠にするのもどうかって感じだけどねw
朱雀院に中宮がいなかったのは有力な妃がいなかったから、という説もあるけれど
原典にそう書いてあるわけじゃないから、あくまでそれも説に過ぎないんだよね 朱雀腹黒説、中の君中宮薫後見説、夕霧没落説、雲居半分妻説に加えて、源氏宮の源氏怨恨説、古参皇后説か
なかなか面白くて良いね
定説じゃないけど でも朱雀在位中は右大臣家が強いし怖い弘徽殿大后が睨んでいるから朧以外が中宮になれる雰囲気は無さそう
後ろ楯弱くても藤壺中宮くらいに寵愛受けて妃腹で皇子も産んでたり条件が揃ってるという女御はいないし
桐壺帝に守られた藤壺中宮と違って、弘徽殿大后相手だと夫の朱雀も中立程度で味方になってくれそうにないし >>937 朱雀在位中は右大臣家が強いし怖い弘徽殿大后が睨んでいるから朧以外が中宮になれる雰囲気は無さそう
ほんこれ。妃たちは右大臣家の威光に押され気味で、臣下たちも右大臣家に遠慮して、朱雀帝自身が朧月夜を一番愛してたしね。 実際、尚侍から中宮に立った例はあるようだから、もし朧月夜に子ができていれば立后したかもね
他の女御達は後ろ楯が弱かった 少し調べてみたけど。
后位には、皇太后、太皇太后、皇后と三つあって、その内皇后が=中宮と呼ばれていた。
この三つが埋まっていると、その他に皇后を立てることは元来できなかったけれど
藤原道隆が、強引に定子を四人目の后にし、当時の皇后(円融后)を皇后宮、定子を中宮とした。
その後、道長は道隆の掟破りを利用し、娘彰子を中宮、定子を皇后にして
一人の天皇に二人の后を立てる慣例を作った。
源氏物語の時代はまだ后が3人までの時代がモデルなので、冷泉帝の中宮が
藤壺中宮の死の直後に選ばれていることを考えると、后の誰かが亡くなって
座が開くまで朱雀帝は后を立てられなかったのではないか、という仮説かと思うけど
桐壺帝の后を選ぶタイミングを考えると、誰か后位が空いたからというのでも
なさそうな感じでもある…
藤壺の母后は藤壺入内前に亡くなってるし。
后の人数が3人までで、空きがないと立后できないのも条件の一つかも知れないけれど、
空きがあっても有力な皇妃がいないと立后を行わないのかも知れないし、
よく分からないね。
朱雀帝の中宮は、本来は承香殿女御が立つべきだったんだろうけれど
権力者の右大臣が嫌がったとかあったのかも。 レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。