>>448
才覚のない女三宮に代わって実質六条院を取り仕切っていたのは紫
発病した紫が二条院に移ると六条院は火が消えたようになり
女三宮の女房たちまでもが「まことに…いまさらながら思い知らされたことよ」「あのかたこそが六条院の花であったと…」と話していた
西洋に比べ平安貴族が閉鎖的に見えても上流貴族が社交が命なのは古今東西変わらないよ
来客のもてなしとか贈り物のセンスとか部屋のインテリアとか小さな催しとか
自分は手を動かさなくても女房たちを指揮して立派にやりとげるのが貴族の妻
源氏みたいな大物になると来客のもてなし一つとっても教養やセンスが問われただろう
妻として夫を支えることも話し相手になることも女三宮はできなかったろうからね