あさきゆめみし 第九十九帖
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いづれの御時にか、駄スレ、良スレあまたさぶらひたまひけるなかに、
いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふスレありけり。
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紫式部、源氏物語スレ 二帖
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あさきゆめみし 第九十八帖
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/rcomic/1595812820/
VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvv:1000:512:: EXT was configured
VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvv:1000:512:: EXT was configured 雲居の雁はやり直すと言っても帰ってはいないだろう
雲居の雁と同居しながら半分を別の誰か(この場合は二の宮)に通うのはめちゃくちゃ失礼だから夕霧は本宅を自分で構えて雲居の雁と二の宮それぞれに通ったのだと何かの文献で読んだことある >>502
夕霧って何処に住んでたの?当時は通い婚だよね。 >>503
六条院の夏の御殿に夕霧用の馬場があったから、そっちじゃないの? >>499
そうだね、頭中将には何か人情味がある。両親の左大臣夫妻も含めてここの家族は超セレブなのに、何か庶民ぽさがあって微笑ましいと思う。
左大臣夫妻が晩酌しながら婿殿の通いが少ないことを愚痴ったり、息子に「源氏の君にあまりはしたないことを教えてくれるなよ」って説教したり、雲居の結婚を男兄弟達がわいわい祝福したりね。 >>503
二の宮のことがあるまでは大宮の遺産の三条宅に雲居の雁と一緒に住んでたはず
まあ二の宮後は六条院(夏)に住んで二人に通い婚が妥当だろうね 調べたら、夕霧が元服した時に源氏が勉強に専念させるため三条から二条東院に移したんだった
その時に花散里に夕霧の世話を任せた(花散里なら夕霧に顔を見られても安心だからw)
その後、六条院が完成した時に花散里と一緒に移ったのかな?
でも落葉の宮と結婚した時に宮を夏の御殿に住まわせたらしいから、また二条東院に戻ったのかも 夕霧は、三条邸の雲居雁と六条院の落葉宮のもとに、15日ずつかっきり通ってたんだよ
他の屋敷なんてないよ
雲居雁と夕霧って、原典とあさきだとよりを戻した時期が違うよね
原典の方がもっと早くて、おそらく紫の上が亡くなる前にもうよりが戻ってる 藤典侍腹の子を一条の宮の養子にして夏の御殿で育ててたんだっけ
ていうか2人でかっきり半分ずつって、典侍忘れられてる…4人も産んだのに >>498
そりゃ今と違って女1人で稼ぐことも、子供を引き立ててやることもできないから
髭黒の最初の妻(兵部卿娘)だって、離婚したから子供たちの行く末みんなショボいじゃん
自分の生活だけならともかく、当時は子供の出世や結婚相手は父親の力にかかってるんだから子供があれだけいたら現実的に戻らざるを得ないんじゃない
もし離婚してたら、典侍腹の六の君が東宮妃になってて息子もあの年で蔵人少将にはなれてなかった >>509
興味本位だけど、その15日って1日交代なのか、一月の前半と後半みたいに2週間おきなのか気になるw >>511
髭黒の男の子たちは、離婚したから行く末ショボいんじゃなくて、髭黒が早死したから
玉鬘の息子たちも含めてちょっと出世が遅かったんだよ。
離婚が原因ではない。母方祖父も帝の伯父でそれなりの権力者だったし。
娘も、入内しなかっただけで別にショボくはない。
兵部卿宮の北の方→右大臣の北の方だし、入内して明石中宮と張り合うより良かったのでは?
それよりも、雲居雁が恐れていたのは子供たちを夕霧が落葉宮に育てさせることなはず
(しかし現実問題、夕霧がそんなことしたら落葉宮が音を上げてただろうけど…
いきなり7人も8人も育てろって言われたらそれだけで出家しそうだわ)
何だかんだいって、大勢いる子供たちの一人が風邪でも引いたって言えば、雲居雁は
お人好しで騙されやすいし、慌てて家に戻っちゃったんじゃないかなとか思うけど 雲居は子供もそうだけど夕霧に対してもあなたが心配って言ってくれるんだよね
子供の行く末を心配する人は多いけど配偶者を同じように大事にしてる人ってあまりいない >>506
腹違い兄弟姉妹も仲良さそうだよね。雲居の雁は夕霧と別居中に姉の弘徽殿女御の所に遊びに行ったりしてるし。まあ雲居の雁の母親が出自が良いのはあると思うけど、祖母の大宮の力もありそうなかんじ。 >>515
あれみると新こきでんもいい感じだよね
劣り腹の妹にも仲良くして、夕霧との仲を心配してあげてたり
玉鬘との兄弟としての絡みはあまり出てきてないけど >>515
あれって雲居本人にその気がなくても
結果的に雲居の人脈の太さを表してるよね
親が大臣というだけでなく女御として寵愛を受けている異母姉とも仲がいい、という
落葉なんて後見は受領で異母兄弟との交流も全然描写されてないし >>482
他の人が書いた源氏物語では、
紫上は「私には後見がいないのに」とか「私には帰る家がないから殿に頼るしかない」とか、
自分の立場を自覚しているように解釈されていたけどなあ。
あさきの紫は完全に勘違いしちゃってるが。 槿の時は不安に思ってたけどその時に正妻を貰わなかったのに四十くらいで貰うとは考えなかったんだろう
実際に正妻の仕事は任せてたし >>515
玉鬘は乳母達の判断で九州行きになった結果
実父よりも源氏の方が父親に近い立場になってしまって孤立した感じになったから
大宮の保護を得て、結婚後も絆が深い肉親に囲まれた雲居の雁は幸せだと思う >>516
無教養な歌にも、"松まつ"て返信したり、近江の君にも優しかったよね、新弘徽殿は。 >>510
典侍の娘が一番美人で出来が良いから、落葉の宮の養女にして匂宮の妻じゃん。夕霧の娘の中では一番の出世頭でしょ。 >>519
槿は女王。女三の宮は皇女腹の内親王だからね。 藤典侍も夕霧が一目惚れするくらい美少女だったよね
惟光の奥さんが美人だったのかな 槿に求婚した時は源氏は内大臣?でその時は身分的に釣り合っていた
その後四十の賀手前で太政大臣になり、紫の上と不釣り合いになったところに
女三宮の降嫁の話が出たから、実父が薨去した槿が仮に正妻になっていても
降嫁話は出ると思う >>522
雲居の長女は東宮妃で次女も宮に嫁いでる
愛人の子でという意味ならごめん >>527
そうなんだ!知らなかった、ありがとう(^^) せっかく美しい娘なのに典侍腹だと身分が低いから一条の宮に預けたんだよね
というか
>典侍忘れられてる
紫式部が藤典侍の存在を忘れて“きっかり半分ずつ”と書いちゃったのかな
合間に顔を出すくらいでお泊まりしなくなったのかな >>530
オフィスラブだねw
藤典侍には4人子どもがいるけど、宮中で逢引して産まれた子どもは彼女の実家で乳母達が育てたのかな。 というか典侍には雲居との結婚前から通ってたはずなのに結婚した途端に典侍側にも子供ができるのに草しか生えない
夕霧の種都合よすぎ 結婚するまでは、あまり表沙汰にならないように時たましか逢っていなかったけれど
結婚した後は、雲居雁が妊娠中でさしつかえがある時期(いっぱいあった筈)に
足繁く通って交互に子供作ってたんじゃないかと推察している >>533
マメだねえ夕霧w
だからこそ源氏パパに「あのまじめ者が一体どういう顔をして妻と藤典侍の間に次々と子を…」ってくすくす笑われちゃうんだね。
花散里に「それはまあお血筋でしょう」ってしれっと返されてて笑えた。 >>525
そっか… 槿はそういう状況(女三の宮の降嫁)には耐えられないだろうからね。そうなるかもしれないことを見越して、源氏を拒み続けたのかもね… 准太上天皇になんかなられたら親を亡くしてる朝顔も後見のない紫も
その正妻としてはふさわしくない
院最愛の女御腹内親王でやっとふさわしいとなる
でもまさかそれが源氏の不幸の始まりだったなんて誰が想像したろうか
冷泉は親孝行にと源氏に最高の身分を与えたのに
皮肉にもそれが源氏に不義密通の因果応報を突きつけるきっかけになってしまった
壮大な運命の歯車だねえ 40歳の爺さんの正妻の親が既に鬼籍とか別に普通だから朝顔(が正妻だった)なら世間も源氏に正妻がいないとは思わんよ 紫の上も子供で出来れば男子がいたらまた状況が違ってた 源氏が桐壺帝の妹の五の宮のお見舞いにかこつけて桃園式部卿宮邸で槿にちょっかいかけてた時に、紫の上が
「誰かの下になるなんて考えたこともなかった」とか「世間から尊重されてる姫を正妻にするかも」と言ってて
五の宮のセリフにも「あちらは兵部卿の宮の姫君といっても脇腹で正式にお披露目したわけじゃない」とある
紫の上は事実上の北の方として世間に認められてはいるし、源氏も口では「あなたの他にはいない」なんて言うけど、
本心は“どこかに最高の女がいるんじゃないか”といつも考えてて、最後に因果応報を食らうという諸行無常 >>539 五の宮のセリフにも「あちらは兵部卿の宮の姫君といっても脇腹で正式にお披露目したわけじゃない」とある
あさきでそういうシーン、あった? >>537
なるほど、そうかもね。そして、槿が正妻なら、朱雀院も女三の宮の降嫁を言い出さなかっただろうしね。 >>540
あるよ
さっき単行本の5巻を読んで確認した >>541
槿は賀茂の斎院も務めて公にも認められた存在だしね、朱雀も軽視できないでしょうね。
戸籍や届がない時代、世間に認められてるか否かが大きいんだろうなあ。
源氏も面倒がらずに?紫のことをきちんと正妻扱いして露顕して実父を立てておけば良かったのに。 紫を自分の邸に連れてきてしまった時点でもう正式な結婚は無理だし 紫は父母の出自も悪くないし、脇腹で順番が違っても父親がお金をかけてちゃんと後見していたら違っていただろうな
でも親王ということもあって財政は妻頼みだから妻の親族以外はお金は掛けられなくて藤壺の後見も出来なかった 女三宮の降嫁が決まる前に、朱雀院に仕える女房が六条院に出入りする爺さんに相談する場面で
“源氏の大臣はこれまで最高のものを手にしてきたが、こと女人に関してはそうではないと漏らしていた”
“今の北の方は宮家の姫といってもいつの間にか現れて奥さまになった”
→じゃあやっぱり内親王が釣り合うよね!大臣本人にもその気あるよね!という受け止め方で進んでた
紫の上の裳着のついでに披露宴をしていれば正妻扱いだったろうに、何でしなかったのかな >>545
紫の上は父親がちゃんと面倒をみていたら
雲居の雁のように女御候補にと父親が考えるくらいの立場になれてたよね
明石中宮だって父親の源氏が色々やったから中宮にまでなれた >>547
葵上が亡くなってからそんなに経ってないのに
お祝い事を派手に出来なかったっていうのは無いのかな
当時の貴族って外聞をもの凄く気にしてたというし >>548
秋好中宮も両親いなかったけど源氏が後ろ楯になったから女御として入内できたもんね
>>549
源氏の若気の至りもあったのかな
葵の上の一周忌くらいまで待てば良かったのに
最初から夫の家に引き取られて結婚するというのは平安時代にもあったみたいだから、
その辺はきちんと形だけでも手順を踏んであげればよかった
でも源氏的には葵の上の代わりの正妻を紫の上に、とまでは後ろ楯の面からも考えられなかったのかも >>545
兵部卿は妻が強いイメージじゃなかった?誰かの姉妹だよね。 >>550
親王、ではなく、父帝の寵愛深い源氏、という、ある意味最高に自由な立場になったもんね。世の中の常識を覆してみよう、みたいな気持ちもあったのかもね。 紫の上と婚姻する時に婿入りをすっ飛ばしたのは
兵部卿宮が舅顔してきそうで嫌だったとか >>551
北の方の出自についてはよく分かってないはず
宮の正室になるくらいだからそれなりの家の出だろうけど
式部卿の宮は先帝の皇子で藤壺中宮の兄として三条の邸を中宮の里内裏にしていたから、
経済的にも悪くは無かっただろうね
でも、もし紫の上をちゃんと養育していたとしても北の方の手前、王女御と張り合う形で入内させてはいなさそう
もしかしたら姫の婿がねを探してると中宮に相談→中宮が源氏を推薦→源氏の正室に収まる結果に、なんてことも >>551
娘の王女御と髭黒の北の方が姉妹だったね。 雲居の雁を春宮妃にとか頭中将が画策してたけど
北の方はなんにも言わなかったのかな?
夕顔はいびって追い出したけど娘の玉鬘は認知してるし
もしかしてすごく人間できた人 >>556
ライバルになる他の妻や愛人は許せないけどその子までは特別嫌わないってことでは
新弘徽殿にまだ同腹の妹がいてその子を東宮妃にしたいということでもなさそうだし >>557
じゃあやっぱり兵部卿北の方の源氏憎しは異常だったんだね
娘の髭黒北の方にまで吹き込んでるし 夕顔の腹に女の子が生まれたから、警戒して圧力かけたんじゃないかな
女の子は重要なコマだから、娘のために母親を重く扱うようになることもあるから
夕顔は行方不明になって、雲居雁の母も離婚して、ライバル蹴落として自分も女の子
生まれて、晴れて押しも押されもせぬ頭中将の正妻の地位を確立したもんだから
他の妻の子にまであまり目くじら立てなかっただけでは?
雲居雁のことは、夕霧と結婚した後に、弘徽殿女御より華やかで幸せそうだったから
北の方が「心よからず」色々言ってた…という描写が原典にはあるよ 家出した雲居の雁が新弘徽殿のところに遊びに行くくらいだから、
色々と言ってはいても雲居の耳に届くようには言わなかったんじゃないかな?と思ったけど…
原典にはあるのかな? でもあの夫婦の息子(柏木)ラブは親子っぽくて微笑ましい
源氏と何かが確実に違う >>556
頭の中将の北の方って右大臣の四の君だから、古弘徽殿の女御の妹だよね。 >>562
更衣が亡くなって源氏が宮中に戻って、藤壺が入内する前までだよね。 雲居の母は皇族で後ろ盾があるから嫌がらせはできないけど夕顔は後ろ盾がいないからね
落葉宮と夕霧が再婚したら喜んだから雲居が気に入らないのは変わらない >>561
わかるー。
女三宮と結婚できず独身続けてる柏木が突如猫を溺愛しはじめたあたりで、夫婦で「近頃うちの息子はどうしたんだろう」って言ってて面白かったもんね。
若い頃はギスギスしてた四の君も、何人も子どもを産んで北の方として自信がついたんだろうな。子ども達ラブな両親で確かに源氏ファミリーとは雰囲気違うね。 源氏の場合は紫の上との間に子供がいたらそういう雰囲気になってたと思うけど
冷泉の母親とは一緒に暮らせないし夕霧の母親は早世で明石中宮は養母で薫は… 頭中将正妻も実家の右大臣家が没落して昔ほど強気でいられなくなったんだろうけど
実家が没落しても正妻でいられたのはやはり子供をたくさん産んで母としての地盤を固めていたからだろうね 右大臣家、没落っていうほどの没落かね
一番の権力者じゃなくなったってだけじゃないのかな >>568
仮に紫が子供産んでても変わらなかったと思うよ >>571
右大臣や弘徽殿女御の血を引く朱雀、今上と2人も帝を出しているだんだから
大したもんだ。没落ってわけじゃないよね。 ところで右大臣家って娘しかいなかったわけじゃないよね?
大后が総領だったぽいけど 源氏に退出を待たせたうえに、嫌味を言ってきた若造がいたような >>576
いたね、いかにもモブキャラの嫌味な感じの奴。
彼は源氏復活後は鳴かず飛ばずだったんだろうか。 系譜が分からない大臣も何人かいるから、その中に右大臣の血筋もいたかもだけど
あさきではモブとしても出てこないよね 若い頃は左大臣家が源氏側で、弘徽殿様の右大臣家がライバルだったから描写も多かったけど
明石以降は元頭中将の左大臣家がライバルに変わったから右大臣家を詳しく描く必要無くなったからだろうね
朱雀がもっと権威にガツガツしてたら対立もあっただろうけどむしろ源氏贔屓だし
今上の中宮争いの時も右大臣家出てこなかったよね手頃な姫がいなかったのか 女二宮の母(麗景殿女御だっけ)も左大臣の姫だったけど、源氏が太政大臣の時の左大臣ってかつての右大臣家とは関係あるのかないのか。 冷泉帝と秋好中宮のシーンが好き
「ああよかった、あなたは小さくて大人じゃないみたいだ」
「まぁ、可愛いお上」
とかの
あと空蝉がなんていうかシンプルで結構好き
宮崎アニメに出てきそうなお顔 秋好中宮って小柄なのな
母親の六条さんの体格については原点の記述はないけど、あさきの彼女は背が高そうなキャラ 十二単に体がすっぽり埋まっているみたいな表現があったような
女三宮も長い髪の毛にすっぽり埋まるような体格なんだっけ? ちょっと話はずれるけど、秋好が立后した時って、冷泉帝が、実父が源氏、て知った直後くらい
だよね。
実父が源氏、て知らなかったら、新弘徽殿を
中宮にしてた可能性はあるかな? >>584
無いと思う
秋好は藤壺が推薦した女御
藤壺が亡くなった後なら親孝行で秋好を選ぶ
それに冷泉が東宮時代の後見をしたのは源氏
新弘徽殿に男子がいたならチャンスありだけど 藤壺が秋好を推薦した理由って何だろう
血縁関係も無いし、何か藤壺側にメリットあったかな >>586
新弘徽殿女御の母は右大臣家出身(藤壺に嫌がらせをした旧弘徽殿の妹)、父の頭中将は左大臣家
左右大臣の血を引く娘を中宮にして、権門に栄誉が移行するくらいなら
血縁関係はないけど、自分と同様に正統な皇族の血を引く秋好の方を押す気持ちも分かる 源氏が外戚代わりになってるからでは
本来なら兵部卿宮のはずなんだけどいざって時に役に立たなかったし 桐壺帝が藤原氏じゃなくて皇族出身の女御を中宮にしたように、藤壺の宮もその意向を酌んだのでは
後ろ楯からいうと梅壺か弘徽殿の二択だけど、源氏がいる方が母の中宮も意見しやすいよね 好き嫌いで立后はできないけどなんだかんだ冷泉は新弘徽殿の方が好きそう
秋好とは良好な関係だった場合の葵と源氏みたいな感じ あさきだと新弘徽殿は性格も良い美人だし冷泉と歳も近いしね
新弘徽殿の方が好きだと思うよ女の子も生まれてるしさ 冷泉と新弘徽殿は同世代で12歳くらいから一緒だから、ある種初恋同士かもね(バリバリの政略結婚ではあるけど)。
釣殿で一緒に魚を見たりしてる微笑ましいシーンがあったよね。 >>582
確かに。六条さんの体格はわからないけど、お顔とキャラ的に背の高いモデル風美女で甘え下手っぽい。
小柄でかわいらしい女子に全部持ってかれちゃうのを悔しく感じてそう(これは弘徽殿もそうかも) >>593
だよね。自分から見ると夕顔より六条さん、桐壺よりこきでんさまの方が美しく魅力的に見える
六条さんのヤンデレストーカー気質は苦手だけど >>586
普通なら藤壺は自分の兄である兵部卿宮の味方をして姪の王女御を世話するところなんだよね
でもその兄が藤壺が弘徽殿一派に追いやられて苦労していたとき全然守ってくれなかったヘタレ
一方で源氏は須磨復帰後着実に地位を固めていっている有力政治家
自分と冷泉の後見としてどっちが頼りになるか冷静に見極めた結果
王女御を無視して秋好の入内を世話することで兄より源氏をとったってことじゃないかと >>596
そうだね。王女御は藤壺の同母の兄の娘なんだから味方しそうなものだけど、兵部卿宮が何かと頼りないのと紫のことで源氏と不仲だからね。
血縁よりも太い後見をしてくれそうな源氏をとったって感じに見える。 >>596
藤壺から見て冷泉の伯父の兵部卿宮より
実父の源氏の方が全力で冷泉を守ってくれそうだからじゃないかな
冷泉の実父が桐壺帝だったなら源氏は異母兄に過ぎない
源氏が異母兄なら自分と血の繋がりのある兵部卿宮を選んだのでは 頼りになるとはいえ不義の子の本当の男親を後ろ楯に選ぶってなかなかの度胸だよね
バレるの怖がってるわりには危ないこと選んでやってる >>600
藤壺はバレるの怖がっていたから出家して源氏から逃げた >>600
冷泉の後見に源氏を指定したのは亡き桐壷院だよ
須磨行きの前は源氏も若さ全開で藤壺に迫ってそのせいで藤壺が出家しちゃったけど
でも須磨から帰った後は落ち着いて藤壺もこれなら後見役として大丈夫と判断したんじゃないかな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています